【TRPG】バンパイアを殲滅せよ【現代ファンタジー】
- 1 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/25(土) 11:07:15.65 ID:3tEC9RJr.net
- 東京都副都心――新宿
立ち聳える無数のオフィスビルと網の目の移動路線、絶えず行き交う人の群れ。
夜はまったく違う顔を持つこの街の何処かで……あなたは耳にしたことがあるだろうか。
『吸血鬼(バンパイア)は実在する』という噂を。
ある日あなたは目撃してしまう。
眠らぬ街の片隅で、黒い影が倒れた少女に覆いかぶさるのを。鋭く尖る乱杭歯と、光る眼を。
名も知らぬ少女の喉元にくっきりと残された、二つの小さな噛み痕を。
あなたは確信した。そして決意した。この街のどこかに潜むバンパイアという化け物を駆除しなければと。
その手に握る銀の弾頭。
それを彼等の胸に打ち込めるのは――あなただけなのだから。
ジャンル:バイオレンスファンタジー
コンセプト: 現代の日本を舞台にしたリレー小説型シューティングゲーム
ストーリー: 特になし 導入や設定、ネタフリがあれば自然と組み上がるはず
最低参加人数:1名(多くても3名までとします)
GM:あり
決定リール:あり ※詳細は後述
○日ルール:7日
版権・越境:不可(ドラキュラ伯爵でも不可)
敵役参加:なし ただし途中で吸血鬼化した場合はその限りではない
避難所の有無:なし 連絡等は【 】でくくること
注意1:バンパイアは強敵です。普通に撃ってもそう易々と当たってはくれません。要は「工夫を凝らして」
注意2:目的のために手段を選んで下さい。警察もいます。捕まっても良ければご自由に。
注意3:すべての年齢層が見ています。残虐的行動はやむを得ないにしても、それを生々しく「表現」してはいけません。
注意4:あくまでゲームです。周囲の人に当たるべからず。会議中の閲覧禁止。通行人を殴るのは以ての外。
このゲームはフィクションです。実在の人物、団体等とは一切関係ありません
- 2 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/25(土) 11:08:08.77 ID:3tEC9RJr.net
- キャラ用テンプレ
名前:日本人推奨
年齢:
性別:
身長:
体重:
スリーサイズ:女性の場合は省かぬが吉
種族:人間、吸血鬼以外の種族は存在しません
職業:
性格:
特技:超能力と呼ばれる『特殊能力』を使えるのはバンパイアだけ(時間、空間操作は禁忌)
武器:銃は実際に普及しているものを使用すること。口径20mm以上の火器(砲)の所有は禁じます。
防具:ここが現代の日本であることを念頭に
所持品:実際に持てるものを。そんなものドコに隠してた? ってならないように。背中から釘バットも禁止!
容姿の特徴・風貌:
簡単なキャラ解説:因縁設定、大いに結構
能力設定:
吸血鬼(バンパイア)は化け物です。人間より高い身体能力を持っています。
体力、筋力、跳躍力、聴力、動体視力、嗅覚、味覚、すべてにおいて人のそれを上回ります。
やっかいな事に、特殊能力を持つ者もいます。コウモリに姿を変えたりするアレです。
その代わり弱点も多く存在します。陽の光を恐れ、十字架に怯み、にんにくの匂いを嫌います。
水を渡れず、鏡に映らないことも彼等に取っては相当なコンプレックスのようです。
彼等は滅多なことでは死にません。首を落とせば再生し、焼かれても灰から蘇ります。
決定的な弱点は唯一、純銀製の弾丸だけです。それを心臓に打ち込むことで、完全に彼等を滅ぼすことが出来ます。
1ラウンド終了後、継続を希望すれば次のラウンドへと進めます。
進まない場合は必ず最終ターンで死亡してください。吸血鬼化を望む場合も同様です。
敵は必ず「死ぬか」、「仲間となるか」を聞いてきます。
1ラウンド=3〜5ターンを目安とします。
※決定リール
プレイヤーは持ちキャラ、NPCだけでなく、対戦相手についても「ある程度」の操作が可能です。
「ある程度」とは、決定打とならない攻撃ならば、受けたりかわしたりさせて良いということです。
○殴りつけたが難なくかわされてしまった
○手足に打ち込んだ弾丸が見事命中
×弾丸は奴の心臓を射抜いた
当然ですが、他PCや敵キャラの能動的行動――何かの目的をもってしゃべらせたり、行動させたりするのはNGです。
以下、導入を投下、集まり次第ミッションを開始します。気楽に、楽しく行きましょう!
- 3 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/02/25(土) 11:08:39.55 ID:3tEC9RJr.net
- 名前:佐伯 裕也(さえき ゆうや)
年齢:不明
性別:男
身長:179
体重:70
種族:バンパイア
職業:個人投資家
性格:傲慢、浮き沈みが無い
特技:魅了(チャーム)。相手に眼を合わせる事で発動。サングラスで回避可。
武器:なし
防具:なし
所持品:ペンと手帳、財布に10万以上の現金
容姿の特徴・風貌:アニエスのスーツを着こなした茶髪の優男。
簡単なキャラ解説:「コロニー」の中では一番の下っ端。フラリと夜の街に出向いては好みの女性を手にかけている。
- 4 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/02/25(土) 11:10:21.51 ID:3tEC9RJr.net
- 大都会の只中だというのに、木に囲まれたこの公園はとても静かだ。
鬱蒼と茂る木々が、明るい月の光を遮っている。
懐に入れた携帯が独特の振動音にて着信を知らせているが……放っておく。
伯爵を頂点とする我等吸血族のコロニーは今やその数を減らし……10にも満たない。
ここ新宿のコロニーも、貴重な会員が先日、とある人間に殺された。銀の弾丸を操る人間――ハンターにだ。
どうせそのハンターを見つけろとでも言うのだろう。
足を運ぶたび……歩道の敷石と砂とが擦れ合う音がこの耳に届く。音を消すは容易だが、今は消す必要などない。
公園の名は何だっただろう。確か入り口には名のようなものが記されていた筈だ。……が、特に興味はない。
早く……早く……この喝えた喉を潤さなければ。
灌木が生い茂る暗がりの方々で人の気配がする。
声をひそめ囁く声、息遣いと吐息から、それが若い、或いは妙齢の男女のものであると解る。
恥を知らぬ人間どもだ。隅に並ぶ紙の箱――段ボールの中ではホームレス達がひしめいているというのに。
兎にも角にも興味はない。恥知らずな人間はこの舌に合わない。
不意に香る香水の匂い。甲高い足音を鳴らし、公園に足を踏み入れた女がいる。
シャネルのbT。これを好んでつける女は多い。見れば薄化粧の美しい女だ。薄紅色の上下に……大きく開く胸元。
闇にたたずむこちらに気づいたのか、ロングブーツを履く足が止まる。
「すみません。道を聞きたいのですが」
不案内を装い声をかけた。女が怪訝気にこちらを見上げるが、目が合ったとたんにその緊張を解いた。
フラフラとこちらに近づき、甘えるようにしなだれる。
今夜も我が能力の効目は良好だ。我が能力――魅了(チャーム)。月が満ちれば数人同時に落ちることも。
暗がりに連れ込み、首を横に向かせた。滑らかな白い肌。柔らかな肢体。
稀にみる上等の得物だ。存分にこの身体を味わい尽くした後で……この牙を突き立ててくれようか……いや……やはり……
血の欲求は性の欲求に勝る。
堪らず剥いた牙が鋭く、長く伸びるのが自分でも解る。これが、これこそが我等吸血族の性。
カチリと後ろで何かが鳴った。
振り向くと、更なる暗がりで何者かが立っている。鼻を突く不快な匂い。鉄とガンオイルの匂い。
「まさか貴様、ハンター、……か?」
≪Insert Coin≫
- 5 :創る名無しに見る名無し:2017/02/25(土) 11:27:32.44 ID:AwwC5iIs.net
- 銃スレかい?
入るしかネェな
- 6 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 01:22:25.75 ID:W9RK1TiS.net
- 俺だ。
とりあえずキャラだけ投下だ。邪魔するぜ
名前:水流=ベウチー十蔵=ガンコン(つる・じゅうぞう)
年齢:自称忘れた
性別:男
身長:181
体重:75
種族:人間(自称強化人間)
職業:ピザ屋店員兼ヴァンパイア・ハンター(ガンマン)
性格:痛快でハードボイルドでアメリカかぶれ
特技:タマの回転撃ち、十字弾、跳弾
武器:コルトM1903サイガMk.3(38口径)、M249機関砲(牽引式)
防具:防弾チョッキ、防弾ジャケット、スピードブーツ、ハイスペクサングラス
所持品:予備用の携帯食料やタマ、ある程度のカネ
容姿の特徴・風貌:長い茶髪でサングラスをかけたハードボイルド風のピザ屋店員。
簡単なキャラ解説:ヴァンパイアハンター業を営むピザ屋店員。銃を撃つのが誰よりも好きだと自負している。
ピザ選手権で世界5位に入ったこともある男。ピザ以外の料理も得意。
【ってことで導入部は後で書く。仲間も歓迎だ――Good Night...(楽しい一夜を)】
- 7 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 01:24:34.37 ID:W9RK1TiS.net
- M249機関砲と書いたが、機関銃の間違いだ。5.56mmだ。
早くタマぁ撃ちてェなァ…
【>>1よろしく頼む】
- 8 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/26(日) 06:35:17.71 ID:/Gakkmun.net
- >6
弾の撃てる冒険の世界へようこそ! なんスかその名前w
今のうちにひとつ提案
銃の専門用語っていっぱいありますよね。つい バン バン 使いたくなってしまう。でも読む方は大変?
そこで
・ググらんと分からんようなマニアックな用語は使わない。
・どうしても描写に必要ならば、使っても良し。ただし1レスにつき1つか2つ。
・その場合は可能な限り分かり易い説明を。
・カタカナ語には( )書きで和訳語を。こんなのみんな知ってる! なんて思わない。ただし既出は省いて良し。
【ルールというか配慮というか。まあほとんど自分に言ってるんですが。Is it OK ?】
- 9 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/26(日) 08:20:29.32 ID:/Gakkmun.net
- 武器の詳細をこちらへ投下してください。
あくまで資料庫です。連絡等は本スレ内でお願いします。
【バンパイアを殲滅せよ】資料庫
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9925/1488064303/
- 10 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 10:53:11.47 ID:W9RK1TiS.net
- 俺の銃の基本スペックだ。実際にはこれをサイガ式に改造、
そしてサプレッサー機能まで搭載されてる。
タマも話の中で改造する描写があるが、それぐれェは許してくれや。
コルトM1903
設計:アメリカ・コルトファイヤーアームズ
製造:コルトファイヤーアームズ、ブローニングアームズ
口径:.32口径(7.65mm、M1903).38口径(9mm、M1908)
銃身長:127mm
使用弾薬使用弾薬:.32ACP弾(M1903)
.380ACP弾(M1908
作動方式:ブローバック
全長:171mm、重量:675g
装弾数
8+1発(M1903)
7+1発(M1908)
M249は有名な機関銃だ。作中でも大して使わねェ…
なんせモノがデカいもんでね。目立っちまうんだよ。
スペックについては適当にググってくれ。
>GM
専門用語については大体了解した。
極力調べなくても分かるような内容にするつもりだ。
それと俺からの要望だ。資料庫は使わねェ。
了承してくれりゃ、俺ァ結構長くなると思うがすぐに導入部分を書き始めるぜ。
- 11 :創る名無しに見る名無し:2017/02/26(日) 18:24:49.80 ID:rgVyjgbl.net
- ダメダメ!
- 12 :創る名無しに見る名無し:2017/02/26(日) 19:09:51.86 ID:Gd9vLMez.net
- ええで!
- 13 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/26(日) 19:48:01.26 ID:/Gakkmun.net
- >10
【使わないんかい!】
えと……出禁でも?
まあ私がコピペして張れば済む話なんで別にいいんですが、正直面白エピソード聞けるかと楽しみにしてたんです。
いいですよ! 五月雨式でロール回していきましょう!
【 超長い導入 Come on! 】
- 14 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 23:18:20.02 ID:W9RK1TiS.net
- 【coinは投げられた――】
俺ァ大都会は嫌いだ。
渋谷に引っ越してから何ヶ月が経っただろう。
ここは汚ねェ……
新宿寄りの宮下公園なんかはホームレスがウヨウヨしてやがる。
まるでゾンビみてェだ。
今日は午前中から数年は住んだタマプラーザで「タマ・カフェ」に行くついでに
俺の「マスター」のいた「町田家」に寄った。
多摩地方にはその名の通りタマを撃てる場所が何箇所もできた。タマ地方って言われてる。
だが俺にとって一番馴染むのはここよ。
タマプラーザってのは自衛隊の弾薬庫ができてから急激に栄えた。
ここは横浜でありながら渋谷とのアクセスも便利で、今では新宿方面にも直通で行けるぜ。
……
- 15 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 23:18:47.42 ID:W9RK1TiS.net
- 系ラーメンてぇのは横浜が発祥だ。
一日に何ン十キロものゲンコツやカシラ、背ガラを茹でて何時間も煮込む。
いや、「炊き出す」だな。こりゃちょっとした料理みてぇなモンだ。
こん時に出る臭いは最高にトンコツ臭ェ。半径10mは軽く臭いが充満する。
下茹で、本茹でを続けてようやく至高のスープができる。
苦情と隣り合わせだ。折角店を開いたのに苦情で辞める奴が多くいるって
俺の昔のダチが言ってたな。
そして醤油ダシと合わさって最高に濃厚なスープができるってぇ訳よ。
いわゆる元祖トンコツ醤油ってぇやつだ。だけど「町田家」は味がちょっとちげェ……
店舗が複数あって、本店がある町田の鶴川、八王子の高尾、そしてここと割りと辺鄙な場所にあるらしい。
「……!! こりゃすげェ……何使ってんだ? マスター」
俺ァ数年前、トランプピザのユニフォームを着たまま、初めてここのラーメンを食った。
こりゃ家系じゃねェ……濃厚でありながら研ぎ澄まされてやがる。
「おめぇさん、誰に口利いてやがンだ。それより兄ちゃんよ、デリバリーの仕事中に良いんか?店に通報すんぜ?」
俺ァマスターの声も耳に入らず、ガン食いよ。うめェ。
ただの濃厚なトンコツじゃねェ。野菜のような研ぎ澄まされた味が麺に、俺の舌に絡みやがる。
気がおかしくなりそうだぜ。クスリでも入ってんじゃねェか?
ピザが冷めちまうが、知ったこっちゃねェ。こんなラーメン食ったことねェぜ。
「なぁ、おっさん、このラーメンのダシを教えてくれねェか?」
マスターは即答した。
「ワシはスープマスターだ。誰に向かって口利いとる。町田家じゃあな、バイトにすらスープのダシは教えねェ……
それが一杯千円以下で食えることを有難く思うんだな。スープマスターってのは町田家じゃあ十年は積まねえとなれんぜ。
ここの味を知りたきゃ、そんなチンケなピザ屋なんぞさっさと辞めるこったな。さっさと食って帰れ」
- 16 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 23:19:47.14 ID:W9RK1TiS.net
- 俺ァ即答した。
「悪ィけどおっさん、俺ァピザ一本なんでね、ピザ屋を辞める訳にゃいかねェ……あんた、タマはやんのか?
俺ァタバコはやらねぇが、酒とタマはやる。「タマ・カフェ」で会おうぜ」
それが、俺と「マスター」との出会いだった。
タマプラでピザ屋をやりながら毎年世界選手権に出た。イタリアだァ?そんな所じゃねェ。
本場アメリカよ。トランプピザってェのはアメリカが発祥だ。ニューヨークのマンハッタンで世界大会が開かれる。
ついに俺ァ去年で世界5位になった。
だがよ、その日だったんだ。
マスターが死んだ、って話を聞いたのはな。
俺ァ「タマをやる」って聞いた町田家のマスターと「タマ・カフェ」で毎週のようにタマを撃ちあったぜ。
タマぁ撃ってる時だけはマスターも俺のライバルよ。それと町田家の中でも少しずつだが、バイトをさせてもらった。
クソ重いゲンコツや気持ち悪ィカシラを運びながら、毎日のようにコッソリ時給500円でバイトしたぜ。
マスターはこう言ったことがある。
「家系ラーメンのスープだってピザだって銃弾と同じだ。ツル、てめぇもピザ屋なら覚えとけ。例えば坦坦麺なら「麻」と「辣」が効いて
初めて味が出るってもんだ。魂よ。それ以上ワシの店の秘伝の味を盗みたかったら、銃でワシに勝つまで魂を込めるこった」
あぁ、覚えてるぜ。俺ァ巷で噂のヴァンパイアなんぞの相手なんてしてられなかったんだ。
まさか、そのヴァンパイアに、マスターが殺されるたぁな。
トンコツ醤油の作り方はわかった。問題は香味野菜よ。タマネギ、ニンジン、リンゴ、シイタケ、ショウガetc……
こういった野菜や素材は全部ダシ取ったら捨てちまう。この中で何か一つだけが足りねェ……
俺ァずっと自室でダシの研究をしてたんだが、結局最後までマスターの味は出せなかったぜ。
……
- 17 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 23:20:35.14 ID:W9RK1TiS.net
- ヴァンパイア……俗にいう吸血鬼ってェヤツよ。
ここ数年で突如現れ、数は減ったとは言われてるが、被害者が後を絶たねェ……
特に若い女がターゲットになるって言われてやがる。協会は青山霊園あたりが怪しいって話だが、
全く情報は掴めてねェな。初期の襲撃場所からするともしかしたらタマ地区の方かもしれねェ。
しかもヴァンパイアは人の生き血を吸って、そいつまでヴァンパイアにするらしい。
マスターの死に顔も、普通のツラじゃなかったって、覚えてるぜ。
なにせ銃がねェところを一撃でガブリ、だ。
斉藤慎太郎、享年58歳だそうだ。
俺ァ望まずしてヴァンパイア・ハンターって奴になった。マスターの仇って訳だな。
ピザ屋は辞めねェ。
今日も宮下公園店でピザ作りだ。
強力粉と薄力粉を混ぜて練ったものを一晩寝かせるのが、この店のやり方よ。ま、そんなこたぁどうでもいい。
俺ァこの店で唯一、作りながらデリバリーもやってる。
ここは春になりゃ花見の客も多い。たまにホームレスからも依頼があるぜ。
で、俺が店長にヴァンパイア・ハンターであることを知らせたら、二つ返事よ。
勿論俺が有能ってェのもあるんだろうが、単にハンターを雇うことでクニから助成金が降りるらしい。
多分だが、俺の給料より高ェ金額がこの店に払われてんだろうな。
ま、俺が有能だからってのは置いとくか。
手首にスナップを利かせて、生地を頭の上で回転させる。このへんはタマ撃つのと一緒だわな。
そしてトマトソース、チリソース、カレーソースと本場アメリカ仕込のソースをぐるりと塗りこむ。
次はチーズだ。ひたすらバラ撒く。これァピザ競技でも速さが問われる部分だが、俺ァ食い物を粗末にはしねェ。
そりゃマスターに鍛えられたからな。勿論、タマもだよ。
「ツルさんさすが!」「ジュウさんに任せればあとは大体大丈夫っすね!」
後輩や先輩どもが俺を褒めやがる。ま、俺が一人だけ歳食ってるってぇのもあるだろうが、普通に腕が良いヤツは褒められる。
それが世の中の道理よ。
- 18 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 23:21:19.74 ID:W9RK1TiS.net
- そしてオーブンで焼く。
トランプピザはマニュアル化されてるが、俺ァひたすらアメリカンハンドトスを俺流のやり方で焼く。
クリスピー? 知ったこっちゃねぇ。そんな貧弱なイタリア風ピザは他のヤツらに焼かせとくモンだ。
ドッドドッドドド……♪
ターミネーターのテーマの着信音が鳴った。俺ァいつもこれだ。メールか。
『指名手配中のヴァンパイアを片付けてくれ。名前は佐伯裕也。場所は渋谷区○○○グランデ原宿……810号室だ
留守だった場合は別班が追跡に当たる』
ハンター協会からのメールだ。どうやら俺にピザ配送員の格好で狙えってェ話らしい。
時間はもう夜9時だ。
良い子は寝る時間だってェのに、ヴァンプどもは活発に盛りやがる。
センサーを腕に巻き、トランプピザの帽子を被る。
『了解、タマは指定されたブツを使うんだったな』
俺ァ「トランプ・デラックスL」と「チーズスペシャルM」と「ガーリック・マスターXL」を詰め込むと、
グランデ原宿周辺のピザ三枚を持って店を出た。
おっと、オツリを忘れねェようにな。オツリのケースは予備のタマ入れと間違えそうになるから困ったもんだ。
俺のバイクは特別製よ。
懐に潜ませたコルトM1903サイガMk.3の他に、ヴァンパイアの集団やサーヴァントなどに囲まれた時でも対応できるように、
トランクの下にM249ミニミ機関銃も用意されてる。勿論タマもたんまり仕込んである。
だから俺ァ保温用の鉄板は使わねェ……当然ピザは冷めるが、仕事が優先だ。俺ァ自分が作ったピザにゃあ自信がある。
マスターが言うように魂込めて作ってるからな。アルデンテが利いた生地と焼き加減が絶妙なアメリカン・ハンドトスは冷めても美味い。
810号室のチャイムを鳴らす。
ピンポーン…… ピンポーン……
「出ねェ……」
俺ァ10秒経っても反応がねェから、思い切りドアを蹴った。
おっと、後ろから帰宅途中の三つ隣のOLのネーチャンに見られてやがる。
店にクレームが入る前におとなしくしとくか。
- 19 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/26(日) 23:22:43.88 ID:W9RK1TiS.net
- 「佐伯さまー、佐伯さまー」
適当に声だけかけてみる。ピザ屋のマネだ。おっと、俺ァピザ屋だった。
ネーチャンが自室に入ると、俺ァさっさと810のピックングを開始した。
懐のコルトに手を潜ませながら、さっさとドアを開く。ちなみにタマは協会から支給された銀塗りのモンだが、
俺ァそこにさらに十字傷を入れてる。いや、卍に近い形だな。こうすることで、タマは食い込んで殺傷能力が増すってモンだ。
そして俺ァさらにスナップを利かせる。どうなるかは分かってるな?と……
「誰もいねェ……」
冷めたピザ二枚を届けて、一軒からのクレームを聞き流しながら、俺ァ宮下公園のあたりを通りかかった。
オーダーのラベルを確認する。
『コーポ宮下公園102 水原桜子』
「ガーリック・マスターXL」を持つと、小せぇアパートに向かった。
おっと、反応してやがる。血の臭い、薄気味悪ィぜ。
俺は今までで三人ほどヴァンパイアを片付けた。どいつも周りの支援に俺のタマの腕があって片付いた案件だが、
今回は俺一人だけよ。
女の香水の臭いもしやがる。よく通る男の声だ。
腕のセンサーがビンビンなりやがる。俺の方もしばらくタマ撃ってねェ……
早く撃ちたくてたまんねぇぜ。
女が男の方に抱きついた。こりゃビンゴ、だな。
ヴァンプ野郎の牙が光る。俺ァ同時に地面にそっと冷え切った「ガーリック・マスターXL」を置く。大事な商品よ。
そして懐からコルトを抜く。もちろんサプレッサー付よ。しかもコイツぁサイガ流に改造された特別製だ。
たっぷりとガンオイルが塗ってあってタマの滑りも良いはずだ。歩きながらそっと安全装置を外す。
俺専用の命の銃って言ってもいい。あぁ、早く撃ちてェ……
M249が入ったバイクがちょいと離れてるのばっかりが不安だ。
>「まさか貴様、ハンター、……か?」
俺ァ振り向いた佐伯と思われる男に銃口を向けると、赤外線ポインタを額に向けた。
「俺ァハンターじゃねェ…… ただの通りすがりのアメリカンピザの配達人よ。
さぁ、お届けに上がったぜ。てめェの頭にLサイズのタマをプレゼントだ……」
パシュッ、パシュ、パシュ……!
俺ァ三発の銃弾(タマ)を佐伯と思われる男の額に向けて発射した。
反動とサプレッサー音の感覚が俺の全身を震わせ、妙に興奮を昂ぶらせてくれる。
あぁ、今日もタマぁ撃てて幸せだぜ……
【以上が導入部分だ。 Have a good night...(今日も良い夜を…!)】
- 20 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/27(月) 17:49:07.19 ID:lED9uuaq.net
- 【投下はや! そしてWonderful! 】
【3日ほどお待ちください。もし他に希望者様いらっしゃいましたら今のうちにお入りください】
- 21 : ◆GM.MgBPyvE :2017/02/28(火) 01:14:07.76 ID:v1PI/QEg.net
- >14
【あ、ひとつだけ。「サイガ式に改造」って具体的にどこをどのように?】
【重要ですって! 反撃する側としては!】
- 22 : ◆gM.lwFOvE2 :2017/02/28(火) 08:45:22.42 ID:42aotV9t.net
- >GM
おう、割とどうでもいい話だな。
サイガってェのはロシアのイズマッシュ・サイガ散弾銃のことだ。
銃身が長くなっててタマの軌道がより精密になった、程度に認識してくれ
タマの弾速・破壊力も増してMk3ってことにしてある。
ちなみに「町田家」のモデルになった店だ。
http://www.yokohama-ya.co.jp/
- 23 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/03(金) 06:43:17.71 ID:qq0gRQlK.net
- 向けられた銃口が月光を浴び冷たく光る。
ガンオイルの匂いに混じる――さらに不快な臭気が臭覚野を刺激する。……この匂い……
>俺ァハンターじゃねェ…… ただの通りすがりのアメリカンピザの配達人よ。
>さぁ、お届けに上がったぜ。てめェの頭にLサイズのタマをプレゼントだ……
言葉どおりの「それらしい」ユニフォーム。男の身体から立ち昇るソレの匂い。
更なる大元はそれか。そこに置いた箱――おそらくガーリックを効かせたおぞましい物体。
「貴様、我等バンパイアの弱点を知っているな?」
嗅ぐな
見るな
触れるな
浴びるな
まさしくそれは我等に取っての四大悪のひとつ。大蒜(にんにく)。
ハンターじゃないだと? そのやたらと「使い込まれ感」のあるハンドガンは何だ。
隙のない立ち姿。トリガーにかけられた指。初めてならばいくらか震える。手練のハンターでなければ何だというのだ。
しかもそのサングラス。この「眼力」に備えるとは……すでにこの「佐伯裕也」のプロファイリングを?
続いて起こる三度の連続音。火薬の爆発音ではない。まるで空気を打ち出すような――ささやかな射出音。
なるほどサプレッサー内蔵加工。そう言えばそんな銃を使う男の話を……何処かで……
何れにしても消音効果は威力の低下を伴う。騒ぎを恐れるあまりの選択だろうが、それこそが命取りだ。
我等バンパイアに生半可な威力の弾丸など通じるものか。当たったとしても胸以外なら問題ないのだからな。
意識を前方の「弾」に強く向けた。
視界が赤く染まる。ゆっくりと、しかし確実にこちらの眉間を狙う弾が見える。回転する銃弾の先に更に強く眼を凝らす。
丸い……銀に光る弾頭に鉤十字の傷。
……嫌な形だ。教会の屋根にあるあの形……そうだ! あの方が言っていた!
昨年、協会に登録したばかりの凄腕のハンターがいると。自ら改造したコルトに、卍の銃弾を込める男だと!
名も聞いた気がするが……思い出せない。やたら妙ちくりんな……そしてその名にも嫌な響きが……
弾がいよいよ目前に迫った時思い出した。
ツル――そうだ! 水流だ! ……流れる水と書いて水流! ……ゾッとしやがる!
「ツル……十蔵なんちゃら、だっけか?」
奴がやった仲間は三名。たしか奴の弾(タマ)は――異常なほどの威力を……
上から伸びる木の枝を掴み地面を蹴る。ここは樹木が多い。枝や幹を飛び移り逃げるのは容易い。
――だがしかし
「大蒜」と「十字」、「流水」をトリプルで知覚してしまった身体が思うように動かない。抱きつく女性を振りほどけない。
口の中が乾く。舌が口内に張り付く。
まさか……この自分が追い込まれている? 人という種の進化形――ヴァンパイアである自分が!?
中途半端な跳躍はしかし、着弾の場所をずらすという効果は生んだ。右肩に一発、右胸に二発。
頭部が破壊されるよりは幾分マシだろう。見た目的に。
受けた衝撃で掴んでいた枝が折れ、女性に抱きつかれた格好のまま後ろに飛ばされた。
「ぐハッ……!」
押しつぶされた肺が絞り出した苦鳴。二度目の衝撃。木にぶつかり止まったか?
背がザラリとした幹をこする。足を投げ出し座る格好となった自分に、なお縋りつく女性。「魅いられたまま」。
迷わず引き寄せ、その首筋に牙を立てた。
「は……ああ……」
女はいつもこんな声を出す。アレをする以上にイイのだろう。もっと吸ってやりたいが時間がない。
虚ろな眼――サーヴァント特有の目をした女。いい女だ。また逢えたら「仲間」にしてやってもいい。
女を立たせ、背を押す。
ハイヒールが脱げて転がった。まるで助けを呼ぶように叫び、よろめき、座り込む女。
スーツとスカーフが風に閃く。満開の桜の色をしたスカーフ。視認出来たのはそこまでだった。
フェンスを越え「下」に飛び降りた。この公園は「立体」だ。下の駐車スペースを抜け、人の群れに俺は逃げた。
- 24 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/03(金) 06:45:17.61 ID:qq0gRQlK.net
- 管理人はいつも通り居眠りをしていた。
ボタンを押したエレベータの扉が開く。誰も居ない。
室内に巡らされた鏡はこの姿を映していない。これもいつものこと。今夜に限りそれは幸いだった。
もし映っていたら、青白い顔をした冴えない男が一人立っていただろう。
血に染まる右肩と右胸を女物のガウンで隠した不審な男。頬を大量に伝う汗と、人のそれよりどす黒い血液。
怪しすぎる。
人目につかないよう気をつけはしたが、今の時代だ。通報されたかも知れない。
物好きな連中はすぐにネットに流したがる。鏡には映らないが写真には写るのが我等だ。
地上8階。廊下を抜けた一番奥が自分の「家」だ。居ついて三年になる。
――なんだ? 真鍮のドアの下方が……少し凹んでいる。泥のような汚れ。誰かが蹴ったか? 誰が?
――まさか!?
思ったとおり、鍵はあいていた。ドアの隙間から漂う「あの」匂い。
ファンの回る音と微かな作動音。PCはみな電源を入れたままだ。
壁一面に備え付けられた液晶画面には株価の上下を示す無数の数値、グラフが映し出されている。
見られるのは問題ない。問題なのはハードディスクに保存されたデータだ。
匿名で登録したサイトでのメールのやり取り。殺した女のデータ、仲間の居場所、その他etc.……
あけた痕跡を確認したいが、廊下より追手の気配がする。替えのスーツを取り出すのが精いっぱいだ。
バルコニーには強い風が吹いていた。見渡す限りのネオン。
手すりに手をかけ、身を躍らせる。痛む肩が夜風に染みる。紙袋が風に煽られ、バサバサと音を立てる。
飛び降りたのは隣接の七階建てのオフィスビルだ。都会はいい。こうしてビル伝いにどこまでも行ける。
新宿御苑の外周に沿って、北――歌舞伎町に向かう。彼に会い、これを診てもらわなければならない。
跳躍しつつ、とりあえずの住処をどうするか考える。朝日が昇る前に眠る場所が必要だ。
場所を知られた以上……あそこには戻れない。
投資などという仕事はくそ面白くも無かったが、手を汚さずに済む仕事ではあった。
流水を嫌うヴァンパイアが出来る仕事など限られている。動けるのは夜だけ。人並みの食事もしない。
そんな我等にうってつけの飯のタネを……それを…………忌々しい。落ち着けるいい場所だった。
煮えたぎる思いを腹に据え、見上げた夜空。二十三夜の月だった。
- 25 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/03(金) 06:46:11.27 ID:qq0gRQlK.net
- 深夜も近いというのにどこの店も開いている。
前も後ろも人間だらけだ。会社員、OL、学生、夜の女に、男達。酒にタバコ、香水の匂いに入り混じる奴らの体臭。
誰に注意を払うでもない人間どもの群れ。見るからに観光目的の外国人だけが周囲に奇異の目を向けている。
さりげなく肩を庇い、速度を合わせながら……女を物色する。襲いはしない。ただのウィンドウショッピングだ。
立て看板を片手に声をかけてくる男。特に不審に思う風はない。
看板のない建物がここでは一種異様に思えるくらいだ。新しい外装。そう言えば最近リフォームしたと言っていた。
ドアを開き、薄暗い階段を降りると、すでに大勢の待ち人が居た。無論、この俺を待っていた訳ではない。
会社員にはとても見えないナリをした男達の首や肩には、竜や花を象った彫りものがある。
チラリとこちらを伺うが、すぐに眼を逸らす。ここでは互いについて詮索はしない。
受付のない廊下の両側に置かれた長椅子の隅に腰かける。充満する薬品の匂いと血の匂い。悪くない。
廊下の真ん中の扉が音を立てて開いた。
「佐井センセ、次も頼んます」
頭を下げる若い男。右腕を吊り、額には包帯が巻かれている。
男に続き顔を出したのは、年の頃は三十半ば。長く真っ直ぐな黒髪が美しい白衣の女。
「また来てね、って言いたいところだけど。次はただの怪我じゃ済まないかもよ?」
おいおい、親しみ感あり過ぎだろう。涼しげな目と形のいい口元が人懐こい笑みを作る。とても闇医者には見えない。
ゆっくりと廊下の「患者達」を見回した彼女の目が俺に止まる。視線をこの右肩に向けた女は不意に真顔になった。
「それ、急がないと」
男達が一斉にこちらを見た。
「……そりゃないっスよ!」
「俺なんか9時からずっと待ってんスけど!」
「あなた達はただここに来たかっただけでしょ!? それくらい自分でやんなさい!」
なるほど、彼等の傷は一見して軽傷だ。人間どもが良くいう「ツバでもつけときゃ治る」って奴だ。
綺麗な女医とイチャつきたくて待っていたのだ。まあその気持ちは解らなくもない。
「この人の手当は時間がかかるわ。さ、行った行った!」
あくまで明るい彼女に、男達は恨みがましい視線を向けるでもなく腰を上げた。彼等は総じて単純。もの解りもいい。
関わり合いになるのは御免だが、嫌いな人種ではない。
診療台はまだ生温かかった。さっきの男の匂いも染みついている。
「ごめん。そのシーツ、替えるね?」
カチリとドアの鍵をしめた女医の手が、棚に重ねられたリネンを掴む。てきぱきとした動作。助手は居ない。
「撃たれたんでしょ?」
スーツの上から解ると言うのか。それとも勘か。
脱いだスーツとYシャツを注意深く籠に乗せ、台の上に横たわった。
手を洗っているのだろう水音が止んだ。何やらカチャカチャと音を立てる銀のトレイ片手に、マスクをした彼女が近づいて来る。
「三発被弾した。一発は貫通したからいいが、二発まだ残っている」
「そう。結構……深いわね」
触りもしないが、彼女の見立てはいつも正しい。
眼を閉じ、両手を硬く握りしめた。腕はいいのだが……彼女の治療は少々……いやかなり荒っぽい。
- 26 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/03(金) 06:47:05.87 ID:qq0gRQlK.net
- 弾の摘出と共に傷は瞬時に塞がった。痛みが引き、生気が戻る。
「便利ねぇ、ヴァンパイアって。傷跡どころか、血も汚れもすっかり綺麗になるなんて」
彼女は闇の医者だ。患者のえり好みはしない。たとえそれが……ヴァンパイアでも。
そんな彼女にこの眼の力を使ったことは一度もない。だが彼女は違う。
「ねぇ。ほんとは……欲しいんでしょ?」
彼女の目がこの目を捕えて離さない。白衣のボタンをひとつ、ふたつと外す彼女の手は、なんと細く、白いのだろう。
「いいのよ? 吸っても。仲間にしてくれたら……」
彼女の吐息が首筋を這う。まるでヴァンパイアのように。身体の芯が燃えるように熱い。こんな女がこの世にいるのだ。
「浅香(あさか)……」
何度か抱いた。しかし牙は使わずに耐えた。
彼女は言う。
「永遠の命があれば、ずっとこの仕事を続けるでしょ?」
だが彼女は知らないのだ。ヴァンパイアの歩く道は永遠の闇だと言うことを。
「もう服を着た方がいい。俺は追われている」
「なにそれ。そういう事は先に言ってよね?」
口を尖らす仕草まで愛おしい。彼女を巻き込みたくない。だが――
ドアの向こうで息をひそめ、こちらを伺う気配がした。コトに夢中で気が付かなかったのか。
ここは地下だ。逃げ道など無い。
- 27 :創る名無しに見る名無し:2017/03/03(金) 20:38:00.62 ID:dC5/kBW5.net
- ここまで読んできたらワクワクしてきた
がんばれ
- 28 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/04(土) 04:22:27.37 ID:Os/JlkR5.net
- >>27
ならいっそ参加してしまったらどうだろう。見ての通り、女手が足りてない
もし望むなら「仲間」にしてやってもいい
あんたが女なら、の話だが
- 29 :創る名無しに見る名無し:2017/03/04(土) 10:45:55.60 ID:v+clXbld.net
- >あんたが女なら、の話だが
キモっ!
- 30 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/04(土) 11:12:10.54 ID:Os/JlkR5.net
- 男の血は吸う気になれない
以上っ!
- 31 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 14:37:34.60 ID:qEOpFyBN.net
- 【書くなら今日だが、悪ィがもしかしたら今日中に書くのは無理かもしれねェ…
そうなりゃこの後は大分後になるだろう。それでも良いなら辛抱してくれ
悪ィな】
- 32 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/06(月) 17:28:59.45 ID:3myD/9cF.net
- 【まったくもって構わない】
- 33 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 17:39:14.26 ID:qEOpFyBN.net
- アニエスのスーツってェのがどんなモンかは分からねェが、スーツ姿に茶髪、
何よりも飛び出した犬歯がグラス越しでも物語ってる。こいつァヴァンパイアの佐伯だ。
奴が跳躍する。俺のフォーカスがスローモーになりそうだ。
大体の奴ァ最初のタマを頭に受けて動けなくなったところを心臓にズドン、だ。
だがこいつァ最初からタマの動きを読んでやがった。眼力がそれを物語ってる。
>「ツル……十蔵なんちゃら、だっけか?」
俺ァピザ界じゃそれなりに有名なつもりだ。
なにせナリがナリだけに、みんな俺のこたァ覚えやがる。
だがヴァンプどもにも名前が通ってるたぁ驚いたぜ。
タマは奴の右胸と肩に入っただけだ。致命傷にはならねェ。
顔をそこまでして無事にしてェってこたぁ、よほどのナルシストってこった。
「あぁ俺が水流だ。お前ァ佐伯ってことか。俺ァハンターの中でも優しい部類だ。アメリカ人よ。
タマの十字架であの世に送ってやる。成仏なんかはさせねェ…」
奴が怯えてるのがはっきり分かるぜ。
だが女が人質に取られてやがる。桜色のスカーフの結構な美人だ。後ろ姿は少なくともな。
民間人を巻き込む訳にはいかねェ…
女の首筋に佐伯の牙が突き刺さる。もう「手遅れ」かもな。
ヴァンプに魅入って牙を突き立てられた奴ァヴァンプになる。サーヴァントって奴よ。
俺ァ僅かな間隙を見て銃を構えると、銃口を再び佐伯に向けた。
「アァッ!」
女が押されて丁度盾になるかのように佐伯の奴に転がされる。
俺ァ視界を奪われ、一瞬後ろに跳躍すると、バク宙しながらピザの箱の方まで戻った。
- 34 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 17:40:38.49 ID:qEOpFyBN.net
- 「手こずらせやがって。運が良かったな。てめェの体にガーリック弾をお見舞いしてやる!」
俺ァもう一度コルトを抜くと、跳躍する佐伯の方に向けてタマを発射する。
乾いたサプレッサー音が三発響き、それがピザのダンボール箱を貫通して佐伯目掛けて飛んでいった。
この「ガーリックマスター」ってぇのは思えばヴァンプどもの苦手なニンニク入りだ。
しかも俺が焼いたこれは通常の三倍増しよ。特別サービスってェやつだ。
どこを齧ってもニンニクの味が効いてやがる。
つまりだ。
タマはダンボールを貫通した後、パン生地を抜けて、その後卍字の傷にガーリックをタンマリとメリ込ませ、
ガーリックとチーズたっぷりのタマが佐伯を襲うってこった。
――と。
佐伯が逃げやがった。俺のガーリック弾は奴の頬にかするかどうかのところで避けられた。
タマからは火薬の臭いとニンニクの臭いがするはずだ。
この宮下公園ってェのは思えば空中庭園だ。下には駐車スペースがある。
ホームレスどもがうようよしてやがる、汚ねェ空中庭園なんだぜ。
おまけに佐伯が逃げた方向は線路がわんさか縦断してやがる。この時間帯は電車の音でうるせェ。
「逃げられちまった…他の奴の獲物にならなきゃ良いけどな」
うめき声を上げながら俺に縋り付く若い女は人間の目をしてねェ。
こいつも始末しておきてェところだが、俺ァあいにくサーヴァントの始末は請け負ってないんでね。
コルトの背中を首に一発お見舞いして気絶させると、ホームレスどもに襲われねェ程度のところに隠しておいた。
『水流だ。佐伯ってェヴァンプを見つけた。女が一人やられた。地点は渋谷エリア157-77、始末を頼む
俺ァそのまま仕事を抜けて佐伯を負う。発信機の状態はどうだ?』
『…ご苦労。発信機がお前の弾に入っていると伝えたが、無駄撃ちしたな?
確かに二つ、北方向に移動しているのを確認している。ピザ屋など辞めたまえ。すぐに追え』
『そいつァ良かった。だがこれも俺の”仕事”…なんでね。最後のをすぐ届けて店長に連絡してから向かう。
”仕事”が済んだら、”仕事”だぜ…』
プツリと切れた協会からの連絡を確認すると、最後の場所に向かった。
少々穴の空いたピザだが、ま、半額ぐらいにしとくか。
- 35 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 17:41:14.85 ID:qEOpFyBN.net
- ピンポーン、と鳴らすと、若い女が出てきた。
なかなかのスタイルで、紅葉の模様のスカーフをしてやがる。
まだ帰って間もないOL、といったところか。
「水原様、でよろしいですね。少々お届け中に傷つけちまいましてね。
お詫びに商品を半額と、次回の半額クーポンで…」
女と目が合った。こいつァさっきの女か!!?
倒れてる位置からここまでは空でも飛ばねエ限り追いつけねェ。
そう考えるとそっくりなただの別人だろう。
女はピザの臭いがすると一瞬喜んだ表情をするも、穴が開いていると知るや、
血相を変えてキレた。
「あなた、こんなグチャグチャにしてお金取るっていうの? タダにするか、
あなたの店にクレームを入れられるか、どっちか選びなさいよ!」
女の人相は悪く、さっきの女に瓜二つなのにまるでヴァンプのように犬歯を尖らせて怒りやがる。
面倒なことになる前に謝ったおくのが筋だぜ。
「御代はいりません。スイヤッセンシタァ〜」
俺ァ最後の仕事も終わらせると、店に連絡を入れた。
「仕事は終わったぜ、店長。あとはクレームが一、二件入るかもしれねェが、
そりゃあんたに任せた。悪ィが”仕事”が入ったんでね。
俺、届ける、あんた、謝る。そういうモンだろ? ピザ屋ってのァ」
何かを喚きたてようとする店長を無視して電話を切り、俺ァトランプピザの帽子をトランクに放り込むと、そのままヘルメットを被って
新宿方面へと向かった。
- 36 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 17:41:52.77 ID:qEOpFyBN.net
- 俺ァ大都会が嫌いだ。
ロスに居た頃ァまだ楽だった。銃に囲まれて暮らして、タマが飛び交う世界だが
アメリカって国は自然が多くて豊かだ。フリーダムとリバティーの国よ。
日本人ってェのはどうしてこうも集まりたがる?
東京の密集具合よ。田舎から色んな企業がこぞって東京に出たがる。
そうなると労働者どもも東京にゾロゾロ出てくる。ネズミとモグラの巣だぜ。
人がいるから人が集まる。日本人ってェのは小心者だ。
ガキの頃、アメリカから来た帰国子女の俺を、連中は仲間外れにしやがった。
散々馬鹿にされ、蔑まれた。だけど舐められたことだけはねェ…
何故なら俺ァ殴られたら、必ず殴り返してたからな。タマぶち込まれねェだけ有り難いと思うべきだぜ。
俺は群れる必要はねェと思ってる。それがアメリカ流だからだ。
ロスっていやぁ、ガキの頃ァコロンボ刑事に憧れたもんだった。
コロンボは大体群れずに一人で解決しちまう。俺もああいう風になりてェもんだぜ。
『歌舞伎町に着いたか? 地点は新宿エリア137-48だ。ここで止まっている。
丁度ウチの連中が調査した要注意人物が潜伏している場所だ。
名前は 佐井浅香。 人間の女だが、こいつが何故かヴァンパイア勢に手を貸しているらしい。
見つけたら始末してくれ。後はこちらで何とかする』
『あー…ここが135-39だからもう少しだな? 人間の女だって?
俺ァ女を撃つためにタマやってんじゃねェ… 佐伯を片付けたらヅラかるつもりだ』
『両方始末したら報酬は5倍にしてやる。それに水流、ヴァンパイアには
女もいると、ガイダンスで説明したのを忘れたとは言わせんぞ?』
『分かった。だが俺ァピザ屋は辞めねェ…それに終わったら休暇が欲しい。
ちょっと急用ができちまったんでね』
さっき嗅いだガーリックの臭い、あそこで俺はピーンと来たぜ。
俺の探していた香味野菜ってのがニンニクに近ェってのがよ。
だから家に帰ったらまた『町田家』のスープにチャレンジするつもりだ。
必ずあの味を再現してみせるぜ。なァ、
――斉藤さんよ。
- 37 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 17:42:29.27 ID:qEOpFyBN.net
- 『モンゴル風湯麺、吉本 歌舞伎町店』
さすが眠れネェ町、新宿だ。ラーメン屋まで深夜営業してやがる。
前に人気店ってェことで別の店に食いに行ったことがある。
はっきり言って美味くはねェ…
何より野菜炒めが死んでやがる。作り置きってやつだ。
タンメンってェのはただ味が良いだけじゃ話にならねェ。
「炒」(チャオ)と「爆」(バオ)が利いてから初めて良い具材として生きる。
「炒」ってのは弱火で鉄鍋を暖めてじっくり炒める方法、「爆」ってェのは強火で脂と一緒に強火で
一気に炒める方法だ。これができて初めてラーメンの具材になる。
って、500円でバイトしてた頃、マスターに言われたモンよ。
基本ができてねェ店はまずい。だが、秘伝の旨辛味とかでテレビで取り上げられてからは、
店は毎日繁盛してるって話だ。
人がいるから人が集まるもんだ。日本人ってェのはそういうもんなんだぜ。
さて、こんな店に佐伯がいる訳がねェ。横長の縦に並んだ看板を見ると地下があるようだ。
『B1 Bar ラヴニール』
ラヴニール、フランス語で「未来」を表す言葉だ。
L'avenir 、つまりル・アベニールでも良い。
何でこんなことを知ってるかって? 俺ァ仕事でビジネスホテルを使ったんだが、
こういう名前で、ラヴとかいう名前の宿に男一人で泊まって良いのかって思って調べたら出てきたんだよ、この単語がな。
さて、地下に降りると、俺ァ早速席に座って注文した。
「ワイルドターキーをダブルで頼む」
俺ァタバコは吸わねェが酒は好きだ。スコッチなんて貧弱なモノは飲まねェ。
アメリカンならバーボンよ。
- 38 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/06(月) 17:42:53.03 ID:qEOpFyBN.net
- 周囲を見渡してみる。ポイント表示は Shinjyuku 137-48とバッチリなってやがる。
だが佐伯の姿は見当たらねェ。
(…2階から上の風俗店にでも行ったか?)
センサーの方は1階の「吉本」よりも強くなっていてやがる。ここに居るのは間違いねェ…
その時、横から声を掛けてきた野郎がいた。
「水流様ですね?」
俺よりも一回り近く若ェような、細身の兄ちゃんだ。恐らくタマの腕も大したことはねェだろう。
「…あァ?」
「僕もハンターの一人で、仁科渉(にしな・わたる)と申します。今回、水流さんと組むよう協会から頼まれておりまして。
どうぞ、こちらへ」
調子乗りやがって。何より俺より先に居るのが気に食わねェ。
仁科に案内されて後ろのダーツやらビリヤードをやってるあたりに通される。
一番奥のビリヤード台は下が完全に板で密封されてやがる。不自然だ。
「…この下です。この下に佐伯が潜伏しているとのこと。
僕が先に突入します。水流さんは後から来てください。ここは地下2階よりも下があって、
連中はエレベーターで自由に出入りしているようです」
「おう、お前誰に口利いてんだ?俺ァアメリカ仕込みのタマ撃ちよ。
お前はとりあえず俺の後に突入しろ」
俺ァさっさとここの店長に協会の証を見せると、ビリヤード台をどかして
下に突入した。こういうのは速度が勝負だ。
案の定、酒に酔った馬鹿が一匹千鳥足で歩いてやがる。
俺ァ素早くバック宙しながらそいつの頚椎をコルトで殴った。
倒れた奴の財布を漁る。案の定、ホルダー付きのカードキーのようなものが出てきた。
VとPを組み合わせたようなマーク、おまけに読み取り部もある。
「仁科、お前ァ上に止めてあるバイクからブツを持ってエレベーターから入れ。挟み撃ちにするぞ。
俺ァこのまま時間を稼ぎながら進む。同時にここを制圧してやろうぜ」
仁科が慌てて外に出たあたりで、通信が入った。
『宮下公園で女を確保したそうだ。ところでそっちの様子はどうだ?
もう着いたのかね? 仁科という男を…』
プツリ、と通信が途切れる。敵に見つかったんだ。馬鹿なタイミングの通信のせいでな。
俺ァ死ぬ訳にはいかねェ。あのスープの味を再現するまではな。
マガジンは既に交換済みだ。8発とも十字の部分にガーリックをたっぷり塗りこんである。
佐伯ももう終わりよ。
腕のセンサーがビクビクしやがる。俺のタマも銃口から飛び出したがってるぜ。
俺ァ角に隠れてしゃがむと、まずは飛び出してきた最初の敵の心臓あたりを狙って一発を撃ち込んだ。
パシュッ、とサプレッサーの小気味良い音が響く。
【待たせたな】
- 39 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/08(水) 06:55:11.39 ID:FMRyRkBN.net
- 廊下の向こうの気配には彼女も気付いたらしい。
後ろ手で乳支援ベルト(俗称brassiere)のホックを留め、しかし慌てず騒がず診療台後ろのカーテンを引いた。
果たしてそこには大がかりで場違いな機材が所狭しと置かれていた。
「……これは……?」
「借金のカタに『患者様』から頂いたの。けっこう使えるわよ?」
先に服を着たらどうかと思ったが、つい目の前に夢中になるのが彼女の可愛いところでもある。
仕方なく、キーを操作する彼女の背に白のブラウスを羽織らせてやる。ラジオの電波でも傍受するかのチューニング音。
すぐにそれは何者かの「声」を拾った。途切れ気味で掠れているが……男のものだ。
……≪……宮下公園で女……確保……そうだ≫
「宮下公園? これは……」
「そう。ハンター達の通信電波よ。妨害電波だって出せる」
彼女の操作で切れ切れの会話が「ニシナという男」のあたりで途切れた。
「呆れた女だ。こんなものを使って普段から奴等の会話を盗聴してたのか。違法だぞ」
「……あなたが言う?」
「俺に人間の法など関係ない」
「あたしも。存在自体が法の外だから」
悪戯そうな目は笑っていない。その手がさらに……掛け布に隠れた架台下を探る。
「おいおい。そんな物まで持ってるのか」
「女の一人身だもん」
その右手に握られていたのは小振りの拳銃だった。ハンマー(撃鉄)の形が小さく丸い。
「ワルサーPPK。これならたぶん、あたしでも扱える」
強張った貌のまま……彼女は手慣れた動作でマガジン(弾倉)を装着し、スライド(遊底)を引いた。
ガチリという力強い音。今のでタマがチャンバー(薬室)内に移動した。
この状態になったPPKはトリガー(引き金)を引くだけで弾が出る。ハンマー(撃鉄)を起立させる必要はない。
つまり――彼女は「本気」だ。
「何故そこまで肩入れする」
「恩を売ってるだけ」
「……恩?」
「そうよ。もし上手く逃げられたら……仲間にしてくれる?」
銃のグリップを両手で保持した彼女がウィンクした。……美人はトクだ。
そんな顔でいつも君は軽く言う。仲間にしてくれと迫る。俺は……いつも通りの返答をするしか無かった。
「駄目だ」
ピクリと片眉を跳ね上げた彼女が、マズル(銃口)を俺に向けた。至極冷静な動作だった。
「ヴァンパイアが血を吸うのは悪意じゃない。ただの本能。違う?」
「……違わない」
「なら吸っちゃえばいいじゃない。こっちがいいって言ってるのよ?」
「吸えば……君は俺の僕(しもべ)=サーヴァントになってしまう。放置すれば死ぬか、或いは――」
「吸血鬼になる、でしょ?」
ピタリと額に吸いついた銃口は冷たかった。彼女の指が安全装置を外すのが見える。脅しまで堂に入っている。
だが真の決意が試されるのはここからだ。
「誰もがなれる訳じゃない。『素質』が必要だ」
「素質って……どんな?」
「……欲望だ。人の血を求め、欲する欲望。心からヴァンパイアになりたいという願い」
「それなら……誰にも負けないわ」
「そうか。なら――俺を撃て」
- 40 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/08(水) 06:57:48.90 ID:FMRyRkBN.net
- 「……っえ?」
声が上ずっている。明らかな動揺だ。
「銃口を降ろすな。君が本気なら撃てるはずだ」
「……でもっ……」
「俺は化け物だ。死にはしない」
白い手と指がカタカタと震えている。間違いない。彼女はヴァージン。まだ人を撃った事が無いのだ。
これで俺を助けようなどと聞いて呆れる。
「早くしろ。時間がないぞ」
「………っ……」
「――撃てえええええ!!!!!!!」
彼女の指がトリガ―を引いた。
よもや目を閉じるかと危惧していたが、彼女の瞳はしっかりと俺の目を捕えていた。
――条件反射とは恐ろしい。長年に渡り銃による攻撃を受けてきたからこその反射か。
その音を聞いた瞬間、すべての事象が自動的にスローになった。
我々ヴァンパイアが何故人より動体視力に優れ、素早く物事を察知し、動けるのか。
答えはこれだ。
覚醒を促すノルアドレナリン、快感を誘うドーパミン、エンケファリン、β―エンドルフィンその他の脳内物質。
その分泌量が違うのだ。これと言った場面で大量に、そしてそれを受け的確に反応可能な強靭なる神経その他の細胞も。
シアー(ハンマーを保持したり離したりする為の金具)が回転し
ハンマーがリリースされファイアリングピン(撃針)が弾のプライマー(雷管)を叩く
PPKの内部機構が発するすべての音が、すべて順序正しく「聞こえた」
寸分狂わぬ各スプリングの反発音とタイミング。滑らかにバレル(銃身)を滑り押し出される――弾丸の弾頭。そのすべてが。
それが自分を撃つ弾だと実感したのは、それらすべての音がひとつの音に集束した時だった。
それは硬い床をハリセンで叩いたような発射音。
顔全体を棍棒か何かで殴られたかの衝撃。間髪いれず三発、いや四……五発!
小型のハンドガンではあるが、至近距離で六発も喰らったのだからたまらない。身体も意識も弾け飛んだ。
安らぎとも緊迫ともつかない妙な感覚が己の身体を支配した。散った何かが、再び元の場へと戻っていく感覚。
「心臓」のある本体へと。はたで見る者に取ってはおぞましい光景だっただろう。
次に目を開けた時、彼女の顔が近くにあった。冷たい床から抱き起こす彼女の手は温かい。
「良かったわ」
「……何が?」
「全部貫通して」
振り向くと、たったいま自分が寝ていた樹脂製の床材に六つの穴があいていた。弾頭がめり込んだ痕だ。かすかな硝煙の匂い。
穴の他は気味の悪いほどに綺麗だった。血の染みひとつ残っていない。
「……一発で良かったんだが」
「ごめん。でも練習していいって言ったの、あなたよ?」
ペロリと舌を出した彼女が自分の胸を抑えている。頬が紅潮している。興奮冷めやらぬと言った体。たいした女だ。
そして一方で俺は、さっきの彼女の問いに答えずに済んだことで安堵していた。
「何故吸わないのか」という問い。
答えられる訳が無い。我等誇り高きヴァンパイアが「人間の女に惚れた」などと。
「度胸はついたな?」
「お陰さまで」
マガジンを取り出し七発のカートリッジ(実包)を補弾しているその様は妙に落ち着き払っていた。
本当に君は――医者なのか?
- 41 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/08(水) 06:58:41.84 ID:FMRyRkBN.net
- 「当たるコツを教えて?」
これまた何処から仕入れたのか、ピンク色の防弾チョッキを着込みながら彼女が問う。俺は思わず吹き出した。
「あれだけ『生身』に打ち込んどいて何を言うんだ。反動が生む誤差、照準の僅かなズレ。頭のいい君なら掴んだはずだ」
そして白状する。
「銃は撃ったこともなければ触ったことすら無い」と。
撃たれた経験のある人間ならば、少しはこの気持ちが解るだろう。
初めてその味を知ったのは――400年以上も前の話。
当時「種子島」と呼ばれていた銃の普及を危惧した「あの方」から……とある鍛冶場を襲えと命じられ……
まさかそれを感付かれていたとは思いもしなかった。思えばあの頃から「ハンター」は存在していたのだ。
数人の放った弾丸がこの手足を吹き飛ばした。あの衝撃は忘れられるものではない。
頭や胴を破壊され、倒れる仲間達。あれほどの同胞の血を見たことも。
闇に生きる者となり――初めて感じた屈辱と戦慄。
ただしそれは束の間だった。
その武器は、撃てばすぐに控えの射手と交替しなければならない不便なシロモノだったからだ。
弾丸を込め、火薬を詰める動作もすべて手動。起爆薬は火縄。
そのあまりの使い勝手の悪さを我々は嘲った。湿気て火が点かず、イラついた様を笑ったことも。
我等のスピードを以てすれば、子供の玩具に等しかった。
まさかその玩具が更なる進化を遂げるとは。それも絶対的な切り札を伴って。
銀の弾丸――silver bullet
いつどこで誰が考案したのか。その弾丸がひとたび我等の心臓を射抜けば、たちまち滅びが訪れる。
崩れ、溶け、この世から完全に抹消される。灰すら残らない。
いずれにしても……今までは運が良かっただけだ。今夜の敵は相当手強い。
奴の得物は無論火縄銃などではなく、やっかいな改造まで施した現代の「対吸血兵器」。
腕だけではない。心の内に何かを秘めている。そんな弾(タマ)だった。それが一番「怖い」
自身の巡らす思いに、ふと自問した。
『怖い? 何が? 死ぬのが? 俺は死ぬのが……怖いのだろうか?』
「追手は誰なの? 人数は?」
彼女の声で我に返る。……俺らしくもない。
「水流という名の、相当の手練だ。威力の高いサピレッサー拳銃所持。もうひとかたはさっき君も聞いただろう『ニシナ』。
若手のハンターらしいが、武器は不明だ」
「少なくとも二人居るってことね」
「そうだな。俺が奴なら前後から攻める」
息を止め、じっと耳を澄ませた彼女が耳打ちした。
「ほんとね。あっちだけじゃなく、エレベーターの方で音がする」
言われて自分も目を閉じた。全神経を聴覚に集中させる。金属製の何かを設置する音。
注意深く動かしてはいるようだが、それがかなりの質量を持ったものだと解る。
「一応」叩きこんである各種武器の仕様が頭の中で展開される。
本体重量推定六、七キロ。少なくとも地面に設置しなければ使えない火器だ。そんなものを、この屋内で?
通常屋内で使う最も有効な武器はハンドガンだ。一発ずつ正確に狙い撃つならそれしかない。それなりの威力もある。
より殺傷能力の高い火器、例えば大人数を相手取る場合でも、せいぜいサブマシンガン(短機関銃)止まりだろう。
連射が可能な一方で威力は落ちるが長距離を飛ばす必要はないのだし、むしろ安全だ。
それより威力が高くなると、人や壁を貫通し、味方は無関係の人間まで殺傷する危険性があるからだ。
「浅香。エレベータ側に気をつけろ。あの音は軽機関銃の可能性がある」
- 42 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/08(水) 07:01:32.78 ID:FMRyRkBN.net
- 「軽……機関銃? ダダダダダーー!! って撃つアレのこと?」
それこそサブマシンガンでも構える身振りで答える彼女。
……まあいい。今、「小銃」と「軽(とか重)が頭に付く機関銃」の違いを説明している暇などない。
「威力も射程も桁違いって事だ。君の着ている『それ』も難なく貫通する」
「なに……それぇ……」
さっきまでの威勢は何処へやら。ペタンと尻餅をつく。
そんな彼女を尻目に、俺は診療室の隅に置かれた薬品棚を物色した。
「シアン化カリウム」とラベリングされた小瓶の隣に、「無水エタノール」の瓶が二本あるのが目に付いた。
小瓶は懐へ。アルコールの瓶は二本とも彼女に放った。
「ちょっと……何すんのよ!」
慌てて受け取った浅香が憤慨している。……威勢が戻ったようでなにより。
「合図したら、エレベータ側に向かって投げつけろ」
「なるほどっ! 撃てば男の身体に火が付くってわけね!」
「そう上手くいけばいいが、少なくともビビって撃てなくなる」
「で? その後は?」
「投げたらすぐに走れ。じゃなかった。走るな。匍匐(ほふく)前進が基本だ」
銃を相手にする場合、壁に沿って立つのはもっとも危険だ。思わぬ方角から跳弾が飛んでくる。
一見無防備だが、床の中央を這って歩くのが一番安全なのだ。(とあの方が言っていた)
彼女は逃げる姿勢より、向かう方角の方が気になったらしい。
「前進って……どっちに? 反対側に逃げるの?」
「違う。エレベータの男を叩くんだ」
一瞬唖然とした彼女だが、すぐに真顔になった。
「わかった。裕也はどうするの?」
「俺は……奴を倒す」
「……丸腰で? せめて防弾チョッキでも」
壁にかかっていたそれを掴もうとした彼女の手を押さえる。
「……奴の弾はそんなものは効かない。そもそもそんな物を着る趣味はない」
「趣味って……」
「ヴァンパイアの矜持が許さないってこと」
ニヤリと笑って見せた俺を見て、彼女も笑う。準備OK?
俺は注意深くドアを引き、トンっと「それ」の背を押した。
――――――パシュッ!!
思った通り、それは狙い撃たれた。聞き覚えのある音。奴の銃だ。弾丸が見事目標の左胸を撃ち抜く。
しかし呆気に取られたに違いない。
床に転がるそれはヴァンパイアでも、まして人間でも無い。人間を模った人形だ。「中山筋肉ん」と俺は呼んでいる。
筋肉んが恨めしそうな目でこちらを見た気がしたが、俺達が逃げるためだ。仕方がない。
床に伏せた状態で身を乗り出した彼女が、瓶を放り投げた。瓶の割れる音と、男の叫ぶ声。
彼女がそっちに向かうのを確認し、俺は壁伝いに奴に向かって走った。
基本、丸無視。何故なら俺は、ヴァンパイアだから。
もし奴の弾が運よく心臓に当たらなかったその時は……血をいただこう。首をへし折った、その後でな!
【仁科にエタノールの瓶を投擲、水流に肉弾戦を仕掛ける】
- 43 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/11(土) 17:43:02.65 ID:R4tb56z8.net
- 水流(つる)家の歴史は、どうやら聞くところによれば鹿児島県にルーツを持つらしい。
種子島の鉄砲ってのも戦国時代初期にそっちから伝わってきたものだ。
俺の先祖ってェのは鉄砲隊だって言われてる。
つまり俺がガキの頃親父から教わったタマは、種子島流の流派を継いでいるとかそうでないとか。
そんなことはどうでもいい。要はタマが上手いか下手かでいえば、
どっちかってェと血筋に恵まれてるってこった。
ただ、悪ィが俺ァアメリカンなんでね。ピザ屋になっちまった。
日本文化のラーメンってェのにも興味がある。あの味を出さねェうちァ死にたくねェ…
仁科とエレベーターで挟み撃ちにするつもりが、糞通信のせいで予定が狂っちまった。
なんと正面から来た奴ァ、佐伯だった。
――と、体型が近ェだけで「筋肉ん」という今売れねェ芸人にそっくりな人体模型だった。
佐伯が出てきたのはその後ろだ。
奴ァ「くわっ!」と目を見開き、全身を使って飛び掛ってきやがる。
俺の残りのタマは6発だ。
俺ァ運動神経は良いはずだが、ヴァンプの連中ってェのは早ぇ。
とても正面から戦ったんじゃ太刀打ちできねェ。
最悪、エレベーターから来る仁科を待って二人懸かりで攻めてぇところだ。
オマケにさっきの男が連中の仲間とすると、奥には女以外にも敵が潜んでる可能性だってある。
先は角になっていて左に折れてるようだが見えねエ。
少なくとも地下1階のバーに比べてこの地下2階はコンクリの塊のような構造で
娯楽設備はねェと思っていい。
その時、先でパリン、という音が聞こえ、「おぉぉぉ!」という叫び声が上がった。
声質からして仁科かもしれねェ。
- 44 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/11(土) 17:43:34.60 ID:R4tb56z8.net
- 俺ァ得意のバック転をしながら佐伯の動きを見て、タマを二発ばかり壁に向かって撃った。
いわゆる「跳弾」って奴よ。このタマは壁のわずかな角度の違いで撃ちこまれずに反射し、生きたタマとして
しばらくこの場面を制圧する。俺ァおおよそのタマの軌道を読みながら、絶対にタマが来ねェだろう死角を利用して移動し、
佐伯をいなしながら奴目掛けてさらに二発を撃ちこんだ。それも心臓目掛けてだ。
これで奴ァかわすのも難しくなって、俺の本命のタマも命中率が上がる。
そのまま左へと曲がった。
その先は廊下が続いていて、いくつもの部屋がある。
何人かの男たちが俺らの戦闘が始まったのに気付き、逃げ回ってやがる。
奥には開いたエレベーター。そっちに男どもが殺到する。女もいるようだ。
そのやたらスタイルの良い女は仁科
俺が佐伯の方に銃を構えながらエレベータ側に後ずさりすると、女は仁科が拳銃を構えるや否や、薬ビンのようなものを投げた。
パァン、パァン、ボォォ…ドゴオォォォン!!!!――
「ギャァァァ!!」
エレベーター付近が火の海になり燃え上がり、M249が仁科ごと爆発した。
近くに殺到した男たちも火の渦に巻き込まれちまったようだ。
「チッ!」
俺ァ舌打ちすると、とりあえず女の首と背中に向けて一発ずつ銃弾を撃ち込み、そのまま掴みかかる佐伯をかわすとコルトを投げつけた。
そしてポケットからアレを取り出す。ニンニクだ。
実は水原家に届けに行く前に、こっそりニンニクを上からもぎとっておいた。
なんせ三倍入ってる訳だ。多少盗ったところでバレやしねェ…
「来いよ、佐伯。口の中にガーリック砲をぶっ放してやらァ・・・」
俺ァ女や仁科がどうなったかを確認する前に通路側へと引っ込み、佐伯と対峙する。
片手にはニンニクが数片。もう片方の手はポケットに入れてある。
俺にはもう一つ隠し武器が仕込まれている。安全な位置で戦いつつも逃がすつもりはねェ…
【仁科はM249と一緒に構成員を数名巻き込んで爆死、エレベーター完全破壊】
【いよいよ決戦ってとこか】
- 45 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/14(火) 06:36:52.70 ID:BrPaZN25.net
- エレベータ側での騒ぎが気にはなったが、見ないことにする。
やると決めたからにはやる。そういう女だ。彼女が撃たれ、死ぬようなことがあれば、その時は――
半身(はんみ)の姿勢を保ちつつ、床と壁を踏み台にした跳躍を数度。そのたびに狙いを変える水流。
無駄だ。時に弾速を上回るヴァンパイアの動きを読める射手など居ない。
目標まで5m。一気に間合いを詰める。
「シャッ!!!!」
右眼を狙った突手。普通の人間は反射的に左によける。そこを――肘で叩く!
ゴギンッ!!
鈍い音は肘打ちが決まった音ではない。水流は左右のどちらにも避けていない。
避けた方向は後ろ。奴はなんと円を描くように後退したのだ。まさかのバク転だ。
伸ばした指先は空しく彼のサングラスを弾き飛ばしたのみ。音は、水流の足先がこの手首を蹴りあげた音。
「――くっ!」
たまらず一歩後退。落ちたサングラスがカラカラと床を転がる。
「……やるね、おっさん?」
ふつう咄嗟に後転する人間など居ない。見た目はいいが、無駄な動きも多い。隙も大きく実戦向きじゃない。
格好つけたがりの兄ちゃんがやりたがるような、そんな行為だ。
しかし水流のそれは広場で若いのが練習する、あんな動きとまるで違う。無駄なし隙なしかつダイナミック。
追いすがる二度目の攻撃もすんでの所でかわされた。「いなし」が同時に攻撃にもなっている。恐るべし、バック転!
いちいち間合いが開くのも気に食わない。タマを撃つために、意図的に間合いを作っているのかも知れない。
案の定、奴は撃ってきた。音は二度。よくもそんな体勢で撃てるものだ。
いつも通り、眼を凝らし弾道を読む。だがその必要もなかったらしい。
二発とも大きく軌道をずらし、この身体を避けるように左右に分かれたからだ。
「何処を狙ってる!?」
流石の奴も無理な姿勢が祟ったか。構わず水流を挑発する。銃口がこちらに向く。
――シュバッ!!!
「なにっ!?」
後ろから来た何かが脇腹を掠めた。それが弾丸だと気づいたのは、掠めた弾が再び跳弾となってこちらに向かってきた時だ。
硝煙に混じる大蒜臭。
「……うそ……だろうっ!?」
ビリヤードの軌道と異なるイレギュラーな軌道。当然だ。弾の形は完全な球体ではなく、壁も完璧な平滑面ではない。
まったくと言っていいほど弾の軌道が読めない。
こちらが読めないというのに、弾の方はまるでこちらをロックオンしたかのように執拗に追ってくる。
そして撃った本人には当たらない。壁面の中の僅かな凹凸を把握し、あらかじめ軌道を予測し撃ちこんだとでも?
縦横無尽に張り巡らされた赤外線センサーのようにこの動きを止め、制限する二つの軌道。
避け切れず、掠めた弾が足や腕に肉を削り、持っていく。
魂の宿る弾を撃つ男。なるほど、ガン(銃)、魂(コン)。
奴の指がさらにトリガ―を引いた。二発! 狙いは――この左胸!
跳弾は未だにその動きを止めていない。左右より交差しつつ接近する弾頭が、前後左右どちらに逃げることも許さない。
「Shit(くそっ)!!」
俺はヴァンパイアの誇りをかなぐり捨てた。
この場合もっとも安全と思われる体勢――その場に腹這いになった。
- 46 :佐伯 裕也 ◆GM.MgBPyvE :2017/03/14(火) 06:37:16.72 ID:BrPaZN25.net
- 壁材の破片がパラパラと頭上に落下した。
心臓を狙った弾が後ろの何かに当たる音。跳弾はさらに数回上の空間を飛び回り、ようやく動きを止めた。
眼前に置かれた右袖のカフスが千切れ、無くなっていた。
肘、肩、大腿に焼けつく痛み。
そんな痛みはどうでもいい。どうせすぐに戻る。高価なスーツを台無しにされたのは痛いが、百歩譲ろう。
許せないのは――この匂いだ。奴が弾に「あの匂いの元」を擦り付けていたのだろう。
宙に漂う粉塵までもが濃厚なあの匂いを撒き散らしている。
身体じゅうのあらゆる場所、それこそ髪の毛一本一本があの匂いに「汚染」されていく。
――おのれ家畜の――ブタの分際で!! 骨も肉も粉々に砕いてやる!!
しかし顔を上げたその先に奴の姿は無い。廊下はすぐ横で直角に折れている。流石に跳弾を恐れ非難したのか。
飛び起きざまに落ちていたサングラスを憎悪を込めて踏みつぶす。
グラスの割れる、一種清涼とも言える音が、滾(たぎ)る思いを束の間落ち着かせた。
――そうだ。落ち着け。まだ勝敗は決していない。
>パァン、パァン、ボォォ…ドゴオォォォン!!!!――
>ギャァァァ!!
浅香の居る方向からだ。あのエタノールが功を奏したのか。
数人巻き込まれたようだ。思った以上の効果だが、だからこそ急に彼女の身が心配になった。
廊下を曲がるとすぐに水流の後ろ姿が目に入った。
その向こう、エレベータ周辺にはヌラヌラと床を舐める炎。その少し手前に彼女。
俺の言葉を忠実に守り、いまだ「伏せ」の体勢を崩さない彼女に向かい、水流が発泡した。やはり二発。
「浅香!!」
至近距離。
一発は彼女の背中に命中。もう一発は首筋を掠め床に着弾した。血飛沫と共にあり得ぬ量のコンクリートの破片が弾け飛ぶ。
彼女は動かない。ショックで気絶したか、耳元での炸裂音で鼓膜をやられたのか。
出血はさほどでも無い。あの出方、動脈ではない、静脈からだ。急ぎ手当すれば問題ない。
背の方はまったく出血が見られない。着弾の角度が浅いせいで、ぎりぎりあの衝撃を食い止められたのだろう。
だが衝撃の圧力は相当のはず。肋骨くらいはやられただろう。再度「感情」が爆発した。
「貴様あああ!!!」
後ろから水流に掴みかかった。
ヒラリと余裕の体でかわされ、腕が虚空を薙ぐ。奴が銃を構える。
――馬鹿め!
と思った瞬間、水流はそれをこちらに投げつけた。奴も当然知っていたのだ。それが弾切れだという事に。
「ぎゃっ!!?」
コルトを額に受けた俺はたまらず無様な悲鳴を上げた。ガンガン鳴る頭とチカチカ光る視界。
その視界が傾き、俺は片膝をついた。
割られた額から止めどなく流れる血が床を濡らす。だがまだだ。奴はいま丸腰! 軍配はむしろ――俺に向けられている!
立ち上がった俺は、ぐっと両目に力を入れた。この眼力で――強引にその自由を奪ってやる!
奴の手から何かがこぼれおちた。大蒜だ。おおかたそれを投げつける気でいたのだろう。
「ひざまづけ」
俺の言葉にフラフラと力なく両膝を折った水流がこちらを見上げた。その眼には意思が籠っていない。
そうだ。裸眼でこの眼力を退けられた人間はただの一人も居ない。
「よくも……下等生物の分際でこの俺を!! 俺サマをっ……!!」
奴の米神に横蹴りを叩きつけた。横倒しになった水流の頭を靴底で思い切り踏みにじる。
心地よい勝利の確信。その感覚にしばし酔いしれる。
そんな俺は無論、気づいていない。水流にはまだ隠し武器があるという可能性に。
- 47 : ◆GM.MgBPyvE :2017/03/14(火) 06:42:45.77 ID:BrPaZN25.net
- 【訂正です】
>2 「次ラウンドへ進まない場合は必ず最終ターンで死亡してください」の記載は無視してください。
ゲームだから死んで終わり。みたいなノリで書いたけど、小説形式でわざわざ死ぬ必要ないですもんね。
【お互い決定リール全開で行きましょう!】
- 48 :創る名無しに見る名無し:2017/03/17(金) 12:43:02.91 ID:cxG6RDAx.net
- 水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2
【おかしな規制で書き込みの1/4〜3/4が消えちまった
πなんとかってェ奴だ
中身は大体がサングラスを飛ばされてからの過去話だ
とりあえずこれで対処するが、最後の4/4の部分が残ってる
これで勘弁して貰えると助かる】
――
頭蓋骨ァ無事だが、さっきの視線も含めてフラフラしやがる。
全身のあちこちが痛ェ。多分どこか折れてやがるな。明日は休みにするしかねェ。
さらに蹴りを一発かまされた。
俺ァとりあえず演技でも良い、最後の一発をかましてやるために、気絶したようなフリをしてやった。
目をうっすらと開けて奴の動き、位置だけを把握する。
『どんな苦境でも、タマを信じろ』、それが死んだ親父の言葉だ。
『生きたタマを撃て』それがタマプラで会ったスープマスターの言葉だった。
おう、まだタマは生きてる。俺の心の中でな。確実に育ってるぜ。
それになァ、俺ァ最高のスープってやつのもう一度出会うまで、死ぬ訳にゃいかねェんだよ。
銃だよ。タマァ撃つんだよ…
佐伯が最高の形で俺に迫る。牙を突きたてるためか、それとも首をへし折るためか…
どっちでも良い。俺にとって理想の瞬間が来た。コルトはもう遠くに落ちてる。
俺ァ仕込んであったカクシガンを手に取った。そりゃ下半身の銃だろ?ってそんなくだらねェ下ネタは使わねェ…
俺の右ポケットの中だ。
こいつァ俺がガキの頃親父からプレゼントされたモンだ。
――銀玉鉄砲。
これァ日本の文化みてェなモンだ。
アメリカでは普通はガキのオモチャでもタマはプラ製なりのきっちりしたモンを使う。
日本でいうBB弾ってェやつだ。
銀玉ってェのは日本人的な発想だ。雨が降れば勝手に溶けて環境にもやさしい。
オマケにホンモノのタマを撃ってる気分にすらなれる。
一瞬の動きだ。
倒れたままカクシガンのベレッタ銀玉鉄砲を思いっきり佐伯の口に突っ込んでやる。
- 49 :創る名無しに見る名無し:2017/03/17(金) 12:47:15.00 ID:cxG6RDAx.net
- 拍子に佐伯のでけぇ口に飲まれ、思い切り噛み付かれるが、構いやしねェ。
そして引き金を引く。
こいつァ勿論俺によって改造されて弾速は増し増しになってる。
当然だが、中のタマも…
「…てめェの大好物をくれてやるぜ!」
パチン、パチンと小気味良い音が響く。それはBB弾のような音だが、モノの24銀シルバーのタマだ。
銀ってェのは密度が高くて重い。だが俺の遊び心が、このオモチャを極限まで改造させて、その射出を可能にしてある。
「ぐおォ…」
俺の腕に佐伯の牙が食い込み、血がどばどば溢れる。まるでチリソースだ。
次第に右手の感覚が無くなり、
ヴァンプの力に意識をのっとられるか、俺のタマが佐伯に止めをさすかの勝負になってきた。
タマは一発目は佐伯の喉チンコに当たり、二発目以降は俺の腕のスナップが利いて
佐伯の喉の奥に次々と撃ちこまれた。タマが唸る。俺の全身からガンコン家の誇りってのが溢れてきそうだ。
「…おぅ、トッピングを忘れてるぞ…!」
俺ァ渾身の力を振り絞ってもう片方の左手で茹で左ポケットのニンニクを思い切り握りつぶしてやった。
ニンニクが粒とペーストになって佐伯の頭から顔面を襲う。
チリソースにガーリックソース、増し増しだぜ。
パチン、パチン・・・
まだ銀玉が佐伯の口内で弾ける。
タマはまだまだ生きてるぜ。
頭がフラフラしやがる。斉藤さん、もうそろそろ俺ァ限界かもな…!
