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「1467~1638年(応仁元年~寛永15年)の戦国時代に戦で死亡した人の死因・怪我の原因で、最も多いものを答えろ」結果 [798085517]

1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2023/11/05(日) 07:07:35.30 ID:LuztDdga0.net ?PLT(13000)
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武士が戦場に日本刀を携えた理由
こうして変化した日本刀は、実際に戦場でどれほど有効だったのでしょうか。それを知る手がかりになるのが、戦に勝利した側が戦いの成果を調べるために作成した「軍忠状」(ぐんちゅうじょう)という調査報告書です。

これによると、1467~1638年(応仁元年~寛永15年)の戦国時代に戦で死亡した人の死因・怪我の原因は、矢が38.2%、鉄砲が23.7%、槍が20.0%、石が12.4%、そして刀はわずか3.7%であったと言われます。

もちろんこれは士分(しぶん:馬に乗ることを許された騎士)と徒士(かち:徒歩で戦った兵士)が対象で、それ以下の足軽(あしがる:戦のときのみ臨時に雇われる雑兵)などは含まれないため、正確ではないという評価も否めません。

しかしこれを見る限り、戦国時代でも弓矢が最大の武器であったことは確かです。ひとつ間違えば命を失う戦場では、より遠くから相手にダメージを与えられる弓矢や鉄砲が最も合理的で、仮に白兵戦(刀剣などの武器を用いて相手と近接して戦うこと)になっても、少しでも離れた位置から攻撃できる槍や薙刀が重宝されたのは当然でした。

しかし、それでも武士が必ず日本刀を携えていたのには理由がありました。第1に、槍や薙刀などの柄が折れた場合や、柄をかいくぐって敵が接近してきた場合の予備の武器。第2に、平原が少なく草木の多い日本では、柄の長い武器が扱いづらいケースがあったこと。また室内の戦闘でも槍や薙刀を使うのはかえって不利でした。

そして、第3に最も重要な理由は、首取りのため。戦国時代の戦は軍同士の総力戦であると同時に、兵士同士の個人戦でもあります。戦が終結すると、勝利した軍が褒美を分け与える論功行賞(ろんこうこうしょう)が行われましたが、褒美の量を決める判断材料となったのが敵方の首級です。

兵士は自分がどれだけ多くの、そして名のある武将を討ち取ったかを示すため、倒した敵の首を持ち帰っていました。しかし腰に多くの首をぶら下げたままでは動きづらいため、首の代わりに鼻を切り取った者もいたそうです。いずれにせよ、こうして首を切るときに日本刀が必要になったため、兵士は戦場で必ず日本刀を携帯していました。
https://www.touken-world.jp/tips/71968/

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