☆☆続・平尾誠二の罪と罰 ☆☆
- 318 :名無し for all, all for 名無し:2024/02/26(月) 10:04:05.24 ID:JgwvDjQC.net
- そんな増保が本当に南アの傷から立ち直るきっかけを得たのは「親友の元木がジャパンの主将になったから」だというのが面白い(笑)
元木のために一緒にジャパンを強くしたいーーそれが増保の自己変革の起点となった。
増保は高校時代、弱小チームにいてFLとCTBを兼任していた。
(今年の花園で名護高校の宮里選手がいろんな役割をしてたのと被る)
だからコンタクトプレーももともと嫌がらないし、BKでありながらFW的なプレーも上手かった。
例えば95年度社会人大会で、神鋼の連覇を止めたサントリー戦。
今泉が最後のカウンターアタックでセオリーに反して大きく蹴った(この時のラックで神鋼が反則して同点PGにつながった)のは、「汚いプレーが上手い増保に、尾関がユニフォームを引っ張られでもしたら嫌だったから」と言っている。
ただ、それ以前の増保はラグビー頭脳や技術に対してフィットネスがついていかなかった。
元木の力になりたい一念で努力を始めた増保は、98年予選でジャパンのピンチを防ぎまくった。
ただ、なぜかこの頃から平尾の評価が変わったのか99年大会は不完全燃焼に終わった。
ミルンが辞退するのなら、松田の控えのFBは増保以外ありえないと思ったのだったが・・・
中尾などは自著で「吉田(義人)や増保が冷遇されたのは、ラグビー理解で自分(平尾)を追い越しちゃったから保身で干された」という意味のことを書いている。
これはさすがに邪推じゃないか?と思うが、皆さんはどう思われるだろう?
増保は03年大会でアタックを重視する向井監督の構想から漏れ、メンバー入り出来なかった。
しかし、萩本監督のもと主将を務めた神鋼を、99ー00シーズンに劇的な復活優勝させて大いに面目をほどこした。
この時の萩本監督、増保主将のコメントが痛快である。
「戦法の大枠を決めたのが良かった」
GMだった平尾はことあるごとに「アドリブラグビー、戦法は決めない」と連呼していたので、「いや、戦法決めたら優勝できましたよw」というカウンターパンチにしか見えなかったw
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