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はてな民の間で宮城谷昌光『三国志読本』批判がブームらしい はてな×三国志厨ってどんな二重苦だよ

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/06/26(木) 22:36:56.90 ID:I/nC9XP00.net ?PLT(13345) ポイント特典

宮城谷昌光『三国志読本』への批判 「新しい三国志」について

先週、宮城谷昌光の『三国志読本』をめぐって、ツイッターでもろもろの意見が飛び交いました。ひろおさんから始まり、僕が食いついたことで広まった話の様子は、ひろおさんの方でまとめられております。
http://3guozhi.jp/l/tn.html
その中で、議論が飛び火したきっかけが以下のツイートでした。

にゃも @AkaNisin
「これはなかなか怖いことなのです。読者はみな『三国演義』こそが『三国志』だと思っていますから。逆に私の書くほうが嘘だと思われるかもしれない。
連載が始まったころは、三国志ファンをすべて敵にまわすのではないか、という恐怖感さえ抱いたほどです」(宮城谷昌光『三国志読本』)

これに対して、三国志ファンが正史と演義の区別を知らないかのような認識は古いとの批判が起こり、また一方では演義の再評価をする声も挙がりました。いずれもその通りだと思います。ただ、僕が怒りを感じたことはちょっと違います。
宮城谷昌光はこの箇所以外でも、自作が正史に準拠していることを強調し、そのことを以て「脱演義」、「新しい三国志」と考えているようでした。例の文章もその流れから発せられたものです。
しかし言わずもがな、演義のみに依らない作品は宮城谷以前から非常に"たくさん"あります。本当に面白い、かつ新しい「三国志文化」を切り開いてきた作品がいくつもあります。
三国志ほど多種多様な作品が生まれた中国モノはなく、それこそが現代の三国志ブームを支える大きな要因となっているはずです。
「孤立無援」とはまるでほど遠い。それらを一顧だにせず、知ったかのように自分の新しさばかりを吹聴する見当違いな姿勢が、僕は何より気に食わなかったのです。
そもそも、演義から離れ正史に忠実であることは、そんなに「新しい」ことでしょうか。演義は『通鑑』系統の史料を藍本として成立したものですので、いま宮城谷のように「ほぼ通鑑」であることは、その針を戻すかのようなもので、とくに深い興味はそそられません。

(典型的はてな長文のため略)
http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20140617/1403014304

8 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/06/26(木) 23:08:21.83 ID:Ui9u6njR0.net
――アホか
と、ケンモメンは思った。このとき、はてな民が常軌を逸しているのは、周知の事実であった。
三国志は、気軽に楽しむものである。よくもこれだけの熱弁を振るえるものだ、とケンモメンは冷笑した。
「こんな価値のないソースでスレを立てるのか。ここの>>1は、使えぬな」
「しかし、私にはスレを立てるために金銭を払うことなどできません。それだけでも、褒めるべきです」
ケンモメンの胸に、いやな風が吹いた。

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