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石勒・苻堅は本当に曹操を超えた英雄といえるのか

1 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 19:33:04 .net
自分を、劉邦、劉秀、曹操、司馬一族と比較し、

「朕若逢高皇,當北面而事之,與韓彭競鞭而爭先耳.脫遇光武,當並驅于中原,未知鹿死誰手.
大丈夫行事當礌礌落落,如日月皎然,終不能如曹孟コ、司馬仲達父子,欺他孤兒寡婦,狐媚以取天下也.朕當在二劉之間耳,軒轅豈所擬乎!」

と評し、没落し、胡人の奴隷から、華北を制し、皇帝にまでなった石勒

民族融和を図ったとされ、小勢力から華北を曹操・石勒以上に広範囲に支配し、
たった一度の敗戦から、全てを失ってしまった苻堅

この二人が本当に曹操以上の英雄といえるのか、話し合おう

※他の三国志人物との比較はありですが、劉邦、劉秀との比較論は控えてください

2 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 19:34:23 .net
クマッタ蛆虫が繁殖しております、ご注意ください

3 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/13(土) 19:39:12 .net
曹操は奸雄じゃないの

4 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 01:43:07 .net
魏晋南朝北朝が正統な中華王朝だから後趙や前秦は負け組。

5 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 02:58:22 .net
正統(笑)

6 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 11:34:39 .net
あの時代は「三国時代」だろ

7 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 12:30:31 .net
権力者としての能力

苻堅(王猛補正)>石勒、曹操>劉備>苻堅>孫権>苻堅(晩年)>孫権(晩年)
って感じ

石勒 曹操の上下がよく分からん
奴隷から上がってきたのを偉大と見るか、文化的功績があるから曹操の方が偉大と見るか

石勒の仏教って、功績にいれていいのだろうか?

8 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 12:44:19 .net
聞き分けが良かったってのを考えると曹操よりはいいかも

石勒 仏教の聖人である仏図澄を重用
曹操 儒教、孔子の子孫にあたる孔融をウッセ!ボケ!!と殺害

9 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 12:50:54 .net
クマッタ馬虫

10 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 12:54:38 .net
数年前にネトゲで知り合った人妻に筆下ろししてもらったが気持ち良さは俺的には
フェラ>>自分の手>挿入
だったなあ。でも気持ち良さは凄かったけど口ではイけず最後は騎乗位でイった。
その時明らかにマンコの締め付け方が変わったんで
本気マンコ>>>フェラ>>自分の手>マグロマンコ
なのが俺の結論。結局中田氏して中から溢れるほど射精したがあれだけ気持ち良
かったのも一度だけの夢。それ以前も以後もずっと年齢=いない歴の喪男です…

11 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/14(日) 19:13:18 .net
言える、はい終了

12 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/15(月) 23:24:53 .net
苻堅はどう言い繕っても大敗後が酷すぎるわ
どうしようもないほど

13 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 01:38:47 .net
苻堅の大敗後はあまり知られていないが、逆ギレの嵐だよな
孫権晩年と変わらんどころか、国を滅ぼしただけ、もっとひどいかも

ヒ水の敗戦を三国志で例えると、

赤壁で大敗した曹操が、赤壁侵攻をやたらと進め、なぜか、自分だけは被害を被らず、
曹操を都に送ったやった張コウに、反乱する可能性を知りながら、河北を抑えることを認め、
結局、反乱された後で、張コウを道義で責める。
また、度重なる反乱に、出兵を繰り返し、敗戦を重ね、
張遼のわずかな敗戦をとがめ、その部下を殺し、張遼を反乱に追い込み、その不義を攻め立て、
勝利を得ることができない曹仁を自殺に追い込み、最後は捕らえられ、
今までの自分の理想に反して、張遼の出自の低さを嘲笑いながら、殺されると言ったところか

どうやったら、人間こんなに壊れてしまうんだろ

14 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 01:41:10 .net
ベルリン囲まれて自殺直前のヒトラーみたいだな

15 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 01:46:28 .net
人類皆兄弟の理想が現実を思い知らされてぶっ壊れたんだな・・・

16 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 02:36:31 .net
>>8
孔融は後漢と言う母体に内包する曹氏政権、という特殊な政治体制に置いて
曹氏側でなく漢室側に寄る名士たちに多大な影響力を持つ一人であり、政治的に見てかなり邪魔な存在
無論、懐柔するのがベストだが、その下に付く名士勢力を丸ごと飲み込むのは事実上不可能なので粛清は一つの選択
そもそも彼は流賊に城を追われたり、能力的に特別有能と言うわけでもなく、官渡の折に顔良を評して荀ケに論破されたように、諫言も必ずしも的確なものでは無かった
さんざん無礼を働いた禰衡が殺されず流されるに止まった事を鑑みても、決して曹操が感情的に始末したわけでは無く、殺される要因は揃っていた

非難されるとすれば、殺したことそのものよりは殺す理由付けが無理やりだった事の方だろうと思う


石勒の支配圏っていま一つわからん
大まかに、東西南北でどのあたりまで?

17 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 02:46:25 .net
楊州以外全て

18 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 03:07:17 .net
涼州なんてほとんど放置じゃね?

19 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 03:20:16 .net
荊州ってとって無い気がする

つーか「如日月皎然」と言ってる割には本人は盗賊あがりだしなあ
社会的地位の皆無なアウトローが正規軍をぶちのめして成りあがっていく痛快さが石勒軍団の魅力だと思うんだけど
道義に関して、人の事とやかく言えるような人間じゃないよな

20 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 03:31:54 .net
劉淵、劉聡が蜀漢支持だから、逆説的に魏晋が嫌いだったんじゃないだろうか
晋崩壊以降の世の中の腐敗の煽りをモロに食らった人物でもあるし

個人的には曹操と気が合うような気がするんだけどなあ、本好きだし

21 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 03:49:36 .net
結局は成りあがりの石勒たんが、劉邦に感情移入してたってだけな気がするけど
というか、この発言に特に深い意味はないような気がする
ハニカミ王子みたいなベビーフェイスを尊敬してるって言うと特に問題ないけど、
朝青竜リスペクトって言ったら、ちょっとアレだろ
90年代に「マイケル超カッケー」って言ったらえ〜って言われた、あんな感じ

雰囲気読んだんじゃない?

22 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 04:30:48 .net
まあ野暮な事言ってしまうと、結局後漢末期と五胡十六史じゃ背景が全く違う
リアル北斗の拳みたいな石やんの時代ならそれこそ十六騎みたいなヤクザ集団率いてても武力さえあれば成り上がれただろう
豪族・名士が大きな影響力を持つ曹操らの時代で中枢で権力を握るためには彼らとの癒着が不可欠、それこそ曹操みたいな人間がいれば典韋のように出自詳らかで無くとも活躍できたかも知れんが政治力を持つのは不可能
劉備が流れ流れた事がそれを物語っている

曹操ってボンボンに見えて結構苦労人

三公の子→傅子に売官の論外っぷりが揶揄されているように、権威と言う意味ではむしろ汚点。曹操の事績を見てもプラスに働いたとは思えない
超エリートの孝廉推挙→頑張って働いたらうとまれて飛ばされる、めげずに意見書出したりしたけど聞いちゃくれねー。結局30代で無職の憂き目に
大金持ちの息子→衛茲と協力したけどフルボッコ。再起を図ったけどそれもパー。やっとこ形になったと思ったら袁紹に対黒山の最前線に送られ

わりと下積みが長い
石とは違う方向の苦労の仕方だけど

23 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 04:39:53 .net
そもそも孝廉の推薦資格を得るために結構苦労してる
挙句の果てに剣を突き付けて無理やり襦袢を得ると言う暴挙にw
まあこれは信憑性が問われるだろうが

虐殺という共通点はある
結局石勒だって如日月皎然なんていう、公明正大な人間では無い
まあそれ言うと、そもそも劉邦からして粛清の嵐を巻き起こした人間だがな

24 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 04:51:00 .net
つーか傀儡政権は狐の所業でも、和議したそばで後ろから斬りかかるのは良いのだろうか?
しかも自分から持ちかけた上でだぞ

25 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 07:54:11 .net
17 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/05(金) 09:11:55
( ^∀^)ぼく高岡ふぁびょるくん


18 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/05(金) 22:13:35
川メ´,_」`川 ぼく高岡ふぁびょるくん


19 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/11(木) 09:14:08
m9(^Д^)おなちゅう誠也くんプギャー


20 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/18(木) 12:23:40
元気ですか?


21 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/22(月) 15:26:21
高岡ふぁびょるくんだのおなちゅう誠也くんだの


22 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/03/15(月) 15:08:12
( ´,_ゝ`)ぼくおなちゅう誠也くん

26 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 15:43:55 .net
>>和議したそばで後ろから斬りかかる

そういうの石勒好きそう

27 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 22:15:32 .net
>>16
>石勒の支配圏っていま一つわからん
>大まかに、東西南北でどのあたりまで?

揚州、益州、交州、涼州はとっていない

ただし、北方の異民族への影響力は魏よりも大きかったので、版図は曹操とほぼ互角

28 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 22:16:31 .net
後、確かに荊州もとっていないな

29 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/16(火) 23:49:15 .net
>>27
そうか
やっぱ曹操と大体同じ位でいいんだな
魏の北方異民族への影響力って今一つわからん
曹操や曹彰自体は北方の異民族討伐に成功してるが、結構反乱起こされてるからな

30 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 00:08:44 .net
新兵五千で董卓の涼州騎馬とガチるのはムリゲー過ぎるよね

31 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 19:32:24 .net
しかし、寄せ集めの兵で、石勒は西晋の名将たちに勝利をあげているんだよな

石勒が強いのか、西晋の将が弱いのか
八王の乱で国力は弱まっているとはいえ、あれだけの戦乱をくぐり抜けてきた
苟晞や王浚が弱いとは思えないけど

王浚配下は特に幽州奇兵だし

戦争は、石勒>曹操?

32 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 19:36:28 .net
17 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/05(金) 09:11:55
( ^∀^)ぼく高岡ふぁびょるくん


18 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/05(金) 22:13:35
川メ´,_」`川 ぼく高岡ふぁびょるくん


19 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/11(木) 09:14:08
m9(^Д^)おなちゅう誠也くんプギャー


20 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/18(木) 12:23:40
元気ですか?


21 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/02/22(月) 15:26:21
高岡ふぁびょるくんだのおなちゅう誠也くんだの

33 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 19:38:33 .net
まず、基本的にこの国においては宗教の自由が保障されている
しかしながら教祖が入国を禁止されているというのでは
やはりこの国においての統一教会に対しての評価は低く
問題のある教祖と宗教という扱いできている
ゆえに桜田淳子さんもそのあたりを客観的に評価して改宗
した方が良いのではないかという意見がたくさんでてくるのだと
思う、もともとご実家の仏教の宗派もあるはずなので統一原理を
やめるだけでも改宗になるし他の宗教を行うことも改宗になる
お姉さんは統一教会を離れたという事だけで他の宗教をしている
という話は聞いていないが、淳子さんは果たしてどのような
方向で進もうとしているのか?

34 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 22:20:42 .net
>>31
じゃあ曹操の弁護と言う形で。

反董卓の戦役に関して言うなら、曹操のみならず殆どの諸侯は董卓軍に対し何もできずに終わっている
孫堅が一矢報いたが、その孫堅も宿臣の祖茂を身代りにしながらほうほうの体でやっと逃げ切った、という手痛い敗北を喫している
当時の孫堅軍は決して弱いわけでなく、長沙・零陵・桂陽の乱を鎮圧し、実戦経験豊富、さらに南陽も乗っ取って総勢数万を号する程に巨大化している
つまり董卓の正規軍はそれくらい周りに比べて強かった

曹操はこの時無官だったため、元々自身の兵力は持っておらず、所から衛茲の助力を得て数だけ集めて参加したもので、恐らくこの軍の実戦経験は皆無に近いと推察できる。曹操自身は黄巾の時に指揮経験があるがな
流賊時代から転戦してきた一八騎と比べたら練度としては全く別もんではないか。同じ条件とは言えまい
当時の曹操が董卓軍にボロ負けした事だけで石勒>曹操とするのは早計に過ぎる

名将や騎兵がどうこう言うと、曹操は青州兵獲得以前から黒山の有力者で魏郡・東郡を落とした眭固や匈奴の於夫羅を破っているし、
そもそも弱兵で精強の青州兵を降伏させた、と言うのがあるな。
後年では兗州が9割がた呂布に寝返った時も、奪回に成功している。決して劣勢から盛り返す力に欠けるわけでは無い
議論の余地があると思うね

35 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 22:32:41 .net
王浚は石勒が正面から倒したと言うより、政治力欠如からの自爆の意味合いが強いしな
最終的には謀殺だし
戦の腕と言うと疑問

36 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 22:46:42 .net
曹操もなんだかんだで、失敗は大きいが、後漢末の戦乱の第一走者だからな

石勒の方がインパクトが強いのは、
西晋の屈指の名将、苟晞・王浚
漢の名将・王弥、前趙の創始者・劉曜を倒しているからだろうな

劉曜以外は謀殺か、それに近い倒し方だが

37 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/17(水) 23:58:46 .net
失敗は大きいと言うが、結局苻堅や石勒も東晋を倒せなかった事を考えると、曹操の南征失敗も自明の理か、と思う
能力がどうこうでなく、それが純粋にあの時代の北方軍閥の限界なんだろう
何せまともな貨幣すら作れなかったんだから

38 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 00:10:51 .net
歩戦令や青州兵に見られるように、曹操の軍は歩兵が中心だったと見られる
つーか飼料のかさむ騎兵を大規模には展開出来なかった、というのが実情だろうが
特にその傾向が顕著であろう勢力の小さい前半戦で、呂布ら董卓の残党や匈奴と渡り合っていたのは純粋にすごいな

39 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 00:41:07 .net
石勒・苻堅・曹操よりも慕容恪&垂の方が上

40 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 00:49:10 .net
あの兄弟なら上だと言われてもそうかも知れないな

41 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 01:14:59 .net
政治力はほとんどねーけどな〜

42 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 16:02:46 .net
>石勒の方がインパクトが強い
あんまりそうとも思わない

43 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:13:52 .net
>>38
呂布には最初負けてるけどな
盛り返したのは袁紹が公孫賛や黒山賊、北方遊牧民とかとの戦いで培ったノウハウを真似たのか
袁紹軍は麴義を始めとしてそういった対騎兵の扱いを知っているのがいたようだし

44 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:23:35 .net
>>43
袁紹には烏丸兵が居た


45 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:29:23 .net
漢の名将・王弥を降す、とは言っても
王弥を殺したのは戦の腕でも何でもなく、ただの暗殺だろ
今回の話は>>31から始まった戦争に関しての話だから、それを持ってくるのは違う

46 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:30:15 .net
>>44
敵側にはもっとたくさん騎兵がいた
そんでもって袁紹は公孫賛相手に騎兵対決ができず
騎兵相手の戦いを熟知している麴義に800の歩兵と千の弩兵を与えて先鋒とし
騎兵を崩させる事を選ばざるを得なかった
この戦いに至るまでは袁紹は公孫賛にビビりまくり

47 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:35:17 .net
>>35
つーか王浚には直接対決だと飛龍山で負けてるしね
だから石勒<曹操とは言わないけど
それに触れないで王浚を倒した事だけ言われてもな
>>43
緒戦は負けたが、その後は連勝している

48 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:37:28 .net
>>46
そりゃ白馬義従は強いもの
言われなくたってそれくらいはわかってるよ
ただ袁紹にも精強な騎兵がいたわけだから、中原時代の曹操とは同列には語れんよ

49 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:41:48 .net
呂布が率いてた騎兵が董卓の残党とのミックスなのか100%ヘイ州人なのかはわからんが、
黒山との戦から強かったことはわかる
公孫賛と比べてどうなのかはわからんが
ただ袁紹にとっての公孫賛と、曹操にとってのエン州の乱だと、
状況的には確実に後者の方がヤバいと思う

50 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:44:59 .net
五胡の人間って謀略に引っかかり過ぎじゃないだろうか

51 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 17:53:50 .net
>>48
いるんだったら最初から使ってるだろ
袁紹の騎兵が増えるのはもっと後の時代の事だ
曹操の事だけ特別扱いにすんなよ

52 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 18:06:33 .net
袁紹軍の麴義が公孫賛軍に使った戦法は
楯を並べさせて戟を持った歩兵を伏せさせ、
騎兵が近づいた所で一斉に戟をかざして襲いかかり
騎兵が混乱した所を弩で狙い撃ちにする、というやり方で
歩兵で騎兵を撃破するにはこの上なく有効なやり方だね
少数の先鋒部隊でこれをやって騎兵の大軍を撃破した麴義は凄い

53 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 18:26:53 .net
>>51
>曹操の事だけ特別扱いにすんなよ

傍から見てて意味分からん表現
論点摩り替わってないか?

54 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 19:01:41 .net
>>53
すり替わってねーよ
曹操と同列に語れるかだろ
曹操と袁紹の条件は曹操が特別不利というわけでもない
対騎兵戦術は袁紹のが先に編み出してるくらいだ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 19:25:32 .net
>>54
いや、周辺諸侯の状況を考えたら中原で割拠してた曹操の方が不利だったのは、否めない考え方だろう
特別扱いでも何でもないわ

56 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 19:27:21 .net
>>54
編み出したのは麴義だろ
曹操は自分が陣頭に出ていたが

57 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 19:37:34 .net
騎兵が強い、という点では公孫賛が上だろうが、
全体的な勢力の話になると、そこまで不利か? と思うんだが
後の戦いで崔巨業や劉虞残党と共同で戦えたことや、敗北のあとの公孫瓚の南進に対抗出来た事を考えると、そこまで勢力的に余裕が無かったとも思えん
騎兵にこだわり過ぎじゃなかろうか。そもそも最初は騎兵の運用方法についてだったのに、だんだん曹操と袁紹のどっちが不利だったか、にすり変わってる気がするけど
そういう話じゃないだろ、これ

58 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 20:24:56 .net
>特にその傾向が顕著であろう勢力の小さい前半戦で、呂布ら董卓の残党や匈奴と渡り合っていたのは純粋にすごいな

↑がすごいかどうかが論点でしょ
で曹操だけじゃなく袁紹もすごいよ、と>>54さんは言いたいのだろう
どっちが不利かなんて決められないから、やめた方がいいよ

59 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 20:52:21 .net
騎兵の運用はデリケートとかいう話を聞いたことがある

攻撃力は高いが防御力が微妙、
一度突撃させるとあとは制御不可能とからしい

60 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 21:23:59 .net
>>55
呂布と戦ってた時は青州兵も持ってたし
袁紹とも同盟してたから特別不利ってわけじゃないぞ
>>56
だからなんだ
>>57
劉虞が死ぬまでは公孫賛との勢力に単独で戦ってるぞ
もともと地盤も固まってなかった袁紹は公孫賛との戦いを避けていたくらいだ

61 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 21:29:17 .net
公孫賛の勢力って若いころから培われた騎兵戦力と北岸の大勢力だから
相当巨大なものですね

62 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 21:37:41 .net
東の陶謙、南の孫堅、西の董卓、北の公孫瓚

これの中心に劉氏、何氏、袁氏が絡む印象

63 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/18(木) 21:50:05 .net
結局、曹操の起点は、袁紹に比べどれほど差があったかということだな

十八騎を自分で集めた石勒よりは、かなり有利であったのは間違いないだろうが

64 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 00:28:24 .net
>>63
戦ってた相手が違うからその問いは意味が無い
石勒はただ各地を流賊として点々してただけで、本格的に戦争に参加するようになるのはあくまで司馬穎の所に転がり込んだ後の話
曹操や袁紹が相手にしていた万単位の敵とは、それこそ比べものにならん

65 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 00:29:58 .net
>>60
袁紹の援助なんか受けてねーだろ
程cの進言をガン無視してるな

66 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 00:37:57 .net
白繞と于毒も忘れんなよ、地味だけど


67 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 00:44:23 .net
石勒押してる奴って、奴隷から皇帝に成り上がったって事だけで押してるような気がする
石勒は最初から独立していたわけじゃないし、あちこちに付いたり離れたりしてるじゃん

68 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 00:59:09 .net
そこで苻堅さんですよ
現代の価値観に照らすなら、虐殺マニアの二人よりも偉大だと思うが
晩年を抜きにしては語れんけどな
>>67
最終的にはかつての仲間、主君の親類を殺して皇帝になった男だしな、彼って
謀殺が多い事もそうだが、本当に人の事が言えない男だと思う
簒奪者の曹操や司馬懿ですら自身の手で引導を渡したわけでは無いのに

69 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 01:02:50 .net
>>64
司馬穎ではなく、劉淵じゃないの?
公師ハン、汲桑の時は、一隊長、一武将だろう

70 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 01:08:49 .net
あと、若い頃から万単位の敵、相手に戦える戦力を持っているのはかなり有利だと思うけど
ぐずぐずしていれば、次第に突出した群雄が力を持ってしまう
天下取り争いに転々とするメリットはほとんどない

劉備だって、スタートダッシュの遅れが決したわけだし

石勒が群雄になるまでにかけた労力は、そのままハンデだろ
ハングリー精神や地道に集めた仲間、下積みとしての経験を得る必要があるのは、
人間に寿命がある以上、やはり不利

71 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 01:15:07 .net
>>70
でも友軍が居るのは純粋に有利だよね
石勒はそこで戦いながら下地を作っていったタイプだし
劉備は関わったところみんな滅んでるw

72 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 01:18:34 .net
素朴な疑問だけど、曹操って若いのか?
青州兵を併合した時で30後半だぜ
それ以前は袁紹のパシリでしかない

73 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 01:27:23 .net
>>71 劉備の関わった処の大概は曹操が滅ぼしてるな

74 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 02:13:28 .net
劉備のせいではなく、劉備が関わっている間に曹操が力がつけたってことじゃないの?
劉備と曹操の下地が逆なら逆になっていたかもよ
それに、曹操だって袁紹に従属同盟していたわけじゃん。友軍がいるだろ
石勒だって、自分の努力で友軍を作ったわけじゃん

曹操が石勒より初期段階で不利かもしれない論調はさすがに無理がありすぎるw

75 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 03:26:12 .net
>>曹操が石勒より初期段階で不利かもしれない論調

誰も言って無くね
ただひたすら奴隷押ししてるけど、曹操見たく独力で戦ってたわけでもないんだから、所詮、状況が違う

>>曹操だって袁紹に従属同盟していたわけじゃん。友軍がいるだろ
だから程cの進言をガン無視してんだろって
袁紹に助力を持ちかけられたけど人質送らないで拒否ってるよ

76 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 03:40:31 .net
石勒と劉備は違う
劉備は傭兵みたいな事やってたが、あくまで独立した勢力として流れていた
曹操も袁紹の庇護を受けていたわけでもない。微妙な相互関係があった河南・河北の外交事情で、両者の事情から不可侵であっただけ
結局曹操は袁紹の力を借りず、また袁紹も特別曹操の援軍を受けたわけでもなく、それぞれ勝手に勢力を伸ばして、後に対立している
石勒は漢の武将で、その元の功績によって積み上がっていった力が、後の後趙の土台だ
奴隷時代から全部独力で起業した、みたいな言われ方をよくするが実際にはのれん分けしてもらったからこその勢力だ

そう言う意味で彼らとは違う立場である

77 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 03:53:02 .net
最初から小企業の先頭に立って一から育てていくか、
大企業の一員になってその中で出世し、やがて独立するか

実際、どっちが有利かは一概には言えないんじゃないの?
生まれで言うなら間違いなく曹操の方が恵まれてるだろうけど
前者は前者でリスクがでかい

78 :蛆虫の昨夜の書き込み:2010/03/19(金) 07:52:34 .net
664 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:33:14
ってかUCはTV放映しないわけ?


666 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:39:20
そもそもGやら種やらがおkならUCだっておkでいいだろ
30分500円円払わないと見れないとか基地外すぎる


668 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:45:05
へー

別にいいじゃない
Vだって死にまくりだったんだから^^


670 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:50:27
まあ確かにZZは大変だったなwwwwwwwwwwwwwwww
プルツーを初めて見たときにはぶったまげたわマジで><

ってか18禁のシーンでもあるのか?


672 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 02:00:51


プル復活すんの?
なんかWiki見てたらもうシャアの復活はほぼ確定っぽいが


676 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 02:10:03
俺様は別に気にならんがな

ずいぶんと潔癖症なんだなおまいは^^

79 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 09:54:28 .net
もうクマッタは消えろよ

80 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:04:44 .net
イメージの虐めを患ってるの

81 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:08:30 .net
 _                 _,,-ー''"´゙ "-,,__           _____
/   \            _,,-‐'"     ヽ, ,,ソミ         /      \
    |          /,,ゞヘ'゙"ソ-,,、   i '"`"ーミ、__     |         |
 早 .|          /,ミ"_...,,ミ彡,,../ミ   ヽー-.,, ノヾ"ゝ    | 来 ナ .邪  |
 .く .|       ./../,ミ"__ 、_, _゙iソ ヽ __ ゝ `i'r-,,,_.       | い ポ 道 .|
 !. |     /  i| i ィ_r‐-,ヘ,r-、 ノハヽ,,__iノ_、 `ヽミ  ノ´゙゙ヾ .| よ .リ の  |
    /   /'""   ヽゞ`ー'ー'--' イ ___/-'" '''ノ-,,ミ i:;:..'"、 |   タ    |
  _/   /-''" ゙゙̄ヽミ ヘ:::.,_ヽ_ィ=ヘ'"ー―- `ヽ__/彡_/~ヽヾ.|    ン   /
  .\    l|/ /ノ ヾヽ__r-'" ̄~゙ヾミ ̄` ー-- \__.:...,__  ノ´ノ. \  .め  /
   .\ ヾ /.::'"   /  ir´\ ヽ  `ヽ\      `i,,  ノヽ彡_,,/     \
.___ .\`i./     \.f-` ヾ.\ \  ,,_,,r'"~''"ヾ-,ゞ  ミ .//        .|
| ―‐‐|  | `|      /  `ヽ/_〉_i,ー''"  /    ヘ ,, ミ / |   か     |
. ̄| ̄  | l|      ノ:. ゙´ヽ | ̄/ノ  ///l         /..|   か    |
. ̄| ̄   | |l      ソ ,  __.ノ-,_i/ .//ノ/       /   |    っ   ...|
      | l|     f/-' ノ/ \/ヽ::..ノ /i      /    |   て     .|
 /    | |l ..:'",,⌒ `ー'-'`"'/ \"  / l|     /     |   来    |
 \    | l|:彡'" ̄~`ヽノi    \ \'" i|    `ヽ     |   い    /
      | .ノ'ゝ,/ ̄ ̄`ヽミi  ii/::::::\ \ i|       \    ヽ   __/
  r-、  |ソ.::`i      i_| |_:/ \ \        ゙,   ノノ ̄  ',
  | |   .|/  |      i!ーi r-'::i i  \ \      ',         ',
  ゝ'   /´゙゙ヽ |       !::::| |:::::::i 、 / .\ \     i     ::     ゙,
  (_) ./ー--.::|       !::::|_|::::::::!ヽi! /  .\ \-、_ i,,   :::     ',
.__/ー―-.::|r-,     .!:::::::::::::::::! i.:::/   \ \  ヽ-i__.....:::::      ',
`i___    ヽ::::|こ-     !::::::::::::::::::! `ー''"' ̄ ̄\ \   `゙゙゙ヽ..、    ',
 \ー――-.::::|-'"      !::::::::::::::::::!    ._トー―-\ \          ヽ、
-"ヾ=ー-''".::::|'"___..===..._ゝ:::::::::::::::::`ー''""::::::::::::::::::::::::\ \ー=,,_     .\
、    __..-'":::i<'i__,,-" ̄ミミソ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ \:::`7,`ヽ___   .\
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ドゥーチェ アンジェ・メディシス

82 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:09:20 .net
クマッタの傀儡と化したロコモティブに代わる自分たちの傀儡として、
三郎と常陸四郎は御しやすい康三郎を当主に据える。
そしてその直後の自治新党党首選挙ではロコ家総力を挙げて康三郎を党首に当選させた。
そこまではよかった。

しかしその後三郎の興味は新たなポストである三戦板覇者へ向かい、
常陸四郎も幹事長というポストを与えられたことで満足してしまい、
原爆ラップに傾倒していく暗君・康三郎を誰も補佐しようとしなかった。

結局乱起こし易しと判断したクマッタ一派の奇襲に康三郎は対抗できず、
党首という地位にある者には相応しくない醜態と哀願を衆目に晒しながら退位させられた。
だが、康三郎にばかり過失があるわけではない。
この間康三郎はロコ家重鎮である三郎や常陸四郎に再三救援を求めたが全て無視された。
これはクマッタとの対決を三郎らが忌避した結果である。
三郎と常陸四郎は自分たちではクマッタには勝てないと判断したのである。

結局、久々のロコ家政権は、康三郎の無能ぶりと、三郎と常陸四郎の弱腰が原因で崩壊したのであった。

83 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:12:52 .net
>>1-77
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
        jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
       (ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´:::  :::: |;;;;;彡|
        }ミミ;;;} :::  {:: ゙:::::、:::    :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
        jミミ;;;;} :::  ヽ::::ミヽ::  |  ノ  W::  |;;;;彡:|
          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
         iミ゙;;;ノ::::::  \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
        {;;;;リ:レ彡"三三ミヽ,,リ{{,,ノ;;;;ィ≦==ミ'" |;;〉l.|
        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
          |l ';;', ::: ー` ̄:::::::ミ}゙'~}彡ィ""´   .:::lリノ/
         l'、〈;', :::    :::::::t、,j iノ:::、::..    ..::::lー'/
   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
)ヽ"´   ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;""  ゙l|  ::j ::: |: l,,,,
         ゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ  l| :" l  |',`ヽ,
   き 利    (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
.    く  い    Z::::ヽ '、 ゙'t;ヽ ` ´ ノ;;リ   ,r' //  |
   な. た     >; :::ヽ  ::ヽミニニニ彡'"  , '::::://  |
   ┃ ふ     フヽ ::\ : ミー―― "ノ , ':::: //:   |
   ┃ う      }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://:    |
   ┃ な     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
   // 口    (: |  ヽ ヽ :::: ::::::...  :://     |    |
)  ・・.  を    (  |  ヽ ヽ::  ::::::... //      リ.    |
つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /     |

84 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:13:40 .net
クマッタ死ね、荒らすな

85 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 10:20:14 .net
考察スレまで荒らしだすとか死んでくれ

86 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 11:55:00 .net
三戦は蛆虫の巣窟って本当だな

87 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 18:20:02 .net
>>65
東郡太守になれたのは袁紹の推挙だろ
人脈活用してる癖に助けてもらってないとかいうなよ

88 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 20:53:57 .net
そんなん解釈の差にすぎんだろ
おまえ以外の人間はおまえじゃねぇ

89 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 21:42:17 .net
うるせえ死ねよ

90 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 21:47:44 .net
三戦は蛆虫の巣窟って本当だな

91 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 23:01:00 .net
>>87
当時の東郡って黒山や董卓・黄巾の残党でフィーバーしてる激戦区だよ
そもそも王肱が撃破されたから曹操が差し向けられた
どう見ても堤防扱いのスケープゴートです本当にry
だからこそ後に程cは「袁紹の支援なんか受けたら一生配下で終わるよ、今まで戦ってきたのが水の泡だよ」
と頑として曹操に意見したわけだね

92 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/19(金) 23:05:48 .net
まだ、荒れるようなこともないのに、ここまで荒れるのは

@ 石勒・苻堅と比較され、曹操の方が下と言われるのを怖れた曹操患者
A 中英失敗スレで散々と叩かれ、フルボッコにされるので、代わりにこのスレを
  潰しに来た中英の非コミュによる三戦荒らし(蛆虫レスは中英関係の時に多い)
B なんか、気にいらなかったコテによる荒らし

のどれかかな?
まあ、Aだろう

93 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 04:39:34 .net
>>92
Cお前のようにわけのわからない事を言い出す奴が居るから

94 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 08:19:08 .net
>>93
病気の子に触れちゃダメ

95 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 10:02:42 .net
曹操 155〜220 享年66
石勒 274〜333 享年60
苻堅 338〜385 享年48

96 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 10:05:59 .net
>>93-94
やっぱ、@かA
どうせ、中の人は同じ

97 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 10:54:20 .net
>>91
太守になる以上、武功を求められるのは当時では自然
根なし草だった曹操にしてみれば拠点が欲しかったから
袁紹の誘いを受けて東郡太守にしてもらった
曹操は袁紹の人脈がなければ東郡太守にはなれなかったし、
袁紹も曹操がいなければいないで別の奴にオファーだしてたろうよ
袁紹に助力してもらってないとかはさすがに無理

98 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 11:04:37 .net
蛆虫クマッタ荒らすな

99 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 11:12:36 .net
黒山賊退治と太守任命はギブアンドテイクでは?
兵は曹操の自腹で集めてるし

他にオファーするなら淳于瓊あたりだろうか

100 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 11:32:45 .net
>>99
そ。
兵を自腹で集めるのも当時ではよくあった事。
でも曹操が仮に袁紹の人脈を活用しなかったら
そもそも土俵にすら上がれなかった。
袁紹の人脈を使って土俵に上がってるんだから助力受けてないとはいえないわ。

101 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 12:02:46 .net
袁紹が駄目なら袁術を使えばいいだけの話ではないかな

102 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 12:12:17 .net
袁術と曹操につながりはあったんだろうか

103 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 12:14:06 .net
曹操の奥さんに挨拶してなかったっけ

104 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 12:40:03 .net
それだけでつながりといわれても

105 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 13:56:29 .net
クマッタ荒らすな

106 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 15:11:28 .net
>>そもそも土俵にすら上がれなかった。

劉岱の後釜で牧になっているだろ

大体それを言ったら、石勒が刺史になれたのだって劉淵の力だろ
今回のそもそもの論点は、石勒は漢と言うでかい味方が居たのだから、けっして裸一貫で身を起したわけじゃないし独力で戦い抜いたわけでもない、
という事だから、そういう指摘は的がズレている
曹操にとって袁紹が友軍として機能していないのは正味な話。あくまで中身の勢力は曹操の自前

107 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 18:10:58 .net
そもそも何を以って上だの下だのと言うだろうか

108 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 18:24:20 .net
>>106
東郡太守としての実績が存在してないなら
牧になれたかは微妙だろ
中央政界でも大きな家に生を受け、そこで袁紹と知遇を得て
袁紹の人脈を使って世に出たんだから
それで助力無とかいわれても困るだろ

109 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 19:10:22 .net
全く同じ理由で、石勒に下地無い、自分でいちから基盤を集めた、とか言われても困るわけだが
ここで奴隷出身である事を理由に石勒が上と言ってる人間は、まるで汲桑や劉淵の力など全く借りなかったかのように言ってるから、こういう意見が出るわけだろ?


110 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/20(土) 19:13:21 .net
>>袁紹の人脈を使って世に出たんだから
その前から黄巾や董卓討伐で、武将としてはすでに世に出ている
牧に推戴した鮑信との縁もそれからであって、別に袁紹がいなけりゃ橋にも棒にもかからなかったのとは違うぞ

111 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 09:57:19 .net
>石勒に下地無い、自分でいちから基盤を集めた
>まるで汲桑や劉淵の力など全く借りなかった

言っていない
石勒はそれも親の力などではなく、独力で借りることに成功したと言っている

じいちゃんや親父がたんまりと腐敗した王朝を通じて、民からしぼりとった
財産を受け継いだお貴族のボンボンとは違うというだけでw

112 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 10:04:24 .net
所はもういいよ。関根にしてくれ。
所は寝てても収入が入ってくるんだから、もう出てこなくていいよ。

113 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 10:13:00 .net
またクマッタが荒らしてるのか

114 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 13:28:12 .net
津川真彦がトーク番組に出ると必ずするネタは
・娘が大きくなっても一緒に風呂に入ってた
・さんまとメル友
・この年になっても合コンをよくやる

115 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 18:33:52 .net
>>じいちゃんや親父がたんまりと腐敗した王朝を通じて、民からしぼりとった
  財産を受け継いだお貴族のボンボンとは違うというだけでw

なんだ。結局追い詰められたら草生やしちゃうアンチだったのか

116 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 19:04:51 .net
>>115
だな
揶揄気味に煽ってくるあたり、結局石勒を評価してるわけでも何でもなかったわけだ
というか、話の論点すらよくわかって無いらしい
石勒の経歴すら知っているかあやしいね、この分じゃ

117 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 19:43:32 .net
屑の相手は時間の無駄っつーことで

118 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 20:43:52 .net
本当にしょうもないことなので、
早く勝利宣言して勝ち逃げしたくなるのは分かる

119 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 20:53:41 .net
クマッタ

120 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/21(日) 23:51:28 .net
南朝の正統性に対抗できるのは魏を再興し中国人化した拓跋氏だけね。石氏、符氏は蛮族扱いだから正史のおまけw

121 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 00:15:22 .net
慕容兄弟こそ最強の英雄

122 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 07:21:29 .net
アンジェ、いいかい、よく聞いてくれ。
このzipの中には、俺様の証言を収めたテキストや証拠の品が入っている。
このスレが荒らしの目標になったわけを知る限り喋った。
もし俺が死んだら、これを運営に届けてくれ^^
大人が本当だと信じてくれたら、このスレは救われると思う。
俺様が直接運営に自首しようかとも思ったんだが、なんていうか・・・そうするのが逃げるみたいに思えて^^
ここで戦うのをやめると、自分がクマッタでなくなるような・・・
なりきり厨が憎いとか自治厨たちの仇を討ちたいとかいうんじゃないんだ。
上手く言えないけど・・あいつと、ととのえ老臣と戦ってみたくなったんだ。
俺が糞コテだからなのか、理由は自分でもよくわからない。

・・・アンジェ、俺様はたぶん死ぬだろうな。
そのことで、なりきり厨やととのえ老臣を恨んだりしないでくれ。
彼らだって俺様と同じで、自分がやるべきだと思ったことをやってるだけなんだ^^
無理かもしれないけど、他人を恨んだり自分のことを責めたりしないでくれ。
これは俺様の最後の頼みだ。
もし、運良く生き延びて戦争が終わったらさ、かならずこのスレに帰ってくるよ。
会いに来る。
約束だ。
・・・これでお別れだ!じゃあなアンジェ^^

123 :111:2010/03/22(月) 09:56:20 .net
確かに、いつの間にか、論点がずらされて、
曹操に友軍がいたかということと、石勒が誰の助けも借りなかったと論じてると言われ、
面倒になったが、このままにしたくもないので、つい、煽ってしまったな
追いつめられたおぼえも、屑と言われることもしてないが、その点だけは謝って、うち切ろう

もうどうでもいい


124 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 13:24:24 .net
安定感では曹操が上かもしれないが、土壇場での勝負強さは石勒が勝る印象。
まあ王猛ありの苻堅にはどちらも及ばないと思うが。

125 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 14:03:07 .net
王猛ありの苻堅というと法正、孔明つきの劉備にも似たような印象を覚える

曹操は抜け目ないようで猪突するミスが結構ある
土壇場の勘とか不死身指数は石勒と大して変わらん気がするわ
スタイルの違いかな

126 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 14:33:03 .net
戦争は水物だから同時代で戦って決着ついても
どっちが上とか下とか決められんよ。条件違い、時代違いなら尚更

127 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 16:04:16 .net
漢王朝というネックを抱えながら上手く自分の派閥体制を作った曹操の政治力はかなりのモンだと思うんだよ
似たような理由で司馬懿も
まあ司馬懿は魏の重臣でもあり、影響力の高い名士でもあったから曹操とは実際にはかなり状況が違うんだが
>>125
曹操は抜け目がないと言うよりは、機を見るに敏と言った方がそれっぽい
官渡しかり、匡亭しかり
戦略上の抜け目自体は結構ある

128 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 16:06:21 .net
いいかい、よく聞いてくれ。
このzipの中には、俺様の証言を収めたテキストや証拠の品が入っている

129 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 16:16:01 .net
入ってなどいない

130 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 16:17:37 .net
入っている

131 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 16:20:27 .net
           ,;f::::::::::::::::::::::::::ヽ
           i/'" ̄ ̄ヾ:::::::::::i
           |,,,,_ ,,,,,,_  |::::::::|
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   _/ノ../、   _/ 入/ /   `ヽ, ノノ
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 {k_ _/,,.'  ;.  :.      l、  ノ:  ドクドク
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     ,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,/:

              ,.,.,.,.,.,.,.,..,.,.
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            |/ ,,,,_  ,,,,,,_ヾ|
            |=(●)=(●)=|  <一つの命が誕生した事が
            {  :::(__..::  |   そんなにめでたいの?
.            ',  ー=ー  ',   
    / / }      ヽ___ /、
   _/ノ../、   _/ 入/ /    ヽ
  / r;ァ  }''i" ̄.   ̄r'_ノ"'ヽ.i   ) 
 {k_ _/,,.'  ;.  :.      l、  ノ
    \ `  、  ,i.    .:, :, ' / / 
     ,;ゝr;,;_二∠r;,_ェ=-ー'" r,_,

132 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 16:23:44 .net
【基地害ゼロセンチ先生=サイコパスの根拠】

・中野区の飼っていた犬が死んだという趣旨の書き込みに対しバター犬などの暴言を浴びせる
・中野区を慰めたくちゅのきに対し自慰行為などと暴言を浴びせる
・泡沫固定の分際でぷらっとのような大物になりたいなどと大言壮語
・姥捨てや間引きなどを伴うムラ社会を素晴らしい社会体制などと賛美
・小沢一郎と民主党を手放しで賛美し、平成21年の総選挙において民主党工作員として活動
・結果民主党政権が誕生、未曾有の不況に突入する原因を作った
・幕府スレを見切り発車で立てたうえ、1スレ目にしてスレ主としての立場を放棄、参加者の大量離脱を招く
・自治スレで度重なる馴れ合い雑談を敢行、三戦板の自治に停滞を招く
・何かあればすぐにアンジェを頼るが、毎回必ず裏切る
・大物固定の金魚の糞としてしか活動できない
・ゼロセンチ先生=サイコパスの根拠を示されると馴れ合い仲間のひょーりみに擁護レスを書かせる
・トラビアンでも裏切りを重ねる
・指摘を受け窮地に陥ると名無し潜伏して自分を擁護
・その際には面白くないなどと指摘を固定叩きに矮小化
・執行猶予を受けているという理由だけでアダルトを犯罪者と罵倒
・そのくせ自分が駐車違反で罰金を支払っている件についてはスルー
・家紋スレにて住人に自分の家紋の解析を要求しておきながら資料となる家紋をいつまでもうpしない
・モンハンについて偉そうに語るくせにフルフルすら倒せないでいる
・未だにゼロセンチ先生≠うんぴを叫び続けるが、ネタだとしてもつまらない
・無双スレを立てて三戦住人に戦国無双3の購入を呼びかけておきながら自分は未購入
・元気いっぱいボーイッシュな娘が大好きと発言し、馴れ合い仲間たちからさえも引かれる
・出会い厨を叩きながら自分は出会いを求めてOFF会を計画
・雪かきをするために早起きすると言いながら、早起きして潜伏自演マンセーを敢行
・八戸に粘着的ストーカー
・幕府スレでスレの流れを無視し、すぐに素を出し空気をぶち壊す
・曹操の墓スレをスレ趣旨とは無関係の英雄ランキングの話題で荒らす
・そばに無知な分際でわんこそば以外のそばを全否定
・愛子内親王様を「病気の子」呼ばわりする異常な人間性

133 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/22(月) 21:28:53 .net
部下に最も恵まれているのは誰だろうか?

