2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part5

1 :名無しさん@占い修業中:2016/01/28(木) 19:29:19.08 ID:q0oX5IGV.net
近代タロットの理解にはカバラの知識が必須であることは、割とよく
知られていると思います。
しかしなから、タロットの理解に必要なカバラの知識って、日本に
おいては、あまり紹介されていないのが現実なんですよね。

というわけで、タロットの理解に必要なカバラの基本的知識を得るために
以下の本を引用、翻訳、考察しながら、色々と勉強していきたいと思います。

書名:The QABALISTIC TAROT
   A TEXTBOOK OF MYSTICAL PHILOSOPHY
   カバラ主義のタロット
   神秘主義的哲学の教科書
著者:Robert Wang

※話題への、ソコはちゃうやろ的ツッコミとか、雑談とかは歓迎ですが、
教えて的な質問に答えたりとかは面倒なので、スルーする可能性が高いです。

前スレ
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4.1 (Part1の再利用)
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/97-356

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part3
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1377994155/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part2
http://engawa.openにch.net/test/read.cgi/uranai/1346550441/ (に→2に変換)

【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】
http://hayabusa6.2ch.net/test/read.cgi/uranai/1341180469/1-96

2 :名無しさん@占い修業中:2016/01/28(木) 19:34:06.36 ID:q0oX5IGV.net
前スレは、500KB容量オーバーでDAT落ちしてしまったようですので、
スレを立て直しました。

それでは、改めて、みんなでマターリいきましょう(^^)/

3 :名無しさん@占い修業中:2016/01/29(金) 05:11:59.78 ID:5NnB0ZVl.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
Symbols: The Girdle, The Rose, the Lamp.
「象徴たち」:「腰帯」、「薔薇」、「ランプ」。

Planet: Venus
「惑星」:「金星」

Color: Green
「色」:「緑」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である、「腰帯」と、一輪の花と二枚の
葉が付いた「薔薇」の枝と、先から火が出ている「ランプ」、「金星」の占星術記号、
および「生命の木」における「ネツァク」の位置が図示された絵が描かれています。

前にも書いたように、「ネツァク:勝利」の属性の多くは、「Venus/ヴィーナス女神」
に関連しています。
ちなみに、「Girdle/ガードル」という言葉は、現代では下半身の体型矯正下着の意味に
なっていますが、昔はそんな便利なものは無くて、単に腰のまわりに巻く「帯」のことを
指しており、要するに、ちょっと前に流行った「例の紐」みたいな効果が期待できると
いう優れモノだったわけです。

まあ、そういう意味でも、「花」だけでなく「二枚の葉が付いた枝」が必要なのかとか、
「ネツァク:四大元素の火」を象徴するものが、なぜか夜に使われる「ランプ」である
とか、まあ色々と別の意味での妄想が捗るわけです。
そして、そういう各種の妄想が、「ネツァク:勝利」の属性である「The Arts/芸術」
にも繋がっていくという感じになっているわけですよね。

ということで、皆さんも、この「ネツァク」の「愛」と「感情」と「本能」の世界で、
目いっぱい妄想を楽しんでいってください。

4 :名無しさん@占い修業中:2016/01/29(金) 08:32:39.83 ID:bNFaKzfi.net
wwwwww

5 :名無しさん@占い修業中:2016/01/30(土) 15:16:47.85 ID:WhqaNh4s.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
The beams of Chesed and Geburah meet in Netzach and thence in Netzach arises a green,
pure, brilliant, liquid and gleaming like an emerald.
「ケセド」と「ゲブラー」の光線たちが「ネツァク」に集まり、そこから「ネツァク」に
おいて、エメラルドのような、緑色で、純粋で、光り輝く、澄んだ、きらめきが生じる。

And the Sphere of its operations is that of Nogah or External Splendour, producing
zeal, love, harmony, and it ruleth the Sphere of Action of the Planet Venus and
the nature of the Vegetable World.
そして、その作用する天球は「ノガ」、すなわち「外面の壮麗」、生産の熱意、愛、調和
であり、そしてそれは 「惑星の金星」の「活動の天球」と、「植物の世界」に属する自然
を支配する。

And Jehovah Tzabaoth is a God of Hosts and of Armies, of Triumph and of Victory,
ruling the universe in Justice and Eternity.
そして、「イェホヴァ・ツァバオス」は、「大成功」と「勝利」の、「万軍」と「軍隊たち」
の「神」であり、「正義」と「永遠」において宇宙を支配している。

And its Archangel Hanial is the Prince of Love and Harmony, and the Name of the
Order of Angels is Elohim, or Gods who are also called the Order of Principalities.
そして、その大天使「ハニアル」は、「愛と調和の王子」であり、そして「天使たちの階級
の名前」は「エロヒム」、すなわち「権天使たちの階級」とも呼ばれる「神々」である。
--- ここまで ---

ここの部分は、いつものように、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識
講義」の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。

6 :名無しさん@占い修業中:2016/01/31(日) 07:00:05.37 ID:wfQ9CLmZ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
Each of the Sephiroth on the Pillar of Mercy begins a sequence.
「慈悲の柱」にある「セフィロト」のそれぞれは、連鎖を開始する。

Chokmah is the primary force toward manifestation in the Supernal Triangle.
「コクマー」は、「至高の三角形」においての顕在化への最初の力である。

Chesed is the organizing idea behind the first form, and the first Sephira of the
Ethical Triangle, Netzach begins the Astral Triangle, and is the first of the
Sephiroth making up the Personality.
「ケセド」は、最初の形の背後にある組織化する考え方、そして「倫理的三角形」の最初の
「セフィラ」であり、「ネツァク」は「星幽的三角形」を開始し、そして「人格」を作り
上げる「セフィロト」の最初である。
--- ここまで ---

「生命の木」における「manifestation/顕在化」は、基本的には「対生成」に基づいて
行われます。
つまり、「慈悲の柱」と「峻厳の柱」においては、
・「至高の三角形」:「コクマー(正)」=「ビナー(負)」
・「倫理的三角形」:「ケセド(正)」=「ゲブラー(負)」
・「星幽的三角形」:「ネツァク(正)」=「ホド(負)」
という関係性があるわけです。

ちなみに、ここでは、「慈悲の柱」側の「セフィラ」が先に生まれ、その後で「峻厳の柱」
の「セフィラ」が生まれるというような書き方になっています。
理論的には、両者が生成されるタイミングは、ほぼ同時なのですが、それらが我々にとって
理解しやすい順番というのが、「慈悲の柱」側が先であるということです。
まあ、「作るのと壊すのが同時」よりは「作ってから壊す」という考え方の方が、我々に
とってはわかりやすいのですが、実際の宇宙においては「作る」ことと「壊す」ことは、
「平衡」であって「平行」でもある、同列の概念であるわけなんですよね。

7 :名無しさん@占い修業中:2016/02/01(月) 05:14:23.78 ID:53123CV4.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
The Personality is viewed as being composed of four Elements, each of which is
represented by one of the lower Sephiroth.
「人格」は、その各々が下位の「セフィロト」のうちの1つにより表されている、4つの
「元素たち」により構成されていると見なされる。

In this is a reflection of the familiar [heh][vau][heh][yod] formula, and of the
familiar sequence of Fire, Water, Air and Earth.
この中には、おなじみの[heh][vau][heh][yod]の公式、そして「火」、「水」、「空気」、
および「地」のおなじみの順序の反映がある。

These are the Astral Elements.
これらは、「Astral Elements/星幽的な元素たち」である。
--- ここまで ---

「Astral Elements/星幽的な元素たち」の概念は、42ページの図10に示される通り、
 ・「ネツァク」=「ヨッド」=「火」
 ・「ホド」=「へー」=「水」
 ・「イェソド」=「ヴァウ」=「空気」
 ・「マルクト」=「ヘー」=「地」
という関係となっています。
そしてここは、「生命の木」の最下層の元素たちの世界であり、ゴールデン・ドーン系の
魔術師として「ティファレト」を目指す人が、たどる道でもあるわけです。

我々が認識できる、いわゆる「元素」は、基本的には全てが「マルクト」にあります。
そういう意味では、「星幽的な元素たち」は、現実の「元素」ではなくて、あくまでも
精神的な領域、バーチャルな世界のもの、すなわち「妄想の産物」となっています。
とはいえ、普通の人であっても、割と容易に「バーチャルな存在」として妄想可能な
ものでもありますので、我々にとっては、割と身近なものであるとも言えますよね。

8 :名無しさん@占い修業中:2016/02/02(火) 05:29:58.40 ID:mFAeKJQn.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
Netzach is Fire, a lower form of the Yod-Fire of Chokmah, reflected from Geburah
through Tiphareth.
「ネツァク」は「火」であり、「コクマー」の「ヨッド−火」の下層の形態であり、
「ゲブラー」から「ティファレト」までを通じて反映される。

Hod is Water, a lower form of the Heh-Water of Binah, reflected from Chesed through
Tiphareth.
「ホド」は「水」であり、「ビナー」の「ヘー−水}の下層の形態であり、「ケセド」から
「ティファレト」までを通じて反映される。

Yesod is Air and Malkuth is Earth.
「イェソド」は「空気」であり、「マルクト」は「地」である。

It will be noted that the final Heh of the Divine Name is attributed to Malkuth
in every instance, for this final Heh is the result of the "Fall."
「神名」の最終「ヘー」は、この最終「ヘー」が「墜落」の結果であるために、どの場合
においても「マルクト」に帰属されることが注目されるだろう。
--- ここまで ---

ここは、42ページの図10に示されている、「Specific Elements/特有的な元素たち」と
「Astral Elements/星幽的な元素たち」の関係を、改めて記述しているところです。

その中でも、「マルクト」の「地」と最終「ヘー」という関係は、特別な意味と位置、
すなわち「最終的に全てのものが辿り着く場所」であり、そしてそれが「我々の世界」
であることを示しているということは、特筆に値するものである、ということです。

そして、そこにさらに、「上の如く下も然り」かつ「下の如く上も然り」という、特に
何の根拠も無いトンデモ理論を適用することで、「魔術」や「錬金術」というオカルト
理論が成立してくるというわけなんですよね。

9 :名無しさん@占い修業中:2016/02/03(水) 05:53:14.77 ID:TMubKRST.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
The attribution of the four Elements to these lower Sephiroth may appear to add
one more frustrating complication to the Qabalistic system.
これらの下位の「セフィロト」への4つの「元素たち」の帰属は、もう一つのいら立たしい
複雑化をカバラ主義の体系に追加するように見えるかもしれない。

But, in fact, we have now reached the point on the Tree of Life where normal waking
consciousness may apply.
しかし、実のところ、我々は今、正常な目覚めている時の意識が当てはめるかもしれない
「生命の木」の地点に到着したところである。

It is with the Astral Triangle and the component parts of the Personality, that
any serious student may deal.
それは、真面目な学徒の誰もが扱うことのできる、「星幽的三角形」と、「人格」の
構成部分たちと共にある。
--- ここまで ---

42ページの図10に示されているように、「四大元素」と「生命の木」の対応付けには、
その時の都合により、色々な種類が存在しています。

そして、ゴールデン・ドーンの儀式魔術の教育・研究システムにおいては、元々のカバラ
の体系には無い「星幽的な元素たち」という対応を、わさわざ追加しているわけです。

この下層のセフィロトに、わざわざ配属させることには、もちろんそれなりの意味がある
わけですが、その意味は、ゴールデン・ドーンの儀式魔術の教育・研究システムにおいて
のみ適用されるものであることを、理解しておく必要があります。
要するに、この「星幽的な元素たち」という概念をデッチ上げることで、この儀式魔術の
教育・研究システムが、とても充実したものになるわけであり、そういう意味では、この
システムを作り出した人物は、オカルト的には、とても優秀な理論家であると言えます。

10 :名無しさん@占い修業中:2016/02/04(木) 05:31:13.93 ID:ofFPvBJX.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 98) ---
The Order of the Golden Dawn introduced its members to the Inner Planes through
a system of Tattva exercises, a sort of controlled "day dream" intended to bring
the individual into direct contact with the subtle Elemental realms immediately
underlying the material sphere of sensation.
ゴールデン・ドーン団は、その団員たちに、「タットワ」の練習たちの体系を通じて
「内的な面たち」を経験させた。(それは)一種の制御された「白日夢」であり、
個人に、知覚可能な物質的な天球の直接的な基となっている、微妙な「元素」の領域たち
との直接的な接触をもたらすことを意図した。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンが、東洋系のオカルト理論である「タットワ」の研究と実践を行って
いたのは、よく知られています。
この妄想の訓練は、妄想力が未発達な者や、自身の妄想理論体系がしっかりと構築できて
いない人にとっては、それなりに有効な訓練のようです。

でも、ワタシのような煩悩の固まりのような人間は、また別の映像が出てきますので、
どこまで有効であるかは、個人的には、いまいち良くわからないわけです。
そういう意味では、ワタシにとっては、「タットワ」よりも「タロット」による妄想作業
の方が、より煩悩にまみれるという意味で、より楽しいわけですけどね。

とはいえ、マジメに訓練することで、それなりの効果は期待できるようですので、
皆さんも、一度は経験してみてはいかがでしょうか。←割と無責任ww

11 :名無しさん@占い修業中:2016/02/05(金) 05:28:27.54 ID:KI7LIgPT.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
This method was considered preparatory to the more advanced techniques of skrying
with the Tarot cards, and to the most advanced and dangerous techniques of skrying
with the squares of the Enochian Tablets.
この方法は、タロットカードたちによる凝視占い(スクライング)のより高度な技法たち、
および「エノキアン・タブレットたち」の四角形たちによる凝視占いの最も高度で危険な
技法たちのための準備と考えられた。

Suffice it to say here that the astral realm, begun with Netzach, is the realm of
illusion (maya).
ここでは、「ネツァク」で始まる星幽界の領域は、幻影(マーヤー)の領域である、とだけ
言うにとどめておこう。
--- ここまで ---

「maya/マーヤー」というのは、サンスクリット語のインドの宗教哲学に出てくる用語で
あり、日本語では「幻影」と訳されます。

ちなみに、「タットワ」のようなシンプルな図形による妄想の技法は、それなりに強力で
あり、妄想初心者の訓練用としては、なかなか良くできたシステムとなっています。

「タロット」の妄想と、「タットワ」の妄想のどちらがいいのか、という点については、
それぞれ用途も目的も違いますし、各人の好みの違いというのもありますので、どちらが
良いのか、という点については、一概には言えません。

ただし、「エノキアン・タブレット」で(*´Д`)ハァハァするのは、明らかに「上級者向け」
であることは間違いありません。
そもそも、一般人から見れば、意味不明な文字列や記号列でしかないわけで、ここでは、
そういった意味不明なものを対象として(*´Д`)ハァハァすること自体が、超絶ヲタクの
趣味の領域である、とだけ言うにとどめておきましょう。

12 :名無しさん@占い修業中:2016/02/06(土) 07:42:28.58 ID:+xa0mOBB.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
Netzach cannot be considered without Hod, its balance and opposite.
「ネツァク」は、その平衡および反対物である、「ホド」なしには考慮することができない。

For as Netzach represents the instincts and emotions, Hod represents the intellect.
「ネツァク」が本能たちと感情たちを表すように、「ホド」は知性を表す。

Feelings unchecked by reason, and reason unchecked by feelings, can be very destructive.
理性により抑制されない感情たち、および感情たちにより抑制されない理性は、非常に破壊的
となることがある。

It is through the proper balance of feeling and reason that one is able to rise,
on the Middle Pillar, to the higher consciousness of Tiphareth.
それは、感情と理性の適切な平衡を通じて、人は、「中央の柱」の上で、「ティファレト」
の高次の意識へと昇ることができる、ということである。
--- ここまで ---

「生命の木」においては、右にある「セフィラ」には、必ず「左」のセフィラが対になって
存在しています。
つまり、「右と左は、必ず対になる」ことが「宇宙の真理」ということです。

とはいえ、「生命の木」においては、この「ネツァク」と「ホド」は、最後の「対生成物」
であるため、その存在確率においては、若干の「ゆらぎ」が見られます。
このため、実際の人間の精神世界においては、感情と理性が「適切な平衡状態」となる確率
は低く、それゆえ「ティファレトの高次の意識」へと昇れる人は、おのずと限られます。

なお、「ネツァク」=「本能と感情」、「ホド」=「知性」、とあるように、カバラに
おいては「知性」よりも「本能と感情」の方が上位の存在であって、我々が一般的に認知
している、「低次の『性』なる本能と感情」とは別の「高次の『聖』なる本能と感情」で
あることに注意しておいてください。

13 :名無しさん@占い修業中:2016/02/08(月) 05:43:15.05 ID:4SFPPAPD.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
Netzach is a particularly difficult Sephira to understand.
「ネツァク」は、特に理解することが困難な「セフィラ」である。

This is partly because it represents the first undifferentiated projections of
Tiphareth, and partly because it must be approached from the standpoints of both
the Macrocosm and the Microcosm.
これは、一つには、それが「ティファレト」の最初の未分化な投影たちを表しているという
理由で、そして一つには、それが「大宇宙」と「小宇宙」の両方の見地から接近しなければ
ならないという理由である 。
--- ここまで ---

「ネツァク」は、「倫理的三角形」の最後のトリを務める「ティファレト」の次のステージ
である「星幽的三角形」のトップパッターのポジションにあり、そのため、「星幽的三角形」
という下層の雰囲気には、まだ完全には馴染みきれていない面があります。

つまり、下層のペアである「ネツァク」と「ホド」の関係は、完全なバランス状態という
わけではなく、かなりの不確定な「ゆらぎ」があり、若干ながら「ネツァク」の方が上で、
「ホド」の方が下にある確率が高くなっています。
結果として、「ネツァク:勝利」と「ティファレト:美」の関係が、より密接になっており、
微妙ながらも、「ネツァク:勝利」が「ティファレト:美」の影響を強く受けているわけです。
つまり、完全に同じ次元で「ネツァク」と「ホド」を語ることはできないわけであって、
結果的に「ネツァク:勝利」の方が、より理解しにくく、「ホド:壮麗」の方が、より理解
しやすいということにも繋がっています。
でもまあ、どちらが理解しやすというのも、個人差があるわけでして、人によっては、
理性的な「ホド」よりも、直感的な「ネツァク」の方が、理解しやすいということもある
わけですので、この点については、こだわる必要は無いのかもしれませんけどね。

例えて言えば、上位の「ティファレト:魔術と科学が一体化した世界」から生まれた双子が、
「ネツァク:魔術が優位の世界」と「ホド:科学が優位の世界」という感じですかね。

14 :名無しさん@占い修業中:2016/02/09(火) 05:28:34.86 ID:M1oyLjcD.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
When we deal with the Tree of Life, we are dealing with the patterns of the race
of mankind, and with the patterns of the individual.
我々が、「生命の木」を論じている時は、我々は人類の種族の様式たちと、個人の様式たち
を論じている。

But one of the lessons of the Mysteries is the extent to which this dichotomy is,
in itself, an illusion.
しかし、「神秘的教義」の教訓たちの1つは、この二分法が、それ自体、幻影である領域に
あるということである。
--- ここまで ---

「生命の木」は、全ての始まりである「ケテル」から、我々自身の肉体を構成する
「マルクト」までの、この世の全てのものを象徴しています。
つまり、どのようなものにでも適用できる万能テンプレートでもあるわけです。

そして、このテンプレを「人類の種族の様式たち」と「個人の様式たち」の「二分法」に
当てはめてみると、ちょうど「ネツァク」と「ホド」のあたりに相当しているということ
ですかね。

つまり、「ティファレト」には、その手の人類的や人間的な「精神」はまだ存在せず、
存在するのは「高次の自我」と呼ばれる「霊的な何か」であり、それが地上に「墜落」
することで、「人」の「精神」が下層世界に生まれてくるということになっています。

そして、生まれたばかりの子供は、まだ「感情たちと本能たち」に支配される原初的な
存在であって、より進化した「知性」が芽生えてくるのは、もう少し先になってからに
なりますし、それらの発展のためには、「教育」というものが関係してくるということに
なるわけです。
さらに言うと、人間の「教育」で伸ばせるのは、本来は「ネツァク」までであって、
そこから先は、また別の世界の話でもあるわけですよね。

15 :名無しさん@占い修業中:2016/02/11(木) 05:59:23.73 ID:LGUQ7JBC.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
On the one hand, Netzach is the undifferentiated Soul of Mankind, often described
as the "Group Mind."
一方では、「ネツァク」は、しばしば「集合精神」と称される、「人類の未分化の魂」
である。

The spark of the individual mind (appreciating again that this is described as a
fiery Sephira) is a part of that group which, as it becomes self-comprehending,
also comprehends the whole.
個人の精神の「きらめき」(これが「火のセフィラ」と言われていることを、改めて認識
すること )は、それが自己の理解になるのと同様に、また全体を理解する、その集合の
一部である。
--- ここまで ---

「ネツァク」や「ホド」は、劣化「ケテル」である「ティファレト」の直下にあるため、
・「ネツァク」=劣化「コクマー」
・「ホド」=劣化「ビナー」
であると考えることもできます。
そしてこれは、「Specific Elements/特有的な元素たち」という先輩である「コクマー」
と「ビナー」、および「Astral Elements/星幽的な元素たち」という後輩である「ネツァク」
と「ホド」との関係性でもあるわけです。

何が言いたいかと言うと、我々が比喩する高次の「spark/きらめき」は、「ティファレト」
に由来するものであり、それが「ネツァク」「ホド」「イェソド」「マルクト」という
一連の流れによって、具体的なものとして実体化して収束していくわけですが、この最初の
「ネツァク」というのは、かなり自由度の高い領域であり、なおかつ「要(かなめ)」と
なるような、とても重要な部分でもあるわけです。
つまり、そういう流れの中で、この「ネツァク」の位置付けは、その製品ジャンルにおける
基本コンセプトとか基本デザインに関係する分野であり、ここを間違えると、取り返しの
つかない、どうしようもないシロモノが出来上がってくるということなんですよね。

16 :名無しさん@占い修業中:2016/02/12(金) 05:34:23.81 ID:bdIQfkp8.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
For example, Netzach is the area on the Tree of Life to which the arts, music,
painting, poetry, etc., are attributed.
たとえば、「ネツァク」は、「生命の木」の上において、芸術、音楽、絵画、詩などが
帰属されている領域である。

Every artist uses the qualities of Netzach, drawing his creative imagination
from it (although to produce a serious work, that feeling must be tempered by
the discipline of Hod-Reason).
全ての芸術家は、「ネツァク」の品質たちを、彼の創造的な想像力をそこから引き出す
ことに使用している(とはいえ、真剣な作品を創作するためには、その感情は「ホド−
理性」の規律により調整されなければならない)。

As the artist increasingly develops the ability to "create," and to understand
the nature of his own creative act, he also develops an understanding of the
nature of the arts in general.
芸術家が、「創造する」こと、および彼自身の創造的な行為の性質を理解することの
できる能力を、ますます発達させるにつれて、彼はまた、一般的な「芸術たち」の性質
を理解することも発達させる。
--- ここまで ---

「ネツァク」の特性は、「集合精神=人類の未分化の魂」にあり、どちらかというと、
まだまだ子供というか、厨二病というか、そういうムキ出しのFeelings and Instincts
/感情たちと本能たち」の領域にあります。
つまり、人間の創造性というものは、どちらかというと理性的(=ホド)なものではなく、
こういうホットな「感情たちと本能たち」の領域にある、と言えるわけです。
つまり、「厨二病」というものは、我々人類にとっては、必要不可欠な要素であって、
そこから生み出される「感情たちと本能たち」による「人類の未分化の魂」の描写は、
最大限に尊重されるべきであって、身にまとう布が物理法則に反する動きをするような
理性的?抑制をかけてはならない、ということを、ワタシとしては言いたいわけです。

17 :名無しさん@占い修業中:2016/02/13(土) 06:06:24.17 ID:+LdhFd/b.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
The same may be said for a scientist, who functions through Hod, the Sephira where
the general becomes specific.
同じことは、全般的なものが特有的なものとなるところの「セフィラ」である、「ホド」を
通じて機能する科学者に対しても言われるかもしれない。

The balance of Netzach and Hod may be shown in a simple diagram:
「ネツァク」と「ホド」の均衡は、簡単な図表において示されることができる:

NETZACH   HOD
「ネツァク」  「ホド」

Feelings and Instincts → Intellect
「感情たちと本能たち」→「知性」

Undifferentiated → Individual
「未分化の」→「個人の」

Group Mind → Beginnings of Individual Mind
「集合精神」→「個人精神の始まり」
--- ここまで ---

「ネツァク」と「ホド」の関係性は、具体的に「芸術家」と「科学者」の対比に置き換えて
考えると、わかりやすいですよね。
そういえば、昔は、「芸術」と「科学」は割と一体化していて、どちらかと言うと未分化
であったものが、現代においては、個別に分離して語られることが多くなりました。
個人主義的な現代においては、「慈悲の柱」の底にある「ネツァク」から、「峻厳の柱」
の底にある「ホド」へと、バランスが傾きかけているのかもしれません。
でも、人間の根底にある「ネツァク」の精神は、とても重要なものであって、それを軽視
することは、人間社会全体の歪みにも繋がりますので、要注意と言えますよね。

18 :名無しさん@占い修業中:2016/02/14(日) 07:27:51.27 ID:Tqsb/X6k.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
In view of this balance, it will be easily appreciated that Netzach is the Sephira
to which the forces of Nature are attributed, its angels being the Elohim.
この均衡という視点から見て、「ネツァク」が、「自然」の力が帰属され、その天使たちが
「エロヒム(神々)」である「セフィラ」であるということが容易に認識されるで
あろう。

They are also called Gods in that they are so for the Personality in incarnation
and for mankind as a race.
彼らはまた、彼らが、肉体化の内にある「人格」にとって、および種族としての人類に
とって、そうであるという点で、「神々」と呼ばれている。

They are the Gods of the lower sequence of the Tetragrammaton.
彼らは、「聖四文字」の下位の系列の「神々」である。
--- ここまで ---

「ネツァク」には、いわゆる「エロい神々」様が帰属されておられるということですが、
ここにおわす「エロい方々」は、聖書中に出てくる「主」である「エロヒム」様とは、
またちょっと異なる次元のものであることを、認識しておいてください。

つまり、ここでの「エロい方々」は、「the forces of Nature/自然の力」の象徴化、
すなわち、日本古来の「八百万の神々」に近い性質を持つ方々であって、それゆえに、
五穀豊穣とか商売繁盛とか家内安全とか恋愛成就とか、そういう人間の基本的な欲望を
種々取り混ぜた、「感情たちと本能たち」にまみれた「未分化の」「集合精神」に関する
もの全てを複合化した、極めてフリーな形式のエロい神々が、この「ネツァク」という
場所にて、盛大に祭られているということになるわけです。

そういう意味では、「ティファレト」という「高次の自我」まで至らない方が、色々と
楽しいことが多いということも確かであって、少なくともワタシにとっては、そういう
低次元の世界で色々と遊ぶ方が、好みでもあるわけなんですよね。←低次元なヤツw

19 :名無しさん@占い修業中:2016/02/15(月) 05:32:49.55 ID:sjWs4W2v.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 99) ---
Netzach is also the sphere of Venus-Aphrodite, the Goddess of Love.
「ネツァク」はまた、「愛情の女神」である、「ヴィーナス(金星)−アフロディーテ」
の天球でもある。

And as the title of the Sephira is Victory, it is to be understood that the Victory
is in love.
そして、「セフィラ」の称号が「勝利」であるので、「勝利」は愛情の中にあることが
理解されるということである。
--- ここまで ---

「ネツァク」における「エロい神々」の代表責任者となっているのが、「金星」でもある
「ヴィーナス−アフロディーテ」という、超メジャーなエロ系の女神です。

ちなみに、「ヴィーナス」って、現代においてエロの象徴的存在でもある巨乳系美女と
いうよりは、どちらかというと豊満なる下半身に重きが置かれています。
これは、エロ象徴の視点というか世間の趣味が、古代と現代では変化していることが原因
であって、エロという立場からすれば、パンツだろうがスパッツであろうが履いていない
であろうが、同じであるということです。

そういうわけで、「ネツァク」の人体要素=ミクロコスモスには、古代の「エロさ」を
体現する「腰」「臀部」「脚」が、「ホド」と共に配属されています。
ただし、大事なところは、しっかりと隠しており、その「修正が必要な部分」については、
より下位の「イェソド」に配属されることになっています。

これは、「愛」や「エロ」は、「セックス」は異なる次元にあるものであることを表して
おり、「生命の木」においては、「体だけの関係」が存在することを示しているわけです。
なんか、こういう低レベルな話題まで、しっかりと図式化している「生命の木」って、
すごいなぁ、と思ってしまうわけであり、その手の話題が大好きなワタシとしては、
とてもお気に入りの究極理論であるわけですよね。

20 :名無しさん@占い修業中:2016/02/16(火) 05:37:32.72 ID:aXUUbvMC.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
What is called "love," particularly as it relates to Gods and religious systems,
is often misunderstood.
「愛情」と称されるものは、特に、それが「神々」および宗教の体系たちに関連している
ので、しばしば誤解される。

The misunderstanding has to do with the very nature of the Gods themselves.
誤解は、「神々」自身の本質そのものにおいて処理しなければならない。
--- ここまで ---

「愛の宗教」と言えば、西洋圏においては「キリスト教」を意味しており、それゆえ
マジメに「愛」を語ろうとすると、色々と自主規制という「しがらみ」が出てきます。
一方で、日本においては、「これも○ あれも○ たぶん○ きっと○」という歌にある
ように、「八百万の愛」が語られています。

ここで大事なのは、我々が「愛」を語ろうとすると、どうしても各自の視点からのミソクソ
的なものになってしまい、その結果として、色々な誤解が生じるということなのです。
同様に、「神」や「神々」そして「宗教」を語ろうとすることも、どうしてもミソクソ的
なものが混じってしまって、やはり色々な誤解が生じてしまうというこです。

これは、「生命の木」における「Specific Elements/特有的な元素たち」と「Astral
Elements/星幽的な元素たち」という二面性に現れており、結果として、「マルクト」に
住む我々にとっては、解くことのできない「しがらみ」みたいなものなんですよね。

もちろん、人間のやっていることですので、どちらが優れているとか言うつもりはありま
せんが、この手のオカルトをやっていく上では、そういう違いは常に意識しておく必要が
あるということです。
つまり、「ネツァク」の「愛情」や「神々」については、「星幽的な元素たち」に属する
概念であるということを、認識しておく必要があるということですよね。

21 :名無しさん@占い修業中:2016/02/17(水) 05:29:42.05 ID:ZDriclok.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
It has been said that "The Gods are the Creations of the Created. . . the Gods are
emanations of the Group Mind of Races; they are not emanations of Eheieh, the One
and Eternal."
「神々」は「創造されたもの」の「産物たち」である…。「神々」は「民族たちに属する
集合精神」の流出物たちである;それらは「唯一」かつ「永遠」である「エヘイエ」の
流出物たちではない。

The reference to the Group Mind states, in essence, that the Gods are of Netzach.
「集合精神」との関連性は、本質的には、「神々」は「ネツァク」に属することを明言する。
--- ここまで ---

要するに、創造者である「主なる神」と、創造物である「人間」の「集合精神」から産み
出された二次創作である「神々」とは、全く次元の違うものであるということです。

具体的には、創造者である「主なる神」は、我々人類のことについては全く無関心であり、
それゆえ、我々が萌えるような要素は全く含まれていないわけですし、それ以前に、
我々には直接見ることも感じることも無いわけです。

一方、人類や民族たちに属する「集合精神」を具現化した「神々」は、当然ながら我々の
「萌え要素」をふんだんに含んでおり、それは「美しい裸の女性」であったり、「巨乳」で
あったり「豊満な腰や尻や脚」であったり、都合の良い「女神さま」であったりするわけです。
つまり、こういうものは全て、「ネツァク」のイメージと重なっているわけですよね。

つまり、「ケテル」→「マルクト」の完全なる「生命の木」を支配するのが「主なる神」と
いうことであり、「マルクト」→「ティファレト」の劣化版「生命の木」を実効支配して
いるのが、最下層の「マルクト」に住まう「人類の煩悩」というわけです。

そして、「魔術」とは、まさしくこの「マルクト」から「ティファレト」への煩悩にまみれた
道を通って、途中でマミられないように創造者へとアプローチしていくことなのでした。

22 :名無しさん@占い修業中:2016/02/18(木) 05:33:15.94 ID:KtM2wv8+.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
This idea is graphically summed up in the diagram of the symbol of Venus, which
encompasses the entire Tree of Life (Figure 17).
この考えは、「生命の木」の全体を包含する「金星」の象徴の図形において図表で要約
される(図17)。

It will also be recalled that the Order of the Golden Dawn declared itself to be
under the rulership of Venus.
「ゴールデン・ドーン団」が、「金星」の支配者の位の下にあると自ら宣言したことが、
また思い出されるであろう。
--- ここまで ---

「ゴールデン・ドーン団」が、「金星」の支配下にあると宣言していたことは、ワタシは
知らなかったのですが、そういえば「ゴールデン・ドーン団」は「外陣/第一団」という
「マルクト」から「ネツァク」の位階を含むものであって、「ティファレト」から上の
位階は「内陣/ルビーの薔薇と金の十字架」というように名前を変えていましたので、
そういうことを指しているのかもしれないですね。

でもまあ、「ゴールデン・ドーン団」は、どちらかというと演劇家や芸術家の集団みたいな
感じでしたので、「金星」の支配下にあるというのは、なかなか面白い表現だと思います。

そういえば、占い師の中にも、演劇や芸術に興味を持っている人が結構多くいました
ので、オカルトの世界では、「金星」の影響を強く受けるというのは、割とポピュラーな
ことなのかもしれませんね。

23 :名無しさん@占い修業中:2016/02/19(金) 05:34:28.84 ID:BBhYCflI.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

図17の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
Figure 17. The Symbol of Venus on the Tree of Life. This encompasses all of the
ten Sephiroth.
図17。 「生命の木」上の「金星」の「象徴」。これは10の「セフィロト」の全てを包含する。
--- ここまで ---

この図の元ネタは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「Fifth Knowledge
Lecture/第五知識講義」、つまり「金星の位階の学習資料」にあります。
そして、その説明文には、
「The Symbol of Venus on the Tree of Life embraces the whole Ten Sephiroth.
It is a fitting emblem of the Isis of Nature. As it contains all the Sephiroth
its circle should be made larger than that of Mercury./「生命の木」上の「金星」
の「象徴」は、「10のセフィロト」の全てを抱擁する。それは「自然のイシス」の適切な
紋章である。それは全ての「セフィロト」を含むので、「水星」のそれよりもより大きく
するべきである。」
とあります。

ちなみに、「生命の木」上の「水星」の図については、「第四知識講義」、すなわち「水星
の位階の学習資料」に出てきていますので、見ておいてください。

この図において、「金星=ネツァク」と「水星=ホド」の違いは、「金星」が「ケテル」
までを含んだ完全なる「生命の木」を抱擁している、という点にあります。
つまり、その中で完全に閉じた系を構成しているわけであり、それゆえに「ケテル」を
含まない「水星」と違って、別次元の頂点に立つ「神」を必要としていないわけです。

そして、「金星」の支配する世の中は、絶対的な「唯一神」ではなく、それぞれの「神々」
が、金星記号の「円卓=ケテル〜ティファレト」において、それぞれ平等に振る舞うこと
のできる、実に民主的な世界であるとも言えるわけですよね。

24 :名無しさん@占い修業中:2016/02/20(土) 08:10:07.05 ID:0n7bMCxf.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
The point here is that there are no Gods, save those potent forces which we have
formed in our own image, to serve our needs.
ここの論点は、我々が必要なものに奉仕するために、我々がずっと我々自身の姿に形作って
いる、それらの強力な効能たちを守る「神々」が、そこには全く無いということである 。
--- ここまで ---

この文章には、いくつかのネタが仕組まれています。

まず、「Gods, save those potent forces/強力な効能たちを守る「神々」」というのは、
「God save ○○」というキリスト教的な定型文であり、英国国歌の「God save Queen/
女王陛下万歳」というのが有名です。

そして、「which we have formed in our own image/我々が我々自身の姿に形作ったもの」
は、『旧約聖書:創世記』1:27の「So God created man in his own image/神は御自分に
かたどって人を創造された」(KJV/新共同訳)が元ネタとなっています。
そして、この『創世記』1:27の「God/神」は、ヘブライ語原典では「エロヒム/神々」と
なっているというオチになっています。

つまり何が言いたいかと言うと、人が人のために書いた『旧約聖書:創世記』の「神」と
いうのは、しょせん「ネツァク」のレベルの「エロヒム/神々」であって、「ケテル」の
「エヘイエ」のレベルのものではないということなんですよね。

でもまあ、ワタシとしては、姿も形も効能も無い「唯一の至高者」を崇拝するよりは、自分
自身の淫夢と希望をそれなりに叶えてくれる、二次創造物である「女神様たち=俺の嫁」
に貢ぐことの方が、圧倒的に多いわけですし、そういう「萌え文化」に類似した、いわゆる
「宗教」と呼ばれているものには、それなりに「強力な効能」もあるわけです。

そしてここでは、どちらが良いとか悪いとか、そういうことではなくて、その性質の違いを
きちんと理解して、ミソクソな解釈をしないようにしましょうね、ということなのです。

25 :名無しさん@占い修業中:2016/02/21(日) 07:34:21.63 ID:kPBi5CAO.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
There is nothing but us.
そこには、「我々」以外には何もない。

We are the above and the below of the Emerald Tablet.
我々は、「エメラルド・タブレット」の上のものであり下のものである。

We are at once, the many and the One.
我々は同時に、多くのものであり「一つのもの」である。

We are all that is, though we draw our strength from the Divine Unmanifest which
is not.
我々は「存在するもの」の全てである。もっとも、我々は、「存在しないもの」である
「神の非顕在なるもの」から我々の力を、引き出しているのであるが。
--- ここまで ---

要するに、「神はあります!」であることには、今のところ疑問の余地は無いのですが、
○○○氏が主張しているような「神」は、いわゆる「神の手」ではなく、「○い人の手」
によって捏造されたシロモノであって、そういった○○○○科学に属するイカモノは、
我々自身の手と頭、そして「ホド」に属する合理的な態度によって、真贋を判別していく
ことが必要とされるわけです。

つまり、日常的に「神」や「科学者の肩書き」に頼る人間に欠けているのは、その人自身
の手と頭であり、そして「ホド」に属する合理的な態度でもあるわけです。
これは、日常的に「占い」やネットの情報に頼る人間と同じSTAP現象であり、そういう
人って、なかなか世間では成功できないというのも、よくある話ですよね。

要するに、この地上の世界においては、「上の如く、下も然り」、すなわち「人」は
それぞれが「人であり、神でもある」わけです。
このことを、一人一人が、しっかりと理解しておく必要があるということなんですよね。

26 :名無しさん@占い修業中:2016/02/22(月) 05:29:16.27 ID:kn2KvD0S.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
Thus, the manner in which we behave toward one another is of far greater import
than is generally appreciated.
したがって、我々がお互いに対して振る舞う態度は、一般的に真価が認められるものよりも
ずっと大きな重要性をもっている。
--- ここまで ---

結局のところ、この地上においては、『旧約聖書:創世記』の記述にもあるように、
「人」は、地上世界の支配者として振る舞うことが可能な存在であるということです。

とはいえ、全ての「人間」が自由に神の如く振る舞うことができるわけでもないのですが、
それでも、「人」は様々な状況において、「神」の如く振る舞う必要が出てくるわけです。

そして、そこには「自由意志」という、また色々と物議を醸す存在があるわけで、
人が神になれるかどうかは、この「自由意志」が真に存在しているかどうかが重要に
なっているわけです。

「人間」の行動が、単なる「論理」だけに左右されるのであれば、それは「機械」であり、
また、DNAにプログラミングされた単なる「本能」だけに左右されるのであれば、それは
「動物」ということになります。

つまり、人間が「神」になれるかどうかは、人が「ネツァク」以下の世界で、「神」の
ような「自由意志」を持って活動できているかどうかに関係してるわけです。

とはいえ、現状の地球上での人間世界は、そういう「神」の世界とは、ちょっと違うような
感じもあります。
「人」がもし、神の人生ゲームの「駒」でしかないのであれば、人には自由意志というもの
は存在せず、実は「神の掌の上で踊らされているだけ」ということになってしまいます。
実際のところ、このことについては、まだ何も分かっていないのですけどね。

27 :名無しさん@占い修業中:2016/02/23(火) 05:37:22.23 ID:FHEpi54A.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
The love of one's fellow man, the love of God, any sexual relationship which is a
psychic balance and, in fact, any balanced exchange of energy between individuals
assists the race in the "Great Work" of returning to the Primal state from which
it evolved.
人の仲間同士の愛、「神」の愛、精神的な均衡にあるどのような性的な関係であれ、実の
ところ、個人たちの間の精力の均衡の取れたどのような交換であれ、それが進化したところ
から「原初」の状態へと戻る「偉大なる作業」において、仲間を援助する。

It is for this reason that Netzach is described as a Sephira of polarities.
この理由のために、「ネツァク」は「極性たち」の「セフィラ」と評される。
--- ここまで ---

「神」と「人」との決定的な違いは、それが「一つ」なのか「一つではない」のか、
すなわち「絶対的」なものなのか「相対的」なものなのかという点にあります。

つまり、「人」が「人」としての能力を最大限に発揮するには、一人ではなくて「仲間」
との協力、それも上下関係という一方的なものではなく、極性のある「補完関係」にある
協力関係が極めて重要な働きをします。

これは、「人」が「ティファレト」に上がる前には、「マルクト」から「ネツァク」までの
「四大元素」の全てを完全に習得し、それらの協力関係や補完関係をきちんと理解して、
使いこなせるようになっていることを要求されることにも繋がります。

そして、そのような精神的な「協力関係」を理解した上で、「人」としての肉体を解脱し、
新たなステージへと昇っていくのが、「小達人/アデプタス・マイナー」の儀式となる
わけですよね。

28 :名無しさん@占い修業中:2016/02/24(水) 05:31:16.41 ID:ASwDAG8w.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
In Netzach we are considering a Sephira on the masculine pillar with a female goddess
attached to it.
「ネツァク」においては、我々は、それに配属された女性の女神と共に、男性の柱の上にある
「セフィラ」を考慮している。

However, the attribution of specific sexual characteristics labeled "male" and
"female" is appropriate only to our own sphere of sensation.
しかしながら、「男性」と「女性」とにラベル付けされた具体的な性的な特性たちの帰属は、
我々自身の感覚の天球にのみ適切である。
--- ここまで ---

「ネツァク」というのは、以前にも書かれていたように、割と理解することが難しい
「セフィラ」です。
要するに、我々の持つ「ホド」のレベルの理解力の上位にあるものであり、ここに色々と
「理解しがたいものたち」、つまり様々な理論的矛盾が詰まっているからです。

この原因となっているのは、元々理論的整合性の無い、様々な分野のオカルト理論を、
この「生命の木」に一本化しようと試みた結果であり、その矛盾を整合させるために、
取って付けられた「後付けの理屈」が、数多くあるからに他なりません。

とりあえず我々は、そういう矛盾があることを承知の上で、ミソクソにすることなく、
十一面観音像を見るように、ある程度の場合分けをして考える必要があります。

ちなみに、「感覚の天球」においては、「ネツァク」は「左脚」、「ホド」は「右脚」に
配属されており、特に「男性」と「女性」を表すようにはなっていません。
まあ、何だかんだ言っても、「ネツァク」の「女神様」というのは、実際にはそれほど
エロいものでもなくて、結局のところ、下界というローアングルからそれを見上げる
我々の欲望と妄想が、それをよりエロく見せているということに他ならないということ
なのでしょうかね。

29 :名無しさん@占い修業中:2016/02/26(金) 05:24:10.33 ID:lySRIHth.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
What is found in Netzach is the interplay of Mars and Venus.
「ネツァク」に見つけられるものは、「火星」と「金星」の相互作用である。

As was previously discussed, Geburah has certain Venus qualities, symbolized by
the Rose; Netzach has certain Mars qualities, indicated by the attribution of Fire.
以前に議論されたように、「ゲブラー」は、「薔薇」により象徴される、ある一定の
「金星」の特性たちを持っている;「ネツァク」は、「火」の属性により示される、
ある一定の「火星」の特性たちを持っている。

Moreover, [heh][vau][heh][yod] Tzabaoth is the God of Hosts and of Armies.
そのうえ、「イェホヴァ・ツァバオス」は、「万軍と軍隊たちの神」である。
--- ここまで ---

「ゲブラー」と「ネツァク」は、仲介者である「ティファレト」を間に挟んだ状態で、
何らかの「interplay/相互作用」を行っています。
ついでに言うと、「ケセド」と「ホド」にも、同じような関係性が見られます。

これは、「生命の木」の平衡状態を保つためにも必要なことでもあるわけですが、
これにより、「ネツァク」は「二重人格」のような性質を帯びています。
つまり、表の顔が「ネツァク」で、裏の顔が「ゲブラー」ということですよね。

要するに、「ネツァク」というのは、我々がエロ目線で考えているような、単純明快な
「ビーナス女神」というものではなく、全ての「男神」と対生成する「女神的なるもの」
を含むものであるということです。
そして、その「女神」の裏には、常に「ゲブラー」という男の軍神の影がつきまとって
いるわけであり、我々がうかつに手を出してはならない存在でもあるわけです。

よって、我々には、二次創作の「ネツァク」のレベル以下の三次創作の妄想レベルの現実
逃避、いやいや「理想の女神像」が必要とされるわけですよね。←男たちの見勝手な妄想w

30 :名無しさん@占い修業中:2016/02/27(土) 06:56:52.16 ID:+cPdsL2H.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 100) ---
The relationship between Netzach and Geburah, and that of Hod and Chesed may be
slightly confusing when considered in terms of the emanation of the Sephiroth on
the Path of the Flaming Sword.
「ネツァク」と「ゲブラー」の間の関係、および「ホド」と「ケセド」のそれは、「炎の
剣の小径」に沿った「セフィロト」の流出の点から考慮される場合は、少し紛らわしいかも
しれない。

That Path is important in that it indicates both the sequence in which the Universe
evolved, and the course by which the Seeker (save those who choose the devotional
Path of the Middle Pillar) may return.
その「小径」は、「宇宙」が進化した順序と、(「中央の柱」の「小径」の信仰を選択する
人々を助ける)「探求者」が戻るかもしれない道筋を示すという点で重要である。
--- ここまで ---

「炎の剣の小径」というのは、結局のところは、「生命の木」の持つエレガントな二次元
構造を、単に「ケテル」から「マルクト」までの「セフィロト」を、シンプルな一次元に
並べたものです。

まあ、各「セフィラ」には、数字が付けられていますので、誰でも思い付くものであり、
それはそれで意味のあるものなのですが、「22の小径」という基本情報が完全に欠落して
いますので、あまりそれを重要視すべきではないというのも、誰でも思い付くことです。

要するに、「セフィロト」の流出というのは、単純に「炎の剣の小径」に沿ったものでは
ないというのが、ここでの結論なんですよね。
上流の「至高の三角形」あたりは、比較的単純な関係ではあるのですが、下流においては、
相関関係、というか各々の内部事情が複雑化していて、誰が上位で誰が下位であるとかいう
ことも、それほど簡単には言うことの出来ない、複雑な人間関係、いや「セフィロト」の
関係になっているわけです。
でも、こういうドロドロとした人間関係、いや「セフィロトの関係」は、嫌いじゃないです。(^^;;

31 :名無しさん@占い修業中:2016/02/28(日) 16:38:16.49 ID:CgCy/gRl.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
However, this does not represent the balance and inter-relationships of energies
on the completed Tree of Life.
しかしながら、これは、完成された「生命の木」の精力の均衡と相互の関係たちを表して
いない。
--- ここまで ---

しょせん、「炎の剣の小径」という、「ケテル」から「マルクト」までの骨格的な一次元
構造体は、「生命の木」がその中に持っている二次元構造とは、全く次元が異なるもので
あるわけです。

そして、「生命の木」を理解する上では、「ティファレト」→「ネツァク」→「ホド」→
「イェソド」の「炎の剣の小径」の流れにこだわる必要は無いということでもあります。

え、そういうややこしいのは抜きにして、もっと簡単にならないのか、ですか?

それは無理です。 (^^;;

だって、この宇宙は、そんなに簡単な理論や式で表されるものではないのですからね。

32 :名無しさん@占い修業中:2016/02/28(日) 16:42:29.21 ID:FyUobjRb.net
こつこつえろい C

33 :名無しさん@占い修業中:2016/03/03(木) 05:22:47.25 ID:L+CLwtL8.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
There are three key symbols related to Netzach.
「ネツァク」に関連している3つの鍵となる象徴たちがある。

These are the Rose, the Girdle and the Lamp.
これらは、「薔薇」、「腰帯」、および「ランプ」である。

The Rose is the most perfect of flowers, an attribute of Venus often associated
with love.
「薔薇」は、しばしば愛情に関連付けされる「金星」の属性である花たちの中で
最も完璧である。
--- ここまで ---

「ネツァク」の「薔薇」の絵は、多弁の薔薇の花と二枚の葉と一本の茎から成るもので、
「金星」の♀の記号を象徴しています。
そして、現代においても、薔薇の花言葉には「愛情」が入っており、男性が女性に贈る
花としても、とても人気が高いものです。

とはいえ、ことわざに「Every rose has its thorn./綺麗な薔薇には棘がある。」と
あるように、「枝付きの薔薇」は、単に「綺麗な花」だけでもないわけです。
つまりこれは、「ネツァク」の多面性をも表しているわけでもあります。

なお、「薔薇」の象徴を持つ「セフィラ」には、「ゲブラー」もありますが、こちらは
ゴールデン・ドーンの剣のカードにも出てくる「五花弁の薔薇」となっており、これは
「愛情」という限定された意味よりは、より広い意味での「エネルギー」という感じに
なっています。
そういう意味では、「ネツァク」の「薔薇」の方が、「愛の女神」が象徴的に持つ「薔薇」
という感じで、我々にとっては、よりわかりやすい象徴というか、エロいシチュエーション
を連想させるものとなっているわけですよね。

34 :名無しさん@占い修業中:2016/03/04(金) 05:31:29.38 ID:Ki08yZvy.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
The Girdle, also, is a traditional Venus attribute.
「腰帯」は、また、伝統的な「ヴィーナス女神」の属性物である。

To learn the secret of the knot in her girdle, means to direct the Venus forces
of nature, to tie them up, or to release them at will.
彼女の腰帯の結び目の秘密を習得することは、意のままに、それらを縛ったり、もしくは
それらを解くために、自然界の「ヴィーナス女神」の力たちを指揮することを意味する。
--- ここまで ---

「ヴィーナス女神」の「腰帯」というのは、要するに「自然界のパワー」の制御弁であり、
その制御弁を意のままに閉じたり開いたりさせることで、我々は「母なる大自然の女神」
のエネルギーとパワーを、自由自在に操ることができるというシロモノなのですよね。

でもまあ、「ヴィーナス女神」に限らず、そもそも女性の「腰帯」なるものを自由自在に
操るなんてことは、単なる妄想にまみれた男共の願望であって、現実には、そうそう簡単に
いかないというのも確かです。
つまり、人が「ネツァク」を自由に制御しようというのは、しょせん履かない「夢」みたい
な話であって、人が「ティファレト」に到達できない、最大の障害でもあるわけです。

それはともかく、この「The Girdle of Venus/ヴィーナス女神の腰帯(金星帯)」と
いうのは、手相術の世界では、結構有名な手相線でもあります。
そして、こちらも、どちらかと言うとエロ目線で語られることの多い線ですので、占いに
興味のある方は、ぜひ勉強してみてください。

35 :名無しさん@占い修業中:2016/03/05(土) 07:36:31.47 ID:fBuacihE.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
The final symbol is the Lamp, the bearer of Fire, relating Netzach to Geburah and
the powerful, warring, forces of Mars.
最後の象徴は、「ネツァク」を「ゲブラー」に、そして「火星」の力強さ、戦争、力と
関連付けている「火」の運搬人である、「ランプ」である。

At another level, it is the ever-burning light of the Temple of the Lower Self.
別の段階では、それは「低次の自我」の「寺院」の常に燃えている明かりである。
--- ここまで ---

これは、「ネツァク」の「ヴィーナス女神」の後背位、いやバックには、常に「ゲブラー」
である「軍神マルス(火星)」が張り付いていて、後ろから「マルス」のでっかい「ランプ」
で「火」のエネルギーを「ヴィーナス女神」に注入しているようなイメージがありますが、
まあ大体それで合っているということです。

そして、「ネツァク」の「火」は、「ゲブラー」由来ではありますが、「ヴィーナス女神」
の大自然の力と調和しており、我々にとってはそれほど危険なものではありません。

そう、「ネツァク」の「火」は、「ランプ」により自由に制御が可能となり、我々にも
利用可能なレベルにあるものとなっているわけです。

ちなみに、「ever-burning light/常に燃えている明かり」といえば、日本では比叡山
延暦寺の根本中堂にある「不滅の法灯」というのが有名ですが、ここでは、各個人の心の
奥底にある「決して消えない命の灯火」みたいなものであり、それゆえこれは「マルス」
と「ヴィーナス」により活性化されるということになります。

まあ、「低次の自我」ゆえに、なかなか理屈だけでは納得できないものが色々とあるわけ
ですが、そこは想像力と妄想力を発揮して、適当に自分の心の中で折り合いを付けておく
ということで、お茶を濁しておくのが良いかと思います。

36 :名無しさん@占い修業中:2016/03/06(日) 05:54:54.18 ID:ulLa7+Ao.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
THE SEVENS
7たち
--- ここまで ---

ここからは、前回同様「7. NETZACH: Victory/7. ネツァク:勝利」の節の中の、
新しい項になります。

このサブタイトルの後には、前回と同様に『"T"の書』からの引用が続きます。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
Generally shows a force, transcending the material plane, and is like unto a crown
which is indeed powerful but requireth one capable of wearing it.
一般的に、物質的な面を超越している力を表しており、そして王冠に似たものであり、
本当に強力なものではあるが、それを身に着ける人の能力を必要としている。

The sevens then show a positive result which is dependant on the action then taken.
7たちは、それから、その時に取られた行動に依存する明確な結果を示す。

They depend much on the symbols that accompany them.
それらは、それらに伴なう象徴たちに大いに依存する。
--- ここまで ---

「ネツァク」が発揮する「force/力」は、バックに何が付くかに大きく依存しています。
つまり、「ヴィーナス女神」自身が、常に「勝利の女神」を表しているわけではなくて、
真の勝利を得るためには、その上位の存在である「Higher Self/高次の自我」の援助が、
そして見せかけの勝利を得るためには、その下位の存在である「Lower Self/低次の自我」
の援助が必要とされるわけです。
まあ、「ヴィーナス女神」の支配する領域ですので、それなりに人間っぽさのある世界でも
あるわけなんですよね。

37 :名無しさん@占い修業中:2016/03/06(日) 16:40:21.88 ID:jyPQX/Ef.net
すいませんが質問です。
このスレッドの知識を理解するのにロバートワン氏のザゴールデンドーンタロットは
必須でしょうか?
無くても支障ないですか?

