三国時代の文学スレッド
- 1 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/12(月) 22:09:48.11 .net
- | 機
|*Д`)ハァハァ
雲 ノ )
゚ー゚) ∧ ∧ ∧ ∧ .∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧ ∧
( ヘヘ (´ω` ) . (´ー` ) (゚∀゚ *) (´<_,` ) (´∀` ) (・∀・ ) (‘∀‘ )
 ̄ //王\ / 徐 \ / 劉 \/ 孔 .\/ 応 \/ 陳 \/ 阮 \
.\) .粲ノ/\) 幹 ノ/\) 驕@ノ \)融 )/\) 瑒ノ/\)琳 ノ/\)瑀 .ノ/
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(; ゚Д゚) 。・゚・⌒) (つ /. . (゚∀゚,, )
/ 丕 o━ヽニニフ )) | (⌒) 〔~植∪ ̄〕=
しー-J 彡 _ し⌒^ ◎――◎=
後漢末期の建安年間とその前後には、唐代以前の詩聖・曹植や
曹操・曹丕・曹叡など曹家の偉大な詩人たち、建安の七子などが
たくさんの優れた文学作品を残し、中国文学を著しく発展させました。
三国志の戦いや武将、社会情勢などが、
それらの漢文の重要な題材や背景となっています。
また、後世の中国・日本の文芸の題材にも、
三国志の英雄たちは多く取りあげられています。
文学的な側面からも、歴史・人物的な側面からも、
真面目に語るも気ままにだべるも良し。マターリ楽しみましょう。
三曹でも西晋でも蘇東坡でも土井晩翠でもなんでもおkかとミ ・∀・ ミ
まとめサイト
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/
- 7 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/13(火) 01:35:04.35 .net
- 「明月澄清景 列宿正参差」
曹植の公讌詩の一節です。
公讌詩
http://www.geocities.jp/sangoku_bungaku/so_chi/koen.html
最初に読んだときから、詩内の他の句や、他の詩を差し置いて一番印象に残っている部分なんです。
曹植の文と聞いたらまずここが浮かびます。
もしかしたら、詳しい人に言わせたら「ここはそんなに重要じゃないよ」となってしまうかもしれませんが、
なぜだか惹かれるんです。
きっと、冷たく澄んだ空に浮かぶ月や星が好きで、この詩のこの一節がそういうのを連想させるからだと思います。
詩で詠まれてるのが初秋のことだっていうのはわかります。
でも、どうしたってこれで連想するのは冬の月星です。
どうしてか、考えてみました。
曹植の公讌詩は、宴の日の流動的な光景を見事に文字で描ききっています。
静止した風景じゃなく、動画を描く感じです。
それなのに煩雑じゃなくて、すっきりした言葉で描いています。
同じ場面で詠まれたらしい、曹丕の「芙蓉池作」の宇宙の描写が印象派で、
光の美しさを創作を交えて描いているのに比べると、かなり写実的に描いています。
写実的で、すっきりとしている。
その端正さが、冬の夜空を連想させたのかな、と思います。
曹植はどんな気持ちでこの詩を作ったんでしょう。
この詩、軽く読み流すとあっという間に終わってしまいます。そして、簡潔だなあと感じてしまいます。
上に書いたように、流動的な光景をすっきり表現してるからです。
(でも、詩句から情景を想像すると、あっという間に軽疾な馬車が並んで飛ばしてるのが浮かぶからさすがですね。)
これって、感情を迸らせて書いたらこういう詩にはならないと思います。
かなり冷静に、計算して書いてると思います。
曹植は、もちろん曹丕と兄弟仲良かっただろうし(詩を兄弟で唱和してるのなんかも、いいですよね)、
宴を楽しんでいたと思うけど、この詩を作るときには、醒めた頭で、宴の熱気に流されず、
孤独な局外者、観察者になっていたんじゃないでしょうか。
現実の宴の場は、沢山の人で賑わっていた。
でもこの詩は、楽しい賑わいと、孤独な曹植の世界の、二重世界になっているように見えます。
そして、後者として世界を浮かべたとき、私は、その光景を前者の何百倍も美しいと感じてしまいます。
- 8 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/13(火) 02:03:43.90 .net
- 私は、秋の夜空よりも冬の夜空の方が好きです。
冬の夜は、音が全部夜の闇に吸い込まれてしまったように、背筋がぞっとする程静かですよね。
張り詰めた空気は清澄で。
その中にいて、ひんやりした白い月光や綺麗な星を見ていると、
宇宙と自分の間に何も隔てるものがなくて、心の中を直に照らされてるような気持ちになります。
秋の月は、それに比べると弱いなと思ってしまうんです。
東京でなければ、もっと綺麗なのかもしれません。
それとも、私の感性の問題かもしれませんが。
月や星を楽しむにも色々なやり方があります。
みんなで集まって楽しむこともできるし、孤独に楽しむこともできます。
個人的には、宇宙を心が吸い込まれそうな程美しいと感じるのは、一人でいるときです。
公讌詩の情景を、孤独な曹植の世界として見ると、月や星だけじゃなくて、馬車が並んで駆ける様子も、
林立する鮮やかな蓋いも、坂を覆う蘭も、池に浮かぶ蓮の朱も、魚の立てる波も、澄んだ夜に響く鳥の声も、
車に絡んで足を速める風も、どれも背筋がぞっとするような、非現実的な美しさを帯びると感じるんです。
ほのぼのとした幸せな美しさではなく、心を抉るほど強烈な美です。
虚構の美だから、冬の月星の下に、秋の花が咲き誇ることができます。
それも、冬の月星と同じ性格を持って。
でも、そういうことができるから言葉の世界っておもしろいと思います。
確かに、公讌詩は宴会の盛大さ・楽しさや、主催者の威徳を褒めるためのものです。
でも、曹植の使った詩句は、その枠に収まらない情景を想像させてくれます。
「飄颻放志意 千秋長若斯」
(私はゆらゆらと天にものぼる心地がし、心の馳せ行くがままに任せる。
ああいついつまでも、このようでありたいものだ。)
これを素直に解釈すれば、「兄上の宴は本当に楽しい。良い日に、景色も綺麗で、気の合った仲間達と、楽しいことをして、
こんなに幸せなことはない。このまま時間が止まって、いつまでもこの日が続けばいいのに」
です。
でも、私が感じたように読むと、現実よりも美しい言葉の世界を創り上げた曹植が、
自分の言葉の世界の中で自由に解き放たれ、歓喜の叫びを上げている姿が浮かんできます。
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