2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【ハロワ】転職や仕事探しに役立つ定番Androidアプリ3選 [328546262]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/16(土) 22:25:47.57 ID:Nyt4ApZm0.net ?2BP(1000)

転職や仕事探しに役立つ定番Androidアプリ3選

 仕事をしていて、ふと“この業種に向いていない”と感じることがある……そうなってしまうと、
仕事を苦痛に感じてしまうものだ。それは自分にとっても会社にとっても不幸でしかない。そ
こでちらつくのが“転職”という言葉。終身雇用が当たり前でなくなった現在、転職というのは
もはや珍しいことでもない。

 そこで今回は、転職に関する定番Androidアプリを集めてみた。ステップアップのためにす
る転職、新たな業種への転職、さまざまなケースが考えられるが、まずは手元から情報を
検索してみよう。

◇「ハローワーク 仕事・パート・アルバイト検索」(価格:無料)

◇転職ならリクナビNEXT -仕事/求人がみつかる転職アプリ-(価格:無料)

◇就活マネージャー by リクナビ2015(価格:無料)

http://japan.cnet.com/app/android/35052280/

2 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/16(土) 22:26:19.50 ID:cC1QyEtJ0.net
軽いな

3 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/16(土) 22:27:14.75 ID:ivZjYPwM0.net
人手不足なのに就職難とか意味不明なことになってんだからワークシェアについて
そろそろ真面目に考えたほうがいいな

4 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/16(土) 22:33:04.77 ID:HTOV6Rkg0.net
ES(ry

5 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:21:05.29 ID:h4BS97SP0.net
霞ヶ関の権威と権力 2009年05月17日15:26

民主党の鳩山新代表の公約をみて驚いた。最初にかかげられている最重点項目は「霞が関から市民への大政奉還」である。
もののたとえだとしても、21世紀の政策にこういう儒教思想が出てくるのは、彼の官僚機構についての認識の甘さをうかがわせる。

大政奉還という言葉は、倒幕派の「王政復古」の思想に対応する。
儒教では「王道」に対して、武力で政権をとる「覇道」を邪道と考え、特に日本では万世一系の天皇が征夷大将軍を任命したと考える。
いわば天皇がプリンシパルで幕府はエージェントだから、後者が前者の意に沿わない場合は解任するのは当然、という発想だ。
ここで「奉還」されるのは天皇から委任された権力であって、鳩山氏が想定している国民主権ではない。

これは単なるワーディングの問題ではない。このようにして奉還された天皇の大権が、明治以降の官僚機構のよりどころだったからだ。
鳩山氏がこのような日本の官僚機構の儒教的な性格に無自覚であるかぎり、霞ヶ関を本質的に変えることはできない。
坂本多加雄も指摘したように、日本の官僚は西洋的なテクノクラートではなく、科挙以来の伝統を受け継ぐ儒教的な知識人であり、そこに彼らの権威の源泉があるからだ。

科挙についての解説書を読むと印象的なのは、テクノクラートとしての技術を問う科目がまったくないことだ。
科挙の問題は時代によって変化したが、四書五経を暗記して解釈することと、詩を書くことという基本は変わらなかった。
これは官僚としての実務能力を問う役には立たないが、彼がすぐれた記憶力・表現力をもつ文人で、国家の命令に忠実に従うことはわかる。

つまり科挙は、特定の専門的な成果(performance)を問う試験ではなく、任意の問題を処理する能力(competence)を問うシグナリングなのだ。
この場合、問題の内容には意味がなく、それを解くコストが小さいことをシグナルできればよい。
この伝統は日本の大学入試や就職試験にも受け継がれ、企業は学生がどんな専門知識をもっているかは意に介さない。
偏差値の高い学生は、つまらない仕事でもこなせる順応性が高いことをシグナルしているのである。

6 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:21:58.37 ID:h4BS97SP0.net
いいかえれば儒教的な官僚は、ウェーバー的な専門人ではなく、「君子は器ならず」といわれたように、
特定の器にはまらないで法律から文学まで幅広い教養をそなえたジェネラリストであり、最高の知識人なのだ。
彼らの力の源泉は、許認可権などの法的な権力だけではなく、それが知的な権威と統合されていることにある。
したがって優秀な学生は官僚になり、それによって官僚の権威が高まる・・・という循環によって、彼らの実質的な権威は政治家よりはるかに大きい。

