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三国時代の文学スレッド

81 :無名武将@お腹せっぷく:2011/12/26(月) 22:39:12.78 .net
>>75
『妬婦津』では、洛水で溺死した宓妃と河に身投げした段氏が対になっているんですよね。
わかりますwでも、甄氏についての言及がなにもないのは、
つくり話のなかで、特に登場させる必要性がなかっただけなんじゃないのかな〜という気がw

>つまり、晋の大始年間には、洛神=甄皇后説はあまり認知されていなかった?

どうなんでしょう(謎)。李善という人が、文選の注でそういう説を唱えているらしいのですが(658年頃)。
でも誰がなんのために、李善注の引く『感甄記』なる物語で曹植と甄夫人を両思いにしたんだろう…。
そもそも、曹植が甄夫人に横恋慕をしていたと最初に言い出したのは誰? 『感甄記』ていつ成立したんだろう?という疑問も。
皇室ゴシップ記事が大好きな正史裴松之注でさえ、曹植と甄夫人のチョメチョメに関しては、一言も拾い上げていない…(見落としがなければ)。
神霊記事も大好きな裴松之(372-451)なら、甄夫人の霊が枕を介して曹植の夢に現れたというホラー話を
真っ先に取り上げてくれるような…。誰も聞いていないのに、『明帝、袁煕の息子説』を否定してくれるような裴松之が
曹植と甄夫人の関係に触れていないのは信ぴょう性が全くないと判断したから?それとも裴松之の時代には『洛神=甄皇后説』が
生まれていなかったからなのか?(謎)
でも、曹植の漢詩を全部、正史の注にのっけてくれるようなハッスルする人でもないから、裴松之至上主義に走るのもどうかとは思うんだよねw

東晋以降、異民族に中国の北半分を取られてしまったのを契機に高まった蜀漢正統論も気になる。
曹植、甄夫人は、「後漢を滅ぼした大逆賊」の曹丕に迫害されて悲劇の死を迎えたから、徐々に「判官贔屓」が芽生えていった?
でも、曹植は既に文人としての声望は集めていたはずだから、関係ないのかなw

あと歴史ロマン的に気になるのは、曹植の「感婚賦」と「洛神賦」、モデルは同じだったりするのかな〜、ということ。

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