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【『ジャップ』対『十字軍』】『鎖国』は宗教戦争だった [979264442]

1 :デビルモメン ◆wqLZLRuzPQ (ワッチョイ 6a53-38FG):2017/04/20(木) 00:48:42.19 ID:+yKtDUzX0?2BP(5000)

全文はソース元へ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170419-00051429-gendaibiz-bus_all

(略

 *

 哲学者・和辻哲郎はその著書『鎖国―日本の悲劇―』のなかで、鎖国政策を批判して、17世紀初頭の日本について、このように記している。

 「侵略の意図など恐れずに、ヨーロッパ文明を全面的に受け入れればよかったのである。(…)まださほどひどく後れていなかった当時としては、近世の世界の仲間入りは困難ではなかったのである。
それをなし得なかったのは、スペイン人ほどの冒険的精神がなかったゆえであろう。そうしてその欠如は視界の狭小にもとづくであろう」

 和辻は、とても悔しがっている。

 これが書かれたのは昭和25年(1950年)、日本は世界戦争に大敗北して5年、まだ占領下にあった。明治22年生まれの和辻は当時、61歳である。

(略

 第二次世界大戦における敗北は、そして日本史上初めて他国によって全土が支配されるという惨状は、秀吉・家康ラインから始まった「鎖国」に原因がある、と憤っているのだ。

 鎖国さえしていなければ。当時の為政者にもっと広い視野さえあれば。日本史にもう一度やり直しがきくならば。人生が二度あれば。

 高名なる知識人が、本気で悔しがっている。

 敗戦後の昭和日本では、鎖国がとても憎まれていた。

 「鎖国」という言葉は、そういう歴史用語である。

(略

明治政府によるネガティブ・キャンペーン
 明治政権は、異様なほどに前政権の施政を否定的に喧伝していた。

 徳川政権のやっていたことはすべて前近代的で、封建的で、まったくダメなもので、それを明治政権がきちんと近代化した、という物語を広めていた。

 昭和の後半になっても、みんなそれを信じていた。徳川時代もそんなに悪くなかったのではないか、と言われ出すのは、それこそ平成に入ってからである。

 「西洋文化に対する強いコンプレックスを持っていた時代」の空気として「鎖国」という言葉には強い存在感があった。

 逆に言えば、鎖国という言葉を使わなくてもいいんじゃないかという考えは、私たちの西洋コンプレックスがかなり薄まってきたからだ、ということになる。
和辻哲郎が書いたような、焼けるほどの西洋コンプレックスは、たしかにいまの日本人にはない。

(略

 私の個人的な風景からおもいだすと、1989年ころ、日本企業がニューヨークのロックフェラーセンターやコロンビア映画会社を買収したころに、
やっと鎖国の出遅れから(第二次大戦の敗戦コンプレックスから)抜け出せたようにおもう。

 それからもう30年である。たしかにかなり薄まってきているとおもう。それは悪いことではないだろう。あまりに国粋的な動きになるのは(反っくり返りすぎなので)、どうかとおもうが。

つづく

2 :デビルモメン ◆wqLZLRuzPQ (ワッチョイ 6a53-38FG):2017/04/20(木) 00:52:28.75 ID:+yKtDUzX0?2BP(5000)

つづき

キリスト教布教の異常な熱情
 そもそも、鎖国といえる状態になった理由を、みんなあまり真剣に捉えてない。

(略

 おそらく、現在のフランス、ドイツ、イギリス人、スペイン人などをおもいうかべ、彼らの多くはキリスト教徒だとおもわれるが、
何らかの脅威を感じることはなく、他宗教教徒だと強く意識させられることもあまりない。その感覚をもとに、16世紀から17世紀を眺めているからだろう。そこからは何もわからない。

 16世紀の宗教にまつわる熱情≠ヘ、いまから見ればひたすらに異常である。

 ルターによる宗教改革が16世紀の前半に始まり、新教と旧教の対立が先鋭化していくのが16世紀の風景である。

 その対立が、遠い彼方の日本国までやってきた。フラシスコ・ザビエルは命を捨てる覚悟でやってきた。

 和辻哲郎も、彼らイエズス会士のことを「中世的戒律を守り、自己及び同胞の魂を救うために身命をささげて戦う軍隊であった。
従ってそれは内面化された十字軍であるということもできる」と記している。

 彼らは、日本人たちを神の国へ導くのだという強い決意とともにやってきている。きちんと命を賭けている。
その熱意は、当時の日本人に伝わったのだろう。日本人のキリスト信徒はどんどん増えていった。

(略
それはある種の「宗教戦争」だった
 羽柴秀吉や徳川家康は、キリスト教が広まる未来を想像して、敢然、排除へと向かった。
おそらく、キリスト教が広まることによって、彼らの考える日本の平和は成し遂げられないとおもったからだろう。

 暴力的な時代は、その対処も暴力的にならざるをえない。

 しかし時間はかかった。

 1587年の秀吉の伴天連追放令から、1639年のいわゆる鎖国令の完成まで、50年かかっている。50年の年月をかけて、キリスト教徒を完全に排除していった。

 これまたすごい作業である。一時、数十万人いたとされるキリスト教徒を、日本国内から一人残らず排除したのだ。

 私はこれをキリスト布教しようとする勢力≠ニ日本国≠フある種の宗教戦争≠ナあった、と見ていいとおもっている。

 その緒戦というか、戦いが始まる前に、秀吉・家康ラインが敵を徹底的に叩いたまでである。つまり、鎖国は宗教戦争の結末である。実際に戦端を開かないための知恵だったのだ。

(略

*

 昭和25年に、和辻哲郎は「侵略の意図など恐れずに、ヨーロッパ文明を全面的に受け入れればよかったのである」と書いたが、これもまた暴論である。
侵略の意図は恐れたほうがいいに決まっている。

 ポルトガル軍やスペイン軍と誰も戦いたくなどない。勝ったところで、こちらは何かを得るわけではない。戦国の武将は、おそらく専守防衛をあまり好きではなかったはずだ。

 しかし昭和25年の日本人が住んでいたのは、独立国の日本ではない。
アメリカに占領された場所に住んでいた。戦争に負けたあと、日本の力で西洋文明に対抗しようとするのは、そもそも無理だったんだよ、という気分が国中を覆っていた。

 20世紀にアメリカ占領エリアになるくらいなら、16世紀に少しくらい危険をおかしても、西洋国と一緒に近代を歩むべきだったと言いたくなる気持ちはわかる。

 そういう思潮は、昭和の後半をずっと覆っていた。

 鎖国という否定的なニュアンスを持つ言葉は、明治大正昭和時代にとても力を持っていたのである。
そのことは、頭のどっか片隅に置いておいていたほうがいい。いま現在もまた、そういう流れと同じところにわれわれは立ち続けているのだから。

おしまい。

3 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイ 7d48-C4NQ):2017/04/20(木) 11:27:06.39 ID:STRuWNoV0.net
あげ

4 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイ ea65-X1R2):2017/04/20(木) 11:30:03.07 ID:eHYHZw9a0.net
一向宗みたいになるのを恐れたんだろ(´・ω・`)

5 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (ワッチョイ a561-rlcP):2017/04/20(木) 12:09:15.43 ID:mLnBCPHc0.net
鎖国を辞めたと思ったら今度異常なまでに日本を他国に押し付けるだもんな
まったく逆の事をやり始めてる白人の真似してるだけだ

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