このように霞ヶ関は、三権分立といった西洋的な国家機構とはまったく異なる独特な構造をもっている。
それは法律の建て前では、立法府に従属する行政府でしかないが、実態は政策立案や立法の機能を兼ね備えた非公式の最高権力である。
公務員制度改革で問題になった職階法にみられるように、法律が成立してもそれを50年以上にわたって無視し、明治以来の「高等官/判任官」のシステムを守ってきた。

しかし、かつては権威と権力が一致して安定していた霞ヶ関の力は、日本経済が成熟して彼らの「開発主義」的な指導を必要としなくなると衰えてきた。
かつては天下りを求めた民間企業も拒否するようになり、「君子」としての生活が保障されなくなると、優秀な学生が公務員をきらう・・・という悪循環が始まり、権威と権力のmisalignmentが起こり始めている。
霞ヶ関で最近よく聞くのは、「このごろの新人は文章が書けない」という嘆きだ。
これは過渡的には危険だが、最終的には権力は権威(の低下)に従うだろう。

ただ100年以上にわたって蓄積されてきた霞ヶ関の「暗黙知」の集積は莫大なもので、政治家がそれに対抗することは容易ではない。
GHQでさえ手をつけられなかった組織を、「大政奉還」なんてとぼけたことをいっている民主党が壊せるとは思えない。
「官治国家」を倒す闘いは、大政奉還のような甘いものではなく、儒教的な意味での「革命」に近いからだ。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51301304.html

7 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:25:12.08 ID:h4BS97SP0.net
坂本多加雄「市場・道徳・秩序」 2007年07月27日16:25

日本の官僚がアメリカに留学して「カルチャー・ショック」を受けた体験としてよく出てくるのは、
パーティなどで"I'm a bureaucrat"と自己紹介すると、相手が「つまらない奴だな」という顔をしてよそに行ってしまう、といった話だ。
これは英米の官僚と日本の官僚の位置づけの違いで、向こうでは官僚というのはclerk、日本でいう「ノンキャリア」のイメージなのだ。

日本のキャリアのような「知識人」が官僚になる国は珍しい。
独仏がそれに近いといわれ、日本のシステムは明治時代にプロイセンの官制をまねたというのが通説だが、私の印象では、日本の官僚には儒教の影響が強いように思う。
ちょっと前まで、霞ヶ関に立っていた案内板には「霞ヶ関官衙」と書かれていた。官衙というのは、律令制の官僚組織を示す言葉である。

『靖国史観』にも書かれているように、明治維新は儒教による革命であり、その指導者も儒教に圧倒的な影響を受けていた。
丸山真男以来、明治維新が儒教を「克服」することによって近代化をなしとげたとする見方が政治思想史の主流だが、
本書(文庫として再刊)のような最近の研究は、むしろ儒教的伝統との連続性を指摘している。

明治政府の思想的支柱が儒教であったことを何よりも明確に示すのは、いうまでもなく教育勅語であり、これを起草した元田永孚は、明治天皇のもっとも信頼する儒学者だった。
他方、それに敵対する立場と考えられている中江兆民も、著者によればルソーの「主権者」を「君」と訳し、人民全体が「有徳君主」になる儒教的理想として民権論を考えていた。
それどころか幸徳秋水でさえ、思想の根底にあったのは「武士道」(儒教の日本的変形)だったという。

8 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:26:59.79 ID:h4BS97SP0.net
日本の官僚機構でキャリアに求められるのは、テクノクラート的な専門知識ではなく、あらゆる部署を回って国政全体を掌握する「君」としての素養である。
これも科挙以来の中国の官僚機構と同じだ。
科挙の試験科目には、法律も経済もなく、求められたのは四書五経などの「文人」としての教養だった。
官僚の権威を支えたのは専門知識ではなく、知識人としての「徳」だったのである。

それを象徴するのが、中国の官僚の心得とされた「君子は器ならず」という『論語』の言葉だ。君子は、決まった形の器であってはならない。
必要なのは、個別の技術的な知識ではなく、どんな事態に対しても大局的な立場から臨機応変に判断できる能力である。
だから科挙官僚は、現代の概念でいえば政治家であり、個別の行政知識については幕僚とよばれる専門家(日本でいうノンキャリ)を従えていた。

9 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:27:49.21 ID:h4BS97SP0.net
つまり「霞ヶ関官衙」と永田町には、2種類の政治家がいるのだ。
そして法律の建て前では前者が後者に従うが、実際には情報の量でも質でも前者が圧倒的に優位であり、後者をコントロールしている。
このダブル・スタンダードが、日本の政治を混乱させている最大の原因だ。
その一つの原因は政権交代がないからだが、逆にいえば、政権はつねに「官衙」にあるから、政権交代があってもなくても大した違いはないともいえる。
事実、細川政権に交代したときは、霞ヶ関主導はかえって強まった。