38 :名無しさん@占い修業中:2016/03/07(月) 05:09:15.38 ID:NHCb4gpl.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
SEVEN OF WANDS, Lord of Valor (Mars in Leo).
棒の7、勇気の主(獅子宮の火星)。

Angels of the Decan: Mahashiah ([he][yod][shin][he][mem]) and Lelahel
([lamed][aleph][he][lamed][lamed]).
「デカン」の天使たち:マハシア([he][yod][shin][he][mem])とレラヘル
([lamed][aleph][he][lamed][lamed])。
--- ここまで ---

さて、7のカードの最初は、「SEVEN OF WANDS/棒の7」です。

この「棒の7」は、ゴールデン・ドーンでは「獅子宮の第三デカン」と「火星」に
割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」として、
・獅子宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Mahashiah:MHShYH/マハシア
・獅子宮の第三デカンの後半(25°〜30°)= Lelahel:LLHAL/レラヘル
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」では、例によってカードの上下には火星と獅子宮のシンボルが
描かれていることになっていますので、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードで
それらが省略されているのが気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、「7」のカード全般に言えることなのですか、前の文に「They depend much on the
symbols that accompany them./それらは、それらに伴なう象徴たちに大いに依存する。」
とあるように、カード単独で意味を確定することが難しい状況が多くなっています。
つまりこれは、一人で何とかしようとすると失敗する確率が高くなるという意味であり、
かといって、協力者であれば誰でもいいという状況でもないわけです。
まあ、そういう意味では、とても人間社会的なカードたちなのでした。

39 :名無しさん@占い修業中:2016/03/09(水) 05:19:21.59 ID:XuBc5SLe.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
This is Netzach in Atziluth, the influence of Netzach in the World of Pure Spirit.
これは、「アツィルト」における「ネツァク」、「純粋な精霊の世界」における「ネツァク」
の影響である。

The position of Mars in Leo is one of courage and strength, but with threatening
overtones: a fiery clash is certain, but victory in the fray is not.
「獅子宮」の「火星」の位置は、勇気と強さの一つではあるが、脅迫的な含蓄を持つ。:
火の衝突は確かではあるが、争いにおける勝利はそうではない。
--- ここまで ---

「獅子宮」も「火星」も、どちらも「火」の属性ではありますが、「火星」は「白羊宮」の
支配星であり、「獅子宮」とは微妙に立場や考え方が違います。
おまけに、どちらも自己主張が強いので、なかなか折り合いをつけるのが難しいというか、
気性が荒いというか、直情的ゆえに無駄に先走ってしまって、周囲との軋轢を生みやすい
という性質もあります。

とはいえ、完全に孤立してしまえば、最終的な勝利は難しくなりますので、そういった
争い事の際には、周囲のカードがどう配置されているかが、割と重要なわけです。
要するに、思った以上に、取り扱いに厄介なカードであるわけで、本人が状況を見誤って
いることも、ままあるわけですし、アドバイスをしたところで、そう簡単に聞き入れて
くれる状況でもないわけです。

とにかく、孤立無援の状況に陥らないよう、トラブルメーカーとならないよう、何らかの
支援を必要とするカードであるわけで、そういうややこしくしてしまった状況を理解して
何とかしてくれるようなカードを必要としているということなんですよね。
つまり、何とかとハサミは使いよう、と冷静に考えてくれる「ホド=水」が側にいれば、
この「ネツァク」の「火」のパワーを最大限に活用して勝利を得ることも可能となって
くるわけなのです。

40 :名無しさん@占い修業中:2016/03/13(日) 06:23:24.74 ID:crodGeXi.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
It will be noted that the basic pattern was established with the Marseilles card
which uses six crossed Wands and one central one.
基本的な様式が、6本の交差している「棒たち」と1本の中央のものを使うマルセイユ版
カードと共に確立されたことが注目されるであろう。
--- ここまで ---

マルセイユ版では、X状に交差している「棒の6」の図案の中央に、垂直に一本の棒を
追加しただけの、割と単純な絵柄となっています。

一方で、ゴールデン・ドーン版では、単純に垂直な一本の棒を追加しただけではなく、
その追加された棒が、他の6本と比べて倍の長さのものとなっています。

つまり、今までのものとは完全にレベルの違うものが追加されているということであり、
これは「棒の6」の「獅子宮と木星、勝利の主」という完全調和の最終回を一旦破棄して、
「棒の7」の「獅子宮と火星、勇気の主」という、続編的な新しい展開を付け加えるという、
見ようによっては、ちょっと蛇足的な手法にも見えるわけです。

とはいえ、これは「生命の木」の完成には欠くことのできないストーリー展開であって、
・至高の三角形(ケテル、コクマー、ビナー)=起
・倫理的三角形(ケセド、ゲブラー、ティファレト)=承
・星幽的三角形(ネツァク、ホド、イェソド)=転
・「マルクト」=結
という統括的な流れの中で、「転」役のトップバッターを務める「ネツァク」の「火」、
すなわち「棒の7」にふさわしい、波乱の幕開け的なものとなっているわけです。

とはいえ、この新しく付け加えられた超個性的な新キャラは、まだまだ周囲にはなじんで
いなくて、ややもすると孤立しかねない状況ですので、周囲との協力関係の構築がぜひとも
必要ではあるわけですが、それはまた後ほどの話となるわけなんですよね。

41 :名無しさん@占い修業中:2016/03/16(水) 05:30:07.04 ID:Wg1nIIrk.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
In adapting this design Crowley again uses the wands of the three Golden Dawn Adepts,
but crosses them with a very crude club to suggest that the battle in this card
may be a disordered and disorganized one of uncertain results.
この図案を適合させるため、クロウリー氏は再び、3本の「ゴールデン・ドーンの達人たち」
の棒たちを使うが、しかし、このカードにおける闘争が、無秩序で組織の乱れた不確かな
結果たちのうちの1つであるかもしれないことを示唆するため、まさしく未加工の棒と
それらを交差させる。
--- ここまで ---

この「the wands of the three Golden Dawn Adepts/3本のゴールデン・ドーンの達人
たちの棒」は、「棒の6」に出てきた「小達人」「大達人」そして「首領達人」の棒の
ことであり、それらは背景に置かれています。

つまりこれは、「ordered/秩序のある」および「organized/組織化されている」という
ことを表していますが、これらは既に過去の世代のものであり、それが及ぼすパワーは
減退しかけているわけです。

そして、新しい世代であり、潜在能力は高そうではあるけれども、まだ何も知らない
新参者である「a very crude club/まさしく未加工の棒」が一本、その組織の古参の
オッサン連中の真っ只中に参入してきたという状況なんですよね。

まあ、どう考えても、形骸化した組織は混乱状態に陥るのが目に見えているわけですが、
それでも可能性としては決して悪くは無いわけで、このまま衰退して消えて行くよりは、
ここで新しい火種を再投入して、イチかバチかの賭けに出るというのも、それはそれで
アリかと思います。

とはいえ、決して安定しているわけではなくて、危険な状態であることも確かです。
そして、そういうリスクに正面から立ち向かうことになるため、結果的にこのカードは
「Valour/勇気」と呼ばれているわけなんですよね。

42 :名無しさん@占い修業中:2016/03/17(木) 05:27:46.71 ID:c1givV+P.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 101) ---
Waite illustrates the idea of opposition and possible victory, depending upon the
amount of courage exercised.
ウェイト氏は、「敵対および可能な勝利、行使された勇気の量に依存する」の考え方を
図示している。
--- ここまで ---

ウェイト版では、勇気のある一人の若者が一本の棒を持ち、敵対する6本の棒に対して、
崖の上という高い位置、すなわち不安定ながらも有利な立場で戦いを挑んでいるという、
緊迫した状況が描かれています。

相手の数は6本と多いのですが、それにひるむことなく立ち向かい、互角以上の戦いを
していて、あまり悪い感じはしないわけで、要するにカードのタイトルとなっている
「Lord of Valor/勇気の主」そのものを図示しているという感じになっています。

とはいえ、まだまだそう簡単には決着が付きそうにも見えませんし、途中で気を抜くと
崖の上から落とされてしまう状況にあることは間違いないわけであり、そういう意味では、
戦いは、まだ始まったばかりであり、これから相手の反撃が本格化してくる可能性も
あるわけです。

そう、本当の勇気が試されるのは、まだまだこれから、ということなんですよね。
そして、真に勇気ある者だけが、この困難な状況を突破して、真の「ネツァク:勝利」
を得ることができるということになるわけです。

43 :名無しさん@占い修業中:2016/03/18(金) 05:25:59.43 ID:J4bQaJ6L.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 102) ---
SEVEN OF CUPS, Lord of Illusory Success (Venus in Scorpio).
杯の7、幻の成功の主(天蠍宮の金星)

Angels of the Decan: Melchel ([lamed][aleph][he][lamed][mem]) and
Chahaviah ([he][yod][vau][he][cheth])
「デカン」の天使たち:メルチェル ([lamed][aleph][he][lamed][mem]) と
シャハヴィア ([he][yod][vau][he][cheth])。
--- ここまで ---

「Seven of Cups/杯の7」は、ゴールデン・ドーンでは「天蠍宮の第三デカン」と
「金星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・天蠍宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Melchel:MLHAL/メルチェル
・天蠍宮の第三デカンの後半(25°〜30°)= Chahaviah:YYYAHL/シャハヴィア
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説では、カードの上下には「金星と天蠍宮」のシンボルが描かれて
いることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは、省略されて
いますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「金星」は、「ネツァク」の惑星であり、それなりに活性化されています。
一方で、「天蠍宮」は水系の星座であり、水系の「杯」により、それなりに活性化されて
います。
つまり、「杯の7」は、それなりに活性化されたもの同士の組み合わせであり、そう悪くは
なさそうなのですが、それぞれの自己主張が強く出過ぎていて、いまいち統一性に欠ける
という面があります。
あと、第三デカンにあるため、「天蠍宮」の効果も、さほど長続きはせず、水のパワーが
尻すぼみになってしまうという傾向もあるわけです。

44 :名無しさん@占い修業中:2016/03/19(土) 06:05:50.78 ID:HpBErSte.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 102) ---
This is Netzach in Briah, the influence of Netzach in the Mental World.
これは「ブリアー」の「ネツァク」、「精神世界」の「ネツァク」の影響である。

Venus in Scorpio is extremely intense and emotional, often involving deceit.
「天蠍宮」の「金星」は極めて熱烈で感情的であり、しばしば虚偽を伴っている。

Sometimes this is dissipation, a wallowing in emotions, or a self-deception.
時々これは、浪費、感情に溺れること、もしくは自己欺瞞である。

It can certainly be a card of egocentricity and selfishness.
それは確かに、自己中心性と利己的行動のカードとなることがある。
--- ここまで ---

「天蠍宮」の「金星」、つまり人類史上最高に感情的で嫉妬深いと一部で噂されている
「さそり座の女」に対して、えらい言われようですが、まあ、そういう人が多いという
一部の噂だけであって・・・ほしいものです。

とにかく、自己中心的な感情面があまりに行きすぎてしまうと、苦労してせっかく手に
入れたものまで逃げてしまい、強烈な嫉妬心というか対抗心というか、どちらかと言うと
負の感情や行動がより高まってしまって、結果的に色々なものを失っていくという傾向が
出てきます。

つまり、見た目は官能的で魅惑的な美女であって、最初はモテモテであるわけですが、
実際にお付き合いしてみると、実はトンデモなくジコチューな性格の持ち主であって、
結果的に、誰も近づかなくなってしまっているにもかからず、ワタシは全然悪くない、
おまいらの見る目が無いんだ、とか言いながら、さらなる自分磨きに余念が無い、
実はコンプレックスのかたまりでありながらも、自意識高い系という、ちょっと困った
人々になり果ててしまい、そのまま腐っていくという感じですかね。
まあ、そういう生き方もアリかもしれませんけど・・・。

45 :名無しさん@占い修業中:2016/03/20(日) 09:12:37.33 ID:VBU5uuzE.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 102) ---
And, although the Golden Dawn card shows the Cups to be completely empty, one might
believe them to be full as Waite shows.
そして、ゴールデン・ドーンのカードは、「杯たち」が完全に空であることを示している
けれども、人は、ウェイト氏が示しているように、それらを満杯であると信じているの
かもしれない。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「杯の7」は、他のゴールデン・ドーン版の「杯」の数札たちとは
異なる点がいくつかあります。
一つは、手と雲が、下からではなくて右横から出ていることで、これは正統な神の手では
なく、幻想の神の手であることを暗示しています。
そしてもう一つは、蓮の茎の根元が、一番下の「杯」の上にあり、要するに「地に足が
着いていない」状態になっているということです。

つまり、杯も揃っており、蓮の花も茎も葉も立派であり、手もしっかりと蓮の茎を握って
いて、一見何の問題も無いように見えてはいるけれども、それは見せかけだけのものであり、
実際には「杯」のスートで最も重要な要素である「水」が、全く欠けているわけです。

一方、ウェイト版では、中空に浮かんだ雲の中から、7つの「杯たち」が、幻影のように
出現している図が描かれています。
そして、その「7つの杯」には、「7つの大罪」みたいな人間の欲望というか幻想が湧き
出しています。

この幻想は、要するに「天蠍宮」の「金星」が生みだした、自らを虚飾する「イメージ」
であり、自分だけには見えるという、実に厄介なシロモノであるわけです。

もちろん、そういう症状は、「病気」に分類されて、薬物治療にかけられる場合もあるの
ですが、残念ながら、そういう「病気」とは原因が異なるので、そう簡単には治らないと
いう、実にやっかいな症例でもあるわけなんですけどね。

46 :名無しさん@占い修業中:2016/03/21(月) 06:05:55.66 ID:yK9xnsHC.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 102) ---
Crowley, on the other hand, implies that there is a great warning in this card.
クロウリー氏は、その一方で、このカードには大きな警告があることを暗示する。

His lotuses have become ugly and slimy, a perversion of the sacrament of the Cup
in Six, possibly brought about by the inflation of ego.
彼の蓮たちは、醜悪で粘液質になり、ことによると自我の膨張によりもたらされた、6に
おける「杯」の秘跡から逸脱したものとなり続けている。

Thus, the divinatory meaning of the card is error, illusion and illusionary success.
したがって、カードの占いの意味は、「誤り、幻想、および幻の成功」である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「杯の7」の中身は「空」であり、ウェイト版の「杯」の中身は
「幻想」でしたが、トート版では、「蓮」から湧き出した緑色の粘液があふれ出ている
図式となっています。

そして、そのトート版の「蓮」の花は、斑点があって、ちょっと毒々しい感じのある
「tiger-lily/鬼百合」の姿と変化しています。
ちなみに、蓮の根や種は普通に蓮根として食用にされていますが、百合の根も、種類に
よっては食用とされています。
とはいえ、百合は清楚な花ではありますが、毒性のあるものや、生のままでは苦くて、
そのままでは食べられないものも多くあり、それなりに注意しないといけないわけです。

まあ、そういうこともあって、ここでは「鬼百合が毒性のある緑色の粘液を吐いて、
杯を汚染している」という感じにして、カードのタイトルも「Debauch/堕落」
となっているわけです。
ちなみに、この「緑色」は「ネツァク」の色であり、上位の「ティファレト」から受け
継いだ神聖なる「聖杯」に、「ネツァク」の俗っぽい「金星」が「緑色の毒の汚水」を
注ぎ入れて、幻影を見させて堕落させているという構図ですかね。

47 :名無しさん@占い修業中:2016/03/22(火) 05:27:45.33 ID:PUgzJIVq.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 102) ---
SEVEN OF SWORDS, Lord of Unstable Effort (Moon in Aquarius).
剣の7、不安定な努力の主(宝瓶宮の月)。

Angels of the Decan: Michael ([lamed][aleph][kaph][yod][mem]) and Hahihel
([lamed][aleph][he][he][he]).
「デカン」の天使たち:ミカエル ([lamed][aleph][kaph][yod][mem]) とハヒヘル
([lamed][aleph][he][he][he])。
--- ここまで ---

「Seven of Swords/剣の7」は、ゴールデン・ドーンでは「宝瓶宮の第三デカン」と
「月」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・宝瓶宮の第三デカンの前半(20°〜 25°)= Michael:MYKAL/ミカエル
・宝瓶宮の第三デカンの後半(35°〜30°)= Hahihel:HHHAL/ハヒヘル
が割り当てられているということです。

そしていつものように、「"T"の書」の解説には、カードの上下に、月と宝瓶宮のシンボル
が描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは省略
されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、「剣」においては、「ティファレト」領域の「剣の6:獲得された成功の主」から、
「ネツァク」領域の「剣の7:不安定な努力の主」ということで、こちらもレベルダウンを
暗示するカードとなっています。
基本的に、「ティファレト」から「ネツァク」への下降は、「Fall/楽園追放」を暗示する
ものですので、我々人類が親元を離れて地上に降り、それほど甘くはない世間の中で、
苦難と失敗と挫折に満ちた新生活を始めたことを表していると考えることも出来ます。
とはいえ、苦労や失敗をせずに再び成功することは出来ませんので、こういった試練も
一つの勉強だと思うようになれれば、レベルアップも可能となってくるわけですよね。

48 :名無しさん@占い修業中:2016/03/23(水) 05:37:57.83 ID:QqEnav6c.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 102) ---
This is Netzach in Yetzirah, the influence of Netzach in the Astral World.
これは、「イェツィラー」における「ネツァク」、「星幽界」における「ネツァク」の
影響である。

In the Golden Dawn card the Rose is restored, for it is a symbol primary to Venus,
who rules Netzach.
ゴールデン・ドーン版カードにおいては、「薔薇」は、「ネツァク」を支配する、
「ヴィーナス女神(金星)」の主要な象徴であるために、復活させられる。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の「剣」のカードは、「五花弁の薔薇」が象徴的に用いられて
いますが、この「剣の7」では、それが「ネツァク」の「ヴィーナス女神」の象徴でも
あるために、花だけではなくて葉や枝が付いた、「ネツァクの象徴(98ページ参照)」
の形態で、カードの中央にある手に握られた状態で復活してきています。

とはいえ、このカードの絵の状態は、まだ「荒しの前の静けさ」といった状態であり、
中央の手がせっかく苦労して手に入れた「薔薇」は、このまま咲き続けることが可能
なのか、つまり左右の手と、その手に握られた各3本ずつの剣が、この後どういう動きに
出るのかは、まだ良くわからない、というか、どう考えても、より強力な左右の手と剣に
よる争奪戦が起こって、せっかく中央の手が努力して勝ち得た薔薇は、その巻き添えと
なって引き裂かれてしまうとしか思えないような、かなり緊迫した状況になっているわけ
なんですよね。

つまり、このカードのタイトルにある「Unstable Effort/不安定な努力」というのは、
そういう、努力して一時的には勝利できたとしても、最後の力が及ばずに、結果的に
報われないことがある、ということを意味しているわけなのです。

49 :名無しさん@占い修業中:2016/03/24(木) 05:32:17.95 ID:Qdg1k8pJ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
But the Swords are precariously balanced against it, one against the other, an idea
also expressed by Crowley's six planetary Swords aimed against the larger one of
the Sun.
しかし、「剣たち」は、他者に対抗する一者という形で、それに対して不安定に均衡して
おり、また、クロウリー氏の「太陽」のより大きなものに対抗して向けられたの6つの
惑星の「剣たち」により表現された考え方でもある。
--- ここまで ---

この「剣の7」の、6本の剣に対抗した1本の剣という考え方は、「棒の7」に似ています。
とはいえ、「棒の7」はどちらかというと前向きな努力「Valor/勇気」に見えますが、
「剣の7」は、どちらかというと、互いに足を引っ張り合うような感じの、後ろ向きの
無駄な努力に見えてしまいます。

現状は、こういう不安定な感じの中で、一応は平穏な状態を保っているわけですが、
基本的には冷戦時の緊張状態にあるわけで、あんまり良い状況ではないわけですし、
さらに、お互いの剣先が内向きに向き合っているために、外敵に対する剣のパワーは
効率的には働いていないわけで、そういう意味では、無駄使いとも言えるわけです。
そして、外敵がいないために、内向きな自己アレルギー体質となっているわけでも
ありますので、それはそれで、結構しんどい思いをすることにもなるわけですよね。

いずれにしても、こういう膠着した状況が長く続けば、組織全体が疲弊して体力も落ちて
きますので、なるべく早いうちに、ケリを付けてほしいものだと思うのでした。

50 :名無しさん@占い修業中:2016/03/25(金) 05:32:49.39 ID:Qua3hW4w.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
It is not entirely clear what is going on, particularly in the Waite card, which
is genuinely enigmatic.
特に、何が起こっているのかは完全には明確ではなく、とりわけウェイト氏のカードに
おいては、それは得体の知れないものである。

And that is the point, for in divination this card means unstable effort,
vascillation and untrustworthy character.
そしてその点が、占いにおいては、このカードが「不安定な努力、優柔不断で信頼できない
性格」を意味することとなる。
--- ここまで ---

原文の「vascillation」は、「vacillation」の誤記です。

さて、ウェイト版の図案ですが、おそらく戦場での野営地において、みんなが寝静まった
ころを見計らって、一人の裏切り者、もしくは敵のスパイ、もしくは単なる盗賊が、
大事な武器である「5本の剣」を、こっそりと持ち去っている絵柄となっています。
おそらく、次の日に目覚めた時には、今まで確保していた戦力が、理由もわからずに
大幅にダウンしていることに気づいて、大慌てすることになるのでしょう。

いずれにしても、このカードのバックには、日々形の変わる不安定な「月」があります
ので、こういう切羽詰まった戦場においては、この手の不安定さというのは、不安要因と
なってきますし、何よりも結果が読めなくなってしまうわけで、それが優柔不断にも
繋がってきているわけです。

そういう意味では、実にイヤな感じのカードであり、この先どうなるかについては、
占いにおいても、きちんと吉兆を明言できないというか、まあそう簡単には良い方向には
行かないだろうなぁ、という程度の、「不安定で、優柔不断で、信頼できない」回答と
なってしまうことになりがちなんですよね。

51 :名無しさん@占い修業中:2016/03/26(土) 07:14:07.45 ID:a6QLMUJH.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
The Moon in Aquarius indicates sociability, often religious inclination; the Moon
is less fluid and changeable here than in other positions.
「宝瓶宮」の「月」は、社交性があり、しばしば宗教的な傾向を示す;「月」は、ここでは
他の位置たちにあるよりも、流動性や変わりやすさが少ない。

However, the balances which it establishes are precarious and easily upset.
しかし、それが確立した均衡たちは、不安定で、容易に転覆する。
--- ここまで ---

「宝瓶宮」の「月」というのは、占星術的に見ると、さほど相性が良くはなく、とはいえ
悪いということもなく、「月」の立場から見れば、ちょっと中途半端な感じがあります。

「剣の7」の性格を支配しているのは、実はこの中途半端な「月」であり、それが自分勝手
な思惑と判断と動きをして、中途半端な立ち位置で止まってしまっているというのが、
この「剣の7」の「微妙な状態」であるわけです。

要するに、この「月」は、色々と苦労しているようには見えるけれども、いまいち最後の
詰めが甘いために、本来あるべき安定したところではなく、崖の途中のくぼみみたいに、
ちょっとしたことでガラガラと崩れ落ちてしまいそうな、結構危険な位置に留まって
しまっているというわけです。

そして、その危険な位置にあることを察知して、次の行動に移れればいいのですが、
そういう不安定な位置に、なぜか安住してしまうという傾向があるわけですよね。

まあ、言ってみれば、浮気性で甲斐性の無い口先だけのダメ男に惹かれるメンヘラ女
みたいな感じの、最凶最悪のシチュエーションであり、さらに言うと、そういう危険な
状況に巻き込まれないためにも、一般人は近づいてはならないという状況でもあります。
まあ、堕ちるとこまで堕ちないと次に逝けないのが、ここでの「月」ですしね。

52 :名無しさん@占い修業中:2016/03/27(日) 08:06:30.17 ID:4LlZimy2.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
SEVEN OF PENTACLES, Lord of Success unfulfilled (Saturn in Taurus).
五芒貨の7、満たされない成功の主(金牛宮の土星)。

Angels of the Decan: Herochiel ([lamed][aleph][cheth][resh][he]) and
Mitzrael ([lamed][aleph][resh][tzaddi][mem]).
「デカン」の天使たち:ヘロチェル ([lamed][aleph][cheth][resh][he]) と
ミツラエル ([lamed][aleph][resh][tzaddi][mem])。
--- ここまで ---

「Seven of Pentacles/五芒貨の7」は、ゴールデン・ドーンでは「金牛宮(おうし座)の
第三デカン」と「土星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」は、
・金牛宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Herochiel:HRChAL/ヘロチェル
・金牛宮の第三デカンの後半(35°〜30°)= Mitzrael:MTzRAL/ミツラエル
が割り当てられているということです。

そして、「"T"の書」の解説文には、いつものように、カードの上下に、土星と宝瓶宮の
シンボルが描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカード
では省略されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、「五芒貨の5」では「Material Trouble/物質的困難」という「凶」のカード、そして
「五芒貨の6」では「Material Success/物質的成功」という「吉」のカード、そして
「五芒貨の7」では「Success unfulfilled/満たされない成功」という、またもや
「凶」のカードという、結構目まぐるしい展開となっています。
まあ、これも「生命の木」のバランス感覚ということなのでしょうが、物事の達成度と
いうのは、ちょっとした経過の違いで大きく左右されるということでもあります。
そういう意味では、最終ゴールの「五芒貨の10」までは、まだまだ先は長いということ
でもあるわけなんですよね。

53 :名無しさん@占い修業中:2016/03/28(月) 05:22:38.52 ID:VP2le0kN.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
This is Netzach in Assiah, the influence of Netzach in the material world.
これは、「アッシャー」における「ネツァク」、物質的世界における「ネツァク」の影響
である。
--- ここまで ---

「Seven of Pentacles/五芒貨の7」に割り当てられている「金牛宮(おうし座)」と
「土星」の関係ですが、良くもなければ悪くもないという、こちらもまた中途半端と
いうか、これといってパッとしない微妙な関係です。

ゴールデン・ドーン版カードでは、薔薇はそれなりに成長して、つぼみをいくつか付けて
いる段階まで来ているのですが、薔薇の枝は既に「五芒貨の5」のように黒化してきており、
つぼみは咲くことなく、もうじき「五芒貨の5」と同じように散っていく運命にあります。
つまり、せっかく手塩にかけて育ててきたのに、最後の最後で失敗して、思うような
結果が出ないという状況にあるわけです。

こうなっている原因ですが、まあ「7」のカード全体に言えることですが、どれもまだ
精神的な未熟さというものが、その背後にあるわけです。
つまり、「エデンの園」を追放された人類に、最初に与えられた「地上界」すなわち
「大自然」で生きていくための試練みたいなものであって、我々はこの失敗を教訓にして、
次のステップへと進む必要があるというわけです。

とはいえ、この段階で、物質的に得るものは決して多くはない、というか失うものの方が
多いので、ここで挫折する人も出るかとは思いますが、それもまた自然界の淘汰であり、
それはそれでアリかと思います。

ダメな時は、焦らず次のチャンスを待つというのも、長い人生から見れば必要なことでも
あるわけで、毎日「明日から本気出す!」という人間にならなければ、そのうち何か良い
ことがあるかもしれませんからね。

54 :名無しさん@占い修業中:2016/03/29(火) 04:48:43.05 ID:Fc6wzonR.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
As with the rest of the Sevens, there is very little good to be gained.
「7たち」の他のものと同様に、得られることで良いことは、非常にわずかである 。
--- ここまで ---

「五芒貨の7」の解説文は、たった3行であり、非常にわずかなものになっています。
まあ、色々と書いても、無益であるということなんですよね。

ちなみに、トート版カードの「円盤の7」のタイトルは、「Failure/失敗」となっていて、
こちらもカード全体が、ドス黒くなっています。

つまり、錬金術の「Nigredo/黒化」を強くイメージしたものとなっており、最後に、
「円盤の10」の光輝く「黄金」へと変遷していくための、避けては通れないステップ
でもあります。

とはいえ、「失敗は成功の母」というのは、頭では理解していても、なかなか実践でき
ないというか、失敗を失敗と認めずに、強引に押し通したあげく、「黒化」したままで
生涯を終えてしまうものも、数多くあるわけです。

我々としては、そうならないように、早めに何とか手を打つ必要があるわけですが、
この「金牛宮の土星」というのは、そう簡単には言うことを聞かないんですよね。
要するに、失敗を失敗と認められないからこそ、結果的に「大失敗」の道を進んで
しまうというのが、このカードの特徴でもあるわけなのでした。

まあ要するに、「○○は死ななきゃ治らない」ということなんですよね。

55 :名無しさん@占い修業中:2016/03/30(水) 05:17:41.38 ID:4DZ2Oje/.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
Saturn in Taurus brings disappointment, and a great deal of work for little reward.
「金牛宮」の「土星」は、失望、そして少しの報酬のために多くの仕事をもたらす。
--- ここまで ---

なんか、ブラック企業に就職して、一日中クタクタになるまで働いたにもかかわらず、
色々と難癖付けられて給料が引かれまくっているような、悲惨な状況ですよね。

結局のところ、この「7」のシリーズを、一言でまとめると
・「棒の7」:結果の見えない努力
・「杯の7」:偽りの努力
・「剣の7」:無駄な努力
・「五芒貨の7」:報われない努力
という感じで、こういうのは、若い頃には、よくありがちな出来事ではないかと思います。

とはいえ、「若い時の苦労は買ってでもせよ」という言葉もあるように、こういった
「報われない努力」を積み重ねた先に、本当の成功があるわけですので、人生における
こういう「苦労のステップ」というのは、否定的に捉える必要も無いわけです。

そもそも、「生命の木」は、完全無欠のバランスチャートですので、こういう「苦労」を
経験することも、全て「計算のうち」というわけなのですからね。

それにしても、「愛」と「自然」と「芸術」を司る「ヴィーナス女神」が支配している
「ネツァク」が、このような試練の場になっているなんて、ちょっと予想外ではないかと
思います。
つまりは、「愛」も「自然」も「芸術」も、我々が考えているほどには甘くは無いという
ことであって、本物の「ヴィーナス女神」にたどり着くためには、こういった試練を
甘んじて受け入れなければならないということなんですよね。
とはいえ、ほとんどの人間は、そういう面倒な試練を嫌って、「○○○○女神」の方へと
走ってしまうわけなんですけどね。(苦笑)

56 :名無しさん@占い修業中:2016/03/31(木) 05:50:02.78 ID:kzxd/Nfh.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
8. HOD: Splendor
8. ホド、壮麗

The Four Eights
「四枚の8たち」
--- ここまで ---

さて、ここからは、「ネツァク」の次の「セフィラ」であり、「ネツァク」と対になる
「セフィラ」でもある「ホド」の話です。
「ネツァク」の「7」のカードは、残念ながら見せかけだけの「勝利」でしたが、「ホド」
の「8」のカードにおいても、そうすんなりとは「壮麗」という状態にはなっていません。
つまりは、「ラッキーセブン」でもなく「末広がりの八」でもないわけで、これらの下層の
段階では、既に実体化と分化が進んできており、単体では、かなりバランスが悪い状態
になっているというわけなんですよね。

さて、この「ホド」は、「ティファレト」と「ネツァク」と共に、劣化版「至高の三角形」
を構成しており、同時に「イェソド」と「ネツァク」と共に、「星幽的三角形」を形成して
います、
つまり、色々な局面において、常に「ネツァク」と対比する傾向があるわけで、そういう
ことを前提として考えていくと、「生命の木」としての理解が早まるかと思われます。

57 :名無しさん@占い修業中:2016/04/01(金) 05:24:34.03 ID:Yn4pOW5D.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
□ Reason
□ 理性

□ The Individual Mind
□ 個人精神

□ Systems: Magic, Science
□ 体系たち:魔法、科学

□ Contact point of the Masters
□ 「大師たち」の接触点

□ Language and Visual Images
□ 言語と視覚映像たち
--- ここまで ---

「ホド」は、基本的には、「ネツァク」の持つ「非理性的」なものを補完するような存在
であり、我々の頭でも理解可能な、すなわち言語化や論理化が可能なレベルであって、
それゆえ理論の体系化というものが可能なものとなっています。
とはいえ、「ホド」が我々にとって論理的に理解しやすいレベルということは、結果的に
「非論理的要素」の情報量が欠落しているわけですので、ここだけで「全て分かった!」
ということにはならないことに、くれぐれもご注意ください。

とはいえ、この「ホド」の領域における「理論の体系化が可能」、すなわち学習が可能と
いう点は、我々にとっては、極めて重要なメリットになります。
つまり、普通の人でも、ある程度の努力を積めば、この領域までは到達可能ということを
表しているわけですが、問題なのは、そこから先に進む道は、誰かが丁寧に教えてくれる
わけではないので、ここで道に迷って堕ちていく人が続出するということなんですよね。

58 :名無しさん@占い修業中:2016/04/02(土) 08:15:11.73 ID:al3K5hww.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 103) ---
Symbols: Names and Versicles, Apron.
「象徴たち」:「名前たち」と「唱和短句たち」、「エプロン(前掛け)」。

Planet: Mercury
「惑星」:「水星」

Color: Orange
「色」:「橙色」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である、「名前たち」と「唱和短句たち」
が書かれた「書物」、フリーメイソンが着用する「エプロン」、「金星」の占星術記号、
および「生命の木」における「ホド」の位置が図示された絵が描かれています。

ここは、「ネツァク」の言葉によらない「感覚」に対する「ホド」の「書物」、「ネツァク」
のエロさを覆い隠す「ホド」の「エプロン」、「ネツァク」の「愛の女神」に対する
「ホド」の「知恵の神」という、見事に対照的な存在となっています。

そういう意味では、「ホド」というのは、腐れた人々にとっては、いまいち楽しみの少ない
領域であるわけなのですが、こういうのも「生命の木」のバランス感覚の一つですので、
少々つまらないかもしれませんが、我慢してお付き合いください。(苦笑)

でもまあ、パーティの中では、こういう頭脳派の魔術師は、必ずや必要とされるタイプ
でもありますので、それを自由自在に使いこなす方法を習得しておくことは、人生という
長いプレイを楽しむ中では、ぜひとも必要とされるスキルでもあるわけです。

そして、「ネツァク」の「感覚的な責め」に対して、「ホド」の「言葉責め」というのも、
これはこれで、なかなかに捨てがたいものがあるということなのですよね。

59 :名無しさん@占い修業中:2016/04/03(日) 08:12:28.25 ID:SgFk6RjJ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
The beams of Geburah and Tiphareth meet in Hod and thence arises in Hod a brilliant
pure and flashing orange tawny.
「ゲブラー」と「ティファレト」の光線たちが「ホド」に集まり、そこから「ホド」に
おいて、 光り輝く、純粋な、そして閃光を放つオレンジの黄褐色が生じる。

And the Sphere of its Operation is that of Kokab, the stellar light, bestowing
elegance, swiftness, scientific knowledge and art, and constancy of speech, and
it ruleth the sphere of the action of the planet Mercury.
そして、その作用する天球は「コカブ」、すなわち星の光であり、優雅さと、迅速さと、
科学的な知識と技術と、発言の恒常性を授け、そしてそれは惑星の「水星」の活動の天球
を支配する。

And Elohim Tzabaoth is also a God of Hosts and of Armies, of Mercy and Agreement,
of Praise and Honour, ruling the Universe in Wisdom and Harmony.
そして、「エロヒム・ツァバオス」はまた、「万軍」と「軍隊たち」の、「慈悲」と
「契約」の、「賞賛」と「名誉」の、「神」であり、「叡知」と「調和」において「宇宙」
を支配している。

And its Archangel is Michael, the Prince of Splendour and of Wisdom, and the Name
of its order of Angels is Beni Elohim, or Sons of the Gods, who are also called
the Order of Archangels.
そして、その大天使は「ミカエル」、「壮麗と叡知の王子」であり、そして「天使たちの
階級の名前」は「ベニ・エロヒム」、すなわち「神々の息子」であり、彼はまた「大天使
たちの階級」とも呼ばれる。
--- ここまで ---

ここの部分は、いつものように、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識
講義」の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。

60 :名無しさん@占い修業中:2016/04/04(月) 05:26:13.86 ID:jJqYiBkI.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
Hod is the concrete mind.
「ホド」は、具体的な精神である。

It is the sphere of Mercury, and to it are attributed all that is intellectually
systematized, such as the magical arts, literature, science and commerce.
それは「水星」の天球であり、そしてそれには、魔術的な技術たち、文学、科学、商業
などの、知的に体系化されるすべてのものが帰属される。
--- ここまで ---

以前に述べたように、個々の人間の「Personality/人格」は、「Astral Elements/星幽的
な元素たち」の領域、すなわち「ネツァク:火」、「ホド:水」、「イェソド:空気」、
「マルクト:地」において形成されることになっています。

その過程において、「ネツァク」では、まだまだ動物的な「Feelings and Instincts/
感情たちと本能たち」であったものが、「ホド」においては、人間の持つ「Reason/理性」
が備わるように成長します。

そしてまた、「ネツァク」では、まだ「The Group Mind/集合精神」であったものが、
「ホド」においては、「The Individual Mind/個人精神」という、自我に目覚めた状態に
なってきています。

要するに、無邪気な子供から、計算高いオトナへと精神的に成長しているわけであり、
そういう成長の過程が、「ホド」には含まれるということになるわけです。

つまり、魔術の修行というものは、そういう計算高いオトナから、無邪気な子供時代に
戻るという意味も、ままあるわけです。
要するに、マジメな勉強が通じるのは、この「ホド」までであり、そこから先は、普通に
勉強していたのでは、決してたどり着くことの出来ない不思議ちゃんの世界なんですよね。

61 :名無しさん@占い修業中:2016/04/05(火) 05:32:43.24 ID:bddnPHap.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
It is at the base of the Pillar of Form beneath Binah, as Netzach is at the base
of the Pillar of Force beneath Chokmah.
それは、「ネツァク」が「コクマー」の下の「力の柱」の基部にあるのと同様に、
「ビナー」の下の「形成の柱」の基部にある。

And in these two lower Sephiroth is seen the same balance of form and force found
in the Supernals.
そして、これらの2つの下位の「セフィロト」において、「至高者たち」で見いだされる
形と力の同じ均衡が見られる。
--- ここまで ---

「生命の木」には、三つの柱、すなわち
・「ケテル」から始まる、中央の「The Middle(Mildness) Piller/中央(中庸)の柱」
・「コクマー」から始まる、右側の「The Piller of Force(Mercy)/力(慈悲)の柱」
・「ビナー」から始まる、左側の「The Pillar of Form(Severity)/形成(峻厳)の柱」
があり、「ネツァク」と「ホド」は、それぞれ「力(慈悲)の柱」と「形成(峻厳)の柱」
の最低部にあります。
つまり、我々にとっては、最も近い位置にあるわけであり、さらに「マルクト」の間にも
「小径」が通っていますので、「マルクト」に住む我々にとって、「ネツァク」、「ホド」、
「イェソド」の「星幽的三角形」の働きを理解することは、「生命の木」の構造を理解する
ための第一歩である、という理屈になるわけです。

とはいえ、我々に最も近い「星幽的三角形」と、「生命の木」の根源である「至高の三角形」
との関係は、「月とスッポン」以上の差があることも事実です。
でも、はっきり言って、「至高の三角形」を理解して使いこなすなんて、生身の人間には
出来ることでもありませんので、ここはあまり深く考える必要も無いわけです。
そう、我々にとって最も重要なのは、「ティファレト」〜「マルクト」の部分であり、
そしてそこに存在している「三角形」は、「星幽的三角形」だけなんですよね。

62 :名無しさん@占い修業中:2016/04/06(水) 05:31:43.83 ID:MNMJUKH8.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
The difference is that this pattern is expressable in terms which can be conceptualized
and understood by our minds.
違いは、この様式が、我々の精神により、概念化され理解されることのできる用語たちで
表現可能であるということである。

While in Chokmah and Binah it was necessary to speak in the most abstract and
symbolic terms, such as the "idea of outpouring force," or "the idea of form
which restricts force," we are now dealing with concepts which can be immediately
understood in terms of the make-up of the individual personality.
「コクマー」と「ビナー」においては、「流出する力の考え方」や「力を制限する形の
考え方」などの、最上級の抽象的および象徴的な用語たちで語ることが必要である一方で、
我々は今では、個人の人格の構造に関して直接理解できる概念を取り扱っている。
--- ここまで ---

まあ、「至高の三角形」というのは、人間の頭で理解することは全く不可能なシロモノで
あって、存在として「ある」、以外のことは、実は何もわかっていないわけです。
つまり、今まで述べてきた「ケテル」「コクマー」「ビナー」についての話は、ほぼ全て
が妄想であって、それゆえ全く具体性の無い「抽象的および象徴的な用語」でしか語る
ことが出来ないという、実にいかがわしい存在であったわけです。

その一方で、「星幽的三角形」は、「個人の人格」を構成する領域であり、「ネツァク」
と「ホド」は、人間の基本的人格を形成する「右脳」や「左脳」と呼ばれる概念に近い
ものを持っていますので、実際に自分自身の経験と照らし合わせることで、それらを
直接的に理解することが可能なレベルになってきています。

そして、「イェソド」は、個人の後天的人格を形成する「下半身」の経験と照らし合わせる
ことで理解することが可能ということになるわけですが、ここは「30歳の童貞魔術師」に
とっては、ちょっと敷居が高いところかもしれませんね。

63 :名無しさん@占い修業中:2016/04/07(木) 05:44:17.62 ID:TQdB9FiY.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
The symbolism is closer to home.
象徴的意味は、より身近なものである。

In the human personality the Fire of Netzach is the animal intuition, while the
Water of Hod is the concrete, rational, mind.
人の人格においては、「ネツァク」の「火」は、動物的な直観であり、その一方で「ホド」
の「水」は、具体的で、理性的な、知性である。
--- ここまで ---

「至高の三角形」の領域では、それを言葉で語ることは出来ませんでしたが、
「星幽的三角形」の領域においては、我々の個人的な人格に関する一般的な言葉や、
心理学の専門用語を使って、割と具体的に語ることが出来るようになってきます。

それでも、「ネツァク」は、まだ完全には「理性化」されていない領域であるので、
その部分を習得するには、自分自身の「理性化されていない領域」、すなわち「動物
じみた部分」とか「聞き分けの無い部分」とか、つまり「ガキやケダモノっぽい部分」
を客観視できるだけの人生経験が必要となるわけです。

要するに、人間の人格の中で、そういう「ガキやケダモノっぽい部分」と「オトナの
部分」が、仲良くバランスを保っているのが、「生命の木」から見ると正常な形であり、
無理やり「オトナの部分」だけを押しつけていくと、このバランスが崩れて、「ガキや
ケダモノっぽい部分」が問題行動を引き起こしてしまうということにも繋がるわけです。

そう、我々の精神の安定には、何事もバランスというものが必要であり、そのバランスの
中には、「ホド」の理性だけでなく、「ネツァク」の本能も含まれているわけですからね。

64 :名無しさん@占い修業中:2016/04/08(金) 05:28:21.89 ID:zhGTsQ7B.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
The Tarot, often called the "Book of Thoth," is referred to Hod.
「タロット」は、しばしば「トートの書」と呼ばれ、「ホド」に帰せられる。

Thoth (Egyptian), Hermes (Greek) and Mercury (Roman) are different names of the
same God.
「トート(エジプト語)」、「ヘルメス(ギリシャ語)」、および「メルクリウス(ローマ語)」
は、同じ「神」の異なる名前たちである。

Each is a messenger, patron of learning and teacher of the mysteries.
それぞれは、伝令者、学問を司る者、そしておよび神秘的教義の師である。

All language (a carrier of messages) relates to Hod.
すべての言語(伝言たちの担体)は、「ホド」と関連する。
--- ここまで ---

人間の人格においては、「ネツァク」は動物的であり、「ホド」は理性的ということです
ので、人間と動物の違いは、この「ホド」が存在するかどうかということになります。
さらに言うと、動物たちも、簡単な言語らしきものを持ち、簡単なメッセージを伝えて
いますので、「言語」そのものは、人間と動物を隔てるものにはなっていません。
つまり、この世の中には「言葉を喋るヒトデナシたち」が、数多くいるということですよね。

要するに、「人」と「動物」の一番の違いは、「直感的」ではなく「理性的」であること
であり、すなわちこれは「推理力や思考力」を持つということになります。
よく、「タロットは直感的に読むことが大事」などと言う人がいますが、「タロット」は
「ネツァク」に属しているのではなく「ホド」に属していますので、それは大きな勘違い
であると言わざるを得ません。
タロットは、いきなり「直感力」から入るのではなく、まずは「ホド」の「理論の学習」
から入り、「推理力や思考力」を高めた後、その先にある「ネツァク」の領域に足を踏み
入れた時になって初めて、真の「直感力」が発揮されることになるわけですからね。

65 :名無しさん@占い修業中:2016/04/09(土) 08:08:21.14 ID:jcc5LsHr.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
In the Golden Dawn version of the tenth card of the Tarot, THE WHEEL OF FORTUNE,
the dog-headed ape at the bottom is Cynocephalus, companion of Thoth.
「タロット」の10番目のカードである「運命の輪」のゴールデン・ドーン版では、下部に
ある犬の頭を持つ猿は、「トート神」の仲間である、「犬の頭を持つ者」である。

It was also the Egyptian hieroglyphic symbol for writing.
それはまた、書くためのエジプト象形文字の象徴でもあった。

Cynocephalus related to the Moon, as Thoth related to Mercury.
「犬の頭を持つ者」は、「トート神」が「水星」と関連したように、「月」に関連した。
--- ここまで ---

ちょっと話がそれますが、この「10:運命の輪」の象徴体系、そして「トート神」の
象徴体系というのは、実のところ、かなりややこしくて、混乱しています。

まずこの「トート神」ですが、一般的には「Ibis/トキ」の頭を持つ人の姿で描かれ、
「水星」を司ると言われていますが、それとは別に「Baboon/ヒヒ」の頭や体を持つ場合
もあり、そして「月」や「夜」や「冥界」を司るとも言われています。
また、エジプト神話には、「ヒヒ」の体と犬の頭を持つ「Astennu/アステヌ神」という、
冥界に住み、「トート神」の親友であると言われている神がいるのですが、ほとんどの
場合、この神は「トート神」と同一視されてしまっています。

つまり、ゴールデン・ドーン版の「10:運命の輪」の下にいる「Plutonian cynocephalus
Ape/冥界に住む犬の頭を持つ猿」の神は、移ろいやすい「月」と、暗い「死者の冥界」を
司る、闇の「トート神」そのものであるということですよね。

ちなみに、「10:運命の輪」に出てくる冥界を司る神については、レヴィ氏が提唱し、
ウェイト版やトート版にも出てくる「ヘル・アヌビス神」という、犬の頭と人間の体を
持つ冥界神の方が、今ではメジャーになっています。

66 :名無しさん@占い修業中:2016/04/10(日) 07:24:25.57 ID:fukN3css.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
And in ancient astronomy the Moon was believed to follow Mercury like a faithful
dog (note the dogs in all versions of THE MOON, Key 18).
そして、古代の天文学において、「月」は、忠実な犬のように「水星」に従うと信じられた
(鍵の18番「月」の全ての版における犬たちに注目すること)。

By extension of this idea we understand that language is the faithful companion
of the student of the Mysteries.
この考え方の拡張により、我々は、言語が「神秘的教義」の学徒の忠実な仲間であることを
理解する。

Words of power are his greatest instrument.
力の言葉たちは、彼の最大の道具である。
--- ここまで ---

実を言うと、ワタシは、なぜここでウォン氏がマイナーな「月=言語」説を持ち出して
いるのかを、いまいち理解できておりません。

古代の天文学において、「月」が「水星」の従者であったという話は、天動説において、
月の天球が水星の天球の直下にあるということ以外は、思い当たりませんし、そもそも
古代においては「水星」は「太陽」の従者であり、現代においては、「マーキュリー」は
「○ー○ームーン」の従者であったりして、誰かを従えているといったイメージはなく、
どちらかと言うと、従者もしくは孤高の存在であるように思えます。

それに、「トート神」そのものが、「言語」と「魔術」を司る神でもあるので、こういう
遠回りな話をしなくても、「魔術」の真髄は「読み書きが可能となる言語」にある、
と直球勝負で立ち向かっても良いと思うわけです。
色々な考え方があるにせよ、この「トート神」に象徴されるように、魔術のみならず、
全ての技術的なものの発達にとっては、人類には「読み書きが可能となる言語」が
必要不可欠であった、ということは、間違いないことですからね。

67 :名無しさん@占い修業中:2016/04/11(月) 05:26:51.70 ID:RLpqkLPZ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
This is the reason that Names and Versicles relate to Hod.
これが、「名前たち」と「唱和短句たち」が「ホド」に関連していることの理由である。

It is not easy to persuade natural doubters that a word, properly vibrated, can
have a powerful effect on the inner planes.
言葉が、適切に振動されることで、内的な面たちへの強力な効果を及ぼすことが可能となる
ことを、生まれつき疑ってかかる人々に納得させることは容易ではない。
--- ここまで ---

この節の冒頭で、「ホド」の象徴として、「Names/名前たち」と 「Versicles/唱和短句
たち」が挙げられています。

まず、人間が関わる全てのものには、固有の「Name/名前」もしくはそれに類する識別名が
付けられています。
名前が無いと、それを情報として伝達することが出来ませんし、そもそも、それを言葉に
よる思考の中で取り扱うことが出来ませんので、当然と言えば当然であり、そしてこれは
言語の一部ですので、「ホド」の領域となります。

次に、「Versicles/唱和短句たち」ですが、本来は「短詩」、もしくはキリスト教会の
儀式において、司祭が最初に聖書中にある短い詩句を読み、会衆などがそれに応答すると
いう形式の、一種の合唱に近いものを指しています。
つまり、ここでの意味は、魔術儀式において使われる呪文、もしくは儀式の台詞のような
もの、という感じではないかと思われます。

魔術儀式や宗教儀式に限らず、「儀式」というものは芸術的な舞台そのものであり、その
芸術活動において、「セリフ」が重要な働きをすることは、説明するまでもありません。
とはいえ、原作本となる「セリフ」だけで、感動的な「舞台」や「映画」や「アニメ」が
成立しているわけでもありません。
そう、「ホド」と「ネツァク」のバランスが、「芸術」を構成しているわけなのですよね。

68 :名無しさん@占い修業中:2016/04/12(火) 05:35:09.01 ID:N33wwmi2.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
Yet the effect of words on our own plane is obvious.
けれども、我々自身の次元での言葉たちの効果は明らかである。

Who can be indifferent to words such as "I love you," or "I hate you."
誰が、「私はあなたを愛している」もしくは「私はあなたを憎んでいる」などの言葉たちに
無関心であることができようか。

But to be effective, words must have feeling behind them.
しかし、効果的であるためには、言葉たちは、それらの背後に感情を持っていなければ
ならない。
--- ここまで ---

人間同士の、言葉による情報伝達と、言葉によらない情報伝達、ここで専門用語を使うと、
「バーバル」と「ノンバーバル」ということになるわけですが、実のところ、人間同士の
会話においては、言葉による情報伝達というのは、かなり効率が悪かったりします。

実際のところ、多くの人にとっては、学校で講義や授業を聴いても、その内容は頭には
入って来ず、その教授や先生の声は、子守歌としてのみ効果を発揮しているのが実情では
ないかと思います。

さらに言うと、友達同士でのおしゃべりには、特にこれといった内容が無いものが多く、
つまりこれは、言葉による情報伝達ということが目的ではないということになります。

じゃあ、我々は、何のために会話しているのでしょうか。
つまるところ、人間の会話とか雑談というのは、犬や猫や猿や鳥の鳴き声などと、
そんなに大きくは違わないということなんですよね。
我々は、多くの場合、言葉の裏にある感情を通して、大いなる感情の交流を楽しんでいる
ということになっているわけなのです。
そう、人が伝えたいのは、「言葉」ではなく、「気持ち」なのですよ。

69 :名無しさん@占い修業中:2016/04/13(水) 09:13:10.12 ID:Svuk74BD.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 104) ---
In the same way that "I love you," or "I hate you" sound strange and empty unless
expressed with emotion, the Words of Power of Hod are only effective when they
are projected with the intense feelings of Netzach.
「私はあなたを愛している」、もしくは「私はあなたを憎んでいる」が、感情を込めて
表現されない限り、奇妙で中身の無いものに聞こえるのと同じように、「ホド」の「力の
言葉たち」は、それらが「ネツァク」の強烈な感情によって投影される時にのみ、効果を
発揮する。

In other words, the dynamic energy of Netzach is brought to bear through the
vehicle of the words.
言い換えると、「ネツァク」の動的な精力は、言葉たちの伝達手段を通じて伝えることで、
もたらされる。
--- ここまで ---

つまり、「ネツァク」の「感情」と「ホド」の「言葉」は、対立する概念ではなくて、
互いに補完し合う関係にあって、どちらかが欠けていると効果が出ないということです。

「感情」は「言葉」により伝えられ、そしてその「言葉」が新たな「感情」をもたらす。
こういう循環は、複雑な「言葉」を持つ人間だけの特性であり、それを活用することで、
人間は複雑な感情や論理を表現することが出来るようになり、複雑な文化を発展させ、
今日の文明を築いてきたということになるわけです。

とはいえ、「言葉」で伝えられるバーバルな情報は、「言葉」によらないノンバーバル
な情報よりも、情報量が少ないというのも確かであり、それゆえ、ここのような「言葉」
だけによる掲示板システムでは、伝えられる情報量は、かなり少ないというのも確かで
あって、それゆえ誤解されたりすることも、ままあるわけです。
そういうわけで、我々は、「言葉」だけ、「感情」だけでなく、もっと色々な次元のもの、
すなわち「四大」の力を駆使して、何が正しいのか、何が正しくないのかを、しっかりと
見極めていく必要があるということなんですよね。

70 :名無しさん@占い修業中:2016/04/14(木) 07:20:32.29 ID:0E956FMn.net
sage

71 :名無しさん@占い修業中:2016/04/15(金) 09:23:50.50 ID:TX7JWYEm.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
This is the reason that so many fail in their attempts at ritual.
これは、儀式の時に、それらの試みたちにおいて、とても多く失敗するという理由である。

Words alone will not suffice; the form of Hod is useless without the force of Netzach.
言葉たちだけでは十分ではない;「ホド」の形は「ネツァク」の力が無ければ役に立たない。

And the reverse is also true.
そして、逆もまた真実である。
--- ここまで ---

「生命の木」の「慈悲の柱」と「峻厳の柱」にある「セフィロト」のペアには、
「form/形」と「force/力」という基本的な属性があります。
 ・「コクマー:力」←→「ビナー:形」
 ・「ケセド:形」←→「ゲブラー:力」
 ・「ネツァク:力」←→「ホド:形」

つまり、これらのペアとなる「セフィロト」は、単独では存在できないし、たとえ単独で
使おうとしても、期待するような効果を発揮できないということになります。

そして、「ネツァク」の「感情」の「力」と、「ホド」の「言葉」の「形」は、お互いに
依存した関係にあり、それゆえ「感情」と「言葉」の両方を理解しておかなければ、
魔術や宗教などの儀式は、無意味になってしまうということになるわけです。

まあ、「言葉」については、ある程度は勉強すれば理解できるようになるのですが、
「感情」を理解するということは、思った以上に厄介であり、そう簡単には行きません。
結局のところ、そういう儀式のほとんど、というか、ほぼ全ては「useless/役立たず」
なものとなり、単なる自己満足だけに終わって、我々の実生活には、特に何の効果も、
もたらさないということになります。
まあ、そのおかげで、誰かに呪い殺されるということも無いので、安心なんですけどね。

72 :名無しさん@占い修業中:2016/04/16(土) 07:31:54.49 ID:O64eq8bu.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
Those who approach esoteric studies with great vitality and enthusiasm but lack
the discipline of Hod are wasting their time.
大いなる活力と熱意を持っているけれども、「ホド」の訓練が不足している、秘伝的な
研究たちに接近する人々は、彼らの時間が浪費される。

And those who fail to bring the intuition of Netzach to bear on the many words
written about the inner sciences will quickly decide that the "Hermetic Mysteries"
are pedantic and lifeless.
そして、「ネツァク」の直観を、内なる科学たちについて書かれた多くの言葉たちに関係
づけさせることに失敗する人々は、「ヘルメス主義的神秘主義」が、学者ぶった生命の無い
ものと、迅速に決めつけるだろう。
--- ここまで ---

まあ、神秘主義の世界ってのは、なんか色々と要求スペックが高いので、面倒ですよね。

実のところ、「ネツァク」と「ホド」を、高いレベルでバランス良く兼ね備えた人なんて、
ワタシは見たことも会ったことも無いのですが、いずれにしても、真の「ヘルメス主義的
神秘主義」を極めることが出来る人は、そういう特別な人であるということです。
つまりこれは、真の「ヘルメス主義的神秘主義」を極めることが出来る人は、この世には
ほとんど存在しないということでもあるわけです。

とはいえ、ワタシも、特に「ヘルメス主義的神秘主義」を極めようなどという気は無く、
カバラを勉強することで、何か自分自身の役に立つようになればいいな、という程度の
割と軽い気持ちでやっているだけですので、「ネツァク」の熱意も「ホドホド」にして、
これからもまったりと続けていこうと思うのでした。

個々の人間に与えられる時間って、自宅警備員に就職しない限りは、思ったよりも長くは
ないわけですので、なるべく時間の浪費にならないよう、空き時間を利用して、ボチボチ
と続けていきたいなぁ、と思っているわけなのでした。

73 :名無しさん@占い修業中:2016/04/17(日) 07:51:09.79 ID:ahcAcUir.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
It is said that whosoever learns to pronounce the name of God, [heh][vau][heh][yod],
will be master of the Universe.
神の名前である[heh][vau][heh][yod]を発音することを習得する者は誰でも、「宇宙」の
支配者になるであろうと言われている。

And when we see that the Qabalistic fourfold division encompasses many names
(attributes of the One), each of which requires a different learning experience
to "pronounce," the statement makes special sense.
そして、我々は、「カバラ主義」の4部分の区分が、(「一つ」に帰する)多くの名前たち
を包合し、それらの各々が、異なる「発音する」ことの学習経験を必要とすることを
見いだす時に、その声明は特別な意味を成す。

The names of the system are of Hod, but the beginning of the ability to properly
use them is in Netzach, whose Gods encompass the whole Tree.
体系に属する名前たちは「ホド」のものであるが、それらを適切に使う能力の最初は、
「ネツァク」の中にあり、その「神々」が、「木」全体を包合する。
--- ここまで ---

まあ、「カバラ主義」の世界では、こういう「お約束事」があるということになっている
わけです。

ちなみに、この「ホド」の「言葉」の役割は、現代科学の世界では、「数学」と「数式」が
担っていると考えられるのですが、いくら「数学」と「数式」で「宇宙」を記述することが
出来たとしても、そのことで「宇宙の支配者」になれるということにはならないわけです。

つまり、「聖四文字」の読み方が分かったところで、我々の想像する「宇宙の支配者」に
なれるということではなくて、あくまでも、この「「聖四文字」の理論で記述された宇宙
の法則を理解することが出来たということであって、そのことで、宇宙全体を個人の自由に
思うがままに出来るということにはならないわけなのですよ。

74 :名無しさん@占い修業中:2016/04/18(月) 05:25:13.25 ID:mbcYA2rK.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
Form is limitation.
形とは限定である。

It is restriction.
それは制限である。

There can be no form without a force which is in some way restricted.
何らかの方法で制限された力が無ければ、形であることができない。

So found in Hod are the dynamic qualities of the Netzach force, which are limited
in order that they can be dealt with through our normal process of thought.
それで、「ホド」において見つかるものは、「ネツァク」の力の動的な品質たちであり、
それらは思考の我々の通常の過程を通じて扱われることができるよう、制限される。
--- ここまで ---

つまり、「ネツァク」の「force/力」は、そのままでは「ホド」による言語化は不可能
ではあるけれども、何らかの制限、すなわち情報量の次元を落として、「force/力」に
「form/形」を与えることで、記述や思考の対象とすることが可能となるわけです。

こういうふうに、「力」を「形」に変換して記述するというのは、現代科学においても、
様々な現象を数式化、数値化する際には行われているものなのですが、「ネツァク」の
次元にあるような自然現象を相手にする際には、その数式化の途中で、かなりの情報量が
欠落したり、根拠の無い推定量が混ざったりすることも多く、なかなか数式化の精度が
上がらずに、結果として想定外のことが、数多く発生したりするわけなんですよね。

それはともかく、様々なものを、我々の思考の領域である「ホド」に引き下ろすには、
ある程度の「制限」、すなわち「妥協」が必要であることは確かであって、それゆえ、
情報量が欠落しているので、正確なものではないし、それが全てではない、ということも
考慮に入れておかなければならない、ということなのです。

75 :名無しさん@占い修業中:2016/04/19(火) 17:12:01.61 ID:FpfB2p4C.net
     【生活と太郎となかまたち】    脱ヒバク推進は『 生活と太郎 』だけ!    【自民・民進・共産・その他】


        三菱商事の核ミサイル担当重役は安倍晋三の実兄、安倍寛信 三菱重工の重役でもあるらしい
      これがフクイチで核弾頭ミサイルを製造していた疑惑がある 書けばツイッターで速攻削除されている
                  https://twitter.com/toka iamada/status/664017453324726272
                      怪しいカネ疑惑 刑事告発された安倍首相実弟
                  http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/179544


                            【T-nsSOWLから重大発表】

         T-nsSOWLでは4/29(金)19:00より安倍政権の退陣を求める毎週金曜日国会前抗議を行います。
         自分たちは思考しそして行動します。自分たちの将来を自分たちで取り戻すため声をあげます。

76 :名無しさん@占い修業中:2016/04/20(水) 05:31:03.09 ID:ezfgLA1L.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
This limitation takes the form of both language and visual image, which are a far
more interchangeable currency than some might believe.
この制限は、言語と視覚映像の両方の「形」を取り、それは少しは信じられそうなもの
よりも、ずっと交換可能な通貨である。

They are both sets of comprehensible symbols agreed upon by societies for the
transmission of messages.
それらは、伝言たちの伝達のために、社会たちにより合意された理解可能な象徴たちの
両方の一式たちである。
--- ここまで ---

繰り返しになりますが、「ネツァク」の「force/力」は、「ホド」の「limitation/制限」
という処理関数を通すことで、「force/力」を「form/形」に、すなわち「formula/式」
に変換することで、我々にとって記述や思考の対象とすることが可能となるわけです。
そして、その「formula/公式」化に関わるものが、「ホド」に配属される「language and
visual image/言語と視覚映像」ということになるわけです。
まあ、言葉だけでは通じない時は、簡単なイラストを書いたり添付したりして、相手に
メッセージを伝えるという行為のことであり、こういうことは、ごく普通に行われている
ことでもあります。

つまり、「ネツァク」の段階では、「言葉によらない/言葉にできない」メッセージ、
すなわち一般人にはわかりにくいシロモノであったのに対し、「ホド」の段階まで来ると、
「言葉や画像による/言葉や画像にできる」メッセージとなって、一般人にとっても、
ある程度まで理解可能な状態になってきます。

ただし、何度も言いますが、この「ホド」の段階では、肝心な情報が欠落しています。
我々は、「ホド」から発せられるメッセージの向こう側にあるものを常に意識して、
それらを「言葉」に頼らずに理解し習得していくということが求められる、ということ
なんですよね。

77 :名無しさん@占い修業中:2016/04/21(木) 05:32:34.41 ID:M4XzM1lb.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
We know that language is artificial and has no intrinsic qualities of its own.
我々は、言語は人工的であり、それ自身の本質的な品質たちを全く持たないことを知って
いる。

The same is true for visual images, such as the Sign of the Cross, the Tarot cards,
or even what we perceive to be a tree on this earth.
同じことは、「十字の記号」や「タロットカード」などの、もしくは我々が、この地上に
ある木であることに気づいているものでさえも、視覚映像に当てはまる。

These are carriers of idea, which are neutral in themselves.
これらは考え方の運搬者たちであり、それらはそれ自身において中立である。

For this reason, the Hermaphrodite is the magical image of Hod.
この理由のために、「両性具有者」が、「ホド」の魔術的な肖像である。
--- ここまで ---

繰り返しますが、「ホド」に配属される「language and visual image/言語と視覚映像」
は、「force/力」を「form/形」にする「formula/式」であって、その式だけを見ても、
それ自身では特別な意味を成さないということです。

とはいえ、その「formula/式」が無ければ、人間は「force/力」を「form/形」に変換
できない、すなわち思考や研究の対象には出来ないということであって、そういう意味
では、それがとても重要なものであることには疑問の余地は無いわけです。

それにしても、そういった理由で「ホド」が「両性具有者」というのは、いまいち良く
わかんない理由ですよね。
ワタシ的には、どちらかというと、「ホド」が男性で、「イェソド」が「両性具有者」と
いうイメージがあるのですが、まあ、しょせん考えてもわかんないことですので、
そういうことにしておこうと思うのでした。

78 :名無しさん@占い修業中:2016/04/22(金) 05:28:20.80 ID:WwA9joil.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
It is in Hod that the carriers of idea are separated out.
「ホド」においては、考え方の運搬者たちは分離されている。

In evolution, Hod completes the Pillar of Form.
進化において、「ホド」は「形成の柱」を完了する。

It is a stabilizing balance to the completion of Force, a balance which is modified
in Yesod and emanates our material world in Malkuth.
それは、「力」の完成のための安定させる均衡であり、「イェソド」において修正され、
「マルクト」において我々の物質的な世界を発出する均衡である。
--- ここまで ---

「ネツァク」は「力(慈悲)の柱」の終端であり、「ホド」が「形成(峻厳)の柱」の
終端に位置しています。
つまり、ここが最終的な「balance/均衡」を保つための地点であり、ここから先は、
ストレートに我々の世界へと落ちていくことになります。

ちなみに、この「力」と「形」と、我々の住む「宇宙」との関係ですが、現代宇宙論に
おいては、我々の「宇宙」は、特定の「形」すなわち「formula/式」に結びつけられて
いて、同じ「力」を起源としているけれども、異なる「形」で形成された宇宙が複数存在
するという説があります。
つまり、「ホド」というのは、我々にとっては、単なる「考え方の運搬者たち」という
ものよりも、はるかに重要な役割を担っている可能性があるわけです。