だが、ガンマンの家系に生まれてピザを極め、ラーメンに出会ったことァ忘れねェぜ…!
【おう! 殺るか殺られるか、それはアンタが決めてくれ】
- 50 : ◆GM.MgBPyvE :2017/03/18(土) 17:17:20.74 ID:nx2XZXPo.net
- このまま踏みぬき、頭を砕いてやろうかと思った矢先、奴がぐったりとその身を床に預けた。
足をどけ、試しに頬を小突いてみる。ピクリとも動かない。
「フン……。他愛もない」
建物内が急に静まり返った気がした。
微かな電車の走行音が過ぎるたびに天井と壁が振動し、付着していた粉塵が舞い落ちる。
エレベータ付近に散らばる男達はすでにこと切れている。
手前にうつ伏せに倒れている浅香。まだ無事だろうか。
「浅香!」
俺の声が聞こえたのか、ピクリと彼女の肩が応じた。そちらに向かおうと足を踏み出すが、しかし思いなおした。
「トドメを……さしておくか」
廊下には未だあの嫌な匂いが充満している。それもこれもすべてこのピザ屋のせいだ。
ガーリックソースの染みつくその身体には触れたくもないが、そう言ってもいられない。
左腕で水流の肩を掴んで持ち上げ、抱え込むように引き寄せる。右腕を頭に回し、一息に頸椎を折ろうとしたその瞬間。
奴の右手が俺と奴との身体の間に強引に割って入った。
「……!?」
驚いて出そうとした声を、口中に差し込まれた何かが阻んだ。
奴の手首だ。その手には小さい何かが握られている。
――構うものか! 手首ごと噛みちぎってやる!
上顎の牙が食い込み、生ぬるい液体が口中を伝う。血だ。まさかこの俺が野郎の血を味わうことになろうとは!
再び怒りが込み上げ、その骨を砕こうとした、その時だった。
ガチンと何かが喉に当たった。
>…てめェの大好物をくれてやるぜ!
まさかこいつ、鉄砲を!? こんな小さいサイズの銃があるのか!?
続けて喉の奥に数発喰らう。威力は普通の銃とは比べるべくもないが、それこそがヤバかった。弾が歴とした純銀だったからだ。
小威力の弾は首を突き抜けることなく、喉の奥に居座り続けた。咽頭周辺の組織を焼き焦がしながら。
「……はっ……か……」
銀の弾は喉を焼きつつ食道、胃へと下がっていく。俺は悶えた。とんでもない苦痛だった。目からは涙が溢れ出た。
がっちりとハマりこんだ手首が口から抜けない。
奴の肩をつかむ左腕に更なる力を込める。右の指先が奴の米神に食い込む。
牙が食い込む奴の腕。すでに骨が拉(ひしゃ)げ、壮絶な痛みが襲っている筈だ。
それでも奴の指は引き金を引き続ける。なんたる精神力!
>…おぅ、トッピングを忘れてるぞ…!
――まだあるのか!? 奥の手が!! 「トッピング」ってことはつまり――まさか――!!
鼻の粘膜に突き刺さるあれの匂い! さっきより濃厚で、よりジュウシーな……うわああああああ!!!!!
このとき俺はすでに観念していた。もういい。もう降参だ。だからもう、お願いだから大蒜ペーストの顔射だけは勘弁して!!!
そう言えたらどんなに良かっただろう。
口は塞がったまま。目と鼻から何かしらの液体を垂れ流したまま。
俺は大量の大蒜ペーストを顔面に喰らった。
「……@*&%$……」
ホワイトアウト。完全にピヨっ…………た……
【佐伯、気絶です。とりあえずトドメさして1ステージ目クリアって事で。エンドロールをどうぞ】
- 51 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/20(月) 17:01:34.40 ID:Vg1d1+Q9.net
- 「ぐぉぉぉッ…!」
俺の腕に佐伯の牙が食い込み、いよいよそれはホネにでも達しようとしている。
そりゃ気絶するぐれェの痛みだ。
さらに佐伯の腕で首を絞められ、オダブツも近くなってきた。
物凄く痛ェ…
ギィィィ…ン…
妙な音が佐伯からする。俺ァ良く目を凝らして佐伯の口の中を見た。
そこでは銀玉がヴァンプの体内で特殊反応してやがった。
「タマがァ…泣いてるぜ…」
>「……はっ……か……」
佐伯が目から涙を流す姿が俺の波打った視界に映った。
そうだ、俺ァこいつと一緒であまりの痛みに涙が出てる訳よ。
だが俺ァ負ける訳にはいかねェ…
ひたすら俺は引き金を引き続けた。佐伯の顎の力が抜けていった。
――十数秒後。
俺ァ意識が朦朧とする中、コルトを手にとると、尻ポケットから予備のタマを込め、
気絶した佐伯の左胸目掛けてトリガーを引いた。
そうだよ、モノホンの銃で、タマぁ撃つんだよ。
パァン…!
俺ァ血の止まらねェ右手を応急処置すると、忌々しい無線機の電源を入れた。
『…おい、…馬鹿者! 無線機の電源を勝手に切るな。もうじき増援が着くはずだ。
お前は無事なら一旦引け。ズィルバー・クロイツの連中に任せろ』
丁度隠し階段から増援どもがゾロゾロと出てきたところだった。
『…佐伯を始末した。佐井ってェ女もそこらに転がってる。
仁科や佐伯の仲間連中も一緒だ。怪我の手当ての準備を頼む。
てめェが思ってるほど、タマってェのは遅くねェ。待ってりゃ勝手に飛び出すもんだ。
俺ァこれで家に帰るから報酬は振り込んでおいてくれ。じゃあな』
- 52 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/20(月) 17:03:28.04 ID:Vg1d1+Q9.net
- 俺が無線を切る頃、仁科の死亡が確認された。
俺のM249と一緒にオダブツだったみてェだ。女や取り巻きの男ども数人が生きていて回収された。
これから事情聴取ってとこだろうな。
佐伯は心機能が完全に停まったのを確認した上で、両手を腹の前で組ませて置いた。
俺の粋な「日本人魂」ってェやつだ。俺ァキリスト教徒だが、せいぜい成仏しろや。
俺ァタマを補給しに渋谷にある自室に帰ろうかと思ったが、その前にハラが減った。
上の「モンゴル風湯麺・吉本」で飯にした。
スープは湯麺の旨味と麻婆豆腐の「麻」(マー)と「辣」(ラー)が適度に効いていてうめェ。
だが、野菜炒めが死んでやがる。相変わらずの味だ。
「店長、ラーメンで野菜の作り置きはやっちゃいけねェぜ… 野菜が泣いてらァ」
そう言って野菜炒めをたんまりと器に残して店を去った。「二度と来るな」という怒鳴り声を聴くと、
俺ァバイクにエンジンをかけた。
ピザ屋にバイクを置いて、明治通りから見える渋谷の街は、まだまだ営業中だった。
メールを確認する。
『お前からの通報により宮下公園で保護した女性の名前を、"水原秋子"と確認した。状態は安定しているが、
今後も経過観察が必要だ。今回は水流のお手柄だ。ゆっくり休むといい』
(秋子…だって?)
そういえば俺ァ水原桜子と聞いていたんだが、気のせいだろうか。
明日は久々の休みだ。病院行って、ニンニクを買ってタマを補充したら、
タマプラにある斉藤さんの墓参りにでも行くか。
そろそろ朝焼けが昇るR246付近の光景を眺めながら、俺ァ帰路についた。
【と、いうことで悪ィが佐伯にはご退場願った。次章はハンター側の入れ替えも構わない。
俺とこのままバトンタッチってェのも良いかもな。 ――See you next stage...(次回へ続く)】
- 53 : ◆GM.MgBPyvE :2017/03/21(火) 17:45:52.95 ID:JvqnOxdV.net
- 【お疲れ様でした! エンドロール兼導入を用意するまで少々お待ち下さい】
【水原桜子はそちらで動かしますか? それとも貰っても?】
- 54 :水流 十蔵 ◆gM.lwFOvE2 :2017/03/21(火) 22:55:39.43 ID:uIWrov3N.net
- 【ありがとう。あぁ、水原桜子などのNPCは自由にして貰って構わねェ――
俺も一旦引退だ。てェことで二章からは新規メンバーを入れて新たな物語を作ってくれ G.Luck...】
- 55 :創る名無しに見る名無し:2017/05/11(木) 11:58:59.88 ID:d6iyu677.net
- 導入次第で参加希望
- 56 :創る名無しに見る名無し:2017/05/11(木) 12:37:29.99 ID:IPQq6iU/.net
- >>55
ガンコンがGMでもやるんか?
- 57 :創る名無しに見る名無し:2017/07/10(月) 04:07:16.10 ID:ugHrL6M5.net
- ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、☆
@ 公的年金と生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、
ベーシックインカムの導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば
財源的には可能です。ベーシックインカム、でぜひググってみてください。
A 人工子宮は、既に完成しています。独身でも自分の赤ちゃんが欲しい方々へ。
人工子宮、でぜひググってみてください。日本のために、お願い致します。☆☆
- 58 :水原桜子 :2017/10/21(土) 11:44:35.94 ID:ihgGbxOM.net
- ピシャリと水が跳ねる音。間を置き、またひとつ。ふたつ。
ぼんやりと焦点を宙に彷徨わせているうちに、吹きつけた風が運ぶ匂いが頭の芯を刺激した。忌々しい、あの匂い。
全開の窓から忍び込む生温かい夜気が余計に癇に障る。
「秋子の馬鹿! よりによってどうしてガーリックなんか!」
ピザが箱ごと詰め込まれたゴミ箱に、更に蓋をする。
「このアパートごと、燃やしてしまおうかしら!」
半ば本気でそう思い、振り向いたキッチンの横に、自分と秋子とが並んで写るポートレートが目に入った。
秋子。双子の妹。
一卵性双生児であるが故に外見は誰が見ても瓜二つだ。面長な輪郭を縁取るストレートの黒髪。黒目勝ちの涼しげな眼。
だが性格は真逆だ。
出版社で編集の仕事をしている秋子は何事も事務的で可愛げがない。
浮ついた所も無い。二十をとうに越しているのに、念入りに化粧をしている所を見たことがないほどだ。
無論、男性と付き合ったもない。
そんな妹に服を贈ってみたのだ。桜色のスーツだ。スリットの入ったタイトに胸元の開いたデザインのジャケット。
少しは洒落っ気を持って欲しいという姉の老婆心だ。
着て見せてくれとメールすると、すぐに返事がきた。自分のアパートでピザでも食べないかというのだ。
早速夜を待ち、コーポ宮下公園102号室のドアを叩いた。妹はまだ帰っていなかった。
『もうすぐ戻るから! ピザが来たら受け取っておいてね!』
折良くそんなメールが届く。ちゃっかり姉に代金を払わせるつもりかも知れない。
ふらりと廊下に出た。
右はバスルーム。キラリと光る大きめの鏡が目に映り、つい足を運ぶ。
ガラス面に指を立てる。一点の曇りもない鏡面だった。写しだされた真後ろの背景がくっきりと写りこんでいる。
そう。ほんの数か月前までは映っていたのだ。この自分自身の姿も。
チャイムが鳴りギクリと鼓動が跳ねた。
ああ、ピザかと思い当たり、ドアを開ける。配達人は若くは無いが年寄りでもない男だった。
>水原様、でよろしいですね。少々お届け中に傷つけちまいましてね。お詫びに商品を半額と、次回の半額クーポンで…
言いながらこの顔を見た配達員は、明らかに驚いた顔をした。まるで幽霊でも見る目つきだ。
何だろう? 顔に昨夜の食事の痕跡でも残っていただろうか?
しかし何かに頷き、男は再び居住まいを正した。
改めて男を見た。その気で見れば相当いい男だった。
世間一般で言う「イケメン」ではないが、さりげない立ち姿、箱を渡す腕の動き。それだけで鋼のような筋肉の躍動を感じる。
男の中の男。そんなフェロモンを発していたのだ。
男は――食材だ。妹が来る前に、彼を主菜(メインディッシュ)にするのも悪くない。
差し出された箱に手を伸ばし、絶句した。箱、そしてそれを持つ男から立ち昇る「あれ」の匂いに。
「あなた、こんなグチャグチャにしてお金取るっていうの?」
まさかニンニクの匂いにキレたとは言えない。幸い箱には何かが貫通した跡があった。
「タダにするか、あなたの店にクレームを入れられるか、どっちか選びなさいよ!」
男が慌てて箱を床に置く。
>御代はいりません。スイヤッセンシタァ〜
逃げるように玄関を飛び出して行く男。動作がやたらと機敏だが、よほど焦っていたのだろう。
――なんて人を小馬鹿にした態度だろう? あんな男をメインにしようとしたなんて!
箱を片付け待つこと小一時間。
キッチンの水音を数えるのにも飽きた頃、ようやく階段を駆け上がる靴音が耳に届いた。玄関のドアが音を立てて開く。
「もう! 遅いじゃない! ていうか、私ニンニク駄目になったってあれほど――」
吹きつけた夜風が首元のスカーフを揺らした。
紅葉の葉柄のスカーフ。去年の暮れに秋子がくれた、唯一の贈り物。
その秋色のスカーフが、恐るべき衝撃で引き裂かれた。
- 59 :水原桜子 :2017/10/22(日) 07:48:17.52 ID:IhoO8VIy.net
- 名前:水原桜子(みずはら さくらこ)
年齢:不明だが外見25歳前後
性別:女
身長:155
体重:45
スリーサイズ:80 51 79
種族:ヴァンパイア
職業:ピアニスト
性格:享楽主義
特技:操舵。ピアノを弾く指に「力」を注ぐことで発動。ヘッドホンで回避可。
武器:なし
防具:なし
所持品:シャネルのポーチに化粧品その他
容姿の特徴・風貌:いつも派手目のスーツを身につけている。肩口でバッサリ切ったワンレングスの髪はキャメルブラウン。
簡単なキャラ解説:新宿のコロニーを仕切る協会(通称「VP」)の幹部の一人。音楽家の両親から相続した白い豪邸に住む。
- 60 :水原桜子 :2017/10/22(日) 07:48:47.80 ID:IhoO8VIy.net
- 「さすがねぇ……。ヴァンプの反射神経ってやっぱり凄いのね」
息を弾ませ、玄関に立っていたのは一人の女だった。
30は越しているだろう。頬にかかったストレートの黒髪をゆっくりと払いのけ、唇をペロリと舐めた見知らぬ女。
薄汚れた白衣。だらりと下げた右手に拳銃、左手には一振りのナイフ。細く長い脚にぴったり張り付く黒のデニム。
コートではなく白衣とは妙な井出達だが、薬局にでも勤務しているのだろう。
が、そんな事はどうでもいい。
この女からは血と硝煙の匂いがプンプンする。
現にデニムのパンツにべっとりと張り付いているのは、紛れもない人間の血液。
背にした壁が氷のようだ。背筋を流れる汗。自分はいま追い詰められている。「ハンター」であろう、この女に。
ただの人間ならば敵ではない。動作はのろく、力も無い。その気になれば数十人同時に来られても相手にもならない。
だがハンターは違う。
速度、腕力こそ我らに劣るものの、その動きは非常に無駄が無い。
無駄のない動きは当然、こちらに勝る速度として反映される。
そんな彼らが「あれ」を使えばどうなるか。
あれ、すなわち銀の弾丸を込めた銃。ハンター協会で支給されるそれを恐れぬヴァンパイアなど居ない。
今この場であの拳銃を向けられるのは将棋で言う「詰み」に他ならない。
背後は壁。右手は居間へと続く廊下だが、幅は狭く天井も低い。飛び込んだが最後、格好の的となるだろう。
「……あんた、誰?」
一応聞いてみる。ただのハンターならば聞く耳も持たぬだろうが。
「そう凄まないで? 脅かしたのは悪かったわ」
白衣の女がにっこり笑い、銃とナイフを懐に隠した。
代わりに取りだしたのは一枚のカード。
VとPを組み合わせたマークは紛れもない、吸血鬼のコロニーを仕切る。協会「VP」の会員証だ。
色はブロンズ。下っ端の持つカードだが、それでも人間ならば月額数百万の上納金を必要とするカードだ。
「それがあなたの物だっていう証拠は?」
いきなりナイフで切りつけて来るような女だ。信用など出来るわけがない。
「その薄汚い格好で会員だなんて笑わせる。だいたい何して稼いでんのさ」
女は肩をすくめてカードを仕舞った。
「こう見えても……医者なんだけど。モグリのね」
言いながら白衣の裾をヒラリと捲る女の手つきは、確かにハンターのそれとは違うようだ。
さっきは不意を突かれただけかも知れない。医者というものは刃物の扱いに慣れているだけなのかも知れない。
だが……油断はするまい。目的を知るまでは。
「あんた、私が誰か知ってるのよね?」
「うふっ! もちろんよ!」
人懐こい笑みを浮かべる女。さらりとした長い黒髪が妹のそれを思わせた。
「あたしは佐井浅香。しがない町医者よ。貴方はVPの幹部の一人、水原さんよね?」
言うなり浅香と名乗った女は小上がりに両膝と両手をついた。半土下座とも言える格好だ。
表情を一転して真剣なものに変えた浅香が、キッとこの顔を見上げた。
睨みあうこと数秒。
何かを決したように浅香が口を開いた。
「おねがい。あたしを仲間にして。彼の……佐伯裕也のカタキを討ちたいの!」
- 61 :佐井浅香 :2017/10/23(月) 06:00:41.19 ID:DCQsgfhm.net
- 名前:佐井浅香(さい あさか)
年齢:36
性別:女
身長:165
体重:56
スリーサイズ:85 54 83
種族:人間
職業:医者
性格:明るい 思った事を実行しなければ気が済まない性格 仕事大好き
特技:刃物を使う事(外科以外でも)
武器:懐にメスを含めた刃物数本と拳銃一丁(ワルサーPPK)
防具:ピンクの防弾チョッキ、白衣(厚手のオーダーメイドで防火、防刃など特殊加工済)
所持品:白衣内に治療器具や薬品一式
容姿の特徴・風貌:黒のGパンに白衣を羽織る。ストレートの長い黒髪。
簡単なキャラ解説:新宿歌舞伎町に診療所を構える闇医者。今の仕事を続けたいがために不老不死を望む。
- 62 :佐井浅香 :2017/10/23(月) 06:52:24.52 ID:DCQsgfhm.net
- 目を覚ました時、裕也とあいつが組み合ってた。
不利だってすぐに分かった。あの裕也が泣いてたんだもの。
何百年も生きてて……撃退したハンターも数知れない。あの裕也が子供みたいに「痛くて」泣いてるなんて。
何とかしてあげたいけど、無理みたい。まだ死にたくない。あたし「か弱い人間」。あのハンター「相当に出来る」。
……あなたがいけないのよ? 何度も吸ってお願いしたのにしてくれないから。
裕也の最期はあっけなかった。
気絶したとこに一発。音がやけに腹に響いたわ。悲しい音だった。当然弾丸は銀製よね?
裕也が言ってた「滅び」がどんなものかと見てたかったけど、すぐに溶けたり蒸発するわけじゃないみたい。
>『…おい、…馬鹿者! 無線機の電源を勝手に切るな。もうじき増援が着くはずだ。
お前は無事なら一旦引け。ズィルバー・クロイツの連中に任せろ』
ちょっと。無線の声がバッチリ聞こえてるんだけど?
こっちが気絶してると思って油断しすぎじゃない?
……来た来た。ざっと10人は居るかも。
……ちょ……どさくさに紛れてそんなとこ触んないでよ!! 気絶したふりも楽じゃないわ!
男達に抱えられて運ばれる途中、薄眼を開けて裕也の方を見た。
あいつ、胸上で手を組ませたりして。キザったらしいったらありゃしない。
でもあたしにトドメ刺さなかったわね。女子供に手は出さない――紳士ってとこかしら?
- 63 :佐井浅香 :2017/10/24(火) 06:09:08.43 ID:/0xNRZuI.net
- しばらく寝たふりしてズィルバー・クロイツの男に担がれてた。
流石に背中に「銀の十字架」とか背負(しょ)ってないわね。極々普通のグレイのスーツに、黒い革靴。
ジャケットの下にゴワゴワするもの――たぶん防弾チョッキだと思うけど――を着こんで……まるで私服刑事みたい。
こいつら、ハンター協会に所属する軍隊ってとこね。
ハンターになる腕も度胸もないけど、みんなと一緒なら怖くない、って連中。
で、どうして寝たふりしてたかって言うと、奴らの耳元から聞こえてくる無線の中身に興味があったから。
収穫はあった。
≪水原……桜子。コーポ宮下公園102に潜伏の可能性……≫
たぶん全国何処言っても知らない人いないんじゃないかしら?
世界を股にかけるピアニスト。両親とも音楽家で、音楽界のサラブレット、水原桜子。
なんて、これは表向き。
彼女、実はVPのメンバーなのよね。しかも幹部。
あたしみたいな人間はどんなにお金積んだってブロンズ(青色)止まりだけど、彼女はゴールドカード。
コロニーのボスを支える4人の幹部の一人。
知ってる? 幹部って、例の弱点をいくつか克服した人達なのよね! ボスに至っては弱点無しとも言われてる。
ほんとかしら? って最初思ったけど、ピンと来たわ。
桜子さんの名字、「水原」。水ていう字をヴァンパイアは異常に嫌うはず。
つまり彼女は、吸血鬼に取っての4大悪のひとつ、「水」を克服してるってこと。シャワー浴びても平気なのよ?
炊事もお洗濯も出来る! 大金持ちの彼女がそんなことするかどうかは知らないけど。
奴らの目を盗んで逃げることなんて簡単だった。
- 64 :佐井浅香 :2017/10/26(木) 06:39:21.91 ID:44VNvLCZ.net
- 狭い階段の踊り場。スピードが緩むその隙を狙って男の腕を振りほどいた。
着地がてら、コンクリートの白い壁に体当たり。
音も無く開いた四角い穴に身体をスルリと滑り込ませる。
そう! これ回転ドア! スイッチの正確な位置さえ覚えていれば簡単に開くの!
実はあたし、このビルのオーナーなのよね。他にも隠し扉とか抜け道とかたくさんあるんだから。
あはっ! 闇雲に叩いたって開かないわよ!? いい気味!
まあ……そのうちの一つを発見されちゃったのは……ちょっと癪だけど。
一旦部屋に引き返して。白衣持って。外に出てしばらく走って……そして気付いちゃった。
襟に付いてる小さな黒いボタンに。
これってもしかして……発信器?
「待って」
今まで黙ってあたしの話を聞いてた桜子さんが初めて口を開いた。
「あなたが何故我らの仲間になりたいのか、佐伯とどんな関係があるのか、聞きたいことは山ほどある」
ぞっとするほど低くて、どこか高圧的な声。しゃがみこんでるあたしを毅然と見下ろして……冷たく笑って。
「でも、そんな時間は無いみたいね。発信器? 奴らはすぐにここに来る。そういう事ね?」
まっ白い陶器みたいな肌。ザワ立つ頭髪。口の端からこぼれる鋭い犬歯。茶色だった眼も、今は金色に輝いてる。
冷たい夜の気配。これが……ヴァンパイア。
「でもいいわ。どの道奴らはこの場所に来た。貴方は私に「準備」する間を与えてくれた。そう思う事にするわ」
言うなり桜子さんが腰のベルトから何かを掴みだした。キラキラ光るそれは……髪の毛かしら?
いいえ。あの色艶、撓む音。とっても細い一本の針金。
刹那、ドアが乱暴に開け放たれて――なんてこと! 音と気配はなかったけど、連中とっくに来てたんだわ!
拳銃を構えた男達。留め金を外すカチリという音。
万事休すね。
奴らがあたしに遠慮するわけないもの。あたしが彼らの支援者だって事、とっくにバレてる。
観念して眼を閉じる。でもいくら待っても銃声はしない。
空気がピンと張り詰めている。
かなりの高周波で近づいてくる一つの音。これ、耳鳴りかしら?
でもそれにしては綺麗な、澄んだ音。思わず耳を傾けてしまうくらい。
ここ、何処かしら?
もしかしてあたし、死んじゃってる? 撃たれて即死だったら――こんな感じかも?
手指の感覚はないし、ここが暑いか寒いかも分からないもの。
でも何か変。この音、どこかで――
思いきって眼を開けた。連中はなんとそのままの姿勢で固まっていた。呆けた顔で。
桜子さんはと言うと、さっきの針金を左脇にピンと張らせて立っていた。針――いいえ、あれはきっとピアノ線。
細い指の先が弦上をそっとなぞる。まるで……ピアノの鍵盤でも叩いてるみたいに。
- 65 :佐井浅香 :2017/10/27(金) 06:06:58.94 ID:JcFXgHoR.net
- 「ふふっ……いい子ね……」
桜子さんはちょっとだけ口元を緩ませて、そして呟いた。
ビィンッ! と音高くピアノ線を弾く。……ってどんな仕掛け!? 針金が一瞬でベルトの中に!
「銃を床に置いて立ち去りなさい。今ここで起きたことは……綺麗さっぱり忘れるのよ」
言われるままに頷いたクロイツのメンバー達。その顔には恍惚の表情。
……こわっ!
あたしはその場にペタンと尻もちをついた。
桜子さん、こんな風にして人間を操れるんだ。裕也も似たような事してたけど、せいぜい一人か二人だったじゃない?
一度に10人! たった一本のピアノ線でよ!?
フラフラと階段を降りていく男達。まるで意思のない人形のよう。
「それで?」
「え?」
桜子さんの声で我に返った。眼の色は茶色に戻ってる。普通の……綺麗な女の人。
「何が『え』よ。何故仲間になりたいのかって聞いてるの。佐伯とはどこで?」
……そうだった話の続き。すっかり忘れてたわ。
「単純な事よ。大好きなお仕事を、この先もずっとずっと続けたいから。裕也はただの患者」
我ながらかなり端折った答えだと思う。案の上、桜子さんはケラケラ笑いだした。
「ただの患者? さっき仇を討ちたい! なんて言ってなかった?」
音も無く近づいてきて……しゃがみ込んだ彼女。
折れそうなくらい細い首、腰、手足。あたしよりずっと小柄なのに……すっごい威圧感。
まっすぐにあたしの眉間を指差して……その指がゆっくりと下に降りて……胸の谷間――心臓を指す。
「惚れてたの? 人間が? ヴァンパイアに?」
悪戯っぽい笑み。まるで中学か高校のクラスメイトみたい。
「……惚れてたのは彼の方よ。あたしに取って彼は患者に過ぎなかった」
「随分な自信ね。患者? 本当に彼は『ただの』患者だった?」
「訂正するわ。『大事な』患者よ。あたしを変えてくれる能力を持つ……ね」
「ふーん……?」
トンッっとあたしの胸を小突いてから、彼女が立ちあがった。口元を人差し指で撫でながら。
「まあいいわ。……そう。見た目良けりゃあ見境無しの彼が……ねぇ……」
――なんか……気になるなあ。もしかして裕也、桜子さんとも関係があったのかしら。
「あら? 勘違いしないで? 佐伯と私(あたくし)、そんな関係じゃないわ?」
「べ・べつにそんなんじゃないわ! 裕也の事なんか何とも思ってなかったって言ってるでしょ!?」
……自分で言って恥ずかしかった。これじゃ好きって言ってんのと変わんない。
「……可愛い人」
桜子さんの目が一瞬だけ金色に染まる。
「いいわ。私の屋敷にいらっしゃい」
差し出された彼女の手は氷みたいだった。
- 66 :佐井浅香 :2017/10/28(土) 06:52:30.39 ID:9cMHkUc7.net
- 簡単に身支度を済ませて、玄関のドアを開けたその時。高く昇った月の明かりがあたし達の頬をサッと照らした。
ぎょっとしたようにその月を見上げて、そしてあたしを睨んだ桜子さんの顔。今でも忘れない。
「……ど……どうかしたんですか?」
思わず出た敬語。
近くに植わっていた銀杏の木がザワリと音を立てる。
「二十三夜の月が……あんなに高く……?」
「えぇ。それがどうかなさいました?」
ギシリと金属が軋む音。彼女の手が階段の鉄柵を握りつぶす音。
「……あなた、それ本気で言ってるの?」
喉が引きつって声が出ない。
「あの月の! あれの月齢くらい解るわよね!? 『上弦』の南中時刻は日の出とほぼ同時なのよ!?」
ってことは……日の出まで後1時間も無い!?
……迂闊だったわ。あたし、ヴァンパイアに憧れてるくせに、月についてはほとんど無関心だった。
「申し訳……ありません」
何とか頑張って絞り出した声。
ギリギリ鳴ってた鉄柵が音を立てるのを止めた。ハラハラ散った銀杏の葉が黄色く色づいている。
まだ夏の盛りだと思っていたが違ったようだ。さっきまで温かかった夜風がヒヤリと冷たい。もう秋なのだ。
この仕事を始めてから、季節というものを感じたことがなかった。太陽がいま昇っているのか、月齢、月の出入りの時刻。
……意識しないといけないわ。命に関わることだもの。
「まあいいわ。始発が使える時間だし」
……なんだかんだ言って「まあいい」で済ませてくれるのが桜子さんのいい所ね。
……って今、始発って? まさか地下鉄使うつもり? 大金持ちで、有名人で、ヴァンパイアの桜子さんが!?
てっきり笛を吹けば運転手つきのリムジンが迎えにくるのかと!
軽い身のこなしで階段を駆け降りた桜子さん。
「どうしたの? 駅はすぐそこよ?」
……朝って結構混むじゃない。それでなくても超有名人の彼女。
「桜子さんが電車の中でもみくちゃにされないか心配だわ」
彼女が「はあ?」って顔をした。
「要らない心配ね。通勤通学の人間どもがいちいち周りを気にすると思う?」
それもそうかと思いつつ。あたしの読みは変な所で当たってしまった。
- 67 :創る名無しに見る名無し:2017/10/29(日) 20:35:22.09 ID:Mjaid3IS.net
- 期待
- 68 :佐井浅香 :2017/10/31(火) 05:37:19.67 ID:Ou5bUvWU.net
- 宮下公園を横切ったその時だったわ。
「あ! あのヒト、桜子!?」
甲高い声に振り向くと……え!? ちょっ……ちょっと!!
あたし達はまだ幼稚園児くらいの子供達に取り囲まれて「もみくちゃ」にされた。
訂正。「された」のは桜子さん。手を握ったりスカートの裾引っ張ったり。おいこら! めくっちゃダメ!
――この子達、いったい何処から出てきたのかしら!? 年長組……くらいの……ほとんどが女の子、男の子もちらほら。
男の子はカッチリした半ズボンの黒スーツに蝶ネクタイ。
対して女の子は入園式に着るにはちょっと派手すぎるドレス。ってかそんな時期でもないわね。パーティーか何か?
「あ! すみません!」
引率してたらしい女性が慌てて走ってきた。
「ああ!? 桜子さん!? 水原桜子さんじゃありませんか!!」
……止めるどころか、顔を赤くしてサインを求め始めた女性。
いくら桜子さんが有名人でも、ちょっと異常じゃない? 一昔前のアイドルじゃあるまいし。
桜子さんと言えば……さすがね。慣れてるっていうか。
アルカイックな笑みを浮かべて。サイン書いたり子供達ひとりひとりの手を握って話しかけたり。まるで皇室の方みたい。
「この子達、これからピアノの発表会なんです!」
あ、そういうこと。ピアノ教室の生徒さんなのね。なら仕方ないかあ。
なんて悠長なこと言ってる場合じゃないよね。空の色がさっきより明るいもの。なりふり構ってられないわ。
「ごめんねキミ達! 先生これからお仕事なの!」
桜子さんの手を引いて無理やり彼らから逃げ出した。
そうよね。これが今のあたしの「お役目」よね。桜子さんの印象を悪くしないための。
全速で走って……あった! 地下鉄の出入り口!
明治神宮前から千代田線に乗った。真っ暗な壁眺めながら物思いにふける――間はなかった。
すぐに銀座線に乗り換えて、そしてまた大江戸線に乗り換えて。え? また乗り換え?
あんまりすぐ乗り継ぐせいか、乗り合わせた人間は彼女に気づかない。……たまたま? それとも計算かしら。
結局あたし達の終着駅は白銀台だった。
あんなに乗り継いで、結局ここ。上(山手線)使えばすぐだった。つくづくヴァンパイアって不便だわ。
……でもどうする気? たぶんもう夜は明けてるわ。
あたしの心配をよそに、桜子さんは駅内をすたすた歩いて行く。そして出口に続く階段を上がる――前に消えた。
いいえ、消えたように見えただけ。
すぐにピンと来たわ。あたしのビルの隠し扉と一緒だったもの。
桜子さんが触れた壁の一部を軽く押すと、案の定。薄闇の中にたたずむ彼女が居た。
「……ふうん?」
……なによ。その「試してみたら意外に出来るわね」みたいな顔しちゃって。
「行くわよ」
「行くって?」
「決まってるじゃない。わたくしの『屋敷』によ」
彼女のお屋敷なら見たことあるわ。少し前にテレビで紹介されてたもの。
綺麗なお庭に綺麗な白いお屋敷。黒服の執事さんに……黒メイド服の女性達。違う世界だったなあ……
しばらく歩いて。歩く先々に灯る蝋燭風の照明に関心しながら。
行き止まりに設えられた黒い大きなドア。その前に、黒い服着た背の高い男性が立っていた。
- 69 :佐井浅香 :2017/10/31(火) 06:32:07.35 ID:Ou5bUvWU.net
- 「おかえりなさいませ、お嬢様方」
ゆっくりと上体を傾けた男性は、テレビで見た執事その人だった。
どうして覚えてるかって言われたら……渋めで素敵なおじさま、だったから?
……いいじゃない。思うだけなら。
「御苦労、柏木(かしわぎ)」
背筋を伸ばして、つんとすまして。ほんとこの人「お嬢様」。
「秋子さまもご一緒とは……」
なんて言いかけて彼、ハッとした顔であたしの顔を見た。
――秋子? 最近どこかで聞いたような?
説明を求めるように桜子さんを見た執事さん。見るからにうろたえてる。うふふ……狼狽する執事さんに、やや萌え。
「秋子はアパートに来なくてよ。連絡は来てて?」
あはっ! 「来なくてよ」なんてセリフ。お話の中のお嬢様言葉だと思ってた!
「来ておりません。この方はどなた様でらっしゃいます?」
チラっとあたしを見た執事さん。
……そんな胡散臭そうな顔しなくてもいいじゃない。
そりゃあ……防弾チョッキの上に血のついた白衣とか、見るからに怪しいけど。電車の乗客も明らかに目ぇそむけてたけど。
しばしの沈黙。
あたし、なにか言うべきかしら? 桜子さんのファンです! とか?
「この子、うちの主治医に致しますわ」
有無を言わせぬ迫力で桜子さんが言い切った。
「……え?」
思わず彼女の顔を見た。にこりとも笑わずに前を向いたままの桜子さん。本気じゃないわよね? ポーズよね?
「はあ……」
納得のいかない顔の執事さん。そりゃそうよね。
そういやこの人。あたしの事「秋子さま」って呼んだわね。
執事がそう呼ぶってことは、桜子さんの親戚かしら。桜と秋だし、姉妹かもね? 彼女もヴァンパイアなのかしら。
この執事さんも、メイドさん達も、人間じゃないのかしら。
ううん。
あの番組は生放送で、たしか昼間だったわ。この人もメイドさんも、お庭の中を堂々と歩いてた。
そして……そうよ! 桜子さん本人も居た! 放映は確か半年前!
思考がどんどん膨らむうちに、いきなり思いだした。秋子さんの名前を最近聞いた事がある、その訳を。
鮮明に思い出したのだ。クロイツの連中が、ぼそぼそ呟いてた言葉を。
『佐伯に噛まれた僕(しもべ)の女、秋子って名前だとさ』
『今度も女かよ。どうすんだ? また俺らがやんのか?』
『かも知んねぇが、上が聴取した後だろ。かなりいい女らしいぜ』
『くそっ……! 俺も幹部になりてぇなあ……』
- 70 : :2017/10/31(火) 06:36:42.80 ID:Ou5bUvWU.net
- 【以上、導入。短期長期問わず参加者を募集します。3日待ちますので宜しければどうぞ】
- 71 : :2017/11/10(金) 06:35:41.51 ID:lv1lNVkc.net
- このまま止まってしまうのもなんなので、しばらくデモンストレーションでも
- 72 :麻生 結弦 :2017/11/10(金) 06:43:22.05 ID:lv1lNVkc.net
- 名前:麻生 結弦(あそう ゆづる)
年齢:28
性別:男
身長:176
体重:65
種族:人間
職業:ピアニスト兼ヴァンパイア・ハンター
性格:繊細で物静か
特技:数学的な思考
武器:ベレッタBU9 NANO(ナノ)
防具:特になし
所持品:ハンカチ 爪切り
容姿の特徴・風貌:神経質そうな線の細い顔立ち、長めの前髪で右目を隠している。左利き。黒のベストにジャケット。
簡単なキャラ解説:桜子の家と昔から親交があった音楽家の長男で、両親ともにハンター。ショパンが好き。
- 73 :麻生 結弦 :2017/11/11(土) 10:24:20.58 ID:ug0pT+7g.net
- 鳴り響く音。半音。和音。協和音の連続音。
白い天井と白い壁に反響する音が、室内に響き渡る。やがて細かく、小さく。
最終音に耳を澄まし、そっと……音をたてぬよう……ゆっくりと指を鍵盤から上げる。
「ふ……――」
緊張が解け、ため息。
時計の針がきっちり60分の経過を知らせている。
ハノン(フランスのCharles Louis Hanonが書いた教本)を弾き終えるのに要した時間だ。
首と肩を回して伸ばし、しばしリラックス。これからが本番。そんな時だった。携帯が電子音のショパンを奏でたのは。
ワルツOp.64-NO.2。
表示された番号はハンター協会の事務局。
「はい、麻生ですが」
声は少しイラついていたかも知れない。
せっかく温めた指がまた固まってしまう、そんな焦りを隠せない。
「『水原桜子』の動向は探ったか?」
電話の向こうの声は自分以上に苛立っていた。それもそうか。依頼を受けてから早2日が経つ。
「すみません。まだ手をつけておりません」
「……おいおい。彼女が本当にヴァンパイアなら早く――」
「分かってますよ。でも僕、本業の方が大事なんです。今晩はリサイタルなんですよ?」
「お前、ピアノと人命とどっちが大事なんだ?」
四角い部屋の中央に置かれたグランドピアノ。その黒い肌に刻印されたSTEINWAY & SONSの文字。
鏡面のように硬く滑らかな響板に、スマホで話す自分の姿が映っている。
彼女――桜子と最後に逢ったのは半年前だ。その時は確かに映っていた。
自分と連弾する桜子の姿。白いドレスの裾をはためかせ、柔らかに動く彼女の腕、手首、白い指。
今は映らないとでも言うのだろうか?
そういえば桜子の家には白のSteinwayがあったはずだが――
「聞いているのか麻生君!」
「……はいはい聞いてますよ。彼女とは今晩にでも接触しますので宜しく」
何か言いかけた相手を無視して通話を切った。
「ごめんね局長。別にあんたの事嫌いとかそんなんじゃないんだ。時間が勿体ない、ただそれだけ」
携帯をオフにし、鍵盤の上に両手をかざす。
最初の音は思い切りよく。小刻みに響く軽快な音。
うん。やっぱりショパンはこのSteinwayが一番だね。国産もいいけど、僕には重すぎて。
- 74 :創る名無しに見る名無し:2017/11/11(土) 13:57:03.66 ID:AJCDF/SY.net
- 肥溜めで自演してる馬鹿のスレなんて誰も来ないよ
理解した?
- 75 : :2017/11/11(土) 15:03:21.29 ID:ug0pT+7g.net
- >74
なになに、誰か褒めてくれたりしてんの?
って見に行っちゃったじゃないですか
だよねー、こんな過疎スレ真面目に読む人なんか居ないよね
ていうか!
釣りしてる暇あったらネタでも投下してくださいよ! お願いしますよ!
- 76 :水原 桜子 :2017/11/11(土) 17:16:34.66 ID:ug0pT+7g.net
- 人間の女って、こうも騒がしい生き物だったかしら?
いえ、音大の学生も、女中達も仕事仲間もここまで酷くはなかった。
「桜子さん! この白いピアノ、すっごく綺麗ね!! わあ……すごい数の楽譜ねぇー……」
「……ちょっと。パンを齧ったあとじゃなくて? その手で触らないでくださる?」
「さっき柏木さんに言われてちゃんと洗ったわ! これ……録音に使うのね? あ! メトロノームが埃かぶってる!」
――うざっ!
この女。遠慮という言葉を教わらなかったに違いないわ。
昨夜は大人しかったのは単に疲れてたんだわ。一晩休んだらこのとおり。
許可もなく機械類をいじる、楽譜をめくる……ほんと……頭痛い。連れて来たの、失敗だったかもだわ。
「浅香せんせい……私、最近左肩が変に痛くて……」
「わたしもここの所が……」
集まってきた昼服のメイドたちまで……。なによ。普段滅多にしゃべらないくせに。
そういえば部屋の空気がいつもと違うような気がするわ。賑やかし……なんて言うのか。ムードメーカー……とでも?
ほんと、真剣な顔して相談に乗ったりして。いかにも親しみやすくて親身になってくれる医者って感じね。
今どきのお医者様ってこんななのかしら。
「貴方達。サボタージュは許さなくてよ。さあ!」
しぶしぶ持ち場に戻るメイド達の残念そうな顔。……まったく。
急に静まり返った部屋の中。防音室は外の音を拾わないから当然なのだけど。
向き直った浅香の肩越しに、赤いバラの花が一輪。日の出前に私が温室から切って活けたもの。
蕾んでいたのがもう開いている。これもこの女の陽気のせいかしら?
「はしゃぎ過ぎちゃって御免なさい。あたし、囲われの身だってこと忘れてたわ」
……ふん。急にしおらしい顔しちゃって。そんな風にしてもダメよ。男ならそんな仕草に騙されるかもだけど。
ても……変だわ。さっきより……この女。綺麗に見える。
「囲われだなんて……。いいわ、こちらへいらっしゃい」
頷いた浅香がこの眼を見て歩みを止めた。
そうよね。ヴァンパイアが本気になった時の眼を見て、動揺しない人間はまずいない。
居間で、廊下で、階段で。急に「その気」になった私の眼を見た女中達に、何度同じ反応をされたかしら。
悲鳴をあげて、座り込んだまま表情を凍りつかせて。
そんな女中たちに手は出さなかったわ。当然よね。小さい時から面倒を見てくれた人達だもの。
わたくしが襲ったのは無礼な男どもどもだけ。下心をちらつかせて誘う男はみんなあの世に送ってやった。
サーヴァントになどしやしない。一滴残らず絞り取る。そうすればひと月は持った。
「優しくしてね? 桜子さん」
ブラウスのボタンを外して首をさらけ出した浅香。思わず笑ってしまう。
「優しくって何よ? 優しく……ゆっくり喰らい付けって?」
手加減はしなかった。
腰を引き寄せ、髪を掴んで強引に仰向かせる。身を任せる浅香。その眼がぎゅっと硬く閉じられる。
緊張した身体。硬直した筋肉。それでいて……芳しく甘い吐息。女性らしい柔らかな背のライン。
上下する胸は、両の膨らみで今にも弾けそうだ。白く滑らかな首筋。一瞬間浮いては消える、一筋の静脈。
凄いわ佐伯の奴。よく我慢できたわね。
「……っあっ……!」
そっと触れた唇に浅香が反応した。背を仰け反らせ、身をよじって逃れようとする。
――が、出来るものか。下手に吸血鬼の怪力に抗えば……怪我をするわよ?
「……あ! ああ! あああーーー!!!!」
思わず浅香を隅のソファに投げ出した。
「なんなのよ!」
「……え……えっ?」
「えっ? じゃないわ! あなた、本当に仲間になる覚悟がおあり?」
訳が分からないって顔して上目遣いに見上げる浅香。……拾われた子犬か?
「わたくし、無礼な男と気の小さい女は大嫌いなのよ。そんなに怖がるようじゃ、仲間になる資格はないわね」
「そんなっ! あたし、別に怖くなんか――」
- 77 :佐井 浅香 :2017/11/13(月) 06:47:37.86 ID:5pXvmIIe.net
- ……これが本当のお金持ちってものなのね!
そりゃあたしも相当稼いでるって自信あるけど、医療器具と「お布施」で消えちゃうもの。
だいたい家持つ発想自体ないっていうか。
「バスルームをお使いになりますか? それともお食事を?」
素敵なバリトンボイスがあたしの耳をくすぐる。
「え?」
執事の柏木さんがあたしを見てる……あ……あたしに言ってるの?
じっとこちらの様子を窺う柏木さん。ほんとスーツが良く似合ってる。撫でつけた髪の生え際にちょっと白いのが混じってて。
ハラリ……っとかかる数本の前髪……素敵! ロマンスグレイって言葉はあなたの為にある言葉よ! 素敵! 口髭も素敵!
執事さんって……頼んだら何でもしてくれるのかしら? お風呂で背中とか流してくれないかしら?
『綺麗なお肌でいらっしゃいますね……加減は如何です?』
『ちょうどいいわ。さすがは執事さんね。タオルの柔らかさから力の入れ加減まで、一部の隙もないわ』
『貴方様のお身体にも……素晴らしく隙がなくいらっしゃる』
『背中はもういいわ。前の方も洗って下さる?』
コツンと肩を小突かれた。桜子さんだ。……呆れた顔して……やだ。あたしったら、つい妄想なんか。
「ご迷惑でなければ、先にシャワーをお借りしたいわ」
そうよ。
ズボンについた血が乾いてゴワゴワしてたし、汗で張り付いたブラジャーとか髪についた硝煙と血の匂いとか。
こんなんでゆっくり食事できる人が居たらお目にかかりたいわ。
「承知致しました」
うわあ!
首をほんの数センチ縦に動かす、そんな仕草までほんと「バトラー」だわ! バトラー柏木って呼んじゃう!
そんなあたしに向けられた桜子さんの視線は無視。こんな機会滅多にないもの! この際思いっきり楽しんじゃう!
案内されたバスルームは……なにこれ。公衆浴場だってこんなに広くないわ!
広さだけじゃない。一泊5万円くらいの温泉宿って感じ?
黒い石で造られた不規則な形状の浴槽は……25mはあるかしら。滝行が出来そうなくらい大きい打たせ湯も。
床も――ちょっとゴツゴツ感を残して敷き詰めた石、石、石。
洗面台も腰かけもぜ〜んぶ石。大理石とか御影石(花崗岩)をうまく交互に使ったり。う〜ん! THE 金持ち!
あたしったら、すっかり時間を忘れて楽しんじゃったみたい。
メイドさん達が様子を見に来た時、お湯につかったまま寝てたって桜子さんが言ってた。
たぶんそのまま運ばれて……朝までぐっすり。用意されてたディナーはきっとメイドさん達が美味しく頂いたわね?
朝一番にメイドさんが寝室に集まってきて……
「パーティーでお酒に呑まれる殿方は大勢居られますけど、お風呂であんなになっちゃう方は初めて見たわ!」
え……そういえば全部……見られちゃった?
「浅香様ってお医者さまなんですね! 美人だし、プロポーション抜群だし、てっきりいつもの芸能関係の方かと……」
そうなんだ。芸能人の客とか多いんだ? さすが!
「Aubade(オーバドゥ)になさいます? それともChantal Thomass(シャルタントーマス)?」
オーバ……何それ。美味しいの?
フランスの超高級ブランドの下着は着心地抜群で、昨日着てたジーンズとブラウスはすっかり乾いてノリがきいてて。
朝食の、いかにも手作り! って感じのバターロールを頂いたあと、桜子さんが迎えに来て……案内されたピアノ室。
……もう大抵のことじゃ驚かないわ!
きっとあらゆるブランドのグランドピアノとかバイオリン関係が所狭しって感じで並んでるんだわ!
重そうな防音室の扉を開けて眼に入ったのは、真っ白な四角い部屋。
壁に飾られた1輪のバラの花。
部屋の真ん中に置かれていたのは……部屋と同じ色――純白で塗られた一台のグランドピアノだけだった。
- 78 :創る名無しに見る名無し:2017/11/13(月) 14:31:56.04 ID:HImZNPgv.net
- ハイパーウンコエボリューション!!!!
- 79 :佐井 浅香 :2017/11/14(火) 19:00:28.06 ID:fkA+jMht.net
- あたし、別の意味で感動しちゃった。
だってお風呂も調度も「贅を凝らした」極みだったじゃない。
それがこんな質素な部屋なのよ? もちろん素材とかに関しては高級な造りには違いないだろうけど。
このピアノも。スタウィンウェイよスタウィンウェイ。ヤマハとかカワイと違って職人の手作りって聞いたことあるわ!
こんなのコンサートホールでしか見たことない! すごい! この質感! ヒンヤリして気持ちいい! この楽譜も!
あたし、教職取るために大学行ってからピアノ齧ったことあるのよね。
だからちょっとは分かるんだ。リストにシューマン、シューベルト。いかにも上級者が弾く曲集よね。
あたしがはしゃぎまくってる傍から、メイドさん達も口ぐちに話しかけてきて……
みんな色々悩みがあるのね。桜子さん、ちゃんと定期健診受けさせてあげてるのかしら?
「貴方達。サボタージュは許さなくてよ。さあ!」
あはは……。怒られちゃった。
「はしゃぎ過ぎちゃって御免なさい。あたし、囲われの身だってこと忘れてたわ」
なんて言ったら桜子さん。
ふんって顔しちゃって。ひどくない? ひとが素直に謝ってんのに。
メイドさん達がパタパタと慌てて出ていく……そんな中、廊下の柱時計が時の鐘を鳴らした。
1度……ってことは……1時よね。さっきのは朝食ってより昼食だったわねぇ……って、ちょっと待って。
今、真昼ってことよね? 桜子さん、ばっちり起きてるけど……? てっきりヴァンパイアは昼寝てるものだと。
「こちらへいらっしゃい」
彼女の声は逆らえない何かをはらんでた。
フラフラと勝手に動く身体。明かりに惹かれる虫みたいに。でも途中であの「眼」に射すくめられた。
クロイツの連中を撃退した時と同じ眼。裕也も見せたことのない真紅の瞳。
殺される。そう思った。
純白のドレスを纏った桜子さん。血の気のない白い顔と腕が部屋の色と同化してて……目と唇だけが異様に赤い。
……恐ろしい……笑み。彼女の足が……ゆっくりとこちらに近づいてきて……
裕也は言ってたわ。吸血鬼は3通りの目的で血を吸うって。
一つ目は自分自身が生きるため。つまりはお食事。
二つ目は下僕とするため。サーヴァントと化した人間は使い勝手がいいのだとか。
そして三つ目が――仲間にするため。仲間が居なくなったら彼らも困るもの。
桜子さん、信じていいのよね? 仲間にしてくれるのよね?
「優しくしてね」って言おうとしたけど、うまくいかなかった。舌と唇が引きつって動かない。
でも桜子さんは唇の動きだけで言いたいことが解ったみたい。
「優しくって何よ? 優しく……ゆっくり喰らい付けって?」
いきなり腰を抱かれ前髪を掴まれた時、ヴァイパイアの本性を見た気がした。
すごい……すごい力!! あたしよりずっと小柄なのに! ヴァイパイアって……化け物なんだわ!!
むき出しになった牙が光るのが見えた。吐息は血と同じ匂いがした。
彼女の唇はあまりにも冷たくて……熱くて……
「……っあっ……!」
やだ! あたし、感じてる? ほんのちょっと唇が触れただけなのに!?
「……あ! ああ! あああーーー!!!!」
だめ! それ以上やられたら頭おかしくなっちゃう! 身体が勝手に動いちゃう!
桜子さんお願い! もっと強く……抱きしめて!!
そしたら桜子さん! あたしのこと軽々と持ち上げて、思い切り部屋のソファに叩きつけた。
――な……なんで! どうして!?
「なんなのよ!」
「……え……えっ?」
――なに? それこっちのセリフ!
「えっ? じゃないわ! あなた、本当に仲間になる覚悟がおあり?」
桜子さんの言ってる意味が良くわからない。何か気に障ることでもした?
「わたくし、無礼な男と気の小さい女は大嫌いなのよ。そんなに怖がるようじゃ、仲間になる資格はないわね」
「そんなっ! あたし、別に怖くなんか――」
- 80 :佐井 浅香 :2017/11/18(土) 06:44:50.24 ID:ivWQbEpD.net
- 「よくって? なかなか見所がありそうだから私(わたくし)もその気になったのよ?」
桜子さんの瞳の色が戻った。張りつめてた部屋の空気も。
「わたくし、少し睡眠を取ります。5時ごろ起こして下さる?」
あたしが口を開くのも待たず、彼女はそそくさと行ってしまった。ぐいっと扉が閉まる音。
部屋にポツンと残されたあたし。訪れた静寂。
ポタリと何かが床に落ちた。
壁の一輪ざしに活けてあったバラの花びらだ。
咲いたばかりだったのがもう枯れ始めてる。きっと桜子さんの鬼気のせいね?
音の無い世界。白すぎるくらい白い部屋。
腰を上げ、落ちていた花弁を拾う。
すっかり乾いてしまったそれがさらりと砕け、宙に舞い――ガチャリ! っと開かれたドアの音にあたしは飛び上がった。
入ってきたのは柏木さんだった。彼の黒い服が白い部屋にくっきりと浮かび上がる。
「佐井様、少し宜しいでしょうか?」
思わずブラウスの首元のボタンを留めた。別にやましいことは無いはずなのに、何だろう。……後ろめたい感じ。
「えぇ、何かしら?」
後ろ手で閉められた扉。重苦しい空気が耳に纏わりつく。
「秋子様のことです。お嬢様は昨晩アパートに帰られなかったと言われた。その訳を……ご存知でいらっしゃいますね?」
さすがはバトラー柏木。秋子の名前で動揺した……あたしの様子をちゃんと見てたのね?
別に隠してたわけじゃないない。聞かれなかったから答えなかった……秋子さんのこと。
ああもう……ますます後ろめたい。
「秋子さんはハンター協会に捕まったらしいわ。今頃聴取でも受けてるんじゃない?」
「『協会』が……聴取? いったいなぜ秋子様を……?」
「何でも、佐伯に噛まれたとか何とか」
「――な……んですと……?」
眉間に深く刻まれた皺。怖い眼つき。……わわっ! ごめんなさい! 今まで黙っててごめんなさい!!
つかつかと歩み寄ってきて、黒スーツの懐に手を差し入れた彼の手が黒い何かを掴みだす。
それは……とても見覚えのある一丁の拳銃だった。
「……それ……」
「バスルームにお忘れでおいでです。こちらの大事なカードも」
あ……あたしったら何てこと。はしゃぎ過ぎたその挙句に……恥ずかしい。
柏木さんはそんなあたしにお構いなし。手袋を嵌めた両手であたしの両肩をガシリと掴んだ。伝わる熱気。
「佐井様。自我喪失された秋子様が、お嬢様の事を話してしまう可能性は限りなく高い。そうですね?」
「え? まあ、そうなる……かしら」
ちょっと拍子抜け。柏木さん。秋子さんの事は心配じゃないのかしら。
桜子さん第一ってのも解るけど、一番身の危険が迫ってるの、秋子さんよね?
ハンター協会が彼女を無事で帰すとは思えないもの。用済みのサーヴァントなんて生かしとく訳ないもの。
そんなあたしの様子をじっと見ていた柏木さん。ふっと表情を緩めて……やだ。ちょっとマジで素敵。
「秋子様も無論心配ですが……協会に捕まった以上致し方ありません。それより今後です」
「……今後?」
「今宵、お嬢様はある方のリサイタルに呼ばれていらっしゃいます」
「そうなの?」
ああ、だから桜子さん。5時に起こせって。
「演奏者は麻生結弦。彼の家は代々のハンター。間違いなくお嬢様をターゲットにしていると思われます」
麻生結弦……知ってるわ。桜子さんに並ぶ若手ピアニスト。桜子さんのライバルと称される……
な〜んか影があるっていうか……そうなの、彼、ハンターだったの?
「どうかお嬢様を救って差し上げてください。お嬢様は自ら『変わられた』。それはすべて……麻生結弦のため……」
「麻生結弦のって……それどういう――」
柏木さんはそれ以上何も云わなかった。
手に取ったあたしのPPK。635gの銃がやたら重く、そしてとても……冷たく感じた。
- 81 :麻生 結弦 :2017/11/23(木) 07:28:13.94 ID:Y9hhDO4i.net
- 開場してから15分がたった。
控室のモニターに観客席の様子が映し出されている。すでに満席に近い。
……と、白いドレスの女性が、女性と連れだって歩いているのが見えた。
招待したS席に腰を降ろしつつ、見上げた目がこちらに合う。「見てるのは分かってるのよ」とでも言いたげに。
彼女はこの僕がハンターだと知っている。まだ僕達が幼かった頃――
「何をしてますの!? そんなことではハンターになれなくてよ!?」
膝がやっと隠れる長さの白ワンピース。その裾をひるがえし息を切らす桜子。
テラスの横で本を読んでる秋子に手を振りながら。
落としたベレッタを急いで拾った。玩具だったけど、まだ小さい僕の手には大きすぎる。
「待て! そこを動くな!」
両手で銃を持ちなおし、狙いをつける。
それを見た桜子も、手に持った水鉄砲を僕に向ける。そんな僕達の遊びはいつも大人達に邪魔され――
「先生! 麻生先生!」
「……えっ……なに?」
「立ち見でもいいから入れてくれと仰せのお客様が殺到しております。如何いたしましょう?」
コンサートホールの支配人が困った顔して立っていた。
僕はマネージャーを取らないから、こんな調整は全部ここに来る。
「殺到って……何人?」
「少なくとも50名様はいらっしゃるかと」
「……そんなに? おっかしいなあ。平日にしちゃあ多くないですか?」
今夜のリサイタルは桜子のために用意したようなものだ。他の客は少なくていい。いや少ない方が都合がいい。
だからわざわざ平日に入れたのが……立ち見? 通路に50人って。
「ここ2,3日、空きはなかったよね」
「はい。4Fの小会議室以外に空きは御座いません」
「だよね。会議室の追加公演って訳にも行きませんから……いいですよ、当日券、半額で出して下さい」
控室のピアノの蓋を押し上げ、一息に弾いたアルペジオ。その音が桜子の耳に届いか。
モニターの桜子がまたもや僕の方を見た。
「挑戦、受けて立つって所か。いいよ。君が本当にヴァンパイアになったのかどうか……確かめてあげるよ」
足早に立ち去る支配人。開演まで……あと10分。
- 82 :創る名無しに見る名無し:2017/11/23(木) 19:36:03.96 ID:uHJhbrOC.net
- ペインブルー PSO2 豚 迷惑プレイヤー 無職 引き籠もり 底辺 孤立死 孤独 ボッチ 馬鹿 低学歴 コミュニケーション障害 メンヘラ 自己中 キチガイ 犯罪者 野良猫殺し S.P.A.Ts VP
- 83 :水原 桜子 :2017/12/01(金) 06:51:14.63 ID:76BPk9s5.net
- 「おかしいわ」
それが、ただ黙ってコンサートホールに付いてきた浅香の最初の言葉だった。
「何が?」
ズボンのポケットからチケットを取りだした浅香の目は、油断なく周囲に向けられている。
「おかしいわよ。ドレスコードの指定も無いのに、カジュアルなカッコの人が誰も居ないなんて」
エントランスには正装の男や女がうようよとたむろっていた居た。
言われてみれば……そうかも知れないわね
皆が皆それなりの格好をしている。男は黒かグレイのスーツ。女もスーツかワンピース。
そんな中、浅香だけがいつものブラックジーンズに白ブラウスに……白衣。いやその白衣だけはやめなさいって。
「あなたが悪いのよ。わたくしのドレスを嫌がるから」
「当然! 桜子さんのドレス、どれもみ〜んなお姫様みたいだもの! そのドレスも……どっちが今夜の主役だか……!」
と、いつのまにか受付脇に立っていた男がやおら声を張り上げた。
「当日券御所望のお客様! 空いたスペースご利用でも宜しければ、破格にてチケットをご提供致します!」
その声にどっと歓声が上がり、数十人の客が足早に移動し始めた。
「浅香。行きましょう?」
「う……うん」
頷きながらも彼女が表情を曇らす。
「ほら、あなたの格好なんか誰も見ていなくてよ?」
「いいえ、むしろそれが問題なのよ」
「……え?」
受付に殺到する客達を眺める彼女の眼が、スイッと細まった。
「誰一人として……関心がない。それが問題なの」
「どういう意味?」
「だから! どうして誰も桜子さんに注目しないの!? あの子供達でさえ――」
周囲がチラリと控えめな目を向ける。それに気付いたのか浅香を口をつぐむ。
「……そうね。そのとおりだわ。一様の服装、一様の態度と動き。ここの客はまるで『統率されている』」
浅香がぐっとこの腕を掴んだ。逃げるなら今だと言うかのように。
「いいえ」
私がゆっくりとかぶりを振る――その様子を浅香がまじまじと見て。ため息をひとつ、肩を竦めて手を離す。
「いいわ。いざって時は頼むとバトラー柏木に言われたから。その代わり、あの約束を守ってよね?」
チケットの半券を受け取り、颯爽とゲートを抜ける浅香。ふっきれた足取りだ。
そう。それでいい。
この先は――5分後に戦場となるのだから。
- 84 :佐井 浅香 :2017/12/03(日) 11:27:21.64 ID:ahWc+DmZ.net
- 臙脂色の重たそうな両開きの扉。この先はホールの前室になっている。
ゆっくりと押し開け――あれ? 重すぎて開かない?
そんなあたしに桜子さん、小馬鹿にしたような目を向けて。
「あなた、英語も読めないの?」
あ。PULLって書いてある。あはっ!
そんなあたしが引き開けた扉めがけて、我先にと押し寄せてきた「立ち見希望」の人達。ちょ、ちょっと!
人波に呑まれた桜子さんのドレスの裾がチラッと見えて――
そのまんまの状態で場内へなだれ込む。えぇっと、桜子さんはどこ!? 席はどこ!?
「浅香! シート番号は!?」
人波の中から聞こえてきた桜子さんの声。急いでチケットを確認する。
「……っと……Tの36と37だわ!」
「う……うそ!?」
男達を無理やり押しのけて這いだしてきた桜子さんが、あたしのチケットを奪い取った。
印刷された座席番号を何度も確認して……不審の眼であたしを睨みつける。
そんな睨まれても! あたしはただ柏木さんからそれを受け取っただけで……
「……結弦。招待しておいて、こんな席? どんなつもりですの?」
むくれた顔して席に着いた桜子さん。そう、Tの37――再後席の右端に。
……うーん。おこっても当然よね。ふつう招待するとしたら、あの真ん中あたりじゃない?
あら?
あたしがちょうど目を向けた――前から10列目くらいの、少し右寄りの席。
そこに、まるで桜子さんみたいな白いドレスの人が座っていた。そこだけパっと花が咲いたみたい。
あんな服で来る人が、他にも居るのねぇ。
場内の照明がひとつ、ふたつ消え出す。あわてて席に着くあたし。
横にも後ろにもずらりと立ち並ぶ紳士淑女然とした人達。
彼らが腕にかけるコートの下に、武器を隠しててもおかしくない。いつこちらに向かって発砲しないか気が気じゃない。
なのに桜子さん。落ち着いてプログラムなんか開いちゃって。この人達がみんな敵かも知れないのに、随分余裕じゃない?
あたしは腰に差し込んだPPKをそっと右手に握りこんだ。
- 85 :麻生 結弦 :2017/12/04(月) 17:36:28.65 ID:WPb9HVzn.net
- 割れるような拍手がホールを満たした。
硬い靴底が舞台の木板に当たる甲高い音さえ消してしまう拍手の音。
白く眩しく照らされた舞台の中央で軽く一礼し、顔を上げる。
こんな光景、滅多にないね。
これがほんとの満員御礼、後ろと両脇の通路も立ち見の客であんなに埋まってる。
今夜は僕のために集まってくれてありがとう!
って言いたいとこだけど、たった今解ったよ。たいして宣伝もしてないのに、立ち見が出ちゃった訳が。
「匂い」だ。香水とか柔軟剤の匂いだかに混じる……金属とオイルの匂い。
普段から銃の手入れを欠かさない――ハンターだからこそ感じ取れる匂い。
つまり、あの立ち見客もハンター、或いはズィルバー・クロイツの連中だって事。
局長の仕業だよ絶対。
桜子と接触するって聞いて手を回したに決まってる。
良く良く見れば、雰囲気が変だよ。20〜30代に統一されてて、ダンサーみたいに妙に姿勢が良くて。
漂う緊張感とか顔つきとか目つきとか……一般人じゃないの、バレバレだよ。
お願いだから、凄い目で睨まないでくださいよ。僕ってそんなに信用ないですか?
このリサイタル、桜子の為に用意したんですよ? 邪魔しないで欲しかったのに。
そんな僕の眼をまっすぐに見つめて来る桜子。
君はそろそろ僕の意図に気づいてくれたはず。そう、今日のプログラム、目を通してくれたよね?
ショパンの申し子なんて呼ばれてる僕が、何故そんな曲ばかりを選んだのか。
革命? 木枯らし? ノクターン? バラード1番?
弾かないよ……。たぶんみんなが大好きなショパンはひとつも弾かない。
僕の胸のうち、聴いてくれるよね?
これが今の僕。
僕はヴァンパイアが憎い。
知ってるよね? 半年前……ヴァンパイアが僕の両親の命を奪ったこと。
でも僕を――世界的ピアニストに押し上げてくれたのはそのヴァンパイアだ。
僕はその怒りを鍵盤にぶつける事が出来るようになった。音は慟哭となり、哀しみを生む。
その音を聞いて、聴衆が泣いてくれる。僕の境遇を鑑みて、僕の音に共鳴してくれる。
君もそうだろ?
君も同じ頃、両親をヴァンパイアに殺された。
君も、周りの人達も泣いていたね。僕は君が……ピアノを止めてしまうんじゃないかと心配したりした。
でも君はやめず……それどころか感動を生む弾き手になって帰ってきた。
うん。僕と君は同じだよ。そんな君が――ヴァンパイアになどなる筈がない。
この腰に差したベレッタを使う機会なんか――来る筈がない。
どう? 桜子。このリサイタルが君にとっての「革命」になるといいんだけど。
- 86 :水原 桜子 :2017/12/05(火) 06:24:13.06 ID:RoRPbEyy.net
- キシリとピアノ椅子が軋む音。
腰を降ろしたまま、何故か不審に顔をしかめる彼。
どうしたの結弦? 椅子の高さはリハ時に調整済でしょう?
……――いや、違うわ。椅子の高さを訝ったのではなく……眩んだのね。照明の照り返しに。
彼は普段、長い前髪で右側の目を隠している。それが素敵だと騒ぐ女性もいる。
しかし自分は知っている。彼の右目が……健常ではないことを。思わぬ事故がもとで、その眼は機能を失った。
聞いたことがある。見えはしないが、光は見えると。むしろ痛いほどに眩しいのだと。
少し間を置き、おもむろに両の手を鍵盤に置いた彼。
弾き始めたのはリスト作曲「超絶技巧練習曲 第4番 マゼッパ」だった。
驚きだわ。
いつもショパンのポピュラーな曲目ばかり選択する貴方が、こんな曲を選ぶなんて!
激しい情熱のこもった、重く荒々しい多重和音の連続。端から全開の曲。
まるで舞台を揺るがすほどの迫力に、客が押されてる。あちらこちらから息を飲む音が聞こえる。
なんて音かしら!?
思い出すわ……半年前、貴方がおじさまとおばさまを亡くした時のことを。
ヴァンパイアに返り討ちになったおじさま方のお姿は、とても正視に耐えなくて、その頃わたくしも両親を殺されて。
その時を境に――わたくし達は逢うことをやめた。
怒りと憎しみが綯い交ぜになった音。まさに激情だわ。これが貴方が表現したかった音ですの?
音が胸を揺さぶり、突き刺さる。凄いわ……ええ。……とても……。
8分ほどの演奏が終了し、客は沸いた。1曲目にしてなんとスタンディングオベーション!
何故? 何故なの?
次の曲も……その次の曲もリスト。リストリストリストリスト……そう! 今夜はリストオンリー!
確かに観客はその迫力と技巧に客は酔うでしょう。
男性ピアニストならではの音量、迫力を兼ね備えた、ダイナミックな演奏に沸くことでしょう。
でも……客は貴方の美しい「木枯らし」を聞きに来たのではなくて?
優しく奏でるセレナーデや、軽快なワルツを楽しみに来たのではなくて?
貴方の音は繊細で詩的で、そこが評価されていた筈。それがこんな……
ええ、わたくしは好きよ。リストの曲を弾く時ほど、魂を揺さぶられる事もなければエクスタシーを得られる事もない。
ええ! ええ! とても楽しみですわ!
美しい「ラ・カンパネラ」で締めくくる今夜のリサイタル……最高ですわ!
まさか貴方。今夜のリストはすべてわたくしのために?
- 87 :佐井 浅香 :2017/12/06(水) 00:32:50.56 ID:kMQLPFJG.net
- 彼のピアノを生で聴いて、あたしはとにかく圧倒されてた。
高低差の激しい和音の連続、「弾く」というよりは「叩きつける」と表現すべき……一種暴力的な重い旋律。
……なんて……なんて指を酷使する曲かしら!
作曲したリストは、奏者が腱鞘炎になればいいと思ってたんだわ!
弾く方も弾く方で……
ピアニストって凄いのね。これだけの音量、どうやって? 指の力だけでこんな音が? スピード? バネ? 体重移動?
あーあ。もっと左寄りの席だったら良かったわ。ここからじゃ身体の動きが良く見えないもの。
- 88 :佐井 浅香 :2017/12/06(水) 00:33:34.39 ID:kMQLPFJG.net
- ため息をつくあたしの横で、桜子さんがぎゅっと手を組み合わせて震えているのが見えた。
……桜子さん。怖い顔して熱心に聴いてるけど……実際どんな気持ちなのかしら。
嫉妬かしら。ライバルって言われてるから……そうよね。嫉妬よね。純粋に感動してるって事はないわよね。
あたしも……ごめん。圧倒はされても感動までは出来ないわ。
ショパンなら有名なフレーズも多いし、楽しく聴けると思うの。でも――リストって聴いたことないから――だから……
もしかしてこんな客、あたしだけ? みんな本当に楽しんで聴いてる?
このプログラムだって……気取りすぎじゃない?
1 Etudes d'execution transcendante S.139/R.2b No.4 Mazeppa
2 St.Francios de Paule marchant sur les flots 〜Legendes S.175/R.17
・(中略)
8 La Campanella 〜Grandes etudes de Paganini S.141/R.3b
そう。曲目を全部イタリア語で表記しちゃったりして。
F. Liszt(フランツ リスト)以外、全然ピンと来ないじゃない。
刻一刻と過ぎる時間。進むプログラム。
あたしにはとても長い時間。欠伸を噛み殺すのが精いっぱい。ただ椅子に座るのがこんなにつらいなんて。
カチッ……!
――えっ!?
軽い金属音があたしの目を覚まさせた。てっきり銃のセイフティレバーを外した音かと勘違いしたあたし。
咄嗟に桜子さんをかばうようにして音の主――後ろに立つ客を見上げた。
そんなあたしに、当の彼も驚いたらしい。
「すみません」
と小さく謝り、軽く頭を下げる。
その顔に見覚えがあった。たしかそう……さっき当日券を破格で出すと宣言していた男だ。
背が高く、着なれたタキシードの似合う……ちょっと柏木さんを思わせる風格の初老の男。もしかして劇場の支配人かしら?
ごめんなさい。きっと指輪かカフスがシートの背に当たった音ね?
はあ……先入観ってば恐ろし……
「お集まりの皆さま! いよいよ最終曲となりました。リストと言えばこの曲、そう、ラ・カンパネラ!」
やおら張り上げられた若い男の声。見れば舞台中央に麻生結弦がマイク片手に立っていた。
ちょっと驚き。ピアニストって、ただ鍵盤だけ叩いてるものかと思ってたから。
二コリと笑い、麻生が続ける。
「実はここでサプライズを用意しました。皆さま、お気づきですね? S席の彼女に!」
ザワつく観衆。
その声に答えるように、席を立った白いドレスの女性。ああ、あの桜子さんばりの派手なドレスの人だわ。いったい誰なの?
「この曲は是非彼女に演奏して頂きたいと思うのですが……如何でしょう? 水原桜子先生?」
え? ――えぇ!?
あたしは天地がひっくり返った心地だった。
だってだって、麻生が言葉をかけたその人が――優雅にほほ笑んで頷いたその人が、確かに桜子さん本人だったから!
- 89 :麻生 結弦 :2017/12/08(金) 06:50:05.62 ID:cOc/IEIN.net
- プログラム7番――タランテラを弾き終えた時、高揚は頂点に達していた。
あえて休憩を入れずに一息に弾ききったリスト難曲。
どう? 桜子。
君と最後に遭ったのは両家の葬列が済んで……二人でノクターンを連弾した時だったね。
僕も、そして君も両親の死を受け入れられなくて……でもピアノの音は物凄く悲しくて。
弾き終わった時、君はポツリと言った。
『あの子を、秋子を幸せにしてあげて』と。
『僕が好きなのは秋子じゃない。僕は君と結婚したい』
ずっと閉じたままだった瞼を開けた。
白い光が目の奥の飛び込んで矢のように突き刺さり……思わず手で眼を覆った。
押し寄せる疲労感。
思った以上に……辛い。そうだよ、とっくに限界は超えてた。
腕も肩も、石になったように重い。今更に身体から噴き出す汗。恐るべし……リスト。
ドーバー海峡を泳いで渡った気分。最終曲を弾く気力も体力も残ってない。でもいいんだ。これで。
椅子の背を掴んで腰をあげ、舞台袖に合図を送る。係員がマイクを手に走ってくる。
受け取ったマイクをONにして、指先で軽く叩く。うん、いい感じ。
常連客が「いつものが始まったか」みたいな期待の目を向けてきた。ザワついてた場内が静まり返る。
そう。曲が終わるたびにコメントを入れるのが僕のいつのもスタイルだからね。
作者が曲に込めた意味とか、逸話とか。僕なりの解釈とか苦労話とか。そういうの、喜んでくれるお客多いから。
でもごめん。今日はそういうの、一切なしだ。
「お集まりの皆さま! いよいよ最終曲となりました。リストと言えばこの曲、そう、ラ・カンパネラ!」
拍手が起きる。行儀悪く、指笛を鳴らす人も居る。今夜の客はやたらとノリがいい。
「実はここでサプライズを用意しました。皆さま、お気づきですね? S席の彼女に!」
どよめきが起こる。何事かと身を乗り出す客も居る。両脇のハンター達がピクリと反応する。
桜子は――黙って僕の顔を見つめている。
「この曲は是非彼女に演奏して頂きたいと思うのですが……如何でしょう? 水原桜子先生?」
客席から「うそ!?」とか、「マジ!? すごっ!」なんて驚く声が次々にあがる。
彼女はしばらく座ったまま大きな眼を見開いて……なんと答えようかと迷ってるようだった。
あの時の君も迷っていたね。
血を吐く思い思いで綴った僕の言葉に――君は黙ったまま……そして部屋を出て行った。
以来ずっと音沙汰なし。今日こそ聞かせて、いや「聴かせて」もらうよ。君の答えを。
やがてそっと微笑んだ彼女。ゆっくりと、優雅に首を縦に振る。
――嬉しいよ。YESでもNOでもいい。君は「答えてくれる」気になった。そうだね?