134 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 15:02:30 .net
3人とも恵まれてると思う

135 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 20:10:18 .net
曹操はそうでもないだろ
方面司令官任せた夏侯淵も曹仁も肝心なところで頼りない

136 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/24(水) 21:15:57 .net
石勒も石虎以下、名将相手には勝てないしな

参謀の差で、苻堅>曹操>石勒って感じ

これをプラスに評価するか、マイナスに評価するかは各人次第だが

137 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 00:31:18 .net
石虎も凄いのか凄くないのか、イマイチよく分からないんだよな
名将、劉曜・祖逖に勝ったり負けたり

138 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 00:35:02 .net
石季龍性残忍

139 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 02:08:31 .net
まあ名将対名将なら毎回勝利ってわけにもいかんだろ


140 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/25(木) 02:29:53 .net
石虎に勝った。劉曜、祖逖、慕容恪あたりは時代を代表する名将だから
負けても仕方ない気もする

141 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/29(月) 04:19:21 .net
曹操は暗殺の勅を出された時点で漢からみれば逆賊認定なわけだが
実際問題として、曹操を排除してその後の状況切り抜けられたかっつったら果てしなく疑問
そして曹操に頼らずに自立できたか、と言うとこれもまた相当に疑問だ
曹操の所でそうだったように、どっかで傀儡になるならまた別だがね

142 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/29(月) 21:39:09 .net
石勒の最大のライバルって誰?

143 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/30(火) 00:45:03 .net
当然、劉曜だろ。

144 :無名武将@お腹せっぷく:2010/03/31(水) 04:53:50 .net
劉曜、王浚、祖逖あたり?

145 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 21:31:10 .net
魏晋南北朝で曹操より確実に上と言えるのは、
苻堅、北周武帝、楊堅くらいだろうな

146 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/05(土) 23:53:53 .net
苻堅はなあ
死に様見てれば曹操や石勒に遠く及ばない

147 :無名武将@お腹せっぷく:2010/06/06(日) 19:09:37 .net
死に様以外では曹操より上でもおかしくないな

148 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/11(日) 13:12:19 .net
祖逖のウィキが見れないのをどうにかしてくれ

149 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 04:47:51 .net
−石勒・苻堅は本当に曹操を超えた英雄といえるのか−

ちょっと待て。その前に曹操が英雄といえるのか?

150 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 08:18:05 .net
超世のケツ

151 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/14(水) 22:30:26 .net
白起のような栄光、商オウのような人望の持ち主

152 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 03:53:56 .net
魯迅は英雄としてるけどね
色々と問題もあるが功績もある

153 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/26(月) 22:55:52 .net
石勒って他二人に比べてあんまり戦に強いイメージないんだが
大体戦ってる相手が政争で下手こいて政局的に孤立したり、謀殺したりとかばっかじゃん
王浚とかまさにそんな感じ

154 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/29(木) 18:04:59 .net
乱世では謀殺も実力の内だ
この三人の中で個人的力量で劣ってるのはむしろ苻堅
せっかく大勢力を築いても自らそれを崩壊させては元も子もない

155 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/31(土) 03:57:50 .net
自分の行いは棚に上げて人のことばっかり悪く言う石勒がたぶん三人の中では一番信用ならない

156 :無名武将@お腹せっぷく:2010/07/31(土) 15:52:23 .net
実際蛮族といわれても仕方が無いような事は平気でやってるからな
石勒評も人物評価というよりは晋への個人的な恨みだろう

157 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/28(火) 13:22:03 .net
ムムムムム…

158 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/08(金) 01:25:52 .net
符堅は英雄

159 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/09(土) 03:12:37 .net
曹操は版図こそ符堅に劣るが、
大敗後の立て直し、内憂を抱えながら支配力を増していったしぶとさは符堅より勝るように見える
逆にいえば、符堅に足りなかったのはここらへんの政治手腕

160 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/20(水) 19:59:28 .net
>>153
結果論から考えると、確かに王浚は滅亡直前には最盛期に比して弱体化はしているのだが、
その状況は石勒が作り出したものだからなあ。
祁弘戦死後の戦力ダウンが酷すぎるんだよ、まぐれ勝ちを拾い上げた石勒の悪運を褒めるしかない。
霧中の遭遇戦において突撃を敢行できるのは、余程のクソ度胸かただのボンクラのどちらかしかいない。

王浚の場合、晋人として見ると幽州の梟雄どまりだが、漠北の支配者として見ると久方ぶりの大人と
言っても遜色の無いくらい勢力圏が強大だった。
だからこそ、勢力の瓦解も遊牧民国家並みだったと言える。

161 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/20(水) 20:09:59 .net
>>145
個人的な能力という点で見れば、慕容恪はその三者を凌ぐと言ってもよい。
ただし、前燕という国家は幼弱すぎた、慕容恪の勝ち取った成果の上にただ胡坐をかくばかりであった。
そういう意味では国家の行く末に有効策を打てなかった慕容恪は非難を免れ得まいが、
有効策を打ちながら、主君に反故にされた王猛というライバルもいるわけで、何が本当に正しいのか
あんまりよくわからなくなってくる。

慕容恪の簒奪、と言うか皇帝即位は見てみたい気がする。
桓温は絶対に北伐を企てないし、苻堅は終始ビビりまくり。



162 :ジャイアニズム:2010/10/20(水) 20:17:46 .net
こんな野蛮人どもが中原の英雄に勝るわけがない

163 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/20(水) 20:20:16 .net
ジャイアニズムは曹操患者だったんだなw

164 :ジャイアニズム:2010/10/20(水) 20:38:45 .net
文字もなく不潔な蛮地で生まれた下等な夷と、万物溢れる神聖なる地たる中原で生まれた英傑を一緒にするな!

165 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/20(水) 22:22:47 .net
痛いヤツだと思っていたらやはり…

166 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/20(水) 22:39:38 .net
                   ___
     _,, -ー ,,          / ⌒  ⌒ 丶  あれれ、日本・中国で曹操の人気は高いんじゃなかったんだっけ?
    /   " `..,:.      <●>  <●> 丶   日中両国で魏にまったく人気がないのが発覚してもいまだに曹操患者やってて楽しい?
 :/ 曹操患者 :::::i:.      |  (__人__)   |    いつも一人寂しく劉備へのネガキャンはってるの?
 :i         :::::!,,   ハッ  \  |∪|    、____ 
   ヽ.....:::::::::   :::::i   ハッ    / ヽノ      ___/  
  r "     .r ノ~.    ハッ   〉 /\    丶    孔明を口汚く罵るしか楽しみ無いの? 
:|::|    ::::| :::i. ゜。         ̄   \/⌒_)     ねぇどうなの?どうなの?
:|::|    ::::| :::|:                } ヘ /
:`.|    ::::| :::|_:               J´ ((  トントン
         ____   
       / /  \\      
.     / (;;..゜);lll(;;..゜)\ このガキャあああああああ
    /   ⌒(__人__)⌒ \    ナメてんのかああああfさdkjh;flsだhf
    |  ノ(  |r┬- | u  | ________    
     \ ⌒  |r l |    / .| |          |
    ノ  u   `ー'    \ | |          |  情弱の蜀ファンごときが調子こいてじゃねええええ!
  /´                .| |   Sotec    |  そのうち蜀に投票したことを後悔する日が来るぞ!
 |    l      プルプル u  | |          |  
 ヽ u  -一ー_~、⌒)^),-、   | |________|
  ヽ ____,ノγ⌒ヽ)ニニ-___| |  |____



167 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/21(木) 03:56:01 .net
苻堅は一代で国を滅ぼしてしまったのがな……
いくら最盛期が曹操・石勒以上といってもケチがつくだろう

168 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/23(土) 13:59:02 .net
>>167
李衛公問対で扱き下ろされまくった影響もあると思う。
東晋勝利の立役者である謝玄を「善」としないって、アレほどおかしい評価も無えだろ。
東晋↓or→+前秦↓↓↓
こうして耄碌苻堅という評価が定着したんだと思うよ。

冷静に考えれば、分裂傾向で優柔不断な東晋政権の勝ち目はほぼゼロなんだが、
この時期に限り、桓温時代にさえ実現しなかった驚異の一致団結で逆転勝利って
漫画的展開過ぎる。

169 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/24(日) 00:01:08 .net
>>168
あれは凄いよな。
勝利の後の東晋宰相の反応も凄く漫画的。
報告を受けた時、客のいる前では「若い連中がやったようだな」と悠然としてつぶやき、
客が帰った後で大はしゃぎ。
漫画が映画の大団円ラストシーンみたいだ。

170 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/24(日) 19:57:07 .net
一番「筋」を通しているのは石勒だよなあ、弱肉強食・勝てば官軍・権威なんて糞食らえって感じで
苻堅は、敗戦後完全に人格破綻してしまっているし(伏線は十分にあったと思うが)
曹操は勤皇なんだか反権力なんだかよく分からんというか、自分に都合がいいように利用しまくって
いる感じ(そういう意味じゃ、勝てば官軍ってところは石勒との共通点か)

石勒に「卑怯者」だの「虐殺者」って非難しても、何の意味もないんだよな
本人はそれを解った上でやっているんだから、負けた連中の方の生存努力が足りなかったとしか
認識していないだろう
曹操は、取繕いさえしなかったら石勒と同類の超弩級悪党だったんだろうけど、生まれやら教養やら
社会規範やらのせいで取繕わざるを得なかったことで、姑息な悪党って評価になってしまったんだと
思う

171 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/24(日) 20:06:01 .net
石勒の謀略は、基本的にどこか愉しんでいるフシがある
実際、痛快すぎる妙手が多いし
指揮采配という部分に関しては、その編成・装備の問題から、決して鮮卑や烏丸とは正面決戦
できない制約があったと思うが、それを引っくり返してやろうという気概がさまざまな謀略から
伺えるのが、何と言うか、ガキ大将的なゲーム性の追求を感じるんだよね
あと、凄え負けず嫌いなところも思わずニヤリとさせられる

こういうところは曹操も少なからずあるし、似たもの同士の同属嫌悪の部分があると思うわ

172 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/24(日) 20:34:13 .net
>>109
石勒の勢力基盤は311年の襄国割拠まで、遊牧民以下の回遊魚・群生相の飛蝗ぐらいの酷えもん
だったんだけどね(凄く遅レスだが)、あの戦略性の無さは禽獣並だぜ
十八騎出身者は良いとして、君子営の連中が愛想尽かさなかったのが奇跡だわ
匈奴漢の存在は、無いよりはあった方がマシ程度の認識だなあ
(関東経営なんて、王彌→曹蘶・石勒の自主裁量が大部分)
劉邦と韓信の関係の独立性が強まった感じ?

石勒本人は、あるいは自分を御してくれる超一級の君主を渇望していたのかもな
そんな英傑がいなかったから、自分が成ってやろうとした塢主が石勒で
その英傑を生涯追い求めて憤死した塢主が祖逖ってところ(この二人は同じコインの表裏)

173 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/31(日) 01:12:25 .net
五胡の君主のなかでも、石勒と苻堅は特に名君の誉れが高い。
それは両者とも中原統一を成し遂げた功績によるもので、それほどの偉業を達成した人物なら
さぞかし人格も素晴らしいものであろう、との想像ができる。

石勒はどちらかといえば現実主義者だと思う。その時その時、臨機応変に対応し、
尚且つ帝王として大切な“徳”も身につけようとしていた。
一方の苻堅は、wikiには「理想主義者」と書いてある。誰が編集したのか知らないけど、
非常に的確な評価だと思うね。
中国なんて今も昔も自己の理想や信念を貫けるような社会的土壌は皆無なのに、
それでも意地でも曲げようとせず、結果あのような目に遭ってしまったのは、嗚呼!悲哉!


174 :無名武将@お腹せっぷく:2010/10/31(日) 09:06:15 .net

     馬鹿かお前! 
\____    _______/
        \/         
        / ̄ ̄\   バカ?    ____
      /       \        /     \_ : ハァハァ...
      |::::::        |   : / /  #   ;,; ヽ
     . |:::::::::::     |   /⌒  ;;#  ,;.;::⌒ : :::\   
       |::::一般市民 |  / -==、   '  ( ●)  .:::::|  「劉備と関羽と諸葛孔明を徹底的に叩いてきたぞ!曹操の名誉を取り戻すんだ!」
     .  |::::::::::::::    }   | ::::::⌒(__人__)⌒  :::::. ::::|      
     .  ヽ::::::::::::::    }    ! #;;:..  l/ニニ|    ::::::/ :
        ヽ::::::::::  ノ     ヽ.;;;//;;.;`ー‐'ォ   .;;#:::/   ハァハァ....
        /:::::::::::: く       >;;;;::..    ..;,.;-\
-―――――|:::::::::::::::: \-―   /  曹操患者    \  ――

175 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 02:50:19 .net
政治家の条件としては、国の体制を安定させること。
だがそれ以上に現実に則した対応を取ることが求められる。
曹操は漢から官位を賜るときに、同時に与えられた領土をたびたび返還している
丞相になった時は三分の二を返還し、公になった時も冀州十郡のうち九郡を返した。
曹操はあくまで皇帝を元首とする漢帝国の体制を崩壊させようとはしていない。董承のようにクーデター企画した奴は潰されたが
しかし官位を返すことはしなかった
その心は、天下には未だ賊多く定まらず、安寧を見ない。功成り名を上げて身を退くは君子の理想であるが、そんな夢想のために国を滅ぼすことは出来ない
というもの
実際問題、曹操が軍権を手放すことなど不可能だったろう。孫権や劉備がどう動くかわからないし、各地で有力者が挙兵して漢が再び分裂するのは目に見えていた
三人の中で一番「政治家」をやっていたのは曹操だったと思うよ

176 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 10:19:20 .net
「英雄」ならば、中途半端な態度をとらず、自ら皇帝を名乗り、
全ての裁量権限と責任を負うべしともとれるがな

177 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 16:56:59 .net
>>176
そんな夢想のために国を滅ぼすことは出来ない
というか、曹操の態度は明確だったよ
曹操は皇帝即位に対し初めから最後まで「ない」と断言している
敵は悉く潰し、特権や外戚関係を得たが帝になる意思は最初から明らかにしていない
元よりすべての裁量権限と責任はとうに曹操の元にある、むしろ曹操にすべての責任があるからこそ帝に類は及ばないとすら言える体制だよ
曹操には漢の権力を独裁する意思はあっても漢を滅ぼす意思はなかった

そもそも公にしろ王にしろ初めに言い出したのは董昭らで、三度断った末「御意に背き免職になるくらいなら」と位を賜っている
そして配下の再三の推挙でも皇位は拒み続けた

178 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 17:10:25 .net
曹操が漢を潰すつもりなら河北を制覇した時点で出来た
だが曹操に対する反乱は規模こそ小さいながら頻発していて、漢を奉戴したことによって曹操に付いてきた士大夫や名士は多かった
董昭だって元は朝廷の人間だしな
漢を滅ぼすわけにはいかなかったことを一番理解していたのは曹操自身だったと思う
後は董昭の公即位論に真っ向から反対した荀ケ

というか、陳寿が荀ケの公即位反対に対し「内心面白くなかった」と書いてあることには何の根拠もない
曹操は公即位の詔勅は何度も固辞している。むしろ家臣の推挙に押し切られて受けた形だ

179 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 18:34:19 .net
固辞してみせるのは、古代の聖人の真似をした儀式だろ
そんな儀式すら我慢できない五胡と同列に並べるべきではない

漢の権威は、魏や晋とは比べ物にならず、易姓革命の伝統があるとはいえ、
王モウの失敗、光武帝の再興のおかげで、
当時としては、ほとんど神話に近いものになり、漢の不滅神話の方が現実的であったはず
だから、利用価値があり、利用したってだけだろ

もっとも、そういう意味では曹操の方が皇帝になるのは、石勒よりはるかに困難って事情を
勘案する必要があるかもしれんがね

180 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 19:19:03 .net
>>固辞してみせるのは、古代の聖人の真似をした儀式だろ
ようするに周りの推挙があれば臣下は主君を王や皇帝にすることが出来るということ
古の慣例が示しているのはそれ。

>>当時としては、ほとんど神話に近いものになり、漢の不滅神話の方が現実的であったはず
  だから、利用価値があり、利用したってだけだろ

だからそうだって。
曹操は政治家として粛々と現実に則した手を打っており、「皇帝にならない」という最初の政治思想からずっと一貫とした態度を取っているよ


181 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 19:39:20 .net
>>固辞してみせるのは、古代の聖人の真似をした儀式だろ

これ、曹操を簒奪者とする場合、その野心を示すのによく使われるけど、先例に習い臣下の領分を逸脱しない事のどこが悪いの
そもそも皇帝になる意思のなかった曹操に、皇帝にならないから中途半端とかいう指摘はおかしい

182 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 19:51:28 .net
真の忠臣や周公を名乗るなら、息子に漢を乗っ取らせるお膳立てをするべきではなかった

183 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 20:17:33 .net
>>182
曹操自身が死んだあと、家臣の推挙を押し留めるのは不可能だよ
お前さん劉協の禅譲の詔勅の文面の内容知ってるかい?

184 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 20:24:14 .net
>>182
今までの話を読み返した方が良いな
曹操が漢の体制を侵さなかったのも主権を握って独裁化したのも、すべては国家の繁栄を目指してのことだ
聖人君子に憧れて国を滅ぼすこと、早まって混乱を招くこと、両方とも優れた政治家の所作ではない


185 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 21:51:23 .net
>>181
つーか、光武帝をはじめとする先達の事跡を参考にしている割に、権勢の保持が無邪気すぎるよね。
韓信でさえ、わずかだが劉邦に疑われたときは疑念を晴らすための処置はしているぞ。
王莽と評されてもおかしくない状況を放置したまま息子に継承させる神経が解らない。

慕容恪ぐらいハッキリと
「陛下(慕容儁)がもし、この恪を以って天下の任を任せるに足るとお考えならば、
 どうして少主を輔するに足るともお考えになられないのか!」
天下に公言すれば良かったんだよな。
ここまでした上で、なおかつ権勢は息子に譲らず、宰相位もほかの有徳者に明け渡すぐらいやって
初めて野心が無いことを証明できたのにね。
魏公国なんぞおっ建てておいて、「曹操に簒奪の意思はなかった。」は最早ギャグだろ。

186 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/03(水) 22:39:03 .net
自分は皇帝にならないが、息子が皇帝になるのは規定の路線というのが一貫しているだけだろ

そりゃ、政治家としてはともかく、敵をだますのはありだろうが、勇気や正直なことが美徳とされる遊牧民から批判されるわ
配下からも曹操の意図を読み損ねるものや、方針が定められず混乱するものがでてきて、マイナスな部分も多そう

187 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 00:46:58 .net
>>185
>なおかつ権勢は息子に譲らず、宰相位もほかの有徳者に明け渡すぐらいやって
だからこれが暴論の極み
曹操が軍権を譲渡した時点で漢の崩壊、ひいては曹操軍の崩壊は確実
そして最高の実力者である曹操の息子が権力を世襲すること以上に円満に解決できる後継問題はない
「他の有徳者」とやらに明け渡したら曹丕を盛りたてようとする反曹派で分裂するだろうし、そこにクーデターを目論む奴らが挙兵して大混乱になるわ
八王の乱以上の修羅場は目に見えてる
そんな愚挙を曹操が取らないのは当然で、それをもって曹操を簒奪者とするのは間違っている
「聖人に憧れて国を崩すことなど出来ない」とは曹操の言葉

曹操は210年の布告でこうも言っている
「兵馬の大権を握っていたとして、斉の桓公や周の文公に野心があったとなぜ言えるのか?」

簒奪の意思があるとかないとか以前に、現実的に政権を奉還するなんてのは不可能で、まともな政治家ならそんなことはやらん

188 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 00:56:11 .net
「周の文王たらん」を息子に簒奪させる意思ありとか言ってる奴は封神演義読んでないだろ
曹操が簒奪者だっていうのは、曹操=野心家という固定観念から抜け出せていないからだ
流れから行けば曹操が藩国を賜ったことに不自然はない
政権を安定させようとしていくうちに、収まるところに収まったというだけ
曹操自身、漢帝国を潰すことも、自身の派閥を政治の場から取り除くことは出来ない事も良く分かっていただろう
だから官位は受けるが、領土は返還している。そして皇帝にならない意思を表明している
漢の忠義とか野心とかいう次元ではなく、ただ国家の繁栄に努めた結果だ

189 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 01:20:46 .net
そもそも曹操が政治の場から辞退したとしたら、曹操に付いてきた奴らの立場はどうなるんだ?
それに朝廷内が無菌というわけでも当然なく、中には董承や孔融のような連中もいる


190 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 01:38:07 .net
どうでもいいけど根拠が封神演義かよ

191 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 09:17:20 .net
魏は正式な禅譲の形にこだわってる感じだから
30くらい下の献帝に禅譲させるのは年齢的に諦めてただけじゃね?
曹操が死ぬと速攻息子が禅譲してることからも
漢を乗っとる計画を前々から親子で考えてたと思う
曹操の部下からの自分への期待がしんどいって曹丕も言ってるし

192 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 19:36:49 .net
>>188
領土返還を繰り返してるが
それって単なるレトリックだと思うぞ
州再編にかこつけて自分のテリトリーを大きくするわ
九錫と土田・山川・不附庸を受けて実質的な独立国家にお墨付きを与えるわ、
劉氏以外は王たらず、という不文律やぶって王となるわ
どうみてもポーズと裏腹に自分の勢力を拡大させ、次代に皇帝とさせる布石を打ってる
もともと求賢令とかいって自分の勢力が直接集めた人材に、各地の差配や要職を握らせてる時点で
漢は既に曹操の支配下にあったものにすぎん
自分の財布の中で金をいくら並び替えようと、結局自分のものであるように
曹操にしたっていくらポーズで領土を右から左にまわしても
実質的には痛くもかゆくもなかったろうよ

193 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 20:48:03 .net
まあ、封邑の返却とか封国の辞退そのものが「謙譲・卑下」のポーズだからな。
石勒でさえやっているくらいだから、相当普遍化していた儀式なんだろうね。

霍光みたいな人生もありだったと思うけど、やはり後代の人間として霍氏の事跡を鑑みて
自分死後の一族滅亡を忌避すべく、息子に簒奪のお膳立てしまくったのかな?
息子に簒奪の汚名を着させて、自分はいかにも漢の忠臣でしたってツラすんのは男らしくないよな。
あそこまで権力を独占したのであれば、死後の評価は後漢の外戚’sと同レベルの貶めしか
貰えないのは確定だったんだから、開き直っちまえば良かったのに。

194 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/04(木) 20:58:55 .net
そもそも>>188は封神演義とかいってるが
あれの最古版は確か明代成立のはずだろ
明代成立の作品に描かれた文王像をもとに
それよりはるか昔に生きた曹操の発言を云々するって
無理があるだろ

195 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/05(金) 00:09:48 .net
献帝陛下の詔も知らんと、好き放題誹謗しまくってる奴がわいてる

196 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/05(金) 00:35:20 .net
その献帝陛下自身が
曹操に殺された皇后が死ぬ前に助けを求めたとき「私もいつまで生かしておいてもらえるか、わからないのだ」
といってる
これで曹操を忠臣といっても…

197 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/05(金) 22:32:51 .net
『あなた様を思う、大忠臣でございます』って毎日頭下げて、ガキをだまして、
狐のように、その虎の名と権威を借りて、しかも、天下をとれなかった奴をなんで、こんなにかばうのかね?

大丈夫たる者、磊磊落落してなきゃな!
この俺のように!(だが、バカな欲深をだますのはアリだ。だから、劉邦はあり)

まあ、俺もこいつのように、晋や漢の皇族を使えば、天下だってとれたかもしれんな
だが、やってられっかよ! お人好しのガキや女は、殺しはしても、だましはしねえ! それが人の誇りだ

・・・・。いやー、すまん、すまん
そんな人としての誇りなんざ、みじんももっていない曹某とか司馬某とかいたな
でも、こいつらのどこがいいの? 理解できねえ。したくもねえな

と、石勒なりきり

198 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/07(日) 00:54:26 .net
鮮卑公式認定の蛮族石勒、盗人劉備、偽天子孫権キモイ

199 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/07(日) 16:36:47 .net
曹操=姑息、躁鬱気味
石勒=低学歴DQN、ジェノサイダー
苻堅=女々しい、脳内お花畑

こんなイメージだな、だいたい。
苻堅の場合、両刀使いなイメージがあるが、王猛・慕容垂に対する処遇を見ていると
ガチで同性愛者だったんじゃないかと疑いたくなるな。

200 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/08(月) 22:45:40 .net
「苻堅の場合、両刀使いなイメージがあるが」って、
晋書の載記に慕容氏の姉弟を後宮に入れたと書いてあるじゃないか。


201 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/11(木) 23:58:16 .net
三人とも領土広げ過ぎたんだと思うんだよな
時期を鑑みると世界史的に見ても冷害による国力減退が酷く(ゲルマン大移動もこの頃の筈)
そこに頑強な地方勢力が居るうえで、そいつらと戦争しながら領地経営を出来るだけの国力は端からなかったのだろう
石を積み上げ過ぎて崩れた格好だ。魏は首がすげ変わっただけで、国自体は崩壊しなかったけど

202 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/13(土) 10:20:34 .net
>>201
石勒・石虎の場合、別にその没後に一挙に勢力が瓦解したわけではないんだがな。

冉閔の反乱が強烈すぎた、事実上たった一軍閥で後趙内のほかの軍閥を撃破したからな。
(姚弋仲の勢力を除いて、3年でほとんど壊滅)かなりイレギュラーの部類に入ると思う。
一族内の内紛が多く、周囲が敵ばかりだった前秦でさえ苻堅没後9年は生きながらえたというのに。

203 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/13(土) 21:55:27 .net
>>196
曹操にとっては、帝位も何も中華統一のための手段に過ぎないからじゃないか?
漢王朝権威が役に立つならば利用する

・・・魏を立てたのも、丞相職のように子孫に引き継がせられない地位よりも、世襲できる地位が欲しかったんだろう。
自分の代では統一は不可能だと悟って。

・・・と個人的には考えてる。

漢土統一した場合は、曹操は帝位を望んだろ。

204 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/13(土) 22:12:08 .net
>>203
それじゃ結局曹操は忠臣でもなんでもなく
ただの奸雄という今までどおりの評価でおしまいじゃないか

205 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/13(土) 22:14:24 .net
>>203
多分、それが一般的な見方だよね。

もう、最後の方は自縄自縛と言うか、下手に担いじまったもんだから
漢臣の撥ねっ返りどもに反乱起こされるわ、禅譲工作なんぞに精を出さなきゃ
いけないわで、すべてが頓挫しそうなグダグダ感が半端ねえ。
そういう意味では曹操もよく乗り切ったなあ、あんな弱気なのに。

これに比べると、石勒や苻堅は人間味に欠けるわ。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/14(日) 04:22:11 .net
つーかここでは曹操が漢の忠臣だった、なんて意見は出てないんだがな……
一部の奴が勝手にシャドーやってるだけ
ようは極々政治的な見地からものを見ていたのが曹操という政治家で、そういう意味で二人よりずっと政治家らしいと
そういう話なだけだろ
>>205
ごくナチュラルな感じで、家臣は曹操と漢とで二心を抱いているからね
そもそも曹操の傀儡政権に波風を立てなければ、曹操が崔琰らの粛清に走ることもなかっただろう
つーか言ってしまえば漢の皇帝は曹操が生まれる前から実質的に傀儡なわけだし、曹操が全権を握り皇帝を戴くという、荀ケの構想には道理で考えりゃ何の問題もない気がするがな

207 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/14(日) 07:46:10 .net
>>206
>>187>>188書いて曹操は領地の返還してる!曹操に簒奪の意思はなかった、みたいな事いって
それを否定されたらそういう言い方に逃げて自分が正しい事にするって
単なるズルだと思うが

208 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/14(日) 07:53:25 .net
てーか>>195では傀儡にすぎない献帝陛下の詔をもとに
曹操を簒奪者じゃないとか、曹操が野心家だった事の説明を誹謗とかそしり
その献帝が「いつまで生かしておいてもらえるか、わからない」という
命の危険を感じまくりの傀儡だった事を示す発言してる事を出されたら
角度を変えてシャドーとか言い出すってせこすぎ

209 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/14(日) 22:56:13 .net
>>206
曹操を漢王朝の逆賊に仕立て上げるならば、ジュンイクを抱き込むのが一番。

・・・ジュンイクの死って、そういった精神的な苦悩とか宮廷闘争的なものに巻き込まれたんじゃないかと思ってる。

210 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/14(日) 23:35:46 .net
>>206
一番「政治家」をやっていたのは、もっとも無学だった石勒一択だろ。
虐殺と仁政を両立した稀有な存在だぞ、華北からの民の流出をその代でほぼストップさせた。
(石虎以降の時代に至ると、後趙末期滅亡寸前まで民の流亡は発生していない。)
年がら年中民衆に背かれていた曹操や身内の反乱に悩まされていた苻堅では石勒の安定感の
足元にも及ばんだろう。

性格の違いなんだろうな、ここら辺は。

211 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/15(月) 02:57:11 .net
謀殺魔の石勒が仁政とかないわ

212 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/15(月) 03:07:41 .net
つーか、虐殺やってる時点で仁政とは相反しとるがな
そういう観点だったら、曹操や苻堅だって被戦地になった領内の復興に努めてるだろ
曹操が復興させた河内近域は献帝を奉戴した時点ですでに廃墟だった
苻堅も王猛を使って教育や農政に力を入れて民族融和の構想を進めていった
>>208
>>207
せこいとかズルとか、
お前らは口げんかがしたいの?

213 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/15(月) 03:29:52 .net
領地経営や内政の事を言うと、石勒の政治的功績は趙公になったあたりからだろう
それまではずっと前趙の軍人
孝廉で、牧自称後は事実的に独立している曹操や二十歳で皇位に即位した苻堅はそれに比べりゃかなり早い段階から軍政家


214 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/16(火) 00:05:01 .net
忠臣とか奸臣とか英雄とか匹夫とか
くだらない二元論はどうでもいいよ

215 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/16(火) 02:12:21 .net
スレタイ

216 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/16(火) 23:56:38 .net
>>213
石勒の独立時期は、明確に区分することはできない。
315年頃には、漢(前趙)への仕送りが滞っていて、漢朝廷から相当警戒される存在になっていたし、
遡る311年には、勝手に東方経営の担当者であった王彌を謀殺した割にはお咎めなしとか、結構
フリーダムな扱されているんだわ。

そもそも、前趙自身は并州において劉琨と拓跋部の連合相手に泥沼の戦いの渦中にあり、
支作戦正面であった冀州・兗州方向にあっては、とても直接支配できる状態では無かった。
石勒・王彌に与えられた権限は、最早君臣の関係と言うよりは、同盟者に近かったと見るのが
自然ではなかろうか?
こう考えてくると、石勒の政治活動の嚆矢は311年の襄国割拠とするのが妥当じゃないかと思う。
(309年の開府・君子営設立も有力な時期ではあるが、まだこの時期は、漢からの兵站支援下に
作戦行動していた可能性が高いため、上記の時期を実質上の独立時期と思料)

まあ、実務能力自体は、曹操・苻堅とは比べ物にならないほど低劣なことは否定できないのが
玉に瑕ですな。


217 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/17(水) 13:40:09 .net
>>212
追い詰められたら論旨を変えて自分が正しい、にしてまとめるなって事じゃねーの
相手をシャドーだのなんだのそしっておいて、自分が言われるとそれはないわ

218 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/18(木) 20:59:08 .net
曹操が忠臣とか信者しか言わないよな

219 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/18(木) 23:42:56 .net
>>218
漢王朝の忠臣ではでは無く
漢土統一への忠臣だな。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/18(木) 23:59:26 .net
>>219
いや、その理屈はおかしい

曹操と言い桓温と言い、飾りっ気がありすぎたのが簒奪に災いしているわな。
変なところで律儀な気がする、いくら自ら招聘したとはいえ、有力な敵対勢力になりそうな
人物だったら迷わず殺害するか政治的に抹殺すべきだったんだよ、劉備・謝安なんか特に。

221 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/19(金) 01:30:58 .net
>>219
それってつまり自分の野心に関して忠実だったって事?
それ言ったら当時の群雄の大抵がそうなるんじゃないの

222 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/20(土) 01:34:24 .net
>>221

・・・野心を持って天下を束ねたものが、王朝の初代皇帝だぞ。
漢土統一には、乱世の終焉という大儀もあるしな

223 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/20(土) 06:49:58 .net
>>222
曹操は天下を束ねてないし、
「束ねたかった」という意思をもち、その野心に忠実だったというなら
大抵の群雄もそうなる
あの孫権でさえも天下2分の計を示されるまでは漢土の統一を漠然と考えていたように、
当時の群雄にとっては漢土統一は当たり前の概念

224 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/20(土) 19:00:50 .net

劉邦>劉秀>劉裕>劉淵>>>>>劉備

225 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/20(土) 19:24:53 .net
>>224
劉淵はそこに入れちゃダメだろ。
漢(前趙)の勢力自体、(歴史的重要度は別にして)并州の一部に限定されたものでしか
なかったわけだし、そもそも、この人軍事的にはほとんど未知数という経歴だぜ。
そこに並べるのであれば、前趙の創始者(匈奴漢中興の祖)劉曜こそ妥当

劉裕って評価が難しい人物なんだよね。
卑賤の生まれながら、北府軍入軍によりその後の人生が素晴らしく開けたおかげで
棚ぼた的政権奪取だからなあ、軍事的には怪物と言っても良いくらいの才能を持っていたが。
まあ、槍働きひとつであそこまで登りつめたわけだから、実力的には申し分なし。
しかし、劉邦・劉秀・劉備の三名とも軍事的には有能な部類に入るしねえ。

226 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/20(土) 19:49:41 .net
中国の核大量殺人をNHKが隠蔽してる??

そんなこと、このスレでは興味ないんだよ

スレから出て行け!ゴキブリwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

227 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/20(土) 21:47:11 .net
119 名前:無名武将@お腹せっぷく :2009/11/09(月) 02:23:28
八重樫



…って誰?


120 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/06/21(月) 22:57:48
アダルト日出夫


121 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/06/21(月) 23:01:35
規制でクラウンにて避難生活中


122 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/08/20(金) 21:26:22
目を凝らせば、あなたの周りにもぴちょんくんがいるかも


123 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/08/21(土) 00:18:00
age


124 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/11/20(土) 13:36:30
( 〇 ヘ〇) ぼくきちがい八重樫くん!


125 名前:フレディ・マーキュリー ◆jjKU9pZ2LI :2010/11/20(土) 21:07:37
>>124
自己紹介でもしてんのか?
八重樫君

228 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/22(月) 20:16:37 .net
458 名前:フレディ・マーキュリー ◆jjKU9pZ2LI :2010/11/22(月) 19:50:15
だが生きとる


459 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/11/22(月) 19:58:38
>>458
池沼乙!!


460 名前:無名武将@お腹せっぷく :2010/11/22(月) 20:12:25
Wなんとかに喧嘩を売り敗走しその後名無しに敗走し1晩で2度敗走の伝説を作ったアダルト
その後は伊達政宗同様クマッタに呆れられ完全スル―される始末

229 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/24(水) 10:08:25 .net
孫というなの宝物

230 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/24(水) 22:55:02 .net
三者の違った切り口からの比較

政治上のブレーン・代行者
 曹操:何はともあれまず「荀ケ」、多士済々
 石勒:ちょっちマイナーだが良い感じに有能「張賓」
 苻堅:魏晋南北朝最強の宰相恪「王猛」
異質なのは石勒、参謀・官僚不在だとまともに政治が回らない
ただし、丸投げ気味な部分は仕えるほうとしては遣り甲斐あるのかも
しかし政務能力を持っている曹操・苻堅の方がドジなのはどうかと思う

軍事上の片腕、総司令官を任せられる腹心
 曹操:演義だとイマイチだが正史だとやたら強い「曹仁」
 石勒:五胡十六国屈指の暴将「石虎」
 苻堅:王猛でもいいのだが「ケ羌」の威勢の良さも捨てがたい、「苻融」もアリか?
まあ、三人とも自分で出張ることが多いタイプなのだが
自分で出張ったときの決定力は石勒次いで曹操、大敗北を喫した苻堅は落第だな
曹操は軌跡の大逆転が目立つが、それに匹敵するぐらい取りこぼしが酷い

三人とも部下はうまく使いこなしている感じはする
部下との信頼関係っていう意味では苻堅−王猛ラインは最高だな
曹操は血統・家柄のせいで圧倒的第一人者の地位を築けなかったのが響いている
献帝推戴は曹操のそういうバックボーンから見れば悪手、天下を取るんならね
石勒は石虎を殺せない弱味のせいで子孫全滅だからな、国は残ったが
現状分析したら確かに斬れないわ>>石虎

231 :無名武将@お腹せっぷく:2010/11/28(日) 19:31:59 .net
>>230
>軍事上の片腕、総司令官を任せられる腹心
>曹操:演義だとイマイチだが正史だとやたら強い「曹仁」
これはどうだろ?
正直、曹仁が曹操の代わりに総司令官を務めた事なんてほとんどないような
曹仁が総大将として戦うときは大抵相手から攻撃を受けての事で、
呉に攻められた時も関羽に攻められた時も籠城で対応してる
まあ、袁紹に属してた時代の劉備相手に派遣されて撃退した事はあったけどね
これも一回、祭陽が派遣されて劉備に敗北して戦死した後での事
一つの領域においてフリーランスで広大な権限を与えられて領土を獲得させた、という点でなら
涼州を諸将を率いて平定した夏侯淵のほうがよっぽどそう呼ぶにふさわしい
まあ、夏侯淵は最後がアレだからいまいち評価されにくいのかもしれないが

232 :無名武将@お腹せっぷく:2010/12/06(月) 22:50:35 .net
>>231
曹操はそこがネックなんだよ。
信頼に足る軍司令官が曹操>>>その他ぐらいな感じが晩年まで続いている。
曹操自身が自分の指揮下の予備兵力を保持したがりな部分も問題だと思う。
光武帝と比較するのもアレだが、光武帝は異姓の外様にだって躊躇無く兵権を与え
外征を我慢強く敢行している、自分で出張りたい衝動を抑えつつ。

石勒と石虎の関係は劉秀と呉漢に近い形態、主君の統御には従うが
自主裁量が与えられるとマジ鬼畜、かつ、時々ポカする、そして主君による尻拭い。
でも、石虎は石勒の部将時代は凄え優秀なんだよな。
(劉曜撃破後の)司州〜関中・幽州・徐州・青州・荊州北部をことごとく平らげている。
魏晋南北朝期では、これを上回る司令官は曹操ぐらいしかいないんだよなあ。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/26(土) 13:40:32.56 .net
>>232
二線級には無敵、一線級には勝てない→石虎だよな
とはいえ、慕容部も石虎存命時は後趙避けて南下してるから
当時も名は知れ渡ってたんだろうな

234 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/26(土) 23:07:03.46 .net
>>233
そもそも、後から見ればそうだっていうだけで、当時の人間にしてみりゃどんな強豪でも必ず勝てるなんて保証はどこにもないからな
関羽なんかは、結果だけ見れば自分で総指揮を執った唯一の戦は大敗北に終わったし、局地戦でも甘寧や楽進を攻略出来てないけど、
やはり諸侯は警戒していたし、当時としては要注意クラスの武名だったんだろう

235 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 10:56:42.26 .net
当然そうなんだけど、当時の慕容部って最強のイメージあるから

236 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 18:23:28.37 .net
>>234
ウキン・ホウトクを破ってその軍を壊滅させ、魏のあちこちで反乱を扇動して
混乱に陥れた手腕は大したもんだと思うよ
「関羽の武名で中原は震撼した」とあったはずだし、最後の最後だけ見るのはいくない

237 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 20:19:32.00 .net
>>236
最後の最後だけ見るのはいくないといいつつ、挙げてるのは最後の最後の功績だけという矛盾

238 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 20:23:00.68 .net
>>237
>>236>>234
>自分で総指揮を執った唯一の戦
について答えている
その戦において最後の最後まではうまくやってたんだから
悪いところだけ見るのはいけない、という意味なのに
なんで矛盾になるわけ?文章読めなかった?

239 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 20:23:51.96 .net
>>238の文章は
>>236>>234の、って事ね
「は」を入れ忘れた

240 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 21:10:07.88 .net
楽進と戦って敗走したのも甘寧と対峙して渡河できなかったのも最後の最後の大敗以外でのキャリアだが
別に最後の最後だけあげつらって言ってるわけじゃないのだが
それだと言うのに「最後の最後だけ〜」云々というのは的が外れてないかね?
それこそアンタ風に言えば、文章読めなかった?

241 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/30(水) 21:32:16.29 .net
関羽の事績が殆ど吹っ飛んでるから仕方が無いし、確認出来る部分ではパッとしない記述が多いのは事実
それでも、結果だけ見ればそんなに警戒するようには見えなくても
推測できる限りでは30年以上もずっと各地で戦い続けており、当時の諸侯の反応から考えると、やはり全国クラスで名の知れた要注意人物だったのだろう
この評価で>>238がどうしてそんなにムキになるのかわからない、ディスられてるとでも感じたのか?
>>236
関羽が扇動したものなのかはわからない。別に魏領内での反乱なんてこのときだけじゃないし、不穏分子が戦役や外征に呼応するのはいつもの事だ

242 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/31(木) 08:05:52.99 .net
スコットランドの英雄ウィリアム・ウォレス

http://s1.shard.jp/rabbit1/0204/45/296.html

徳川幕府は、この人物と繋がっていたと思われる。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/31(木) 08:33:39.93 .net
ゲロセンチ関羽を否定されてふぁびょってるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

244 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/31(木) 20:29:06.44 .net
関羽には武名があったんだろうし、曹操も遷都を考えたほどだから実際戦では優秀だったんだろう
だけど、所詮は劉備の部将どまりだったんだろう

どっちかっていうと、石虎より冉閔に近いのか?



245 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/31(木) 21:26:53.20 .net
そもそも、劉備は武曲を率いながら、まともに政治をやったり領土を経営した経験が殆ど無い
荊州時代に新野に逗留していた時くらいだろう。戦闘の腕では劣らないかも知れんが、実質的に国家の主として執政していた曹操や石勒とは性質が違う


246 :無名武将@お腹せっぷく:2011/03/31(木) 22:45:39.84 .net
関羽は劉備配下の中ではかなり早くから独立して軍を任されているがな
まあ、といっても長坂の時に軍を率いて江陵に向かったのが最初っぽいが
曹操における夏侯惇のような存在ではあったのだろう。夏侯惇は曹操が兗州を支配した時には既に東郡太守として別軍を任されている
一軍の長としてのキャリアは関羽よりはかなり長いけどね

247 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/01(金) 08:32:02.49 .net
夏侯惇は負けすぎだろう

248 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/01(金) 23:58:20.15 .net
>>247
関羽だって常勝ってほど勝ってないから、夏侯惇で良いんだよ
それに関羽や夏侯惇のように方面軍を預かってる人間の場合、局地戦の勝ち負けよりも戦略的に大きなミスをしない事の方が重要

249 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 00:02:36.94 .net
>>240
はずれちゃいないな
>自分で総指揮を執った唯一の戦は大敗北
に対していってると書いてあるだろうに
なんで楽進や甘寧が出てくるのかと

250 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 04:36:54.88 .net
惇持ち上げすぎやね

251 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 05:39:38.94 .net
>>250
キャリアで考えればそうなる
イメージでものを言ってはいけない


252 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 05:50:52.82 .net
むしろ夏侯惇をナメ過ぎだろう
かなり初期から曹操から独立して軍を率いており、曹操存命中には曹操に次ぐ兵権を常に持っていた男だ
逆に関羽の司令官としての戦績は惇に比べてそれほど抜きんでているものではないし、統帥として諸軍を統率していた期間は惇の方が長いくらいだ
というか、関羽と夏侯惇のどっちが優秀かを論じているのではなく、劉備のとっての関羽の役割は、曹操にとっての夏侯惇だったのだろう、と言っている

253 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 07:03:27.85 .net
>>252
というか、関羽と夏侯惇のどっちが優秀かを論じているのではなく、劉備のとっての関羽の役割は、曹操にとっての夏侯惇だったのだろう、と言っている

なら最初からそう言えよ
同列に語るのはどうかと思うが曹操のいとこだから優遇されてるだけで実際戦下手だろ惇
有名なやつ相手に勝ってたことない
イメージの話か?