まあ、難しい話はともかくとして、我々がこの宇宙に安定して存在するためには、そういう
「力」と「形」の絶妙なバランスが必要であって、それ無くしては、我々の宇宙は一瞬の
うちに崩壊して、「全ては無に帰する」ということになるわけですので、そういう意味でも
「ネツァク」と「ホド」のバランスというのは、常に最大限に重要視されなければならない
ということなのでした。

79 :名無しさん@占い修業中:2016/04/23(土) 03:16:08.18 ID:FPN4fVAm.net
読んでからたった10分で願い事がかなったそうです。このゲームは、おもしろく、かつ、あっと驚く結果を貴方にもたらすでしょう。約束してください。絶対に先を読まず、1行ずつ進む事。
たった3分ですから、ためす価値ありです。
まず、ペンと、紙をご用意下さい。
先を読むと、願い事が叶わなくなります。
1,まず、1番から、11番まで、縦に数字を書いてください。
2,1番と2番の横に好きな3〜7の数字をそれぞれお書き下さい。
3,3番と7番の横に知っている人の名前をお書き下さい。(必ず、興味のある性別名前を書く事。男なら女の人、女なら男の人、ゲイなら同姓の名前をかく)
必ず、1行ずつ進んでください。先を読むと、なにもかもなくなります。
4,4,5,6番の横それぞれに、自分の知っている人の名前をお書き下さい。これは、家族の人でも知り合いや、友人、誰でも結構です。
まだ、先を見てはいけませんよ!!5,8、9、10、11番の横に、歌のタイトルをお書き下さい。
6,最後にお願い事をして下さい。
さて、ゲームの解説です。
1)このゲームの事を、2番に書いた数字の人に伝えて下さい。
2)3番に書いた人は貴方の愛する人です。
3)7番に書いた人は、好きだけれど叶わぬ恋の相手です。
4)4番に書いた人は、貴方がとても大切に思う人です。5)5番に書いた人は、貴方の事をとても良く理解してくれる相手です。
6)6番に書いた人は、貴方に幸運をもたらしてくれる人です。
7)8番に書いた歌は、3番に書いた人を表す歌。
8)9番に書いた歌は、7番に書いた人を表す歌。
9)10番に書いた歌は、貴方の心の中を表す歌。
10)そして、11番に書いた歌は、貴方の人生を表す歌です。この書き込みを読んでから、1時間以内に10個の掲示板にこの書き込みをコピーして貼って下さい。
そうすれば、あなたの願い事は叶うでしょう。もし、貼らなければ、願い事を逆のことが起こるでしょう。 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:b25177e51d96f3dfbe17b1c404ad5a99)


80 :名無しさん@占い修業中:2016/04/23(土) 06:48:42.00 ID:qRACyKNz.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
Hod and Netzach (like Geburah and Chesed) are effective only when their energies
are actively merged in a third Sephira.
「ホド」と「ネツァク」は(「ゲブラー」と「ケセド」と同様に)、それらの精力たちが
第3の「セフィラ」において能動的に合併される時にのみ、効果がある。

In this case, we see the merger of Mercury (Hod) and Venus (Netzach) giving rise
to the Moon (Yesod).
この場合において、我々は、「水星(ホド)」と「金星(ネツァク)」の合併が、
「月(イェソド)」を生じさせていることを知る。
--- ここまで ---

我々の住む下界に、上位世界のエネルギーを効率的に引き下ろすためには、上位の対に
なっている「セフィラ」からは、「balance/均衡」を保ち、かつ「actively merged/
能動的に合併される」という条件が必要とされます。

まあ、「生命の木」の理論から見れば、当然と言えば当然のことなのですが、実際にそれを
行おうとすると、かなり面倒というか、下界に住まう我々にとっては、何をどうすれば
いいのかが、実はよくわからないわけです。

ちなみに、「生命の木」理論では、我々の住む「マルクト」から、中央の柱の「イェソド」、
慈悲の柱の「ネツァク」、そして峻厳の柱の「ホド」が見えているわけですが、上位の
「ネツァク」と「ホド」は、対になっている「セフィロト」であり、結果的に、そこへの
ダイレクトアクセスのルートは、あるにはあるけれども、我々のような一般人は、そう簡単
には通れない、そして見ることさえも難しい「茨の生い茂る道」でもあるわけです。
要するに、我々には、「マルクト」から一旦「イェソド」へと登って、そこから「ネツァク」と
「ホド」のペアにアクセスするルートしか残されていないわけであり、そういう意味では、
「イェソド」は、単なる中継点というよりも、我々が「生命の木」にアクセスするための
唯一のアクセスポイントという、我々にとっては、実用上、極めて重要な意味を持ち、
決して軽々しく扱うことは出来ない「セフィラ」であるというわけなんですよね。

81 :名無しさん@占い修業中:2016/04/24(日) 08:08:13.49 ID:QJmEB0r2.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
The second major symbol of Hod, The Apron, also refers to the Moon, as does Thoth
himself in one aspect.
「ホド」の2番目の主要な象徴である「エプロン(前掛け)」は、また、「トート神」自身の
1つの様相における「月」を参照している。

This Apron is a traditional Masonic symbol.
この「エプロン」は、伝統的な「フリーメイソン」の象徴である。
--- ここまで ---

「水星(ホド)」と「金星(ネツァク)」が結合して、「月(イェソド)」が生まれる
ということを述べましたが、もう一つの「月」との関連としては、「トート神」が「月」
の顔を持っていたということもありました。

さて、次の「ホド」の象徴である、「フリーメイソンのエプロン」ですが、これ自身は
「月」との直接的な関係はありません。
しいて言えば、「ホド」が属している「峻厳の柱」が、「月」の属性を持っているという
ことぐらいですかね。

まあそういう建前論はともかく、「in one aspect/1つの様相において」、すなわち、
特定の特殊な状況においては、この「フリーメイソンのエプロン」という象徴は、
「イェソドの月」の、もう一つの様相において、密接に関連することになります。

つまり、単なる布きれや紙切れや黒塗りが、「マルクト」の物質的な意味を越えて、
それ自体で特定の意味、特に「ネツァク」と「イェソド」に関連した特定の意味と結び
つけられることで、この「ホド」の「エプロン」という、超絶意味深なものに変化する
という、「童貞魔術師」的な解釈が同時に発生しているということです。

結局のところ、この下位の4つの「セフィロト」は、そういうものからは決して逃れられ
ないというか、そういう○○体質を抜きに考えることは出来ないということなんですよね。

82 :名無しさん@占い修業中:2016/04/25(月) 05:31:40.64 ID:UFaljG7B.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
It is the symbol of the builder who is the craftsman of the Mysteries, and one which,
when worn, covers the sexual organs attributed to Yesod.
それは、「神秘的教義」の職人である建造者の象徴であり、そして身に着けられている時に、
「イェソド」に帰属される性的な器官を覆い隠すものの一つである。

And, as we move to consider Yesod, we shall see the extent to which the manipulation
of sexual energies is the basis of all practical work.
そして、我々が「イェソド」を考察しようと動くにつれ、我々は、性的な精力たちの巧妙な
操作が、全ての実践的な作業の基礎となっている範囲を見るであろう。
--- ここまで ---

つまり、「文字が書かれた羊皮紙」が、魔術師がそれを所有することで、いつのまにか
「全宇宙を支配する秘密の呪文が託された神秘の巻物」になったり、「かわいい絵が
描かれた紙」が、絵師がそれをネタにすることで「18禁」なネタになったりするのと同じ
ように、「子羊の皮で作られた前掛け」が、そのスジの神秘団体が所有することで、
何がしかの深い意味を持つようになっているということですよね。

とはいえ、「フリーメイソン」の「エプロン」というのは、いわゆる「神秘主義の象徴」で
あるため、色々な意味を持たされていて、一概にこうであるという解釈をすること自体が
不可能ではあるわけですが、こういう意味合いで「考察」することで、より深く「生命の木」
の構造を理解することが可能となるということです。

そう、こういった「象徴体系」というものは、「考察」してナンボの世界ではなくて、
最終的には、「practical work/実践的な作業」において、使えてナンボなわけですからね。

83 :名無しさん@占い修業中:2016/04/26(火) 05:31:55.62 ID:c5LEE9b7.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
So, in the great scheme of return toward the Godhead from our material condition,
Hod is a primary point, a point of conceptual transfer.
それゆえ、我々の物質的な状態から「神性」への復帰の崇高なる計画においては、「ホド」
は主要な地点であり、概念の転移の地点である。

Here the masters first contact their chosen disciplines, clothing themselves in
forms comprehensible to the human mind.
ここでは、大師たちは最初に、彼らの選ばれた訓練法たちで、人の知性に理解可能な
形状たちを身にまとって、接触する。

Here are presented to the student the formal tools of the Hermetic Path (as opposed
to the Orphic Path of Netzach, or the Devotional Path of the Middle Pillar).
ここでは、(「ネツァク」の「謎めいた小径」、もしくは「中央の柱」の「信仰の小径」
とは対照的に)「ヘルメス主義の小径」の形式的な道具たちが学徒に提供される。
--- ここまで ---

つまり、「ホド」においては、我々人間の地上における様々で雑多な低位の概念を、
「魔法のツール」で、きちんと整理して本当に必要なものだけを抽出した上で、より
上位の概念へと転換するという機能があるということです。
そして、上位の概念は、「ホド」においては、低位の我々にとって理解可能な「言語」
もしくは「視覚映像」という形式で、我々に提示されるということになります。

そういうわけで、この「ホド」というのは、我々にとっては、とても役に立つものである
ということは確かであり、それゆえ、魔術界においても、この「ヘルメス主義の小径」は、
基本的というか基礎的なルートになっています。

とはいえ、これだけでは、「ホド」の地点で終わってしまうわけで、我々がさらに上を
目指そうとすると、その次には「ネツァク」という、理屈では全く攻略できないシロモノが、
待ち構えているというわけなんですよね。

84 :名無しさん@占い修業中:2016/04/27(水) 05:31:15.37 ID:HHZn0vB1.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 105) ---
All of this is a great deal less mysterious than it may seem.
これの全ては、思われているかもしれないほどには、ずっと神秘的ではない。

It may appear that to deal with Hod (or any other Sephira) means only the projection
of oneself into this sphere, by ritual or meditative techniques.
「ホド」(もしくは、どのような他の「セフィラ」であれ)に取り組むことは、儀式的
または瞑想的な技法たちによって、この天球の中に自身を投射することだけを意味する
ように見えるかもしれない。
--- ここまで ---

「ホド」は、比較的低位の「セフィラ」であり、それゆえ「理解しやすい」領域にある
ものです。
つまり、我々が「ホド」の体験から直接得られるものは、「mysterious/神秘的」と
言うにはほど遠いものでしかないということになりますし、そもそも「ホド」には、
「神秘的」なものを極力排除し、具体的な「形」、すなわち「言語」や「視覚映像」に
転換するような傾向もあります。

結果として、誰でも勉強することで到達でき、誰もが訓練することで使えるように
なるという、とても実用的な体系、すなわち「ヘルメス主義」という、いわゆる一種の
文芸活動が、ここにあるわけです。

とはいえ、この「ホド」は、真の「ミステリーツアー」の入り口にあることも確かで
あり、この「ホド」を事前に習得しておかないと、あっという間に道に迷ってしまう
ことも、ほぼ確実なわけです。

そういう意味では、神秘主義に旅立つ人々にとっては、神秘主義の模擬訓練の場として、
とても重要なステップであり、そして神秘主義とは無縁な生活を送るワタシのような
世俗の人間にとっても、充分役に立つ知識と経験を与えてくれる、とてもありがたい場
でもあるわけですよね。

85 :名無しさん@占い修業中:2016/04/28(木) 05:32:48.57 ID:/l0vUN7X.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
These are, of course, important.
これらは、もちろん重要である。

But we use the forces of Hod whenever we immerse ourselves in the documents of
the Mysteries, or whenever we approach anything intellectually.
しかし、我々が「神秘的教義」の文書たちに没頭する時にはいつでも、または、我々が
何かに知的に取り組む時にはいつでも、我々は「ホド」の力たちを使う。
--- ここまで ---

繰り返しになりますが、「ホド」は「神秘主義を学ぶ者にとっては、とても重要であり、
欠くべからざる「セフィラ」です。

そもそも、リアル世界ではなく、バーチャル世界に属する「神秘世界」を知覚し理解する
には、「ホド」の「言語」や「視覚映像」による体系的な事前学習が不可欠ですし、たとえ
「ホド」に頼らずに知覚できたとしても、それらを他人に伝達することは困難です。

「ホド」の能力は、優れた知性を持つ人間において、発揮されます。
言い換えると、その手の知性に欠ける「動物的な人」は、「ネツァク」の動物的本能の衝動と
バランスを取ることが難しくなり、ややもすると「本能的な神秘主義」に走りがちになります。

まあ、それはそれでアリかとも思いますが、それだと、どうしても限界というものがあります
ので、早めに「ホド」の重要性にも気づいてほしいとも思うのでした。

86 :名無しさん@占い修業中:2016/04/29(金) 05:39:53.81 ID:F7ymff5k.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
The Sephiroth are integral parts of ourselves, in a state of constant activity.
「セフィロト」は、絶えることのない活動の状態にあり、我々自身にとって不可欠な部分
たちである。

The principle of the practical Qabalah is that we turn our conscious attention
toward a particular aspect of ourselves, and thereby gain access to the corresponding
part of the greater Universe.
実践的「カバラ主義」の原則は、我々が、我々の意識的な注意を我々自身の特定の面に
向けて、それにより、大「宇宙」の対応した部分への接近を得ることである。

As there are four hundred Trees of Life, we function consciously at the highest
level which our spiritual development will allow.
400本の「生命の木たち」があるので、我々は、我々の霊的な発達が許すであろう最高の
段階で意識的に機能する。
--- ここまで ---

「four hundred Trees of Life/400本の生命の木たち」の元ネタは、あいにくワタシは
存じあげませんが、「生命の木」自体は再帰的な性質を持っているので、「四つの世界」
の「4本の生命の木」をベースとして、それぞれの「セフィロト」をフラクタル的な再帰構造
として拡張した理論体系ではないかと推測しています。

まあ、そういうわけで、我々の身の回りには、そして我々自身の中にも、そういった、
より低次の「ミクロな生命の木」が、そこらじゅうに満ちあふれているわけで、そういう
汎用的構造体を意識し、より高次かつ汎用的な「マクロの生命の木」のテンプレートと
結びつけていくことで、より高い視点で、物事を理解し判断できるということですかね。

とはいえ、ワタシ自身は、胡散臭い「spiritual development/霊的な発達」よりも、
より実用的かつ実践的なものを目指したいと思うわけなので、上を見るというよりも、
どちらかと言うと下を見る時に、よく使ったりするわけなのでした。

87 :名無しさん@占い修業中:2016/04/30(土) 06:20:30.71 ID:hhzKUnZh.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
One final point which must be made is that while Mercury is the teacher of the
Mysteries he is also the God of deceit and trickery.
考慮しなければならない一つの最後の要点は、「マーキュリー神」は「神秘的教義」の師
であると同時に、彼は詐欺と策略の「神」でもあるということである。

One writer recently suggested that this aspect partly represents the "adaptability"
required for esoteric work, and conferred by the Hod energies.
最近、ある作家が、こういう面が、秘伝的な作業にとって必要とされ、そして「ホド」の
精力たちにより授けられる「適応性」を部分的に意味していることを提案した。

But, as has been said, the whole Astral realm seeks to deceive.
しかし、 述べられているように、「星幽界の領域全体は、欺すことに努める」。
--- ここまで ---

「神秘主義」の本質は、「見えざるバーチャル世界」を、さも見えているように記述する
ことであり、実質的に、「無価値のものを、さも価値があるように見せる詐欺師」と区別
することは出来ません。

ちなみに、ここで述べられている「One writer/ある作家」は、おそらくはダイアン・
フォーチュン女史ではないかと思うのですが、「ミステリー作家」という立場からすれば、
こういう物議を醸すネタを読者に提供することは、決して悪いことではありません。

それはともかくとして、「ホド」に限らず、全ての「セフィロト」には、常に二面性を持つと
いうことを忘れてはなりません。
要するに、全ての物事には、表の顔があれば、裏の顔もあるわけであり、そういう意味
でも、何事であれ、思考を停止して全面的に信頼し盲信することは、避けた方が無難
ということなんですよね。

88 :名無しさん@占い修業中:2016/05/01(日) 07:20:37.61 ID:ep8gbaqE.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
When we deal with the astral images, we do so with all of the perceptual
vulnerability of our human minds.
我々が星幽的な像たちに取り組む時は、我々は、我々人間の精神たちが有する知覚の
脆弱性の全てを用いて、そうする。

We are particularly susceptible to this in the alternately bright and murky sphere
of Yesod.
我々は特に、「イェソド」の交互に明暗する天球においては、これに影響され易い。

And it is in Hod that we begin to understand the mechanisms of our perceptions.
そして我々が、我々の認知たちの仕組みたちを理解し始めるのは、「ホド」においてである。
--- ここまで ---

「astral images/星幽的な像たち」というのは、いわゆる「脳内妄想の世界」であり、
人間の精神的な活動の産物そのものでもあります。
そして、意識的であれ無意識的であれ、リアルでないものを見ようとするには、物理的な
存在である「人間の脳」に対して、何らかの「普通ではない働きかけ」をする必要がある
わけです。
ちなみに、巨大コンピュータでもある「人間の脳」というのは、バグだらけで脆弱性の
固まりのような欠陥だらけの産物であって、普通の人間であれば、「催眠術」や「洗脳」
のような手段で、いとも簡単にハッキングされてしまうわけです。

そのような不安定な状態は、満ち欠けで明暗を繰り返す「月」の天球に属する「イェソド」
においては顕著であり、そういう不安定な状態をきちんと制御しようとするには、その
上位の「ホド」と「ネツァク」の助けが、絶対に必要とされるわけです。

とはいえ、「神秘」の入り口である「イェソド」までは簡単に入れるのですが、その先に
ある「ホド」と「ネツァク」まで到達できる人って、本当に限られているわけで、結局は、
「神秘主義」と「妄想」は、実質的には同じような状態になっているわけなんですよね。

89 :名無しさん@占い修業中:2016/05/02(月) 05:50:44.76 ID:xGjMr4DV.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
THE EIGHTS
8たち
--- ここまで ---

ここからは、前回同様「8. HOD: Splendor/8. ホド:壮麗」の節の中の、
新しい項になります。

このサブタイトルの後には、前回と同様に『"T"の書』からの引用が続きます。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
Generally show solitary success; i.e., success in the matter for the time being,
but not leading to much result apart from the thing itself.
一般的に、孤立した成功を示す;すなわち、当分の間は、その問題については成功する
けれども、その事物自体を別として、大した結果をもたらすことはない。
--- ここまで ---

「ホド」は「壮麗」という意味ですが、その言葉のイメージからすると、ずいぶんと
寂しい解釈になっています。
つまりは、「ネツァク:勝利」が「形なき力」とすれば、「ホド:壮麗」は「力なき形」
という立場にあり、結果として「外観重視」とか「装備重視」というか「うわべだけの
知識や技術」という傾向が出てきてしまうため、まだまだ「経験値」の低いキャラでは、
ザコ相手には充分であっても、まだラスボスを倒して一気にステージをクリアできる
レベルには到達していないというわけです。

とはいえ、我々のような経験値の低いザコキャラにとっては、こういう「うわべだけの
知識や技術」による成功というのも、それはそれで経験値を積むためにはアリなわけで
あって、これ自体を決して軽々しく扱うようなことは出来ません。
それに、こういう小さな努力の積み重ねの中に、次のイベントのフラグが立ったりする
わけですので、これって実はとても大事な修行の過程でもあるわけなんですよね。

90 :名無しさん@占い修業中:2016/05/03(火) 07:41:58.14 ID:Iri3jwaO.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
EIGHT OF WANDS, Lord of Swiftness (Mercury in Sagittarius).
棒の8、迅速の主(人馬宮の水星)

Angels of the Decan: Nithahiah ([he][yod][he][tau][nun]) and Haayah
([he][yod][aleph][aleph][he]).
「デカン」の天使たち:ニサヒア([he][yod][he][tau][nun])とハアアヤ
([he][yod][aleph][aleph][he])。
--- ここまで ---

いつものように、8のカードの最初は「棒」の、「EIGHT OF WANDS/棒の8」です。

この「棒の8」は、ゴールデン・ドーンでは「人馬宮の第一デカン」と「水星」に
割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」として、
・人馬宮の第一デカンの前半(0°〜 5°)= Nithahiah:NThHYH/ニサヒア
・人馬宮の第一デカンの後半(5°〜10°)= Haayah:HAAYH/ハアアヤ
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」では、例によってカードの上下には水星と人馬宮のシンボルが
描かれていることになっていますので、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードで
それらが省略されているのが気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「棒の8」の「水星」と「人馬宮」という知性派コンビですが、知性派とはいえ
実は全く性質が異なるタイプであって、それゆえ決して相性が良い方ではありません。
このカードのベースとなるパワーは、「棒」の「火」と「人馬宮」の「火」であり、それに
対抗するのが「水星」の「火以外」という感じになっていますが、さらに「ホド」の「水」
と相まって、なかなかに複雑で、それゆえ変化の多い関係性となっているわけです。

91 :名無しさん@占い修業中:2016/05/04(水) 07:02:33.77 ID:Wr4qru0s.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
This is Hod in Atziluth, the influence of Hod in the World of Pure Spirit.
これは、「アツィルト」における「ホド」、「純粋な精霊の世界」における「ホド」
の影響である。

Mercury is not well placed here; it is in its detriment in Sagittarius.
「水星」は、ここではあまり良く置かれない;それは「人馬宮」においては、その障害の
状態にある。
--- ここまで ---

占星術には、「惑星」と「星座」の関係性として、「Dignity/品位」という考え方が
あります。
そして、この「detriment/障害」というのは、その惑星が支配する星座の反対(180度)の
位置の星座にある状態、つまり「水星」の支配星座は「双児宮」と「処女宮」ですので、
その反対の「人馬宮」と「双魚宮」の位置にあるということです。
ちなみに、この「detriment/障害」の状態にある「水星」ですが、本来のズル賢さが
いまいち発揮できなくて、「人馬宮」の「火」が「棒」の「火」と合わさったパワーに
押し切られてしまっているという感じになります。

そういうわけですので、たまに制御不能となって暴走してしまうこともあるのですが、
さほど持久力が無いので、これに続く何かのイベントが無いと、最後にはグダグダに
なってしまいがちです。
まあ、若い時って、そういう投げっぱなしのオチ無しというのもありがちなのですが、
きっと人生経験を積んでいけば、ある程度までは自制できるようになるのでしょうね。

それはともかく、このカードでは「ホド」の力が充分に発揮されているとは言い難いわけ
ですので、その取り扱いには、それなりに注意が必要です。
まあ、放置プレイで自然鎮火させて無かったことにするか、わざわざ火中の栗を拾って、
次のステップに繋げるかは、あなた次第でもあるわけですけどね。

92 :名無しさん@占い修業中:2016/05/05(木) 06:53:22.95 ID:Kyw9u2kg.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 106) ---
Its energies are mitigated and quickly expended in the Sign of the Archer,
a phenomenon which Crowley has likened to electricity in his card.
その精力たちは、「射手の星座」の中では、緩和されて急速に費やされ、クロウリー氏の
現象では、彼のカードにおいては、電気に例えられている。

The divinatory meaning is swiftness or rapidity.
占いの意味は、「迅速、もしくは急速」である。
--- ここまで ---

いずれにしても、「ホド」の「水星」のパワーは、この「棒の8」の「人馬宮」の位置では、
本来の能力を充分に発揮できずに、すぐに別の形に変換されてしまうことになりがちです。

この変換された「ホド」のパワーは、"Tの書"には「Hasty communication and messages.
Swiftness/急な情報伝達と伝言たち。迅速さ」と書かれており、ウェイト版においては、
こちらの意味が強く出ています。

ちなみに、ゴールデン・ドーン版の意味がベースになってはいますが、トート版の意味と
ウェイト版の意味は、かなり内容が異なっています。
それは、トート版が「ホド」の迅速なエネルギーに注目している一方で、ウェイト版では
「ホド」の迅速なコミュニケーションに注目しているということであり、どちらにしても、
この次のステップが重要であるということになるわけです。

とはいえ、ここでの「ホド」の「水星」の作用は、かなり限定的です。
結果として、我々は、この手のメッセージの重要性を見逃してしまいがちです。
それらわきちんと受け止めるためには、それなりの勉強と経験が必要なのは、言うまでも
ないことなのですが、実のところ、なかなか難しいんですよね。
この世の中って、「見えない、聞こえない、言えない」人の方が多いわけですから。

93 :名無しさん@占い修業中:2016/05/06(金) 05:04:38.19 ID:+VFZjaUu.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 107) ---
EIGHT OF CUPS, Lord of Abandoned Success (Saturn in Pisces).
杯の8、捨てられた成功の主(双魚宮の土星)

Angels of the Decan: Vavaliah ([he][yod][lamed][vau][vau]) and Yelahiah
([he][yod][he][lamed][yod]).
「デカン」の天使たち:ヴァヴァリア([he][yod][lamed][vau][vau])とイェラヒア
([he][yod][he][lamed][yod])。
--- ここまで ---

「Eight of Cups/杯の8」は、ゴールデン・ドーンでは「双魚宮の第一デカン」と
「土星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・双魚宮の第一デカンの前半(0°〜5°)= Vavaliah:VVLYH/ヴァヴァリア
・双魚宮の第一デカンの後半(5°〜10°)= Yelahiah:YLHYH/イェラヒア
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説では、カードの上下には「土星と双魚宮」のシンボルが描かれて
いることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは、それらが省略
されていますので、もし気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、「土星」と「双魚宮」の関係ですが、まあ良くもなく悪くもなくという、ちょっと
冷めたような関係になっています。
また「土星」は「ビナー」に関連するため、「ホド」の「峻厳の柱」の性質が強めに発揮
されることになり、そのため、作り出す知力と、それを破壊しようとする力の両方が現れて
来ているということになるわけです。
まあ、まだまだ未熟な心と未熟な知識や技術であって、そして「ネツァク」の情熱をまだ
知らないままで、色々と人生を試行錯誤しているような感じではありますよね。

94 :名無しさん@占い修業中:2016/05/07(土) 06:11:44.23 ID:YT1OvQmX.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 107) ---
This is Hod in Briah, the influence of Hod in the Mental World.
これは「ブリアー」における「ホド」、「精神世界」における「ホド」の影響である。

Saturn in fine Water Sign Pisces brings about subtle problems, and a certain introspection
which manifests as a sense of disinterest with the material condition.
繊細なる「水の星座」の「双魚宮」にある「土星」は、微妙な問題たちと、そして物質的な
状況に対する興味の喪失の感覚として現れる、ある程度の内省を引き起こす。
--- ここまで ---

「土星」って、よく「凶星」に見られることもあるのですが、基本的には堅実なタイプで
あって、責任感も強く、何事にも真剣に取り組むような感じの性格です。
まあ、それだけに、何か気に入らないことがあっても、その感情を内に秘めて、コツコツと
物事を無し遂げていくという、まあ、物静かな職人タイプっていう感じですかね。

一方で、「水の星座」の「双魚宮」ですが、これは二匹の魚(躁と鬱)から成っていて、
元々かなりの情緒不安定が入っており、そういう意味では、「双魚宮の土星」というのは、
外から見ているだけでは絶対にわからない二重人格的なところがあるわけです。
やっかいなのは、「土星」には、一旦言い出したら、絶対に引かないという頑固な性質が
あるので、気づいた時には手遅れで、もうどうにも引き留めようがないんですよね。

つまり、最初のうちは「ホド」と「土星」の勤勉さと「双魚宮」の躁気質で、ある程度の
物質的な成功を収めるのですが、ほどなく「ホド」と「土星」の破壊的性質と「双魚宮」の
欝体質が出てしまい、どこか別の世界に逝ってしまうということになってしまうわけです。

まあ、一種の「人生の迷い」の時期ではあるのですが、「杯の8」って、注がれる水の量が
かなり少ない時期ですので、外からは、なかなかこれといった対策が取れないわけです。
とりあえず、欝の時期を乗り切って、本人のヤル気が戻って来るまでは、そっとしておいて
あげる方が良いのかもしれませんね。

95 :名無しさん@占い修業中:2016/05/08(日) 05:59:48.14 ID:EMHDKz0i.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 107) ---
The effect of water on Saturn is to produce discontent, the abandoned success,
or decline of interest in anything which this card means.
「土星」での水の効果は、不満を生じさせるため、このカードが意味する「捨てられた
成功、もしくは、何事であれ興味の減退」となる。

That idea is shown by Waite's figure which walks away from the Cups.
その考え方は、「杯たち」から立ち去るウェイト版の人物像により示される。
--- ここまで ---

「土星」は、「地」の性質を帯びているので、「水」との相性は良くもなく、とはいえ
悪いというほどのことでもないわけで、要するに、すこぶるどうでもいいというか、
お互いにあまり関心が無いような関係性ということになりがちです。

とはいえ、それなりに仕事の能力はあるわけで、物理世界においては、それなりに成功
して、それなりの結果を出しているわけですが、その成功自体が、なんかいまいち気に
入らないというか、「これが一体、私にとって何の意味があるの?」というような、
やっかいな心の問題を引き起こしてしまうことになるわけです。

つまりこれは、ある程度の知識と技術と経験を習得し、一定の成功を収めた者が陥りがちな
「自分探しの旅」のきっかけとなるカードであって、物だけでなく心も満足させてくれる
ような「天職」、もしくは「自身の居場所」を求めてさまよう、ロマンあふれる「旅人」
となることを表しているわけです。

ちなみに、「ホド」のレベルに到達できていないスキルの無い者が「自分探しの旅」に
出てしまう場合は、この「杯の8」の「旅人」ではなく、「マルクト」の物質的なしがらみ
から抜け出せない「ニート」もしくは「フリーター」となってしまう確率が高くなります
ので、くれぐれも自己のレベルを勘違いしないようにしましょう。

96 :名無しさん@占い修業中:2016/05/09(月) 05:11:56.61 ID:OEy2f+DQ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 107) ---
EIGHT OF SWORDS, Lord of Shortened Force (Jupiter in Gemini).
剣の8、短縮された力の主(双児宮の木星)。

Angels of the Decan: Vemibael ([lamed][aleph][beth][mem][vau]) and Yehohel
([lamed][aleph][he][he][yod]).
「デカン」の天使たち:ヴェミバエル([lamed][aleph][beth][mem][vau])とイェホヘル
([lamed][aleph][he][he][yod])。
--- ここまで ---

「Eight of Swords/剣の8」は、ゴールデン・ドーンでは「双児宮の第一デカン」と
「木星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・双児宮の第一デカンの前半(0°〜 5°)= Vemibael:VMVAL/ヴェミバエル
・双児宮の第一デカンの後半(5°〜10°)= Yehohel:YHHAL/イェホヘル
が割り当てられているということです。

いつものように、「"T"の書」の解説には、カードの上下に、木星と双児宮のシンボルが
描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは省略
されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「木星」と「双児宮」の関係ですが、「木星」は「人馬宮」の支配星ですので、
「双児宮」とは正反対の位置にあるため、かなり相性は悪いです。
結果として、「木星」の持つ本来の優れたパワーはうまく発揮されず、「双児宮」の持つ
二重人格性と相まって、わけわかんない状態に陥ってしまうことが、ままあります。
まあ、自分自身がわけわかんなくなるだけなら、まだマシなのですが、周囲を巻き込んで
グチャグチャにしてしまうこともあるわけですので、こういう状態の人と付き合うハメに
なってしまった時は、要注意なわけです。

97 :名無しさん@占い修業中:2016/05/10(火) 05:30:19.91 ID:S7EoeREM.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 107) ---
This is Hod in Yetzirah, the influence of Hod in the Astral World.
これは、「イェツィラー」における「ホド」、「星幽界」における「ホド」の影響である。

The weakness of Jupiter (expansiveness), here in its detriment, allows the natural
dualities of Gemini to affect its positive energies.
「木星」(雄大さ)の弱点は、ここではその障害の状態にあり、「双児宮」の天性の
二重性たちがその積極的な精力たちに悪影響を及ぼすことを可能にする。
--- ここまで ---

「木星」の持つ「expansiveness/雄大さ」というのは、家長とか社長とか王者とかいう
ような指導的な立場で、慈悲と寛大さをもって子供たちの成長を見守るとかいう感じで
発揮されるわけなのですが、ここでは、それが弱点になっているということです。

つまり、「剣の8」は、「棒の8」の時と同じように、惑星と星座が「detriment/障害」の
状態にあるため、お互いの良さが発揮されずに、どちらかと言うと悪い方向に影響し合う
ことになるわけです。
「木星」のパワーは強大であり、本来は慈悲と寛大さをもって子供たちの成長を見守る
ということなのですが、ここではそれがアダとなってしまい、「双児宮」のガキの
わがままさを助長してしまって、「モンスターペアレント」化してしまっているような
感じですかね。

結果的に、「木星」の持つ広い視野は狭められ、すごく細かいことを気にしすぎて、
気に入らないことには何でもかんでもクレームを付けるという、本来は「オトナ」である
はずの「木星」が、聞き分けのないガキと同様な状態になっているというわけです。

まあ、今はたまたまそういう時期であるということであれば我慢もしますが、勘違いして
ここから抜け出せない状態の人って結構いますので、こちらが当初思っているよりも、
やっかいな状況である場合もありますので、それなりに要注意なカードなのです。

98 :名無しさん@占い修業中:2016/05/11(水) 05:21:03.86 ID:unZWMyTK.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 107) ---
They are cut back or shortened, by a desire to go first in one direction and then
another.
それらは、最初はある方向へ、それから別のものへと行こうとする欲望により、削減されるか
短縮される。

The application of Jupiter force in this sign may be erratic and unstable, or it
may be intense and positive, though brief in duration.
この星座における「木星」の力の応用は、一貫性が無く不安定であるかもしれないし、
もしくは、それは強烈で積極的であるかもしれないけれども持続時間が短い。
--- ここまで ---

「木星」の持つ「intense and positive/強烈で積極的」なパワーは、「双児宮」の持つ
「duality/二重性」により、興味の対象が分散することで、首尾一貫して発揮することが
出来ずに力が分散されてしまい、さらに悪いことに、「detriment/障害」の状態にある
ため、結果的には悪い方向に行ってしまいがちになるということです。

まあ、いずれにしても、このままでは良い方向には行かないことは明白ですので、何とか
して「木星」の暴走状態を止めることが必要になるわけですが、元々が強大な力を持つ
「惑星」ですので、そう簡単に外部から制御できるわけでもありませんし、一時的には
成功したりすることもありますので、そういうのもやっかいなんですよね。

まあ、完全にダメダメな状態であれば、それなりに納得してもらいやすいのですが、
当事者はまだヤル気がいっぱいなわけですし、ヘタに口出しをしようものなら、「木星」
だけでなく「双児宮」の悪知恵も重なってしまって、どうにも手の打ちようがないという、
実にやっかいな状況に陥るということにもなりがちです。

結局のところ、とある将軍様の国みたいな状況になっていて、そう簡単には逃れられない
ということになっていますので、周囲の人は迷惑に感じるかもしれませんが、ある程度は
あきらめてもらうしかないということなのかもしれません。

99 :名無しさん@占い修業中:2016/05/12(木) 05:29:07.38 ID:pIsmTTje.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
Crowley attempts to show this by making all eight Swords different.
クロウリー氏は、8本の「剣たち」全てを異なるものにすることで、これを示すことを試みる。

Waite, on the other hand, illustrated the effect of this condition of energies:
shortened force, narrowness or restriction, a prison.
ウェイト氏は、その一方で、以下の、この精力たちの状態の効果を図解した:短縮された力、
狭量もしくは制約、刑務所。
--- ここまで ---

トート版では、剣の向く方向を違わせるだけでなく、それぞれの剣の種類を全て違わせる
ことで、その方向性がバラバラであることを示しています。
つまり、それぞれの剣の力が、まとまって作用することが無く、持続性に欠け、結果として、
あまり良くない状況にあるということになります。

ウェイト版では、その節操の無い「剣たち」の作用により、一人の女性が縛られて目隠し
された状態が図示されています。
この女性は、本人自身を示すのか、周囲にいる犠牲者なのかは分かりませんが、何らかの
暴力的な剣の力が働いていて、身動きできないというか、そこから動こうとしない状況に
陥っているということになっています。
とはいえ、この「剣」による束縛も、さほど長続きするようなものでもなくて、割と気分
次第ということになり、何となく「モラハラ男」による束縛状態という感じもあります。
まあ、そういう人間と付き合っていると、ロクなことにはならないので、さっさと逃げ
出せばいいのにと思うのですが、そういうモラハラ的な人間に欺されて束縛されてしまう
犠牲者というのも、一定数いるわけです。
その要因となるのは、「木星」の持つ優しさと、「双児宮」の計算高さということであり、
詐欺師とまでは言いませんが、周囲にいると極めて厄介な人物であることには間違いあり
ませんので、こいつは怪しいと思ったら、なるべく避けて通るのが一番ではないかと思う
のでした。

100 :名無しさん@占い修業中:2016/05/13(金) 05:26:19.03 ID:yKLH1DrR.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
EIGHT OF PENTACLES, Lord of Prudence (Sun in Virgo).
五芒貨の8、慎重さの主(処女宮の太陽)。

Angels of the Decan: Akaiah ([he][yod][aleph][kaph][aleph]) and Kehethel
([lamed][aleph][tau][he][kaph]).
「デカン」の天使たち:アカイア([he][yod][aleph][kaph][aleph])とケヘセル
([lamed][aleph][tau][he][kaph])。
--- ここまで ---

「Eight of Pentacles/五芒貨の8」は、ゴールデン・ドーンでは「処女宮(おとめ座)の
第一デカン」と「太陽」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」は、
・処女宮の第一デカンの前半(0°〜 5°)= Akaiah:AKAYH/アカイア
・処女宮の第一デカンの後半(5°〜10°)= Kehethel:KHThAL/ケヘセル
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説文には、いつものように、カードの上下に、太陽と処女宮の
シンボルが描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカード
では省略されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、「五芒貨の8」は、「Prudence/慎重さ」という、吉凶が定まらないというか、
いまいちネガティブな感じの意味となっています。

「太陽」と「処女宮」の相性は、良くもなく悪くもなくという感じではあります。
一方で、「ホド」の「水星」と「処女宮」の支配星である「水星」のマッチングは良い
ので、こちらのパワーが優先的に発揮され、それゆえ「処女宮」寄りの性質が強く出て
くるために、先の先まで色々と悪いことを考え過ぎてしまい、それが結果として、
「Prudence/慎重さ」という行動になってしまっているということですかね。

101 :名無しさん@占い修業中:2016/05/14(土) 05:43:38.87 ID:nBZ+9XwU.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
The planetary aspect here is a very practical one which tends to cause concern
with small details.
ここでの惑星の様相は、ささいな物事たちに対する関心をもたらす傾向がある、非常に
実践的なものである。
--- ここまで ---

「五芒貨の8」に配属された惑星は「太陽」ですが、その本来の性質を考えれば、ここの
説明文には違和感があります。
つまり、「五芒貨の8」を支配する惑星は、実は「太陽」ではなくて、「ホド」の「水星」
と「処女宮」の支配星である「水星」が支配的であるということなのです。

要するに、「太陽」の持つ「上を向いて歩こう」的な大らかさではなく、「下を向いて
チマチマと何かをやる」という傾向が強いわけであり、将来の夢を雄弁に語るよりも、
目の前にある物事をコツコツとやっていくということにもなるわけですす。

どちらが良いとか悪いとか、そういうことではないのですが、いまいちバランス感覚が
悪いというか、現実主義的すぎる傾向、すなわち「very practical one/非常に実践的
なもの」の方向に、視点が向いてしまっているわけですよね。

そして、「処女宮」の持つ「ささいなことについて、気にし過ぎる」傾向がより強く出て
くると、完璧職人気質となって、現実世界からも逃避して、自分自身の世界にのめり込む
という、どちらかというと自己陶酔に近いことになり、そういう自己中な態度は、結果と
して、金儲けには繋がらないということにもなりがちです。

もちろん、このカードは「金銭的」には結果的に「吉」となることが多いのですが、
それは将来を約束されたものではなくて、あくまでも他のカードとの相性によるという
ことなんですよね。

102 :名無しさん@占い修業中:2016/05/15(日) 07:36:45.20 ID:MaLjfg6b.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
Like the rest of the eights, any gain which may appear is limited, and "Prudence"
is no great virtue.
8たちの残りのように、出現するかもしれないどんな利益も制限され、そして「慎重さ」と
いうものは大した美徳ではない。

Waite's craftsman illustrates the meaning of the card in divination, skill, prudence,
and overcarefulness about small things, at the expense of the great.
ウェイト版の職人は、「技能、慎重さ」、および「大きな物事を代償にして、小さな物事に
対して慎重になり過ぎること」、という占いにおけるカードの意味を図解している。
--- ここまで ---

「五芒貨の8」は、技術や技能を必要以上に重要視する「職人気質」という性質があります。

つまり、使う方にとっては、すこぶるどうでもいいようなことに対して、職人としての
一途な執念を燃やすという、マニアックというか、力の入れ方が間違っているというか、
斜め上の方向に行ってるというか、要するに若さと未熟さゆえの迷走というか暴走でも
あるわけですので、それらの情熱を一概に否定する必要は無いのですが、いずれにしても、
そのような内向きで自己中心的な状況では、利益には結びつかないということでもあります。

ちなみにこれが「職人」ではなく「商人」レベルで出現すると、超マニアックな趣味の店の
店主というイメージになり、一部の人々にとっての話題性はあるけれども、全くもって
利益の上がらない状態になるということになるわけです。

まあ、それなりに知恵も力も能力も技術もあるわけですので、ちょっとしたきっかけや、
理解してもらえる協力者がいれぱ、それなりの利益に繋がることもあるわけですが、
現実的には、そういう状況にはなかなか巡り会わないので、自分自身で殻を破って、
自分の利己的な欲求でははなく、お金を払って買ってくれるお客様の要求に叶うものを、
作っていかないといけないということに、気づく必要があるということなんですよね。

103 :名無しさん@占い修業中:2016/05/16(月) 05:20:23.95 ID:2rB+84UJ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
9. YESOD: The Foundation

9. イェソド:基盤
The Four Nines
「四枚の9たち」
--- ここまで ---

ここからは、「ホド」の次の「セフィラ」である、「イェソド」の話になります。

この「イェソド」は、「ネツァク」と「ホド」と共に、「星幽的三角形」を形成しており、
位置的には、「ティファレト」と鏡像関係、すなわち「ティファレト」が「太陽」で、
「イェソド」は、その太陽光線を反射して光り輝く「月」ということになるわけです。

とはいえ、「イェソド」は、劣化版「ティファレト」ということでもなく、その働きには
「月とスッポン」ぐらいの違いがあり、似て非なるものと考えておいた方がいいです。

というのは、「ティファレト」というものは、しょせん我々にとっては手に届かない世界
であり、選ばれし人がムチャクチャ頑張った場合の「この世のゴール」というシロモノで
あるわけですが、その一方で「イェソド」は、我々の住む物質的世界である「マルクト」
の、すぐ隣りにある「精神的世界」であって、そして我々下界の人間にとっては、上位世界
への最初の「入り口」でもあるわけです。

つまりは、俗世に住む我々誰もが、近場の温泉旅行に近い感覚で「おいしく食べられる」
のが「スッポン」、いや「イェソド」ということであって、そういう俗世間的な楽しみ方も
ある程度は許されるのが、この「イェソド」でもあるわけで、「イェソド良いとこ一度は
おいで」的なところもあるわけです。
とはいえ、「イェソド」自身は、そんなに甘い世界ということでもないわけですので、
あまりハメを外してしまうと、神様が怒って天罰が下ることにもなりかねませんので、
ある程度の節度を持って「精神世界」を楽しんで頂ければ良いかと思います。

104 :名無しさん@占い修業中:2016/05/17(火) 05:27:45.98 ID:RfGRA/WZ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
□ The Astral Light
□ 星幽光

□ The Storehouse of Images
□ 像たちの倉庫

□ The Cyclic Energies underlying Matter
□ 物質の根底にある周期的な精力たち
--- ここまで ---

「イェソド」は、漏斗状になった「星幽的三角形」の下側の頂点にあたり、それゆえ、
上位「セフィロト」から流出した「Energies/精力たち」を一手に引き受けて、下位の
「マルクト」に注ぎ込むという役割があります。
つまり、貯水ダムみたいなものであって、「調節弁」であると同時に「エネルギー変換器」
であり「フィルター」でもあるわけで、この「イェソド」のゲードとしての働きにより、
我々人類は「マルクト」に生まれ、そして生きていくことが可能となっているわけです。

そして、その上位「セフィロト」からのエネルギーの流れを象徴するものが、オカルト界で
「The Astral Light/星幽光」と呼ばれているものであり、上位「セフィロト」からの様々な
イメージが束ねられる場所としての「The Storehouse of Images/像たちの倉庫」となって
いるということです。

まあ、「イェソド」はその立場上、上位「セフィロト」に対しては「総受け」のポジション
であり、さらに魔術イメージが「非常に力強い、美しい裸の男性」であることもあって、
そういう意味での「The Storehouse of Images/妄想たちの宝庫」という意味もあるわけ
ですが、それはまた別の場所で語って頂ければと思います。

いずれにしろ、「イェソド」は「マルクト」へと至る最も重要な「関所」であり、我々に
とっては決して避けて通ることが出来ないものであることは、理解しておいてください。

105 :名無しさん@占い修業中:2016/05/18(水) 05:29:25.71 ID:uh7/hMO3.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
Symbols: The Perfume and Sandals
「象徴たち」:「香」と「サンダル」

Planet: The Moon
「惑星」:「月」

Color: Violet
「色」:「スミレ色」
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である、「香」を焚いている香炉みたいな
ものと、一足の「サンダル(靴底だけで、靴紐で足に固定するもの)」と、「三日月」の
記号、および「生命の木」における「イェソド」の位置が図示された絵が描かれています。

それにしても、こういうふうに「生命の木」に「イェソド」の位置を図示すると、なかなか
絶妙なエロさを感じる構図であり、これだけでも、ご飯三杯はイケそうです。

とはいえ、「イェソド」というのは、本質的には、満ち欠けを繰り返す「月」であって、
日々その位置や状態や性質を変えているため、そういう表面的に変化する状況に慣れない
うちは、なかなか実態を掴めないというのもあります。
つまり、観光気分で一回だけ行っても、なかなかその良さはわかりませんので、できれば
何度もリピートして、様々な四季の変化を楽しむというのが、通というものですよる。

「イェソド」は、我々「マルクト」のすぐ上にある領域ですので、その気になれば、きちんと
した手順を踏むことで、割と気軽に訪問することが可能です。
そして、その「イェソド」の中には、色々な観光スポットや体験スポットがありますので、
自分の好きな場所を探しながら探検するのも、面白いのではないかと思うのでした。

106 :名無しさん@占い修業中:2016/05/19(木) 05:30:28.41 ID:woPPalUV.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 108) ---
The beams of Chesed and Geburah meet in Yesod, and thence ariseth in Yesod a brilliant
deep violet-purple or puce, and thus is the third Triad completed.
「ケセド」と「ゲブラー」の光線たちが「イェソド」に集まり、そこから「イェソド」に
おいて、光輝く深いスミレ色の紫もしくは暗赤色が生じ、そしてこのようにして、完成された
第三の「三つ組」がある。

And the sphere of its operation is that of Levanah, the Lunar beam, bestowing change,
increase and decrease upon created things and it ruleth the Sphere of Action of the
Moon and the nature of mankind.
そして、その作用する天球は「レヴァナ」、すなわち「月」の光線であり、創造されたものに
対して変化、増加、および減少を授け、そしてそれは「月の活動の天球」と、人類の本性を
支配する。

And Shaddai is a God who sheddeth benefits, Omnipotent and Satisfying, and Al Chai
is the God of Life, the Living One.
そして、「シャダイ」は、恩恵と「全能」そして「満足」を与える「神」であり、そして
「エル・ハイ」は「生命の神」、「生ける者」である。

Its Archangel is Gabriel, the Prince of Change and Alteration.
その「大天使」は「ガブリエル」、「変化と変更の王子」である。

And the name of the Order of Angels is Kerubim or Kerubic Ones who are also called
the Order of Angels.
そして、「天使たちの階級」の名前は、「天使たちの階級」とも呼ばれる「ケルビム」
もしくは「ケルビムの者たち」である。
--- ここまで ---

ここの部分は、いつものように、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識
講義」の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。

107 :名無しさん@占い修業中:2016/05/20(金) 05:26:00.07 ID:IZxUj9vP.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
As we approach the ninth Sephira what has previously been considered theoretically
may become very practical.
我々が9番目の「セフィラ」に接近するにつれて、以前に理論的に考慮されたことがある
ものは、非常に実践的になるかもしれない。

In Yesod are those energies, directly underlying the material world, which are
manipulated in various forms of meditation and in what is called "Magic."
「イェソド」においては、物質的世界の直接的な根底にある、それらの精力たちが、
瞑想の様々な形式たち、および「魔術」と呼ばれているものにおいて操作される 。
--- ここまで ---

「イェソド」の世界は、我々の「マルクト」の直上にありますので、「イェソド」は、
直接的には「マルクト」の産みの親であるということになります。

つまり、子である「マルクト」の我々にとっては、「イェソド」とは、常に身近にある
親のような存在であり、それゆえ親しみやすい対象でもあり、そして色々な状況で我々の
役に立ってくれる、とても有り難い存在でもあるわけです。

とはいえ、「イェソド」に住む親は、物質的な肉体を持っていませんので、我々はそれを
直接、五感で見たり聞いたりすることはできません。
つまり、理論的には「ある」ことは間違いないのですが、物理的にそれを証明することは
出来ないということになるわけです。
裏を返せば、物理的に直接証明しているような「それっぽいもの」は、全ては「マルクト」
の詐欺師の世界のものであって、決して「イェソド」のものではないということですので、
賢明な人は、それっぽいものには欺されないようにしましょう。

まあ、そうはいっても、「イェソド」と「マルクト」は密接な関係があるので、そう簡単
には「物質的な御利益」を切り離して考えることも難しいんですよね。
とりあえず、一般人の我々は、君子危うきに近寄らず、でいいと思うのでした。

108 :名無しさん@占い修業中:2016/05/20(金) 22:44:07.64 ID:zCHWooYQ.net
こっそりお邪魔します。ものすごく勉強になります。ありがとうございます。

109 :名無しさん@占い修業中:2016/05/21(土) 06:54:42.25 ID:rmqGeSXt.net
>>108
久しぶりの応援カキコ、ありがとうございます。 (^_^)/

まだまだ先は長いので、のんびり勉強していってくださいね。 (^ ^)

110 :名無しさん@占い修業中:2016/05/21(土) 06:58:21.41 ID:rmqGeSXt.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
These currents are known as the Astral Light or Akashic Fluid.
これらの流れたちは、「星幽光」もしくは「アカシック流体」として知られている。

In the mid-nineteenth century Von Reichenbach, one of the first scientific
investigators of psychic phenomenon, described this as the Odic Force,(*87)
a term still occasionally employed.
19世紀中頃、心霊現象の最初の科学的な研究者たちの1人であるフォン・ライヘンバッハ氏
は、これを、今もまだ時々使用される用語である「オドの力」(*87)と評した。
--- ここまで ---

ちなみに、(*87)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
87. Karl Baron Von Reichenbach, Researches on Magnetism, Electricity, Heat, Light,
Crystallization and Chemical Attraction in their relations to The Vital Force,
New York 1974.
87. カール・バロン・フォン・ライヘンバッハ著、『磁気、電気、熱、光、結晶体、および
「生命力」に関係するそれらの化学的親和力の研究たち』、ニューヨーク、1974年発行。
--- ここまで ---
とあります。

過去においては、このエネルギー体は、色々な呼び方がされてはいますが、「カバラ主義」
においては、それらは「イェソド」に関係する、「マルクト」の物理界の裏側にある、
基礎的な神秘エネルギーであるとして、一括りに考えることが可能となっています。

何でここで一括りに考えるのかというと、「カバラ主義」においては、その上位には、
より重要な8つもの「セフィロト」があるので、このイントロ部分に無駄に時間をかけて
しまうと、人の寿命は比較的短いので、死ぬまでに上の世界に到達することができなく
なってしまうからなんですよね。
ということで、無駄な寄り道をせず、さっさと終わらせてしまいましょう。←おまいが言うなw

111 :名無しさん@占い修業中:2016/05/22(日) 05:28:27.10 ID:B2qL7KK9.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
Whatever this energy is called, it is an energy which each person has the capacity
to experience within himself and to profoundly develop.
たとえこの精力が何と呼ばれようと、それは、各々の人間が、彼自身の内部で経験し、
奥深く開発するための能力として持っている精力である。

Everyone feels the presence of the Astral Light, though most dismiss it as a
generalized neurological stimulation, attributable to some vague physical cause.
誰もがみな「星幽光」の存在を、たいていの人は全身性の神経学的な刺激としてそれを
片付けるけれども、ある漠然とした物質的な原因に起因すると感じている。
--- ここまで ---

「イェソド」のエネルギーは、「マルクト」に生まれた「子」である我々の誰もに、
恒久的に等しく流入されています。

とはいえ、その流れてくる「イェソド」のエネルギーそのものは、我々の物理界に作用を
及ぼしていることが直接観測できない「宇宙の暗黒エネルギー」のようなものであって、
そう簡単には証明できないという難点があります。

つまり、我々は、それを第三者的な立場、もしくは測定機器を使ってそれを見ることは
出来ないということであり、それはつまり、オカルト業界によくある「○○を見る装置」、
もしくは「他人の○○が見える人」というのは、「イェソド」とは無関係のシロモノで
あって、しょせん「何らかの物理的な測定装置」もしくは「何らかの神経学的な障害を
持つ人」である場合が、ほとんどであるということです。

とはいえ、我々は、漠然とではありますが「科学的に証明できない何か」が自分の中に
あって、それが我々の体を全体的に包み込んでいて、それが我々の肉体感覚に何かの作用
をしているような感覚を持つことがあります。
とりあえず、そういう不思議な感覚を、注意して自己観察することが、育てるための
第一歩であるということぐらいは、覚えておくと良いかもしれません。

112 :名無しさん@占い修業中:2016/05/23(月) 05:17:46.55 ID:WZP7MfjC.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
It may be felt as an overall tingling sensation, or as a pervasive warmth often
resulting from prayer or sexual stimulation.
それは、全体的なうずきの感覚として、もしくは、しばしば祈願または性的な刺激に
起因する広範囲にわたる暖かさとして感じられるかもしれない。

A few discover that this feeling can be intensified, and the energy made to move
around the body at will.
少数の人は、この感覚が強められることができること、そして精力が身体の周囲で
思いのままに動かせることに気づく。

--- ここまで ---

「イェソド」からのエネルギーは、「マルクト」の物質、および我々の肉体に対して、
物理的には直接測定することは不可能ではありますが、ある「相互作用」をしています。

要するに、客観的な「物理的な作用」ではなくて、主観的な「精神的な作用」とか
「神秘的な作用」ということであって、誰もがそれに気づき、理解できるという性質の
ものではありません。
すなわち、かなり「うさんくさいシロモノ」であるというわけです。

とはいえ、「カバラ主義」の理論上においては、よほどの「不感症」の人でない限り、
「マルクト」直上の「イェソド」のエネルギーは、一定の訓練を積めば、感覚として
把握できるものですので、あまり否定的になる必要もありません。

ここで注意しておかないといけないのは、それが「マルクト」の感覚なのか、「イェソド」の
感覚なのか、ということなのですが、基本的には、感覚というものは全て「マルクト」に
属するものであり、直接的に「イェソド」のエネルギーを五感で感じることは出来ません。
あくまでも、この感覚は「イェソド」に由来するであろうという「推定」でしかないことを、
忘れてはならないということです。

113 :名無しさん@占い修業中:2016/05/24(火) 05:20:23.21 ID:BNfxbraK.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
This force is sexual, and it is seen that in Microprosopus Yesod covers the
generative organs.
この力は性的であり、「ミクロプロソプス(小さな顔)」においては、「イェソド」は
生殖器官たちを含んでいることが分かる。

Those who excite this force through meditation, prayer, sexual stimulation or
ritual methods, do so using precisely the same mental mechanisms.
瞑想、祈祷、性的な刺激、もしくは儀式的な方法たちを通してこの力を興奮させている
人々は、まさに同じ精神的な仕組みたちを用いて、そうする。
--- ここまで ---

「生命の木」を人体に当てはめる場合、「イェソド」は「生殖器官」、すなわち外性器で
ある「おちんちん」と「おまんまん」、そして内性器である「前立腺、精巣」と「膣、
子宮、卵巣」を担当しています。

つまり、我々の親である「イェソド」が、子である「マルクト」の我々を産み出すための、
とても大事な「生殖」のための「器官」であって、「性的興奮」を生み出すことが主たる
目的ではないわけですが、やるべきことをやらなければ、子を授かることは出来ないわけ
ですので、そういう「生殖」のための中田氏を伴う「性行為」そのものは、必要不可欠で
あるわけです。

とはいえ、我々人類は「イェソド」の存在ではありませんので、いくら「マルクト」に
おいて物理的・肉体的な「性行為」を行ったところで、「人間の子供」以外のものは
生まれてきませんし、上位世界の「イェソド」に接近することも出来ません。

つまり、ここで必要となるのが、「mental mechanisms/精神的な仕組みたち」という、
高次世界に接近するための「性行為のようなもの」であり、それがすなわち「meditation,
prayer, sexual stimulation or ritual methods/瞑想、祈祷、性的な刺激、もしくは
儀式的な方法たち」ということなのですよね。

114 :名無しさん@占い修業中:2016/05/25(水) 05:19:28.64 ID:CaDqdotP.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
It has been said that God is sex, and the records of ecstatic union made by those
such as Saint Theresa are highly erotic.
「神」は性的であると言われ続けており、聖テレサなどの人々により作られた恍惚の和合の
記録たちは非常に性愛的である。

When the Astral Light of Yesod, the sexual forces, are directed consciously, and
circulated throughout the body as in the Qabalistic Exercise of the Middle Pillar,
the effect can be overwhelming.
性的な力である「イェソド」の「星幽光」が、意識的に導かれ、そして「カバラ主義」の
「中央の柱の行法」の中にあるように体中を循環する時に、効果は圧倒的なものとなる
ことがある。
--- ここまで ---

「聖テレサ」(Saint Teresa of Avila, 1515-1582)は、スペインのキリスト教神秘家であり、
キリスト教をネタとした、かなりのエロ路線に走った著書があります。

まあ、彼女の著作をどう見るかは、人それぞれだと思いますので、ここでは触れませんが、
いわゆる「宗教」にとって、この「性的なもの」をどう扱うのかは、それぞれに議論が
ある部分ですし、これはこれで「宗教論争」の重要なテーマでもあります。

とはいえ、ワタシとしては、こういうものは、ある程度までは「各自の好きにさせてほしい」
という考え方ですし、「道徳的」とか「非道徳的」とかいう切り口では、あまり口出し
したくはない分野なんですよね。

いずれにしても、こういう「性的なエネルギー」というのは、我々の肉体にとっては、
「overwhelming/圧倒的」であり、抗しがたいものであることも事実です。
つまり我々は、その圧倒的な力をコントロールして、うまく自身のために活用していく
という姿勢が、必要になるということなんですよね。

115 :名無しさん@占い修業中:2016/05/26(木) 05:27:53.64 ID:LoPtJyp1.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
The Astral Light has often been described as an electrical, or magnetic current.
「星幽光」は、しばしば電気または磁気の流れとして評され続けている。

Indeed, as one "brings down the Light," the effect is of one's body being highly
charged.
実際に、人が「光を降ろす」時には、その人の身体に高く充填されるという効果がある。
--- ここまで ---

「星幽光」は、我々から見れば、見えない「エネルギー」であり、生身の人間にとっては、
「電気」や「磁気」との区別は出来ません。
両者の違いは、「マルクト」に属する物理的な計測器により、測定が可能かどうか、という
ことだけであって、「イェソド」を感じることの出来る「見える人」にとっては、両者は
似たようなものとなるわけです。

面倒なのは、「星幽光」は、「その人」だけが感じられるものであり、第三者が計測する
ことは出来ないわけで、そういう面で、ニセモノが入り込むことが、ままあるわけです。

つまり、肉体的な問題や、精神的な問題や、性格的な問題を持つ人たちも、「星幽光」の
効果に似たものを感じることを、よく言っているわけです。
まあ、ほとんどの「不思議ちゃん系」の事例が、これに当てはまるわけですので、我々と
しても、そういう誤った認識に基づく事例は、きちんとスクリーニングしていかないと
いけないわけです。
とはいえ、我々のような一般人であっても、この「イェソド」の「星幽光」の効果は認識
可能であり利用可能なものですので、「普通の人だから関係ない」とか「知らなくても
いい」というような態度では、ちょっともったいないわけですよ。