彼女をエスコートしようと、舞台中央のステップを降りる。
立ち上がり、歩を進める彼女の手を取って舞台へと誘(いざな)う。
片手でドレスの裾をつまみ上げ、ステップに足を乗せ……舞台上にあがった、その時だった。
「ダメよ!!」
制止の声。高いキーの、良く通る女の声だ。見ると最後列の右端に、白い人影が立っている。
純白のドレス、肩まで伸ばしたキャメルブラウンの髪。
「……桜……子?」
いやしかし隣には……
だが気付いてしまった。僕の手に添えられた……手の爪に。緋色に塗られたその爪の先がとても「長い」ことに。
「君は……誰?」
にやりと口元を歪めた女が、いきなり僕の手首を掴んで後ろ手に捩り上げた。
そのまま抵抗する間もなく脚を払われ、舞台に膝をつく。女の力とは思えない力とスピード。
きつく首を絞め上げる女の手にナイフが握られているのを見た時、初めて客の一人が甲高い悲鳴を上げた。
- 90 :水原 桜子 :2017/12/10(日) 08:09:09.95 ID:n4QqpejC.net
- Tarantella――タランテラ
毒蜘蛛に噛まれ、注ぎ込まれた毒を出さんと死ぬまで踊り狂う――云わば狂気を孕んだ舞曲。
超絶技巧に並ぶ超絶技巧、自分のすべて惜しまず出しきるリストを象徴するかの曲。
客はあなたのピアノを見てどう感じたかしら?
ハイネがピアノを弾くリストを見てこう表現したと言うわ。
『あまりにも深い情熱の為に我を忘れ、象牙の鍵盤の上で猛り狂う。
一面には甘い花々の香りが満ち、野生の荒々しさが木霊となって響き渡る。
うっとりとした心地良さと苦悩が同時に訪れる。
私はリストを愛しているにもかかわらず、私の魂は彼の音楽によって癒されることはない』
- 91 :水原 桜子 :2017/12/10(日) 08:21:31.66 ID:n4QqpejC.net
- わたくしも、そして場に居合わせた誰もが――微かな疑問を抱いている。
技巧と迫力を嫌というほど見せつけた今夜の麻生が、何を伝え何を与えたかったのか。
多くの人間が抱えるであろう癒されぬ魂は、癒されぬままなのか。
でも最後の曲を聴いて納得するでしょうね。
今までの7曲はむしろこの為にあったとさえ思うことでしょう。
La Campanellaは鐘の音(ね)を模した曲。
美しく響く高いベルの音が、この一帯に籠もる熱気を――抑え切れぬ興奮と悪魔の狂気を消し去ってくれる事でしょう。
聴かせて結弦。
哀しくも美しい――弔いの音楽を。
- 92 :水原 桜子 :2017/12/10(日) 08:22:09.56 ID:n4QqpejC.net
- しかし最終曲を残し、両の目を手で覆った彼。
ちょっと尋常ではない彼の様子から……わたくしは解ってしまった。彼が限界を超えてしまったことを。
そんな結弦はマイク片手に、あえて明るい声を客席に響かせる。
「お集まりの皆さま! いよいよ最終曲となりました。リストと言えばこの曲、そう、ラ・カンパネラ!」
駄目よ結弦。退院したあの時、お医者様に言われたでしょう?
傷ついた神経は元には戻らない、長時間の運動は無理だと。
一定間以上の心拍と血圧の上昇はもう片方の目にも影響を与える危険すらあると。
カンパネラは決して荒々しい難曲ではないけど、とても神経を使う曲よ。
鐘の音を模した右パート、その激しい高低差の中で、高音の主旋律を美しく奏でる必要がある。
時に主旋律を共に奏でる左パートは強すぎず、かつ早い連打は主題を殺さぬマイルドな音を要求される。
云わば些細な気の緩みがすべてを台無しにしてしまう――誤魔化しの一切きかない曲よ。
いつものあなたならいざ知らず、今のあなたは――
「実はここでサプライズを用意しました。皆さま、お気づきですね? S席の彼女に!」
――え?
「この曲は是非彼女に演奏して頂きたいと思うのですが……如何でしょう? 水原桜子先生?」
――は?
――ちょ……ちょっと、何よそれ!! 何も聞いてないわよ結弦!!!
ははあ……どうやらあなたを見くびっていたようね?
おかしいと思ったわ。
自分の限界を知ってるはずのあなたが、何故こんな無茶をしたのか。
でも反則ですわ! そんなサプライズ、わたくしに取ってはドッキリ以外の何物でもありませんわ!
でもまあ……いいわ。客を楽しませる、プレゼン上手のあなたらしいわ。
受けて立って差し上げますわ。こんな席をSなんておっしゃる、あなたの皮肉に答えてみせますわ!
でも、彼の相手は他に居たのだ。本当のS席に、別の「水原桜子」が。
麻生の手でエスコートされ、舞台上へといざなわれた女は、まるで自分に生き写しだった。
ヴァンパイアとなってからというもの、鏡に映らなかった自分自身があそこに居る。
「嘘……」
だがすぐに気付いた。背格好は同じでも、中身は全く違うもう一人の自分。
あの日以来、男という生き物を一切拒絶し、心を閉ざしてしまった――たった一人の妹。
「……秋子。あなたも……結弦に呼ばれていたの?」
しかしそれにしては妙だ。結弦は彼女を「桜子先生」と呼んでいたのだから。
- 93 :水原 桜子 :2017/12/10(日) 08:26:58.62 ID:n4QqpejC.net
- 彼は秋子をこの自分だと思い込んでいる。
何故なら、彼が間違いなくS席に彼女を招待したから。
ならばこのチケットは一体誰が――? 何者があの子――秋子にS席のチケットを?
そして何故――何故あの子はわたくしの振りをしているの!?
白いドレスの裾が揺れる。ステップを擦る衣擦れの音が止む。
――ザワリ………!!
感じた殺気は両脇の立ち見客からのものだった。
浅香が危惧するとおり、彼らは普通の客ではない。その佇まいと匂いで感づいていた。
銀の十字架を背負うハンター支援団。俗称ズィルバー・クロイツ。
今の今まで動かずにいたのは、おそらく決めあぐねていたのだろう。どちらが本物の水原桜子なのかを。
だが今――
――秋子……! あなた、もしかして……
あの日。
彼女が思いの丈を結弦にぶつけ、結弦は冷たくその手を払い……泣いて帰って来た秋子を私は抱きしめた。
男は誰も信じないと言い張る秋子を寝かしつけ、私は結弦の屋敷へ向かった。
あなたは云ったわね。
共に僕達の両親を送ろうと。
貴方のノクターンは……低音なのに、しっかりと芯が通った優しい音だった。
わたくしの主旋律をサポートし包み込む……その時感じたわ。ああ、この人が愛しているのは秋子ではなくこの私だって。
戦慄が走ったわ。
わたくしが愛しているのは彼の弾くピアノだけだったと思っていたから。
「結婚したいのは君だ」とその口からはっきり云われ、声が出なかった。
慌てて彼の手を振りほどいて、ピアノに掛けてあったコートを掴んで。彼はそれを止めようとした。
「あっ……!」
彼が呻いて右眼を押さえたけれど、無我夢中だったわたくしは急いで部屋を出た。
リムジンの運転席に座る柏木に合図を送り、家路に向かった車内で……ふと気がついた。
コートの袖口についた赤い染みに。袖ベルトの金具のピンが……べっとりと血で染まっていたことに。
結弦の右眼の視力は戻らない。
そう聞かされた時、わたくしは覚悟を決めた。
結弦はハンター。わたくしはその標的(まと)になる。結弦は自らの敵(かたき)を取る必要に迫られる、そう思ったから。
そんな私を知った秋子は家を出た。
やり直したい、そう秋子は言ったけど。本当はあの子、ずっと恨んでいたんじゃないかしら。
自分を振った結弦のこと。そして姉が人間を捨てたのは自分自身のせい。ならばいっそ――
舞台という晴れの舞台で、公衆の面前で、ヴァンパイア「水原桜子」はハンターに殺された。結弦はその巻き添えを食った。
そう知らしめるために、彼女はわたくしの振りを――
「ダメよ!!」
止めなければ!
そんなわたくしの声に結弦が気付いた。
眩しそうにこちらを見上げ……ふと彼女の手元に視線を落とす。彼の表情が変わる。
「君は……誰?」
気付くの……遅すぎるわ結弦。ほらごらんなさい。
すべての精力を使い果たした貴方だもの、女の力でも易々と組み伏せられる。
チャキっと武器を構える音。ハンター達が舞台に狙いをつけている。
流石に結弦に当たることを躊躇しているのか、まだ撃とうとはしない。
そんなハンター達の頭上をフワリと飛びこえる。
フフ……わたくし、ヴァンパイアですのよ? こんな動作は朝飯前……いいえ、ブレイクファーストの前の前ですわ!!
- 94 :佐井 浅香 :2017/12/11(月) 17:45:11.27 ID:fcD5XBd+.net
- あれは――桜子さん!? でも桜子さんはちゃんとここに……ええーー!?
「……秋子。あなたも……結弦に呼ばれていたの?」
桜子さんの呟く声が耳に届いて……あ……秋子、さん?
なあんだ、そうだったの! てっきり桜子さんのドッペルゲンガーを目撃しちゃったのかと思ったわ!
きっと一卵性の双子ね? 仕草も格好も桜子さんそっくりだもの!
ついでにちょっと安心。裕也に噛まれたって聞いてたけど、意外に元気そうじゃない?
足取りもしっかりしてるし、呆けてもいない。きっともの凄い意志の持ち主なのね?
今夜は桜子さんの身代わりになろうと駆けつけたに違いないわ!
でも凄くない? あの協会から逃げて来れたなんて……協力者でも居たのかしら?
なんて呑気に考えてたあたし。
桜子さんの攻撃を至近距離で喰らってしまった。
それは「声」
―――――――――「ダメよ!!」
これがほんとの音速攻撃! 痛ったあーい……耳が……耳があ……!
桜子さんってば、ピアノ線無しでもそんな攻撃が出来ちゃうの!?
まるで音の散弾銃を喰らったみたい!
そうね……名付けて、突発的高音域発声練習(ハイレベルボイス・イン・フルメタルジャケット)!
うーん我ながらナイスなネーミングセンス!!
散弾にフルメタルジャケットは使用しないとか細かい事は、このさい忘れて?
にしても大丈夫かしらあたしの鼓膜! ……ちゃんと……聞こえてる? あんもう……耳ん中がワンワンいってるう……
でも心配ご無用だった。
桜子さんの声に気付いた麻生がこっちを見て……そして秋子さんに誰何した声が、しっかりと聞こえたもの。
「君は誰?」って。
流石はコンサートホールの音響効果――って……あら? 麻生は秋子さんと面識ないのかしら?
こっちの桜子さんに気付いたんだから、もう一人は双子の妹(だか姉だか)って気付いても良さそうじゃない?
ってまあどうでもいっか。
正体がバレちゃった彼女。
いきなり悪の女幹部みたいな顔つきになっちゃって、さっさと麻生の腕をひねり上げてねじ伏せてしまった。
あらら……なんて鮮やかなお手並み。
身体能力の差なのか、単に体勢が悪いのか、麻生はじっと動かない。
遠目にも彼の米神に浮かんだ玉の汗がライトに照らされてジリジリと光っているのが見えた。
彼女の手に握られた銀のナイフが、強いスポットライトの光をあちらこちらへ照り返す。
それを見て我に返ったのだろう。
一人が上げた鋭い悲鳴を皮切りに、会場全体があっと言う間に恐慌に陥った。
今まで立ち見客に徹していたの協会の連中が銃を構え始める。でも、それを見た客席の客がさらに騒いで……
あはは……すっごい大混乱。
流石に、撃てないわよねえ。ヘタすりゃ何の関係もないお客様に当たっちゃうもの。
秋子さん!
とっととやっちゃって!
あたしは桜子さんを連れてとっとと逃げるから!
柏木さん! あなたが言ってた、「救う」ってこういう事よね?
桜子さん! 早く行きましょう!!
でもあたしの思うようにはならなかった。桜子さんが座っていた筈の席――T37に彼女の姿が無かったから。
咄嗟に見上げたあたしの目に映ったのは、鮮やかに宙を舞う桜子さんの姿。
白い蝶のようにはためくドレスの袖に裾。
ささささ桜子さん!!? す……すごい! 飛んでる!
でもあの――どういうつもり!!?
桜子さーーーーん!!! パンツが! シャルタントーマスのパンツが丸見えよーーーー!!!
- 95 :佐井 浅香 :2017/12/11(月) 17:46:03.36 ID:fcD5XBd+.net
- そんな桜子さんに、意外と客達は気付かない。
我先にと出口に向かう人がほとんどで。舞台上から眼が離せないまま座り込む人達もちらほらと居たりして。
「皆さま! お静まりを! 落ち着いて下さい! 係員の指示に従ってください!」
さっきの支配人風の男性が急ぐ人をなだめているけど、あまり効果は無いみたい。
だって、5、600人は居るもの。
それが一度に出口に殺到したからもう大変。転倒するやら将棋倒しになるやらで……何だかこっちの方が怪我人多そう。
おまけに協会の奴らが両脇塞いじゃってるでしょ? 銃口を桜子さんに向けるのに精一杯で、他の客を見ようともしないの。
あたし、ちょっとムカっと来た。
「ちょっと! ハントよりお客の誘導優先したら!!?」
- 96 :佐井 浅香 :2017/12/11(月) 17:49:40.73 ID:fcD5XBd+.net
- そうしたら、協会連中がハッとした顔であたしの方を向いて。
そそくさと、ほんとに救護活動にあたり始めた。
なんだ、意外に素直で可愛いじゃない……って、そうよね。あいつら、悪の組織って訳じゃないものね。
人間を守るのが奴らの信条だもの。
そう。奴らが桜子さんヴァンパイアを狙うのは、「人間を守るため」。
そこでふと考えてしまった。じゃああたしは何? って思ったの。
あたしは仕事が好き。
手当をすると、患者は喜んでくれる。お金をくれる。裏の住人は特に「はずんで」くれる。
うわお! あたしってばお金持ち!
でも……別に綺麗な服を着たいとは思わない。ジャガーやフェラーリ乗り回したいとも思わない。
美味しいお食事にも執着はない。薬が買えて、新しい医療器具が手に入ればそれでいい。
あたしは仕事が好き。治療する行為が好き。
傷が綺麗に治った時、人は言うわ。センセイ、腕がいいね! 次も頼むよ?
死の床に居た筈の老人は言う。ワシがもう30歳若ければ、センセイにポロポーズしたんじゃが。
いつもワクチンを受けにくる少年は言う。センセイのおかげで僕、お注射ぜんぜん平気になったよ!
あたし、医者……よね。人間の傷を治すのが仕事。
でもあたし、人を殺した。
あの時……エタノールの瓶を投げつけた男は……たぶん死んだわ。ニシナって言ったっけ?
ずっと――夢中でヴァンプって存在を追っかけてるあたしたけど、何か……違わない?
ヴァンパイアになりたいのは、好きなお仕事をずっと続けたいから。
その為なら何でもする。出来る。
……何でも?
殺人……でも……?
「秋子。その手を……お離しなさい」
舞台の方から桜子さんの優しい声がした。
麻生と秋子さんから少しだけ距離を置いて降り立った彼女が、「人間の眼」で秋子さんを見つめていた。
桜子さん、秋子さんを止める気?
でもどうして? 桜子さんは麻生を助けたいの? そもそも何故あなたは――ここに来たの?
あたしの思考はそこで止まった。
誰かに強く腕を掴まれたから。
協会連中だと思ったあたしは問答無用で攻撃 (股間に蹴りを一発!)しようとしたけど、その前に壁に押し付けられてしまった。
「何すんのよ! 離して!!」
って言ってみたけど、聞くわけないわよね。
即ハンカチで口を塞がれて……ああ、セボフルラン(全身麻酔剤の一つ)の匂いだわあなんて思ったら意識がなくなって……
気がついたら床に転がってた。
客の喧騒がすぐ近くで聞こえる。差し込む照明の光。え? ここって……舞台袖?
「手荒な事をして申し訳ありません」
支配人はあたしの横に膝をついて座ってた。
「あなたはいったい――」
彼は唇に一本だけ立てた指を押し当ててあたしを黙らせると、自分の顔をむんずと掴んだ。
なんとその顔はマスク。
そう、映画のメーキャップみたいなペラペラのマスク。
それを剥ぎ取り素顔を見せた男は、なんとバトラー柏木その人だった。
- 97 :麻生 結弦 :2017/12/13(水) 05:40:31.42 ID:pHFTYPnL.net
- 騒然となったホールの上を、彼女は「飛んで」いた。
跳ぶでなく、飛ぶ。
人間技ではない。まるで白い綿毛が風に舞うように空を蹴る白いドレスの女。
半年前、確かにその姿をピアノの響板に映していた君が……――まさか! 本当に!?
桜子、君は本当に――ヴァンパイアになってしまったのか!!?
「水原桜子はヴァンパイアである可能性がある。しかも幹部だ」
なんて言われた時はまさかと思ったけど、でも……そうか。そうなんだ。
君のピアノは両親の死だけで変えられるような音じゃない。
何かを呪ったり、恨んだり、哀しんだり、それだけで出せるような音じゃない。
まるで悪魔的な魅惑を秘めた超常の音。人間を超えたヴァンパイアだからこそ出せる音。僕には決して――
- 98 :麻生 結弦 :2017/12/13(水) 06:24:55.33 ID:pHFTYPnL.net
- ふと香ったシャネルの5番。
自分の首に巻きつく腕、押し付けられた身体から微かに立ち昇る香水の香り。
そうか、君も誰なのか、たったいま解ったよ。そのシャネル、僕が贈ったものだもの。
局長も人が悪くないですか? 秋子を寄越すなら寄越すって言ってくれたら、ちょっとはマシな対応が取れたのに。
でもおかしいな。サーヴァントはマスター――噛んだ本人の言う事しか効かない筈だよね。
佐伯は死んだはず。いったい誰の命令で? それとも……僕への恨みがよっぽど強い、とか?
……だね。
殺されても文句は言えない……よね。
あの時、自分の気持ちを正直に打ち明けたから。
「3か月だ」って聞いた時は驚いて……正直迷ったけど……けどどうしても駄目なんだ。
僕には桜子しか見えない。これだけは曲げられないんだ。
フワリと生温かい風が頬に当たる。見ると本物の桜子がピアノの向こう側に立っていた。
「秋子。その手を……お離しなさい」
「姉さん……ダメよ……逃げて!!」
ゆっくりと桜子が近づく。一歩、また一歩。
「来ないで!!」
僕の首を絞める腕が小刻みに震えている。
「馬鹿な子。こんな私の為に……死ぬつもり?」
艶やかな響板に指を滑らせ、桜子が呟く。その黒い肌に彼女の姿は映っていない。
椅子と鍵盤を照らしているスポットライト。
その光の中に身を投じた白いドレスが眩しくて眼を焼いたけど、でもその動作から眼を離せない。
Steinwayの刻印や、白と黒の鍵盤をいとおしそうに撫でる白い指に。
そんな彼女の左手がオクターブを奏でるポジションを取る。
ふたつの指が二本の黒鍵に添えられる。
「姉さん……やめて……!!」
硬く芯の通った和音がホール一杯に響き渡った。
どこまでも澄みきったその音はE(ピアノのミ)フラット。なるほど、ラ・カンパネラの出だしの音だ。
騒いでいた客達、出口付近にかたまっていた客達が、ぼんやりした緩慢な動作で動き始めた。今まで着いていた――自分の席へ。
ハンター協会の面々までが、同じ動きで立ち席に戻っていく。
それはまるで軍隊のような統率された動きだった。
ぞっとした。ヴァンパイアはその個体によって特殊な能力を持つ。
何らかの手段を以て人間を操る――操舵の力もそのうちの一つ。
ある者は眼を合わせることでその力を発揮すると言う。
桜子は……ピアノの音を聴かせることで、人間を操れると言うのか……!?
うっとりと舞台を見つめたまま人形のように動かない客達。
協会連中までが、両腕を下げたままぼんやりと桜子を見ている。
これだけの人数を一度に? なんと恐ろしい能力だろう。幹部になれる筈だよ。
「諦めなさい秋子。奴らの気力はたったいま殺いだ。もう銃は撃てない。あなたを狙う事も」
震えていた秋子の腕がゆっくりと解かれる。
僕は彼女を刺激しないよう……慎重な動作で彼女らから距離を取った。
名残惜しげに僕を見た秋子が、手に持つナイフの刃を自らの喉に当て――
「よせっ!」「およしなさい!」
桜子の方が速かった。瞬時に秋子の後ろに移動し、ナイフを叩き落とす。
「ごめんなさい……姉さん……」ふらりと桜子にもたれかかり、眼を閉じる秋子。
「……秋子?」
彼女の声に戸惑いの色が滲む。
「秋子、まさかあなた!?」
解かれた桜色のスカーフの下に、くっきりと残る醜い傷跡。吸血の徴。しばらくの沈黙。
「……知っていたの? 結弦?」
彼女の瞳がその色を変えていく。黒から茶色、そして金を経――真紅へと。
- 99 :水原 桜子 :2017/12/18(月) 06:43:35.08 ID:EBu1memU.net
- 足先で触れた木製の舞台が、この身を硬く受け止める。
一瞬間だけ、ホール全体が静まり返る。怨みの籠もる喧騒の余韻がホールを満たす。
結弦の首に腕を回したままの秋子。額に脂汗を滲ませたままの結弦。
二人ともこちらを凝視したまま。
結弦が身じろぎする度に、タキシードとドレスが衣擦れの音をたてる。
――秋子?いったい何があなたを動かしたというの? どこにそんな力が秘められていたというの?
曲がりなりにも、結弦は男。私と同じ、細く小柄な……その身体で……よくもまあ……
振り上げられたまま静止しているナイフの刃先が小刻みに震えている。
まさか私が来るなんて思っていなかったのでしょうね?
「秋子。その手を……お離しなさい」
「姉さん……ダメよ……逃げて!!」
いいわ。
あなたがS席のチケットをどうやって手に入れたのか、今は聞かないわ。
前に……足を踏み出す。
まるでわたくしから二人を庇うように……立ち塞がるグランドピアノ。
円錐型のスポットライトに浮かび上がる黒い体躯。
天蓋から覗く、230本余りの硬鋼鉄の線。
弦に止められた銀のチューニングピンの鋭い煌めき、燻した光沢を放つ金属のフレーム。
果たしてグランドピアノを超える楽器がこの世にあるだろうか。
なんという精巧さ。
なんという重量感、存在感。
そして温かい。
優美なカーブを描く漆黒の側板も……一見して冷たいけれど……でも確かな木の温もりを宿している。
優しく指先を受け止めるこの象牙の鍵盤も。
「来ないで!!」
「馬鹿な子。こんな私の為に……死ぬつもり?」
どよめきに混じる悲鳴。我に帰った客達が、再び扉へと動き出す。
騒ぎに乗じ、こちらに銃を向ける男達が数人。
――させないわ!!
鍵盤に置いた左手。親指と中指をD(ピアノのレ)シャープのオクターブに添える。
「姉さん……やめて……!!」
指先に向けたすべての意識を――その先のイメージへとつなげていく。
鍵(キー)が跳ねあげたハンマーが下から弦を突き、その振動が響板にて増幅され、やがてこのホール全体を震撼させる。
意識のあるすべての「人間」に我が操舵の効果が期待できる。
貴方がたに、それを防ぐ術(すべ)があるかしら?
さあ、しっかりお聴きなさい。
たったいまから、わたくしが貴方がたのマスターですのよ?
- 100 :水原 桜子 :2017/12/18(月) 06:51:08.48 ID:EBu1memU.net
- さすがはコンサートホールの音響効果ね。
多少の喧騒などお構いなしだわ。
そう、怖いことは何もない。落ち着いて……自分の席にお戻りなさい。
武器を持つものは懐深くに隠しなさいな。ここは音楽を楽しむ場。銃など……野暮の極みですわ。
そうよ。あなた方は帰さない。リタイタルはこれからが本番。
さあ秋子、あなたも。
結弦を解放なさい。
敵を討つのはわたくし。裏切られたあなたの思いと、生まれていた筈の命の敵は……必ず。
……どうしたの?
何故離さないの?
「音」はその耳に届いているのでしょう? まさか……あなた……
「諦めなさい秋子。奴らの気力は殺いだ。もう銃は撃てない。あなたを狙う事も」
一縷の望みをかけ紡いだ言葉に、はじめて秋子が反応した。
拘束を解かれた結弦が彼女から数メートル離れた場所へと移動し、それを確認した秋子が何をしたか。
彼女の行動は、わたくしの意図――秋子を助けたいという思いとはまったくの逆。
「よせっ!」「およしなさい!」
何故秋子に我が能力が通じなかったのか。
「ごめんなさい……姉さん……」
ぐったりももたれ掛かる妹の、スカーフの下に隠された醜い傷跡。
それは吸血鬼に噛まれて間も無い証。吸血鬼化せず、死にも至らず、あの世との境を彷徨っている証。
そういうことだったの!
さっきの体術も、怪力も、確かにサーヴァントならではのもの!
ならば一体誰が……いったい何者が……あなたを手にかけたというの!?
秋子の傷を目の当たりにした結弦はさほど驚いていない。いやむしろ――
「……知っていたの? 結弦?」
明らかに知っていた眼だ。
ハンターである彼のこと、協会から得られる情報は少なくあるまい。
彼は秋子が噛まれたことを知り、その上でリサイタルを決行したことになる。
如何なるつもりでこの自分を招いたのかは知るよしもないが、まずは秋子への対処が先ではなかったか?
過去秋子にどんな仕打ちをしたか、どんな責任があるか、考えもしなかったというのか?
絶望と怒り。
二つの感情が、この身体をヴァンパイアのそれに変えていく。
赤く染まる視界。
引き裂きたい。屠りたい。啜りたい。そんな衝動。自身の力では決して抑えられぬ吸血鬼の性。
――思い知らせてさしあげますわ! 人間の更なる進化体――我等ヴァンパイアの力を!
- 101 :佐井 浅香 :2017/12/21(木) 19:32:16.88 ID:R17nyNCQ.net
- 「柏木……さん! いったい――」
『シッ……! 訳は後々。ここなら安全です。お譲さま方を……お願いします』
柏木さんの肩越しに、ピアノの前に立ってる桜子さんが見えて――
その桜子さんの手が二つの音を奏でた。何の音かは解らないけど、オクターブだってのは解るけど……
なんだろう。この音。何だかずうっっと聴いていたいような、そんな音。
思わず眼を閉じて……そしたら深〜い湖のほとりに立ってる自分がいて……わあ……冬の摩周湖ってこんなかしら?
灰色の空。突き刺さる空気。波ひとつ立たない水面。ぞっとするほど透明な……どこまでも深い……水の底。
どうしよう。湖に入りたくて仕方がない。あの深い水の底に――帰らなきゃ。
足先が冷たい水に触れる。半円の孤を描き、広がっていく波紋。
――浅香さま!!!
肩を強く掴まれて我に返る。
「え?」
ぞろぞろと人が移動しているのが見えた。
出口に殺到していたはずの人達だ。黙って……人形みたいな生気のない眼で席についている。
「あそっか。桜子さん、弦の音で人を操れるんだっけ」
「そうです。聴いたものすべての自我を奪い、操る力。しかもお嬢様は自在にその対象を選択可能です」
「自在に? つまりターゲットを選べる? でもあたし今――」
柏木さんが少し困った顔をする。
「……余波、でしょう。油断は禁物です」
彼がさらに口を開こうとした、その時。
「よせっ!」「およしなさい!」
麻生と桜子さんのするどい声がして、見ると――ええ!!? 秋子さんが自分の喉に――ナイフを――!
――――――キン!!
あたしが声を上げる前に、ナイフは叩き落されていた。
桜子さんすっごい! 早い! 瞬間移動みたい!
「ごめんなさい……姉さん……」
桜子さんを見上げていた秋子さんが、眼を閉じてぐったりとなって……
しっかりと秋子さんを抱きとめた桜子さんの顔は、とてもヴァンパイアの顔とは思えない……悲痛な顔。妹を気遣う人間の顔。
でも……その眼が、秋子さんの首の傷を見たとたんに豹変した。
あの時――クロイツの連中を撃退した時と同じ、血よりも赤いヴァンパイアの眼に。
そうよね。あたし、柏木さんにしか秋子さんのこと教えなかったもの。
ショックを受けて当然だし、怒って当然。ごめんね桜子さん。やったのは裕也なの。
でもその裕也は死んじゃった。ハンターの放った銀の弾丸を受けて。……ごめんなさい。
すっかりヴァンパイアのそれに変わってしまった桜子さんがダッシュをかけた。麻生に向かい、突きだされる右手。
麻生も負けてない。
紙一重でかわしステップを踏んで距離を取り。
再び突進する桜子さん。そんな攻防が幾度となく繰り返されて。
そしてついに――横っ跳びに飛んた麻生の左手がタキシードの裾を跳ねあげ……
――――――パン!!
意外に軽く響いた銃声。
「ぐっ……!」
後退した桜子さんが左肩を押さえる。ほとばしる鮮血。見開かれた眼、悔しそうに歪む唇。
見る間に止まる出血。裂けたドレスの袖から覗く、白い綺麗な肌。
麻生は麻生で肩で大きく息を吐きながら、片膝をついている。あちこち裂けたタキシード。頬や口元には細かい裂傷。
二人の戦いは……何故か他を寄せ付けない何かを孕んでたけど、でもあたしは約束した。桜子さんを守るって。
そっと舞台袖から飛び出した。
麻生の背中に銃口を向け、左眼を閉じて狙いをつける。素人のあたしが狙えるチャンスはたぶん、今しかない。
迷わずトリガーを引き絞った。
- 102 :創る名無しに見る名無し:2017/12/27(水) 09:17:39.33 ID:C1Z7QFDy.net
- 家で不労所得的に稼げる方法など
参考までに、
⇒ 『武藤のムロイエウレ』 というHPで見ることができるらしいです。
グーグル検索⇒『武藤のムロイエウレ』"
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- 103 : :2018/01/07(日) 08:58:57.02 ID:3oW/snM0.net
- 明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます
- 104 :麻生 結弦 :2018/01/07(日) 08:59:34.90 ID:3oW/snM0.net
- 全身が総毛立つ。
真紅に染まる桜子の二つの瞳。我を忘れたヴァンパイアが、己の本性に従うときの眼。
あの薄暗い地下室で、初めてあの眼に射竦められたのは中等部に上がってまもなくの時。
四角い、ただ広いだけの地下室はカビと血の匂いがした。
打ちっ放しの汚れた壁。天井の数か所に穿たれた丸いオレンジの照明。
部屋の隅にぼんやりと照らし出された……一体の人影。
『銀弾で弱らせてはいるが、油断するな。手負いの獣の恐ろしさは知っているだろう?』
無線越しの父親の声は、いつにない緊張をはらんでいる。
微かに鳴る880 Hz――ピッチA(アー)の電子音。それに続く金属音。
手足を拘束していた銀の電子錠を外された男が、ゆらりっと立ち上がる。
開いた傷から溢れ出した血液が、黒く汚れた床に新たな染みを作り出す。
やせ細ったむき出しの肩や手足が戦慄く。所々に張り付いた臙脂の布は、もとは衣服だろうか。
容貌は決して若くなく、逞しい体格という訳でもなく、何も持たぬ腕をただ無造作に下げている。
決して脅威ではない。それがただの人間であれば、だが。
「久々の餌……か」
食い入るようにこちらを見つめていた男がポツリと呟き、その眼が血に染まったと思った瞬間、
彼が眼の前に居た。
『――何をしている! 動け!!』
竦んでいた足が、身体が、その言葉に反応した。
『眼を逸らすな! 冷静に! 奴の軌道を読め!』
『呑まれてはダメ! 自分のすべてを解放なさい!』
――父さん!
――母さん!
左足を軸にして右に半回転。眉間のすぐ先の空を切る敵の手刀。鋭い擦過音。切られ、舞い散る前髪。
空を薙いだ桜子の右手はしかし、ありえぬタイミングでその軌道を変えた。
視界の狭い右側からの一閃。右頬に軽い衝撃。
当たってはいない。かろうじて身体を逸らせ避けていた。
すぐさま下方に転じた手刀の軌道を、右横に回転し受け流す。
押されている。息をつく暇はない。右眼窩にズキンと来た痛みに思わず顔をしかめ――
何故だろう、突きだされた右手が眼前で不意に止まった。
それは攻撃に転じられる一瞬の隙だった。
左に飛んで距離を取りつつ、銃を抜く。
僕の愛用はもっぱらこのベレッタNANO。女性にお薦めって言われる理由はこの手軽感と……フィット感だろうか。
尖りも出っ張りもないから、タキシードの裾に引っかかる事もなく素早く抜ける。
安全装置はグロック式(トリガー部で直接操作する)だから、慣れないと危ないけど。
引き金を引くイメージを、ピアノを弾いて音が出るイメージと重ねる。引くと弾くの違いだけ。
鍵盤はトリガーだ。それが伝える複雑な機構がハンマーに伝わり、一つの音を出す。
この銃の音(ピッチ)はこの通り、F(エフ)フラット。舞台上で響く反響音が耳を劈く。
狙い通り、弾は桜子の左肩を貫通した。
何故わざと急所を外したかは……決まってる。桜子の答えをまだ聞いてないから。
彼女だって本当は僕と話したいはずだ。秋子の事で思わずカッとなっただけで、本当は――
だよね。本当に彼女が僕を殺すつもりなら、とうに出来ていた。
さっき観客にしたように、僕の意思を奪えば良かったんだから。
ヴァンパイアの治癒力はいつ見ても凄まじい。
見る間に塞がる傷口。消える血の痕。裂けたドレスの間から覗く、目眩がするほど綺麗な肌。
眼に見開き、僕を凝視している桜子。
背中に殺気を感じたのは、彼女の眼が黒目勝ちに戻った時だった。
長年培われてきた反射神経をこの時ばかりは呪った。
下手に避けたりしなければ、弾丸は防弾着で受け止められた筈だった。この手に当たる事なんて無かったんだ。
- 105 :水原 桜子 :2018/01/09(火) 07:07:12.85 ID:we0Z62JF.net
- 熱い血潮が身体中を駆け巡る。
フレアと化した視界の中、結弦の姿だけが人型の黒点となって浮かび上がっている。
――死になさい!
勢いそのまま、伸ばした指先を彼の眉間めがけ突きだす。
人間の頭蓋など脆い。良く熟れた瓜のように割れ、弾けるだろう。素晴らしい感触に違いない。
が手ごたえは軽い。指先に感じたのはチラリと纏わる頭髪だけ。
――そう言えば貴方、ハンターだったわね。
知ってるわ。おじ様とおば様が夜な夜な貴方をあの部屋に閉じ込めて、鍛えていたこと。
「本物」を使った実践に近い訓練で、ヴァンパイアに対抗する手段と技を身に付けた。
でも、貴方も承知ですわよね?
ピアニストの腕や指先がどれほど鍛えられているかってこと。
それがヴァンパイアともなれば……どうなるか。
わたくしの本気の打鍵は、秒速15度打てるあのグランドピアノすら追いつけない。
軽く音速を超えるわたくしの腕の動き。読めて? かわせて? その左眼で――間合いを掴めて!?
反転する動きをそのまま振りかぶる右手に乗せ一閃。彼にとっては死角。
次こそはその米神を寸断するかと思われた右手が、またしても空を薙ぐ。
舞う血潮は微かに彼の右頬をほんの数ミリ掠めたもの。
――当たらない!?
すかさず軌道を下に向け、沈んだ敵に振りおろすがそれも無効。
如何なる方角から狙っても結果は同じ。彼の実体を捉えることが出来ない。
おかしいわ。まるで、掴もうとしても……フワリとすり抜ける小さな羽虫のよう。
どうやって死角からの攻撃を察知しているのかしら。
視覚に頼らず…………感じている?
きっとそうだわ。あの眼で軌道を完璧に読むのは不可能だもの。
こちらが速く動けば動くほど生じる微かな風圧さえも利用しているのかも知れないわ。あの羽虫のように。
だとしたらこの攻防は永遠に続くわ!
結弦は攻撃を去なすだけ。決してこちらの懐に入らない。
……大概のハンターはそうかもだわ。銃が得物ですもの。ヴァンパイア相手に格闘術を使える者は稀よね。
そして武闘、格闘の類を使えないのはわたくしも同じ。
わたくし、ピアニストですもの! ひたすらこうして腕を振るう攻撃を仕掛けるだけ!
わたくしだって知っている。対ハンター戦の心得、それは十分な間を与えぬこと。銃を使う暇を与えぬこと。
こうなれば持久戦だけど……不利なのはおそらくわたくし。
彼は必要最小限の動きで避けるだけ。対してわたくしは……移動と腕の一閃にかなりのエネルギーを消費する。
……血が欲しい。コクリと喉を鳴らすだけの量でいい。そうすれば……得られる。手を触れずに弦を弾く力を。
トンっと結弦の背がグランドピアノの響板に触れた。
迷わなかった。顔面目掛た渾身の突き――最初に放った突きと同じ突きを繰り出す。
――かわせる? かわせないでしょう? 貴方のすぐ後ろにはピアノがある。
予想通り、彼は動かなかった。この眼をじっと見つめ、棒立ちになったまま。
見開かれた彼の眼の異様さに驚いたわたくしは寸前で手を止めた。
彼の右眼が赤かったから。ヴァンパイアのそれかと思ったから。
でも違った。赤い眼はわたくし自身の眼。視力の無い白い右眼が、わたくしの赤い眼を映しただけ。
彼はチャンスを逃さなかった。
横に飛びつつ銃を抜く淀みない動き。左肩を突き抜ける弾丸の衝撃。舞台に響き渡る反響音はピッチE。
万事休す。
結弦は銃口を下げない。
……わたくしの負け、ね。……いいわ。止めをさして頂戴。
- 106 :水原 桜子 :2018/01/11(木) 06:52:33.37 ID:MWn8YyKF.net
- 熱かった肩の痛みが引いていく。それにつれて、赤く染まった視界も元の姿を取り戻していく。
白木で設えられたアイボリーの敷板。木目の美しいその床に点々と散る赤い飛沫。
中央を眩しく照らすスポットライトライト。
その光のカーテンを透かして見る場内はぼんやりと暗い。薄闇の中、整然と座した大勢の紳士、淑女たち。
彼らの時は止まっている。Dシャープオクターブの続きを――La Campanellaが奏でられるのを、ただ静かに待っている。
そうよ、すべての曲を聴き終え初めて呪縛は解ける。
だから結弦! お撃ちなさい! あの客達にあなたのリストをお聴かせなさい!
- 107 :水原 桜子 :2018/01/11(木) 06:53:39.30 ID:MWn8YyKF.net
- 結弦が微かに頷いたように見えた。まるでわたくしの声が聞こえたかのように。
銃口をこちらに向けたまま、ゆっくりと手をついて立ち上がった結弦。
しかし彼は――何か言いたそうに口元を緩め、そっと銃を降ろした。
どうしたの? 何故撃たないの?
貴方はハンターよ? ヴァンパイアを始末するのは貴方の義務ではなくて?
駄目よ、そんな顔をしては駄目。
撃てばわたくしは救われる。未来永劫続く筈だった、呪いの業から解き放たれる。
わたくしの命はここで終わらなければならない。
何故なら……貴方の両親を殺したのはわたくしだから。
わたくしは自分自身の意思でヴァンパイアになった。
秋子の為に身を引くとか、貴方の眼を傷つけた責任を取る、なんてのは自分自身に対する言い訳。
貴方、本当はバイオリニストだったでしょう?
そんな貴方が、何故か突然ピアノに転向して……見る間に上達した貴方はわたくしを超えた。
いくら練習しても、常に貴方が前に居た。
憎らしかった。
女に現を抜かせばいいと思い、秋子を焚きつけた。幼い頃から貴方に惹かれていた彼女の気持ちを知っていたから。
思惑通り、貴方は秋子に夢中になった。
でも……何てこと。貴方の音は寧ろ豊かになった。リサイタルを開く度に、世界中が絶賛した。
半年前のあの日。
両親共に祝賀会に呼ばれ、屋敷に行ったあの日。貴方は会場の客にせがまれてショパンを弾いたわね?
忘れないわ。
凛とした美しい「木枯らし」の哀しげな旋律。
明るく楽しげな「黒鍵」の華やかな主題。
胸を突いた。どちらも将来の成功を約束された音だった。
その傍でうっとりと聴いている秋子。秋子を客達に紹介しているおじ様とおば様が居て――
絶望したわ。死にたいと思った。だから周りの目を盗んで地下室に行ったの。
何故か鍵が開いていて、わたくしは中に入った。
「それ」は壁に繋がれていた。
「……餌……にしては、様子が変だな。誰だ?」
意外にも知性を感じる口調だった。
わたくしは心のうちをすっかり……正直に話した。彼は笑って言った。どうせ死ぬ気なら『仲間』になれと。
「人間をやめろと言うの? 呪われた……化け物に?」
「超えたい……のだろう?」
何という誘惑。頷いたわたくしを見た彼の……残酷な笑み。
「ならばこの手錠を外せ」
「外す? どうやって?」
「880Hzの音を出せばいい。『音楽家』なら簡単だろう?」
無論、容易いことだった。手足首に嵌められた電子錠が、同時に外れ、わたくしは抱きすくめられていた。
「事が済めば……俺を呼べ。お前の願いをきいてやる」
おそらく彼はその部屋を出た。
血を吸われる事も無く、気を失ったわたくしをその場に置いたまま。
- 108 :水原 桜子 :2018/01/11(木) 17:46:10.81 ID:MWn8YyKF.net
- 翌朝、目を覚ましたわたくしを見た秋子が叫んだ。
「良かった……! 姉さんまで死んでしまったら、私まで生きていけないわ!」
彼女は告げた。パーティーでの惨状を。ヴァンパイアと思われる個体が現れ、両親達を手にかけた様を。
「安心して! 結弦さんが無事よ! ただ右手に怪我をして……来週末のリサイタルに間に合いそうにないの」
言いながら胸のあたりを押さえる秋子の顔が、やたらと青ざめて見えた。
「秋子あなた……顔色が悪いわ」
「……だって……色々な事が……あり過ぎて……」
嗚咽を漏らし始めた秋子が、不意に椅子を蹴って立ち……手洗い用のシンクの前でせき込んで――
「あなた……まさか……?」
振り向いた秋子の顔で、すべてを悟った。彼女のお腹には結弦の子供が居る。
「いつ?」
「3か月よ」
「結弦は知っているの?」
「言えないわ。彼、結婚する気は無いって……」
「ダメよ。ちゃんと言って、想いを伝えなさい? お腹の子が可愛そうだわ」
秋子とわたくしは一卵性の双子。わたくしと同じ遺伝子を持つその子はわたくしの子。
それを……あなたは……
堕ろすと言って家を出た秋子のこと。生まれる事を否定されてしまったわたくしの……いえ、わたくし達の子。
双子で無ければ……わたくしさえ居なければこんな悲劇はなかった。
ありふれた幸せがあの子を待っている筈だったのに。
そんな憂いも忌わしい記憶も、人間をやめたその瞬間に吹き飛んだ。
哀しみや憐憫の情といった感情が、ヴァンパイアには無いの! 必要ない!
人間は家畜だもの。
貴方もそうでしょう? 牛や豚を、当然のように食べるでしょう?
それより何より、獲得したあらゆる感覚のすばらしかったこと!
聴覚も、自在に動く身体も! 指先も!
グランドピアノの潜在能力を真の意味で引き出せるのは、おそらくヴァンパイアだけね?
貴方の代理としてリサイタルで弾いたあの日。
曲目はすべて詩情豊かなショパンのエチュードだった。
感動したわ! 普段とは違う音に! 鈴のように鳴る弦の音に天の光を感じた!
その後、勢いに乗ったわたくしは、好きだったリストの演奏で、会場を沸かせるようになった。
多くの客が失神して、「悪魔の音」と記事になったことも。
ふふ……まるでリストその人が演奏した時みたいに……ね?
でもね、ある日気付いたの。
化け物は所詮化け物でしか無いことに。
血で喉を潤すその行為が我々の正体を暴く鍵となる。我々を狩るハンターは数を増す。
どうせいつかハンターにやられるなら、せめてあなたの手で。
そう思ってここに来たの。
秋子が来たのは予想外だったけれど、彼女がサーヴァントとなっていたなんて……いまだに信じられないけど……
何を躊躇うと言うの!? これがわたくしの本当の望みなの! 本当は――貴方の事がずっと――
- 109 :水原 桜子 :2018/01/11(木) 17:46:36.40 ID:MWn8YyKF.net
- 結弦が口を開きかけた、その時だった。
結弦の肩越しに、何者かが片膝を立て座っているのに気がついた。
浅香だ。両手で握る銃口を、結弦に向けている。
引き金に添えられた指が動く。結弦はいまだ気付かない。
「浅香……待っ……!」
――ターン……ンンンン……………
結弦の銃より低いピッチの銃声だった。
我々に取っては至近距離では無い、4間(約7m)向こうから向かい来る銃弾。
眼力の強い個体――佐伯のようなタイプなら、その軌道を把握し逃げる事が出来ただろう。
格闘を得手とする個体なら、素手で弾くなりしたかも知れない。
けれどわたくしは……
わたくしが幹部に据えられたのは、攻撃対象を広く取れるから。
大勢を一度に操る、その能力がコロニー全体の利益に繋がるから、ただそれだけの理由。
わたくしに出来た事はただひとつ。聴力で銃声の行方を追う事。
音はまっすぐに結弦の背中に向かった。
結弦は咄嗟に避けたけど、でも弾は振り返り様に遊んでいた左の手首に当たり、貫通した。
同時に跳ねあげられた拳銃が床に落ち、カラカラと回転しつつ浅香の方へと向かう。
弾頭は威力を落としたものの方向をほとんど変えず、こちらに向かい――この胸の真ん中に当たり動きを止めた。
わたくしはいい。通常弾など単なる異物。後で浅香に取ってもらえばいい。問題は結弦だ。
膝をついた結弦のもとへ駆け寄った。
ダラリと下げた左手頸から間歇泉のように血が吹き出している。
「――結弦!!!!」
こちらを見上げた彼が、苦痛に歪めていた顔を無理やりに緩ませ、笑ったように見えた。
「良かった。やっと話が……通じそうだ」
「何を言っているの!? 早く……血を止めないと……!」
ドレスの裾を破り、彼の手に巻こうとするが、溢れる血が邪魔でうまく行かない。
思った以上に傷は深い。
いくつもの白い骨が傷口から覗いている。その間から、腱とも肉ともつかぬ赤い筋がいくつも飛び出している。
出血が酷ければ彼は死ぬ。
いや、死なないまでも……2度とピアノは弾けなくなる。銃の引き金もだ。
だが彼は笑っている。
二つの道を同時に断たれ、おそらくそれを承知していながら、それでも――
「こんな時に……どうして笑えるの!? 何故さっき、外したりしたの!?」
「だって答えを……半年前の答えをまだ……聞いてないから」
「馬鹿! 今更何を言っているの!?」
わたくしは泣いていた。小さい時のように、泣きじゃくる自分。
ヴァンパイアになってから、忘れていた感情が何倍にもなって帰ってきて……自分でもどうしようもない。
いつの間にか浅香が駆け寄って来ていて、結弦の腕をさっさと手当てして――
その間、わたくしはただ泣いて座っていて……不意に目の前が暗くなった。
- 110 :佐井 浅香 :2018/01/11(木) 17:47:13.79 ID:MWn8YyKF.net
- ハンターって、ほんと凄いわあ!
背後から来た銃弾を咄嗟に避けちゃうんだもの!
でも運よく左手に当たったし、彼の銃も拾えたし、もうこっちのものよね!
麻生にもう一度狙いをつけた時だった。
「――結弦!!!!」
悲鳴に近い声で麻生の名前を叫んだ桜子さんが、麻生に駆け寄った。
ええっとぉ……え!? なんで!? どうして!?
豪華なドレスの裾をビリビリ引き裂いた桜子さん。何をするかと見ていたら、その布を彼の手首に巻き付け始めた。
なんか慌てて、危なっかしい手つき。すっごい取り乱して……何だかいつもの桜子さんじゃない。
気が強くて毅然としてて、高慢ちきでいけすかないあの桜子さんじゃ全然ない。
……意味解んない。
柏木さんが「救ってあげてね」なんて言ってこの銃を渡してくれたから、
助けるか、さもなくば麻生をやっつければいいかと思ってたのに……
「ねえ! あたし、どうすればいいの!?」
って舞台袖に声かけてみたけど、返事はない。もう! 柏木さんったらあたし置いてどっかに行っちゃった?
「こんな時に……どうして笑えるの!? 何故さっき、外したりしたの!?」
「だって答えを……半年前の答えをまだ……聞いてないから」
「馬鹿! 今更何を言っているの!?」
何だか修羅場的な舞台上。何よ。どういう事?。
とりあえず、撃たれる心配は無さそうなんで、彼らに駆け寄ってみる。
麻生の傷はどう見ても浅くは無い。
動脈切れて……複雑骨折もしちゃってる。あーあ、腱って繋ぐの難しいのよねぇ……。何本無事かなあ。
もうピアノは弾けないかも。我ながら気の毒なことしちゃったわ。
――あ! 駄目よ桜子さん!
そんなモップ並みに床の埃を拭き取りまくったドレスの裾なんかで……傷塞いだりしたら!
下手したら敗血症になっちゃうわ! 消毒消毒!
白衣の懐に携帯してある生理食塩水のパックと、イソジンスプレーと、清潔な包帯と、止血帯その他を取りだす。
あ、これは血液その他の水分をたっくさん吸い取ってくれるディスポーザブルのクリーンタオル。
ちょこちょこっとお掃除も出来ちゃう優れもの。
うーん……この軟膏傷口に入れちゃうと……手術の時に邪魔かなあ……洗うだけにしとこ。
……あ、ちょっと動かないで!
大の男がこれくらいの処置で声出したりして!
飛び出た骨、ちゃんと仕舞っとかないと後が大変なんだから!
皮膚とか筋肉とか、乾いちゃったら後で使えなくなるんだから!
あたしが手当てしてるそばで、ずっと泣きじゃくってる桜子さん。
舞台の端でずっと倒れたままの秋子さん。
3人の間に何があったかは、何とな〜くピンと来たっていうか? たぶん三角関係よね。
大方二人とも麻生を好きになっちゃって、麻生もどっちか選べなくて、ドロドロになっちゃったってとこね。
あたしも若い頃、こんな時期があったなあ……
「一応の応急処置はしたけど、すぐに手術が必要よ」
そう桜子さんに言うと、彼女、少し安心したのかあたしの腕にもたれかかってきた。
「桜子さん、ちょっと重――」
その時気付いた。桜子さんの胸の谷間、ちょうど心臓の位置が、赤く血で染まっている事に。
「え? 桜子さん! どうして!?」
心当たりがあるとすれば……さっき撃ったあたしの弾が麻生突き抜けて当たっちゃったとか?
でも問題ないわよね?
あたしの弾、ただの普通の弾だもの。純銀じゃなきゃヴァンパイアは殺せないって裕也は言ってたもの。
すぐに治るわよね? 弾さえ取りだせば、さっきの傷みたいに元に戻るわよね? ね? 桜子さん?
- 111 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:26:13.52 ID:7dJPM4OM.net
- 弾き飛ばされたベレッタが宙を舞い……咄嗟にそれを掴もうとした左の利き腕が何故か動かない。
銃はガツンと床を跳ね、イレギュラーに回転しつつ後方へ。
追おうとした時すでに遅し。撃った本人の手にすでに握られていた。
その本人は……え? 誰? 僕より大人で綺麗めの白衣の……お姉さん。そう言えば桜子の隣の席に居たような。
得意げな顔を僕に向け、お姉さんが銃口を向ける。
困ったな。リサイタルでなきゃ……予備の銃を用意してたのに。
- 112 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:32:41.97 ID:7dJPM4OM.net
- その時だ。
左腕にズシリと……重く鈍い感覚が襲ってきたのは。
- 113 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:33:38.34 ID:7dJPM4OM.net
- ……嘘だ。当たってた?
- 114 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:34:55.70 ID:7dJPM4OM.net
- 左手首あたりに違和感。先の感覚が……無い、ような? ……まさか……
下を見る。
左腕の……真っ赤な手の平。5本の指先から滴る血。
良かった、「手」はちゃんと付いている。弾は手首を貫通しただけだ。
「――結弦!!!!」
止血点を押さえつつ見上げると、桜子がすぐそばに立って僕の顔を覗きこんでいた。
彼女の唇がわなわなと震えている。さっきまでの殺気も、ヴァンパイアの気配も消えている。
「良かった。やっと話が……通じそうだ」
「何を言っているの!? 早く……血を止めないと……!」
……君、さっきまで僕を殺そうとしてなかった? え? ちょ……ちょっと!?
思わず笑ってしまった。ドレスを破いて、手当しようとする仕草があまりに必死すぎて。
そういや君、僕が怪我した時はいつもそんなだったよね。あはは……女ってほんと、大げさだなあ。
- 115 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:35:46.35 ID:7dJPM4OM.net
- 「こんな時に……どうして笑えるの!? 何故さっき、外したりしたの!?」
「だって答えを……半年前の答えをまだ……聞いてないから」
「馬鹿! 今更何を言っているの!?」
今更とか酷すぎる。女はほんと残酷だよ。
この半年間、僕がどんな気持ちで君の答えを待っていたか、考えもしなかったんだろうか。
男のプロポーズを何だと思ってるんだろう。
口にした時、それこそコンサートホールの舞台から飛び降りる心地だったんだ。
- 116 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:36:02.95 ID:7dJPM4OM.net
- 彼女が僕の手をあっちこっちに引っ張るんで、止血点を掴む右手が緩む。
その度に噴き出す血。ますます慌てる彼女。えっと……僕がやろうか?
でもその必要は無かった。
さっきのお姉さんが足早に僕らに駆け寄ってきて、桜子の手から僕の手を奪い取ったんだ。
その仕草は少し乱暴で、グリップで叩かれたような痛みが脳天を突き抜けて、思わず呻いたけどお構いなし。
白衣のボタンを素早く外し、めくった懐から出て来る出て来る。
透明な液体の入ったプラスチックのパックに、茶色の液体が入ったスプレー、
ガムテープみたいな色した包帯? と、ゴムのチューブ。採血する時に腕を縛る、あれ。
手術の時に術者が履くような手袋なんかしたりして……お姉さん、あなた……ブラックジャックか何かですか?
大体お姉さんもおかしいよ。あの殺気、本物だったよね?
四角で白くてフカフカの敷物の上に僕の手首を置いた彼女。
生理食塩水と印字されたパックの中身を傷口から流し込み始めた。あ。あったかくて、気持ちいい。
でもそれからが地獄だった。
茶色のスプレーの先を遠慮なく突っ込んで、指先まで突っ込んでごしごしやりだしたから。
いや実際はごしごしなんてしてない筈なんだけど、そうされてるかと思うぐらい痛かった。
ちょ……それくらいで勘弁……って思った僕はまだまだ甘かった。
その後だよ後。
激痛に飛び跳ねかけた僕の胸板に、お姉さんのでかいお尻が乗っかって来た。
僕、結構堪え性ある方ですよ?
でもそれ、麻酔無しでやるような処置ですか? あ、そこそんな引っ張るとかそう言うのやめて!
こんな時すぐ失神する女って……いいよな!
あ! そこ駄目! そこも駄目! お願いします! お願いしますからやめて下さい!!!
「一応の応急処置はしたけど、すぐに手術が必要よ」
身体中の力が抜ける。
ありがとう神様。僕のお願い聞いてくれて。
- 117 :麻生 結弦 :2018/01/12(金) 06:42:53.52 ID:7dJPM4OM.net
- 左手首にしっかり巻かれた茶色のテーピング。すごい。応急処置にしては本格的すぎ。
一体何者なんだろう。とりあえずミスBJと呼ばせて頂きます。
「桜子さん、ちょっと重――」
見ると、BJ先生に寄りかかって、眼を閉じる桜子が居た。
その胸に、見る間に広がる赤い染みが日本の国旗を思わせた。
「え? 桜子さん! どうして!?」
先生もそれに気付いて声をあげる。大丈夫さ、焦らなくても。ヴァンパイアがその程度で死ぬわけが……
……桜子?
力無く眼を閉じる彼女の頬は酷く白い。
嘘……だろう?
何度も目にした症状だった。
銀の弾丸を胸に受けたヴァンパイアが、最期に息を引き取るときの――症状。
「桜子!!!」
腕の痛みも忘れて彼女を抱く。
うっすらを瞼を上げた彼女の……どんより濁った力無い瞳の色。
「この傷はヴァンパイアを倒す唯一の手段、銀の弾頭による心臓の損傷……」
「え? ……ええ!?」
僕の見立てに驚く先生。いやいや、撃ったの、先生では?
「違うわ! あたしの銃はただの……」
彼女が取りだしたワルサーは今どきのPPKだった。
いや、決して馬鹿にしてる訳じゃないです。いい銃です。
「それ、貸して下さい」
受け取ったPPKの弾倉を抜き、中身を確認する。鈍く光る弾頭を光に透かす。
「間違いありません。銀の弾丸です」
「……うそ。……誰かが……入れ替えたってこと?」
先生の眼が少し思案気に泳ぐ。何か思い当たることでも?
- 118 :麻生 結弦 :2018/01/13(土) 06:17:49.56 ID:nKz924np.net
- 『君が無事で、良かった……』
力無いが優しい、心から相手を気遣う笑顔。きつく抱きしめる結弦の腕は、見た目に反し逞しい。
『落ち着いて聞いてくれ。君の……ご両親が……』
それは……さっき秋子から聞いたわ。おじ様とおば様も……お気の毒だったわね。
『ごめん、たぶん僕が、あの鍵を掛け忘れたんだ。全部そのせいなんだ』
そうなの? でも違うわ。貴方のせいなんかじゃない。すべてわたくしの嫉妬と絶望が招いた事。
わたくしはあの化け物の存在を知っていて、あえてあそこに行ったの。
でも浅はかだった。事は自分一人の身では済まなかった。
ごめんなさい。一人にしてくださらない?
貴方は秋子と話してあげて。あの子を、もう一人のわたくしを受け入れてあげて。
もしあの子が子供を諦めるような事があれば……わたくしは貴方を許さない。
「――――桜子!!!」
しつこいわ結弦。一人にしてって言ってるでしょう?
わたくしは大丈夫。貴方と違って……無傷ですもの。そう、あの化け物にはまだ何もされてない。
貴方は右手を怪我したのでしょう? 右手じゃなく、左手だったかしら?
どちらでもいいわ。来週末のリサイタル、代わりに弾いて差し上げても宜しくてよ。
「この傷はヴァンパイアを……、……銀の弾頭……心臓の…………」
何を言っているの? もっとはっきり仰ってくださらないと分からないわ。
ヴァンパイアが、銀の弾頭がどうしたと言うの?
「違うわ! あたしの銃はただの……」
「間違いありません。銀の弾丸です」
「……うそ。……誰かが……入れ替えたってこと?」
結弦? 他に誰か居るの? 秋子の声じゃないみたい。言ってる事も意味が分からない。
ああ……何だか身体がだるいわ。眠くて仕方がないの。
それに……とっても寒い……胸のあたりが……氷のよう。
お願いよ結弦。そんなに揺すらないで。ちょっとだけよ。ほんのちょっと、眠るだけ。
あらでも……結弦、聞こえたかしら? 遠くからする……子供の……泣き声。
ええ、確かに子供。まだ小さい……ほんの生まれたばかりの赤ちゃんの産声。
ふふっ……まさか、ね。この病棟に産婦人科はないもの。
不意に……温かい何かが唇の上にポタリと落ちた。
瞬時に香る芳しい香り。落ちる雫は数を増し、滴りとなって口の中に流れ込む。
素晴らしく滋養に満ちた味わい。ゆっくりと味わい、飲み込む。
……もっと…… もっとよ……!!
せがむ口元に押し付けられる温かい感触は、人間の肌だ。無我夢中で牙を立てる。
声を殺し呻く男の声。結弦の声だった。この時気付いた。この肌は結弦のものだと。自分の為に自らの血を分け与えてくれたのだと。
「……結弦!!」
飛び起きたわたくしを見た結弦が笑った。力ない笑顔で。あの時と同じ顔で。
「良かった。眼が覚めたんだね?」
「好きよ、結弦!!」
自分でも不思議と本心が出た。初めて素直に言えた言葉。結弦に抱きつく腕に力が込もる。
「貴方の事が……好き!! 大好き!!」
抱き返す結弦の腕は、やはり細いが逞しかった。鍛えられたピアニストの腕。
その腕が背を離れ、この顎を上に向かせ……何て素敵なんでしょう! 貴方と口づけを交わす日が来るなんて――
「あの、盛り上がってるとこ悪いんだけど」
ちょんちょんと肩をつつかれ振り向くと、浅香が呆れ顔で立っていた。
ちょっとあなた! 空気を読むって言葉を知らないの?
わたくし達が……初めて互いの愛を確認し合った感動の場面なのよ!!?
だがそんな恨みごとは一目で吹き飛んでしまった。浅香の腕に、小さな赤子が抱かれていたから。
- 119 : :2018/01/13(土) 06:18:56.76 ID:nKz924np.net
- しまった
>118のハンネは水原桜子です
- 120 :佐井 浅香 :2018/01/13(土) 19:40:14.46 ID:nKz924np.net
- あたしは医者。専門は外科の闇医者。患者の大半はヤクザさん。銃で撃たれた傷の見立てには自信がある。
――盲貫創でこの出血。少なくとも胸骨は突き抜けてるわね。
単純に考えて、弾の直径は0.32インチ(7.65mm)だから射入創の直径は1センチにも満たない……小さい穴。
コッヘル突っ込んで……がんばったら弾取れないかしら?
(あ! 医療に詳しくない人が居るかもだから説明するけど、コッヘルってのはコッヘル氏鉗子のこと!
先が細くて長いから、狭い穴から何かを掴み取るのに便利なの!)
うーんでも……難しいかも。
闇雲に胸腔(肺が心臓がおさまっている空間)探ったら、肺に穴開けかねないわ。
心臓にめり込んじゃってる可能性もある。
あたしが装填してたのはACP(オートマチック・コルト・ピストル)FMJ(フルメタルジャケット)だから、
つぶれて広がったり飛び散ったりしてないはずだけど……
ヴァンパイアの骨組織はとっても強靭。それに当たったら多少は形が歪になって……尖がったりしちゃうかも。
無理やり引っ張って、薄い心房の壁引き裂いたり、血管破いて大出血ってのはやばいわ。
出血多量のせいで復活するのに苦労したって話、裕也がしてたし。
野外で手を出さない方が……いいかな。
誤解されがちだから言っとくけど、あたしの事、現場でのやっつけ仕事が得意だね! って言う人が居る。
助ける見込みが無くても適当に手術しちゃう無謀な医者って腐した患者もたまに居る。
そりゃあたしの処置は早くて乱暴で……いい加減に見えるかもだけど?
実際フォークとナイフしかなくて、それで脊髄の手術とかした事もあるけど……でも違う。
絶対の確信がある時しかあたしはその術式を選ばない。
良く言うでしょ?
だろう運転は駄目、かも知れない運転を心掛けろって。
上手くいくかも知れない……なんて気楽に考えて、それ! ってやっつけて死なせたらコトだもの。
でも……どうしよう?
取りとめない思考やら錯誤やらで手をこまねいていたあたし。
「桜子!!!」
って叫んで駆け寄った麻生に思いっきり突き飛ばされた。
受け身なんか取れないから、ビタンと思い切りほっぺたを打ちつける。
痛ったあぁーー…………
置き上がって見回す。さっきまで自分が居たその場所で、麻生が右の腕で桜子さんを横抱きに抱いている。
……君。
彼女が心配なのは解るけど、突き飛ばす事ないでしょ?
ふん、優柔不断男(あたしの勝手な決め付けだが)が今更心配なんかして。
カッコつけてるつもり? 動いたら傷開くわよ?
「この傷はヴァンパイアを倒す唯一の手段、銀の弾頭による心臓の損傷……」
「え?……ええ!?」
ぼそぼそと呟いた麻生の言葉が、頭の中でうまく整理出来なくて思わず訊き返す。
何も答えず、彼女の顔と胸を交互に見ている麻生。
仕方なく麻生の言葉をもう一度反芻する。
――銀……。銀の弾頭による心臓の損傷……って? 今そう言った?
「違うわ! あたしの銃はただの……」
そうよ。あたしはそんな弾使ってない。ただの合金でカバーした鉛玉。
でも麻生は眉間に皺をよせてあたしを見た。明らかにあたしを疑ってる眼だ。
彼はそっと桜子さんを床に寝かせ、こちらに手を差し出した。
「それ、貸して下さい」
嫌よ! 君みたいな二股男(これも勝手な決め付け)にあたしのPPKを渡すなんて!
って思ったけど、あんまり真剣に凄むんで、しぶしぶその手に銃を置く。
すっごく鮮やかな手つきでマガジン出して(ガチャガチャさせないの! シュシュって!)、パラリと弾を抜く。
うーん?
ライトでギラついて良く見えないけど。
弾丸のお尻をつまみ、弾頭を上に向けて眺めていた麻生の顔が強張った。
「間違いありません。銀の弾丸です」
「……うそ。……誰かが……入れ替えたってこと?」
- 121 :佐井 浅香 :2018/01/14(日) 06:03:32.18 ID:JZ+KjzPv.net
- 麻生が深刻な顔してPPKをこっちに渡した。
ちょっと彼、意外にもちゃっかり者? さり気なく弾薬をポケットに仕舞ったりして。
返された銃とマガジンをひっくり返して眺めてみる。
誓ってもいい。あたしはそんな弾入れてない。大体そんなの持ってない。
腰の弾薬サックから、あらためて弾を取り出す。
私自身の体温で程良く温まっているそれを、ひとつひとつ、丁寧にマガジンに差し込んでいく。
……そう言えば……
あたし、これを桜子さんのお屋敷の……着替え場に置き忘れたわよね……
そして……見つけて届けてくれた人が……居た。
見るからに仕事出来そうで、背が高くて渋くて仕草が素敵な私好みのおじ様。そう、それはバトラー柏木!
でも彼、桜子さんを救ってって頼んだ本人よ。何故これとすり替える必要があるの?
桜子さんが呻く声。
しばらくあたしの顔を探るように眺めていた麻生が、ハッとしたように桜子さんを見下ろした。
彼女の手と顔が白く、透き通ったみたいになって……あたしには解った。これが「滅び」の瞬間なんだって。
それを見た麻生は――何したと思う? せっかくだから、3択にしたわ。さあ、あなたが麻生なら――どうする!?
1さよならのキスをする
2自分の血を彼女に与える
3何もしない
常識的に考えたら3。――鬼畜? いえいえ、人生には諦めも肝心。ただ男性的には……やっぱ2?
ああ桜子……君を助けられなくてごめん。でも僕はハンター、君の敵。これで良かったんだ。
……な〜んて言って、別れの口づけ! うう美しい! 絵になるう!
2を選んだ人は問題児よ問題児。感情に溺れすぎ。
自己犠牲とか美しいかもだけど、吸われたら自分も人間じゃなくなっちゃうもの。
ん。ちょっと待って。人間じゃなくなる……って……良く考えたら3、あたしが選ぶべき選択肢じゃない?
いいの、問題児でいい。全然いい。ヴァンパイアになるのはあたしの長年の悲願だもの。
むしろ願っても無いチャンス。そうよ! 今度こそあたし、ヴァンパイアになれる!
桜子さん! 助けたら「してくれる」って約束、今こそ果たしてもらうわ!!
え? お前が手を下した張本人だって? 違うわよ。あれはわざとじゃない。 不 可 抗 力 。
そうと決まったら時間が無いわ。急いで吸ってもらわないと。
何処から? 手? 首? 量的にはどちらでも良さそうだけど、マニアとしては首よね。首筋。
手首からだといまいち萌えないし、絵にもならない。
でもあたし、麻生が取った行動に唖然としてしまった。
彼の選択したのはまさかの2。しかも絵にならないほう。
せっかくわたしが巻いた手首のバンデージングテープをビリビリ剥がしてそして……
君は……感情に溺れた問題児か!? ひどいぞ! お姉さんの役取っちゃうなんて酷過ぎる!
ふん! 君の傷なんか、桜子さんの口中のバイ菌で化膿してしまえ! 敗血症になってしまえ!
そんな時だった。変な音がしたの。
変な音。聞こえない? 気張り過ぎて腸内のガス漏れが! なんて落ちじゃないわよ、
ほら、聞こえるでしょ? 赤ちゃんの産声が。ブヒッって。
……何笑ってんの。
ドラマみたいに、ホギャホギャ言い出すのはもうちょっと後なのよ。
出て来るその瞬間は、ズべべッとかゴボゴボッとか、溺れてんの? みたいな音するんだから。
ほらね、今度こそ本格的な、産声。
麻生がぎょっとしたように眼を向けて、ポカンと口を開けた。そうよね。彼に取っては有り得ない事態よね。
でも良くあるのよ。ひたすら妊娠を隠してた女の子が、公園のトイレで早産する事例。
ほんとにあるんだってば。臨月までお腹が目立たない子も結構いる。
破水してからあたしの病院に駆け込んで、子供もろとも死んじゃう子もたくさん居る。
それぞれみんな事情があって。わかる? 女って大変なんだから。
あ、断わっとくけど、今の産声、桜子さんの赤ちゃん――じゃないわよ。あたしのでもない。
さっきからずっと舞台端に倒れたままの、秋子さんの赤ちゃん。
- 122 :佐井 浅香 :2018/01/14(日) 07:32:30.47 ID:JZ+KjzPv.net
- あたしは医者。専門は外科だけど産科も得意。だって……闇医者だもん。
秋子さんはすでにこと切れていた。
そっと手を合わせてから、ドレスのスカート部分――赤や黄のまだら模様に染まる部分を確認する。
開いた両の太ももの間あたりに、それは居た。
スカート越しにもぞもぞ動くその形は、どうみても人間の赤ん坊だけど……けど……
まさかキシャアアアアーーって飛びかかって来たりしないわよね?
あたしは医者。これでもプロ。思い切ってスカートをめくる事にした。
ボランィア?
まさか。見返りの無い仕事なんてしないわ。治療費は父親の麻生(確信)に請求するに決まってるじゃない。
1,000万はふんだくってやるんだから。
赤ちゃんの外見はいたって普通だった。
生まれたてしにては、可愛い……女の子。
そっと優しく抱きあげて、すでに細くしなびていた臍の緒を指先でプチンと千切る。
しゃくりあげるように……苦しそうに泣く赤子。
懐からスポイトを取り出して、鼻に詰まった黄色い異物やら何やらを取ってやる。
大丈夫よ、お母さんは残念だったけど、……あなたにはお父さんが居る。あたしとは違う。
ドレスの柔らかい裏地を引き裂いて身体に巻くと、安心したように眠ってしまった。
そうだ。あそこの二人も心配してるわね? 早く見せてあげなくちゃ。
そう思って滲んだ涙を拭き拭きそっちを見たら、なに?
二人ともぜんぜん気にしても居なかったみたい。
桜子さんもすっかり元気になっちゃって、もう好き好き〜てなってるし。ツンデレもほどほどにして欲しいものだわ。
ふん。大好きな麻生の血は美味しかった?
しっかり抱き合ったまま見つめあって。
今にも口と口をくっつけそう……なタイミングをわざと狙って後ろから肩をつつく。
その時の桜子さんの顔と言ったら!
あははは! 沸かしたお湯が瞬時に冷めた感じ? その口がしばらくパクパク動いてそして――
「その子……まさか……」
「ええ、そのまさかよ。秋子さんの子」
……二人とも、そんなに驚かなくてもいいんじゃない?
- 123 : :2018/01/15(月) 04:43:25.18 ID:hXMlbGcW.net
- >121
文中の1,2,3がしっちゃかめっちゃかになってますが、中身は文脈で解るかと思いますんでどうかご勘弁を!
- 124 :麻生 結弦 :2018/01/15(月) 17:22:12.14 ID:hXMlbGcW.net
- ま、いいや。とりあえずこのワルサー返します。
先生がこの銃に愛着持ってることが良く解りましたから。
聞かなくても解ります……さっき僕が「渡して下さい」って頼んだ時の先生の顔ったら無かったですよ。
僕にだってその気持は解りますし。銃持ちに取って、メインの銃は自分の子供みたいなものですから。
ですがこの銀の弾薬は当然のことながら貰っておきます。
ハンター協会の支給品を、一般の方に渡すわけには行きませんから。
予備弾はありますよね?
さっきから腰のあたりでカチカチ言ってるの、ベルトのサックに金属製の器具か何かがぶつかる音でしょ?
はいこれ。
ちゃんと渡しましたから、代わりに僕のベレッタも返して下さい。
ところが先生。
銃口片目で覗いてみたり、補弾したりしながら「うーん」と唸ったきり考え込んでしまった。
ちょっ……と。それは無いんじゃありません?
名刺を貰ったら自分のも渡す。銃を返してもらったら相手のも返す。社会人としてのマナーでしょ?
それとも先生、ちゃんと口で言わないと分からないタイプの人ですか?
先生は相変わらず悩んでいる。その最中、先生の眼が一瞬だけ嬉しそうに輝いた。
はいはい。
どうやら犯人の目星がついたようですね? 誰なんですか?
僕の勝手な推測だと、うちの局長あたりが怪しいなーなんて思ってるんですけど。
――局長。僕らハンターやクロイツの司令。
部下に対していつも容赦ないけど、実は結構きらいじゃない。
その理由は「常に前線」を心掛けてる人だからだ。
司令のくせにいつも事務局に居ないのは、潜入捜査を部下だけに任せないから。
司令としてけしからん! なんて上はこぼすけど、そんな訳で部下には大人気。
「道」とつくものはほとんど段位持っていて、肉弾戦に滅法強い。そのせいかハンターの癖に銃を使わない。
ヴァンパイア相手に素手で立ち向かえるのって、たぶん局長ぐらいだろうなあ。
その局長でも色々あったって話。
10年前、やっぱり素手で闘って逆にコテンパンにされて、その後しばらく姿を見せなかった。
久々に僕が会ったのはほんの半年前。
ちょうどあの事件……地下室から「奴」が逃げた、そのすぐ後だったかなあ。
彼に呼び出されて本部に出向いたっけ。
10年のブランクがあるはずのあの局長は、見た目がほとんど変わってなかった。
結構な上背に、痩せ形だけどしなやかな……武道派特有の隙の無い立ち姿。
声も仕草もあんまり若々しかったんて、僕、思わず「どなたですか」なんて聞いたんだ。
まさか局長その人だと思えないくらいだったからさ。
そしたら局長、何とも言えない……複雑な顔して僕の顔見て、「麻生君そりゃないよ」って言ったんだ。
でもあれは局長も悪い。
あれたぶん……素顔じゃなかったでしょ?
それこそ20面相並みに化けるの上手い局長。もしかして上層部も素顔知らないんじゃあ……
桜子の苦しげな声で、僕は我に返った。
透き通るほど白い彼女の顔色――いや、ほんとに向こう側がうっすらと透けて――
夢中で彼女を揺すった。もう手遅れだと解っていて。
彼女が僕らの敵ヴァンパイア。だから仕方ないと諦める自分と、受け入れられない自分が居て。
『何をする気だ! よせ!』
局長の声が無線から聞こえたけど、僕は無視した。
手遅れでもいい。ほんの少しで桜子の命をこの世に繋ぎとめられれば、それでいい。
もう一度だけ、生きた彼女の言葉を聞けたなら、この命すら惜しくない。
僕は桜子の顔の上に左手をかざすと、先生が巻いてくれた包帯を取り外した。
滴る血。
それを見た先生が池の鯉みたいに口をパクつかせて……そしてぎゅっと口を引き締めて……
ごめん先生。好意を無にする行動ですよね。
でも解ってください。
僕はロボットじゃない。与えられた命令を淡々とこなす――協会の操り人形じゃないんだ。
- 125 :麻生 結弦 :2018/01/15(月) 17:28:39.27 ID:hXMlbGcW.net
- プイっと眼をそらし、先生は舞台端に倒れてる秋子の方へと行ってしまった。
ま……呆れて当然です……か。
桜子の喉がコクリと動く。そのたびに蘇っていく頬の色。
それと反比例して僕の視界は薄れていく。白く……ぼんやりと……
ただ耳の方はむしろ敏感に……頭にガンガン響いて来て――
これ、父さんの声だ。
どうしてもピアノに転向するなら小遣いはやらん! ってそりゃないよ。僕のバイオリンの腕、知ってるでしょ?
ありがと。母さんはいつも僕に味方してくれて助かるよ。あ、はい。お風呂掃除、やっときます。
地下室? どうしても……行かなきゃダメ? 今日は祝賀会なのに?
