2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

孔明が戦下手という風潮

1 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 13:15:50.57 .net
孔明が戦下手なら、
その戦下手に引き入られた国力で遥かに格下の国の遠征軍を
明確に破れなかった司馬懿も戦下手ってことですね?

2 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 13:21:05.92 .net
×その戦下手に引き入られた

○その戦下手に率いられた

3 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 13:31:12.90 .net
そんな風潮あるの?

4 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 13:32:00.85 .net
通ぶるやつはよく言うね>孔明は戦べた

5 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 14:00:46.28 .net
そもそも全権委任の諸葛亮と司馬懿とでは立場が違うしな

6 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 14:33:46.41 .net
>>3
取り合えず、「孔明 戦下手」でググると30,5000件もヒット。
それ以前に「孔明」と打ち込んだ時点で「戦下手」が出てくる。
そういう風潮があるのは間違いないかと。

7 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 14:39:22.61 .net
グーグル先生に間違いはない
そのグーグルはシナに追いやられた

8 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 17:01:24.61 .net
戦下手ではないな
北伐の目的がわかっとらんのが多すぎるだけ
北伐は魏を割るためのイベント

仮にマジで擁州で大勝したら魏がまとまっちゃってどうしようもなくなる
領土取るなら中原割れてからでないとすぐ取り返される

9 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 17:04:14.35 .net
どういう理屈で魏が割れるんだ?

10 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 17:18:59.34 .net
外敵征伐に行った将軍が外敵と停戦して首都攻めるとか普通
軍事力を将軍にあずける事自体がストレスなわけで
ストレスをかけ続けることが不和を生む条件

魏や晋に倣った禅譲強要が以後当たり前になってどうなったか考えれば
少なくとも文帝死後の魏は派閥抗争で割れやすい状態であったことは明白

11 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 17:25:36.23 .net
>>10
普通じゃないだろ
実例って何かあったっけ?

12 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 21:18:37.17 .net
孔明なんて
今で言ふところの
原発御用学者みたいな奴なんでしょ
何の決定権も持たないただの道化師

13 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 21:34:09.95 .net
いや今で言うところの総理大臣やってんだけどな

14 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 22:35:06.91 .net
とりあえず孔明ではなく諸葛亮と呼べ

15 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 23:36:47.76 .net
通ぶるバカの常套文句:
「諸葛亮は戦下手」
「曹操は演技や吉川三国志で不当に悪く描かれている。」

16 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 23:37:26.53 .net
いや孔明でもいいっしょ

そういう人はきっと劉備は玄徳とか、みんな字で揃えてて首尾一貫してるに違いないよ

17 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 14:52:27.93 .net
>>13
総理大臣が自ら戦いに出て、留守の間、国の経済は大きな問題もないとかすごいよなぁ
死んだ跡に遺産が殆ど無いのも好感持てるわ
今の政治家じゃどれ一つ考えられない

18 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 16:16:58.37 .net
>>16
その理屈では劉備を玄徳と呼ぶのは無論のこと、孫権は仲謀、曹操は孟徳、董卓は仲穎、呂布は奉先と呼ぶべき。

19 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 16:50:45.58 .net
本来あざなって日本に馴染みのない文化だからなぁ・・・
よく今で言うニックネームに例えられるけれど、それともまた違うし

20 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 18:09:40.79 .net
あざなってなぁに? (° ∀ 。)

21 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 18:26:18.83 .net
>>20
このサイトがわかりやすいか

ttp://www.chugen.net/base/name.html
そもそも、中国人には姓と名の他に字(あざな)というものがあります。
他人が本名をそのまま呼ぶ事は、昔から中国では忌み嫌われておりその為、
本名とは別の名、字が出来たわけです。

例えば、「劉備玄徳(りゅうびげんとく)」という呼称は厳密に言うと正しくなく「劉玄徳(りゅうげんとく)」
とか、役職名を付けて「劉予州(りゅうよしゅう)」等と呼ばれていたものと思われます。
  (ただし、英傑群像では「劉備玄徳」と言う表記をあえて利用しています >>理由)

  勿論、「典韋(てんい)」の様に字を持たない人物もままいたようです。因みに三国演義の作者で
ある羅貫中(らかんちゅう)だと、姓が羅、名を本、字が貫中となります。

22 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 18:33:54.77 .net
>>21
ありがとう!
なるほどー、ちょっとわかった。

23 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 18:41:16.19 .net
簡単にいえば
諸葛(亮)孔明
亮の部分が親がつけたあざな
孔明の部分が成人して本人がつけた名前
ちなみにあざなと名前は関連していないといけない

亮→明るいという意味
孔明→はなはだ明るいという意味

24 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 19:09:08.90 .net
字の理屈は分かるが、要はなぜ諸葛亮だけ字で呼びたがるのか?