254 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 19:58:56.59 .net
夏侯惇って留守番要員のイメージしか無いけどなあ
正史の記述はともかく、実際は曹操の子分みたいな感じだったんじゃねーの?
若い頃は曹家の金で学問やらせてもらってたっぽいし、頭が上がらなかったと思われる

255 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 21:50:09.71 .net
少なくとも戦いでは
純>>>>>>>惇

256 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 23:27:28.79 .net
>>253
いってんべ最初から
有名な奴に勝った事が無い? それは違うよ
常に重要な要所に居たんだ

257 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/02(土) 23:42:16.17 .net
張繚≧徐晃>>>関羽≧夏侯淵>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>惇兄(笑)

客観的に見るとこれくらいが妥当か

258 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 00:01:46.20 .net
つか夏侯惇が戦が下手だとして、
じゃあ関羽が戦がそれに比して上手いという事になるか?
水軍を駆使して水軍を持たない部隊を撃破したとしただけで、その局地戦の一勝、二勝をを何処まで評価してるか知らんが、
戦線を維持できなければ意味が無い

夏侯惇だって高幹を撃破したし、漢中攻略でも活躍したぞ。鄄城守ったし
関羽も洪水に呼応してすばやく水軍を展開したのは評価できるが、それだけだろ。そこまで持ち上げるべきもんでもない
つーか「留守番要員」って……要衝の軍をアホに任せてたら帰る所無くなるだろ
荀ケ無くして曹操が兗州に帰還する事は無かった
方面指揮官の任務は、任地を安堵させる事だ
だから劉備にとっては、関羽が七年荊州に駐屯し続けて国境を維持し続けた事こそが、重要な働きだっただろう

259 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 00:09:28.68 .net
>>253
関羽だって勝ったの于禁くらいじゃない?
于禁は名将だが、荊州戦は軍が水没してまともに戦えなかったというのが大きいだろう
陸路から急行してきた于禁が力を出せたとは言えないわけで
関羽は水軍の扱いは上手いと言えるかもしれんが、それ以上の事は言えない

有名な奴といえば、夏侯惇が負けたのは劉備、呂布、高順
関羽が負けたのが曹操、徐晃、楽進
有名な奴と何度も戦っている。これは重要な戦線に居続けたという事で、半端な奴ならそういう所に投入される事は無いだろう
だから夏侯惇を退けた劉備は名将と言えるし、関羽を破った徐晃は優れた軍人と言える

260 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 00:34:06.63 .net
>>257
関羽は外征に成功した事ないから夏侯淵より下だろ、二人とも拠点を失陥して敗死したのは同じだけど
惇は任地を落とした事は無いんだよね、荀ケの要請で軍を引き払ったときに濮陽を占領されたくらいか
とりあえず武将の比較論になってるから、本題に戻すとすると、
夏侯惇は張遼・臧覇の軍を含めた九万を引き受けるほどに信頼されていた武将ではあったが、曹操にとって、曹操のように司令官として軍を統帥して対外に進出するという働きを期待できるほどのものではなかったのは確かだろう
曹仁も荊州をよく守った優れた将軍だが、外征での功績はあまりない。夏侯淵は韓遂らを撃破し、三十年以上漢から独立していた宋建も平定して西を安寧させたが、要の漢中を落としてしまった
いずれにせよ曹操の代わりが出来るような将軍には恵まれていなかったと言っていいだろう
一人で三人分の働きが出来るような奴がいれば曹操の事業もまた違った形になったかもしれない

261 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 03:45:37.98 .net
ちゃんと実務をこなしてるのに夏侯惇が出世したのは「コネ」って言われちゃうんだよねえ
夏侯淵も「所詮身内びいき」とかいわれるし
関羽は北伐に失敗して荊州失っても「実力的な抜擢」とか言われてるのに

262 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 12:09:36.06 .net
南郡攻めも蜀乗っ取りも総指揮を執ったのは基本的に劉備だしな
劉備のボディガード兼部将という感じだな、関羽は
将帥として夏侯惇や夏侯淵を中庸と評価するとしたら、正直関羽だって今一つって所が妥当だろう
相手関係がそれだけ高いレベルだったともいえるけど

263 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 13:42:55.73 .net
別に関羽が無能だと言ってる人間はいないしね
ただ他と比べてそれほど抜きんでてるわけでもないだろう

いずれにせよ、曹操に自身に代わるほどの司令官が居なかった事は確かだ
五将軍にもっと大権を委ねられれば面白かったのかもしれないが
といっても、曹仁や夏侯淵も別に無能ってわけじゃねーけどな

264 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 13:45:49.87 .net
>>261
そういうのは該当箇所を張ってから言うべき
でないとレッテル貼りにしかならん

265 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/03(日) 14:52:57.57 .net
書かないでも、劉備は間違いなく戦上手の名将ってみんなしってるだろ
だから曹操だって身近に置きたかったんだし

266 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 09:03:35.69 .net
ここまでの流れ
曹操の腹心は曹仁、石勒の腹心は石虎
   ↓
石虎は準一線級
   ↓
石虎は関羽みたいなもの
   ↓
関羽は最後の最後だけで判断するな
   ↓
関羽の功績の言葉尻に対するどうでもいい話
   ↓
関羽は夏侯惇みたいなもの
   ↓
夏侯惇は云々、淵は云々

267 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 10:25:47.50 .net
軍権の上位は曹一族と夏侯一族が独占状態だからね
それは立場が脅かされないようにするのが目的で能力第一じゃないのは確かだわな
実際司馬懿が軍権握るようになると支持も司馬懿に移ってあっさり乗っ取られたわけだし

268 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/04(月) 18:17:36.36 .net
というか、やはり旗揚げ当時からの腹心における信頼に勝るものは無いのだろう
そういう意味では石勒・苻堅も例外ではない
それとは別に、魏に大規模な遊軍をもう一つ創設するだけの国力が無かった可能性もあるが
方面守備軍だけで精いっぱいだったのかもしれない。漢末のから中原の土地は大荒れだった事はよく言われる話だが
>>264
各人の功績なんて、それこそこのスレだけでも散見されるじゃないか

269 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/08(金) 04:03:44.94 .net
>>264
>>253がはっきり「曹操のいとこだから優遇されただけ」と言ってるけど
そういう話題の渦中なんだから説明なんて不要だろ、そういうのは揚げ足取りにしかならんからやめとけ
まあいずれにせよスレタイとは関係ないのだが


270 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/08(金) 13:24:16.64 .net
符堅が王猛の言い付け破ったのって死後七年経ってからなんだよね
そう考えるとわかる気もする

271 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/09(土) 18:42:27.69 .net
皇帝を蔑ろにした梟雄なのだろうか
それとも異民族を討伐し、漢民族の威光を取り戻した英雄なのだろうか
明らかに臣の分を超えながらも、「強い漢」を保ち続けた曹操は、国にとっては果たしてどっちなのだろう
まあ、独裁政治が皇帝を蔑ろにした、ということなら、
既に曹操生誕の百年前からそうで、その時点から国家の誇りなんてものは汚されまくってるけど


272 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/10(日) 20:27:00.39 .net
てか曹操って匈奴とかの異民族の居住地を内地にしてたりするから
地図で見る限り涼州・ヨウ州の範囲が漢代から減ってるように見える

273 :無名武将@お腹せっぷく:2011/04/11(月) 21:24:19.46 .net
まあ漢代からその辺の奴ら、反乱したり勝手に王を名乗って独立宣言したりしてるしね

274 :ジャイアニズム:2011/05/08(日) 21:47:48.88 .net
野蛮なる胡の分際で偉大なる中華の帝王と比較するなど思い上がりも甚だしい!

275 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 10:46:38.54 .net
石勒・苻堅が曹操の立場で生まれてたらどうだったのかな


276 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/04(土) 12:09:16.96 .net
>>275
石勒は地頭は良いから、気の利く官僚として無難な人生を歩んだと思う。
乱世に飛び込んだ場合、実家の権勢・経済力を生かして上手く立ち回りそうなんだが、
曹操ほど野心家じゃないから(石勒の行動原理の大半は自己保存欲求に起因)、
あそこまで成功しなさそう。少なくとも、民衆を苦しませてまで乱世にのめり込まない
んじゃねーかな?
劉備・孫堅と同じ境遇だったならば、間違いなく天下を狙うと思うけどね。

苻堅は、寄って集って周囲から袋叩きに遭いそう。
御曹司だったから許容された部分が少なからずある。

277 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/16(木) 10:13:51.13 .net
test

278 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/26(日) 22:54:46.45 .net
初代 学徒出陣(2002.12) …終身名誉党首
二代 宇喜多秀家(2002.12)
三代 ロコロール(2003.1)▲
四代 宇喜多秀家(2003.1)
五代 ムコーニン(2003.1〜5)●
六代 ロコ太郎(2003.5)▲
七代 若人(2003.6)
八代 ロコ三郎(2003.6〜7)▲
九代 雨宮塔子(2003.8〜9)
十代 ムコーニン(2003.10〜2004.4)●
十一代 学徒出陣(2004.5〜6)
十二代 御茶○刑事(2004.6〜8)
十三代 ピッキー(2004.8)
十四代 ムコーニン(2004.8)●
十五代 ナイトワーカーズ・リターンズ(2004.8)
十六代 まあc(2005.10〜11)◆
十七代 張春華(2005.11〜2006.2)
十八代 ムコーニン(2006.2〜5)●
十九代 ひょーりみ(2006.6〜8)♪
二十代 金宰陽(2006.8〜12)◆
二十一代 八戸ロコ金四郎(2007.1〜11) 現:ロコ常陸四郎◆
二十二代 小魔玉(2007.11〜2008.4)#
二十三代 中山幸盛(2008.4〜5)#
二十四代 ロコふるーちぇ(2008.5〜8) 現:アンジェ▲
二十五代 クマッタ(2008.8)▲
二十六代 ひょーりみ(2009.1〜3)♪
二十七代 聖臣義光(2009.4〜7)◆
二十八代 神ツコツ(2009.7〜9)
二十九代 ロコ康三郎(2009.9〜2010.1)▲
三十代   クマッタ(2010.7)▲
三十一代 井伊直角(2011.3〜5)
三十二代 学徒退陣(2011.6〜 ) 

●:婿家出身者  (4回1名) 御三家
▲:ロコ家出身者 (7回6名) 御三家
◆:金家出身者  (4回4名) 御三家
♪:可児家出身者(2回1名)
#:魔玉家出身者(2回2名)



279 :無名武将@お腹せっぷく:2011/06/27(月) 19:18:11.62 .net
符堅は惜しかった
王猛と霄壯輿(そらそうよ)がいたら日本シリーズさえ勝てたろうに

280 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/21(木) 23:42:20.03 .net
惜しかったよなぁ

281 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/24(日) 21:28:11.98 .net
石勒は東晋をどうする心算だったんだろ、
北伐しなけりゃ放置かね。

282 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/25(月) 09:39:41.74 .net
>>281
和平交渉してるんだから、とりあえずは放置だったんだろ

283 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/25(月) 19:11:44.66 .net
石勒は徹底したリアリストだから、国力的に併合が可能なラインまで
華北の復興が進まないのであれば、侵攻することは無かったと思う。
当然、東晋が北伐しない程度には牽制のための限定攻撃はし続けた
と思うけど。

桓温の登場は華北政権にしてみれば完全に想定外

284 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/26(火) 20:21:17.25 .net
石勒にとって東晋は皇帝を僭称している
琅邪王家の認識なんだろうな

和平交渉してたっけ


285 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 08:35:56.66 .net
>>284
石勒の晩年には郭敬を総司令官として荊州攻略させてる
最終的には陶侃の踏ん張りによって、この攻勢は撃退されてしまっているけど

石勒は領土欲はかなり淡白だから、無理やりの天下統一ってのが考え辛い

286 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 14:46:44.94 .net
段部との最終決戦前か何かにしてなかった?
東晋には相手にされなかったけど
三國志のカクみたいに現状分析が的確なんだろう

287 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 18:48:23.81 .net
石勒の戦略判断は、年を食えば食うほど冴え渡っていく晩成型
晩年ほど安定感がある英雄ってのも珍しいよな

288 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/27(水) 22:08:14.80 .net
三国志の文献はどこにでも転がってるけど石勒とかはどこで勉強してるの君達?


289 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/28(木) 22:50:23.80 .net
大体は本ですなあ
あとネットにも探せばある

290 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/29(金) 17:50:13.93 .net
いろいろちょっとだけ書いてる本を読んでまとめる

291 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 01:52:15.53 .net
なるほどー
このあたりの歴史も気になるから読んでみたいんだけどなぁ

三国時代の終焉から、中国の歴史は一気に激動の時代を迎えてるみたいだから

292 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 02:57:45.10 .net
>>291
この辺りの時代って小説とかになったりしないから、コンビニ本のようなお手軽な入門書がないんだよね
だから図書館で史書の原本と訳が合わせで載ってるようなのを探さないと全然はかどらない
あの奥に置いてある魔道書みたいな巨大な奴

293 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 13:22:36.90 .net
東晋関係、劉淵〜石勒(西晋滅亡あたり)、北魏・劉裕あたりは比較的あるんだけどね


294 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 15:27:50.59 .net
その分厚い魔法書って晋書になるのかな?

295 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 15:51:51.21 .net
>>292
ガッツのいないベルセルクみたいな時勢だからな
小説書いたところで、どこの層に需要があるんだよ

宮城谷センセイ、開き直って爽やかな石勒を執筆してくれないかな?

296 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 15:52:16.52 .net
かもしれないが、晋書の和訳は出てないハズ


297 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 16:38:45.47 .net
>>295
石勒は宮城先生の好みに合うかねえ
あいつ、中国を復興しようとか立て直そうっていうイデオロギーの下で行動してたわけじゃないじゃない


298 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 16:48:42.43 .net
>>297
慕容カイと裴嶷では地味だろう


299 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/30(土) 18:44:18.51 .net
リアリストとしての石勒は結構魅力あると思うんだけどなぁ
羯族の部落小帥の子として生をうける
都で王衍に捕らえられそうになるも、間一髪逃れる
その後、部落が困窮し流浪
途中で司馬騰に捕らえられ奴隷として売られるが、買主
に認められ開放仕える人物を紹介される
八王の乱が転機で、群盗→主と一緒に司馬穎軍に合流
司馬穎は殺されるが、仇の司馬騰を殺す
その後は劉淵の武将として頭角を現し、王衍らを殺すが、
劉聡の後を継いだ劉曜から裏切られ、独立
劉曜を倒し、華北をほぼ統一
って結構ネタあると思うけどな



300 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/31(日) 11:15:58.52 .net
>>299
大虐殺と強制移住ネタは絶対に回避できないから、主役向きじゃないな

昔の大河であった秀吉みたいに、汚点の部分をバッサリ切り捨てるって方法
も有りかもしれんが、石勒を石勒たらしめているのは、復讐心と合理主義が
相俟った負の情熱だから、そこを切り捨てたらもう石勒の魅力無くなって
しまうんよなあ

301 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/31(日) 13:11:39.39 .net
晩年は洛陽遷都を考えていたりして、
西晋の全盛期を生きてきたので、
十分に中華皇帝を意識していたと思うがなあ。


302 :無名武将@お腹せっぷく:2011/07/31(日) 19:22:56.54 .net
>>301
全然そんな事無かったと思うよ。自分の勢力を保つことは意識していただろうけど
暴力団かマフィアの頭やってた奴が、あちこちに付いたり離れたりしてるうちに組織をでかくしていったというケース
石勒の場合、政治の勉強なんてまったくしてないから、皇帝と言っても、所詮その延長線上に過ぎない
同じ大虐殺と強制移住ネタでも、基本的に王朝に帰属していた曹操とは根本的に違う

303 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/02(火) 22:00:14.49 .net
地位が人を作ると思うよ、皇帝になったら皇帝らしくなる。

父親が三公だった曹操は自分で簒奪出来なくて魏王どまり。


304 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/03(水) 23:56:05.32 .net
>>303
その理屈はおかしい
管が総理らしいと思うか?
政治思想つーのは大概、下積みのうちに傾向が決まるもんだよ

305 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/04(木) 17:49:00.71 .net
>>304
総理らしくないか?強権だし

306 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/05(金) 21:02:51.59 .net
石勒とか符堅みると曹操はちっちゃい
方や大官宦の息子、方や奴隷だろ。符堅は石勒寄りの真ん中
石勒が曹操なら統一簡単だろ

307 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/05(金) 21:25:03.18 .net
ゴールデンタイムにおっぱいの話をしても怒られないのに
チンコの話ができないテレビってなんのためにあるんですか?
女性が喜ぶことなら何を放送してもゆるされるんですか?
だとしたら放送の公共性ってなんなんですか
私はとても悲しい
でもおっぱい見れてうれしい

308 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/05(金) 21:30:59.74 .net
計画倒産やりかねないな。その理由は台湾坊主の岩堀に負わせるだろう。
寺内も石田も判っててやってることは詐欺だよ。
お金持ち、コンサート会場で、騙されて売りつけられるなよ。
夜逃げに*夜逃げに*夜逃げに*きおつけろ。
詐欺にあった皆の衆、主犯=寺内、共犯=石田=岩堀で直ぐ刑事告訴。
いざとなったら弁護士紹介するよ。

309 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/05(金) 21:59:54.49 .net
>>306
状況が全然違うじゃん
400年続いた漢帝国を軍事力だけで滅ぼして
人心が簡単につかめるとは思えんが

310 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/05(金) 23:30:25.49 .net
石勒の時代は曹操みたいなキャリアエリートが平気で首を斬られる時代、その代わりに奴隷ヤクザでも王様に成れた
逆に曹操の時代は石勒みたいなぷーたろーが独立するのは不可能だった時代だ
それこそ、190年代の初めまでは黒山や臧覇一味のようなのが各所で縄張りを作ってたが、結局ほとんどが曹操や袁紹に駆逐されてしまった
一度首都を握った涼州勢力すら、官位持ちにも関わらず数年足らずで政権が瓦解してしまった
石勒のようなタイプは、他勢力に取り込まれるか、遼東や隴西で独立していた連中のように辺境で勢力を保つくらいが精一杯だろう。
劉備でようやく蜀一州のみだったからな

311 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/06(土) 08:21:28.52 .net
仮定がちゃうやん
曹操の立場ならだろ

312 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/06(土) 23:22:33.51 .net
曹操の立場でも、石勒に曹操のような政治のやり方が出来たとは到底思えんな
人間の種類が違う。そもそも出自や経歴が変わっていたなら、石勒自身が歴史上の石勒とは全く別の人物になっていたはずだし
その仮定に意味なんかない

313 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 09:31:54.54 .net
無いことないだろ

314 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/07(日) 10:11:47.31 .net
>>312
まあ、蘇秦も「自分に耕す田んぼがあったならば、縦横家になるために勉強なんか
しなかっただろうなあ。」って言ってるし、やっぱ門地や経済力ってのは、人間の
資質に与える影響はデカいよ。

石勒なんて奴隷として売り飛ばされてこその反骨心だし。

315 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/08(月) 08:13:16.38 .net
石勒が後漢末期に登場したら項羽のようになりそう

316 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/19(金) 20:48:37.28 .net
つーか、まさに臧覇だろ>石勒

317 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/20(土) 00:38:53.58 .net
>>316
同意…と言いたいところだけど、石勒が率いる部衆は基本的に定住してないんだよね
(311年の襄国割拠までは飛蝗のごとく、あちこちに転戦)
行主・塢主は、まだ本格的に活躍する以前の時代だからな、三国は

小規模な赤眉に近いんじゃねーかな

318 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/20(土) 16:09:53.80 .net
■こんな男です
多摩地区に住んでいます
身長177cm体重64k
あそこが長い
若い時ホストだった(かっこいいおじさん?)
性格は明るくて楽しい
3度の飯よりエッチ大好き(早漏ですが…)
キス・クンニなど前戯大好き(早漏だから)
最低4回は出来る(くどいけど早漏ですヨ)
僕はこんな感じです

319 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/24(水) 02:07:23.20 .net
>>317
要するに劉備だな

320 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/24(水) 08:07:05.08 .net
劉備よりいいだろ
初期に張賓手に入れてるし、劉備も傑物だけど石勒には劣る
陳羣手放してるし


321 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/24(水) 21:22:38.56 .net
>>320
石勒の人的資源の部分については、おそらく成都王系統の人材が多く流入していると推測される。
(公師藩〜汲桑〜石勒のライン、及び匈奴単于劉淵への円滑な帰順等から)
八王の乱を経て、完全に非主流派として没落してしまった趙魏の諸豪族が石勒に乗っかった形、
劉備と比較するとかなり恵まれていると言える。

王浚という化け物がいたため、臆面もなく石勒に与した部分が大きい。
そうでなければ、石勒なんて泥舟に乗っかる理由が無い。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/25(木) 09:52:13.31 .net
>>321
あのさ、陳羣手放してるのはどうなの?
そもそも、曹操劉備より出自は下
劉備と比較してかなり恵まれているわけないだろ
第一張賓は来ている


323 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/25(木) 21:48:43.40 .net
>>第一張賓は来ている
>>322
それ言い出すと、それこそ劉備の所には諸葛亮という大物が来ているのだが
出自に拘ってるけど、当時の情勢を少しは考えろよ

324 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 19:16:09.88 .net
大事だろ出自
あと諸葛亮来てない

325 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 21:09:35.51 .net
王浚という強大な存在がいるのに、流賊に毛の生えた夷狄の泥舟のような石勒に、
趙魏の諸豪族が臆面もなく乗っかってくる

王浚が暴虐という理由ならば、敗北した時にどのような運命が待っているか分からないわけがないだろう

やはり、石勒は曹操とは比べものにならない存在のようだ
奴隷で夷狄から曹操と対等の領土を持ち、曹操もなれなかった皇帝にもなるってのは、普通の感覚ですごいよ

石勒はファンタジー小説の主人公レベル

326 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 22:34:44.06 .net
カトノリは無残なパンチラ路線でソロデビューしたよね
素材的には清純派アイドルとしてやっていけると思ったけど
事務所の先輩の森高が強引にカトノリをパンチラ路線にしたそうだよ
自分のパンチラアイドルの記憶を世間から消したいって理由だそうだよ。

327 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 23:04:32.81 .net
>>325
当時の風潮なら、石勒に乗るだろ。そりゃ
旧晋の権威が急落的に瓦解している状態。ちょうど現在のリビアの様なもの
時流に任せて傾いた王朝を打倒するよりも、虫の息の旧権威に組して復活させる方が難しい
鍋底まで落ちた中央府を復興させた曹操、そして立て直しが為された後、諸勢力の九割が曹操に帰属しても尚、反現政権として戦い続けた劉備
やってる事はこっちの方がハード


328 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 23:34:27.62 .net
「奴隷から皇帝になり上がった男」というキャッチを最近知って、今一番自分の中でホットな時期なんだろうよ
だから、何よりもその一点のみが評価対象となってしまっているのは、現段階では仕方ないかもね、誰にでもある
ただ、当時の政治情勢と絡めて考えるなら、小説の人物のように捉えるのではなく、あくまで政治家・軍人としてとらえるべきだと思うわ

反西晋派としては、王浚に靡くわけにはいかないから、連立するしかない
小説なら、石勒のカリスマに彼らが賭けたという風になるんだろうが、単純に状況的にそうするしかなかっただけだ。
ちょうど、赤壁の時の孫権と劉備のようなもの。孫権にしてみれば劉備は敗残の軍に過ぎないが、曹操に対抗する以上、共闘するしかない。劉備が頼りになるかならないかは、この際関係なかった
そもそも、石勒は王浚に結局まともに戦って勝てたわけではなかった。だから謀殺と言う手段を取っているわけで
誰が敵で誰が味方やらわからん状況だったから、そこに上手くハマって石勒が抜け出せたわけで

329 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/26(金) 23:52:31.88 .net
王浚の状況は、三国志で言うなら、逃げてきた帝を保護した時の曹操に近いかもしれない
一応、連立者や同盟者は居るが、いつ敵になるかわからず、予断を許さない状況
結局、王浚は読み間違って外交上孤立し、石勒に殺された。
曹操も、全く同じ手に引っ掛かって、張繍に殺されかけている。
また、時期は前後するが、兗州の内乱や袁紹とやり合う時、曹操も外交上四面楚歌にあった
でも、だからと言って生き残った曹操の方が王浚より優れているというと、必ずしもそうではなくて、
袁紹と戦っている時に孫策が都合良く死んでくれなかったらヤバかっただろうし、張繍が曹操に帰順しなかったら高い確率で詰んでいた
石勒だって、たまたまタイミングが良かったから皇帝になれたわけで、表面上の事だけで能力の優劣など論じれないのだよ
そもそも曹操の言葉じゃないが、必ずしも皇帝になる事が、いい指導者の条件じゃないわけだしねえ

330 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 00:05:59.97 .net
石勒が凄いのは、革命の理論を確立した点にある

それまで、晋の内訌に介入していた有力な鮮卑たちにして、晋の政権を乗っ取る
あるいは新王朝を樹立するという革命理論に到達し得なかった
また、匈奴たちは漢王朝の姻戚という名目で中原王朝の成立を目論んだ
益州に自立した李雄の子孫たちは、政権の正当性を裏付ける理論が組み立てられずに
その正当性を徐々に失なっていき、ついには東晋に併合されてしまった

ただ、石勒ひとりだけが「異民族でも有徳(一番強い)であれば帝号を称しても
問題ない!」という革命理論を確立・実行し、そして、じ後の華北における
五胡政権の正当性というバックボーンを後世に残しわけだ
ここは、もっと評価されていい部分だと思う

331 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 09:49:51.38 .net
>>330
いや既に劉曜で確立されてるだろ
むしろ転機は劉曜が漢から趙に変更した時だろ
そもそも、石勒は
「異民族でも有徳(一番強い)であれば帝号を称しても
問題ない!」という革命理論を確立・実行なんか持ってないだろ
劉曜に殺されかけた上の反逆(事実上は独立していたが、名目では違っていた)
石勒が優れているのは、漢民族との融和政策の先駆者と
一旦人民流出を止めたことじゃないか?
あと、劉備と孫呉の同盟も魯粛あってのものだし
第一なぜ出自が問題ないのかがわからない

劉淵

332 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 16:52:08.58 .net
石勒が漢民族との融和政策の先駆者とか言えるなら
曹操だって異民族を強制移住させて位を与え正規軍に仕立てた、北方民族と漢民族の融和のパイオニアになってしまうな
民族融和を図ろうとしたと、はっきり言えるのは苻堅だよ

333 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 20:19:54.94 .net
そもそもこの時代の異民族の台頭は、曹操のせい
しかし、強制移住をもって融和とかどういうつもり?
西晋までは使い捨てだろ
先鞭をつけたなんて到底言えない

334 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 20:52:54.01 .net
>>333
異民族の内地移住は、後漢成立直後から漸次進められてきた安全保障政策
当然、結果的に見れば後漢の財政難につながる愚策でしかなかったが
建国直後の異民族との対外関係を穏便に推移させることができたのは事実なので
非難される謂れはない

内地に移住させられた羌族の叛乱(110年代〜それこそ韓遂の乱まで)のことを
考慮すれば、曹操は別に異民族台頭の元凶でも何でもないんだよな
(鮮卑・烏丸の独立志向は、当初はかなり低かった)
やっぱ、八王のボンクラどもが一番の元凶じゃねーかな?

335 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 22:23:17.96 .net
異民族の内地移住は晋武帝も多いだろう、成都王が劉淵を重用したのも
そのラインで考えるべきではないか?

336 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/27(土) 22:41:29.10 .net
なにそれすごい

337 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/28(日) 01:17:58.08 .net
苻堅の功績まで石勒ものにしようとしてるからだろうよ

338 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/28(日) 13:38:24.30 .net
363 :クマッタ ◆.pDAHD/fcA :2011/08/28(日) 13:04:07.93
どうすっかなぁ


忠臣路線で行くか、狡猾な悪役で行くか、粗暴な暴君で行くか…


364 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/28(日) 13:04:58.82
クマッタ蛆虫まだいたのか

339 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/28(日) 15:24:51.84 .net
魏晋南北朝って要するに大陸レベルの現象としての民族大移動の時代だし
同じ頃にユーラシアの西側でも似たような事が起こってた訳で
光武帝とか曹操とか石勒とか苻堅とかの個別の行動としての遊牧民族の内徙がトリガーになったとしても
気候の変動とか人口の増加とかのグローバルな要因を抜きにして
個人の個別の行動だけ強調するのはどうかと思わんでもない

340 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/28(日) 21:23:50.19 .net
石勒はともかく苻堅はないわ

341 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/30(火) 19:26:22.55 .net
符堅=石勒>>曹操=桓温じゃないか?


342 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/30(火) 20:59:01.32 .net
>>341
評価基準によって、その4名は如何様にでも優劣が入れ替わるからなあ
獲得した最大領土では苻堅が圧倒的、ただし晩年には関中以外の大部分を失陥し、
本人もかつての部下である姚萇に攻め滅ぼされている
文化史・宗教史的には、国家仏教の先鞭を付けた石勒の功績が大きい
文化史で言えば、曹操親子は巨大な足跡を残している
南朝において、北伐に打って出る国力と北シナ回復の可能性を内外に呈示した桓温は
もっと評価されるべきだし

ぶっちゃけ、個人の好みだわ

343 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/30(火) 23:53:08.70 .net
じゃ、個人の好み

石勒>>符堅>曹操>桓温>>司馬懿

中国人でもない自分は、遊牧民族を差別するいわれはないわ
外国人がその国で自分が生きている間だけでも安定政権を作り上げるのは大変なことだし、
時代のせいにしても、既存の権力に頼ることができない遊牧民が圧倒的に不利だ
旧式の権威が瓦解しているといっても、浮沈が激しい新政権より、旧政権に賭ける人間の方が多いだろ
(リビアではなく、アメリカや日本の経済と考えたら、どうだ?)

選択肢として、曹操、桓温はどっちも選べる。これは大きい

二代、三代皇帝の籠絡と秘書の買収で、王朝を乗っ取った司馬懿は、
今の政局と政権だけに拘る政治家と同じ(+大国の大軍を率いて、小国に領土を奪われなかった程度の功績)
民主主義の選挙がないから、循環しなかっただけ

344 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/31(水) 15:27:33.07 .net
苻堅は董卓あたりが比較対象じゃね

345 :無名武将@お腹せっぷく:2011/08/31(水) 20:35:44.86 .net
>>344
全然違うでしょ、本家からの簒奪という観点では(他国になるが)
アケメネス朝のダレイオス1世みたいな感じ、簒奪者兼名君

346 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/01(木) 09:49:12.62 .net
>>343
俺もそんな感じだな


347 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/02(金) 19:44:43.76 .net
結局、漢の枠から抜け出せなかった曹操

348 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/03(土) 21:13:59.99 .net
>>347
簒奪の正当性を確立することができなかったのだから仕方が無い
献帝なんて担がなきゃ良かったんだよ
権威(正当性)を自ら担保できないのであれば、旧来の権威に依存せざるを得ないのは
世界の常識(カリフとスルターン、教皇と皇帝等々)

そういう意味で、完全に開き直って「劉邦だって庶人から皇帝に登りつめただろ、
異民族の俺も見習って頑張りマース」とやった石勒は傑物、普通は其の発想に至らない
これがあったからこそ、北シナで異民族政権が成立する基盤ができたと言える

349 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/03(土) 22:40:30.58 .net
石勒は、三国志演義の二つの続編で実質的に主人公になっているしな
もちろん、三国志演義の続きを講談ネタにしただけとも考えられるが、
意外に人気があったのかもしれない

曹操や桓温はどんな人間であったか、現代人にあてはめてもある程度の見当はつくが、
石勒ってどんな感じのタイプだったか、想像もつかないな

この点でも魅力を感じる

350 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/04(日) 00:50:01.69 .net
曹操の場合は実質相手が400年続いた漢王朝というのが大きいでしょ
簒奪においても、後世の簒奪ケースと比べると相当慎重だし

中国で異民族が支配するというのは、その支配者の偉大さよりも
当時の中国で、支配者に呼応する異民族の割合がそれだけ多かったってことだと思うけどね

後漢末の時代背景で異民族が中国を支配しようとしても到底ムリだとおもうけど
漢民族の曹家でさえあんなに慎重だったんだから

351 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/04(日) 05:41:10.83 .net
>>350
ところがどっこい、石勒の出身部族は雑胡の羯族の中の一集落にしか過ぎません
(100名くらいの小部落、超弱小勢力)

後漢後半の関中は羌族の叛乱が継続していたけど
羌族たちが一致団結して、統一的な政体がもし生まれていたならば、関中地域
だけでも独立みたいな形は可能だったと思う
残念ながら、羌族に檀石槐のような傑物はついに現れなかったけど

352 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/04(日) 14:58:05.98 .net
うんだから細かく区切ればそうなんだろうけど
当時の中国にいた異民族全体が呼応出来たってことでしょ
異民族が支配する事が”大義”になる時代だったんだよ
漢時代ではそうはいかなかったと思うよ

353 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/04(日) 16:53:02.21 .net
>>352
石勒が纏め上げたのは、何も異民族だけではない
有象無象の山賊・馬賊たち(十八騎)、乞活集団(冉良、石堪、郭敬)
漢人権豪(張賓をはじめとする君子営)、羯族(石虎、石生等々)
いわば、社会の非主流派の力を結集して天下を半分切り取ったという感じ

その過程で、鮮卑、匈奴とは熾烈な戦争を繰り広げている
異民族による統治の大義ということであれば、貴種である匈奴単于や
大人の流れをくむ段(檀)部の方が石勒なんかより遥かに上だ
そいつらが石勒になれなかったのは何故か?

石勒はどの時代に生まれても一定以上の活躍はする逸材だよ
権威とケンカする気概と知恵を兼ね備えているんだから

354 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/04(日) 23:28:58.58 .net
一人で戦は出来んがな

355 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 06:15:39.80 .net
石勒とか情報が少なすぎる


356 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 16:35:39.08 .net
>>355
そりゃ異民族だからな
現代の中国では全く重要視されてないし
一族も早い段階で抹殺されてる

檀石槐程度っていうのはさすがに難しいだろう
実質の後漢崩壊させた人物だからな
ただ、もうちょっとマシな人物がいれば良かったとは思う


357 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 17:43:21.92 .net
石信者暴れ過ぎでクソスレ化してる
大袈裟な評価しすぎだっつの

358 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 17:48:15.71 .net
大袈裟というか、反論や異説にたいしての持論が、自説に都合の良い解釈しすぎ
ああいえばこういうって、まさにこのこと。


359 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 22:14:30.75 .net
情報が少ないってことは、なんとでも脳内補正出来るってことだからな


360 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 22:22:58.50 .net
なんで単なる覇道主義者に過ぎない石勒が
漢民族との融和政策の先駆者とかいう話になるんだよ
さすがに頭おかしいだろ
そんな超解釈がまかり通るなら、どんな珍説でも正当化されるわ

361 :353:2011/09/05(月) 22:51:30.09 .net
>>360
その意見には同意
別に石勒は融和政策推進はしていないよ(むしろ胡漢で待遇を区別し続けた)
石勒と苻堅の政策理念は別物

>>359
晋書載記で、だいたい十分だろ
補完して欲しいのは、「重門の誓い」の内容と、「石勒と劉曜の不和の決定打は
何だったのか」の部分くらい(個人的に推測はしているが)
戦役の概要は知りたいけど、石勒そんなに戦に強くないし、面白い戦例少ないし
喉から手が出るほど必要ってものでもない

362 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/05(月) 22:51:54.06 .net
アンチが誹謗するしかできなくなるほど、石勒が規格外の英雄であることが理解できるなw

363 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 00:14:20.41 .net
石勒の政治思想は、曹操や苻堅と比べれば到ってシンプル
わかりやすいという見方もあるが、裏を返せば政治家として未熟であるに過ぎないとも言える
遊牧民の様な社会システムでは通用しても、国民が土着して社会を営む体制の政治にはそぐわない
そういう意味でも、胡人的ではあるよな

364 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 00:26:39.52 .net
>>363
未熟と言うか、無骨、ゴシック

365 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 00:53:00.58 .net
苻堅だけは曹操・石勒と明らかにタイプが違う
苻堅の事業は王猛無くしては全く成り立たなかったもの
曹操も石勒もいろんな人間や巡り合わせに助けられて王様になったわけだが
苻堅にとっての王猛の存在感は、それとは全く比較にならないくらいでかい。半身に等しい
一個人の処理能力で言ったら、贔屓目に見ても一枚下だろう。ただし、政治家として目指した理想は明らかに一つ次元が高い

366 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 14:05:58.52 .net
光武帝とタメ張れるとか自惚れ過ぎだろ

367 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 14:10:44.16 .net
>>366
軍事的に考察すれば、光武帝とタメ張れるかもしれない、やったことはないが

ちなみに苻堅率いる全盛期の前秦軍なら光武帝+光武二十八将にタメ張れる

368 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 14:36:02.08 .net
石勒本人すかw

369 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 18:09:39.49 .net
>>368
両者の戦術ドクトリンを明らかにして、仮定の戦場でウォーゲームさせる程度の話だよ

石勒の場合、ほとんど戦場や軍の編成・隊形に関する内容が残ってないから苦労するけど
正面決戦では光武帝相手に120%勝ち目は無いから、結局暗殺的強襲のための戦略機動を
追求することが容易に想像できる
ただ、お互い策源地域が河北だから、戦場の設定がなかなか出来ないんだよなあ

外交ありになってくると、逆に光武帝はクソだしな

370 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 19:42:25.86 .net
>>364
ようするに、それを未成熟というんだろう


371 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/06(火) 23:36:48.03 .net
正面決戦で勝ち目ないなら、それは兵士の力だろ・・・

372 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 00:20:50.21 .net
光武帝は、正史を信じると、敵がザコすぎるからな
曹操、石勒、苻堅、桓温もあの時代なら統一できたってのも、信じられない話ではない
(劉備、李雄クラスでもいけるか?)

かといって、捏造を疑うと完全超人が崩れてしまう(後漢書って、なんか信用できないし)
実際はどんな人物だったのだろう?

373 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 05:58:48.93 .net
石勒信者の過剰崇拝に驚いた


374 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 17:34:24.44 .net
信者とかいいから
それよりテンプレの
※他の三国志人物との比較はありですが、劉邦、劉秀との比較論は控えてください
を守れよ

375 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 19:42:14.63 .net
曹操が石勒の時代に産まれていたら、陶侃や王導あたりと対立してたのかな?


376 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 20:15:45.08 .net
>>371
劉秀配下には有能な騎兵司令官が多く、特に烏桓突騎を率いる呉漢なんか相当脅威だろ

翻って石勒はと言うと、軽騎兵主体の部隊運用がやや多く、突騎をはじめとする重装騎兵の
運用に長けていたとはお世辞にも言い難い
そもそも、烏桓や鮮卑相手にボロ負けを繰り返していたわけだから、かなり相性が悪いと
言った方が正確だと思う
まあ、負けても幾度となく軍容を立て直しまくる石勒もある意味脅威だが
(この再編力・組織化・持久力的な部分は直接の強さには結びつきにくいからか、評価の
俎上には上がらないのが残念なところ)

377 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/07(水) 22:28:53.70 .net
>>372
光武帝は敵が大物になる前に潰せてるから、ってのもあるだろう
統一国家が乱れる→それに合わせて群雄が割拠する→有力群雄が再統一
ってコースは速さが重要、遅いと敵が強くなって手詰まりになり易い
(光武帝も実際後半の隗囂や公孫述はそれなりに手間取った)
時間が掛かり過ぎると一代では統一事業が成し遂げられず、王朝の課題みたいになるな
乱世だと有力勢力にも内訌が多いから、さらに統一に時間が掛かる場合も
(まあこれは天命というか運や巡り合わせが絡むし、結果論的なんだが)

曹操は光武帝に比べ若干時間はかかったけど光武帝のかつて乗った統一レールに乗れたんだが、孫権で脱線した
(あそこでコケなければ統一の目もあったんだろうけど)
石勒と苻堅はもう敵がハッキリと「国」になっちゃったからね
そりゃ手間取るし、寿命も足りないだろう

378 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/09(金) 16:21:55.74 .net
>>376
スレチやめろや

379 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/09(金) 23:21:09.74 .net
>>378
すまないことしたわ、ルールで決まってたのね
でも、曹操との比較も飽きたな

>>363
石勒の統治システムは、魏晋以前への回帰路線+遊牧民族の封建的体制のミクスチャー
後趙の政治体制の影響を受けた苻堅がそれをひとつ上のステージにすすめたわけだから
石勒がいなかったとしたら、苻堅の政策理念も生まれなかっただろう
さらに部族解体まで急進的な改革を行ったのが、拓跋珪

石勒は時代背景と権威の脆弱さにより、ドラスティックな手法がとれなかっただけ
石勒の時代は誰がやっても、限界が存在する

380 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/10(土) 01:12:21.42 .net
六厘舎のつけ麺うめえな

381 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/10(土) 23:46:35.38 .net
1だが、このスレ立てた頃は、まだ石勒の発言にからめて劉秀を比較対照とすると
必ず荒れていたのでそう決めたが、劉秀厨も批判の対象となった今、タブーは破れたようだ

そのローカルルール、なくしていい


382 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/12(月) 10:24:50.46 .net
了解


383 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/14(水) 19:39:53.91 .net
比較する場合
1、同じ戦力でスタートして戦う
2、相手の時代の相手と似たような立場でスタート
3、相手の時代の自身と似たような立場でスタート
の3つくらいの比較でいいのかな


384 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/15(木) 23:36:05.71 .net
王猛がもし桓温に仕えていれば晋朝の中原回復も夢ではなかっただろうに

385 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/16(金) 19:27:14.44 .net
晋かどうかは微妙じゃね?