はいはい。一日休めば三日休むと同じ……ですよね。ピアノと同じですね?
――ああもう、解りましたって。みんな、そんなに一度に言わないでくれません?
先生、僕、死ぬ時はもっと静かなものだと思ってましたよ。
これって今まで生きてきた、記憶の中の音でしょうね?
だとしたらあの産声も……僕自身の声なんでしょう。
先生? いらっしゃるの、その辺りですか? 今のうちに謝ることが。
申し訳ありません! この手の治療費、払えそうにないです! 本当に……ごめんなさい!
駄目だ。口は何とか動くけど、声が全然出ないや。
- 126 :麻生 結弦 :2018/01/15(月) 17:32:25.31 ID:hXMlbGcW.net
- 誰かが僕の背中に腕を回して……抱きしめている。たぶん桜子だ。
「良かった。眼が覚めたんだね?」
出ないと思ってた声が出せたんで、驚いた。きっと彼女が生命力(?)のようなものを分けてくれたんだろう。
「好きよ、結弦!!」
痛たた! 嬉しいけど! 嬉しすぎるけど! ヴァンパイアの怪力で……絞めないで!!
「貴方の事が……好き!! 大好き!!」
桜子の言葉はこの半年間、待ちに待った言葉だったけど、僕の肋骨は崩壊寸前で……桜子、君って人は……
ぎりぎり絞め上げる腕の隙間から右手をひねり出して、彼女の顎の下に持っていく。
察した彼女が腕の力をやっと緩める。
ふ……と息をつく。
眼と鼻の先に、眼を閉じた桜子。長い睫毛にピンク色の頬。朱の差した唇。これを何度夢に見ただろう。
ねぇ桜子。
こんな事になったけど、決していい結果なんかじゃないけど、でも――今この瞬間だけは、最高に幸せ――
「あの、盛り上がってるとこ悪いんだけど」
桜子の背中から先生の呆れた声。咄嗟に彼女の腕を引きはがす。
そう言えば居たね、先生、あはは!
心の中で笑った僕は、その時見えた桜子の顔に恐怖した。
さ……桜子……? 気持ちは解るけど、怒っちゃ駄目! 先生にたぶん悪気はないし、ついでに僕の恩人だし!
って……言おうとしてまたまた僕は戦慄した。
先生の腕に抱かれている「それ」に。
「その子……まさか……」
おずおずと口を開く桜子の唇が震えている。
「ええ、そのまさかよ。秋子さんの子」
「「ええええええああっ秋子の!!!?」」
僕と桜子の声が5度の和音となって調和した。
それと同時に、グランドピアノの同ピッチの弦が共鳴し、わーんという音を響かせる。
一呼吸置いて、もう一度。
「嘘ですよね!?」「嘘でしょ!?」「おぎゃあああああ!!」
今度は二人の声に赤ん坊の声が加わった。再び鳴るピアノの弦。顔を見合わせた桜子と僕。
「ふ……二人とも、落ち着いて話しましょ?」
落ち着いてなど居られる訳が無い。
「予定日は来月だったはずだ! 1カ月も早くて……大丈夫なのか!? 先生!?」
声を張り上げた僕。桜子の驚愕の眼がさらに大きく開かれる。
「来月!? そんな筈ないわ! お腹の子はとっくに堕ろしたはずよ!?」
「……ぇえ!? 違うよ! 僕はちゃんと認知して……養育費も送るつもりで……」
「どういう事!? 秋子! 説明してちょうだい!」
返事は無かった。冷え切った……気配。そうか、秋子はもう――
結局僕は、君にも謝ることが出来なかった。
一度は君を選んでおいて、でも一緒にはなれないと突っぱねた僕を、あの時君は許してくれたのに。
一筋の涙が桜子の頬を伝った。
触れても居ないグランドピアノが、Eフラットオクターブの和音を奏で始めた。
- 127 :水原 桜子 :2018/01/17(水) 06:28:55.56 ID:628dYnEu.net
- ……あ……浅香? それは……何? 人間の……赤ん坊に……見えるのだけど。
浅香の肩越し、倒れている秋子が視界に入る。眠ったままの秋子のドレスが血にまみれている。
血まみれの服。小さな赤ん坊。
ふたつのキーワードから連想されるその「何か」は明白なのに、どうしてもそれと繋がらない。
そんな筈は…………ないわ。あの子はあの時――結弦に振られたっ……て。
だから明日……病院へ行くって。
- 128 :水原 桜子 :2018/01/17(水) 06:30:26.17 ID:628dYnEu.net
- 「その子……まさか……」
そんなわたくしの問いに答えた浅香の言葉は単純明快だった。
「ええ、そのまさかよ。秋子さんの子」
「「ええええええああっ秋子の!!!?」」
「嘘ですよね!?」「嘘でしょ!?」「おぎゃあああああ!!」
まあ! なんてこと!
結弦とわたくしの驚きの声に加わった赤ん坊の泣き声と言ったら!
結弦! 今のハ長音階の第W度和音よね!
それも限りなく正しい、ピッチF(349.228Hz)! A(440.000Hz)! C(523.251Hz)!
その証拠にあのピアノの3弦がちゃんと共鳴して……ほら! ……今も!
(実際はダンパーが個々の弦を押さえているため、長く響く事はない)
流石は結弦の子、音楽の才能に恵まれてましてよ?
「ふ……二人とも、落ち着いて話しましょ?」
落ち着いてなど居られるものですか! その子、是非にも音楽家にしないといけませんわ! そうよね? 結弦!?
でも秋子も人が悪いわよね?そうならそうと、どうして教えてくれなかったのかしらね?
結弦はそんなわたくしの顔をチラっと見て。すぐに浅香に向き直って。
「予定日は来月だったはずだ! 1カ月も早くて……大丈夫なのか!? 先生!?」
――え!?
わたくしはしばし呆然とした。
思わぬセリフだった。
彼はわたくし達がハ長三和音を奏でたことなどどうでもいいらしかった。
彼の関心はただひとつ。赤ん坊が「早く」生まれてきてしまった、その事だけだったのだ。
「何故居ない筈の赤子が存在するか」ではなく。
――何故? どうして結弦が予定の日取りまで把握しているの?
秋子、なの? 彼女が結弦には教え……わたくしには教えなかったというの?
わたくしだけ……蚊帳の外だったと言うの?
「来月!? そんな筈ないわ! お腹の子はとっくに堕ろしたはずよ!?」
わたくしの声は怒気を孕んでいた。誰に対して? もちろん二人ともによ!
「……ぇえ!? 違うよ! 僕はちゃんと認知して……養育費も送るつもりで……」
「どういう事!? 秋子! 説明してちょうだい!」
そうよ。本人に聞くのが一番いいわ! 秋子! あなたよくもこのわたくしを……!
……え? ……秋子?
秋子の息は無かった。
この床を通じ足先に届いていた秋子の鼓動も。
そんな……そんなこと……って。
- 129 :水原 桜子 :2018/01/23(火) 06:14:56.38 ID:v728prLu.net
- 熱いものが両の目から溢れ出し、頬を冷たく滑り落ちた。
……そう。わたくしはまだ……泣くことが出来たのね。
真昼のように舞台を照らすスポットライト。
その光を受け止め、なお黒々とその躯体を置くグランドピアノ。
長い歴史をかけてその形を変え、現代のそれへと結実した人類の最高傑作とも言えるべき弦楽器。
そのピアノが、ポツリと小さく「啼く」。
Dシャープオクターブの和音を自ら奏でたのだ。
なんてこと。あなたは……ずっと……そこで見ていたの? わたくし達の成すこと、する事、すべてを、そこで?
会場の客達が一斉に顔をピアノに向けた。その瞳は微かな意思の光を灯している。
微かに立ち昇る熱気が、会場の温度を上げ始める。
わたくしは背を伸ばし、客席に向き直った。
「お待たせ致しましたわ皆さま。この曲が、明日の皆さまの糧となれば幸いですわ」
浅香が赤ん坊を抱いたまま、そっと舞台端へと向かう。
そこにはいつの間にか柏木が立っていて、浅香と何事か言葉を交わしつつこちらを見た。
彼の眼には安堵の色。わたくしは小さく頷いて見せた。
――柏木。貴方がうちの執事になって下さったのは、半年前の事件がきっかけでしたわね。
あの時わたくしは貴方の頼みをきいて、だから貴方もわたくしの頼みをきいてくださって。
でも本当に貴方がわたくしの為になさりたかったのは、もっと別の事でしたのね。
だって……貴方が秋子にS席のチケットを送ったのでしょう?
浅香。貴方とは本当に短い間だったけど、お別れね?
貴方との約束の方は果たせそうも無いけれど、でもきっと柏木が貴方の願いを叶えてくれるでしょう。
その子の面倒、見てくれるわよね? だってあなたは……決して「患者」を見捨てない。
「ありがとう柏木。ありがとう浅香。そして――」
秋子が横たわっていた舞台端は、依然、そのまま。
このリサイタルが始まった時と同じく、艶やかなアイボリーの床板には「塵ひとつ落ちていない」。
サーヴァントの滅びはヴァンパイアのそれに準ずる。彼女の身体は塵芥の如く消えてしまったのだ。
だがその魂は――
「そうよ秋子。あなたはわたくしと共に『ここ』に居る。……見ていて頂戴」
気がかりなのは時間。
残されたわたくしの命はあと僅か。
曲を……あの139小節を弾き切るための力が……わたくしに残されているのかどうか。
そんなわたくしの手を、結弦が掴んだ。ピアノの鍵盤側へと誘う彼。
もしかして貴方……手伝ってくださるの?
何も言わずに、わたくしを椅子に座らせ、右手をそっと鍵盤に置く結弦の眼がこう言っている。
『一緒に弾こう』 『あの時のようにに』
彼の左手は力無く下がったまま。
湧き上がる涙を見せたくなくて、わたくしは少し顔を伏せた。
そうね。そうして差し上げても……宜しくてよ?
すっと息を吸い、ゆっくりと吐く。
左の中指と親指を、本来であれば右手が弾く高さのDシャープとそのオクターブに添える。
使わぬ右手を膝上に置いたまま。その姿勢はとても不安定で、身体がぐらりと左に傾いだ。
そんなわたくしを結弦の左手がぐっと抱き止め――え? その手、怪我をした方……ですわよね?
彼は素知らぬ顔で、右足先を右端のダンパーペタルに乗せる。
……結弦? 貴方、そんな格好で弾くつもりですの?
座らずに立ったまま、左腕はわたくしを支えたそんな姿勢で――ペダル操作と……あの右パートを……?
むしろ貴方の方が……限界の筈なのに。
結弦の眼は揺るがない。結ばれた口元がこちらに笑いかける。それはおそらく決意の微笑み。
……ええ。解りましたわ。
行かせて頂きますわ! 貴方がくれた時と力は……すべてこの1曲の為に……!!
- 130 :水原 桜子 :2018/01/23(火) 06:15:47.11 ID:v728prLu.net
- 閲覧注意:非常にマニアックな内容
【リストのLa Campanellaを聴いた事の無い方は、ここいらで視聴する事をお勧めします】
【え? 読み飛ばす? ご無体な!】
- 131 :水原 桜子 :2018/01/23(火) 06:17:48.51 ID:v728prLu.net
- ――La Campanella 〜Grandes etudes de Paganini S.141/R.3b――
パガニーニ大練習曲集より 第3番 「ラ・カンパネラ」
まずはわたくしの番。
添えていた黒鍵を小さく、3度。鋭く丁寧に指先で弾(はじ)く。
細心の注意を払うべき出だしの音は、すでに遠い鐘の音を模している。
同じリズムで結弦の右が更に上の黒鍵を捉える。
繊細なスタッカート(短く切る打鍵法)が、同じく3度。澄み切った鐘の音を響かせる。
そして次はまたわたくし――
音は2度、1度と、その数を減らしつつ……徐々にスピードを落とし――
そこまでの、たった3小節がこの曲の序奏。
それはわたくし達が呼吸を確かめ合う為には十分な、決して短くない3小節。
幾ばくの間がホール一帯を緩慢に包み込む。いよいよ……ですわね?
結弦の右手が動く。
場内が息を飲む気配。
細かなリズムを刻む最高音のDシャープと、それに続く右親指があの美しいCampanellaの主題を紡ぎ出す。
何度聴いても……とても……とっても物悲しくて……でも気品溢れるメロディ。
わたくしの出番は次の小節から。左で奏でる分散和音(アルペジオ)。
彼のリズムを掴まえて、1拍目と4拍目の和音を刻む。
降り抜く親指に過剰な重さが乗らぬよう、控えめに。主題の旋律を邪魔しないように。
結弦の音は決して弾き急がず、音を皆に届ける事だけを考える、そんな音。
幅広い鍵間(最大2オクターブ=34cm)を飛び、跳ねる右手首。切れの良い跳躍かつ丁寧な打鍵。
澄み渡る旋律にうっとりと耳を傾ける観衆。
わたくしも思わず……この旋律のルーツに思いを馳せる。
彼は少なくとも2度、この曲を書き直している。
Campanellaの主題は、その曲集名が示すとおりリスト自身の発案ではない。
パガニーニの作曲したバイオリン協奏曲 第2番 第3楽章のロンド主題を取り入れたものだ。
(「パガニーニ大練習曲集」の他5曲はパガニーニの「24のカプリース」が原曲)
そう言えば……たまたまこの楽譜を手に取った浅香にその事を説明したら……彼女、言ったわ。
「なあんだ、リストってオリジナリティが無いのね!」
物を知らないって……ある意味犯罪ね。
リストの曲を全部聴いてからほざいてほしいものだわ。
……ま……言うだけ無駄かしら。演奏中、とっても退屈していたようですもの。
21小節目から第2主題に入り、わたくしの思考は一時、中断した。
入るタイミングがさっきまでとはまるで逆になったのだ。すなわち1,4拍を2,3,5,6拍へ。
「表」を「裏」に変え、左と右とが素早く交互に入れ替わる、その忙しさと言ったら!
第2主題と言っても、いきなりまったく異なるメロディになった訳ではない。
高音部から徐々に「下がっていく」旋律が、「上がっていく」旋律に変わっただけの、云わば「展開部」。
軽快かつ勢いのあるパッセージで、ここは原曲には無いリストのオリジナルだ。
リストの底力を感じるのはここからだろう。
ただ……
なんてこと! このわたくしが……音を追いかけるのに精一杯だなんて!
結弦の音の合間を刻む作業に没頭しているだなんて!
ああでも……この感覚は懐かしいわ。
……まだ小さい頃……人前で弾く時に感じた――ハラハラドキドキ。
一人では……今のわたくしでは決して味わえない……この緊張感……たまらないわ! なんて不思議な充実感!
- 132 :水原 桜子 :2018/01/23(火) 06:18:36.25 ID:v728prLu.net
- 第2主題の曲調にも慣れた頃、曲は42小節目の変奏部へと突入した。
変奏――メロディ自体はさきほど(1〜20小節)の繰り返し。でもわたくしに取っては一つの転機。
主題の一部を左パートが担当するのだから。
今度は貴方がわたくしの動きに合わせる番。
どう? 結弦? わたくしの苦労が……おわかりになって?
ふふ……ちょっぴり心地良いわ。主役と脇役とが入れ換わったのですもの。
鐘のリズムがやや低音にて紡がれる中、結弦の右手は相変わらず高音域の反復という作業に追われている。
ピアノに映る彼の顔は真剣そのもの。
少し……ほんの少しだけ、この肩を抱く左手の力が緩む。その手首から伝わる彼の鼓動が……さっきより早い。
その動悸に自身の鼓動も同調していく。
もし自分の姿が黒い鏡に映っていたら、そこに戸惑いと動揺の色を見たに違いない。
主役の交代も束の間、ふたたび右パートがその役目を引き継いだ。第50小節。
結弦の頬を汗が滑る。
テンポは初めと変わらない。
しかし主題を飾る音符は増し、相対的に打鍵のスピードは上がっていく。休憩はない。
合わせる合わせないの苦労とは別の苦労が右パートにある。
弾き始めたら最後、激しい跳躍、反復、重音の連打や音階を、最終に向け一息に弾き切らなければならないのだ。
結弦の身体がぐらりと揺れた。
無心で右手を伸ばし、抱き寄せる。
結弦。
いまどんな気持ちですの? どんな思いで……鍵盤を叩いていますの?
いったい誰の為に……? ……観客の為? それとも自分自身の?
ふふ……愚問だと……思うでしょうけど、でもわたくし、もしリストが生きていたら同じ質問しようと思ってますのよ?
何故あなたは超絶技巧家(ヴィルトゥオーゾ)を目指したのか。
そんなあなたが何故、曲を「作ろう」と思い立ったのか。
ならばそれは誰の為か。
あなたには同じテーマをもう一度改め、組み立て直す……いわば、改訂癖のような癖がある。
何故そこまで一つの曲に入れ込むのか。
このカンパネラも……
ね? 結弦? 貴方も知りたいと思わなくて?
そう。
リストのLa Campanellaとして知られる曲は、「第1稿」ではない。
彼がカンパネラを書くきっかけとなったのは1932年4月20日。
初めてパガニーニの演奏を聴いた時のことだと言う。
ニコロ・パガニーニ。音楽史上最も偉大なヴァイオリニストで作曲家。
技巧を超える超絶技巧家。ヴィルトゥオーゾの中のヴィルトゥオーゾ。
そんなパガニーニの演奏ぶりにショックを受けた彼は、ピアノのパガニーニになろうと決意し彼を徹底して研究した。
その結果、「パガニーニの「鐘」によるブラヴーラ風大幻想曲」が完成した。
そうよ。それが La Campanellaの記念すべき第1稿(1834年)。
超絶技巧を目指したリストがその情熱を持って書きあげた傑作。
わたくし、今の世に生まれたことを恨みますわ。もし彼と同じ時代を生きていたらと。
聴きたかったですわ! ホール一杯に響き渡るピアノの音! 跳ね踊るリスト自身の手と指先!
観客は我を忘れ、ある者は卒倒したと聞くわ。わたくしもそこに居たら……きっと……
もし録音技術が彼の時代に追いついていたらと……心底思うわ。エジソンがもっと早くに生まれていたらと。
(トーマス・エジソンがアナログレコードを開発したのは1877年)
今となっては、その様を彼の譜面から読み取るしかない。
結弦は弾けて?
あの譜面……ふふ……とても……とても難しい曲。
まるでわざと難しく書いたような……自分自身の鍛錬が目的で書いたような……そんな譜面。
……それを難なく弾きこなしたリスト。
(今思えば、彼、ヴァンパイアだったのかも知れないわ!)
わたくしならいざ知らず、一介のピアニストでは手を焼いたでしょうね。
(自慢ではなくてよ? わたくし、ヴァンパイアですもの!)
- 133 :水原 桜子 :2018/01/23(火) 06:22:45.67 ID:v728prLu.net
- しかし彼はおそらく気付いたのよ。
超絶技巧は客を圧倒することは出来ても、決してその心を打つことが出来ないと。
彼を曲を1から作り直した。
もちろん主題だけはそのままに、白鍵中心だったイ短調のこの曲を黒鍵中心の変イ短調に移調した。
(黒鍵の方が、跳躍の際に鍵盤を捕らえやすい、つまり弾きやすい)
過剰とも思われる音符を大幅に取り去り、さらにパガニーニのバイオリン協奏曲第1番の素材も取り入れ、
まったく別の――メドレー的な曲を書き上げた。
あの印象的な「序章」を頭に付けて。
それがカンパネラの第2稿――パガニーニの超絶技巧練習曲集第3番(1840年)。
しかしリストはこれでも満足しなかった。
何故なのかしら。別の素材を入れて……一種「ちぐはぐ」な構成になってしまったかしら?
聴いてみて何かしっくりこなかった……ただそれだけかしら?
彼は第2稿で新たに取り入れた素材をすべて省き、当初の素材構成に戻してしまった。
つまりより単純な2重変奏曲の構成へと。
そして……ここがちょっと聴き手には些細なことでしょうけれど、
譜面自体をフラットが7つも付くイ単調からシャープ5つの嬰ト単調へと書き直した。
音自体の高さは変えずに……ね。(EフラットとDシャープは同じ音)
両者は弾いてみれば全く同じものだけど、でもピアニストに取っては、弾く時の心理が違う。
音を半音「下げて」読むよりも、「上げて」読む方が、音の感覚がりクリアになるの。
「鐘」の音を表現するにあたり、硬質で透明な響きを引き出すために……苦心したという事かしら。
更に彼は……主旋律の一音一音を追いかける最高音域のDシャープを書き足した。
それがこの……「煌めくほどに美しい」鐘の音を作り出した。
結果、全体として一点に収束するような……脇目もふらず、やだ一つの目標に向かいひたすら歩み、駆け抜ける。
そんな印象を与える、緻密に完成された美しい2重変奏曲が出来上がった。
それこそが「パガニーニ大練習曲集」の第3番――La Campanella(1851年)。
パガニーニのヴァイオリン奏法そのものをも研究し、その技術をピアノに翻訳したという彼の、
ピアノですべての楽器や絵画を表現しようとあらゆる文学、芸術を研究した彼の最高傑作。
いまふと思ったのだけど、
彼が20年近くもの歳月を、このテーマ――オリジナルではない、他人の作ったテーマにかけたのは、
ただそのテーマが美しいから、って理由だけでは無いのではなくて?
自分を震撼させたニコロ・パガニーニという音楽家に対する、最高の敬意表明ではなくて?
結弦の指が、79小節目の美しいトリル(二つの鍵盤を交互に弾く奏法)を奏でる。
合いの手を入れるようにアクセントを置くわたくしの左。
一層激しさを増していく主旋律。曲は変奏部を抜け、第2の変奏部(96小節目)へと差しかかる。
- 134 : :2018/01/23(火) 06:23:43.38 ID:v728prLu.net
- 【BGMにLa Campanellaを選んでくださったでしょうか?】
【それこそ色んな方々弾いてますが、この章はsorita氏のアルバム「リスト」の音をイメージしています】
【彼の打鍵はキレッキレで、譜面どおりでかつ迫力が……って別に彼の回し者でも何でもありませんが】
- 135 :佐井 浅香 :2018/01/27(土) 06:56:10.37 ID:Cf9ijtEQ.net
- 赤ん坊がそれこそ火がついたみたく泣きだした。
――もう!! 君達がそんな大声出すから!!
「ふ……二人とも、落ち着いて話しましょ?」
はいはい、泣かないでね〜〜!! お姉さんが高い高いしてあげますからね〜〜
「予定日は来月だったはずだ! 1カ月も早くて……大丈夫なのか!? 先生!?」
そうなの!? 大丈夫みたいよ、泣き声こんなに元気だし!
……ととと……いっけない! 生まれたての首がぐらんぐらん!
「来月!? そんな筈ないわ! お腹の子はとっくに堕ろしたはずよ!?」
え? ああ、あるある、土壇場のキャンセルは良くあるわね! 秋子さんったら……桜子さんに内緒で?
「……ぇえ!? 違うよ! 僕はちゃんと認知して……養育費も送るつもりで……」
認知! 養育費! この二股君からそんな言葉が出るなんて思わなかったわ! お姉さん、ちょっと感心。
「どういう事!? 秋子! 説明してちょうだい!」
そう!
この修羅場を何とか出来るのは当の秋子さんしか居ない!
でも遅い。すべてが遅いの。ほんと、サーヴァントって……儚い存在(いきもの)なのね。
……精神的なダメージに弱いとか、放置すれは死んじゃうとか。
たぶんだけど、彼女、ここに居る麻生と桜子さんに対する執着だけで命を繋いでたんだと思うの。
桜子さんが麻生の事好きなこと知ってて、だから子供の事も言えなくて。
桜子さんがヴァンパイアになったのも、自分のせいとか思ってたかも。
そんな彼女を麻生から守ろうとするの、当然よね?
でも麻生は元カレで、子供の父親で……うあ……相当のダメージだわ。ここまで持ったのが奇跡なくらい。
ごめんね桜子さん。あたし、彼女を助けられなかった。
駆け寄った時にはどこ触っても脈に触れなかった。
もちろん息も無かったし。
(……あれ? ヴァンパイアって……呼吸(いき)するんだっけ?
裕也は「習慣的にしてるだけで止めても平気」みたいな事言ってたけど。
そうよね。あんなぴったりした棺桶に入って寝るくらいだもの。酸素が必要ならすぐに酸欠になっちゃう)
不意にしたピアノの音。
あたしはハッとして桜子さんを見た。
誰も触れてないピアノの音鳴らすなんて、彼女以外に居ないもの。
桜子さんは、じっと秋子さんが居たはずの場所を見つめながら泣いていた。
頬を伝った雫がポタリと床を濡らす。……うそ。あの桜子さんがあんな風に泣くなんて思ってもみなかった。
彼女の肩越しに立っている麻生もまた、桜子さんと同じ場所を見て、同じ顔して。
二人とも秋子さんをどんな風に思っていたのか、あたしには解らない。
解らないけど、ピアノの音はすっごく切なくて……綺麗な音の筈なのにとっても重たくて。
思わずぎゅっと……赤ん坊を抱き締める。赤ん坊はいつの間にか泣きやんでいた。
「お待たせ致しましたわ皆さま。この曲が、明日の皆さまの糧となれば幸いですわ」
……え?
桜子さんが、観客席に顔を向けて立っていた。
それはさっきまで泣いていた……妹の死を悼む姉の顔じゃない――プロの顔。ピアノの職人――ピアニストの顔。
桜子さん? あなた……まさか「弾く」つもりなの?
麻生の血で今はそうして立ってるけど、でもあなたの胸には銀の弾が刺さったままのはずよ!
観客席の空気がざわついた感じがして、観客席に眼を向けると……
ちょっと! 客達の眼がさっきまでと違うじゃない! なんか、やっとこの時が来たって雰囲気になってるじゃない!
あたしは慌てて舞台袖に立つ柏木さんに駆け寄った。
「呪縛ってやつが解けたのかしら?」
柏木さんがゆっくり首を横に振って……でもその後で少しだけ頷いた。
「ええ。いずれは解けねばなりません。客も、お嬢様も」
こんな時に意味深なセリフを呟く柏木さんは、やっぱり素敵なバトラーのままだった。
- 136 :佐井 浅香 :2018/01/27(土) 06:57:45.97 ID:Cf9ijtEQ.net
- なんて、柏木さんの顔に見惚れてる場合じゃなかったわ。
「止めて! 無茶よ! 桜子さんが死んじゃう!」
でも柏木さん。必死で訴えるあたしを見下ろしたまま動こうとしない。
「どうして? 彼女を救ってって頼んだの、柏木さんよ!」
「お嬢様は――あれで良かったのです」
口を開いた柏木さんの顔にあったのは、痛みでも焦りでも無い、安堵の色。
あたしは訳が解らなくて、柏木さんと舞台とを交互に見る。
「私は貴方に『救済』をお願いしたのです。『命』ではない、『心』の救いを」
「……命ではなく、心?」
「ええ。救えぬ筈のお嬢様の魂を、貴方は救ってくださった」
「綺麗ごとは嫌いよ。死んじゃったら何もかも終わりじゃない!」
「いいえ!」
珍しく柏木さんが語気を強めた。
「ヴァンパイアであるお嬢様に、命の救いなど全くの無意味」
あたしはゴクリと生唾を飲み込んだ。どういう事? 永遠の命が……無意味だと言うの? そんな筈ないわ!
麻生が桜子さんの手を取り、ピアノへと誘うのが見える。
あたしはもう一度柏木さんに向き直る。
「無意味……? どうして? せっかくの永遠の命が……無意味だと言うの?」
なお食い下がるあたしを、柏木さんは哀しそうに眺め……そして……言ったのだ。
ヴァンパイアの行く道は永遠の闇だと。
……聞いた言葉だった。そうよ、裕也がいつも言ってた言葉。
あたしが吸ってと頼む度に、彼はその言葉を口にした。
『永遠の闇を進む覚悟が、君にあるのか?』
――鐘が鳴っている。
そう思った。遠くで鳴り響いている鐘の音、あれは……誰かを弔っているのかしら。
それとも、祝福しているのかしら。
解らない。
あたしには……決して踏み入れたくない……天国への誘(いざな)いに聞こえるわ。
そっちへ行くなと、そう教えてくれてるみたいに。
あたし、どうしたらいいの? 何処へ向かったらいいの?
柏木さんが踵を返す。
赤ちゃんは……とっても心地よさそうに……スヤスヤと眠ったまま。
- 137 :麻生 結弦 :2018/01/31(水) 06:24:01.32 ID:DYD0Yc5p.net
- Eフラットのピアノの音で目を覚ました客達。
ホールの温度がさっきまでと違う。客達の眼が違う。すべての視線がピアノに注がれている。
まるでプログラムが進んでいた……あの時間に戻ったように。
……僕はこのリサイタルの主催。何か言う必要があるだろう。
「お待たせ致しましたわ皆さま。この曲が、明日の皆さまの糧となれば幸いですわ」
僕より先に、客に声をかけたのは桜子だった。
客の視線が彼女に集まる。
桜子は客達に微笑みを返し……ピアノの方へと歩き出す。胸の染みが見る間に広がり、その半身を赤く覆っていく。
その姿はまるで薔薇の棘に自らの胸を差し、それを赤く染めたナイチンゲール。
……君の命は風前の灯。なのに君は……君って女(ひと)は……本当に……
彼女の手を取ろうとして腰を上げ、でも僕は伸ばしかけた手を止めた。
桜子が一言、二言呟いたのが耳に入ったからだ。
「ありがとう柏木。ありがとう、浅香」と。
彼女の視線を追うと、舞台袖に立つひと組の男女が目に入った。
赤ん坊を抱いた先生(アサカって名前らしい)と、黒服の男性だ。
はは……そっか。その服、さっきの支配人、局長でしたか。
どおりで……さっきの無線も、現場に居なきゃ言えない台詞ですものね。
今桜子が「柏木」って――そう言うことなんですね? ずっと執事の振りして……桜子の屋敷に潜入を?
随分とカッコいいおじさんに化けたじゃないですか。もちろんそれも……素顔じゃない、ですよね?
ええ。聞きませんとも。
ほんとは知ってた癖に、「水原桜子の動向を探れ」だなんて白々しくも命じた事も、
桜子と見せかけた秋子をこの場に寄越したりした訳も。
局長の意向を疑う権利は僕達ハンターには無い。
でも何となく……解ります。
「桜子」の事は、僕の手で決着を……って事ですよね?
局長が手を下すのは簡単だけど、それじゃあ誰も救われないって……そんなとこでしょ?
でも少々お節介が過ぎません?
先生――アサカ先生のPPKに「銀弾」入れたのも局長でしょ?
そんな事しなくても、僕はちゃんと……ええ、ええ。局長がすっごく周到な人で、保険かける人だって事は解ってます。
局長のお陰で僕は……余計な罪悪感を持たずに済んだ。そう受け取っておきます。
そんな眼で見ないでください。この場は納めて見せますとも。
僕と桜子……「二人」でね。
一度下ろした右手を、もう一度桜子に差し出す。
触れた彼女の手は透き通るように冷たくて、
こんな手でピアノなんか弾ける訳が無いのにそれでも億尾にも出さない……そんな彼女は今でも僕の目標で。
そうだよ。君はずっと僕のピアノを追いかけていたんだ。
知ってる? ピアノに転向したのは、君の音を聴いてしまったからなんだよ?
すべてのヴァイオリニストがたぶん目標にしてるニコロ・パガニーニ。
父は僕を現代に蘇ったパガニーニ! なんてフレーズと一緒に売り出したかったらしくてね。
それこそいい音が出るまで食事抜きで練習されられたよ。
(パガニーニも父親にそうやってスパルタされたらしいね!)
そんなこんなでようやく納得の行く音が出せた、そんな時……僕は君のピアノを聴いたんだ。
ショックだったよ。
あの苦労は何だったんだろうって思った。
この気持ち……君には解らないだろうなあ。
ピアノが出す「鐘」の音、どんなに技巧を凝らしても、技術を磨いても、ヴァイオリンじゃ出せない音があるんだって……
(そりゃパガニーニその人が弾いたなら出せたのかも知れないけどさ!)
桜子、この椅子に座って。そんな顔しないで。大丈夫さ、僕は大丈夫。
そう、そこに腰かけて。
左パートを頼むよ。僕はこの通り、左が使えない。
左はほら……音域がものすごい広いから……君が座った方が絶対いいって。
そうそう。高音域は弾きづらいかもだけど……僕がこうやって支えるからさ。
あ、ペダルは僕がやるよ。立ったまま弾く時は、ペダル踏んだ方が弾きやすいから。
- 138 : :2018/01/31(水) 06:28:28.69 ID:DYD0Yc5p.net
- 訂正:41行目
× 君はずっと僕のピアノを追いかけていたんだ
○ 僕はずっと君のピアノを追いかけていたんだ
- 139 :麻生 結弦 :2018/02/03(土) 05:46:20.41 ID:QCsRs/rS.net
- 桜子が奏でた最初のEフラットが、ホール全体を別世界に変えた。
- 140 :麻生 結弦 :2018/02/03(土) 05:46:49.08 ID:QCsRs/rS.net
- ――これが……これが彼女の……本気の音……!
……凄い。
こんな……ことってある? 君にはいつも……こんな景色が見えているの?
大勢いた客の姿はすでに無い。
眩しいライトも、舞台装置も何もなく、そこにあるのはただ無限に広がる白い虚空。
上も下もなく、そこにポツンと置かれた自分が酷く不安で、僕はただ次の音に耳を澄ませる。
二つ目のEフラット。
足元に白い湖面が出現した。
澄んだ湖。深い水底。湖の底に沈んでいるたくさんの「何か」。
あれは……沈んだ船の残骸……? いや違う……棺桶……だ。幾重にも折り重なり、水底を満たす死者の棺。
墓場の上に立つ自分。ゆっくりと広がる波紋が、白木の棺を揺らめかす。ざわめく気配。
死者が目を覚ます。その蓋が今にも開きそうで……僕は眼を逸らす。
ぐるりと囲む水平線が、灰色の空に白く溶け込んでいる。
三つ目のEフラット。
足先が踏むダンパーペダルの感触が戻る。右の指先が鍵盤に軽く触れている。
黒いピアノが、そこに確かに据えられている。
僕に返された時間(とき)。感じる客達の視線(め)。
遥か遠くで鳴っている教会の鐘。
手首を曲げ、ひとつ上のオクターブを……小さく……叩く。3度鳴らされる硬い――トライアングルの音にも似た響き。
合いの手で彼女がまた、3度。そして僕もまた3度。静かなる序章。
寒空に消え入るような……鐘の余韻。
序章後の「間」。固唾を飲んで見守る客の呼吸を、何故かとても近くに感じる。鼓動が早まる。
吸った息を、ゆっくりと吐く。
初めの主題を奏でるのは僕なんだ。落ち着いて……思い出して。リストの足跡を追ってヨーロッパを旅した……あの時の事。
何故リストがこの曲を何度も作り変えたのか知りたくて……彼の生地に行った時の事を。
眼を閉じる。
肩と肘の力を抜き、右手指を躍らせる。
硬く澄み渡るピアノの音。右手の奏でる旋律に、合わせる桜子の音が聞こえる。
完璧だよ桜子。音質も、タイミングも、主旋を邪魔しない控えめさも。
でも……どうしてだか……胸が抉られる。この自我が……奪われる。
ここには僕と……大勢の観客がいるんだよ。彼らの呼吸を……感じて。僕を感じて。彼らと……僕と一体になって。
桜子を抱く左腕に力を込める。ピクリと彼女の身体が反応する。
僕は手指を一心に動かす。先へ、先へと進めていく。
鐘の旋律が展開し、新たな旋律(第21小節)に取って変わる。
テンポは変わらず、でも忙しさが違う。小刻みにスイッチする僕と彼女。物悲しさに華やかさが加わった不思議な旋律。
それに耳を傾け、指先をすべらせる。彼女が僕の呼吸に合わせているのがはっきりと解る。
作業に没頭しつつ……耳を澄ませる事も忘れない。忙しさのあまり、音がおざなりになってしまっては元も子もない。
ふと……張りつめていた気が緩む。
第42小節。桜子が先導に変わる。初めて僕が彼女に合わせる、そんな一場面。
眼を開ける。
さっきまで白一色だった湖と空に「色」がついている。
澄んだ湖が怖いほど青い。
なだらかな丘陵が湖を取り囲んでいる。緩いカーブを描く緑の地平線が見える。
散らばる白い家屋と、教会の尖った屋根。雲の無い空に、この湖を囲むスカンポの丘。
あの丘は……そうだ。オーストリアの国境付近の……ショプロンの郊外で……草はらに腰かけて……眺めた景色。
- 141 :麻生 結弦 :2018/02/03(土) 06:36:50.04 ID:QCsRs/rS.net
- 景色に色を与えたのはこの旋律。
あのリストをも魅了した……パガニーニの「鐘の主題」が、この景色に色どりを与えたのだ。
僕には解る。
初めてリストがパガニーニの音を聴いた時の驚愕。
こんなにも人の心を揺さぶる音があるのかと……僕もそうだったから。
だから、当然なんだ。
リストがパガニーニのヴァイオリンをピアノで表現しようとやっきになったのも。
たった2年でカンパネラの第1稿(351小節に及ぶ大作だった)を完成させてしまったのも、出来た曲を何度も作り直したのも。
敬虔なカトリックだった彼は、誰かを祝う時、またはその死に直面した時、必ず「鐘の音」を聞いたはず。
その度に鐘は違って聞こえたはずだから。
第1稿を書いた頃、リストはマリー・ダグー伯爵夫人と道ならぬ恋に落ちていた。3人の子も授かった。
世間は非難し、しかし彼を支える夫人と、子供の存在が彼の心を動かした。
うんざりするほど難しい第1稿を、より弾きやすく、しかし引きつける旋律にしたのも頷ける。
そんなこんなで完成した第2稿を、リストは発表せずに取っておいた。
友人の……ロベルト・シューマンの結婚祝いに献呈するつもりだったから(彼らの婚姻は事情あり難航していた)。
ダグー夫人がリストの元を離れたのはこの頃だったらしい。
シューマンと、その連れ合いクララが無事に教会で式を挙げ、クララにこの曲を捧げた時の……鐘の音はどんなだったろう。
何の因果か、同じ年にニコロ・パガニーニが亡くなった。
おそらくリストが心の師と仰いでいた巨匠の死。
パガニーニは、そのあまりの人間離れした超絶技巧が故に「悪魔に魂を売った」と広く信じられていた。
だから……どの教会もパガニーニの遺体を引き受けず、棺は延々と盥回しにされたと言う。
それを見たリストは……どんな気持ちだったろう。教会の鐘が残酷なものに聞こえたんじゃないだろうか。
その後新たな恋をして、その最中に尊敬するショパンが死んで。
ピアニストとしては長い人生を送ったリストは、出会いも多い半面、多くの知人や家族の死にも直面している。
鳴らされる鐘の音(ね)は消えず、遠く心に残り、その音は幾つも重なり――
たぶん、そうして第3稿が出来上がった。
主題の旋律をこと細かに追いかける最高音のEフラットは、そんな鐘をイメージしたんだと僕は思う。
曲が96小節に突入する。
いつの間にか噴き出していた汗が、頬を伝って顎に溜まる。
僕は軽く頭を振り、それを脇に払った。鍵盤を汗で濡らす訳に行かないから。
右パート、左パート、共にオクターブの音階を駆け上がっては踏鞴を踏み、駆け降りてはまた駆け上がる。
スイッチする場面もあるけれど、ほとんどが同じタイミングで鍵盤を叩くパッセージだ。ある程度のスピードも要求される。
両者が本当に一体にならねば……クリア不可能な通り道。
この腰を抱いていた桜子の右手が僕を引き寄せる。
僕も左腕をしっかりと彼女に回す。
上下の動き。眼では追えない手指の動き。さらに早まる鼓動。喘ぐような彼女の呼吸。
クライマックスに向け、僕達はいま、一体となっている。動きを早める。もっと! もっとだよ! 桜子!!
緑の景色が一斉に弾けた。
僕に取っては唐突なラスト。
意識を無くし、ぐったりと椅子にもたれ掛かる観客が姿が目に映る。
僕は――まだだ。まだ卒倒する訳にはいかない。僕はここの――主催だから。
会場の景色はまだあの景色のままだ。
緑の草原に、緩やかな丘。風にそよぐヒースの枝葉。まだ響いてる教会の鐘。白い屋根から立ち昇る幾筋もの白煙。
青く澄んだ湖。眼の前には黒いピアノ。
そして僕の横に……桜子だけが居なかった。
- 142 :水原 桜子 :2018/02/05(月) 05:54:42.09 ID:izRUa3oJ.net
- 96小節。ここからが正念場。
伴奏も主導もない。右と左とが同時に旋律を奏でる第2の変奏部。終わりに向け、一息に駆け上がるパッセージ。
けれど……ここまで来て……この身体が限界を迎える。
心の臓に打ち込まれた弾が重たく、冷たくのしかかってくる。
手指が……肘が……身体中が……凍てついて行く。腕が……手首が……石のように重い。
見えない。客も、舞台も、ピアノすらも。
聴こえない。結弦とわたくしの指が、鍵盤を叩いているはずなのに。
そんな時、何かの雫がこの頬を濡らした。
とても……温かい。まるで喝得た喉を潤す人間の体液のような。
情熱の籠もる音の束が、胸の氷を溶かしていく。
気付けば指は動いている。黒いピアノの天板が白い光を照り返している。
腕の中の結弦がとても熱い。それがとても心地良くて、もっと感じたくて、ぎゅっとこの身を押しつける。
彼もそれに答える。わたくしの身体も……次第に熱を帯びていく。
不意に現れた青い湖。どこまでも深い、碧く澄んだ水面。指を動かすそのたびに、どこまでも広がる碧い波紋。
……これは……何? わたくしだけに見える……映像(まぼろし)?
ただひたすらに指を動かす。音が重ねれば重ねるほど、景色は色で満ちていく。
緑の平原、赤い家屋の屋根、ヒースの丘に遊ぶ子供たち。
駆け上がる音階。完全に調和する二つのパート。
教会の鐘が鳴っている。誰かを送る鐘。黒衣の人間が棺を担いでいる。それを追う人間達が泣いている。
祝いの鐘。階段を駆け降りる花嫁と花婿も見える。二人を言祝ぐ大勢の人間達も。
これは誰かの記憶かしら? もしかしてリストその人の? 鐘の音が呼び覚ましたと言うの?
結弦、貴方にも見えているのね?
時折、何かを追う貴方の視線は……そういう事なのね? 貴方もわたくしと同じ景色を見ている。
あなたと「記憶」を共にしている。
息を切らし、上下する結弦の鼓動。
それを完全に一つになる自分。 更なる高みを目指し、駆け上がる。
鐘の音が……とても煌めき、輝いている。世界の……この世のすべての鐘が鳴っている。
――ああ! すごいわ! 誰かとここまで一体感を感じたことが、貴方にあって……!?
ラストパートの激しい旋律が、湖面を激しく震わせる。何度も力強く鳴らされる鐘の音。その波動を全身で受け止める。
共に弾いたラストの和音。それはわたくし達の終わりを告げる音だった。
結弦がペダルから足を離す。わたくしと彼の指先も……そっと鍵盤を離れ――
場を満たす余韻が徐々に弱まり消えていく。結弦の身体も、その温もりも。
少しばかりの間を置き、思い出したかのように客の一人が手を叩いた。
二人、三人、そして一斉に。熱いコールがホール全体に吹き荒れる。
結弦が客に身体を向ける。彼の手がわたくしの方に差し伸べられ、しかしその手はただ椅子の背もたれをぐっと掴んだだけ。
そう。わたくしの身体はもう――
腕を横に広げ、客のコールに答える結弦。
鳴り止まぬ拍手。
……そう言えば貴方には……まだ最後の仕事が残っていたわね?
長く伸ばした右の前髪が軽く揺れる。硬く引き結ばれていた口元が緩み……彼が口ずさんだのは、歌の一節。
リストの友人だったシューマンが、クララとの婚礼の前夜に捧げた賛辞の歌。
歌に合わせ、彼の右手が鍵(キー)を滑る。
――献呈――Widmung (Robert Schumann / Franz Liszt)
シューマンが妻の為に書いた歌を、リストはピアノ曲として二人に贈った。
……美しい調べ。ふわりと浮き上がる意識。舞台袖に座りこむ浅香の腕に抱かれた赤ん坊が、眼を開けて嬉しそうに声をあげている。
ふふ……まるで一緒に歌っているよう。
この子は頼むわね? この子はわたくし達の子。貴方と秋子と……わたくしの子なのだから。
さよならは言わないわ結弦。今夜は呼んでくれて、本当に――ありがとう。
- 143 :佐井 浅香 :2018/02/06(火) 06:04:37.73 ID:q5fFntF0.net
- あたし、「わーーー!!」って叫びたい気持ちを必死でこらえてた。
だって、さっきまで桜子さんが座ってたはずの椅子が、空っぽなんだもの。
曲が終わった瞬間に……まるで蝋燭の火みたいに消えたのを……見ちゃったんだもの。
割れんばかりの拍手の音。
右や左の客に向け、丁寧にお辞儀をしている麻生が、すごく何だか霞んで見える。
- 144 :佐井 浅香 :2018/02/06(火) 06:15:18.84 ID:q5fFntF0.net
- 信じらんない。
ほんとにあなたは……この世から消えて無くなっちゃったの?
我侭で冷たくて素っ気なくて、服のセンスとかお嬢様過ぎて取っつき難かったけど……でも……
浅はかでそそっかしいあたしの事、いつも「ま、いいわ」で許してくれて。
短気なようで心が広い、勝気なようで意外に可愛い……
そんな桜子さんのこと……あたし……
いきなり麻生が歌いだした。しかも堂々としたイタリア語のテノールで。
あたし、びっくりして桜子さんの事を一瞬忘れた。
だってそうでしょ? リサイタルで歌い出すピアニストが何処に居るかってのよ!
さらに、さらによ? それ聴いた客の反応がすごかったの!
ほとんどの人が立ちあがって、一斉に麻生に合わせて歌い出したのよ! クラシックの、ピアノのリサイタルでよ!?
客の方は、イタリア語に混じって日本語もちらほら。
「君こそ……我がいのち……」って、これ、もしかしてリュッケルトの詩?
そんな客の反応を、当然って感じに頷いて見た麻生が椅子に腰かけた。
客が歌うのをやめて、その様子を見守る。
麻生が左右の手を鍵盤に乗せ、目を閉じる。
ってちょっと、また弾くつもり?
ポタリ……っと、彼の左ひざに雫が落ちるのを、あたしは見逃さなかった。
たぶん、そう。さっきほどいた包帯を、いい加減に巻きなおしたんだわ。
押さえるべきとこ押さえてないから、動かしたり曲げたりすると、簡単に傷が開いちゃう。
どうせまた激しい曲なんでしょ? リストってそうなんでしょ?
『ドクターストップよ二股君! ほんとのほんとに再起不能になっちゃうわ!』
あたしは一生懸命、首と口を動かした。あたしはドクター。患者の無茶を黙って見てなんかいられない。
『駄目だってば! お辞儀だけして帰ってきなさい!』
でもそこは彼一人の舞台で、あたしが出張って止められるような、そんな世界じゃなかった。
麻生が弾き始める。
あたし、その手の動きを……ハラハラしながら眺める。
ピアノを軽く撫でるような右手の動き。
そしてただ低い音をポーンと押すだけの……左手。
はあ……とりあえず……あまり左手首を……酷使しない曲みたい。
もともとそういう曲なのかしら? それとも右手で左手の分まで弾いてるのかしら?
ま、彼もプロってことよね。流石に無茶はしないか。
あ。別に彼が好きになっちゃったとか、肩入れしたくなったとか、そんなんじゃないからね?
あたし、手掛けた患者はみんな平等に扱うって決めてるの。
曲自体は……そう。
またまた知らない曲ではあったけど、でもすっごく……「幸せ」って言うか、「ありがとう」って感じの曲だった。
さざ波が寄せて返すような響きと、語りかけるみたいなメロディが……すっごく…………
何よ。
不覚にも……泣けてきちゃったじゃない。
でも、急にその曲のメロディをハミングしだした赤ちゃん見て噴き出しちゃった。
だって……その「マ〜」とか「ウプ〜」とか言う可愛い声が……あんまり音程ぴったりだったから。
んもう! 思わず抱きしめて頬ずりしちゃう!
……こら何よ! 何でそこで泣くのよ! そんなに怒ることないじゃない!
うーん……怒った顔がブチャイクでカワイイでちゅねぇ〜〜えい! えい! あははっ!
――いいじゃない! あたし、基本子供好きなんだから!
でも本当の問題はここから。
「認知する」って宣言してた麻生の言葉が本当なら、責任持って育てる気もあるって事よね。
だけど、ピアニストでハンターでお金持ちって事くらいしか取り柄がなさそうな麻生が、一人で育てられる訳がない。
お母さん代わりになってくれる人を探さないと。
え? あたし?
……うーん……まあ……その人が見つかるまでの間だけなら……
- 145 :佐井 浅香 :2018/02/07(水) 06:45:15.48 ID:6FZx507S.net
- アンコールに答え、曲を弾き終えた麻生が立ちあがった。
ホールを揺るがすほどの拍手とコール。この騒ぎは、しばらく収まりそうもない。
「待って。何処行くの?」
黙ったまま、ずっと背を向けていた柏木さんが、1歩、2歩と歩きだしたもんだから、あたしは慌てて呼びとめた。
ヒタリ……と動きを止める柏木さん。
「まだ私に何か?」
いつものバリトンボイスより更にもっと……低い声。
何か? じゃないでしょ! 貴方にはこの子のお母さんを探す役目が残ってるでしょ!
って言おうとして、あたしは押し黙った。
振り向いた柏木さんの……二つの眼。暗がりにはっきりと浮かび上がる金色の眼。
それはヴァンパイアがヴァンパイアである事を自ら証明する眼だったから。
あたしはしばし言葉を忘れた。彼がヴァンパイアだったから、じゃない。
桜子さんがヴァンプだって知った上で執事やってたくらいだもの、彼自身そうであってもおかしくない。
むしろ納得。
さっきあたしを気絶させた時の、隙の無い身のこなしとか、常に落ち着き払った……素敵すぎる態度とか。
そうじゃないの。
解っちゃったから。正体を明かしたのは、これ以上あたし達に関わらないって意思表示だって。
でも……でも……それじゃあ……あの時の熱意は何だったの?
この子は秋子さんの忘れ形見。遺伝子的には桜子さんの子でもある。それを麻生一人に任せるって言うの?
桜子さんを救ってってあたしに頼んだ時の、あたしの肩を掴んだ時の、貴方の熱い手。
あれ嘘だった? よくもそんな「もう自分は関係ない」みたいな態度を――
「赤ちゃんの事。心配じゃないの?」
込み上げた感情を押さえたあたしの声は、いつもよりトーンが低かった。
柏木さんの眼が集茶に戻る。
再び前を向いた柏木さんの、押し殺したようなため息が聞こえた。
「…………限りませんから」
「……え?」
「私が……ヴァンパイアであるわたくしが、いつまでも『押さえられる』とは限りませんから」
人間に戻った彼の背中は酷く哀愁を帯びて見えた。
そういう事なの? 自分自身が押さえられないなんて、柏木さんほどの人でも?
大勢の人間が立ちあがる音。上着を羽織る衣擦れの音。おしゃべりをしたり、笑い合ってるおばちゃん達の声。
それらが次第に遠ざかっていく。ホールが再び静寂に包まれていく。あたしは再び口を開く。
「柏木さん。貴方には、あたしが桜子さんとした約束を果たす義務があるわ」
ピクリと柏木さんの肩が震える。
「……約束……とは?」
「とぼけないで。桜子さんはあたしをヴァンパイアに変えてくれるって約束した事、知ってる筈よ?」
柏木さんの肩が震えている。笑っているのかも知れない。
「……懲りない方だ」
「そうよ。あたし、案外しぶといの」
柏木さんはまだ背を向けたまま。あたしは彼に駆け寄ろうとして、でも……ある気配がそれを制した。
すぐ横に、麻生結弦が立っていた。
銃を右手にまっすぐに構えて。銃口が狙うのは、柏木さんの黒い背中。
その銃はあたしが奪ったはずのベレッタだった。赤ん坊を起こさないように、そっと右手でズボンのベルトを触ってみる。
……無い。取られたこと、全然気付かなかった。
「局長。今夜の事、仕組んだのはすべて貴方ですね?」
ゆっくりと……柏木さんがこちら側に向き直った。その眼は燃え上がる夕陽よりも赤かった。
- 146 :麻生 結弦 :2018/02/08(木) 07:15:08.12 ID:LFIQUKBL.net
- ……冷たく残されたピアノ椅子。耐えがたい喪失感が僕の胸を締め付ける。
ピンと張りつめている僕の中の音。
でも……答えなきゃ。客があんなに手を叩いてる。
- 147 :麻生 結弦 :2018/02/08(木) 07:15:53.07 ID:LFIQUKBL.net
- 「ありがとう」
何度も呟いた言葉は言葉にならず、コールの波にかき消されていく。
僕は両の手を差し伸べ、とある詩の一節を歌い出した。
シューマンの歌曲集「ミルテの花」の第1曲。音楽を嗜む人なら、知らない人はいないだろう。
僕に合わせ、一人、二人と立ち上がり歌い出す。声を揃える人達の歌声でホールが一杯になる。
うん。
今夜の客は、本当にノリがいい。
- 148 :麻生 結弦 :2018/02/08(木) 07:16:14.25 ID:LFIQUKBL.net
- 椅子に腰かけると客もまた一斉に座った。……何だか学校の先生になった気分。
僕が弾いたのはさっきの歌の調べをリストがピアノ用に編曲した曲。アンコールの定番中の定番「献呈」。
大丈夫さ。この右手が出来るだけ左をカバーする。
この主旋はいつ聴いても……多幸感に溢れてる。そう思わない?
聴いてくれたみんなに感謝を伝えたいならこれしかないっていつも思う。
だけど……今夜だけはちょっとだけ複雑な気分だったり。
この曲が作られた背景、知ってるかな。
リストには友人でライバルでもあった男が居て、そいつが苦労に苦労を重ねてようやくある人とゴールインした。
その嫁さんも実は彼の馴染みで、綺麗なうえ頭が良くてピアノも上手くて作曲まで手掛けるような凄い人で……
リストが彼女に惚れてたかどうかなんて解らないけど、少なくともリストに取って、物凄く好きなタイプの女性だった訳で。
その結婚を、本当に、心の底から祝うことが出来たんだろうか?
僕には自信が無い。もし誰かに「彼女」を取られたら、僕はその誰かを殺してしまうだろう。
客席の一部がざわつく。いけない。音に籠もる僕の暗い情念を感じ取ってしまったのかも知れない。
左手が重い。
流れる血が袖口から入りこんで……肘のあたりがぐっしょりと濡れている。左の膝もだ。
雑念は捨てよう。
僕はこのリサイタルの主催で、ピアノの――音楽のプロフェッショナル。聴き手に音を届けるのが仕事なんだ。
- 149 :麻生 結弦 :2018/02/08(木) 07:19:21.90 ID:LFIQUKBL.net
- 退場する僕の後をしばらく追いかけていた拍手がまばらとなり、やがて止む。
人の波が出口へと向かう中、ハンター協会の面々だけはその場に居残っている。
局長の指示を待っているんだろう。
『御苦労だった。今夜はゆっくりと休みたまえ』
なんて言葉が耳の中の受信器から今にも聞こえてきそうだった。
局長は、まだ舞台袖に居るだろう。そこは全体を見渡せる位置だから……ほら、やっぱりね。
僕は両脇一杯に抱えた花束の隙間から二人を確認した。
僕の近くにはアサカ先生が赤ん坊を抱えたまま立っていて、出口付近に立つ局長の背中を眺めている。
あれ? 局長、僕らの方、見てないじゃん。もう終わったから、各自解散って……そういう事? 指示は?
ガサゴソ煩い花束のセロハンを一纏めにして、そっと演台の一つに置く。
そんな時に耳に入ってきた二人の会話は、一見理解し難いものだった。
「柏木さん。貴方には、あたしが桜子さんとした約束を果たす義務があるわ」
「……約束……とは?」
「とぼけないで。桜子さんがあたしをヴァンパイアに変えてくれるって約束した事、知ってる筈よ?」
――なん……だって……?
僕は混乱しつつも、アサカ先生の台詞を時系列順に並べ換えた。
『桜子が先生をヴァンパイアに変える事を約束した。それを果たす義務が、局長にはある』
……先生がヴァンプ志願者だとか……その辺の事情はわからない。
解らないけど、解らなくもない。人は彼等を恐れる一方で憧れたりする。自分もなれたら……って。
正直僕だって望んだ事がある。地下室に飼われてた「彼」が、あんまり凄かったから。
ヴァンパイアなのに、格好も身体もボロボロなのに、毎晩僕の訓練に付き合ってくれたあの人は、
優れた身体能力に合わせ、断固とした意思を持っていた。
彼は良く言っていた。「俺は人間を殺すが、仲間にはしない。闇の同胞など要らない」と。
いやいや、重要なのはそこじゃない。
先生の言葉、局長がヴァンパイアだってこと前提にしてるよね?
先生はたぶん、勘違いしてるんだ。桜子の執事は当然ヴァンプって思ってるから。正体が局長だって事知らないから。
あの局長がヴァンプなはずないじゃん!
彼、ハンター協会の……事務局長だよ?
彼がクリスチャンってのも有名な話だし、どう考えてもヴァンプと結び付か――
僕は可能性を否定する一方で、今までの出来事を模索していた。
10年前、局長がコロニーの「伯爵」に単身挑んで……半殺しの目に遭ったこと。
それは僕が地下室で「彼」に遭った頃と重なる。
伯爵はまんまと逃げて、とある世界の重鎮におさまった。たまにテレビに映ってるあの人。
「陽」を克服した彼が、実はこの新宿のコロニーの頂点なんだけど、それはまた別の話。
療養中だった局長がひょっこり事務局に姿を見せたのが半年前。
これも、地下室の「彼」が逃げた時期と重なったりするんだけど、……あれ?
「彼」の素顔は局長とは全然別で……でも……局長の素顔は僕も知らなくて――……いや、まさか。
「……懲りない方だ」
「そうよ。あたし、案外しぶといの」
彼等の台詞は、局長が人間では無いという仮定を大方肯定するものだった。
僕は……カマをかける事にした。
まだこっちに気付かない先生の背後に忍び寄り、開いた白衣の隙間に手を滑らせる。
――あった。僕のベレッタ。
ベルトに差し込んであったそれを素早く抜き取る。先生は気付かない。
「局長。今夜の事、仕組んだのはすべて貴方ですね?」
僕の向けた銃口を真っ直ぐに見返す局長の赤い瞳。背中を――冷たい汗が伝って降りた。
- 150 : :2018/02/08(木) 07:20:22.74 ID:LFIQUKBL.net
- 名前:柏木 宋一郎(かしわぎ そういちろう)
年齢:45歳
性別:男
身長:183
体重:75
種族:ヴァンパイア
職業:ある時は執事、ある時はハンター協会の局長、またある時は……
性格:真面目で義理堅い
特技:弾丸を素手で掴み取る
武器:なし
防具:なし
所持品:聖書 銀のロザリオ 小型の無線機器一式
容姿の特徴・風貌:黒のスーツ、白髪混じりの総髪 隙の無い立ち姿。
簡単なキャラ解説:4人居るVP幹部の一人。もとハンター協会事務局の局長を務めていたが、10年前に吸血鬼に噛まれヴァンパイアとなる。
人間だった頃は柔道5段、空手5段、合気道5段。ついでに書道は師範代。十字架に対する耐性を持っている。
- 151 : :2018/02/09(金) 06:37:47.18 ID:a5wtWSSP.net
- これにて第2章終了とさせていただきます。
3章の始まりまで1週間ほどお待ち下さい。
誰か伯爵やってくれる人、居ないかなあ……
- 152 :創る名無しに見る名無し:2018/03/02(金) 09:39:19.36 ID:YmoLNRWz.net
- お疲れ
読んでるよ!
続き楽しみにしてるよ!
- 153 : :2018/03/08(木) 18:31:24.94 ID:U0IQ9UR+.net
- >>152
すみません!
色々と構成を練っているうちに時間が経ち、先が見えず投稿まで億劫になる始末で……
でももう悩むのはやめます。
キャラに自然に動いてもらう、そんな気持ちで行かせて頂きます。
- 154 :麻生 結弦 :2018/03/08(木) 19:20:35.63 ID:U0IQ9UR+.net
- 攻撃は突然だった。
相手はヴァンパイア。その眼が赤く光る時、僕らの時間は止まる。承知していたはずなのに。
局長が消えたと思ったその瞬間、右手首が上に跳ねあげられていた。同時に払われた両足。フワリと浮く身体。
視界が反転し、仰向けに抑え込まれる。
両足の膝、腰、肩、両腕の肘と手首……あらゆる可動部位が固められ、動かせない。
1秒にも満たぬ間。
反撃する隙は無論、相手に受け身を取らせる必要すら無い鮮やかすぎる仕事。
――ガチン!
ベレッタが床に当たる硬い音。背中に押しつけられた硬い床。
絶対的な「脅威」が僕の身体の上に居た。
ぼやけていく視界。その中に二つの赤い眼だけがくっきりと浮かび上がる。
氷のような万力の掌が、この左右の頸動脈を絞めつけている。
「……局……長……」
ようやく出せた掠れ声。
絞めつける手が緩む。見下ろす眼が赤から金色に変わる。残酷に歪む口元から白い牙が覗く。
「ヴァンパイア相手に威嚇は無意味。教えた筈だがね?」
局長の手指が喉元の窪みを撫でている。いつでも殺せると脅している。
まったく同じ仕草だった。10年もの間、あの地下室で自分を鍛えてくれた、あの「彼」と。
「貴方だったんですね? あの暗い地下で……毎晩僕を待っていたのは」
見下ろしていた金色の眼が硬く閉じられる。残酷な笑みが寂しそうな笑みに代わる。
「気付くのが遅いよ、麻生君」
僕の首から手を離した局長は、おもむろに「仮面」を剥ぎ取った。
その顔はまさにあのヴァンパイアのものだった。それが局長の……素顔。
「局長は……どっちなんですか?」
「……どっち、とは?」
「ヴァンパイアか、人間か、どちらの味方なんですか?」
そうだ、局長の行動は理屈に合わない。いくら馴染みの人間だからって、ハンターとして育てたりしまい。
桜子に引導渡すように仕向けたりとか……
局長がヴァンパイアで、人間の敵だって言うなら、そんな事するはずがない。
「知りたいかね?」
「ええ、とても」
じっと僕の眼を見つめていた局長が、口を開きかけ……だけどすぐに閉じた。
彼の眼が周りの何かに向けられている。再びその色を変えていく両の瞳と、口端から覗く乱杭歯。
首を巡らしてみてその訳が分かった。
ズィルバー・クロイツの連中が僕らを取り囲んでいたんだ。
それぞれの銃口を僕達に向けたスーツ姿の戦闘員達。
その中から一歩進み出た、場違いな格好をした男。
派手なキャップにダブついたカーキー色のパンツ。白いTシャツには墨で書きなぐったような馬の絵。
黒い革の手袋をした両方の手に、銃身の長いクラシックなリボルバー。
「結弦から離れてくんない? 司令?」
カチリッとハンマーを起こす音。
彼はハンター仲間の一人、如月魁人(かいと)。
あの地下室での訓練を許されていた……数少ない友人の一人だ。
- 155 : :2018/03/08(木) 19:24:20.96 ID:U0IQ9UR+.net
- 名前:如月 魁人(きさらぎ かいと)
年齢:25
性別:男
身長:179
体重:66
種族:人間
職業:ハンター(ハンター協会所属)
性格:破天荒な勤め人
特技:ジャグリング
武器:パイソン(コルト・パイソン357マグナム)
防具:ごく普通の防弾チョッキ
所持品:馬の蹄鉄 恋人の写真
容姿の特徴:肩まである金髪 ストリート系の服装、常にキャップと手袋着用。両耳に蹄鉄型のピアス。
簡単なキャラ解説:ハンター協会直属のハンター。趣味は乗馬で、月毛の馬を1頭飼っている。
- 156 :如月 魁人 :2018/03/10(土) 06:39:23.42 ID:d5qmzjBH.net
- 司令は結弦の上に乗っかったまんま1ミリも動かない。見返す眼が満月みたいな異様な光を放ってる。
すげぇ。トラみてぇだ。暗がりに居たトラがハンターに挑むときの眼だ。
「司令(局長)、俺の声……聞こえた?」
「……ああ」
答えはしたけど、やっぱり司令は結弦を離そうとしない。
こりゃ投降する気も……ねぇだろうなあ。こっちは総勢50よ? そんなに自信あんの?
「ちょっと……待ってよ!」
声は司令の後ろに居た佐井浅香のものだ。子供を抱いたままつかつかと俺の方に近づき、司令と俺との間に割って入った。
……恐れ知らずかよ。
カチリッ……!
クロイツの一人が彼女に銃を向ける。司令の眼が彼を向く。
「彼女も、その赤ん坊も『人間』だ。しかも一般人。撃てばどうなるか……解るな?」
「え……あ……はい!」
……何で素直に司令の言う事聞いてんのよ。
駄目でしょ。
司令にもしもの事があった時は、その場に居るハンターに司令権が移るって……決まってるでしょ。
気持ちは解らないでもないけどさ。
「あのさ、司令」
「何だいカイトくん」
気軽に返すその調子はいつもの司令だけど、殺気だけはそのまんま。
「これってもう……『詰み』でしょ?」
「詰み?」
冷やかに俺を見返す司令。
「さっきのは嘘だ」
「さっきの?」
「一般人を殺すな……ってのがさ。俺は協会の『上』が黙認してる事を知ってる」
「ほう」
「すなわち。『10を守る為に1を殺せ』」
俺は赤ん坊を抱いた佐井浅香に向け、トリガーを引いた。
- 157 :佐井 浅香 :2018/03/17(土) 05:32:31.96 ID:TkY0M8FN.net
- あ!
っと思った時、柏木さんは麻生を組み伏せ、首を絞めていた。
抵抗できずに横たわる麻生の……その左手がひどく痛々しい。
「……局……長……」
細い隙間から絞り出すような麻生の声。
――局長って……「ハンター協会の局長」のことよね。
柏木さんって……いったい何者なの? バトラーかと思えば支配人で、実は協会の局長で……どれが本当の柏木さん?
あたしに分かるのは、彼の正体がヴァンパイアだって事だけ。
「ヴァンパイア相手に威嚇は無意味。教えた筈だがね?」
いつのも渋い声に込められたものにあたしは場違いな嫉妬を覚えた。
……愛情? 友情? 親近感? 分からないけど、そんな感情が籠もってた。
「貴方だったんですね? あの暗い地下で……毎晩僕を待っていたのは」
「気付くのが遅いよ、麻生君」
さっきあたしにして見せた時と全く同じ動作で、「仮面」を取った柏木さんは、やっぱりあたし好みの美形のおじ様だった。
ん。ちょっと……若いかな? 口髭とかも無いし。
で?
麻生と柏木さんは古くからの知り合いで、「先生」と「生徒」の仲で?
麻生もそれに気付いたのがつい最近で? 柏木さんはそれに軽く抗議したりして?
なによなによ。
何かいい雰囲気なんか作っちゃって。あたし、なんか置いてけぼり?
柏木さんすっごい優しい眼しちゃって。麻生の首を撫でてる手の動きなんて……どこかエロティック。
……変なの。
敵同士の男二人が恋人同士に見えるなんて。
「局長は……どっちなんですか?」
「……どっち、とは?」
「ヴァンパイアか、人間か、どちらの味方なんですか?」
麻生の質問に、あたしちょっとドキッとした。
ヴァンパイアになりたい自分。人間の医者を続けたい自分。――どっちの味方?
そんな時だった。とつぜん黒い集団に囲まれたの。そういや居たわね。ズィルバー・クロイツ。
ぜんっぜん足音とかしないから、近くに居るの気付かなかった。
流石に二人とも彼等に気付いておしゃべりを止めた。
「結弦から離れてくんない? 司令?」
言いながら進み出たのは、麻生と同じくらいの若い男。
彼だけは他の連中とは明らかに「違う」。何が違うって……まずそのファッション。
赤と黒のロゴが入った黄色いキャップと、肩まである金色に染めた長髪。
黒い馬の絵(一見「馬」っていう字にも見える)がついた、パツパツの白T。
対してボトムはラフ。裾が広がったワークパンツみたいな七分丈のズボン。
これだけだとストリート系のチャラい風に見えるかもだけど、真っ黒い革のブーツとグローブがその印象を打ち消して、全体をカッチリさせている。
そんな彼が重心を落とし、柏木さんに銃を向けている。
まるで西部劇の保安官が持ってるような、リボルバー。それをを2丁。
「目標」を見つめるその眼が、いかにもハンターって感じ。そこが他の奴らと全然違ったの。
- 158 :佐井 浅香 :2018/03/17(土) 06:25:30.50 ID:TkY0M8FN.net
- 「司令、俺の声……聞こえた?」
「……ああ」
「ああ」って言ってるけど、柏木さん、麻生を離す気なんか全然ないのが解る。
この流れはまずいわ。
あいつの眼、本気よ? 本気のハンターがどんなに怖いか……少しは解るつもりだもの。
ぜったい大丈夫って思ってた裕也だって……
「ちょっと……待ってよ!」
あたしはたまらず柏木さんの前に飛び出した。そいつの眼があたしに向く。銃は、こっちに向けたまま。
横あいからもあたしに狙いをつける男が一人。
正直、後悔。
あたしなら、ヴァンパイアでない人間のあたしなら、奴らの気を削げるって思ってたけど、だけど――終わったかも。
赤ちゃんをギュッと抱きしめたまま、ギュッと眼をつむる。
「彼女も、その赤ん坊も『人間』だ。しかも一般人。撃てばどうなるか……解るな?」
「え……あ……はい!」
――え?
こんな時だけど、あたし思わず笑っちゃった。
柏木さんに窘められた男の反応が、あんまりコミカルだったから。
でも笑ってる場合じゃないみたい。あたしを見つめる帽子の男の眼は――笑ってない。
二つの銃口をこちらに向けたまま。銃の撃鉄も起こしたまま。
……あたし達じゃ……楯にならない? VPのメンバーだから? 赤ちゃんも……「サーヴァント」の子供だから?
「あのさ、司令」
「何だいカイトくん」
――
……カイトって呼ばれた男が柏木さんに話しかける。のんびりした声音で返す柏木さん。
明らかに絶対絶命って状況で……
柏木さん、さっきは庇ってくれてありがと。
彼――カイトは、銃を降ろすつもりなんて無い。あの眼を見ればわかる。
だから、彼があたしを撃った瞬間に逃げて。ね?
『10を守る為に1を殺せ』
その言葉が合図。銃が火を吹く合図。
あたしは今度こそ覚悟して眼を閉じた。
同時に響く二つの銃声。でも……何の衝撃もない。
眼の前に黒い影が立っていた。
カイトとあたしとの間に、立ちはだかる黒い影。その後ろ姿は柏木さんでも、まして麻生でもない。
「……田中さん」
柏木さんの呟いた名前は、あまりにもありふれた名字の一つだった。
- 159 :田中 与四郎 :2018/03/17(土) 06:29:49.94 ID:TkY0M8FN.net
- 名前:田中 与四郎
年齢:推定500
性別:男
身長:178
体重:75
種族:ヴァンパイア
職業:VP新宿支部会長(VPは派遣会社を装っている為、表向きは「社長」である。
性格:もの静かで柔らかな物腰だが実は激情の持ち主で、自身の信念に忠実に生きている
特技:纏う「気」で銃弾を絡め取る。その「気」の威力で投げ返す事も可能。ほか人相占い
武器:なし
防具:なし
所持品:懐に茶碗ほか茶道具一式
容姿の特徴:黒の総髪にグレーの着物、ブラウンの羽織り、黒足袋。
簡単なキャラ解説:4体居る幹部の1人。戦国時代から存在し、織田家や豊臣家に仕えた経験あり。趣味は美術品の鑑定。
- 160 :如月 魁人 :2018/03/31(土) 05:41:37.14 ID:ftKjB1pF.net
- 俺は確信してたぜ? 二つの弾丸が人間の肉にぶち当たる、そんな手応えをな。
だが見ろよ。
弾が無傷で床を転がってやがる。チカチカ光る弾は俺の弾に間違いねぇ。腹にU――蹄鉄型の刻印があるもんな。
有り得ねぇ、反則だぜ?
俺はいきなり割って入ったその男を睨みつけた。
この視線を真っ向から受けとめるおっさん。50……いや60過ぎか?
洒落た羽織りに袴、歳の割にやたらと多い黒髪を肩まで伸ばしてビシッとオールバック。
髭もきっちり剃ってやがる。普通に見りゃあ……偉いどっかの先生だ。陶芸家とか御茶道とかのな。
品が良すぎてとてもヴァンプにゃ見えねぇ。
>「……田中さん」
司令が乾いた声で呟く。その口調の恭しさ。
畜生……こいつ、「幹部」だ。
俺の見立てじゃあ司令は幹部クラス。人間の時ですらキレッキレだった司令を、コロニーの頭がヒラにしとく訳がねぇ。
その司令より格上って……そりゃないぜ。いきなり幹部二匹を相手にしろってか?
ゆっくりと親指を撃鉄にのせ、カチリと起こす。
タナカと呼ばれたヴァンプの眼が金に変わる。
そいつの身体から立ち昇った「何か」が俺とそいつとの間に渦を巻く。歪む視界。
これか。「気」か。さっき俺の弾を弾いた正体は。
人間にも硬気功、軟気功を操る奴が居る。それをヴァンプが会得したらどうなるか。
おそらく練った「気」を自在に操作可能。壁にするも鎧にするも自由ってわけだ。
なるほど、手も足も動かさねぇで銃弾を捌けるわけだぜ。
一度起こした撃鉄を慎重に戻す。黒い眼に戻ったそいつがニヤリと笑い、気の渦が四散する。
俺は銃口をそいつに向けたままちょっと考えた。
王手をそっくりそのまま返された、そんな気分だった。
「なあおっさん」
静かすぎる眼で俺を見ていた田中の眼の色が変わる。
俺は眉間から伝って来た汗をペロリと舐めた。汗ってこんな……苦かったか?
「有り得ねぇよな。誇り高いヴァンプ様が、2体お出ましとか、マジ有り得ねぇ」
ヴァンプって奴はふつう群れねぇ。「協力」すんの見たことねぇし、聞いたこともねぇ。
たぶん「矜持」って奴なんだろう。アリンコ相手に連携する必要なんかねぇっな。
ま、こっちはそれで好都合だったわけだ。
あんな化けもんに何匹も来られたんじゃ堪ったもんじゃねぇ。
田中の眼がスッと細まる。片方の唇だけを吊り上げる、皮肉な笑み。
「然様。まこと……仰る通り」
俺の言葉をポツンと肯定した田中が、いきなり大口開けて「ハハハ」と笑いだした。
囲むクロイツ達がギョッと眼を開け、銃を構え直した。後ろの司令までがハッとした顔で田中を見上げる。
「はははは、すまんすまん。言われてみれば至極もっとも」
まだ笑い足りないのか、まだくっくっと込み上げる笑いを押さえてる田中大先生。
すっげぇ余裕。撃つなら今がチャンスだと思ったんだろう、クロイツの連中の指がトリガーにかかる。
「やめとけ。こいつは『気功師』だ」
「――ほう?」
田中の肩眉がピクンと跳ねた。
- 161 :如月 魁人 :2018/03/31(土) 07:01:16.17 ID:ftKjB1pF.net
- 草履を履いた足先が床を擦る、ギュッと言う音。人懐っこそうな笑みを浮かべた田中がおもむろに両腕を組む。
何だよ、子供がオモチャでも見つけたような顔しやがって。
「儂は田中与四郎と申す者。お若いの、名を聞かせて下さらんか?」
名乗ってから名を聞く。先生は流石に行儀がいいぜ。
俺は少し間を置いてから……口を開いた。銃口は向けたままだ。
「如月だ。如月魁人。そいつみてぇな非常勤じゃねぇ、『協会常勤』のハンターよ」
無論「そいつ」ってのは結弦のことだ。
プロのピアニストでハンター稼業は片手間、かといって腕がいまいちとかそんな風には思ってねぇ。
何かを極めた奴は、別の何かも極められるって……身を持って教えてくれた先輩が居るからな。
先輩――俺の尊敬する水流さん。大好きな先輩の話をさせたらキリねぇからやめとくが。
「如月……。其方もあの月を戴くか。面白い。実に……面白い!」
田中の気がいきなり膨れ上がった。
悪寒が背を駆け上がる。指が反射的に撃鉄を起こす。
俺は撃った。それを合図に、クロイツの連中も一斉に撃ちこんだ。奴の「気」が挑発だと気付いた時は遅かった。
「伏せろおおおおおお!!!!」
「「……がっ!」」
「「ぐわっ!?」」
方々でクロイツ達の悲鳴が上がった。
何が起こったか何となく解った。田中の気が楯となり、奴らの弾を弾(はじ)いたに違いねぇ。
伏せったまま両の銃口を向けてみるが、何故か異様に腕が重い。
身体もだ。平たい岩でも乗っかってるみてぇだ。これも奴の「気」の仕業か?
白い煙だか埃だかのせいで周りが良く見えねぇ。
血と硝煙の匂い。こっちに近づく靴音…………この音は……司令?