官僚の権威を支えているのは法律ではなく、こうした最高の知識人としての知的権威である。
たとえば経産省がIT業界に対してもっている許認可権はほとんどないが、彼らが「情報大航海プロジェクト」を提唱すれば、業界がみんな集まってくる。
それは、霞ヶ関が日本で最高のシンクタンクだと、まだ思われているからだ。
しかし当ブログでも指摘してきたように、少なくともITに関しては、儒教的ジェネラリストは「情報弱者」でしかない。

だから最近の官僚たたきで、公務員になる学生の偏差値が顕著に下がっているのは、ある意味ではいいことだ。
霞ヶ関は、もはや日本のthe best and the brightestが行くべきところではない。
そして、官僚がただのclerkでしかなくなれば、民間がそれにミスリードされることもなくなるだろう。
その意味で、キャリア官僚というシステムを解体することが究極の公務員改革である。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51292893.html

10 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:31:59.06 ID:h4BS97SP0.net
古賀茂明氏の徳治主義 2012年05月04日10:21

大阪市のブレーンである古賀茂明氏の主張は、私が昨年インタビューしたときは、ごく常識的なものだったが、ここに来て極左化している。
昨年、彼は「原発の本質的な問題は事故ではなく核燃料の最終処理だ」と言っていたが、
最近は「市民や中小企業」を代表して原発の再稼働に反対する福島みずほ的レトリックに傾斜している。

なぜこうなったのか、元同僚も不審に思っている。
一つの仮説は、飯田哲也氏にだまされたというものだ。
彼は「太陽光発電コストが原子力発電コストを下回った」という偽造データを孫正義氏に見せて「自然エネルギー財団」に10億円を引き出した詐欺師だが、古賀氏なら彼の嘘はすぐ見抜けるはずだ。

もう一つの仮説は「ワイドショーに毎日出ている内にコメンテーターのポピュリズムに影響された」というものだ。
この説も捨てがたいが、私は「東洋的徳治主義の倫理だ」という仮説を出したい。

古賀氏と話していて印象的なのは、とても誠実な人だということである。
話の中身はよくも悪くも常識的で、受けをねらって極端なことをいうタイプではない。
彼の話で印象的だったのは、「官僚は政治家に仕える身」で、決めるのは政治家だという言葉だった。
「政治主導」は必要だが、いま政治が空転しているのは民主党の政治家に「能力がない」ためだといっていた。

11 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:33:07.91 ID:h4BS97SP0.net
これは官僚の平均的な感覚だと思う。彼らは日本社会のエリートであり、政治家を見下している。
財務省はバカな政治家にまかせたら予算が食い物にされると恐れているので、予算編成を政治家にまかせない。
逆にいうと、能力のある政治家が命令したら、それに仕える行政官は従うしかない。

これは西洋的な合理的官僚とは違う。
法の支配のもとでは、少なくとも理念的には「公僕」である官僚が従うのは法であって政治家ではないから、その関係は政治家の能力には依存しない。
しかし東洋的徳治主義では、皇帝の命令の正統性は「君子」としての倫理で保証されているので、官僚がそれを疑うことは許されない。

大阪の場合、原発について何も予備知識のなかった橋下徹氏が「原発なしでも問題ない」と言い始めたのは去年の夏だが、このころは関西はさほど電力が逼迫していなかった。
原発がすべて止まる今年の夏は明らかに状況が違うのだが、橋下氏は去年の思いつきを撤回しない。
おそらく古賀氏は停電のリスクを認識していると思うが、そういう批判は徳治主義では許されないので、「皇帝の官吏」として忠誠を尽くしているのではないか。

私は民主主義が万能だとは思わないが、徳治主義にもこういう危うさがある。
それはエリート主義のようにみえて、無原則なポピュリズムと紙一重だ。
少なくとも法的根拠なしに数兆円の損害を民間に与えてはならないという法の支配は、政治的意思決定の最低限度の条件だろう。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51787374.html

12 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:46:03.87 ID:h4BS97SP0.net
今、本当に必要なのは、徳治主義からの脱却と、法の支配を効かせること

13 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:47:27.03 ID:h4BS97SP0.net
霞ヶ関改革は、労働改革と並んで日本にとって最も重要な課題だが、それ故に手つかず

14 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/17(日) 01:51:15.23 ID:h4BS97SP0.net
左右の家父長主義から脱却しない限り新しい時代は開けないが、誰も彼もその枠内にとどまってしまってる(特に自称保守)

総レス数 14
13 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★