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【海外】移り変わる「アメリカ・イラク」関係…イラン・イラク戦争後の変遷 [388233467]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/21(木) 02:40:14.80 ID:OUu4hSAm0.net ?2BP(4050)

8月8日、米軍がイラク北部でイスラム過激派「イスラム国」(IS)の空爆と、少数派ヤジード教徒などへの人道支援
を開始しました。
その一方で、オバマ政権は陸上部隊の派遣は検討していません。
今回の作戦は、現在の米国とイラクの関係を象徴します。

■米国とイラクの接近
1979年まで、中東での米国の軍事拠点はイランでした。
しかし、専制的な皇帝のもとで世俗化が進むことへの危機感から、イスラム聖職者を中心に、1979年1月に「イスラ
ム革命」が発生。
イランにはシーア派の一派で、預言者ムハンマドの従弟アリーに始まる12人のイマーム(最高指導者)を聖人に位
置づける「12イマーム派」を国教とするイスラム国家が樹立されました。
その後、米国による皇帝の亡命受け入れをきっかけに同年11月、テヘランの米国大使館を暴徒が占領。
これにより、米国から「テロ支援国家」に指定されました(人質が解放された1981年に一旦解除された後、大量破壊
兵器を入手しようとする疑いなどから1984年に再指定)。

一方、同じく1979年にイラクでは、サダム・フセイン大統領が権力を掌握。
「イラク・ナショナリズム」を強調しながらもスンニ派を支持基盤としていたフセイン政権は、イランによる「革命の輸出」
を恐れる点で、米国と一致しました。

1980年、国境をめぐる争いから、イラクがイランに侵攻(イラン・イラク戦争)。
イランの勢力拡大を抑えるため、米国はイラクに接近。
イラクの「テロ支援国家」指定を解除し、1984年に国交を樹立した後、大規模な軍事援助に踏み切ったのです。

THE PAGE[2014.08.20 16:00](国際政治学者・六辻彰二)
http://thepage.jp/detail/20140820-00000016-wordleaf
2003年のイラク戦争でフセイン政権は崩壊。サダム・フセイン像が引き倒された(ロイター/アフロ)
http://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20140820-00000016-wordleaf/20140820-00000016-wordleaf-01b69ab7f8f2e380e976a6bad4e7f6837.jpg
米国とイラクに関連する動き
http://wordleaf.c.yimg.jp/wordleaf/thepage/images/20140820-00000016-wordleaf/20140820-00000016-wordleaf-1cb726aa2e3228d848e3834b853a48ece.jpg

2 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/21(木) 02:41:18.56 ID:OUu4hSAm0.net ?2BP(4050)

>>1つづき

■米国とイラクの全面衝突
停戦を求める国連決議を受け、イラン・イラク戦争は1988年に終結。
しかし、この間の米国とイラクの関係は、お互いに利用し合うものでした。
そして、戦争中にイラクは米国などの援助で、中東でも指折りの軍事大国になっていたのです。

冷戦終結の翌1990年、イラクは「歴史的領有権」などを主張してクウェートに侵攻。
これに対して翌年、国連決議を受けて米軍を中心とする多国籍軍がイラク軍を攻撃し、クウェートを解放(湾岸戦争)。
しかし、フセイン政権は生き残り、クウェート占領を受けてイラクを「テロ支援国家」に再び指定した米国との緊張は
続いたのです。
同時多発テロ事件の翌2002年、米国ブッシュ政権はイラン、北朝鮮と並んでイラクを「悪の枢軸」と呼び、「イラクが
大量破壊兵器を保有し、アル・カイダと繋がりがある」と強調。
2003年に国連決議を経ずにイラクを攻撃し、フセイン政権を打倒しました。

■米国と新生イラクの緊張関係
イラク戦争後、暫定統治を経て、イラクでは2006年5月に正式に政府が発足。
人口の約60パーセントを占めるシーア派出身のヌーリ・マリキ首相が就任し、米国などの軍事援助のもと、新生イ
ラクの再建に着手しました。

しかし、誤爆などで民間人の死傷者が増え、国内の反米世論が高まるなか、両者の関係はギクシャクし始めました。
その一方で、マリキ政権はイランとの関係を強化。
これは米国政府の不信感を高めましたが、米国内の厭戦ムードを背景に、2009年に就任したオバマ政権は撤退を
加速。
2011年12月、米軍はイラクから完全に撤退したのです。

ところが、米軍の撤退以前から、マリキ政権は「イラク・ナショナリズム」を強調しつつも、そのもとではシーア派の優
遇が徐々に鮮明化。
これが少数派の不満を高め、スンニ派のISが拡大する背景となったのです。

3 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/21(木) 02:41:35.58 ID:6GzGwEKJ0.net ?2BP(1000)

3

4 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/21(木) 02:41:44.43 ID:sw8/1h620.net
イランとかイラクとかややこしいんだよ!

5 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/21(木) 02:47:51.38 ID:OUu4hSAm0.net ?2BP(4050)

>>1>>2つづき

マリキ批判が噴出するなか、8月11日イラクのジャラール・タラバーニー(タラバニ)大統領 はシーア派のハイダル・
アバディ国民議会副議長を次期首相に指名。
マリキ首相は抵抗したものの、結局8月14日に退陣を表明。
米国は即座にこれを歓迎し、シーア派議員の多くもこれを支持したため、イラン政府も歓迎の意を示しました。

■「アバディ政権」と米国の関係は
アバディ新首相はフセイン政権時代、英国に亡命した経歴の持ち主。
欧米世界にコネクションも多いわけですが、「親米的」とみなされることは、国内政治的に必ずしも得策ではありません。
一方、挙国体制が求められるアバディ政権は、シーア派のイランに近づきすぎることも避けるとみられます。

これに対して、ISの勢力拡大やイランの影響力を警戒しながらも、国内世論や財政問題もあり、オバマ政権もイラク
への踏み込んだ関与は控えています。
米国とイラクはお互いに、「近づきすぎず、遠ざかりすぎない」距離を測っているといえるでしょう。

6 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/08/21(木) 09:55:29.06 ID:qH6TqQYU0.net
まあ何がなんだかわからんってのが正直な感想だろうな

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