ちなみに、この「星幽光を降ろす」ということについては、様々な方法が提案されており、
カバラ魔術では、「中央の柱の行法」というものが、割とポピュラーですので、皆さんも
色々と自分自身の肉体で試してみることを、オススメします。

116 :名無しさん@占い修業中:2016/05/27(金) 05:29:24.80 ID:nLbqNS+B.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
Yet this is an energy which is plastic.
けれども、これは「可塑性」のある精力である。

It is mentally maleable.
それは精神的に可鍛性がある。

Not only can it be circulated throughout the body, or projected in certain spiritual
operations, but it is the raw material from which visual images are built on the
Astral Plane.
それは身体のすみからすみまで循環されたり、特定の霊的な作業たちにおいて投影される
だけではなく、それは視覚映像たちが「星幽面」上で構築される際の原材料となる。
--- ここまで ---

「星幽光」自体は、実体の無い、純粋な「エネルギーの流れ」であり、ある特定の形が
あったり、ある特定の作用をするというわけではありません。
つまり、使う人が、自由に形や作用を決めることが可能となる、ということです。

まあ、これはこれで便利なわけですか、とはいえ使い方がわからなければ、何の役にも
立たないということにもなっているわけです。

つまり、特定の効果があるものの方が、その効果を実感しやすいわけであって、何でも
効果のあるものは、実は何の効果も持たない、胡散臭い「プラセボ(偽薬)」であること
の方が多いわけで、結局のところ「効果には個人差があります」という但し書きを付けた
健康食品的な扱いになってしまって、そう簡単には他人には勧められないわけです。

そういうわけですので、「星幽光」の効能については、全て使った人の個人的な感想に
なっておりますので、その点を充分にご理解いただいた上で、それでも使ってみたいと
いう物好きな人は、くれぐれも自己責任でのご利用をお願いいたします。

117 :名無しさん@占い修業中:2016/05/28(土) 06:29:37.25 ID:Itw57Fnc.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
Each individual has an Etheric Body (which leaves the physical body naturally in
sleep, or is consciously projected by the adept), formed of the Astral Light.
各々の個人は、「星幽光」で形成される、「エーテル体」(睡眠時に自然に物質的な身体を
離れたり、もしくは達人により意識的に投影されるもの)を持っている。

Thus, Yesod is termed the Foundation.
従って、「イェソド」は「基盤」と呼ばれる。
--- ここまで ---

皆さんは、この説明文だけでは、なぜこの9番目の「セフィラ」が、「イェソド」すなわち
「基盤」と呼ばれているのか、いまいち納得できていないのではないかと思います。
それは、今までのカバラの勉強が、「ケテル」から始まる「トップダウン」式の勉強で
あったため、それが何の「基盤」であるのかが、いまいちピンと来ないのが原因ですよね。

結論から言えば、「イェソド」は「マルクト」の「基盤」、「四大元素」で構成された
物質的宇宙や我々の肉体の「基盤」であり、この世にある全ての物質の「基盤」である、
ということです。
もう少し具体的に言うと、「イェソド」から流出する「星幽光」とか「エーテル」などと
呼ばれる神秘エネルギーが、この宇宙の物質を作り出した「原材料」となっているわけで、
宇宙論的には、「星幽光」は「ビッグバン・エネルギー」と等価であるとも言えます。

我々のような一般人は、「星幽光」を自由に操作して物質化することは出来ませんが、
ファンタジーの世界において、魔法使いが呪文を唱えて、自身の「エーテル体」から
「火・水・風・地」の魔法の光を相手に放ち、その「エーテル光」を物質に転換して、
様々な物理攻撃や防御を行うっていうのが、そういう感じですかね。

とりあえずは、「マルクト」の「四大元素」を生み出した親が「イェソド」であって、
その親心は、普遍的に物質的宇宙を包み込んでいて、普段は気づかないけれども、ある
特定の状況においては認識可能となる、という程度には理解しておいてください。

118 :名無しさん@占い修業中:2016/05/29(日) 06:23:58.03 ID:Xz3/MWI4.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
It is that which activates the Four Elements of Malkuth, repeating a pattern seen
throughout the entire Tree, beginning at Kether: four elements which are rooted
in a fifth.
それは、「マルクトの四大元素たち」を作動させるものであり、「ケテル」 から始まる、
「木」全体のいたるところに見られる(以下の)様式を繰り返している:第五のものに
根ざした四つの要素たち。
--- ここまで ---

「four elements which are rooted in a fifth/第五のものに根ざした四つの要素たち」
という概念は、「生命の木」においては、
・「Astral Elements/星幽的な元素たち」である「ネツァク:火」「ホド:水」「イェソド:
  空気」「マルクト:地」を作動させ、五芒星のトップに立つ「ティファレト:霊」
が有名ですが、それ以外においても
・「Primordial Elements/原始的な元素たち」である「ケテル:火、水、空気、地」を
  作動させる「ケテル:原動力」
・「Specific Elements/特有的な元素たち」である「コクマー:火」「ビナー:水」
  「ティファレト:空気」「マルクト:地」を作動させる「ケテル:原動力」
というものも知られています。

そしてもう一つ、ここで話題となっているのが、
・「Base Elements/基底的な元素たち」「マルクト:火、水、空気、地」を作動させる
  「イェソド:星幽光、エーテル」
というものです。

勘違いしてはならないのは、同じ言葉で語られる「第五元素」ではあっても、「ケテル:
原動力」、「ティファレト:霊」、そして「イェソド:星幽光、エーテル」は、全く次元の
異なるものであって、決して同列に語ってはならないということに注意しておいてください。
まあ、この「イェソド」における低次の経験を、「ティファレト:霊」の高次の経験と
勘違いしてしまった人って、世の中には結構いますけどね…。

119 :名無しさん@占い修業中:2016/05/30(月) 05:18:32.88 ID:hdh7EbFb.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 109) ---
The energy of the Astral Light is, in the east, called Kundalini (the Serpent) and
it is declared by Qabalistis that "Kundalini is coiled in Yesod."
「星幽光」の精力は、東洋では、「クンダリニー(ヘビ)」と呼ばれており、そしてそれは、
カバラ主義者たちにより 「クンダリニーはイェソドにおいてコイル状にされる」と宣言される。

It is not a difficult stretch of mind to the correct esoteric interpretation of
the serpent in the Garden of Eden, or to the meaning of the Serpent shown on the
Tree of Life touching each and every Path.
それは、「エデンの園」の中のヘビの正しい秘伝的な解釈についての、もしくは、
「生命の木」上で各々全ての「小径」に触れる「ヘビ」が意味するものについての、
考え方の難しい拡大解釈ではない。
--- ここまで ---

「Kundalini/クンダリニー」は、語源的には「円形」とか「螺旋形」というものですが、
「ヘビ」のとぐろを巻いた「螺旋形」というのは、神秘的なイメージとしては、なかなか
ピッタリなものであると思います。

ちなみに、「生命の木」は一般的には二次元で表されていますが、これが三次元化された
場合、この「ヘビ」が三次元の螺旋状に巻き付くことになるわけです。

それはともかく、西洋のカバラ主義の「生命の木」と、東洋のインド思想の「チャクラ」
は、密接な関係があり、特にゴールデン・ドーンの魔術理論体系には、この東洋系思想が
多く取り入れられていますので、我々も厳密に区別することなく、ある程度、融合して
理解していくことも必要とされます。

両者の関係は、結構、興味深いものがありますので、皆さんも、どの「セフィラ」が、
どの「チャクラ」に対応していて、それぞれがどういう関係になっているのかについて、
ご自分で調べてみてはいかがでしょうか。

120 :名無しさん@占い修業中:2016/05/30(月) 14:46:35.26 ID:uG++xF9T.net
†◇全てに疲れた、何にも興味がもてない、弱さを感じる自分自身と、ことに冷たく感じるこの世間..。
いやしと安らぎと、自由のある とても面白い放送です。Q-CHAN牧師の伝道部屋 約9年間ほぼ毎日放送中!
https://www.youtube.com/watch?v=iOndPiJc4RI (人は見た目ではありません!心です!)
https://www.youtube.com/watch?v=8gUGVncmxd0 (悩んでいる方、来て下さい 聞くだけで癒されます!))等々
https://www.youtube.com/watch?v=rabTAxj-BpE (うつからの脱出!)
−私の目には、あなたは高価で尊い。わたしは、あなたを愛している。イザヤ書43:4
権威権力・組織や拝金主義、プレッシャー等、なんにもありません。 ※偽HPあり

121 :名無しさん@占い修業中:2016/05/31(火) 05:25:14.15 ID:ScbKZ67F.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
This is the same serpent of Wisdom which holds its tail in its mouth.
これは、その尾をその口に保持する知恵のヘビと同じである。
--- ここまで ---

尾を口にくわえた「ウロボロスのヘビ」は、「生命の木」では基本的に「コクマー:知恵」
に関連付けされています。
つまり、『旧約聖書:創世記』に出てくる、一番賢くて、アダムとイヴに「善悪の知識の
木の実」を食べるよう勧めた、あの悪賢い「ヘビ」です。

一方で、この「イェソド」にある「クンダリニーのヘビ」は、下から上へと登ります。
つまりこれは、「生命の木」に巻き付いて登る「ヘビ」と同じ構図であり、全くの同一視
は出来ないものの、この「クンダリニーのヘビ」が、アダムとイヴの「Fall/墜落」を
引き起こし、この地上において「物質化した肉体」を得ることが出来たということを考え
れば、それはそれで「考え方の難しい拡大解釈」ではなくて、ある程度は納得のいくもの
でもあるわけです。

いずれにしても、こういう類推や妄想から来る「拡大解釈」は、「イェソド」の得意とする
分野ですので、この「イェソド」という物理的制限の無い領域においては、この手の発想は、
あまり制限する必要なく、色々と試してみるということも重要なんですよね。

122 :名無しさん@占い修業中:2016/06/01(水) 05:13:28.09 ID:iz8JPt/A.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
One particularly appropriate aspect of the symbolism of the Serpent here is that
the reptile moves by undulations.
ここの「ヘビ」の象徴化の特に適切な面の1つは、その爬虫類の生き物が「波動」により
動くということである。

In the same way, the Astral Light weaves back and forth.
同じ方法で、「星幽光」は、行ったり来たりして縫うように進む。

It follows distinct cycles which underlie and activate the cycles of our physical
existence.
それは、我々の物質的な存在の循環たちの基礎となり作動させる、別個の循環たちに従う。
--- ここまで ---

「星幽光」自体は、客観的な観測ができないので、それぞれの人が、それぞれ主観的に
色々な表現を使って、象徴化と呼ばれる個人的な感想を述べています。

その中で、「星幽光」が「ヘビ」のような動き、つまり「波動」というか「うねり」のある
動きをするということが言われています。
この「うねり」は、「生命の木」にまとわりつく「ヘビ」とか、「クンダリニーのヘビ」の
ように、ヘビの持つ固有の特性です。
また、それは「ウロボロスのヘビ」のように、「循環」も表しています。

こうして、「星幽光」は「ヘビ」に似たものとして象徴化されるわけですが、これは我々の
世界に住む爬虫類の「ヘビ」とは何の関係もありませんので、くれぐれも「ヘビを生け贄に
して、星幽光を召喚!」なんてことはしないようにしましょうね。

ちなみに、我々の物質世界の基礎となる波動とか円形とか循環とか言われると、何となく
「超ひも理論」を想起してしまうわけですが、こちらもまだ良くわかっていない理論です
ので、ここでは、あまり深入りしない方がよさそうですよね。

123 :名無しさん@占い修業中:2016/06/01(水) 06:05:39.27 ID:cyXwN5RN.net
男も股間に蛇がぶら下がっていますね
パワーボールは2つです
野球でいうとバットとボールの関係性です

124 :名無しさん@占い修業中:2016/06/02(木) 05:14:36.54 ID:nNnbNleS.net
>>123
男の股間には「蛇」があり、女の股間には「月」がある。

ちなみに、ここから先は、「月」の話になってきます。

ということで、色々と股間の妄想を膨らませていきましょう。(^_^)/

125 :名無しさん@占い修業中:2016/06/02(木) 05:15:55.51 ID:nNnbNleS.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
The phases of Yesod cause a continual motion of charge and discharge on the physical
plane, expressed as light and dark, waking and sleeping, etc.
「イェソド」の位相たちは、明と暗、覚醒と睡眠などとして表現される、物質的な面の
充電と放電の絶えることのない動きの原因となる。

Thus, it is truly said that one cannot deal with Malkuth without first understanding
Yesod.
したがって、人は最初に「イェソド」を理解することなしには、「マルクト」に取り組む
ことができないと、本当に言われている。

And of course, by extention of this idea, one cannot deal with Yesod without first
understanding Hod.
そしてもちろん、この考え方の拡張により、人は最初に「ホド」を理解することなしには、
「イェソド」に取り組むことができない。
--- ここまで ---

「イェソド」の「月」には、周期的に変動する「phase/位相」があり、それが我々の
地上界に隠れた影響を及ぼして、色々な動きを引き起こしているということです。

つまり、この「マルクト」という地上界の「動き」の原因は「イェソド」にあるわけで、
「イェソド」の働きをきちんと理解しておかないと、この「マルクト」で何が起こるかを
正確に予測して理解することは出来ないということなんですよね。

そして、上位世界を知ることなしに下位世界を語ることは出来ないため、結果的には、
「ケテル」から始まって「マルクト」へと至る方向で、「生命の木」を勉強するという
方法は、それなりの理屈があるということになるわけです。

とはいえ、下位世界の「マルクト」から勉強する方が、表面的には理解しやすいのは
確かなので、どちらの方法が良いかは、人それぞれではないかと思うのでした。

126 :名無しさん@占い修業中:2016/06/03(金) 05:23:37.54 ID:mnHm7r0f.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
Parenthetically, it is to Yesod that parapsychological research is directed, since
it is possible to use some of the current tools of science to quantify its effect
on the sensory plane.
ちなみに、感覚の面へのその効果を定量化するための科学の現在の道具たちのうちの
いくつかを使用することが可能であるるので、超心理学的な研究が導かれるのは「イェソド」
である。

Those who work in this area of research have found it necessary to at least
postulate the existence of some force like the Astral Light, as an explanation
of the ways in which wonders such as psychokinesis (the ability to move objects
mentally) are accomplished.
この領域の研究において作業する人々は、「念力」(物体たちを精神的に動かす能力)
などの不思議なことが成し遂げられる方法たちの説明として、「星幽光」のような何らかの
力の存在を少なくとも仮定することが必要であると認め続けている。
--- ここまで ---

「parapsychological/超心理学」というのは、いわゆる「疑似科学」の分野の話であって、
そもそも心理学自体も、結構怪しい分野ですので、そういう分野の人たちの話を、そう
簡単には信用してはいけない、ということは留意しておいてください。

ちなみに、この「parapsychological/超心理学」が取り扱う分野は、「マルクト」の
「sensory plane/感覚の面」に属するものであり、その不可思議な現象の説明として、
「イェソド」が引き合いに出されているということです。

とはいえ、「イェソド」の星幽エネルギー自体は、「マルクト」の物質とは相互作用を
しませんので、それが超能力として効果を発動する際には、何らかの「物理的な力を
及ぼすもの」、すなわち「第五の力」に変化することが必要とされます。
もし、それが何であるかが判明すれば、「科学」の領域になるわけですが、今のところは
「仮定」するしかないため、空想上の「疑似科学」と呼ばれるわけなんですよね。

127 :名無しさん@占い修業中:2016/06/04(土) 05:52:31.60 ID:r9PpcxZr.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
The Moon is the "Planet" (so described by ancient astronomy) attributed to Yesod.
「月」は、「イェソド」に帰属される「惑星」(古代の天文学では、そう記述される)
である。

As it waxes and wanes, it is said to control the motion of the tides.
それは満ち欠けするので、それは潮の干満の動きを支配すると言われている。
--- ここまで ---

古代の天文学は「天動説」であり、地球を中心にして「惑星」が回るという図式になって
いるので、「月」は完全に「惑星」の一つであると見なされていました。

一方、「地動説」により、「惑星」は太陽を中心にして回るということになりましたので、
地球を中心に回っている「月」は、「地球の衛星」という立場になっているわけです。

とはいえ、神秘の世界は、いまだに古代そのままの自己中心的な「天動説」の理論の世界
ですので、ゴールデン・ドーンの魔術理論においても、「月」は「惑星」の一つであると
されています。

また、「月の満ち欠け」と「潮の干満」は、いずれも「太陽」と「月」の位相、占星術用語
で言えば「アスペクト」に関係していることも、よく知られています。

ちなみに、この「潮の干満」は「太陽」と「月」の引力により引き起こされているという
ことも、よく知られていますが、「潮の干満」が主に「月」の位置によって決まっている
ことから、地球上では「太陽」の引力よりも「月」の引力の方が大きいと勘違いして
しまっている人も多くいるようです。
実際には、太陽が地球に及ぼしている「引力」は、月と比べて桁違いに大きいのですが、
「潮の干満」という見かけの現象を引き起こす力は、「引力」から二次的に発生する
「潮汐力」という見かけの力であるため、割と勘違いしやすいんですよね。
興味のある方は、ぜひとも、ご自分で調べてみてください。

128 :名無しさん@占い修業中:2016/06/05(日) 05:28:40.36 ID:CQ6Uw7Nv.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
And the supposed disorienting effect of the full Moon on some is reflected in our
very term lunatic.
そして、一部の人々に想定された「満月」の混乱させる効果が、我々のまさしくその用語
である「ルナティック(狂気)」に反映されている。

Yet we conceptualize the Moon as belonging not only to the insane, but to lovers.
さらに、我々は狂気だけではなく恋人たちにも属しているとして「月」を概念化する。

The psychologist may find a common root in both conditions (which is the point),
but one is ugly and the other beautiful.
心理学者は、(それが要点となる)両方の状態たち、しかしその一方は醜く、他方は美しい
という中に、共通の根を発見するかもしれない。
--- ここまで ---

「月」の「満ち欠け」は、物理的な「潮の干満」だけではなく、精神的な「干満」にも
影響していると考えるのは自然なことです。
実際、全ての生物は「太陽」や「月」の周期と密接な関係があり、そして人間の女性の
精神状態は、「月の周期」と密接な関係があると、昔から信じられています。

もちろん、実際は「月の周期」ではなくて、人間の体内時計により制御される生殖に関わる
「性ホルモン」の周期であるわけであって、決して「月」と同期しているわけではないの
ですが、割と周期が近いために、当然のように同一化され象徴化されているというわけです。
さらに言うと、恋人の女性の精神状態が、月のように満ちたり欠けたりするのは、全て
「月のせいだ!」と、まるで占星術師のタワゴトのように責任転嫁するということも、
よくある話ではないかと思います。

まあ、そんなふうに「厄介者扱い」されることも多い「月」ではありますが、「マルクト」
という地上世界に行き着く前に、「善なる面」だけではなく、「悪なる面」も備えてくる
というのは、しごく正当的な進化であるとも思えますよね。

129 :名無しさん@占い修業中:2016/06/07(火) 05:32:07.40 ID:EfTIpuPw.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
Such is the typical dichotomy of the symbols attached to the Moon.
そのようなものは、「月」に配属された象徴たちの典型的な二分性である。

It is both the Witch Goddess Hecate, in its darkness, and the Moon Goddess Diana
in its brightness.
それは、その暗さである「魔女の女神ヘカテ」、およびその明るさである「月の女神ディアナ」
の両者である。

It is on the latter aspect that the esotericist concentrates, for with the increase
of the Moon there is a concomitant increase in the Astral Light underlying our
plane, which may be turned to practical use.
我々の面の根底にある「星幽光」に付随する増大である「月」の増大に伴って、秘教主義者
が集中し、それが実践的な用途に変えられるというのは、後者の面である。
--- ここまで ---

我々に見える「マルクト」の「月」の「満ち欠け」は、実は「イェソド」の「星幽光」の
「満ち欠け」に同期しているので、「秘教主義者」、すなわちオカルト好きの人々は、
月が満ちていく時に、色々な儀式を行い、月が欠けていく時には、儀式を控えるという
のが、割と一般的です。
つまり、自然界のエネルギーには周期があり、その波にうまく乗らないと、何事もうまく
行かないということなんですよね。

そして、周期というものには、必ず「悪い時=ヘカテ」と「良い時=ディアナ」があって、
その両方があるからこそ、この世はうまく回っているということですので、この「ヘカテ」
の時期を否定的に捉える必要も無いわけです。
まあ、人生は、山あり谷ありですし、常に良いことばかりではないということをしっかりと
理解できていれば、無駄な努力をして苦しむことも無いわけですからね。

そう、下方から寝て待てば、そのうち何かが見えてくるということですよ。(何がだw)

130 :名無しさん@占い修業中:2016/06/08(水) 05:25:44.13 ID:mk5nLw/D.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
A relationship between Yesod and Binah is suggested by the Moon's control of the
waters.
「イェソド」と「ビナー」の間の関係は、「海」の「月」の制御により示唆される。

Yesod is actually Air, which moves the water.
「イェソド」は、実際には「空気」であり、それは水を動かす。
--- ここまで ---

いきなりですが、ここで「イェソド」と「ビナー」の関係性について、語っています。

「Specific Elements/特有的な元素たち」においては、「ビナー:水」であり、そして
「Astral Elements/星幽的な元素たち」においては、「イェソド:空気」なのですが、
両者は「Specific」と「Astral」という次元の違うものですので、理論上は、直接的な
関係は無いのですが、「イェソド」の妄想世界においては、「ビナー」との関係性が
必要とされることがあります。

え、なぜ「ケテル」や「コクマー」などではなく、「ビナー」なのかって?
それはひとえに、「ビナー」の方が、色々な意味で人気があるからなのです。
そして、そのイロイロな人気のある「ビナー」との関連を語ることで、この「イェソド」
にもイロイロな興味を持つことが出来るという計算ですよね。

ということで、「イェソド」の「月」は、その引力を「海」に及ぼすことで、「潮の干満」
を引き起こし、それは「海」に変化と周期を与え、そしてそれは、海中の様々な生物にも、
様々な影響を与えます。
つまり、「イェソド」での妄想が捗ると、それが「ビナー」という高次の世界にも影響を
及ぼし、結果的に、我々の奥深いところで、何かが変化していくということになります。
いずれにしろ、「イェソド」は「マルクト」に住む我々にとっては神秘世界の窓口ですので、
何事も最初が大事であるということなんですよね。

131 :名無しさん@占い修業中:2016/06/09(木) 18:31:13.88 ID:RTjPQiXw.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
Binah is the Great Sea, and is Isis.
「ビナー」は、「大いなる海」であり、「イシス」である。

This is the Universal Unconscious from which all form ultimately develops.
これは、「普遍的な無意識」であり、そこから全ての形あるものが最終的に発達する。

As Binah is the will to form, so Yesod is the storehouse of formal images directly
behind our conscious experience.
「ビナー」が、形の意志であるように、「イェソド」は、我々の意識的な経験のすぐ背後に
ある、形の像たちの倉庫である。
--- ここまで ---

若干、無理矢理なこじつけ感はありますが、「イェソド」は「ビナー」に由来していると
いう話の続きです。

確かに、「ビナー」は「Universal Unconscious/普遍的な無意識」ではありますが、
「至高の三角形」の領域は、あまりに高次すぎて、「イェソド」と対比して考えること
自体が難しいわけですので、あまり深入りしたくはないところです。

とりあえず、難しい話は抜きにすれば、「イェソド」自体は「all form/全ての形あるもの」
の背後にある「元ネタ」、すなわち「storehouse of formal images/形の像たちの倉庫」
であり、我々の宇宙、そして全ての物体や全ての生き物の「外形」、そして我々の「意識」
を形作っている「見えない設計図」という感じの働きをしています。
つまり、「イェソド」は「決定論的な何か」であり、我々の世界を完全に制御している
「上位の支配者」であるということになるわけです。

それゆえ我々は、我々の直属の上司である「イェソド」のことを、しっかりと理解し、
折り合いをつけながら、死ぬまで付き合っていかなければならないわけなんですよね。

132 :名無しさん@占い修業中:2016/06/11(土) 05:59:59.08 ID:XOBvFGHt.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
As the lowest level of the Astral World, Yesod is the realm of images cast off
by mankind, bright and dark.
「星幽界」の最も低い水準であるので、「イェソド」は、人類によって脱ぎ捨てられた、
明と暗の像たちの領域である。

It contains the Akashic Record, which is both the history of races and of each
individual mental act of man.
それは「アーカーシャの記録(アカシック・レコード)」を含んでおり、それは、人間の
種族たちの、そして各個人の精神的な行動の歴史である。

Blavatsky claimed that much of her extraordinarily detailed writing was gleaned
psychically from this record, a flamboyant claim at least.
ブラヴァツキー氏は、彼女の非常に詳細な執筆の多くは、この記録から心霊的に収集される
という、少なくとも華々しい主張を、主張した。
--- ここまで ---

ここは、若干、詩的というか、婉曲的な、皮肉めいた表現が混じっていますので、ちょっと
わかりずらい文章になっています。

「イェソド」は、この我々の「マルクト」宇宙の背後にあり、うたかたの存在である我々
から見れば恒久的であって、我々の全てを知っている「至上の存在」になっています。
つまり、理論上は、そこには全ての人類の「bright and dark/明と暗」の歴史が綴られ、
そして決定論的な未来も同時に綴られているということにもなります。

まあ、理論上そうではあっても、それが実際に我々が利用可能な形式の情報ライブラリ
であるかというと、それはまた全く別の問題であって、ブラヴァツキー氏の主張した
「アカシック・レコード」なるものが本物であるかどうかは、結局のところは、誰も
わからないわけです、というか、そういう眉唾モノの話は、基本的には、単なるネタ扱い
しておいた方が良いと思うわけなのでした。

133 :名無しさん@占い修業中:2016/06/12(日) 08:16:48.99 ID:wYE+vScJ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
The images of Yesod are fabulous in their beauty and seductiveness; they can also
be hideous and frightening.
「イェソド」の像たちは、それらの美しさと魅惑的さにおいて、素晴らしい;それらはまた、
忌まわしくて恐ろしいものであることもある。

These are the dreams and fears of humanity, built up since the beginning of time
(note, again, the relationship with Binah).
これらは、時の始まり以来、築き上げられた人類の夢たちと恐怖たちである(再び、「ビナー」
との関係性に注目せよ)。

It is, in fact, a great ocean, into which every pebble of thought is thrown,
producing a wave which continues eternally.
それは、実のところ、大きな海であり、その中に投げられるすべての思考の小石は、
永遠に持続する波を生み出す。
--- ここまで ---

「イェソド」の「images/像たち」というのは、ほぼ何でもありの、かなり広い概念です
ので、それを一言で表現することは、全くもって不可能です。
そして、一人一人、言ってることが違います。

ある程度分かっていることは、それは我々「マルクト」の物質とは相互作用せず、主に
精神に作用する、神秘的なエネルギーであり、それは「光」もしくは「波動」として
象徴的に表現されることが多いということです。

まあ、まだよくわからないものですし、実際に個人で経験することが可能なものですので、
実際に自身で経験してみることが一番だと思います。
でも、その経験は、あくまでも「個人の感想であり、効果には個人差があります」という
ことを、しっかりと認識しておくことが必要なのですよね。

134 :名無しさん@占い修業中:2016/06/12(日) 08:36:05.28 ID:DP0JTFHF.net
グアムで愛人と南十字星を見ていました
幸せです(笑)

135 :名無しさん@占い修業中:2016/06/13(月) 05:31:41.60 ID:OWEIHKID.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 110) ---
However, these Yesod forms are illusive.
しかしながら、これらの「イェソド」の形たちは幻想によるものである。

They are not real in the sense that the term would be applied to the experience
of Tiphareth.
それらは、その言葉が「ティファレト」の経験に適用されるであろうという意味では、
現実ではない。

Recall that the Moon has no light of its own; Yesod can only reflect the light
of the Christ-Osiris-Buddha center of Tiphareth.
「月」はそれ自身の光を全く持っていないことを思い出しなさい;「イェソド」は、
「ティファレト」の「キリスト−オシリス−ブッダ」の中心の「光」を反射することが
できるだけである。
--- ここまで ---

「イェソド」は、「生命の木」を人体にたとえると「末梢神経系」のようなものであり、
それ自身は「エーテル」のような「媒体」としての作用がメインであって、自ら能動的な
作用をしているというわけではない、ということです。

「イェソド」は、文字通り「空気のような存在」であり、上位世界との間で、様々なもの
を媒介しています。
そして、その中で最大のものは、「ティファレト:太陽」と「イェソド:月」の「中央の柱」
における関係性であり、そして月の光は、ほぼ全てが太陽の反射であるということからも、
太陽の影響の大きさを類推できるわけです。

裏を返せば、我々は、「月の反射」をうまく利用することで、我々のいる「マルクト」界
からは直接アクセスできない「ティファレト」を、間接的ながらも割と詳細に観測できると
いうことになるわけで、そういう意味でも、この「イェソド」というのは、我々の身近に
ありながらも、とても重要な位置付けにあるということなんですよね。

136 :名無しさん@占い修業中:2016/06/14(火) 05:32:32.99 ID:ptsu4oZz.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
Yet this reflection is of the greatest importance for the developing individual,
since one cannot look directly into the Sun, and must learn about that force by
considering its image reflected in the waters of the Moon.
しかし、人は「太陽」を直接見ることはできず、「月」の海で反射されたその像を考察する
ことで、その力について学ばなければならないので、この反射は個人の発達のための最大の
重要性をもっている。
--- ここまで ---

「イェソド」の海面は、鏡のように様々なものを反射します。
つまり、「イェソド」に映る像は、実体ではなくて、反射された「虚像」です。

でも、それが「虚像」であることが認識できてさえいれば、その「虚像」は「実体」を
反映しているわけですので、「実体」そのものを直接観測できない場合は、この「虚像」
は、とても有用なわけです。

「マルクト」からは、「ティファレト:太陽」への直接の「小径」はありませんが、
「イェソド:月」の反射を利用して、我々のいる「マルクト」からも、「ティファレト」
を間接的な反射光として見ることが可能です。

というか、そもそも「マルクト」の「アッシャー界」からは、「ブリアー界」にある
「ティファレト」のエネルギーを直接観測することは不可能ですので、その仲介役として
「イェツィラー界」にある「イェソド」を通して、我々にも見える形に変換することが、
どうしても必要とされるわけなんですよね。

そう、「イェソド」の海面は、単なる反射面というわけではなく、次元を変換するための
複雑な機構を持っているわけであり、それゆえ、様々な世界を我々に見せてくれたり、
わけわからないエネルギーを与えてくれたりする、とても素晴らしいものであったりする
わけなのですよね。

137 :名無しさん@占い修業中:2016/06/15(水) 05:27:42.02 ID:QBXvvejR.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
The lower Astral is also called Maya or illusion.
下位の「星幽界」はまた、「幻影(マーヤー)」もしくは幻覚と呼ばれる。

The powers of the Astral plane are pleased to let us believe whatever amuses us.
「星幽面」の力たちは、我々に、我々を楽しませるものは何でも信じさせることを喜びとする。

They will provide visions to corroborate the most absurd of notions while at the
same time inflating our egos, a very dangerous and common result of work at this
level.
それらは、ばかげた考えたちの中でも最も不合理なものを強めるための幻想を提供する
一方で、それと同時に、我々の自我を肥大し、この段階における作業の非常に危険かつ
通俗の結果をもたらす。
--- ここまで ---

「イェソド」という、我々「マルクト」に最も近くて、最も低層にある「星幽界」の存在は、
ある意味、「高いポジションにありながらも、とても低俗なるもの」という感じのもの
になっています。

つまり、「子」である我々のワガママを、ある程度まで受け入れてくれる「親」のような
存在であり、この偉大なる「親」の甘やかしのせいで、「子」が聞き分けの無いワガママ
し放題の、手に負えない状態になってしまうことも、ままあるわけです。

この手の「自我肥大」は、「星幽界」に関係する魔術師に限らず、宗教に関係する人々にも
よく見みられる現象であって、かなり面倒臭いです。
そして、多くの場合、自己完結できずに、周囲の人々に迷惑をかけてしまうことになりがち
ですので、そういう人を見かけたら、なるべく近寄らないのが無難なわけです。

というわけですので、皆さんも、このスレには、あまり近寄らないようにしましょう。(笑)

138 :名無しさん@占い修業中:2016/06/17(金) 05:33:33.36 ID:5it2ygjF.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
This is a maze for the unsuspecting which can be effectively negotiated only by
those whose sights are unfaltering set on Tiphareth.
これは、疑うことを知らない人にとっての迷路であり、「ティファレト」上にしっかりと
置かれた光景たちである人だけによって、効果的に切り抜けられることができる。

The vision of Yesod, that of the "Machinery of the Universe," may be hard won by
those tightly locked into the framework of their personalities.
「イェソド」の像は、「宇宙の機械」のそれであり、彼らの人格たちの枠組の中にしっかりと
しまい込まれたそれらの人々によって、苦労して勝ち取られるかもしれない。
--- ここまで ---

「イェソド」が我々に見せる像は、「The Vision of the Machinery of the Universe/
宇宙の機械の像」と呼ばれており、要するに、この多次元宇宙のからくりに基づいた、
様々なメカニズムを映像化したものを、我々に見せてくれるわけです。

そして、その働きを統括しているのが、上位次元にある支配者の「ティファレト」であり、
「ティファレト」を理解できている人々だけに対し、その秘密が明かされます。

一方で、そうでない人々は、下位世界の「マルクト」を含めた種々雑多な反射光からなる
「イェソド」の像によって、簡単に欺されてしまうというオチになるわけです。

とはいえ、「ティファレト」をきちんと理解できている人間なんて、この世には皆無な
わけですので、結果的に「イェソド」の像に簡単に欺されてしまう人々が続出するという
ことになるわけです。

つまり、「イェソド」が我々に見せてくれる像は、まずは「疑ってかかる」という姿勢が
大事であり、経験と知識を積み上げることが出来て始めて、それを活用することが可能に
なってくるということになるわけですよね。

139 :名無しさん@占い修業中:2016/06/18(土) 06:36:37.62 ID:tKlETj7N.net
preaching firm moral values, understanding of, and ability to manipulate, the
Astral Light has nothing whatsoever to do with virtue.
そして、一般大衆が信じていることに反して、そして堅固で道徳的な価値観を説教する
数多くの啓蒙の体系たちに反して、「星幽光」を理解し、そして操作することは、美徳とは
一切何の関係も無い。
--- ここまで ---

「イェソド」の「The Vision of the Machinery of the Universe/宇宙の機械の像」は、
我々の住む「マルクト」の次元のものではありませんので、我々人間が作った社会的ルール
とは、一切無縁の存在です。
もちろん、「反社会的」ということでもなくて、言うなれば「非社会的」なものです。

我々は、まあ何でもそうなのですが、ついつい「自分の作ってきた尺度」で、物事を判断
してしまって、容易に理解できないものについては「自分にとって価値の無いもの」として、
単純に切り捨ててしまう傾向にあります。

つまり、頭の悪い人ほど、その人の周りには「自分とって価値の無いもの」が溢れることに
なってしまうわけであり、結果的に「大衆的」なものに走ってしまって、本当に大切なもの
を見逃してしまうことにもなりがちです。

「イェソド」を理解しようとするのであれば、そういう「マルクト」次元の「物欲的なる
もの」「通俗的なるもの」や「道徳的なるもの」は、全て忘れてしまった方がいいのです。
つまり、「無我の境地」なるものが、ここでは必要とされるということですよね。

140 :名無しさん@占い修業中:2016/06/19(日) 06:42:13.18 ID:bqdQ/Ghv.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
It is acquired purely and simply by meditative discipline.
それは、純粋かつ単純に、瞑想的な修行法によって習得される。

There are some exceedingly unpleasant people walking the earth today who may rightly
lay claim to real understanding of the workings of the universe.
宇宙の働きの現実の理解についての権利を正当に主張するかもしれない、現代の地球上を
歩いている、一部の極めて不愉快な人々がいる。
--- ここまで ---

「イェソド」が見せる「The Vision of the Machinery of the Universe/宇宙の機械の像」
は、改めて言うまでもなく、我々人間の脳内に投影される「虚像」であり、「real/現実」
のものではありません。

とはいえ、今日の現代科学理論は、「宇宙の働きの理解/understanding of the workings
of the universe」というレベルには全く達していないというのも「real/現実」なのです。

そういう意味では、本文の後半の文章は、明らかにウォン氏の考え過ぎであって、最先端の
宇宙論研究者は、最先端の観測装置からもたらされる宇宙の「イメージデータ(虚像)」を
参考としながらも、古代の自然哲学者の領域、すなわち、「イェソド」が見せる「宇宙の
機械の像」の領域の作業からは、まだまだ抜け出せていないというのが現状なのですよね。

とはいえ、このことは、いわゆるオカルト業界の人間が日常的に口にするような「宇宙の
神秘的ななんちゃらエネルギー」を正当化するようなものでは、決してありません。
それらの業界用語は、全ては「マルクト」領域からの反射光、すなわち自我肥大による
「似非モノ」であって、その手のモノに対して、私は「exceedingly unpleasant people」
の一人として、極めて不愉快な感情を持っているわけです。
でもまあ、この世に人間がいる限り、そういう「マガイモノ」が出てくることは避けられ
ないわけですので、賢明な人は、そういうものには欺されないようにしましょうね、と、
このスレで呼びかける以外には、特に手は無いわけですけどね。

141 :名無しさん@占い修業中:2016/06/20(月) 05:19:02.51 ID:V2o9v/yv.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
The symbols of Yesod are the Sandals and the Perfumes, both relating to practical
magic.
「イェソド」の象徴たちは、「サンダル」と「香たち」であり、両方とも、実践的な魔術
と関連する。

The consecrated sandals worn within the mystic circle, affirm that one stands on
sacred ground and (in their neutrality) allow for the transfer of energies between
the Earth below and the Sun above.
魔術的円陣の中で履かれる聖別されたサンダルは、人が神聖な大地の上に立ち、そして
(それらの中立状態において)下の「地球」と上の「太陽」の間の精力たちの転送を可能に
することを断言する。

Yesod is the intermediary between Malkuth and Tiphareth (a two sided-mirror).
「イェソド」は、「マルクト」と「ティファレト」の間の仲介者(二面鏡)である。
--- ここまで ---

実践的な魔術においては、術者は神秘エネルギーを得るために、「マルクト」の地を離れ、
少なくとも「イェソド」の位置まで赴く必要があります。

とはいえ、人体はそう簡単には大地から浮遊することは出来ませんので、そのかわりに、
俗世から絶縁するために、「魔術的円陣」、すなわち魔方陣なるものを足元に描いたのち、
足元を軽くし、そして大地から絶縁するための魔法のサンダルを履き、さらに魔法の言葉
を唱えることで、その精神は大地を離れ「イェソド:月」へと至るわけです。

そして、魔方陣の内で魔法のサンダルを履いて、「イェソド」の位置に至った術者は、
上位存在である「ティファレト:太陽」の光を、自分の思うままに「マルクト:地」へと
反射させることで、地上には無い、様々な神秘の術を使うことが出来るというのが、
ここでのメイン・ストーリーになるわけです。

142 :名無しさん@占い修業中:2016/06/21(火) 05:35:54.64 ID:RHoyqafs.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
Perfumes suggest its fluid and etheric qualities: Incense floats through a church
or temple, subtly affecting the minds of the participants.
「香たち」は、その流動性およびエーテル的な品質たちを示唆する:「香(の煙)」は、
教会もしくは寺院に漂い、参加者たちの精神たちに微妙に影響を及ぼす。

Its qualities are suggestive, yet fleeting and illusory, which is the nature of
Yesod.
その品質たちは、暗示的で、さらに、はかなく、そして幻想的であるが それは「イェソド」
の性質である。
--- ここまで ---

「Perfume/香」と「Incense/香」の違いですが、どちらもほぼ同じ意味ではありますが、
対比させる場合は、「Perfume」が「香水タイプ」を、「Incense」が「焼香タイプ」を
意味します。
いずれも、「イェソド:空気」に混じることで、人間の感覚と精神に作用し、様々な効果を
発揮します。

ちなみに、物質世界における「エーテル(ジエチルエーテル)」は、ガス化して吸入する
ことで麻酔作用が得られますので、こういうのも「イェソド」の品質に入ります。

いずれにしても、「イェソド」の「空気」の属性というのは、他の元素たちと違って、
目には見えず、触ることも出来ない、とても「fleeting/はかない」ものであり、
そして「illusory/幻想的」なもののように思えますが、それでも、それが無いと、
我々は生きてはいけないという、まさに「空気のような存在」であるわけです。

そして、「イェソド」を意識しようとする場合、「呼吸法」というものを用いることで、
「イェソド」の「空気」のエネルギーを身体の「中央の柱」に取り込むことで、体全体を
活性化させることで、それらを感じることが可能となるわけですよね。

143 :名無しさん@占い修業中:2016/06/22(水) 05:28:35.52 ID:zNSlFQGR.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
THE NINES
9たち
--- ここまで ---

ここからは、前回同様「9. YESOD: The Foundation/9. イェソド:基盤」の節の中の、
新しい項になります。

このサブタイトルの後には、前回と同様に『"T"の書』からの引用が続きます。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 111) ---
Generally they show very great fundamental force.
一般的に、それらは非常に大きな根本的な力を示す。

Executive power, because they rest on a firm base, powerful for good or evil.
執行権は、それらが堅い基礎の上に載っているので、善にも悪にも強力である 。
--- ここまで ---

この「イェソド:基盤」に基づく「9」のカードたちは、最終章である「10:マルクト」の
フィナーレに向けての、最後の仕上げとなるイベントを担当しています。

つまり、「終わり良ければ全て良し」の「good/善」の喜劇タイプとなるのか、もしくは
全てをブチ壊す「evil/悪」の悲劇タイプのストーリーになるかは、ここで決まるという、
最後の「要(かなめ)」となるポジションを担当しているわけですよね。

さらに言うと、「good/善」とか「evil/悪」のという概念は、この「9:イェソド」の
段階においても明確に判別できるものではないということであり、しょせんそれらは
人間界である「10:マルクト」次元での概念でしかないということでもあるわけです。
つまりは、常日頃から「善だ!、悪だ!」なんて言ってる人は、「マルクト」の思考に
束縛されているということになるわけですよね。

144 :名無しさん@占い修業中:2016/06/25(土) 20:24:35.08 ID:OQD+H4Tb.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
NINE OF WANDS, Lord of Great Strength (Moon in Sagittarius).
棒の9、大いなる強さの主(人馬宮の月)。

Angels of the Decan: Yirthiel ([lamed][aleph][tau][resh][yod]) and Sahiah
([he][yod][he][aleph][shin]).
「デカン」の天使たち:イルシエル([lamed][aleph][tau][resh][yod])とサヒア
([he][yod][he][aleph][shin])。
--- ここまで ---

いつものように、9のカードの最初も、「棒」の「NINE OF WANDS/棒の9」です。

この「棒の9」は、ゴールデン・ドーンでは「人馬宮の第二デカン」と「月」に割り当て
られています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」として、
・人馬宮の第二デカンの前半(10°〜15°)= Yirthiel:YRThAL/イルシエル
・人馬宮の第二デカンの後半(15°〜20°)= Sahiah:ShAHYH/サヒア
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」では、例によってカードの上下には月と人馬宮のシンボルが
描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは
それらが省略されていますので、気になる人は自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「棒の9」のカードは、色々な意味で、かなり強力なエネルギーを有している
のですが、「月」と「人馬宮」の占星術的な組み合わせには、これと言った特徴はありま
せんので、どちらかと言うと、「イェソド」が、自身の支配する惑星である「月」を励起
して生み出したパワーであると推察されます。
つまり、「イェソド」の本来の意味が、ほとんどそのまま「棒の9」に適用できると考え
ても良いということなんですよね。

145 :名無しさん@占い修業中:2016/06/26(日) 07:04:39.46 ID:BnDX4vta.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
This is Yesod in Atziluth, the influence of Yesod in the World of Pure Spirit.
これは、「アツィルト」における「イェソド」、「純粋な精霊の世界」における「イェソド」
の影響である。

The Lunar powers acquire great strength in Sagittarius, although wherever Yesod
and the Moon are concerned, there is always another side to the coin.
「月」の力たちは、「人馬宮」において大きな力を獲得する、けれども 「イェソド」と
「月」が関係している場合はいつでも、コインの別の面が常にある。

Successes are accompanied by strife and apprehension.
成功たちには、闘争と心配事が伴う。
--- ここまで ---

「Lunar powers/月のパワーたち」は、「人馬宮」というよりも、むしろ「イェソド」
との関連性において、強烈な影響を、我々のいる「マルクト」にもたらします。
とはいえ、これは、我々が自由自在に使えるエネルギーではなく、「月」の世界が我々を
支配しているような、割と強制的というか暴力的というか、結構押しつけがましいもので
あって、我々としては、その潮の流れに乗る以外には無いという、あまり選択肢のない
シロモノであることも、ままあるわけです。

さらに、「月」も「イェソド」も、二面性の固まりであって、常に「良いこと」と「悪い
こと」の時間差攻撃があるというのも、いまいちやっかいな点です。

つまり我々は、このカードは、常に「二面性を持つ」ということを充分に留意した上で、
この「マルクト」でその力をきちんと発揮させるためには、「ポジティブ」な成功の裏側
にある「ネガティブ」な面についても、きちんと対処していくだけの心構えが必要である
ということなんですよね。
まあ、これって当たり前のことではありますけど、「言うは易く、行うは難し」の典型です
ので、くれぐれも注意しておいてください。

146 :名無しさん@占い修業中:2016/06/27(月) 06:44:54.15 ID:AXG2+eT1.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
The good health which this aspect conveys is certain, but with doubt about the course
it may later take.
この様相が伝える良い健康は、確かではあるけれども、それは後で取るかもしれない推移に
ついて疑いがある。

In divination the card means great strength, power, recovery from sickness.
占いにおいては、カードは「大いなる強さ、力、病気からの回復」を意味する。
--- ここまで ---

「イェソド」と「棒:火」の組み合わせは、「マルクト」である肉体の内部を活性化させる
ため、結果的に「good health/健康」につながります。
そして、「人馬宮」の象徴となっている半人半馬の「ケイローン」は、医者でもあるため、
健康に関連します。

とはいえ、「イェソド」は「月」のリズムに支配される世界であり、常に流動しているため、
継続的な「健康」の状態を保証することはできないということであり、確かに今は健康体で
あって、とても強いパワーを発揮できているけれども、将来はどうなるかはわからないと
いうことになるわけです。

まあ、いずれにしても、「イェソド」も「月」も二面性があるので、あまり健康面でハメを
はずし過ぎると、手痛いしっぺ返しが来るということですよね。

とはいえ、このカードは、いわゆる「強運」というか、「ツキ」のあるカードですので、
そういう「裏の面」までしっかりと根回しした上で、「人馬宮」のスピードを活かして、
ガンガン行ってみてください。
そうすることで、今までにない世界が広がってくるかもしれませんよ。

147 :名無しさん@占い修業中:2016/06/28(火) 05:16:24.06 ID:F8QAp0Nl.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
NINE OF CUPS, Lord of Material Happiness (Jupiter in Pisces).
杯の9、物質的幸福の主(双魚宮の木星)。

Angels of the Decan: Saliah ([he][yod][lamed][aleph][samekh]) and Aariel
([lamed][aleph][yod][resh][ayin]).
「デカン」の天使たち:サリア([he][yod][lamed][aleph][samekh])とアアリエル
([lamed][aleph][yod][resh][ayin])。
--- ここまで ---

「Nine of Cups/杯の9」は、ゴールデン・ドーンでは「双魚宮の第二デカン」と
「木星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・双魚宮の第二デカンの前半(10°〜15°)= Saliah:SALYH/サリア
・双魚宮の第二デカンの後半(15°〜20°)= Aariel:AaRYAL/アアリエル
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説では、カードの上下には「木星と双魚宮」のシンボルが描かれて
いることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは、それらは省略
されていますので、もし気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、「双魚宮」と「木星」との関係性ですが、「木星」が「双魚宮」の支配星であるため
極めて強力なパートナーシップを持ちます。
さらに「杯」の「水」と「双魚宮」の「水」の属性も、相性バッチリです。
つまり、ここでは、どちらかというと精神的世界に属していて、不安定で二面性のある
「イェソド」と「双魚宮」が、「木星」の現実的な面を最大限に活用して、「マルクト」
における割と強力な「Material Happiness/物質的幸福」を引き出すことに成功している
わけですが、それでも「イェソド」と「双魚宮」の持つ「二面性」を完全に回避することは
出来てはいないという構図になっているわけですよね。

148 :名無しさん@占い修業中:2016/06/29(水) 05:31:37.70 ID:utTRYE2H.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
This is Yesod in Briah, the influence of Yesod in the Mental World.
これは「ブリアー」における「イェソド」、「精神世界」における「イェソド」の影響である。

Here the benevolence of Jupiter, functioning through the water of Pisces, effects
happiness and satisfaction in Malkuth.
ここでは、「木星」の慈悲心が、「双魚宮」の水を通じて機能しており、「マルクト」に
おける幸福と満足をもたらす。

This is a card of pleasure and sensuality which should be compared with the TEN
OF CUPS, the success of which is more lasting.
これは、より長続きする成功である「杯の10」と比較されるべき、快楽と肉欲のカードである。
--- ここまで ---

「杯の9」は、「精神世界」の「イェソド」のカードであるのに、「物質的世界」である
「杯の10」よりも、より物質的で金銭的で肉感的で俗物的な成功のカードになっています。

この理由は、ひとえに「木星:ケセド」と「双魚宮」コンビの甘やかしにあるわけであり、
その点、「杯の10」の「火星:ゲブラー」の方が、より緊張感があって改革性もあるため、
新しい精神的な喜びが絶え間なく湧き続けるという感じになっているということです。

いずれにしても、この「木星」と「双魚宮」の甘やかしは、「自分自身で勝ち得たもの」
というわけではありませんし、しょせん「イェソド」という「星幽界」での作用ですので、
そうそう長く続くものでもありません。
というか、「イェソド」の「二面性」のために、必ずや後で大きな「ツケ」が回ってくる
のは、ほぼ確実な状況です。

そういう意味では、このカードは、ほぼ完璧な状態ではあるのですが、決して単純明快な
「幸運」を意味しているわけではありませんので、占いの際には、ある一定の注意喚起が
必要となるカードなんですよね。

149 :名無しさん@占い修業中:2016/06/30(木) 05:25:39.43 ID:YZQDMEU4.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
Both the Crowley and Golden Dawn cards show nine cups overflowing and arranged in
a square intended to suggest Chesed-Jupiter and the perfection of Water force here.
クロウリー氏とゴールデン・ドーンの両方のカードたちは、9つの杯が、満ちあふれていて、
「ケセド−木星」およびここでの「水」の力の完璧さを示唆することを意図された四角形に
配置されているのを、示している。

Waite, on the other hand, illustrates the more mundane aspects of the card in its
meaning of complete success and the fulfillment of wishes.
ウェイト氏は、その一方で、「完全な成功」および「願望たちの成就」のその意味のカード
の、より世俗的な様相たちを図示する。
--- ここまで ---

「杯の9」は、物質的な面においては、完璧なカードです。
ただし、その「杯」からあふれ出る「水」は、下の雲から出る「手」から供給されており、
それが「下界の水」であることを示しています。
つまり、ゴールデン・ドーン版の「杯の10」のカードと対比することで、その完成度の
違いは明らかであって、ここはまだ「杯」の完成された終着点ではないということを
表しているわけです。

ウェイト版においても、「杯の9」と「杯の10」を対比させることで、「杯」としての
完成度の違いを、感じることが出来ます。
え、オレには三次元の嫁も子供も必要ないし、「杯の9」の現状で充分に満足してるって?