386 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/23(金) 05:39:50.90 .net
>>384-385
いい所までは行くけと内ゲバでおじゃんというパターンたどりそうな……

387 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/23(金) 17:33:42.47 .net
中国のお約束じゃんそんなん

388 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/23(金) 19:38:51.62 .net
>>384
王猛のような奔放不羈な人間が、あの魑魅魍魎うごめく東晋朝廷で
政界遊泳できたかどうかは非常に疑わしい
門地も立派な方じゃなかったしな(北海王氏なんて、実質王猛一代の新興勢力)

東晋朝廷の足の引っ張り具合は、もう芸術の域だろ
北伐しようとすると、味方が後ろから撃ってくるんだからよ

389 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/24(土) 21:26:03.33 .net
足の引っ張り合いは西晋の建国した時からだろ。

390 :無名武将@お腹せっぷく:2011/09/24(土) 22:10:46.41 .net
>>389
それでも、平呉の戦役の兵站をサボタージュまではしなかっただろ

祖逖も桓温も謝玄もみんな後方に不安を抱えて出撃しているってのはさすがに問題あり過ぎる
その気になれば、鄴まで進出した実績だってあるんだから、出来なくはないはずなのに

391 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/03(月) 23:23:30.09 .net
漢字がパッと変換できてすごいね

392 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/04(火) 05:41:27.85 .net
つGoogle IME

393 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/04(火) 08:01:59.16 .net
よこやまみつ
まで打ち込むと

横山光輝三国志が候補に出てくるくらい凄い

394 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/04(火) 23:35:28.68 .net
>>377
光武帝とまったく同じことをやろうとして失敗したのが、袁紹だな。
華北を征して優秀な人材を得、中原に打って出る・・・はずが・・・

部下を使いこなせ以内スペックがあだになって。

曹操の時代には劉備と孫権がいた。そして涼州の反抗勢力も健在

他の二人にはグダグダの晋王朝があっただけだし、比較は難しいんじゃないか。

395 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/05(水) 10:08:06.93 .net
>>394
比較が難しいのは別時代だから当然だろ
でも光武帝>>>曹操なのは間違いないよね

別の人が書いてた時代背景が違うとか当時の風潮とかもってのほか



396 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/05(水) 14:32:42.77 .net
それを言い出せば石勒も光武帝には勝てないわねえ

397 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/05(水) 15:53:49.37 .net
>>396
石勒の「敵指揮中枢撃滅」戦略の前には、さすがにどの群雄でも後れをとる可能性はある
総合的には光武帝が圧倒しているが、石勒には鬼札があるという感じ
牙が鋭い延岑みたいなしぶとくて嫌らしいヤツだ、石勒は

398 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/05(水) 18:37:01.34 .net
>>395
結果論だけで言うなら
司馬炎>>>曹操=石勒
という話になってしまうぜよ
お前の論理は無意味だ

399 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/05(水) 20:51:09.23 .net
>>394
袁紹に関しては、劉秀の真似といわれる部分でも差があると思ったり
劉秀が河北に来てから、およそ平定し南に兵を向けるまで2年程度
赤眉と争って更始帝勢力が弱まるタイミングをつけた
それに比べたら袁紹は時間が掛かってしまい、曹操に地盤を固める時間を与えてしまった
(まあそれは逆でも言えることで、曹操は官渡ののちに袁紹勢力を一掃するのに7年掛かってしまった)
そもそも劉氏でもなく反董卓連合軍で劉秀の昆陽のような大功もたててないのに、その後追いするのは難しいと思うけどね

あと劉秀の統一事業最後の壁は結局涼州と益州な訳で、その点では曹操も似たようなものだと思う
(イメージ的には劉備≒劉氏で一回り優秀にした延岑、だったり)
最大の違いはやっぱり揚州に割拠していた群雄が、劉秀の時に比べはるかに強かった事じゃないか?
劉秀の時の群雄李憲は途中で劉秀が帰っても2年で陥落したけど、曹操の時の群雄孫権は曹操が率いた軍を破って雄飛した

まあやっぱり時間を与え過ぎたのも問題かなぁとは思うけど、時勢の違いや土地の生産力なんかも無視出来ないだろう
新末後漢初に比べ後漢末の群雄の持久力があるのは、地方の体力が高くなってたからってのもあるんじゃないかなぁ、と

400 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/05(水) 23:12:42.36 .net
>>399
江南と益州の本格的な発展は、三国時代からだからなぁ。

401 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/06(木) 13:38:16.22 .net
光武帝も曹操も石勒も苻堅も

ハッキリ言ってベガスでマルケスに勝った西岡さんに比べれば雑魚ですよ

402 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/06(木) 21:48:16.96 .net
>>399
新に比べりゃ漢の方が明らかに強いだろうしね
黄巾の乱以降も、漢は一定の支配力を持ち続けていた。だから曹操や袁紹が一勢力の長として独立できるようになるのはだいぶ後になって、中央がヘタってきてからの事だし
新は瓦解するのも早かったからね
>>401
それは当然だろ
劉秀なんかが西岡さんの左に耐えられる筈がない

403 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/07(金) 06:32:30.19 .net
中国って名のあるボクサーいないよな

404 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/07(金) 12:37:31.39 .net
>>398
さらに意味不明なこと書くなよ
なんで基盤の出来上がってた司馬炎なんだよ
頭悪すぎるわ
しかも結果論じゃないだろ
当時の孫権と劉備がそんなに大勢力かよ
せいぜい公孫述程度だろ

405 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/08(土) 17:21:09.42 .net
一対一のケンカなら石勒は西岡に勝てそうな気がする。

406 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/08(土) 18:05:11.93 .net
 『100%オッサン!!』(勇気100%)
  うpはナシ IDナシ どうしたんだい?
  八戸が女と分かる 画像はどこだい?  Wow Wow 
  八戸「性別とか 言ったもん勝ち 匿名なら」  「バレたときはいつだって 逃げりゃいいから」

  八戸「ウソはでかくなけりゃ つまらないだろう?」  「『うp!!』無視して 全レスするよ^^」

  HEY!! HEY!! オッサン 100%OYAJI もう水遁しかないさ  このスレッド中の住民 裏切りながら

  HEY!! HEY!! オッサン 100%NEKAMA もう投げだすしかないさ  ボクたちにバレた悔しさwwwww 永遠に忘れないでねwwwwwwwww

407 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/08(土) 19:32:46.37 .net
曹操が主役の日中合作映画『銅雀台』がもうすぐクランクインするね
曹操はチョウ・ユンファがやる。

408 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/08(土) 19:36:16.77 .net
蛆虫の巣窟 赤坂ルナ

409 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/08(土) 23:14:32.90 .net
>>405
石勒なんて西岡さんに良いようにコントロールされて終わりだろ
何も出来ないまま焦って前に出た所にカウンターもらう姿が目に浮かぶ

410 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/09(日) 21:14:51.77 .net
西岡さんの冷静さは異常だからな
最初は打たれるかも知れないがすぐに調整して
いつのまにか石勒が一方的に打たれてるだろう

411 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/09(日) 21:28:02.64 .net
あのバランスの良さがあるから、あの左を存分に活かす事が出来るんだよな
その点、光武帝も曹操も石勒も苻堅も、ダメだな
全員、凡ミスや迂闊な侵攻で一度は死にかけてる。運よく持ち直せたけど皆致命打になりかねない失態だし、苻堅の場合は実際に致命傷になった
まあ石勒の場合は実力負けという感もあるが、他の三人は負けなくても良い所で負けを貰ってる
西岡さんならああいう危なっかしい戦い方はしない。ウィラポンに関しては相性が最悪だったと言うしかない

412 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/11(火) 11:31:21.01 .net
石勒は
胡族の漢族迫害の禁止
死んだ父兄の妻妾の取得と喪中の結婚の禁止
とかやってるんで、民族融和してないとはいえんな


413 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/11(火) 14:47:07.52 .net
また
劉淵や慕容[皇光]が、舜や禹はもともと異民族なのに天下をとったから
我々が(異民族だからという理由で)なれないというのはおかしい
といっているから、石勒が皇帝になるための理論を確立したというのも
間違いだな


414 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/11(火) 22:26:24.52 .net
>>413
俺が提唱している理論の柱は、既存の権威の否定〜実力者による天下経営の正当化
その両名は、既存の権威を借用していたと言う点で、石勒の革新度には到底及ばない

A:異民族だから天下を取ってはいけない→漢・晋の権威を利用→それを足がかりに天下取り
B:異民族だから天下を取ってはいけない→そんなこと知るか、ボケ→自力で天下取り

その後の華北の覇権国家であった前秦も北魏も石勒のB路線

415 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/12(水) 08:16:32.04 .net
舜と禹って異民族だったんだ!?
てことは夏の時点で異民族が統治してるんだからもう中華とかいう概念自体崩壊してるな
俺周が初の異民族国家だと思ってたw

てかそしたら禹の出身部族で純中華民族だと言われてる夏華族っていうのは何なの?
禹が異民族ってことは純中華民族=夏華族も異民族ってことでしょ?
じゃあ本当の純中華民族って何?伏羲や女カを信仰してる苗族が実は純中華民族だったとか?

416 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/12(水) 08:46:28.83 .net
明らかに劉曜への反抗だろ

417 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/12(水) 19:12:56.54 .net
曹彰の武勇を考えると、曹操自身もかなりいけるクチだったんだろうな

418 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/13(木) 14:11:41.03 .net
曹操はちっちゃいからなあ
見た目的な部分での比較はどうだろ

419 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/14(金) 15:46:46.50 .net
禹は西方の異民族出身だね
あと周の文王

420 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/15(土) 08:37:38.31 .net
ii

421 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/15(土) 08:38:48.77 .net

                       (⌒⌒⌒⌒⌒)
                      ( ( ,_`ゝ′) )
                      (  石川  )
                       〜〜○〜〜
                          0
八戸楊奉大好き  逃がさんわ        o  
(v=ФωФ)ρ  -=≡川メ´,_」`川   -=≡ ( ,_´ゞ`)

(ルール)
八戸楊奉して1時間高岡されなければ童貞を卒業したことにします。その後に高岡されても童貞を卒業した功績は消えません。
その人が次にトライする時は名前欄やメル欄や本文のどこかに童貞卒業していることを記入しておきます。
で二人目とファックするにはやはり1時間高岡されないことが必要になります。
二人目をファックしたら名前欄やメル欄や本文のどこかにその旨を記入して三人目ファックを目指します。
八戸楊奉をする人はageてください。その繰り返しで合計1000時間高岡されなければ晴れて千人斬りしたことになります。
高岡ふぁびょるくんは死ね。二度と書き込むなよ。

422 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/15(土) 10:00:16.18 .net
後趙が長続きするためにはどうしたらよかったんだろ

423 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/15(土) 17:55:33.52 .net
石虎が石斌を後継者にすれば30年は持ったと思う。

424 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/15(土) 17:57:27.69 .net
住宅街で猫の不審死相次ぐ 兵庫・尼崎市(兵庫県)
http://www.news24.jp/articles/2011/09/29/07191670.html#

ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ、飼いネコの首掻き切られて殺された糞ジジイが
身体ぷるぷるさせていっちょまえに悔しがってやんのwwwwマジワラw

てめー首切られたり関節全バラシにされたくねーんだったらよぉ、敷地から一歩も出すんじゃねーよダボが!
猫なんて糞害獣外に出して木の上登って降りられねーくらいでレスキューとか読んだりよぉ、
これだから野良猫は全部駆除されちまうんだよ(笑)全部は愛誤のキチガイのせいで猫嫌いが増えて
殺されたり虐待されたりが増えるんだよw マジで薄みっともないねぇいい歳したジジイが
死んだ猫ちゅあん(爆笑)の写真見て涙浮かべたりwwww「家族だったんづどゅえす〜〜(ウルウル)」とか
てめーこそさっさと棺桶入れよクソジジイwwって感じのいいニュースでした♪

425 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/16(日) 15:41:12.70 .net
でも冉閔の反乱は防げたかな?

426 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/16(日) 19:02:18.22 .net
石斌と石遵のコンビなら冉閔の反乱をのりきったと思う、
前燕は後趙の国家をそっくり受け継いで20年もった事を
考えると30年は寿命が伸びたのではないか。


427 :無名武将@お腹せっぷく:2011/10/17(月) 09:57:50.98 .net
そもそも石遵が冉閔を太子にしなかったのが原因だから、石氏がまとまればOKだったのかもな



428 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/07(月) 21:55:20.62 .net
石勒は趙に仕えたが劉曜を裏切り滅ぼした。曹操は漢に仕えて魏王となり曹丕が漢を簒奪したが献帝を山陽公に封じた。曹操は後漢末の動乱を平定した功績があるが石勒の死後華北は乱れた。曹操のおかげで孫子が読める。何晏のおかげで論語が読める。曹操の勝ち。

429 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/08(火) 04:12:40.41 .net
石勒は仏教の普及に一役買ったけど、まあ、でも、酒が上手いしな
曹操の勝ち。

430 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/10(木) 10:58:37.05 .net
>>428
石勒の死後華北は乱れた?


431 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/11(金) 20:38:55.00 .net
河北が乱れたのは石虎の死後だよ。


432 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/11(金) 21:07:52.67 .net
曹操信者のやることはいつも捏造
というか、正しい知識も知らないし、確認しようともしない
蜀が滅んだ原因も諸葛亮に課すぐらいだからな

433 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/11(金) 21:09:06.41 .net
石勒は趙に仕えたが劉曜を裏切り滅ぼした。曹操は漢に仕えて魏王となり曹丕が漢を簒奪したが献帝を山陽公に封じた。曹操は後漢末の動乱を平定した功績があるが石勒の死後華北は乱れた。曹操のおかげで孫子が読める。何晏のおかげで論語が読める。曹操の勝ち。

434 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/11(金) 21:43:34.05 .net
曹操は後漢末の動乱を平定し、華北の統一は死後80年守られたが
石勒は華北統一へ向かう前趙を裏切り、その統一も死後20年もたなかった。

とでも言えばいいんじゃねーの。どうせ牽強付会するなら。

435 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/13(日) 23:03:44.30 .net
まあ石虎のせいでね〜と言ってしまえばそれまでなんだけど、
あれだけの勢力を築けたのも石虎の活躍を抜きにしては語れないので
まあ痛し痒しというか、悪いところだけ抜きにして語る事は出来んね

436 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 14:04:01.00 .net
それはおかしいだろ?石虎を粛清すればいいのか?
そもそも石虎の死後乱れたのは冉閔の反乱のせいだし

437 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 14:59:29.67 .net
それでは「悪いところを抜きにして語る」と同じだろう。
後継者の出来不出来まで含めてこそ統治者の評価だよ。

438 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 18:08:09.55 .net
>>437
違う、石虎までは一応の統治がなっている
石虎時代も領民の流出は一応止まっているし、慕容部の南下も後趙を避けている
これは一応の国家としての体をなしていたわけで、崩壊するレベルでは全くなかった
問題なのは石虎後であり、それを石勒に求めるのは間違い
これは石勒の後継の出来とは意味が違う、むしろ石虎の問題



439 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 18:47:23.55 .net
ああ、「後継者」ってのは石虎だけじゃなくて。
統治者、特に王朝創始者なら、その後の後継者達と王朝の行く末込みで
「偉大さ」が決められるのは当然のことだろう。

例えば、曹操(石勒・苻堅)の時代は、後漢中期から続く全国的な衰退で、国力的に統一が至難だった。
一方、劉邦の時代などは時代の趨勢としては統一が容易い時だった。
それは事実ではあるが、
だとしても、「偉大さ」という点で200年の統一時代を築いた劉邦や劉秀らと、
曹操・石勒との間には絶対に越えられない壁がある。
未統一王朝の創始者同士にも序列がある。そういうこと。

440 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 19:47:26.94 .net
曹操の場合は王朝作ってねーじゃん
簒奪を完成させて王朝作ったのは息子であって曹操じゃない

最終的な地位
曹操→王(皇帝の家臣)
石ロク→皇帝陛下
って事で石ロクのが上って事になるぞ

441 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 20:08:07.28 .net
ここは「皇帝」じゃなくて「英雄」評価のスレだから。
魏代以降、歴代史書は実質的に魏を開いて中原を収拾したのは武皇帝曹操と評価している。

442 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/15(火) 20:19:52.51 .net
普通、英雄と呼ばれる人間には二つのタイプがあると思う。
困難を克服して業績を打ち立てて、広い範囲、長い期間に利益をもたらした者と、
当時は業績を残せなかったが、のちに評価されてある種の思想の象徴となった者。

王朝創始者とか中興の祖は勿論前者。異民族を撃退した将軍なども。
後者はいわゆるジャンヌ・ダルクタイプだが、
項羽や、三国時代では劉備、諸葛亮は、ある種の理想や思想を体現する存在として象徴化された。
劉邦や劉秀は、前者であると同時に後者に該当する王朝創始者のモデルとなった。
呉の孫氏も、建康実録の時代では両者の意味で英雄の一員となった。

443 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 04:55:00.18 .net
>>441
それは「実質」という主観だろ?
実際には曹操は最後まで簒奪して皇帝になるという最後の一線を超えられなかった
石ロクは自分で皇帝になって王朝開いた
王朝創始者という点でいうなら明らかに石ロクのほうが上だろ
だって実際に王朝創始してるんだから

444 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 07:57:13.39 .net
>>439
誰も劉邦なんかと比べてないのに、いきなりだされてもねぇ

445 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 08:48:46.43 .net
>>439
その論理でいくと曹操と石勒は拓跋珪を超えられない訳だね

446 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 09:23:40.48 .net
>>445
というか司馬睿以上の英雄は、この時代いなくなるわけで

447 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 19:04:11.43 .net
>>443
「英雄」としての話だよ。

>>445-446
少なくとも曹操よりは上だな。「英雄」としては。

448 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 19:45:06.79 .net
つまり東晋を作った王導を信じ続けた司馬エイや太武帝や孝文帝の先祖の拓跋珪は英雄度に於いては曹操や石勒にはるかにまさるということか
それだとランク付けは簡単だな

449 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 19:55:18.17 .net
彼の興した国が、「広い範囲、長い期間に利益をもたらした」ならね。
臣下に乗っ取られて有名無実だったり、形だけ続いても内戦時代が長すぎるような王朝があれば、
その期間は評価に値しないだろうけど。

450 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 19:58:54.68 .net
×価しない
○原点対象

か。
曹氏の魏支配は実質三代で終わるので、「建国者」としての曹操の価値はそれ以降は大きく目減りするとしても、
とはいえ「後漢末の華北の平定者」による余徳は西晋滅亡まで続くわけだから。

451 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 20:02:55.66 .net
司馬炎は、勿論、晋王朝成立と、天下統一の功績で「英雄」と評価される権利を持つものの、
司馬晋建国の功績は祖父からの四人で分割されてしまうので、ここは減点されるべきだろう。
だから、ちょうど逆の功績の曹操などとは単純には比べられない。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/16(水) 20:07:58.28 .net
司馬氏は群雄割拠を収拾するほどの大きな「困難を克服」して晋を立てたわけではないし。

453 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 02:48:57.94 .net
>>447
だから「英雄」としてもだろ?
未統一王朝の創始者にも格付けがあると自分で言い出したんだから、
その点は認めるべきだろ?
曹操は最後まで皇帝になるという最後の一線を越えられず、皇帝の臣下である王で終わった
石ロクは自身が皇帝になって王朝開いて終わった
どうみたって未統一王朝の創始者として曹操より石ロクが上だろ?

454 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 13:24:13.68 .net
暗愚な後継を立て、補佐すべき側近の整備を怠り、その仕組みのせいで乱が起こったといわれる国家体制を作った司馬炎が、国家の命脈=後継作成能力だという論理で、しかも西晋だけでなく東晋まで加算して偉大であるとされるのは理解できない
そもそも王朝の実質の創始者という主張なら司馬炎は該当が疑わしいし、皇帝が基準の創始者なら曹操は該当しない

455 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 13:27:50.85 .net
>>453
議論を流れで読み解く気がないなら自ブログにでも書いとけ
お前のゴリ押しを聞く場ではない

456 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 13:29:26.29 .net
「後漢末の華北の平定者」として曹操を見るなら
「皇帝」という地位そのものに実質問題は無いしな

457 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 17:08:12.13 .net
>>450
曹氏の魏支配は実質三代で終わるので、「建国者」としての曹操の価値はそれ以降は大きく目減りするとしても、
とはいえ「後漢末の華北の平定者」による余徳は西晋滅亡まで続くわけだから。
が何をさしているのかわからない
まさか西晋の一応の安定は曹操によるものと言っているのか?

>>456
実質問題ないなら、なんで王朝創始者として司馬炎が出てくるの?
比較基準がイマイチわからない
西晋の実質的な創立者は司馬懿じゃないのか?
司馬炎がもともとの議論対象にあがってもいないのに

458 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 19:28:57.64 .net
司馬炎は、「英雄」的な君主と言ってもいろんなタイプが有り得るので、バリエーションとしてたとえを出しただけだよ。
割拠平定者かつ建国者かつ天下統一者かつ王朝創始者(特に長期)であれば満点だだろうが、
そんなのは中華史上数人しかいない。
曹操は1と2しか満たしてないし、司馬炎は十分に満たすのは3だけで、4ではあっても短命国家。

曹操・石勒・符堅の同類者達、上は劉邦から拓跋珪を今の流れで比較するにしても
そんなに単純に決まるわけじゃないよって言っただけのこと。

459 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 20:12:39.61 .net
完全な統一ではないと言っても、曹操が河北を平定した辺りから考えて
80年以上、当時の中華圏の中央と呼ばれる部分では、ずっと戦争が無かったわけだろ。間にテロがいくつかはあったけど
そう考えると、晋崩壊以後の300年ってのは相当に落ち着かない時期だったんだろうねえ

460 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/17(木) 21:55:17.53 .net
つまらん
ガッカリだわ

461 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 00:58:27.42 .net
>>455
お前の言い方にしたがって矛盾を指摘してるだけ
お前の未統一王朝創始者云々の格付けで言うなら
文句なしに「王」という「皇帝の臣下」で終わった曹操よりも
皇帝に即位した石ロクが上に決まってんだろ
お前の阿呆な定義で見事に石ロク>曹操は確定だ、よかったな

462 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 01:03:46.19 .net
>>459
つまり江南に戦乱的には安定しまくりの六朝時代を築く端緒となった呉最強でよろしいか?
東晋でもいいが
結局六朝時代を経てそれまで未開発だった江南は大開発が進められ
中国経済の主軸は華北から江南に移る、いわゆる「中国経済の南遷」がおきるわけで
その端緒となった呉の建国者であり統治者であり皇帝である孫権大帝こそ
曹操を圧倒的に上回る至高の英雄って事でOK?

463 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 02:12:40.30 .net
なんか曹操憎しか石勒信者か、どっちなのかわからんが頭茹ってる奴がいるな
こういうのが一人いるだけで、話が混ぜっ返されるから困る

464 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 02:26:11.79 .net
>>462
曹操から八王の乱までを間康期とするなら、西晋の侵略までが孫権の築いた平和だとするのが準当じゃないかねえ
それも半分は東部を平定した兄のものとして帰すのが妥当だろうし

465 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 02:40:40.84 .net
>>461
いいから上から読み直してこいよ
お前は自分が「言い負かされない」事に拘ってるだけだろ

466 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 08:32:53.04 .net
>>465
そんなことはないだろ
本質的な質問に答えず微妙に論点ずらすヤツにとりあえず基本的な確認をしたいだけだろ


467 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 18:43:30.08 .net
結局石勒の死後華北は乱れてないし、石虎の死後乱れたのは石勒のせいでないということだろ
漢族への差別を禁じた(ただし、羯族への侮辱は厳罰だった)石勒政権下では
無理に逃れる必要はないし、祖逖との事件後は移動も難しかった

468 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 19:03:53.88 .net
>>463
普通に矛盾点指摘してるだけですが何か?
>>465
読み返してもお前の言ってる論理からはどう見ても
王で終わった曹操、皇帝になって石ロク、で
石ロク>曹操は確定
お前が具体的な反論できなくなって、中身ゼロの勝利宣言で逃げて
「言い負かされない」事にこだわってるだけだろ

469 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 19:13:24.78 .net
>>464
それいったら曹操飛躍の為の礎をつくり、曹一族を中央政権のトップを争う家柄に仕立てた祖父さんが
曹操の功績を吸うことになるのか、とか
そもそも乗っ取った司馬一族の功績まで吸う事が出来るのはおかしかないか、とか
色々突っ込みどころはある
単純な政権存続期間を見るんだったら、孫権の呉のほうが魏よりも存続期間は長い
そっちがいうように孫策をもって呉の領域創始と見るならば、85年近くになる

それでもなお、百歩譲ってそっちの理屈に従うなら
東晋建国者である司馬エイが曹操を圧倒的に上回る大英雄でFAとなる

470 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 19:17:25.28 .net
>>469に追記として
単純に王朝としての存続期間で見ても
呉は52年(58年と見る向きもある)、魏は45年
単純な存続期間で見れば呉は魏に勝る

471 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 20:08:33.25 .net
そもそも単純な王朝の存続期間だけで英雄度を決しようとしている人間はいないから。

472 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 21:56:46.66 .net
でも屁理屈君はそういってるだろ
みんなその中になんらかの切り口が有るかもしれないと考えて質問してたけど、よくわからない論理と屁理屈でガッカリって状態だろ

473 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 22:47:23.86 .net
残念ながら、最初に「王朝創始者」と言い出した本人は
君を適当にスルーして別の話題に乗ってるよ。
俺がいうんだから間違いない。
労を追って相手してくれたのは別の人。
お疲れ様。

>>442>>449>>458と軌道修正をしたのに、
無視して古い言葉尻に延々つっかかってくるのがうざかったからね。
そんな態度に義憤を感じた>>455?が代わって相手してくれたようだけど、
もうこの辺でいいんじゃないかな?

474 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 23:04:22.38 .net
つーか相手は一人だと思い込んでる時点で、かかわっちゃいけないタイプ
自分の権威付けの為だけに話の場をぶっ壊す人間

475 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/18(金) 23:21:13.68 .net
>>469
それぞれ二代で鎮圧・そして治世を行っている
曹操は両方を一代で行っている。だから後の中原安穏の基礎として評価する人間が多いんだろ
せっかく相手してあげてるのに、曲解ばかりしてるから、人もいなくなったし、当初の議論もどこかへ吹っ飛んじゃったじゃないか
実際の所、キミは何が気に食わないんだね? 話題を共有する気自体が最初からキミには無いんだろう

476 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 00:03:13.53 .net
>>458の4点をとりあえず統治者の評価基準として考えてみると、
元帝司馬睿が完全に満たすものって一つも無いんじゃないか。
亡命先での中興の祖として、1と4が0.5点ずつでも4点満点中1点ってとこ。

曹操  1-1-0-0  2点
石勒  0.5-1-0-1 1.5点
符堅  1-0-0-0  1点 
孫権  0-1-0-0.5 1.5点
司馬炎 0-0-1-0.5 1.5点

符堅のような中期の英主が低くめに出てしまう採点基準だな。

477 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 00:14:03.08 .net
間違えた

石勒  0.5-1-0-0.5 2点


符堅とは逆に、自力で身を立てて皇帝名乗るところまで行けば
短命でも高得点になるが。
要再考かもしれない。

478 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 03:08:19.45 .net
皇帝名乗るだけなら袁術も王もうもやってるしな。

479 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 03:21:46.88 .net
素朴な疑問だけど
四百年続いた王朝の主席と新興帝国の皇帝だったら、後者の方が偉大って言うか、偉い事になんの?
前趙自体、突然出来た国だしさ。そう言う意味での権威あるの?

480 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 08:45:55.57 .net
>>476
そういうのいいから

>>479
北魏の孝文帝が拓跋氏を土徳から金徳に変更するまでは、前趙は少なくとも華北では西晋を受け継いだ王朝と認識されていたわけで、王朝の価値はポッと出の国以上だったはず


481 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 09:09:13.23 .net
このスレの話題は国の偉大度ではなくて
個人の英雄度だから。
行政手腕に長けた名君を英雄と呼ぶことはあまり無い。
戦乱を収めて統一したとか、異民族を撃退したとか、
小国であったとしてもその地域の平穏を回復して
社会や文化を建て直す礎になったような人物が英雄と呼ばれる。

だから皇帝を名乗っただけでは意味が無いけど。

482 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/19(土) 10:59:04.24 .net
>>480
金徳→水徳だね

483 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:05:00.07 .net
>>473
やばくなったら別人設定ですか?
いつもどおりの逃亡論理で結構なことですね
義憤も何もお前がいつもどおり馬鹿さらして、
やばくなったら別人設定して逃げようとしてるだけだろ
お前の阿呆な設定で石ロク>曹操が確定して残念だったな
>>474
お前の相手してるのが一人だとでもおもってたのか?
まさに「お前がいうな」の典型だな
自分の阿呆な仮定で石ロク>曹操が確定して残念だったなw

484 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:08:54.93 .net
>>475
おー、別人設定で必死に継続か、えらいえらい

それぞれ二代?それいったら曹操も祖父が宦官として中央政界のトップを争う家柄に仕立てたっていうのを
加味しないと不公平だろ?
孫一族なんかよりもずっと上からスタートだったんだから
曲解も何も、やばくなったら論点ころころ変えてるのはお前
結局お前は都合のいい仮定で曹操持ち上げようとして、その論理でいくと石ロクが上になってしまうから
必死で論点そらしに終始してやばくなったらレッテル貼りで逃げようとしてるだけ
つか、いい加減お前の寝言設定だと司馬エイが最強になるってわからんのか?
曹操よりも石ロクが上だし

485 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:10:09.31 .net
みんな、>>474だぞ

486 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:12:29.24 .net
>>481
んじゃ、奴隷階級から身を起こして、中原を席巻して皇帝となり
王朝を創始した石ロクは、中央政界のトップを争う家柄からスタートして
中原を抑えて皇帝の臣下で終わった曹操より上でFAになるんじゃないか

487 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:13:23.03 .net
>>485
>>474ってレス番確認してるのか?

488 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:16:43.09 .net
奴隷から成り上がったことが英雄視される社会ならね。
でも、中華って皇帝のもともとの家系なんてほとんど問題にしないんだよな。
皇族だろうが宦官の孫だろうが奴隷だろうが、本人に実力と教養があれば尊敬される。
逆に言えば奴隷出身ってのは殆どプラス材料にならない。

489 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:20:21.43 .net
先生!
明らかに中央政界のトップを争う家柄からスタートするより、
奴隷からスタートするほうが過酷だとわかるのに
それでプラス材料にならないとか、正直基準が恣意的すぎる気がします!
曹操を断固として石ロクの下におきたくないのが見え見えです!

490 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:22:31.16 .net
本人にとっていくら過酷でも、
民衆や史家にとっては関係ないもの。
英雄視の根拠は、その人物がどれだけ多くの利益を齎したか、天下の困難を排除したかであって、
本人が生まれながら持っている困難を乗り越えたかどうかではない。


491 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:25:36.00 .net
判官びいきが好きな日本人さえ、信長・秀吉・家康の中で秀吉が突出した英雄と考えられているわけじゃない。
定期的な統治喪失や異民族の侵入を経験している中華はもっとドライ。

492 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:29:57.53 .net
なんかもう、そこまで恣意的に頑張る姿勢を見ると笑いがこみ上げてくるな
どちらも中原制覇という業績では同じ
なら他の面から難易度を見るべきなのに
そうすると
奴隷出身の石ロク>>>>>>>>>>>>>>>>>中央政界のトップを争う家柄の御曹司曹操
となり、最終的な立場も
皇帝になった石ロク>王で終わった曹操
となるのにそれは駄目とか、もはや基準を定める志向が見え見えで萎える

よりどれだけ多くの人に支持されたか、なら
関羽・孔明>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>曹操
でFAですね
評価で見ても、曹操は後世に長く悪評持ちまくりだから石ロクより下になるぞ

493 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:33:31.86 .net
>>491
実は秀吉って歴史的に見ればその3人の中で最も人気のある英雄だったってしってた?
歴史的な人気評価の総合で言えば
信長最悪、秀吉最高、家康中庸、ってところだな
秀吉の人気は江戸時代に江戸幕府がどれだけ禁止しても爆発的に続いたし、
明治時代の日本人が選んだ世界英雄番付でもナポレオンと並んで堂々の横綱だったぞ
ちなみに家康は関脇、信長にいたっては前頭で伊達政宗より下にいるのなww

494 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:45:44.27 .net
関羽や諸葛亮は>>442が言う所の後者だね。
その条件でいう限り、
>関羽・孔明>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>(超えられない壁)>>>>>>曹操
は完全に正しいよ。

ただ曹操は簒奪の悪評は高いが、同時に華北統一者の系譜の一員と看做されて
>景皇帝非造我區夏,不得與夏之禹、商之契、周之稷、漢高帝、魏武帝、晉宣帝、唐神堯皇帝並功,
もいて、>>442前者の意味の「英雄」では地方統一の覇者の代表格でもあったようだね。

495 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 13:47:42.66 .net
>>493
へえ、それは勉強になった。
その調子で石勒の偉大さを普及させれば、江戸や明治の日本では英雄になれたかもしれないね。

496 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 15:46:23.54 .net
さんざん当時の文献に異民族は皇帝になれないって言われてるって書かれてるのに石勒と曹操が立場一緒とかありえんわ
鮮卑や匈奴とかと違う羯族という少数部族出身かつ奴隷で文字も読めなかった男と大宦官の子供でツテも金もあった男は違いすぎるわ


497 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 16:32:08.75 .net
492の論法を肯定されて自分の望んだ結論にならなかったから
別の理屈を持ち出してくるとかかっこ悪すぎ

498 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 17:17:01.93 .net
>>497
レス番つけろよ


499 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 18:53:51.12 .net
>>496

500 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 19:41:49.54 .net
その論法だと田中角栄が歴代総理の中で圧倒的に偉大だという話になるが、別にそんな話にゃならんよね
苦学生やりながら身を立てた人物は「立派だったね」と称賛されるだろうが、功績が水増しされるなんて事は無い、それはあくまで別の話
まして「庶民上がり」の太閤さんと「夜盗」上がりの石勒じゃ全然違うだろ。苦労したのはわかるが、とても立派な人間だったなんて言えるかよ

501 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 19:52:56.08 .net
極貧にも関わらず、社会倫理に逸脱せず正道を歩んだ人間は文句なく「逆境に負けなかった」と言えるけど
世紀末時世に乗っかってヒャッハーしてた人間に難易度もくそもない。

502 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:00:17.24 .net
>>493
興味深い
是非その史料についてkwsk

503 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:23:23.91 .net
>>502
明治時代に一般人アンケートで行われた「全世界英雄番付」かと
秀吉人気に関しては江戸時代に太閤記はどんだけ禁止されてもあの手この手で
書かれて普及してった事、明治時代、戦前戦後、高度成長時代、と通しで
秀吉は概ね肯定的な意味で評されていた事が裏付ける
対して信長はその死亡から400年にわたって人格的評価は概ね悪評ばかりだった

504 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:28:10.01 .net
>>494
それは漢民族王朝としての系譜の話だろ?
5胡16国を通してしっちゃかめっちゃかになってしまった状況では石ロクを
その系譜に入れるわけにいかなかったのは自然
でも業績で見れば決して曹操に劣るものではない事は
皇帝になった石ロク>王で終わった曹操、
奴隷からのスタート石ロク>>>>>>>>>>>>大宦官の孫であるエリート曹操
という対比で十分わかるとおもうが

505 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:32:39.37 .net
>>497
いつそんなことになったんだ?
民衆に慕われているかでどうかなら関羽・孔明が曹操より圧倒的に英雄、
って事でFAって話か?
>>500
石ロク伝見る限り、奴隷階級から随分と悲惨な経験してきたようだけどな
てか、それいったら曹操なんか非道行為しまくってるんだから
それこそ立派も何もないだろうがww
>>501
奴隷から皇帝になったのに、大宦官の孫からスタートして王になるより難易度ないとかありえんだろ
難易度は明らかに違うだろ
非道手段を用いたのは曹操も同じなんだから

506 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:36:22.60 .net
入れるわけにはいかなかった、というか、
隆盛興亡した十把一絡げの一人だから視野に入らなかったんだろう。
評価基準は「造我區夏」。華夏を統一したり、外敵を防いで王朝の始祖となった
功績ある皇帝(追贈含む)として挙げられている。

五胡十六国は自分で王朝を建てたと言っても、わざわざ自分で反乱してから「混乱を収拾しました」
って皇帝ばっかりで、「造我區夏」した者やそれに準じる南朝の皇帝は一握り。

507 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:40:20.02 .net
>>506
だからそれをもって曹操を上とするのはおかしい、って事だな

508 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:44:08.59 .net
>>497
別の論法って何だよ?

>>500
何で歴代総理なんだ?
あくまで曹操と石勒の比較での話だろ?
奴隷で全土統一くらいしたなら歴代創始者ナンバー1でもいいけど


509 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:44:50.91 .net
評価基準が根本的に違うんだよな。

もし石勒が異民族だから>>494のリストから外れたとするなら、
異民族って言うのは中華で英雄視されるためには大きな障害であって、
石勒は歴史的に英雄と看做される条件を生まれながらに欠いていたことになるのだが。
歴史は無情だね。

510 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:56:59.07 .net
>>509
つまりそれだけ大きなハンディを背負いながらも皇帝に上り詰めた石ロクは
本人の言葉通り、曹操を鼻で笑ってしまえるような大英雄だったんだね
歴史は無情だよ

511 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:57:11.14 .net
崔浩の事件を見てもそうだけど漢民族>>>>異民族だったわけで
もともと評価されない立場なんだよな
現在も遺跡や研究みてもわかるように状況は変わってない

512 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:58:05.68 .net
なんかこの流れでいくと関帝聖君が最高の英雄で終わりそうだな

513 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 20:59:19.08 .net
そんなに評価されない立場でありながら皇帝にまで上り詰めた石ロク・・・
確かに曹操とは格が違う傑物だったんだな

514 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 21:01:17.35 .net
>>510
英雄ってのは、後世の人間に評価されてこそ、そう呼ばれる資格があるのだが…。
石勒をそんなにプッシュしてるのはおまえさん一人じゃん。
歴史的に「石勒は群盗から成り上がって皇帝にまでなった。偉い。
覇者の中でも特筆すべき存在だ」とか評価されたことがあるの?

515 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 21:05:41.62 .net
>>504
自分で言ってて気付かんもんかなあ?
当時の情勢がしっちゃかめっちゃかであればある程、生まれた家がどこであろうが差は無くなる。
後漢末だって五胡十六国時代よりもまだ落ち着いていただろうが、宗室に連なる人間が何の躊躇いも無く殺されてるような状況だよ。
むしろ家の裕福さと言うよりは民族の出自の方が、イデオロギーを司る政治家としては重要だ
石勒が奴隷から脱したのも別に本人の能力じゃなくて、運だし、一旦軍人になっちまえばもう、家柄なんて関係ねーよ。
>>505
だから別に石勒の方が偉いとか上だなんて話にならんだろ。どっちもエグい事やってるんだから
むしろ石勒の方がよほど無茶な事やってるよ

516 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 21:07:04.90 .net
信者はいい加減、石ロクを石勒とちゃんと表記するようにした方がいいな。
そこまで心酔しているのならなおさら

517 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 21:21:27.48 .net
ていうか、その話このスレの300-350あたりで既に通過した議題でしょ
仮に石勒の生まれが違っていたら、石勒という人間は史上で見られる石勒とは全く別人になっていたでしょ
石勒は石勒の経歴を歩んだからこその石勒なんだよ。漢民族の名門出自だったら下手したらそれ以下だったかもしれない。五胡連中がすんなり石勒を支持する事は無かっただろうし
石勒の方が貧乏したから英雄として上だ、なんてのは小学生レベルの短絡思考だよ

518 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 21:44:05.76 .net
全中国史で統一国家以外の君主で曹操以上の英雄と言えるのは誰がいるだろう。

519 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/20(日) 21:55:26.02 .net
>>504
様々な王朝が乱立し、入れ替わった五胡十六国時代の王朝の一つと
秦滅亡からこっち、400年ずっと在り続けた絶対王朝とじゃ明らかに重みが違う
しかも、曹操をあくまで「王で終わった臣下」と仮定するなら
漢帝国が消えて無くなるかもしれない危急存亡の秋に立ち、その権威を復活させた功臣という事になる
一概に皇帝>王の図式が成立するわけがねー
「皇帝」であるだけでいいなら闕宣にも出来る


520 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/21(月) 09:11:54.90 .net
判断基準が後世の評価って…頭悪すぎ
孝文帝が評価されてる一番の理由は漢化政策だし
現在の中国は漢民族第一主義だろ?宋が人気ないのも外圧に屈していたからだし
第一異民族の支持って何?
前趙も慕容部も段部の半分も敵対勢力だし、王弥、劉[王昆]、張軌、東晋は漢民族だし
異民族が有利に働いたのは王弥を騙し討ちした時くらいだろ?
異民族国家ってだけで貴族が逃げていたのに適当な事書くなよ

521 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/21(月) 09:39:19.54 .net
>>517
それは立場が逆ならって仮定での話の結論だろ
立身出世の困難さでいえば奴隷は最悪のスタートだよ
しかも事跡が比較できないならって話の中での判断基準なのに
それこそ小学生レベルの短絡思考だよ




522 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/21(月) 20:38:28.21 .net
元以降非漢民族の統一王朝が建てられるようになったのに、
石勒が「非漢民族の始皇帝」的な再評価されたりはしなかったみたいだな。
まあ歴史的な求心力が足りなかったのだろう。

523 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/21(月) 23:41:23.13 .net
異民族の奴隷から皇帝になり、
後の世の中で(脳筋やゲスではなく、比較的スマートといえる)悪のカリスマと呼ばれた曹操と司馬懿をカス呼ばわりし、
捏造か真実かしらんが、これまた神話の中の存在といえる光武帝と互角に渡り合えると自負し、
それでいて、厨ではなく、心の奥底には真の仕えるべき名君を求め(劉邦が本当にそういう人物かは別問題)
その帝国は一族とともに戦乱と混乱の中で、消えていった石勒は、
その残酷さと狡猾さも含めて、まさにヒロイックファンタジーの住民

中国でなく、ヨーロッパの英雄だったら、英雄叙事詩として語り継がれていたかもしれんな

524 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 02:04:40.09 .net
欧州の建国英雄譚の主人公は妖精の子とか神々の子孫とかじゃん。
本物の奴隷上がりがヒーローになるのは、
現代のヒロイックファンタジーが生まれてから。

525 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:10:06.11 .net
>>514
いや、その評価基準でいったら
曹操なんて関羽にも孔明にも劉備にも圧倒的に劣る事になるわけで
事跡では石ロクに及ばないからって
後世に基本的に悪評で語られている曹操が、他よりも多めに語られている事があるから上だ、という
レベルの低い争いでもしたいのか?
てか、相手が一人だとおもってる時点でどうかとおもうが

526 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:15:54.32 .net
>>515
いや、そりゃ無理だろ
混乱期であればあるほどに実家の経済力とか政治力は大きなファクターになる
てか、曹操の実家はただの実家じゃないだろ
大宦官の一族として中央政界のトップを争う家柄で
後の曹操の飛躍の礎は実家の基盤をもとに形成されてるのに何いってんの
奴隷から脱出して軍人になってそこから皇帝に上り詰める、っていうのと
難易度が違くないわけないだろ

いや、なるだろ
どう見ても奴隷からスタートするほうが中央政界のトップを争う家柄の御曹司より
ずっとずっと大変だろ

527 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:17:30.04 .net
>>516
いや、そんなに心酔してるわけでもないんだけどな
歴史上の人物としてもそれ程執着があるほうじゃないし
ただ、どう見ても中央政界のトップを争う家柄の御曹司と比べたら
奴隷スタートで皇帝になった石ロクのが上になるだろ、って問題だな

528 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:22:19.56 .net
>>519
曹操が忠臣って・・・馬鹿?
その漢皇帝陛下自身が「私もいつまで生かしておいてもらえるかわからないんだorz」
と言ってる状態で何が忠臣?
曹操は徹頭徹尾自分のために漢皇帝を利用して勢力拡大に勤しみ、自身の地位向上のために動き、
最終的に皇帝になる壁を越えられずに王で終わった、ただそれだけの事だよ
未統一王朝の創始者云々でいうなら、明らかに石ロクのが上

ただの皇帝じゃなくて、曹操と同格の領土を持った未統一王朝の創始者としての皇帝だな
最終的領土は互角で、スタート位置では曹操が優位で、その上最終的地位まで曹操が負けてる、となったら
どうみたって石ロクのが上になるだろ

529 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:24:06.98 .net
>>517
>>521でもいわれているが、それは仮定の話であって
どうみたって奴隷は最悪のスタート
てか中央政界のトップを争う家柄で優位じゃないとかいうのは
小学生通り越して理解力に問題ありまくりだろww

530 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:24:52.69 .net
>>518
まあ、まず確実に石ロクだな

531 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 03:28:28.51 .net
>>524
あれは単に氏素性不明の人物が出世した後で
それに箔をつけるために神々の子孫とか、妖精の子孫とか言ってるだけだとおもうが
もともと神話だったら神様登場させないと話にならんわけでもあるし

532 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 07:10:43.78 .net
>>525
>曹操なんて関羽にも孔明にも劉備にも圧倒的に劣る事になるわけで
それでいいじゃん。
全中国史レベルで見れば、悪評どころか箸にも棒にも引っかからない有象無象クラスよりはマシってだけの話。

533 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 07:41:08.96 .net
>>522
だって違うだろ
非漢民族の始皇帝は劉淵
正確にいうと禹だって西方の異民族だし


534 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 07:44:14.10 .net
>>532
何言ってんだ?
それは俺が知らないから評価が高いはずがないと言ってるようなものだぞ


535 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 08:21:29.86 .net
バカの一つ覚えみたいに奴隷出身と繰り返すだけのテープレコーダーになり果てたか
こうなるとこのスレも終わりだな
石勒は口では立派な事を言ってるが、自身が虎狼のように謀を用いて天下を盗み取った人間である事は誰の目にも明らかだ
英雄視されないのは必然だ
>>528
だったら二人とも「実質的な独裁者」と見るべきであって、両者の間に差なんか無いじゃないか
お前の皇帝>王の論理を押し通すならそういう話になるというだけの話。
いい加減、都合によって論点をコロコロ変えるなよ。付き合いきれん
どーせまたそのように「馬鹿」だのと罵倒を交えつつ煽り返すんだろうがな。いい加減不毛だ

536 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 08:57:03.17 .net
石勒を激賛しているけど、同じようなことしか言わないからな
しかもやり方が曹操を貶すというだけだから議論にもならない

537 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 10:12:11.16 .net
>>535
あのさそういうのいいから答えろよ
お前じゃないかも知れないがテープレコーダーまで言ったんだから答えれるだろ
石勒が異民族出身だから異民族から推された事例



538 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 11:29:57.52 .net
>>536
激賛?