「待ちなさい」
靴の音が止まる。戸惑う気配。
「まだ『時期』ではない。『伯爵』様にご報告を」
身体が不意に軽くなる。奴らの気配が消える。クロイツ達の呻く声だけが場に残される。
俺は……ゆっくりと身体を起こした。
「てめぇら、無事か?」
答える声は疎(まば)らだが、ひとまず安心だ。少なくとも全滅じゃねぇ。
俺はゴロっと仰向けになった。
今だけだ。少し休んでもいいだろ。司令の居ない今、後始末やんのぜんぶ俺だからな。
- 162 : :2018/03/31(土) 18:13:05.21 ID:ftKjB1pF.net
- >160
×アリンコ相手に連携する必要なんかねぇっな
○アリンコ相手に連携する必要なんかねぇってな
- 163 :佐井 浅香 :2018/03/31(土) 18:48:51.41 ID:ftKjB1pF.net
- ――広い……背中だわ……
それが初めて「彼」を見た時の印象だった。
あたしに向けられた銃弾をあっさりと阻止した男。特に構えもせず、ただ足を肩幅に開いて立っている和服の男。
彼の足元に転がってるのは、どうやらさっきあいつが撃った弾。
あれをいったいどうやって?
あたし聞かなかった。弾を弾く音も、その弾が床に落ちる音も。手の平で優しく掴んで、そっと床に置いたとでも?
ふと香った甘い匂い。
甘いと言っても、クッキーとかアップルパイみたいなスイーツ系の、じゃなくてね?
懐かしい……お線香をもっと……すっきりと軽く、甘くした……そう、これはあのお香の匂い。
あたしには父も母も居ない。お祖母ちゃんに引き取られ、育てられた。
今でも覚えてるわ。お祖母ちゃんは食事の後、よくお茶を立ててくれたこと。
小さな囲炉裏に、小さく練った丸い薬――練り香とかいう――をくべると、とってもいい香りがした。
その匂いを嗅げばどんな辛いことも忘れられた。
お祖母ちゃんの着てた着物にも同じ匂いがついていた。そのお祖母ちゃんもあたしが中学に上がる前に――
懐かしいけど辛い記憶がこの胸を絞めつける。
田中さんって……言ったかしら。
何故彼からあの時と同じ香りが? まさか――
まさか、よね。きっとお茶が趣味のおじ様、いいえ、きっと偉い御茶道なんだわ。
着物の色艶といい質感といい、随分と高そうな品だもの。センスも抜群。
明るいブラウンの羽織、肩と腰に散った白い桜。袴は濃い目のグレーで、模様は色合いを抑えたモノトーンのベイズリー。
古風な桜とベイズリーがうまい具合にベストマッチ。
>「なあおっさん」
――おっさん!?
何故かムカっと来たあたしは声の主を睨みつけた。
遠慮も気負いもない、ベンチに寝そべる酔っ払いでもにかけるような、ぞんざいな声。
何よその態度。目上を敬いなさいって学校で習わなかったのかしら。
>「有り得ねぇよな。誇り高いヴァンプ様が、2体お出ましとか、マジ有り得ねぇ」
……あ、なるほどそういうことね。
一見チャラいカイト君も、見た目通りじゃない、色々と考えてる。
彼は田中さんを挑発するつもりなのよ。ほら、人って逆上したり動揺したりすると平常心を無くすでしょ?
どんなに凄い人でも、普段しない失敗しちゃうわけ。
医療の現場でも同じ。恋人や肉親の手術(オペ)はご法度なの。
ああ、あたし、肉親も恋人も居なくて良かったわあ……
……なによ。負け惜しみじゃないわ。オペはあたしの生き甲斐なの!
話が逸れたけど、カイト君の作戦、上手くいくかしら?
相手は銃弾も掴み取る(?)ヴァンプよ。
怒ったヴァンプの怖さ、知らないの?
ところが田中さんの反応は冷静そのものだった。
怒るどころか、冷静を通り越して高笑い。カイトに痛いところを突かれた筈なのに、それが不思議とツボにハマったらしい。
さっすが! 上に立つ人は器が違うわ!
田中さんの余裕とは裏腹に、あたし達を囲む男達の緊張が高まるのが解る。
照準を合わせる動作。引き金にかけている指に力が籠もる気配。
>「やめとけ。こいつは『気功師』だ」
>「――ほう?」
眠っていた赤ちゃんが、パチっと眼を見開いた。
- 164 :佐井 浅香 :2018/04/01(日) 06:17:02.61 ID:X+LgjalO.net
- 気功師? 気功ってあの……「気」を練って身体の不調を治したりする……あれ?
田中さんが感心したような声をあげ、腕を組んだ。
……良くわかんない。
二人が交わした会話に納得するような何かがあったかしら?
気功師なら撃っても無駄、みたいな、そんな話の流れだったけど。……なんで?
あたしは悩んだ。納得いくまで考える性分だから。すっきりしないもの。
――分かった!
気功師は「気」で自身の身体を治すから、撃っても無駄ってことね! すごい速さで傷を治せるから!
……てあれ? それってすべてのヴァンプに言えることよね? んーー……
さらに悩むあたしの顔を、赤ちゃんが手でパチンと叩いた。
何かをしきりに探すような仕草。口を開けて、可愛い舌を覗かせて。
……お腹がすいてるの?
ふふふ……豪儀ねぇ……。怖くないの?
待っててね。たぶんこれ、もうすぐ終わるから。田中さんがきっと何とかしてくれるから。
>「儂は田中与四郎と申す者。お若いの、名を聞かせて下さらんか?」
>「如月だ。如月魁人。そいつみてぇな非常勤じゃねぇ、『協会常勤』のハンターよ」
田中さんが名乗って……カイトが名乗り返す。
戦う前に名乗りをあげる……まるで戦国時代の武将みたい。日本人って不思議。そんな暇あったらさっさと攻撃しちゃえばいいのにね。
ヨシロウ、与四郎。あれ? この名前、聞いた事ある、ような?
くいっっと白衣の裾を引かれて振り向く。柏木さんが片膝をついたまま、眼で麻生を差す。
倒れてる麻生は顔面蒼白。もしかして死んじゃった?
赤ちゃんを柏木さんに預け、麻生の頸動脈その他を触ってみる。
大丈夫。脈はある。
でも……変よ。綺麗すぎない?
なにがって……顔よ顔。綺麗な顔って意味じゃないわよ。顔の傷。
桜子さんにやられた筈の傷が……ひとつもない。
肩も……脇腹も……足も……裂けた服の隙間から触った肌はスベスベ。
そして何よりも一番重傷だった左手! 撃ち抜かれた筈の手首の傷が……跡形もない!?
受けた傷が綺麗に治るなんて、まるで――ヴァンパイア。
もしかしてあの時――桜子さんに手首を吸わせたから?
>「如月……。其方もあの月を戴くか。面白い。実に……面白い!」
感極まった田中さんの声がしてそっちを見た。
今度は見えた! 田中さんの身体から、周りを歪ませるほどの「気」の渦が立ちあがるのが!
カイトとクロイツ達が一斉に引き金を引いた!
音はしない。
彼等が叫ぶ声も、倒れる音もぜんぜんしない。
たぶん、そう。あたしや柏木さんを囲む気の渦がすべての音と衝撃をシャットアウトしてるんだ。
きっとさっきも同じことをしたんだ。
柏木さんから受け取った赤ちゃんがそれを見てキャッキャと笑う。
……すごい。田中さんも、あなたも。
男達の呻く声。
ああ、音が戻った。バリアーが解かれたんだ。終わったんだわ。
そう思って辺りを見回す。濛々と立ち込める煙のせいで状況が全く解らない。
柏木さんが煙の中に姿を消す。向かう先は――さっきまでカイトが立っていたあたり?
靴音だけが、ゆっくりと遠ざかっていく。止めでも差しに行くつもりかしら? でも田中さんがそれを止めた。
>「まだ『時期』ではない。『伯爵』様にご報告を」
――時期? 何の時期? 伯爵……ふふっ……まさかドラキュラ伯爵じゃ……ないでしょうね?
膝の力が抜ける。
一気に襲う眠気と疲労感。支えてくれるこの腕は……柏木さん? 田中さん? 駄目……もう……限界。
- 165 :如月 魁人 :2018/04/02(月) 06:31:49.46 ID:rkCgA4ec.net
- あれから3日。
奴らはナリ潜めたまんま、特に目立った動きはなし。
俺はいまだに書類関係任されてデスクにかじりつく毎日。
書類入れに積まれたバインダーは、ちょい席外して帰ってくれば……増える一方。終わる気配がねぇ。
あー……寝てぇ。風呂入りてぇ。
バタン! と勢い出入り口のドアが開いた。ツカツカと響くヒール音が俺の前で止まる。
「魁人くん。1階の異臭&騒音騒ぎが起きてるわ。何とかしてくれない?」
「へぃへぃ。この書類仕上げたら行きますよ」
「なに? まだ始末書なんかやってるの? 劇場の修理、賠償金支払いの手続きは? 会員の入院費見込みの一覧は?」
トンっと俺の机に右手を叩きつけた美人が、ぐっと俺のノートPCを覗き込む。
ほっそい腰に左手をギュッと押し付けて、前かがみになった襟元から深い胸の谷間がくっきり。
彼女は日比谷麗子。防衛省から出向で来てる超がつくエリートだ。
歳は俺より一回り上。でも20代顔負けの若い見た目とナイス過ぎるプロポーション。
位置的には司令の秘書で、滅多に口をきかずてきぱきと司令の補佐すんのが印象的で……
なんっつーか……会員達の憧れのお姉様的存在――だったはずなんだが。
司令代理でこの椅子に座った俺に対する対応は最悪。この調子で俺、ずっと彼女に責められっぱなし。
「……っせーよ。んな一度にポンポンポンポン」
「何言ってるの。柏木局長ならこの程度、半日で済ませてるわ」
「……俺を司令と一緒にしないでくれます? 俺、この手の書類見るのも聞くのも初めてで」
「それは貴方の勉強が足りなかったせいよ。局長に全部任せてたツケが回って来たんだわ」
「……俺、現場主義だし。PCもポンコツで処理遅いし」
「お黙りなさい。もとは防衛省の備品よ? ここで保管してる事にしてあるんだから。この『僻地』にね」
……僻地。言ってくれる。ハンター協会はあんたんとこの下部組織じゃねぇ。国が認めた独立機関だ。
そっちの予算やら備品やらを回してもらってんのはまあ……仕方ねぇ。寄付金だけじゃ成り立たねぇもん。
つかあんたがやってよ。エリート様ならお得意でしょ?
なんて言ってやりたかったが、口に出すのはやめといた。倍にされて返って来るに決まってる。
残りのブラックコーヒーを飲みほしてから、開いていた参考書類とPCの画面をバタンと閉じる。
「ちょっと、何処か行く気?」
「あんたの行った異臭騒ぎって奴を処理しに行くんだよ。文句ある? ないよね?」
何か言いかけた彼女を無視し、そそくさと廊下に出た。
朝の5時だ。開け放した窓から入る、ヒンヤリした空気が気持ちいい。
エレベータ脇の階段を一息に駆け降りる。
……司令。やっぱあんたはすげぇぜ。あんなうるさ型、手懐けてたんだもんなぁ。
- 166 :如月 魁人 :2018/04/03(火) 06:30:20.85 ID:NYDEKcdw.net
- 10階の踊り場でふと足を止める。日の出前のうす暗い空の下、細長ぇビルが大小ギザギザ突っ立ってる。
地元から初めて東京に来た時俺、これ見てすっげぇ感動したもんだ。
これがあの地上の星か? なんてね。
今じゃあ「まだ仕事してる奴居る」くれぇにしか思わねぇ。月日ってのは切ないねぇ。
消えていく明かりが多い中、ピカピカっと妙な光が点灯した。都庁――東京都新宿庁舎のアタマんトコだ。
あ、アタマってのは俺的に北棟と南棟の間の凹んだ部分ね。
都庁見るとマク○スのロボット連想すんだよ。あるじゃん? 両肩にバーンと砲台がつっ立ってるフォームの奴。
その屋上の……ヘリギリギリんとこに人が立ってる……だと?
あ、この距離で見える訳ねぇって思った?
俺の視力、5.0。サロベツって知ってっか?
日本では滅多に見れねェ地平線ってもんが見えるトコだ。
想像してみろよ。360度が草地と牧場に囲まれてんだぜ? 草地にはマシュマロみてぇな牧草のロール。牧場には白黒の牛。
西を見れば富士も真っ青利尻富士。んな環境でガキん時から馬乗り回してたわけ。鍛えられて当然よ。
……1…2……3人居る。良く見りゃ……ありゃ司令か?
田中って奴も居る。ちょい離れたとこのあの男は――俺達が「伯爵」だと睨んでる厚生労働大臣だ。なに企んでやがる。
――こっから狙い撃てばいいって? あそこまで1.5kmはあんのよ? ゴルゴでも無理だろ。
「魁人さん!」
下から声をかけられた。2段飛ばしで駆けがってきたのはクロイツの班長。
「なかなか来ないんで迎えに来ましたよ! 麗子さんに捕まっちゃったのかと!」
「悪ぃ。すぐ行くわ」
手すりに手をかけ、それを支点に身を躍らせる。螺旋の階段ならもっとアクロバットな降り方出来るんだが。
班長が慌てて追ってくる。
1階はワイワイとくっちゃべるクロイツ達でごった返していた。
「なに騒いでやがる。また俺の女が何かやらかしたか?」
「そりゃもう大変っすよ! 魁人さんが3日も待たせるから……」
「そうそう! 魁人さんもちゃんと躾けて下さいよ! 用は決まった場所で足してくれ! って!」
「んなこと言われても」
「魁人さん! せめて日に3度は来て下さいよ! 俺達じゃ手に負えねぇっす」
俺はテーブルやソファが並ぶエントランスをつっ切った。
高いボードで囲まれた空間に「それ」は居た。
それこそがあれ。日比谷麗子が言ってた異臭&騒音騒ぎのもと。
ブルルル……!
女が鼻を鳴らしてこっちを見た。
飼い葉と水桶をバシバシ踏み散らし、首を振る俺の女。
女の名は月姫。白い鬣(たてがみ)と白い尾が自慢の俺の女だ。俺の通勤手段、馬なのよ。
- 167 :創る名無しに見る名無し:2018/05/21(月) 06:25:06.30 ID:tRZnwP6O.net
- 知り合いから教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
参考までに書いておきます
グーグルで検索するといいかも『ネットで稼ぐ方法 モニアレフヌノ』
DXF5D
- 168 :創る名無しに見る名無し:2018/07/03(火) 21:22:49.65 ID:f1dClnnX.net
- B29
- 169 :佐井 浅香 :2018/07/14(土) 10:03:57.60 ID:p2IjXsm0.net
- 夢を見た。
あたしはまだ小学生で、学校から帰る途中で。角を曲がって見えた家の門の前にお祖母ちゃんが立っていて。
『お帰りなさい』
って口を動かすお祖母ちゃん。その背中越しに、遠ざかっていく男の人。
あ、あの人はたまに家に来るお客さんだ。背が高くて黒い長い髪をした男の人。今日も来てたんだ。
お祖母ちゃんよりちょっぴり若く見えるあの人は誰? もしかしてお祖母ちゃんのカレシ?
なんて訊いたら、あはっ! お祖母ちゃんったら、そんな風にはぐらかしたら余計疑っちゃうじゃない!
ぐっと肩を揺すられた。ああ、またお祖母ちゃんが起こしに来てくれたんだって思って眼を開けた。
もちろんそこに居たのはお祖母ちゃんなんかじゃなくて。
「良かった。もうお目ざめにならないかと」
心からホッとしたような声は、柏木さんのもの。
気付けばここはベットの上。
慌てて身体を起こす。
ベットの端に腰かける柏木さんが素敵な笑顔をこっちに向けている。
いつものカッチリした黒のスーツに水色のネクタイをウィンザー・ノットにして。さすが、一分の隙もありゃしない。
あたしの方もいつもの薄汚れた白衣……じゃなかった。
素肌の上にブカブカのパジャマ一枚だけ。しかも袖口が短く折り返されてて、太ももが半分隠れちゃうくらい丈が長くて……つまりは男物。
誰の? まさか柏木さんの? え? ええ!?
「もしかしてもしかしたらあたし、柏木さんと!?」
「……は?」
「このベットでご一緒しちゃった!?」
しばらくあたしの顔を見ていた柏木さんは、右拳を口に当てて咳払いをひとつ。
「御安心下さい。わたくしはここへお運びしただけです。お着替えその他はすべてメイド達が」
「え? メイド?」
折よく廊下に面したガラス窓から、メイドさん達が通りかかるのが見えた。
こっちを見てヒラヒラ手を振っている人も居る。
あらここ、桜子さんのお屋敷じゃないの。良く見れば昨日使わせてもらったお部屋だわ。白いドレッサーに黒いヒダヒダカーテン。
「なあんだ、残念」
「……残念? 何がです?」
あたしは柏木さんの茶色い眼をじっと見返した。眼を瞬かせる柏木さん。
……気付かなかったとは言わせないわ。貴方に逢ってから、ずっと隠さずにいたあたしの「貴方に気があるオーラ」に。
自分で言うのもなんだけどあたし、見た目とかプロポーションには自信があるんだから。
それを抱きかかえて……色んなとこに触っちゃったら、こう……ムラムラッと来るものじゃないかしら?
それをなに?
全部メイドに任せたですって?
意識のない 美 女 を着替えさせる絶好のチャンスを無にしたっていう事なの?
っていうか「如何わしい」気分にならないまでも、真っ当なヴァンパイアなら美女相手に思わずガブッとやりたくなるものでしょ?
よっぽど自制心が強くなきゃ、さもなきゃ――
「柏木さん」
「はい」
「あなた…………ホモ?」
- 170 :佐井 浅香 :2018/07/14(土) 10:21:44.09 ID:p2IjXsm0.net
- あたしの当然すぎる質問に、柏木さんがまともにひっくり返った。
傍のテーブルまでつられてひっくり返ったもんだからもう大変。
ヤカンやら茶碗やらがガチャガチャグワンと転げ回って、中に入ってたお湯が床一面に飛び散って。
「……やだ……大丈夫?」
柏木さんたら、なんてナイスすぎるリアクションかしら。そんなオーバーアクションされたら、余計疑いたくなっちゃうじゃない。
そういや麻生結弦を押さえこんだ時も、なんかいい雰囲気だったわねぇ……なんて。
「失礼いたしました。わたくしとしたことが、取り乱し粗相など」
シューシューなるヤカンを頭に乗せたままゆっくりと身体を起こす柏木さん。
極めて落ち着いた動作でヤカンをどけ、立てかけたテーブルの上に乗せる、その手がジューっと音を立てて焼けている。
唇を噛みしめて眼を閉じてる彼。
あたしはベットから飛び降りて、彼の手を掴んだ。
「ちょっと見せて」
あたしが強引に手を上向かせるのを黙って見おろす柏木さん。
男らしい頑丈な指に手の平。見る間に赤みが引いていく掌の火傷(きず)。そっか、彼、ヴァンパイアだったわ。
「柏木さん、あたしって魅力ない?」
「え?」
「だってそうでしょ? 男一人女一人、夜中にベットに二人きり。そんな状況で指一本触れないなんて」
「いえ……あの……」
「あーあ! 自信なくすなぁ! あたしって、自分で思ってるよりイケてないのかも!」
「わたくしの言動が貴方のプライドを傷付けてしまいましたか? ならば申し訳ありません」
――な――なんなの……! 女がここまで本心をさらけ出してるのに、その事務的な態度!
なによ! こうなったらやけくそに挑発してやるんだから!
ドサッとベットに腰かけて腕を組む。肌蹴た胸元から自慢の胸の谷間がのぞく。
片足をわざと大きく振り上げてから足を組む。見えそうで見えない絶妙のタイミングで。
一度眼を逸らした柏木さんが、ゆっくりとこっちに向き直った。
濡れたままの前髪が額に張り付いて、ぞっとするほど整った……その眼の色が金に変わる。
それは人間がヴァンパイアに変わる狭間の眼。
本性が剥き出しという訳ではない、かといって人間の理性では押さえきれない衝動を抱える眼。
張り詰める空気。背筋にじいんと痺れるような悪寒。硬直する四肢。
押さえこまれた肩に、鋼のような指先が食い込んで、ギリギリと音を立てている。
――苦痛? いいえ! すっごい快感! だって……この時を長いこと待ってたんだもの!
首筋に感じる彼の……熱くて冷たい吐息を感じたその時、音と立てて扉が開かれた。
- 171 :佐井 浅香 :2018/07/14(土) 15:26:48.25 ID:Burdgie5.net
- ×音と立てて扉が開かれた
○音を立てて扉が開いた
- 172 :佐井 浅香 :2018/07/14(土) 15:27:41.86 ID:Burdgie5.net
- 「何をしている」
戸口に小柄な男の人が立っていた。
(小柄……そう。すぐ後ろに立ってる田中さんより頭ひとつ低いからそう表現したけど、あたしよりは高いかな)
年はあたしと同じくらいか……むしろ若い。
スラッとした細見の身体にぴったり誂えた真っ白なスーツ。黒いYシャツに柄物のネクタイ。
そうね。見てくれだけから言えば……ヤクザさんの若頭ってかんじ。その尋常じゃない眼つきも。
そんな彼がもう一度口を開く。
「何をしていると聞いている」
低い、氷のような冷たい……高圧的な口調。
柏木さんの眼が人間のそれに戻るのと、ベットから飛び退くのと、ほぼ同時だったかしら。
すべるような身のこなしで入ってきた白スーツ。その足元で膝を折り、床に両手をつく柏木さんが声を絞り出す。
後悔と自戒の入り混じった、そんな声で。
「……申し訳……ありません」
「この人間には手を出すなと言っておいた筈だ」
白スーツが右手を振り上げる。手には明らかな殺気が籠もっている。
「待って!」
急いで止めたけど男の手は止まらなかった。
降りおろすと同時に柏木さんが横倒しに倒れる。噴水みたいに吹き上がる血。
声を殺して蹲る柏木さんの右肩から先が――無い! その切り口、まるで日本刀か何かでバッサリ斬られたみたい!?
再度振り上げられる男の右腕。その手にはもちろん何もない。
「やめて!!」
駆け寄ろうとして、でもいつの間にか後ろに居た田中さんに腕を掴まれた。す――凄い力!
「離して! あたしが悪いの! あたしが彼を挑発したのよ!」
「挑発、ですか」
「そうよ、卑怯な手段で彼を誘ったのはあたし! だから柏木さんは――」
「柏木は――悪くない?」
ゆっくりと……白スーツの男が振り向いた。その顔はあたしも良く知っている顔だった。
- 173 :佐井 浅香 :2018/07/15(日) 05:50:43.84 ID:cd1mFzHw.net
- 良く知った顔、と言っても、知り合いだとかそういうんじゃなくてね?
テレビや雑誌で良く見る顔ってこと。そこの君も、写真見れば間違いなく「ああ!」って言うわ。
あの若さで大臣!? だもんね。そう! あの菅厚生労働大臣!
あたし最初「かん」って読んじゃったけど、「すが」って読むのよね。
名前:菅 公隆(すが きみたか)
年齢:31
性別:男
身長:171
体重:58
種族:ヴァンパイア
職業:政治家(現職は厚生労働大臣)
性格:生真面目
特技:弾丸を素手で切り裂く
武器:手刀
防具:なし
所持品:スマホ iPod
容姿の特徴・風貌:純白の上下に黒のYシャツ、切れ長の黒眼、肩まで伸ばす黒髪を粗めのシャギーカットにしている。
簡単なキャラ解説:数少ない真祖の一人。彼が新宿のコロニーの現伯爵であることはハンター協会内部では周知の事実である。
- 174 :佐井 浅香 :2018/07/15(日) 06:49:09.80 ID:cd1mFzHw.net
- この人……なんて……なんて眼をしているの!
これが……まさにこれが「射竦められる」ってことなんだわ。
沼のよう。真っ黒な――底なしの沼。引きずりこまれたら2度と抜け出せない。
ふらりと気が遠くなりかけたあたしの肩を、田中さんが支えてくれる。
そっとベットに腰かけさせて……ギュッと肩を握るその手に力が籠もる。
「伯爵様。どうか仕置きはそこまでに」
視線をあたしから田中さんに移す菅大臣。
……そうなんだ、この人が新宿の「伯爵」。実質「東のトップ」。
あたしみたいな下のVP会員には知らされる筈のないトップシークレット。
すっごく若いけど……若く見えるけど……本当に彼が伯爵なの?
「その『伯爵』っての、やめてくれない?」
じとっとした眼で田中さんを睨みつけ、柏木さんに歩み寄る大臣。柏木さんは……俯いたまま。
「解ってるよ。柏木はそのお譲さんに『あてられた』だけだって」
言うなり大臣が柏木さんの前髪を鷲掴みにして上向かせた。呻き声すらあげず、眼も閉じたままの彼。
「だけどね? 如何にこのお譲さんが――失礼、年上でしたね。先生とお呼びしようか。『佐井先生』と」
振り向きもしないまま大臣が続ける。
「言ったでしょ? この人は我が種族を惑わす魔女だって。だからさっき、庁舎の屋上で釘刺したんでしょ?」
髪を掴んで絞めつける音があたしの耳にも届く。そしてこの音は……柏木さんが歯を食いしばる音。
「このまま頭の皮を剥がしてしまおうか」
ミリリと音が鳴る。柏木さんの米神を伝う一筋の血液。
「顔の皮ごとね。そうすりゃそこの先生も――」
「――おやめなされ!」
大きな声を出したのは田中さんだった。つかつかと大臣に歩み寄り、柏木さんの髪を掴む大臣の手に自分の手を乗せる。
「もう十分でっしゃろ」
「どうして? むしろ、『怒り心頭』なの、あなたのほうでしょ?」
「かましまへん。うちの『娘』がえらい迷惑かけましたわ」
「『娘』じゃないでしょ」
「みたいなもんです。ほんま、このとおり」
――娘? ――みたい?
てか……田中さん、なんで急に関西弁?
- 175 :佐井 浅香 :2018/07/15(日) 11:32:26.86 ID:cd1mFzHw.net
- 「柏木をどうしようと私の勝手だ。親の手を噛んだ者には相応の制裁さ」
「噛みなさった?」
「噛んださ。こいつが桜子を消そうとしたこと、私が知らないとでも?」
「……こ奴はもともとハンター協会の人間やからな。一筋縄ではいかへんの、ご承知やと」
「虎を飼うのも一興と思ったのさ」
「虎は虎。犬には成りようもありまへんやろ。仲間に加えた伯爵様にも責任ありますよって」
「――田中さん!!」
柏木さんの頭を床に叩き付け、大臣が立ち上がる。田中さんを睨みつけるその眼が金に変わっている。
「伯爵! 伯爵! うんざりだ! なぜ私なんです! 貴方が適任でしょう!」
「わたしどもと違い、貴方は『真祖』であられる、強大な力と耐性をお持ちなれば」
「……そう持ちあげられてもね。生まれついてのヴァンパイアがそんな偉いとは思えないね」
「陽の光を恐れぬ貴方様に叶う個体などありませぬ」
「……陽の光……ね」
推しはかったように、カーテンの隙間から白い光が差し込んだ。
うっと呻き、下がる田中さん。
キラキラと塵を纏った眩い光は、まっすぐに大臣と……蹲る柏木さんの横顔を照らし出す。
柏木さんがうっすらと眼を開け、眩しそうに光を見上げる。
「見ろ。平気なのは私だけではない。こ奴も……滅んだ桜子もだ」
「それは……『親』である貴方様の能力を受け継いだからです」
「すべてが受け継ぐとは限らない」
「ですが強みは強み。だからこそわたくしは『東』へ赴いた……貴方様と力を合わせる為に」
「……らしくない。『西』の伯爵たるあなたが頭を下げ『結託』とは」
「事態が差し迫っておりますれば」
「で? そこの先生は役に立ちそうなのか?」
ちょっと! いきなりあたし?
「兆しはまだ解りませぬが、無限の可能性を秘めております」
「そうか」
あのう……状況まったく掴めないんだけど?
やおら大臣が、足元に転がっていた何かを拾い上げた。無造作に放り投げられたそれが、あたしの膝上にドサリと乗っかる。
それは腕。まだ血が滴り体温の残る柏木さんの右の腕だった。
「それ、あなたに預けます」
「え?」
「返しちゃ駄目ですよ? この虎には腕一本無いくらいで丁度いい」
「……丁度いいって……」
「あ! そろそろ議会の準備しなくちゃ! じゃあね先生!」
いそいそと袖をめくり、腕の時計を確認した大臣が出口に向かう。
扉の向こうから様子を窺っていたらしいメイド達があわてて逃げていく。
「先生! 隣の麻生の様子と、赤ん坊を頼むね! 彼らも3日、眠りっぱなしで――」
――ドン!
扉の向こうから何かが飛び込んできて、大臣の膝にぶつかった。不意を突かれた大臣がよろけて壁に寄りかかる。
「あらぁ、ごめんあそばせ!」
茶色の髪と大きな眼をクリクリさせて大臣を見上げたのはまだ小さな女の子だった。
……ん……誰かに似てる……ってそうだ! 桜子さん! 桜子さんにそっくり!
- 176 : :2018/07/16(月) 07:21:29.36 ID:BOp0aqoe.net
- おはようございます。この先、週一〜月一のペースの投稿となりますのでご了承のほどを。
- 177 :柏木 宋一郎 :2018/07/16(月) 07:22:53.77 ID:BOp0aqoe.net
- 「柏木さん、あたしって魅力ない?」
「え?」
細いが意思の強いラインを描く眉。涼しげだが強い意思を持つ瞳。
出来ればこの場から逃げ出してしまいたかった。
そうだ。あの時、舞台裏で彼女に退去を見咎められた時、そのまま去っていれば良かったのだ。
協会も、VPも何もかも捨て、誰も知らぬ奥地にて一人朽ち果てるつもりだった、あの時。
自分を引きとめたのは何だったか。
この正体を見抜き、銃を向けた結弦か。秋子様の忘れ形見である赤子か。
いや……違う。
『柏木さん。貴方には、あたしが桜子さんとした約束を果たす義務があるわ』
佐井浅香が言い放ったその言葉。それに抗いがたい欲求を感じたためだ。
「だってそうでしょ? 男一人女一人、夜中にベットに二人きり。そんな状況で指一本触れないなんて」
「いえ……あの……」
あの晩の出来事が脳裏に浮かぶ。
気を失った結弦と佐井浅香を肩に担ぎ、赤ん坊を抱いた田中さんと共に、この屋敷に戻った時のこと。
「男一人女一人」と彼女は言ったが、あの場にはもっと大勢の人間が居た。
『まあ! 浅香センセイと……この方は――麻生結弦!? 何かあったんですか!? お嬢様は!?』
『お嬢様は逝かれました』
『……そうですか。ちゃんとした……最期でしたの?』
『ご安心を。本懐を遂げられました。まずはこの2人と……この赤ん坊を頼みます。麻生と秋子様との子です』
次の日、そしてつぎの日も麻生は目ざめず。子供をあやすメイド達の声だけが室内に響き。
『あの……佐井センセイの様子が変なんです。様子を見てくださいませんか?』
早朝の用事から戻った私と、たまたま一緒だった田中さんにメイドは言った。
私達はその足で彼女の部屋へと行き、入るなり仰天した。
佐井浅香は目覚めていた。いや、本当に目覚めて」いるのだろうか?
スラリと伸びた形の良い足をせかせかと動かし、丈の長い袖をめくり上げ、彼女は自分の仕事に没頭していた。
何かを思いついては壁に何事か書きなぐっているのだ。
白い壁は白いままだ。彼女の手にはペンはおろか、何物も握られてはいないのだから。
『佐井さま?』
呼びかけるも返答なし。その虚ろな目には何事も眼に入っていないようだ。
『これは……アルファベット、ですかな?』
田中さんが呟くので、その手の動きを目で追う。
A……G……C、T……。彼女が夢中になって書いているのは、ただその4種のアルファベットだった。
無論、その4種はあれだ。DNAのコードを表記する際に使う4つの文字。何の略称であるかまでは……忘れたが。
ひとしきり書き満足したのか、佐井浅香が眼を閉じうずくまる。
『佐井先生!』
意識はないが、脈はある。息もある。
横抱きにしてベットへと運ぶ際、彼女が小さな吐息を漏らした。揺れる白い首筋、捲れ上がった裾からのぞく白い太もも。
白い肌は……その下を走る静脈をくっきりと映し出す。
彼女の中に滾る血潮。それを意識した瞬間、自身の鼓動が脈打った。化け物の血を送りこむ、この心臓が。
『柏木』
たしなめる田中さんの声音はあくまで冷静だ。
『たった今伯爵に言われたやろ。手を出すなと』
冷静なようでいて、当の田中さんも内心平静ではない。彼が国の言葉を出す時はそういう時だ。
『ええか? 儂はいい。この子は娘の娘やさかい、この子がええ思うんならそれでも構へん。……が、伯爵の命は絶対や』
――娘の娘。そうなのだ。佐井浅香は田中さんの血を引く縁者であるらしい。
『ジブンに取って、伯爵はなんや? 親やろ? 逆ろうたら……』
『解っています』
『ならええんやが……儂は門前に戻るで。そろそろ伯爵が来る頃やさかい』
この私を一人残し、部屋を出た彼の心中はいかほどだったか。
- 178 :柏木 宋一郎 :2018/07/17(火) 05:44:54.04 ID:0V/OvJfN.net
- 「あーあ! 自信なくすなぁ! あたしって、自分で思ってるよりイケてないのかも!」
彼女はまるで、駄々をこねる子供のようだ。
イケてない? 御冗談を。本当にそうであれば私もここまで悩まずに済んだものを。
とりあえず彼女を宥めるべきだろう。なんと返答すべきか。
いいえ、あなたはこの世で一番美しい……とでも?(by snow white)
「わたくしの言動が貴方のプライドを傷付けてしまいましたか? ならば申し訳ありません」
あくまで冷静に、素直に謝るべきだろう、そう思い綴った言葉だった。
美しいなど言えば、なら○○して! などと詰め寄られる危険がある。この人ならばやりかねない。
だがそれがいけなかった。
なんと彼女は実力行使に出たのだから。この事務的な「拒絶」が彼女の闘争心に火をつけたのだろうか。
小悪魔の笑みを浮かべ、しみ一つない素足をゆっくりと組み……ベットに腰かけるその姿。
……なんという妖艶さだろうか。
さらに言えば、なんとまた……想像を掻き立てられる格好だろうか。
全裸ならまだ良かった。彼女は男物のナイトウェア姿なのだ。
広く開きすぎた胸元。捲りあげた袖口。丈が長い故にか、下には何も履かず。
両の鎖骨下につづく滑らかな肌、それが作り出す豊かな半球を申し訳程度に隠すシルクの光沢。
夜が明けきらぬ早朝ゆえの薄暮れの中、彼女の双眸だけが肉食の獣のように熱を帯びている。
紅潮した頬や額に浮かぶ細かな汗。時折……両の胸の谷間にキラリと光る雫が流れ落ちていく。
袖から覗く細い手首、白く繊細な指先。
そのすべてが完璧だった。この女、相当の手練だ。よく心得ている。
手を出すなという伯爵の言葉が遠くで響く。
懐に差しいれたロザリオがリンと鳴るは警告か。
だが眼を逸らせば逸らすほどに滾るは……もう一人の自分。意に反し、彼女へと差し伸べられる両の腕。
黄金色に染まる視界。
この瞳の色が……彼女には見えたはず。
気付けば彼女の肩を抱いていた。
彼女の柔らかい肉に食い込む指先、軋む骨。身を硬くした彼女の吐息が、荒く、しかし芳しい。
『押さえきるとは限りませんから』
以前自分が言った言葉が耳に纏わりつく。何と言うことだ。……何故あなたはこんなにも……。
我らの仲間に、というのが切なる願いだと聞く。
だが闇の同胞を増やすつもりはない。この信念だけがヴァンパイアとなった私が持つただ一つの「良心」。
故に……吸い尽くしてくれよう。
身を持って知るがいいのだ。この私を――ヴァンパイアを誘うと言う事がどういう事か。
- 179 :柏木 宋一郎 :2018/07/18(水) 17:40:38.68 ID:BZN5JzDu.net
- 「何をしている」
――何を? 決まってる。この女の生き血を啜り、その「精」を我がものとしてやるのだ。
自らその身を差し出す貴重な上物、最上物だよ!
見ろ! この真っ直ぐに流れる血潮のラインを! この首を切り裂き、一滴残らず頂こう!
「何をしていると聞いている」
……
……
…………この声………… ?
滾る血が瞬時に凍り、視界が黒く沈む。
さっきまで温かな肉体に触れていたこの掌はいまや、硬い床上に置かれていた。
じわりと膝や袖にしみ込んでゆく生温(ぬる)い何か。そう言えば、湯をこぼしたままだった。
荒々しい靴音が、我が眼前にてカツンと静止する。跳ねた湯水が額にかかる。
謝罪の言葉を、喉の奥から苦心して絞り出す。
「この人間には手を出すなと言っておいた筈だ」
閃く殺気。右斜め上から迫る冷たい刃(やいば)。
八つ裂きにされると確信した。10年前のあの時のように。
「待って!」
伯爵を止める声は、佐井浅香のものだろうか?
痛みも衝撃も、何も伝わっては来なかった。感じるのは左腕、脇腹にべったりと張り付く液体の温み、それだけだ。
――いや……右肩先に……覚えのある喪失感。なるほど、右腕を持って行かれたらしい。
再度頭上にて一閃の気配。
次は……胴体か? 足か? 相も変わらず容赦のない御方だ。気の済むようになされたらいい。
「伯爵様。どうか仕置きはそこまでに」
田中さんの落ち着いた声が耳に入る。
お嬢様亡きいま、使える幹部は私と田中さんだけだ。彼が待ったをかけるも当然だろう。
統率を欠いたハンター協会だが、私の代わりなどいくらでも居る。遊ぶハンターの数も未知数。……ヒトの数は多い。
- 180 :柏木 宋一郎 :2018/07/18(水) 17:42:33.36 ID:BZN5JzDu.net
- 「その『伯爵』っての、やめてくれない?」
伯爵は昔ながらの慣習に従った呼称――伯爵と呼ばれる事を異常に嫌う。
古風な呼称がお嫌いか、それとも――田中氏に遠慮でもあるのだろうか?
田中与四郎。今や西日本にただひとつ残るコロニー「神戸支部」のもと代表。いわば「西の伯爵」。
皆が皆好き勝手な呼称――「代表」、「総帥」、「会長」、などと呼ぶ中で、彼だけが、伯爵を「伯爵」と呼ぶ。
田中氏の年は500を越す、今現在、最も「老いた」ヴァンパイア。
伯爵は彼こそが……一族の再長たる田中氏こそが、伯爵にふさわしいとお思いなのではなかろうか。
そんな思いを知ってか知らいでか、田中氏は窘められつつも頑として譲らない。
むしろ、わざとそう呼んでいる節(ふし)もあるのだが……
無論、この自分も伯爵などとは呼ばない。
彼はこの自分を同族に加えた「親」であり「支配者」なのだ。
絶対的な服従を誓った我が主人。わざわざ慣習にこだわり機嫌を損ねるべきではあるまい。
頭頂部から額にかけ、得も言われぬ痛みが走る。
頭髪を皮ごと掴まれ、持ちあげられたのだ。
「このまま頭の皮を剥がしてしまおうか」
梨かミカンの皮でも剥くのかと言った調子で伯爵が問う。
いつもそうだ。ごく軽い調子でこの御方は言う。
『どう? 手足をぜ〜んぶ無くした今の気分』
『西太后って知ってるよね。彼女が帝の死後、寵妃だった女性に何をしたか』
『髪を剃り、眼を抉り、耳を焼き、手足を切断した上で豚小屋に落とし……人豚と罵って嘲笑った。有名な話さ』
『私ならしないね、そんなこと視覚と聴覚を奪うなんて、そんな勿体ない事はしない』
『そんなことしたら、痛みも恐怖も半減してしまう。だろ?』
『見えるよね? 聞こえるよね? ……感じるよね?』
『……駄目だ。殺してくれなんて言っちゃいけない。何故なら君は――実に有力な幹部候補だからね』
更なる痛みが米神を襲い、堪らず上顎と下顎を噛みしめる。上下の牙が歯肉に刺さり、自身の体液が口内を満たす。
「顔の皮ごとね。そうすりゃそこの先生も――」
頭と顔の皮を剥ぐ。なるほど、欲する事を禁じられ、その上で命に背いた相応の罰だ。
『佐井浅香には手を出すな。例のゲノム、解析させねばならん』
そう言われたにもかかわらず、私は彼女に手を出した。その命を奪おうとしたのだ。
まあいい。幾分楽になるかも知れない。この方の云うとおり、佐井浅香は私の顔から目を背ける事になるだろうから。
「――おやめなされ!」
悲鳴にも似た田中さんの叫び。
思わず目を見開いた。
ギュギュッと踏みしめられる草履履きの足。それを交互に動かす動きにはいつものゆとりが無い。
着物の裾を捌き、濡れた床に片方の膝をつき、どっしりとした大きな手を伯爵のそれに重ね、郷里(くに)の言葉で呟いた。
「もう十分でっしゃろ」
ひどく重い、その口調。
もしや……田中さんは私ではなく、彼女を――佐井浅香を気にかけたのではなかろうか。
彼女が好意を寄せているであろう私がその目に遭えば、心に深い傷を追うのではないか。
そう考え、割って入ったのではなかろうか。先日、我々が魁人らに追い詰められた時のように。
- 181 : :2018/07/19(木) 06:26:37.03 ID:AN/8bJ5x.net
- あーーテステス……
- 182 :柏木 宋一郎 :2018/07/20(金) 17:37:36.34 ID:Qn3KuNn5.net
- 田中さんの諌めにしかし、伯爵は手を緩めない。半ば剥がれた米神から伝う血が、顎にたまり床に散る。
双方なかなかに譲らず、争いめいた会話がしばらく続く。
田中さんは娘(正確には孫娘)である佐井浅香の行為を詫びたうえで、伯爵自身の責任をも問い正し始めた。
それはその場で手打ちとなってもおかしくない行為。
なんと……腹の据わった方だろう。あるいは決して咎めを受けぬ自信が?
カチリと針が鳴る。時刻は7時ジャスト。
徐々にその高度を上げていた太陽が、隣接のビルの隙間から顔を出した。
僅かなカーテンのスリットを抜け、差しいれられる一条の光。
焼けた鉄に水を一滴垂らすかの音と、続く田中さんの呻き声。見れば、下がる彼の頬から紫煙が一筋立ち昇っている。
伯爵が忌々しげに太陽を睨み返す。
そうだ、この御方は陽の光を恐れぬ御方。その力を受け継いだこの私も。
水を差した太陽が幸いしたか、二方の口論には一応の決着がついた。
「で? そこの先生は役に立ちそうなのか?」
いきなり水を向けられた佐井浅香が、目を見開き腰を上げかけるが……
「兆しはまだ解りませぬが、無限の可能性を秘めております」
田中さんの答えは曖昧なものではあった。「兆しはまだ解らない」……「兆しはまだ見えぬ」ではなく、「解らない」。
そう。
つい先程、彼女が無心で壁にしるしていたあのコード。我々に解析できる筈も無く、しかし兆しは兆し。
だがそれが真の兆しかどうか判断がつかぬ、故の「解らぬ」だろう。可能性だけは無限であると。
その答えに納得を得たのか伯爵が頷き、落ちていた腕をひょいと拾うと佐井浅香に向かってポイと投げた。
まるでバスケットのボールをパスするような気軽な動作にて。
5kgはあるだろう右腕が彼女の足上に落ち、ベットのスプリングをギシリと軋ませる。
「それ、あなたに預けます」
「え?」
「返しちゃ駄目ですよ? この虎には腕一本無いくらいで丁度いい」
「……丁度いいって……」
――なるほど、そういう意図か。
何故ヴァンパイアは不老不死の肉体を持つのか、人間の血液しか受け付けないのか。
陽を恐れ、水を避け、時には教会に目を背けねばならないのか。それらを克服する手立てはあるのか。
その有効なる手段として伯爵が思いつかれたのが、我らヴァンパイアの遺伝子(ゲノム)の解析だ。
解析し、人のそれを比較し、組み換える。
伯爵は彼女にそれをさせる気なのだ。故に私の腕を――ヴァンパイアの血肉を試料として渡すことにしたのだろう。
佐井浅香は田中さんの孫娘。
人間との雑種であり、医師。そんな彼女が役に立つかと伯爵に進言したのは当の田中さんだが……
見れば彼女、……戸惑いつつも、恐れたり嫌がるような様子は無い。千切れた手足など見慣れているに違いない。
いや、それどころか……切り口や指先を触り、握り、確認しつつ……ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべている。
そんなものを貰って……嬉しいのだろうか? 医者とはそういう人種だったか?
兎に角も、朝方に見た奇異なる行動を見る限り期待できそうだ。
そのための我が腕なら惜しくは無い。
……支障もあるまい。左だけでも字は打てる。ウィンカー(方向指示器)の操作は少々……難だろうが。
思い出したように腕時計を見た伯爵がやおら慌て始めた。
思えば今は議会中。
段取りを組まねばならぬ私が気付かず、申し訳ありません、我が主(マスター)。
「隣の麻生の様子と、赤ん坊を頼むね! 彼らも3日、眠りっぱなしで――」
せかせかと振り向きつつ出口に向かった伯爵が何かにぶつかり、踏鞴を踏む。
もしやハンターではと飛び起き、伯爵を庇うように前に出る。しかしそれはまったくの杞憂であった。
「あらぁ、ごめんあそばせ!」
そこに居たのは一人の少女であった。
膝丈の白いワンピースに黒いフォーマルシューズを履いた、まだほんの5歳にも満たぬだろう少女。
顔つきもその話しぶりも、桜子お嬢様にとても良く似ておいでだが……どういう訳だろう。
隠し子でもおありだったか?
- 183 :如月 魁人 :2018/07/21(土) 15:42:14.89 ID:CsPO20N7.net
- 月姫が鼻っつらを擦りよせて来る。
「ごめんな。ずいぶん待たせちまって」
鼻を使ってグイッと俺の肩を自分に押しつける彼女。乗れってことだ。
……だな。そろそろ一緒に走らねぇとな。
左手で彼女の鬣(たてがみ)を掴み、鞍なし裸の彼女に俺は飛び乗った。
手綱がなくても俺達はツーカーだ。優しくポンと首を叩けば……ほらな? ちゃんと出口に向いてくれんだよ、可愛いねぇ。
「ちょ……と……魁人さん! 何処行くんスか!?」
慌てるクロイツ達。
「決まってんだろ。麻生助けに行くんだよ」
「そんなのダメっすよ! 俺達が麗子さんに叱られます!」
「じゃあ誰か結弦を迎えに行ってくれんの?」
なんて訊いたら……野郎、シィンとしやがって。
……たくよぉ……上も上だぜ。麻生結弦は吸血鬼化した線が強ぇから救出は無用だとよ。その眼で見なきゃ分かんねぇだろ。
「……俺は行くぜ。奴がそう簡単に人間やめるわけがねぇ」
「魁人さん!」
俺の前方に展開しだしたクロイツ部隊たち。
ま、強行突破するまでもねぇな。前足引っ掻いて威嚇する月姫にビビってやがる。
「魁人くん!」
真後ろからあの声がした。振り向いたら……やっぱり。1階まで追っかけて来なくても。
甲高けぇヒールの音が俺の横をカンカン過ぎて……真ん前に仁王立ちになる麗子さん。
「降りなさい! 麻生の救出は許可されていないわ!」
「知るかよ」
俺は姫の腹を踵で軽く小突いた。歩を進めようとする姫。でも麗子さんは動かない。
「解ってるの? 命令違反は戒告処分の対象よ」
あーあ、これだから公務員ってのは。
「あのさ。減給でも免職でも好きにしたら?」
「は?」
「結弦は俺のダチだ。上が見殺しにするってんなら、んな職場、とっとと辞めてやる」
「もう! あなたって人は!」
ふんっと鼻で息をして俺を睨んだ麗子さんが、今度は駆け寄ってきて、俺と姫の横に並ぶ。
「じゃあ私も乗せなさい」
「は?」
「乗せろって言ってるのよ」
なんと彼女、有無を言わさず俺の後ろに飛び乗った。高けぇヒールとミニスカでだ。
「なんでだよ!」
「お目付役よ!」
っておい! マジかよ!
「スカートの癖に股おっぴろげて跨ってんじゃねぇよ!」
「うるさいわね! 仕方ないでしょ!」
ガシィ!っとおもむろに俺の腰に手ぇ回した麗子さんが、今度はその尖がったヒールで姫の横っぱらを殴りつけたからたまんねぇ。
驚いた姫が高く嘶いて棒立ちになると、いきなりダッシュしやがった。競馬馬がスタート切る時みてぇにだ。
わあ!!っと叫んで飛び退くクロイツ、出口に向かって突進する姫。
「待て! 姫! 止まれ!」
俺は姫の首に手ぇ回して叫んだが……駄目だ。完全にスイッチ入っちまってる。
ガシャアアアアンン!!と派手に割れるフロントドア。降りかかる無数の四角い破片。
あー……修理代………
- 184 :如月 魁人 :2018/07/21(土) 15:43:59.69 ID:CsPO20N7.net
- 規制UZEEEEEEEEEEE!!!!!!
- 185 :如月 魁人 :2018/07/21(土) 15:45:11.34 ID:CsPO20N7.net
- 赤の交差点を3つほど突っ切った。
クラクション鳴らしまくる車、車線変えまくりの全力疾走。
代々木公園駆け抜けて、途中渋滞中のベンツにしょんべん引っかけたり(おおこわ!)、
渋谷のしつこいパトカーに追いまわされつつひたすら走ること7〜8分。
姫……どんだけストレス溜まってたんよ。
ようやく姫が止まったのは……○○○白金台ってかかれたマンションの前だった。
良く見りゃあ……あっちこっちの建物に白金台って文字がある。ってことは、ここ、水原桜子ん家(ち)の近くだ。
「すごいわ魁人くん。どうして解ったの?」
ひらりっと馬から飛び降りた麗子さんが、左手を腰に当て、右手でぱさあっ! っと長い髪を払った。
「え? なにが?」
「麻生結弦の居場所よ。発信源が水原桜子の邸宅だってことは、上層部だけが共有する情報だったのに」
すっげぇ笑顔。さっきの剣幕が嘘みてぇ。
ああ、彼女の言う発信源ってのはあれだ。結弦の持ってる弾に仕込まれた発信装置のことだ。
俺の支給弾にもついてる。
ハンター本人の居場所はもちろん、どこで使ったか、誰に弾を渡したか、上の奴らはぜんぶ把握可能ってわけだ。
所詮飼い犬だぜ、俺ら。
「……いえ、偶然です」
俺は正直に答えた。あえて麗子さんの勘違いを正さねぇって選択肢もあったが、嘘ってのは必ず最後にボロが出るからな。
「ふーん?」
眉をひそめて俺を見て、彼女が懐から取り出したのは、丸くて平べったいコンパクトだった。
いや、良く見るとコンパクトなんかじゃねぇ。格子状に線の入った液晶画面。ぴっぴっっと鳴る光の点。それってまさか……
「電波……受信器?」
「そうよ、これで正確な麻生結弦の居場所が解るわ。いえ、正確には彼の弾の、ね」
すげぇ、ドラ○○ボールのブルマさんみてぇ……
しばらくブルマさんに付いていく。月姫が俺の背中をしきりにあま噛みしてくる。喉乾いてんだろう。
「わあすごい! おうまさん!」
小っさい男子が素直に喜んでついてきた。後ろに回っちゃ駄目だ、危ねぇからな?
なんてしゃべくってた、そん時だ。でっかい白い門の間から、車が一台飛び出したのは。
「あ……危ねぇ!」
俺は走ってく少年をあわてて引きとめた。
乗っていた運転手はかなり急いでたんだろう。こっちを見もしねぇで道に出ると、俺達とは反対方向に走り去った。
色は白、エンブレムはBMW。
「麗子さん! いまのBMW!」
「ええ、運転してたの、あの厚生労働省の大臣だったわ。間違いなく、ビンゴ、ね」
俺は車が出てきた門を見た。同時に鉄の蝶番か何かが軋む音。鉄格子が左右からその幅を狭めてやがる。
「自動で開閉できる門ね。さっすが金持ち」
「感心してる場合じゃないわ、入るわよ」
「不法侵入もいいとこっすね、麗子さん」
月姫を連れて飛び込んだ屋敷の庭は、木立が大小、鬱蒼と生い茂っていた。
- 186 :如月 魁人 :2018/07/29(日) 08:37:09.71 ID:sEOGsnDN.net
- 「今更ですけどね? 良いんスか?」
「何が?」
「一緒に来たことですよ。管理責任って奴で麗子さんの方が免職喰らっちまいますよ?」
振り返った麗子さん、馬の汗でべっとり濡れたスカートに姫の金色の毛が付いてんのに気がついたんだろう。
スカートのケツをパンパン叩いて、さらに手をパンパン。フンフン匂い嗅いで……うっと顔をしかめやがった。
……てめぇみてぇな奴は馬に乗んな! っていつもの俺ならキレてるとこなんだが、
「……いいのよ。気にしないで」
……やたら優しい笑顔なんか向けて歩き出すもんだから、なんだ、調子狂うじゃねぇかよ。
「……いやいや、流石に免職は大事(おおごと)でしょ。変ですよ麗子さん」
バリバリっと音がしたんで後ろ向けば、姫が上に首のばして旨そうに葉っぱ食ってやがる。
良く見りゃあ木、木、木ばっか。樹齢がハンパじゃねぇ木もチラホラだ。ほんとにここ、東京か?
立ち止まる俺を無視して麗子さんはスタスタ。
「麗子さん! 一緒に居ないと危ないっすよ!」
ここにゃあ隠れる場所が幾らでもある。いつどっから奴らが飛び出すか解ったもんじゃねぇ。
「大丈夫よ。もう陽が昇ってるもの」
「だーかーらー、そいつが平気な個体が少なくとも2体は居るでしょ!」
麗子さんが立ち止まる。頬にチラつく木漏れ日に目を細めていた麗子さんが、肩ででかいため息をつく。
「……知ってるわ。さっき見た『伯爵』と……柏木局長。でも平気よ」
「――は? なんで?」
「あなたが居るもの。それに……流石の局長も、昼は夜ほど強くない筈。でしょ?」
「麗子さん……随分楽観的っすね。ほんとに防衛大出? 」
俺はキャップをガシガシ齧る姫の鼻っ面を撫でてやりながら、チラっと麗子さんを見た。
っと……すっげぇ眼でこっち睨んでね?
「あんたねー! 何の用意もしないで飛び出したのはあんたの方でしょーが!!」
「は……すんません」
……やっべ。藪蛇だった。ここはちったあ……マジなとこ見せるっきゃねぇな。
俺はキャップをかぶり直してから、手袋を片方脱いでしゃがみこんだ。
未舗装(ダート)の通路に手の平をぴったり当てる。
陽は昇ったが土も草もヒンヤリ。秋も終わりに近ぇが、ロゼッタになったタンポポだけがほんのり温ったけぇ。
「……なに、してるの?」
「周りの『音』を確かめてんスよ」
「……ふーん?」
麗子さんの握ってる受信器がピンピン鳴ってる。目標は近ぇ。
同時に俺達の位置も敵に感づかれてる筈だ。この音を聴き逃す司令じゃねぇ。
俺は……ぐっと意識を下に落とす。手と靴底が感じ取る――微かな振動。
草っぱらに刺さる麗子さんのピンヒール、どっしり草を踏む姫の蹄、歯で草を噛みちぎる音、ブーンと鳴る……遠いダンプの走行音。
たまにカサカサしてんのは……ネズミか。田舎だろうが都会だろうが何処にでもいやがる。
ヴァンプってのは忍び寄る時に足音を全く立てねぇ。だが、地面を踏む時の振動だけは消すことは出来ねぇ。
水の流れを全く変えねぇで泳げる魚なんかいねぇってことだ。相手の位置を正確に把握する。ハンターの嗜みだ。
だが……コトはそう……単純じゃねぇ。
「……麗子さん、司令も確か……防衛大っすよね」
- 187 :魁人 :2018/08/05(日) 05:55:28.78 ID:kU1IOopC.net
- たった2レスで連投規制とか、この板マジ厳しくね?
- 188 :如月 魁人 :2018/08/05(日) 05:56:27.49 ID:kU1IOopC.net
- ピクリと肩を揺らして麗子さんが立ち止まる。
「……そうよ。局長は同窓の大先輩よ。それが……どうしたの?」
「つまりですね? 『油断ならねぇ』ってことですよ」
「防大出だから?」
「あの人、大学出てからもあっちこっち行ってるっしょ? トラップにコマンド、色々配置しててもおかしくねぇって」
俺は羽織ってたジャケットを脱いだ。これ、動くたんびにガサガサ言ってうるせぇからよ。
……銀の弾は装填済み。グリップの感触も良し。グリップは木製に限るねぇ。
姫が、耳をピンと立ててこっちの様子を窺ってる。解るんだな、俺のガチなヤル気って奴をよ。
……って麗子さんまでこっち見てやんの。何処みてんの? このシャツの……プリントが気になんの?
ま、分からなくもねぇ。
なんたって書道の達人に頼みこんで描いてもらった柄(がら)だ、そんじょそこらの店じゃ扱ってねぇ一ぜ。
良く言われるぜ、すげぇなそれ、字? 絵? ってな。
疾走する馬を連想して筆走らせた馬って字、らしいんだがな。あんまり達筆で絵にも見えるってな。
横にちょこちょこっと引っ掻いたサインもあるんだが……読める奴はいねぇな。
「……そう……いち……ろぅ」
俺は思わず麗子さんの顔を見た。
確かに言った。「宗一郎」って。
うそだろ? 読めんのこれ? 麗子さん……って……もしかして……もしかすると……そう、なのか?
俺は両手のリボルバーをグルグルッと回して、ピタリと標準を合わせた。
銃口が自分に向けられてるって気付いたんだろう、麗子さんが木をバックにして身構える。
「ちょっと! ふざけないで!」
「ふざけてるつもり、ないっすよ?」
親指を上げて撃鉄(ハンマー)を起こす。
俺の銃、シングルアクションだからよ、いちいちこうしねぇとタマ出ねぇのよ。
不便?
……かもな。そういや司令にも言われたっけな。
10年前、いや11年前になるか。中学出てすぐの時だ。
俺、ほんとは騎手になりたかったのよ、どうせなら中央競馬のっ……つって内地の土を踏んだわけ。
ま、その話は長くなるから置いとくか。
フェリーに月姫乗せて青森着いて、早々に「新幹線にウマは駄目」なんて頭ごなしに怒られて喧嘩した話とか、
JRA競馬学校に通い出して1年で180越えちまって、「不適正」の烙印押された事だとか、
借りてたアパートが火事で全焼して文無しになった話だとか、そんな話はな。
着の身着のまま、月姫連れて夜道徘徊してたら、「たまたま」ヴァンプに出くわして、
「たまたま」持ち合わせてたマグナムぶっ放したら道路標識に当たって壊しちまって、
通報され連行される途中、これまた「たまたま」通りかかったオジサン(当時の柏木司令)に、
「うちのハンターがご迷惑を」なんつって助けられた話もな。
ハンター協会って組織があることは前から聞いてたが、まさか俺がその構成員になる日が来るなんてなあ……
思い出すぜ、初めて協会のエントランスを通った時。
「はじめまして、麻生結弦です」
って右手出したのは、いかにも良家の坊っちゃん風の兄ちゃんだったんだが、見た目で人判断するもんじゃねぇな。
ちょい強く握り返してやったらそいつ、逆にすげぇ力でこの手を握りつぶしやがった。(ベキイッ!! ってな)
聞けば売り出し中のピアニストだって話じゃねぇか。
ピアノっつーのは随分握力鍛えられる楽器だなーって変に感動したっけ。
それからの生活、キツかったのなんのって。
昼は協会に出向いてはもっぱら掃除。トイレから天井からエレベータの裏側まで。
(東京くんだりまで来て、なんで俺スイーパー(掃除屋)のエキスパートになってんの?)
陽が落ちりゃあ結弦ん家の地下室で射的の訓練。
標的はなんと本物のヴァンプ! (何度撃っても死なねぇ!)
日付変わって家帰っても、即呼び出し。『新宿○○地点にて殲滅対象発見、○○○のサポートに付け』ってな具合に。
……俺、3時間以上寝たこと無かったなあ……
- 189 :魁人 :2018/08/06(月) 06:15:21.82 ID:75rrQ5No.net
- いやいや1レスでかよ!
- 190 :如月 魁人 :2018/08/06(月) 06:16:05.39 ID:75rrQ5No.net
- 『カイトくん。うちの支給品、どうだい?』
つって柏木司令が真っ黒いSIG P226寄越したの、半年前だったなぁ。
正式に「ハンター」の免状もらいに事務所に行った、あの日だ。
俺は差し出された銃よりも、司令がそこに居たことに何よりも驚いた。思わず受付台に飛びついちまったくらいだ
「司令! 身体の方はイイんすか!?」
ってな。
あ?
何でそんな驚くって?
実は司令な、俺が会員になって1年もたたねぇうちに再起不能になっちまったのさ。
単身、奴らの「アジト」に乗り込んだんだせいでな。(アジト? ネグラ? まあどっちでもいっか)
新宿駅から西にちょっと行ったトコにあんだろ? 都庁の前に堂々、あの、壁も窓もムラサキ色に塗ったくったデッけぇビルが。
門のトコに「アルファベータ人材派遣」なんてあるが、あれこそがVPの本部、ヴァンプの総本部。
解ってんならさっさと手ぇ入れろって思うだろ?
俺も何でそうしねぇのかって抗議したんだが、司令、
「モノには順序というものがあってね」
って中々動いてくれねぇわけ。表じゃ真っ当な会社らしくてな。派遣員が全員ヴァンプだって事を除きゃあな。
まさか司令本人が単身で動くつもりだったなんてね。
「客のフリしてちょっと探って来るよ」
って言ったきり、帰ってこねぇ司令を俺たちは心配したね。最悪の事態も想定した。
だが数日後、ちゃんと帰ってきた。
見るからに無事じゃなかったがな。一応手足はくっついてるってテイでな。一体どうやってここまで来たのか……
事務所の前でバッタリ倒れたっきり、担架で運ばれる司令を、俺は成す術もなく見送った。
あれから10年。10年だぜ? てっきり植物状態か何かだとばっかり思ってたわけだ。
「カイトくん、これ使うの? 使わないの?」
そう言われて初めて俺、SIGに眼が行った。
うーわこれ、マガジンがダブルで16発も出るやつじゃん。うっかりトイレに落としてもも気にしねぇで使える優れもん。
米軍のトライアルで、ちょい高価ぇのと、手動のセイフティーがねぇってそれだけの理由でベレッタ92に負けた、
言ってみりゃ「実力はこっちが上」的な銃。
いやいや、つっ返したよ。こんなんハイカラすぎて俺には似合わねぇって。自分の銃が一番だって。
負け惜しみ?
違うね。
俺は腰に下げてたパイソンを2丁、司令の机に置いて見せた。
『その銃、君には重すぎないか?』って誰かさんに言われつつも、ずっと使い続けた大事な相棒だ。
「良く手入れされてるね」
司令がパイソン見てひとつため息。
ったりめーだよ司令。毎朝裏も表も丁寧に磨いてっからね! もちろん、姫をゴシゴシした後にね!
「青みを帯びた美しい仕上げ……コルトの初期生産品だね? 君がこの骨董品にこだわる訳かい?」
「見た眼だけじゃねぇっすよ」
「この銃は組み立ての調整が難しい。初期のものは熟練の職人がひとつひとつ、丁寧に仕上げた銃だと聞くね」
言いながら司令がパイソンに手を伸ばす。
ゆっくりとグリップを握る、その動作に内心焦ったが――思い直した。司令が妙な気を起こす訳がねぇ。
「だがこの銃……君には重たすぎる」
ハッとして俺は司令の眼を見返した。
俺がいつも世話になってる「あの人」の言葉、そのものだった。だが平静を装った。
銃口が二つとも俺の眉間を狙った時も、司令の指が撃鉄を起こす「ガチン!」って音がした時もな。
逃げる必要なんかねぇ。殺気ってもんが全然ねぇもんよ。
俺の眼を見る司令の眼、その眼が一瞬だけ金色に光った事を……覚えてるぜ。
だがこの時は、昇って来た朝日か何かが反射したんだと思ったのさ。
部屋には俺と司令だけ。
壁の時計がカチカチ鳴る音。実はそんな長げぇ時間(ま)じゃなかった筈だ。
「君には負けたよ、カイトくん?」
俺にパイソンを渡した時に触れた司令の手、妙に冷てぇ気がしたんだ。
この時俺は気付くべきだったんだ。すでに司令が人間じゃなくなってるって事に。
奴らのアジトに踏み込んだあの時、伯爵の手で奴らの仲間になっちまってたって事に。
……俺はつくづく大マヌケだ。
- 191 :如月 魁人 :2018/08/07(火) 06:31:19.16 ID:YEts5g0w.net
- 『局長。今夜の事、仕組んだのはすべて貴方ですね?』
それが舞台袖から聴こえて来た結弦の言葉だった。
俺は舞台下あたりにしゃがみ込んで、クロイツ達と一緒に様子窺ってたんだが、さすがに焦ったね。
なんと結弦が司令に銃向けてやがるんだ。
結弦はあれでいて目標には容赦がねぇ。
外すとこも見たことねぇ。
その結弦の指が――トリガーにかかるかかからないか、その時だ。司令が動いたのは。
結弦を押さえこんだ時の司令の顔、忘れもしねぇ……「あの人」の顔だった。
毎晩、俺と結弦の訓練に付き合ってくれた、地下室の「標的」、モノホンのヴァンパイア。
この時すべてが繋がったのさ。
あの時司令の眼が光ったわけも、手が冷たかったのも。
「ちょっと……教えて欲しいんですけどね? 麗子さん?」
銃口をきっちり向けたまま、麗子さんの顔を見る。
「……なに……かしら」
観念したんだろう、そろそろっと両手を肩の高さにあげる麗子さん。
「ヴァンプになっちまった司令は、何故か俺達のもとに戻ってきた。当然医療班は司令が人間じゃねぇって気付いた筈だ」
麗子さんは俺の眼を睨んだまま。
「この辺の事情、知ってます?」
「知らないわ」
きっぱり毅然の即答。……だがウソじゃねぇとは限らねぇ。女ってのは悪気なく嘘つく事あるからな。
突風が落ち葉を数枚吹き散らす。
ただの落ち葉っつっても、俺の掌よりデカい「ホウ」の葉っぱだ。
俺の視界が一瞬だけ遮られる。
その隙を狙ったんだろう、麗子さんが動いた。いや、動こうとした。
だが――俺の動体視力、ナメてもらっちゃ困る。
火薬の炸裂音が高い木立の間を木霊する。
穴のあいた幹からパラパラ木端が落ちて来て、麗子さんの頭のてっぺんに降り積もる。
ウィリアム・テルよろしく彼女の頭上を狙った一発だ。
「済みませんね、自慢の髪の毛汚しちまって」
撃鉄を起こしシリンダーを回す。その音にピクリを肩を震わせる麗子さん。
「じゃあ気付いたって事にして話進めますけど、どうして医療班はその場で司令を始末しなかったんですかね?」
「しなかったんじゃない。出来なかったんじゃないかしら」
銃向けられてるってのに、泣きもしねぇ、声も震えてねぇ、流石っつーか。
「へぇ。その根拠は?」
「医療班は戦闘員じゃない。局長の反撃に太刀打ち出来るとは思えないわ」
「だとしたら、その医療班の人間はどうなったんですかね?」
「当然、殺されたか、ヴァンプ化したか、のどちらかでしょうね」
「でも俺達ハンターに何の沙汰も無かったスですけど?」
「だからその辺の事情は知らないって言ってるでしょ!? きゃ!?」
語尾の悲鳴は俺が何かしらしたせいじゃねぇ。彼女の足元を2匹のネズミがうろチョロしたせいだ。
見開かれた眼、麗子さんの頬を滑る、一筋の汗。……銃よりネズミのが怖いってか。
「ほんとのほんとに司令がヴァンプだってこと、知らなかった?」
「ええ」
「あの地下室に居たヴァンプの正体が司令だったってことも?」
「そうよ」
- 192 :如月 魁人 :2018/08/08(水) 06:03:45.30 ID:2QNsDDgo.net
- 「フカシこいてんじゃねぇぞこのアマ!」
グリップを強く握り直す。馬革のグローブが引き絞られ、ギュウッと言う音を立てる。
この音、尋問には効果的だろ?
流石の麗子さんも眼ぇつむるほどにな。安心しな、まだ撃たねぇから。
「てめぇの正体は解ってんだよ、日比谷麗子。司令と同じ大学出で、司令の尻追っかけてうちらんトコに出向して、秘書までしてた」
「それは――」
「デキてたんだろ? 司令と。そんな女が司令の変化に気付かねぇ訳がねぇ。人のままで居られるハズもねぇ」
「ちがうわ!」
「じゃあ何でこの字が読めんだよ! この『宗一郎』ってサインが! 司令はよっぽどの相手にしか教えねぇハズだ!」
俺は撃った。
彼女の眉間狙って2発。
これでもヴァンプの特性は熟知してるつもりだ。
奴らは攻撃されたら必ず反撃する。そういう風に出来てやがる。
日比谷麗子がもし奴らの仲間――ヴァンプになってたとしたら……はっきり言ってお手上げだ。打つ手がねぇ。
だってそうだろ?
彼女は出向組っつったって、協会のピラミッドじゃあ「将校」なんだぜ?
司令も一応は上層部の人間だが、階級は現場担当の「曹長(上等兵曹」だ、将校じゃねぇ。
俺は司令なんて呼んでるが、ほんとの役職は「事務局長」だしな。
協会にはな、その司令をアゴで使える本当の司令塔が居るわけよ。
俺達は「元帥」って呼んでる。
俺はハンター職の正社員だが、階級は伍長。元帥の顔なんかまともに拝んだこともねぇがな?
つまりだ。
ヴァンプ化した司令を拘束し、ハンター育成に役立てるよう指示した人間が居る。
だが相手はあの司令だ。
柔道5段、空手5段、合気道も何段なんだか、ついでに書道は師範代。人間で彼に敵う奴いる?
そこまで考えたとき俺、ぞっとしたのさ。
元帥も、その取り巻きも、医療班もその他の会員も全部……ヴァンプなんじゃねぇかってな。
だから俺は事務所を出た。姫を連れて結弦と合流するためにだ。
そこにノコノコ付いてきた麗子さん。さあて、どうする? ――司令?
案の定、発射音の後に続く筈の着弾音は無し。
「いまのは少々……強引だったね、カイトくん?」
声の主の、その左手からパラリと落ちる2発の弾。
腹にU字の刻印、確かに今俺が撃った銀弾。
ヘナヘナっとその場に座りこむ麗子さん。その眼は金でも赤でもねぇ。まとも狙いつけられて撃たれたのにな。
いんや、想定どおりさ。俺は始めっから麗子さんのことなんか疑ってねぇ。
もし麗子さんがヴァンプなら、姫で疾走中に後ろからガブッとやりゃあ済む話だからよ。
(いやいや、司令の正体を知らないってのはさすがに嘘だろよ。司令、このサインの事は恋人にしか明かさねぇって言ってたし)
俺と麗子さんとの距離、約5メートル。その丁度の狭間に司令が立っていた。
- 193 :如月 魁人 :2018/08/08(水) 06:18:29.47 ID:2QNsDDgo.net
- 「何故気付いたのかね? この私がそばに居ると」
「見くびらないで下さいよ、俺、山育ちっすよ?」
トントンっと靴で地面を叩いてみせる。
「地の振動――『音』を察知、識別した――か。流石だね」
よく見ると司令の右腕がねぇ。肩からすっぱり。黒っぽい切り口からは……血は一滴も出ていねぇ。
ヴァンプは自分で自分の身体を傷つけるこたぁ出来ねぇ。自殺もな。ってことは――
「なに? 仲間割れでもした? それともなんか、やらかした?」
- 194 :如月 魁人 :2018/08/09(木) 01:00:28.94 ID:bb7ic+ry.net
- 「後者、かな。伯爵の眼鏡に適った女性を襲った罰さ」
答えなんか期待しねぇで気軽に聞いた俺だが、司令があんまりサラッと答えたんでビビッたぜ。
ウソかほんとか解んねぇけど。
って……ちょ……司令、こっちまだ銃構えてるっつーのに、麗子さんに手ぇ差しだしたりしやがって。
麗子さんは麗子さんで司令をボウッと見上げてたまま。見ろよ、あの眼。うっとりしちゃってやんの。やっぱデキてんじゃねぇか。
まるで俺が悪党で、司令の方がヒロイン助けた正義のヒーローみてぇ。ああアホくさ。
「司令、そろそろ腹割りません?」
「カイト……くん?」
「きゃっ……!」
俺がその場にドカッと座り込んだもんだから、流石に驚いたんだろう。
立ちあがりかけてた麗子さんの手をパッと離したんもんで、彼女はドサッと尻もちだ。ははぁ! ざまぁ見やがれ!
銃のセイフティーをONにしてから、芝生の上にそっと置く。エラそうに腕組みなんかもしてみる。
知ってるぜ、司令は戦意(ヤル気)のねぇ相手を襲ったりしねぇ。絶対にな。
「司令、なに隠してんスか? ほんとは司令、俺達の敵じゃないんでしょ?」
「……」
口から出まかせじゃねぇぜ。麗子さんに手ぇ差し出した司令、ありゃヴァンプの顔じゃなかったからな。
そんな司令、困った顔はしたが否定はしねぇ。……仕方のねぇ人だぜ。
「事情によっちゃあ手ぇ貸しますよ」
「……」
「黙ってたって何にも始まりませんって。俺、そんなに信用ないですか?」
「……」
「頼りないですか?」
時々キラッ! キラッ! と地面を照らす木漏れ日に眼を向けてた司令が、諦めたように天を仰いだ。
「……君はまだ若い」
「そりゃあ俺、青二才っすよ。ヒヨッコで下っ端でチャラッチャラのゴロツキっすよ」
「……そこまでは言ってないし、そういう意味で言ったんでもないよ」
「じゃあどういう意味すか?」
「君は未来ある青年だという事さ」
「はあーーーー……何スかそれ。俺、『ハンター』ですよ?」
「だからこそさ。伯爵はハンターを捉え、『仲間』にせよと仰せだ。『幹部』として据えるおつもりなのだ」
そういう事かよ、だから結弦を連れてったんかよ。そうだ! 結弦は……
「……『なっちまった』んですか?」
「……ん?」
「結弦はヴァンプになっちまったんですか!?」
「解らない、と言うのが今時点の答えだ。未だに目覚めないのさ」
マジかよ……それって少なくともサーヴァントって奴になってね?
「来たまえ。麻生君に会わせてやろう」
「え?」
- 195 :魁人 :2018/08/09(木) 01:04:48.28 ID:bb7ic+ry.net
- あ? 俺のターンがやたら長ぇって? 俺にそう言われてもなあ……
- 196 :如月 魁人 :2018/08/09(木) 01:06:13.76 ID:bb7ic+ry.net
- 徐に司令が背を向ける。
何だか良くわからねぇが、屋敷に案内してくれるらしい。
断れる手はねぇからな、急いでコルトを拾ったぜ。光の加減でブルーに光る、ロイヤルブルーフィニッシュ仕上げの相棒をよ。
ったくよぉ……。重すぎる? 骨董品? 支給品使え?
バカにすんな。コレクターに見せたら天井知らずの値がつくヴィンテージ。しかも俺の……爺様の形見だ。手放してたまるもんかよ。
姫と一緒でこいつらは……大事な俺の戦友だぜ。
俺はさっき脱いだジャケットを腰に巻いた。ホルスターが上手く隠れるようにだ。屋敷連中に見られんのも面倒だからな。
「断っておくが」
司令が背ぇ向けたまま、鋭い流し眼をこっちに向けた。……その迫力に思わず一歩後ずさる。
「麗子くんは私の秘書だ。君が思っているような関係では無い」
そういや司令、さっきの話、聞いてたんだった。
「へぇ……そうなんすか?」
「私は時たま、麗子くんの所属する書道サークルに出入りしていた。そのサインが読めても何ら不思議ではない」
しょ……書道サークル? なんじゃそりゃ! え? じゃあ……完全の俺の読み違い?
麗子さんと司令は何でもなくて、ほんとに麗子さんは……な〜んも知らねってか?
あらら麗子さん。……がっくり肩落としたりして……大丈夫か?
「でも俺、納得いかないんすよ、ヴァンプになった司令を手なずけられるのはヴァンプしか居ねぇんじゃねぇかって」
「まさか君は……協会の上層部が吸血鬼化しているとでも思っているのかね?」
「え……違うんすか?」
「違うさ。もしそうなら君は……いや日本中すべての人間が絶望の淵に立たされた事になる」
司令が「安心したまえ」と云いながらフフフと笑う。
ヒューンと空が鳴り、茂る木立からザザーーっと葉が落ちる。
降り注ぐ木の葉。黄色に赤、薄い緑。すげぇ……目も覚めるくれぇ綺麗だぜ。
地面にチラついてた木漏れ日が……すでに木漏れ日じゃねぇ。陽のあたる面積のが広ぇ。
燦々と輝く太陽に照らし出された落ち葉のクッションに見惚れてた俺、またまた新たな疑問が湧く。
「じゃあ司令は……望んであの地下に居たってことすか?」
「ああ」
「自分から進んで……俺達の的に?」
「そうだ」
……うっそだろ。毎日実弾当てられて、腕とか足吹き飛ばされる。それが解ってて……?