まあ、そういう生き方もあることは否定しませんし、家に閉じこもって、自分の大事な
収集品をずらりと並べて、自分だけの世界に浸るというヲタクな生き方も、この地上に
おいては、それなりに良いものだとは思いますが、でもそういうのは「杯=ブリアー」の
上位世界の話とは、またちょっと違うわけです。
要するに、「二次嫁」と部屋に引き籠もってないで、もっと外に出て、「三次嫁」と一緒に
「虹」の夢を見ましょう、ということなんでしょうね。(※あくまでも個人的な感想です)

150 :名無しさん@占い修業中:2016/06/30(木) 23:47:59.20 ID:VeYSNSYs.net
小梨の嫁がいるじゃないか

151 :名無しさん@占い修業中:2016/07/01(金) 05:24:05.63 ID:ZAAK8SHn.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
NINE OF SWORDS, Lord of Despair and Cruelty (Mars in Gemini).
剣の9、絶望と残酷の主(双児宮の火星)。

Angels of the Decan: Aaneval ([lamed][aleph][vau][nun][ayin]) and Mochayel
([lamed][aleph][yod][cheth][mem]).
「デカン」の天使たち:アアネヴァル([lamed][aleph][vau][nun][ayin])とモシャエル
([lamed][aleph][yod][cheth][mem])。
--- ここまで ---

「Nine of Swords/剣の9」は、ゴールデン・ドーンでは「双児宮の第二デカン」と
「火星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・双児宮の第二デカンの前半(10°〜15°)= Aaneval:AaNVAL/アアネヴァル
・双児宮の第二デカンの後半(15°〜20°)= Mochayel:MChYAL/モシャエル
が割り当てられているということです。

いつものように、「"T"の書」の解説には、カードの上下に、火星と双児宮のシンボルが
描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードではそれらが
省略されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「火星」と「双児宮」の関係ですが、相性的には、あまり良くはないです。
そして「火星」は、元々が「火」ですので、二面性のある「剣」の「風」、二面性の
ある「双児宮」の「風」、そしてさらに、二面性のある「イェソド」の妄想の「風」に
煽られているので、どこで火の手が上がるのかが、全く予想も付きません。
というか、少しでも燃えるものがあれば、それがどこであっても、とりあえず「火」で
焼き尽くされてしまいそうな感じもあります。
そして、この破壊は、統制の取れた「悪の組織」的な集団意識ではなく、個々の人間の
気の迷いから来るものですので、なかなか対応が難しいものとなっています。

152 :名無しさん@占い修業中:2016/07/02(土) 06:16:57.76 ID:Q5RpxhNR.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
This is Yesod in Yetzirah, the influence of Yetzirah in the Astral World.
これは、「イェツィラー」における「イェソド」、「星幽界」における「イェソド」の
影響である。

It takes little familiarity with astrology to recognize that the fiery Mars energy
could do no good in the sign of dualities.
火の「火星」の精力が二重性たちの宮においては善を全く成せないことを認めるためには、
占星術のことを少々知っておくことを必要とする。
--- ここまで ---

「イェソド」は、そもそも「イェツィラー:星幽界」の属性を持つ「セフィラ」であり、
さらに「剣」の「空気」の属性も持つので、この「剣の9」においては、「イェソド」の
パワーは、前にも述べたように「善」にも「悪」にも、最大限に発揮されます。

ただし、困ったことに、「剣の9」の「火星」の「火」は、この「空気」をうまく読めない
ために、あまり相性は良くはありません。
ちなみに、「剣の8〜10」においては、「双児宮」という「空気」の「宮」のシリーズなの
ですが、それと組み合わされる惑星たちは、それぞれ「木星」「火星」「太陽」という、
いずれも「火」の系統のものなので、どちらかというと、惑星たちの悪い面が出てしまって
いて、かなり悲惨な状況に陥っています。

つまり、この「剣の9」では、「イェソド」の妄想世界の中で、無慈悲なる「火星」様が、
さんざん悪事を働いているという構図なわけであり、ハタから見れば、物質的にはそれほど
悪い状況のようには見えないけれども、その心の中は、手も付けられないほど悲惨で過酷で
絶望的な状況に陥ってしまっているという、かなり危ない状態です。

まあ、最終的な物質的な悲惨さについては、次の「剣の10」が担ってくれるわけなので、
この「剣の9」では、主として精神的な悲惨さに注目しておくと良いかと思います。

153 :名無しさん@占い修業中:2016/07/03(日) 08:20:57.94 ID:kFCEiPCW.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 112) ---
In the Golden Dawn card the rose has been completely destroyed, while Crowley's
version shows "poison and blood" dripping from the nine jagged and rusty swords.
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、薔薇は完全に破壊されてしまって無くなっており、
一方で、クロウリー氏の版では、「毒と血」が、9本のギザギザで錆びた剣たちから滴り
落ちているのを見せている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版では、「剣の8」で復活して「rose/薔薇」は、この「剣の9」で
ちょうど切り刻まれて、影も形もなくなった「現在完了形」で表されています、
そして、「剣の10」は、薔薇の姿も名残りもありませんので、状況的には
(良い)>「剣の8」>「剣の9」>「剣の10」>(悪い)
という順番になっていることが分かります。

トート版では、大暴れしてさんざん破壊し尽くし終わって、あちこち刃こぼれしてギザギザ
になってしまった、邪悪なる「9本の剣たち」から、赤い「poison and blood/毒と血」が
滴り落ちている図となっていて、相当にムチャクチャなことをやってしまった状態である
ことを示しています。
そういう意味では、この「剣の9」が、真の残虐さのピークであって、「剣の10」では、
破壊のピークを過ぎてしまって、後にはもう何も残っていないような感じもあります。

いずれにしても、「マルクト」に近づく「剣」は、改革者としての知的な面を失っていき、
単なる物理的な暴力装置というか、破壊行為そのものを楽しむような感じになってきます。

まあ、それは悪いことではあるのですが、「マルクト」にある人間世界においては、必然的
に存在する「暴力」でもあるわけですので、これを単純に否定するだけでは、全く何も解決
しないというのも確かなわけですので、この手の理不尽な「暴力」という、実にやっかいな
問題に対して、人類は永遠に立ち向かわなければならないという宿命(=神から与えられる
課題)を持っているというわけなのでした。

154 :名無しさん@占い修業中:2016/07/04(月) 05:18:33.82 ID:rCSehlx7.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 113) ---
Waite's card stresses the card's despair, and the other divinatory meanings of
illness, suffering and cruelty.
ウェイト氏のカードは、カードの絶望を、そして他の占いの意味の「病気、苦難、および
残酷」を強調する。
--- ここまで ---

ウェイト版は、「剣の9」の「絶望と残酷」の効果を、わかりやすく図示しています。

このカードの効果は、主に精神的な面で作用しますので、ここでの「illness/病気」と
いうのは、身体的な病気そのものよりも、それによる精神的な苦痛の方を指しています。

まあ、「病は気から」という言葉もあるように、病気の進行や症状には、精神的な面が
大きく作用します。
同様に、この物質世界においては、「気の持ちよう」が、様々なものに影響を及ぼして
いますので、この「剣の9」の「絶望と残酷」は、ラスボス的な非常に強い力となって、
我々人類に対し、強大な影響を及ぼし続けているわけです。

そして、ここまで増えてしまった「剣の9」に立ち向かうために、さらなる「剣」を持ち
出すことは、「剣の10」の状態となって、全くの逆効果になる可能性が高くなります。
つまり、ここまで積み重なってしまった「剣たち」を、愛の力で、ヒーロー/ヒロインに
変身して、一本一本、一話毎に地道に取り除いていくという、典型的なパターンに
持ち込むしかないわけなんですよね。(大嘘w)

155 :名無しさん@占い修業中:2016/07/05(火) 06:01:32.33 ID:Rl6uj4jF.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 113) ---
NINE OF PENTACLES, Lord of Material Gain (Venus in Virgo).
五芒貨の9、物質的獲得の主(処女宮の金星)。

Angels of the Decan: Hazayel ([lamed][aleph][yod][zayin][he]) and Aldiah
([he][yod][daleth][lamed][aleph]).
「デカン」の天使たち: ハザイェル([lamed][aleph][yod][zayin][he])とアルディア
([he][yod][daleth][lamed][aleph])。
--- ここまで ---

「Nine of Pentacles/五芒貨の9」は、ゴールデン・ドーンでは「処女宮(おとめ座)の
第二デカン」と「金星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」は、
・処女宮の第二デカンの前半(10°〜15°)= Hazayel:HZYAL/ハザイェル
・処女宮の第二デカンの後半(15°〜20°)= Aldiah:ALDYH/アルディア
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説文には、いつものように、カードの上下に、金星と処女宮の
シンボルが描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカード
では省略されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「金星」と「処女宮」の相性ですが、実は占星術においては「Fall/衰退」と
呼ばれる、比較的悪い状態なのですが、ここでは「Fall/墜落」、すなわちエデンの園
から追放されて、肉体を持って「マルクト」に堕ちていくような感じ、すなわち「処女神」
から「ビーナス」への華麗なる転身みたいな感じで捉えられているようです。

そして、この「五芒貨の8」〜「五芒貨の9」〜「五芒貨の10」の、「五芒貨の処女宮」
シリーズの流れは、これだけで一つのサクセスストーリーが出来そうな、なかなか含蓄の
あるカードたちではないかと思うのでした。

156 :名無しさん@占い修業中:2016/07/06(水) 05:19:48.27 ID:i+zNyki+.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 113) ---
This is Yesod in Assiah, the influence of Yesod in the Material World.
これは、「アッシャー」における「イェソド」、「物質的世界」における「イェソド」の
影響である。

Venus in Virgo brings great efficiency, but with a relative lack of overt feelings.
「処女宮」における「金星」は、優れた効率をもたらすけれども、明白な感情たちの相対的
な欠如を伴う。
--- ここまで ---

「処女宮」の支配星である「水星」と「金星」というのは、いまいち相性が良くない、
というか、そもそも「処女宮」と「ビーナス」の間には、かなり深い溝というか、言葉に
できないような緊張した関係があるのは確かです。

その結果、ここでの「金星」は、割と自分勝手な振る舞い、すなわち物質的、肉体的、
金銭的な状況を好み、そして前に述べた「Fall/衰退」の状態へと陥るわけです。

とはいえ、「五芒貨」という物質世界のカードの話ですので、「金星」の物質的パワーは、
ここでは割と強力に作用します。
つまり、少々の問題があろうとも、その影響力で押し切るだけのパワーが、ここでの
「金星」にはあるということであり、しばらくはゴリ押しした状態で、ある程度の物質的
な成功が望める状態ではあるわけです。

とはいえ、その状態というのは、「処女宮」にとっては、あまり居心地の良いものでは
ありませんので、ちょっとアンバランスな状態での一方的な成功となっています。
そして、そういうバランスの悪さが、次の展開でどうなるのか、つまり「処女宮」と
「ビーナス」の次なるステージでの展開が、ちょっと気になるところです。

何となく、ドキドキハラハラ、というか、ドロドロしそうな期待感がありますよね。ww

157 :名無しさん@占い修業中:2016/07/07(木) 05:30:25.14 ID:joK2T//j.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 113) ---
The aspect tends also to favor the amassing of things; it is thus a card of material
gain.
様相はまた、物たちを集めることを好む傾向がある;従って、それは物質的な獲得のカード
である。

This is suggested by the Golden Dawn Pentacles, each of which has a fully-developed
rose bud beside it, the central one having two buds to indicate continuing growth
and acquisition on the physical plane.
これは、ゴールデン・ドーンの五芒貨たち、その各々(の五芒貨)が、その横でつぼみを
付けて完全に発育した薔薇を持っており、物質的な面での継続的な成長と獲得を示す2つの
つぼみたちを持った中央の一つ(の五芒貨)、によって示唆される。
--- ここまで ---

「処女宮」の「金星」という、いまいちアンバランスな「aspect/様相」は、結果的に、
精神的なものを軽視し、物質的な面を重視する傾向が強く出てきます。

要するに、精神的な満足の欠乏の反動で、物欲がすさまじく高まっており、これは一定の
社会的な成功、つまり「ドケチの成金」という、ちょっといびつな成功パターンとなります。

とはいえ、この成功は、あくまでも「物質的な面」に限られており、その歪みが後になって、
色々な不満に繋がる可能性があることは、理解しておくべきです。

とはいえ、このカードは、それなりに幸福感は得られますので、こういう「物質的な満足」
が嫌いでない人にとっては、とても良いカードではないかと思うのでした。
まあ、お金は、無いよりは有る方がいいですし、金持ちであること自体を否定的に捉える
必要もありませんしね。
後は、形の無い「精神的満足」なるものを唱える「似非宗教家」などに欺されることなく、
無事に一生を過ごしていただければ、と思うのでした。

158 :名無しさん@占い修業中:2016/07/08(金) 05:27:05.46 ID:sH9xVwBC.net
ことで、特に興味深い。

He says of it: "The disks are arranged as an equilateral triangle of three, apex
upwards, close together; and surrounded at some distance by a ring, six larger
disks in the form of a hexagram.
彼はそれについて言う:「円盤たちは、3つは頂点を上にして互いに接近した正三角形として
配置される;そして、リング状に少し距離を置いて、六芒星形の形で、6つのより大きな
円盤たちに取り囲まれている。

This signifies the multiplication of the original established Word by the mingling
of 'good luck and management.'" (*88)
これは、『幸運と管理』の混合によって、根源的な確立した『言葉』の増加を意味する。(*88)
--- ここまで ---

ちなみに、(*88)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
88. Crowley, Book of Thoth, 216.
88. クロウリー著、『トートの書』、216ページ。
--- ここまで ---
とあります。

トート版の「円盤の9」のカードのデザインは、クロウリー氏の説明文とは、微妙に異なって
いて、さらになんかよくわからない象徴がテンコ盛りになっているので、解説するのは
なかなか難しいのですが、一口に言うと、中央の3つの円盤が「光の三原色」になっていて、
そこから放射された上位の魔術的エネルギーが、周囲の下位の6つの硬貨状の円盤となって
「物質化」した、すなわち「質量を獲得した」ような感じのことを表現しているようです。

159 :名無しさん@占い修業中:2016/07/09(土) 06:26:57.22 ID:jSve2WM8.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 113) ---
In divination the card means inheritance or material gain.
占いにおいては、カードは「相続」もしくは「物質的な獲得」を意味する。
--- ここまで ---

このカードは、「物質的な幸運」とか「物質的な充足感」を意味しており、ウェイト版に
おいては、様々な果実がたわわに実った広い庭園を持つ大きな家に住み、何不自由なく
暮らす女性領主の姿として表されています。

ただ、その女性領主に傍らにいるのは、人間のパートナーではなく、鷹狩りに使う、頭に
頭巾を被せた鳥(鷹ではなく、おそらくハヤブサ)であって、人間関係というか社会的な
面において、つまり精神的な充足感においては、若干の問題があるようにも思います。

カードの意味である「inheritance/相続」ということからすると、この立派な家や庭園は、
先立った夫の遺産を相続した未亡人か、領主である親の遺産を相続した一人娘であり、
割と家に引き籠もりがちな女性といった感じにも見えます。

まあ、「処女宮」と「金星」の組み合わせですので、どうしても「女性的」な面というか、
攻撃面よりも守備的な面の方が強調されるわけで、大してイケイケな面があるわけでも
ないのですが、「お金は、あるところに集まる」という暗黙のルールにより、それなりに
安定して富が蓄積され続けていくということになるわけですよね。

そして、「処女宮」と「金星」をバックに持つ彼女にとっては、うるさく言い寄る男どもは、
「鷹狩りの鳥」すなわち「ペット」と同じ扱いであって、ヒマつぶしとしての存在でしか
無いということにもなるわけなんですよね。

え、オレもこんなドSの金持ち女に飼われたい、ですって?
まあ、目隠しプレイがお好きな人は、趣味が合うのかもしれませんね。w

160 :名無しさん@占い修業中:2016/07/10(日) 06:22:23.08 ID:4/SrxU7G.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 114) ---
10. MALKUTH: The Kingdom
10. マルクト:王国

The Four Tens
「四枚の10たち」

The Four Princesses
「四枚の王女たち」
--- ここまで ---

さて、ここからは、「生命の木」の最後の「セフィラ」であり、そして最も底部にあって、
我々の住む物質世界を象徴している「マルクト」の話になります。

ちなみに、この「マルクト:王国」は、「中央の柱」に属していますが、他の上位の
「セフィロト」のような三角関係はなく、「マルクト」のみで一つの世界、すなわち
「アッシャー界」を独占的に支配しています。

さらに言うと、この「マルクト」は、
・「至高の三角形」=「ケテル、コクマー、ビナー」=起
・「倫理的三角形」=「ケセド、ゲブラー、ティファレト」=承
・「星幽的三角形」=「ネツァク、ホド、イェソド」=転
・「マルクト」=結
という、「生命の木」全体から見た「結」ということだけではなく、「マルクト」自体が
実は「起・承・転・結」を含んでいるという、二重構造になっています。
これはつまり、「上の如く、下も然り」というミソクソ理論から、必然的に導かれるもの
であり、そのミソクソの結果として、この最終話の「マルクト」の世界には、何だかよく
わけわからない、いかにも怪しげなものまでもが溢れかえっている、じつにカオスチック
で、全くフラグを回収していない投げっぱなしの「オチ」ということになっているわけです。
そう、後は自分たちで、自分のことは自分で何とかしろ、ということなんですよね。w

161 :名無しさん@占い修業中:2016/07/11(月) 05:16:45.23 ID:D5lE5GZ+.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 114) ---
□ The Earth on which we walk
□ 我々が歩く地球

□ Kether below
□ 下位の「ケテル」

□ The Completion
□ 完成

□ The Inferior Mother
□ 下位の母

□ The Bride of Microprosopus
□ 「ミクロプロソプス(小さな顔)」の花嫁
--- ここまで ---

「マルクト:王国」は、「生命の木」の底部にあるため、上位セフィロトで生成された
全ての生成物が、ここに流入してきます。
そのため、かなり混沌としており、その象徴体系を一口で表現することは不可能です。

ここで、話を最もややこしくしているのは、「上の如く、下も然り」というクソミソ理論
であり、それにより、我々の足下にある「大地」=「マルクト」は、我々の天上にある
「ケテル」の劣化コピーであるという理屈になっていす。
つまり、理論的なバグである「永久ループ」が、ここでプログラミングされているので、
事実上「もう何でもあり」ということになっちゃって、色々と好き放題していても、
誰も何も言えないということなんですよね。
とはいえ、この「上の如く、下も然り」というクソミソ理論から得られる知見も、一定量
あるわけですので、我々は最後までサジを投げることなく、この「完成」というカオスの
中から、光輝く「あるもの」を探し出していかなければならないということなのでした。

162 :名無しさん@占い修業中:2016/07/12(火) 05:32:41.73 ID:V1TVTrqA.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 114) ---
Symbols: The Altar of the Double Cube, The Equal Armed Cross, The Mystic Circle,
The Triangle of Art, Heh Final.
「象徴たち」:二重の立方体の祭壇、等しい腕の十字(ギリシャ十字)、魔術的円陣、
術の三角形、最終「ヘー」。

Colors: Citrine, Olive, Russet, Black
「色たち」:レモン色、オリーブ色、あずき色、黒色
--- ここまで ---

この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である、「二重の立方体」、「等しい腕の
十字」、「円」、「最終ヘー」、「三角形」、そして「生命の木」における「マルクト」
の位置が図示された絵が描かれています。

ちなみに、「マルクト」に配属される「惑星」は、順番的には「地球」となりますが、
ゴールデン・ドーンでは、「マルクトの天球」は、「四大元素」に配属されることに
なっています。
つまりこれは、「マルクト」は、単純な四大元素の「地」である「地球」だけではなくて、
この地上における、より広い元素の概念である「四大元素」の方も、同時に指していると
いう、二重の属性を持つということであり、この点が「マルクト」が、劣化「ケテル」で
あるということを如実に表しているわけです。
そして、結果的に、「マルクト」が何でもありのカオスとなってくるわけですよね。

なお、ここで「The Triangle of Art/術の三角形」という用語が出てきますが、これは
「the Triangle of Solomon/ソロモンの三角形」とも呼ばれるもので、四角形ベースの
「魔方陣」や、円形ベースの「魔方陣」と同じく、三角形をベースにした「魔術的図形」
になります。
錬金術では、「四大元素」は「三角形」で象徴されていますし、そういう即物的というか
現世御利益的な意味でも、この「マルクト」に配属されているようです。

163 :名無しさん@占い修業中:2016/07/13(水) 05:23:24.58 ID:ggv7CThz.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 114) ---
And from the rays of this Triad [Netzach, Hod, Yesod] there appear three colours
in Malkuth together with a fourth which is their synthesis.
そして この「三つ組」である[「ネツァク」、「ホド」、「イェソド」]の光線たちから、
それらを統合した第4(の色)と共に、「マルクト」において3つの色たちが出現する 。

Thus from the orange tawny of Hod and the green nature of Netzach there goeth forth
a certain greenish ‘citrine' colour, yet pure and translucent withal.
従って、「ホド」のオレンジ色の黄褐色と「ネツァク」の緑色の性質から、 まだ純粋で
あると同時に半透明である、ある程度の緑がかった「レモン色」の色が出てくる。

From the orange tawny of Hod mingled with the puce of Yesod there goeth forth a
certain red russet brown, ‘russet' yet gleaming with a hidden fire.
「イェソド」の暗赤色と混合された「ホド」のオレンジ色の黄褐色から、隠された火に
よって、まだきらめいている、ある程度赤くて赤褐色な茶色の「あずき色」が出てくる。

And from the green of Netzach and the puce of Yesod there goeth forth a certain
other darkening green ‘Olive' yet rich and glowing withal.
そして「ネツァク」の緑色と「イェソド」の暗赤色から、まだ豊かであると同時に白熱
しているような、ある程度他より暗くなっている緑色の「オリーブ色」が出てくる。

And the synthesis of all these is a blackness which bordereth upon the Qlippoth.
そして、これら全てを統合したものが、「クリフォト」の上に隣接する暗黒色である。
--- ここまで ---

ここの部分は、いつものように、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の
「第五知識講義」の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。
この「マルクト」の解説文は、他よりもちょっと長いので、3つに分割します。
なんでこんなに長いのかというと、要するに「マルクト」は、色々な意味において
「最も複雑かつ難解」であるということなんですよね。

164 :名無しさん@占い修業中:2016/07/14(木) 05:30:19.76 ID:TNwxsyVc.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」の「生命の樹に関して」
の節からの引用の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 114) ---
Thus are the colours of the Sephiroth completed in their feminine or Rainbow scale.
このようにして、「セフィロト」の色彩たちが、それらの女性的もしくは「虹」の段階に
おいて完成される。


Moreover, though the Tree of Life operates through all the Ten Sephiroth, yet it
is referred in a special manner to Tiphareth.
さらに、「生命の木」は、全ての「10のセフィロト」を通じて作用するけれども、それでも、
それは「ティファレト」に特別な方法で参照されている。

Also, though the branches of the Tree of Knowledge of Good and Evil stretch into
the seven lower Sephiroth and downwards into the Kingdom of Shells, yet it is
referred especially unto Malkuth.
また、「善悪の知識の木」の枝たちは、7つの下位の「セフィロト」へと、そして「殻の王国」
へと下向きに伸びているけれども、それでも、それは「マルクト」に特に参照されている。

Similarly with Netzach and Hod, the right and left columns of the Sephiroth are
referred respectively thereto.
同様に、「ネツァク」および「ホド」については、「セフィロト」の右と左の柱たちが、
それに対して、それぞれ参照される。
--- ここまで ---

ここでは、全体「生命の木」の中において、「下層生命の木」を構成する「ティファレト」
「ネツァク」「ホド」、そして「マルクト」の作用の重要性について説明しています。
この「下層生命の木」の説明には「イェソド」は出てきませんが、ここでの「イェソド」は、
全体「生命の木」の「ティファレト」のような仲介役として作用しています。

165 :名無しさん@占い修業中:2016/07/15(金) 05:28:08.21 ID:/x6OHts/.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」の「生命の樹に関して」
の節からの引用の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 114) ---
In Malkuth Adonai ha-Aretz is God, the Lord and King, ruling over the Kingdom and
Empire which is the Visible Universe.
「マルクト」においては、「アドナイ・ハ・アレツ」は、「神、主、そして王」であり、
「可視的宇宙」である「王国」および「帝国」を統治する 。

And Cholem Yesodoth, the Breaker of Foundations (or Olam Yesodoth, The World of
the Elements) is the Name of the Sphere of the Operation of Malkuth which is called
the Sphere of Elements from which all things are formed, and its Archangels are
three: Metatron, the Prince of Countenance reflected from Kether, and Sandalphon,
the Prince of Prayer (feminine) and Nephesch ha Messiah, the Soul of the Reconciler
for Earth, and the Order of Angels is Ashim or Flames of Fire, as it is written
'Who maketh his Angels Spirits and his Ministers as a flaming Fire' and these are
also called the Order of Blessed Souls or the Souls of the Just made Perfect.
そして、「コレム・イェソドス」、「基盤の破壊者」(もしくは、「オラム・イェソドス」、
「元素の世界」)は、すべての物たちがここから形成される「元素たちの天球」と呼ばれる
「マルクトの作用の天球の名前」であり、その大天使たちは3人である:「メタトロン」は
「ケテル」から反映される「顔貌の王子」であり、そして「サンダルフォン」は「祈りの
王子」(女性形)であり、そして「ネフェシュ・ハ・メシア」は、「地球のための調停者
の魂」であり、そして「天使たちの階級」は、「アシム」すなわち「火の炎」であり、
それは「彼の「天使たちの霊たち」と彼の「使者たち」を燃える火にする」書かれており、
そしてこれらはまた「祝福された魂たち、もしくは全うされた義人の魂たちの階級」と
呼ばれる。
--- ここまで ---

この長文は「マルクト」の複雑な構造を反映しています。

166 :名無しさん@占い修業中:2016/07/16(土) 06:38:39.63 ID:/OxYALKZ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
Malkuth is the most complicated of the Sephiroth; Kether is the most simple.
「マルクト」は「セフィロト」の中で最も複雑である;「ケテル」は最も簡単である。

And yet, applying the principle of "As above, so below," we appreciate that Kether
is in Malkuth and Malkuth is in Kether.
それでも、「上の如く、下も然り」の原則を適用することで、我々は、「ケテル」は
「マルクト」の中にあり、「マルクト」は「ケテル」の中にあることを理解する。
--- ここまで ---

「ケテル」は「種」であり、そこから芽吹いて「根」となって、枝葉が下へと伸びていき、
「生命の木」が完成し、そしてその中から最も下層の「マルクト」で花が咲き、そこから
次世代の「種」が生まれるという流れになっています。
つまり、子が親となり、そして次世代の子が生まれるという流れですよね。

とはいえ、これは時間軸の一方的な流れであり、時間軸がループしているわけでは
ありません。
つまり、「人」は次世代の「親」になることは出来ても、前世代に遡って「親」になる
ということは出来ません。

さらに、「上の如く、下も然り」というような「最も簡単」な原則は、考え無しに適用
すると、トンデモ理論を誘発することが、ままあります。
つまり、ここでの「上」と「下」は、全く同じものではなく、その内部に微粒子レベル
での微妙な違いが存在しています。
そして、その微妙なDNAレベルの違いがあるからこそ、この「宇宙」が多彩に進化して
きたわけであって、「上」と「下」が全く同一であれば、この「宇宙」は「平坦」な
ものとなり、結局は何も生まれて来ないということにもなるわけです。
つまり、「同じであるが、同じではない」という原則が、ここで必要になるわけであり、
そして我々は「同じもの」と同様に「同じでないもの」を見ていく必要がある、という
ことなんですよね。

167 :名無しさん@占い修業中:2016/07/17(日) 07:33:39.81 ID:+5owJSTU.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
Ultimately, God is in everything we know, from the flower in the field to the dirt
on which we walk.
究極的に、「神」は、野原に咲く花から、我々が歩く(地上の)土に至るまで、我々が知る
全てのものの中に在る。

No matter what is on the earth, is infused with the Divine Nature.
地上に「在る」ものは何であれ、「神の性質」で満たされている。
--- ここまで ---

「神」は、この地上における全ての創造物の「種」もしくは「親」となる存在であり、
それゆえ「ケテル」を象徴します。

そして、その「神」は、『旧約聖書』によると、「神」の創造物である地上の「土」から、
我々「人類」の元祖となる「アダム」を創造したということになっており、「神の二次的
創造物」である我々「人類」は、「成果」の「成果」、すなわち様相的には成長した姿であり、
「子」であり「孫」であり、そしてそれらの成果は一括して「マルクト」に象徴付けされます。

ちなみに、我々のような地上の生物の場合、一部のものを除けば、親と子は「DNA」という
共通した複雑かつ高度な物質的なコード体系で、「生物としての性質」が記述されており、
それが親から子へとコピーされて伝えられていくことで、その生物種が地上にあまねく
存在し、そしてさらなる進化を続けることができるという仕組みになっています。

さらに言うと、現代においては、我々人類は既にDNAレベル、つまり物質レベルにおいては
合成や改変が自由に出来る技術レベルになっており、これは人が物質的世界においては、
限定的にではあるけれども、新しい生物界の「種」や「親」、すなわち「神」のようになれる
という状況になってきています。
ちなみに、こういう新種の技術というのは、自らを「神」と称して世界征服を企む悪の組織
の破壊的クリーチャーを生み出すために使われるというのが、定番ストーリーになっている
わけですけどね。(既にSFファンタジーの世界ではなく、リアルだというのが怖いですが。)

168 :名無しさん@占い修業中:2016/07/18(月) 06:40:14.02 ID:1QTd09VC.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
The separation between Creator and Created is artificial.
「創造主」と「創造されたもの」の間の分離は人工的なものである。

God is Man.
「神」は「人」である。

Man is God.
「人」は「神」である。

We are God collectively, and we are God individually.
我々は、集団的に「神」であり、そして我々は、個人的に「神」である。

We are parts, and we are the whole.
我々は部分たちであり、そして我々は全体である。
--- ここまで ---

「上の如く、下も然り」の原則より導かれる理論は、上記のように「トンデモ」理論に
近いものであり、ここには「創造主=ケテル」と「創造されたもの=マルクト」の間に
ある「Abyss/深淵」、すなわち「上と下を隔てる、一方通行の人工的な関門」もしくは、
「上と下を隔てることで、一定の流れを生み出すダム」のことは考慮されていません。

この世界においては、確かに「子」は「親」のコピーであり、区別できない存在では
ありますが、実際の「生命の木」自体には、絶え間ない自然の流れを生み出すための
「越えられない次元の壁」というものがあるということです。
頭の悪い人々は、その根本的な違いを理解できずに、自分勝手な「ミソクソ理論」を
生み出してしまうことが、ままあるわけです。
つまり、上記の文章は、半分は真実であって、「人」そのものは「神」と同等の存在で
あるわけなのですが、「人」が「神」の位置まで登りつめるには、「越えられない壁」
を越える必要がある、すなわち、事実上「不可能」である、ということなんですよね。

169 :名無しさん@占い修業中:2016/07/19(火) 06:06:55.75 ID:Kbl/sg3l.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
The perceived separation is the result of "The Fall," and the Great Work of returning
to the Godhead begins with the recognition (or, perhaps, the suspicion) that our
perceptions have been inaccurate.
知覚される分離は、「墜落」の結果であり、そして「神」へと戻る「偉大なる作業」は、
我々の認知がずっと不正確であったことを認識すること(もしくは、あるいは、疑念)
から始まる。

Thus, to Malkuth is assigned the virtue of discrimination.
従って、「マルクト」には、識別力の美徳が割り当てられる。
--- ここまで ---

我々「人間」が、「神」とほぼ等しい存在であることは、『旧約聖書:創世記』の物語の
中に記述されています。
そして、「人」が真の「神」になることを恐れた「神」が、「人」を天界から追放したと
いうのが、「The Fall/墜落」ということであり、それゆえ、「人」はまだ「完全体」には
なっていないわけです。

つまり、「人」は、堕落した下界に住む「動物」の一種のような存在ではなくて、元々は
天界に住む「神と同等の存在」であるわけであり、我々はそれを認識することで始めて、
「神へと戻る偉大なる作業」の意味を理解することが可能となるわけです。

ちなみに、「人」と「神」との一番の違いは、「人」が「マルクト」の存在であること、
すなわち、「マルクト」に存在るためには、その「魂」は、物質的な「肉体」の中に閉じ
込められなければならないということであって、それを認識して考慮に入れることで、
「人」と「神」の違いを理解し、類似点も見つけ出すことができるようになります。

とはいえ、人間が、この「物質化」した「肉体」に縛られるっていうのは、かなりの
ハンディキャップであることは確かであり、それゆえに最初の「越えられない壁」と
なって、全ての人類の前に立ち塞がっているというのも、確かなんですよね。

170 :名無しさん@占い修業中:2016/07/21(木) 06:02:01.55 ID:IWTqvVRh.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
Its spiritual experience is the "Vision of the Holy Guardian Angel," an aspect of
the Higher Self.
その霊的な経験は、「神聖な守護天使の像」であり、「高次の自我」の様相である。

It is in Malkuth that its existence is demonstrated, whereas to Tiphareth is ascribed
the conscious union of the personality with this Higher Genius.
その存在が実演されるのは「マルクト」の中であるのに対して、「ティファレト」へは、
この「高次の天才」と共にある人格の意識的な統一に帰せられる。
--- ここまで ---

我々人間の「霊的な経験」は、基本的には肉体的な感覚である「五感」に基づくものであり、
それらは、「マルクト」における経験の一つとなります。
ただし、他の「一般的な経験」と、この「霊的な経験」を、明確に区別する客観的な方法は
無くて、あくまでも主観的な方法で「discrimination/識別」していくことが求められる
わけです。

まあ、海岸の砂浜の「幾千万の砂粒」の中に混ざっている「砂金」を探し当てるような
地道な努力が必要とされるわけであって、やみくもに探しても、そうそう見つかるもの
でもありませんし、たとえ「金色の砂粒」が見つかっても、そのほとんどは「金」では
無いわけですので、それを探すのは、なかなか大変なのです。

まあ、何が言いたいかというと、「マルクト」における「霊的な経験」なんてものは、
そのほとんどが「ニセモノ」であって、あまりそれにこだわる必要も無いと思うのです。

商業的オカルティストではない我々にとって本当に必要なことは、「マルクト」での
明確な「デモンストレーション」ではないわけですし、そもそもキラキラ光る「砂金」
の中でなくても、地球上の全ての石の中には、「金」の成分は含まれているわけです。
つまり、特別なことをしなくても、我々は日常の中で、常に「霊的な体験」をしている
わけですし、それを識別できる能力を磨くことが、我々にとっては必要なことなのです。

171 :名無しさん@占い修業中:2016/07/22(金) 05:55:11.53 ID:3zUvzMOu.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
The idea of unity in all, and of the Divine Power indwelling in every aspect of
our material world may seem obvious to those with a natural inclination toward
the mysteries.
全てにおいての統一、および我々の物質的世界の全ての様相に内在している「神の力」の
考え方は、神秘的教義へと向かう自然な傾向を持つ人々にとっては明らかであるように
見えるかもしれない。
--- ここまで ---

日本人にとっては、この「八百万の神々」というか、「万物に神が宿る」という考え方は、
さほど違和感が無いように思えます。

つまり、「人」も「神」も実は似たようなものであって、「うちのカミさんが」とか、
「神キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」というように、特に禁忌などもなく、割と気軽に
何事においても、ごく自然に「神」を語れるという感じがあります。

これは、「上の如く、下も然り」もしくは「ケテルの如く、マルクトも然り」という、
「ミソクソ理論」に通じるものであって、これは、この我々の「マルクト」の世界を
理解していく上では、「主要な鍵」となる考え方でもあります。

実際のところ、この「ミソクソ理論」は両刃の剣であり、よくありがちな間違った使い方
をすると、「トンデモ理論」に腐っていくわけですが、正しい態度で正しく刃物を使える
ようになれば、自由自在に「形を成す」ために、それを利用することが可能なのです。

まあ、仏に魂を入れるのは、開眼法要で偉そうにお経を読むお坊さんではなくて、
それを作った人である「神職人」であるということなのですが、そういう一部の人々に
とって都合の悪いことを語ると、色々と誤解する人も出てきますので、この手の話は、
ここまでにしておきましょう。

172 :名無しさん@占い修業中:2016/07/23(土) 08:01:05.04 ID:jWXstWaT.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
But, over the centuries, many religious sects have taught that the material world
is inherently evil, a point of view which is ultimately counterproductive and escapist.
しかし、何世紀にもわたって、数多くの宗教的な宗派たちは、物質的な世界は、本質的に
悪であり、最終的には逆効果を招き、現実逃避主義であるとの観点であることを、ずっと
教え続けている。

The same may be said for certain fundamentalist Christian attitudes which suggest
that man should "give himself up to the will in God" to the extent that it is a
virtual abrogation of individual responsibility.
同じことは、個人的な責任の事実上の破棄であるという範囲において、人は「自分自身を
神の意志に引き渡す」べきであると提案する、ある一定のキリスト教原理主義者の態度たち
についても、言われるかもしれない。
--- ここまで ---

物質的世界である「マルクト」においては、「人」と「神」は、実質的な違いは無いという
「ミソクソ理論」が広く適用されるということになっています。
つまり、「人」は「神」と同等であって、「神と」同じように「自ら責任を持つ」という
のが基本です。

にもかからわず、「ワタシがモテないのは、どう考えても社会が悪い」とか、「全ては
神のおぼしめし」とか「政治が悪い、親が悪い、おまえが悪い、神が悪い」とか、とにかく
色々と身勝手な言い訳をして、自身の責任を回避し、他人になすりつけようとする態度を
取ってしまう、ある一定の人々がいるわけです。

そういう態度は、「逆効果を招き、現実逃避主義である」わけなのですが、そういう態度を
取る人に限って、他人にその責任をなすりつけ、自身は何も変わろうとしないわけですので、
最終的に「逆効果を招き、現実逃避主義」に陥って、自宅警備にいそしむか、変な宗教に
走るか、ネット世界に引き籠もるとか、まあそういうことになっていくわけですよね。

173 :名無しさん@占い修業中:2016/07/24(日) 09:05:10.91 ID:qo1GqbUf.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
The Qabalah teaches that the body is the Temple of the Holy Spirit, and that unless
we learn the lessons of Malkuth there can be no lasting progress beyond.
「カバラ」は、身体が「聖霊の寺院」であること、そして、我々が「マルクト」の授業たちを
学ばない限り、そこには越える永続的な進歩はないであろうことを教える。

The fact is that our first spiritual lessons come from those around us.
事実は、我々の最初の霊的な授業たちは、我々の周囲のものたちからもたらされることである。
--- ここまで ---

「カバラ」は、世俗の宗教とは違って、建築物の「寺院」を必要としません。
というか、密教的なものって、割と「我が身一つ」で、インドの山奥で厳しい修行をする
というパターンが多いようにも思います。

ちなみに、「生命の木」の下端にあり、我々の住む物質的世界を司るのは「マルクト」です。
つまり我々は、まず最初に「マルクト」のラスボスを攻略して、次の「セフィロト」に
通じる扉の鍵を得ることなしには、次のステージには進めません。
そして、その扉の鍵を持っているのが、そう、我々自身の「body/身体」であるという
ことなんですよね。

え、自分自身とバトルするのか?・・・、ですって?

いやいや、自分自身(もしくはそのコピーや虚像)とバトルしたって、絶対に勝てない、
いや勝つべきではないというのは、その手のバトルものの定番ストーリーですよね。

そう、我々は自分自身と闘うのではなくて、自分自身を知り、それを受け入れ、そして
共に高みを目指して、我々のコピーもしくは虚像と一体化して進んでいくという、そういう
感動的で、ありがちな鉄板ストーリーを生み出すべきなのです。

間違っても、金で次のステージへの権利を買おうなどと思ってはいけません。(苦笑)

174 :名無しさん@占い修業中:2016/07/25(月) 06:01:44.91 ID:sTVIvbdU.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
And if we cannot function effectively on the material level, learning from the day
to day patterns which we have chosen for our incarnation, it is unlikely that we
will be able to function effectively on a more refined spiritual plane.
そして もし我々が、我々の肉体化のために我々が選び続けている(生まれたその日から
今日までの)日々の様式たちから学ぶことが、物質的な段階にて効果的に機能を果たす
ことができないのであれば、我々が、より多くの精錬された霊的な面にて効果的に機能を
果たすことができるであろうということは、起こりそうにない。

The ability to sense the importance of the ordinary is a special form of discrimination.
普通であることの重要性を感知する能力は、識別力の特別な形式である。
--- ここまで ---

当たり前のことですが、我々の「基礎」となっている混沌とした「物質的世界」について、
きちんと理解できていなければ、それらから純化され精錬された上位概念の世界でも
ある「霊的な世界」を理解することなんて、出来るはずもありません。

とはいえ、我々は、我々の住むこの「物質世界」についても、それほど知っているわけでも
ありません。
そもそも、我々がなぜここにいるのかという、ごく当たり前で根本的なことについて
さえも、「我思う、故に我あり」以上のことは、まだよくわかっていないのが現状です。

そして、ほとんどの人々が「普通のこと」で済ましてしまっている、というか、簡単には
答えが出ないので誰もが答えることを避けてしまっている問題こそが、実は最も根本的
であり、そして最も重要である、というのも確かなのです。

オカルトの世界に限らず、一般の人々は「特別であること」に対して興味を持つのですが、
本当に能ある人は、「普通であること」に対して、特別な興味を持つわけです。
なぜなら、世の中に数多く転がっている営利目的に作られた「特別限定セール品」よりも、
「普通であるもの」の方が、より神秘的であるから、ということなんですよね。

175 :名無しさん@占い修業中:2016/07/26(火) 06:02:53.91 ID:u79sQsV4.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
All meditation, all Tarot divination and skrying, begins and ends with an affirmation
of the strength and stability of the earth.
全ての瞑想、全てのタロット占い、そして凝視占い(スクライング)は、能力の肯定および
大地の安定性と共に、始まり、そして終わる。

One must first be grounded before invoking the Divine Light.
人は、「神の光」を召喚する前に、最初に、接地(グラウンディング)されなければならない。
--- ここまで ---

「瞑想」、「タロット占い」、そして「凝視占い(代表的なものは水晶玉占い)」は、
基本的には「マルクト」〜「イェソド」での作業になります。
そして、結果を相手に言葉として伝える必要がある「占い」の作業においては、意識の
半分を「マルクト」に留めておく必要があります。
さもないと、「ああ、面白い夢だった」で終わってしまうわけで、「夢」を言葉に変換
するためにも、意識を完全に離脱させてしまうわけにはいかないわけです。
とはいえ、ほとんどの占い師は、「マルクト」にいるままで、適当な言葉を発している
だけですので、どうでもいいことですかね。

とりあえず、きちんとした占いをしようと思うのであれば、「上からの天からのパワー」
を引き降ろすという「召喚」の作業、そして使い終わったパワーを「下の大地へと流し
出す」という「接地(グラウンディング)」の作業が必要となってきます。
そして、天のパワーを目一杯引き下ろすためにも、最初に体の中を空っぽにすることが、
必要となってくるということですよね。

ちなみにこれは、「上から下」へと一方通行的なエネルギーの流れであって、「下から上」
への流れというものは、基本的には使われることはありません。
これは、一般的な人間の構造が、「上の口から食べて、下の尻から出す」とか、「頭を上に、
足を下に」して活動しているということから由来するものであって、それにとらわれない人
がいるのであれば、「大地からのパワー」を吸い取って活用する人もいるのかもしれません。

176 :名無しさん@占い修業中:2016/07/27(水) 05:33:24.07 ID:u8WuM2J1.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 115) ---
And, particularly, at the close of a projective exercise, it is necessary to potently
affirm a return to normal consciousness.
そして、特に、投影の練習の終わりでは、通常の意識への回帰を強力に断言することが
必要である。

Otherwise a dissociation or pathological confusion of planes may result.
さもなければ、面たちにおける解離もしくは精神病的な混乱が結果として生じるかも
しれない。
--- ここまで ---

人間の身体および精神は、「マルクト」にあります。

ちなみに、「projective/投影の」というのは、心理学用語であり、自分の内面を外部の
対象に向けて解き放つことであって、どちらかというと「マルクト」での作業になるわけ
ですが、勘違いした人々は、それをあたかも「神のお告げ」であるかのように語ることも
あるわけです。
そして、この練習においては、この「内面」と「外面」の関係性を、きちんと意識しておく
必要があるわけですが、心身に問題を抱えている人は、それをうまく認識できないことが
ある場合があって、結果的にその人の病気が進行してしまう結果となることがあります。

よく、糖質すなわち「統合失調症」の人は魔術をやってはいけない、と言われていますが、
これは、「内面」と「外面」すなわち「心の内なる世界」と「外部のリアル世界」の区別が
付かなくなってしまう症状が出るため、この「投影の練習」なるものによって、病気を悪化
させてしまうことも、ままあるわけです。

とはいえ、そういう糖質傾向にある人に限って、「占い」や「魔術」に興味を持ちやすい
というのもよくある話ですし、その手の人々は色々とトラブルを起こしやすいので、結果と
して、真面目な一般人が遠のくというのも、実はよくある話だったりするわけなのです。

177 :名無しさん@占い修業中:2016/07/29(金) 05:44:25.95 ID:1s9RVhq0.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
The lesson of Malkuth, the balance of the four aspects of the Personality, through
a process which might be described as one of compensation, is all important as
one learns to "Rise on the Planes."
「マルクト」の授業は、「補償」の1つであると類型化されるかもしれない過程を通じる
ことによる、「人格」の4つの様相たちの均衡であり、人は「面たちの上に立ち上がる」
ことを学ぶので、全てが重要である。

The Personality must be totally readjusted and rebalanced after each new spiritual
experience, a process which takes place in Malkuth.
「人格」は、「マルクト」で起こる過程である、個々の新しい霊的な経験の後に、完全に
再調整されて、再均衡されなければならない。

The waking consciousness is reintegrated as self-perspective changes.
目覚めの意識は、自己の見方の変化として再統合される。
--- ここまで ---

なんか、色々と心理学用語が入ってきているので、いまいち難解というか、心理学の知識が
無いと理解しずらい文章ですが、要するに、何事においても、まずは「しっかりと足が地に
着いた」状態が大事であり、全ての基本であると言いたいわけです。
そもそも、地に足が付いていない、目が見えていない人間が、付け焼き刃の修行をしてみた
ところで、やっかいな自我肥大を起こすだけであり、そこから何も得るものはありません。

何度もいいますが、人間の身体および精神は、「マルクト」にあります。
そして、一般の人々が、仰々しく「霊的な経験」と呼んでいるもののほとんどは、実は
まだ「マルクト」の世界の中にあるものなんですよね。
それをきちんと理解しておかないと、真に「マルクト」の先にあるものは、全く見えて
来ないわけですので、まずは全ての基本となる「マルクト」を、自らの体と心を使って、
しっかりと把握する、すなわち「self-perspective/自己の見方」を完璧に整備して、
完全に目を開いておくことが必要とされるということになるわけなのです。

178 :名無しさん@占い修業中:2016/07/30(土) 08:45:14.35 ID:DLKTKfch.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
We learn not in a consistent flow, but rather through a natural process of activity
and passivity, stop and go.
我々は、首尾一貫している流れの中からではなく、むしろ活動と受動、止まったり動いたり
という自然な過程を通じて学ぶ。

First we acquire information, or a new set of values, and then we stop to integrate
that material into our system.
最初に、我々は、情報、もしくは価値たちの新しい集合を取得し、そしてそれから、我々は、
その素材を我々の体系に統合するために立ち止まる。

This must happen before the lessons can be applied, which is the reason that one
cannot truly use the powers of any Sephira until he has been initiated into the
Sephira above it.
このことは、授業たちが応用されることができる前に、起こるにちがいない。そしてそれは、
人は、彼がその上の「セフィラ」に参入し終えるまで、どんな「セフィラ」の力たちであれ、
本当に使うことができないという理由である。
--- ここまで ---

人は、真に目覚める前には、一旦「寝る」ことが必要であり、そして、その「寝る」という
「表面的な活動の停止」中には、実は目に見えない霊的な「内面的な活動」が、その人の
奥深いところで活発に活動しているわけです。
ちなみに、人間は「寝る」ことによって、覚醒中の活動で取得した様々な脳内記憶を再構成し、
効率的に次の精神活動に繋げていくということも、現在の脳研究では、わかっています。

いずれにしても、人は「lessons/授業たち」から学ぶ栄養素は、きちんと咀嚼し消化する
だけではなく、しっかりと寝ることで、真に自分自身の血や肉にすることができるという
ことであって、人が成長するためには、「よく学び、よく遊び、よく食べて、よく寝る」と
いうことが必要であるということなんですよね。(どこぞの小学校のスローガンみたいですが。)

179 :名無しさん@占い修業中:2016/07/31(日) 06:09:39.57 ID:vTpdxcwk.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
Repeatedly throughout the Tree, there has been reference to the Four Elements in
the pattern of the [he][vau][he][yod].
「木」の至るところに繰り返し、[he][vau][he][yod]の様式の中に「四大元素」への参照
があり続けている。

Malkuth is the Sphere where the elements are ultimately based.
「マルクト」は、元素たちが最終的に基礎に置かれる「天球」である。

They intermingle to produce the stability which we know as matter.
それらは、我々が物質として知覚する安定性を生み出すために混ざり合う。
--- ここまで ---

今まで、「生命の木」の中には、何度も「聖四文字」と「四大元素」のパターンが出て
きましたが、最終的に、この「マルクト」の内部にも、このパターンが現れています。

とはいえ、「聖四文字」や「四大元素」の基本的な概念って、元々は我々が住む世界である
「マルクト」にあるものであって、我々人間が元々そういうふうに知覚していた概念を、
どこぞのエロい方々が、我々には見えない上位の霊的世界に拡張するためにテンプレート化
したという、いわば「仮想現実化」のためのツールの一つとしたということですので、実は
「聖四文字」や「四大元素」が「マルクト」にある、というのは、ごく自然なことなのです。

つまり、我々は、この「マルクト」において、その基礎的な概念をしっかりと習得しておく
ことが出来なければ、その応用である「生命の木」の上位世界を正しく認識することは
出来ないということにもなるわけなんですよね。

そう、何事においても、「基礎」というものは、一番大事なのでした。

180 :名無しさん@占い修業中:2016/08/01(月) 05:42:55.37 ID:klP71fIT.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
These are not the same as the fire, water, air and earth which we see and touch,
although they are the motive force behind those elements.
これらは、それらがそれらの元素たちの背後にある原動力であるけれども、我々が見たり
触れたりする、火、水、空気、および地と、同じものではない。

In the simplest of terms (although it may sound totally fanciful), when one lights
a match one does so only through the Fire Force of the Salamanders, Elemental Fire.
最も簡単な用語たちで表現するなら(それは全く空想的に聞こえるかもしれないけれども)、
人がマッチに火をつける時は、「四大元素の火」である「サラマンダーたち」の「火の力」
を通じてのみ、そうする。
--- ここまで ---

ここは、良くある勘違いである、目に見える物質としての「元素たち」と、目に見えない
概念としての「四大元素」についての話です。

もちろん、物質としての「元素たち」と、概念としての「四大元素」とは、密接かつ直接的
な関係はあるわけですが、要するに、「上の如く、下も然り」と同じくくりの話であって、
よくある「ミソクソ理論」の状態に陥ってはならないということなんですよね。

物理世界から逃れられない一般人によくあるのは、「質」と「量」の勘違い、そして
「見せかけ」に欺されてしまうということがあります。
まあ、結果的に同じものであれば、同じもののように思ってしまいがちですが、そもそも
「四大元素」は「the motive force behind those elements/それらの元素たちの背後に
ある原動力」であって、物事についての背後の理屈をしっかりと理解できていない人々は、
この「四大元素」の力をまだ正しく理解できていないということであり、これはすなわち
このままでは「マルクト」の理解が進まないということにもなるわけです。

まあ、色々と欲望を持つ人間って、「質」より「量」、そして「見せかけ」に欺されて
しまいがちですので、まずはそこから修行していかないといけないわけなんですよね。

181 :名無しさん@占い修業中:2016/08/02(火) 05:35:49.36 ID:/eJyJBpZ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
The Elementals, which, in the Tattva Exercises we contact in more or less agreed-upon
anthropromorphic shapes, are the forces behind the forms of the Mundane Chakra,
the material world.
多かれ少かれ合意された擬人化された形たちに我々が接触する「タットワの練習たち」の
中にある、「四大元素」は、物質的な世界である「宇宙のチャクラ」の形の背後にある力
たちである。
--- ここまで ---

「anthropromorphic」は「anthropomorphic」の誤植ですかね。

さて、「the Tattva Exercises/タットワの練習たち」に限らず、こういうヲタクっぼい
妄想の訓練と「擬人化」の関係は、はっきり言って避けては通れないというか、むしろ
絶対的に必要とされる要素であるということは、忘れてはならないですよね。

つまり、極限にまで単純化された「タットワの象徴図形」に対して、この擬人化妄想の
訓練を適用するということであり、さらにその中に「四大元素」のネタというか属性値を
取り入れることで、さらなるキャラ付けが可能となり、人それぞれの多様な妄想が膨らむ
というわけです。

そして、この「擬人化」というバーチャル・リアリズム的行為こそが、我々にとっての
「物質化」という強い思い入れの結果であり、ヲタクの本質でもあるわけです。

ヲタクの初心者のうちは、ついつい「絵師」や「原型師」の生み出す、目に見える触れる
「物質世界」に、お金をつぎ込みがちですが、真のヲタクは、そのような既に物質化された
ものには手を出さず、ひたすら自分だけの理想の世界を求めて、崇高なる「脳内作業」に
いそしむということになるわけですよね。

182 :名無しさん@占い修業中:2016/08/03(水) 05:29:41.38 ID:3oSw1rEx.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
The Mundane Chakra of each category of existence is in Assiah, the lowest of the
Four Worlds.
存在の各々の範疇である「宇宙のチャクラ」は、「アッシャー」、「4つの世界」のうちで
最も低いところにある。

Here we may again consider the idea that each Sephira contains an entire Tree.
ここで、我々はまた、各々の「セフィラ」が「木」全体を含んでいるという考え方を考慮
するかもしれない。

The Malkuth of Malkuth in Assiah is the ground on which we walk; the Tiphareth
of Malkuth in Assiah is the Sun in our sky; Netzach is Venus; Hod is Mercury;
and Yesod is the Moon.
「アッシャー」における「マルクト」の「マルクト」は、我々がその上を歩く大地である;
「アッシャー」における「マルクト」の「ティファレト」は、我々の空にある「太陽」で
ある;「ネツァク」は「金星」である;「ホド」は「水星」である;そして「イェソド」
は「月」である。
--- ここまで ---

「マルクト」は「宇宙のチャクラ」であり、我々のいる物理的な宇宙、すなわち、客観的に
観測可能なものたちが「existence/存在」することのできる世界です。

そして、その「宇宙のチャクラ」である「マルクト」の中には、入れ子になった「生命の木」
があり、その中に、天文学で取り扱っている「天体」が配属されています。
ちなみに、我々のいる地上の現象や事柄についても、この「生命の木」のテンプレートが
適用できるものが、数多く転がっているのも、何となく理解できるかと思います。

そして、「生命の木」自体が、こういった数学的な「フラクタル」の性質を持っているので、
一見すると何の関わりもないようなものの内部にも、じっくりと見てみると、こっそりと
紛れ込んでいるというのも、よくあったりするわけですよね。

183 :名無しさん@占い修業中:2016/08/04(木) 05:39:11.30 ID:iDYkT9Tc.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
Yet that which we perceive is only the surface of the material world.
しかしそれでも、我々が知覚していることというのは、物質的な世界の表面にすぎない。

Matter (the whole of Assiah) is composed of particles invisible to the eye.
「物質」(「アッシャー」の全体)は、目に見えない粒子により構成されている。

We see them only through enormous electronic magnification in the same way that
the forces which activate these particles can only be seen with the inner vision.
我々は、それらを、これらの粒子たちを作動させる力たちが内なる視力を用いることに
よってのみ見られることが可能であるのと同じように、巨大な電子による拡大を通じて
のみ見ている。
--- ここまで ---

ここは、神秘の分野の話というよりも、科学の分野の話になりますかね。

我々が、我々の「五感」を通じて知覚している、いわゆる「物質」というものは、
しょせん「マクロ」なものというか、表面的というか、うわぺだけのものであって、
我々自身にとって、その物質の本質的なところは、ほとんど見えてはいないというか、
ほとんど知らないことばかりなのです。

我々が、この世界の「物質」について、色々と知ることが出来るようになったのは、
現代科学が発達し、様々な計測や実験ができるようになり、様々な理論が提唱され検証
されるようになった、ごく最近の出来事であって、それまでの研究は、見えない世界を
探るために、主に「自然哲学」という「脳内妄想」に頼っていたわけです。

さらに言うと、実のところ、現代科学においても、この「目に見えない粒子」という
ものは、いまだに「見えない粒子」のままなんですよね。
でも、たとえそれが見えなくても、我々は「存在している」と決めつけることが出来る
わけであり、そういう意味では、科学とオカルトの世界は似ているところもあるわけです。

184 :名無しさん@占い修業中:2016/08/05(金) 05:45:36.43 ID:3wyh35Mg.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
The exercise of the Tattvas are of Assiah (although they may easily be deepened
into the Yetziratic World).
「タットワの練習たち」は、「アッシャー」をもっている(とはいえ、それらは
「イェツィラー的世界」の中に容易に深められうるのであるが)。

When we deal with the Gnomes, we are tapping the forces of stability directly
beneath our sphere of sensation, forces which are an amalgam of aspects of
three elements within the fourth.
我々が「ノームたち」を扱う時は、我々は、第4番目の内にある3つの元素たちの面たちの
混合物である力たちである、我々の感覚の天球のすぐ下にある安定性の力たちをコツコツ
叩いている。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの「タットワ」では、以下の5つの図形が使われています。
 ・アカシャ=霊=黒色の卵形
 ・テジャス=火=赤色の正三角形
 ・アパス=水=銀色の三日月
 ・ヴァユ=空気=青色の円
 ・プリティヴィ=地=黄色の正方形

これらの図形は、最初は基本的には全て「アッシャー」に属しているわけですが、
練習をすることによって、より高い次元へと進める「鍵」の役割をしているわけです。

そして、「アッシャー」の力を使う時には、「地の精」である「ノーム」の力を借りる
ために、我々の世界の足元にあって、全てのものが混合されて安定された「地への扉」を
ノックすることが必要であるということですかね。

185 :名無しさん@占い修業中:2016/08/06(土) 07:53:41.88 ID:fAdjcfR3.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
Malkuth is a quadripartite unity.
「マルクト」は、四者の統一体である。

To deal with the Sylphs means to handle the motive force or Air, directly beneath
Yesod's mundane Chakra, the Moon.
「シルフたち」を扱うことは、「イェソド」の宇宙の「チャクラ」である「月」のすぐ下の
原動力もしくは「空気」を取り扱うことを意味する。

The Undines are in Hod-Mercury, and the Salamanders of Netzach-Venus.
「ウンディーネたち」は「ホド−水星」の中にあり、そして「ネツァク−金星」の
「サラマンダーたち」。
--- ここまで ---

「マルクト(地)」の中には、「イェソド(空気)」「ホド(水)」「ネツァク(火)」
の要素、すなわち「四大元素」が全て含まれています。

これにより、上っ面の知識や経験のみを習得した「マルクト」に属する初心者は、
自らを「イェソド」「ホド」「ネツァク」を統べる上位者なのかも、と勘違いする
ことだって、あるかもしれません。

実際のところは、人間はそう簡単には上位世界には行けませんので、それは単なる勘違い
ではあるわけですが、頭の悪い人に限って、自分が愚かであることは認めたくないもの
ですので、それはそれで、なかなか難しい問題なのです。

そしてここで話題になっている、「マルクト」における「タットワの練習」についても、
そういう問題を含んでいることは、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書(下)』
にも若干記されています。
人が真の上位世界に行くには、まずは「イェソド」という「人を惑わす世界」を越えないと
いけないわけですので、まずは、そのトラップに引っかからないようにしましょう。

186 :名無しさん@占い修業中:2016/08/07(日) 06:18:19.42 ID:SOZGvbHd.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
A great deal will be gained by meditation on the position of Malkuth at the base
of the Tree of Life on the Middle Pillar.
多くのことが、「中央の柱」の上の「生命の木」の基部にある「マルクト」の位置での
瞑想によって得られるであろう。

It is a receptacle for all of the energies of the Tree.
それは「木」の精力たちの全てにとっての貯蔵所である。

They feed into Malkuth, and are grounded in its stability.
それらは、「マルクト」に流れ込み、その安定性に基づいている。
--- ここまで ---

「四大元素」は、「マルクト」にいる我々から見れば、「マルクト」の中でのみ、安定して
「存在」することができます。
そして、「四大元素」は、「マルクト」の中に最も集積しており、それゆえ「物質」と
しての、目に見える「形」を成すことが可能となっているわけです。

我々の感覚器官は、この「物質」と相互作用して、その存在を知覚するわけですので、
まずは「四大元素」を「物質」レベルできちんと知っておくことが、全ての基本です。
そこから先の「目に見えない世界」のレベルの話は、その応用編になるわけですので、
基礎的な理論、すなわち「物理的な理論」についても、きちんと勉強しておく必要が
あるということなんですよね。

まあ、そういう真に基礎的な部分を抜きにして、色々とオカルト理論を語ったところで、
しょせん「根」も葉もない、空想にまみれた空理空論になってしまうのですが、そういう
根も葉もないデマに欺されてしまう初心者が絶えないというのも、よくある話なわけです。

とりあえず、そういうハメに陥らないようにするためにも、全ての基礎となる「マルクト」
での勉強を怠ってはならないということなんですよね。

187 :名無しさん@占い修業中:2016/08/09(火) 05:34:37.02 ID:BevZFuZa.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 116) ---
The word inertia has been applied to this Sephira, meaning a state of rest (stasis)
rather than inactivity, as continual motion is the law of nature.
継続的な運動が自然の法則であるので、不活発というよりも休息(停滞)の状態を意味する、
「慣性」という言葉が、この「セフィラ」に適用され続けている。

The difference between Malkuth and other Sephiroth is that it is self-contained
in the same way as is Kether.
「マルクト」と他の「セフィロト」との違いは、それが「ケテル」がそうであるのと同様に
自己完結型であることである。
--- ここまで ---

「マルクト」は「receptacle/貯蔵所」であり、そして「stability/安定性」の
「セフィラ」です。

そして、「生命の木」の下端にあるため、そこから下へ流れ下るルートは、直接には
図示されてはいません。
つまり、「生命の木」全体に備わる「継続的な流れ」は、ここで一旦、停止することに
なり、停止するが故に、ここで物質は「静止質量」を持つ「物質」として我々の前に
現れるということになります。

つまり、「ケテル」に注ぎ込まれた「純粋エネルギー」は、途中の「セフィロト」を通過
しながら、様々な相転移を繰り返し、最終的に、この「マルクト」において静止可能な
「物質」へと完成したというとですよね。

とはいえ、この「物質」というのは、「生命の木」の理論から見れば、我々の排泄する
「うんこ」と同じようなレベルのものであり、しばらく直腸に蓄えられた後は、「便秘」
で苦しむことにならないように、一定周期の「お通じ」を通じて、「マルクト」である
「肛門」から下部の世界である「クリフォト」へと排泄されなければならないわけであり、
そういう意味でも、「マルクト」は決して「不活発」というわけではないんですよね。

188 :名無しさん@占い修業中:2016/08/10(水) 05:34:41.31 ID:SrBGujMc.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
Malkuth is called the Bride of Microprosopus, a title which relates beautifully
to the Tarot Princesses.
「マルクト」は、「タロットの王女たち」と見事に関連する称号である、「ミクロプロソプス
(小さな顔)の花嫁」と呼ばれている。

The Prince is Tiphareth, who rules over the personality it projects for each
incarnation.
「王子」は、「ティファレト」であり、各々の肉体化のために投射する人格を統治している。
--- ここまで ---

「マルクト」は、「ミクロプロソプス(小さな顔)の花嫁」であり、これはまた、
「マルクト」が「receptacle/貯蔵所」であり、「stability/安定性」の「セフィラ」
であることにも関連しています。
つまり、上位の「ミクロプロソプス(小さな顔)」から流出してきた聖なる精力(エネルギー)
を一手に引き受けて、ここで物質化するという意味でも、ふさわしい場所です。
さらに言うと、「マクロプロソプス(大きな顔)」である「ケテル」の対極にあるものとして、
全てのものを受け入れる場所でもあります。

まあ、そういう意味からすると、「マルクト」というのは、我々にとっては非常に重要な
場所であり、我々が存在するためには、かけがえのない場所(母なる地球)でもあるわけ
なのですが、あまりにも近くにあり、そして無限にも思える包容力もあるので、我々は
それを勘違いして、自然破壊を繰り返すことで、自らの首を絞めているような状況に
陥りつつあります。

なんでこうなっているのかというと、「マルクト」って、実は下位世界の「クリフォト」
にも隣接しているわけであり、単純に「ミクロプロソプス(小さな顔)の花嫁」という
表向きの面だけでは語れない場所でもあるわけなのですよね。

189 :名無しさん@占い修業中:2016/08/10(水) 06:14:47.55 ID:WyZTzbFE.net
>>185は上位者ではないのに上から目線
バカほど己の馬鹿を認めない。
は、新手の自己紹介というわけですね。
下らない自己紹介においては上位者かもしれませんね。

190 :名無しさん@占い修業中:2016/08/10(水) 20:02:09.45 ID:6RXsUOVe.net
>>189
上から目線の自己紹介、ありがとうございます。(^_^)/

で、そういう >>189さんは、もしかして上位者なのですか?

