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【文明】「日常言語を文字で記す」ことは、庶民の生活にはまず必要がなく、つまり、人は実に簡単に、文字を使わない水準に戻ってしまう [979264442]

1 :デビルモメンAK-47◇JR39Y4sxbQ :2018/08/31(金) 13:11:23.32 ID:HPUK1FUx0.net ?2BP(5000)
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文字の起源から考える会計責任=アカウンタビリティ
 夏休みも大詰め、というよりこの記事が出る8月末にはすでに授業が始まっている学校もあると思うので、夏の宿題と2学期の正課の間にあるような話題を少し考えてみましょう。
 文字について、です。
 小学校に入ると「あいうえお」などの文字を習いますね。よく「読み書きそろばん」などという。
 江戸時代以前にも、最低限身につけるものとして、このような「手習い」は一般化していました。この文字って、必要なのでしょうか? 
 広い世界を見渡すと、文字を持たない文化が決して少なくありません。
 古代の中南米、アステカ、マヤの文明では、今日の日本や現代欧米社会で使われる「文字」とは、相当異なった形の「象形文字」や「原記号」が使用されていたと考えられ、私が子供の頃は「文字は使われていなかった」と教わったりしたものでした。
 より日本に近い事例ではアイヌの文化が挙げられるでしょう。
 アイヌ民族は高度な文化を持っていましたが、文字は持たずもっぱら口承で文化を伝えてきた、とされています。文字に相当するものとして、結び目を用いた独自の記号法を持っていました。
 同様のものは沖縄では「藁算」と呼ばれています。
 沖縄藺草やガジュマルの根などを用いて独特の結び目をつくり、それに意味を持たせてコミュニケーションや記録などに活用していた。
 沖縄では20世紀初頭まで、ごく普通に生活の各局面で、この藁算が用いられていたとのことです。
 アイヌや沖縄のこうした文化を総称して研究者は「結縄」と呼びます。
 琉球王朝が日本や中国、韓国と交流する折には、ひらがな、漢字、ハングルなどを用いた古文書も残っていますが、いわゆる庶民語を文字で残すという文化は、琉球ではあまり発達しなかったようです。アイヌについても同様の傾向が見られます。
 アイヌの生活は、小さな集落に別れて営まれ、族長支配のほか、交易などもありましたが、それほど大がかりなものにはならなかったのでしょう。
 物々交換などでも、縄の結び目で表現できる程度の単純な数量確認にとどまったようで、複雑な帳簿などは残されていない。
 ここから、本土側の商人などが、あれこれ悪事を働いた可能性を容易に想像できるように思います。
 これに対して琉球は、共同体も大きく、何より中国や朝鮮、倭人との交易が盛んでしたから、貸借対照など様々な帳簿、簿記会計を進める必要がありました。
 琉球の人々、とりわけ商人管理層に影響を与えたものとして「蘇州号碼」と呼ばれる独特の数字が知られています。
■ 数の進化論・・・蘇州号碼とバビロニア暦
 「蘇州号碼」日本語で読めば「そしゅうごうま」ですが、聞き慣れない言葉かもしれません。
 「蘇州碼」(そしゅうま)あるいはスーチョウマー、花碼(ホワマー)碼子(マーズ)などとも呼ばれる独特の「5進法」を伝える数字の表記体系です。
 「5進法」は人間の身体と数の概念を考えるうえで、とても興味深い対象と思います。
 全世界のあらゆる文化が数を持ち、数詞と計算法を発展させていますが、一つ共通することに、人間の手の指が5本あるという生理的な事実があります。
 やくざの落とし前で小指がない、というような例外は別として、この普遍性から、両手の指を用いる「10進法」が、今日の人類文化の一つの共通地盤を作り出していますが、物事を決めるのは人間の体ばかりではありません。
中略
 
元ソース
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180831-00053932-jbpressz-bus_all

つづく

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