「司令って……ドMなんすか?」
……あれ? どしたの司令。クヌギの木の前で土下座なんかしちゃって。
「カイトくん、実はさっきも……似たような事を言われてね」
「……へ?」
「この私が……ホモ。つまり同性愛者だと言うのだよ」
「……はあ」
「武道の道を極めようと精進し、この国を守ろうと……日々努力を重ねてきたこの私が……ホモでMだと?
男の中の男を目指し、身を削ってきたこの私に取っては……あまりにひどい言い掛かりではないかね?」
「え……なんか……すいません」
……確かに俺も言われたら嫌だ。だから一応謝った。ホモなんてホザいた奴も頭下げたんだろうか?
チャリンと音がして、見ると司令の身体の下にキラッと光る何かが落ちている。
それは……銀のロザリオ。普通のヴァンプが避けて通る、教会の十字架だ。それを拾い上げる司令の手が震えてる。
「聞いてくれるかい?」
「はい?」
「変わってからというもの、自分自身が解らないのだよ」
「司令?」
- 197 :如月 魁人 :2018/08/09(木) 06:15:57.52 ID:bb7ic+ry.net
- 手元のロザリオを額に当てて……眼ぇ閉じる司令。
「ヴァンパイアとなってから……一度は……誓ったのだよ。未来永劫、血と闇を友とし生きていく事を。だが……」
「だが?」
「幸か不幸か、伯爵の能力をなかば受けついでしまったのだよ。もっとも忌むべきあの太陽が、脅威とはならなかった」
「それが……駄目なんすか?」
「想像してみたまえ! 人としての生活が可能なのだよ? 人間と共に仕事し、喜びや感動を共有する、そんな生活が!
我らは……ヒトを家畜と見なさねばならぬ種族。人に友情など、まして恋など……」
いや俺ヴァンプになったことねぇんで……正直まったく解らねぇっす。
だが麗子さんには良〜く解るらしい。口に手を当てて眼ぇうるうるさせてやがる。……女ってすげぇ。
「……私は……どうすればいい」
「は? どうすれば……って……?」
ゆらりと立ちあがって、一歩、一歩と近寄ってくる司令。
またまた一歩下がった俺の背中に何かがぶち当たった。畜生、でっかい木かよ!
「親しい友人に……劣情を懐くのだよ。雌だけでなく、雄にもな。雌の血は透き通る程に芳しく、雄の血は濃厚かつ猛々しい」
俺との間合いを詰める司令。
眼の色は茶色のままだが……むしろそれが……なまら怖ぇ。
天敵に出くわした小動物の気持ちがわかるぜ。ヤベ。チビりそ。
「時にはわざと生かしたまま、抉り、犯す。男も。女も。その快感と言ったら格別だ。恐ろしい事に――
たとえそれがこの自分自身に向けられたものだとしても一向に構わんのだよ。解るかね? 言いたいことが?」
――わわ……解ってたまるかあああ!!!
司令の左手が伸びてきて、俺の首筋をそっと撫でたんで、変な声が出そうになった。
頭の毛がブワッと逆立つ感覚。
本気だか脅しだか知らねぇけど、勘弁して下さいよ、俺そんな趣味ないんで!
「だから君達の『罵倒』は当たらずとも遠からずなのだよ。私は嗜虐行為そのものを愛し、男女構わず欲情する……呪われた化物だ」
……ごめんなさい! もうマゾとか言いません! 間違っても「このホモ野郎」とか言いませんから!
あああ……口がきけねぇ。指一本も……動かねぇ。
「せめて……せめて同胞を創らぬ。それだけを自身の戒律としてきたよ。伯爵もそれだけは強いたりしない。
後生だ。我らという種を殲滅してくれ。怖いのだ。簡単に外れるこの箍(たが)が。いつかは君を……引き裂いてしまうのか」
ロザリオを握りしめたままの左手が、この首をすり抜ける。ミシリと鳴る音は……俺の背後の木の幹か何かを握りつぶす音だろう。
……司令の息が荒い。
時々金に光るその眼から、流れ落ちる一筋の――血涙。
俺は……息を吐いて……腹の底に溜めた。
深く……何度も、何度も。
かろうじて戻ったのは右手の感覚だけだが……俺にしちゃあ上出来だぜ。
「……わかったよ。そん時ゃあ……俺がこの手で引導渡してやりますよ」
司令の心臓にピタリと当てられた鉄の銃口(マズル)が青く光る。司令が薄く微笑む。
「頼んだよ、カイトくん」
司令は――さっぱりしたような、何だか憑き物でも落ちたみてぇな顔して俺から離れた。
麗子さんが立ちあがる。
姫が傍に寄って来る。
俺は……トントンっと軽く跳躍して、縮みあがったキンタマを元に戻した。
- 198 :佐井 浅香 :2018/08/10(金) 05:48:59.48 ID:ZQ78793U.net
- 菅大臣――伯爵が議事堂に出かけてった、そのすぐ後のこと。
お屋敷内はまるで野生のキツネザルでも迷い込んだのかってくらいの大騒ぎになった。
居たでしょ? いきなり大臣にぶつかってきたワンピースの女の子。
その子がね? 部屋の花瓶ひっくり返したり、あたしが抱える柏木さんの血だらけの腕さわったり?
「あの白くて綺麗なオモチャ、触ってみた〜い!」って桜子さんのスタインウェイにペタペタしたり。
こら! そんな手で触っちゃダメって叱っても宥めてもぜんっぜん言う事きかないの。
白いレースのドレスひるがえして、あっちにパタパタこっちにパタパタ。
バルコニーからあわや飛び降りようとしたところをようやく掴まえて。
「何処から来たの?」
「あっち」ってあたしの居る部屋の隣を指差して。「名前は?」って聞いてもブンブン首ふって。
どういうこと? メイドさん達に聞いても、だ〜れも知らないの!
田中さんは「用事が……」なんて言って出ていっちゃって(もちろん、あの地下通路経由でね!)、メイドさん達は持ち場に戻っちゃって、
柏木さんまで「お客様がお見えの様ですので」って飛び出して行っちゃって、もうどうしろって言うのよ。
コンコンってノックの音。
「開いてるわよ!」って呼びかけたら……青い顔した麻生結弦が立っていた。
「二股(ふたまた)くん!?」って思わず叫んじゃったわ。
「ふ……ふたまた?」
いっけな〜い! 心の中で勝手にそう呼んでたのがつい口に出ちゃった!
「ご……御免なさい、麻生……さん? どうぞ入って?」
変な眼であたしを見つめてた麻生が、気を取り直したように敷居を跨ぐ。気の毒に、あたしと違ってリサイタルの時のタキシード着たまま。
……柏木さんにしては、気がきかないじゃない。
男の麻生なら、遠慮なく服替えられるじゃない、男物のパジャマでも何でも、着せてあげればよかったのに。
「お父様(とうさま)!」
女の子が喜んで立ちあがる。あたしはその言葉に面食らった。
「は!? お……とう……さま!!?」
あたしは駆けだそうとした彼女を手を掴む。その手がスルリと振りほどかれる。
「あなた、耳悪い? それとも頭? 『おとうさま』の意味がわからないの?」
――ムカ!! なんなのこの子! この性格の悪さ、まんま桜子さんじゃない!!
抱きつかれた麻生がよろめいて膝を付く。やつれた顔を女の子に向け、その肩をぐっと掴む。
「駄目じゃないか、勝手に出て行ったりしたら」
「だって、色々見て回りたかったのですもの!」
いっぱしの大人みたいに両手で口を覆った彼女の眼に、みるみる涙が盛り上がる。
わああああ! と泣きだした彼女を抱きしめる麻生。
「すみません先生。うちの娘がご迷惑を」
びっくりしちゃった。聞けば彼女、あのリサイタルで産まれた秋子さんの赤ちゃんだって言うのよ。
「実は僕、この3日間の意識はあったんです。眼は開かないし身体も言う事を聞いてくれないけど、音だけは聞こえてたんです」
「で? この子があの子だって解ったのはいつなの?」
「ついさっきここ、修羅場だったでしょ? それで僕にもスイッチ入っちゃったみたいで、見ればベビーベットにこの子が座ってるじゃないですか」
「ちょっと待って。それだけで断定?」
「解ります。声が同じだから。周波数こそ400Hz付近から200Hz付近に下がってますけど、音質で解ります」
……音楽家にそう言われたら……返す言葉がないわね。
「それはそれとして、この子、口が達者すぎない? 見た目は5歳、中身はハタチって感じじゃない」
「それは僕としても……驚いてるところです。とりあえず桜子の小さい時の服があったから着せてみました」
そうなんだ、そしたらお姫様みたいって喜んで嬉しくて駆けまわってたら、あの伯爵にぶつかって――
「まあいいわ。桜子さんの生まれ変わりって事にしときましょ。ヴァンプの血だか何だかのせいで成長が早いんだわ」
……なによ二股君。そのネアンデルタール人の生き残りでも見つけたみたいな眼は。。
「先生って……ほんとに医学を修めた科学者(ドクター)なんですか?」
「……いいじゃない。ドクターにだって、時にはメルヘンが必要よ? それより二人とも、腕出して。採血するから」
「え? なんで?」
「君、自分がサーヴァントになったかどうか心配じゃないの? 娘ちゃんも……こら! 逃げない!」
初っ端からこれ? はあ……
- 199 :浅香 :2018/08/11(土) 07:16:16.81 ID:8ZwEQlcX.net
- ひっさびさにあたしの出番よね!
- 200 :佐井 浅香 :2018/08/11(土) 07:16:44.23 ID:8ZwEQlcX.net
- 「聴きましたか今の音」
診療台に横たわる麻生が声を出した。
「シッ! しゃべらないで、もうすぐだから」
上半身脱いだ彼の胸や脇腹には数個の吸盤。そう、いま心電図取ってるの。
バイタルの数値もチラリとチェック。
あ、病院来たわけじゃないのよ? ここは桜子さんのお屋敷の一室。
すごいのよ、何しろ診療所が開設出来るくらい機器が揃ってるんだから。いいえ、あたしの診療所よりむしろ多いくらい!
作り付けの棚に血検(血液検査)に使う検査機器がズラリ! 治療薬も、治療器具もすごいの!
ちなみにあのドアなんか……見てよ、あのハザードマーク。
レントゲンはもちろん、CTもMRIも置いてあるの!(X線なんてどうやって許可取ったのかしら?)
クリーンベンチ(危険物品を安全に扱うためのキャビネットのこと)はあるわ、
全自動遺伝子解析の装置はあるわ、電顕(電子顕微鏡)の部屋まであるわ。
(これ、診療所の域を超えてるわよね? 何のための設備? でもいいわ! 自由に使っていいだなんてワクワクしちゃう!)
心電図の波形をチェックしながら……スイッチを切る。PCに数値入力して……画像も揃えて……と……良し!
「いいわよ麻生さん、起きても」
麻生が上半身を起こす。付けてた吸盤がパラっと外れる。娘ちゃんがいそいそと麻生の上着を持ってくる。
「ありがとう秋桜(コスモス)」
麻生ったら、秋子さんと桜子さんの名前を二つとも取って、そんなつけちゃったらしい。
(あらためて……ほんとに「二股」くんよね?)
「って訳で僕、庭の方に行ってきます」
振り向いてみれば――はやっ! もう着替えてる!
「待って。何が『って訳で』なの?」
「え? だって……庭に魁人が居るんですよ?」
「カイトって……あの時のハンターの? ていうか、何でそんなこと解るの?」
「今の銃声聞かなかったんですか? EフラットとDの間の音。間違いなく魁人の持つパイソン357マグナムの発砲音でしょ?」
「みんなが貴方みたいな耳してると思わないでね? ていうか! たとえエイリアンが攻めてきたとしても、外出は認めないわ!」
ビシっ! とPCの画面を指差してみせる。怪訝な顔して眺める麻生。
「あなたのバイタル、はっきり言って異常だわ。体温31℃、心拍15、血圧20−15、呼吸20」
「……ちょっと低め?」
「低めなんてもんじゃないわよ! ほとんど死人よ!」
「……やっぱり……僕はもう人間じゃないんですね」
コスモスちゃんの手を握って、ポスンとベットに腰かける麻生。やっぱりって……それなりの覚悟は出来てたのね。
ほんとはもっと驚くべき数値があったんだけど、あたしは口をつぐんだ。
だって……言ったからって二股くんを元気づける材料になんかなんないだろうし、なんていうか?
医者だからこそ興味をそそられる只のオタク情報っていうか?
バイタルすらまともに読めない彼にそれ言ったからって、ただポカーンと口開けそうだし?
あたしはため息ついてパルスオキシメーター(血中酸素濃度を測定する為の、指先に挟む器具)の測定結果を見た。
その数値は――83%
どういう事かって?
うーん……あたしなりに説明してみるけど……
あたし達「脊椎動物」は赤い血を持っている。血が赤いのは、赤血球の中のヘモグロビンのせい。
ここまでは小学校で習うかしら。ヘモグロビンは酸素の多い所では酸素とくっついて、少ない所では離すっていう性質があるって。
酸素とくっついたヘモグロビン(HbO2)は、そうでないヘモグロビン(Hb)と違って、
赤色光(波長660nm付近)をあまり吸収しない。吸収しないからそれが反射して見える。肉眼では赤いわけ。
(HbO2の多い動脈血は赤くて、少ない静脈血が黒っぽいのはそういう訳なの!)
パルスオキシメーターは指先に二つの光(660nmと940nm)をあてて、その吸収具合を見るだけの装置。ただの簡便法。
それで測定した麻生の数値(サーキュレーション)が83パー。
83%(パー)っていう数値はね? 2種の光に対する吸収具合がまったく同じ時に出る数値なの。
(ウトウトしかけたそこの君。作者が無い頭使って気張ってググったんだから、拝聴するフリでもしときなさい?)
とどのつまりどういう事かって?
二股くんのヘモグロビンは、酸素をつかんだり離したりする機能を完全に失ってる……
重度のメトヘモグロビン血症の患者の血とそっくりなのよ。
- 201 :佐井 浅香 :2018/08/13(月) 06:25:26.62 ID:exU0tTn1.net
- コスモスちゃんったら、流石に疲れたのね。そのまま麻生の膝を枕にしてウトウト。
性格はともかく……寝顔は……すっごく可愛いわね。
あはは……麻生もデレッとしちゃって。そうそう、庭になんか行かなくていいから、そうやって背中撫でてなさい?
カイトはちゃんと柏木さんが応対してるもの。ぜんぜん心配要らないわ。
ぐっすり寝ちゃった娘ちゃんをそおっと抱っこする麻生。5歳の女の子の平均体重……18キロくらいだったかしら?
結構重たい筈なのに、軽々と持ち上げて、くるりと向きを変えて、ベットの真ん中にゆっくり寝かせて。
おかしいわねぇ。
あんなバイタルとサーキュレーションで、こんな動きが出来るものかしら?
「フタ……麻生さん。ATPって知ってる?」
「……先生。今『フタマタ』って言おうとしたでしょ」
くるっと振り向いた麻生が目を細めてこっちを睨んだ。あっはは……怒ってるう……!
「ごめん! コスモス……秋と桜って連想したらついまた――ってそんな事どうだっていいじゃない。知ってる? 知らない?」
「どうでも良くなんかないけど………もちろん知ってます。子供でも知ってるんじゃないですか? コンビニにもありますし」
むくれた顔して座りなおした麻生が足を組んで両手をベットの端に置く。
「は? コンビニ?」
「預金をキャッシュで引き出す支払機でしょ?」
「……惜しいわね。それはATM。最後はMじゃなくて、P」
「え……っ」
って急に狼狽しだした麻生。そわそわ手を動かして、今度は「考える人」のポーズ。
「……と……じゃあ……国民総生産?」
「それはGNP! Pしか合ってないじゃない!」
再び沈黙した彼。しばらくウンウン唸って考えて。
「……降参です。教えてください」
「アデノシン三リン酸。思い出した? 高校の生物で習ったでしょ?」
彼は見るからにピンと来ないって顔して、両手で頭を抱えて。
「聞いた事あるようなないような。すみません僕、高校でもピアノとハンター業のことしか頭になくて、理科とかあまり興味無くて」
うーん……そんなものかなあ……ん? ハンター?
「……そうよ貴方、アスリートじゃない!」
「え?」
「ピアノだってそうよ! あんな長い時間運動するお仕事なんだから、ATPがどうやって作られるかくらい知っときゃなきゃ!」
「いやだから、何なんですか? ATPって」
あたしは麻生を見た。陽の光に照らされて……あたしの眼を真剣に見て。
彼……まだ「人間」よね? その眼の光、あの時の秋子さんの眼とは……違う。
「核を持つすべての動物、植物の細胞内に存在するエネルギー分子よ。これが無いと基本、生命維持すら出来ない」
「……へぇ」
「どう? 興味が湧いてきた?」
「それって……いま考えなきゃ駄目なことなんですか?」
ガクッと後ろにつんのめりそうになった。なにこの温度差! ハンターなら――ハンターだからこそなのかも知れないけど!
なにまたチラッと庭の方見たりして! 腰浮かせないの!
「いーい? 君の血液は酸素を運ぶ能力がないみたいなのよ!」
「……酸素を運べない?」
「驚いた?」
「それとこれと、どういう関係が?」
あー頭痛い。これでよくハンターだとかピアニストだとかやってられるわね。
「君の運動能力は人並み。思考能力もね。でもね。酸素が無ければ大量のATPは生産できないのよ?」
「先生、僕……いわゆるサーヴァントって奴になっちゃったんでしょ?」
「……」
「そういう常識、通用するんですか?」
「『常識』じゃない。『法則』よ」
……またそんな顔しちゃって。そっから説明しなきゃダメ?
「法則、つまり例外のない説ってこと。すべての生物はATP無しでは生きられない! 切り離して考える事なんて出来ないのよ!」
「だから、僕はもう『生き物』じゃないんでしょ? さっきほとんど死人って……」
「訂正するわ。あなたは生き物――人間よ。ヴァンプになった人達も、伯爵もね」
- 202 :佐井 浅香 :2018/08/14(火) 06:40:14.29 ID:wlGzYSEj.net
- 「伯爵が……ヴァンプが……人間?」
フラリと麻生が立ち上がる。ベットが軋み、コスモスちゃんがうーんと唸って寝がえりを打つ。
そんな娘ちゃんには眼もくれず……
「先生、それはphilosophical(哲学的)な考察に基づいた結論でしょうか?」
「いいえ。あくまでbiology(生物学)によって導き出した『仮説』よ」
二股くんったら、いきなり声を上げて笑いだした。
『ちょっと! 娘ちゃんが起きちゃうじゃない!』
って小声でたしなめたけど、彼の笑いは止まらない。腹をかかえて、よろよろと窓辺に歩み寄って。
「先生はやっぱり『先生』だ。酸素とか、ATPがどうとか。僕は普段、そんなこと気にも止めない」
黒いカーテンを引く麻生の左手首は異様なほど白くて、滑らか。あたしが開けた穴なんか何処にも見当たらない。
「ヴァンプは人間なんかじゃない。人殺しの化け物だ。だから僕は――この手で何体も狩ってきた」
「でもねフ……麻生さん、」
「……もう二股でいいです。秋子に桜子……どうせ僕はどっちつかずで優柔不断ですよ」
「じゃああらためて、二股くん」
「……訂正しないんですね……」
彼の手が窓のカギを外す。ぐっと開かれた隙間から吹き込む……ヒンヤリ冷たい秋の風。
じっと外に向けて耳を傾ける二股くん。彼はあくまでハンター。獲物の起源なんて考えもしない。
……本当にそれでいいの?
「君はヴァンプが化け物と言った。ならその最初の化け物――『真祖』は何処から来たの?」
「……さあ。どっかから湧いてでも来たんじゃないですか」
「生き物の死骸か何かが寄り集まった、有機質の集合体?」
「……え……えぇ」
「それこそロマンチストの考え方よね。ヴァンプは魔法で動くゴーレム? それとも悪霊でも取り付いた?」
二股くんは何も言わず、黙ってしまった。
あたしは立ちあがって……部屋の隅に置いた冷蔵庫の扉を開けた。そこからヨイショって掴んだそれは、相変わらずとても重たい。
「あたしはオカルトは信じない。ある日、原始の海で偶発的に発生した――ひとつの細胞(cell)からすべて始まった」
振り向いた麻生の眼が大きく開く。
「……それ……なんですか?」
「腕よ。見ればわかるでしょ?」
「いや解りますけど、誰のです? どうしてそんなものが冷蔵庫に入ってるんですか?」
さすがの二股くんも動転したみたい。一度の二つの質問しちゃうくらい。
「代謝を止めるためよ。いくら柏木さんの腕でも、疲れちゃうと思って」
「柏木って……まさか局長の腕? ……疲れる……って?」
そろそろっと腕に近づいた彼、触ろうとしたその手をビクリと引っ込める。
腕がその手をバッ! と広げたから。すぐにクタッとなったけど。
……そうなのよ。この子ったら、室温に戻すと結構ヤンチャなの。
「わかった?」
「わかったって……何がです?」
「どう見ても……人間の腕でしょ?」
「どう見てもそうは見えないけど、なるほど、局長は元々人間だ。みんな元は人間。そう言いたいんですね?」
「そうよ。問題はどうして普通の人間がこうなったのか」
あたしは腕を冷蔵庫に仕舞いながら彼を見た。眼を閉じて、ため息をついて。そして――云った。
「ヴァンプの起源なんて……どうでもいい」
「え?」
「僕に取っての一番の問題は――自分がもうハンターでもピアニストでも無いという事です」
ガチッと音がした。
金属の擦れる冷たい音。あたしは気付いた。それがセミオートの拳銃の――スライドを引く音だって事に。
麻生の手には真っ黒な拳銃が握り締められていた。
彼の銃――ベレッタ・ナノ。彼の手にすっぽり収まるサイズの小さな銃。
――どうして? あの時柏木さんが奪ったはずの銃が、どうして彼の手に?
- 203 : :2018/08/14(火) 16:58:37.38 ID:wlGzYSEj.net
- ×一度の二つの質問しちゃうくらい
○一度に二つの質問しちゃうくらい
- 204 :佐井 浅香 :2018/08/14(火) 16:59:42.46 ID:wlGzYSEj.net
- 「サーヴァントの末路は……ハンターである僕が一番良く知っています。『死ぬ』か、『変わるか』。そうでしょう?」
震える左手がグリップを握りしめる。その銃口が……ゆっくりと彼自身の米神を向く。
「桜子はもう居ない。置いてけぼりを喰らった僕の希望はせめて――『音』をみんなに届ける事だった。……それがこのザマだ」
「……やめて。早まらないで」
出来るだけゆっくりと……彼に近づいてみる。後ずさる彼の背が窓のガラスに触れる。
「止めないでください。局長ほどの人でも……『ああ』なった。そうなる前に……始末をつけますよ。誇りは持っているつもりです」
「待って。いっそヴァンプになったちゃったら? またピアノが弾けるわよ。桜子さんだって――」
「あははは先生! ヴァンプが人を超えるのは当たり前ですよ!」
彼は泣いていた。
大の大人が――男が人前で泣くなんて。
「……違うんです。人が人を超えてこその……『音』じゃないですか」
ぐっと胸がつまる。……わかったわ。……一瞬だけ科学者(ドクター)であることをやめてあげる。
「なに甘えた事言ってんのよ」
「……え?」
「甘ったれるなって言ったのよ」
つかつかと足を踏み出す。
「なに? 彼女が死んだから? もう希望なんてないから死んでやるって?」
スズメか何かが飛び立つ音。庭先で誰かの話し声。きっと柏木さんの声よね。カタはもう……ついた?
柏木さんは完璧な人。あんな若造のハンターにやられる人じゃない。
でも……柏木さん、あなた――麻生に銃を渡した? 眼のつく場所に――枕元にでも置いた?
こうなる事が解ってて……自分の育てたハンター――麻生に銃を?
もしそうならあなた……最低だわ。
「いい? この世の中に、生きたくても生きられない人間が何人居ると思ってんのよ」
麻生が持つ銃にそっと触れる。硬直した手の指を、そっと掴む。
「貴方は死ぬほど苦しぬ末期のガン患者だって言うのなら……話は違ってくるわ。でも……違うでしょ?」
彼の眼にはとまどいの色。
あたしは彼の口元に顔を近づけ――そっと……口づけした。
一度見開かれた彼の眼が閉じる。彼の手から力が抜ける。そっと銃を……奪う。
二股くん、なんてもう呼ばないわ。
貴方は……とても健気な人。責任感の強い人。とても強い意思と――矜持を持っている人よ。
ただ……もう少し待って。早まらないで。
あたしは医者。患者を助けるためなら……確証の無い嘘もつく。
「麻生さん。あなたはまだ治る見込みのある患者よ。死なれたらあたしが困る」
「……は?」
マガジンを排出してから、あたしはもう一度スライドを引いた。
点火前の弾薬が飛び出し、あたしの手の上でコロリと転がる。
銀に光る弾丸。しっかりとそれを指と指にはさみ、彼の眼の前に持っていく。
「ヴァンパイアは――ラブドウイルス科……いわゆる弾丸型のウイルスによる伝染性疾患に侵された人間よ」
「……なんですって?」
「つまり貴方はまだ――治る可能性がある」
- 205 :浅香 :2018/08/14(火) 20:15:37.38 ID:wlGzYSEj.net
- ×貴方は死ぬほど苦しぬ末期のガン患者だって言うのなら
○貴方が死ぬほど苦しむ末期のガン患者だって言うのなら
こんなうっかりミスも、規制解除に役立つって言うならあながち悪くもないわね!
- 206 :浅香 :2018/08/14(火) 21:00:21.80 ID:wlGzYSEj.net
- やーんまた!
×いっそヴァンプになったちゃったら?
○いっそヴァンプになっちゃったら?
- 207 :佐井 浅香 :2018/08/15(水) 07:43:11.87 ID:0GN5Pc2R.net
- 「治る――? ――弾丸型のウイルス――?」
あたしが突き付けた弾を食い入る眼で見つめながら、そしてそれをそっと指で摘まんで――光に透かして。
「そうよ。弾丸――ラブドウイルスによる疾患に、狂犬病ってのがあってね? パスツールが……んっ!」
いきなり口を塞がれた。
さっきあたしがしたように、麻生があたしに口付けしたのだ。
押し返そうにも押し返せない。
そして……とても……熱い。
おかしいわ。彼の……体温31℃しかないはずなのに。
もしかしてあたし、彼の「トリガー」引いちゃった?
遠慮がちに差しいれられた彼の舌が、あたしのと触れあう。それは唇よりももっと熱くて――
ああ駄目、それ以上は駄目! あたしにもスイッチ入っちゃう!
一歩、一歩と後退して。いくつも並んだ診療台のひとつに腰かける格好になって、やっと彼が口を離す。
「やっぱりだ」
「やっぱり?」
「急にこの心臓が……動いた気がしたんです。手も足も、さっきとは全然違う」
「でしょうね。舌先に感じたあなたのサーキュレーション、健常だったわ。むしろ高いくらい」
「先生の『治療』が効いたんでしょうね?」
「馬鹿ね。たぶんそれは一時的なものよ。ちゃんと治すには……ちゃんとしたワクチンを打たなきゃ」
「ワクチン?」
「そう。もしかしてこの疾患、狂犬病のワクチンが効くかもしれないわ」
「そうなんですか!? 僕急に興味が湧いてきました。狂犬病ってどんな病気なんですか?」
「ヴァンパイアの病態と良くにた感染症よ。重要なのは、感染した後も発症を予防できる疾患だってこと」
これだけ聞いてると、医者と患者が真面目に会話してると思うでしょ。
でもね? あたし達はほとんど上の空だった。
夢中で相手の身体を求めあっていた。
背中のダブルホックを外す彼の左手は信じられないくらい素早くて、器用で。
鎖骨の上や、脇下、胸先をタッチする彼の手はほんとうに――ピアニスト。
「麻生……くん…… ……あたしの……ああっ! あたしの身体は……鍵盤じゃないの……よ?」
「先生こそ、あっちこっちで僕の脈…… ……確認……しないでくれません? そこ、すごく感じるんで」
「いいじゃない。あなたばっかり……不公平だわ」
「あ! そんな事したら……僕……」
「動かないで、医者の診察邪魔しちゃ駄目じゃない」
「たまには患者が診察するのも……いいと思いません?」
「ふふ……あなたに……ちゃんとした触診が出来るのかしら?」
「僕を……誰だと思ってるんです」
「あっ! 待って! そこは……」
「演奏では緩急が重要です。アクセントもね。allegretto(やや速く) allegro(より速く)、appassionato(情熱的に)」
「……ああ! 駄目!」
「駄目って言いつつ……見てくださいこれ。あれ? 先生?」
別に愛し合うような仲じゃない。
昨日今日に知り合って、成り行きでこんな事になって。
でもあたしは後悔しない。
患者が元気になるのはとてもいいことだもの。
見て? さっき、自分の頭に銃押し付けてた彼が、あんなに笑って――
え?
行くところまで行ったのかって?
……それはあなたの想像にお任せするわ。
- 208 :佐井 浅香 :2018/08/17(金) 08:18:30.78 ID:VCh4j1ro.net
- 「ごめんなさい。無理させちゃった?」
「……大丈夫……です」
触れる麻生の腕が、指先がぐんぐん冷たくなっていく。
顔色も……さっき初めてここに来た時より青白いくらいだわ。少し休まないと。
麻生を診療台に寝かせ……その顔を覗き込む。
いつもは長い前髪で隠している右眼が露わになって……ドキリとした。照明を照り返すその眼の色が普通じゃなかったから。
あたしとしたことが……今頃気づくなんて。
「その眼、見えてないのね」
「ええ。昔の怪我がもとで、ほとんど見えなくなっちゃって」
「怪我? 良く見せて? 大変ねぇ……ハンターってのも」
「いえ、あの……」
「水晶体の脱臼? 古い……炎症……? 眼底鏡が……欲しいわねぇ……」
「……あはは……先生はほんとうに……先生だなあ……」
スウッと息を吸って、彼は眼を閉じた。やだあたしったら。無理させちゃ駄目って解ってて。
ドアを数回叩く音。
……伯爵、じゃないわよね。出てったばっかりだし、たぶん彼はノックなんかしない。
「誰? 柏木さん?」
「ええ。ただいま戻りました」
「入って入って! 丁度お願いしたい事があったの!」
どうしたのかしら! いきなりガバッと起きあがったの! ベットで眠っていた筈の……コスモスちゃんが!
彼女、あたしの眼をキッと睨んで、ベットから飛び降りて……さっとその下に潜ってしまった。
……えっ……と……?
ガチャリとドアが開く。いつもと全く変わらない井出達で、静かに立つ柏木さん。
良かった。ハンターは片付けてきたみたいね?
油断なくその眼を室内に向けていた柏木さんの眼が――台に横になる麻生の上で止まる。
「麻生結弦の診察を? 彼が自力でここへ?」
「そ……そうよ。一度目ざめてここへ来たの」
「容態は……如何でした?」
「ヴァンプ化はしてないけど、危うい状態よ。いわゆるサーヴァントって奴ね」
「やはり……」
悲痛な眼を麻生に向ける柏木さん。痛むのかしら、右腕の無い肩をぐっと掴みながら。
「あの少女は? 見当たりませんが」
「え? ああコスモスちゃんのこと!」
「コスモス?」
「麻生くんがつけた名まえよ。聞いて! その子、あの赤ちゃんだって言うのよ!?」
「赤子……? リサイタルで生まれた……あの?」
「そうなの! さっきまでそこに居たんだけど……何処いったのかしら?」
「まさかそんな事が……いや……ひょっとすると……あの子供は『真祖』である可能性が――」
顎の下に拳を当てて考え込む柏木さんの眼がキラッと光った。
真祖って……あの真祖?生まれついてのヴァンパイア。
ヴァンパイア=ウイルス説が本当なら、有り得ない話じゃないわ。
ある種のウイルスは母親の血液から胎盤を通して――胎子に感染する事があるもの。
そう言えばあたし、麻生の事ばっかりで、娘ちゃんの事はあんまり気にしてなかったなあ。そっちのが驚くべき事態なはずよね。
「佐井先生。一刻も早くあの子を調べてください。足りない器具器材があればおっしゃって下さい」
「え? じゃあ……狂犬病のワクチンをお願いしたいわ」
「は? ワクチン?」
「そう。安全を考えたら、生じゃなく、不活化がいいわね。どう? 手に入る?」
「入らない事もありませんが――何に使うおつもりです?」
「治療よ。麻生結弦の。もしヴァンパイアがラブドウイルスに感染し発症した患者なら……効果があるかもなの」
「……なん……ですって……!」
- 209 :佐井 浅香 :2018/08/17(金) 08:20:39.75 ID:VCh4j1ro.net
- 驚くのも無理ないわ。ていうか、ただのあたし個人の仮説だけど。
根拠が全くないって訳じゃないのよ?
光に過敏に反応し、水を嫌い、凶暴化するって所はとっても良く似ているし?
銀の弾丸――弾丸型ってトコがマッチしてるし?
(何よその眼! ウイルスにだって意思があるんだから! 自分と同じ形の武器に弱いとか……ありそうでしょ!)
「解りました。手配してみます」
一礼して下がり、廊下に出ようとした柏木さんが何かに驚いて硬直した。だれ? 後ろに……誰かいるの?
「困るんだよね、そういう事されちゃあ」
ゾクリ……! っと総毛立つ背筋。だってその声……伯爵――菅大臣その人の声だったんだもの!
「私は反対だよ。せっかく『月に因んだ名』の仲間が増える……チャンスだってのにさ」
柏木さんを押しのけて部屋に入って来た伯爵――じゃない! え? どういうこと!? あなたがどうしてここに!
- 210 :如月 魁人 :2018/08/17(金) 20:49:59.26 ID:VCh4j1ro.net
- サクッ、サクッっと落ち葉を踏みつける、規則正しい司令の足音。
その背中をほんわか照らすポカポカのお日様。それをポーっと見ながら後ろ歩いてた俺。
――うわっとっとと……っつ……痛ってぇ……!
なにって――いきなりキィキィ鳴きわめくコウモリが向かってきたのよ!
流石にすっ転ぶびはしなかったがな? 横っつらを嫌っつーほど枝にぶつけちまった。
……しょうがねぇだろ。
司令の「あれ」見ちまった後だぜぇ? ホッとしたらなんつーか? 糸切れたっつーか?
――しっし! キーキー騒ぎやがってしつけんだよ! おらおら! 逃げねぇとぶっ放しちゃうよ? この自慢の銃でよ?
したら奴ら、俺が腰(ホルスター)に手ぇかけたとたんに姫の後ろに隠れやがった。まさか……伯爵の手下じゃねぇだろな?
「だらしないわね」
っていつもの麗子さんなら言う所なんだが……これがまた妙なの。
さっきから俺の横を……まるで生気の抜けまくった人形みてぇなカッコで歩いてんの。
……あんだけ俺にいちゃもん付けまくってた女が、司令来てから一っ言もしゃべんねぇの。
なんなのこれ。
居るけどね? 上司が来ると急に態度変わる女。
でも麗子さん、そんなタイプだったっけ? つか足音しなくね? クッソ高ぇピンヒールで、プスプス地面突き刺したら普通――
って彼女の足に目が言った時だ。足首に「生傷」あんのに気付いたのは。
……枯れ枝かなんかに引っ掻けた痕じゃねぇ。傷の深さ、形、間違いねぇ。ありゃあ生き物に噛まれた痕だ。
ただしヴァンプの歯型みてぇにでっかくねぇ。もっと小せぇ……なにか――
――あ! あれか!? さっき麗子さんの足元でチョロチョロしてたネズミ!
そういう訳かよ。銃向けられた最中にネズミ気にするなんて、しかも「キャッ」なんつって、おかしいと思ったんだよ。
平気か? ……消毒とかしねぇで?
「準備はいいかね? 魁人くん」
司令の声に前を見れば……いつの間にか正面玄関の前。
……すげぇ……でっけぇドア。
階段も壁も何もかも真っ白で……白いバラとか天使の彫刻とか……なんとまあゴージャスでお上品。
上流階級って奴ですか。こんな事でもなきゃあ……一生お目にかかれねぇお屋敷だぜ。
「魁人くん?」
「あ、はい。OKっすよ」
準備――もしヴァンプが襲ってきたら――の心の準備だろ?
解ってるよ。
もしそれが結弦だとしても……容赦はしねぇ。
決めてあるんだ。どちらかがヴァンプになっちまった時ぁ……ひと思いに楽にしてやるってな。
姫の背をポンポンっと2回叩く。これは俺と姫とで決めたサインだ。ここでいい子で待ってるって言う。
ブルルルッと啼いて、前足踏みならして……どしたの姫。いつもは大人しく言う事聞くのに……?
あんまり姫が嘶くし暴れるしで……仕方ねぇ。
木に絡んでるツル取って捩って……即席の手綱と頭絡(とうらく)に仕上げる。
(ガキん時に爺様から習った手技だが、こんなトコで役立つとはね)
手綱を手近な木に結び付けるの確認した司令が手招きする。
ドアに近づく司令と、その後ろに従う俺。殿(しんがり)は麗子さん。
……外で待ってろって言いたいトコなんだが……庭も安全とは言えねぇからな。
ちょ……俺のシャツ掴んだりして……しっかりして下さいよ。護身術くらい使えるっしょ? 防衛大出だし(こればっかり)。
ついに……司令の左手がドアのノブにかかる。
ゴクリ……と喉が鳴る。……ヴァンプ野郎。いきなり飛び出してくんじゃねーぞ?
……ギイィィィィィィ……
……イ……イヤな音たててんじゃねぇよ!
まんま……ふっるい化け物屋敷みてぇな音たてやがって! グリースくらい差しとけっての!
- 211 :如月 魁人 :2018/08/18(土) 05:58:30.35 ID:6THZiUfE.net
- 踏み込んだ屋敷の中は、拍子抜けするくれぇ何にも無かった。
いや、誰もいねぇんじゃなくて、普通にメイドさん達が「いらっしゃいませ」っつって、こっちも「あ、どうも」っつって。
いやいや、普通変な顔くらいすんだろ。俺は見るからに場違いなカッコしてるし、麗子さんは貞子だし。
あんまり司令が堂々としてっからか、変な客に慣れてんのか。
『ここだよ、魁人くん』
右手のドアをちょこんと指差し、ほとんど吐息だけで囁く司令。
なんすかその可愛らし過ぎる仕草! この非常時にやめてくださいよ! ハラにチカラ入んねぇじゃないですか!
ここって……何だここ? ドアにハザードマーク付いてっけど……病院?
≪コンコン≫
……ちゃんとノックするんすね。
「誰? 柏木さん?」
答えたのは色っぽい女の声だった。どっかで聞いた気がするが……思い出せねぇ。
「ええ。ただいま戻りました」
「入って入って! 丁度お願いしたい事があったの!」
司令がドアを開ける。俺は一歩下がって……壁に張り付く。ちょい様子見だ。
「麻生結弦の診察を? 彼が自力でここへ?」
「そ……そうよ。一度目ざめてここへ来たの」
お……思い出した! あの女だ!
ハンター協会がマークしてるあの女!
人間のくせにヴァンプに貢ぐ人類の裏切り者! 見つけ次第始末して良しとのお達しも出てるくれぇの!
この女のプロファイリング、歌舞伎町の闇医者で頭脳明晰! 容姿端麗! ってホントか?
んな峰フジ子ちゃんみてぇな女がこの世に居んのか! って一度彼女の病院に潜入した事あんだが……
東京は広いねぇ。
俺は惚れっぽい方じゃねぇんだが、間近で見てガン見しちまったぜ。
胸はある腰は細いケツは……白衣で良く見えねぇが、その白衣がまた良くね?
日本人形みてぇなサラッサラの黒髪と、妙〜に懐っこい性格が男どもに受けるらしい。
ごっついヤクザの患者らみんなデレッとしてやがる。男好きする雰囲気っつーか、影のある美人、みてぇな?
(誰に似てる? って聞かれたら……綾瀬ハルカ辺りか?)
やべぇ、こいつぁ魔物だ。
爺様が「東京の女は怖ぇ」って言ってたのも、あながち間違いじゃねぇってことだ。
けど……なんでだ?
奴らに取り入ったところで何の得があんのかサッパリなんだが。
「容態は……如何でした?」
「ヴァンプ化はしてないけど、危うい状態よ。いわゆるサーヴァントって奴ね」
「やはり……」
司令の呟きは、まんま俺の感想だった。
サーヴァント……やっぱ……だよな。幹部に血ィ吸われて……無事で済むわけがねぇもんな。
俺は腰の銃を片っぽだけ抜いた。壁に背ぇつけたまま、二人の会話に耳を傾ける。
そしたら……は? コスモス?
あん時の赤んぼが――真祖!? マジかよ……!!
こりゃあ……俺一人なんかじゃ背負(しょ)い切れねぇ。上に言わなきゃなんねぇ種類の情報だぜ。
勢い出ては来たが、俺は無線一式ちゃんと身につけていた。耳にカッチリくっつけるタイプで、いつも使ってる奴だ。
俺……どこまでマヌケなのよ。
耳たぶあたりにの電源入れようとした時、何もかもが真っ白になったんだぜ。
気持ちいいぐれぇの浮遊感の後だったなあ……冷てぇ大理石の床舐めたの。
俺、部屋ん中にしか注意払ってなかったもんよ、モロに喰らっちまったわけ。項(うなじ)の辺りに、ガツンと。
左手に持つ銃をもぎ取られる感覚。視界を過(よ)ぎる、噛み痕のついた足首。
そうだよ。犯人は……俺のすぐ横に立ってた麗子さん。でも……なんで?
- 212 :如月 魁人 :2018/08/19(日) 10:10:38.54 ID:IF1tTIWz.net
- 夢を見たぜ。昔の――まだ毛も生えてねぇガキの頃のな。
飼ってた馬が夜中に産気づいちまってな?
俺も爺様も「そろそろだな」って解ってたんで、厩舎で寝泊まりしてたんだが……
馬の奴、産室の中を……歩いちゃあ……座ってを繰り返すだけで、待っても待っても産まれねぇの。
乳はもうパンパンで、とっくに破水もしてんのにおかしいって爺様がボヤいて、電話かけまくってたの覚えてるぜ。
ちょうど春先、馬は出産ラッシュ。どこの獣医も出払ってた。
いつものと違う…………血の匂いがしてよ。
ほとんど動かなくなっちまった馬を見てみれば、ケツんとこから足が二本出てんじゃねぇか。
出血してやがる。普通こんなに出ねぇんだって言いながら爺様が仔馬の足にチェーンかけて……
無我夢中で俺達は引っ張った。助けなんか来ねぇからな、自分達でやるしかねぇ。
子は助かったが、親は死んじまった。デカすぎたんだな、子供がよ?
仕方ねぇから、俺は夜も寝ねぇで乳やったぜ。知り合いから馬のミルク分けてもらってな。
身体もタテガミも綺麗ぇなクリーム色した……雌の子馬だった。「月姫」って付けてやった。
いつも一緒だった。何処に行くにも付いてきた。そのうち姫に乗って登校するようになったんだぜ?
田舎の学校ってのは、都会と違っておおらかだ。
あいてる倉庫、使っていいっていうからよ、俺達専用の厩(うまや)にしたぜ! へへ!
……おいおい、何でそんな暴れんだ?
眼の色変えて……そういやお前、そんな眼ぇギラギラしてたっけ?
歯ぁ剥き出すなよ、そんな奴じゃねぇだろ……っておま……それ……犬歯? なんで女のくせに犬歯?
……っと危ねぇ! おい! 行くな! 姫! おまえ一体どうしちまったんだよ!? おーい!!
「……くん! カイトくん!!」
「……っ痛てぇ……んな耳元で大声出さ……あ?」
司令の声に眼覚めてみりゃあ、ここ、さっき入ろうとしてた部屋か?
「焦ったわ、急に魘(うな)されだして。この傷も、てっきり咬まれたのかと」
司令の隣で、ちょい腰かがめて俺のカオ覗き込んでんのは、白衣姿の女――佐井浅香だ。
まだ頭がガンガンしやがる。
痛む後頭部をさすりたかったが……出来やしねぇ。後ろ手でガッチリ拘束されてるもんよ。
両肢も椅子の足に固定されてやがる。
グルッと見回しゃあ……広ぇ診察室か……検査室みてぇな部屋だ。器具器材がすげぇ。
部屋の真ん中の診療台に寝かせられてんのは……結弦だ。まだ死人にゃあ見えねぇな。
ドアの横には腕組んだまま眼ぇ閉じてる麗子さん。
さっきまでの……うっすい存在感は何処へやら。得体の知れねぇオーラ放ちやがって。
麗子さん。あんた――やっぱ……
「俺、用心はしてたんすよ? 『ハンターをヴァンプ化して幹部に』なんて訊いたから、罠かもなって。でも麗子さんも居っから、
いざって時は退路確保してもらえりゃ何とかなるかなって。あんた、結局ヴァンプなのか!? なんでさっき――」
ヒンヤリ冷てぇもんが、怪我した頬に染みた。女医がペタペタ消毒かなんかしてやがる。
てめぇはもっと訳わかんねぇぜ。人間のくせに奴らに肩入れしやがって。
おい! 勝手にバンソーコーなんか貼ってんじゃねぇ!
「落ち着きたまえ魁人くん。手荒な事をして済まない」
「司令が謝ることなんてありませんよ。俺がマヌケなだけですから」
「魁人くん、私は――」
「解ってます。司令は伯爵には逆らえねぇ、俺には打つ手がねぇって事も。煮るなり焼くなり、好きにしたらどうです?」
「その言葉、本気かい?」
ギョッとして俺は麗子さんを見た。答えたのは司令じゃねぇ、麗子さんだ。でも声は……若い男。良く知った声だった。
「自己紹介が必要かな? うら若きハンターくん?」
「いんや、いらねぇな。伯爵だろ? 厚生労働大臣、菅公隆。まさかあんたが……麗子さんの身体乗っ取ってた、なんてな」
- 213 :魁人 :2018/08/25(土) 06:30:02.08 ID:lqnL3TCf.net
- 規制回避ってのは切ないねぇ。姫、ちゃんと草くってっかな。
- 214 :魁人 :2018/08/25(土) 06:35:36.15 ID:lqnL3TCf.net
- そういやあの上杉謙信も月毛の馬乗ってたらしいぜ?
対して信玄の馬が何毛だったのか気になるんだが……黒雲っつーくれぇだから、青毛か?
- 215 :如月 魁人 :2018/08/25(土) 06:36:08.35 ID:lqnL3TCf.net
- 「そうだよ、私は自分の血を継ぐ者に、この意識を送る事が出来るのさ」
眼ぇ閉じたままクックッと笑う伯爵。
甲高ぇヒール音響かせながら……ゆっくり俺の後ろに回ってよ、トンッと左肩に置かれたその手の冷てぇこと。
背筋が凍るってのはこの事を言うんだぜ?
俺、生粋の道産子だからよ、寒いの冷てぇのにゃあ慣れてっけど、そういうレベルじゃねぇのよ。
なんつーか……胸に氷(ドライアイス)でも撃ち込まれた感じっつーか?
心臓は跳ねるわ……空気はピーンと張りつめるわ、息すんのは忘れるわ。
そんな俺の耳元を、麗子さん自慢のロングストレートの髪がくすぐった。
奴の顔が降りてきて……血生臭ぇイキがフウッっと首を撫でやがってな。
硬直しちまったぜ。咬まれるかと思ったからな。
だが耳下に押し付けられたのは硬くて冷てぇ鉄の感触だった。チカっと光るブルーの光沢。……野郎、俺のマグナム!
「どう? 自分自身の得物で……やられる気分」
口歪めて笑う……その眼が金に変わってる。
撃鉄起こす音がゴリッと響く。この音聞かされたたらもう……観念するしかねぇ。
「やれよ。煮るなり焼くなりって言ったぜ?」
呟きながら俺ぁ……心のどっかで「まだ殺されはしねぇ」って確信があった。殺しちまったら俺を仲間にするもねぇもんな。
だが奴ぁ俺の眼ぇ捕らえたまま――「じゃ、遠慮なく」っつって発砲しやがった。
ただし頭じゃねぇ、下だ。奴ぁ俺の左の膝を撃ち抜いたんだ。
同時にその足を払われたんで、椅子ごと横倒しになった俺は、しこたま半身を打ちつけた。
チクショウ……こんなん……対拷問訓練以来だぜ。
「何しやがる……俺の大事なシャッポが……吹っ飛んじまったじゃねぇか……」
「そりゃ……悪かったね」
……訂正するぜ。訓練ん時とはぜんぜん違ぇ。教官は……こんな楽しそうな顔なんかしねぇ。
2度の銃声。腕と……脇腹がやけに熱い。撃たれた足の痛みも、今頃になって襲ってきやがる。
俺は歯ぁ食いしばったが、たまらず絶叫しちまった。尖んがったヒールの足で、ヒザ踏みつけられたもんよ。
ピタピタっと、硝煙の上がるマズルを掌で遊ばせるその様ぁ……まんま子供だ。川でイワナでも獲る時のな。
見ろよ、ジャキッと銃のシリンダーずらして覗き込んだその顔。
「残り、1発だよハンターくん?」
シリンダーを勢い回す、その金の眼が笑ってら。ロシアンルーレットってわけだ。
バタン! と音がしたんで、首巡らして見てみりゃあ……司令が居ねぇ。
訓練ん時でも思い出したに違ぇねぇ。見るに耐えねぇってか?
司令が出てったそのドアを……しばらく眺めてた伯爵。
「行っちゃったよ。お楽しみはこれからだってのにさ」
って肩すくめやがった。……お楽しみ。お楽しみねぇ……。
米神に当たるマズルがくそ熱かったが……イッちまった身体は反応すらしねぇ。
俺、この遊び苦手なんだよ。どうヤルならストレートにやってくれよ。
「そうだ、こういうのどう? トリガー引く度に、君に発言権をあげるってのは」
喋り終わるか終わらねぇかってタイミングで奴の指が動いた。運が良けりゃあ……これで死ねるってわけだ。
「一発目は……外れ。君、運がいいね」
……良くねぇよ! これ、最悪5回繰り返すのかよ!
「ほら、言い残すコトくらいあるでしょ? ない? 聞きたい事とかさ」
「……あるぜ。山ほどあらぁ。どれにするか……迷うくれぇだ」
- 216 :菅 公隆 :2018/08/26(日) 05:36:19.15 ID:Frx03hLG.net
- 父は代議士だった。帝大で法律を学んだのち、苦労して支持者を得た話を良く聞かされた。陰で父を支えた母の苦労も。
二人ともごく普通の、健康な人間だった。
何故わたしのような「異形」が産まれたのか。
生活は豊かな方だったように思う。
広い庭にはラブって名の大型犬が1頭駆けまわっていたし、週末は人を呼んでの食事会。
父の仕事柄、客は要人や著名人が多かった。
そんな席には必ず顔を出した。自分の顔を覚えさせるのが何よりも大事だと教えられていたから。
食事関係には苦労させられた。
幼いころから小食な上に偏食が激しく、特に豆や野菜――植物由来のものは全くダメだったらしい。
かろうじて口に入れたのは牛乳と獣肉。時に生肉から滴る液体に異常な執着を見せ、若い両親を困らせたと聞いている。
食べ物に口をつけぬわたしを教師やクラスメイトは訝ったが、アレルギーだと誤魔化した。
食わぬ割には成長が早く、身体能力は高かった。頭のほうも。中学、高校、大学、司法試験、さして苦労した事など無い。
虫をいたぶり、殺すのが好きだった。最初はアリやバッタ、次第にネズミや……ハト。
「小さい頃は良くあることだ」と納得し合っていた両親が、笑顔を見せなくなったのはいつの頃だったか。
……ラブが死んだ、あの夜からだったろうか。
15の誕生日、変に喉が渇いて……庭に出たらラブが駆け寄って来た。抱き寄せて、ラブの鼓動をこの胸に感じて――
気がついたら、その首を引き裂いて、血を啜っていた。
あの時の感動は今でも忘れない。今まで口にしてきたものは、何だったのか。これが本当の「食事」なんだと。
もちろん両親はショックを受けたろう。
朝起きたら、速攻でで精神科に連れて行かれたからね。
何だか患者より神経質そうな先生が出てきて、わたしの症状を聞いて、
「典型的なヘマトフィリア(血液嗜好症)の症状です」なんて言うんだよ。対処法はと聞くと「気の持ちよう」だってさ。
――ヤブ医者め!
色々試して、でも血に対する欲求は止まらなかった。日に一度、もしくはそれ以上。
家からネズミが消えた。遊びに来る猫や、スズメ達も。血液パックじゃ……駄目なんだ。生きた血でないと。
そうこうするうち、水ですら受け付けなくなった。気が狂いそうだった。
思い余って手首を切った。
だが……なんという事だろう。傷が瞬時に塞がったのさ。そういえば昔から傷の治りが早かったっけ。
ふと、巷を騒がせてるヴァンパイアのことが頭をよぎった。
まさか……?
違う。両親は人間だし、奴らに遭った事も、まして咬まれた記憶もない。第一、あの太陽の下を堂々と歩けるはずがない。
「奴」に出会ったのは、公園の暗がりで「食事」をしていた時だった。
血を吸っても死なない白いネズミが居て、そいつが妙に懐いてくるんだ。
良く見ると、目が赤くて……鋭い牙も生えている。
腕にのぼって来るそいつを肩で遊ばせたり、頭に乗せたりしてしばらくじゃれ合ってたらさ、居たんだよ。
座っているわたしのすぐ後ろに、その男がね。
- 217 :菅 公隆 :2018/08/26(日) 05:40:50.12 ID:Frx03hLG.net
- 「こんな時間にこんな場所で……なにやってる。家出か?」
会社員にしては洒落たスーツを身に付けた、細身の若い男だった。顔と髪型、仕事帰りのホストといった井出達。
急いでネズミをポケットに入れ、身を翻した。逃げ足には自信があった。が、瞬時に軌道を塞がれた。
「悪いな。運が無かったと……諦めな」
この身体を抱き寄せる腕の力と、見下ろすその眼の色で、わたしは男の正体に気付いた。
――ヴァンパイア。
はっきりした目撃者が出ない割りに、犠牲者が急増してる……謎の怪物。
国が新設した協会のハンターですら、返り討ちに遭うという、人類の天敵。
いざ出会ってみると、不思議と恐怖は無い。長く伸びた牙が、この喉元に触れた時も。
「おまえ……怖くないのか?」
「なにが?」
「何がって……普通の奴は喚くか暴れるかするもんだ。大体お前……この眼を見て平気なのか?」
「いや、ひかってて猫みたいだなあとは思うけど? てか放してくれない?」
「『眼力』が通じない……だと?」
男はいきなり手を離し、地に手をついた。
「失礼致しました。同族、しかも『上位』の方とは気付かず、申し訳ありません」
「え? あの」
「私は『新宿』の佐伯と申します。失礼承知で貴方様の所属コロニーなどお教え願えれば、後ほどお詫びのご挨拶に伺います」
「あは……えと……コロニーって……なに?」
佐伯と名乗った男はポカンと口を開けて顔を上げた。
「コロニーを……ご存知ない? 東京都は新宿、渋谷などの各区と都下に置かれる我等同族の集まり、各県の町村にも同規模の・」
「ごめん、本当に知らないんだ」
「貴方様を変えた主人殿は?」
「てかさ、わたしはヴァンパイアなんかじゃないって。ヴァンパイアに咬まれた事もない」
「御冗談を。僭越ながら我が眼力には一応の信頼を置いております。人間ならば必ずや術中に、ともすれば力の劣る同族も――」
そこまで言って彼は言葉を切った。恐る恐るといった体(てい)で顔を上げ、この眼を食い入るように見つめ――
そんな時、ポケットの中で大人しくしていたネズミがキッと鳴いて顔を出して、それを見たその眼が驚愕で見開かれ――
まさか……とだけ呟き、それきり口をつぐんでしまった。
彼が立ち去った後、木立がやたらとザワめいたのを覚えてる。
しばらくは平穏だった。
血の欲求は相変わらずだったけど、部屋に戻れば、あのネズミがいつも待っていた。心だけは癒された。
アルジャーノンという名前をつけた。大好きだった小説からの引用だ。
彼も自分と同じ症状で、欲しがるものも同じだったから、夜は一緒に「狩り」に出かけた。
ただ、あの公園にだけは行かなかった。
- 218 :菅 :2018/08/26(日) 06:38:28.67 ID:Frx03hLG.net
- 良くみたらさ、プロフィールの年齢欄、違ってるじゃないかって。
訂正しとくから。ついでに特技も足しといたから、よろしく頼むよ!
- 219 : :2018/08/26(日) 06:39:52.66 ID:Frx03hLG.net
- 名前:菅 公隆(すが きみたか)
年齢:34
性別:男
身長:171
体重:58
種族:ヴァンパイア
職業:政治家(現職は厚生労働大臣)
性格:生真面目
特技:弾丸を素手で切り裂く、ほか自分の血を引くサーヴァント、ヴァンパイアへの憑依、操舵。
武器:手刀
防具:なし
所持品:スマホ iPod
容姿の特徴・風貌:純白の上下に黒のYシャツ、切れ長の黒眼、肩まで伸ばす黒髪を粗めのシャギーカットにしている。
簡単なキャラ解説:数少ない真祖の一人。彼が新宿のコロニーの現伯爵であることはハンター協会内部では周知の事実である。
- 220 :菅 公隆 :2018/08/26(日) 07:42:12.59 ID:Frx03hLG.net
- 無事大学を出て、本格的に父に付いて政治の勉強を始めたあの頃。
日本は荒れていた。
不祥事に伝染病、想定外の災害。そして……ヴァンパイアによる被害の拡大。
母はすでに他界していた。当時内閣代表(総理)だった父に、休む間など無かった。
幾度となく破綻し、構築され、を繰り返す内閣。
もともと心臓に持病を抱えていた父が倒れ、急死してしまったのは……彼が2度目の首相を務めていた時だった。
ちょうど会見の最中で、わたしも同席していた。世間の眼がわたしに向いたのも無理はない。
哀しむ時間は与えられず、いや、もともと人の死というものに鈍感であったわたしは仕事に没頭した。
もともとあまり食事も睡眠を取らない性質(たち)だったから、辛くなどなかった。
人脈、言葉、法律、とにかく周りのあらゆるものに気を配った。一議員から大臣の職に就くまで、さして時間はかからなかった。
そんな時だった、迎えが来たのは。
「御無沙汰しております。ご健勝のようで何よりです」
暗がりの中、玄関の門の横で頭を下げる男には無論見覚えがあった。
「あれから8年か、確かに久しぶり。佐伯って言ったっけ?」
「記憶に留めおかれたとは光栄です。遅れ馳せながら、大臣就任、おめでとうございます」
「そんなことをわざわざ言いに来たの?」
「滅相も。『宴』の準備が整いましたので、是非にと」
あはは、「うたげ」なんて言うから思わず笑っちゃったよ!
でも本人は大まじめで……こちらへ、なんて促すのさ。あの公園でこっそりパーティーでもするのかなあ。
「待って、部屋で待ってる友達も連れてくるから!」
って言って急いで自室からアル(アルジャーノン)を手に乗せて戻ってみれば、黒塗りのワゴンが待ってたのさ。
(リムジンじゃない、ワゴンってとこが可笑しいよね? 可笑しくない?)
いざ到着してみれば、なんだここ、アルファベータ人材派遣のビルじゃないか。
全国各地に支社がある大きな会社で、本社は神戸だ。
社主は田中与四郎といって、東京は無論、全国津々浦々駆けまわっるからなかなか捕まらない、
顔写真もなくて、架空の人物とさえ言われてる人物だ。今夜ここに来てるとしたら、すごいチャンスなんだけど――
「やっぱりやめる。大臣になっちゃった以上、軽々しく来れるような場所じゃないしね」
「そう仰らず。社員一同、この日が来るのを首を長くして待っておりました」
そう言って門の隙間から現れたのは……仰々しい和服を身に付けた初老の男。
「お初にお目にかかります。わたくし、社主の、田中と申します」
「田中……? 貴方があの?」
「はい。貴方様が来られると聞き、急ぎ馳せ参じました」
「まさか貴方がヴァン――」
「田中とお呼び捨てを。伯爵様」
「は……はくしゃくっ……!?」
「……お静かに! ハンターどもの跋扈する時代です。ささ、こちらへ」
いやちょっと待って。君達どこから……そ、押さないで! わたしは帰……ああ! ちょっと!
- 221 :菅 公隆 :2018/08/28(火) 06:23:43.70 ID:BcD123zR.net
- 建物内部は、ぞっとするほど冷え切っていた。
微かに流れるこの曲は――ピアノソナタ「月光」の第1楽章か。
最小限の照明が照らす、清潔で事務的な内装は、いかにも「会社」といった様だ。
だがそれは最上階についた時に一変した。
そこはサロンだった。いや、応接間(サロン)と表現するには広すぎるだろうか。
高い天窓から差し込む月明かりが、緋の絨毯を埋め尽くす「それ」の姿を薄く照らし出している。ざっと200は居るか。
どれもこれも社交ダンスでも始めるのかと思うほどめかし込んでいる。
田中氏に導かれるまま、室内に足を踏み入れる。月光の第2楽章が、明るい軽やかな調べを奏で始める。
「皆皆がた! この方こそが、我らが救世主(メシア)、伯爵様ですぞ!」
あがる歓声。次々と道があけられ、導かれたのは一角の壇上。
一斉に向けられる眼差しには羨望と期待の色。……しかし妙だ。これほどの人が居ると言うのに、なぜこうも……寒い?
「伯爵様、どうか皆にお言葉を」
静まり返った場内。どうしたものかと思案する。天を仰げば窓向こうにくっきりと浮かび上がる、真円の輪郭。
まさか……月が満ちるこの時を待って……?
……困ったな。適当に取り繕って退散しようか?
――いや、ここは正直に言うべきか。これでもわたしは――愛国家なのだから。
「このような素敵な場にこの若輩をご招待下さり、思いがけなく、そして大変嬉しく思っております。
ですが……申し訳ない。おそらくわたくしは、皆さまの御期待に添える者ではない。『伯爵』とは何のことやら……」
口をきく者は居ない。ゆっくりと移動する月の光。
「申し遅れました、わたくし、このたび吸血鬼(ヴァンパイア)対策担当大臣を拝命致しました、菅 公隆と申します」
今朝のニュースや新聞見た人なら知ってるね。新たに設けられた大臣職、吸血鬼対策担当大臣。
本格的にヴァンパイア被害が拡大しだしたんで、それを危惧した内閣がようやく重い腰を上げたってわけ。
具体的に何をするかって言われたら、ハンター協会の統率と強化。これに尽きる。
いまのハンター協会は、圧倒的に予算が足りていない。
足りないからほとんど寄付金に頼ってるけど、……武器って……けっこう高価い。
金が無いから装備が無い、人も来ない。聞く所によれば、事務職が現場に出張る状況らしい。
警察官や自衛官同様、無限責任を追う(自分の命より職務を優先する義務を負うこと)、
しかもその殉職率が警察官の比じゃないとあれば人が来ないの当然なんだけど。
そこで考えたのが、防衛省と連携した上手な予算の運用だ。
早い話、「拳銃100丁欲しいから、調達してくれない? ついでに人も」なんて気軽に頼めるわけ。
必要があれば厚生省、内務省にも打診できる。いまみたいな縦割りじゃあ……化物の撲滅は出来ない。だろ?
わたしは前々からヴァンパイアってものに興味を持っていた。
公園で出会った佐伯って男が言った「同族」という言葉には、ずっと悩まされてたんだ。
それが本当ならどんなに楽かとも。
でも違う。自分は人間だ。政治家だ。政治家の仕事は、安全で豊かな社会の実現だ。
行動力と体力だけには自信があった。だから真っ先に手を挙げてみたら、見事承認されたってわけ。
(――大臣の最年少記録、一気に更新しちゃったよ! え? そんなの大臣のうちに入らないって? ……うるさいな)
手始めに……そう、ハンター協会の内部組織図(マル秘)見たり、どうやって広告だせば人来るかな〜なんて考えてた矢先だったんだ。
- 222 :菅 公隆 :2018/08/28(火) 06:28:54.32 ID:BcD123zR.net
- 「つまり――ここに居られる方々は御存じのはずだ。わたしが立場上、貴方がたの『敵』であると」
敢えて使った。「敵」という言葉は……流石に効果を発揮したようだ。
居あわせたほとんどのその眼が、パッと金色に輝いたんだ。
この時……覚悟を決めたよ。わたしはこの場で抹殺される。でもそれはそれで好都合だと。
懐のスマートフォンは、この居場所を随時自宅のPCに送っている。音声もだ。
ここがヴァンパイアの巣窟である事の証拠となるだろう。
証拠があれば協会が動く。警察や自衛隊と協力し、踏み込む事が可能だ。
田中氏が進み出て、こちらを見上げた。その眼はまだ人間だ。
「貴方様は決して敵などではありません。貴方は我等の長となるべき御方ゆえに」
「違う。わたしは人間だ」
「違います。貴方は我等と同族――ヴァンパイアであらせられる」
「違う!」
田中氏が思案気に眼を伏せる。
「よろしい。その証拠を……御覧に入れて差し上げよう。こちらへ」
「……?」
田中氏の意図が解るのか、一同が一斉に壁際に寄る。
広く空けられた広間中央。赤いはずの絨毯がオレンジ色に染まっている。南中した満月の光のせいだ。
言われたとおり、そこに立つと、田中氏が再び声を上げた。
「我こそはと思うもの、腕に覚えのあるものは、前へ!」
ざわめきと戸惑いの気配。その中から一歩、進み出たのは……黒一色のスーツの男。
周りが派手なだけに、その質素さが際立つ。
「……見かけぬ顔だな」
「九州は長崎の一区画から参りました。以後お見知りおきを」
「なるほど、肥前よりはるばる……よう参られた。さっそくだが、伯爵様の相手をよろしいか?」
静かな眼で頷く男。満足げに頷いた田中氏が下がる。
「待って下さい、話しはまだ――」
言葉を切らざるを得なかった。静かに立つ男が、いきなり動に転じたのだ。
- 223 :菅 公隆 :2018/08/30(木) 23:50:48.01 ID:jaroAJbk.net
- ―――――――――――ヒュッ!!
頬を熱く掠める衝撃。呼気か、拳が空を切る音か。
再び距離を取り、ぐっとその腰を落とし構える男。こちらを捉える静かな眼。
生まれてこの方、喧嘩というものをしたことがない。武道と言えば……父が戯れに教えてくれた剣道くらいか。
鼓動が大きく跳ねる。次なる攻撃をヒラリとかわす自身の身体が軽い。
相手はおそらく有段者。その気迫も威力も並ではない。
……が、読める。かわせる。ろくに訓練も受けたことのないわたしが……何故?
まさかこれが田中氏の言う「証拠」なのか!?
ヴァンパイアが持つ闘争本能、あるいは防衛本能の成せるわざだと言うのか!?
だがもっと驚いたのはアルジャーノンの方だったろう。
何度も攻撃をいなすうち、ついにポケットから放り出されたのだから。
飛び出したネズミが右往左往し転げ回る姿にどよめく会場。
その声にさらに驚いたか。キイキイ金切り声をあげ駆けまわった彼が駆けこんだのは田中氏の袴の陰だった。
そっと両手ですくい上げ、その背を撫でる田中氏の眼がこちらを向いた瞬間、まともな一撃がこの鳩尾を直撃した。
恐ろしく長い滞空時間。視野に入るは天空よりの満月。
つづく衝撃。肩と背の骨が軋む音。
絨毯の据えた匂いが鼻をつく。
鳩尾に引き絞られるような痛み。
仰向けのまま、視線をめぐらす。
相手がゆっくりとこちらに向かってくる気配。
鳴りひびく月光第3楽章。わたしはもっと……人の心を癒す曲が好きだ。
この曲は……人の焦燥を煽りすぎる。
馬乗りになった敵が左拳を振り上げる。
わたしはむしろ安堵した。ヒトのまま死ねるのだ。
眼を閉じ力を抜く。潔くその攻撃を受けるために。
だがその意に反し、この両腕が反応した。この胸目掛けて突きだされた男の徒手を掴んだのだ。
手首を握り、押し返すこの手の力はいかほどか。
せめぎ合う両者。
わずかに届く指先がこの胸元に触れる。タイが千切られ、ボタンが飛ぶ。
場の緊張が高まったその時、男が一瞬間、口元を歪め、呻いた。軋み、砕かれたのは男の手首の方だったのだ。
しかし、なんという精神力か。男は砕けたはずの左手でこの両手を握りこんだ。
そう、一連のすべてが牽制。今の攻撃は囮だった。
本命は右。
男は右半身をわずかに引いた。体重をその右手に乗せるために。
今までとは比較にならない殺気。
はっきりと見えたのは――指先だけを曲げる拳の形に固めたその指間に、キラリと光る何か。
それこそが男の切り札だった。
彼はその右手に、ヴァンパイアの唯一の弱点――銀の弾丸を握りこんでいたのだ。
易々と骨を砕き、差し入れられたそれが、肺を破り、心臓に辿り着くまで一秒とかかっていまい。
わななく身体。鼻と口から噴き出す血液。悲鳴に怒号。
「そこまで!」 と叫ぶ声。鳴り止まぬ第3楽章。それらが徐々に遠のき――
わたしの意識を呼び覚ましたのは、小さな……一匹のネズミだった。
- 224 :菅 公隆 :2018/08/31(金) 07:12:00.93 ID:uBjoeZqC.net
- 「彼」は男の顔に張り付いていた。
アルジャーノンだ。
いつの間にそこに居たのか、わたしの危機を知って急ぎ田中氏の手から逃れてきたのか。
尾を振りまわし頬や鼻を引っ掻いてしがみつくそれには流石に意表をつかれたんだろう。
男は右腕をこの胸から引き抜き、赤く染まった手で顔面のネズミを無造作に掴んだ。
「……やめ……ろ」
自分の声と、耳元で何かが潰れる音とが重なった。
「アル……ジャーノン……?」
手を離し、彼をそっと手に乗せる。
軽く啼いて痙攣し、やがてピクリとも動かなくなった彼は……ペットなんかじゃない。たった一人の……友達だったんだよ。
すべてが赤く染まった、そこから先のことは……おぼろげではあるが覚えている。
ただこの腕を軽く振り抜くだけで、男の腕が宙を舞ったこと。もう片方の腕も。脚も。
焦燥に手を貸していた音楽が止んだ時、四肢をすべて根元から断された男が転がっていた。
わたしは……ヴァンパイアだ。
始めから解りきっていた。ただそれに眼を背けていただけの、ただそれだけの事実。
そしてもう……後戻りは出来ない。
徐々に面積を増していく血だまりに足を踏み入れる。
男の持ち物だろうか、血だまりの中に沈む一本のロザリオと、黒い手帳が目に留まる。
拾い上げ、パラリと頁をめくる。それは……手帳などではなく、薄い版の聖書だった。
右膝をつく。パシャリと血しぶきに、うすく眼を見開く男。
薄く切れた頬の、その様子に違和感を覚えたわたしは顔の皮をひと息に剥いだ。
それは本物の皮などではなく、仮面だった。見覚えは無いが、その顔は誰かに似ていた。
すでに覚悟は出来ていたのだろう、男の顔はむしろ、何かをやり遂げたような安堵の色に満ちていた。
右横にて田中氏が畏まっている。両手をつき、顔をあげぬまま声を張りあげた。
「申し訳御座いませぬ! おそらくこの男は協会(ハンター協会)の手のもの! 一重に私(わたくし)の手抜かりにて」
「違うよ。田中さんはたったさっき駆けつけたばかりだった」
「しかし――」
「もう済んだことだ。幸い『手傷』は負って無い」
「されど――」
「二人にしてくれないかな」
「――は?」
「この男と二人きりにしてくれって言ったんだ」
- 225 :菅 :2018/08/31(金) 07:24:09.64 ID:uBjoeZqC.net
- わたしとしたことが……失礼した
×パシャリと血しぶきに
○パシャリとかかる血しぶきに
- 226 :菅 公隆 :2018/09/01(土) 07:18:18.74 ID:T9xN6O3S.net
- 手傷が無い、なんてのは嘘だ。
胸のやや左寄りの……一点に、凍りつくような痛み。まるで鼓動を打つたびに打ちつけられる白木の杭。
……間違いない。この中にはさっきの銃弾が取り残されている。
田中氏は迷っているようだった。
わたしの言葉を信じるべきか、わたしと男を置いて言っても良いものか。
怪訝に眉をひそめ、しかしそれ以上口出しせず、彼はその大柄な身を起こした。
彼に急かされ出口へと向かう群衆。
ある者は機敏に、あるものは名残惜しげにこちらを見やり、しかし皆口を閉じ、大人しく退散した。
田中氏だけがしばらくこっちの様子うかがってたけど、諦めたんだろう。一礼だけして扉を閉じた。
とっくに西へと移動したのか、差し込んでいた月明かりは消えていた。
塗りつぶされた窓は外の光を拾わない。故の……真の闇の来訪。
サロンに籠もる音の余韻。むかし貝殻を耳に当てた時、こんな音がした気がする。
わたしは男に向き直った。
たった一人の友達だった……アルジャーノンの仇。無様で醜い……その様を。
視界が黄金に染まる。胸の痛みが嘘のように引いていく。
――あはははっ! いいよその顔、すごくいい!
「どう? 手足をぜ〜んぶ無くした今の気分」
ゆっくりと彼の周りを歩きながら。血のこびりついたロザリオの、硬い感触を楽しみながら。
「西太后って知ってるよね。彼女が帝の死後、寵妃だった女性に何をしたか」
手足を切断し……人豚と呼んで嘲笑う。
――良く解るよ! 彼女もきっと、ヴァンパイアだったんだよ!
その「人豚」はさ、3日間も生きながらえたんだってさ。
自らの行為を後悔し、悔い改めるために、与えられた時間がさ、たった3日。
……冗談だろ?
もっとだよ。……もっと苦しんで貰わないと困るよ。
「聞こえてる? わたしの言ってること、理解できてる?
眼をあけて、しっかりこっちを見るんだ。ほんとは抉ってやりたいけど、でもそんな事したらわたしの眼が見えないだろ?
その耳も……突いたらわたしの言葉が聞こえなくなる。
そうだ。そうやって……君はずっとわたしの事を見ていなくちゃ。言葉を聞いてなくちゃ。
君は今から……わたしのモノになるんだから」
「……させないよ。舌を噛むなんて、卑怯者のする事だ。
このロザリオもなかなか役に立つじゃないか。知らなかったよ、こうやって……歯を折るための道具だったなんてね。
あはは、そうやって咥えてるといい。血に塗れたロザリオは……辛いかい? 甘いかい?
甘いよ、君の血はとても甘くて……鮮烈だ。
知らなかったよ、ヒトの血がこんなにも――
そうさ。君はわたしの「初めて」だ。なかなか居ないと思うよ。伯爵と呼ばれる男のヴァージンを奪う男は」
さて……これからが本番さ。
「結果がどうあれ、君は選ぶことが出来る。死ぬか。生きるか。
清き命を神に捧げる? それもいい、美しいよ、実に美しい。クリスチャンの鏡だ。
でも……こういうのはどう?
君は人である前に「ハンター」だってこと。ハンターの使命は……ヴァンパイアの殲滅だ。
君は不老不死の身体と、力を手に入れる。ヒトを凌駕する素晴らしい力をね。
それをハンター育成のために役立ててみないかって話なんだ。
だいたい君はわたしの命令を無視出来ない。わたしは君の親であると同時に、協会の司令塔でもあるんだからね。
知らなかっただろ? ヴァンプの担当大臣が元帥も兼ねる、なんてね。
実は今朝早くに協会には通達しといたんだ。
頭を叩けば奴らをつぶせる。潜入しその正体を見極め……隙あらば消せってね」
その標的がまさかわたし自身だなんて、夢に思わなかったけどねっ!
- 227 :菅 公隆 :2018/09/03(月) 06:47:15.08 ID:aqDqsGGL.net
- 「さて、君はどっちを選ぶのかな」
男の身体を渾身の恨みを込め蹴りあげる。
フワリを浮きあがり、床に転がる肉の塊。……なんて軽いんだろう。
男の口から飛び出したロザリオが、心地良い金属音を響かせ足元に落ちる。
まだ温かいそれを舌でなぞる。背筋が震える。頭の芯がとろけるかの美味。
「YESなら……実に嬉しいよ。君はとても使えそうだ。自分でも……そう思うだろ? え? 柏木宗一郎」
死んだようにぐったりしていた男がピクリと反応してこっちを見た。
「やっぱりそう? 当たった? つい今朝方さ。組織図に乗ってた事務局長がそんな名前でさ。
良く見れば鉛筆書きで『現場主義』なんて書いてあるじゃないか。
こいつ、事務方のくせに現場なんか出るのかなって……思わず経歴調べちゃったよ。
言っとくけど、『上』にくらいは素顔晒した方がいいんじゃない? ほんと、ギリギリまでわからなかったよ」
ふたたび眼を閉じた、その胸倉を掴み上げ、耳元に口を寄せる。
「寝るなよ。『拒否』は重大な職務規定違反だ。罰として……そうだな。君を免職にしても何の意味もなさなそうだから――
最近、協会に登録したハンター志望の若手がいたよね、麻生結弦と、如月魁人」
狼狽が手に取るように解る。なるほど、最初からこの手を使えば良かったんだ。
「ちょっと勿体ないけどさ。手始めにこの2人を――」
「……ます」
「なに? 聞こえないよ?」
「…………貴方に従います。我が……主(マスター)。我が主(ロード)」
ぞくりとした。
頭の中でハレルヤコーラスのあの歌詞が高らかに響いたんだ。
――King of Kings! ――and Lord of Lords!! ってね.