191 :名無しさん@占い修業中:2016/08/11(木) 06:43:28.83 ID:YYlkRU2n.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
But for the personality to perform its task, it must function within a given
structure.
その務めを果たす人格がなければ、それは、与えられた構造の範囲内で機能を果たすに
ちがいない。

The Princess, taken as a Bride by the Prince (who is actually a King) is the very
structure (Kingdom) through which the Prince rules.
(事実上は「王」である)「王子」により「花嫁」として受け入れられる「王女」は、
「王子」が支配しているものを通して、まさしくその構造(「王国」)である。
--- ここまで ---

「ティファレト」である「王子」と、「マルクト」である「王女」は、人間においては
霊的な「人格」と、物理的(かつ精神的)な「肉体」に対比されます。

そして、人は、高次の「霊的」なものを持たなくても、持って生まれた母なる「マルクト」
の本能的な枠組みの中だけで生きていくことも充分に可能なのですが、まあそれはそれで、
捨てがたい生き方でもあるわけですけどね。

とはいえ、「マルクト」に生まれた者は全て、その内部に「ティファレト」のエネルギー
を持っているわけですので、それに気づくか気づかないかの違いであって、そしてそれに
気づいたとしても、特に生活が良くなるとか、モテ期が来るとかいうことでもありません
ので、実生活上は、あまりこだわる必要も無いかと思います。

ちなみに、ここで話題になっている「人格」というものは、我々が普通に考えている
「個性」、すなわち「他人との性格の違い」ということではなくて、より高次のもの、
すなわち、人が他の動物たちとは異なる、「人が人としてあるために必要不可欠なもの」
という感じのものですかね。
まあ、ワタシも、詳しいことは、よくわかんないんですけどね。ww

192 :名無しさん@占い修業中:2016/08/12(金) 05:59:39.43 ID:7kOonysJ.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
For example, we repeatedly have noted that in Christian iconography the Virgin Mary
(Binah-Isis) is The Church.
例えば、我々は、キリスト教の図像学で「処女マリア(ビナー−イシス)」が「教会」で
あることに繰り返し言及し続けている。

She is the building, she is the rituals, she is the supportive structure without
which the religion would not function.
彼女は建物であり、彼女は儀式たちであり、彼女は、宗教がそれ無しでは機能しないで
あろう支持的な構造物である。
--- ここまで ---

「ティファレト」である「王子」と「マルクト」である「王女」の関係ですが、
上位世界の「父」と「母」の関係、すなわち
・「コクマー」:「The Will to Force/力の意志」
・「ビナー」:「The Will to Form/形の意志」
にあるように、「カバラ」やキリスト教の枠組においては、「男性性=形なきもの」と
「女性性=形あるもの」という感じになっています。

まあ、男を夢を追い、女は現実を見る、ということなのですが、アホな男どもが現実逃避
して上位世界に入り浸っているのとは対象的に、女どもは足元の生活を固めるという、
割とよくあるストーリーになってくるわけです。
そういえば、マサース氏とミナちゃんの関係も、これに近いものがありましたよね。

いずれにしても、宗教というものは、「男のロマン」を支える「堅実な女たち」があって
こそ成立するものであって、そういう意味でも、女性からの支持を集めるということは、
宗教に限らず、様々な団体においては、かなり重要な要素となるわけなのでした。

193 :名無しさん@占い修業中:2016/08/13(土) 06:54:45.57 ID:tIWCDPxt.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
Considered at a less symbolic level, the choice of the Prince to take the Princess
as his Bride is our own personal choice to enter a new incarnation, with a new
personality.
それほど象徴的ではない水準で考慮されるならば、彼の「花嫁」として「王女」を受け入れる
「王子」の選択は、新しい「人格」と共に新しい肉体化を入力する我々自身の個人的な選択
である。

The Higher Self of Tiphareth builds the personality using the sequential energies
of Netzach, Hod and Yesod.
「ティファレト」の「高次の自我」は、「ネツァク」、「ホド」、および「イェソド」の
一連の精力たちを使って「人格」を築く。
--- ここまで ---

それほど象徴的ではないレベルの話、すなわちエロ目線で話をするのであれば、ここの
「ティファレト」と「マルクト」に関する話は、人間の子作りに関する話そのものになる
わけですよね。

つまり、父の中で目覚めた「ティファレト」の「霊」が、「ネツァク」「ホド」「イェソド」
で「精子」という形で顕在化し、そして父と母が交わって、母なる「マルクト」で産み出さ
れる「卵子」と結合することで、「子」である新しい人格と肉体を持つ「人間」が生まれる
という生命誕生のストーリーになるわけです。

ここで注目すべきポイントは、我々がこの世に生まれてきたのは、実は我々自身の「意志」
であって、決して「父」と「母」が、勝手に○○した結果として生まれてきたのではない
という考え方であり、我々はあくまでも我々の自己責任で生まれてきたということです。
とはいえ、「子は親を選べない」というのも、よく言われている話であり、親のせいで
子の人生が左右されるということも確かです。
でも、そういう親の子として生まれたということも含めて、我々は自己責任で生まれて
きたということを、人は忘れているのではないかということなのでした。

194 :名無しさん@占い修業中:2016/08/15(月) 05:45:54.76 ID:Ivwynnt7.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
That personality is expressed through the vehicle of matter in Malkuth, the Sephira
also referred to as Gateway.
その人格は、また「出入口」と称される「セフィラ」である、「マルクト」の中の物質と
いう媒体を通じて表現される。

Two principles unite, giving rise to a third, which is expressed in a fourth:
[he][vau][he][yod].
2つの原則たちが結合して、3番目を生じさせ、それは4番目において以下のように表現
される:[he][vau][he][yod]。
--- ここまで ---

「ティファレト」の「霊」が、人としての「人格」を持つためには、「肉体」を持つこと
が必要不可欠であり、それゆえ、人間は、母なる「マルクト」にある物質を身にまとって、
「マルクト」より産み出されるわけです。

そして、その「肉体化」に至る道中で、「霊」は、「火」「水」「空気」「地」の、
「聖四文字」に対応する「四大元素」を身にまとって、この世界に生まれるわけです。

つまり、人は生まれながらにして「神」と同じ性質を帯びているということなのですが、
「神」との違いは、「肉体化」しているかどうか、ということであり、「肉体化」している
限りは、その「霊」や「四大元素」は、神々の「サンドボックス」である「マルクト」の
領域からは、外には出られないということになっています。

そして、「肉体化」から一定の時間が経つと、その肉体化に使われた資源は強制終了させ
られ、他の「肉体化」を欲している「霊」のための資源として、新たに振り分けられると
いう、それなりに効率的なシステムになっています。
つまりは、この「マルクト」において、「神域」の「無限大」から、「地上域」の、優先度付き
「有限」へと変換する「ゲートウェイ」として、うまく相互変換しているということにもなって
いるわけですよね。

195 :名無しさん@占い修業中:2016/08/16(火) 06:18:40.91 ID:k9iBQkF3.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
Insofar as Malkuth is the Earth, it is active and productive, and is called the
Inferior Mother.
「マルクト」が「地球」である限りにおいて、それは活動的で生産的であり、そして
「下位の母」と呼ばれる。

On the lower arc, she is an expression of the energies of Binah, the Supernal Mother.
下位の円弧の上では、彼女は、「天上の母」である「ビナー」の精力たちの表現である。

And here we realize that the union of the Vau and Heh Final, like that of the Yod
and Heh, must produce something further.
そしてここで、我々は、「ヴァウ」と「最終ヘー」の結合が、「ヨッド」と「ヘー」の
それと同様に、さらにまた何かを産み出さなければならないことを悟る。
--- ここまで ---

我々の住む、母なる「地球」は、父なる「太陽」からの光エネルギーの恵みを受けることで、
活動的であり生産的である「母」として振る舞います。

ちなみに、上位の「ヨッド:コクマー(天上の父)」と「ヘー:ビナー(天上の母)」は、
ほぼ対等の関係でしたが、下位の「ティファレト(下位の父)」と「マルクト(下位の母)」
では、明らかに「父>母」の関係性が見られます。
これは、父が優れていて母が劣っているということではなくて、その役割について、単なる
性別の違いだけではない、かなり大きな違いがあるということを表しています。

つまり、次世代へと繋がるための、「マルクト」のもう一つの「ゲートウェイ(出入口)」
としての機能が、ここにあるわけですよね。

要するに、我々人間は「生命の木」の最下層の「マルクト」に住み続けてもよいし、さらに
闇堕ちして「クリフォトの木」へと転移しても良いわけです。
まあ、どちらの生き方を選ぶのかは、あなた自身の選択にかかっているわけですよね。

196 :名無しさん@占い修業中:2016/08/17(水) 05:44:02.00 ID:VGHs7lnW.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
What is produced is a renewed activity at the point of Kether, which re-activates
the outgoing force of Chokmah, which sustains the formalizing energies of Binah,
and so on.
産み出されるものは、「ケテル」の時点で更新された活動であり、それは「コクマー」の
流出する力を再び活動的にし、そして「ビナー」形を与える精力たちを維持するもの、
などである。

It is a continuous cycle symbolized by the Egg, or by the Serpent which holds its
tail in its mouth.
それは、「卵」、もしくはその尾をその口にくわえた「ヘビ」により象徴される、継続的
な循環である。
--- ここまで ---

「四つの世界」それぞれに「生命の木」があり、上位世界の「マルクト」と下位世界の
「ケテル」が繋がっていることは、既に勉強した通りです。
つまり、次の世界へと繋がるための、「ゲートウェイ(出入口)」というか連結器として
の機能が、「マルクト」と「ケテル」にあるわけですよね。

とはいえ、ここで語られているのは、そういう「上から下」への一方的な流れではなく、
自己完結した「輪廻転生」タイプの「ゲートウェイ(出入口)」としての「ケテル」と
「マルクト」の働きのことになります。
つまり、「生命の木」の本流からは若干外れているところに、こういう渦を巻くような
「循環構造」が見られるということであり、「マルクト」においては、「地球上での物質
の循環」や「生き物の食物連鎖」みたいなものが、例として知られています。
さらに言うと、我々の全く知らない力が働くことによる、下位世界の「マルクト」と上位
世界の「ケテル」が繋がる「ワームホール」みたいな仮説もあります。
まあ、こういう「循環」は、「無限ループ」へと発散する可能性があるので、どこかで
何らかの制限がかかることになるわけですし、そうでなければ「ミソクソ理論」に
陥ってしまうことになるわけですしね。

197 :名無しさん@占い修業中:2016/08/18(木) 05:47:51.20 ID:JXJBX74q.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
But this cycle becomes ever tighter, pulling closer to Kether with each downward
and then upward swing.
しかし、この循環は、さらによりきつくなり、各々の下へとそれから上への揺れを伴って、
「ケテル」により近づくように引っ張られて動く。

There must eventually come a point in the evolution of the Spirit of Mankind,
where the Tree of Life no longer describes our Universe.
結局は、もはや「生命の木」が我々の「宇宙」を記述しない、「人類の霊」の進化に入る
時点が到来しているにちがいない。
--- ここまで ---

なんかいきなり結論が出ちゃっているようで、ちょっと状況が良くわかんないんですけど、
まあ、現代においては、「マルクト」の段階が妙に発達してしまったおかげで、我々の
「宇宙」に関する物質的な事象については、かなり良くわかってきています。

さらに言うと、我々の宇宙の「マルクト」からは、別次元の宇宙の「ケテル」へと繋がる
「ワームホール」が数多く発生しているので、現代科学は、これについても、ある程度の
予測が出来るレベル、つまり、「あってもおかしくない」という結論に達してきています。

とはいえ、我々は、そういう別次元の宇宙の「ケテル」に至るためには、その別次元の
「生命の木」のことを知ることが必要であり、そのためにも、我々自身の「人類の霊」の
進化が併せて必要とされるわけです。

え、なぜ進化しないといけないのかって?
おそらくは、別次元の宇宙は、そういう進化した「人類の霊」でしか見ることができないし、
入ることもできない、ということなのではないのかな、と思うのでした。
とはいえ、そういう難しいことは、よくわかんないです。

198 :名無しさん@占い修業中:2016/08/19(金) 05:36:27.15 ID:gNv6Z822.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
The primary symbols of Malkuth are the Altar of the Double Cube, and the Equal-Armed
Cross.
「マルクト」の主要な象徴たちは、「二重の立方体の祭壇」、および「等しい腕の十字
(ギリシャ十字)」である。

The Altar of the Western Mysteries is black, and is formed of two cubes, on top
of the other.
「西洋の神秘的教義の祭壇」は黒色で、上下に重ねられた、2つの立方体たちで形成される。

The reference here is to the "As above, so below."
ここでの参照は、「上の如く、下も然り」である。

Moreover, the six sides relate to Tiphareth.
さらに、6つの側面たちは、「ティファレト」に関連している。
--- ここまで ---

この「the Altar of the Double Cube/二重の立方体の祭壇」の話は、以前にも「ビナー」
と「ティファレト」に出てきています。
つまり、それらのネタの集大成が、この「マルクト」にある、ということであり、つまりは、
全ての神秘は、この「マルクト」にもある、ということにもなるわけです。

まあ、真面目にオカルトの勉強をやっていれば、この基礎部分にある「マルクト」の神秘
だけでも、お腹いっぱいになるわけであり、なかなか上位世界の神秘にまで手が回らない
わけですが、基礎をしっかりとやっておけば、「上の如く、下も然り」、つまりその応用編
である上位世界の神秘も、自ずから見えてくるということでもあるわけです。

とまあ、口で言うのは簡単なのですが、実際には上位世界のイベントを言葉で表現する
ことは難しいので、こっちはこっちで、全く別次元の難しさがあるわけなんですけどね。

199 :名無しさん@占い修業中:2016/08/20(土) 07:36:23.95 ID:wJv4BWOR.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
The Equal-armed Cross is the balanced Elements.
「等しい腕の十字(ギリシャ十字)」は、釣り合いが取れた「四大元素たち」である。
--- ここまで ---

この「The Equal-armed Cross/等しい腕の十字」は、ゴールデン・ドーンの五芒貨の
数札のカードにも描かれているように、「マルクト」を代表するシンボルです。
ちなみに、占星術や天文学においても、「地球」は「丸に十字」の惑星記号で表されて
おり、こちらも「地」を表すシンボルとなっています。
つまりは、この「十字」は、キリスト教の十字架とは基本的には関係ない記号であり、
変に宗教的なものには絡めない方がいいわけですよね。

さて、この「マルクト」においては、「四大元素」が完全なる「均衡状態」にあります。
とはいえ、時空には必然的に「ゆらぎ」が発生するわけであり、その場合には他者がそれを
代償して、すぐに元に戻そうとする力が働くわけで、それゆえに、以前に述べたような
「循環」というような動きが出てくるのですが、その動きは、実は新たなる「ケテル」に
繋がるものでもあるわけです。

「マルクト」は基本的に「安定」な状態であり、「ケテル」は基本的には「不安定」です。
つまり、「生命の木」の上では、「不安定の種」から「安定の大地」に至り、そしてそこから
また新たなる「不安定の種」が発生するということなのですが、これも、一つの「循環」
でもあるわけです。

そう、「マルクト」は「安定」でありながらも、その中から新しい「不安定」を産み出す
という、なんだかよくわからないものというか、つまりは「何でもあり」な存在であって、
それゆえ、我々にとっては最も身近でありながらも、最も神秘的であり、そして異なる
次元がクロスして融合する、究極の「セフィラ」であると言うことも出来るわけですよね。

200 :名無しさん@占い修業中:2016/08/20(土) 12:46:15.54 ID:vofislWd.net
定期

201 :名無しさん@占い修業中:2016/08/21(日) 06:06:20.67 ID:GBiYTjFT.net
不倫

「不法行為に基づく損害賠償請求権」にあたります(民法709条)。

不貞行為とは

結婚をしている人が,配偶者以外の異性と,自分の意思で肉体関係を持つことをいいます。
社会的に許されない親密な関係.

202 :名無しさん@占い修業中:2016/08/21(日) 06:26:58.99 ID:2HSaCxD0.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
The other two symbols are the Mystic Circle, which defines and encloses sacred
ground, and the Triangle of Art in which evocation takes place.
他の2つの象徴たちは、神聖なる場を定義し取り囲む「魔術的円陣」であり、そしてその
場所に喚起が行われる「術の三角形」である。

Evocation is very different from invocation.
「喚起」は「召喚」とは全く異なっている。

To evoke is to bring something from another plane into physical manifestation,
generally using heavy incense as an etheric vehicle.
喚起することは、一般にエーテル的な媒介物として大量の香を使って、何かを別の面から
物質的に出現させることである。

To invoke is to call upon a specific form of the Divine Presence, which is in the
nature of prayer, though a great deal more practical.
召喚することは、「神の存在」の具体的な形式に呼びかけることであり、それは、より
ずっと実用的であるにもかかわらず、本質的には祈りである。
--- ここまで ---

「Evocation/喚起」や「invocation/召喚」は、魔術の本質的な作業であり、魔術を
やってる人たちにとっては、それなりに強いこだわりのあるものだとは思うのですが、
ハタから見れば、「喚起」も「召喚」も、どちらも別の世界の力を引き出して使うという
面では、やってることは、そんなには変わらないようにも見えるんですよね。

まあ、この手の話は、別の意味で色々と難しい分野でもありますので、あまり深入りしない
方がいいのですが、とりあえず、「マルクト」における魔術作業では、「四大元素」の
支配する物質的世界、もしくは、より下の世界の力を利用する「喚起」が利用可能であり、
そしてそれは、一見奇妙な実験器具(「魔術的円陣」や「術の三角形」や大量の「香」)を
使った、かなり怪しげな科学実験みたいなものという感じになりますかね。

203 :名無しさん@占い修業中:2016/08/22(月) 05:36:42.83 ID:/TFZYgoS.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
THE TENS
10たち
--- ここまで ---

ここからは、前回同様「10. MALKUTH: The Kingdom/10. マルクト:王国」の節の中の、
新しい項になります。

このサブタイトルの後には、前回と同様に『"T"の書』からの引用が続きます。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 117) ---
Generally show fixed, culminated, completed Force, whether good or evil.
一般的に、善であろうが悪であろうが、固定され、最高点に達した、完成された「力」
を表す。

The matter thoroughly and definitely determined.
完全かつ明確に決定された物事。

Similar to the force of the Nines, but ultimating it, and carrying it out.
「9たち」の力に類似しているけれども、それを究極化して、そしてそれを遂行する。
--- ここまで ---

基本的には、今までやってきたことの集大成であり、最終的な結果を表しています。
つまり、曖昧さの無い、純粋な事物的な結論であり、要するに、もうこれ以上の進歩は
無いし、もうやり直しのきかない状態であるということでもあります。

つまり、この決定された運命を変えたければ、今まで培ったものを全て投げ出して、
また一から始めないといけないということですよね。
まあ、「終わり」があれば「始まり」もあるわけで、そういう意味では、我々が産み落と
された、この「マルクト」こそが、真の「始まり」なのかもしれません。

204 :名無しさん@占い修業中:2016/08/23(火) 05:34:39.02 ID:gez87t1L.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 118) ---
TEN OF WANDS, Lord of Oppression (Saturn in Sagittarius).
棒の10、抑圧の主(人馬宮の土星)

Angels of the Decan: Reyayel ([lamed][aleph][yod][yod][resh]) and Avamel
([lamed][aleph][mem][vau][aleph]).
「デカン」の天使たち:レアイェル([lamed][aleph][yod][yod][resh])とアヴァメル
([lamed][aleph][mem][vau][aleph])。
--- ここまで ---

いつもながら、10のカードの最初は、「棒」の「TEN OF WANDS/棒の10」です。

この「棒の10」は、ゴールデン・ドーンでは「人馬宮の第三デカン」と「土星」に割り当て
られています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」として、
・人馬宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Reyayel:RYYAL/レアイェル
・人馬宮の第三デカンの後半(25°〜30°)= Avamel:AVMAL/アヴァメル
が割り当てられているということです。
ちなみに、本書のアヴァメルのヘブライ語表記が([lamed][aleph][mem][yod][aleph])と
なっているのは、誤記ですので、注意しておいてください。

なお、「"T"の書」では、例によってカードの上下には土星と人馬宮のシンボルが描かれて
いることになっているのですが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードではそれらが
省略されていますので、なんか気になる人は自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「マルクト」と「棒の火」の関係ですが、しつけの厳しい「母親」と、まだまだ
家に帰りたくない遊び盛りの「やんちゃな子供」という感じで、いまいち相性が良くないです。
まあ、家に帰っても、性格の異なる兄弟姉妹ばかりですので、家の中で遊んでいても、
あまり楽しくないのかもしれませんね。

205 :名無しさん@占い修業中:2016/08/24(水) 05:38:49.94 ID:0UQNc9x3.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 118) ---
This is Malkuth in Atziluth, the influence of Malkuth in the World of Pure Spirit.
これは、「アツィルト」における「マルクト」、「純粋な精霊の世界」における「マルクト」
の影響である。

The destructive powers of Saturn are amplified by the Swiftness of Sagittarius,
leading to material force selfishly applied, usually with cruelty.
「土星」の破壊的な力たちは、「人馬宮」の「迅速さ」により拡大され、通常は残酷さと
共に、利己的に適用される物質的な力をもたらす。
--- ここまで ---

「人馬宮」は「火」の星座であり、「棒」とは相性が良いのですが、「マルクト」と
「土星」の「地」とは、いまいち折り合いが悪いわけです。
もともと、「アツィルト」と「マルクト」とは、かけ離れた世界ですので、お互い何となく
居心地が悪いというか、うまく通じる部分が少ないというか、まあそういう感じです。

まあ、最初からうまく行かない組み合わせであるため、「土星」の良さも、「人馬宮」の
良さも、うまく発揮できないわけですので、どうしても不満が溜まって、そのうち爆発して
しまうこともあるわけですが、その爆発の方向性も、どちらかというと「マルクト」のある
下向き、つまり物質的な方面に向かいがちになってしまって、なんか前向きにはなれない
というジレンマもあるわけです。

色々な意味で、行き詰まってしまった感じがあって、重苦しい状況なのですが、この状況を
打開するには、一人だけでは無理であり、誰かの助けが必要となるわけですが、ここまで
状況が悪化してしまうと、抜け出すのはそう簡単ではないな、という感じですよね。

できれば、もう少し早い段階で、何とか逃げ道を作っておいてあげたいのですが、そもそも
「土星」も「人馬宮」も、基本的にわがままであり、そんなに人のアドバイスを聞く方では
ないので、なかなかに難しい局面であることには、間違いないんですよね。

206 :名無しさん@占い修業中:2016/08/25(木) 05:36:45.14 ID:j4lIjeX/.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 118) ---
Crowley shows the nature of this force by using wands which are no longer elegant
but which, rather, are crude clubs.
クロウリー氏は、もはや優雅ではなく、むしろ、どちらかというと粗雑な棍棒たちである
棒たちを使って、この力の性質を示す。

Waite's card uses a heavy burden to suggest cruelty and malice, overbearing force
and energy, injustice.
ウェイト氏のカードは、「残酷さと悪意、威圧的な力と精力、不正」を示唆するために、
重い荷を用いる。
--- ここまで ---

ウェイト版の図では、単純に「重荷」による圧迫感という、物理的な力をメインにして
表現していますが、トート版では、この棒の10の力の背景について、もう少し複雑な意味
を持たせた図案にしています。
とはいえ、トート版の複雑な意味というのは、一見しただけでは、なかなかわかりづらい
ものがありますよね。

いずれにしても、この「棒の10」では、この「マルクト」においては、過大なる「棒の力」
は、その荒々しさのためにうまく制御できずに、我々を苦しめるものであるということを
表しています。
「マルクト」自体は、四大元素を含んでいますので、決して「火」と折り合いが悪いという
わけではないのですが、「棒の10」の過大すぎる「火」のエネルギーは、我々の「地」に
とっては負担でしかないわけであり、それを何とか制御しようとして苦しんでいるのが、
この「棒の10」の状況であるという感じですかね。

まあ、苦労は多い割には、大した結果をもたらしませんので、何とも嫌なカードなのですが、
こういう理不尽さに耐えることで得られるものもあるかもしれませんので、とりあえず
苦しい現状に耐えて、少しでも前に進んでいくしかないわけですけどね。

207 :名無しさん@占い修業中:2016/08/26(金) 05:33:21.78 ID:6GXXWzit.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 118) ---
TEN OF CUPS, Lord of Perfected Success (Mars in Pisces).
杯の10、完成された成功の主(双魚宮の火星)

Angels of the Decan: Aasliah ([he][yod][lamed][shin][ayin]) and Mihal
([lamed][aleph][he][yod][mem]).
「デカン」の天使たち:アアスリア([he][yod][lamed][shin][ayin])とミハル
([lamed][aleph][he][yod][mem])。
--- ここまで ---

「Ten of Cups/杯の10」は、ゴールデン・ドーンでは「双魚宮の第三デカン」と
「火星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・双魚宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Aasliah:AaSLYH/アアスリア
・双魚宮の第三デカンの後半(25°〜30°)= Mihal:MYHAL/ミハル
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説では、カードの上下には「火星と双魚宮」のシンボルが描かれて
いることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは、それらは省略
されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「杯の10」の「双魚宮の火星」が「Perfected Success/完成された成功」の
意味は、「杯の9」の「双魚宮の木星」が「Material Happiness/物質的幸福」の意味と
対比させることで、その違いが何となくわかってきます。

え、大して違いが無いんじゃないのかって?
その違いは、ゴールデン。ドーン・タロットの絵柄を見れば、一目瞭然です。
つまり、「杯の9」は、物質的な下からの手に握られた蓮から水が供給されているのに
対し、「杯の10」は、神的な上からの手から水が供給されているのが、大きな違いです。

208 :名無しさん@占い修業中:2016/08/27(土) 06:43:54.01 ID:umDLqjy3.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 118) ---
This is Malkuth in Briah, the influence of Malkuth in the unconscious Mental World.
これは「ブリアー」における「マルクト」、無意識の「精神世界」における「マルクト」の
影響である。

Here is a situation where the generally understood astrological meaning of an aspect
does not apply.
ここには、一般的に理解されている占星術的な座相の意味があてはまらない状況がある。

In an astrological reading, Mars in Pisces, a watery sign, would signify a dispersal
of energy and a degree of frustration.
占星術的な読み方においては、水の星座である「双魚宮」の「火星」は、精力の分散、および
ある程度の欲求不満を意味するであろう。

But the meaning here is that the fire of Mars causes the waters of the final sign of
the Zodiac to rush furiously in Briah, bringing great success on the material plane.
しかしながら、ここでの意味は、「火星」の火が「黄道十二宮」の最後の星座の水たちを
「ブリアー」に猛烈に勢いよく流れさせることで、物質的な面での大きな成功をもたらすと
いうことである。
--- ここまで ---

占星術上は、「火星」と「双魚宮」は、良くもなく、悪くもなくという相性なのですが、
「双魚宮」の次に来る「白羊宮(おひつじ座)」の支配星が「火星」ですので、そういう
意味では、「双魚宮」にとっては、本格的な春をもたらす星である、とも言えます。

そして、地上における「水の循環」には、太陽のような「熱源」が必要不可欠であり、
ここでは、永遠なる天界の「火星」を熱源として水蒸気を発生させ、その力で「双魚宮」
と「杯」から成る「無意識世界」の蒸気タービンを回して発電する「火(星)力発電」の
内的な永久機関が、構築されているというような感じになっているわけですよね。
つまりは、「とこしえの春」とか「年中脳内お花畑」といった感じではないかと思います。

209 :名無しさん@占い修業中:2016/08/28(日) 06:11:17.88 ID:3QVaIbsc.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
As all of the card images suggest, the happiness is "inspired from above."
カードの像たちの全てが示唆しているように、幸福は「上方から呼び起こされる」。

On the other hand, it should be remembered that the Tarot, when used for divination,
is best applied to mundane matters, and the meaning of this aspect may be considered
different if applied to a more spiritual plane.
その一方で、タロットが、占いのために使われる時は、世俗的問題に最もよく適用される
ことを思い出すべきであり、そしてこの面での意味は、もしもより霊的な面に適用される
ならば、異なっていると考えられるであろう。

In ordinary divination, the meaning is matters definitely arranged and settled as
wished, permanent and lasting success.
通常の占いにおいては、意味は、「望み通りに、確定的に手配されて解決された物事たち、
永久的に永続する成功」である。
--- ここまで ---

天から授かった「成功」や「幸運」だけで、一生満足して暮らせる人間って、普通はいない
わけであり、そういう意味では、なんかちょっと嘘くさい感じのするカードではあります。
とはいえ、タロット占いそのものが、「一生続く出来事」を占うことには不向きですので、
このカードの「permanent and lasting/永久的に永続する」ものを、カードの予言とする
ことは、ほぼ不可能に近いことなんですけどね。

いずれにしても、このカードの場合は、「自助努力」とか「自力本願」ではなく、運命に
身を任せることによって、「天から」もしくは「周囲の上位の人々から」の援助やお膳立て
を最大限に引き出すことが出来るということですので、たまには肩の力を抜いて、自身の
周囲を見渡す余裕を持つことも、幸福感や達成感、そして人生の成功のためには、大事な
ことではないのかな、と思うのでした。
まあ、「望み」を高くしなければ、「望みを叶えて、幸福感や達成感を得る」こと自体は、
そんなに難しくはないのですが、それが「魂の成長」に繋がるかは、また別の問題ですよね。

210 :名無しさん@占い修業中:2016/08/29(月) 05:34:31.44 ID:UOyU8sB1.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
TEN OF SWORDS, Lord of Ruin (Sun in Gemini).
剣の10、破滅の主(双児宮の太陽)

Angels of the Decan: Dambayah ([he][yod][beth][mem][daleth]) and Menqal
([lamed][aleph][qoph][nun][mem]).
「デカン」の天使たち:ダムバヤ([he][yod][beth][mem][daleth])とメンカル
([lamed][aleph][qoph][nun][mem])。
--- ここまで ---

「Ten of Swords/剣の10」は、ゴールデン・ドーンでは「双児宮の第三デカン」と
「太陽」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」には、
・双児宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Dambayah:DMBYH/ダムバヤ
・双児宮の第三デカンの後半(25°〜30°)= Menqal:MNQAL/メンカル
が割り当てられているということです。
ちなみに、本書の「メンカル」のヘブライ語表記が([lamed][aleph][he][yod][mem])と
なっているのは誤記ですので、注意しておいてください。

いつものように「"T"の書」の解説には、カードの上下に、太陽と双児宮のシンボルが
描かれていることになっていますが、ウォン氏のゴールデン・ドーンのカードでは、
それらが省略されていますので、気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

さて、この「太陽」と「双児宮」の関係ですが、占星術的には、良くもなく悪くもなく、
「双児宮」の支配星である「水星」と「太陽」の関係も、良くもなく悪くもなく、そして
「太陽」が支配星である「獅子宮」と「双児宮」の関係も、良くもなく悪くもなく、と
いうような、実は、割とどうでもいいような感じのものです。
つまり、このカードの「Ruin/破滅」の意味は、「マルクト」に伴う、主として物質的な
ものであり、その点では、「剣の9」の精神的なものとは、対照的であるわけですよね。

211 :名無しさん@占い修業中:2016/08/30(火) 05:42:28.76 ID:UvOH6W6c.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
This is Malkuth in Yetzirah, the influence of Malkuth in the Astral World.
これは、「イェツィラー」における「マルクト」、「星幽界」における「マルクト」の影響
である。

From the standpoint of material things, this is the most destructive card in the
deck, and no one likes to see it appear in a spread.
物質的な物事の見地からは、これはデッキの中で最も破壊的なカードであり、そして、
それがカード展開の中に現れるのを見ることを好む者は誰もいない。

But those who use the Tarot as an instrument of spiritual development learn not
to take life's experiences at face value.
しかし、霊的な開発の道具としてタロットを使用する人々は、額面通りに生命の経験たちを
受け取らないことを習得する。
--- ここまで ---

「剣の10」は、「Ruin/破滅」のカードであり、「マルクト」においては、あらゆるものが
破壊され、滅亡していく運命にあります。
つまり、この世においては、間違いなく「最悪」の結末であり、それを望む者は、ごく一部
の「信者たち」を除けば、おそらくいないということです。

ちなみに、ウェイト版の「剣の10」では、10本の剣は、その全てが胴体部に突き刺さって
おり、なぜか頭と腕と足には、剣が突き刺さっていないわけで、確実に殺されて死んでは
いるのですが、その殺され方には、何がしかの目的があるようにも思えます。

つまり、「マルクト」は、「終わり」であり「始まり」でもある双極的な世界であって、
「いっぺん死んでみる?」ということも可能な、輪廻転生の世界でもあります。
何もかもが行き詰まった時は、外部から強制的に生命活動をリセットして、人生を一から
出直すというようなことも、こういう局面ではアリなのかなぁ、とか思うわけなのでした。
とはいえ、危険物ですので、その取り扱いには、かなりの慎重さが必要なんですけどね。

212 :名無しさん@占い修業中:2016/08/31(水) 05:45:11.65 ID:QyZZYf0C.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
And insofar as the Tarot is used to predict future events, the statement can be made
about it that can be made about astrology, "The stars impel, they do not compel."
そして、「タロット」が未来の出来事たちを予言するために使用される限りにおいては、
それについては、占星術について「星たちは誘うが、それらは強制しない」とされうること
を述べることができる。

We are not slaves to our destiny, but have the capacity, through inner processes,
to considerably improve our earthly lot.
我々は我々の運命の奴隷ではなく、内的な過程たちを通じて、我々の地上の運命をかなり
改善するための、能力を持っている。
--- ここまで ---

占星術の「The stars impel, they do not compel/星たちは誘うが、それらは強制しない」
というセリフは、占いが外れた時のための言い訳、もしくは責任逃れとしか聞こえないの
ですが、現代においても「個人の感想であり、効果には個人差があります」という言い逃れ
をしておくことがお約束みたいになっていますので、まあ、そういうものだと思います。
(ワタシは、占星術については、どちらかと言うとネガティブなのです。)

でも、「しょせん占いなんて当たらないから、「剣の10」が出ても、そんなに気にしなく
てもいいよ」というように言い訳することは、あまり賢明なことではないですよね。
とはいえ、カードの意味が、実際にどういうふうに発動するかは、状況によりまちまち
ですので、そういう意味で「曖昧な表現」になってしまうことは避けられません。
そうはいっても、これから起きる避けられない「物理的攻撃」に対して、ある程度の
「精神的な防衛線」、すなわち「A.T.フィールド」を展開することが、ストーリー上は
必要とされるわけです。

そう、占いは「活用してナンボ」のものですので、良い結果が出ても悪い結果が出ても、
それは最大限に活用すべきなのですが、間違った方向で、すなわち金銭的な出費を伴う
「物質的な防御」に頼るのではなく、「内的な過程たち」が重要だということですよね。

213 :名無しさん@占い修業中:2016/09/01(木) 05:41:14.22 ID:Z6l6ozhm.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
To do so is no less ethical than resigning a position when it is clear that some
work-related disaster is on the horizon, or walking on the sidewalk when "the cards
tell you" that if you walk in the street you will probably be struck by an oncoming
automobile.
そうすることは、ある仕事に関連する大災害が差し迫っていることが明らかな時に職を
辞任することに、もしくは、もしあなたが通り(の真ん中)を歩いていれば、あなたは
接近する自動車により衝突されるであろうと「カードたちがあなたに話す」時に歩道を
歩くことに劣らず倫理的である。

We should use the capacities we have been given.
我々は、我々が与えられ続けている能力たちを使うべきである。
--- ここまで ---

「マルクト」においては、「倫理的」とか「霊的発達」とか言うよりも、まずは「身体的」
なものを優先することが大事です。
つまり、頑張りすぎて命を落としたり、重い病気になってしまっては、元も子もないわけ
であり、さらに、いくら頑張っても絶対に報われないものに対して精力を注ぎ込むことは、
「倫理的」とか言う以前の問題であるわけです。

要するに、「ダメなものはダメ」という究極的な姿が、この「剣の10」であって、この
死の淵から生還できるかどうかが、この「マルクト」では、本来は大事であるわけです。

まあ、そうは言っても、人間ってなかなかそういう「ここから先は地獄」からは抜け出せ
ないわけであり、それゆえ「剣の10」という、何ともおぞましい最終的な「逝き着くところ」
が存在しているわけです。

とはいえ、「死ぬことがわかってて死ぬ」のと「わけわからないうちに死ぬ」のって、
どっちが幸せなのかという問題もありますので、こういうことは、なかなか一般論では
語れない面もあったりするわけなんですよね。

214 :名無しさん@占い修業中:2016/09/02(金) 08:06:44.54 ID:oWeVW5yi.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
The divinatory meaning of this card is ruin, death, failure, disaster.
このカードの占いの意味は、「破滅、死、失敗、災害」である。

This is more of a death card than is DEATH, which generally means a situational
death, a transformation.
これは、一般的には状況的な死である、形質変換を意味する「(大アルカナの)死」で
あるものよりも、さらに死のカードである。
--- ここまで ---

大アルカナの「DEATH/死」のカードは、上位世界にあけるプログラムされた「死と再生」
を意味するものであり、要するに卵が幼虫になり、サナギになって死んだように活動を
停止した後、チョウとなって羽ばたくというようなものであって、この「剣の10」のような
地上界における肉体的・精神的な死を意味するものではありません。

もう一つ言うと、この「剣の10」の「死」は、「10」が今までの人生の最終結果を表して
いるので、今までの人生で積み重なってきた悪徳に対する因果応報というか、自業自得と
いった面もあって、いまいち良くないイメージがあるわけです。

まあ、人はそのうちいつかは死ぬわけなのですが、人には色々な死に方があるわけで、
一生苦労しながらも、最後まで力を振り絞りながら前のめりになって死んでいくか、妙な
宗教にハマって、とりあえず安らかに死んでいくか、満ち足りた老後の生活の中で眠る
ように息絶えるか、もしくは周囲に裏切られて後ろから刺されて殺されてしまうか、
まあ色々あるわけです。

いずれにしても、この「剣の10」は、この地上界においては、間違いなく「Bad End」で
あり、普通の人であれば決して望まない結果であることは間違いないと思います。
つまり、こんなカードが出て喜ぶのは、間違いなく「ド変態」もしくは世界の滅亡を願う
一部の狂信者であるわけですが、独裁者的な人の中には、こういうタイプの人が、結構
いたりするんですよね。

215 :名無しさん@占い修業中:2016/09/03(土) 05:45:41.35 ID:t4W0dYgP.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
TEN OF PENTACLES, Lord of Wealth (Mercury in Virgo).
五芒貨の10、富の主(処女宮の水星)。

Angels of the Decan: Hahaayah ([he][yod][ayin][he][he]) and Laviah
([he][yod][vau][aleph][lamed]).
「デカン」の天使たち:ハハアヤ([he][yod][ayin][he][he])とラヴィア
([he][yod][vau][aleph][lamed])。
--- ここまで ---

最後の数札である「Ten of Pentacles/五芒貨の10」は、ゴールデン・ドーンでは
「処女宮(おとめ座)の第三デカン」と「水星」に割り当てられています。

また、「Angels of the Decan/デカンの天使たち」は、
・処女宮の第三デカンの前半(20°〜25°)= Hahaayah:HHAaYH/ハハアヤ
・処女宮の第三デカンの後半(25°〜30°)= Laviah:LAVYH/ラヴィア
が割り当てられているということです。

なお、「"T"の書」の解説文には、いつものように、カードの上下に、水星と処女宮の
シンボルが描かれていることになっていますので、ウォン氏のゴールデン・ドーンの
カードで省略されているのが気になる人は、自分自身で描き加えておいてください。

ちなみに、「水星」は「処女宮」の支配星であり、占星術では、大いなる吉相となります。
つまり、ここが「大吉」であり、「人生の頂点」であり、そしてそれは実は裏を返せば、
「衰退への始まり」を意味するものでもあるわけです。

要するに、諸行無常の「マルクト」においては、「おごれる者久しからず」の万物流転の
原則があるわけですので、そういう意味では、手放しで喜べるものでもありませんが、
数札の大トリを務めるファイナル・カード、つまり「この世での宴の終焉」を告げるカード
としては、なかなか良く出来たセレクトではないかと思うのでした。

216 :名無しさん@占い修業中:2016/09/04(日) 09:07:25.53 ID:mxc8SeGi.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 119) ---
This is Malkuth in Assiah, the influence of Malkuth in the material World.
これは、「アッシャー」における「マルクト」、物質的「世界」における「マルクト」の
影響である。

Mercury, God of commerce, rules the earthly sign Virgo.
商業の「神」である「水星」は、地の星座である「処女宮」を支配する。

Its placement here assures material gain so vast that it may lose its importance,
a situation described as an embarras de richesses.
ここでのその配置は、「有り余るほどの富」と評される状況であり、その重要性を失う
かもしれないほどの莫大な、物質的な利益を保証する。
--- ここまで ---

有り余るほどの「物質的な富」は、人間の精神と肉体にとっては有害であることは、
おそらく間違いないと思われるのですが、最後の最後になって、こんな何とも言いようの
ないというか、説明するのに困るカードが来るわけなんですよね。
いずれにしても、このカードは、単なる「ハッピーエンド」で終わるようなシロモノでは
ないわけで、この後は、一歩間違えば、壮絶なる「遺産相続をめぐる骨肉の争い」なる
ものが待っているような予感があります。

そうならないためにも、ちゃんと「後継人」となる種を蒔いて、きちんと遺産を管理できる
次世代の人材を育てておかないといけないわけで、まだまだこれで終わりにするわけには
いかないのですが、今までそういうことを考えずに、ひたすら自分の欲望のためだけに
物理的な富を追求してきたために、気づいた時には、もう手遅れという感じもします。
いっそのこと、全部どこかに寄付してもいいのですが、寄付された方としても、こんな
莫大な財産は、トラブルを招くだけですので、これも何とも言い難いわけです。

要するに、巨万の富を、自分の欲望のためだけに一カ所に集中させるよりは、さっさと
みんなに分配しておいた方が、色々な意味で良いということなんですよね。

217 :名無しさん@占い修業中:2016/09/05(月) 05:32:40.63 ID:GUHJ7u41.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 120) ---
The Golden Dawn version follows the same pattern as the Marseilles deck showing
gain by the roses in full bloom.
ゴールデン・ドーン版は、満開の薔薇たちにより利益を表している、マルセイユ版デッキと
同じ様式に従っている。

Both Waite and Crowley use the whole Tree of Life to suggest completion; following
the planetary attribution, Crowley's Tree shows various symbols for Mercury.
ウェイト氏とクロウリー氏は、完成を示唆する「生命の木」全体を使用している;惑星の
帰属を受けて、クロウリー氏の「木」は水星のための様々な象徴たちを表している。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン版の薔薇と五芒貨の配置は、「生命の木」ではなくマルセイユ版の
「貨幣の10」の並びになっています。
つまり、ここでは、「生命の木」の持つ神秘の生命エネルギーは使い果たされ、物質的な
ものしか残されていないことを表しています。

トート版は、「Wealth/富」のタイトルのカードでありながらも、結果的には「death/死」
に帰すと説明されているように、あまり良くない意味に捉えています。

ウェイト版には、そこまで直接的には描かれていないのですが、巨万の富を築き上げた
老人の向こう側に、どこかよそよそしい家族が描かれ、そして老人の元には、心を許せる
二匹の飼い犬だけが寄ってきているという、何とも意味深なデザインとなっているわけです。

いずれにしても、「剣の10」と「五芒貨の10」の結末って、見た目は全く違っていても、
どこか共通するところがあるんですよね。
そして同じように、「棒の10」と「杯の10」にも、どこか共通するものがあるわけですし、
さらに言うと、「10」のカード全体にも、共通したテーマがあるわけです。
ポイントとなるのは、「物質的」「表面的」なものを除いたところにあるわけで、それが
理解できるようになれば、マルクトでの修行は、ある程度まで進んだということですよね。

218 :名無しさん@占い修業中:2016/09/06(火) 05:42:58.60 ID:l31M/oJK.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 120) ---
THE PRINCESSES
王女たち
--- ここまで ---

ここも、前と同様に「10. MALKUTH: The Kingdom/10. マルクト:王国」の節の中の、
新しい項となります。
そして、ここからは、「マルクト」に配属されたもう一つの属性のカード、すなわち
コート・カードの最後となる「王女」のカードの解説となります。

このサブタイトルの後には、前と同様に「"T"の書」からの引用が続きますが、
ちょっと長いですので、次のレスに書くことにします。

219 :名無しさん@占い修業中:2016/09/07(水) 05:51:18.57 ID:iLhBGmoY.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 120) ---
They represent the forces of the Heh Final of the Name in each suit, completing
the influences of the other scales.
彼女らは、各々のスートにおける御名の最終「ヘー」の力たちを表し、他の階級たちの
影響たちを完成させる。

The mighty and potent daughter of a King and Queen: a Princess powerful and terrible.
王と女王の、力強くで影響力のある娘:強力で恐ろしい王女。

A Queen of Queens, an Empress, whose effect combines those of the King, Queen and
Prince....
女王たちの女王、女帝であり、その効果は、王、女王、そして王子などのそれらを結合する。

Yet her power existeth not save by reason of the others, and then indeed it is
mighty and terrible materially, and is the Throne of the Forces of the Spirit.
それでも 彼女の力は他のものたちの理由無くしては存在せず、そして実に、それは強力で、
物質的に恐るべきものであり、霊の力たちの王座である。

Woe unto whosoever shall make war upon her when thus established!
かように確立される時の彼女に戦争を仕掛ける者は誰でも災難であろう!
--- ここまで ---

ここは「"T"の書」からの一部抜粋になっていますので、より正確に知りたい人は、原文を
見てもらった方が良いかと思います。

さて、ここの文章は、おそらく多くの人が「王女」のカードに抱いているような、いわゆる
ディズニーのリトルプリンセス的なイメージとは、かなり違っているのではないかと思います。
どちらかと言うと、プリキュア的な悪と戦うプリンセスたちという感じであり、理解ある父や
母や兄に見守られながら、地球の善なる人々の希望を守るために、悪や絶望と闘う、
凛々しい姿として、表現されているような感じですかね。

220 :名無しさん@占い修業中:2016/09/08(木) 05:49:19.91 ID:fJbmTTZj.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
PRINCESS OF WANDS, Princess of the Shining Flame, The Rose of the Palace of Fire,
Princess and Empress of the Salamanders, Throne of the Ace of Wands.
棒の王女、輝く炎の王女、火の宮殿の薔薇、サラマンダーたちの王女であり女帝、
棒のエースの王座。
--- ここまで ---

四枚の「王女」は、ゴールデン・ドーンの立体天球上においては、北極から北緯45°まで
の領域を四分割してものとなっています。
そして、「棒の王女」に配属される領域は、獅子宮(ししきゅう、しし座)を中心とした
巨蟹宮(きょかいきゅう、かに座)から処女宮(処女宮、おとめ座)の部分となります。

「王女」は、コートカードの上位世界と、数札の下位世界とを繋ぐ接点となっており、
「棒の王女」は「棒のエース」を支えることで、下界の「棒」の数札世界の全体を支える
役目を担っているというわけですよね。

そういうわけで、コートカードの世界では末娘という位置付けであり、割と軽く見られる
こともある「王女」ですが、我々の住む下界から見ると、実はとんでもなく高い位置にいる、
いわゆる全知全能の「女神」的な存在であるわけです。

そして、我々の世界に最も近い「女神」的存在でもあるので、軽々しく取り扱うと、
とんでもなく大きな代償というか、かなり酷い天罰が当たる存在でもあるわけですので、
コートカードの中では、色々な意味で最も注意しないといけないのが、この「王女」様
なんですよね。

とはいえ、我々に近い存在であるからこそ、我々とは色々な接点があるわけであり、
我々は、この「王女」に託された上位世界の秘密を知ることで、様々なメリットが出て
くるということでもあるわけですよね。

221 :名無しさん@占い修業中:2016/09/09(金) 06:09:38.47 ID:4jntcnEC.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
The Princess of Wands is Earth of Fire, the personification of Specific Earth of
Primal Fire.
「棒の王女」は、「火」の「地」、「根源的な火」の「特有的な地」の人格化である。

In the Golden Dawn card her hand rests upon a golden alter decorated with Rams'
heads (Aries) reminding us that in the system of Decans it is Aries which both
begins and ends the series.
ゴールデン・ドーンのカードにおいては、彼女の手は、「デカンたち」の体系において、
それが、一連のものの始まりであり終わりでもある「白羊宮」であることを我々に思い
出させる「羊の頭(白羊宮)」で飾られた金の祭壇の上に載っている。
--- ここまで ---

「棒の王女」は、「生命の木」においては
・「棒」=「アツィルト」=「Primal Fire/根源的な火」
・「王女」=「アッシャー」=「Specific Earth/特有的な地」
に配属されています。

ゴールデン・ドーンの「王女たち」は、肌色が多めで、上半身が裸で、おっぱいを露出し、
素足で、ほぼ正面に向いて立っている姿で描かれます。
短めのスカートを履いていますが、これはおそらく自主規制であって、本来であれば、
パンツが見えそうなぐらい、もっと短いスカートではないかと思います。

何でこんなに「王女たち」が肉感的な姿なのかというと、それが「地」であるという理由
になるわけで、ありのままの「地」を擬人化して表現すると、こういうような「乙女たちの
ふしだらな姿」として描かれるということになるわけなんですよね。

とはいえ、見た目に欺されてはいけません。
彼女らは、この世界においては最強の戦士であり、この「地」を侵略しようとする異世界の
敵と戦う、この世に選ばれし「美少女戦士」たちなのですから。

222 :名無しさん@占い修業中:2016/09/10(土) 20:49:31.04 ID:3YohKqN7.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
The Fire being "sacrificed" on the altar of Malkuth, the Fire of the Wand (now so
imposing as to be considered a dangerous club), and the Fire beneath her feet
shoot upwards.
「マルクト」の祭壇に「捧げ」られている「火」、「棒の火」(今や、危険な棍棒と思える
ほどに印象的である)、そして彼女の足の下で上向きに噴き出る「火」。

This card is a dynamic and unpredictable as the Tiger which is the crest of the
Princess.
このカードは、「王女」の兜飾りである「虎」のように、活動的であり予測不能である。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの「棒の王女」って、火が燃えさかるデカい棍棒を持ち、腰には虎の
顔が描かれたベルトを巻き、虎のマントを纏い、さらに、おっぱい丸出しで立っているわけ
で、どう考えても、かなりヤバそうな構図ですよね。
他の棒のコート・カードは、割と普通の「火の魔術棒」ですので、明確で物質的な意味を
持つ「燃えさかる棍棒」は、我々から見ると、すさまじい破壊力を持っていそう、というか、
かなり恐ろしいほどに強烈かつ残虐そうな印象があるわけです。
他のスートのコート・カードの「王女」を見ても、この「棒の王女」の特異性というか、
色々な意味で一人だけヤバいというか、性格が○そうな感じがあるわけですよね。

とはいえ、この「棒の王女」は、この地上における「火」のエネルギーを擬人化した姿、
すなわち「萌え系」の美少女ではなく、正真正銘の王道の「燃え系」の熱血少女であり、
色々ある美少女系戦士の中で、「赤系」に属する熱血戦士タイプとして、色々な作品に
登場しているわけでして、まあ、そういう意味では、少々残念な性格の持ち主なのです。

でも、それはそれで魅力と感じる人もいるわけですし、確かにそう簡単には制御できそう
もない熱血パワーなわけですが、逆に、とことん相手に振り回されたい、ドMな人にとって
みれば、こういうのも全然アリなわけです。
まあ、人それぞれですので、それはそれでいいと思います。←無責任w

223 :名無しさん@占い修業中:2016/09/11(日) 06:07:37.02 ID:sJ+2Sbza.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
In this card, as in all of his Court cards, Crowley attempts to represent the
activity of the force in question.
このカードにおいて、彼のコート・カードの全てにおいてと同様に、クロウリー氏は、
問題になっている力の活動を表すことを試みる。

His swirling, dancing figure, inseparable from the Tiger, is the mundane aspect
of fire.
虎と切り離すことができない、彼の渦を巻きながら、踊っている人物像は、火の世俗的な
様相である。

Here, especially, Crowley's dependance on the Golden Dawn designs is clear.
ここでは、 特に、ゴールデン・ドーンの設計たちへのクロウリー氏の依存が明確である。
--- ここまで ---

トート版の「棒の王女」も、他のスートの「王女」と比べると、かなり特徴的な構図に
なっています。
つまり、素っ裸で、虎の尻尾を首に巻き、太陽が付いた棒を持って、後ろ向きに躍動する
姿という、素人の目には、何だかよくわからない図案になっているわけです。
ちなみに、この王女と虎と背景にある炎は、「火:棒」を表す「ヨッド」の形になっている
そうです。

でもまあ、見ているだけで暑そうというか、防具無しで、虎を猫みたいに、いやもっと従順
な犬みたいに手なづけてしまうという、恐るべき精神力と肉体能力を持っているわけであり、
要するに、超絶ハイレベルの「体育系の女戦士」であることには間違いないわけです。

そして、彼女のやり方に付いていけるのは、かなり限られた人間、つまり彼女を使いこなす
ことのできるハイレベルな人間か、もしくは彼女に振り回されることを喜びとする、別の
意味でのハイレベルな人間しかいないわけで、普通に仲間とか恋人として付き合うのは、
なかなか骨の折れることだと思うわけですよね。

224 :名無しさん@占い修業中:2016/09/12(月) 05:40:23.16 ID:Qn7NgKJP.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
One must, finally, comment on the Waite "Pages," and the Knaves of the Marseilles
deck, both of which are exoteric.
人は、最後に、ウェイト版の「騎士見習たち」、そしてマルセイユ版デッキの「小姓たち」、
その両方は一般向けであるものについて、言及しなければならない。。

Insofar as these cards are the "Bride of Microprosopus," they must be shown as
female.
これらのカードたちが「ミクロプロソプス(小さな顔)の花嫁」である限り、それらは
女性として表されなければならない。

The Heh final is the Inferior Mother.
最終「ヘー」は、「下位の母」である。

Waite knew this, and was perhaps avoiding an idea which he considered an esoteric
secret.
ウェイト氏はこれを知っていて、そしておそらく、彼が秘伝的な秘密と考えた着想を避け
ていた。
--- ここまで ---

ウェイト版は、今まで何度も解説しているように、ゴールデン・ドーン版の秘伝的なものに
マルセイユ版の一般大衆向けの要素を、接合したようなな形になっています。

つまり、表面上は「一般大衆向け」で、よくよく見ると「秘伝的」なものでもあるという
複雑な中身になっているわけですが、これは「秘密結社における内部機密を外部に漏らして
はならない」というような道義的なものだけでなく、商業的にも必要なことでもあります。

つまり、ある程度の売り上げを狙うのであれば、外見的には、従来のデザインをある程度
踏襲しておくことで、「占い」という巨大マーケットをターゲットに出来るということで
あり、おまけに「秘伝的」なものを匂わすことで、購買心をくすぐるということですよね。

225 :名無しさん@占い修業中:2016/09/13(火) 05:33:20.74 ID:lrdrFgwA.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
PRINCESS OF CUPS, Princess of the Water and Lotus of the Palace of the Floods,
Princess and Empress of Nymphs and Undines, Throne of the Ace of Cups.
杯の王女、あふれ出す水たちの宮殿の水と蓮の王女、ニンフたちとウンディーネたちの
王女であり女帝、杯のエースの王座。
--- ここまで ---

「杯の王女」に配属される領域は、ゴールデン・ドーンの立体天球上においては、北極から
北緯45°までの、天蠍宮(てんかつきゅう、さそり座)を中心とした天秤宮(てんびんきゅう、
てんびん座)から人馬宮(じんばきゅう、いて座)の部分となります。

さて、「棒の王女」は、割と極悪な性格を持っていましたが、「杯の王女」は、それと
対比するように、割と善良というか、とりあえず外面的には、おとなしめの性格付けと
なっています。
少なくとも、すぐに激怒して、火の着いた棍棒を振り回すようなことはありませんし、
比較的安定した精神力と忍耐力を備えているわけです。
まあ、一般的な「王女さま」というイメージには、最も近い存在ですかね。

とはいっても、「王女」は「王女」であって、我々とは違うレベルの存在ですので、
決して甘く見てはいけません。
理不尽な仕打ちをすると、とんでもないところから、しっぺ返しを食らうことは目に見えて
いますので、くれぐれも無茶振りしすぎないようにしましょう。

226 :名無しさん@占い修業中:2016/09/14(水) 02:41:51.50 ID:63Y9qzew.net
すぐに怒るわかりやすい女のほうがいいじゃんw
表面的には穏やかで怒りをその場ではすぐには出さないが根に持つし陰湿
あとで盛大に仲間と仕返ししてくる。
という杯は恐ろしい
火は永遠に燃えない。水をかければ消える
水は湿りつくしくっつきたがるから周りに悪評も広げる
困れば杯が割れたような泣き脅し

一番陰湿で知能が低いのは>>1みたいな人ですけどねw

227 :名無しさん@占い修業中:2016/09/14(水) 04:19:13.88 ID:63Y9qzew.net
>>223
人を「使いこなす。」という機械扱いはこわいな

228 :名無しさん@占い修業中:2016/09/14(水) 05:40:42.99 ID:Pte09N/n.net
>>226 >>227
ひょっとして、このあいだ来てくれた、上から目線の人ですかね。 (^_^;

あなたの言う「すぐに怒るわかりやすい女」というのは、おそらく「火病の女」のことであって、
「棒の王女」の「火の女」とは、全く違うものですので、混同しない方がいいですよ。

あと、付き合っている人たちが、かなり陰湿みたいですので、そちらもご注意ください。

でもまあ、その中で一番陰湿なのは、あなたでしょうけど。(^^;;

229 :名無しさん@占い修業中:2016/09/14(水) 05:42:06.04 ID:Pte09N/n.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
The Princess of Cups is Earth of Water, the personification of Specific Earth in
Primal Water.
「杯の王女」は「水」の「地」、「根源的な水」の「特有的な地」の人格化である。

In the Golden Dawn card there are three important symbols: the turtle, the swan
and the dolphin, the latter having been discussed in regard to the TWO OF CUPS.
ゴールデン・ドーンのカードには、3つの重要な象徴たちがある:「カメ」、「白鳥」と
「イルカ」、後者は「杯の2」に対する評価において議論したところである。
--- ここまで ---

「杯の王女」は、「生命の木」においては
・「杯」=「ブリアー」=「Primal Water/根源的な水」
・「王女」=「アッシャー」=「Specific Earth/特有的な地」
に配属されています。
「水」と「地」の組み合わせは、比較的安定しており、どちらも「冷」の属性を持つため、
「クール・ビューティ」というイメージが出てきます。

良く言えば、おしとやかであり、悪く言えば、何を考えているのか、よくわかんないという
ことになるわけですが、外面の穏やかさに反して、内面は割と感情が豊かであるという面も
持っているわけです。
つまり、それが「カメ」と「白鳥」と「イルカ」という、何とも摩訶不思議な組み合わせで
表されているというわけですよね。

いずれにしても、コート・カードの「王女さま」たちは、一筋縄ではいかないわけであって、
単純な「数札」とは異なり、なかなか理解することが難しい存在でもあるわけです。

230 :名無しさん@占い修業中:2016/09/14(水) 06:22:32.56 ID:63Y9qzew.net
いえいえ、あなたの陰湿さには負けます(笑)

ではでは〜(*^^*)

231 :名無しさん@占い修業中:2016/09/15(木) 05:47:04.04 ID:wa9auXdn.net
>>230
あ、はいはい〜(*^_^*)/~

でも、いきなり来て、わけわかんない毒吐きまくって、さっさと逃げていくその姿勢こそ、
陰湿だと思うんだけどな。

そういえば、あの「オナニー君」も、「陰湿」って言葉を良く使っていたなぁ。
まあ、頭悪そうな文章だし、おそらくは同一人物なんだろうね。(苦笑)

232 :名無しさん@占い修業中:2016/09/15(木) 05:48:00.73 ID:wa9auXdn.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
The Turtle is a symbol of Wisdom (because it withdraws into its own shell); it is
also related to long life in some systems. (*89)
「カメ」は「知恵」の象徴である。(なぜならそれは、それ自身の甲羅の中に引っ込むので);
それはまた、いくつかの体系たちにおいて長寿に関連する。(*89)
--- ここまで ---

ちなみに、(*89)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
89. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, LXXXVIII.
89. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、88ページ。
--- ここまで ---
とあります。
ここの「Turtle/カメ」の記述は、この『Encyclopedic Outline/百科事典的な概要』が
元ネタとなっています。

ちなみに、英語の「カメ」は、「turtle/海ガメ」と「tortoise/陸ガメ」とで分かれて
いますが、「海ガメ」は、浦島太郎の物語に出てくるような大型のイメージがありますので、
ここでは「海ガメ」とは訳していません。

「亀」が「知恵」の象徴というのは、イソップ物語に出てくる「ウサギとカメ」の話の
ように、たとえ遅くとも最後まで仕事をする姿勢とか、何かあった時のために、常に甲羅
を携え、有事の時には引っ込んで身を守るという用意周到さが、評価されているようです。

あと、「亀」が長寿を表すことは、日本でも「鶴は千年、亀は万年」と言われているように、
おなじみのものであり、この考え方は中国から伝来しています。
まあ、実際には、数十年から百数十年の寿命だということですけどね。

233 :名無しさん@占い修業中:2016/09/16(金) 05:43:25.53 ID:W3O3CYZf.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 121) ---
But the swan in the key symbol for this Princess, who wears a cloak of soft feathers.
しかし、柔らかい羽毛たちのマントを身に着けている、この「王女」にとって、鍵となる
象徴は白鳥である。

The swan is related to Orpheus (who chose to be reborn in that form), and thus to
the lyre and all musical forms.
白鳥は、オルフェウス(彼は、その姿で生まれ変わることを選んだ)に、そしてそれゆえ、
竪琴と全ての音楽的な形態に関連している。
--- ここまで ---

堅い甲羅を持つ「turtle/カメ」の次は、柔らかい羽毛を持つ「swan/白鳥」という、全く
異なるタイプの象徴がきています。

つまり、杯の中にいる「カメ」と、外套であるマントを飾る「白鳥」という対比であって、
心の中は「カメ」のように慎重かつ賢明でありながらも、外面的な姿形は「白鳥」のように
優雅であり、かつそれなりの行動力もあるということを表しているわけです。

「Orpheus/オルフェウス」は、ギリシア神話に出てくる有名な音楽家かつ宗教家であり、
音楽の神「アポロ」からもらった竪琴を弾いて、人々や動物だけでなく、荒れ狂う海をも
静かにさせるほどの、伝説的なミュージシャンでした。
そして、一説によると、死んだ後に、彼は竪琴と共に天に上げられ、「はくちょう座」と
「こと座」になったということです。

まあ、いずれにしても、「杯の王女」は、心の平穏を示す象徴ですので、人々の心の水面に
少々の波が立っていても、それを沈めるだけの能力を備えている人物であり、そういう意味
では、音楽というのも、そういった一つの能力であるわけです。

つまり、才色兼備で、音楽をたしなみ、人々にも人気のあるという、かなりの高スペックな、
お嬢様系アイドルといった感じですかね。

234 :名無しさん@占い修業中:2016/09/17(土) 23:00:05.76 ID:Sopzo8nB.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
The tradition among seaman is that the swan brings good fortune. (*90)
船員の間での伝統は、白鳥が幸運をもたらすということである。(*90)
--- ここまで ---

ちなみに、(*90)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
90. Manly Palmer Hall, Encyclopedic Outline, XXXII.
The idea that seamen consider the Swan good luck is mentioned by T.H. White,
Bestiary, 119.
90. マンリー・パルマー・ホール著、『百科事典的な概要』、32ページ。
船員たちが「白鳥」を幸運と見なすという考え方は、T.H.ホワイト著、『動物寓話集』、
119ページに言及される。
--- ここまで ---
とあります。

「白鳥」は、一説によると、「オルフェウス」の化身であると考えられています。
オルフェウスは、キリシア神話では、アルゴー船の遠征に加わり、音楽で勇士たちを鼓舞し、
琴や歌で嵐を鎮め、船を難破させるセイレーンや、船員を襲う魔物たちに打ち克ち、困難な
冒険を成功に導いたと言われています。
そういうわけで、「白鳥」も、航海の安全を守る神として、船員たちの間で人気があると
いうことですかね。

とはいえ、航海安全の神は、「白鳥」に限らず色々とあるわけですし、オルフェウス自身
は幸福な生涯であったわけでもありませんので、この点は、あまり気にしない方が良いの
かもしれません。

どちらかと言うと、「白鳥」自身は、見た目から「高スペック系」に属するため、「幸福」
とか「気高さ」に結びつけられて考えられていて、それゆえ「杯の王女」にも関連付けら
れているということなのでしょうね。