539 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 19:17:58.67 .net
明らかに曹操以外の話を持ち出して論点ずらすのは反石勒派
優劣はつけれないとハッキリ言えばいいのに、なんとなく曹操>石勒にしたくて言えない


540 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/22(火) 20:16:28.09 .net
>>534
その通り。管見の限り俺は知らない。

だから、石勒が歴史的になんらかの評価を受けた実例を示してくれ。
この際どんな些細なことでもいいから。
現状じゃ根拠ゼロなので議論に入れない。

541 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 00:07:39.10 .net
九大川本教授は石勒を胡漢融合を先取りしたと評価してるね
あとは仏図澄(仏教)を比護したことは概ね評価されていると思う

542 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 07:18:40.39 .net
>>540
ところで関羽が受けた歴史的評価って何?
話から見ると歴史的評価は関羽>>>曹操みたいなんで…些細なことでいいから教えて下さい

543 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 07:36:42.82 .net
剛勇忠義の武臣
義を尊ぶ商業の神
文武廟の両雄として孔子と並び立つ

544 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 11:39:35.40 .net
だから歴史的評価だって
そんな評価は意味ないだろ
劉備を補弼したわけでもなく経済を活性化させたわけでもないだろ

545 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 11:47:24.22 .net
そりゃ、関羽は>>442
>当時は業績を残せなかったが、のちに評価されてある種の思想の象徴となった者。
の中国で最も顕著な例だから。

当初は、国家の創業者として、
>困難を克服して業績を打ち立てて、広い範囲、長い期間に利益をもたらした者
のタイプである曹操や石勒とわざわざ切り分けて評価していたのに、
石勒プッシュの人が一緒くたに纏めて
「曹操なんか大したことねーだろ」って持っていこうするとするから、
めんどくせーからそれでもいいよ、でもそれでも石勒の評価はあがらないよね。
って流れ。
あとは石勒の人に聞いてくれ。

546 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 12:16:44.93 .net
>>539
どこがだよ
石ロクの奴とか見ても、どうにかして石勒>曹操にしようとムキになってるだろうが

547 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 14:23:11.40 .net
石勒がマイナーなんでsageようがない

548 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 18:05:31.77 .net
>>545
だから、どこが歴史的な評価なんだ?
皇帝を補弼したわけでもなく経済を活性化させたわけでもないだろ
そもそも似たタイプの曹操と石勒との比較に別のタイプの人物を出す必要ないだろ


549 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 18:27:54.95 .net
知らん。俺は関羽と石勒を比べたことは無い。
関羽についての歴史的評価を語ったことも無い。
石ロクの人に聞いてくれ。

550 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/23(水) 22:19:05.74 .net
>>524
神の子孫って設定が後からついて、それが邪悪(笑)な帝国の謀略で奴隷とされ、
その後で皇帝になるって話の流れになったかもな
晋書でも、仙人っぽい老人が出て、予言しているし

石勒って、正史あたりでは、それなりに策謀もあって、騙される方もろくでもなく、治世もできたから、
評価はニュートラルって感じかな
小説では、三国志続編もの二つで主人公(片方、女体化w)になっていたから、

邪悪な(笑)司馬氏を倒したということでそれなりに人気あったかもしれん

551 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/24(木) 10:11:09.70 .net
>>549
石ロク以外にも石勒支持派はいるだろ

>>550
実際司馬氏は人気なかったんだろ
これは曹操も一緒
石勒が編纂させた趙書が残っていればなぁ

552 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/25(金) 07:11:13.27 .net
この手のスレは必ず狂信者が現れて連投してクソスレになるね

553 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/25(金) 07:49:23.20 .net
>>552
そういうのいいから

554 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/25(金) 20:02:29.32 .net
不合理な狂信者は荒らすだけ荒らしてまともな質問に答えず逃げ出すので
空振りした質問側も話題が無くなってやる気もなくしてしまう。
あとは荒廃したスレが残るのみ。

555 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/25(金) 21:36:54.96 .net
>>554
単なる負け惜しみか

556 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/25(金) 21:42:26.06 .net
石ロクの人が逃げちゃったんだからどうしようもない
仕切りなおしするにしてもどこまで巻き戻したもんだか

557 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/25(金) 22:29:15.93 .net
戻ってきたら戻ってきたらで、石ロクの奴を交えた議論が実りのある話になるとは思えん
一旦リセットして別の話題から始めたほうが早い

558 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 10:30:22.23 .net
無機質な曹操sageの為に石勒をageてるとしか思えなかったな
やたら必死に曹操sage工作してる様がさ

最近の曹操sage厨がうざいし

559 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 13:13:29.42 .net
曹操sageって具体的にどのレス?
あと石勒が異民族出身だから推された案件も答えて

560 :名無し武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 21:23:06.36 .net
見てるだけで歴史の勉強になるわ〜

561 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 21:48:51.98 .net
言ってくれるなよ

562 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 22:00:43.70 .net
石勒ageを主張したい人(石ロクの人とは別人設定)が、
石勒に異民族からの人望があったというなら見せてみろ!
ってふんぞり返るのはどういう流れなんだろう。

563 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/26(土) 23:23:00.70 .net
とりあえず石ロクの人がどっかおかしい人だってのは限りなくスレ民の総意でしょ
議論を穏便に進めるためにも今後はそれっぽいレスはスルーしていくべき

564 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/27(日) 08:13:03.35 .net
>>562
今までのレスも読まずにその発言はどうなんだろう?
石勒が異民族だからマイナスだったという発言に対し
異民族だから支持されたという発言が出たから聞いてる


565 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/28(月) 07:46:10.30 .net
>>562みたいな読解力のない奴がクソスレとか信者とか言ってんのかよ…


566 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/29(火) 16:51:07.62 .net
石勒は別に奴隷スタートじゃないし。
中華の奴婢ってのは近世欧米のような厳しいものじゃないし。
当時の華北で「五胡出身である」という条件抜きで勢力を広げる方が遥かに難しい。

曹操や他の後漢末群雄が、漢帝国の高官の地位を足掛かりにして勢力を得たように、
石勒も自分の境遇と時代の要求のマッチングの上で頭角を現したんだよ。

そういう意味で>>517は、
>石勒は石勒の経歴を歩んだからこその石勒なんだよ。
>石勒の方が貧乏したから英雄として上だ、なんてのは小学生レベルの短絡思考だよ
と言ってくれたのだろうに、
石勒支持派が

>異民族が有利に働いたのは王弥を騙し討ちした時くらいだろ?
>お前じゃないかも知れないがテープレコーダーまで言ったんだから答えれるだろ
>石勒が異民族出身だから異民族から推された事例

とか言い張るなんて、石勒に人望が無かったと(不当に)強調する結果にしかなってない。

567 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/29(火) 17:00:24.29 .net
んだんだ。前趙の下で勢力を伸長したわけだしな

568 :織田茉莉奈:2011/11/29(火) 19:44:04.54 .net
石勒は野蛮な遊牧民の出だから一切評価できない

569 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/29(火) 21:41:40.44 .net
相変わらずだな
異民族を理由に推された事例を言えよ
全く何も知らないな
確かに最初は小族長の子だったが奴隷狩りにあって、二人一組で首枷はめられ連行されてる
そもそも劉淵伝に晋は異民族の扱い悪いと書いてるだろ
更に劉淵に属するときにはソコソコの勢力になっていた
それは異民族だけでなく、賊や群盗を吸収したからだ
いい加減調べてからモノ言えよ

570 :織田茉莉奈:2011/11/29(火) 21:49:13.91 .net
異民族=遊牧民に賊や群盗?
凶悪無比な集団だ。人体実験以外に使い道なし

571 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/29(火) 22:31:36.93 .net
>んじゃ、奴隷階級から身を起こして、中原を席巻して皇帝となり
×。

572 :織田茉莉奈:2011/11/29(火) 22:31:44.24 .net
そもそも異民族=遊牧民は略奪で生計を立てる強盗集団なんだから絶対悪に決まってる。

573 :無名武将@お腹せっぷく:2011/11/30(水) 12:47:24.29 .net
>>572
そういう考えが漢民族の意識にあったと思う
もっと言えば、貴族>漢民族>異民族だろう
石崇や王済なんかの逸話みると貴族に問題あったんだろうな


574 :織田茉莉奈:2011/11/30(水) 21:37:14.72 .net
>>573
遊牧民=強盗集団=悪
この見方には何ら誤謬はない

575 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/02(金) 23:12:36.58 .net
>当時の華北で「五胡出身である」という条件抜きで勢力を広げる方が遥かに難しい。

どうみても、王浚や劉コン、苟晞、司馬騰らの方が基盤がでかかったろう
石勒たちの活躍や努力抜きに結果論から歴史が必然と見なすのはおかしい
初めで劉淵たちが潰されていれば、異民族の内地での自立という発想自体が生まれなかったかもしれない

黄巾が曹操たちに勝った歴史があって、
『当時の華北で「黄巾出身である」という条件抜きで勢力を広げる方が遥かに難しい。』
と言っているようなもの

576 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/02(金) 23:56:31.78 .net
石勒っつーか劉淵でしょ
劉淵がいなければ石勒もただの胡賊でしかないし

577 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 00:44:37.84 .net
>>576
劉淵のアプローチ方法と石勒のアプローチ方法は全く別物

既存の五部帥匈奴の政治的・軍事的基盤の上に「漢」の権威・正当性を塗り固めた
異形の武力集団が匈奴漢(前趙)とするならば、石勒のそれは「権威の否定→再構築」
と言う既存の権威の全否定路線だったから。
ゆえに、石勒は西晋も匈奴も皆殺しを目指したし、かつて布衣の身から皇帝権力を
確立した劉邦を手本とした。(俺も裸一貫から権力をつかんでやる。)
石勒もはじめからこの路線だったわけではなかったのだろう、匈奴漢がグダグダに
なって初めて自分の本当に望むやり方に開眼したと個人的には推測している。

残虐な破壊者としての側面は許されるものではないが、石勒には(五胡の中でも石勒
だけには)それをやっていい資格がある。

578 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 02:05:31.82 .net
劉淵の業績基盤に乗っかった上で、
それを政治的にも思想的にもぶっこわして自分が皇帝になったのが石勒だという。
なるほど。
しかし歴史的に対して何も残せなかった。

これでは、異民族の皇帝の始祖としての評価は劉淵に求められ、
石勒はその後継者ですらなく、歴史上の異端児に過ぎなくなってしまう。
劉邦を真似たのは自分に都合のいい上っ面だけで、
漢祖であり周の王統・天子の後継者として
中華史上の巨星である劉邦の歴史的価値を何も継げなかったことになる。
これでは英雄とは呼べなくなってしまうよ。

579 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 14:54:34.33 .net
しかし歴史的に対して何も残せなかった。
(中略)
中華史上の巨星である劉邦の歴史的価値を何も継げなかったことになる。
これでは英雄とは呼べなくなってしまうよ。

>毎回出るが、歴史的意義=英雄なのか?
それなら関羽は英雄ではないな

そもそも石勒がいなければ、五胡の中に羯族は入ってなかっただろう
当時中国に進出した異民族の勢力は、匈奴や鮮卑の中でも段部や
慕容部が有力だったが、劉淵にしろ段疾陸眷・慕容カイにしても単于や大人
その中で小部族の族長の子だった石勒は他と立場が全く違うといえる
そもそも>>575が書いている通り当初は、劉[王昆]や王浚といった
漢民族勢力が強力だった

第一
異民族の小部族の族長の子で生まれ、飢饉にあい部族解散
途中で司馬騰の奴隷狩りにあうも、行った先で能力を認められ開放
同じ境遇の色々な民族をまとめ、戦乱に出て、ついには部将に
奴隷狩りした司馬騰や殺されそうになった(こっちは眉唾だが)王衍など
にキッチリ復讐しつつ、一大勢力に
仕えていた劉曜に裏切られ、皇帝など自分で獲ると言って独立
劉曜もキッチリ倒すって充分英雄っぽいけど


580 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 18:55:48.79 .net
>しかし歴史的に対して何も残せなかった。

一応、仏教があると思うが、そうかもしれんとは思う

だが、曹操は、漢王朝の権威を否定し、一部で言われているほどではないとはいえ、
既存の価値観を否定している面もあったかもしれないが、新しく何も生み出せず、
孫、ひ孫の代で貴族階層の離反を招いてしまい、簡単に乗っ取りを許してしまった

司馬懿は、自身の一族と賛同する貴族階層による士大夫層や民衆の絶対的な支配体制を用い、
権謀を持って、魏の権威を否定して乗っ取ったが、
利権を増大させている時はともかく、増やす利権がなくなってからは共食いはじめるのが必然という体制をつくってしまった

これでは、彼らが生きている時は多少の安定を計れても、死んだら、かえって混乱を招いてしまう

結局、石勒も同じことだったかもしれないが、
漢王朝という成功例がありながら、生かせなかった曹操、司馬懿と
成功例に学ぼうとしたが、異民族という限界を超えられなかった石勒では、

石勒の方にはるかに擁護の余地があるだろう

581 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 22:09:26.02 .net
魏晋は「中原の安定」という確固たる現実を繋げたわけだよ
>夏之禹、商之契、周之稷、漢高帝、魏武帝、晉宣帝、唐神堯皇帝並功,
これが歴史の評価。

582 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/03(土) 23:34:41.41 .net
石勒だけの責任じゃないけど、結局中原の安定してないからその評価じゃ劣るよな


583 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 00:14:03.14 .net
つまり、やってる事は曹操と酷似しているのだよ、石勒は。
石勒自身の言葉に騙されてはイカンわ。

584 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 00:17:51.50 .net
酷似?
幼い皇帝推泰してなんかやったの

585 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 00:21:46.55 .net
>>580
逆だろ。漢朝が強大な権威を持っていて、かつ、腐敗しまくって凝り固まっていたからこそ、
それを背負う形になった曹操は新しく治世を再構築する事に手間取ったし、司馬懿もそうだったんだろ

586 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 00:23:08.91 .net
石勒が曹操に近いかどうかは微妙だが、
石勒はどう考えても劉邦ではないし、曹操の方が周文王には近いわな

587 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 08:02:44.82 .net
>>585
ここまで、漢王朝に責任を負わせ、曹操や司馬懿マンセーだと
曹操なんたらとか、いいたくなるな
すでに戦乱で人口減少している以上、言い訳できんよ

588 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 12:22:21.80 .net
つーか、魏晋が中華の再構築に手間取った最大の理由はその人口減少の方だな。
後漢中期から反董卓の乱までに、漢王朝の統制の緩みと飢饉から膨大な人口が流民化し
200年頃にはもう手がつけられない状態になっていた。
短期の戦乱で離散したなら収拾も容易だが、
100年近い緩慢な求心力低下の末の崩壊だったので、土地も人心も容易に回復できない状態だった。
「それを背負う形になった曹魏は新しく治世を再構築する事に手間取ったし、司馬晋もそうだった」
勿論、この影響は五胡十六国・南北朝時代もかぶり、完全な収拾は隋まで待たねばならない。

589 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 16:12:15.15 .net
曹操、司馬懿だけじゃないの
あなたが書いてるとおり、少なくとも南北朝時代は問題あったし

590 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 17:20:30.41 .net
なにが?

591 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 20:57:14.71 .net
新しい治世を構築する必要

592 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/04(日) 21:12:56.16 .net
「必要」なんて問題、いつどこで出てきたの?
もう少し筋道を立てて話してご覧なさい

593 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/05(月) 07:31:33.28 .net
相変わらずの上から目線でびびるわ
>>588のことは別に曹操や司馬懿だけの問題じゃないってこと

594 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/05(月) 10:10:43.64 .net
>>581
華北の統一王朝として認められていないのでしょうがない
これは北魏の孝文帝が自らを五胡と決別し、西晋から引き継いだ王朝と主張し、その後もずっと言い続けていた為

>>592
まさか異民族の統治者が混乱したままで放置したと思ってるの?
異民族が統治するのには、それこそ新しい治世の再構築が必要なのは当然だろ
それに少なくとも石勒・苻堅は新しい治世の再構築は行ってるし、一応の成功をみているから、この点に於いて優劣はないな
あと




595 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/06(火) 21:24:47.70 .net
乱立した五胡帝国ではあったが、結局この当時では、
「異民族」のままで帝国として認められる権威を建てられなかったからね。
漢民族王朝の権威に拠らざるを得なくなった。
つまり破壊しただけで再構築できてないってことだよ。

596 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/07(水) 08:05:51.88 .net
漢民族の権威に依る?

漢民族王朝の権威に依った事例を具体的に言ってくれ
慕容カイとかじゃなくて石勒のな
ちなみに東晋と後趙は修交結んでるから東晋からは国家として認められてる
石勒の後趙は法律を簡略化し、漢民族への弾圧を禁止し、民族融和に務め、農業政策を進めて一定の成果を得、人口流出を止めた
この結果、石虎の代になっても異民族の支配する帝国としては強固であり、冉閔による内部崩壊を待たなければ崩壊することはなかった
これを再構築と言わないって何?

597 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/07(水) 20:00:57.94 .net
石勒は漢民族の権威に拠らず、さりとて独立した権威を打ち立てることもできなかった。
だから後代に模倣者も現れず、魏晋や北魏・隋唐のように評価されることもなく終わった。
ってこと。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/07(水) 22:48:36.33 .net
もっと自分の言ったことに責任もてよ
石勒は漢民族王朝の権威に依ったんだろ?早く事例あげろよ
無理なんだろ?適当に話を作るからだよ
ついでに他の英雄が曹操を模倣した事例をあげてね
評価という点では、中国軍事通史という本には石勒を中国史上唯一の奴隷皇帝と評価してるし、少数民族出身者という但し書きでの最大の成功者と書いている
帝国の長さによる評価は無理
国自体はしっかりしてたんだけどね

599 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/08(木) 00:18:42.62 .net
>漢民族王朝の権威に拠らざるを得なくなった。
これのことか?
それは
>これは北魏の孝文帝が自らを五胡と決別し、西晋から引き継いだ王朝と主張し、その後もずっと言い続けていた為
これのことだよ。
北魏は先達の五胡王朝の権威を受け継ぐことを拒否した。
五胡王朝が創出しえたかもしれない新たな王朝の可能性はここで「断絶」。
だから石勒(ら)は破壊した分の何かを生み出して残すことができなかったと言っている。

600 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/08(木) 08:09:18.64 .net
何言ってんだお前?
完全に北魏のせいじゃないか
その理論なら元もそうなるね
だいだい五胡王朝ってなんだよ
匈奴と鮮卑は一緒じゃねーぞ


601 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/08(木) 23:15:04.76 .net
中国軍事通史って、まさか軍事科学出版社のヤツか?
あんなコンビニ三国志本みたいな類の書籍を出典としてドヤ顔で持ち出すやつ初めて見た
歴史の謎研究会の書籍の受け売りで識者ぶってるのと同レベルだろ。

602 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/08(木) 23:22:15.61 .net
>>600
北魏のせいだね。
で、北魏は酔狂でそんな真似をしたのか? 違うよ。
前代に乱立した十六国の権威が拠るに足らないものだったから晋を引っ張り出すしかなかったんだろ。
元は鮮卑系なのに老子の子孫を名乗った唐も同じ。

603 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/09(金) 08:12:01.43 .net
だからそれの何が石勒のせいなんだよ?
異民族王朝が北魏から認められなかったのは石勒のせいだと言ってるのか?
そもそもお前が言い出した石勒は漢民族王朝の権威に依ったってのはどうなったんだ?

604 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/09(金) 08:17:44.92 .net
石勒が漢民族王朝の権威に依った事例
>これはいいわ


605 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/09(金) 22:55:51.70 .net
>どうなったんだ?
ただの誤読

>>577の考えが正しいなら、石勒はかなり大きな責任を持つ。
皇帝にまでなりながら建設的な統治の権威を立てられず、
漢民族王朝の代わりになるものを作れずにただ破壊しただけになるから。

606 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/10(土) 00:46:47.06 .net
>>605
読解力の無え馬鹿だな。

石勒が築いた路線が、じ後のスタンダードになったって分からないんだからよ。
胡漢の協調路線は、漢民族と幼少期から濃密に生活を重ね合わせてきた石勒だからこそ
到達できた奇跡のバランス
「破壊」したからこそ「構築」できた所産だと気づけよ、ボケ

607 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/10(土) 01:55:43.96 .net
>石勒が築いた路線が、じ後のスタンダードになったって分からないんだからよ。
うん、わからん。読解できない。

608 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/10(土) 01:58:04.73 .net
>石勒は西晋も匈奴も皆殺しを目指した
>胡漢の協調路線は奇跡のバランス

609 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/10(土) 17:49:51.19 .net
石勒は劉曜に禅譲を求めていたぞ。
皆殺しは拒絶されたからだ。


610 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/10(土) 21:36:06.26 .net
>>609
息子(劉煕)に降伏勧告をさせようとしていたのは知ってるけど
禅譲なんて強要していたっけ?

皆殺しは、徹底できなかったけどな
生き残った娘が、石虎の皇后となって世継ぎ争い起こさせて
後趙を滅亡へと追い込んだって展開はドラマチック過ぎるけど

611 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/10(土) 23:57:42.55 .net
降伏は上下の逆転を意味するのだから
実質は禅譲の強要だろ。

石勒の皇后は匈奴後部の人(陳元達と同じ)
だし大単于の血筋を女系でも残したくて
皇女を助けたのかもね。


612 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/11(日) 00:26:19.91 .net
>>611
319年、石勒が後趙旗揚げ時に、劉曜とはキッパリ決別してるんだけどな~

そもそも、王彌にしろ石勒にしろ異姓諸侯の筆頭であって、走狗扱いされるほど
小物ではない、世が世なら「右賢王」的ポジションに納まっているのが妥当
彼らが傍系の劉曜に対してどういった感情を抱いていたかは、行動見ていれば
大体分かるだろ、「舐めきっている」で確定だわ
だからこそ、王彌は反目したし、石勒は独立した

石勒の「趙帝・趙王なんぞ、自分の力で為ってやるよ。」宣言こそ、時代の転換点
「胡」で「奴」で「賊」であっても、天下を運営する資格があるというとんでもない
理論なのだから
匈奴の貴種の劉淵ですら、漢王室の姻族という正統性を騙らざるを得なかったというのに

613 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/11(日) 00:28:29.35 .net
時代の転換点でもなんでもなく、ただの覇権主義
そんなもん項羽の時代かある理論だよ。化石化した野蛮人の理論でしかない。闇雲に持ち上げるな

614 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/11(日) 12:44:10.14 .net
たしかに劉邦は無教養の野蛮人だった。

615 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/12(月) 10:32:33.33 .net
>>605
そう、ただの誤読だったわ

>>608
その視点でいう西晋は門閥貴族のことで漢民族じゃないんだけどな
自身を奴隷化した西晋は許せなかったんだろ

>>612
どっちかというと劉曜に問題あるっぽいけどな
特に王彌は名門だもんな
>石勒の「趙帝・趙王なんぞ、自分の力で為ってやるよ。」宣言こそ、時代の転換点
これはどうかな


616 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/12(月) 20:53:27.05 .net
五胡十六国の血生臭い時代を象徴する言葉ではあるんじゃないかな。
禅譲というお上品な儀礼を否定したわけだから。
まあ、それでも禅譲の有効性は歴史的に否定されなかったし、
「野蛮」な時代も隋唐で収拾されて漢魏晋の「お上品」な系譜が続くわけだけど。

617 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/13(火) 13:07:01.87 .net
禅譲の否定はちょっと違う

618 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/15(木) 12:42:05.81 .net
曹操って血が通ってないというか、純粋法家って感じだよね
苻堅は、通いすぎてるというか甘いというか・・・
石勒が一番英雄っぽい雰囲気がする
あくまで能力の優劣は別にしての話



619 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/15(木) 13:38:38.69 .net
いつも思うけど法家が民衆大虐殺なんて無駄にえげつないことするかな
後漢の刑法無視で鼻削ぎだ三族刑だ残忍な刑とかも好んでるし
法家じゃなくたんに人殺し好きな人間に思う
頭いかれてきた頃の毛沢東マンセしてる陳舜臣とかがそんなこと言ってるのかすら

620 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/15(木) 19:13:26.21 .net
曹操はそれならなんの取り得もないな


621 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/16(金) 00:02:07.47 .net
トウタクよりましじゃね?

622 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/16(金) 09:45:10.78 .net
童貞と比べんなよwwww

623 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/16(金) 22:38:53.42 .net
「お上品さ」こそが秩序だろ。乱を治めるというのは往々にしてそういう事だ
現代先進国がまさにそうじゃないか
>>619
かの国の国民性ってところじゃないの。腰斬、足削ぎ、凌遅、人豚、残忍な処刑方法は枚挙にいとまがなく、別に曹操に限ったことではない
そして例外でも無い。乱世の奸雄とか持ち上げられてても所詮はシナ人。

624 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/24(土) 08:37:52.50 .net
結局石勒sageはひとつも具体例を出せなかった

625 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/24(土) 15:56:03.26 .net
>>624
過疎化したスレで隠れるように一人で勝利宣言するのって、惨めじゃない?

626 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/24(土) 22:31:58.81 .net
いや
事実出せてないじゃん
本当に何一つ
とりあえず石勒が異民族を理由に推された事例と異民族だから勢力拡大できた事例を出してみろよ
毎回毎回抽象論ばかりで全く中身のない反論しやがって

627 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/24(土) 23:58:29.01 .net
何回言われても説明されても
「何一つ説明してない! さっさと事例出せ出せ出せ出せ」って延々と繰り返す奴の事を、いつまでもまともに相手出来ると思うか?
恐らく、このスレを見てるのは今ではもう、俺とおまえただ二人だろう。そして俺ももう消えるつもりだ
上から順ぐりレスをチェックする作業が面倒なら、石ロクの奴がも一回来るのでも待ってろ。そうでもない限り、もうお前の事まともに相手する奴なんかいやしないさ


628 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/25(日) 00:11:57.56 .net
うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ
ひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ

うるせえボケ!!!
さっさと具体例だしゃあいいんだよ!!



グズが!!

629 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/25(日) 05:02:43.84 .net
>>627
答えたっていってるレス番にアンカー付けて
少なくとも石勒擁護は俺一人じゃないよ
もちろん石ロク除いて

630 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/25(日) 14:48:31.51 .net
>>628
こわい

なにこれ

631 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/26(月) 06:51:41.21 .net
>>627
結局出せないのか惨めだな
アンチ石勒は常に上からの割に何一つ答えを出せない
答えたって何の事言ってんだ?早くレス番アンカー付けて

632 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/27(火) 19:03:27.37 .net
石勒>曹操が確定したんで、次は苻堅と石勒に移るとする
苻堅の場合は何度も言われているように、王猛とのセットでしか考えられない
問題はシ肥水の戦い後に何故体勢を立て直せなかったか?
やっぱり苻融の死が一番問題なのかな?と思う


633 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/27(火) 21:24:53.22 .net
諸民族に対して縛りが弱すぎた、
たとえ東晋を滅ぼせても瓦解は必然だったのでは。


634 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/28(水) 01:51:14.42 .net
>>628
石ロク信者怖すぎる
発狂したか

635 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/28(水) 10:31:35.02 .net
>>633
慕容垂はともかく、慕容評は処刑すべきだったな
あと自身への反乱に対して処分が甘すぎるよな、結果反乱起こしても殺されないという認識が生まれる


636 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/28(水) 10:42:35.53 .net
>>634
そういうのいいから
まだ曹操と石勒の比較についていいたいなら、石勒が異民族を理由に推された事例を出してからにして

>>635
でも他者の反乱者には厳しい


637 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/29(木) 00:15:39.25 .net
>>635
でも、慕容評が特段悪党と言うわけでもないんだよな。
あくまで、皇帝に対して対抗勢力と為り得る可能性のあった慕容垂を政治的に排除しただけ。
(慕容皝が勝手に後継者にしようとしたことが原因だから、垂自身には非は無いけど)
むしろ優し過ぎるくらいだ

そして、慕容評自身にしてみれば、自分が前燕の政治を総覧する立場に就くなんて
あんまり考えていなかったっぽい感じなんだよな
儁死んで、恪死んで、気がついたら「皇帝の大叔父の自分かよ?」みたいな
完全に政治家って柄じゃないよね、経歴的に

638 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/29(木) 10:26:08.22 .net
ちょっとスレ違いっぽくなるけど前燕からすると慕容評は領土拡大の功労者だもんな
ただ慕容垂を排除しようとしたせいで、結果的に国を失う羽目になった
苻堅も慕容垂を取り込んだせいで国を失う羽目になったからどっちでも一緒なのかもしれないけど


639 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/29(木) 12:14:22.01 .net
苻堅は、加点は曹操より大きいが、減点がさらに大きいって感じかな
王猛がいなければ、石虎より少しましな程度というのもどう評価するか

640 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/29(木) 16:18:15.13 .net
苻堅は、なんとなく夫差を思い出すよな
なんで会戦したんだろうね
苻融はともかく、張氏にまで反対されたのに


641 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/30(金) 00:22:22.40 .net
魏が皇帝を僭称する蜀を滅ぼしたのと同じだろ。

それと懐帝の江南遷都を潰して皇帝を僭称する反逆者を
滅ぼすのは真の皇帝の義務だから。


642 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/30(金) 03:24:37.90 .net
それ以前に魏は晋によって既に傀儡存在と化していて
召使300人しか動かせない実質小豪族に成り果てて
300人で司馬に刃向かって殺された癖に何いってんの?
これで何をどうしたら魏が蜀を滅ぼした事になるんだか
蜀を滅ぼしたのは既に司馬一族が作り上げていた実質国家の晋であって
召使300人しか動かせない傀儡皇帝の傀儡国家の魏じゃありませんので

643 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/30(金) 06:05:20.50 .net
>>641
その認識はちょっと違う
慕容垂以外の家臣は東晋の力を認めて、まだその時期でないと諫めている
そもそもその説明をするなら苻堅も反論時に使った晋が呉を滅ぼした例を使うべき


644 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/30(金) 20:43:07.40 .net
>>640
苻堅の権力基盤が脆弱だったから
身内からアレだけ反乱起こされているのが、その証左
傍系なのに簒奪したという無茶の代償はデカい
旧来の氐の権力者たちを排斥しようとしたのも、穿った見方になるが
自分の権力基盤を何とか固めようとする、必死の行動だったのかも

ゆえに、さっさと天下統一しないと自分の代は兎も角として
息子の代が完全にヤバイ、猶予なんて存在しない

645 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/31(土) 18:24:38.86 .net
高歓>>>曹操>石勒>>>>苻堅

これでいいよ

646 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/31(土) 21:22:39.16 .net
石勒>曹操は決定してるから

647 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/31(土) 22:00:54.65 .net
>>645
キチガイ家系の高歓さんがその位置は無いな
まだ真人間な分だけ宇文泰の方がマシだわ

善悪・死生観がどん底レベルの石勒も、否っちゃ否だ(いくら人が死んでも気にしない)
でも、晩年は善政を心がけているし、不幸な境遇はいくらでも挽回できるのかもね

648 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/01(日) 22:12:39.55 .net
拓跋珪・劉裕>>>曹操石勒苻堅

649 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/01(日) 22:22:21.50 .net
>>648
その二人は過大評価、慕容垂、桓温の方が上
(この二人にしても、慕容恪、冉閔という化け物と比べれば格下)

650 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 10:32:42.24 .net
慕容氏って地味に過大評価だよな
特に、慕容恪

大きく時代を動かしたこともないのに

この評価しているのは一人だけ?

651 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 10:41:19.91 .net
>>650
前燕の覇権を中国東北部一体に伸ばした最大の功労者
前燕の隆盛=慕容恪の槍働き
だから、慕容恪死後、一気に前燕は凋落したんだよ
王猛、桓温が「死ぬまで待とう」と慕容恪存命の間、軍事行動起こせなかったことで、
その偉大さは分かるだろ

そもそも、千や二千の少数精鋭で、数万の敵主力軍を撃破する化け物だし
(ライバルの冉閔も同レベルだから、廉台では熾烈な決戦になってしまった)
これは、曹操や石勒でもやっていない

652 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 12:15:08.95 .net
冉閔ってそんなに化け物というイメージは無いのだが

653 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/02(月) 20:47:28.81 .net
>>651
軍事能力だけじゃん
冉閔も弱いとは言わないが別に石虎の時に大きく領土を切り取ったわけでもないし
慕容恪の相手も混乱しきった後趙では寄せ集めだった可能性もあるだろう
石勒VS劉曜とか、曹操VS劉備+周ユとかに比べたら、小粒なイメージ

内政も立派に行ったというが前燕は慕容垂が抜けたら、前秦に数回の敗戦で滅ぶほどの弱い国家体制
主君も暗君とはいえない慕容コウと慕容儁
皇帝ではない以上、様々な負担も少ないだろう

654 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/03(火) 11:33:56.99 .net
苻堅は、陳氏のせいで過大評価されていたことは間違いないな
異民族版劉備+民族融和を目指した聖人、ってイメージがあったかもしれない

とりあえず、暫定

石勒>曹操>>苻堅

曹操派の意見も地味にあるので、石勒との差は一つに減らした
拓跋珪と劉裕は時代が違う
後に回して、とりあえず慕容恪、冉閔、桓温か

俺の意見
石勒>曹操>>苻堅>慕容恪>桓温>冉閔

英雄って視点ならこんなものだろ
所詮、臣下(一応、正当王朝とも言われる魏の始祖は除く)と呂布上位互換はこの程度だろ
(ちなみに司馬懿は、正当と言えども政争と防戦だけなので、桓温の下、石虎は冉閔の下)

655 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/03(火) 18:41:21.26 .net
石勒って穴を狙った謀殺や暗殺ばっかりで平面上の、いわゆる戦の強さみたいな実務的能力はそんなに高くない印象
英雄の定義にもよるけど、>>1の石勒が曹操・司馬一族を槍玉に挙げた英雄論から言ったら
石勒はあまり高い評価ではないと思う。母屋を分捕った後趙も代数・年数からいって魏・晋より短い短命国家だし
長さだけで決まるものでもないけど、当然。もたらした安寧や秩序回復の功績などは吟味の余地があると思うが

残念ながらここにはすでに実りのある議論になるだけの人材も人数も居ないと思う

656 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/03(火) 20:30:23.38 .net
石勒も成都王の子が生き残っていたら神輿にしていたと
思うがどうだろうか?


657 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/03(火) 22:47:06.04 .net
>>654
石虎は、幽州・青州・河南・関中の平定を完遂した魏晋南北朝最良の軍事指揮官だがや
後年のどの群雄でも、「一代」でここまで平定できていないことを考えると、過小評価も
いいところだべ(負け戦が酷いと言うのは、また別問題)
一司令官としては有能だが、トップには向かないと言う人事のジレンマの好例

石勒は数値に表れない部分が強すぎるんだよな
たいていの人間は、二十代後半で攫われて家内奴隷(マムルークとかじゃない)の時点で詰む
生き残ったとしても、苟晞や祁弘、段疾陸眷みたいな連中とぶち当たったら、どっかで詰む
天下のほとんどの既得権益保持層が敵の時点で詰む
味方したのは乱世と言う時機と非主流派の連中の力を集結できた点ぐらいか
穴だらけの泥舟なんだよ、傍から見れば

658 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/04(水) 01:02:21.48 .net
>>英雄の定義にもよるけど
これが今までフワフワしたまま議論されてるから大半の人間が納得しないのも無理からぬ話
そもそも英雄とはなんぞや? 哲学的な問題でなく
単に立身出世した人間を指すなら身分の振り幅で考えて良いだろう
だが、たとえば文化保護とか民衆の慰撫とか、戦乱を秩序に向かわせた功績とか、そういうものを問うと、別に奴隷だろうが皇族だろうがそんなものは関係ない
何を持って英雄を語るのか、英雄の定義があいまいなまま議論を進めても、結論ありきの自論の押し合いにしかならねえ

659 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/04(水) 21:00:20.74 .net
こういう時、英雄の定義を決めるために争うより、
ある程度、あいまいのまま、互いに提案の上、自分の考えを述べる方が生産的
コミュ能力がある相手なら、いくらかは歩み寄ってくる
非コミュなら、何いっても無駄だから放置

660 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/04(水) 21:56:20.39 .net
>>659
非コミュが連投しまくってスレが過疎るのが三戦の通例なのに何を言ってんだよ
IDも出ないのに

661 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/04(水) 23:30:45.72 .net
>>660
さっそく出てきた。非コミュw
当然、放置

662 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/05(木) 16:29:54.62 .net
>>654
石虎って評価しづらい
残虐なのは間違いないけど、
>>655
その時代随一の軍事能力だと思うけどな、基本は石虎等にさせておいて
肝心なところは出てくる
だからこそ劉曜も石勒が来たことで驚いたわけだし
そもそも正攻法で戦わないところが石勒のよさだし
母屋を乗っ取ったっていうのはよく判らないけど



663 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/05(木) 16:45:54.70 .net
連投スマン
>>657
石虎は徐光・程遐の幽閉殺害、石聡等の反乱への対応みると手際良すぎる
特に石虎には及ばないながらも軍事実績抜群の徐光と、張賓には及ばないながらも
張賓の後任である程遐とも政権の中枢で、かつ反石虎だったのにあっさり捕らえられてる



664 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/05(木) 17:05:26.20 .net
と書いたものの徐光の軍事実績って石勒の参軍事だから抜群ってわけないか

665 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/05(木) 21:59:37.99 .net
>>664
328年の洛陽での会戦も、石勒の頭の中で作戦の絵図自体は出来上がっていたわけだし
徐光には有能な軍官僚としての能力以上のものは備わっていないと思うよ
それを除けば、酒飲み過ぎて仕事サボるただのおべっか使いだし
(権力欲丸出しの程遐よりは、それでもまだマシだが)

洛陽の会戦は、石勒の機動戦思想が余すところ無く発揮されていて惚れ惚れとする
拘束(洛陽の石生の頑強な抵抗)・機動(分進、軽装での強行軍)・打撃(石虎との合撃)
主導権を失って、防勢に陥っている状態でこの作戦を打てるんだから、精神的な頑丈さが違う
苻堅の物量と戦力集中のみに傾倒した鈍重な作戦とは大違いだわ

666 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 00:08:48.64 .net
王猛死後の苻堅はこういってはなんだがミンスのポッポと似ているな
日米対等外交や民族融和といった理想やお題目はいいとして、内部にいる敵を信用し裏切られ
理想どころか、かえって世を混乱に陥れてしまい、とんでもない状況にしてしまう

小国でも立派に治めれいれば評価できるが、現実にそわない理想主義は悲劇を増やすだけ

667 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 09:21:47.64 .net
>>666
とはいえ民衆からは支持されてたんだよな
宰相なら良かったんだろうな
それこそ管仲とか孔明と並び賞される位に

668 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 19:22:23.01 .net
苻堅が宰相なら前秦は即崩壊だろ、甘すぎる!

669 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 20:10:29.53 .net
即崩壊とは思えないが、確かに宰相にも向いていないよな

今の俺の考え(左の方が上位)

上位:苻堅(王猛付き) 石勒 曹操 桓温
中位:苻堅 石虎 慕容恪 司馬炎
下位:司馬懿 冉閔

こんなところか

桓温はよく考えれば、桓沖が苻堅の南下を挫き、桓玄が東晋に代わって皇帝になっているからな。
威名が残っていたと考えられる。劉裕がいなければ南朝の一つぐらいになれたかもしれないので、英雄に入れる。

司馬炎は魏晋南北朝で最も正当と呼ばれる皇帝だし、25年間の間、呉を討伐し、難しい時代に大きな反乱を起こさせていない。
先送りと実際の能力はアレだが、幸運も英雄に必須な条件なので、祖父より上位に。

670 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 20:19:01.02 .net
>>669
桓温は地味に人事が上手い
朱序、謝安、謝石、謝玄とか淝水の重要な面子は
みんな、桓温幕下なんだよな
簒奪の過程で、粛清に走らなかったのはマジで偉い

671 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 20:39:14.07 .net
桓温も庾倩、殷涓、曹秀等の反対派を粛清した事はある。
枋頭の敗戦の責を部下の袁真をなすりつけたり(袁真に全く落ち度が無かったというわけではないけど…)、
結構汚いやり口が多い印象。

672 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 20:52:32.12 .net
>>671
出世の糸口となった庾氏一党を放逐した手腕は、素直に凄いと思うわ
多分、遠縁の桓宣晩年の仕打ちの意趣返しなんじゃねーかなと個人的には思ってる

それと袁真はアウト過ぎるだろ
桓温の作戦の肝は、乾季に運河を開鑿しながら河朔に奇襲を仕掛けることだったんだから
兵站がサボタージュしたら、作戦そのものが瓦解する(事実、桓温の撤退の決心は早かった)

673 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/07(土) 22:47:16.89 .net
袁真は、足引っ張りの横行していた東晋反桓温勢力の差し金かもしれんしな
晋は、良くも悪くも自民党のイメージ

674 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/10(火) 23:35:10.22 .net
>>669
よく考えれば苻堅(王猛付き)はいらんわな。苻堅はあくまでピンで苻堅だ。
レスついでに後燕の慕容垂、後秦の姚萇、姚興、成漢の李雄、楚の桓玄をリストに追加

上位:石勒 曹操 桓温
中位:苻堅 慕容垂 石虎 慕容恪 司馬炎
下位:姚興 李雄 司馬懿 姚萇 冉閔 桓玄

慕容垂の後燕は前燕に比べて基盤は少なく、混乱度合は大きく変わるものではない。
慕容恪時点の彼自身のような有力な将も他にいない。その状況で皇帝に即位して、政治も行い前燕より領土が広い。
石虎以上と評価するが、忘恩が英雄らしからぬと評価されているので苻堅より下

姚萇は戦も一応の名将と呼べる程度。姚興の方が最盛期はなかなか強大なので上に評価。晩年の衰退で下位にとどめる。
李雄は絶望的な状況で蜀を切り取り、よく安定したが、英雄評価なので晩年の混乱と進取の気の無さでこの位置。

親の遺産があったのに、楚が失敗したのはほとんど桓玄の責任だから、どんじり。

劉淵と劉曜はどの程度の位置であろうか?

675 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/11(水) 04:22:59.58 .net
むむむ

676 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/11(水) 20:46:15.38 .net
何がむむむだ!