25 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 19:25:28.19 .net
じゃあ、これからは亮ちゃんと呼ぼう

26 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 19:39:38.52 .net
>>24
かっこいいですし

27 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 20:04:37.59 .net
>>24
孔明と読んだ方が儒教の孔子と親戚っぽくみえるからだろ

28 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 20:16:27.19 .net
そんな理由なの?

29 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 20:16:46.35 .net
下手では無いが上手くもない。せいぜい凡将といったところか。
唐代良将十傑に選ばれるなんてのは過大評価もいいところ。

30 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 20:20:59.89 .net
孔明党

31 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 20:21:26.33 .net
>>24
ただ単に三国志演義が流行った関係で
「孔明」の方が民間に膾炙しただけでしょ。
北条早雲だって、本来なら当人は北条なんて名乗ってなかったし
早雲、ていうのも庵号だから、本来は伊勢宗瑞って呼ぶべきだけど
学者以外じゃみんな後世に創作された国取り出世物語にちなんで
北条早雲、と呼んでるわけだし。

32 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 20:34:49.71 .net
>>23
いけない、というわけではないよ

時代は古くなるけど管仲という有名な大宰相は「仲」が字
名前は「夷吾」だから管夷吾というのが氏名の表記になる
それで名前の「夷吾」と字の「仲」に関連性はなし
漢の始祖、劉邦は「邦」が名前、字は「季」でこちらも関連性はなし
「仲」は次男坊、「季」は四男坊か末っ子という意味

これが関連付けると格好いいんじゃない?って流行するのが前漢の中ごろからだけど
強制じゃなくて「そうするとオシャレ」だから流行してるってだけ

33 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 21:00:22.68 .net
無闇矢鱈に字を他人に言われると魂乗っ取られる、っていわれていた説もある

34 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 21:38:26.08 .net
>>33
それは字じゃなくて名前、つまり本名の事だね。
諸葛亮孔明、でいう所の、亮、の事。
古代から世界中で本名というのは本人を表すものとして
呪術的なものに活用できると信じられていたそうな。
なので、古代の呪術では、術をかけたい人間の本名を札とか人形とかにつけて
儀式を行っていたそうな。古代世界ではそういった呪術は殺人行為もしくは殺人未遂に
等しいものとみられ、ばれたら即座に逮捕だったそうな。
この考え方は世界中に、かなり長い間続いており、
現代でも人を呼ぶ時は名字や役職などで呼び、
名前をみだりに唱えるのを忌む、というのはこの影響なんだそうな。
そして中国では、本名を明かさずして使える名前を作る事が考えられ
それが字だった、という話らしい。

35 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 21:41:34.27 .net
>>24
諸葛亮だけじゃないだろ。
司馬懿仲達も司馬懿と呼ばれるよりも仲達と呼ばれることが多くないか?

36 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 21:59:21.64 .net
>>29
>下手では無いが上手くもない。せいぜい凡将といったところか。

じゃ、その凡将を
国力・人材で大きく上回りながら、
しかもその凡将の軍は兵站に大きいどころじゃないハンディを抱える遠征軍なのに、
叩き潰せなかった司馬懿も凡将だね。

37 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 22:24:01.27 .net
>>35
あと劉備。字で呼ばれることが多いのはこの三人だけ。

38 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 22:29:05.85 .net
日本のニュースだと毎日のようにある三国志の人物の字出るよね

39 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 22:58:37.44 .net
徐晃?

40 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:05:07.73 .net
そう徐晃

41 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:32:32.41 .net
司馬懿が字で呼ばれるなんて初めて聞いたわ
玄徳孔明は演義の影響でそう呼ばれるのはわかるけど

42 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:34:25.45 .net
死せる孔明、生ける仲達を走らす、という言葉がふるくからあってだな

43 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:35:33.69 .net
その言葉を間違えた意味で使ってた元首相がいたなあ

44 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:39:39.34 .net
それだけじゃん
他で言ったら司馬八達とかそれくらいだろ

45 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:42:34.76 .net
この言葉だけで物凄く有名なんだから
認知度はめっさ高いよ
演義でも名場面として大衆に認知されてるし

46 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:49:02.59 .net
認知度云々じゃなくてどう呼ばれてるかって話だろ
司馬懿の事を忠達とか言ってる人間なんて魏オタのキチガイでも中々見かけないぞ

47 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:50:42.13 .net
仲達な

48 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/23(火) 23:57:01.32 .net
>>46
( ゚∀゚)アハハハ八八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \

49 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 06:14:51.79 .net
>>46
演義とかでは地の文で「魏延の策は仲達は騙せなくても、夏候ボウなら出し抜けたかもしれない」
とか書かれてたり、台詞とかでも「仲達め!」とか字で呼ばれたりしてるので
大衆的な認知度や、呼ばれ方としては中国じゃ仲達、ってのはメジャーなんじゃないのかな

50 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 06:17:50.13 .net
三戦板のスレで仲達と司馬懿で検索すればわかると思うんだが

51 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 06:49:09.16 .net
孔明、玄徳、仲達…これ以外に字での呼称が一般化してる例がある?
で、なぜこの三人だけ字での呼称が一般化してるのか?

