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ドクター中松「石原慎太郎は考え方が一致した同志、盟友。ああいう人がいたから日本はしっかりしていた。もう少し生きていて欲しかった [377482965]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2022/02/02(水) 14:19:38.45 ID:0ExaWqXaa0202.net ?2BP(2223)
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石原慎太郎さん、ドクター・中松氏の選挙カー乗り込む間柄「国益守る考え方一致した同志」 - 社会 : 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202202010000874.html

石原慎太郎さんが東京都知事に初当選した1999年(平11)から4選を果たした11年まで都知事選で4度戦ってきた、発明家のドクター・中松氏(本名・中松義郎=93)が1日、日刊スポーツの取材に応じ「政治の快男児だった」と悼んだ。

中松氏によると、石原さんは戦前、海軍兵学校に多数の人材を輩出した神奈川県立湘南高で学んだことから海軍に憧れがあり、海軍兵学校出身の中松さんに指導内容を尋ねてくるなど、以前から親交があったという。石原さんが75年に衆院議員を辞職して都知事選に出馬し、当時の美濃部亮吉知事に敗れた後は、しばしば勉強会を行った。

石原さんは、76年の衆院選に当選し国政に復帰後、政策談議をする中で「日本は戦後、弱くなった。道徳の面、領土問題などを正したい」などと語ったという。議員在職25年の表彰を受けた95年4月の衆院本会議での演説中「日本の政治は駄目だ。失望した」と発言し辞職。4年後の99年に都知事選に出馬し、初当選すると「議員では出来なかったことを、都知事としてやりたい」と語ったという。

選挙は4回戦ったが、石原さんが選挙戦期間中に中松さんの選挙カーに乗り込んできたこともあるなど関係は良好で「国益を守る点含め考え方が一致した同志、盟友」の間柄だったという。石原さんが初当選後、ディーゼル車の排ガス規制に取り組んだ際は、都庁の関係者が中松氏の自宅を訪問してアドバイスを求め、中松氏も、もの申したければ都庁を訪れたという。

12年4月、石原さんが米国での講演中、都による尖閣諸島の購入を表明した件も事前に相談されたという。「元来、日本の国土だし地権者も日本人なんだから都で買おうかと」と打ち明けた石原さんに、中松氏は「いいじゃないの」と答えたという。石原さんは購入資金集めのため寄付の募集を始めたが、同9月に当時の野田政権が購入した。

中松氏は「政府が買うより、都が買えば1クッション入るから、ここまで日中関係は悪化しなかったのではないか? 石原さんも、そう考えていただろう」と語った。その上で「政治的に微妙な問題でも国益を考えて踏み込んだ。自分で方針を決めて発言し、動く…ああいう人がいたから日本は、しっかりしていた。もう少し生きていて欲しかった」と惜しんだ。【村上幸将】

2 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2022/02/02(水) 14:26:53.30 ID:5GCZzMt500202.net
天寿全うしてんじゃねーよ

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