677 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/11(水) 23:48:46.45 .net
皇帝を称しているが劉曜は長安を守るのが精一杯、劉淵は平陽の地方政権に過ぎない。

678 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/11(水) 23:52:58.35 .net
むーん

679 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/12(木) 09:48:50.90 .net
劉淵は個人的には上位だと思うけど、実際は中位だと思う
劉曜は下位かな?
苻堅は劉淵が上位なら上位でもいいと思う
五胡の中で農業を振興し、人口の回復につとめたのは
前趙、後趙、前秦の3国だけであるから、王猛なしでも
苻堅が凡庸ではないと思う


680 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 09:37:29.77 .net
冉閔は圧倒的に最下位では?
国を作るという概念が全く見られない

681 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 13:51:30.02 .net
>>674
司馬叡、劉裕いれたらどうなる?


682 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 14:31:20.29 .net
劉裕は軍事がすごいのはわかるけど政治的な功績がよくわからん

683 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 15:30:30.27 .net
清水 健太郎(しみず けんたろう、本名:園田 巌、1952年10月11日 )
若者番組 『ぎんざNOW』  のコーナーで人気となり、そのアイドル的な顔つきで話題となる。この番組から飛び出した楽曲「失恋レストラン」(楽曲提供つのだ☆ひろ) でデビュー。爆発的ヒットとなった。
翌1977年、「帰らない」で第19回日本レコード大賞最優秀新人賞受賞、『NHK紅白歌合戦』 にも出場した。またアイロンパーマをかけてから髪を短くカットする健太郎カットも流行した。
人気の絶頂が過ぎた1983年に大麻取締法違反で逮捕される(起訴猶予)。1985年にはアメリカ人モデルと結婚するが、1986年にも同じく大麻取締法違反でジョー山中[要出典]と共に逮捕される(執行猶予4年)
その後、華やかな表舞台からは去り、当時出始めだったVシネマの方向に仕事を変えていく。アメリカ人モデルとは1991年に離婚している。1994年、大麻取締法違反及び覚せい剤取締法違反で3度目の逮捕。懲役1年6ヶ月の実刑判決となった。

出所後、どこからも声がかからず、当然ながら本人も役者の道に戻れるとは思っていなかったため、飲食店で皿洗いのアルバイトをしていたが、夜通し働いているのを先輩俳優の岡崎二朗が知り、「こんなに頑張っているんだから、
何とかしてやりたい」と、業界関係者に声をかけ、再び役者の道に戻ることになった。順調に見えていたが、2002年に結婚した22歳年下の女優、森香名子と2004年4月に離婚。同年5月29日、覚せい剤取締法違反で4度目の逮捕
8月9日に実刑2年4ヶ月の判決を受け、群馬県前橋刑務所に収監される。2006年5月に仮釈放となった。

2008年10月27日午後に東京都台東区の交差点で乗用車を運転中、自転車で交差点を横断していた男性と衝突し、軽傷を負わせそのまま逃げた。2009年1月28日懲役7月の実刑判決を受けた。現在開店休業中。

684 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 17:51:40.85 .net
>>682
冉閔とかもっとわからないのでは?


685 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 19:54:15.12 .net
劉裕は貨幣経済の浸透かなぁ

686 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 20:46:44.06 .net
土断の実行、貴族や富裕層の弾圧(琅邪王氏除く)、貧民救済…等々

687 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 22:26:11.68 .net
>>686
そこらへんの政策は、ほとんど桓温が先鞭をつけているからなあ
軍人、謀略家としては有能だが、政治的にはそこまで革新的ではない、という感じかな
信長(桓温)に対する秀吉(劉裕、先人のアイデアの模倣)っぽい

>>677
基本的に靳準の変で匈奴漢は滅亡したと考えたほうがいいと思う
劉曜はあくまで、長安に出鎮(と言うか攻略直後)していて本国が滅亡しちゃった
みたいなノリだから、長安を守るのが精一杯というよりは、長安から再スタート
というのが実情
逆に、攻略直後で民心も完全に掌握していない上に、陳安のような反抗勢力・権豪が
うようよする中で、よく関中一帯を制圧して関東へ遠征する国力を蓄えたものだと
感心するわ
個人の政治手腕・行政能力という点であれば、苻堅、姚興を抑えて五胡君主No.1と
言っても過言じゃないな

688 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/13(金) 23:13:28.05 .net
思ったよりレスがついているのでまたレス
とりあえず、劉淵、劉曜、王導、苻健を追加

今の俺の考え(左の方が上位)

上位:石勒 曹操 劉淵 桓温 苻堅
中位:慕容垂 劉曜 石虎 慕容恪 司馬炎 王導
下位:姚興 苻健 李雄 司馬懿 姚萇 冉閔 桓玄

劉淵は勢力は小さかったが、統一王朝である晋に挑んだパイオニアという点を考慮。
胡人でありながら皇帝を名乗り、晋を滅ぼして漢を復興するというビジョンと
その後、彼の配下が西晋を滅ぼした威光も加点。英雄として、桓温より上位に評価。

劉曜は勢力としては姚興以下だが、石虎の軍事能力を上回り、統一王朝の皇帝を二度まで捕らえている。
きちんとした基盤を受け継いでいない点と相手が石勒であったことを考慮。
卑怯な策や裏切り者は許さないという性格が英雄っぽいw 
個人的には慕容垂より上位にしたいが、さすがに実績を勘案。

苻堅は民から慕われていたという指摘と慕容垂はともかく、姚萇があそこまで裏切り者といわれる人望を考慮。上位にいれる。

東晋からは、司馬睿より実質的創始者の王導をいれる。傍系の司馬睿を担ぎ上げ、
反晋色が強い土地に、強大とはいえないがしぶとい南朝の祖をつくった政治力を大きく評価して中位に。
臣下であること、軍事実績がないこと、英雄的忠臣とは言い切れない批判で減点。

冉閔は「英雄」評価なのでただ単に破壊力を評価。呂布を英雄という人も多いはず。
苻健は、李雄との上下で迷ったが桓温に勝っているので、この位置で評価

劉備、孫権は荒れるもとなので外した。魏晋五胡時代の英雄はこんなところか?

689 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/14(土) 07:03:15.96 .net
>>687
別に革新的=有能ってわけじゃない。
それと、板違いだが信長は政治的には革新的な部分は殆ど無いよ。

690 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/14(土) 13:02:04.69 .net
>>689
いや、安土桃山時代の繁栄をもたらした信長を
「政治的には革新的な部分はほとんどないよ」って言うのは
木を見て森を見ずってレベルじゃねーだろ
(各種政治施策はたしかに六角や三好の模倣・現状維持は多かったが)
新たな時代を現出した軍人・政治家が革新的ではないってのはちょっと異議あり
その政治目的、手段、政策理念を総合して革新的だと言いたいのよ

電撃戦を編み出したグデーリアンもその意味で言ったら「戦術的」には革新的ではなかった
(先人であるフラーやフューチョル戦術という先行者が存在した)
でも、フラーらの機動戦の理論を「実践」して、「結果」を出したが故に
「革新者」為り得たんだよ

桓温は、土断を徹底的にやって(これにも庾亮という先輩がいたが)、国力を増強し
結果として三度にもわたる北伐を敢行しえる戦力を整備した
かつては、五胡勢力に太刀打ちできなかった東晋政権が攻勢作戦に打って出ることが
できるようになったのは桓温の功績以外の何物でもない
桓温を「革新的かつ有能(確かに革新≠有能ではあるが)」と評さずにはいられないよ、俺は

691 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/14(土) 19:43:02.19 .net
そろそろ拓跋珪と劉裕か

西秦、前涼、後涼、西涼、北涼、南涼、北燕、南燕、代はあまりにも全体への影響が狭く、姚萇より下か同程度だろうな
後は、夏の赫連勃勃ぐらいが目立つくらいか

劉裕って、昔あったファンサイト以外では意外と評価低いんだよな
政治だって、特に政治的業績のない慕容垂以下ってことはないだろ
同志に反乱は多いのは、出自が低い上に手飼いの部族もない身ではむしろ当然だろう
戦争も楚との戦いって、まさに映画みたいな展開だぞ。楚の将も弱くはないはず。
キャラクターが武将とか豪傑、名将ではなく、
まさに「軍人」って感じなのが不人気と低評価をさそっているのであろうが


692 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/14(土) 19:47:25.74 .net
出所後、どこからも声がかからず、当然ながら本人も役者の道に戻れるとは思っていなかったため、飲食店で皿洗いのアルバイトをしていたが、夜通し働いているのを先輩俳優の岡崎二朗が知り、「こんなに頑張っているんだから、
何とかしてやりたい」と、業界関係者に声をかけ、再び役者の道に戻ることになった。順調に見えていたが、2002年に結婚した22歳年下の女優、森香名子と2004年4月に離婚。同年5月29日、覚せい剤取締法違反で4度目の逮捕
8月9日に実刑2年4ヶ月の判決を受け、群馬県前橋刑務所に収監される。2006年5月に仮釈放となった。

693 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/14(土) 20:25:25.92 .net
>>690
いやいや、信長の具体的な政策って何よ?
大体、安土桃山の繁栄ってのも具体的に何をさして言ってるのかわからんけれど、秀吉によって戦国時代が終焉を迎えたのが一番大きいだろ。

694 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 01:14:30.21 .net
>>693
楽市・楽座のことだろ。
信長は西洋の文化も取り入れようとしてたし
日本の近代化も推し進めようとしていた。
とか、言いたかったんじゃないの?

ま、秀吉の場合結局バテレン追放しちゃうけどね

695 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 08:31:45.66 .net
侵略者のバテレン追放は近代化と矛盾しないぞ。


696 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 08:41:56.11 .net
62 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/01/15(日) 07:03:46.39
ステルスマーケティング(stealth marketing)

ステルスマーケティングとは、社員、アルバイト、ボランティアなどが中立的な一消費者を装って、
周囲に宣伝と気付かれないように商品を宣伝したり、商品に 関するクチコミの発信・伝播を図る行為。
露店などでの古典的な集客手法である“さくら”に近く、“やらせ”として消費者の批判の的になりやすい。
典型的な 方法は、街頭や飲食店で当該商品をさりげなく使い、関心を持った近くの人に使わせるというスタイル。
最近はブログや動画共有サイトを利用して、クチコミの いっそうの拡大を図る取り組みも広がっているが、
疑念を持たれた場合の批判・悪評も大きく増幅される。




63 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/01/15(日) 07:54:05.12
「けいおん」とか「日常」がつまらないという意見があるけど
リアルの女子高生なんてもっとつまらんぞ


64 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2012/01/15(日) 08:15:04.68
朝早くから長男が女子高生と待ち合わせて出かけていった。

かわいくてちょっと羨ましかった。


65 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/01/15(日) 08:33:08.01
長男に嫉妬すんなよ

697 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 10:07:00.75 .net
信長はどうでもいい

698 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 15:35:34.70 .net
劉裕は何故「漢」を名のらなかったのか?


699 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 19:41:15.79 .net
>>698
一応、劉裕も漢王朝の血を引いていることになっているんだがな
田中某みたいに、「劉備のように漢王朝の権威を借りるなんて、せこい考えはなかった」
って考えるほどロマンチストでもなかろうし

まあ、「漢」っていったら、劉淵たちの血縁者と勘違いされることを避けたんじゃないの?
でも、「漢」って名乗らないところに、天下統一の意思がなかったと感じてしまうんだよな

700 :八戸 ◆VdLq5lmUVM :2012/01/15(日) 19:47:37.23 .net
周囲に宣伝と気付かれないように商品を宣伝したり、商品に 関するクチコミの発信・伝播を図る行為

701 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 20:08:29.80 .net
高祖武皇帝諱裕,字コ輿,小名寄奴,彭城縣綏里人,
漢高帝弟楚元王交之後也。交生紅懿侯富,富生宗正辟彊,
辟彊生陽城繆侯コ,コ生陽城節侯安民,安民生陽城釐侯慶忌,
慶忌生陽城肅侯岑,岑生宗正平,平生東武城令某,
某生東萊太守景,景生明經洽,洽生愽士弘,弘生瑯邪都尉悝,
悝生魏定襄太守某,某生邪城令亮,亮生晉北平太守膺,
膺生相國掾熈,熈生開封令旭孫。旭孫生混,始過江,
居晉陵郡丹徒縣之京口里,官至武原令。
混生東安太守靖,靖生郡功曹翹,是為皇考。
高祖以晉哀帝興寧元年歲次癸亥三月壬寅夜生。
及長,身長七尺六寸,風骨奇特。
家貧,有大志,不治廉隅。事繼母以孝謹稱。



702 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 20:10:38.59 .net
漢は劉裕の成年直前まで成漢があったし、劉裕はもともと項氏だったという噂もあるし、本来楚でも良かった国号をしなかった理由かもしれない

703 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/15(日) 20:43:38.19 .net
>>702
楚はなあ……、自ら滅ぼした王朝の国号は縁起が悪くねえか?

純粋に「漢」のネームバリューが陳腐化し過ぎたのを嫌っただけじゃねーかな?
もう、どう足掻いても江南の割拠政権という性格は覆せなかっただろうし
宋王(公だっけか?)もらっておいて、今更「やっぱ漢王にしよっかな?」
と言うのも、浮つき過ぎだしなあ

宋って結構ネガティブな国号だと思うけど、どうなんだろう?
取り巻きの連中も、止めんかったのかな

704 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 08:32:04.52 .net
>>703
そういういろいろなもの排除していったら宋しか残らなかったのかも


705 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 12:18:18.48 .net
>>704
そうそう

706 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 13:25:15.79 .net
ダパンプ

707 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 13:43:12.34 .net
1. 現状維持 (BBS_NINJA未設定)
2. 忍法帖導入 (BBS_NINJA=checked)
3. 忍法帖なし設定 (BBS_NINJA=nashi)

三戦には3つの選択肢がある
忍法帖を導入し多少間口を狭めても荒らしに対抗する板にするも良し
忍法帖を拒否することによって間口を狭める手段を封じ込めるのも良しだ

現状維持は先送りにしかならない

708 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 22:58:05.72 .net
>>700
お前ら、なにがしたいの?

宋ってのはいい国号だと思うけどな
実質的には、殷や商ってのと変わらないし
宋襄のおかげで、弱いが「仁の国」ってイメージもある

劉裕は少し保留。
上位なのは間違いないが、志が低いのと戦略眼があまりないってことと、政治が強引すぎるってことで減点されているようだ。
基盤の小ささと劉宋がそれなりに発展したことを考えれば、過小評価されている気がする。
王船山とかは「異民族に中原を奪わせた晋なんてクソ! 劉宋こそが正統!」と言っているし、
兵士出身で楚、後蜀、南燕、後秦、盧循、東晋を倒したなんて、軍事実績ならダントツでないか?
配下が負けて領土を奪われたので大きく減点されるなら、他の奴らもそうだろうし

709 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 23:25:21.68 .net
志が低いかどうかは置くとしても戦略眼があまりないってのは同意しかねる。
したたかすぎるほどの戦略眼があったからこそ、彼の治世中に南朝最大の版図を築けたんだろうし。
ただ彼の中での優先順位が、権力の確保>版図の拡大だった為に、華北を維持する事はできなかったけど。

710 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/16(月) 23:52:21.79 .net
俺が言っているわけではなく、
関中を落とされている件について、読みが甘いとか、
黄河で防御戦を引こうとすることが間違いという指摘があるってわけなんだけどね

あの件だけはプラマイゼロでいいだろうが、これによる世間の減点がひどすぎる
軍事実績なんて、マジで項羽並みの破壊力と思うんだがな
なんで、軍事が慕容恪より下なんて評価があるんだ?

統一の意志が低いのと、政略のやり方が陰湿な点が英雄としての減点なのは
考慮しても、曹操の下、劉淵の上ぐらいでいいと思うけどな


711 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/17(火) 22:45:12.89 .net
>>710
軍事的には曹操以上、と言うかそれこそ劉秀や朱棣クラスに比肩する
戦闘技術も指揮統率も、さすが叩き上げと言いたくなるくらいずば抜けている
よくよく考えれば、職業軍人→皇帝の流れ自体は、長期にわたる乱世固有の
出世システムだから、結構中国史では珍しい気もする

寿命の問題と門地の貧弱さゆえに、政治的選択肢が限定された印象が強いわ

712 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/18(水) 08:22:51.16 .net
関中失墜したのはマイナスだろ

713 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 00:49:02.45 .net
>>712
なんで?
名君・姚興率いる後秦が南燕、後蜀を組むという天下三分した勢力を北魏から抑制受けながら、完全崩壊にもっていった。
その上で後秦を滅ぼした功績に比べれば、関中陥落はそのプラマイゼロくらいだろ。
あれで天下統一の目はなくなったのは間違いないだろうが。

ということで、一応、劉裕の位置を定めたので、拓跋珪、赫連勃勃を加えて修正

今の俺の考え(左の方が上位)

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅
中位:慕容垂 劉曜 石虎 司馬炎 王導 慕容恪
下位:姚興 苻健 李雄 司馬懿 赫連勃勃 姚萇 冉閔 桓玄

714 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 00:50:45.33 .net
慕容恪は良く考えれば、ただの名将どまりなので少し下げる。
政治も調整型だし、慕容垂を慕容評から守る策も練れてない。乱世では死後に国が混乱するタイプの重臣。
上位と本気で戦ったら、戦術で勝てても内政力や謀略で敗れると予想。

赫連勃勃は一時はオルドスを制し、劉裕の意図を読んで後秦との漁夫の利を得るという戦略眼もある。
本人がいた時は北魏も手を出さなかったが、晩年の混乱と死後即座に国が崩壊しているのでこの位置。
こいつは自称英雄(笑)らしいがな。

拓跋珪は慕容垂に平城を落とされたこと以外に軍事的失点はないしな。
あれもその後の影響がさほどなかったことから見ると、ある程度は折り込み済みな感じもする。
北地でも華北でも勝っているし、仏教を利用したり、中央集権を図るという政治力も高い。
晩年に暴君に化したのは変な薬が流行った時代背景で仕方ない面もあるだろう。
北朝の祖という正統性と、基盤にもともと弱かった点、皇帝と名乗った点を考慮して、最上位とする。

715 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 06:28:43.95 .net
>>714
拓跋珪は確かに英傑だが、曹操・石勒よりは領土を切り取ってないだろ
拓跋Zの時代まで華北統一を待たなきゃならなかったし

弱小勢力が強国にのし上がるという部分はカッコいいけど
それ自体は、石勒も曹操もやっている
個人的には劉裕と同列だなあ

716 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 08:36:39.38 .net
>>713
関中攻略意味無くなったから
息子を配置したのに夏に攻略されてるし、これが息子とかじゃなければ緊急事態だから捨てても良いという判断だと思えるんだが

717 :714:2012/01/19(木) 22:12:34.40 .net
>>715
しょせん俺評価に過ぎないが、拓跋珪は北朝の始祖だからな
後から南朝が正統にされたが、流れからは唐までの拓跋鮮卑の元祖といってもよい
南朝をつくった王導に与えた補正+正統・幸運の司馬炎に与えた補正と同等のものが加えている
曹操、石勒、劉裕の後世への影響や権威を遥かに上回っていると判断

王朝の盛衰は始祖の力量や先見の明によるところが大きいかもしれんし、
英雄としては、3者を上回ると評価した

718 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 22:24:36.01 .net
王朝の盛衰は始祖も大事だけど後継者の力量にも関わってくると思う

719 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/19(木) 22:38:55.45 .net
北魏は拓跋珪と拓跋Zが目立つけど、その間の拓跋嗣(明元帝)の存在も大きかったと思う。
崔浩も明元帝時代は、トラブルメーカーではなくて北朝でも屈指の名参謀だったんだけどなあ。

720 :714:2012/01/19(木) 22:51:32.19 .net
>>718-719
その拓跋嗣を後継者に選び、あるいは育てているのが、拓跋珪だからな
直接選んだ後継者が優秀な場合は、李淵みたいな微妙なものは除いて、加点評価もありだろ

後継者と始祖の王朝への貢献の配分を区分するのは不可能だから、
王朝の後の盛衰を英雄評価に含めるのはそんなに不当でないと思う

北魏は王朝ができて、六鎮の乱まで140年。北朝ができてからも、約100年だからな
西晋の「統一」という一点を除いては、魏晋南北朝の王朝全てが強大さにおいて、
足もとにも及ばないだろう

721 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/20(金) 08:19:58.33 .net
拓跋珪はないわ
戦争に係る残虐性ならともかく酒色に溺れて息子に殺されてるし
しかも拡大範囲は狭いし、人口も石勒の半分以下の200万くらいの支配しかしてない


722 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/21(土) 22:15:54.24 .net
>>721
一応、それが分かった上で俺評価を下しているからな
でなければ、司馬炎をあの位置にしないし、苻健を姚萇よりあれほど上にはしないよ
それに、晩年の件でも道士の薬は南朝の文化人ですら好んでいたんだから、未知の遊牧民族にそれが分かるか? 
北魏の被害が少ないのは、拓跋珪の犠牲があったからだろ

今回は、拓跋嗣、拓跋Zと劉義隆を追加

今の俺の英雄評価(左の方が上位)

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 慕容恪
下位:姚興 苻健 李雄 司馬懿 赫連勃勃 劉義隆 姚萇 冉閔 桓玄

723 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/21(土) 22:17:33.41 .net
拓跋嗣は、拓跋珪の政策をよく堅持し、専守的な安定した政策を行っている。
北方民族出身でありながら、軍事的には劉裕と無理な対決は行わず、河南を機を見て奪うなど戦略眼が高いのは高評価。
崔宏・崔浩親子を使うなど人材を使うのもうまい。
派手さはないので、英雄評価としては、中位の負が多い石虎より上。

拓跋Zはすでに基盤がしっかりしていた常勝の横綱相撲の華北統一と内政力がそれなりで上位に評価。
廃仏は評価できるが、崔浩の件の是非はどうだろうか? 
晩年、宦官に殺され、わずかな期間だが実権を握られているという点で苻堅より下に位置づけた。

劉義隆は、国力といい、なんかキャラクターが曹丕にかぶっているような・・。
内政力はあるが、軍事的にはさえなかったので下位。
太子に殺されているので、赫連勃勃より英雄としては下と評価。

次ぎは、馮太后、拓跋宏、蕭道成というところか

724 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/21(土) 23:07:37.11 .net
時代の範囲を超えてるぞ、
これ以上は広げないで欲しい。


725 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/22(日) 11:34:02.96 .net
そうか
魏晋南北朝までを範囲かと思っていた
新たに調べ直し、評価し英雄談義する作業はそれなりに楽しかったのだがな
とりあえず、そうするか

こういうランクは、実は人物語りするためであるのは2chのデフォだし

で、曹操以上の英雄という意見がでるのは大体、上位まで?
拓跋珪 石勒 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
なんか飛び抜けたのが確かにいない感じだな

南北朝は、上位に入れそうなのは高歓、宇文泰、蕭衍ぐらいだし

後は、楊堅まで待たねばならないな

726 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/22(日) 16:15:21.66 .net
>>725
その楊堅にしたところで、韋孝寛、尉遅迥の双璧から見ると英雄には程遠い
西晋成立時並に棚ぼた過ぎるわ(一番のラッキーは、上記両名が相次いで死んだことだが)

しかし、こうして振りかえってみれば、みんな決定力に欠けているよな
苻堅の天下統一の目が、少しはあったように思えてくる

727 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 12:34:47.14 .net
>>726
上記両名が相次いで死んだことだが
>高齢だったからしょうがないだろ
韋孝寛70歳OVERだろ、尉遅迥だって似たようなもんだし


728 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 12:38:49.74 .net
凡庸ではないんだけどね
要所でライバルに捲くられる所がある
それぞれ相手取った群雄の資質を吟味してみるのも良いだろうな

729 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 13:56:54.65 .net
基盤がないのに一代での統一は至難の業
苻堅に可能性が見えるのは基礎があるからだし
逆にいうと劉邦の自立の早さは異常


730 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 18:22:11.25 .net
あれは全土が項羽に不満を持ってたってのと、項羽の政治手腕があまりにも悪かったってのと
劉邦のリクルート能力が素晴らしく光るな。

731 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 22:15:03.72 .net
>>730
一度は地方政権割拠に流れた情勢を、統一帝国の再構築まで持っていた手腕は
もっと褒められるべきだわ>>劉邦

項羽は徹底的に直接アプローチで、敵勢力を直接撃破・制圧して情勢に変化を
もたらそうと考えたのに対し、劉邦(+張良・韓信)は項羽との決戦を巧みに
回避して持久戦の状況を作りつつ、間接アプローチ戦略で項羽の右翼・後背と
なる河朔を侵略していったのが素晴らし過ぎる
戦略を成功に導くためには、戦術的勝利の裏づけが必要なんだが、この場合
劉邦、韓信、どちらが欠けても成立しなかったギリギリの戦略なんだよな

項羽は覇権の在り方というものについて、認識が欠けすぎていたと思う
関中を放置したらアカンだろ、覇権の空白地域になってしまうわ
楚軍が一挙に関中まで侵攻できるほど機動力を備えていたわけでもないのに
せめて、河南に軍事拠点を設定しておくべきだった(政権中枢を置いても可)
その点、関東に劉姓諸侯と異姓諸侯とを巧みに配置して、勢力の均衡を図った
劉邦の戦略眼は違う(先人の失敗をよく研究している)

732 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/23(月) 22:49:07.85 .net
>>726
>その楊堅にしたところで、韋孝寛、尉遅迥の双璧から見ると英雄には程遠い
>西晋成立時並に棚ぼた過ぎるわ

悪いが、俺の見方は違う
楊堅は俺評価ランクではダントツではないが、トップだ
西晋並は認めるが、一人で四司馬+張華+賈充ぐらいの活躍をしている
軍事実績はないが、韋孝寛や楊素みたいな曲者をうまく使って補っている
天下統一と後世からの正統性、唐までの影響を考慮すると、相当なものだ

尉遅迥は忠臣であることを英雄評価にいれてもただの名将で、ランク外だし
韋孝寛は非の打ち所のない名将なのは認める。
しかし、北周の忠臣でもなく、天下統一に協力したというでもなく、
職業軍人として働いたのか、野心があったが隠していたのか、ビジョンが全く見えない。
英雄としては、慕容恪以上ではなく、
個人的には完璧な職業軍人で、忠臣として死んだ斛律光の方が英雄らしいとさえ思っている

韋孝寛は年齢的にもう無理だし、決起しても楊堅の片棒を担いで、
北周を見捨てた動きをした以上、誰もついてこないだろ
あのタイミングの良さはマジで暗殺されたかもしれんし

733 :726:2012/01/23(月) 23:15:50.67 .net
>>732
韋孝寛と斛律光を比較した場合、政策に不必要な口出しをしない、政争に巻き込まれることを
回避する、軍事的な献策のみに押し留めるという実績から、韋孝寛こそ真の職業軍人という評価に
なると思うんだけどなあ
斛律光は東魏譜代の臣で外戚にまでなっているし、確かに政治に関わらざるを得なかった部分は
一概にダメ出しする気にはならないが、「職業軍人」という括りは不適当でしょ
不幸過ぎるくらい忠臣なのは認めるけど

韋孝寛は文民統制の見本みたいな男だと思うよ
軍は国家の公器であり、国家権力に従順でなければならず、それを愚直に実施した男を
「忠臣でもなく」「天下統一に協力したわけでもなく」というのは酷だろ
(それに北斉討伐自体は韋孝寛の「後主が愚鈍な今しかない」という献策に起因してる)
まあ、逆に近代的過ぎてロマンがないという感じかもな>>韋孝寛

734 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/24(火) 10:10:40.48 .net
>>732
斛律光や尉遅迥は死に方によって補正がかかっているだけで、韋孝寛と同列だよ
ちょっと完璧すぎて逆に評価を下げてる気がする。
ただ、楊堅は棚ぼたとはいえトップなのは同意
というか統一王朝の始祖(司馬炎などとは違う)と最大でも華北統一王朝した
人物は比較できるレベルではないと思う。


735 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/24(火) 10:11:21.87 .net
ちょっと完璧すぎて逆に評価を下げてる気がする。
”韋孝寛は”が抜けてた

736 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/24(火) 21:39:25.03 .net
>>733-734
韋孝寛こそが過大評価の典型だろ
能力がすぐれているから、人格まですぐれている評価がされていると思う

楊堅が宣帝時代から政権を壟断し、北周の皇族まで殺されている状況で、
尉遅迥が義兵を起こしているのに、静帝あやつる楊堅を支持している。
韋孝寛ほどの知者が楊堅の意図が分からないはずはない
それで逆臣といわれないのは、むしろ過大評価だよ
実際、尉遅迥と自身の死後、1年で北周は滅び、皆殺しにまでされている

当時は文民統制なんて概念はなかったからな
宇文泰時代から臣下として仕えた韋孝寛の責任は免れない
自身に大きな野心があったか、楊堅を皇帝にしてその功臣になるつもりだったか、どっちかだろ

737 :726:2012/01/24(火) 22:38:55.60 .net
>>736
政権内の非主流派である漢族で、かつ、北魏の滅亡をその目で見ている韋孝寛が
なぜに鮮卑内の権力争いに忠誠を振り絞らないといけないんだよ?

そこまで韋孝寛にロマンを求めているのか俺には分からん
人格を評価した覚えもないし、むしろ韋孝寛はその冷静さや見識を評価されるべき
人物の筆頭だと思うがね

しかし、かなりスレ違いになってきてしまった

738 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/24(火) 23:10:27.16 .net
俺は>>734なんだが、なんで過大評価の典型なのか理解出来ない
>>737の言うとおり俺も人格を評価したつもりもない
が、自ら率いても人に率いさせても統治させても万能な韋孝寛は、そのオールマイティーさゆえに逆にライバルもなく>>736みたいに人格さえも完璧であるべきと見られ評価されてないと思っている
斛律光の件だって、正攻法で勝ってないとか言われたりする


739 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/24(火) 23:18:56.93 .net
別にロマンを求めているつもりでないのだが
英雄とまで言われたらな

英雄観の違いかな

自分は、斛律光を謀略で殺した件や、建前上の君主に味方してかつての同僚を殺し主君の家を滅ぼす荷担をしたことは、
他会社の優秀な重役を誹謗中傷で陥れたり、仲間をけ落として企業乗っ取りに荷担することに等しいと思うから、
優秀と思っても英雄とは認めがたいと考えるからな

楊堅は漢族を自称しているから、実は荷担したい気もあったかもしれんが、名目上、北周の臣として働いているからな。
日本国民のために戦うはずの自衛隊が、政権を乗っ取られたからといって、日本国民虐殺に荷担してはいかんだろ。
楊堅に天命があるだの、楊堅なら天下統一できるだの、目的変更の明言すらもされていない
正直、職業軍人としてもどうかな、と思う

確かにスレ違いだから、俺もここまでにしたいけど

740 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/25(水) 00:08:47.07 .net
739だが、もう少し考えた

斛律光を謀略で殺した件はいいや
よく考えれば、卑劣なことは絶対にしない劉曜を英雄要素として評価しているが、
謀略を成功させ、大きな結果をあげた評価も英雄要素として認めているからな
ダブスタになるところであった
悪かった
あと、正攻法で勝っていないから評価しないと言ったのは俺じゃないよ

韋孝寛の意図がよく分からない以上、文民統制とか真の職業軍人とかと良く分からないし、
>>739の自分の疑問もおかしくないと考える
だが、高歓の攻勢をおさえ、北斉を征伐し、北周の混乱をとどめ、隋の天下統一に
(結果的にかもしれんが)貢献していることは、
理論上の忠誠や彼の隠された考えなどの枠にとらわれない偉業があるとは言えるのかな
それなら、英雄と評してもいいかもしれん

741 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/25(水) 12:41:17.05 .net
韋孝寛の妻は楊侃の娘だし、楊堅に繋がる可能性はあるよな

742 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/26(木) 23:38:12.96 .net
>しかし、こうして振りかえってみれば、みんな決定力に欠けているよな
>苻堅の天下統一の目が、少しはあったように思えてくる

後は、拓跋Zが長生きして、長江まで国境線を押し下げる可能性くらいかな?
それならば、孝文帝の代で天下統一できたかもしれない

ところで、王猛が長生きしたとして、苻堅は天下統一できたのか?
また、天下統一したとして、どの程度、統一王朝を保っていられたのかな?

743 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/27(金) 20:47:44.54 .net
王猛が長生きしたら南征自体ないだろ。

744 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/27(金) 22:52:36.85 .net
>>742
苻堅の没後が想像できんなあ
やっぱ傍系から簒奪している関係上、権力の正当性が弱いから
子孫の代で実力者に簒奪されそうなんだよな

745 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 09:55:19.53 .net
>>742
シ肥水の戦いは王猛死後8年目なんだよな
王猛が長生きしたとして、苻堅が王猛より30歳以上も年下だから
シ肥水の戦いの回避は無理なんだろう
ただ、あと数年まってれば385年に謝安、388年に謝玄と亡くなってるから
普通に勝ってたと思う

統一したとした後、苻融が生きていれば、苻丕でも苻宏でもまあまあ
やれたと思う
統一後に苻堅が死んだら、時期にもよるが慕容垂は独立した可能性あるが、
姚萇は独立しなかっただろう

未統一のまま苻堅が死んだ場合、慕容暐が生きていても慕容垂は独立するが、
姚萇は独立しないだろう
東晋は劉裕になるが、苻融・張[虫毛]・苻方・梁成・慕容暐・姚萇あたりがいれば
なんとかなった気がする

苻堅は個人の能力はどうであれ、慕容垂が死ぬまで帝号名乗らなかったり
前秦の兵士が後秦に対し、苻堅の分身を持って戦ったとか聞くとやはり
英雄なんだなと思う

746 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 10:41:58.97 .net
>>745
王猛 325年生まれ
苻堅 338年生まれ

謝安・謝玄は失脚しての憂死との見方もあるから、何とも言えん
特に謝玄なんて、苻堅よりも若輩で341年生まれだ

747 :746:2012/01/28(土) 10:50:55.36 .net
ぶっちゃけ、国力比(人口比)が前秦:東晋でおおむね2:1ぐらいっぽいから
若干厳しいんだよね、前秦(せめて3倍以上はほしいところ)
特に、四川・湖北を領土として獲得したものの、暦年の遠征で相当戦力は疲弊していた矢先に
いきなり東晋遠征だからな
勝ち続けても、統治する余裕すらなければ、アレクサンドロス3世死後のマケドニアみたいに
大分裂を惹き起こすのは必定、というか実際起きたしな

王猛が存命だったならば、やはり謝安の失脚とか画策したりしたんだろうか?
謝安以降の政治家たちのレベルの低さを見ると、謝安さえいなければ北府・西府の連合も
強固な政権内の団結も、全部なかったことになりそうな勢いだもんな

748 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 11:34:19.74 .net
>>746
すまん間違った(30→13)
苻堅は殺害、謝安・謝玄は一応自然死だから書いた
なんとも言えないのは間違いないけど、結果的には
もうちょっと待てば良かったと思う

王猛は東晋は魏→西晋から続く正統な王朝で、また失政
もないから無理って言ってたんだよね
だから謝安が死んで、政治が乱れたらGOサイン出したんじゃ
苻堅が言うこと聞かないなら、時間稼ぎも兼ね謝安失脚は狙った
と思う

陳郡謝氏っていう名族だったのも連合の一因だったと思うから
団結できなかったかもね


749 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 12:19:32.19 .net
結局、焦ったか驕ってしまって、わざわざ東晋が最強の時に攻め込んでしまったのね
>苻堅

>英雄なんだなと思う
集めた人材の質と量的には統一王朝の創業時にも負けないほどなんだけどな
構想通り、謝安・謝玄・桓沖、それと桓玄・劉牢之・劉裕も加われば、
「大」付きの王朝になれたかもしれん

桓温がいた時に方がまだ足の引っ張り合いがあって、楽な相手だったかも
謝安がいなければ、急に団結したとしても連携は散漫にはなるだろうから、確かに勝てたかもしれんな

750 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 12:49:11.53 .net
自分で読み直してまとまりのない文章だな>>748

>>749
構想通り、謝安・謝玄・桓沖、それと桓玄・劉牢之・劉裕も加われば
>そうなったら凄かっただろう後の三人は独立する可能性あるけど


751 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 15:54:57.25 .net
桓温は才能ある者を次々に見出したけど、その殆どが後に反対派に回っちゃったな。
桓温が目を付けた人物の中で一番の大物だった王猛には逃げられるし…。

752 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 16:19:57.41 .net
>>746
すまん間違った(30→13)
苻堅は殺害、謝安・謝玄は一応自然死だから書いた
なんとも言えないのは間違いないけど、結果的には
もうちょっと待てば良かったと思う

王猛は東晋は魏→西晋から続く正統な王朝で、また失政
もないから無理って言ってたんだよね
だから謝安が死んで、政治が乱れたらGOサイン出したんじゃ
苻堅が言うこと聞かないなら、時間稼ぎも兼ね謝安失脚は狙った
と思う

陳郡謝氏っていう名族だったのも連合の一因だったと思うから
団結できなかったかもね

753 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 18:08:07.97 .net
桓温は「奥手な野心家」という一ジャンルを築いているからな
曹操・石勒ほど残忍ではないが、かと言って慕容恪ほど人間出来ていない
勝算が弾けない限りは決して無理をしないって性格は、梟雄としては致命的
(リスクを賭けなきゃ、本当に必要なものは獲得できない)

でも、魏晋南北朝で一番仕え甲斐がある群雄だよなあ

754 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/28(土) 18:55:00.54 .net
桓温はそこが魅力だ
野心はあるが義理人情に篤い
そこに希β超も惹かれたんだと思っている

755 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/29(日) 00:25:57.30 .net
仮定1
苻堅が王猛の死後も東晋を攻めず、謝安の死後東晋の混乱を見て400年に南下し統一を果たす場合
東晋の皇帝は生き残り 、それを担ごうと江南の各地で反落が起こるも名将の活躍で鎮圧する
時をみて苻堅は徒民を実行、中原の人口を回復させるが410年頃崩御
立太子されていた苻丕が跡を継ぐが苻融も亡くなり、政権基盤が揺らぐ
姚興、拓跋珪らが反乱
また分裂が始まる

756 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/29(日) 06:05:58.49 .net
>>755
アカン、皇太子は苻宏や

757 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/30(月) 19:28:12.69 .net
仮定2
苻堅は376年華北を統一。統一に大きく貢献したのは王猛であった。
苻堅は翌年、王猛の反対を押し切って東晋遠征を決断。
王猛も了承するが、謝安の失脚が前提との条件を出す。
王猛は司馬道子に働きかけ、謝安失脚を目指す。
380年ついに謝安失脚、翌年失意のうちに謝安死去。
司馬道子の専横が始まり、東晋の政治は乱れる。
これをみた苻堅は東晋の制圧を決断、南下を行う。
西府軍の桓沖、北府軍劉牢之とも善戦するが、
苻融・張[虫毛]・苻方・梁成・慕容垂・慕容[日韋]・姚萇の連合軍には敵わず敗北。
385年統一

758 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/30(月) 22:48:14.60 .net
個人的に仮定2は成立するか、疑問

後の南北朝の膠着具合を考えると蜀を取っているとしても、
西府軍の桓沖、北府軍の劉牢之がいることを考えると、ずるずると戦う可能性があり、
東晋が城に籠もり、河を利用したりして粘ることも考えられる
王猛が死ねば、一挙に脆くなる

東晋が弱り切るのは、孫恩の乱まで待たないといけないし
成功すれば、長期統一王朝を生み出す可能性もあるけどな

仮定1で、姚興、拓跋珪、東晋の皇族を担ぎ出した桓玄・劉裕が反乱する可能性が高いかな
この場合、慕容垂は、反乱を起こして潰されているか、
すでに死去していて慕容泓、慕容徳あたりが指導者として決起するかだろう

759 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/31(火) 11:09:49.98 .net
>>758
どこまで桓沖、劉牢之が東晋を裏切らないかが問題だろう

760 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/31(火) 11:29:09.32 .net
仮定3
苻堅・王猛は現実通り死去。(苻堅の場合、病)
苻宏が継ぐが、後継争い勃発。
それを見て慕容垂・慕容[日韋]・姚萇・拓跋珪が離反。
桓沖が北上。
慕容垂が主導権を握るも、396年死去。


あかん先が見えない


761 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/31(火) 14:13:02.18 .net
石勒が統一した場合
慕容部の南下は阻止出来るのかな?


762 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/31(火) 22:00:37.25 .net
石勒が統一するには20年長生きしなければ無理、
もし出来たら北魏なみの長期王朝だったろう。
石勒の息子たちは石斌以外は仲がよさそうだし、
慕容部が南下できたのは権力の空白を見逃さなかったからで
統一王朝の後趙の敵ではない。


763 :無名武将@お腹せっぷく:2012/01/31(火) 23:10:48.71 .net
>あかん先が見えない

大丈夫
歴史が数十年少し変わるだけで、後はそのまんまだ

>後継争い勃発
これが起きなければ、苻宏の在世ぐらいは持つであろうか
姚萇はともかく、残りの三人は反乱を起こしそうだけど

764 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/01(水) 01:19:38.00 .net
>>722
王導の評価高いんだなー
同時代の温嶠あたりと比べても小粒にしか思えないのだが
いくら東晋成立の立役者とは言え

765 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/02(木) 14:07:04.66 .net
周との会話見ると温嶠も小粒だけどな
ところで王猛のウィキペディアみたんだけど
>漢人の有力貴族の家に生まれ、博学でことに兵書を好んだ
寒門でモッコ売りだとばかり思ってたんだが・・・

766 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/02(木) 15:27:24.92 .net
その温嶠よりも小粒って話じゃないのか?

温嶠は蘇峻反乱時の活躍が凄まじい。
そしてその直後に病死というのがもったいなさすぎる。
後任の江州刺史は詰まらん争いからすぐさま頓死するわけだが
周囲の諌めも聞かずにその人事を断行したのが王導じゃなかったっけ?