素晴らしい! 最高だ!
今までこれほど他人(ひと)を憎んだ事があったろうか! 愛しいと感じたことがあっただろうか!
かろうじて脈打つ、首筋の動脈を探り当てる。
直で味わう生き血は背徳の味がした。
- 228 :菅 公隆 :2018/09/04(火) 06:37:48.48 ID:pxlBEhuk.net
- 柏木をハンター協会に送り返したあと、しばらくは寝る間もなかった。昼は閣議に国会、夜は地固めと……ヴァンプの集会。
いや、ほんとに忙しかったよ。
台風が来たり、株価が暴落したり、アメリカの大統領が変わるだけで大変なんだ。政治家ってのは。
各省庁との連携も上手くいかない事この上ない。
「庁」から「省」に移行したばかりの防衛省は思ってたよりも手強くて、内務省も厚生省もほとんど他人事。
厚生省が労働省と合併したあとは特にひどくてさ。大所帯だからっていばってんだか何なんだか、
「そんな大臣、いたの?」って感じでさ。
そんなこんなであっさりヴァンプ担当大臣は廃職になった。あからさま過ぎるとか、表向きはそんな理由さ。
ただその仕事だけは、ハンター協会の司令塔として据え置かれた。顔も名前も公表しない、「影の元帥」としてね。
それが誰かって……今更言う必要もないよね。
そんな役割引き受けるモノ好きはわたし以外に居ないしね。
忙しいけど楽しかった。伯爵と元帥の掛け持ちは。一人二役で将棋を打つ、そんな気分でさ。
ただ……困ると言えば困ることが……ひとつだけ。
この痛みだ。
柏木の置き土産――胸の中に居座った銀の弾丸が時々疼くんだ。
どういうきっかけか、頭の中にあの月光第3楽章が流れ出すと……そりゃもう耐えられない苦痛でさ。
閣議中に発作が来ると、ほんと迷惑。
「菅くん、若いのに持病のシャクかね?」
なんて総理にからかわれて、会場がドッと沸いたりしてね。
そんな時はシューベルトのソナタを聴くんだ。方耳にイヤホン突っ込んで、iPodの電源入れる。
特にこのピアノソナタ13番はいい。まるで語りかけるような……彼の音楽。
音楽の前にはヴァンパイアも人間もないよね。
それでも駄目な時は……あの地下室(麻生結弦の屋敷の)に忍んで行って……腹いせに柏木をボコったり?
- 229 :菅 公隆 :2018/09/05(水) 06:57:52.28 ID:hcUIjAoW.net
- そんなわたしが色々と頑張って、ようやく念願の厚生労働大臣就任に漕ぎ付けた、ある晩のことだ。
突然田中社主が自宅に訪ねて来てさ。
「伯爵様。お探しのものに当たりをつけました故、これを」
なんて言って、黒い皮張りの、二つ折りになったファイルを寄越したんだ。
草木も眠る丑三つ時だ。
ボーン……と遠くで鐘が鳴ってて――なぜか背筋がうすら寒くなって。
「なにこれ?」
「生物系の学者か、研究員を御所望されていたではありませんか」
「うん。ゲノム解析にはどうしても必要だからね。なに? いい人が見つかったの?」
「御照覧あれ。なかなかの美形で御座いますぞ」
「は? 美形? 見た目とか別にどうでもいいんだけど」
「ははははっ! わたくしとした事がつい口を……いやいや、なかなかの人物でございますれば!」
いつもの落ち着いた田中さんが、変に慌ててて、なんか怪しいな〜とは思ったのさ。
でもあの大柄な身体でさあさあさあ! なんて詰め寄られて念押されたら……もう……仕方ないじゃない。
開けてみればそこには白衣を着た凄い美人。
まるで隠し撮りでもしたような、仕事中のひとコマだった。
日本人形みたいなまっすぐの黒髪を靡かせて歩いて……へえ、確かに、なかなか。
「佐井浅香。帝大の医学部卒。現在は闇の臨床医……あれ? 齢(とし)は?」
「今年36になりましたな」
「ふーん。年上かあ……女って解らないもんだね」
「伯爵様は御歳34になられましたな」
「そうだね。てか何度も言うけどその『伯爵』ってやめ……」
「そろそろ、身を固められても良い御年頃ですな」
「……て…………は?」
「実を言えばこの娘御、手前の孫にあたりましてな。それもこれも何かの縁、ここはひとつ、もらってはくれませんでしょうか」
もしわたしがお茶か何か飲んでたら、田中氏の顔に思いっきり吹いてたね。
「始めからこれ、見合い写真のつもりだったの? 確かにただのデータファイルにしては立派すぎると……」
「……お気に召されませんでしたか?」
「召すも何も……いいよ。そんな心配しなくても、彼女は貰います。研究員としてね」
「研究員……」
田中さんってば、懐からサッと上品な袱紗(ふくさ)取り出して……
「不憫な子です。両親(りょうおや)を物心つく前に亡くしてはります」
なんて目尻押さたりして。
「親戚と呼べるものはこのわたくし唯一人。三十路も終わり、所帯も持たず、子も成さず、それは……わたくしと致しましても――」
「解った、解りましたよ。その気で……会えばいいんでしょ?」
折れたよ。だって田中さん、こんな時はテコでも動かないんだから。
「とりあえずは彼女の身辺を……そうだよ、色々と調べてから。会うのはそれからでも遅くない。そうでしょ?」
「それは……賢明で御座いますな」
「だからもう余計な節介はしないでくれる? 大丈夫だよ、自分で会いに行くからさ」
「それは宜しゅう御座いました」
ゆっくりと顔を上げた田中さん。その眼には涙なんかひとかけらも滲んでなくて。
な〜にが宜しゅう御座いましただこのタヌキジジィ!!
そして――
この佐井浅香という女医の存在が、わたしの頭をこれほどまでに悩ますことになるとは……
- 230 :菅 公隆 :2018/09/06(木) 05:04:23.92 ID:f2T5jghB.net
- 佐井浅香は才媛だった。
中学、高校は学年主席。特に理系科目は全国模試でもトップクラス。
医大でも成績は上々の上、その容姿の淡麗さと熱のこもったスピーチでミス・帝大の座を勝ち取ってる。
とまあこれだけ聞けば、合格ラインだ。流石は田中社主の推薦だ、孫娘だってね。
しかしだ。
問題はその男関係。
学生時代も、社会に出てからも、あっちにフラフラこっちにフラフラ。
要するに惚れっぽいんだろう。別れてはまた次、の繰り返し。
貞操観念というものが端(はな)から無いのか何なのか知らないが、まあ別にその事をとやかく言うつもりもないが、
問題は彼女がヴァンパイア志願者だという事だったんだ。「VP」の会員で、多額の寄付をしているのはその為だと。
これはNGだ。
もし彼女がわたしの妻となる女性であれば、安易にヴァンパイアなどになってはいけない。
わたしは至上最年少の総理の座を狙う男だよ?
ファーストレディが昼間人前に出られない――なんて事、許されないじゃないか。
だから新宿周辺のヴァンパイア達に「触れ」を出したんだ。彼女には手を出すなと。
それを……よりによって佐伯の奴が……
いやいや、身体の関係だけでも駄目だよ。わたし達はいざって時に自制が効かなくなる種族なんだ。
うっかりその気になってガブリとやってからじゃ遅いんだよ。
だからわたしは先手を打った。柏木に命じて、水流って名のハンターを一人、向かわせたんだ。
けど結果は期待通りじゃなかった。
佐伯と一緒になってハンターを撃退したあげく、死んだ佐伯の仇を取る、なんて言い出して桜子に接触したんだからね。
気が気じゃなかったよ。
まさか女の桜子の屋敷に駆け込むとは思ってもみなかったから、柏木には事情を話していなくてね。
田中さんは田中さんで、気が気じゃなかったらしい。
あのリサイタルの夜も、しっかりチケット取ってあそこに居たんだから。
案の定、彼女、舞台の上で大立ち回りなんてやらかしてさ。
クロイツ達に囲まれた時はヒヤリとしたよ。田中さんが居なかったらどうなってたか。
桜子の屋敷に彼女を保護したって聞いたときは、やっと胸を撫で下ろした。これでようやくこっちのペースで運べるってね。
だから柏木に初めて事情を話したのさ。
都庁の屋上で、「彼女には大事な仕事(ゲノム関係の)を頼みたい」って事と、「わたしの許嫁だ」ってことをね。
いい? 柏木は知ってたんだよ?
その柏木が……彼女の喉に牙立てようとしてるの見た時は、流石のわたしも頭に血が昇ったよ。
彼女と折り入って話をするためにせっかく貴重な時間を割いて、あそこに出向いた、そんな時だった。
感謝するがいいさ。腕一本で済んだのはひとえに田中さんのお陰さ。
しっかし……あの柏木をその気にさせるなんて……なんて手強い女なんだ。
(田中さんの血を引いてるって言うからそれなりに覚悟もしてたけど)
あっと言うまに時間が過ぎて、議会や閣議の準備しなきゃならない時間になって。
如月魁人が敷地内に侵入したって柏木から報告を受けた時も、わたしは後ろ髪を引かれる思いでBMのハンドルを握ったんだ。
門の前で彼と日比谷麗子を見かけてさ。
その時……咄嗟に思いついたのさ。
そうか、「あの子ら」に頼めばいいってね。
- 231 :菅 公隆 :2018/09/09(日) 06:11:56.11 ID:fHn5uxc+.net
- だからわたしは「目標個体への憑依」を発動した。この意識の一部をわたしの血を継ぐ者に受け渡す特殊能力だ。
桜子の屋敷にはわたしの手でヴァンパイアとなったネズミやコウモリがたくさん居た。彼らに意識をお裾分けしたってわけ。
これ、かなり危険な技なんだ。
本体であるこっちの方は、素早く動いたり手刀を使ったりする事が出来なくなるし、傷の治りも遅くなる。
つまり、ただの人間同様になってしまうからね。
でも仕方なかった。
如月魁人は私情を交えず行動できる、柏木自慢のハンターだ。
彼が佐井先生や、あの状態の麻生を見つけてしまえば……わたしの手回しや苦労がぜんぶ水の泡になってしまう。
だからこれに駆けるしかなかった。
頼んだよ、わたしの息子たち。
如月魁人を「変える」ことが出来れば上々。百歩譲って日比谷麗子の方でもいい。
それが出来れば「もう一人のわたし」がわたしの理念に従って行動してくれるはず。
ほんとはね、柏木に憑依すれば一番手っ取り早いんだけどさ。
同族を作らないっていう彼の信念、知ってるからさ。
彼の人生を奪ったわたしが許してる、たったひとつの彼の権利。それを奪うわけに行かないだろ?
閣議の始まる、30分前。つまり8時30分。
わたしは国会議事堂に駆け込んだ。(今は国会会期中だから、閣議は官邸でなくこっちでやるわけ)
駆けこむなんて大げさだなあって思うかも知れないけど、文字通り、「駆けこんだ」んだよ。
普段自分で運転なんかしないから、議事堂近くの駐車スペース、チェックしてなくてさ。
皇居の北側にやっと空いてるパーキング見つけて、そっから走ったんだよ、全速で。3kmくらい。
恥ずかしかったよ。
皇居の周りをジョグ(ジョギング)してる人達はさ、ああいうカッコしてるからいいんだよ。革靴と背広でするもんじゃないんだよ。
しかもこの白スーツってば目立つだろ?
ちょっと休憩、膝に手ぇ付いてハァハァしてるわたしを目撃した人間たちが、
「え!? あれ、菅大臣じゃん!」
とかわめいて駆けよって来てさ。
カメラのレンズ向けられたら笑顔で手ぇ振るしかない。
政界のプリンスなんて持てはやされてるわたしが、渋っ面公開されるには行かないからさ。
ほんと気を使うったらありゃしないね。
黒塗りの車から降りて来る大臣達や、大勢の報道陣。
彼らの波に乗りながら、議事堂のあの場所へと急ぐ。
その場所は閣議室じゃない、数ある委員会室のひとつ――吸血鬼対策会議室だ。
そう、閣議前に打ち合わせをするのが我々ハンター協会上層部の日課だからね。
上層部って言っても、各省の副大臣が自動的に元帥下に付くのが決まりでさ、そんな気負ったものじゃないけど。
だから今日も、
「なにか問題ある?」
「いいえ、元帥の指示通り、問題なく運営されています」
的なぬるい打ち合わせで終わると思ってたんだ。それが、今日に限ってだいぶ違ったのさ。
「遅れてごめん。今から――」
後ろ手でドアを閉めながら室内を見渡したわたしは絶句した。
副大臣たちがまるでわたしを取り囲むように立っていて、その脇を黒服達が埋めていたからだ。
黒服――副大臣にSPなんか付かないから、たぶん私設のボディガードなんだろうけど、その手にはもれなく黒い銃。
その銃口がすべてわたしに向いていたんだ。
「失礼、元帥どの。我々一同、あなたを解任することで意見が一致したものですから」
進み出た若い副大臣が爽やかな笑顔を向けつつ、そう言い切った。
わたしは……桜子の屋敷に置いてきた自分の意識をすべて回収した。
後から思えば、この時はまだ回収すべきじゃ無かったのさ。
- 232 :浅香 :2018/09/14(金) 06:39:03.90 ID:bUOumzZG.net
- んもう! このままスレが伯爵に乗っ取られちゃうのかと思っちゃったわよ!
>>209の続きから行かせてもらうわ。
- 233 :佐井 浅香 :2018/09/14(金) 06:40:25.18 ID:bUOumzZG.net
- 声はどう聞いても伯爵のそれだったのに、入って来たのは伯爵じゃなかった。
ミニのスーツの良く似合う髪の長い女性。その顔は、とっても良く知った顔。
「麗子? 麗子じゃない!! どうして!?」
あたしの上げた声に、ちょっと意外な顔をした麗子は……やっぱり麗子なんかじゃない。
彼女はそんな……人を射るような目つき、しないもの。
「麗子? へぇ? この女を知ってるわけだ」
「とうぜんよ! たった一人の友達だもの」
「友達!? へぇ! そう! 柏木、ハンター君をこっちに連れて来て。椅子にでも座らせといて」
腕組みしながらてきぱき指示する彼女。もとい彼。
「菅……伯爵よね。いったい麗子に……何をしたの?」
柏木さんがぐったりしたカイトを引きずって来て。そんな様子を楽しげに眺めていた伯爵が振り向いて唇をなめた。
「たいした事なんかしてないさ。ただ、彼女の身体を一時的に借りただけ」
「借り……そんな事、出来るの?」
「うん。自分の血を引く者達に対してなら簡単さ」
「血を引く? まさか……麗子に――」
「あれあれ? 先生だって、ヴァンプ志願者じゃない。彼女が望んだとして……そんなに驚く?」
「驚くわ。彼女とあたし、そういう意見はバッチリかちあってたもの」
「あっはは、『バッチリかち合ってた』んだ、へぇ……」
ジリジリッとこっちに詰め寄って来て、あたしの顔を覗き込むその眼が笑ってる。
「教えてよ。この女は……先生の何?」
「なにって……親しい……友人よ」
「どれくらい親しいの?」
「最近までお茶したりしてたわ。中学の時は一緒にお風呂に入ったりも……あ! お風呂っていってもね、あたし達は」
「知ってるよ。君達が同じ施設で育ったって事なら」
そう言って、彼は一瞬だけ刹那気な顔をして……鋭い刃物みたいな眼をそっと逸らした。
でもすぐに人を食ったみたいな笑顔に戻ったけど。
「それこそ会うたびに言っていたわ。ヴァンプになりたいって意気込んでたあたしに、『それだけは駄目』って。
努力家で、あたしみたいに浮ついて無くて、正義感が人一倍強い。そんな彼女が……そんな事望むはずない」
「ふーん。だから……諜報員(モグラ)役を買って出たわけだ」
「モグラ?」
「防衛省がハンター協会に送りこむスパイさ」
「そう言えば彼女、「ある協会」に出向になったって。そこで大学の時にサークルで知り合った大好きな先輩と一緒になったって――」
「喜んでた?」
「ええ。とても。まさかそれがハンター協会のことだったなんて――」
「うん。まあその話は置いておこうか。そこのハンターくんが何やら苦しそうだからね」
肩をすくめた伯爵が、人差し指を横に向けた。
え? っと思ってそっちを見れば、ほんと。カイトがうんうん魘(うな)されてる。その頬には、何かが刺さったような新しい傷跡。
「まさか、彼もヴァンパイアに?」
「どうだろう。そこの庭、わたしの思い通りに動く吸血ネズミや蝙蝠がたくさん居るからね。日比谷麗子と同じく、咬まれたのかも」
「麗子ったら、ネズミなんかに噛まれたの!? もしかしてその足の傷!?」
「ハンターくんが上手く気を逸らしてくれたからね。彼も咬まれてたら、とっても嬉しいんだけど」
「彼を――ハンターを仲間にでもするつもりなの?」
「そうだね。麻生結弦と、如月魁人。うち一人でも手駒に出来れば……嬉しいね」
あたしは気絶してるカイトと、診療台で眠っている麻生を交互に見た。
さっき自分の銃を自分自身に向けていた麻生の、あの顔が頭から離れない。
「たぶん無理よ。麻生は『ヴァンパイアなんかにならない』って。変わるには本人の承諾みたいなものが必要なんでしょ?」
ポツリと言ったあたしの言葉を聞いた伯爵が、さも可笑しそうに笑いだした。
「そうだろうね! あっさり了承するハンターが居たら、かえって人間性を疑っちゃうよ!
柏木、ハンターくんを起こしてくれる? 先生は――彼の診察を頼めますか?」
- 234 :佐井 浅香 :2018/09/15(土) 06:47:49.05 ID:jAiyeFHF.net
- 「起きたまえ、カイトくん。カイトくん!!」
「……っ痛てぇ……んな耳元で大声出さ……あ?」
脂汗流して唸ってたカイトだけど、何度も根気よく話しかける柏木さんの声でやっと眼が覚めたみたい。
あたしも素早く駆け寄って……彼の耳の下に手を当ててみる。
体温はあるし、脈は強い。
ホッとした。
頬の傷は……刺し傷じゃなかったけど、ザラザラした何かに強くぶつけたことによる挫滅創。
良く洗って軟膏塗って……ちゃんと保護しとかないと痕が残っちゃう奴。
でも……
「焦ったわ、急に魘(うな)されだして。この傷も、てっきり咬まれたのかと」
そう。あたし、「良かった」って思ったの。
VPのメンバーで、伯爵側の人間のはずのあたしが、「咬まれてなくて良かった」って。
ううん、あたし、医者だもの。
相手が人間だろうがヴァンパイアだろうが、患者は患者。贔屓したりなんかしないわ。
だけどカイトの方はそんなあたしが気に入らなかったみたい。
消毒液浸した脱脂綿をチョンチョンしただけで顔動かして抵抗して。
柏木さんに無理やり押さえてもらってやっとサージカルテープ(ガーゼを患部に固定する為のテープ)を張り付けた。
あたしを見返すその眼には明らかな敵意。
初めてだったわ。今まで患者にそんな眼を向けられたことなんかなかった。
どうして?
あたしが……VPのメンバーだから?
それが少しショックで……麻生が眠る診療台に咄嗟につかまって眼を閉じたら、何かが見えた。
白い闇の中に……見えたのは2本の鎖。そう、これはDNA螺旋。良くあるじゃない、CGで作成されたあの画像。
あれが何本もあたしの身体の周りを取り巻いていて、怖くなったあたしは眼を開けた。
そしたら部屋全体が回ってた。天井も、床も、立っている人達も。
タイム・ショックでトルネード・スピンしたらきっとこんな感じ。
あたしはたまらず診療台の足元に座り込んだ。溶けていく外観。何処からか語りかける声。
あれは……麻生の声かしら? あの時、麻生が柏木さんに言った声?
――いいえ、もっと低くて……胸に重くのしかかる、とても……非人間的な声。
『お前はヒトか? ヴァンパイアか? 一体どちらの味方なのだ』
すごい音がして、あたしは我に返った。
横倒しになったカイトに、麗子の姿をした伯爵が銃を向けている。
2度の発砲音。
ツンとした火薬の匂いが鼻をつく。
尖ったヒールでカイトの膝を踏みつける伯爵。カイトの絶叫。
制止の言葉が喉から出かかったけど、あたしはそれを飲みこんだ。柏木さんの眼があたしの眼を捉えたから。
「残り、1発だよハンターくん?」
伯爵の眼が金色に輝いている。
シリンダーを回す、その動作に鼓動が高鳴る。だって……一発しか残ってない銃で何をするのか……だいたい予想がつくじゃない。
とても見て居られなくて、あたしはもう一度柏木さんに視線を送った。
そんなあたしの視線をしっかりと受け止めて、でも柏木さんは首を横に振って……部屋から出て行った。
音高く閉じられたドア。その上には丸い時計。カチン、と長針が8時30分ちょうどを指す。
「行っちゃったよ。お楽しみはこれからだってのにさ」
その言葉にあたし、ぞっとした。
だって伯爵は……心の底から「楽しんでる」ってことでしょ?
あたしたち医者とは真逆の行為。人を脅かし、殺傷するという行為を。
- 235 :佐井 浅香 :2018/09/16(日) 06:35:42.60 ID:KE+njsy2.net
- 「そうだ、こういうのどう? トリガー引く度に、君に発言権をあげるってのは」
カチン! と軽い音だけをさせたリボルバー。「君、運がいいね」なんて言ってにんまり笑う伯爵。
そして言ったのだ。言い残す事は、聞くことはないかと。
死にゆく人間に対して……あくまで軽くよ?
青く光る銃口でカイトの米神をグリグリしながら……ああもう……どこまでサディスティックな人なんだろう。
しかもその……先を引きのばすねちねちした感じが、すっごくヤな感じ。――絶対結婚したくないタイプよね!
カイトの右腕と脇腹からの出血は止まってない。一応は不敵な台詞を吐く……その顔は土気色。
伯爵も伯爵。ただ痛めつけるにしたって限度ってものがあるじゃない。もしかして一度火が付いたら止められないタイプの人?
いいの? 仲間にする筈のハンターが死んじゃっても? それこそどっちの得にもなんないってのに!?
あたしは無免許医だ。昔、とある事故がきっかけで医師免許を失ったから。
でも……医者は医者。
あたしの役目は――繋ぐこと。たとえ死にかけたとしても、必死に蘇ろうと足掻く生命の命の火を繋ぐこと。
黙って見過ごすことなんて……出来ないわ。
あたしは立ちあがった。「いい加減にしなさいよこのドS!!」ってはっきり言ってやるために。でも――
「きゃっ!?」
口をついて出たのは情けない叫び声だった。後ろに居た誰かにグイッと腕を引かれたんだもの。
「え? 麻生……くん?」
いつの間にか麻生結弦が診療台の脇に立っていた。その左手にはあたしが奪って、机に置いといたはずのベレッタ。
(やだ! 前にも似たような場面があったわね!)
ピタリと伯爵に狙いをつけたまま、あたしを庇うように前に出て、
「……菅さん。カイトから離れてくれませんか」
見える方の左眼を細め、右手で左手首を支えながらしゃべる麻生。
きっとだいぶ前から眼が覚めていたのね? それとも音だけは聴こえてたって奴?
「そのリボルバー、次も出ませんよ。その次もね」
「へぇ? 何故わかるんだい?」
「音ですよ」
「……音?」
「弾を込めた薬室の場所、シリンダーが回った回数、すべて音が教えてくれましたよ」
「あはは! 流石はわたしの推すハンターだ! けどね……忘れてない?」
麻生が小さく舌打ちした。伯爵が後ろに手を回し、まったく同じ形状の銃をもうひとつ掴みだしたからだ。
「とりあえずは助かったよ、麻生結弦」
「……は?」
「君を仲間に引き入れるという本来の目的を忘れる所だったからね」
「……!」
麻生が色の悪い唇を噛みしめる。銃は……伯爵に向けたまま。
「大体君はもっと大事な事も忘れてるよ。この身体が日比谷麗子のものだって事をね」
彼の逡巡が伝わってくる。行き場を失った彼の戸惑いが、頬を滑る汗となって滑り落ちる。
「どうする? 君の判断ひとつで、この若いハンターくんと、女医先生の運命が決まるけど」
「……悪党め」
「悪党で結構。腹は決まった? 麻生結弦。『新たな自分』を受け入れるか、否か」
「……」
「そういえば君は『決められない男』だったね。どっちか死なないと……決断出来ない?」
ガツン、と音がした。それは麻生が銃を床に投げ捨てた音。
ゆっくりと両手を肩の高さに上げ、硬く眼を閉じた麻生がうなだれる。
その口が開く……まさにその瞬間(とき)だった。ドアが開いて、柏木さんが飛び込んで来たの。
それを見た伯爵が何か言おうとして……でもまるで糸が切れたようにクタリと床に崩れ落ちた。
- 236 : :2018/09/20(木) 06:34:01.76 ID:YICObTap.net
- 235はあまりに説明不足で支離滅裂なため、後半部分を訂正します
- 237 :佐井 浅香 :2018/09/20(木) 06:36:45.02 ID:YICObTap.net
- 「そうだ、こういうのどう? トリガー引く度に、君に発言権をあげるってのは」
カチン! と軽い音だけをさせたリボルバー。「君、運がいいね」なんて言ってにんまり笑う伯爵。
そして言ったのだ。言い残す事は、聞くことはないかと。
死にゆく人間に対して……あくまで軽くよ?
青く光る銃口でカイトの米神をグリグリしながら……ああもう……どこまでサディスティックな人なんだろう。
しかもその……先を引きのばすねちねちした感じが、すっごくヤな感じ。――絶対結婚したくないタイプよね!
カイトの右腕と脇腹からの出血は止まってない。一応は不敵な台詞を吐く……その顔は土気色。
伯爵も伯爵。ただ痛めつけるにしたって限度ってものがあるじゃない。もしかして一度火が付いたら止められないタイプの人?
いいの? 仲間にする筈のハンターが死んじゃっても? それこそどっちの得にもなんないってのに!?
あたしは無免許医だ。昔、とある事故がきっかけで医師免許を失ったから。
でも……医者は医者。
あたしの役目は――繋ぐこと。たとえ死にかけたとしても、必死に蘇ろうと足掻く生命の命の火を繋ぐこと。
黙って見過ごすことなんて……出来ないわ。
あたしは立ちあがった。「いい加減にしなさいよこのドS!!」ってはっきり言ってやるために。でも――
「きゃっ!?」
口をついて出たのは情けない叫び声だった。後ろに居た誰かにグイッと腕を引かれたんだもの。
「え? 麻生……くん?」
いつの間にか麻生結弦が診療台の脇に立っていた。その左手にはあたしが奪って、机に置いといたはずのベレッタ。
(やだ! 前にも似たような場面があったわね!)
ピタリと伯爵に狙いをつけたまま、あたしを庇うように前に出て、
「……菅さん。カイトから離れてくれませんか」
見える方の左眼を細め、右手で左手首を支えながらしゃべる麻生。
きっとだいぶ前から眼が覚めていたのね? それとも音だけは聴こえてたって奴?
「そのリボルバー、次も出ませんよ。その次もね」
「へぇ? 何故わかるんだい?」
「音です」
「……音?」
「弾を込めた薬室の場所、シリンダーが回った回数、ぜんぶ音が教えてくれたから」
「あはは! 流石はわたしの推すハンターだ! けど……忘れてない? 如月魁人の銃はひとつじゃないってこと」
麻生が小さく舌打ちする。あたしは身を強張らせる。
伯爵はあたしに狙いをつけていたのだ。死角に潜んでいたもう片方の手に握る――まったく同じ形状のリボルバーで。
「もうひとつ大事な事も忘れてるよ。この身体が日比谷麗子だってこと。でも……礼は言っておこうかな」
「……は?」
「君を仲間に引き入れるという本来の目的を忘れる所だったからね」
「……くっ……」
ギリリッと歯噛みする音。麻生の、トリガーを引き絞るその指が震えている。一筋の汗が頬を滑る。
「どうする? 君の判断ひとつで、この若いハンターくんと、女医先生の運命が決まるけど」
「……悪党め」
「悪党で結構。腹は決まった? 麻生結弦。『新たな自分』を受け入れるか、否か」
「……」
「そういえば君は『決められない男』だったね。どっちか死なないと……決断出来ない?」
ガツン、と音がした。それは麻生が銃を床に投げ捨てた音。
ゆっくりと両手を肩の高さに上げ、硬く眼を閉じた麻生がうなだれる。
その口が開く……まさにその瞬間(とき)だった。ドアが開いて、柏木さんが飛び込んで来たの。
それを見た伯爵が何か言おうとして……でもまるで糸が切れたようにクタリと床に崩れ落ちた。
- 238 :菅 公隆 :2018/09/24(月) 07:06:06.37 ID:ZjTY5WDT.net
- 「仕損じた」と気付いた時は遅かった。
回収した意識が伝えてきた、桜子の屋敷での出来事。
麻生が「YES」と回答するまで、ほんとあと一歩だったじゃないか。
大勢に銃口向けられて、咄嗟に自身の命を優先した……それが詰みを誤ったんだ。
冷静に考えれば急ぐ必要なんて無かった。政治家が何の交渉も無しに撃ってくる訳がない。
(にしても皮肉だね! 分身が麻生達に銃を向けていた頃、わたし自身はもっと大勢にそれを向けられてたんだから!)
ざっと室内を見回す。
ここは参議院側の3F、西側に位置する第3委員会室。
あの本会議場の6分の1くらいの広さしかない、小ざっぱりとした会議室だ。
小ざっぱりって言っても……本館に設えられた部屋だけあって、内装はなかなかのものだ。
ヒダ付きのカーテンで縁取られた天井まで届きそうな大窓からは、白いレース越しに陽の光が差し込んでるし、
一列に配置された四角い照明板の両脇からは、レトロな燭台を模した照明が点々と吊り下げられている。
うちみたいな、伝統も何もない協会が「対策会議室」として使わせてもらうには、ほんと勿体ない部屋なのさ。
立ちまわりに邪魔だと思ったんだろう。
いつもなら部屋を占領してる楕円型の円卓(いや、下手側に丸みは無いから……弾丸型かな?)は隅の方に寄せられている。
ゆったり座れる臙脂の背もたれ椅子もね。
……にしても、鉄とガンオイルの匂いほど嫌なものはないよね。
その銃を持つ面々と良く良くみれば……なんだ、シルバー・クロイツのメンバーじゃないか。
実は彼ら、10年前にわたし自身が防衛省に打診して、貸してもらった人員だ。つまり自衛隊員。
これも……わたしが頑張った仕事が裏目に出た結果かな。
「議事堂内における衛視とヴァンパーアハンターの拳銃所持を許可する法案(※)」を通してもらったばっかりだからさ。
副大臣の数は…………18(半数以上が出席とはありがたいね!)。
黒服がその倍。武器はすべてセミオートのハンドガン。
今が満月の夜だったなら、捌けない数ではない。怪我を負わせることなく銃を奪い、逃走する。わけもないことだ。
でも今は違う。真っ昼間で、しかもあと2日で新月。
短気は起こさない方がいいだろう。逃げるためには相手を殺さなければならない。
え? 逃げずに皆殺しにすれば……って……冗談だろ?
相手はこの国の未来を背負って立つ若い代議士たちと、身体を張ってこの日本を守ってくれてる自衛隊員だよ?
だいたいこの歴史ある議事堂を血で汚したくないし、向こうは議論する気まんまんみたいだしね。
天井を仰ぎ見つつ、両手を肩の高さに上げて見せる。さっき麻生がわたしの前でしたように。
点灯している照明の光は、天然光より幾分柔らかい。
「手は頭の後ろで組んでもらえますか?」
あくまで落ち着き払った態度で、じっとこちらを見据える若い男は、沢口防衛副大臣。
協会内では副元帥の位置に立つ2。日比谷麗子を送りこんだ張本人だったりする。
わたしは彼の言うとおりにした。白旗はあげて見せとかないとね。
「穏やかじゃないね。まるで在りし日のクーデターだ。実はどっきりのシミュレーションだったりしない?」
「……しませんね。残念ながら」
苦く笑った沢口が、後ろに立つ副大臣から何かを受け取る。
角型2号の茶封筒だ。
その中から出てきたのは一枚の紙切れ。ただしその辺のコピー用紙じゃない、特別な紙だ。
「ハンター協会代表、菅公隆どの。本日を以てその役を解任するものとする」
読み上げる沢口の口調には一切の感情が籠もっていない。
こちらに向けられた紙面には、「解任請求」の見出し以下、無数の……赤い指紋。
「へぇ……血判状なんて、すごいね。その牛王宝印(ごおうほういん)の誓紙も、本物?」
「ええ。我々の本気をお見せしたく思い、熊野本宮大社から取り寄せました」
「……本気、かあ。つまり、君達は疑ってるわけだ。このわたしが――ヴァンパイアなのではないかと」
「……えぇ。疑いではなく、ほとんど確信ですけどね」
- 239 :菅 :2018/09/24(月) 07:28:37.83 ID:ZjTY5WDT.net
- ※ 2015年の2月11日に、
「10日、国会内の衛視に武器の携帯を認める検討に入った」
なんて記事が産経ニュースに載ってたけど、その法案が作成、議案に上がった云々の経過報告はないよね?
- 240 :菅 :2018/09/29(土) 06:44:53.66 ID:dwm4Lkth.net
- ゆっくりとクロイツ達が散開し始めた。壁を背にするわたしの両脇、前後に設けられたドア前へと。
息をつめ、狙いをつける彼らが、半円状に囲む。その半径2m。
彼らとは反対に後方へと下がる副大臣たち。沢口だけが正面に立ったまま動かない。
……いい気分じゃないね。
たかだか60畳ほどの室内に、50を超える人間の「殺気」が詰め込まれたんだ。
彼らの体内から分泌されるアドレナリンの匂いに反応する神経細胞。
高濃度のアドレナリン、脳内物質の急激な増加。それに伴う心拍の加速、体温の上昇。
鮮明となる視界。クリアとなる音。月明かりが照らす冬の湖の……薄氷の上に立つような。
ヴァンパイアは人間の殺意に反応し、意図する事なく瞬間的に戦闘態勢を取る。
これは本能だ。感情を抑制するのは簡単だけど、本能を抑え込むのは至難の業だ。
わたしは口を開いた。
本能のせいでこの身体が動いてしまうのを止めるために。
「これさ、『凶器準備集合および結集』の罪に問われない?」
「……は?」
「刑法第208条の2さ。『二人以上の者が他人の生命、身体又は財産に対し共同して害を加える目的で集合した場合において、
凶器を準備して又はその準備があることを知って集合した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する』」
一瞬間眼を見開いた沢口が、フッと鼻で笑った。
「何か可笑しいこと言ったかな」
「いいえ。こんな時に刑法を持ち出すなんて、あなたらしいと思いましてね」
手にしていた血判状を懐に仕舞い込む沢口の眼が笑っている。
「私は一字一句間違えずに法律を諳(そら)んじる、なんて真似は出来ません。ですが――」
「……ですが?」
「これだけは言えますよ。『吸血鬼被害対策法』、いわゆる『吸対法』はあらゆる法に優先する」
「あははは! あったね、そんな法律」
「白々しい。あなたが作った法律じゃないですか。10年前、吸血鬼対策担当大臣となったあなたが最初にした仕事だ」
「……だね。両院、ともに満場一致で可決した時の……あの時の感慨は今でも忘れないよ」
……いやはや、良くやったなあって自分でも思うよ。
吸対法と、その施行令、施行規則に至るまで、ぜんぶ自分で考えて文書化したんだから。
そういうのは普通官僚の仕事だと思うでしょ? でもヴァンプ担当大臣には官僚はおろか、副大臣すら付かなかったのさ。
(キーボードを叩いてくれたり、コピー取ってくれるバイトの女の子すらね!)
行政事務分担が無いから要らないでしょって言われたらそれまでだけど、事務所すら無いって酷くない?
ハンター協会の元帥だって事は会員にすら極秘だから、そこの事務室借りるわけにも行かないしで……仕方なくそこの……
ほら、近くにあるだろ? 国立国会図書館。あそこの持込み機器使用席にさ、総理がこっそり貸してくれた端末接続して……
日中はほとんど居座ってたね。資料には困らないし。図書館員は変な眼で見てたけど。
「感慨にふけっている場合ではないでしょう。いま現在のお立場をお忘れですか?」
「まさか。この際だから、じっくりと聞いて置こうかな。何の根拠があって……このわたしに吸対法を適用させるのか」
- 241 :菅 公隆 :2018/09/30(日) 08:07:32.50 ID:O6t4mMkf.net
- 「根拠……」
ポツリとこぼした沢口が、しばしその眼を泳がせる。壁の時計は8時40分をさしている。
「……いいでしょう。実はあなたが『それ』と知らせてくれた者が」
「――沢口さんっ!?」
後ろにいた副大臣の咎めに、沢口は軽く首を振り――
「いいじゃないか。この人を納得させるには手持ちのカードを見せる必要がある」
「カード? ……まるで『切り札』でも持ってる口ぶりだけど?」
「えぇ、まさにその通りです。つい3日前の晩ですよ、彼が我々の元に出頭したのは」
「彼? 出頭? まさか――」
3日前といえば……麻生結弦のリサイタルが行われたあの日。
わたしは総理官邸の一室で、柏木の報告を待っていた。リサイタル会場での出来事を逐一総理に報告するためだ。
そうだよ。
あの夜、官邸には「吸対法」に基づいた「吸血鬼被害緊急対策本部」が設置されてたんだ。
実はその「吸対法」、「原災法(原子力災害対策特別措置法)」を参考にしてたりするんだけど、決定的に違うのはその機密性。
緊急災害対策本部(2011年の福島原発事故で初めて設置された)と違って、設置の為の閣議も、緊急事態宣言も必要ない、
すべて極秘で動いていいとしているのさ。
(何故って聞かれたら……国民の無用の混乱を避けるため? 断じて「自分がヴァンパイアだから」とか、そんな理由じゃないよ!)
因みに本部長が内閣総理大臣ってとこは同じで、メンバーは元帥以下、関連各省(防衛省、内務省、厚労省)の副大臣のみ。
たった5人の対策本部。
ついでに「これは緊急対策本部を作る事案です」と総理に進言したのは他でもないこのわたし。
自分の首絞めてるって……そんな事言わないでよ。何事にも全力であたるってのが信条(モットー)なんだよ……
(あ……これ、極秘事項だから他言無用ね!)
- 242 :菅 公隆 :2018/09/30(日) 08:09:06.60 ID:O6t4mMkf.net
- あの時、
「水原桜子は死亡。クロイツの大多数が負傷。人間の死者は無し」なんて報告を最後に柏木からの連絡が絶えて……
わたしは即刻総理に「事態は収束しました」と告げ、たった30分前に立ちあげたばかりの対策本部を撤収して……
その後……何があったっけ?
そうそう、図書館にPC一式を置き忘れた事に気が付いて、急いで官邸を出て……走って(自走)いたその時。
急ブレーキの音がキュー!!!っと鳴って、横を見たら黒塗りのワゴンが止まってたんだ。
運転席から降りたのは他でもない、田中さん。
「如何なされました、伯爵様」
「いやさ、図書館にPC置き忘れてさ、早く行かないと閉館しちゃう――」
「その手の遺失物は職員が適切に保管し……いや、持ち主が判明した時点で連絡を寄越すのでは?」
「いや、あれの裏に備品シール貼ってあるからさ、総理に借りてたのバレたら都合悪いって言うか……」
「そんな事より伯爵様。今しがたの戦闘に介入し、如月とクロイツに顔が割れました」
「は? 割れたって……誰の顔が?」
「……わたくしの、です」
「えぇ!? じゃあ田中さん、柏木に『協力』したってこと? 嘘でしょ?」
「はははは! 如月にも指摘されましたな、ヴァンプが協力とか有り得ないと!」
「……笑ってる場合かな。あの黒いビル、下手したら明日にでもガサ入れが……てか強硬手段取られたら……」
「そこはそれ、『元帥』のお立場で差し止められて下さらねば」
「……そんなの、何日持つか解らない。急いでコトを進めないと。柏木は?」
「水原桜子の屋敷に、麻生と佐井様を運ばせました」
「大丈夫かなあ……こっそり投降とかしないといいけど」
「御懸念はごもっとも。あやつを過度に信用なさるべきではありませんな」
「あとさ……その伯爵ってのやめてよね。わたしの事は――」
「承知しております、伯爵様」
「……」
その後の3日間、田中さんはおろか、柏木からも連絡が無かった。
だからわたしは業を煮やして二人を呼び出した。朝の5時に、都庁の屋上で待ってるって。
田中さんはいつものあの調子で笑ってて、柏木も神妙な顔して畏まってて……だけど、腹のうちは相変わらず読めなくて。
「えぇ、おそらくその、まさかですよ、『菅伯爵』殿」
おもむろに懐に手を差し入れた沢口の、その取り出した手の中にあったのは、黒く変色した染みの残る一冊の手帳。
いや良く見たら手帳なんかじゃない、薄い版の聖書だった。
- 243 :菅 :2018/09/30(日) 09:50:00.57 ID:O6t4mMkf.net
- うっかりしてエラいミスやらかしちゃったよ……
×実はその「吸対法」、「原災法(原子力災害対策特別措置法)」を参考にしてたりするんだけど
○実はその「吸対法」、「災害対策基本法」を参考にしてたりするんだけど
しかも吸対法作ったのは10年前。原災法の施行日は平成29年。
施行日の年号からして、参考になんか出来っこないってわけ。
- 244 : :2018/09/30(日) 10:09:21.00 ID:O6t4mMkf.net
- >243
最後の2行は削除で! 災害対策基本法の制定は平成11年!
このスレッドの読者が最低一人は居るという前提のもと、情報は正確に提示しようかな、と。
- 245 :菅 :2018/09/30(日) 10:27:27.80 ID:O6t4mMkf.net
- 情報は正確にと言ったそばから……
>244
×災害対策基本法の制定は平成11年!
○原災法の制定が平成11年!
訂正が重なって何が何だか分からなくなってますが、
とどのつまり、ヴァンプ担当大臣だったわたしが参考にしたのは災害対策基本法だってことです。
(ぶっちゃけ、作者が参考にしたのは原災法の方なわけで)
- 246 :菅 公隆 :2018/10/01(月) 17:44:54.51 ID:MwjeS3Zb.net
- 「これに覚えがありますか? 出頭した本人のものなんですがね」
無論、忘れるはずがない。初めてヒトの血で喉を潤した……あの夜の記憶。
血の海に沈む一冊の書。まだ温かい血に染まる黒い表紙に、刻まれた持ち主のサイン。
紛れもなくあの時柏木が持ち歩いていた聖書だ。それを何故……沢口が?
「是非あなたの口から聞きたいですね。何故これに……あなたの指紋が付いているのか」
「……指紋……だって?」
ぐっと口元を引き締めた沢口が、開いた冊子の「とある箇所」をこちらに指し示した。
もとは印字されていただろう黒い文字のインクは溶け出し、ページ全体が薄茶に染まっている。
その所々に点々と押し付けられた、黒とも茶ともつかない指の痕。
「実は鑑識が動きましてね、あなたのものとぴったり一致したんです」
「……鑑識――そうか、そうなんだ、知ってたんだ。じゃあ、わたしが『伯爵』だと協会内に周知させたのも君かい?」
「えぇ。でも流石にあなたが元帥である事は極秘のままですがね。当然ですよ、ハンター協会の威信に関わる」
今まで静かに事を運んでいた沢口が、突然声を荒げ話し出した。
「信じたくありませんでした! あなたは……人道的で、潔癖な人だ。たとえ相手が誰だろうとその間違いを正し、
真っ当な意見を言える人だ。嵐が来ようがヤリが降ろうが被災地への寄付金集めに奔走し、演説し、
人を使わずその足で街じゅうを踏破する。近づく企業や組織の金は受け取らない、公明正大、清廉潔白。
そんなあなたに憧れて政治家になった者も大勢いる。
それがすべて……フェイクだった! あなたはヴァンパイアで――我々人類の敵だった!
柏木事務局長にその事実を聞かされた……その時のこの気持ちが解りますか!?」
沢口の眼が血走っている。青ざめた額と、首筋に浮かぶ青い血筋。
それを見たこの喉がゴクリと音を立てたものだから、わたしは慌てて眼を逸らした。
「解らないけど……嬉しいよ。こんなわたしの事を、そんな風に思う人が居たなんてね」
わたしの眼を睨んだまま動かない沢口の……胸のあたりから聴こえる鼓動。
全身にその血液を送り出す、心の臓が収縮を繰り返すその音がやたらと耳に纏わりつく。それに答えるように高鳴る鼓動。
……落ち付け。気を静めるんだ。
「君の言うとおり、わたしはヴァンパイアだ。だが……信じて欲しい。わたしは人類の敵なんかじゃない」
ピクリと沢口の眉間に皺が寄る。
「……この後に及んで何かと思えば……命乞いですか?」
「違う。今ここで闘えば、間違いなく人が死ぬ。違うんだ。わたしはあくまで平和的な解決を望んでいるんだ」
「我々に取っての解決は……あなたを含めたヴァンパイアすべてを駆除することだ」
カチリッ!
向かい壁の時計が9時ちょうどを打った。同時に、室内に鳴り響く電子音。
時報だ。誰かがスマホにタイマーでもセットしていたのだろう。
その音が……遠い……あの時の「音」を呼び覚ました。
鮮明に思い出されるあの夜の出来事。倒れた男の呻き声、見守る群衆の息遣い、そして……月光の第3楽章の旋律を。
突然の発作。
心臓を握りつぶされるかの激痛に、わたしは声もなくうずくまった。
- 247 :菅 公隆 :2018/10/02(火) 17:33:23.22 ID:oAsNj1cE.net
- 「どうしたんです? またいつもの……ですか?」
頭上から沢口の声がする。
わたしは自分の懐をまさぐった。発作を鎮める音楽を聴くための――iPotのイヤホンを取り出すために。
だが何者かがその腕を掴み、捩り上げた。肩と肘の関節が嫌な音を立て、わたしはいとも容易く組み伏せられた。
いや、抵抗しようと思えば出来た。
ただわたしはまだ、「平和的な解決」の手段を諦めたくは無かったんだ。
手首足首のあたりでガチャリという音。同時に全身を襲う、猛烈な倦怠感と虚脱感。
対ヴァンパイア用の拘束具。純銀をあしらった特注の枷だ。
……なんて事だ。わたし自身が設計し、発注した最新器具の効果を、自分で試すことになるなんて。
ひどい頭痛と吐き気。遠くから聴こえるあの旋律が、徐々に大きくなっていく。
……駄目だ。何かを……言わねば……今すぐ口にしなければ。
「……だ……」
「……何ですって?」
「閣議が……始まる時間……だ……」
「御心配なく。こんなときの為の副大臣です。いまごろ閣議室の席についてますよ」
視界が逆転する。誰かがこの身体を持ちあげたのか。
キリキリとキャスターを動かす音が近づき、背や腰が柔らかな何かにぶつかる。
「しばらくの間、そこに座っててください」
「しばらく……? 監禁でもする気かい?」
「そのつもりです」
「殺さないの?」
「えぇ。今はまだ」
「今はまだなんて……どういうつもり……?」
「その質問にはお答えできません」
部屋の空気は相変わらず、鉄とオイルと……男達の体臭で満ちている。
あんまりだ。こんな酷い匂いと……殺意の中に……しばらく居ろと?
「我々は一時撤収します。見張りを数名残します」
「待ってよ……女の子の一人くらい……寄越してくれてもいいんじゃない?」
「……こんな時によくそんな冗談が言えますね」
「冗談なんかじゃない。発作を抑える為の……ニトログリセリンが切れてしまってね」
むろん、出まかせだ。ニトロなどで抑えられる発作ではない。
「……はあ。つまり……誰かに薬を持って来させろと?」
「医者だよ。わたしの主治医を呼んでほしい」
「一応聞いておきますが、それは何処の誰です?」
「佐井先生だよ。君達も良く知る人物だ。なにせ君達が……『殺害許可』を出した女性だ」
「……あのVPの女ですね。しかし彼女は――」
「戦闘能力のない……只の人間だよ。……計画に支障でもきたすかい?」
しばらく会話が途絶える。沢口がチラリと横をみて、そしてまた向き直り――
「……いいでしょう。ですが……妙な真似をしたらその時は――」
「解ってる。彼女だって相応の覚悟は出来てるはずさ」
- 248 :佐井 浅香 :2018/10/05(金) 06:42:29.14 ID:lekYiiu2.net
- 床に倒れて動かなくなった麗子を、あたしはしばらく見つめてた。
パチッと眼を開けて、また伯爵の声で笑い出すんじゃないかとヒヤヒヤしながら。
柏木さんが麗子の身体に駆け寄って、その頬をピタピタして……白眼剥いてた彼女の眼が戻って。
でも柏木さんが呼びかける声に返事はない。ただボーっと眼の前の空間を眺めてるだけ。
彼女の耳下と手首を触る。
……麻生と同じ、低すぎるバイタル。
そう。伯爵は麗子を……放っておけば、死ぬか、ヴァンパイアになるかの状態に変えてしまった。
正義感が強くて、ヴァンパイアの撲滅の為には死んでもいいなんて……笑ってた、あたしのたった一人の友達を。
彼女がヴァンパイア化を望むことは万に一つでも有り得ない。
だから麗子はもう――
あたしは眼を閉じて、でもすぐに思いなおした。彼女はまだ治る可能性があるってことを思い出したの。
それに恨みごとを言っている時間はあたしには無いわ。ここにももう一人の患者がいるもの。
カイトもかなりの重症だった。
柏木さんが彼の手足を自由にする間もあまり反応がない。
急いで血管確保(点滴管挿入して、緊急の薬とかいつでも入れられる準備することね!)してから傷の具合を診たんだけど、
……なんかもう……色々と酷かった。
脇腹の傷、肺に届いてるし、右腕も上腕骨が外に飛び出してる。左膝なんかもう粉々。(ハイヒールで踏んづけたりするから!)
そうこうするうち彼、ぐったり脱力しちゃって……
意識の喪失。脈も、弱過ぎて触知できない。
「先生……?」
「出血が多すぎる。いますぐ大きな病院に連れてかなきゃ」
「残念ですが、外の病院には大方伯爵様が手を回されました。ハンターはすべて『確保』するようにと」
「厚生労働大臣って……そんな権限があるの?」
柏木さんはその質問には答えずに、カイトの手をぎゅっと握った。眉間に深い皺を刻ませて。
「柏木さん? カイトは……あなたに取っては敵よね? 何故そこでそんな顔するの?」
そしたら後ろに居た麻生が手をついて立ちあがって、ゆっくりとあたし達の方に移動してきて……そして言ったの。
「あなたは本当は……人間の味方なんだ。そうでしょう? 局長」
「え? そうなの? ……柏木さん?」
柏木さんはやっぱり黙ったまま、顔を背ける。
「僕はあの時から気付いてましたよ。舞台袖で僕を抑え込んたあの時、殺そうと思えば出来たんですから」
「そう言えば……あの時……麻生くんの首をいやらし〜く撫でてたわねぇ。……出来てるの? って思っちゃったくらい」
「……何ですかそれ。こういう時にそういう事いいます?」
「あはっ! ごめん。あんまり様(さま)になってたから……」
カツン、と靴の音をたてて柏木さんがこっちを向いたから、あたしは黙った。
柏木さんが怒ってるのかと思ったの。
でも柏木さん、懐から何かを取り出して、あたしに差し出した。
え? これって……
「私は……ヴァンパイアという種族をこの世から消してしまいたい。ただそれだけです」
受け取ったのはゴム栓と金属キャップで密閉された小さなガラス瓶。
そのラベルには赤い字で「狂犬病ワクチン」と記されていた。
- 249 :佐井 浅香 :2018/10/05(金) 06:43:16.58 ID:lekYiiu2.net
- 「柏木さん! これ……」
「さきほど先生が御所望されていた品です」
「もしかしてさっき出て行ったのって――」
「えぇ。知り合いから一本だけ譲ってもらいました」
あたしは思わず壁の時計を見た。いまはもうすぐ9時だけど……
たしか柏木さんが部屋を出た時……あの時計は8時半ちょうどをさしていた。
麻生と伯爵とですったもんだしてるうちに柏木さんが戻って来て……伯爵が麗子から離れて……
居なかったの、10分からそこらよ?
たまたま近くに動物病院があって、そこの院長と顔見知りで? そこから借りたって? それにしても――
「ありがと柏木さん、仕事が早いのね」
「いいえ。この2人が助かる可能性があるのならと」
そう言って、彼はいつの間にかすぐ傍に立っていた麻生と、倒れてる麗子を眼で差した。
あたしの仮説、「ヴァンパイアはウイルスによる伝染病」って言葉を信じて、仕事をしてくれたのよ。
本当は伯爵のそばに付いていなきゃいけないあの状況で、たぶん少しの無理をして。
「ごめんなさい。あたし、あなたのこと、誤解してた」
あたしを驚いたように見つめ返した柏木さんが、少し笑って、
「それは……お互い様です」ですって。
麻生が訳わかんないって顔で肩をすくめたから、あたしも笑った。
手早く注射の準備して、麻生に「腕だして」って頼んで、彼が左腕の袖をめくった……その腕を取った時に、ふと思った。
そう言えばこの手首、カイトの膝と同じくらい滅茶苦茶になったのよねって。
「先生?」
「……あ、うん。打つね。ちょっとだけチクっとするわよ〜」
「……僕は子供じゃありません。さっさとやって下さい」
「後悔しない?」
「僕は……先生を信じます」
「30分以内に拒絶反応起こしたり、全身に毛が生えてワンワン吠えたり、尻尾振るようになっても?」
「あはは! イヌになるのは流石に嫌だなあ……」
麗子にも同じ処置をして、麻生の経過を観察しながら……あたしは考えていた。
「その事」を柏木さんに頼むべきか。
確証なんかないけど、でも……何もしなかったら確実に「彼」は死ぬ。
「柏木さん」
麻生と向かい合わせになって談笑していた柏木さんが、あたしの顔見てハッと構えた。
……嫌ね。そんなにあたし、怖い顔してた?
「お願いがあるの。カイトの血を……吸ってくれない?」
- 250 :佐井 浅香 :2018/10/06(土) 11:47:12.48 ID:rAvw+ME+.net
- 「まさか……その手を使いますか?」
柏木さんが茶色い眼を大きくしてあたしを見た。
「どういうことですか?」
麻生ったら要領を得ないって顔で首を傾げてる。
「あなたの左手を見て。つまりそういうこと」
「え……ああ! そういう事か! サーヴァントになれば――」
「そう。どんなに深い傷も綺麗さっぱり治ってしまう。ワクチンを打つのはその後。ただ……やっぱり待って」
「……先生?」
正直、自分て言ってて……不安だった。もしワクチンの効果が無かったらって。
無駄にサーヴァントを増やしたところで、ただ苦痛に苦しむ人が増えるだけ。
それならいっそ……このまま何もしない方がいいのかなって。でもね? 意外な人があたしの背中を押したの。
「俺ならいいぜ。遠慮は要らねぇ」
あたしはギョッとして……気絶してる筈のカイトを見た。
カイトの意識が戻ってる。少し身体を起こして、しっかりした意志の光を宿した眼であたしを見てる。
「待って。ずっと意識が無かったはずの君が……どうして?」
「ずっと聞こえてたぜ。あんたらの会話」
「え?」
「不思議なもんだな。手足の感覚もねぇ、眼も開かねぇ。でも音だけは……聴こえるもんだってな」
あたしは思わず麻生の方を向いた。彼もさっき、同じ事を言ってたから。
「良く解んねぇけど、ワクチンとやらで治るんだろ?」
「……解らない。その可能性があるってだけよ」
「それしか方法がねぇんだろ? ならやってみるしかねぇだろ」
「ほんとにいいの? 噛まれて……血を吸われるのよ?」
「そりゃあ……イヤだぜ。イヤに決まってんだろ。あんたや麗子さんみてぇな美女ならともかく、司令は男の中の男だ」
「……いや……そこ?」
「けど仕方ねぇ……。俺は……かまわねぇ……あんたを……信じるぜ」
再び昏倒しかけたカイトを、柏木さんが抱き止める。
「そうね、そうよね」
あたしは気を取り直した。さっき、自分で思ったじゃない。何もしなければ確実に彼は死ぬって。
「やってみるっきゃないわ! 本人の許可も出たし!」
「……急に元気になりましたね」
「立ち直りが早いのだけが取り柄なのよ! さあ柏木さん! サクッと、いやガブッとやっちゃって!」
でも柏木さん、戸惑った顔であたしを見たまま動かない。
「どうしたの柏木さん、簡単でしょ?」
柏木さんが首を横に振る。カイトの肩を抱いたままの腕が震えてる。
「言ったはずです。私には……自分を抑え込む自信などないと。1度変われば2度と……戻れないかも知れない」
「柏木さん……」
「一度『欲しい』と感じれば、そのすべてを我がものにしたくなる。時には抉り、裂き、犯す。それがヴァンパイアです」
「別にいいじゃない」
「「……え?」」
なによ二人とも。
あたしの「いたって前向きな意見」に、そんなアホっとした顔なんかしちゃって。
「いいわよ、いざとなったらここにいる麻生くんが止めてくれるから」
「……え? 僕?」
「もちろんあなたよ。自分がハンターだってこと、忘れちゃった?」
「いやでも……局長は人間側の人で……」
「何も殺せと言ってるわけじゃないわ。頭に2,3発ぶちこめば、しばらくは動けなくなる。でしょ?」
「……先生って……」
「なに?」
「見かけによらず乱暴な人なんですね」
「勇断をふるえる麗人、とでも言って欲しいわね。時間がないわ、さあ、早く!」
柏木さんが、ゆっくりと頷いた。その口の端に、優しい笑みを浮かべながら。
- 251 :佐井 浅香 :2018/10/07(日) 06:34:04.45 ID:cW3+V3Wl.net
- ――バトラー柏木。
そんな言葉が似合う柏木さんが見せる、もうひとつの顔。カイトの首元に寄せる口の端から、鋭く伸びる一対の犬歯。
牙が皮膚と筋肉組織を突き破る生々しい音。カイトの身体がビクンと大きく跳ねて――
あたしも麻生も、文字通り固唾を呑んで見守ってたから、部屋はシーンと静まりかえってて、
そんな中で柏木さんが血を吸う音と、コクリと嚥下する音だけが何度も聴こえてて、
いきなりゾクッ! っと背筋に悪寒が走って、膝や肩がガクガク震えだした。
ぎゅっと自分の肩を抱きしめる。触れる二の腕が変に冷たくて、そしてものすごく――熱い。ブワット噴き出す汗。
……どうしたんだろうあたし。
ゆっくりと……部屋じゅうのすべてが回りだした。さっきみたいに。あの螺旋の構造物も、こんどは蛇みたいに身をくねらて。
「A……ACGGAAAAA……」
自分の口が、勝手にその配列を綴る。どうなってるの? あたし……どうなっちゃうの?
「先生、大丈夫ですか?」
麻生が肩を支えてくれて、あたしは我に返った。
どれくらい時間がたったんだろう。
少し離れた所でペタペタ自分の身体を触りながら……こっちを見てるカイト。
あたしを挟んだ反対側のベットに腰かけて、頭をさすっている柏木さん。
壁の時計は……9時15分。
「麻生君、一体ぜんたい何がどうなったの?」
「ええ!? 先生! 今の惨状、見てなかったんですか!?」
「惨状?」
「ほとんど先生の予想どおりになったんですよ? 局長止めるの、大変だったんですから!」
「そうなの?」
「まあ結果オーライですけど。カイトの奴も、すっかり元通りに」
「……君も?」
「えぇ。僕も、すっかり」
これ、やったーー!! って叫ぶとこよね。
いつものあたしなら、小躍りしながら彼らにキスして回ってたかも知れない場面。
……けど。
あたしは素直に喜べなかった。
さっきの身体の異変もそうだけど、何か凄く……嫌〜な予感がしたの。これから大変な嵐が来る……その前触れみたいな。
だから、ぴこん! て言うコミカルが音があたしのお尻のあたりでした時に、やっぱりって思ったの。
「先生?」
「メールだわ。ちょっと待って」
あたしはスマートフォンのホーム画面をタップした。送り主は……未登録の携帯みたいだけど……
「え? これって……どういうこと?」
「どうかしましたか?」
柏木さんが駆け寄って来て、その後ろにカイトがついて来て、麻生と3人であたしのスマホを覗き込む。
そして顔を見合わせた。
メッセージにはこう書かれていたの。
『伯爵ヲ返シテ欲シケレバ、議事堂ヘ一人デ来ラレタシ』
- 252 :佐井 浅香 :2018/10/08(月) 06:57:16.56 ID:bqQ4WwDF.net
- ショートメールの差し出し人は分からない。未登録の番号だったから。
「なんなの? 誰がこんなメール――」
そしたら、画面を眼で追っていた柏木さんが、自分のスマホ画面と見比べながら言ったの。
「この番号は伯爵様ご本人のものです」って。
「はあ?! つまりあたしに会いに来いってこと!?」
あたしはわざと大きなため息をついて見せてから、つかつかっと例の冷蔵庫に駆け寄った。
目当てのブツをヨイショっと掴んで抱えて、バタンと扉を閉める。
「柏木さん、この腕、返すわ」
「え……? しかし伯爵様が……返すなと」
あたしはそれを、イヤイヤしながら後ずさる柏木さんの胸に押し付けた。
「もう要らないの。遺伝子解析と電顕観察に必要な分は貰っちゃったから」
「……遺伝子? 伯爵様はもうその事をあなたに頼まれましたか?」
「……もう? いいえ。頼まれてなんか居ないけど、その為の機器が揃ってるもの。珍しい試料があれば、調べたくなって当然よ」
あたしはブーンと小さく振動してる器械の扉からガラス容器を取り出した。
「今ね、走査型電顕の試料作ってる最中なのよね。議事堂に出かける余裕なんてない」
蓋を開けた容器から漂う匂いに、柏木さんが顔をしかめる。ヴァンパイアって鼻もきくのね。
「いいえ、行って差し上げて下さい」
「え?」
「そのメッセージは伯爵様ご本人のものではありません」
「どうして解るの?」
「伯爵様は、『伯爵』という呼称を酷く嫌っておいでです。例え些細な一文であろうと、ご使用にはならないでしょう」
「そんなことで……断定?」
「勿論それだけではありません。そろそろ協会上層部が動く頃だと思っていました。私が彼らに告発したのが3日前ですから」
- 253 :佐井 浅香 :2018/10/08(月) 06:58:37.57 ID:bqQ4WwDF.net
- 「告発って……いったい何を告発したって言うの?」
「厚生労働大臣菅公隆はヴァンパイアであり、我々の上に立つ御方であると」
「……司令……あんた……」
じっと座ってたカイトが腰を上げて、信じられないって顔して柏木さんを見た。
「局長、もしかしてご自分の事も?」
「ああ。すべてを打ち明けたよ。10年前に起こった事件を含めてね」
「10年前? そんな過去に、何があったの?」
柏木さんはあたしの問いに答えてくれた。こと細かに。
伯爵が、当初は自分を人間だと主張してたこと。
VP本部に潜入し、ヴァンプの集会に紛れこんでいた自分が、その伯爵と一戦交えたこと。
その最中で――伯爵が自らをヴァンパイアと認めた経緯。
敗北し、ヴァンパイアにならざるを得なかった柏木さん。
でも彼は伯爵に一矢報いていた。ヴァンパイアの唯一の弱点である銀弾を、伯爵の胸腔内に残すことによって。
あたし、涙が止まらなかった。柏木さんが、決して望んでそうなったんじゃないって分かったから。
伯爵も……本当は人間でいる事を望んでただなんて……
- 254 :創る名無しに見る名無し:2018/10/17(水) 14:46:48.25 ID:ZU7x6aHX.net
- 中学生でもできるネットで稼げる情報とか
暇な人は見てみるといいかもしれません
いいことありますよーに『金持ちになる方法 羽山のサユレイザ』とはなんですかね
KF4
- 255 :脳内妄想 :2018/10/21(日) 06:06:06.13 ID:1hCZoTcX.net
- こんな方々に演じてもらえたらなあ……のコーナー(敬称略)
佐井 浅香 綾瀬 はるか
菅 公隆 向井 理
菅 公隆(少年時代)小池 鉄平
水原 桜子 石原 さとみ
水原 秋子 石原 さとみ
麻生 結弦 千葉 雄大
如月 魁人 松坂 桃季
柏木 宗一郎(執事)平山 浩行
柏木 宗一郎(素顔)坂口 賢二
田中 与四郎 時任 三郎(特別出演)
日比谷 麗子 芦名 星
佐伯 裕也 水嶋 ヒロ
水流先輩 オダギリジョー
- 256 :失礼致しました :2018/10/21(日) 06:12:02.16 ID:1hCZoTcX.net
- 小池さんは鉄平ではなく徹平ですね、ごめんなさい!
- 257 :佐井 浅香 :2018/10/21(日) 09:01:00.67 ID:1hCZoTcX.net
- しばらく誰も口を開かなかった。
あたしも、麻生も、カイトも。そしてベットに横たわったままこっちを見てる麗子も。
あたしはため息ついて、実験台の横の椅子に座りなおして……あれ? って思った。ここにもう一人、誰か居なかったっけ? って。
でもその時、遠くで馬の嘶く声がしたの。
咄嗟に立ち上がったカイトが、窓際に駆け寄って、少しだけ開いてたガラス窓をぐっと押し上げて――
「あっ!」
思わず叫んだ。吹き込んだ冷たい風が、机に置いてあったルーズリーフを吹き飛ばしたから。
柏木さんがあたしに顔を向けたまま、しかもさっきくっつけたばかりの右手でそれをキャッチ。
(わお! さっすがヴァンパイア!)
それを手渡そうと足を踏み出した柏木さんの前に、麻生が割り込んだ。
「麻生君?」
「状況を確認させて下さい。上層部――つまり副大臣達が、議事堂内にて伯爵を拘束した。そういう事ですか?」
柏木さんが一度目を閉じて、そして部屋に居るみんなを見回した。
「おそらくそうだ。伯爵様を囮とし、全国に散らばるヴァンパイアを招集させる。そこを叩く手筈になっていたからね」
「俺達ハンターへのお達しは? 」
カイトがしきりに耳たぶのあたりをいじりながら柏木さんに問いかけた。
「魁人くん?」
「その……俺の無線、壊れちまったみてぇで」
「君は麻生くんと共に現場に向かいたまえ。麻生は人間として無事生還、作戦に加えるよう上には言っておく」
「それはいいんですが、解らないのはメールの意図です。何故……わざわざ佐井先生を呼び出す必要があるのか」
「そう言えばそうよね。どうして? 柏木さん」
「それは……伯爵様自ら先生の召喚を頼んだのではないだろうか。この期に及び、協会が先生を『目標』にするとは考えにくい」
思い出したようにルーズリーフを手渡そうとした柏木さんの手を、あたしは押し戻した。
え? っていう顔してあたしを見る柏木さん。
「じゃあこの続き、やっといてくれる?」
「は?」
あたしは手書きで書きなぐった部分を指差して見せる。
「いま……グルタールアルデヒドで組織を固定した所……そう、その箇所。その続き、任せたわ」
柏木さんったら真面目&困惑顔。
「何故わたくしが?」
「議事堂へ行けって言ったのはあなたよ。じゃあこっちの続きは誰がやるのって話よね」
「しかしわたくしは」
「あなたさっき、『もうその事を頼まれたか』みたいな事言ったわね?」
「え? ええ」
「つまりこれは、伯爵に頼まれるであっただろう大事なお仕事。違う?」
「……」
「大丈夫よ! 有能な貴方なら出来るわ! ぜ〜んぶこのマニュアルに書いてあるから!」
って指差した電顕操作その他機器の使用説明書(たった5,6冊)を横眼で眺めた柏木さんが、口をパクつかせて――
「明日になってもあたしが帰らなかったら、電顕写真もプリントしといて! あなた自身の組織写真よ、興味あるでしょ?」
黙り込んで、ノートめくって。何事かブツブツ言い始めた柏木さん。
その肩をポンっと叩いたあたしは、ドアに向かおうとしたけど、でも麗子に止められた。
「麗子! もう動けるの!?」
「おかげさまで。って言いたい所だけど、喜んでる場合じゃないわ」
一度笑った口元を引き締めた麗子が、あたしの腕をぐっと掴む。
「解ってるの? 協会はハンター達に『佐井浅香』の殺害許可を出している。行けば必ず……殺される」
「え? ん……そんな気は……してたけど……」
「柏木局長も局長だわ。そのことを知ってて、浅香を向かわせるなんて……どういうつもりですか?」
結構な剣幕に柏木さんったら困った顔しちゃって……でもあたしには……柏木さんの意図が解った気がして。
「それは、桜子さんの時と同じ理由。そうよね? 柏木さん?」
麗子が眉をひそめてこっちを見る。
「柏木さんはヴァンパイア撲滅を望んでる。でもその一方で、彼らの人間性を尊重してる。でしょ?」
あたしの言葉に柏木さん、やっぱり困った顔をして。
「貴方は言ったわ。お嬢様の魂を救ってくれてありがとうって。伯爵も……そうなんでしょ?」
あたしは柏木さんの頷く顔が見たくて、しつこいくらい柏木さんを問い詰めて……
でもついに柏木さん、首を縦に振らなかった。
- 258 :如月 魁人 :2018/10/28(日) 09:58:12.80 ID:nGnOQIoQ.net
- カシャッとベレッタにマガジンを嵌めこんだ結弦が俺を見る。
ハッとしたね。ハンターが現場に向かう時の眼だった。
現場はハンターに取っちゃあ死地よ。ヴァンパイア相手に生きて帰れる保証なんて何処にもねぇ。
そんな時にそんな顔するてめぇは……やっぱハンターなんだな。
「免状持ちが組むこたぁ滅多にねぇ。お手柔らかに頼むぜ?」
俺ぁ弾薬込め終わったシリンダー戻しながら、奴に向かってニヤリと笑って見せた。
軽口のつもりで言ったんだが、奴は唇噛んで眼ぇ逸らしやがった。まるでこれが今生の別れみてぇな顔してな。
……解らねぇでもねぇ。
俺達ハンターには暗黙の約束事があってな。
ヴァンパイアに噛まれちまったそん時ぁ……仲間だろうが何だろうが互いに躊躇しねぇっていう確約だ。
まあ当然っちゃあ当然だ。噛まれたらもう人間じゃあねぇからな。
でもな、ヴァンプの野郎、あの手この手で来るからな。さっきの伯爵の手管も見たろ?
ハンターを手駒にする為なら汚ねぇ手も平気で使いやがる。
結弦は迷ったと思うぜ? 俺ぁあん時、まだ噛まれてなかったもんよ。
伯爵が麗子さんから離れたときぁマジほっとしたぜ。上層部もヤル時ぁヤルってこった。
「魁人くん、麻生くん、伯爵様と佐井先生を頼んだよ」
司令の言葉に、俺ぁ頬が引きつったね。
頼むってどういう意味だろうってね。
でも敢えて突っ込まなかった。司令ははっきり「始末しろ」とは云えねえ立場だからな。
協会の人間で、俺達の味方だって事ははっきりしたが、ヴァンプである以上伯爵には逆らえねぇもん。
だから伯爵は始末する。
ただ、女医のこたぁどうすりゃいいんだ?
(俺らを助けてくれた事に関しては置いとくぜ。ハンターとしての俺らがどう対処すりゃいいかって話だ)
上の指示は「始末していい」だ。
してもいい。つまりサーヴァントになろうがなるまいが、必要に迫られりゃあ殺していいってこった。
理由は彼女がヴァンプ志願者だから。
だがどうもすっきりしねぇ。彼女、結弦や麗子さんのこと、本気で治そうとしてたからな。
これだけははっきり聞いといた方がいいかもしんねぇ。
「あんた、まだ『なりてぇ』とか思ってる?」
「は?」
「ヴァンプになりてぇ気持ちは変わんねぇのかって聞いてんの」
「変わらないわ」
……変わんねぇのかよ。
「はっきり言っとくぜ。俺は恩人でも容赦はしねぇ。ヴァンプとその志願者はハンターの撲滅対象だ」
俺は銃口を女医に向け、その眉間に狙いをつけた。
「気が変わらねぇってんなら、いまこの場で撃ってやるぜ。ヒトだからこそ楽に逝ける急所にな」
- 259 :如月 魁人 :2018/10/28(日) 11:57:19.06 ID:nGnOQIoQ.net
- 何か言いたそうに口を動かして、俺の眼を見てた女医が、口を閉じて目を瞑る。
……なんでだよ。なんでそうまでして……ヴァンプなんかになりてぇんだよ。
「俺には……わかんねぇ」
俺の親指は撃鉄の上に軽く乗っかったまま。
「ガキの頃、夜の明けねぇうちに起き出して……馬に乗って浜沿いを走ったもんだ」
女医が目ぇ開けて眉間に皺を寄せやがった。司令も結弦も麗子さんも、おんなじ顔して俺を見る。
……やりにくいぜ……ったく。
「よく晴れた日なんかはな。姫……ああ、俺の馬のことだがな? 彼女が立ち止まってはブルルっと鼻ならす訳よ。
降りて見れば……一面に生えたキスゲ(エゾカンゾウ)が足元くすぐって……所々ハマナスも咲いててな。
風はねぇ。刺さるくれぇ冷てぇ空気。そんな中、水平線のヘリにゃあくっきりと……利尻の山が浮かんでる。
たまに知り合いの漁師が獲った魚持ってくんのよ。ソイって魚がいるんだが、生きじめしたてのそいつをサっと捌いて
その場で口に入れた時のシャッキリ感と? しつこくねぇ旨味がもう最高なんだぜ? 東京じゃあ味わえねぇ贅沢よ」
誰も、何も口にしねぇ。銃口を女医に向けたまんまの俺はため息をひとつ。
「俺ぁ決めてんだ。ヴァンパイアを一掃できたその日が来たらあそこに戻るってな。
キリリと冷てぇ早朝に、利尻見ながら、塩味の効いたソイを食うってな。人間で居られる喜びを噛みしめながらな」
何がおかしいんだか、女医がクスッと笑った。何だよ、結弦も麗子さんも……司令まで笑うこたぁねぇじゃねぇかよ。
「あなたの言いたい事は良く解ったわ、えっと……」
「如月魁人だ。魁人でいいぜ」
思わず眼ぇ逸らした。すっげぇ笑顔でこっち見た女医があんまり綺麗ぇだったからな。
……ち……ちげぇよ! 俺が女なんかに惚れるわけねーだろ! 俺には姫っていう大事な相棒が居るからな!
姫の話をすりゃなんとやら。
玄関ですんげぇ音がした。外から大砲でもぶち込まれたみてぇな。
メイド達のすんげぇ声が壁ごしに聴こえたんで、俺達は勢い勇んで廊下に出た。
そしたら居たよ。あの頑丈なドアぶち破って駆けこんだ犯人が。
「姫! お前なにやってんだ!?」
俺の声を聞いた姫は、静まるどころかますます乱気になった。棒立ちになって前足振り上げるわ、尻っぱねて靴置き場壊すわ。
俺は姫の腹下に駆け込んで、彼女の胴体にしがみついた。
(馬ってもんは自分の腹の下には手も足も出ねぇからな)
片手で鬣(たてがみ)掴まえて、片足で地面を蹴って背中に乗っかる。またまた姫が棒立ちになったが、離すもんかってんだ。
「姫! しずまれ! 俺だ!」
さすがに耳元で叫べば聴こえんだろ。やっと前足降ろした姫が、短く鼻ならしてこっちを見た。
「乗れよ結弦! 女医もだ! 早く!」
「待って? まさかそれに乗って議事堂に?」
俺ぁ二人の腕掴んで後ろに座らせた。ちと強引だったかもしんねぇ。でも居ても立っても居られなかったんだぜ。
「地下鉄も車もまどろっこしいぜ! 馬が一番早ぇ!」
さっき……高く嘶いた姫の眼が金色に光って見えたのは……気のせいなんかじゃねぇ。
司令と同じ、ヴァンパイアの眼だ。あの蝙蝠はやっぱ伯爵の手下だったわけだ。
……畜生……伯爵の野郎……ぜってぇに許さねぇええええ!!!!!