235 :名無しさん@占い修業中:2016/09/18(日) 06:08:34.93 ID:xPEOWBzq.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
As in his PRINCESS OF WANDS, Crowley abstracts the three symbols of the Golden Dawn
card, although he describes the form issuing from the cup as the tortoise which
in Hinduism has on its back the Elephant which supports the Universe.
彼の「棒の王女」においてと同様に、クロウリー氏はゴールデン・ドーンのカードの3つの
象徴たちを抜き出してはいるが、しかし彼は、カップから出現している姿は、ヒンドゥー教
における「宇宙」を支える「象」をその背に持つ「カメ」として記述している。

This is, therefore, a card of emergent life from the sea, and of matter crystallizing
within water.
これは、それゆえ、海から出現する生命の、および水の中で結晶化する物質のカードである。
--- ここまで ---

トート版のコートカードは、基本的にはゴールデン・ドーン版から象徴を丸パクリしてきて
いるのですが、この「杯の王女」においても、「カメ」と「白鳥」と「イルカ」、そして
「蓮の花」を堂々とパクっています。

とはいえ、それらの象徴を図案化する際には、独自の解釈が加えられており、ゴールデン・
ドーン版では「turtle/海亀」だったものが、トート版では「tortoise/陸亀」に変更され、
そして「イルカ」は、よくわからない「魚」の姿に変えられています。

さらに、「杯」は、丸い蓋の付いた「貝殻の杯」に変えられており、貝殻の中から蓋を
こじ開けて「亀の頭」が出てきているという、何ともエロっぽい、いやいや意味深な図案に
なっていて、そしてそれが、新しい生命の誕生を暗示しているというわけです。

ちなみに、普通にエロ目線で見れる王女は、この「杯の王女」と「五芒貨の王女」なの
ですが、より肉感的で多産系の「五芒貨の王女」とはまた違った、表向き清純派の乙女的
な魅力を持っているのが、この「杯の王女」です。
まあ、よりマニアックなプレイをたしなむ「棒の王女」や「剣の王女」を好む人もいるかも
しれませんので、皆さんも、お気に入りの王女のカードを選んでみてください。

236 :名無しさん@占い修業中:2016/09/19(月) 07:02:31.37 ID:S/unqVrD.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
PRINCESS OF SWORDS, Princess of the Rushing Winds, Lotus of the Palace of Air,
Princess and Empress of the Sylphs and Sylphides, Throne of the Ace of Swords.
剣の王女、疾風たちの王女、空気の宮殿の蓮、シルフたちとシルフィードたちの王女であり
女帝、剣のエースの王座。
--- ここまで ---

「剣の王女」に配属される領域は、ゴールデン・ドーンの立体天球上においては、北極から
北緯45°までの、宝瓶宮(ほうへいきゅう、みずがめ座)を中心とした磨羯宮(まかつきゅう、
やぎ座)から双魚宮(そうぎょきゅう、うお座)の部分となります。

さて、この「剣の王女」ですが、他の「王女」とは若干異なるキャラ属性を持っています。
それは、若干「小柄」であることと、色白であり体の線が細いわりには、形の良いおっぱい
という、どちらかというと、年少のロリ巨乳と表現してもいい方向性になっているわけです。
そして、パンツが見えそうな短めのミニスカートと、絶対領域なるものを意識したニーハイ
を履いた姿は、まさしくヲタ向け深夜アニメのロリ系美少女ヒロイン剣士の姿そのものでも
あるわけですよね。

つまり、このカードの裏には、そういう深夜アニメ系の、ヲタが好むような若干入り組んだ
ストーリーが同時に仕込まれているということであり、「剣の王女」という表面的なイメージ
だけに捉われていると、このカードの持つ面白さが半減してしまうということでもあります。

そういう意味でも、他の「王女たち」の安定感とは一線を画す、足が地に着いていない、
雲の上に乗っているような「不安定さ」は、我々にとって「予測不可能」な突飛な行動に
繋がっていて、我々を振り回すような動きをすることが、ままあるわけです。

とはいえ、彼女は、愚か者ではありませんし、どちらかというと、飛び抜けて聡明かつ
賢明な存在でもあるわけですので、それを愚鈍で人間世界のしがらみのある我々が容易
に理解できないということであって、それゆえに、取り扱いの難しい「お姫様」であると
いうことでもあるわけですよね。

237 :名無しさん@占い修業中:2016/09/20(火) 05:41:29.78 ID:pdHfJg8P.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
The Princess of Swords is Earth of Air, personification of Specific Earth in
Primal Air.
「剣の王女」は、「空気」の「地」、「根源的な空気」の「特有的な地」の人格化である。

The Golden Dawn Princess stands at a silver altar which bears no fire, only smoke
which may be blown in any direction by the Air of Yetzirah.
ゴールデン・ドーンの「王女」は、火では無く、「イェツィラー」の「空気」により、
あらゆる方向に吹きつけられるかもしれない煙だけを産み出す、銀の祭壇の前に立つ。

She is intended to represent a mixture of Minerva (Goddess of Wisdom) and Diana
(Goddess of the Moon and of the hunt).
彼女は、ミネルヴァ(「知恵」の「女神」)とディアナ(「月」と狩猟の「女神」)の
混合したものを表すよう意図されている。
--- ここまで ---

あと、「剣の王女」は、「生命の木」においては
・「剣」=「イェツィラー」=「Primal Air/根源的な空気」
・「王女」=「アッシャー」=「Specific Earth/特有的な地」
に配属されています。
つまり、大地を駆け抜ける風、もしくは大地に吹き荒れる嵐のカードということですよね。

「Minerva/ミネルヴァ」は、ここでは「Wisdom/知恵」の女神と紹介されていますが、
ギリシア神話の「アテナ女神」と同一視されている影響で、「戦いの女神」の面も持ちます。
また、「Diana/ディアナ」も、ギリシア神話の「アテナ女神」と同一視されており、
割と好戦的な性格も持っています。
そして、どちらの女神にも「ツンデレ属性」があり、それゆえ「起」「承」「転」「結」の
ストーリー展開においては、とても重要であり、かつ、とても使い勝手の良いキャラである
わけで、このキャラクターの性格と働きをしっかりと掌握することが、この物語を成功に
導くための重要な「鍵」となっているわけですよね。

238 :名無しさん@占い修業中:2016/09/21(水) 05:51:14.38 ID:I7HvplU+.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
The crest describing her personality, is a head of Medusa.
彼女の人格を説明している兜飾りは、「メドゥーサ」の頭である。

Medusa was at one time a very beautiful woman who, because she offended Athena was
transformed into a hideous creature with hair of serpents.
「メドゥーサ」は、かつては非常に美しい女性であったが、彼女は「アテナ」を怒らせた
ために、彼女はヘビたちの髪を持った見るも恐ろしい生き物に変えられた。

The very sight of her would turn men to stone. (*91)
彼女を一目見るだけでも、人々は石に変るであろう。(*91)
--- ここまで ---

ちなみに、(*91)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
91. N.G.L. Hammond and H.H. Scullard, Editors, The Oxford Classical Dictonary,
Oxford 1978, 472.
91. N.G.L.ハモンドおよびH.H.スカラード、編集、『オックスフォード古典辞典』、
オックスフォード、1978年発行、472ページ。
--- ここまで ---
とあります。

「Medusa/メドゥーサ」の物語は、ギリシア神話ではとても有名で、残酷な話でもあります。
とはいえ、この「剣の王女」自体が「メドゥーサ」ということではなく、どちらかと言うと
「かつて美しかった女性」を、怒りで「メドゥーサ」に変えた「アテナ」の方になります。

つまり、見た目は小っちゃくて可愛らしい感じのする「剣の王女」ではありますが、かなり
短気というか、激怒しやすい性格の持ち主で、そして「剣の王女」の名にふさわしい、かなり
残虐な一面も持っているということであって、ちっちゃい女の子だと思って甘く見ていると、
とんでもなく酷い目に遭うということですよね。

239 :名無しさん@占い修業中:2016/09/22(木) 06:32:06.25 ID:FY27cBP5.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
Thus, the indication here is that the personality of the Princess is not entirely
pleasant.
従って、ここは、「王女」の人格が完全に楽しいわけではないことの表しである。

It should also be noted that it is Perseus who severs the head of Medusa.
それはまた、「メドゥーサ」の頭を断ち切る「ペルセウス」であることも、注目される
べきである。

He is also represented on the Golden Dawn version of THE LOVERS, rescuing Andromeda
from her earthly shackles.
彼はまた、「恋人たち」のゴールデン・ドーン版に表されており、彼女の地の呪縛から
アンドロメダを救う。
--- ここまで ---

今さらですが、「剣の王女」は、どちらかというと嫌われ者に近い立場です。
確かに、とんでもなく聡明で優秀な剣士であり、「女性版ヒーロー」みたいなキャラですが、
あまりにも優秀すぎて、地上界にいて悪の誘惑に染まりまくって、盛り土をせずに私腹を
肥やしているような腹黒い人々から見れば、逆にやっかいな存在でもあるわけですよね。

それはともかく、我々人間は、この地上においては「メドゥーサ」そのものです。
そして、「人の頭」は「空気」を象徴し、胴体は「地」を象徴します。
つまり、ペルセウスにより断ち切られ、聖なるものへと転じた「メドゥーサの頭」は、
ペルセウスにより救出された「アンドロメダ姫」と同じ意味を持つということです。

要するに、「ペルセウス」でもある「剣の王女」の振るう剣は、身体と大地に束縛され、
俗世にどっぷりと浸かった人々の人格を、しがらみのない天界へと導くための、劇薬的な
働きをするわけであって、それゆえ、一般の人々からは、容易には理解されないものである
ということなのですよね。

240 :名無しさん@占い修業中:2016/09/23(金) 05:44:14.11 ID:pdsPd//U.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
Mathers, a great symbolist, unquestionably intended that we make this connection.
偉大な象徴主義者であるマサース氏は、我々がこの結び付けをすることを、疑いなく意図
した。
--- ここまで ---

「メドゥーサ」に関わる戦士は、「アテナ」と「ペルセウス」であり、両者の属性は
「剣の王女」に受け継がれています。
そういう意味でも、「メドゥーサ」の兜飾りというのは、良く出来た象徴ですよね。

ちなみに、ギリシア神話では、ペルセウスが切り落としたメドゥーサの首の血から、天馬
ペガサスが生まれたとされており、その天馬の持つ迅速性も、「剣の王女」に受け継がれて
いると見ることができます。

まあ、「剣の王女」については、戦闘系の属性については、何でもあり、ということで、
それゆえ、戦闘系ヒロインとしては、なかなか使い勝手の良いキャラでもあります。

とりあえず、この4枚の王女たちで、
・熱血系ヒロイン
・癒し系ヒロイン
・戦闘系ヒロイン
・しっかり系ヒロイン
という、ほぼあらゆる系列のヒロインたちを表現できるわけであり、その中でも、割と
他とは毛色の違うというか、「起承転結」の「転」を担う、とても重要なポジションに
あるわけです。

ただし、それゆえに、その後の展開は読みにくくなるわけで、占いで出てきた時には、
慎重にストーリーを繋いでいかないと、話が破綻することもままあるわけなのでした。

241 :名無しさん@占い修業中:2016/09/24(土) 06:03:23.73 ID:9WQP4D8G.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
PRINCESS OF PENTACLES, Princess of Echoing Hills, Rose of the Palace of Earth,
Princess and Empress of the Gnomes, Throne of the Ace of Pentacles.
「五芒貨の王女」、反響する丘たちの王女、地の宮殿の薔薇、ノームたちの王女であり
女帝、五芒貨のエースの王位。
--- ここまで ---

ついに、最後のコート・カードであり、最後の小アルカナでもある「五芒貨の王女」に
到達しましたね。(^_^)

この「五芒貨の王女」に配属される領域は、ゴールデン・ドーンの立体天球上においては、
北極から北緯45°までの、金牛宮(きんぎゅうきゅう、おうし座)を中心とした白羊宮
(はくようきゅう、おひつじ座)から双児宮(そうじきゅう、ふたご座)の部分となります。

さて、この「五芒貨の王女」ですが、その特徴は「黒髪のストレートのロング」という、
ヲタにとっては定番の「聡明かつツンデレ系の美少女」ということになります。
まあ、現代においては、間違いなくこれに「メガネ」要素が加わると思われます。

「地」の系統の女性キャラですので、エロ要素、いやいや生殖能力も高く、実は隠れ巨乳で
あるとか、着やせしているけれども、実は全体的にぽっちゃり体型であるとか、この後、
色々なイベントが期待できるキャラでもあるわけです。

つまり、下々の我々にとっては、お近づきになりやすいというか、ぎりぎり「お触り」が
可能というか、そして最も「エロいことを期待できる女性」というわけであり、世俗的な
偶像化やアイドル化が比較的容易なキャラとして、(特に男性から見た場合には)
とても人気が高い女神系というか大地母神系のキャラであるわけなんですよね。

242 :名無しさん@占い修業中:2016/09/25(日) 06:08:22.14 ID:klnkZRwE.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 122) ---
The Princess of Pentacles is Earth of Earth, the personification of Specific Earth
in the World of Primal Earth.
「五芒貨の王女」は、「地」の「地」、「根源的な地の世界」の「特有的な地」の人格化
である。

Her Golden Dawn attribute is a winged Ram's head (made a helmet by Crowley) suggesting
that she is a completion of that found in the PRINCESS OF WANDS.
彼女のゴールデン・ドーンの属性は、彼女が「棒の王女」に発見されるそれの完成である
ことを示唆する、(クロウリー氏により兜にされる)有翼の「雄羊」の頭である。
--- ここまで ---

「五芒貨の王女」は、「生命の木」においては
・「五芒貨」=「アッシャー」=「Primal Earth/根源的な地」
・「王女」=「アッシャー」=「Specific Earth/特有的な地」
に配属されています。
つまり、完全無欠の「地」のカードであり、他の王女の誰よりも「地」であるという、
この「地」である我々の世界にとっても、完全無欠な存在であるということですよね。

つまり、「五芒貨の王女」は、我々にとってみれば、完全無欠の「大地を統べる女神」
そのものであり、それゆえ、天空にではなく、この地上における全ての「大地母神」、
すなわち我々にとって最も親しみのある「女神」たちはみな、この「五芒貨の王女」で
あるということです。

彼女は大地の神であり、草木や作物たちの神であり、そして草食動物や家畜たちの神で
あり、それゆえ彼女は「雄羊の頭」の兜と、「羊皮」のマントをはおり、我々から見ると
「ワタシを食べて」とアビールしているわけです。(違うってww)

まあ、いずれにしても、そういうアピール感が最も高いのが、この「五芒貨の王女」
であり、そういう面が、世俗的な見方に繋がっているということですよね。

243 :名無しさん@占い修業中:2016/09/26(月) 05:30:50.56 ID:gQGSMUci.net
「セフィロトの図案たち」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 123) ---
The Princesses are less dependant of one another than are the other Court cards,
insofar as the elements are blended in Malkuth.
「王女たち」は、元素たちが「マルクト」において調和される限りにおいて、他のコート・
カードよりも、お互いの依存しているものは、より少ない。
--- ここまで ---

「五芒貨の王女」に限らず、「王女たち」はみな、持ち物が必要最小限であり、そして
しっかりと自分の足で立っています。

これは、「マルクト」の中には「四大元素」が調和された形で含まれているので、他から
何かを足す必要がなく、全てを自前でまかなうことができる「閉じた系」であるために、
外部からの何らかの補助を必要としないということですよね。

言うなれば、「王女」は、新しい巣を求めて飛び立った、孤独な「将来の女王蜂」であり、
彼女はこれから新しい巣を作り、たくさんの子を産み、育てて、そして新しい大きな巣の
「真の女王蜂」となっていくわけです。
そして、「棒の王女」「杯の王女」「剣の王女」「五芒貨の王女」は、それぞれ独立した
家族を育み、それぞれがなわばりを持ち、閉じた世界を作っていくというわけですよね。
それぞれの世界が融合し合うようになるのは、もう少し先のレベルになってからであり、
今はまだ自分のことだけで手一杯といった感じでしょうか。

というわけで、コート・カードの話、そして小アルカナの話は、ここで終わりです。
ここまでで、4年かかって、この本の、約半分まで到達したという感じでしょうか。

そして、ここから先は、この本の後半部分である「大アルカナ」の話になります。
まあ、ボチボチとやっていきましょう。

244 :名無しさん@占い修業中:2016/09/27(火) 06:12:27.01 ID:HDDGs2Gv.net
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
THE MAJOR ARCANA ON THE TREE OF LIFE
生命の木に基づく大アルカナ
--- ここまで ---

「小アルカナ」の話が終わり、ここからは、「大アルカナ」の新しい章に入ります。
結構長いですので、ボチボチと参りましょう。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
APPLICATIONS OF THE SEPHER YETZIRAH
セフェル・イェツィラーの適用
--- ここまで ---

この最初の節では、「大アルカナ」全体の理論的な話から入ります。
最初のネタは、「生命の木」の原典でもある「SEPHER YETZIRAH/セフェル・イェツィラー
(形成の書)」です。

タロットの「大アルカナ」というものは、物質的な領域に近い「小アルカナ」とは異なり、
とても形而上的な存在であって、一般的な理屈だけでは掴みきれないシロモノです。

そういう意味では、占いの時に出てくると、まるで読めないというか、使えないカードで
あったりするわけなのですが、素人や客相手だと、そういう本音の部分は言えないわけで、
なんとなくお茶を濁したような、それっぽい説明になってしまういうのが、常なんですよね。

まあ、大アルカナだけを使って占いをする「自称タロット占い師」もいるわけですので、
あまりとやかく言うつもりは無いのですが、日本の伝統料理が、外国で全く違う料理に
アレンジされて「これが本場の日本料理だ!」と言っているような感覚なんですよね。
まあ、占いはエンターテインメントであって、そういう雰囲気を楽しんでいる人もいるわけ
ですので、そういうのもアリなんだろうなぁ、と思っているのでした。
というか、とやかく言っても、それを理解できる人がいないのが現状ですので、無駄な
労力は使いたくないというのが、ワタシの本音でもあるわけですよ。(苦笑) 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


245 :名無しさん@占い修業中:2016/09/28(水) 06:29:02.71 ID:zkERQwAc.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
As has been indicated, the Tarot is usually related to the Sepher Yetzirah or Book
of Formation.
ずっと示され続けているように、「タロット」は、一般に『セフェル・イェツィラー』
すなわち『形成の書』に関連付けされている。

This brief, but major, document of esoteric cosmology purports to demonstrate the
rational framework and course of creation of our Universe.
この簡潔な、けれども重要な、秘伝的な宇宙論の文書は、我々の「宇宙」の創造の理性的な
枠組みと過程を説明したものとされている。

Yet, as with all truly enlightened works, it is not intended to be read; it must,
rather, be used as a stimulus to meditation.
けれども、全ての真に啓蒙された作品たちと同様に、それは読まれることを意図されて
いない;それは、むしろ、瞑想のための刺激として使われなければならない。
--- ここまで ---

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』は、『旧約聖書:創世記』を、エロ目線で、
いやいや秘伝的な視点で解読し再構成した「暗号文書」であるとされています。

当然のことながら、それらを解読しようとするのであれば、普通に読んだだけではダメ
であり、エロ目線で、いやいや秘伝的な瞑想を通じてのみ、その中にある暗号化された
要素を解読できるということになっているわけです。

つまり、エロ目線の達人が「見えた!」と叫んでいる時でも、我々凡人の「目」には何も
見えていないわけであって、彼ら達人は「体の目」ではなく「心眼」で見ているわけで、
そのような「心の眼」を育成するために、彼らは日々二次元の世界で修行し、新たなる
妄想を膨らませて、いやいや深遠なる瞑想の世界に耽っているわけです。
そう、秘伝的な世界とヲタクの世界は、似て非なるものではありますが、根っこの部分は
繋がりがあるということであり、そしてタロットにも繋がっているというわけなのですよ。

246 :名無しさん@占い修業中:2016/09/29(木) 06:37:49.00 ID:qdrymmJm.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
The Sepher Yetzirah uses the symbolism of highly abstract words to describe those
energies which the Tarot describes in pictures, the corresponding links being the
twenty-two letters of the Hebrew alphabet.
『セフェル・イェツィラー』は、「タロット」が絵たちの中に描写し、対応する結びつきが
ヘブライ語アルファベットの22の文字たちである、それらの精力たちを説明するために、
非常に抽象的な言葉たちから成る象徴主義を使う。

Thus, any comment on a Hebrew letter may also be taken to be a comment on the Tarot
card to which that particular letter is attributed.
したがって、また、ヘブライ文字についてのどのような注釈であれ、その特定の文字が
帰されている「タロットカード」についての注釈であると受け取られるかもしれない。
--- ここまで ---

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』には、「ヘブライ語アルファベット」の22文字
についての妄想、いやいや高度な瞑想と高度な象徴主義的言語による超難解な注釈が書か
れています。

そして、タロットカードの「大アルカナ」が22枚であることから、(ヲタク的には)当然の
帰結として、「ヘブライ語アルファベット」の各々のヘブライ文字と、「大アルカナ」の
各々のカードが、一対一に対応するという、短絡的な結論が導かれることになります。

ただし、ここで問題になってくるのが、「大アルカナ」の順序付けです。
「ヘブライ語アルファベット」には、きちんとした順番があるのですが、「大アルカナ」
には、固有の番号と位置を持たない「愚者」と呼ばれるカードがあるわけです。
世界的に統一した順序付けがあればいいのですが、残念ながら、いまだに統一は出来て
いないわけであり、つまり、もし「正解」があるとすれば、その他は「間違い」になる
わけですので、そういうのは、なかなか難しい問題だったりするわけですよ。
とりあえず、ゴールデン・ドーンでは、「愚者」を「大アルカナ」のトップに据えるという
解釈ですので、ここでは、それに倣うことにしましょう。

247 :名無しさん@占い修業中:2016/09/30(金) 06:11:10.22 ID:m5J3B6lj.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
To approach the Tarot from the standpoint of the Sepher Yetzirah adds an important
dimension to the study of the cards.
『セフェル・イェツィラー』の見地から「タロット」に取り組むことは、カードたちの勉強
において、ある重要な次元を付け加える。

Moreover, the ancient document is so short that this is not a difficult task.
さらに、古代の文書はとても短いので、これは難しい仕事ではない。
--- ここまで ---

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』自体は、確かにそれほど長くはないのですが、
「ヘブライ語アルファベット」とか『旧約聖書』という、日本人にとってはなじみのない
ものを元ネタにしているので、普通に読んでも、全くもってわけわからないというのが
普通ではないかと思います。

まあ、「サルでもわかるセフェル・イェツィラー」なる参考書が出版されれば、若干事情
が違ってくるとは思うのですが、そんな可能性は、まずもって全く無いわけです。
つまり、「大アルカナ」を勉強していく際には、自分で『セフェル・イェツィラー』や
『旧約聖書』のことを色々と調べながら、カードの勉強と並行して、自分なりの解釈を
まとめていかないといけないわけであり、言うほど簡単な仕事ではありませんし、それに
何よりも、その人の持つ「センス」というものが重要になってくるわけです。

そういう意味では、この「大アルカナ」と『セフェル・イェツィラー』を結び付けて勉強
できる人というのは、かなり限られてしまいます。
そして何よりも、現在の日本においては、まともにそれをやっている人、というか、やれて
いる人は、(ワタシを含めて)ほぼ皆無ですので、わからないことがあったとしても、頼り
になるような信頼できる人がいないというのも現状なのです。

つまり、「大アルカナ」を『セフェル・イェツィラー』に基づいてきちんと勉強したい人は、
自分自身で何とかしろ、ということなのですよね。(苦笑)

248 :名無しさん@占い修業中:2016/10/01(土) 15:11:35.27 ID:o7gyranV.net
NGワード規制くらって、そのおかげで連投規制もくらって、しばらく書けなくなってしまったのだ。
なんか色々と面倒な世の中になってるなぁ。(^_^;

249 :名無しさん@占い修業中:2016/10/02(日) 06:00:46.39 ID:/XnStVAw.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
Let us begin by applying selected passages of this work to the Tarot Trumps as
they are traditionally placed on the Tree of Life (Figures 18 and 19).
まず、この著作により選ばれた通路たちを、それらが「生命の木」の上に伝統的に置かれて
いるように「タロットの大アルカナたち」に適用することから始めよう(図18と19)。
--- ここまで ---

『セフェル・イェツィラー(形成の書)』には、「生命の木」および「ヘブライ文字」の
基本的な構造と、その基本的な属性が定義されています。
ゴールデン・ドーンのタロット理論は、『セフェル・イェツィラー』を基礎としています
ので、まずはそこから勉強してみることが、「大アルカナ」の理解にも繋がるわけです。

まあ、言うほど複雑ということではないのですが、難解というか、普通に考えると、よく
わからないものであることも確かですので、あまり深追いせずに、とりあえず知識として、
頭の中に入れておく程度でいいわけですので、さっくりと進めておきましょう。
『セフェル・イェツィラー』もそうなのですが、「タロット」、特に「大アルカナ」は、
それ自身に固有の意味や価値があるということではなくて、それが何かを解く「鍵」と
なるというのが、ポイントですからね。

ちなみに、学校で学んだ知識、たとえば数学で習った難しい方程式や、物理や化学の法則
や原理とかは、一般の人々の生活上で直接活用できるものは、ほぼ皆無であり、そういう
ものを勉強すること自体は、一般の人々にとっては、ほぼメリットは無いわけです。

それでも、「○○のことをもっと知りたい」というヲタク的な一部の科学者や哲学者は、
自己の「知識欲」や「社会欲」を満たすため、色々な試行錯誤というかトンデモ研究を
日々行っているわけで、その際に出てくる副産物的なものが、『セフェル・イェツィラー』
や「大アルカナ」というような、全宇宙の法則を支配する「神秘の奥義書」になるという
わけなのですよね。

ちなみに、現代における最大の「神秘の奥義書」は、「宇宙論」とも呼ばれています。

250 :名無しさん@占い修業中:2016/10/02(日) 06:29:14.91 ID:/XnStVAw.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図18の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 126) ---
Figure 18. Attribution of the Major Arcana to the Tree of Life
図18. 「生命の木」への「大アルカナ」の帰属
--- ここまで ---

この図18には、「生命の木」の「22の小径」に配属される、「ヘブライ文字」および
「大アルカナ」が、図示されています。
この図は、最も基本的な「宇宙の原理」を図示しているわけですが、これはあくまでも
「ゴールデン・ドーンのローカル・ルール」であることを、理解しておいてください。
『セフェル・イェツィラー』に書かれているのは、「10のセフィロト」と「22のヘブライ
文字」であり、「生命の木」の「22の小径」の構造のことも、「大アルカナ」のことも
書かれていないわけですし、それらについて語られるようになったのは、以前に述べて
いるように、かなり後代になってからのことですからね。

次に、図19の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 127) ---
Figure 19. Attribution of Maternal, Double and Simple Letters to the Tree of Life
図19. 「生命の木」への「母字」、「複字」および「単字」たちの帰属
--- ここまで ---

この図19では、図18の「生命の木」への「ヘブライ文字」の配属に基づく「小径」に対する、
「母字」「複字」「単字」の帰属が書かれています。
そして、これも「ゴールデン・ドーンのローカル・ルール」であって、世界的な統一ルール
は存在していないことを、理解しておいてください。

少々、ただし書きが多くなっていますが、一部のアレな人々から変に勘違いされないように、
との配慮ですので、その旨、ご了承くださいませ。

251 :名無しさん@占い修業中:2016/10/03(月) 07:03:58.42 ID:yZToSISw.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
THE MATERNALS: AIR, WATER, FIRE
母字たち:空気、水、火
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「母字たち:空気、水、火」です。

このサブタイトルの後には、『セフェル・イェツィラー』の部分的な引用が続いている
ので、引用部分を続けて書こうとしたら、またNGワード規制が、かかってしまいました。
なんか近頃、すごく面倒臭いです。(とりあえず、引用は次回にします。)

ちなみに、ヘブライ文字の「maternal/母字」ですが、これは「vowel/母音」ということ
ではなくて、その他の文字たちの産みの親である「母」なる存在であるという意味です。
これは、それらの3つの母字が、錬金術の「(地を除く)四大元素」に対応付けされている
ことと、さらには、『旧約聖書:創世記』の冒頭の「天地創造の物語」にも、密接に関連
付けされているためでもあります。

そもそも、『セフェル・イェツィラー』自体が、「もう一つの天地創造の物語」である
わけですので、その物語のメイン・キャラクターである「ヘブライ文字」たちについても、
そういったノリで「文字創造の物語」の脚本が書かれているということなのですよね。

252 :名無しさん@占い修業中:2016/10/04(火) 06:34:23.56 ID:R9fwXo9s.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
From the Spirit he produced Air, and formed in it twenty-two sounds, the letters.
「霊」から、彼は「空気」を産み出し、そしてその中に22の音声たちである文字たちを
形成した。

Three are mothers, seven are double, and twelve are simple, but the Spirit is first
and above these. (*92)
3は母字たちであり、7は複字であり、12は単字であるが、「霊」が最初であり、それらの
上にある。
--- ここまで ---

ちなみに、(*92)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
92. Quotations here are from the Westcott translation of the Sepher Yetzirah.
92. ここの引用たちは、『セフェル・イェツィラー』のウェストコット氏の翻訳からである。
--- ここまで ---
とあります。

さて、この引用の最初の行ですが、ここは『旧約聖書:創世記』1:2の「神の霊」が、
『旧約聖書:創世記』1:3において、「光あれ」と言われている部分に相当します。
つまり、この引用文における「空気」は、「神の吐息」というか「神の発声」であり、
この節で解説している「母字」の「空気[aleph]」とは、若干レベルの異なるもので、
宇宙創造に関わる全ての事象、すなわち全ての「ヘブライ文字」を創造する(発声する)
ための「声の媒介物」というか「第一質料」となるものを象徴しているわけです。

そして、その「神レベルの空気」から、まず最初に「母字」である「空気[aleph]」、
「水[mem]」、そして「火[shin]」が産み出されてくるという展開になっています。
とはいえ、『旧約聖書:創世記』には、それらがどのような過程により産み出されていった
のかということまでは、明確には記されていないので、そこにさまざまな妄想、いやいや
推論が語られることとなり、そして壮大な物語が生まれてくるということなのですよね。

253 :名無しさん@占い修業中:2016/10/05(水) 06:21:32.86 ID:u6KXmvSU.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 125) ---
[aleph] THE FOOL is Air.
[aleph] 「愚者」は「空気」である 。

All of the other Tarot cards are implicit in this Transitional Air; they all arise
from Air.
他のタロットカードたちの全ては、この「過渡的な空気」の中に、暗に含まれている;
それら全ては、「空気」から生じる。
--- ここまで ---

神の「Spirit/霊」から、神の「Transitional Air/過渡的な空気」が産み出され、その中
から「22のヘブライ文字たち」が生まれました。

その文字たちの中で、最初に生まれたのが、3つの「母字」であり、そしてその中で最初に
生まれたのが、「空気」を表す[aleph] となります。
そして、そのす[aleph] に割り当てられているのが、大アルカナの「愚者」のカードです。

まあ、いきなりそう言われても、カバラのことやタロットのことをよく知らない人にとっては
「はあ、そうですか」としか言えないわけですが、とりあえずそういうものだそうです。

とりあえず、そういうものであるとするのであれば、この「空気」が割り当てられた「愚者」
のカードは、全てのカードのうちで最初に作られたものであって、当然ながら「カード番号」
も最初というか、最も小さな数にならないといけないわけです。
とはいえ、物事の最初を表す「1番」は、既に「魔術師」が既得権を主張していますので、
そう簡単に明け渡ししてくれるはずもなく、それゆえゴールデン・ドーンでは、この一番
最初のカードには、「0番」を付けることになっています。

結果的に、この「0番」というのは、特別な意味合い、すなわち「他のカードたちとは違う」
ということを暗にアピールできることにもなるので、割と良い思いつきだったかな、
と思っているのでした。

254 :名無しさん@占い修業中:2016/10/06(木) 06:43:18.85 ID:OUk3OQll.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 126) ---
From the Air He formed the Waters and from the formless and void made mire and clay,
and designed surfaces upon them, and hewed recesses in them, and formed the strong
material foundation.
「空気」から、「彼」は「水域(海)」を形作り、 そして形無き虚空から泥と土を作り、
そしてそれらの表面たちを作り、そしてそれらの中の奥底を切り刻み、 そして強い物質的
な基礎を形成した。
--- ここまで ---

この部分は、前回の「空気」と同様に、『セフェル・イェツィラー』のウェストコット氏
の翻訳からの引用となっています。

ここは、『旧約聖書:創世記』とは、天地創造の順序が微妙に入れ替わっていることも
あって、明確な対応付けは、なかなか難しいのですが、とりあえず「水」の創造の物語が、
この文章の中に書かれているということになっています。

ちなみに、『セフェル・イェツィラー』の3母字においては、「天」が「火[shin]」で、
「地」が「水[mem]」となっていますので、この文の「Waters/水域(海)」と「mire and
clay/泥と土」は、いずれも「水[mem]」に属する物質となります。

そして、天地創造の物語は、この後、この「水[mem]」が支配する「地」の舞台をメイン・
ステージとして、発展していくということになるわけです。

とはいえ、「水[mem]」という平穏な日常ネタだけでは、話がイマイチ面白くありません
ので、「水[mem]」が支配する物質的な日常世界の中に、「空気[aleph]」や「火[shin]」
の精神的な非日常世界が絡んでくるという、お決まりの展開になっていくわけですよね。

255 :名無しさん@占い修業中:2016/10/07(金) 06:25:26.04 ID:sD9nbgFd.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 126) ---
[mem] THE HANGED MAN is Water.
[mem] 「吊られた男」は「水」である。

It is the basis of matter, and is a part of Microprosopus on the Tree of Life, at
the side of the Pillar of Severity.
それは物質の基礎であり、そして「生命の木」上の「峻厳の柱」の側において「ミクロプロ
ソプス(小さな顔)」の一部である。

Alchemists call Water the “root of all minerals.”
錬金術師たちは、「水」を「すべての鉱物たちの根」と呼ぶ。
--- ここまで ---

科学では、「空気」という「気体」から、「水」という「液体」になり、そして「地」と
いう「固体」へと相転移していくのですが、その理屈からすると、「火」の「プラズマ」
状態が最初にくるわけですので、ちょっと違いますかね。

ちなみに、地上の鉱物の多くは、「水」を媒介にして産まれてくるというのは本当で、
現代文明を支えている鉄やアルミやガラスや半導体のシリコンの鉱石、そしてセメントの
原料である石灰岩などは、水中で産まれています。
ついでに言うと、生物由来の石炭や石油も、「水」が無ければ産まれません。

とはいえ、この「地球」という豊かな鉱物資源を持つ星は、「空気」「水」「地」のどれが
欠けても成立しないわけであり、それは兄弟星である「金星」や「火星」そして「月」が
荒涼とした世界であることを見ても、わかると思います。

そういう意味では、この「地球」という星は、様々な奇跡から成り立っているわけであり、
かなり微妙なバランスにより成立しているわけであって、それゆえ「3つの母字」の持つ、
お互いの「バランス感覚」というのは、最も重要視されるべきことなのですが、現代の
人間社会においては、そういうのってねなかなか難しいことだったりするわけですよね。

256 :名無しさん@占い修業中:2016/10/07(金) 08:57:02.13 ID:ctR7hwdy.net
がんの芸能人、がんの有名人、ガンのタレント
http://redf2007.seesaa.net/article/418556842.html?1443016817

脳梗塞の有名人、脳出血の有名人、くも膜下出血の芸能人・有名人
http://redf2007.seesaa.net/article/418489646.html?1443016731

心筋梗塞のタレント、心筋梗塞の有名人、心不全の有名人
http://redf2007.seesaa.net/article/418405543.html?1443016884

糖尿病のタレント、糖尿病の有名人、糖尿病の歴史上の人物、糖尿病の著名人 、糖尿病の芸能人、
http://redf2007.seesaa.net/article/393763760.html?1443047312

白血病の有名人、白血病のタレント、白血病の俳優、白血病の著名人
http://redf2007.seesaa.net/article/399142809.html?1443016940

突然死したスポーツ選手、アスリートの突然死。
http://redf2007.seesaa.net/article/369019382.html?1443017040

覚醒剤や大麻で逮捕されたタレント・芸能人・有名人(不起訴、書類送検含む)
http://redf2007.seesaa.net/article/397654153.html?1443016987

水虫治療の裏技
http://redf2007.seesaa.net/article/420351585.html

257 :名無しさん@占い修業中:2016/10/08(土) 14:17:25.52 ID:DrhflW+3.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 126) ---
From the Water he formed Fire and made for himself a Throne of Glory with Auphanim,
Seraphim and Kerubim, as his ministering angels; and with those three he completed
his dwelling. . .
「水」から、「彼」は「火」を形作り、そして彼に仕える天使たちとして、「オファニム
(座天使)」、「セラフィム(熾天使)」および「ケルビム(智天使)」と共に、彼自身
のための「栄光の王座」を作り、そして、それらの3つと共に、彼は彼の住居を完成した。
--- ここまで ---

この部分は、前回の「空気」と同様に、『セフェル・イェツィラー』のウェストコット氏
の翻訳からの引用となっています。

ここは、『旧約聖書:詩編』104:4にある「風をご自分の使いとし、焼き尽くす火をご自分の
召使とされます。」(新改訳)のカバラ的解釈となっています。
そして、これら「天使たち」は、主に天上世界としての「火」の属性を持っているわけです。

このようにして、「神の霊」が創造した世界の基本的要素である「空(空気)」「地(水)」
「天界(火)」が形成されていき、そして虚数空間にあった「神の霊」も、質量を獲得して、
この世界の中に実在することが可能になっていくということになるわけです。

まあ、現代理論から見ると、これはこれで見事な宇宙論ではあるのですが、少し前の時代の
科学知識では、この手のカバラ理論は、どうしようもないトンデモ理論にしか見えなかった
わけですので、あまりにも未来すぎる理論というのも、ちょっと考えモノですよね。

まあ、何はともあれ、宇宙創造の理論というのは、基本的には我々の生活とは無関係であり、
「上の如く下も然り」を適用しようにも、ちょっとばかり話が壮大すぎますので、いまいち
使えないものでもあります。
どちらかというと、先端科学の世界でなら、それなりに使い道はありそうですが、ごく普通
の人々にとっては、こういう「神々の天地創造に関する理論的な話」というのは、いまいち
ネタにはしづらいものであることは確かでしょうね。

258 :名無しさん@占い修業中:2016/10/09(日) 06:29:57.09 ID:Fh9yUywK.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 127) ---
[shin] JUDGMENT is Fire.
[shin] 「審判」は「火」である。

The final maternal connects Microprosopus with its bride, Malkuth, again on the
side of the Pillar of Severity.
最後の母字は、再び「峻厳の柱」の側で、「ミクロプロソプス(小さな顔)」とその花嫁
である「マルクト」を接続する。
--- ここまで ---

「生命の木」のバランス感覚からすると、3つの基本の「母字」は、本来は「慈悲の柱」、
「中央の柱」、そして「峻厳の柱」に分散配置しているはずなのですが、なぜか片寄りが
あるということです。
まあ、ここに深い意味を探してもよいのですが、一般人には意味の無いことですので、
ここは、そういうものであると、スルーしておきます。

さて、最後の母字である「[shin] 審判」の重要性は、それが最終的に「マルクト」に接続
されている「母字」であるということであり、 あと「複字」の [tau] と、「単字」の[pe]
が、「マルクト」に接続されています。
つまり、最終的に、「マルクト」で帳尻を合わせるというか、強制的にバランスを取る
ために、色々と周到な準備というが、からくりが含まれているということなのでしょう。

それにしても、「マルクト」に接続される最終の「母字」が [shin] の「火」であると
いうのは、それが「天使」を意味するものだと言われても、ちょっと怖いですよね。

とはいえ、この「火」と「天使」たちによって、地上界と天界が隔てられているという
のも確かであり、そして我々が天界にアクセスするための、通過すべき「道」でもある
わけですので、しっかりとマスターしなければならないということなのですよね。

259 :名無しさん@占い修業中:2016/10/10(月) 08:45:02.59 ID:4qtmLSiK.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 127) ---
As the Path of the Flaming Sword (Figure 20) which is the Path of emanation of the
Sephiroth, crosses the Abyss from Binah to Chesed where no Path exists, so there is the possibility of passage across the Abyss from Chokmah to Geburah (although this is not a viable possibility for the developing spirit).
「セフィロト」の流出の「経路」である「炎の剣の小径」(図20)が、「ビナー」から
「ケセド」までの「小径」が全く存在しない「深淵」を横切っているのと同じように、
「コクマー」から「ゲブラー」までの「深淵」を横切る通路がある可能性がある(とはいえ、
これは霊の発達にとって生存可能な可能性ではないけれども)。
--- ここまで ---

ついでに、図20の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 128) ---
Figure 20. The Cards on the “Path of the Flaming Sword”
図20. 「炎の剣の小径」のカード
--- ここまで ---

この図20には、「生命の木」の「ケテル」から「マルクト」へとジグザグに通過する
「炎の剣」と、その通り道となっている「小径」の関係が描かれています。

ここで言及されている「コクマー」から「ゲブラー」までの「深淵」を横切る通路の存在
の可能性ですが、構図的なバランスでは「あり」かもしれませんが、「炎の剣の小径」が
もたらす「霊の進化」の順序付けという面では、「ビナー」と「ケセド」を飛ばしてしまう
のは「霊の発達障害」を引き起こすことになるわけですので、そういう飛び級の可能性は、
現実的には否定されるということです。

結果的には、「[aleph] 空気:愚者」と「[mem] 水:吊られた男」「[shin] 火:審判」は、
分離して存在しているわけであり、その間は「深淵」のために直接遷移することは出来ず、
何らかの方法で、強制的に相転移する必要があるわけです。
つまり、ここでは「水」の入った容器を下から「火」で熱することにより、「空気」状態
の「水蒸気」に相転移させることが出来るということなのですよね。(マジかよw)

260 :名無しさん@占い修業中:2016/10/11(火) 06:28:02.76 ID:WYLJNRVC.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 127) ---
Were this done, it would be possible to move up and down the Tree of Life using only
three Paths, those of the Maternals.
もしこれが出来たとしたら、たった3つの「小径」たちである、「母字たち」のそれらを使う
ことで、「生命の木」を上下に動くことが可能となるだろう。

From Kether the Path of THE FOOL leads to Chokmah.
「ケテル」から、「愚者」の「小径」は「コクマー」に通じる。

From Chokmah it is a leap across the terrible abyss to Geburah.
「コクマー」から、それは「ゲブラー」への恐ろしい深淵を横切る跳躍である。

From Geburah is the Path of THE HANGED MAN into Hod.
「ゲブラー」からは、「ホド」への「吊られた男」の「小径」である。
--- ここまで ---

ここは、もしも、そういうことが可能であれば、つまり、「コクマー」から「ゲブラー」
への遷移が可能であれば、という、理論上あり得ないことを前提とした話です。
もしあったとしても、「深淵」の基本的性質として、「上から下への一方通行」という
特徴があるため、「ゲブラー」から「コクマー」への逆方向の遷移は不可能です。

いずれにしても、「愚者」の「小径」と、「吊られた男」や「審判」は、同じ「母字」で
あったとても、全く違うレベルのものであり、それゆえに、「愚者」を頂点として、
「吊られた男」と「審判」を底辺の点とする「三角形」の配置になっているわけです。

まあ、そういう意味では、「愚者」の世界観だけが分断されているので、「母字」だけ
では、いまいち使いにくいわけであり、それは深淵の上部の「至高の三角形」として
閉じた空間にある「魔術師」や「女帝」にも言えることであって、レベルが高すぎて、
こいつらが何を言っているのかが、よくわかんないことが多いんですよね。
え、おまいのレベルでは、どうせ理解するのは無理だろうって?

261 :名無しさん@占い修業中:2016/10/12(水) 06:16:38.28 ID:pmGa3qlZ.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 128) ---
Finally, the Path of JUDGMENT leads into the material completion of Malkuth.
最後に、「審判」の「小径」は、「マルクト」の物質的な完成に通じている。
--- ここまで ---

とにもかくにも、最後の「母字」である「[shin] 火:審判」の「小径」は、我々の世界で
ある「マルクト」に、直接繋がっているということです。

そして、我々の住む「マルクト」には、これ以外にも、「単字」の「[qoph]:月」と
「複字」の「[tau]:宇宙」が繋がっていて、「セフィロト」の中では、最もバランスが
取れている場所となっています。
まあ、だから何なんだと言われると、ちょっと困るわけですけどね。

あと、我々の「地」の世界に最も近い「元素」として、「水」ではなく「火」が配置される
というのは、何か不思議というか、いまいち納得いかない感じもします。
そもそも、「火」は「ゲブラー」に近い属性ですので、「水:吊られた男」と「火:審判」
を入れ替えた方が、親和性は高いんですよね。

とはいえ、こういう「いまいち納得いかないもの」の中にこそ、色々な妄想が膨らむという
ものですので、そういうネタであるということにしておきましょう。

それにしても、この「母字」たちの「小径」への配置って、本当にバランス悪いですよね。
「ゲブラー」=「ホド」の「水:吊られた男」の位置を、「ケセド」=「ゲブラー」の
「力」の位置に変えれば、構図としては、とても良いバランスになるんですけど、現実は
そうなっていないんですよね。

この「母字」たちの配置は、ワタシとしては、何となくしっくりこない感じというか、
とても残念感のある配置に思えるわけなのでした。

262 :名無しさん@占い修業中:2016/10/13(木) 06:10:26.10 ID:z0b3CE7L.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 128) ---
There is a quality of “mind game” to working with the Sepher Yetzirah in this way,
but the method is essential to understanding the ways in which the Tarot embodies
high Qabalistic principle.
このような手段で「セフェル・イェツィラー」と共に働くことが「精神の遊技」の特質で
あるが、それより、その方法は、「タロット」が高度のカバラ主義の原則を具体的に表現
している方法たちを理解するためには必須である。
--- ここまで ---

「生命の木」と「母字」たちの関係性だけでは、「タロット」と「カバラ」の関係を
推し量ることは、まだ難しいのですが、とりあえずこれが最初の切り口になります。

ゴールデン・ドーン版タロットは、「セフェル・イェツィラー」に記述された「高度の
カバラ主義の原則」を具体的に表現したものであることは間違いありませんし、それゆえ
「セフェル・イェツィラー」を、ある程度理解しておくことは必須になります。
そして、「セフェル・イェツィラー」を理解するためにも、このゴールデン・ドーン版
タロットの勉強が役に立つということです。

以前にも述べたように、ゴールデン・ドーン版タロットは、占いが主な目的ではなく、
基本的には魔術の勉強用、すなわち「カバラ」を理解するための汎用ツールです。
ということで、この後も、まだまだ難解というか、わけわからないというか、決して
頭では理解できない解説が続きますが、しばらくの間、辛抱してください。

まあ、頭では分からないなら、どうやって理解するんだ、と言われるかもしれませんが、
「カバラ」は科学ではありませんので、そもそも全ての人が理解できるはずもありません。
つまり、それを理解できるのは、頭のおかしい、いやいや神に選ばれし人たち(笑)のみ
ですので、自分は理解できないからといって、ダメな人間とは思わないでくださいね。
そう、理解できないのが普通なのですから。(つまり、ワタシも普通の人なのです。)

263 :名無しさん@占い修業中:2016/10/14(金) 06:23:27.37 ID:wkNxywOm.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 128) ---
THE DOUBLE LETTERS: PLANETS, LOCALITIES, DAYS, GATEWAYS, CONTRASTS
複字たち: 惑星たち、位置関係たち、日たち、出入口たち、対照たち
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「複字たち: 惑星たち、位置関係たち、日たち、出入口たち、対照たち」
です。

ちなみに、この「生命の木」の「母字」「複字」「単字」による「小径たち」の分類は、
実のところ、かなり恣意的なものであって、元々は占星術分野のネタである「7惑星」と
「12ヶ月/12宮」を、どのように「小径」に割り当てていくかという点にあるわけす。
そして、残された「3つの小径」が、おまけ的に錬金術の「空気」「水」「火」(なぜか
「地」は無かったことにされている)に、割り当てられたと考えるのが自然なんですよね。

では、なぜわざわざ、余り物である「3母字」の解説を、『セフェル・イェツィラー』の
最初に持ってきて、最も重要なものであるかのように力説しているかというと、これは
ひょっとすると、「余り物」であることを悟られないようにするための偽装工作では
ないかと思われるフシもあるわけです。

とはいえ、これらが「余り物」とするならば、元々は「単字」に属する「母字」について、
色々と腑に落ちない点があったとしても、それはそれで「よく頑張ったな!」と納得できる
こともあるわけですので、そういう考えもアリかな、と思うのでした。

まあでも、結果的に『セフェル・イェツィラー』においては「3母字」というものが存在
しているわけですし、それを絶対的な前提条件にして、色々と議論と妄想を進めていく
のが「カバラ」の手法ですので、これ以上のツッコミはヤボかな、と思うのでした。

264 :名無しさん@占い修業中:2016/10/15(土) 07:49:04.54 ID:O/7rg5uc.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 128) ---
The initial commentary on the Double Letters states that they are so called
“because each letter represents a contrast or permutation.”
「複字たち」についての最初の解説は、それらが「各々の文字が対照もしくは置換を
表しているために」そのように呼ばれると、述べている。

In fact, each of these seven letters has two pronunciations, one hard and one soft.
実際に、これらの7文字の各々は、1つは硬くて1つは柔らかい、2つの発音を持っている。
--- ここまで ---

この「各々の文字が対照もしくは置換を表しているために」という引用部分ですが、この
部分は、ウェストコット氏の『セフェル・イェツィラー』の翻訳の1887年の初版には無く、
その後の版で出てきますので、原典を検索する際には、注意しておいてください。

さて、これら「複字」は、[beth]、[daleth]、[gimel]、[kaph]、[pe]、[resh]、[tau] の
7文字であり、その特徴として、古代においては「hard/硬音(有声音)」と「soft/柔音
(無声音)」の「2つの発音」を持つものとなっています。
現代の復刻版ヘブライ語においても、そのうちの [beth]、[kaph]、[pe] の3つの文字が、
「2つの発音」の名残りを残していますが、残り4つの文字は、現代においては、1つだけの
発音になっています。
そして、現代においては、どちらの発音かわかりにくいので、文字表記に「ダゲッシュ」と
呼ばれる中点「・」を用いて、それが付いていれば「hard/硬音(有声音)」として発音
するようになっています。

いずれにしても、これら「複字」は、「対照」となる2つのもの、そして「置換」可能な
2つのものを、表現しているということです。
まあ、周囲の状況によって、態度をコロコロと変えるような、いまいちアレな人のような
感じもありますが、「光」あるところに「陰」があるように、「陰と陽」の性質を併せ
持つ「両刀使い」という、それなりに強力な武器にもなるということですよね。

265 :名無しさん@占い修業中:2016/10/16(日) 09:41:38.37 ID:S/ezBjIH.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
The letters refer, in order, to Life and Death, Peace and War, Wisdom and Folly,
Riches and Poverty, Grace and Indignation, Fertility and Solitude, Power and Servitude.
文字たちは、順番に、「生」と「死」、「平和」と「戦争」、「知恵」と「愚行」、
「富」と「貧乏」、「恩寵」と「憤慨」、「多産」と「孤独」、「権力」と「隷属」を参照する。

These are the pairs of opposites which we can apply to the designated Tarot Trumps.
これらは、我々が指定された「タロット」の「大アルカナ」に適用できる、反対物たちの
一対である。
--- ここまで ---

「複字たち」は、「各々の文字が対照もしくは置換を表している」ので、それぞれが
上記のような「一対の意味」を持っているということです。

さて、ここでの問題は、どの「文字」が、どの「意味」を持つのか、ということですが、
ここでは「in order/順番に」と書かれていますので、この順番に [beth] から[tau] の
順序で割り当てられていると考えるのが普通ですが、実は、ここに大きな問題があります。

それは、ここに書かれている「一対となる意味」というのは、『フェル・イェツィラー』の
バージョンにより、かなりの違いがあるということなんですよね。
ついでに言うと、「小径」と「大アルカナ」の対応にも色々なバージョンがありますので、
はっきり言って、どの「大アルカナ」が、どの「一対の意味」に対応しているのかという
のは、どれが正解であるかは、明確には言いづらいわけです。

でもまあ、この「複字」属性を持つ「大アルカナ」が、単純ではなく、複合した意味を
持っているということぐらいは、知っておいた方がいいということですよね。
そして、それは「正位置」とか「逆位置」という物理的な違いにより生み出されるもの
ではなく、元々の「文字」が持っている基本的な属性というか不可分の属性であって、
原理的に切り離して考えることのできない、相対的なものだということなのです。

266 :名無しさん@占い修業中:2016/10/17(月) 06:34:48.26 ID:4a+32SqM.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
These Seven Double Letters point out seven localities; Above, Below, East, West,
North, South, and the Palace of Holiness in the midst of them sustaining all things.
これら「7つの複字たち」は、以下の7つの位置たちを指し示している;「上」、「下」、
「東」、「西」、「北」、「南」、 そしてそれらの中心において全てのものたちを支えて
いる「聖なる宮殿」。
--- ここまで ---

ここは、ウェストコット氏の『セフェル・イェツィラー』の翻訳からの引用部分ですが、
この箇所も、色々なバージョンがあり、どの文字がどの方向に相当していると、明確に
言うことは難しいので、その点は注意しておいてください。

まあ、とりあえず何でもいいから、この「7」に何かを割り当ててみようということで
思い付いたのが、この三次元空間の表現方法だったみたいです。
ちなみにこれは、現代の地図では、「標高:上(+)、下(-)」、「経度:東(+)、西(-)」、
「緯度:北(+)、南(-)」、そして座標原点(標高の原点と経緯度の原点)となるわけです
が、正確さを求めると、実は結構難しい概念だったりするわけですけどね。

それはともかく、こういう「三次元の空間表現」の基本としてに、これら「7つの属性」を
割り当ててみるというのは、まあそういう考え方もあるんだな、という感じですよね。
ワタシ的には、もう少し汎用性のある、「X軸上の位置」「Y軸上の位置」「Z軸上の位置」
「X軸上の回転」「Y軸上の回転」「Z軸上の回転」「座標原点」という割り当ての方が、
しっくり来るような感じもします。

とりあえずは、「3つの母字たち」により、この「ワールド」な世界全体が創造され、
そして「7つの複字たち」により、その中に「ローカル」な次元と形が定義され、そして
「12の単字たち」により、個別の物事の属性が形成されたという感じで解釈してます。

まあ、昔の人の考えって、よくわかんないんですけど、そういう宇宙創造の基本的な部分
について考えを及ぼすって、普通は無いことですので、それなりに興味深いですよね。

267 :名無しさん@占い修業中:2016/10/18(火) 06:19:12.51 ID:kS2YEyEC.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
This describes the Hexagram, related to the central Sephiroth on the Tree of Life
(Figure 16 on page 96).
これは、「生命の木」の上の中心部の「セフィロト」と関連する、「六芒星形」について
述べている(96ページの図16)。
--- ここまで ---

まず、「図16」についてですが、この「First paper edition, 1987」では、96ページでは
なく、90ページにありますので、ご注意ください。

この図16では、「セフィロト」の「ティファレト:太陽」を中心として、「ビナー:土星」
「ケセド:木星」「ゲブラー:火星」「ネツァク:金星」「ホド:水星」「イェソド:月」
が、(「ビナー」の位置がズレてはいますが、)六芒星形となっていることを表しています。

でも、これはあくまでも「セフィロト」に関する話であって、ここでの「小径」の「複字」
とは次元の違う話であって、その「複字」たちの「生命の木」の上での配置については、
127ページの図19にあるように、どう見ても「六芒星形」には見えないわけです。

まあ、「7つの複字たち」は、「7つの惑星たち」に関連付けされていますので、全くの
無関係ということではないのですが、そこから「六芒星形」は、まず出てこないわけです。

そもそも、「7つの複字たち」は、「六芒星形」のような二次元平面図形ではなく、三次元
立体図形で、「上」「下」「東」「西」「北」「南」を持つ、「立方体」の「6つの面」と、
その「中心」に結び付ける方が、理屈としては、しっくり来るわけですが、どの「複字」
を、どの「面」に割り当てるかというのは、前に述べたように、少々問題があるわけです。

いずれにしても、このレベルの理論は、かなり抽象的になっていますので、具体的に何かを
当てはめて考えようとすると、どうしても問題(異論)が出てしまいます。
どうすればいいのかは、それぞれの頭の中で自己解決してもらうか、割り切って考えて
くださいとしか、言いようが無いわけなんですよね。

268 :名無しさん@占い修業中:2016/10/19(水) 06:54:18.48 ID:+ftk6paZ.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
These Seven Double Letters He designed, produced and combined and formed with them
the Planets (stars) of the Universe, the Days of the Week, and the Gates of the
soul (the orifices of perception) in Man.
これらの「7つの複字たち」を、「彼」は設計し、生産し、結合し、そしてそれらと共に、
「宇宙」の「惑星たち」(星たち)、「週」の「日たち」、そして「人」の中の魂(知覚の
開口部たち)の「門たち」を形成した。
--- ここまで ---

ここは、ウェストコット氏の『セフェル・イェツィラー』の翻訳からの引用部分です。

ここでの「Planets/惑星たち」は、「太陽」「月」「水星」「金星」「火星」「木星」
「土星」の「7つ」ですが、例によって『セフェル・イェツィラー』での対応関係は、
まちまちです。

そして、「Week/週」は、7つの「Days/日たち」である「曜日」から成り、それはまた、
「神」が「天地創造」を行った「7日間」でもあります。

また、「Gates of the soul in Man/人の中の魂の門たち」は、2つの目、2つの耳、
2つの鼻の穴、そして1つの口になります。

とりあえず、この「7」というのは、太陰暦を採用するユダヤ教徒にとっては、歴の基本
となる「月」の周期に関係する大事な周期であり、この曜日は、日々の生活の色々な
ところに絡んでくる大事な周期です。
それゆえ、この「7」を何かに絡ませることで、色々と妄想が膨らむということですよね。

ちなみに太陽暦ベースでは、古代エジプトの10日周期である「デカン」みたいなものが
ありますが、どちらかと言うと、暦は「月」の周期に絡ませる方が、月の形で、大体の
曜日が推定できるので、一般の人々にとっては、使いやすいんですよね。

269 :名無しさん@占い修業中:2016/10/20(木) 06:48:55.40 ID:/1fufy0R.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
At the onset it is important to appreciate that as the Planets are attributed to
Paths (Figure 21), they are not the same as planets attributed to Sephiroth, which
are, at one level, the bodily Chakras or Metals of the Alchemists.
始めに、「惑星たち」が「小径たち」に帰属されている(図21)として認識することが
重要であり、それらは「セフィロト」に帰属される惑星たちと同じではなく、それらは、
ある段階における、身体的な「チャクラ」、もしくは「錬金術師たち」の「金属たち」
である。

To the MAGICIAN, for example, Mercury is applied, but this differs from the Mercury
which is the mundane chakra of the Sephira Hod.
例えば、「魔術師」には、「水星」が適用されるけれども、これは、「セフィラ」の
「ホド」の「宇宙のチャクラ」である「水星」とは異なる。

It is what Mathers called the “Philosophic Mercury.”
それは、マサース氏が「哲学者の水銀」と呼んだものである。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーンの体系では、とりあえず「生命の木」に割り当てて考えてみるという
ことが必要とされます。
つまり、「錬金術」や「占星術」の体系も、この「生命の木」に割り当てる必要がある
わけですが、元々が異なる体系ですので、基本的な「数合わせ」や「レベル合わせ」
という面で、きっちりと折り合いを付けることが少々難しいわけであって、どうしても
「辻褄合わせ」をしなければならない面が出てくるわけです。

ちなみに、ここの「Metals of the Alchemists/錬金術師たちの金属たち」というのは、
『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第二講義文書」に出てくる、「低次元」
のもので、「土星=鉛」「木星=錫」「火星=鉄」「太陽=黄金」「金星=銅または真鍮」
「水星=水銀」「月=銀」という割り当てになっています。

270 :名無しさん@占い修業中:2016/10/21(金) 06:43:57.48 ID:VpssNOQy.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図21の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 130) ---
Figure 21. Planetary attributions to the Tree of Life.
図21. 生命の木への惑星の帰属。

The Planets attached to Sephiroth are indicated in heavy type.
「セフィロト」に配属された「惑星たち」は、太文字で表示されている。

Also in heavy type are those planets directly attributed to Paths; associated
Tarot Trumps are given beneath.
また、太文字で、「小径たち」に直接配属されているそれらの惑星たちがある;関連した
「タロットの大アルカナたち」は、その下に示されている。