767 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/03(金) 00:28:31.24 .net
王導については、>>688でも少し書いたけど、このスレで高く評価されているよ

両晋の英雄について語る
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161705804/

確かに、俺も当初は諸葛亮と並び称されたと聞いていたから、大人物だろうと思って調べていた
でも、派手な業績もなく、人格的に小物くさいところがあって、忠誠心も怪しくてがっくり来た記憶があるな
ゲーム的な能力値をつけたら、それほど使い勝手はよくないだろ

だが、特別な名君でもなく、かといって皇帝権力の復活の意欲はある司馬睿を主君に立てて、
さりげなく江南人士と北方人士の力を誘導して、王朝を仕立て上げ、
いつの間にか、王敦とともに実権を握っていった政治力は確かに魔術的だ

しかも、三国志で勝ち組と言われる司馬一族と違って、族滅されることも、後世から唾棄されることもなく、
琅邪王氏は長い間、代表的貴族の地位を保っていられたからな

反乱が起きても、こいつだけは特別扱いされるし、多少の失敗があったとしても、不当な評価ではないと思っている

768 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/03(金) 08:40:39.59 .net
反乱の特別扱いは別
それは結果的に王導の評価を落とす要因

769 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/03(金) 09:47:38.21 .net
毒にも薬にもならないから殺されなかったとも言えるんだよなぁ
忠臣連中は何かとアクション起こして殺害されてるから

770 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/03(金) 22:46:04.32 .net
まだまだ議論は続いているので、十六国時代の残りの英雄を評価する
項目名を替え、姚萇より上は壁があると思うので、英傑クラスを下に設定
慕容皝、王猛、謝安、劉聡、姚襄を追加評価

今の俺の英雄評価(左の方が上位)

大英雄:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
 英雄:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 慕容皝 司馬炎 王導 王猛 慕容恪
小英雄:姚興 謝安 苻健 李雄 司馬懿 赫連勃勃 劉義隆 劉聡 
 英傑:姚萇 姚襄 冉閔 桓玄

771 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/03(金) 22:48:48.87 .net
慕容皝は意外に高い。周りを高句麗、宇文部、段部、弟の反乱(これは自業自得だが)に囲まながら、
中国北部を支配した石虎の大軍を何度も撃破している。
皇帝を名乗り、勝算があったとはいえ、石虎に恭順せずに、堂々と立ち向かって勝ち、領土を拡張しているのは正直、すごい。
後継者も慕容儁、慕容恪、慕容垂がいて、前燕はその後も伸張している。慕容恪だけの手柄に帰すのは不当だろう。
領土そのものは辺境で狭いので、慕容恪より上、英雄クラスの石虎の下にする。

王猛は、個人の能力としてはチートだが、前秦自体が死後にすぐに凋落していると言える。
後世への影響は限定的なので、慕容恪より上だが、英雄クラスの王導の下とする。

謝安は、桓温と苻堅の二人の野望を砕き、歴史を大きく変えている。政治性は高いが、
本人の軍事はないのと、晩年に失脚しているので、小英雄、姚興の下に評価。

劉聡はせっかく劉淵から受け継いだ基盤を自分の代でほとんど崩壊させてしまっているしな。
劉曜、石勒も逃している。一応、西晋を滅ぼしているのと、劉淵時代に軍事的功績があるので、小英雄に含めることにする。

姚襄は個人的能力では慕容恪にも負けない逸材なのだが、この評価ではかなり不利。
相手が冉閔、大軍を与えられた殷浩、桓温、苻堅と豪華とはいえ、戦略ミスも不運もこの評価では低く見られてしまう。
勢力も一回、潰しているとも言える。
姚萇のその後を考えて、威光があった可能性もあるので、姚萇より下、冉閔より上の英傑で評価。

772 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 12:23:35.35 .net
>>769
毒にも薬にもならなかったは間違いだと思う


773 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 15:25:16.01 .net
>>771
と言うか、慕容儁が慕容部の中では一番、英雄度が高いんじゃねーの?
慕容皝はそこまで持ち上げる人物とは思えんのだが

慕容皝は下らない諍いから無駄な内紛を惹き起こしている、しかも、
結構本人の性格による原因が大きかったわけだし
だいたい、自分の代で壮大な兄弟喧嘩やってるくせに、息子の代でも
兄弟喧嘩の種を撒き散らす等、政治センスが低過ぎる
慕容恪を当初重用しなかったのも人物鑑識眼が低いと言わざるを得ない
周囲が敵ばかりの厳しい情勢を乗り切った点は立派だが、君主としては
姚興の方がはるかにマシだと思う

774 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 15:33:55.48 .net
>>766
温嶠「ごとき」が評価される西晋・東晋って悲しい時代だよな
血を流した劉琨や祖逖が可哀想過ぎるだろ、マジで

775 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 19:35:14.00 .net
>>753
>桓温は「奥手な野心家」という一ジャンルを築いているからな
そういえば、桓温は博打が「上手い」のではなく、「慎重」なんだったな

>>769
毒にも薬にもならないわけではなく、忠誠よりも自己保全の方が優先すると見抜かれているから殺されなかったんだろう
王敦に至っては同族、同志だし、やり方が強硬か穏健だったかの違いだけで
政権を維持できるなら、大いに役だってくれる

776 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 19:38:50.54 .net
>>773
慕容皝はかなり高くなって迷ったんだけど、こうなってしまったんだな
慕容仁の件はどちらが悪いか分からないし、
慕容翰の件は不快な話だが猜疑心が強い君主にはよくある話ともいえる
息子が優秀だったから、有能な弟は用済みだったかもしれんな

慕容恪は、幼少の時に分からなかっただけで、15歳ぐらいで見いだしているから十分セーフじゃねえの?
初めから、慕容垂が世子になった方がよかったんじゃないか? って疑問は誰にでも感じられると思う
より優秀な方を選ぼうとして、群臣の反対で失敗はそこまで責めることではないかと。慕容垂にとっては迷惑だったろうが
石虎の二度撃退も慕容恪がチートだったのか、慕容皝の指揮が良かったのか、よく分からないから、間をとるしかないだろ
正史を読むと、慕容皝の軍事能力も結構高い
公孫淵が魏の国を傾けた大軍を二度破って幽州を奪うぐらいの価値がある行動だから、低くは評価できないだろ

後、皇帝は名乗って無くて、燕王だったな事実誤認だ。王猛の下ぐらいに下げることにするわ

777 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 19:47:43.69 .net
>>774
何が言いたいのかイマイチ分からんのだが
温嶠「ごとき」などと全く思わないな
「血を流した」って、祖逖は戦死してないぞ
祖逖が良くて温嶠が駄目というのが全く分からない。
劉琨は八王の乱での振る舞いが微妙なので、そこまで忠臣として祭り上げる気が起きないな。

778 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 21:16:22.46 .net
>>777
陶侃、郗鑑、祖逖、劉琨らを差し置いて、温嶠持ち上げるのは我慢ならないというだけの話
彼ら(実質の群雄)を評価した上で、「温嶠(軍人)もなかなか凄いっすヨ」って話なら理解できるけど
「王導(政権トップ)は温嶠(官僚・軍人)に比べて小粒」と言われたら、「そりゃネーヨ」ってなるわ

比較する分野が違うのに、小物扱いされる王導も不憫だな

779 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 21:56:35.68 .net
王導がいなかったら野心が有った陶侃が江南に新王朝を開いていただろう、
どん底だった東晋が百年もったのは王導のおかげだよ。


780 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 23:32:17.42 .net
陶侃が王朝が作っていたかはともかく、王導の人格や人事の少々の失敗や比較では
とりあえずの俺評価には影響しないだろ

確かに比較する分野が違う
これは現世や後世への影響力重視だし

さて、なんとなく読むにくくなっていたので、ランク表記を戻して、やり直し
ついでに、慕容儁、謝艾、陶侃を追加

今の俺の英雄評価(左の方が上位)

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 王猛 慕容皝 慕容恪
下位:姚興 謝安 李雄 司馬懿 苻健 赫連勃勃 慕容儁 陶侃 劉義隆 謝艾 劉聡
微妙:姚萇 姚襄 冉閔 桓玄

781 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/04(土) 23:35:05.55 .net
慕容儁は、皇帝位につき、政治的にも軍事的にも大きな実績はないが、勢力を順調に伸張している。
ただし、正史の記述を見ると、慕容恪の存在の方が明らかに大きい。
また、慕容垂の件において父よりましとはいえ、狭量さも見せ、政治的な問題を軍事で忙しい慕容恪に頼っているのは減点だろう。
基盤があったとはいえ、死後も前燕が伸張していることを評価して、下位、赫連勃勃の下にする。

苻健は後の前秦補正と思ったが、苻生を挟んでいるから高すぎたかもしれない。少し下げて、司馬懿の下ぐらいで。

謝艾は、軍事実績と能力だけの評価だが、中国北部を支配した石虎の大軍を撃退した影響は大きい。
麻秋も軍事実績のある武将なのは間違いないだろうし。前涼はあれで延命できたわけで。
辺境とはいえ、全体に与えられる影響を与えたわけだし、下位の劉聡の上に評価。

陶侃は、勝った相手が群盗ばかりだが、内乱を鎮圧して、北と西を守ったのは大きい。
軍事と政務にそれぞれ大きな貢献をし、西府軍の基盤をつくって、
東晋が長く保てた影響を考え、下位の慕容儁の下とする。

782 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/05(日) 04:48:48.90 .net
>>778
「実質の群雄」とか何の冗談だ?
そう呼べるのは劉琨だけだろう。
温嶠は持節、江州刺史の鎮武昌であって、
郗鑒や祖逖と比べても遜色ない。
まして、王導と比べるのであれば
邊將のキャリアが長い、「軍人」的側面の強い陶侃、郗鑒、祖逖よりは
温嶠の方が適当だろう。
軽々しく王導を「政権トップ」などと言えてしまうあたりで見識を疑うわ。
固辞しなかったら、蘇峻平定後の政権トップは温嶠だよ。

783 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/05(日) 07:36:38.67 .net
>>782
おいおい、外戚の庾亮ならともかく、名声・家格の劣る温嶠をトップにつけれるわけないだろ
(まあ、庾亮こそ粛清されてしかるべき人物ではあったが)
それでなくても、あの時点で、庾氏に与する温嶠をつけても誰も納得しないよ、また反乱起こるわ
陶侃・郗鑑を押さえつけるには実力も実績も不足し過ぎている
王導の比較対象は、せいぜい皇帝権力強化派閥の領袖であった庾亮ぐらいしかおらん

だいたい、華北から落ち延びてきた上に、劉琨を掩護する兵を起こすことのできなかった温嶠が
石勒から領土を奪い取った祖逖や、後趙の襄陽侵攻を撃退した陶侃たちと比して「遜色ない」は
贔屓の引き倒し
まだ殷浩の方が実行力あったと言う点で、上なんじゃないの?

784 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/05(日) 08:28:11.84 .net
>>782
追加で

陶侃の軍事力は、結局その生前は誰もひっぺ返すことはできなかった
特に、王敦によって広州に左遷させられた時でさえ、陶侃の部下たちは王敦の統制下に
入ることを拒み、反乱軍側へと身を投じている
独立する気であれば可能だったことは、陶侃が「大郡にいて強兵を統ぶ、もし異志あれば、
すなわち荊州に東門なからん」と恐れられていたことからも明らか
それをやったら「群雄」だから、やらなかったと言う点で「実質、群雄」

785 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/05(日) 12:04:39.37 .net
>名声・家格の劣る温嶠をトップにつけれるわけないだろ
蘇峻平定の時点で驃騎將軍、開府儀同三司、郡公なんだから説得力ないよ。
邑三千戶は王導、陶侃と同じ。

>それでなくても、あの時点で、庾氏に与する温嶠をつけても誰も納得しないよ、また反乱起こるわ
「庾氏に与する」の意味が分からん。
それに、その後すぐ庾冰が都のトップになってるんだけど。

>陶侃・郗鑑を押さえつけるには実力も実績も不足し過ぎている
陶侃からの信頼絶大なんだが。
その陶侃は王導を排除しようとしたことがある。

>石勒から領土を奪い取った祖逖や、後趙の襄陽侵攻を撃退した陶侃たちと比して「遜色ない」は
陶侃なんて蘇峻討伐に乗り気じゃなかったじゃないか
それを説得して、東晋を救ったのは温嶠だよ。
祖逖を比較すべきは周訪あたりだろう。

ところで、祖逖や郗鑒を実質の群雄として、鎮武昌の都督である温嶠がそうではないというのは
なにか根拠があるの?

786 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/05(日) 14:05:22.29 .net
>>785
さすがにスレ違いなんだが(このスレは多いな、こういう展開)
温嶠を持ち上げているんだか、陶侃を持ち上げているんだかよく分からん論調になってきてるぞ

突っ込みポイント
・ 蘇峻の乱後の庾冰の官職は、会稽内史、振威将軍じゃなかったか?
  (いつのまにタイムスリップしたんだ)
・ 陶侃が蘇峻征伐に乗り気じゃない理由ぐらいすぐに分かるだろ
  (温嶠自身が庾亮の仕打ちを諫止しているのにさ)

祖逖・郗鑒が「実質、群雄」の根拠っていうと、自前の軍事力を持っていて、いつでも独立可能
これに尽きるな、手ぶらでやってきて、庾亮に刺史にしてもらった温嶠には無理な話
(まあ、祖逖なんて半独立状態だったような気もするが、政府が統制する気のない軍事力……)
当然、忠義の鬼である祖逖も、朝廷高官であった郗鑒も独立の公算は限りなく低かったけどね
郗鑒は東晋に都合が良かったから好待遇だったけど、祖約や蘇峻並に扱われていたら、どう
なったことやら(反乱者両名としては、勲功は郗鑒と同等という認識であったわけだし)

飽きたからやめる、うん、温嶠さんは英雄でいいんじゃない?

787 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/05(日) 15:03:38.16 .net
>>786
こちらに突っ込むばかりで、指摘された間違いについては抗弁しないのな。

>・ 蘇峻の乱後の庾冰の官職は、会稽内史、振威将軍じゃなかったか?
庾氏に与する温嶠がトップでは反乱が起きるという妄想への反論として庾冰を例示した。
そもそも「庾氏に与する温嶠」って何なんだって。

>・ 陶侃が蘇峻征伐に乗り気じゃない理由ぐらいすぐに分かるだろ
話す気が失せるわ。
あんた温嶠伝読んでないんじゃないか?
陶侃は都が陥落して成帝が蘇峻の手に落ちたあとでも出兵を渋ってるんだぞ?
その理由も書いてある。

>祖逖・郗鑒が「実質、群雄」の根拠っていうと、自前の軍事力を持っていて、いつでも独立可能
郗鑒は一度中央に入って尚書令やってるんだが、自前の軍事力を保持したままなのかい
それに出鎮後にしても、蘇峻の乱の時の動員力を見るに独立可能な兵力などない。

788 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/07(火) 07:55:40.33 .net
祖逖は行主だから群雄といってもいいけど、所詮そこらは下位クラスだからあんまり意味ない

789 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/07(火) 07:58:44.14 .net
自立したらすぐ潰されしまうわなぁ

790 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/07(火) 19:26:13.40 .net
>>789
姚襄の例を見ると、すぐには潰されないと思う
東晋側が兵力を十分に指向できる場合は、この限りではないが

791 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/07(火) 20:05:27.89 .net
姚襄の場合と違うのは
東晋から離反したからといって北方と結ぶのが難しいのと
そもそも離反する大義名分が問題だな

792 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/07(火) 21:07:29.90 .net
この時代漢民族の群雄は冉閔除いて誰も皇帝になってないから自立は可能でも独立は無理だろう
元号も涼で一瞬、独自のを使った以外は晋のを使ってるし(東西どちらか)


793 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/07(火) 21:09:50.76 .net
でもなんで冉閔は皇帝名乗ったんだろ
しかも東晋と連携模索してるし


794 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/08(水) 23:43:57.79 .net
冉閔が皇帝を名乗ったのは伝国璽の持ち主になったからじゃないか?


795 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/09(木) 00:11:50.46 .net
冉閔は(自称)一時の英雄だからじゃねえ?
閔曰:「天下大亂,爾曹夷狄,人面獸心,尚欲篡逆。我一時英雄,何為不可作帝王邪!」
って最期の台詞は本音だろ

外国人が天皇を名乗ったら、それよりは日本人である俺でも、って心理になってもおかしくないだろ
計算よりも感情的、人情的なもんだろ

796 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/11(土) 17:46:03.22 .net
>>795
でも、冉閔の父親は乞活集団→石虎養子になっているから、骨の髄まで漢族至上主義
という感じでもないんだよなー

暗殺やら軍事クーデターを仕掛けられまくって、周囲の支持が余りにも低いことに気づいて
即席で権威確立するために皇帝僭称したんじゃないかな?
あまり深い意味はなかったと思うぞ、冉閔の政治センスは微妙だし

797 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/11(土) 20:13:33.63 .net
今回、少し順位入れ替えと張賓、後涼の呂光、北涼の沮渠蒙遜、祖逖、賈南風を追加

今の俺の英雄評価(左の方が上位)

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 王猛 慕容皝 慕容恪 張賓
下位:姚興 謝安 李雄 司馬懿 苻健 赫連勃勃 慕容儁 陶侃 劉義隆 祖逖
微妙:賈南風 劉聡 呂光 姚萇 姚襄 沮渠蒙遜 冉閔 謝艾 桓玄

順位を変えたのは、劉聡と謝艾

劉聡は死後1か月で漢滅亡なので、ほとんど亡国の君と同じと評価
下位から微妙に下げて、姚萇の上に評価

謝艾はこの評価基準でただの名将にそこまで評価するのは不当と判断。悲劇的な最期も減点となる
忠臣的なエピソードもあればよかったのだが
自身で兵を集めたわけでもなし、全軍を与えられている以上、影響力で冉閔の下の評価

798 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/11(土) 20:16:51.71 .net
張賓は活躍したのは十年程度で戦略、軍事、政治功績も王猛に比べて限定的だが、
彼がいなければ、石勒はあれほどの勢力にはならなかったかもしれない
石虎の時もあわせれば前趙は華北を長く制したわけだし、影響は決して小さくない。中位の慕容恪の下に評価

呂光は、名将として高昌ら西域を制したのはそれなりに大きい
帰りにも涼州を攻撃し、自ら率いた戦いではかなりの軍事実績をあげている
しかし、配下の反乱が多く、涼州すら抑えることはできなかった
天王を名乗り、後涼がそれなりに存続したので、基盤の差で姚萇の上に評価

祖逖も政治的には大きな功績はないが、かなり広大な地域を北の石勒の軍を押しとどめ、
微少な勢力で群盗を制した実績とそれなりに統治できた点を評価
ただし、政治的敗北はやはり減点となせざるを得ない。下位の劉義隆の下で評価。

賈南風はこいつのおかげで西晋は延命できたのか? それとも滅亡を早めたのか? 
とりあえず、実質皇帝同然で統一王朝を10年以上治めたのはそれなりに評価
強引さと冷酷、残虐さ、それから来る謀略的な政略の力は父以上かもしれん
皇后になったのは父のごり押しなので、そこは減点し、微妙の筆頭で評価

沮渠蒙遜は、例えるなら、コーエーゲームで弱小君主をプレイする人間プレイヤーって感じかな
基本スペックが高くなく、戦略と外交、謀略がうまい
西涼を滅ぼし、それなりに内政もうまくいき、領土を拡大させ、次代に引き継いでいる。勢力が狭いので、姚襄の下に評価。

晋と十六国の英雄はこれぐらいかな?
続きのリクエストがなければここまでにしよう


799 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/11(土) 21:07:47.94 .net
青州で実質10年割拠した曹嶷の評価は?


800 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/12(日) 00:04:16.63 .net
前趙は後趙の間違いか?

801 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/12(日) 07:35:02.51 .net
荒れてもいいから劉備・孫権・諸葛亮を評価してくれ

802 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/12(日) 09:16:34.07 .net
>>801
この3人の位置は知りたいな。

803 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/12(日) 11:57:34.90 .net
>>799
皇帝を名乗ったわけでもなし、王弥が殺された後を引き継いだわけだから、全て自分が作ったわけでもないしな。自分の代で滅んでいるのも減点。謝艾の上ぐらいじゃないか?

>>800
すまんかった。
>>798
×前趙は華北を長く制したわけだし
○後趙は華北を長く制したわけだし

だな

>>801-802
荒れる可能性は高いが・・
それでいいなら、考えていれることにする

804 :803:2012/02/16(木) 20:41:36.29 .net
で、結局、リクエストは有りなのか?
荒れるかもしれんが、スレが停滞するよりはいいかもしれん
少し三国志の人物でやってみるか

三国志で微妙あたりでもランクに入れそうなのは、
劉備、孫権、曹丕、司馬師、司馬昭、荀ケ、諸葛亮、曹叡、周瑜、陸遜、孫策、張角、袁紹ぐらいだろうな

張魯は入るんだろうが、宗教的な評価でベクトルが違うんで除外
新王朝の上位互換に過ぎない西晋の功臣どもはさすがに英雄じゃねえわ、と思った

すでに入っている3人をいれて、16人はむしろ多いのかもしれん
反応を見るために、時代が近い司馬兄弟からいくか

805 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/16(木) 20:42:39.64 .net
今の俺の英雄評価(左の方が上位)

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 王猛 慕容皝 慕容恪 張賓
下位:姚興 謝安 李雄 司馬懿 苻健 司馬昭 赫連勃勃 慕容儁 陶侃 劉義隆 祖逖 司馬師
微妙:賈南風 劉聡 呂光 姚萇 姚襄 沮渠蒙遜 冉閔 曹嶷 謝艾 桓玄

806 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/16(木) 20:46:14.86 .net
司馬師は、5年間世襲で権勢を握ったということになるな
父の政略に荷担と、魏皇帝廃嫡、 夏侯玄らとの政争の勝利、毌丘倹への勝利が実績か
とりあえず、政権は維持した上でさらに固めたこと、乗っ取りの意図をほぼ明確化したことは評価
統一王朝への原動力になった威光は評価して、下位、祖逖の下で評価

司馬昭は、洛陽の留守を守ったことと、諸葛誕討伐、曹髦殺害、蜀征伐が実績か
人望や懐柔する力もある
司馬師の倍、10年間の政権をとり、政権は維持して上でさらに固めたこと、
晋王となり、蜀を滅ぼし、魏にほとんどとどめを刺したことを評価
後継者の能力は微妙だが、結局統一王朝まで持っていったからな
兄からの基盤もあるので、下位、苻健の下で評価

こいつらはやっていることは、梁冀と代わらず、確かに英雄という感じではない
だが、家の隆盛ということではかなりの成功をおさめているので、微妙ではなく下位で評価

807 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/17(金) 08:24:34.74 .net
司馬兄弟だと信者も少ないから反応が薄いと思う

808 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/17(金) 21:04:54.32 .net
三国志をのぞけば知名度と実績は比例してるはず

809 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/20(月) 13:36:19.15 .net
司馬昭より炎が上とはどうしても思えんな

810 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/20(月) 17:46:11.77 .net
>>797
>劉聡は死後1か月で漢滅亡なので、ほとんど亡国の君と同じと評価
国号変わったけど劉曜が継いでるじゃないか。
それで亡国の君扱いなら石勒も同じようなもんだろう

811 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/20(月) 20:10:56.59 .net
>>810
劉聡の死ぬ直前には石勒に周辺を切り取られている、
靳準は漢に見切りをつけて引導を渡しただけだよ。



812 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/20(月) 20:28:51.87 .net
それなら苻堅も同じ
そもそも単なる地方の一群雄の劉曜が劉聡以下はないだろ

813 :無名武将@お腹せっぷく:2012/02/27(月) 10:22:33.90 .net
知らなかったけど曹操の末裔って禅譲してその末裔もずっと陳留王を名乗ってたんだな
時代が進むにつれて単なる慣例化になったと思うがこれはうまい生き方だわな

814 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/06(火) 02:06:42.61 .net
苻融と謝玄の評価は?
苻融は前秦の皇族では最高の逸材、
謝玄は言わずと知れた100万の敵を退けた名将、
結構いいところにいきそうな気配

815 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/07(水) 00:21:42.13 .net
>>814
昔、中国史名将百選スレで謝玄は「一発屋」のレッテル張られて選考外になってたな
光武帝と違って、ガチで100万近い大軍を撃破した名将なのに

ただ、通信技術や大量輸送可能な交通機関が発達していない前近代までの戦争では
10万以上の大軍の運用は困難というのが、歴代の軍人たちの見方だったようだが
(フランス元帥のマレシャル・ド・サックスの著作が参考になる)

苻融はやらかしたから、微妙だなあ

816 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/07(水) 02:02:50.80 .net
てか苻融ってさ、「大国の大幹部にふさわしい具体的な功績は?」って問われると、
実は何もないんだよな。
「○○の戦いで戦功あげました」とか
「担当した州で○○という治績をあげました」みたいな奴。
それどころか二つの大チョンボをやらかしてるから、あんまり優秀なイメージがない。
そこそこ優秀な皇族という印象。

817 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/25(日) 13:35:32.38 .net
久しぶりに来たら、随分と下がっているな
気がむいたら、また再開するからよろしく

>>809
司馬炎は>>451>>458あたりの議論を踏まえたものだよ
で、>>669。俺評価と断っていたとはいえ、特に反論はなかった。
運も実力の内とはいえ、創業から25年、天下統一を10年維持したのはある偉業だからな

>>810
劉曜は>>667>>669を踏まえて、>>688
劉曜は基盤をきちんと継いでないから加点
劉聡は劉淵の基盤を継いだのに、外を石勒、中を靳準に奪い取られてる上に、
自分が選んだ後継者がすぐに滅亡しているから、漢滅亡の実質的戦犯ってことで減点かな

劉曜の国号変更は、それなりに大きな意味合いがあると思う

石勒は、石虎があくまで石勒の後継者を名乗って基盤を継いでいるから、意味が違う
苻堅は、一時期の勢力は相当なものだったからな
子分が勝手に領土を拡大しているだけで、内実はぼろぼろだった劉聡と違うだろ

818 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/25(日) 18:11:14.17 .net
>>816
確かに、苻融って調べたら、どこまで貢献しているかよく分からないんだよね
腹心って感じで、英雄と言えるほどの存在かは不明
むしろ、失態はしっかりと記述されている

>>815
謝玄は、背後に謝安がいてバックがいたし、
ただのお貴族で部隊が崩壊せず、勝利をあげられたのは劉牢之のおかげという説もあるしな
その後の北伐もそれほどうまくいってないし、謝安亡き後の独自の政治力も疑問符がつく

もちろん、ヒ水が歴史を変えた戦いなのは当然なのだが、ここの評価では
祖逖より上ってわけにはいかないだろ。下位の司馬師の後ぐらいで。
劉牢之も入るぐらいの価値はあるが、微妙のドンジリにつけてしまうだろうな。

もっとも、俺評価に過ぎないから、異論はあると思うけど

819 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/25(日) 20:47:52.36 .net
で、久しぶりに来たので、
謝玄、劉牢之に加え、曹丕と曹叡を評価

今の俺の英雄評価(左の方が上位)

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 王猛 慕容皝 慕容恪 張賓
下位:姚興 謝安 李雄 司馬懿 苻健 司馬昭 赫連勃勃 慕容儁 陶侃 劉義隆 曹丕 祖逖 司馬師 謝玄
微妙:賈南風 劉聡 曹叡 呂光 姚萇 姚襄 沮渠蒙遜 冉閔 曹嶷 謝艾 桓玄 劉牢之

劉聡の評価は再度、考えたが、劉曜と比べるから気になるわけで、
その下もそれなりのメンツだし、一応、西晋滅亡の実績は評価している。やはりこれでいいわ

劉粲や靳準がクーデアや反乱で起こされ、死亡ならもっと救いがあるが、
『後事を任せた靳準に後継者の劉粲が利用されて、1か月で劉粲暗殺され、皇族皆殺しの上、乗っ取られる』だから
劉粲のせいにするのは無理がある。前趙は山西すら失ってしまうし。
不運が入る余地がないほど、救いようがない

820 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/25(日) 20:51:59.57 .net
曹丕は、在位7年だからな。基盤を固めた内政力は評価できるが、
基盤は大きいし、父の時に大きな功績はないし、外交と軍事が失敗している。
すでに、皇族冷遇と司馬懿重用は魏衰退の兆候はでている。だが、父すらできなかった皇帝を名乗ったのはそれなりに評価。
後漢の禅譲が王モウ以来のタブーに挑戦し、次代まで威光をなんとか保てたのは認めてよい。下位、劉義隆の下で評価。

曹叡は、軍事実績は遼東討伐ぐらいだが、軍事能力はそれなりに高く、
地方政権にしては異様に強い(でいいよな?)呉蜀を親征を行いながらかわしている。
しかし、基盤自体大きく、内政はどうも失敗しているし、後継者は幼君にし、後見人を誤り、
実質的に魏を滅亡に導いているのは大きく減点。微妙、劉聡より下で評価。

後、東晋の司馬睿と司馬紹も下位ぐらいなら入るかもしれんと思う

821 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/25(日) 23:30:34.51 .net
死んじゃった親は越えることが出来ないからね
子はいつまでたっても親からしたら子供だろう

822 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/26(月) 00:42:19.89 .net
曹叡こそ最高の君主よ

823 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/26(月) 19:04:27.05 .net
そう?えー

824 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/26(月) 19:36:41.89 .net
57 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/03/26(月) 18:13:11.08
八戸蛆虫なんてゲロセンチ蛆虫が持ち上げてただけだろ^^;
クマッタ蛆虫が小魔玉蛆虫を持ち上げてるのと変わらない^^;


58 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/03/26(月) 18:14:45.59
貧乳は誰も叩かんのだな


59 名前:陣虚兵衛 ◆jjKU9pZ2LI :2012/03/26(月) 18:18:01.30
逆に叩かれたい


60 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/03/26(月) 18:23:44.93
八戸が消えても三戦になんの影響もない


61 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/03/26(月) 18:25:49.20
世代交代の時期が来たってことだな
八戸も遂に卒業か


62 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/03/26(月) 18:54:23.34
紅家に期待しお


63 名前:無名武将@お腹せっぷく :2012/03/26(月) 19:01:55.49
八戸のエロ画像ください
ゼロセンチ先生と学校の屋上でヤってるやつ

825 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/28(水) 18:21:32.40 .net
冉閔は漢族中心主義のネットウヨ

826 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/28(水) 19:50:49.63 .net
木嶋佳苗漢族中心主義のネットウヨ

827 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/28(水) 21:53:33.90 .net
木嶋佳苗のまんこなめてえ

828 :無名武将@お腹せっぷく:2012/03/29(木) 13:08:01.65 .net
ちょっと東晋にあまい気がする

829 :無名武将@お腹せっぷく:2012/04/01(日) 22:18:25.81 .net
十六国春秋・前秦録 (載記に記載の無い文章)
符雄(符堅の父)は字が元才、後趙の建武中に龍驤将軍を拝命した、
貌は醜く、頭は大きくて足は短かった、故に軍では大頭龍驤と言われていた。

崔鴻はこんな記事まで書いてたのか。

830 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/05(土) 14:14:26.08 .net
>>829
苻堅に至っては、一名が「堅頭」だからな(たしかに頭は固い、頑固すぎるわ)

と思ったら、仇池の氐族にも楊堅頭っているんだな
流行の名前なんかな?

831 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/05(土) 22:26:18.07 .net
掘り下げるとおもしろい時代だよね
きっと


832 :無名武将@お腹せっぷく:2012/05/31(木) 20:12:04.16 .net
もう久保田あたりでいいから漫画化してくれ

833 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/04(月) 16:31:08.27 .net
>>819
>『後事を任せた靳準に後継者の劉粲が利用されて、1か月で劉粲暗殺され、皇族皆殺しの上、乗っ取られる』だから
石勒と同じじゃんw
石勒が高すぎるね

834 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/05(火) 09:41:06.04 .net
>>833
おもしろいね
俺も後継云々が評価に加算されるのはどうかと思うけど
もう少し勉強しようよ


835 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/05(火) 09:48:29.49 .net
ちなみに
劉粲から靳準の乱の平定(靳明の処刑)までは半年318年6〜12月
しかも同属でもなんでもない


836 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/05(火) 15:55:22.52 .net
同族だったら良いってのか?
靳準の反乱は劉粲自身の采配が原因だろう
靳準の讒言・粛清計画を劉粲が斥けたことが謀反に繋がった。
石虎を警戒・排除しろという諫言はいくらでもあったのに
それを納れなかったのは石勒本人。
自分の子供が殺されまくってるのに、「石虎も同族だから」とか言っちゃうの?
理解できん。

837 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/05(火) 17:34:48.88 .net
>>836
お前馬鹿だな

838 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/05(火) 19:39:49.35 .net
>>836
石勒の遺言を無視して石斌も石虎に付いたからなあ。
実力本位の時代だったんだろなあ。


839 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/05(火) 20:09:49.87 .net
>>836
事はそんなに単純じゃない

石勒直系子孫(石弘)の権力基盤の強化を図っていたグループと
(上記グループは早い話が、石氏政権を中華帝国化しようと目論んでいた
かなり先進的な存在だったと言える、北魏政権下の漢人官僚に先立つこと
百年以上、もっと注目されるべき)
各軍閥間(十八騎、乞活、異民族諸侯)での勢力均衡を維持しようとしたグループの
対立が根源にあったのが、石勒死後のお家騒動
(石虎を粛清した場合に、諸軍閥が石弘の統制下に収まるかどうかかなり微妙)

石勒だからこそ、羯族、漢人官僚、軍閥を統御できていたのであって
当の本人が死んだら瓦解するのは当然の成り行き
結局、石勒生存中に中華帝国への脱皮ができなかったことが全て
結果としては、遊牧民国家のように分割相続して、実力者同士で権勢を
争わせて、後継者の名乗り上げる方式でもあんまり大差なかった感じ

珍しく石勒の苦悩の跡が伺える、後継者人事

840 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/06(水) 08:15:49.19 .net
石虎は粛正すべきだったと俺も考えてるが、粛正しなかったことは劉粲と同等ではない
そもそも石勒は初期に石虎を殺そうとしている
しかしその後の石虎の働きは凄く石虎がいなければ華北制覇は無理だっただろうと思われる程の活躍をしている
石勒といえども統一前にアッサリ粛正できる存在ではない
さらに漢を引き継いだ劉曜が一地方政権に成り下がったのに対し、石虎は後趙を維持している
石虎は当時の最強クラスの軍人で、評価は別にして政治力もある人物
乱を行った人物のレベルが違えば評価が違うのは当然


841 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/06(水) 12:33:44.84 .net
>>839
陣営内に多様な勢力がいたのは他国でも一緒。
そうした事情は石勒の評価を下げない要因にするべきではないだろう。
石勒自身、後半生は自ら出征することが激減していて、対応する時間はあった。
それと、石虎の謀反はあくまでも石虎自身の資質によるところが大きい。
それを無視して「石勒が死んだら瓦解は当然の成り行き」と言われても同意できない。

>粛正しなかったことは劉粲と同等ではない
劉聡と比べてるんじゃないのか?
劉粲が殺されたのは劉粲が原因で、それを劉聡のせいにするのはおかしい。

>石勒といえども統一前にアッサリ粛正できる存在ではない
あっさり粛清出来なかった、結果として自分の子や嫁がブッ殺されましたじゃ笑い話だ。

>さらに漢を引き継いだ劉曜が一地方政権に成り下がったのに対し、石虎は後趙を維持している
>乱を行った人物のレベルが違えば評価が違うのは当然
そりゃ劉曜はクーデターで国を乗っ取ったわけじゃないし。
比較の仕方がおかしいと気付かないのか。

842 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/06(水) 18:36:00.00 .net
>>841
お前は誰の何と比較してるのか?

まあ
>そりゃ劉曜はクーデターで国を乗っ取ったわけじゃないし
この一文でレベルがわかるが

843 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/06(水) 21:14:28.68 .net
劉聡と石勒を比較している。

>この一文でレベルがわかるが
自分の意見にケチつけられたら煽りしか出来ないの?
それとも横レス?

クーデターで君主が殺されて、出先で独立した劉曜と
自らクーデターを起こした石虎を比較するのが意味不明。
しかも時期が異なり、劉曜は石勒と敵対したが、石虎にはそのような相手はいなかった。

この二人の比較をもって、石勒と劉聡の比較の基礎とすることが理解不能

844 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/06(水) 22:04:40.96 .net
理解不能ならいいよ
理解出来ない事が理解出来た

845 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/06(水) 22:17:01.74 .net
けっきょく、横レスなの?本人なの?

846 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/07(木) 07:41:04.19 .net
>>845
もういいから、少しは本読め

847 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/07(木) 12:46:32.31 .net
自分と異なる意見のあることがそんなに嫌なのか?
レベルが低すぎるわ


848 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/07(木) 17:04:20.90 .net
>>847
ハイハイ

849 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/07(木) 18:11:34.02 .net
足りない知識で過疎スレで王様気取り
批判されたら発狂
インターネッツってすごいね

850 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/08(金) 20:05:09.67 .net
偉大なる曹操閣下に心からの愛をささげます

851 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/09(土) 20:06:48.91 .net
また、久しぶりに来た。
>>839は俺評価をしている自分ではないよ。
ただの石勒アンチなら別にどうでもいいが、一応、説明すると、
劉聡>皇族皆殺しの上、(他一族に)乗っ取られる。劉曜は直属軍と占領地以外は基盤を失う
石勒>皇族が乱を治め、後趙は継続している。結果的に、石虎は基盤をほとんど受け継ぐ。

これは、石虎を永楽帝に変えれば、明の朱元璋も同じ。さすがにこれで大きく減点するのは、おかしいだろう。
しかし、劉聡より罪の軽い始皇帝はかなり評価を下げている。この点については、それほど歴史的な評価との乖離はないだろう。
あれを全部、胡亥のせいにするなら、見解の相違という他はない。

>>828
かなり遅レスだが、東晋に甘いのは皇帝権が弱いのに、ほとんど分裂せずに、北方の軍人皇帝の攻撃を退け、
時には攻勢までかけたからな。
加点が臣下にいってしまう。桓温は高いような気もするが、苻堅より上にして異論があったこともなかった。


852 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/09(土) 20:08:08.89 .net
で、せっかくだから、少し続けるか。
司馬睿、司馬紹、靳準を追加だが、余りにも地味なので袁紹と荀ケもいれる。

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 王猛 慕容皝 慕容恪 張賓
下位:姚興 謝安 李雄 司馬懿 苻健 袁紹 司馬昭 赫連勃勃 荀ケ 慕容儁 陶侃 劉義隆 曹丕 祖逖 司馬紹 司馬師 謝玄
微妙:賈南風 司馬睿 劉聡 曹叡 呂光 姚萇 姚襄 沮渠蒙遜 冉閔 曹嶷 謝艾 桓玄 劉牢之 靳準

853 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/09(土) 20:09:41.56 .net
司馬睿の実績は南朝の祖である東晋の初代皇帝になったことと、王導とともに江南政権を維持したことで評価。
しかし、王導の手を離れてからは、皇帝権の確立に失敗し、王敦の乱になすすべもなかった点は減点。
とりあえず、東晋は皇帝権はなくとも、王朝を保ったので、威光はそれなりに評価する。
皇帝になったのは、別に初代って意味でもなかったし、後継者に末子の司馬cにしようとしたりでこれも減点。
結局、微妙。賈南風の下で評価。

司馬紹は、皇帝期間が3年と短いが、王敦の乱を鎮圧するという実績があるのと、王導を取り込み、
郗鑒、庾亮、温嶠などをうまく使っている。
死後は、東晋の皇帝権が栄光を取り戻すという威光がなかったが、同時に存続もした点を考慮し、下位、祖逖の下で評価

靳準も一応、影響力を考えるとここに入る資格はあるとしてよいのかな? 
とりあえず、漢の政権を握ったことと、乗っ取りに成功し、漢を崩壊させて、分裂させる要因を作ったということで。
軍事的な実績もないので、微妙のドベに評価。

854 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/09(土) 20:11:12.77 .net
袁紹は、基盤がそれなりとはいえ、冀州の一郡から四州をとった軍事実績と指揮力、高い内政、北方民族や劉表との外交と高い能力を持つ。
官渡では敗北したとはいえ、攻めさせていない。(もっとも、あれだけ人材を失って大敗でないわけないが)
ただ、後継者問題の失敗が大きく、袁氏が滅亡の原因となったのは減点。
姚興に似た感じだが、活躍時期が短いので、下位の苻健の下に評価。

荀ケは、王猛、張賓と比べ、主君が依存度は低い。最期は漢王朝内における曹操との政治闘争に敗北したと解釈してよいのか。
北方を制した魏の創立と漢王朝の存続に大きな影響を与えた評価。
謝安に似ているが、桓温を抑えた差と、目的を達したか不明なので、赫連勃勃の下ぐらいの位置で評価。


855 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/10(日) 10:43:35.81 .net
>>851
>石勒>皇族が乱を治め
乱を起こしたのはその皇族じゃないか。
そして乱を成功させて基盤をそのまま受け継いだのは石虎の手柄だろう。
なぜそれをもって石勒を(劉聡に比べて相対的に)評価する基準とするのか分からないな。

>劉聡>皇族皆殺しの上、(他一族に)乗っ取られる。
だからそれは劉聡じゃなくて劉粲だって。
劉粲はキャリア十分の大人だよ。
クーデター起こされたのは自分の責任だろう。

俺は石勒のアンチなんかじゃないし、
石虎に息子と嫁を殺されたからって、それだけを理由に貶める気もない。
ただ、劉聡を低評価する理由に石勒を持ち出すのが意味が分からないだけだよ。

856 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/10(日) 21:08:22.41 .net
>>855
もう一度説明すると、
@直接、選んだ後継者が後を継いだ場合は、後継者の選択・育成能力の判断材料とするために、後継者の能力を英雄判断に含める
K次代以降、後継者への体制づくりを見るため、貢献した勢力の死後の盛衰を英雄判断に含める
(威光とか徳とかを実績評価。完全に切り分けられないので、その盛衰を現世代と大体で折半)

を俺評価に含めると宣言しているし

石勒は@で減点しているし、曹操との比較論でかなりの批判を受けている
あまりやるとスレが荒れるから、石勒派にもそれなりの根拠があると判断し、なんとなく多数決で石勒を上にしている
Aは石虎が体制をそのまま継いで運営しているので、石勒の減点にはならず、これのために、北魏の拓跋珪が一応、首位になっている
@、Aで劉聡はかなり低い

適切・公平かどうかは別にして、その点はぶれはないよ

>ただ、劉聡を低評価する理由に石勒を持ち出すのが意味が分からないだけだよ。
永楽帝の件で朱元璋を低く評価し、胡亥の件で始皇帝の責任がない、納得いかないとあなたが思うなら、ただの見解の相違でいいじゃないか

これはただの俺評価だし

857 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 11:59:20.94 .net
>>855
おっと勉強不足どころか読解力もなかったか


858 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 17:36:46.91 .net
>>856
>Aは石虎が体制をそのまま継いで運営しているので
反乱した地域を石虎は鎮圧してまわってるだろ
鮮やかにクーデターされた場合は先代君主の評価が下がらないとか、不思議すぎる発想だ。

そして俺が問題にしてるのは評価の基準だけでなく、あなたの認識もだよ。
石虎が乱を起こしたにも関わらず、「皇族が乱を治めた」とはどういうことか。
まして石虎は傍系で、そのクーデターは兄弟の家督争いのようなものではない。
永楽帝や胡亥とは全然違うだろう。

859 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 19:55:45.25 .net
>>857
故意か本当に理解できないのか、分からないが、

>まして石虎は傍系で、そのクーデターは兄弟の家督争いのようなものではない。
>永楽帝や胡亥とは全然違うだろう。

これで、どちらにせよ無理と判明したわ
>>849で大体、分かっていたが。変なコピペだの曹操閣下だのいうレスもあるし、もういいだろう

永楽帝のどこが兄弟の家督争いのようなものなのか、石虎が石勒の義弟であったことも知らないのか
永楽帝に比べれば、石虎の方がはるかに正統性はあるわ

永楽帝と石虎の功績と威名の差も知らず、朱元璋は良くて、石勒は許せないらしい

860 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 20:03:57.35 .net
で、これでは、後味が悪いので、流れを変えるために
あまり出す気はなかったが、続き
趣向を変えて、住民反乱者・張角、孫恩、盧循を追加

上位:拓跋珪 石勒 曹操 劉裕 劉淵 桓温 苻堅 拓跋Z
中位:慕容垂 劉曜 拓跋嗣 石虎 司馬炎 王導 王猛 慕容皝 慕容恪 張賓 張角
下位:姚興 謝安 李雄 司馬懿 苻健 袁紹 司馬昭 赫連勃勃 荀ケ 慕容儁 陶侃 劉義隆 曹丕 祖逖 司馬紹 司馬師 孫恩 謝玄
微妙:賈南風 司馬睿 劉聡 曹叡 呂光 盧循 姚萇 姚襄 沮渠蒙遜 冉閔 曹嶷 謝艾 桓玄 劉牢之 靳準

861 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 20:05:59.91 .net
張角は、道教を基盤とした教団をつくった組織力と、まず統一王朝の打倒を目指した点を英雄として評価。
劉淵に近い。決起するのが速すぎた戦略ミスと、後世への影響力の疑問が減点。
魏に黄巾を代表する大きな発言力を持つものはいなかったようだ。
ここでは、歴史的革新と基盤がほとんどなかった点で、様々な減点があった上で、中位の末席とする。

孫恩は、基盤は孫泰から継いでいるが、孫泰は刑死し、王朝の力を借りず、
短期間に住民反乱を数十万人集めた組織力は大いに評価できる。軍事実績としては、東晋司令官の謝琰を戦死させている。
しかし北府軍には手も足もでず、反乱後、数年で失敗している。
ただし、組織は盧循に引き継がれ、威光はある程度あったとみなし、下位、司馬師の下とする。

盧循は、解体しかけた孫恩の組織を引き継ぎ、劉裕のために敗北するが、海路から広州を占領したり、
反乱後、劉裕の武将たちを撃破するという組織力と軍事実績があり、評価する。
また、7年広州を大過なく治める実績もある。
相手が劉裕とはいえ、勢力が滅亡したことを減点し、微妙、呂光の下に評価する。


862 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/11(月) 23:25:39.82 .net
>>859
>永楽帝に比べれば、石虎の方がはるかに正統性はあるわ
帝の直系の永楽帝に比して石虎の方が正統性あるとか、冗談はやめなよ

>朱元璋は良くて、石勒は許せないらしい
話を逸らすのはやめてくれよ。
そりゃあ、血を引いていない石虎に息子と嫁を殺された石勒の方がみっともないのは事実だけどさ。
それは議論の本筋じゃないね。俺は朱元璋ではなく、石勒と劉聡の話をしているのだから。
その石勒の大失敗の後継人事を持ち出して劉聡を貶めるのが、論理的におかしいと批判している。
石虎が謀反の張本人であるのに、そのクーデターが成功したことを
「皇族が乱を治めた」とプラスに評価するとか、明らかにおかしいのに、それについても間違いを認めない。
>>817の「劉聡は劉淵の基盤を継いだのに、外を石勒、中を靳準に奪い取られてる上に」とか、
間違った認識が多いよね。

自説垂れ流したいだけで、間違いの指摘も受け付けないなら、チラシの裏に書けばいいと思うよ。

863 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 00:56:02.93 .net
>そりゃあ、血を引いていない石虎に息子と嫁を殺された石勒の方がみっともないのは事実だけどさ。

結局、それがいいたいだけか
石勒アンチ

百歩譲って、自分の意見が正しいと思っても
>ただの見解の相違でいいじゃないか
と言っている相手に、自分が間違っている可能性を考えず、ソースも出さず間違っているを連呼し、
『チラシの裏に書けばいいと思うよ。』と煽るのは、非コミュの証

もう、アンチと見なしたから好きなように吠えるといいと思うよ

864 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 01:05:49.22 .net
1700年も昔の外国人に対してアンチもプロもあるものかよ
そういう発想をすること自体が、おかしな人間だと思えてしまうね

>自分が間違っている可能性を考えず、ソースも出さず間違っているを連呼し
そりゃ、こちらが指摘している部分に答えないんだからね

「劉聡は劉淵の基盤を継いだのに、外を石勒、中を靳準に奪い取られてる上に」
これについては、根拠となるものを是非提示してもらいたいな

865 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 05:32:46.60 .net
>>864
晋書に記述あるけど(劉聡載記)
「(前略)石勒は趙魏に、曹巍は全斉に割拠しようと企んでいる(後略)」
(だから劉聡様、しっかりしてください!佞臣(靳準・王沈)たちを遠ざけてください!)
と臣下(王延)たちが諌める場面で使われている表現

すでに、漢趙の朝廷では関東が独立路線で動いているってのは共通認識だったという話
つーか、劉聡載記の大半は、臣下たちが諌めているエピソードばっかだな

866 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 08:27:30.92 .net
>>865
もう、答える気はなかったが、
代わりに答えてくれてすまんね

だが、相手はただのアンチで立証責任を押しつけて、ただ時間を空費させようと考えている可能性は高い

論調も故意による誤解か、読解力がないのをなんとか石勒を貶めたいという結論から都合いい方に考えているだけ

永楽帝の件を本筋でないの一言で完全スルーしたり、朱元璋の評価が歴史的に大きく下がっていないこととの兼ね合いと
ただの石勒の俺評価に問題に矮小化している
劉聡の評価を訴えるが、劉聡載記も読んでおらず、石勒を下げることだけが目的だろう

そのことは理解しておいた方がいい

867 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 11:28:51.20 .net
>>866
大丈夫、一応ひととおりの本を読んでる人はわかってるから安心しろ



868 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 15:22:00.98 .net
>>865
お前、自分で晋書読んでないだろ
「曹巍 全斉」でググると61件しか出て来ないわけだが、どのサイトでお勉強したんだ?