- 260 :柏木 宗一郎 :2018/11/04(日) 09:59:55.64 ID:fKfP6Bqb.net
- マニュアル本の見慣れぬ記号、薬物名の羅列を解読しつつ、仕事に励む麗子に目を向ける。
ここに残り、私の補佐を申し出た彼女は、このような自然科学系の仕事も出来るのか。
ここは密かに佐井浅香の後を追い、伯爵様の元へと馳せねばならぬ所だが……
「局長。浅香のことが気になります?」
手を止め、黒目勝ちの瞳でこちらを見上げる麗子。16年前――まだ彼女が学生であった頃と同じ眼だ。
「佐井先生だけじゃない。麻生と魁人のことが心配だ。そしてなにより……伯爵様の事が」
「伯爵……様?」
ゆっくりと控えめにヒールを運び、そっとこの袖を掴んだ彼女がこちらを見上げる。
「人間だった貴方の身体を――貴方のすべてを奪ったそいつが……心配だっていうの?」
腕を掴む、その指に力が籠もる。
私は唇を噛んだまま目を逸らす。
彼女がそっと……手を離す。
ゆるりとカーブを描く前髪がサラリと横に流れる。
「私の事は……どうなの? さっきの『私とは何でもない』……って言葉は……本心なの?」
「君の……あの時私に言ったあの言葉こそ偽りではないのか?」
室内は静まり返ったまま。
再び吹き込んだ秋風が彼女の長い後ろ髪を靡かせる。
防衛省に勤務していた彼女がハンター協会に出向し、この私の秘書となったのは半年前のことだ。
つまり私が麻生結弦の屋敷から逃亡し、協会へと復帰した直後。
沢田防衛副大臣の推薦だと寄越された彼女は、仕事上実に有能だった。
無茶とも言える上からの指示をこなしつつ、ハンター育成業務に奔走していた私を実によくサポートしてくれた。
そんな彼女がある日、この私に対する想いを打ち明けた。
16年前、大学のサークルで顔を合わせた……あの時から一時も忘れる事は無かったと。
衝撃だった。
ヴァンパイアとなってから……いや、それ以前から人としての自分を捨てていた。
悲願達成のためには、恋愛は無論、非合理な感情も生活も不要だと。
そんな私の心を揺るがした彼女の告白。無論、応じられる身ではない。
伯爵からは、彼女への情報は最小限に留めるよう警告されていた。
沢口は事務局長であるこの私を不審い、諜報の目的で彼女を送った節があると言うのだ。
迷った挙句、しかしそれ相応の覚悟で出向いた逢瀬の場。
そこはじき解体を待つばかりの古い道場だった。
「良かった。来てくれないかと思ってた」
なんと彼女は、白の道着に黒の袴――合気道の稽古着を纏い待っていた。
- 261 :柏木 宗一郎 :2018/11/11(日) 07:14:18.73 ID:beBATOMH.net
- 床面中央に敷かれた古畳の中央ややこちら寄りに彼女は座していた。
陽が落ちたばかりのうす暗がりの中、時折差し込むヘッドライトの光が彼女の背を照らし出す。
背筋を伸ばし、両手の拳を膝に乗せるその姿勢で……ずっと……ここで私を?
そう言えばあの頃も。
サークル帰りに決まって立ち寄るこの場にて、一番先にここで待ち、そして最後まで居残っていたのが彼女だった。
彼女が何故この場を選んだか。わざわざ聞く必要もあるまい。
神前に向かって一礼し、素足となった足を畳に乗せる。
敷き詰め固めた藁を踏む弾力。あちらこちらがほつれ、擦り切れた畳はまだ温かい。
「遅くなってすまない」
私の声に振り向いた彼女が、はにかむ様な笑顔を浮かべ首を振る。
何も言わず、ゆっくりと立ち上がる彼女。何故彼女はこの場を指定したのだろう。
その井出達は、かつての記憶を共有する為だろうか?
一間(2m弱)ほどの間合いを取り、向かい合った我々は、少し長めの礼を交わした。
16年前のあの時ならば、即座に半身の構えを取るところだ。
ところが彼女は、一向に構えを取らず、ただ腕を横に下げたまま強い視線を送るのみ。そして――
「私が勝ったら……付き合ってくれる?」
「え?」
思わず訊き返した。
どちらかが仕掛け、それを返す。返された側は腕関節と取られ、横受け身を取る。或いは抑え込まれる。
すべてが決まった型で、「演武」と呼ばれる動きだ。通常、合気道では鍛錬として実践的な試合を行わない。
つまり、「勝ち負け」という概念がないのだが。
彼女は戸惑う私になんら構わず、一歩前に出た。
腹下に溜めた右拳をまっすぐに突き出す正拳突き。合気道ではない、空手のそれだ。
私はそれを交わさず左掌で受け、掴み取った。だが彼女は動きを止めず、むしろそのまま前に出た。
左で私の襟を取りつつ。
しばし状況の整理に時間を要した。無様に尻もちを突いた私の上に跨った彼女が得意げに笑う。
なるほど、彼女は私の脚を払ったのだ。
いや、「払い」ではなく、「刈り」というべきか。柔道で言う大内刈りだ。
袴をつけた足はその動きが察知し辛い、と一応は云い訳しておく。
「驚いた。君がまさか、そんな手でくるとは」
クスリと笑った麗子が自分の額を私の額に押し付ける。
「私もよ。意表を突ければ……格上に勝つことも出来るって」
今にも触れ合いそうな彼女の唇と、その吐息の甘い香り。
それはヴァンパイアであるこの身にとってはあまりにも煽動的な知覚情報だった。
私はたまらず彼女の両肩を抱きしめた。その後で私の取った行動は、彼女にとっては「OK」のサインに違いなかった。
- 262 :柏木 宗一郎 :2018/11/14(水) 07:00:09.47 ID:4WfO08Gx.net
- 「あの夜の事は忘れないわ。貴方は私を何度も……それこそ数える事を忘れるくらい、抱いてくれた」
取り巻く機器が低く振動する音が、私を現実に引き戻した。
じっとこちらを見上げる麗子。濡れて光る彼女の眼に、この自分の姿が映りこんでいる。
「……今となっては悔やまれる。解体寸前とは言え、神聖なる神前にて……私は君の魅力に負けたのだ」
眼を背けた視界に、再び彼女が飛び込んできた。
感極まったのか。この腕を掻い潜り抱きついてきた彼女を、私はただ抱き返した。
「それが何? いけない事なの? 嬉しかったわ。寝物語に……貴方は身の上を話してくれた」
「……そうだったかな」
「そうよ。美しい長崎の街並のこと。故郷の島を取り囲む海のこと。その島で起こった事件の事も」
彼女の言葉が更なる過去の記憶を呼び覚ます。
寒空に凛と輝く明けの星。朝焼けに染まる礼拝堂。カサリと音を立てる紅葉の葉。
開け放たれた両開きの扉。色濃く漂う……血の匂い。
「貴方はその島での……ただ一人の生存者。だから――」
彼女の顎を上向かせ、唇を重ねた。あの光景を今だけは思い出したくなかった。
この体重に耐えかねるように身を沈める彼女の身体を横抱きにする。触れ合う唇を離さぬまま。
傍の診療台にその身を横たえながら、求める彼女の唇と舌先の感触をしばらく楽しむ。
彼女の手が胸板をくすぐり、やがて脇下から腰に下がり……その指先がベルトの金具を探り当て……
緩急をつけ撫でさするその技法に嬉々として反応する身体。
ふと笑いが込み上げる。
クノイチと呼ばれた、かの時代の女の忍びは、こうして男から情報を得たと言うが。
彼女は防衛省の人間だ。沢口が送りこんだ理由は、この私がヴァンパイアではないかと疑った為だ。
しかし、とうにその事は知れている。彼女は決してその目的でこうしている訳ではない。
「怖くは無いのか?」
唇を軽く触れ合わせたまま聞いてみる。
「君が相手をしているのは……血に飢えたヴァンパイアだ」
あえて両眼に力を込め、彼女の眼を睨みつけた。すべてが黄金に染まる中、彼女の黒い瞳がまっすぐにこちらを見つめ返している。
「怖くなんかないわ。浅香がワクチンを打ってくれたもの」
「そうだった。ならば君から少しだけ……『分けてもらう』のはありだろうか?」
「そうね。少しなら……構わないわ」
私達はしばらくの間、互いの身体を求めあい、確かめ合った。
セットしていたタイマーの電子音が、操作時間を知らせるまで、その行為は続いた。
その間不思議と……血の欲求が性のそれを上回る事はなかった。
あの道場で彼女を愛した……その時のように。
ヴァンパイアはある意味、人間よりも人間的だと言えるだろう。そうと決めた相手には決して『手出し』をしないという点で。
- 263 :菅 公隆 :2018/11/17(土) 07:11:32.52 ID:mDic8v7R.net
- 刻一刻と過ぎる時間。
私は椅子の背に身体を預けたまま、心臓を焼かれるような発作の苦痛にひたすら耐えていた。
無言でこっちに銃を向けてるクロイツ達。耳に入るのは彼らの息遣いと、規則正しく動く時計の秒針の音だけ。
時間は10時。1時間も放置プレイなんて酷過ぎる。
そんな時だった。ノックもなしにドアが開いたのは。
沢口だ。彼に続いて入って来たのはクロイツと副大臣だけ。
あれ? 先生は?
「どうですか? 御気分の方は」
ゆっくりとカーペットを踏みしめながら近づいてくる沢口達。
私は何も答えなかった。気分なんていいはずがない。だいたいさ、人にこんな手枷足枷つけといて良くそんな質問出来るよね?
まあね。軽口で返してもいいとこだけどね。
正直、そんな余裕なんかないって言うか。
「たった今、総理に話を通して置きましたよ。貴方がヴァンパイアであり、今の職を全うする権利などない事を」
私は上目遣いに彼を睨みつけてやった。まるで勝ち誇ったような沢口の顔があんまり胸糞悪かったからさ。
視界が黄金に染まる。
今彼らには、この金の眼が見えている。一度でもヴァンパイアを相手にしたことあるなら……この意味が解るはず。
息を呑むクロイツ達。
沢口もハッとした顔して足を止めて……でも流石は副元帥。すかさず手を動かして、クロイツ達に指示を送る。
ゴクリを唾を呑みこみ、それでも意を決したように頷いて駆け寄って来るクロイツ達。
彼らの銃口が、両の米神と胸の真ん中に押し当てられる。
安全装置の外された銃の、トリガーにかかったままの人差し指。一触触発ってのはまさにこの事だ。
「……あの総理が……君の話を信じたのかい?」
気分も体調も最悪だったけど、私は努めて軽い口調で聞いてみた。聞かずには居られなかった。
今現在、総理は二木俊太郎が務めている。首相だった父の補佐役で、私も幼い頃から顔見知りだった人物だ。
私の嗜好症の事も知った上で、色々と世話してくれてさ(こっそりPC貸してくれたり?)、
大臣就任に漕ぎ付けられたのもほとんどこの人のお蔭でさ。
そんな人が簡単に沢口の言う事信じるかなあって……ちょっと疑問に思ったのさ。
沢口は返答するかどうか迷ってるようだったけど、でもぎゅっと口を結んでしまった。
……だよね。
不用意な発言は手の内を知らせる危険がある。
私ならそうする。
そしてもし私が沢口の立場なら……緊急対策本部を立ち上げるよう総理を説得してる。
警察と自衛隊にいつでも出動出来るよう要請し、その上で……拘束したヴァンパイアの長を最大限に利用する。
沢口はずっと私について補佐をしていた男だ。考えは同じはず。
ならば必ず……この状態を続けたまま夜を待つ。
ならば――時間はまだ十分にある。
- 264 : :2018/11/18(日) 09:10:08.86 ID:YeXrMukX.net
- もし終了前に容量が512KBを超えた時は、資料庫に場所を移す予定です
そうならないよう努力はしますが!
- 265 :菅 公隆 :2018/11/18(日) 09:11:16.24 ID:YeXrMukX.net
- 誰かがドアを叩く音。近くに居たクロイツがほんの少しだけドアを開ける。
なんだろう。総理からの言伝かな。あの菅くんがヴァンパイアの筈がない! なんて協会側に対抗してくれると嬉しいんだけど。
怪訝に眉をひそめた沢口が私の方をチラリと見る。
彼の肩越しにそっちを見ると、白衣を着た佐井先生が立っていた。
「まさか、あのメールで……本当に来るとはね」
呟きながら、さっき私から取り上げていたスマホを手に取る沢口。……なんて文面で送ったんだか。
「伯爵……菅伯爵は何処なの?」
「伯爵? ああ、菅もと厚労大臣ならあそこですよ」
沢口がまっすぐにこっちを指差して、それを見たクロイツ達が慌てた様子で私から離れる。
先生の黒い眼と眼が合った。
彼女ったら口をパクパクさせて、拘束されたまま椅子に腰掛けてる私の頭から足の先まで眺めて回してさ、こう言ったんだ。
「あはっ! 伯爵ったら、ずいぶんいい格好じゃない!」
ガクッと力が抜けたよ。沢口もクロイツ達も明らかに気押されてる。
気持ちは解るけどね。
まるでおろしたての白衣はパリッと糊が効いてて、ビシッとした往診カバンにショッキングピンク色の聴診器、
ミニスカートから覗く素足はほんと、最高に形が良くて。
キリッと沢口を見返す眼はラメが入ったみたいにキラキラで(この部屋のレトロな照明のせいもあるけど)、
そんな先生が艶々でサラッサラの黒髪をパサってやった時の男連中の顔、みんなにも見せてやりたいよ、ほんと!
「発作がおさまったら知らせて下さい」
「発作?」
「主治医ならご存知でしょう。我々は外しますから御随意に」
「え……ああ、そうね。解ったわ」
随分と神妙な顔つきで頷く先生。沢口がまたまた取り巻きを引きつれて部屋を出る。残ったのは私と先生だけ。
ま、ドア口で窺ってるんだろうけど。もしかしたら、議事堂ごと囲まれてるかも。
「やあ先生」
私は仰向けで背もたれに寄りかかったまま、視線だけで先生を見上げた。
エラそう? 仕方ないじゃない。後ろ手のままだし、ほんと言うと息するのがやっとなくらいだったんだ。
「ちょっと……大丈夫?」
さっきまで余裕の体だった先生の顔つきが変わった。その表情にドキリとした私は思わず眼を逸らした。
らしくないって? それも仕方ないよ。この後私は……この人が田中さんの孫娘だってことを、嫌ってほど思い知ることになるのさ。
- 266 :佐井 浅香 :2018/11/19(月) 17:46:33.60 ID:QPlVLFTh.net
- あたし達(の乗った馬)が議事堂に着いたのは、午前10時ちょうどくらい。
確かに車よりも電車よりも早かったけど、反則よね。信号とか渋滞とかまるっきり無視なんだもの。
不思議よね。パトカーと何度もすれ違ったのに、ぜんぜん注意されなかったのよ?
先に馬から降りてた麻生くんの手につかまって、よいしょって馬から降りて。
3人(プラス馬1頭)で門の前まで歩いていって、あたし、「え?」って思った。
だってだって……いつもなら制服着た衛視さんが立ってる筈の場所に、ライフル担いだ迷彩服の兵士さんが居たんだもの。
ううん、門前だけじゃない。敷地内も。……ほら、あのどーんと構えてる議事堂前の、植え込みとか植え木があるあの広い場所。
(行ったこと無い人も、きっと写真とかで見たことあるわね!)
そこにぎっしり詰めかけてるの。兵隊さんと……ほら、テレビで見かける……特殊部隊(SATのこと)の人達が。
敷地の外側はもう大混雑。
報道関係の車両とかパトカーがたくさん。警官となにやら揉めてる報道陣も居たりして?
四方の道路はほとんど無機能状態。
どおりで……渋滞がすごいわけよね。パトカーに呼び止められなかったのも、きっとそれどころじゃ無かったのかも。
「なんなの……いったい?」
あたしの呟きに、カイトと麻生が顔見合わせた。
「そりゃあ……あれだろ。ヴァンパイアどもが、捕まっちまった伯爵の野郎を……助けに来るかもってことだろ」
「あそっか。その為の武装ね?」
「って事は……上層部はその事を公表するつもりだろうか」
「一応っつーか、閣僚サマの一員だかんな。国民に黙って始末する訳にも行かねぇし、ちゃんとした公開の裁判とかすんじゃねぇの?」
カイトと麻生くんが見せた会員証(?)を見た門番さんがビッと敬礼して、一緒に通ろうとしたあたしは乱暴に腕を引かれた。
「……イッタいわね〜!! なにすんのよ!」
「通行を許可する為の照明、或いは書類の類いを見せて下さい」
「あるわけないわ! っていうか、聞いてないの? 菅厚労大臣に呼ばれたのだけど?」
「お名前は?」
名乗ったら意外にすんなり通してくれちゃって。なに? あたしの格好って……そんなに怪しい?
- 267 :佐井 浅香 :2018/11/24(土) 06:59:58.49 ID:0uqm5KPY.net
- 良く晴れた寒そうな空に、くるくるっと舞う黄色い葉っぱ。吹き付ける風がすっごく冷たい。
見て! 梢にしがみついてた葉っぱがみいんな振り落とされちゃって!
議事堂の敷地内がこんなに風情たっぷりだったって知らなかったわ。
門に着く前に通ったお庭(議事堂の前庭のこと)もすごいの!
さっきお馬さんでさっと突っ切ったんだけどね? 右手が洋風、左手が和風の、ほんと本格的で素敵なお庭!
今度ゆっくり自分の足で散策してみたいわあ……
あたし、こんなお仕事してあんなトコに仕事場持ってるけど、庭園ってものにちょっとした思い入れがあるのよ。
ほら、小さい頃お祖母ちゃんにお茶とか習ってたでしょ?
あのお家にあったお庭もすっごく綺麗で大好きだった。
想像してみて? こんな日の……まだ夜も明けない冷えた朝。カポン! って鳴る獅子脅しの音で目が覚めて。
障子を開けて縁台に出てみると、赤い紅葉の葉っぱが池の上でゆらゆら揺れてるの。
それに見惚れてるあたしに、あ祖母ちゃんが得意げに言うのよ。
『千利休はねぇ……庭を綺麗に掃いたあとで、わざと紅葉を幾枚か散らしたのよ。その方が――』
高く嘶(いなな)く馬の声であたし、いまのこの時に戻った。
顔面まで迷彩模様の兵隊さんとか、真っ黒なゴーグルつけた装甲服の男達でひしめき合うこの場所に。
何も言わず、静かに佇んでる隊員達の視線が、一斉に馬に向く。
「そう言えばカイトくん、そのお馬さん……おかしくない?」
あたし、実はずっと考えてた事を口にした。そうなの。この子、月姫って名前だったかしら。
とにかくすごいスタミナだったのよ。
距離は5〜6km、男2人と女1人だから、200kg近い荷物を乗せて……
しかも通行人とか車両を避けてジャンプしながらほとんど全力疾走。
サラブレットってそんなに体力ないはずよ? だから普通じゃないって思って訊いてみたの。
カイトは少し意外な顔して足を止めた。
「今更……っつーか、俺と姫は仲間内じゃ公認だぜ?」
「いや、そういうことじゃないて」
「あ? じゃあ何処に置いとくかって話か? なら問題ねぇ。ここの中庭ぁ……もともと馬繋ぐためにあるらしいからな」
「違うって! さっきからキバむき出して、白い息をフーフー出したりして……もしかしてこの子――」
「……気付いてたのかよ」
「え?」
「平気だぜ。今んとこ……まだ俺の言うこと聞いてくれっから」
カイトがふうっとため息ついて、それ以上何も云わずに歩き出した。
麻生も内心気がついてたみたい。
深刻な顔してカイトに続いて――あたしはそれ以上何も訊かなかった。
たぶん今までで一番長く感じた時間。
正面より右にそれた玄関口(参議院側の昇降口)に辿り着いた時、カイトが初めて口を開いた。
「俺達はここまでだ。1人でって約束だからな」
「ですね。先生、気をつけて」
「……わかった。行って来るわ」
そう、たぶんこれがあたし達の……金輪際のお別れ。
だってカイトは言ってたもの。あたしが人間をやめる事を諦めない限りは……容赦なんかしないって。
- 268 :佐井 浅香 :2018/11/25(日) 07:55:03.21 ID:WwktZC8c.net
- 「ほら、来てやったわよ! 伯爵は何処にいるのかしら?」
玄関前で、彫像みたいにつっ立てる兵隊さんの1人に聞いてみる。
まだ20代前半って感じのその若い彼は、隣の彼と顔見合わせて……その手が肩に担いだライフルの銃身に触れる。
「安心して。あたしはまだ人間よ」
危険を感じて思わず言った台詞だけど、あたし、自分で言ってちょっと笑っちゃった。
だって『まだ』って。
裕也も、柏木さんも、カイトも、みんなあたしを引きとめてくれたけど、でもやっぱり諦めきれない。
それが言葉に出ちゃったから。
両手を上に上げろって言われて、怖い顔した彼らの手で入念にボディチェックされて。
持ち物検査も終わって、ようやく中に通されたあたしは言葉を無くした。
まるであたしを出迎えるようにずらりと並んで近づいてきた背広の一団、その面子に見覚えあったから。
もちろん直接知った人じゃなくて? ……そう! いまの日本の大臣達!
わお! ほんと、テレビで見るのとおんなじ顔! 当たり前だけど!
その真ん中に立つ、銀髪で中肉中背の、一見どこにでも居そうな、でも何かオーラが違う男の人が、ニコッと笑って右手を差し出す。
え? その手を……このあたしが握る、の?
そんなあたしの右手を両手でガシ! っと掴んだ総理の手は温かい……間違いなく人間の手。
「内閣総理大臣、二木俊太郎です。佐井浅香先生でいらっしゃいますね?」
「え……えぇ。はじめまして」
あたしの顔も挨拶も、たぶん間が抜けてたわね? こういうの、慣れてないもの!
けどね、総理の次の台詞であたし、緊張って名前の糸が解けたの。
「あなたが菅くんの想い人ですか?」
「え? は!?」
「失礼。この状況でわざわざ呼び出し、そして大変お綺麗でいらっしゃるから、もしやと……」
「違います! あたしは只の――」
「只の……主治医でいらっしゃる? なるほど、大変失礼いたした。どうぞこちらへ」
二木総理はとても……とっても気さくなおじさまだった。
- 269 :佐井 浅香 :2018/11/25(日) 07:56:50.37 ID:WwktZC8c.net
- 「さあさあ! みな官邸へ移動して! 官房長官も、防衛大臣もですよ!」
「総理、あなただけここに残すわけには」
「いやいや、何かの時はお二方に指揮を取って頂かなくては。ここは私と副大臣達で十分、さあお早く!」
総理ったら、パッパと人を動かして、あっと言うまに大事なはずの大臣達をこの場から退散させちゃった。
ホントにいいのかしら?
ここ、戦場になるかも知れない場所でしょ? もしかしたら今この日本で一番危ない場所。命の保証も。
閣僚の中で、たった一人だけここに残って、本人はまるでそれを気にしてない風で。
よっぽど肝の据わった人なのかしら。それとも能天気なだけ?
赤い絨毯敷き詰めた廊下をあたしと並びながら、総理はまるで昔から知り合いみたいに話しかけて来た。
その話題は渦中の菅大臣。
「菅くんはね、小さい頃は私も手を焼かされたものだ」
って話から始まって、いかに菅公隆が優秀で、頑張り屋で、正義感の強い人物であるかを延々と語るの。
あたし、変に感動しながらそれを聞いてた。へぇー、人って……見る目が違えば違う物なのねぇって。
そして、もうすぐ3階にたどりつくっていうその時。
「いやはや、彼がヴァンパイアだとは、未だに信じられんのだが」
階段を登る足を止めて、二木総理があたしを見た。背後と横につくSPも一緒に立ち止まる。
「あの沢口君が言うなら間違いないと、対策本部の立ち上げを承諾したものの、あの菅君が人類の敵だとは思えんのだよ」
急に……総理が総理の顔になった、そんな気がした。
「あなたは……どう思われる? 主治医である貴方の眼から見た菅君は……何者かね?」
「彼は……」
あたしは口ごもった。だってあたし、菅大臣の怖い一面しか見てないもの。
柏木さんの腕を斬り落としたり、麗子にとり憑いてカイトの足とか腕とか撃ち抜いたりする一面しか。
ただ一つ、確実な事。それだけは知ってる。
「彼は正真正銘、ヴァンパイアです。それだけは事実です」
「…………そうかね」
一瞬間伏せた眼をぐっと凝らし、総理は3階の床に足を乗せた。
そして黙ってあたしを見送った。促されるままに第3委員会室のドアを叩く、その時まで。
- 270 :佐井 浅香 :2018/11/26(月) 18:53:49.53 ID:B+FCutQo.net
- あたし、自分なりに腹を決めてた。
捕まっちゃった菅伯爵。彼をダシに呼び出された自分。これってある意味最悪な状況。
それでもここに来たのは、伯爵の事情を聞いちゃったから。あたしに出来ることが、何かあるかもって思ったから。
ただ――
この扉の向こうに、ほんとに伯爵が居るとしたら……どんな格好かしら?
掴まえたヴァンパイアは利用するには危険すぎる。だから始末した方が無難だって思い直した指揮官にとっくに殺されてるかも。
でなくてもヴァンパイアが紳士的な扱いを受けるわけがない。
きっと素っ裸で天井から吊るされてるに違いないわ。それとも手足を落とされてる床に転がってるとか。
相手はあの伯爵だもの。いつ拘束解いて反撃してくるか解らないもの。
ていうか、そっちの可能性も?
伯爵に皆殺しにされた人達の遺体で部屋がいっぱいだったら?
あたしってば医者でしょ? 飛び散る血とか千切れた手足とか、そりゃもう生々しく想像出来ちゃうのよ。
だからあたし、何見ても驚かない、大丈夫って覚悟を決めて、そしてやっとノックをしたの。
対応に出たのは黒スーツの男。
とりあえず、後者の線はないみたい。
じゃあ伯爵は? って中のぞいたけど、黒服の男がうじゃうじゃしてて全然見えないの。
だから伯爵は何処かって聞いたら……取り澄ました顔して「あそこだ」って指差す人が。
さっと人が左右に分かれて、そして出来た道の向こうに――居た! 菅伯爵! で思わず笑っちゃったわけ。
少なくとも彼、裸じゃなかった。怪我もしてなかった。
両足前に投げ出して、仰向けで椅子の背にもたれかかって。
手だけは後ろに回ってたけど、でも不貞腐れた顔して。虜囚に甘んじるって態度じゃ全然ない。
あのいつもエラそうな伯爵が、捕まってるクセにやっぱり偉そうにしてる。そんな様子がとても可笑しかったの。
だから思わず
「あはっ! 伯爵ったら、ずいぶんいい格好じゃない!」
な〜んて、思ったことそのまんま口に出しちゃった。
そしたら伯爵、は? って顔してあたしを見て。まわりを見たら、大半が同じ顔してこっちを見てた。
男って……だいたい考えることが一緒なのね。
あたしの顔みて、そして胸、腰、足とだんだん下の方に下がって……そしてまた顔に戻る、その視線の動きがほとんど一緒。
普段はぜったい履かないミニスカートにこんなに効果があるなんて思ってもみなかった。
……仕方ないじゃない! まともな替えがこれしか無かったのよ!
- 271 :佐井 浅香 :2018/11/26(月) 19:25:56.18 ID:B+FCutQo.net
- 「発作がおさまったら知らせて下さい」
さっき伯爵を指差した男の人が声をかけてきた。
歳は伯爵と同じくらいで、体育会系の精悍な顔つきの人。イケメンって言うより、ナイスガイって言葉が似合うわね?
「発作?」
「主治医ならご存知でしょう。我々は外しますから御随意に」
そう言えば柏木さん、伯爵の胸の中に銀の弾を置いてきたって言ってたわ。たぶんそのせいで定期的に心臓の発作が起きる事も。
あたしは曖昧に返事をして、男達がぞろぞろと出口に向かって、そして――違う眼であらためて菅伯爵を見たの。
「やあ先生」
ここに来て初めて耳にした菅伯爵の声。その声と顔色見て、彼がどんな容態でどんな気分なのか初めてわかった。
「ちょっと……大丈夫?」
駆け寄って声をかけずには居られなかった。
だってあのメールが届いたのは1時間も前なのよ? それをそんな格好でずっと我慢してたなんて。
駆け寄ったあたしから、伯爵がプイッと視線を逸らした。
たまに居るわね、こういう態度を取る男の人。
たぶん、苦しんでるトコ見られるのがイヤで……突き放した態度を取るんだと思う。
こんな風に、触診しようと差し出した手から、サッと逃げたりもする。
「じっとして! 脈と体温確認するだけだから!」
ビクッと身体を震わせた伯爵。
コツンとあたしの額を伯爵の額とくっつけたら、あらら……まるで初めて病院に連れてこられた子供みたいに硬直しちゃって。
「熱は……ないみたいだけど脈が早いわ。ちょっとだけ楽にしてくれる?」
そしたらあたしの言うとおりに身体の力を抜いたりして。
意外。伯爵ったら可愛いトコあるじゃない。
- 272 : :2018/11/29(木) 05:36:13.41 ID:gY4ZMJcE.net
- そう言えば、したらばだと閲覧出来ないっていう方はいらっしゃいますか?
もしいらっしゃるなら、移動せずこの板に2スレ目を立てますが
- 273 :佐井 浅香 :2018/11/29(木) 05:36:55.78 ID:gY4ZMJcE.net
- 「発作の原因は……あれね? 10年前に柏木さんが――」
「……柏木が君に……話したのかい?」
眼を硬く閉じたままぐったりと椅子に身体をあずける彼。もう「平気なふり」をするのはやめたみたい。
白いジャケットの胸元に留められた、紺色の議員バッジが浅く上下している。
吐息だけで絞り出された囁き声が聞き取れたのは、あたしの耳が彼の口元近くにあったから。
「いい? 触るわよ?」
彼が頷くのを確認したあたしは、慎重にネクタイを外した。Yシャツのボタンを開放するために。
眼を閉じたままじっとしてた彼だったけど、胸に手を当てたら流石にちょっと身じろぎして。
「御免なさい。ちょっとだけ、動かないでね?」
胸骨、鎖骨、第1肋骨、と順に手の位置をずらしていく。呼吸を止めていた彼が不意に呻き声を上げる。
……そう、ここが……痛むのね?
あたしも手の平に意識を集中する。眼を閉じて……鼓動の振り幅と強さと、位置関係を把握する。
レントゲンなんて要らない。あたしはずっとこれでやってきた。
「左心(大動脈に血液を送る心室)の一点に『重み』があるわ。銃弾の位置はそこね」
「……へぇ……わかるん……だ……」
うっすらと瞼を開けた伯爵だけど、その焦点は定まってない。
「発作を抑える方法を教えて? あるんでしょ?」
視点を虚空に彷徨わせ、その口が何事かを呟く。
あたしは彼の言う通りにジャケットを裏返して、内ポケットから「それ」を取り出した。
指先でやっとつまめるサイズの白いiPod。もう今は製造されていないスクエア型のミュージックメディア。
ジョギングしながらこれを付けてる人を良く見かけたものだけど。
一緒にどう? なんて訊くから、片方を自分の耳に嵌めてみた。
「選曲は?」
「……このままで。彼の曲だけだ」
爪の先でやっとスライド出来る小さなスイッチを入れると、澄んだ音が耳に流れ込んで来た。
ピアノの音だった。
小刻みに痙攣していた彼の心臓がしっかりした鼓動を刻むまで、あたし達は寄り添ったまま同じ曲を聴いた。
- 274 :佐井 浅香 :2018/11/29(木) 07:31:58.01 ID:gY4ZMJcE.net
- あたし、菅さんがこんなに親しみやすい人だったなんて思ってもみなかった。
そうよ、大体あたし、この人が笑ってるとこ、初めてみた。
発作が収まった反動で上機嫌になっただけかもだけど、でもすっごく話好きで? 話題も豊富!
さっき聴いてたシューベルトの生い立ちから始まって、柏木さんが肝腎なとこで長崎弁だす話とかもう盛りだくさん。
それを身振り手振りで話そうとするもんだから、手と足に嵌めた金属の輪っかがカチャカチャ鳴ってうるさいの。
彼もそれが気になったみたい。
「手錠のここ、外してくれる?」
って言われてよく見たら、単純な留め金が右と左を繋いでるだけなの。ただ押して、引いたらカチャって外れて。
「ありがどう。マシになった」
「いいの? さっきの人に怒られない?」
「いいさ。これは嵌めてる事に意義がある。仕込まれた純銀がヴァンパイアの力を削ぐわけ」
「力?」
「そうだなあ……こうやって立ったり歩いたりは出来るけど、素早くは動けない。因みに開発したのはこの私」
「あそっか! 伯爵ってハンター協会の元帥でもあるのよね!」
「……そんな事まで……柏木も口が軽いなあ」
「だって、柏木さんは人間の味方だもの」
「ああ! もう! そりゃあ最初から解ってたけどさっ!!」
クシャクシャっと髪をかきむしる彼の口調はあくまで軽い。
でもこの人は……こうやって「状況」を受け入れてきたんだと思う。
あたしが……決して明るくない過去を打ち明けた時も、
「あはは! 君も私に負けてないねっ!」って優しく笑ったくらいだもの。
- 275 :如月 魁人 :2018/12/04(火) 07:48:55.45 ID:wr8JxSHI.net
- 議事堂の中庭はいけ好かねぇな。
四方がきっちり囲まれってから、馬に取っちゃあまるで監獄だ。なぁ姫、そう思うだろ?
そんな俺の心の声が聞こえたんだな。
甘え声出して鼻摺り寄せてきたんで、首に手ぇ伸ばして撫でてやったんだが……ぎょっとしたぜ。やたらサラッとしたからよ。
こんなの普通じゃねぇ。馬って奴は汗っかきだからな、普通あれだけ走りゃあびっしょりだ。
それが普通に乾いてやがる。バサつきもなければ乱れもねぇ。まるで百貨店で売ってる上等の毛皮だ。
更に気づけば体臭って奴がしねぇ。あの馬独特の匂いがよ。
見れば、結弦は繋ぎ場の石に腰かけてベレッタの手入れの最中だ。俺達の方をチラっとも見ねぇ。
『ごめんな』
俺は声を出さずに呟いた。ヴァンプになっちまった奴ぁ……例え恋人でも躊躇うな。それが俺達の確約だ。
腰のパイソンを抜いて、姫の胸の真ん中にピタリと当てる。
真っ黒ぇ、生まれた時のそのまんまの目で俺を見る姫。俺の髪を甘噛みする、その癖もそのまんま。
……情けねぇ。グリップ握る手が震えてやがる。トリガーに触れる指も強張って動かねぇ。
ポンと肩を叩かれた。いつの間にか結弦がま横に立ってやがる。
ますます情けねぇ……。俺、周り見えなくなるくれぇ……気ぃ張ってたのかよ。
「その時が来たら僕がやるよ。一緒に育ったんだろ?」
「はっ! てめぇもハンター失格かよ!」
俺は姫の頭を両手で挟み込んで……額くっつけてガシガシ擦った。んな顔、結弦に見せられねぇからよ。
「申し出はありがてぇが……ケリはてめぇで付けるぜ。姫が望んでっからよ」
言いながら俺は自分の右耳に刺してあるピアスを外した。これ、特注。馬の蹄鉄のミニチュアだ。
あ? 刺すって表現がおかしいって?
おかしくなんかねぇぜ。このポストの先端、鋭く尖らせてあっからよ。ブスッと刺してカチっと嵌める。俺のファーストピアス。
これを、姫の右耳に付けてやったんだ。
「魁人?」
「純銀のお守りだぜ。衝動抑える効果くらいあんだろ」
姫が嬉しげに耳を振った。揃いのピアスが気に入ったんだろ。
ポタリと垂れた赤い血が、サラリと風に溶けて消えた。
- 276 : :2018/12/17(月) 21:18:07.32 ID:uolCqshh.net
- 年内の投下は無理だと判断しました
来年またお寄り下さい
良いお年を
- 277 :如月 魁人 :2019/01/06(日) 06:20:17.84 ID:5tCY4VEM.net
- 「赤絨毯を横切る白馬。なかなか見ない光景だ」
「あ?」
俺は姫を止めて振り返った。
廊下の向こうに高そうなグレースーツの野郎が立ってやがる。
左の襟に光ってんのは菊紋のバッジだ。花びらの数ぁ……ひぃふぅみぃの11枚、んで台座は臙脂。衆議院の議員様だ。
まだ若けぇし、見ねぇ顔だ。少なくとも大臣じゃねぇ。
「美しい馬だ。サラブレッドか?」
そう言って手ぇ後ろに組んだまま近づいてくるそいつのツラぁ……真面目くさった、まるで中学んときの生活指導。
「誰だあんた?」
「私は防衛副大臣、沢口憲一。まず馬から降りたらどうだ? 如月伍長」
「!」
流石の俺も慌てたぜ。
俺の階級知っんのは協会所属の、しかも上の連中だけだからよ。
情けねぇよな。俺らハンターは柏木局長より上の顔知らねぇ、つか知らされてねぇの。
非常勤の結弦はともかく、俺、常勤よ? 正職員よ?
捕まってヴァンパイア化する確率高ぇから? 上の情報漏らさねェようにだとか、んな名目掲げてっけどよ?
要は自分らが危険な目に逢いたくねェだけなんじゃねぇの?
ま、詮索しようと思ったこともねぇがな。どうせ政界財界のお偉方がふんぞり返って座ってるただのお飾りだ。
だから俺は局長のこと、あえて「司令」って呼んでんのよ。畏敬の念を込めてな。
……てぇ……おいおい。結弦の奴、背ぇ伸ばして、ビシッと右肘横に張る軍隊式の敬礼なんかしてやがる。坊ちゃん育ちは違うねぇ。
俺はしねぇよ。自衛隊員でもねぇ俺らにンナ習慣ねぇし義務もねぇ。目礼で十分だぜ。
したら沢口の奴、んなこた全く気にしねぇ風で、そして言ったのさ。
「如月伍長、君にここの指揮を任せる」
「……は……い?」
- 278 :如月 魁人 :2019/01/06(日) 06:24:04.68 ID:5tCY4VEM.net
- 面食らったぜ。
上の命令ハイハイって聞かなきゃなんねぇ立場だがよ、頷いていいかどうか迷っちまった。
そんな俺をチラ見した結弦が一歩前に出やがってな?
「お言葉ですが、我々ハンターにクロイツ以外を動かす権限など無い筈です」
……育ちのいい坊ちゃんも、はっきり意見してくれるねぇ。
つまりはそういう事だ。いざって時に自衛隊動かせるのは内閣総理大臣って決まってんだからな。
それを受けた防衛省のトップが指示して初めて自衛隊が出動するんだ。
現場で奴らを指揮すんのも当然自衛官。その場で一番上の階級の人間だ。
奴らだけじゃねぇ、ここにはSATも来てんだ。警視庁管轄のな。俺ごときに務まるかっての。
だが沢口副大臣は結弦の意見に動じた風はねぇ。むしろ得意気に俺らを見比べてな?
「たった今、総理が『緊急事態宣言』を布告された。その総理が私に、敷地内の人間すべてを動かす権限を下さったのだ」
「ならまんま、あんたがやりゃあいいだろ? 適任だと思うぜ?」
「確かに私は防衛省の人間だが、中身はただの代議士さ。大まかな戦略は練れても、現場を指揮する能力も経験もない」
「はあ……」
さっきとは別の意味で面食らったぜ。政治家ってのは見栄と虚勢の塊だと思ってたからよ。
案外こいつ、悪くねぇ人種かも知んねぇ。
「本来ならば柏木曹長に頼むところだが、彼はヴァンパイアだ。人間側に付いてはいるが、そうと知った以上役目は与えられない」
「で、俺ってわけか」
「君以外に出来ないと聞いてるよ。やってくれるかね?」
俺はまたまた面食らって振り向いた。
最後のセリフが沢口のもんじゃねぇ、正真正銘の現内閣総理大臣、二木俊太郎だったからだ。
- 279 :如月 魁人 :2019/01/11(金) 06:44:45.82 ID:hy9xTk63.net
- 二木俊太郎。
10年前、俺が東京出てきた時は官房長官やってたと記憶してるぜ。
なんつーか……政治家のくせに妙に人間味のあるおっさんでよ?
言葉遣いが鯱張(しゃちほこば)ってねぇっていうか……その場その場を自分の言葉でしゃべってる感がある。
たぶん官僚の作った原稿も見ねぇで、言いたいことはハッキリ言う。答弁はいつも明瞭明快。んな訳か支持率は割と高ぇ。
へぇ……
間近でみりゃあ……なかなかの眼力(めぢから)だ。
簡単に出せねぇ布告(緊急事態宣言の)出してのけるだけはあるぜ。って……待てよ?
「宣言って事は公表すんのか!? ここが物騒なことになってる……その事をよ!?」
つい総理大臣相手にタメ口で怒鳴っちまったぜ。
……仕方ねぇだろ。本部(=吸血鬼対策本部)は立っても、宣言(=緊急事態宣言)が布告された事なんか一度もねぇんだぜ?
下(した)にそんな口利かれたことねぇんだろ、総理が目ぇ白黒させて沢口に目配せしやがった。
沢口の顔色が見る間に変わってよ?
「申し訳ありません! 部下がとんだ失礼を……」
「構わんよ、少し驚いただけだ。君、続けたまえ」
総理の応対に俺の方が驚いたね。その辺のお偉方なら即「降格だ免職だ」なんて口から泡飛ばすとこだろ。
それが不適な薄笑いまで浮かべて相手の意見を促してやがる。大した器だぜ。
せっかくの機会だからぶつけてやったぜ、感じた疑問をそのままな。
「なんでだ? 今まで何のために穏便に済ませてきたんだ?」
そうだぜ。ヴァンプ関連はすべて秘密裏に処理しろって言って来たのはこいつらだ。
国民の皆様には内緒ってこった。この間のリサイタルの時も、きっちり箝口令が敷かれやがった。
それを……公表するってこたぁ……
「宣戦布告か。あんたらもようやく……おっぱじめる気になったって訳だ」
「その通りだよ、如月君。はやく彼に作戦を伝えてやりたまえ」
総理に右手で促された沢口が俺に一歩近づいた。結弦の奴ぁ逆に一歩下がって距離を取る。
俺? 俺はそのままよ。ちょい引っかかったからな。
「待てよ。その作戦、あんたのか? それとも前の『元帥』か?」
「前……元帥? ……そうか、柏木曹長が話したのか」
俺らにも知らされてねぇ「元帥」の正体だが、幸運か不運かさっき聞いちまったんだよなあ……
流石に黙っちまった沢口の肩を、総理がポンっと叩いた。
「伯爵と元帥が同一であった事実は……他言無用だ。国民に無用な危惧を持たせたくない」
「は! 『危惧』じゃねぇ、『不信』だろ?」
「これは君達の領分じゃない。口を慎みたまえ」
「……んだよ今更」
「今から作戦を伝える。立案は私と柏木曹長だ。何か意見は?」
「……ねぇよ」
ある訳がねぇ。司令の発案なら喜んで従うぜ。
……胸糞悪ぃ伯爵の野郎の考えだっつんならNOって突っぱねるつもりだったがな。
- 280 :菅 公隆 :2019/01/13(日) 12:26:13.37 ID:cms68UdM.net
- 「作戦?」
「そう、彼らの作戦だ。このわたしを駒として動かす。その為にわざわざ生かしてるのさ」
大窓の傍に立って外を眺めてた佐井先生が振り向いた。柔らかなレース越しの陽光がその髪を煌めかせる。
不自然に静まり返った部屋の外は、何かがピーンと張り詰める気配。
そんな中で突風が窓を叩いたものだから、わたしは反射的に立ちあがった。自衛隊かSATが撃ちこんで来たかと思ってね。
なのに先生ってば、せっかく本題にも入ったってのに、この顔見てクスっと笑ったりしてさ。
何が可笑しんだか。一応の当事者の癖に、緊迫感ってものがまるでない。
おしゃべりの最中も、天井の照明とか壁の肖像画とか眺めて回って、まるで探検に出てきた子供みたいなんだ。
「あたし、そういうキナ臭いお話、苦手なのよねぇ」
「いいから、こっちに来て座ってくれないかな」
しぶしぶって感じで寄ってきた先生の手を引いて、さっきまでわたしが座っていた椅子に座らせる。
わたしは椅子の肘かけ部分に腰かけて、彼女の耳に口を寄せた。
彼女が期待に満ちた眼でこっちを見る。
「……してくれるの?」
「え?」
「ヴァンパイアにしてくれるの?」
「その時が来たらしてあげてもいいけど、今はまだだ」
「……どうして?」
「いま変われば、奴らはこの場で貴方を殺すだろう」
「そんな事にはならないかも知れないわ。あたし、無敵になるかもだし?」
わたしはため息をついて首を振った。彼女は「まずやってみる」タイプらしい。
やってから方法を、逃げ道を考える。選んでから考える。確かにそんな人間もこの世には必要だ。けど今は……
「賛同出来ないね。仮に貴方がとんでもなく強くなったとして、この場をどう切り抜けるつもりだ?」
「どうって……」
「とりあえず部屋の外に人間を、殺して逃げる?」
「……そう、ね」
「簡単には行かないよ。奴らの数は多い。外は戦闘員だけじゃなく、報道も一般市民も詰めかけている」
「……」
「それも殺すかい? 殺して殺して……殺しまくる?」
先生はしばらくこの目を見返していたけど、俯いたきり考え込んでしまった。
……仕方の無い人だ。
わたしは先生の両肩を掴んで、背もたれに押し付けた。ハッとした顔で身を硬くする先生。その顎を上向かせ、彼女の眼を覗きこむ。
「じゃあさ、試してみるかい?」
吐息だけで問いかける。唇を彼女の口元から……徐々に下げながら。触れ合うか触れ合わないかの距離を保ったまま。
伸びる牙の先端が、彼女の喉元に触れた時、初めて彼女が鋭い悲鳴を上げた。
わたしはやっとの思いで彼女からこの身を引きはがした。
……ギリギリセーフ。彼女が黙って受け入れていたら、この本能を押さえられなかっただろう。
「……それでいい。貴方に死なれたらわたしが困る」
「困る? どうして?」
「貴方は田中さんに頼まれた人だからだ。大事な許嫁だからね」
- 281 :菅 公隆 :2019/01/14(月) 06:52:32.11 ID:Wk6Fcxbh.net
- 許嫁(フィアンセ)。
おかしな話だ。自分で言ったその言葉に、わたしはひどく動揺したのさ。直接結婚に結び付く言葉だからか?
彼女から意識的に眼を逸らし、距離を取ったよ。
呼吸を整えつつ、廊下に面した茶色いドアをじっと眺めた。出来るだけ平静を装いながらね。
早鐘を打つ鼓動と、赤く染まりかける視界。彼女の喉元深く食らいついてしまいたい衝動。
わたしは袖をめくった。手首がひどく熱い気がしたからさ。
一見すれば、男物のブレスレットにしか見えない。わざわざそんな風に作らせた銀の手枷。それが赤く発熱している。
ジリジリと肌を焼くその隙間から立ち昇る黒煙。
なんてことだ。ヴァンパイアの力と欲求の抑制のために作らせた枷の方が悲鳴を上げている。
強度の優先などせずに、銀の濃度を極限まで上げるべきだったか。
それとも佐井朝香の恐るべきフェロモンのせいか? 柏木がああなったのも無理ないって!?
佐井先生、あなたは一体――
「待って? 田中さんがどうして?」
「……え?」
振り向いた。ぽかんとした顔の先生と目が合う。
「頼まれたって……許嫁って……何のこと?」
「田中さんから色々聞いてない?」
「何も。ていうか、どうして田中さんがあたしの事なんか頼んだりするの?」
「彼は貴方の唯一の親族なんだろ? わたしは節介すぎると詰(なじ)ったんだが」
「田中さんが、あたしの親戚ですって!?」
彼女が何も――田中さんが祖父だって事すら知らないって知った時は……目眩がしたね。
真実かどうかはともかくさ、彼女に何も話してないってことは、このわたしから全部話を持っていけって……そういう事だろ?
田中さんあんた……どこまでタヌキなんだよ!
「田中さんって何者なの? あたしはあの人がヴァンパイアだって事しか知らない」
「実を言えば、わたしもさ。西の伯爵で、500年近く生きてるって事しかね」
枷の疼きは止んでいた。
大窓を揺らす木枯らしが、黄色い銀杏(いちょう)を窓にいくつも張り付けた。
- 282 :佐井 浅香 :2019/01/14(月) 07:50:07.52 ID:Wk6Fcxbh.net
- ビリビリ揺れるガラスの窓。ハラリと落ちる銀杏の葉っぱ。
菅伯爵はこっちを見たまま立っている。さっきまで押さえていた腕をさり気なく降ろして。
あたし、居ても立っても居られなくて彼に駆け寄った。彼ったら後ずさりなんかして。
大丈夫なのかしら。さっき何だかとっても……痛そうだったけど?
「先生の方はどうなのさ。思い当たる事はないのかい?」
「無い……わけでもないわ。あの人に助けられた時、懐かしい匂いがしたから」
そうよ、お祖母ちゃんが使ってたお香とあの人が同じ匂いだった。
子供の頃に見かけた男の人も……あの長い髪、広い背中。……いま思えば田中さんにしか思えない!
あたしの知らない所で伯爵と勝手に話進めたりしちゃったのは許せないって言うかもう呆れるしかないけど、
でもいざって時にあたしを助けてくれた。きっと何か考えがあっての事よね?
わお! 田中さんがお祖父ちゃん!! むかし習ったステップなんか踏んじゃう!
「何がそんなに嬉しいんだ? 彼に騙されたと言ってもいい状況じゃないか」
「いいじゃない! いい知らせだもの! あたし、天涯孤独の身なんかじゃなかったのよ!」
伯爵はしばらくあたしを眺めてたけど、でも腕組みして近くの椅子の肘かけに腰かけた。
冷静で偉そうでちょっぴり人を見下したような……いつもの伯爵の顔して。
「話を戻そうか。今が危機的状況だって事は知ってるね?」
「戻すって……奴らの作戦がどうとかって話に?」
「そうさ! 先生はこっちの作戦にキモなんだよ?」
「どうして? あたし只の医者よ?」
「そこだよ。医者で、かつ沢口の作戦の範疇に無かったはずの駒だ」
「……駒って……」
「田中さんの血を引いているのはオマケとして……これ以上のキーパーソンは居ないね」
- 283 : :2019/01/14(月) 09:07:32.99 ID:Wk6Fcxbh.net
- ×作戦にキモ
○作戦のキモ
- 284 :佐井 浅香 :2019/01/14(月) 09:43:40.95 ID:Wk6Fcxbh.net
- きっぱり言い放った伯爵の眼があたしの眼を真っ直ぐに射ぬいた。
その眼は黒。別に金色でもないし、赤く光ってもいない、でも底なしの闇の色。
それを見た時、さっきの感触――喉に触れたあの牙の感触が蘇って来てあたし、腰が抜けたみたいに座り込んじゃった。
物凄く熱い何かが全身を突き抜けたの。雷に撃たれたみたいな。
恐怖?
違うわ。何だか身体が疼いてるもの。
伯爵ってやっぱり……真祖なんだわ。
あたしはパンパンっとお尻についた埃を払った。伯爵がプイっと眼を逸らす。
近くの椅子に座りなおしたあたしの方を何故か見ようとしない。
「先生は柏木の腕を調べましたか?」
「そりゃね。あれだけの機器と試料が手元にあるもの」
「何か分かりましたか」
「ん……今のとこ血液の一般的な性状までね。その先はせっかく調べ中だったのに、貴方が呼び出すから――」
「悪かったね。わたしの為にわざわざご足労願って」
「大丈夫! 柏木さんに任して来たから」
「柏木に? それってどれくらいかかるの?」
「彼、有能でしょ? 明日までにはきっと終わるわよ」
「明日!? どうしてくれるんだ。この真昼間に動けるヴァンパイアはわたしと柏木だけなのに」
こんどは彼が頭を抱えて黙り込んじゃった。
え……と……あたし、よっぽどまずいことしちゃった?
- 285 :如月 魁人 :2019/01/14(月) 17:20:22.64 ID:Wk6Fcxbh.net
- 上の考えた戦略を大まかに言やぁこうだ。
『拘束した伯爵を囮にし、各地に散ったヴァンプ達を全部この場に集める、そこを一網打尽にする』
流れ的には納得だ。すんげぇ解りやすい作戦だもんな。
問題はな? 伯爵をどう使うかだ。奴らを集めるっつったって簡単にゃあ行かねぇぜ?
「ここに来なきゃ伯爵を殺す」的な手口はたぶん佐井先生にしか通じねぇ。
伯爵は奴らに取っちゃあ「救世主」だなんて司令が言ってたが、わざわざ火の中に飛び込むほどの価値があるとも思えねぇ。
頭の代わりはいくらでも居るもんだ。
ほんと、どうすんだろな。そこんとこは沢口達が考えるらしいが。
俺と結弦のやるこたぁ単純だ。こいつら使ってひたすら敵を迎い撃てばいいんだとよ。
味方の心配も救助も無用だ。警察官も自衛官も、そこんとこは覚悟してっからな。無限責任って奴だ。とうぜん俺たちハンターも。
味方に対して非情になれりゃあ簡単だ。数に任せて撃ちまくりゃあいいんだ。
幸いヴァンプは俺らみてぇに「鎧」を着ねぇ。それが矜持だっつんだから偉ぇもんだ。
ただ……なんだろな。
な〜んか……引っかかるんだよな。
俺は手にした水筒をぐいっとあおった。濃いめのブラックが乾いた喉に沁みていく。
「結弦」
「ん?」
「なんか上に伝えなきゃなんねぇ事、なかったっけか」
「なんだ急に」
「ほら、お前ガキが出来たろ? つか最近生まれたろ? そいつが、ほら――」
「人聞き悪いこと言うなよ。出来てもないし、生まれても居ない。……夢でもみたのか?」
「へ? ……んー……そう、だっけ?」
支給された乾パン頬張りながら結弦が笑う。
……だよな。変だな。俺、いったい何考えてんだ?
いっときの緩い休憩中。SATも自衛隊員も和んでやがる。
……ま、今だけだ。日が落ちたその時ぁ……もって一桁。違いねぇ。
- 286 :如月 魁人 :2019/01/17(木) 05:17:58.80 ID:eTlLCdN6.net
- 「魁人、ちょっと」
俺の真横でつっ立ってた結弦がこっそり耳打ちしやがった。ちょうど隊員らに指示し終わったタイミングでだ。
「なんだ?」
「いや、ちょっと」
結弦が兵隊の居ねぇ木立の陰に手招きするもんだから、俺は黙って付いてった。
まだ陽は高ぇ。仰いだ空は、雲もねぇのに煙ってやがる。
昼間でも星が見えるくれぇ突き抜けた、あのスッカーンとした寒空が恋しいぜ。
乾いた木の葉がからっ風に巻きあげられて、結弦の肩にヒラヒラっと乗っかった。
それを払う奴の袖口に、キラッと光る緑のカフス。明らかにブランドもん。ブランドの蝶ネクタイにブランドのスーツ。
髪もこ綺麗にセットやがって、これ以上ねぇくれぇお上品にまとまってやがる。
「お前、そのナリのまんま? さっきあいつら(SAT)の装甲(ふく)借りなかったのか?」
「人の事言える?」
「あ?」
「魁人だっていつもの格好じゃないか」
「俺は指揮官だぜ? 一兵卒に混じっちゃあ指示も出せねぇだろ」
「それだけ?」
「まあ……実を言やぁ重てぇ装備はまっぴら御免だ。奴らに遅れを取っちまう」
結弦がそらみろって顔しやがった。
ハンターはもとが一匹オオカミだ。自尊心も強ぇし、自分に一番の恰好ってのにもこだわる。
そこんとこ、俺の方も良〜く解ってるって言ってんのさ。ヤな野郎だぜ。
「……で何だ、話ってのは」
「実を言うとさ、局長に向かって引き金を引く自信が無いんだ」
ポケットに両手突っ込んで空を見上げた結弦のセリフに、俺ぁドキリとしちまった。
「あのリサイタルの夜、僕は撃てなかった。あの時撃っていれば、状況は違ってた」
「無理ねぇよ。あん時ぁ司令がヴァンプって知らなかったんだからな」
「さっき局長の頭を撃った時も、とどめを刺しておけば――」
「いいって! 司令の情報と仲介があって、初めてヴァンプを一掃する目途が立ったんだぜ!?」
何に腹たってんだか自分でも分からねぇ。俺も……結弦とおんなじだからかも知んねぇ。
「司令は言ったぜ。今度こそ遠慮は要らねぇ。そん時が来たらひと思いにやってくれって。司令自身が望んでんだ、ヴァンプ撲滅をよ」
結弦は足元みたまんま動かねぇ。
ブルルっと鼻ぁ鳴らして寄ってきた姫に、俺は飛び乗った。耳のピアスが陽の光をチカチカっと照り返す。
……ったくよ、ヘタレなのは俺の方だぜ。なあ姫?
「……俺も偉そうに言えたガラじゃねぇが、ただこれだけは言えるぜ。『撃てねぇハンターはお呼びじゃねぇ』」
結弦は伏せていた顔を上げて俺の顔しばらく見上げてたが――
腹ぁ決まったんだろ。抜いたベレッタのスライドをガチンと引いたのさ。
- 287 :菅 公隆 :2019/01/17(木) 06:25:36.26 ID:eTlLCdN6.net
- 正午を回った。陽が沈むまで、あと4時間。
そろそろ沢口が様子を見に来るだろう。あいつがこの後……どう出るか。
「あの沢口って副大臣。あたし達をどうする気かしら」
外の様子を目で追っていた先生も同じことを呟いた。流石に怖くなったんだろう。
「貴女がヒトである限り下手な手出しはしないよ。ここに来るとこ、マスコミに見られたんだろ?」
「菅さんの事は……?」
「……わたし?」
「そう、あなた」
先生のその眼は、患者を心配する眼なんだろうか。
「ヴァンパイアの長を生かしておく理由などない。でもすぐには殺さないな」
「どういうこと?」
「一閣僚を秘密裏に始末なんか出来ないってのがひとつ。もうひとつは囮」
「おとり? みんなが菅さんを助けに駆けつけるってこと?」
「それを狙ってるから戦闘員を配置したんだろ」
「どうやって? テレビに貴方を出すとか?」
「法廷の場にわたしを引きだすかもしれない」
「ちゃんとした審理をやってもらえるってこと?」
「正式な手順を踏まない只の茶番さ。各地のヴァンパイアを呼びだす為のね」
「みんな来るかしら」
「来ないよ。ヴァンパイアは基本、助け合いなどしないんだ。しかもヤラれると解ってむざむざと出向くものか」
笑って言ったわたしの顔を、彼女は笑わずに見ている。
「ひどいわね」
「我々はそういう生き物なのさ。センチにはならない」
「違うわ、沢口のこと言ってるの」
「沢口が?」
「あなたは元同僚なんでしょ? それを不意打ちでこんな真似して、まして計画に利用するなんて」
「それが奴の仕事だ。人権の無い我等にどういう言う権利もない」
「人権ならあって然るべきだわ。ヴァンパイアは歴とした人間なんだもの」
- 288 :佐井 浅香 :2019/01/17(木) 19:55:39.48 ID:eTlLCdN6.net
- 「人権だって? ヴァンパイアが……人間?」
菅さんがピクリと眉を震わせた。
同じこと言ったら麻生くん、哲学的な考察ですか〜なんて聞いたっけ。
「それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味よ。貴方も柏木さんも、生物学的には人間なのよ。堂々と権利を主張できるってこと」
「あくまであなたの憶測だろ? 法的には意味をなさない仮定に過ぎない」
あらあら……バッサリ。
でもあたしが文句を言おうとしたら、菅さんがそれを手で遮って。
顎に拳を添えて、首を傾げて、髪をかき上げるあたしの動作をじっと眼で追ったりして、真剣に何か考えこんじゃったの。
でね?
「先生。それって生物学的に証明出来る?」
なんて真剣な顔で聞くの。急ぎ足であたしの前にやってきて、この両肩をぐいっと強く掴んでね?
さっきのあの感覚がまたまたぶり返して、どこもかしこもカーっと熱くなっちゃって、顔もすごく火照っちゃって。
そんなあたしを見た菅さんも見るからに動揺して。
でも強い視線を真正面から送ってきた。
菅さんの眼はやっぱり暗い闇の色……ううん、今は違う。キラキラ光って凄く綺麗。まるで黒い水晶みたい。
「どうなのさ」
「え、……え?」
「ワクチン打ったら如月と麻生が治ったみたいな事言ってたけど、それは証拠になるのかい?」
「決め手には欠けるわ。ちゃんとウイルスの存在を証明しないと」
「それは今、柏木がやってるんだよね? 明日の朝に間に合う?」
「そうね。電顕操作がうまくいけばだけど」
「ありがとう先生。何とかなりそうだ」
顔を紅潮させて何度もうなずく菅さんが、何だかとっても素敵で……
だから手を離そうとした菅さんの腕をあたしはさっと掴んだの。
- 289 :佐井 浅香 :2019/01/17(木) 20:00:37.49 ID:eTlLCdN6.net
- こんな風に男の人に抱き付くの、初めてかも。
ホントよ?
正直に言うとね? 過去の諸々はぜんぶ打算。医者として勇気づける為とか……ヴァンプに変えて欲しいからとか。
でもこれは違う。さっきから何度もドキドキして落ち着かなくて、そしていま触れ合ってみて、「この人だ!」って思った。
歯止めなんか効かない。吸血鬼になって、奴らに殺される事になっても後悔しない。
いまこの時を逃したら、もう二度と会えない。そんな気がして。
だからストレートに聞いちゃった。あたしの事好き? って。
「え?」
「許嫁とか抜きにして、好き? 嫌い?」
「……困ったな。少なくとも嫌いじゃないけど」
困ったなんて嘘。眼が黄金(こがね)に染まってるもの。鼓動がはっきり伝わってくるもの。
……必死に唇を噛みしめて、何かを――たぶん牙を隠そうとするその仕草、裕也もしてた。
彼は言ってたわ。血の欲求は性の欲求に勝るって。そんな人が、相手の血を吸わずにいられる理由(わけ)。
それはその相手をとても――大切に思ってるからだって。
いきなりきつく抱きしめられた。
もう駄目。止められない。
無我夢中で求めあう二人きりの時間。針が時を刻む音。これ以上の時があたし達にあるかしら?
息をはずませ、でも彼は冷静さを無くさない。それともまた……装ってるだけ?
部屋の外には決して漏れない二人の会話。
そうよね、内緒話にはもってこいの体勢だもの。
「沢口が何をしても、何を言ってきても……抵抗しないでくれないか」
「……どうして?」
「わたしは一族を守りたい。そのためには血を流さずに交渉する必要があるんだ」
「……その大事な仲間の中に……あたしも入ってる?」
「そりゃあ朝香は……田中さんに頼まれた人だから……ね」
頼まれた人だなんて。
でもあたしの事を「朝香」って呼んでくれた。照れた顔なんかしてる。
ほんと言うとあたし、ちょっぴり期待してた。その気になってくれないかなって。でも彼は最後まで「血の欲求」を抑えてのけた。
手首に嵌められた銀の手錠が痛むみたい。そっと触れたら、フッと息をついて。
「そのままずっと握ってて」、だって。
- 290 :佐井 浅香 :2019/01/18(金) 06:04:28.30 ID:2mqhKpjl.net
- 熱を持った赤い手錠が、ヒンヤリとした冷たさを取り戻した、そんな時だったかしら。
ドアが叩かれ、勢いよく開かれたの。
んもう……デリカシーも何もあったものじゃないわ! 返事も待たずに開けるなんて!
「容体は戻ったようですね。まさかここで……お楽しみとは」
――えっ!? どうして解ったの!? って、あはっ! あたし、シャツのボタン全開だった!
慌ててボタン留めて、髪を撫でつける。
でも菅さんったら、あたしと違ってぜんっぜん悪びれないの。
スッと立ちあがって、ベルトのバックルをカチャッと嵌めながら沢口を見返して、「なにか問題でも?」なんて言い返したりして。
沢口は菅さんの顔睨みつけたまま、後ろの黒服達に顎をしゃくった。
「調べて下さい。首に痕(あと)がないかどうか」
怖い顔したそいつらが駆け寄って来て乱暴に腕を掴んだわ。
髪掴まれて仰向けにされて、そして上から順番にブラウスのボタンを外されたの。
奴らの視線が首や胸元に集まって鳥肌が立ったけど……でもあたしはされるがままにさせた。菅さんの言いつけどおりに。
男達が沢口に向きなおって、首を横に振る。
まさかって顔した沢口があたしと菅さんを見比べて、そして何故だか勝ち誇ったような笑みを浮かべて。
「一緒に来て貰いますよ。貴方の……最後の晴れの舞台だ」
背筋を伸ばしてネクタイを正した菅さんの肩と腕をガッチリと掴まえる男達。
後ろ手に手錠の金具を止められた彼の眼がチラリとあたしを見る。
あたしは……軽く頷いて見せた。
- 291 :如月 魁人 :2019/01/20(日) 05:41:57.26 ID:yRl8bErO.net
- 午後1時。
姫の背中に乗っかって広場のど真ん中に陣取った俺は、右耳に装着している無線の通話キーを押した。
敷地外があんまギャアギャアうるせぇからよ。
『ボス、こちら如月だ。外で騒いでる奴らどうすりゃいい?』
『こちら沢口。報道関係者か?』
『そうだ。カメラと記者がウヨウヨ居やがる』
『入れてやれ。今から菅を連れて外に出る』
『正気か!? ここ、戦場だぜぇ!?』
『昼間に出歩く個体は限られている。いいか? 参議院側昇降口だ。我々を優先して報道するよう伝えてくれ』
あんまり楽観的で寒気を覚えたぜ。
確かに昼も夜も動けるヴァンプは希少だ。伯爵、司令、桜子、3体の他に確認はされてねぇ。
桜子は死んだ。司令は例の作業に没頭中。
だが余裕かましても居られねェ。日本は広ぇし、サーヴァントってもんも居んだぞ?
伯爵もだ。沢口は対ヴァンプ用の拘束具って奴を信用しすぎてね? クソったれ伯爵自身が開発したワッパ(手錠)をよおぉ。
『どうした伍長。返答しろ』
『……了解だ。だが後悔すんなよ』
今度は左耳のキーを押す。各小隊長とリンクする無線の方だ。
『如月だ。門番、聞いてるか?』
『こちら、門前の第2小隊、指示をどうぞ』
『報道入れろ。伯爵の野郎を全国の皆さまにお見せするんだとよ』
『……了解しました。彼らの入場を許可します。護衛付けますか?』
『んなコトしたらキリがねぇ、自己責任って言っとけ。サーヴァントは入れんなよ? 以上だ』
『了解。門を解錠します』
門が開く音がしたと思ったら命知らずどもがドっと押し入ってきやがった。
TVじゃ馴染みのアナウンサーに、でけぇカメラ担ぐカメラマン、長ぇマイク持った音声。
NNK……朝テレ……帝都にスポーツ……っておいおい……! スマホかざしたパンピー(一般人)まで入ってきてんぞ!?
正門近くで待機する結弦がこっちうかがってやがる。
隊員らの視線が一斉に俺を向く。第2小隊長は応答しねぇ。対応に追われてんだか、騒ぎに巻き込まれたんだか、
……沢口の事言えねぇぜ。NNKに限定すりゃ良かったのよ。
「本業以外は出てけ! 物見遊山じゃねーぞ!!?」
って怒鳴りつけたが何の効果もありゃしねぇ。
俺や兵士にマイク向ける奴、議事堂背景に自撮りする奴。状況解ってんのか?
歓声が上がった。見りゃあ昇降口んとこに、沢口と黒服の男どもと……あの伯爵が立ってやがる。
- 292 :菅 公隆 :2019/01/20(日) 08:18:00.59 ID:yRl8bErO.net
- フラッシュの眩しい光が網膜を貫いた。たまらず顔をそむけ、眼を閉じる。
すぐ横で張り上げられた沢口の声。
「吸対法に基づく『緊急事態宣言』によりこの場を預かりました、防衛省副大臣 沢口憲一です。
事前に申し上げた通り、ヴァンパイアの首魁――伯爵と呼ばれる個体の捕獲に成功致しました」
沢口の口上に場が静まる。彼に促されたのか、両脇の男達が後ろ手のままのわたしの身体を前方へと押しやる。
ざわめき立つ群衆。
「副大臣! こちらは厚生労働相の菅公隆氏ではないですか!?」
「この方がヴァンパイアの伯爵だったという事でしょうか!?」
再び焚かれる無数のフラッシュ。
……やめてくれ。霞の向こうから光を届ける……あの太陽の方がまだマシだ。
「御察しのとおり、菅公隆厚労大臣がヴァンパイアであり、その統領でした。我々も驚きを隠せずに居る次第です」
「本当に菅大臣がヴァンパイアなのですか!? 根拠はあるのですか!?」
「彼自身が認めています」
「ヴァンパイアは昼外に出られない筈では?」
「弱点を克服した幹部に関してはその限りではありません。現在、2体の個体が陽の光に耐性を持つと報告を受けています」
再び静まり返る記者達。慌てて下がる者も居る。当然だろう。ヴァンパイアの怪力と性質は広く知られている。
「大丈夫なのですか!? 彼をこの場に置くのは危険ではありませんか!?」
「御安心を。この拘束具はヴァンパイアの弱点である銀を使用したもの。人並み以上の力は出せません」
沢口がわたしの背を記者達に向けて見せながら説明する。
感嘆の籠もるどよめきと共に、彼らの眼がこの手首のあたりに集中する。
カチャリと鳴る冷たい金具。……決していい気分じゃない。
「報道関係の方々、陽が沈めば奴らも動く。ここが戦場となる可能性がある。しかしあの陽が高いうちは――安全です」
「今後の彼の扱いはどうするのですか!? ヴァンパイアとは言え、閣僚の一員であった菅大臣を簡単に処断出来るのですか!?」
「それについては菅大臣もとい菅伯爵殿がご自身の進退についてご説明致します。皆様のご質問に答える準備もあるとの事です」
わたしはさらに一歩、前に出た。いきなり強く背中を押されたんだ。
よろめいて膝を突くこの両肩を抑えつける男達。
言葉とは裏腹な手荒な扱い、このわたしに対して……こんな屈辱的な格好を強いるとは。
……見ていろ。思う通りになどさせるものか。
- 293 : :2019/01/20(日) 08:53:38.88 ID:yRl8bErO.net
- 容量が尽きましたので、創作発表板での活動を終了いたします。
以下、下記のスレッドが投下場になります。
終わりまであともう少しではありますが、引き続き御愛読のほど、宜しくお願い致します。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/9925/1488064303/
- 294 :予告 :2019/01/20(日) 09:10:35.56 ID:yRl8bErO.net
- 伯爵はこのピンチをどう切り抜けるのか!?
いまだ明かされぬ田中社主の正体とは!?
次回、「柏木局長がもたらした福音」をお楽しみに!!
- 295 :埋め立てサギ発動中 :2019/01/20(日) 09:15:49.06 ID:yRl8bErO.net
- 浅香「なんであたしが予告に出ないのよ! ちょっと! 聞いてる!?」
- 296 :埋め立てサギ発動中? :2019/01/20(日) 09:17:26.09 ID:yRl8bErO.net
- 結弦「……先生はまだいいです。僕なんかすっかりNPC化しちゃって」
- 297 :埋め立てサギ発動中… :2019/01/20(日) 09:19:54.48 ID:yRl8bErO.net
- 浅香「知らないわよ! 娘ちゃんの事忘れちゃった最悪パパの事なんか!」
- 298 :もう書き込めないはず :2019/01/20(日) 09:24:31.12 ID:yRl8bErO.net
- 結弦「え!? 娘って……だれ? ……あ……あたまが……急に……」
浅香「いっけなーい!! このままだとネタばれしちゃうわ! なに!? こんなに頑張ってるのに、どうして落ちないのよ!」
- 299 :もう書き込めないはず :2019/01/20(日) 10:01:00.95 ID:yRl8bErO.net
- 菅「それ以上の発言は慎んでもらえますか? 浅香さん?」
魁人「伯爵! てめっ!」
菅「君も居たのか」
魁人「てめぇこそ、とっ捕まったくせにシャシャり出やがって!」
菅「……この汚い手を放すんだ道産子が」
魁人「んだとぉ……北海道バカにしたな? いいトコだぜ? 俺の眼がいいのはあの広大な大地のお陰だぜ? ついでにイモも旨い」
- 300 :流石にもう書き込めないはず :2019/01/20(日) 10:13:05.22 ID:yRl8bErO.net
- 菅「残念だが、人間の血液以外に食指が動かないんでね」
魁人「……ほんとかあ? じゃああのネズミとコウモリどもはどうなんだ?」
菅「……は?」
魁人「チューチュー吸ったんだろお? 毛むくじゃらのネズミのをよ? ネズミだけに、ちゅーちゅーってな!」
菅「……貴様。わたしの可愛い……アルジャーノンを愚弄する気か?」
魁人「喧嘩売ったんはそっちだろ! オモテ出やがれ!」
菅「……望むところだ」
- 301 :佐井 朝香 :2020/10/14(水) 17:04:14.18 ID:imwzn6Dj.net
- パリッと糊のきいた黒いタキシード。
麻生君、相変わらずそういうカッコ、似合うわねぇ……
あたしは彼をぼんやり眺めてた。
マイク片手に、「お忙しい中ようこそ」とか、「癒しとなれば幸い」とか言うのを。そして「5曲続けてお聴きください」って。
舞台袖からトコトコ歩いてきた秋桜ちゃんが、彼からマイクを受け取って。
「続けて」って事は、一曲弾くたびに拍手しなくてもいいって事よね?
うっかり寝ちゃっても怒られないって事よね?
え? どうしてそんな事って……ほら、クラシック、しかもピアノの曲とか……ついウトウトしちゃうじゃない?
しちゃうわよ〜
知らない曲は特に。別に退屈とかそんなんじゃなくて、子守唄にしか聴こえないから?
小さい時からそう。
起きてる自信なんかこれっぽっちも。
ほらね、初っ端からこれだもの。透き通るような硬質の……キラキラした音。それがもう……こんなに……遠い。
気付いたらあたし、湖の畔に立ってた。
……また来ちゃった。
あの時。桜子さんのピアノの音を、舞台袖で聴いた、あの時。
灰色の空に、一面の湖面。深い……どこまでも深くて青い湖。
ぐるりとあたしを囲む水平線。もしかしてこれ、湖じゃなくて……海?
どこか遠くで鳴るピアノの音。
音に合わせて、ひとつ、ふたつと重なる波紋。
波間から垣間見える水の底で……誰かが呼ぶの。
ここがあたしの帰るべき場所だって。
足を踏み出す。
あの時は、柏木さんに肩をギュッとされて我に返ったっけ。
触れた水は冷たくなんかなくって。あたたかで。
どんどん身体が沈んでいくのに、まるで抵抗がない。
すっごく馴染む。まるで、自分自身の体液にでも漬かってるみたいに。
でもね、あわや首までって時に、ぐっ! っと左手を掴まれたの。
気付いたらあたし、びっしょり汗をかいて座ってた。
眩しい舞台のライト。
ここはコンサートホール。
光の粒を照り返すグランドピアノ。
座ったまま、手を膝に置く麻生君。
隣を見れば……あたしの手を握りしめたまま……じっと前を向いてる田中さん。
どういう状況かしら。
あたしが居眠りしてる間に、終わっちゃったのかしら。
にしてはおかしいわ。
誰も拍手しようとしないもの。
感動しすぎて……って理由にしても、タメが長すぎない?
そう思って見回せば、座る人達がみんな、舞台を見たままボーっとしてる。
田中さんの向こうに座る、宗とハムくん、そのまた向こうに座る魁人も同じ。
まるで人形みたいに、眼を見開いて。
あの時と同じだわ。
あの時も、桜子さんの音を聴いた人達がこんな――
『音ってもんは……恐ろしいもんや……』
ボソリと呟いた田中さんが、そっとあたしの手からその手を離した。
- 302 :創る名無しに見る名無し:2022/05/18(水) 15:07:20.96 ID:U2/nV/Bm.net
- https://i.imgur.com/myIbCUV.jpg
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- 303 :創る名無しに見る名無し:2023/09/28(木) 10:33:17.27 ID:tvYoKB8aN
- 世界最悪の殺人テロ組織公明党国土破壞省齋藤鉄夫によるマッチポンプ工事すぐ福岡小学生3人溺死
力による一方的な現状変更によって滑走路にクソ航空機にと倍増させて都心まで数珠つなき゛で鉄道の30倍以上もの莫大な温室効果ガス
まき散らして気候変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸気を日本列島に供給させて土砂崩れ,洪水.暴風、熱中症に
白々しく護岸工事だのと人の命を利権に換える斉藤鉄夫によって曰本中コンクリー├まみれ
人が生きる上で全く不必要かつ地球を徹底的に破壞して食料危機まで引き起こしてるカンコ‐とか人の命を換金する明白なテロだろ
創価学会員はこんな私利私欲の権化公明党という外道を支持してることを恥じろよ,ビックモー夕ーが言語道断た゛の人殺しが笑わせる
保険料が上か゛るだのいうが風水害連発させてあらゆる保險料爆上げさせてもはや‐般家庭は風災水災を保険から外すしかなくなってるのが現実
国民の生命と財産を奪って私腹を肥やしてるのが蓄財3億円超のテロリスト斉藤鉄夫
[羽田)tТps://www.Call4.jp/info.php?type=items&id=I0000062 , ttрs://haneda-рroject.jimdofree.com/
(成田]Τtps://n-souonhigaisosуoudan.amebaownd.com/
(テ口組織)ТtРs://i.imgur.Com/hnli1ga.jpeg
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