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何で中世の日本では馬車が使われなかったの? [805176697]

295 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2017/07/28(金) 23:42:28.14.net
牛車 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%9B%E8%BB%8A

日本の牛車

 日本の平安時代では貴族の一般的な乗り物であった。移動のための機能性よりも
使用者の権威を示すことが優先され、重厚な造りや華やかな装飾性が求められた[1]。
そのため、金銀の装飾を施すなど華麗という以上に奢侈に流れる弊害が出たため894年(寛平6年)、
一時乗車が禁止されたこともある。

使用方法
 「延喜内匠式」には屋形の長さ8尺、高さ3尺4寸、広さ3尺2寸という。通常4人乗りで、あるいは2人乗り、あるいは6人乗る。
乗降は、後方から乗り、降りるときはまず牛をはずし軛のための榻を人のための踏台として前から降りる。
なお、源義仲が上洛して牛車に乗った際に、これを知らずに後から降りて笑いものになったことがある。
男性が乗るときは簾を上げ、女性のときは下げる。乗って宮城門を出入りする者は、妃以下大臣嫡妻以上は宮門外を限り、
四位以下および内侍は上東門から出入りする。
999年(長保元年)、六位以下の乗車の禁止、陽明門外の車の立様の規定などさまざまな規定がある。
牛車の牛を引く牛飼童(うしかいわらわ)や牛車の両側につく車副(くるまぞい)と呼ばれる者達がつき従って使用された。


駄賃馬稼 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%84%E8%B3%83%E9%A6%AC%E7%A8%BC
 駄賃馬稼(だちんうまかせぎ)とは、近代以前の日本において馬の背中に貨物や人を乗せて輸送に従事する職業のこと。
この職業に従事する人を馬借(ばしゃく)あるいは馬子(まご)、使用された馬を駄馬(だば)
あるいは稼馬(かせぎうま)・荷馬(にうま)、輸送料金を駄賃(だちん)と称した。

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