もともと石勒と曹嶷は前趙(漢)から官位を受けていたものの、
自分たちの力で領土を広げており、前趙の実効支配を最初から許してないだろ
前趙から派遣された役人がいたか?
だから「切り取られた」などという表現は明らかに誤った認識。
そして、石勒は劉聡存命時に反旗を翻したか?
それと、靳準が中を切り取るって根拠はやっぱりないわな

>>866
石虎が石勒の血を引いていないのに、永楽帝と一緒くたにしたことに対する弁解はしないのか
そりゃあ出来ないようなぁ、支離滅裂だもの

869 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 17:37:04.61 .net
>>868
さらに意味不明
支離滅裂なのはお前だろ
そりゃ従子だ、血は引けないな
でも義弟だからな
いいから勉強しろや

870 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 17:56:28.83 .net
都合の悪い質問に答えられないなら黙って逃げれば?

義弟だから何だって?
嫡孫をさしおいて次子を後継に指名することと、
嫡子をさしおいて義弟を後継に指名することでは全然違うわな

勉強するべきは「曹巍」とか書いたり、
石勒の離反を警戒せよとする諫言をもって「石勒に外を切り取られた」とか妄想する人間だろ。

871 :865:2012/06/12(火) 19:06:12.08 .net
>>868
メンゴ、メンゴ
曹巍じゃなくて曹嶷なんだっけか?
石虎のかませ犬過ぎて、名前はうろ覚えでした
訂正サンクス

でも、307年から311年の石勒の河南における作戦軸は
劉聡の指揮下で動いている事実は否定できないでしょ
石勒がエスパーで、策源も持っていないのに兵糧を魔法のように生み出したり
何の連携もとってない劉聡と合同で作戦を展開したりとかってあり得んでしょ
攻城戦を数多くこなしているけど、略奪しかできない石勒に
兵站上の支援が存在しないと仮定するならば、不可能な話になるんだよね
(軍隊というのは移動しながらであれば、方々で略奪をしながら何とか食いつなぐことが
できるけど、一か所にとどまってしまうと、一大消費地と化してしまい、ひたすら
糧秣を食らいつくす、国家が抱えている軍隊であれば、最大の財政負担となり得る
ことも往々にしてあった)

少なくとも有形無形の庇護を受けながら、関東に割拠しようと目論んだ石勒を
陳元達は「最近、石勒・曹嶷は疎遠となり貢納も漸減してきている」とした
(資治通鑑 第88巻 懐帝建興元年(313年)3月)
つまり、関東を経略していた石勒たちは漢趙に貢納する義務を有していた
(まあ、傘下だから上にいろいろ納めんといかんわな)
307年(石勒が漢に帰順した年)、309年(飛龍山の戦い)と勢力がボロボロの
石勒を養い続けたのは他ならぬ漢趙なのに、何で石勒独力での関東経略って判断を
下しているのか理解できんよ

これが王彌だったらまた別の話なんだけどねえ

とりあえず、「曹嶷」って字は勉強しますわ

872 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 19:59:57.86 .net
>>870
なんだよ
血が云々って言ったから答えたのに後継指名の話にすりかわったわ
いいから勉強しろ

873 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 20:29:55.77 .net
>>865
>石勒がエスパーで、策源も持っていないのに兵糧を魔法のように生み出したり
うん、兵糧を魔法のように生み出せていないよね。糧秣不足に苦しんでいる。
一度は制圧した河南や漢水一帯、豫州も手放している。
というか、あの縦横無尽の行軍に対して、わずかな領土の前趙が兵站私支援できると思ってるとか、ファンタジーだよね。

>兵站上の支援が存在しないと仮定するならば、不可能な話になるんだよね
支援を受けてたことを示す史料はない、根拠は「俺の推察」ってことかい?

>これが王彌だったらまた別の話なんだけどねえ
王彌は洛陽で敗北して平陽に逃げて帰順。
楽平の異民族を引き入れて戦力とした石勒とは確かに違うね。
「石勒は前趙の指揮下だけど、王彌はそれとは違う」と主張したいの?
いちいち認識がおかしすぎるよ。

で、「外を石勒、中を靳準に奪い取られてる上に」
これの説明を逃げずにして欲しいんだけど。

>>872
だからさ、義弟だからなんだって聞いてるんだよ。
義弟なら実子並みに皇位継承の資格があるとでも思ってるのか?

874 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 21:56:03.27 .net
話を変えるとして、
しかし、劉聡ってなんであんな暴君になったの?
皇子時代と全然、違う

また、なんで役人を派遣して、軍権を握ろうとしなかったの?
石勒たちとの衝突を怖れていたのかな?

875 :865:2012/06/12(火) 22:38:04.04 .net
>>873
俺が話題に上げたのは、307年〜311年の河朔正面での攻城戦なんだが
江漢正面は、石勒の裏庭造成計画の一部だな、駄々滑りしたけど

俺の主張は
「攻城戦では野戦以上の物資が必要」(まあ、軍事業界の常識だわな)
「長期滞陣すればするほど兵站は疲弊、財政は枯渇する」
「石勒の兵站が略奪に依存している場合、作戦軸は肥沃な地域への展開・経路に限定される」
(実際は、そのような制約は受けていない。この制約を受けるのは、王彌暗殺後、逃げるように
転進した江漢戦線以降の話、たしかに傍から見たら「縦横無尽の行軍」だけど、実際は
物資を求めての逃避行以外の何ものでもない)
「石勒は劉聡の指揮下にあり、劉聡の作戦を容易化するために行動している」
(この部分が一番重要なんだが、壺関攻略は劉聡指揮下で参戦しているし、その後の魏郡一帯の
制圧は劉淵の命令で実行している、倉垣における晋兗州刺史の討滅も劉聡の作戦正面内、
洛陽攻略は劉曜・王彌の露払い、残敵掃蕩がメイン)

つーか、王彌謀殺以前の石勒は見事なまでに劉聡子飼いの一司令官だろ
その後の江漢進出は無計画もいいところ、この時期の石勒を評価している人、初めて見た

876 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 23:02:21.30 .net
>>875
>俺が話題に上げたのは、307年〜311年の河朔正面での攻城戦なんだが

俺は「劉聡は外を石勒に奪われた」という妄言を批判しているんだが。
そちらの説に拠れば、王彌殺害した石勒は南方に逃走、以後は独立的に行動、
では「劉聡が石勒に奪われた」のはどの土地だという話になるんだけど。

>その後の江漢進出は無計画もいいところ、この時期の石勒を評価している人、初めて見た
評価してないけど、なにを勘違いしてるの?

877 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/12(火) 23:55:41.90 .net
>>876
石勒は313年に襄国で独立勢力になった。
載記の冒頭に書いてあるだろ、この時に東方は実質的に石勒に奪われたのだよ。


878 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 00:04:40.46 .net
>>877
それまでの東方は前趙が支配していたか?
してないだろ

879 :865:2012/06/13(水) 00:25:29.83 .net
>>878
手持ちの川勝義雄先生の魏晋南北朝(講談社学術文庫)だと316年の漢の最大領域に
山東半島(つまり曹嶷の支配領域)まで含まれているんだよなあ
客観的に見れば、やっぱ石勒が関東をまんまと切り取ったって認識は正しいと思う
(明確な時期は決定しづらい話ではあるが)

逆に、当初(307年)から石勒が実効支配していたという論拠が欲しいわ

880 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 01:00:30.85 .net
>>879
石勒は南進した時点で冀州を捨ててる。
石勒が前趙の配下だとしても、前趙が冀州を捨ててるわけだ。
鄴には劉演が入ってる。前趙は河内を平定できず、冀州に進出していないだろう。
で、石勒は河北に戻ると、鄴攻撃をせずに、郡縣壁壘を攻略して襄國に拠点を置く。

というか、316年の漢の最大領域に山東半島まで含まれているのなら
そもそもいつ石勒は離反したんだということになる。
石勒と前趙の主従関係をどう見るかに意見はあるだろうが
明確に敵対したのは靳準の乱の平定途中だろう。

881 :865:2012/06/13(水) 06:44:20.28 .net
>>880
312年の石勒は河北に帰ったら真っ先に鄴(三臺)の劉演に攻撃仕掛けてますやん
ちゃんと史書読んでますか?

漢が冀州を捨てたというよりは、石勒と一緒に冀州平定に当たっていた趙固と王桑が
物資欠乏により劉琨に降伏してしまい、作戦が頓挫したという方が正しい
この時に趙賓が襄国割拠と「兵糧を集積し、西の平陽に送って、それにより幽・并を
固めましょう。」と進言している
俺は個人的には、并州の劉聡と再度連携して河朔を平定しようという作戦と認識している
その証左に、劉聡は劉曜を長安から平陽に召還し、并州の劉琨攻略に対応させている
劉聡は冀・并・幽の平定をこれっぽっちも諦めていないんだよな

こうして見ると、晋書よりかは通鑑の方が劉聡・石勒の動きがわかりやすい

882 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 13:44:13.79 .net
明確な反乱、独立はキン準の後だろうが、王弥を斬ったあたりからは実質反乱独立だろ
あと義弟云々は何言ってんだ?
血が繋がってないのを反論材料したから答えたのにすり替えるなよ


883 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 16:01:54.92 .net
>>881
>312年の石勒は河北に帰ったら真っ先に鄴(三臺)の劉演に攻撃仕掛けてますやん
遂長驅至鄴。劉演保三台以自固,臨深、牟穆等復帥其眾降於勒。諸將欲攻三台,張賓曰・・・
鄴へ向かうも劉演が守りを固めていた。
部下たちは攻撃を望んだが、「張」賓の進言を容れて、襄國へ向かった。
こっちは通鑑を見て「鄴を攻撃した」という確認が取れなかったから、そう書いたわけ。

>趙固と王桑が物資欠乏により劉琨に降伏してしまい
劉聡から補給受けてたという主張じゃなかったっけ?
趙固と王桑は当初は平陽へ帰還しようとしていたのだから、これは「捨てる」ってことだろ

そもそも、趙固と王桑が石勒と一緒に冀州平定に当たってたって、根拠はなに?
通鑑によれば趙固と王桑は309年に內黃(司州魏郡)に駐屯していたが、310年は河内を攻撃、
311年に徐州刺史の裴盾を撃破。
その後に糧秣が不足し、平陽を目指して河北に渡ったところで劉演を恐れて人質を送る。
とっくに冀州からは離れてる。

>その証左に、劉聡は劉曜を長安から平陽に召還し、并州の劉琨攻略に対応させている
一番の理由は劉曜が長安で敗北したからだろ。
そして并州の劉琨は喉元の匕首なので、対応するのは当たり前。

884 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 20:36:35.62 .net
もはや、何が論点なのか分からない言い争いだな

885 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 21:06:29.31 .net
石勒アンチはとにかく、相手のミス(と自分が思うところ)を
あげつらうだけが目的だからな

886 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/13(水) 21:32:19.70 .net
>>885
劉聡と石勒の評価の差が生じた理由の討論が

いつしか、石勒が東方を切り取った/切り取っていないの論議になり

さらに、石勒が前趙から補給支援を受けていた/受けていないの泥仕合

二人ともよくやるわw

887 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/15(金) 12:33:47.14 .net
>>886
石勒アンチは1人だろうけど、擁護派は少なくとも2人だろ
ランクの人の考え方はどうかと思うことあるけど
どっちにしても劉聡の評価は石勒は超えないね

888 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/15(金) 20:17:54.86 .net
どっちにしても劉聡の評価は石勒は超えないね(キリッ

889 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/16(土) 00:04:32.99 .net
>>888
なんでも自分の意見に合わないものは、論争相手と決めつけてをふっかける
どこかのサイトから意見を継ぎ合わせたか知らないが、結論は無茶苦茶

石勒アンチを相手にすればこうなることは分かっていたことだ

890 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/16(土) 00:27:00.18 .net
煽り耐性ない人たちだなー

891 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/16(土) 00:31:17.81 .net
けっきょく劉聡は石勒に東方を切り取ら
れなかったってことでいいのか?

892 :865:2012/06/16(土) 08:19:06.80 .net
>>891
俺は、「切り取られた」って表現は好かないけどね
石勒が前趙の看板を盾にして、東方を平定した事実をどう受け取るかって話だから
最終的に、石勒の東方の支配権に口出しできなくなった時点で
(石勒から権限をはく奪するかあるいは別正面へ転出させるか等の処置)
「前趙の東方直接支配の可能性は限りなくゼロになってしまった」と
受け取る人間も出てくると思う
でも、最初から石勒にそれだけの権限を委任しているわけだから、(最初が輔漢将軍、平晋王
続いて前鋒都督が加わり、持節、平東大将軍をもらって、これで実質、封建諸侯みたいな
ものになったのかなあ、と勝手に認識)直接支配する気があったのかは不明だな

312年の「西の平陽に兵糧を集積して、襄国か邯鄲に割拠しましょう」という張賓の進言
王彌殺害以降は独立路線に傾いている感が強いけど、この時点だと、実は結構前趙への従属度が
高かったんじゃねーかなあ、と思ったり
でも、平陽から襄国までは、上党経由か、汲郡経由の2経路ぐらいしか主要補給幹線が
確保できなさそうなんだが、離れすぎなんだよなあ
直線距離で200kmぐらいあるし、策源としては微妙……
(自動車化された現代の陸軍なら、200kmはおおむね適正なんだが)
まあ、兵站線が前趙領内にあるから比較的安全だとは思われるが

893 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/17(日) 01:07:28.62 .net
石勒は劉聡から12郡を与えられても10郡を辞退している
劉聡時代は、臣従とまではいかなくても、称藩レベル程度には従属してると言えるだろう
離反したのは劉曜の時代。

894 :無名武将@お腹せっぷく:2012/06/17(日) 05:55:43.25 .net
>>893
明確な反乱独立はね


895 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/22(日) 19:11:31.96 .net
とにかく、論争は終わったのか

石勒アンチはとにかく石勒を下げるのが目的なのはよく分かった

石勒は、「ある特定の理由」により、マイナーな時代なのにアンチがいるからな

このスレの初めにもいたし

とにかく、石勒は下げる気はねーわ。勝手にやっていろ

896 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/22(日) 19:53:53.80 .net
残り100スレ、
石勒と苻堅の比較が残ってると思うが
前涼、前燕、代を併合して河北統一した苻堅は
やはり凄いと思うのだが どうだろう



897 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/22(日) 21:17:40.04 .net
獲得領土で評価すれば苻堅>石勒になる
石勒の身分の低さ、挙兵時の人的・物的資源の乏しさ等々
考慮すべき事項は多々あるが、石勒生前はあれが限界だったろう
石虎のときも何だかんだで、あんまり領土広げられなかったし
苻堅は、後趙を苦しめた鮮卑慕容部を滅亡させている点から
考えてみても、かなりの傑物だったことは否定できない

ただ、最後に大ポカしたのをどう評価するかだな
ここが評価の分水嶺か

898 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/22(日) 22:05:03.45 .net
苻堅が統一した中国を見てみたかった・・・


899 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/23(月) 22:56:41.86 .net
ここの石勒アンチの意見

靳準にクーデタ起こされたのが、劉粲の全責任というのなら、
石虎にクーデタ起こされたのは、石弘の全責任にならないのがおかしい

石弘はすでに成人していたしなw

あまりにも基本的なロジック過ぎて、逆に完全に見落としていたわw

真性のアンチか、よほど頭が悪いんだろう

900 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/23(月) 23:48:54.99 .net
>>899
>靳準にクーデタ起こされたのが、劉粲の全責任というのなら、
>石虎にクーデタ起こされたのは、石弘の全責任にならないのがおかしい

クーデターを起こされたのは劉粲なのに、それを劉聡の責任にしてるのは石勒信者だろうにw

901 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/24(火) 00:31:33.59 .net
まだ、いたのか
本当に読解力が欠片もないんだな
どこにもマンセーといえるほどの意見はないのに、信者って言い方でアンチ確定だな

お前の宇宙理論につきあってやる気はないんで、どこかで吠えてろ

902 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/24(火) 16:31:44.85 .net
最初にアンチだの何だの言いだしたのはそっちだろw
劉聡信者ならまだしも、石勒アンチとか言い出すのは妄想が激しすぎるね
劉聡の存命中の失政をもって低く評価するなら分かるが
劉粲の失敗まで劉聡の責任にするふざけた理論を批判したまで。
後継者がまもなく死亡したのは石勒と同じであるし、
石勒に東方を切り取られた、などという事実もなかった。

903 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/24(火) 23:08:36.09 .net
苻堅が統一して、死後に秦が解体した場合、
(ただし、苻宏の代で地方政権に脱落し、数代で滅びたとする)

苻堅の評価は、始皇帝、劉邦、劉秀、楊堅、李淵、李世民、趙匡胤を上回っただろうか?

904 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/29(日) 16:10:00.98 .net
劉聡って結局、焦っていたのかな

兄の劉恭・劉和を殺して無理矢理、皇帝の地位についたようだが、手足となる兄弟はほとんどおらず、
息子の劉粲も出来はよくなく、戦も負けばかりだったし。相当に基盤が弱かったと思える。
遠縁の劉曜を使うしかなくなっていたようだし。

天下取りに劉邦を手本としていたようだが。実際は劉邦と違い、敵の都を陥落させて、
敵の皇帝を捕らえても、天下は自分のものにならなかった。
多分、計画では各地の降伏した土地は劉氏直轄になるだろうから、石勒や王弥に多少土地をとられても問題なく、
必要ならそれから粛清もできると思っていたのだろう。
でも、それが完全に外れてしまった。

石勒、王弥らは統制がとれず、石勒が王弥を殺しても、曹嶷が自立の動きを見せても、とがめることはできなかった

で、長安を落とせば、各地も降伏するだろうと思っていたら、なんとか落とせたが、今度は劉曜まで統制がとれなくなった。
さらに、各地の晋勢力も降伏する気配もないし、石勒も自立の動きを強めている。
で、絶望して破れかぶれになって、酒と女に溺れてしまったといったところか

905 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/29(日) 18:20:40.36 .net
天下取りなんて興味ないから酒と女に溺れたんじゃないの?

906 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/30(月) 14:19:40.68 .net
このスレで言う英雄って善悪関係無いのな。
そうじゃ無く、
英雄にしても超えちゃいけないラインっていうのはあると思うが。

907 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 05:10:40.61 .net
善悪って、結局語る人間の主観だからなぁ
盗まないと生きていけない環境の人間と、
衣食住に困らない環境の人間では善悪のラインが
相当違うんじゃないの?
ここまでグチャグチャな乱世を、現代日本の価値観で
割り切ろうとするのは無理があるでしょ

908 :無名武将@お腹せっぷく:2012/07/31(火) 21:34:47.28 .net
>>904
王弥殺害時をどう捉えるかだよね
石勒の独立なのか?あくまで内部抗争なのか?

909 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/01(水) 23:15:21.63 .net
>>908
王弥は石勒を殺して勢力を吸収して独立するつもりだったし
石勒も劉聡に王弥の行動を非難して自分の正当性を訴えている



910 :904:2012/08/01(水) 23:37:01.19 .net
>>908
俺の考えだと、劉聡は洛陽を落として晋の皇帝を捕まえれば、各地が降伏すると考えていた。
確かに、司馬乂を除く晋の八王の体たらくを見ていたら、
晋を倒せば、晋の官僚、豪族や民衆から喜んで支持されると読んでいてもおかしくない。

 それで、洛陽を落としたが、各地は降伏しない。
雪崩現象を引き起こそうとしたのか、勢力拡大か、石勒が苟晞を捕らえても、各地は動かない。
この時点で、教養人で晋人と仲良くしていた劉聡と違い、生粋の晋人の王弥と胡人奴隷出身の石勒は現実に気づいたと思う。
そこで、後漢末のような群雄割拠の時代に備えようと互いに自立の動きをはかっていたら、石勒が機先を制してしまった。

 ここで、劉聡の官位剥奪や召還などすれば、石勒は独立するつもりだったのだろう。
劉曜を呼び返せば、対抗はできるが、天下取りはあきらめることになる。
王弥には、劉曜と揉めた経歴と独立の動きがあったため、石勒をなだめることにした。
しかし、このため漢の権威は墜ち、曹嶷は頼るわけにもいかず、自立をさぐることになったと思う。
石勒としては、独立するほどの権威はなく、劉曜と戦えば、曹嶷に挟み撃たれるので、臣従を続けることになったと考える。

 独立運動か内部抗争かと問われると、どちらかといえば内部抗争だと思う

どちらにせよ、長安を落として各地の土地が降伏しなかった時点で、劉聡は詰んでいる
このまま、少しづつ領土を奪い、曹魏程度の版図になれたとしても、
実質ほとんどが石勒か劉曜のもので、劉聡は東周みたいな存在になるだけ
そりゃ、絶望するわ

911 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/02(木) 10:01:37.28 .net
>俺の考えだと、劉聡は洛陽を落として晋の皇帝を捕まえれば、各地が降伏すると考えていた。
それはないと思うな。
曹操が皇帝を押さえても気にせず蜀と呉が戦っていたんだから。
むしろ、劉備や孫権になったつもりで劉淵も独立したわけだし。
それに、司馬潁も張方も王浚も、帝を奉じた軍に攻撃を仕掛けてるわけで
皇帝が人質に取られたから降伏するような連中などいない状況になって久しかった。

912 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/02(木) 10:02:40.23 .net
あと細かいことだけど、石勒は奴隷となった時期はあるけど
胡人奴隷「出身」と書くのはちょっと違うんじゃないか?

913 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/02(木) 20:02:45.27 .net
石勒は部族長の息子だし、西晋の豪族の援助を受けたりしてる
異常気象で部族が崩壊しなければ、ずっと西晋の支持者だったんじゃないかな



914 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/03(金) 23:33:18.44 .net
>>911
いやいや、あくまで劉淵の目標は、本人の言うとおり、劉邦や曹操であり、一地方に割拠する群雄ではなかったと思うよ。
それなら、皇帝を名乗って、わざわざ袁術になるリスクを冒すわけがない。

また、劉淵・劉聡のビジョンが群雄割拠なら、あそこまで洛陽や長安にこだわる必要はない。
足もとのヘイ州の劉コンが片づいていない状況では、リスクが高すぎる。
おかげで劉淵・劉聡は自ら動けない状況になっている。戦略的におかしい。
占領地に積極的に占領軍や役人を派遣した形跡もない。抑制もきかないぐらい石勒、王弥、劉曜に兵権を与えすぎている。
やはり、秦、楚、新討伐シナリオの再現をねらったと思う。

劉淵や劉聡の分析は、
「後漢や晋が群雄割拠になったのは、むしろ帝を奉じたから。傀儡と化した皇帝を擁しても、権威はついてこない。
これはむしろ劉邦のように、新しい王朝を立ち上げ、易姓革命にすれば、流れがこちらにくれば、一気に天下を手にいれることができる。
だから、あえて王朝名を『漢』とする」だったのじゃんないかな?

もっとも、胡人の王朝に権威はなく、降伏するものはほとんどいなかったってことじゃないかな?


915 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 00:26:40.57 .net
>いやいや、あくまで劉淵の目標は、本人の言うとおり、劉邦や曹操であり、一地方に割拠する群雄ではなかったと思うよ。
そうじゃなくて、三国時代を経てるのだから、
皇帝捕まえたからって晋の地方長官が降伏するなんて甘い見通し立てないだろうってことだよ。
晋だと、特に4世紀に入ってからは、中央のコントロールが利かなくなってり、
司馬越台頭後は特に州牧・都督同士の争いが激しい。

それと劉琨とは継続して戦っており、単に勝てていないだけ。
平陽に遷ってるから足元でもないし、洛陽以外にも東方にも遣兵しているよ。

916 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 10:16:53.77 .net
>司馬乂
ああ、有力な士大夫の支持も取り付けられず、自分の勢力圏を構築する手腕も持ち合わせず、
最後は泣き叫びながら焚き殺されるという、八王で一番無様な死にっぷりを晒した人か…。

917 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 11:31:51.60 .net
なぜ唐突に司馬乂が出てきたのか分からんが…
「冤痛之聲」が泣き叫ぶって意味だと思ってるのか?

劣勢の中、勝利を重ね、もう少しのところまで行ったのに、
弱気になったアホの裏切りで失敗しただけだろ。
孫秀や張方がのさばる時代に「有力な士大夫の支持」とか意味わからんし
司馬冏を破った手腕とか素晴らしすぎるだろ
勢力圏構築も何も、当時は張昌と李特の乱でそれどころではないし、
それでも適切な人事を行ってこれに対応している。
劉沈も司馬乂に応じて挙兵し、司馬顒をあと少しのところまで追いつめている。
どう考えても八王の中では優秀だろうよ。

918 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 18:52:16.74 .net
>>915
三国時代だって、呉蜀は都を落とされ、皇帝を捕らえられたら、時間の差はあれど全て降伏している。
劉淵・劉聡が、時代の変化によるものではなく、
方法の問題だと分析したと想像してもそれほどおかしくないと思うのだが。
その解釈だと、あの洛陽・長安への長駆作戦がよく分からなくなるし。
はじめから群雄割拠ありきなら、そこまで拘る必要もない。


919 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 18:54:09.73 .net
>>916-917
『司馬乂』って言葉にそんなにひっかかるとは。
八王、唯一の英傑と思っていたが、アンチまでいるんだな。
司馬乂は、誅殺された司馬イの同母弟だから、大きな勢力圏など持てる余裕はなかったのだが。
本当は八王の中に入るほどの勢力はなかったのに、自身の才覚と少数の精鋭のみで渡り合うほどなのに。
28歳にして、少数で司馬冏を撃ち、圧倒的な司馬潁・司馬顒の連合を逆に追いつめるとは驚異的。
皇帝権力に執着しないという判断も、他の八王よりはるかに高位。
洛陽で数年前から大官を歴任していた司馬越に土壇場で裏切られたからといって、
同じ臣下で一族である以上、それほど責められる問題ではないのだが。
嵇紹や羊玄之なんかも、司馬乂を支持していたみたいだし。

920 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 21:40:20.20 .net
でも本当の英傑なら、どんな境遇であれ大きな勢力圏を持つんじゃないかな(^^;

アンチまでいるんだなってビックリしてるけど、ちょっとつつかれただけで
アンチだアンチだって喚き出す信者がいるのもビックリだよ
へーそんな大物だったのか〜、みたいな感じ?

と言うか、八王って要は「国を滅ぼす原因になった馬鹿八名」でしょ?
司馬乂を長文で誉めまくるのはいいけどさぁ、でもその頑張りが国を滅ぼす
原因の一つになったって考えると、色々と疑問が湧くよね
「それって、無能な働き者と何が違うの?」って

つか、単に「若くて爽やかな天才」像に無理矢理当てはめてるだけじゃないの?
若い!しかも皇族!きっとハンサムな天才様だったに違いないキャーみたいな感じで(^^;

921 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 23:16:00.50 .net
司馬乂は権力闘争をいい加減止めようとして司馬潁に相当に
気を使って政治をしてたのに司馬顒にあおられて司馬潁は挙兵した
結果から見れば西晋を長く保たせる最後の機会が失われたんだよ



922 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/04(土) 23:19:41.54 .net
つか、司馬の家族は暗殺が大杉


923 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/06(月) 12:18:47.78 .net
司馬乂はどうでもいいや

924 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/16(木) 09:57:30.44 .net
7/1.    京都 1−1 岡山         8/1.  ○阪神 3−2 ヤクルト●
7/11 ●阪神 1−2 中日○       8/2.  ●阪神 0−5 ヤクルト○
7/12 ○阪神 4−1 中日●       8/3.  ○広島 4−3 阪神●
7/13   阪神 中 止 ヤクルト         8/5.  ○京都 3−1 鳥取●
7/15 ●阪神 2−5 ヤクルト○       8/10 ●阪神 0−3 広島○
7/18   阪神 2−2 巨人         8/12   阪神  −  広島
7/22 ○京都 2−1 愛媛●       8/17   ヤクルト  −  阪神
7/26 ○中日 4−1 阪神●       8/19   京都  −  横浜
7/27 ●阪神 1−5 DeNA○       8/22   京都  −  松本
7/29 ○阪神 9−2 DeNA●       8/23   阪神  −  中日
                              8/30   DeNA  −  阪神
                              8/31   阪神  −  広島

1番上本、2番俊介、4番新井良と8月とうとう若手育成体制に入る和田阪神。
先発岩田は初回いきなり連打され四球を出す一死満塁の危機、なお藤井彰が
捕逸で難なく広島に先制点を与えてしまい開始早々しらけかえる京セラドーム。
3回も一死二塁、広島エルドレッドに右越え4号2ランの一発を被弾した岩田は
自ら中前打を放って反撃を試みるが、後続は広島大竹に打ち取られて逸機。
5回6安打3失点で降板する。しかし、その代打今成が左前安、上本も左翼線
二塁打で続いて無死二三塁の絶好機を築くが、俊介は空振三振、鳥谷も遊飛、
新井良が中飛に倒れてまた何も起こらず無得点で終了。終盤は広島の継投に
凌がれ、9回ミコライオに三凡で締められる15試合目の完封負けを喫した。
阪神は今季2回目の7連敗で借金18に膨らむ10年ぶり暗黒ロード驀進中。

925 :無名武将@お腹せっぷく:2012/08/28(火) 09:18:05.07 .net
阪神はもっとどうでもいいや

926 :無名武将@お腹せっぷく:2012/09/15(土) 09:17:12.73 .net
苻堅のいった五胡の次序に、汝キョウの名はないってどんな意味だったんだろ?

927 :無名武将@お腹せっぷく:2012/09/15(土) 23:02:19.63 .net
>>926
怪しい預言書が有ったんだろ、支配者の順番を書いたのが
石勒は自分に相当するものが無いのを気にしてたし
石虎はワザワザ鄴への遷都をして預言書に合わせている

928 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/15(金) 22:53:37.10 .net
がんがんいこうぜ

929 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/15(金) 23:28:37.57 .net
>>10
初めての女>手>美女のフェラ>美女マンコ>ブスフェラ>ブスマンコだ
ゆめゆめ忘れるな 

930 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/22(金) 10:35:18.49 .net
正直過大評価だろ

931 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/22(金) 19:55:14.24 .net
>>930
中国本国だと階級闘争史観の体現者として評価するか
苛烈な民族紛争、異文化間闘争の勝者として評価するかで
評価の仕方がいろいろ存在しているけど、おおむね好意的な評価

日本国内にはまともな研究論文が存在しないし、評価すらされていない状況
全般的に、「奴隷出身の成り上がり」以上でも以下でもないって感じで
一部の支持者?を除けば「誰それ」状態
石勒支持者ぐらいしか話題に出さないんだから、たしかに過大評価に
感じるだろうな

もし、苻堅について触れているんだったらスマン
俺も過大評価だとは思うわ

932 :無名武将@お腹せっぷく:2013/03/27(水) 11:48:38.48 .net
>>920
同意
いきなり石勒アンチとか言ったり意地でも曹操より石勒を上にしたりして
なにかと戦ってる人なんかと思った

933 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/01(月) 01:56:39.10 .net
920馬鹿すぎワロタw
932は皮肉だよね?

934 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/02(火) 13:53:40.08 .net
>>933
アスペなのはお前のほう

935 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/02(火) 17:35:13.31 .net
>>930
曹操も石勒も
中国史によくいる乱世の群雄の一人ぐらいの評価で落ち着けと思う

936 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/28(日) 19:54:31.38 .net
半年ぶりぐらいに、>>932>>934の病人が復活していて、ワロタw
>>920は司馬乂アンチって話なのに、
いきなり石勒アンチや、意地でも曹操より石勒を上といったり、
アスペとか言われてもいないのに持ち出したり
それほど、前のレスで石勒アンチと言われたのと、ここで石勒の方が上になったのが悔しかったのか
時間差の自演か、同類がいたのでうれしくてファビョったのかw

>>935
上の表を見ても、トップになれていないし、ここではそれと大して変わらない評価だろw
楊堅と比べるとはっきり格下と言われているし

937 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/06(月) 12:24:38.31 .net
北魏に存在自体が無かった事にされた石勒は惨めすぎる。

938 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 20:34:07.11 .net
後世に蜀漢正統論により大衆から逆賊とされた曹操哀れすぎる

939 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 03:16:17.54 .net
鸚鵡返しは敗北宣言と同義だと知らないらしい

940 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 19:16:03.40 .net
ああ、いつも必死で曹操を持ち上げようとしてる馬鹿の事ですね
確かにあいつは言葉に窮したら論旨滅茶苦茶な鸚鵡返し初めて発狂しだすのがデフォだから
そんな馬鹿丸出しに崇められてる曹操も哀れすぎるってところですな

941 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/18(火) 22:47:25.96 .net
苻堅は特殊すぎる。世に出るのが1000年早かった。

942 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/22(土) 06:56:15.18 .net
苻堅はロマン

943 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/22(土) 12:04:24.39 .net
苻堅英主説は誰が言いだしたんだろ?

まともな政治をやったという意味なら、後半の石勒とか李雄とかの方が上だと思うんだが
苻堅はむしろ性に放埓だった点、賞罰が恣意的だった点で暴君一歩手前の危うさを感じるわ

944 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/27(木) 19:47:21.44 .net
男に手を出すのはどう考えてもまずいよ

945 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN .net
苻堅+王猛が最強コンビなのであって、苻堅オンリーだとただのボンクラ

946 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/04(木) NY:AN:NY.AN .net
陳元達「無益な宮殿を造築されるとは何事ですか!」

劉聡「この薄汚ねえシンデレラが!」

947 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN .net
小池栄子の様子を注意して見ていたが、とことん海老蔵を
無視していた。まるで「どんなにいい男ぶってかっこつけても
私はまったくあなたには興味がありませんよ!」ってオーラを
出しまくっていた。
海老蔵はときどき栄子を盗み見していたがww

948 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN .net
三国志から五胡南北朝までの皇帝だと曹操石勒より
劉裕が一番強いと思うけどな

ヒスイがなかったと想定した苻堅が劉裕の次くらいで

949 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN .net
俺はクーデターで政権を簒奪した武将は基本的に評価できないな。
異民族系の北朝と中華民族系の南朝で文化が違うんだろうな。

北朝系の皇帝は先に独立して国を作ってから敵対国を正面から打ち砕いて滅ぼすのに対し
魏晋南朝系はクーデターを起こした後、前の皇帝から禅譲を受けるパターンがほとんど。

950 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/06(火) NY:AN:NY.AN .net
群雄から身を起こして皇帝に上り詰めた石勒・曹操とちがって
劉裕は職業軍人の中から出世して軍閥のボスに、そして禅譲だから
ちょっと毛色違ったかな

951 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/01(日) 13:22:43.45 .net
>>948
最後の敗北込みで冉閔最強だと思います
相手が慕容恪でなかったら下手したら勝ってたかもしれないし
(と言うか直前までは押せ押せムードで優勢だった)

桓温と違って劉裕は相手に恵まれているような気がする
桓温が後趙崩壊後に北伐を許可されていた場合、劉裕以上の快進撃していた可能性が高い

952 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/01(日) 22:53:01.94 .net
>>950
劉裕はものすごい成り上がり感がある
ただ反乱に参加してた一兵卒なのに出世しすぎぃ!

953 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/01(日) 23:10:58.54 .net
>>952
反乱当時は中堅将校
でも上級将校は軒並み粛清されているから、上司に西府軍系の連中が来ても
軍の実務者として重用せざるを得ないよね>>劉裕

個人武勇だけは本当に怪物だと思う、三國無双みたいなゲームをリアルにやっちゃうところとか
普通、指揮官単独で敵陣に突っ込まねえよ

954 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/02(月) 00:38:32.44 .net
士気を上げるためっていうのうがあったんじゃね?
キ○ガイだった可能性もあるけど

955 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/02(月) 00:51:52.96 .net
部下死んでるから志気も何も‥‥ The 脳筋

956 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/28(木) 22:07:03.19 .net
赫連勃勃みたいな優秀な暴君て民にとっては迷惑だろうな

957 :無名武将@お腹せっぷく:2013/12/24(火) 14:54:28.16 .net
石勒も劉淵の下にいた頃は
半職業軍人みたいもんじゃ?

958 :無名武将@お腹せっぷく:2013/12/31(火) 22:27:48.72 .net
>>957
幕府を開いてるよ

959 :無名武将@お腹せっぷく:2014/01/02(木) 11:32:04.60 .net
王猛は諸葛亮と周瑜を足したような人物だから
前秦が瞬く間に華北を統一したのも頷ける

960 :無名武将@お腹せっぷく:2014/01/02(木) 11:44:50.86 .net
>>959
慕容恪死亡→前燕政権内で確執→桓温が慕容恪の死と内紛につけ込んで北伐
→王猛が桓温の方が慕容部より脅威度大と判断して前燕支援するように苻堅に具申
→桓温敗北→前燕政権内の抗争激化→桓温撃退の立役者慕容垂亡命
→桓温の北伐で弱体化した前燕に前秦侵攻、瞬く間に併合、 (゚д゚)ウマー

一番すごいのは何だかんだ言って慕容恪っぽいような

961 :無名武将@お腹せっぷく:2014/01/03(金) 22:05:53.12 .net
北魏と夏はどこで差がついたのか
同じように滅亡・離散から再興した国だけど

創始者の拓跋珪と赫連勃勃
個人の力量ではそう変わらないと思うのに

962 :無名武将@お腹せっぷく:2014/01/04(土) 21:19:10.53 .net
後燕侵攻の過程で有能な漢人官僚を獲得できたのが大きいのでは

963 :無名武将@お腹せっぷく:2014/01/07(火) 11:29:49.12 .net
戦争くそ弱い鉄弗部の一族から
よく赫連勃勃みたいな強い軍人君主が生まれたもんだ

964 :無名武将@お腹せっぷく:2014/07/20(日) 11:43:06.38 .net
前秦に天下を取って欲しかった

965 :無名武将@お腹せっぷく:2014/07/20(日) 13:19:51.66 .net
((゚))

966 :ニョ炉炭 ◆BgEqtoz4lY94 :2014/07/20(日) 16:22:14.42 .net
ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

967 :無名武将@お腹せっぷく:2014/09/24(水) 09:57:48.39 .net
魏武帝と比較出来る相手は唐太宗のみ

968 :無名武将@お腹せっぷく:2014/10/25(土) 21:52:36.84 .net
前秦が天下を統一していたら
もっといい国になってただろうな

969 :無名武将@お腹せっぷく:2014/12/20(土) 20:34:57.05 .net
司馬氏の晋なんて ろくな国じゃなかったのにね
 

970 :無名武将@お腹せっぷく:2014/12/20(土) 22:50:34.79 .net
         ./ ・  ヽ 
        /   .ノ・|
       /   ` /  
    __//    /|
    . ̄ 7    ./! L_
     ./    /  ̄ 
    / />__/

971 :無名武将@お腹せっぷく:2015/02/14(土) 16:15:41.23 .net
前秦やオスマントルコはいい国だった
 

972 :無名武将@お腹せっぷく:2015/05/02(土) 17:55:01.68 .net
宋の政治もよかったよね
割と
 

973 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:20:37.39 .net
ほしゅ

974 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:22:20.63 .net
ほしゅ

975 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:23:58.14 .net
ほしゅ

976 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:24:51.53 .net
ほしゅ

977 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:25:40.78 .net
ほしゅ

978 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:26:37.52 .net
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979 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:27:56.68 .net
ほしゅ

980 :無名武将@お腹せっぷく:2015/08/09(日) 19:28:49.32 .net
ほしゅ

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