The seven planetary Paths are the seven touble letters of the Sepher Yetzirah.
7つの惑星の「小径たち」は、『セフェル・イェツィラー』の7つの「複字たち」である。

Planets in light type are Paths attributed to signs of the Zodiac ruled by those
planets.
細文字での惑星たちは、それらの惑星たちにより支配された「黄道十二宮」の宮たちに
配属された「小径たち」である。

Note that the only Paths which do not in some way relate to planets are those of
the Hebrew letters called Maternals: [aleph] (Air), [mem] (Water) and [shin] (Fire).
どんな方法でも惑星たちに関連しない「小径たち」は、以下の「母字たち」と呼ばれる
ヘブライ文字たちのそれらだけであることに注意しなさい:[aleph](空気)、[mem](水)、
および[shin](火)。
--- ここまで ---

ここは、double が touble の誤植になっていること以外は、特に説明は不要かと思います。

271 :名無しさん@占い修業中:2016/10/22(土) 08:05:19.69 ID:BsEHuRM+.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
The Paths involving Planets must be considered transitional, as are those Paths to
which Elements are attributed: they always represent the action of one energy on
another because they link together two Sephiroth.
「惑星たち」に関係する「小径たち」は、 「元素たち」が帰属されるそれらの「小径たち」
と同様に、「過渡的」であることを考慮に入れなければならない:それらは常に、それらが
2つの「セフィロト」を結合するので、ある1つの精力のもう1つのものに対する作用を
表している。

The same may be said for the Paths of the Zodiac, where the action of one Planet
on another occurs through the intermediary of the Sign of the Zodiac.
同じことが「黄道十二宮」の「小径たち」に対しても、そこではある1つの「惑星」の
もう1つのものに対する作用は、「黄道十二宮」の「宮」の仲介者を通して起こると、
言われるかもしれない。
--- ここまで ---

「小径」の性質は、「transitional/過渡的」よりも、どちらかというと「transitional/
遷移性」と訳した方がいいかもしれませんが、とりあえず、我々の世界から見た場合、
この「小径」の及ぼす力は、量子力学の理論的な力のように「相互の粒子の間にある
見えない力」のようなものであって、要するに、よくわからないものだということです。

「小径」は、対になる2つの「セフィラ」で定義され、その間の遷移状態を表します。
「複字」の「小径」は、そういう意味では、他の「母字」や「単字」の「小径」と同じ
基本的性質を持つものですが、付加的な意味として、「3」「7」「12」のうちで「7」と
いう宇宙の最も基本的な数と、「複字」すなわち「内なる対照物」という、宇宙の
最も基本的な性質を併せ持つものであるということです。

いずれにしても、こういう「宇宙原理」のようなハイレベルなものは、我々の理解を
超えるものであって、そう簡単に使いこなせるものではありませんので、こんな難しい
カードが出てきたら、見なかったことにして放っておくのが一番なんですよね。

272 :名無しさん@占い修業中:2016/10/23(日) 09:35:41.02 ID:+esyLjlb.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
It would be pleasant to be able to suggest that this is not actually as difficult
as it appears, but such is not the case.
これが、それが見えるほどには実際には難しくはないことを示唆することができれば良い
のであろうが、しかしながら、そのようなことは事実ではない。

To understand these concepts may require a herculean effort on the part of one who
approaches them purely intellectually.
これらの概念たちを理解することは、それらに純粋に理知的に取り組む人の側では、非常に
困難な努力を必要とするかもしれない。
--- ここまで ---

「存在」である「セフィロト」とは異なり、「小径」はどちらかというと、「神の力」と
いう「非存在なるもの」であり、現実には「ありえないもの」です。
つまり、元々が存在しないものですので、「ある」ことを証明することは不可能ですし、
それは同時に、「ない」ことを証明することも難しいわけです。

間接的に存在が証明できる「ダークマター」や「ダークエネルギー」であれば、理屈でも
それなりに説明や納得が出来るのですが、ここで言う「小径」は、そういう理論体系に
沿うものとも違うわけで、要するに、言葉で説明しようとしても、全く出来ないわけです。

逆に言えば、口で説明できるようなもの、納得できるようなものは、全ては「似非小径」
なわけであり、そういうわけで、学問の体系としては、全く不適当なものなんですよね。

実際、しっかりとした学問体系から得られるものは、従来の延長のものであって、真の
ブレークスルーは、そういう本流の学問からは外れたところから、突発的に出現している
場合も多くあるわけです。(本流も亜流も、そのほとんどがゴミではありますが)

まあ、「純粋に理知的に取り組む人」というのもレアかと思いますが、そうでない人で
あっても、本当に「小径」を理解できる人は、ほとんどいないということですよね。

273 :名無しさん@占い修業中:2016/10/24(月) 06:12:40.38 ID:V8Hm3+m2.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
The corrective comes for those who project themselves astrally into the Tarot cards.
改善手段は、自分自身を「タロット」カードたちの中に星幽界的に投射する人々に向かって来る。

The actual experience of these energies is the only way to make real sense from
principles, of necessity, expressed coldly.
これらの精力たちの実際の経験は、必要に迫られて、冷淡に表現された原則たちから、
本当の意味を理解するための唯一の方法である。
--- ここまで ---

「astral projection/星幽体投射」の技法は、『黄金の夜明け魔術全書(下)』の243ページ
にありますが、要するに妄想で「大アルカナ」の世界を映像的に旅する、ということです。

「本を書く」とか「板に書く」という必要に迫られて、たった数キロバイトの「文字」情報
で書かれた「principles/原則たち」を基にして、論理的にそれらを理解していくことは、
ほぼ不可能なことです。
それよりは、桁違いに情報量の多いタロットという「象徴的画像」情報を基にして、妄想を
膨らませていった方が、はるかにマシなものが得られるということですよね。

とはいえ、ここで得られる理解は、あくまでも「妄想によるもの」ですので、自分自身の
脳内だけにある「真理」であることを、忘れないでください。
脳内から外に出す、すなわち「文字」として書いたり、「言葉」として発したりした瞬間に、
それは「真理」ではなく、ただの「タワゴト」になってしまいます。
つまりは、妄想で得られた「真理」は、誰にも伝えることは出来ず、そして誰にも知られる
ことはなく、そのまま自分自身の脳内に保存しておくことしか出来ないということです。

ゆえに、「教えることは出来ないから、自分自身で妄想を膨らませて会得してください」
というような、投げっぱなし、いやいや秘伝的な修行の手法として、ちょっと冷淡気味に、
他人には伝えるしかないわけですよね。

274 :名無しさん@占い修業中:2016/10/25(火) 06:33:24.69 ID:o4hQgdis.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
[beth] THE MAGICIAN is Mercury, Life-Death.
[beth] 「魔術師」は、「水星」、「生」と「死」である。

[daleth] THE EMPRESS is Venus, Peace-War.
[daleth] 「女帝」は、「金星」、「平和と戦争」である。

[gimel] THE HIGH PRIESTESS is the Moon, Wisdom-Folly.
[gimel] 「高等女司祭」は、「月」、「知恵と愚行」である。

[kaph] THE WHEEL OF FORTUNE is Jupiter, Riches-Poverty.
[kaph] 「運命の輪」は、「木星」、「富と貧乏」である。

[pe] THE TOWER is Mars, Grace-Indignation.
[pe] 「塔」は、「火星」、「恩寵と憤怒」である。

[resh] THE SUN is the Sun, Fertility-Barrenness
[resh] 「太陽」は、「太陽」、「肥沃と不毛」である。

[tau] THE UNIVERSE is Saturn, Power-Servitude.
[tau] 「宇宙」は、「土星」、「権力と隷属」である。
--- ここまで ---

「複字」についての、まとめです。
占星術的には、「女帝」の「金星」と、「塔」の「火星」で、意味を交換した方がいい
のではと思ったりもするわけですが、カバラ的には、こういう組み合わせもアリだという
ことですよね。
あと、「宇宙」の「土星」の、「権力と隷属」というのも意味深ですが、「宇宙」という
「生命の木」の入り口に対して、ドSに攻めるか、ドMで受けるかという、個人的趣味、
いやいや取り組む姿勢の違いであると、勝手に思っているのでした。(絶対違うw)

275 :名無しさん@占い修業中:2016/10/26(水) 06:25:09.76 ID:GCVb1Qk+.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 129) ---
These are the primary attributions of the Planets to the Tarot cards, though, as
is indicated in the illustrations, each Sign of the Zodiac is ruled by a Planet.
これらは、 「タロット」カードたちへの「惑星たち」の主要な帰属たちである、とはいえ、
図版たちにおいて示されるように、「黄道十二宮」の各々の「宮」は「惑星」により支配
されているのであるが。
--- ここまで ---

7つの「複字」に配属される7つの「惑星」が、まず「Primary/主要」となります。
そして、次に出てくる12の「単字」には「黄道十二宮」が配属され、そしてその星座の
支配星である「惑星」が付随してくるわけで、これが副次的な惑星の配属になります。
(図21、図22を参照)

占いをやる上では、こういう相性的なものは、それなりに重要ですので、覚えておいて
損は無いとは思いますが、そもそもが大アルカナの世界ですので、どこまで占星術的な
相性が絡むのかは、何とも言えないです。

『セフェル・イェツィラー』の理論上は、「7つの複字」が「7つの惑星」に、そして
「12の単字」が「黄道十二宮」に、それぞれ対応しているとは書いているのですが、
それが「占星術」の理論と結びついているとは、一言も書かれていないわけで、
そういう意味では、『セフェル・イェツィラー』と「占星術理論」の合体は、あくまでも
ゴールデン・ドーンの「魔術カバラ」でのローカル・ルールであるわけです。

さらに言えば、「生命の木」は、宇宙創造の原理を示す、かなり上位の概念を扱うもの
ですが、「占星術」の理論は、もっと低位のものを扱うわけで、それほど相性が良いと
いうわけでもありませんし、かなり無理して適用しているところもあるわけです。
つまり、そういう事情を充分に理解した上で、1つのサンプル・アプリケーションという
か、1つの実装例として、これ以降の説明を見ていく必要があるということです。
そもそも、「生命の木」の上位理論を、そのままの形で「大アルカナ」に実装することは、
現実には不可能ですので、何らかの下位理論による象徴化が必要となりますしね。

276 :名無しさん@占い修業中:2016/10/27(木) 06:01:49.28 ID:BHLIk6Ot.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 130) ---
There are only three Paths on the Tree of Life without some Planetary reference;
these are the Paths of the Maternals.
「生命の木」の上に、何らかの「惑星」の関係の無い、たった3つの「小径」たちがある;
これらは「母字たち」の「小径たち」である。

A most important principle is imbedded in this fact, and in the specific placement
of the maternals on the Tree of Life.
最も重要な原則が、この事実の中に、そして「生命の木」の上の母字たちの具体的な配置の
中に埋め込まれている。
--- ここまで ---

最初に出てきた「母字」の時にも思ったのですが、この「母字」の重要性ってのが、
いまいち良くわかっていないんですよね。

「生命の木」の「22の小径」に、この宇宙の最も重要な原則である「7つの惑星」と「黄道
十二宮」を割り当てると、残りは「3つ」となるわけで、その余りモノが「母字」として
独立したグループとなるのは分かるのですが、この余り物のピースが、どんな位置に入るか
というのは、なんとなく恣意的というか、それっぽい理屈が、まだよくわかんないわけです。

結局のところ、「生命の木」というのは、そういうものである、ということで、お茶を
濁しているのが、ワタシの現状なのですが、そうはいっても、この「母字」の理論は、
『セフェル・イェツィラー』の中では、最も重要とされる理論であるために、いささか
悩むところではあるわけです。

まあ、そういうことを言い出すと、何で「セフィロト」は10個なんだとか、何で「小径」
は22本なんだとか、色々と根本的なツッコミを始めないといけなくなるわけですので、
今のところは、「そういうものなんだ」ということで、引き下がるしかないわけですが、
そのうち経験値がたまって、レベルが上がり、全ての謎が解けてスッキリするような
理屈が見つけられればいいなぁ、とも思っているわけなのでした。

277 :名無しさん@占い修業中:2016/10/28(金) 06:09:13.24 ID:wmCtspl7.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
THE SIMPLE LETTERS: SIGNS OF THE ZODIAC
単字たち:黄道十二宮の宮たち
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「単字たち:黄道十二宮の宮たち」です。

ちなみに、「母字」は、元々は「単字」に属するわけですので、本来であれば「15の単字
たち」になるわけですが、なぜかそうなっていないわけです。

以下は、勝手な想像ですが・・・。

「22のヘブライ文字」から、まず「7つの複字」が分離されて「7つの惑星」に配属され、
そして残りの「15の単字」に対して、その一部が「12の黄道十二宮」に割り当てられた。
ここで余った「3つの単字」の処遇について、色々な議論が交わされ、結果的に、同一の
レベル、すなわち「占星術的対応」という「宇宙のチャクラ」の低位のレベルではなく、
それよりも上位のレベルに置くことで解決しようという案が出てきた。
つまり、「占星術的宇宙」が創造される前の上位レベルを表すものとして、「3つの
単字」を活用しよういう提案が出てきた。
それが、「[aleph] 神の空気」、「[mem] 神の水」、「[shin] 神の火」を表すという
「3つの母字」の基本形であり、そして残りの「神の地」には、まとめて「7つの複字」
と「黄道十二宮の12の単字」が割り当てられた。

つまり、この「残りモノには福がある」的な発想で、「3つの母字」案が出てきたという
ことですが、ここで重要となるのが、同じレベルではなく、1つ上のレベルにあるという
観点であり、これにより、下位のものとの余計な干渉を避けることも出来るわけです。
とはいえ、レベルが上位にあるから何なの?と言われれば、まあそれもよくわかんない
わけですし、単なる脳内での配属プレイ以上のものでもないわけですけどね。

278 :名無しさん@占い修業中:2016/10/29(土) 07:50:38.96 ID:n29VpIRo.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
The twelve simple letters ... are the foundation of these twelve properties:
Sight, Hearing, Smell, Speech, Taste, Sexual Love, Work, Movement, Anger, Mirth,
Imagination and Sleep.
12の単字たち … は、以下のこれらの12の特性たちの基礎である:「視覚」、「聴覚」、
「嗅覚」、「言語」、「味覚」、「性愛」、「労働」、「運動」、「憤怒」、「歓喜」、
「想像」、および「睡眠」。

... These Twelve Simple Letters he designated, and combined, and formed with them
the Twelve celestial constellations of the Zodiac.
… これらの「12の単字たち」を、彼は指定し、結合し、そしてそれらと共に「黄道十二宮」
の「12」の天の星座たちを形成した。
--- ここまで ---

ここは、ウェストコット氏の『セフェル・イェツィラー』の翻訳からの一部引用となって
います。
そして、この箇所も、例によって、色々なバージョンがありますので、どの文字がどの
「特性」に割り当てられているかを、明確に言うことは難しいのでした。

ちなみに、この「12」という数値の元になっている「黄道12宮」の成り立ちですが、これは
「12ヶ月」、すなわち「太陽の1年周期(約365日)」と「月の1ヶ月周期(約29.5日)」から
導き出せるもの(365÷29.5=12.4)であり、ついでに言えば、太陽系最大の惑星である
「木星」の公転周期が約12年であることも絡んでいます。
あと、一日が午前の12時間と午後の12時間であるとか、音楽が12の音階で出来ているとか、
テレビのリモコンのチャンネルが12であるとか、身の回りには「12」が色々と絡んでいたり
するわけで、やはりこの「12」という数値は、宇宙の根本原理の1つであると考えられる
わけなのです。
さらに言うと、英語での呼び方も「12/twelve」ですし、12までの数値は、色々な意味で
別格扱いとなっているのでした。

279 :名無しさん@占い修業中:2016/10/30(日) 07:25:29.90 ID:MTpsAuhq.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
(Figure 22 shows the Signs of the Zodiac on the Tree with the corresponding Tarot
Keys.
(図22は、対応する「タロットの鍵(大アルカナ)たち」と共に「木」の上の「黄道十二宮」
を示す。

This should be studied with Figure 23, which considers the attribution of Elements
to the same Sign on each Path).
これは、各々の「小径」の上の同じ「宮」への「元素たち」の帰属を考慮に入れる、図23と
共に研究されるべきである)。
--- ここまで ---

図22は、「生命の木」において、12の「単字の小径」にそれぞれ配属された「黄道十二宮」
と「大アルカナ」を図示しています。

また、図23は、「生命の木」において、12の「単字の小径」にそれぞれ配属された「黄道
十二宮」に配属された、「四大元素」とその「活動宮」「不動宮」そして「柔軟宮」の
区分を図示しています。

ちなみに、図22の内容は、『セフェル・イェツィラー』に準拠していますが、図23の内容
は、『セフェル・イェツィラー』で示されているものではなく、あくまでも占星術の知識
を元にした概念となっていますので、どちらかというと「魔術カバラ」的な概念、すなわち
ローカル・ルールであることを認識しておいてください。

280 :名無しさん@占い修業中:2016/10/31(月) 06:03:23.55 ID:3N04VZkE.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

図22の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 132) ---
Figure 22. Signs of the Zodiac on the Tree of Life.
図22。「生命の木」の上の「黄道十二宮」の「宮たち」。

The Twelve Zodiacal Paths are the twelve simple letters of the Sepher Yetzirah.
「12の黄道十二宮の小径たち」は、『セフェル・イェツィラー』の12の単字たちである。
--- ここまで ---

ついでに図23の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) ---
Figure 23. The Signs of the Zodiac on the Tree of Life as Cardinal, Fixed and
Mutable Elements.
図23。「活動宮」、「不動宮」、および「柔軟宮」の「元素たち」としての、「生命の木」
の上の「黄道十二宮」の「宮たち」。
--- ここまで ---

これらの図は、単純に、「生命の木」の「小径」の上に、「黄道十二宮」のそれぞれの
「宮」と、「大アルカナ」と、占星術における「活動宮/不動宮/柔軟宮」の「qualities
/品質たち」と呼ばれている「3区分」と、占星術においては「4区分」と呼ばれている
「四大元素」との対応を、図示したものです。

ちなみに、占星術においては「2区分」と呼ばれる「男性宮/女性宮」というのもあります
ので、それもついでに図23に書いておくと、よりそれっぽく見えるかと思います。

まあ、何が言いたいかというと、この「単字たち」の解釈においては、この占星術の拡張
されたネタを活用すると、それっぽいことが出来るかもしれないよね、ということですが、
あくまでも「占星術のネタ」であることは、忘れないようにしましょう。

281 :名無しさん@占い修業中:2016/11/01(火) 06:12:51.11 ID:UO/w6EnU.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
[he] THE EMPEROR is Aries, Sight.
[he] 「皇帝」は、「白羊宮(おひつじ座)」であり、「視覚」である。
[vau] THE HIEROPHANT is Taurus, Hearing.
[vau] 「法王」は、「金牛宮(おうし座)」であり、「聴覚」である。
[zayin] THE LOVERS is Gemini, Smell.
[zayin] 「恋人たち」は、「双児宮(ふたご座)」であり、「嗅覚」である。
[cheth] THE CHARIOT is Cancer, Speech.
[cheth] 「戦車」は、「巨蟹宮(かに座)」であり、「言語」である。
[teth] STRENGTH is Leo, Taste.
[teth] 「力」は、「獅子宮(しし座)」であり、「味覚」である。
[yod] THE HERMIT is Virgo, Sexual Love.
[yod] 「隠者」は、「処女宮(おとめ座)」であり、「性愛」である。
[lamed] JUSTICE is Libra, Work.
[lamed]「正義」は、「天秤宮(てんびん座)」であり、「労働」である。
[nun] DEATH is Scorpio, Movement.
[nun] 「死」は、「天蠍宮(さそり座)」であり、「運動」である。
[samekh] TEMPERANCE is Sagittarius, Anger.
[samekh] 「節制」は、「人馬宮(いて座)」であり、「憤怒」である。
[ayin] THE DEVIL is Capricorn, Mirth.
[ayin] 「悪魔」は、「磨羯宮(やぎ座)」であり、「歓喜」である。
[tzaddi] THE STAR is Aquarius, imagination.
[tzaddi] 「星」は、「宝瓶宮(みずがめ座)」であり、想像である。
[qoph] THE MOON is Pisces, Sleep.
[qoph] 「月」は、「双魚宮(うお座)」であり、「睡眠」である。
--- ここまで ---

ここは、「単字」の属性を、まとめたものです。
行が多くて、空行が入れられないので、ちょっと見にくいですけど、ご容赦ください。

282 :名無しさん@占い修業中:2016/11/02(水) 06:10:00.63 ID:rg37AGvu.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
Thus, the totality of the human condition is represented in the twenty two cards
of the Major Arcana, the Maternal cards are the primary spiritual forces; the Double
Letter cards are the opposing conditions affecting the individual in incarnation;
the Simple Letter cards are the activities in which the individual engages.
このように、人間の状態の全体は、「大アルカナ」の22枚のカードたちの中に象徴されて
おり、「母字」のカードたちは、最初の霊的な力たちである;「複字」のカードたちは、
肉体化において個人に影響を及ぼす、対立する状態たちである;「単字」のカードたちは、
個人が従事しているものにおける活動たちである。

In terms of the Microcosm and Macrocosm, the Maternal Letters are the roots of
any given form of consciousness, the Double Letters are the gateways or orifices
of the body, and the Single Letters are the organs.
「小宇宙」と「大宇宙」の観点からは、「母字たち」は、意識の与えられた形のすべての
「根たち」であり、「複字たち」は、身体の「出入口たち」または開口部たちであり、
「単字たち」は、器官たちである。
--- ここまで ---

「単字」はこれ以上は書くことがないみたいで、なんかいきなり、まとめに入ってます。
まあ、書くことが無いというよりも、「単字」自体は下位レベルというか、比較的我々の
世界に使い存在ですので、こういう「階層構造」を理解した上で、色々と想像を巡らす方が
良いということですよね。

ちなみに、ここまでの「文字たち」の階層をまとめると、
 「母字([aleph]>[mem]>[shin])」>>>「複字たち」>「単字たち」
ということになります。
まあ、「母字」については、色々な意味で、よくわからないシロモノであって、それゆえ
先送りされるというか上位レベルに置いておかれるというか、つまりは、よくわからない
ので神秘のネタにされやすいものであるとも言えますよね。

283 :名無しさん@占い修業中:2016/11/03(木) 06:14:25.24 ID:DumWNNMR.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
Some very profound insights will result from meditation on the incarnation of the
various aspects of the letters.
いくつかの非常に深遠な洞察たちが、文字たちの様々な様相たちの人間化についての瞑想
から、結果として生ずる。
--- ここまで ---

「ヘブライ文字アルファベット」って、直線的で機械的な英文字系のアルファベットと
比較すると、曲線が多くて、かなり肉感的というか、より人間っぽいというか、艶っぽい
というか、その手の妄想をかき立てるというか、とてもそそる感じがイイ!わけです。

そして、「incarnation/人間化」についても、色々な「aspects/様相」があるわけで、
つまり、『セフェル・イェツィラー』に書かれているような、高尚かつ哲学的な「人間の
様相」や「人間の器官」に当てはめるということだけではない応用も、あるわけです。

それは、「ヘブライ文字アルファベット」の個々の文字についての、より積極的な擬人化
であり、それはすなわち「タロットの大アルカナ」のカードそのものでもあるということ
なんですよね。

とはいえ、「タロット」自体が、割とキリスト教系の宗教色の濃いものですので、見た目
には、言うほどのエロス感は無いわけであり、そういう意味では、「初心者向け」でも
あり、なおかつ「上級者向け」というか「達人向け」でもあるわけです。

そして、その「大アルカナ」に隠された「エロ」の原典であり、ある意味、素っ裸を意味
する「スジ」だけで描かれる「ヘブライ文字アルファベット」を使った瞑想の修行を行う
ことで、一気に経験値を上げ、より高いレベルに素早く到達することも可能なのです。

そう、妄想、いやいや「瞑想」とは、肉眼では決して見えないものでも見えた気になる、
いやいや「見えるようにする」ための、ヲタクにとって、いやいや修行者にとっては、
とても大事なスキルですので、深夜の、いやいや日々の修行は大事なのですよ。

284 :名無しさん@占い修業中:2016/11/04(金) 06:25:23.90 ID:LXHLDITW.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
THE CUBE OF SPACE
宇宙の立方体
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「宇宙の立方体」です。
ここでは、「universe/宇宙(森羅万象)」ではなく、「space/宇宙(空間)」である
ことに、すなわち、それほど深い意味は無いであろうことに、ご注意ください。

さて、この「THE CUBE OF SPACE/宇宙(空間)の立方体」の理論ですが、これ自体は
「伝統カバラ」にも「ゴールデーン・ドーン理論」にも無いものです。
じゃあ、全く新しい考え方なのかというと、元ネタ自体は『セフェル・イェツィラー』に
ある「方位」に関する記述を、立方体を用いて図解したものであって、割と簡単に考え付く
ことができるものであるため、まあ何とも言えないわけです。
(おそらく、特許出願しても、却下されるのではないかと思われます。)

ちなみに、現代の「宇宙(空間)の立方体」理論であり、このウォン氏の本に書かれている
理論体系のベースになっているのは、元祖ゴールデン・ドーン分裂後の、アメリカのゴール
デン・ドーン系魔術団体の会員であり、B.O.T.A. の創立者でもあるポール・フォスター・
ケース氏(Paul Foster Case, 1884-1954)により提唱されたものです。

え、なんか、ヤル気が無さそう、って?
まあ、理論体系としては、いまいち実用性に乏しいものですし、さらにツッコミどころの
多いものでもありますので、ワタシ的には、あまり深入りしたくはないのですが、翻訳の
流れの都合上、避けて通るわけにもいきませんので、適当に流していく予定です。←いいのかw

285 :名無しさん@占い修業中:2016/11/05(土) 06:34:01.91 ID:CD9WcqYR.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
A slight feeling of despair may be a common reaction to one's first encounter with
this diagram (Figure 24), which may appear to add the last straw to what is an
already unbearably heavy weight of symbolism.
ちょっとした絶望を感じることは、象徴主義の既に我慢できないほどの大重量であるものに
対して、最後の麦わらを追加するように見えるかもしれない、この図表(図24)との
人の最初の遭遇に共通する反応であるかもしれない。
--- ここまで ---

ちなみに、この「add the last straw/最後の麦わらを追加する」という意味は、大重量の
重荷に必死に耐えて、もうこれ以上は絶対に無理という状況において、さらに、ごく軽い
「straw/麦わら」を追加することで、重みに耐えかねて崩壊していくことを表します。

ついでに、図24の説明文です。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) ---
Figure 24. The Cube of Space
図24。宇宙の立方体
--- ここまで ---

この図24には、立方体(サイコロの形)に対して、その6つの面と中央の1点(7複字)、
12の辺(12単字)、そして3つの軸(3母字)が割り当てられた図が描かれています。

え、「母字」には、方向があったのかって?
まあ、いきなりそういう質問をすると、先に進めなくなりますので、とりあえずは
「そういうことになっている」とだけ言っておきます。

厄介なのは、以前にも述べたように、『セフェル・イェツィラー』に書かれている
「文字」と「方向」の対応には色々な説があって、決して一通りではないわけで、
実際、このウォン氏の図24は、元祖であるケース氏の図とは異なっているのです。

286 :名無しさん@占い修業中:2016/11/06(日) 07:05:16.38 ID:d8iZP3y+.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
But in actuality, anyone who can follow a subway map of New York City will have
no problem with the Cube of Space.
しかし実際には、「ニューヨーク市」の地下鉄地図をたどることのできる人は誰でも、
「宇宙の立方体」に関する問題を全く持たないであろう。

It is a sort of internal map of the Universe, given in the Sepher Yetzirah, where
a direction is assigned to each letter of the Hebrew alphabet.
それは、『セフェル・イェツィラー』の中で述べられる、「ヘブライ語」のアルファベット
の各々の文字に割り当てられる方向であるところの、「宇宙」の内部地図の一種である。
--- ここまで ---

まあ、これを「map/地図」と呼んでもいいものであるかどうかは、議論しないといけない
と思うのですが、とりあえず、これに書かれている「方向」は、確かに『セフェル・イェ
ツィラー』の中に記述されています。

問題は、これらの「方向」を、一枚の紙の中に、すなわち同じレベルというか同次元の話
として理解していいのか、という点です。
さらに言うと、各々の「母字」は、『セフェル・イェツィラー』の中では、決められた
「方向」を持たないわけで、結果的には「捏造」、いやいや「推定」して図に描く必要が
出てくるわけです。

もう1つ言うと、この「宇宙の立方体」の図のアプリケーションとして、一体どんなものが
考えられるか、という点です。
大した根拠が無くても、実用性がある、すなわち何かの「テンプレート」として役に立つ
のであれば、積極的に何かに利用してみようかと思わなくもないのですが、実際のところ、
何に使えるのか、いまいち理解できていないわけです。
正直言って、「黒歴史ノート」や、深夜アニメのネタとして使われるような、この世界を
破滅もしくは再生に導く究極奥義の秘密が込められた「全知全能なる神の霊を宿す魔法の
キューブ」のネタくらいしか思い付かないのでした。←ネタに困った時の、定番ネタww

287 :名無しさん@占い修業中:2016/11/07(月) 06:15:01.14 ID:9ysXORkY.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 131) ---
Many of the symbols discussed in this book are a great deal more accessible than
they might at first appear.
この本において論じられる象徴たちの多くは、それらが一目見て思うほどよりも、はるかに
より多く理解しやすい。

The Cube of Space is a good example, and one which may serve to demonstrate the extent
to which Qabalistic symbols are meant to be used in our internal learning process.
「宇宙の立方体」は、よい例であり、そして、「カバラ主義」の象徴たちが、私達の内なる
学習過程において用いられるよう意図されている範囲を説明することに役立つかもしれない
ものである。
--- ここまで ---

「象徴たち」が、そう簡単に理解できるとは思っていないというか、一見して難しそうに
見えるものが、実は簡単であると思えるよりは、一見して簡単なように見えても、実は超絶
難しいものであるものの方が多いと思います。

「宇宙の立方体」は、三次元図形であり、「生命の木」は二次元図形であって、図形の
次元数という切り口からすれば、「生命の木」の方が「低次元」のものになります。
何が言いたいかというと、どちらが上でどちらが下かということではなく、これらは全く
異なる「次元」を表現したものであるということなんですよね。

確かに、どちらの図形も、「ヘブライ文字」という次元の要素を持っているのですが、
「宇宙の立方体」の図形では、それに加えて「方向」という要素があります。
その一方で、「生命の木」の図形には、この「方向」の要素は明確には含まれていません。
じゃあ、「生命の木」には、「方向」の要素は全く含まれていないのかというと、そんな
ことはなくて、きちんと各々の「ヘブライ文字」の「小径」の中に含まれています。

こういった「私達の内なる学習過程において用いられるよう意図されている範囲」の違いを
把握しておかないと、理解が混乱してしまうことになりますので、ご注意ください。

288 :名無しさん@占い修業中:2016/11/08(火) 06:23:30.89 ID:Ipf+YZm3.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 132) ---
If we sit quietly, we may conceptualize our thoughts, feelings and spiritual being
as controlled from a central point in our heads.
もし我々が落ち着いて座れば、我々は、我々の頭たちの中にある中心の点から制御されて
いるような、私達の思考たち、感情たち、および霊的な存在を概念化できるかもしれない。

Perhaps this could be called the “I” point.
おそらく、これは、 「私」の点 と呼ばれることもできるだろう。
--- ここまで ---

「we sit quietly/落ち着いて座る」、すなわち、一人静かに妄想を巡らす、いやいや
瞑想を行うことで、我々の意識的な思考を司る、無意識の感情の中の、内なる世界に
潜む「中の人」、いやいや「霊的なもの」が「存在」しているであろうということを
意識することが出来るようになるかもしれないということです。

ここで問題となるのは、一部の「アレな人たち」には、これによく似た「中の人もどき」
が、意識上に出てくることがあり、さらに悪いことには、この「アレな中の人もどき」が
ダダ漏れ状態になって、自分では制御できなくなることが、ままあるわけです。
要するに、アレな人は、魔術に手を染めてはならないということなんですけど、自分が
「アレな人」とは気づかない人も少なからずいるわけですので、自分自身で、ちょっと
おかしいかな、と思った時点で、止めておくのが良いと思います。

まあ、とりあえず大丈夫な人であっても、一気に「中の人」をほじくり出すと、ロクな
ことになりませんので、とりあえず最初のうちは、おとなしく静観しておきましょう。
ちなみに、この「中の人」のことを、「Higher Self/高次の自我」と呼ぶ人もいますが、
おそらくここはまだ「Lower Self/低次の自我」の領域の存在ですので、たとえ何らかの
話が出来たとしても、その内容には、「自分自身の(恥ずかしくて他人には言えないよう
な黒歴史的な)妄想」が入り込んでいるので、あまり人には言わない方がいいと思います。

つまり、一人で黙って妄想○○○ーにふけるのが、一番なのですよ。←ちょっと現実逃避w

289 :名無しさん@占い修業中:2016/11/09(水) 06:24:54.99 ID:K8dsB3XY.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 132) ---
Once we have focused on this internal point, we can begin to think about how it
relates to principles of an inner universe.
いったん、我々が、この内なる点に集中したことがあれば、我々は、どのようにそれが
内なる宇宙の原則に関連するかについて、考えはじめることができるであろう。

These principles are the corners and directions of the cube.
これらの原則は、立方体の角たちと方向たちである。

So what we do is to make believe that our consciousness is inside a cube, giving
our intelligence something concrete, though artificial, with which to begin inner
exploration.
つまり、我々がすることは、人為的ではあるけれども、内なる探検を開始するために、
我々の知性に具体的な何かを与えることにより、我々の意識が立方体の中にあると
見せかけることである。
--- ここまで ---

何か、いまいちアレな感じの説明文ではありますが、妄想、いやいや瞑想を一定の方向に
導くためには、こういう瞑想の導入のための「ネタ」作りや、「シチュエーション」の
設定という事前準備、すなわち予習をしておくというのは、とても大事なのです。

つまり、完全にフリーな妄想をしてしまうと、カオスな結果になってしまいますので、
ここでの瞑想のテーマが「宇宙(空間)の立方体」ですので、最初のうちは、それを
意識的にイメージしながら、強制的に妄想を導いていくということが必要なのです。

というか、そうしないと、「宇宙(空間)の立方体」そのものが人為的なもの、というか、
イメージが膨らまないというか、まあ、「生命の木」のような妄想しやすさというか、
そそるような「エロさ」というものが、圧倒的に足りていないわけです。
要するに、「宇宙の立方体」って、超上級者向けということであって、ワタシのような
ヒヨッコがハァハァするには、まだまだ無理ってことなんですよね。

290 :名無しさん@占い修業中:2016/11/10(木) 00:52:56.44 ID:OmPZQb1i.net
鼻毛村潔

291 :名無しさん@占い修業中:2016/11/10(木) 06:40:20.78 ID:dfolQJxo.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) ---
The Cube of Space is simple enough, though it is a very different pattern of
symbolism than is found on the Tree of Life.
「宇宙の立方体」は十分に簡単ではあるとはいえ、それは、「生命の木」の上で見つけ
られるものとは違った、象徴主義の非常に異なる様式である。

And, while the Sepher Yetzirah describes this Cube of Space very precisely, it is
not so easily related to the Tree!
しかも、『セフェル・イェツィラー』が、この「宇宙の立方体」を非常に正確に説明して
いるとはいえ、それは、そう簡単には「木」には関連しない!
--- ここまで ---

まあ、「生命の木」と「宇宙の立方体」は、同じ『セフェル・イェツィラー』の中にある
概念とはいえ、全く違うレベルの、全く違う部分の概念を図案化しているので、両者が
全く異なっているのは、当たり前と言えば、当たり前なのです。

「生命の木」は、『セフェル・イェツィラー』の第一章にある、宇宙創造の根本原理で
ある「10のセフィロト」と「22のヘブライ文字(小径)」を、包括的に図案化しています。

その一方で、「宇宙の立方体」は、『セフェル・イェツィラー』の第四章と第五章の中に
ある、「方向」についての説明だけを、図案化したものです。
要するに、「方向」という枝葉部分の一節を抜き出して、なんとなく大層でそれっぽい
「宇宙の立方体」というタイトルで図案化してみたということであり、どう考えても、
羊頭狗肉というか、「釣りタイトル」というか、何となく残念な感じがするわけです。

さらに、「22の小径」のうちで最も重要とされている「母字」の立ち位置が『セフェル・
イェツィラー』には記述されていないため、どうしても中途半端感がぬぐえないため、
ちょっと残念というか、つまり誰もが一度は思い付くようなネタだけど、日の目をみない
黒歴史ノートの一隅に描かれたままにしておけばよかったのになぁ、という感じの
強いものとなっているわけなんですよね。

292 :名無しさん@占い修業中:2016/11/11(金) 06:29:30.02 ID:/ID1ALbO.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) ---
The problem arises in that the document does not specifically ascribe to Paths
between Sephiroth as is understood today.
問題は、この文書が、今日理解されているように「セフィロト」の間の「小径たち」に、
具体的に帰せられていないという点において生じる。

And, as we have seen, some versions of the Tree do not show a complete twenty-two
Paths.
そして、我々が見たことがあるように、「木」のいくつかの解釈たちは、完全な22の
「小径たち」を示していない。
--- ここまで ---

ゴールデン・ドーン体系で使われる「生命の木」理論では、10の「セフィロト」と、それら
の間を繋ぐ22の「小径たち=ヘブライ・アルファベット」が、前提となっています。
この理論は、現代においては主流派ではありますが、実はこれは『セフェル・イェツィラー』
の正しい解釈ということでもないわけです。

なぜなら、『セフェル・イェツィラー』の第一章に書かれているのは、「32の知恵の小径
たち、10のセフィロト、22の文字たち」であって、「10のセフィロトを22の小径たちが
繋ぐ」という解釈は、あくまでも、後世の「勝手な解釈」なんですよね。
つまり、我々の使っている「生命の木」は、全ての「小径たち(セフィロトと文字たち)」
を一体化して図案化したものの一例であって、そもそも「セフィロトの小径」を繋ぐ「道」
は、「文字たちの小径たち」でなくてもいいわけであり、つまり、それぞれが従属すること
なく、独立した別次元の「道」を持ってもいいということになるわけです。

つまり、自由な発想で「10のセフィロト」を繋ぐ「22本でない道」を持つ「生命の木」が
あるのなら、自由な発想で「22の文字たち」の関係性を記述した「宇宙の立方体」にも、
それなりの存在意義があってもいいんじゃないの、という、ゴールデン・ドーン体系を
シカトした、開き直りに近い暴論ではあるわけですが、要はそういうことなんですよね。
まあ、どう解釈するかは、人それぞれということで。(放任主義)

293 :名無しさん@占い修業中:2016/11/12(土) 06:42:59.75 ID:RWziaw0F.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 133) ---
One possible explanation, espoused by a large number of scholars, is that the book
represents a purposeful attempt to fuse two different methods of approach to the
inner worlds, using a type of logic similar to that of the Neo-Pythagoreans,
popular in the second and third centuries A.D. (*93)
多数の学者たちにより支持された、1つの可能性のある説明は、この本が、西暦2世紀と
3世紀において人気のある、新ピタゴラス主義者たちのそれと同様な論理の類型を使って、
内なる世界たちへの接近の2つの異なる方法たちを融合させる意図的な試みを表している
ということである。 (*93)
--- ここまで ---

ちなみに、(*93)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
93. Scholem, Kabbalah, 23-26.
93. ショーレム著、『カバラ』、23-26ページ
--- ここまで ---
とあります。

このショーレム氏の本の23-26ページは、『セフェル・イェツィラー』の概要を述べている
節となっていて、その中間ぐらいに、それっぽいことが書かれています。

個人的解釈を含めて、ざっくり言うと、「セフィロト」と「文字たち」による「宇宙の創造」
は、「実数」と「虚数」による「複素数空間」となっていて、それらのことについて記述
しているのが、この『セフェル・イェツィラー』の理論であり、その根底には、「新ピタ
ゴラス主義」のよくわからない考え方が入っているのではないかということです。

つまり、とりあえず、よくわかんないものは、全部「新ピタゴラス主義」のせいでいいん
じゃないかなという、丸投げのオチとなるわけなのですが、実際のところ、よくわかんない
ことは確かですので、これ以上の詮索は止めておいた方が無難かな、と思います。

294 :名無しさん@占い修業中:2016/11/13(日) 06:12:49.86 ID:FlCqh07x.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) ---
The least that can be said is that (like the Bahir) there are aspects of the Sepher
Yetzirah which are not easily accomodated into our modern symbolic structure.
最小限言えることは、(『バーヒル(光明)の書』のように)、我々の近代的な象徴的構造に
容易には適応しない、『セフェル・イェツィラー』の様相たちがある、ということである。
--- ここまで ---

ちなみに、ここの「accomodated」は「accommodated」の誤植です。

まあ、ここの文章は、完全にサジを投げるというか、元々の『セフェル・イェツィラー』
の象徴理論体系が古臭くて問題だらけだから、近代的な「宇宙の立方体」の象徴理論と
適合しないように見えるのを問題視されるのは、そもそも筋違いである、というような
開き直りですかね。

でも、そうはいっても、「生命の木」と「宇宙の立方体」を比べると、「月とスッポン」
のような、大きな違いがあることは、確かなんですよね。

つまりは、両者を比べて語ることこそが、「間違っている」ということなのですよ。

「月」は天空という、手が届かないところにあって、見て語ることしか出来ないけれども、
「スッポン」は掴むことができるし、食べてもおいしいし、食べた感想を語ることも出来る
わけで、そもそも全く違う価値を持つものです。
というわけで、使ってみたとか、食べてみた、というような感想があればいいのですが、
この「宇宙の立方体」って、なんかいまいち使いようがないというか、食欲が湧かないと
いうのも、あるんですよね。

まあ、「年の功よりカメの甲」という、ことわざもありますし。(あ、逆かw)

295 :名無しさん@占い修業中:2016/11/14(月) 06:15:48.22 ID:wmGB2a/u.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) ---
On the other hand, the Cube of Space demonstrates certain relationships not at all
obvious on the Tree of Life.
一方では、「宇宙の立方体」は、「生命の木」の上ではで全く明らかではない、いくつかの
関係たちを説明する。

One primary example is the symbolic crossing of the three Maternals at the point
of THE UNIVERSE (Tau).
1つの主要な例は、「宇宙(Tau)」の点においての、3つの「母字たち」の象徴的な交差
である。
--- ここまで ---

ワタシ自身が、最も疑問に思っているのが、この「宇宙の立方体」における「母字たち」
の配置です。
「宇宙の立方体」は、三次元の立体構造を視覚的に表したものであり、わかりやすいと
言えばわかりやすいのですが、『セフェル・イェツィラー』においても「生命の木」に
おいても明確にされていない、レベルの異なる「母字たち」の方向を、(神秘世界では
当たり前のごとく)何の根拠もなく、[tau]に関連付けさせているのか、なんですよね。

まあ、「母字」を[tau]に関連付けしてしまうと、「母字」「複字」「単字」が全て同じ
レベル、すなわち三次元空間の記述だけで語られることになるため、凡人にとっては理解
しやすいのは確かなのですが、何かそれって違うんじゃないの、と思うわけです。

つまり、この三次元空間は、「母字」という3つの変数の方向だけで全てを記述できる
ようになりますので、そうなると、他の「複字」や「単字」の方向は必要無いということ
になりますし、逆に、「複字」や「単字」の方向の存在を前提とすれば、「母字」の方向の
必要性は無くなるわけで、象徴の無駄使いというか、蛇足感がハンパないわけです。
そもそも、こういう問題があるために、「母字」には「複字」や「単字」のような方向を
持っていなかったわけであり、それは決して「書き忘れていた」というわけではなくて、
意図的に「書かれていなかった」ということなんだと思うわけですよね。

296 :名無しさん@占い修業中:2016/11/15(火) 06:30:56.96 ID:R88nJIYI.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) ---
It is also more consistent with the directions of traditional ritual: East, West,
North and South.
それはまた、以下の伝統的な儀式の方向たちと、より一致している:「東」、「西」、
「北」そして「南」。

Gareth Knight describes this as the “Upper Room,” (*94) a method of relating our
mundane spatial perspectives to an inner experience, as a matter of orientation.
ガレス・ナイト氏は、これを、方位の問題として、我々の世俗的な空間の見方たちを、
内なる経験に関連させる方法である、「上の部屋」(*94)と評する。
--- ここまで ---

ちなみに、(*94)はNOTES/注記の項で、
--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 271) ---
94. Knight, Experience of the Inner Worlds, 146-161.
94. ナイト著、『内なる世界の経験』、146-161ページ
--- ここまで ---
とあります。

「東」「西」「北」「南」・・・、あれ、「上」と「下」は無視するの?、というヤボな
ツッコミは置いといて、とりあえず、人間の基本的な空間認識としては、「前=顔と腹が
向いている方向」、「後ろ=後ろ頭と背が向いている方向」、「右=右手の方向」、「左
=左手の方向」、「上=頭上の方向」、「下=足元の方向」というものが、ごく普通に考え
られるわけで、それゆえ宗教儀式においても、当たり前にネタとして活用されています。
まあ、だから何、という感じではありますが。

ちなみに、ガレス・ナイト氏の「上の部屋」というのは、『新約聖書:マルコ福音書』14:15
にある、イエスが最後の晩餐の時に使った二階の部屋を元ネタとして、それを「宇宙の
立方体」に、強引に関連付けしてしているような感じになっています。
まあ、こっちも、だから何、という感じではありますが。

297 :名無しさん@占い修業中:2016/11/16(水) 06:23:07.35 ID:ta+Ld41J.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) ---
It must, however, be stressed that none of the external systems truly indicate
the quality of the inner experience of the Paths.
しかしながら、外界の体系たちのどれもが、「小径たち」の内なる経験の品質を正確に
示さないことは、強調されなければならない。

The reason that they all appear so complex and disjointed is that they attempt
to suggest experiences which our language is inadequate to describe.
それら全てが、そのように複雑で支離滅裂である理由は、それらは、我々の言語が記述
することが不十分である、経験たちを暗示することを試みるということである。
--- ここまで ---

もう、きちんと説明することを放棄して、完全に開き直っていますよね。(苦笑)

結局のところ、神秘を図や言葉や理論体系できちんと説明しようということ自体が、
間違っているのです。
要は、この本に書かれていること自体を、全否定しているわけであって、つまりは、
実はこの本は、「内なる経験」を知らない「神秘の未経験者」向けに書かれた入門用
の教科書ではないということなんですよね。
そして、「神秘の未経験者」にとっては、この本の内容は、「複雑で支離滅裂」であり、
おそらく、何の役にも立たないということでもあります。

それじゃあ、「神秘の経験者」にとっては、何か役に立つことがあるのかと言われれば、
それについては「人それぞれである」としか言えないんですよね。
もう少しはっきりと言うと、ほとんどの人にとっては、「人生の娯楽」以上のものでは
ない、と言っても過言ではないと思います。

ちなみに、ワタシにとっても、「カバラ」や「タロット」の勉強は、「人生のヒマつぶし」
みたいなものではありますが、たまにそれっぽい恩恵というか、知恵のヒラメキみたいな
ものがありますので、なかなかヤメられないというのもあったりするわけですけどね。

298 :名無しさん@占い修業中:2016/11/17(木) 06:36:34.26 ID:NBpCa6KV.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 134) ---
No matter how dogmatic one may be about the intellectual intermesh of symbols,
the most intricate commentary on these matters is often like the medieval clerics
who postulated the number of angels that would fit on the head of a pin.
たとえどんなに、それが象徴たちの知的な噛み合いについて独断的であろうと、これらの
問題たちに関する最も入り組んだ注釈は、多くの場合、ピンの頭に納まるであろう天使たち
の数を仮定した中世の聖職者たちのようなものである。
--- ここまで ---

この「ピンの頭に納まるであろう天使たちの数を仮定した中世の聖職者たち」というのは、
中世のスコラ学者たちが、非科学的かつ全く実用的ではない議論を行っていたことを比喩
した意味になっています。

なんかもう、「宇宙の立方体」とか「生命の木」とか、そういった痴的妄想はどうでも
いいから、もっと普通に役に立つことを真面目に勉強しなさいとか、グダグダとしょうも
ないことで遊んでないで、真面目に働きなさい、とか言われているような感じでもあります。

実際のところ、こういうオカルト的なものを、細かく深く知的に追及していっても、何も
結論は出てきませんし、もし強引に結論を出すとすれば、ここで言う「dogmatic/独断的」
なものにしか、なり得ないのです。
なぜなら、オカルトの全ては、「脳内妄想(バーチャル)」の一言で済ませてしまうことが
出来るものであるからなんですよね。
だって、「脳内妄想(バーチャル)」でない、つまり「現実(リアル)」のものは、オカルト
とは呼ばれないわけですので。(苦笑)

※そろそろ、スレ容量が一杯になってきていますので、突然のDAT落ちに、ご注意ください。
 次スレは、『【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part6』の予定です。

299 :名無しさん@占い修業中:2016/11/19(土) 06:23:44.36 ID:oWyL+Re+.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Yet some statements which appear to be symbolic turn out to be very precise
descriptions of a universal experience.
それでもなお、象徴的であるように見える、いくつかの供述たちは、宇宙的な経験の
非常に的確な解説たちであることが、判明する。

It is up to the discrimination of the student to decide which is which.
どれがどれであるかを決めることは、学徒の識別力次第である。
--- ここまで ---

ここの文章は、一流の詐欺師が使う、とても高度なテクニックに、ちょっと似ています。

つまり、具体的なことは一切言わずに、どれが正しいのかを、全てカモに、いやいや、
お客様に判断させて、自らの責任を全面的に回避するというパターンですよね。

こういう場合は、カモである客は、どの商品を選んだとしても、ほぼ100%が詐欺商品と
なっているわけであって、さらに言うと、華々しい宣伝パンフレットに載っているような
「私はこれで成功しました!」という読者の感想は、三流商業ライターがデッチ上げた、
架空の提灯記事であることが、ほとんどなわけです。
お金が絡む場合は、ほぼ100%が詐欺ですし、お金が絡まない場合であっても、お金以外の
色々なタイプの自己実現の欲求が絡むような場合は、そのほとんどが、やっかいなシロモノ
となることが、ほとんどです。

というわけで、特段の識別力を持たないワタシは、何が正しいのかを決めることもなく、
単なる好き嫌いで、もしくは好奇心の赴くまま、直感的にヤバいものを判断しながら、
かなり浅めに勉強しているワケです。

あまり深入りしても、リアルな人生にとって、ロクなことになりませんので、あまりハマる
ことなく、お気楽に趣味の範囲でオカルトを勉強していければいいな、と思うのでした。

300 :名無しさん@占い修業中:2016/11/20(日) 06:24:37.41 ID:y5btutCP.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Only the inner experience of these Paths make clear what the various systems of
symbols are trying to explain.
唯一、これらの「小径たち」の内なる経験だけが、象徴たちの様々な体系たちが、何を
説明しようとしているかを説き明かす。

And until such time as we encounter directly the energies of the Tarot cards,
we strive to form concepts about these energies through such artificial devices
as the Tree of Life, and through such methods as the Qabalistic manipulation of
numbers.
そして、我々が「タロット」カードたちの精力たちに直接出会うような時になるまでは、
我々は、「生命の木」のような人工的な考案物たちを通じて、そして、数たちの「カバラ
主義的」な操作のような方法たちを通じて、これらの精力たちについての概念たちを形成
するために努力する。
--- ここまで ---

結局のところ、「生命の木」にしても、「宇宙の立方体」にしても、そしてこの後に出て
くる「カバラ主義的数秘術」にしても、その全ては「人工的」すなわち「不自然」な体系
であって、直接的に経験して得られるものとは全く違うものであるということです。

科学理論の体系って、割と「自然」をうまく記述していて、詳細なシミュレーションを
行うことで、割と自然の動きに似せることが出来るようになっているのですが、オカルト
の理論体系は、全くそのようなレベルに達していないというか、そもそも「科学的」では
ないわけですので、内なる経験を正確に記述しようという意図さえ無いのではないかとも
思えるわけです。

そういう意味では、オカルト体系というのは、そういうリアルな実用性には欠けるのです
が、別の意味での実用性、すなわちバーチャルな意味では、役に立つという面もあります。
要するに、現実の世界に捉われることなく、自分の好き勝手に、やりたい放題の「内なる
世界」を構築して、その中に引き籠もることも可能であるということですよね。

301 :名無しさん@占い修業中:2016/11/21(月) 07:01:42.98 ID:k6JBXP4q.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
NUMEROLOGY
数秘術
--- ここまで ---

ここから、「生命の木に基づく大アルカナ」の章の中での新しい節になります。

サブタイトルは「数秘術」です。
数字や数値を使った神秘ネタは、単純で理解が容易で、誰にでも簡単に使えるという、
大きなメリットがありますので、古来より人気のある分野となっています。

ちなみに、ヘブライ語、ギリシア語、英語などのアルファベットを使う言語圏では、
数値を表す独立した文字は無いため、アルファベットを数字の代用として使います。
タロットカードの大アルカナの数字は、アルファベットを組み合わせたローマ数字が
使われているのも、その例です。

なお、ヘブライ語アルファベットを使う数値表現は、ローマ数字の数値表現よりも、
ちょっと複雑になっているというか、全てのヘブライ文字を使って数値を表現します
ので、それらの対応を覚えるのが、ちょっと面倒臭いです。

さらに言うと、数値表現にヘブライ語アルファベットを使うとしても、それを数値として
読む時は、アルファベットとはまた別の読み方をしますので、そういうのも、またちょっと
面倒なんですよね。
そういう意味では、日本で使われている、数値を表す「漢数字」による数値表現の方が、
よりわかりやすいですし、より実用的かと思います。

ということで、このヘブライ語アルファベットによる数値表現は使い勝手が悪いので、
現在では、世界共通のアラビア数字を使った数値表現が主流となっているのでした。

302 :名無しさん@占い修業中:2016/11/22(火) 05:49:11.18 ID:2I/t0sJc.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Qabalistic numerology is called Gematria.
「カバラ主義」の数秘術は、「ゲマトリア」と呼ばれる。

This involves nothing more than taking the numerical value of each Hebrew letter
in a word, and adding those values together.
これは、言葉の中の各々のヘブライ文字の数の値を取ることと、それらの値たちを一緒に
合計することにすぎないものを含む。
--- ここまで ---

「数秘術」の基本的原理は、どれも比較的簡単です。

単純に、「文字」を一定の法則で「数値」に変換し、そしてそれを加算することで得られる
値に対して、色々なわけわからない解釈をするというのが、一般的です。

日本における「画数による姓名判断」というのも、これと同じ原理であり、「漢字」の
一字一字の画数を「数値」にし、それを足し合わせたりして、色々と解釈するわけです。

まあ、これが実用的であるかどうかということについては、ちょっと何とも言えないの
ですが、それなりに日本社会に染みついた習慣というか、まあ迷信みたいなものと言えない
こともないのですが、それを言い出すと、全ての占いのみならず、全ての宗教や迷信的習慣
を全て否定することにもなりますので、まあ、そういう遊び心というものは必要なのかな、
ということで、お茶を濁しておくことにします。

いずれにしても、原理的には、そんなに難しいものはありませんので、誰でも出来ること
ではありますが、誰でも出来るせいで、いわゆるアレな人も多く寄ってくることも多い
わけであって、それゆえ、「名前の画数が悪いから改名しなさい」とか、わけわからない
言いがかりを付けて、多額の改名料金を巻き上げる悪徳詐欺師も出てくるということに
なってしまうわけなんですよね。

303 :名無しさん@占い修業中:2016/11/23(水) 05:39:14.91 ID:luoHnoUD.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Theoretically, words of the same total value bear some conceptual relationship,
although the principle can be taken to absurd extremes.
理論的には、同じ合計値である言葉たちは、ある概念の関係を持つ、とはいえ、原則は
不合理な極端な手段と受け取られる可能性がある。

Gematria can be a petty trap.
「ゲマトリア」は、取るに足らない計略である可能性がある。
--- ここまで ---

結論から言うと、「数秘術」そのものは、真面目に受け取らずに、あくまでも話を膨らます
ための「ネタ」というか、言葉を使う遊びの一つとして使うべきであるということです。

つまり、画数とか親の趣味を表に出すのではなくて、その子が成長した時に、胸を張って
「自分の名前」の意味を語ることが出来るようなものであるか、ということですよね。

いずれにしても、「ネタ」は「ネタ」であって、「ネタ」を元にした名前にするにしても、
その「ネタ」をミエミエに前面に出してしまうのは、やっぱり残念なことになるわけで、
つまり、隠し味として「ネタ」を入れておくという態度が、オトナの対応になるわけです。

ちなみに、タロット占いの世界では、「ゲマトリア」を考慮することは、まずありません。
「ゲマトリア」は、「数値」という、どちらかというと論理的なものを扱う分野であり、
タロットの、「象徴イメージ」という、どちらかというと非論理的なものとの相性が悪い
というか、そもそも「ヘブライ文字による数値の計算」ということが、タロットの世界観
とは、微妙にマッチしないわけです。

とはいえ、「数秘術」そのものは、ごく一般的で簡便な占い手法であり、ほとんどの占い
の要素の中に、ネタ的に入っていることも確かですし、そういう意味では、タロット占い
にも、ネタとして、それを含めることは充分に可能です。
要するに、遊びの範囲で、それぞれ工夫して使って貰えればいい、という感じですよね。

304 :名無しさん@占い修業中:2016/11/24(木) 06:24:19.78 ID:MebIym2s.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
The interrelationship of numbers and letters often, however, points to some
profound ideas.
しかしながら、数たちと文字たちの相互関係は、しばしば、いくつかの深遠な考え方を
指し示す。

For example, we have considered the reinteraction of Chokmah and Binah, whose
union gives rise to Tiphareth: the Yod and Heh produce the Vau.
例えば、我々は、「ティファレト」を生じさせる結合である、「コクマー」と「ビナー」
の再相互作用を考察したことがある:「ヨッド」と「ヘー」は、「ヴァウ」を産み出す。

As a number, Yod is 10 and Heh is 5.
数として、「ヨッド」は10であり、「ヘー」は5である。

Added together they are 15, which reduces to 6, the numerical value of Vau.
それらは合計されて15であり、それは、「ヴァウ」の数値である、6に縮小する。
--- ここまで ---

「ヨッド」の「10」と「ヘー」の「5」を足して「15」とし、その10の位の「1」と1の位の
「5」を足すと、「ヴァウ」の「6」になる。
すなわちこれは、宇宙の原理を指し示す、とても深遠なる考え方である。

と言いたいようですが、なんか、幼稚な発想というか、単なる子供だましのレトリックに
過ぎないような、チープな感じも強く受けるわけです。
要は、ピンポイントにそれっぽい箇所を指摘されても、単なる偶然で終わってしまうわけ
であって、それが全体を司る体系的なものになっていないと、きちんとした応用は出来ま
せんし、結局のところ、実用性の無い、単なる屁理屈になってしまうわけなんですよね。
まあ、ネタであることを理解し、その範囲内で、あれこれと数字遊びや文字遊びをする
のであれば、どうこう言うつもりはありませんけど、ワタシとしては、いまいち好きに
なれない分野なのです。

305 :名無しさん@占い修業中:2016/11/25(金) 06:30:14.84 ID:dZgXPqZg.net
「生命の木に基づく大アルカナ」の章の続きです。

--- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 135) ---
Even the most sceptical may agree that for the relationship of the numerical values
to be precisely that relationship assigned to the letters as philosophical values
is interesting.
最も懐疑的な人でさえ、数的な値たちの関係に対して、哲学的な値たちとして文字たちに
割り当てられた関係が正確であることは興味深い、ということには同意するかもしれない。

These patterns occur with such frequency and consistency that they seem clearly
intended to teach.
これらの様式たちは、それらが教えることを明らかに意図していると思われるほどの頻度
と一貫性で発生する。
--- ここまで ---

おそらく、『聖書』の文章を創作、もしくは改竄、いやいや編纂した人は、こういった
「ゲマトリア」的な遊びの成分を意図的に紛れ込ませていたとは思うのですが、そういう
ネタ成分を、マジで解釈しようとするのは、なんかちょっと方向性が違うと思うのです。

確かに、「ゲマトリア」の持つ「ネタ成分」は、「縦読み」のように、それなりに興味
深いものがあり、ちょい足し的な面白さという点では、決して否定はしないのですが、
ワタシとしてはそれ以上のことは、あまり興味のある分野ではないということです。

まあ、オカルト業界では、こういう素人受けするような、わかりやすいネタを、商売上、
大げさに宣伝する人は多いのですが、まあ、ネタとして知っていて、知らない人に教えると
ウケる程度の、小ネタ扱いでいいのではないかと思うんですよね。

さて、このスレも限界点を突破し、終わりに近くなってきましたので、そろそろ
次スレ移行の準備をしておくことにしましょうかね。

総レス数 305
512 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200