52 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 06:50:32.83 .net
そもそも仲達の字呼びなんて見た事がない

53 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 08:00:55.49 .net
そもそも『仲達』というタイトルの書籍まで有るし↓
http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%B2%E9%81%94-%E5%A1%9A%E6%9C%AC-%E9%9D%92%E5%8F%B2/dp/4048739204

仲達という名前の中華料理店とか↓
http://tabelog.com/tokyo/A1328/A132801/13063627/

他にも

「司馬仲達の教え」見かけで判断する愚 :PRESIDENT Online ...
http://president.jp/articles/-/3756


蜀漢の諸葛孔明と魏の司馬仲達は何度も戦ったが、 結果的に勝敗が ...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1425283269


ちょっと検索しただけでも、色々出てくるのに(仲達、あるいは司馬仲達の呼び方)。
>>52って自分の脳内だけで生きている人?

54 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 08:44:35.53 .net
いやそうじゃなくていちいち司馬懿の事を仲達と呼んでる人間がいないと言ってるんだよ

55 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 10:26:29.25 .net
なんて呼んでたの?
司馬っち??司馬ちゃん???

56 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 10:28:44.93 .net
厨勃つ

57 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 10:40:59.29 .net
>>36
司馬懿も武将としては中国史全体で見れば抜きん出た存在ではないだろうね。
少なくとも他の良将十傑の連中よりは劣る。

58 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 10:42:56.72 .net
三国志自体が過大評価ですし

59 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 12:12:21.26 .net
>>23
あざなは孔明ですよ、っと

60 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 13:49:46.72 .net
>>54
なら何で『仲達』というタイトルの司馬懿本まで存在するの?

61 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 14:04:20.37 .net
これか
http://www.kadokawa.co.jp/cover_b/201109/201109000559.jpg

62 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 15:23:21.90 .net
>>57
いや、抜きんでてないどころでなく凡将でしょ?
孔明が凡将なら。

63 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 15:31:58.19 .net
>>61
麻薬中毒本来たー

64 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 17:27:58.61 .net
>>50
三戦板を世界の基準にするのはどうかと思うw

65 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 20:59:28.96 .net
横山三国志ではどうだっけ?
仲達と呼ばれる場面がそこそこあった記憶があるんだが。
少なくとも「仲達復帰」という章は有ったはず(51巻ぐらい)。

66 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 21:08:37.98 .net
横山三国志では基本的に仲達と呼ばれる事が多かった気がする
なんだか無意味に「司馬懿仲達」とフルネームで呼んでるシーンも
結構多かった気がする

67 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 21:55:29.69 .net
>>62
北伐は第三次除けば全部魏の勝ちだからねぇ
残念ながらそれは無いのよ

68 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:01:14.28 .net
>>42
某韓国ドラマでその台詞出てくるんだけど

69 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:03:40.93 .net
>>67
それは君の願望だから、残念ながらそれは無いのよ

70 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:07:10.61 .net
三国志以外の有名な歴史物って、ある程度は人の願望で成り立っているものだからね
そこで突っ込みどころにここがおかしい、あそこはどうだ、って言い合うのがまた一興なのでは

71 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:08:43.48 .net
>>67
そりゃ魏は国力人材で大きく上回るうえ
蜀は不利な遠征軍。
勝って当たり前でしょ。負ければそれこそ司馬懿は愚将ということになる。

72 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:10:09.83 .net
>>70
訂正:三国志以外の有名な歴史物にかかわらず、
>>68
漢字は韓国発祥、とかぬかしていた記事を思い出した

1: 影の軍団子三兄弟ρ ★ 2013/02/18(月) 08:46:59.46 ID:???0
本誌でたびたび報じてきた韓国の「ウリジナル(我々=ウリとオリジナルを合わせた造語)」主張で狙われるのは日本ばかりではない。
中国もそのターゲットとなっている。在中国ジャーナリストの山谷剛史氏が報告する。

韓国は剣道や茶道、歌舞伎など日本の伝統文化を「我が国発祥」と主張して起源を“泥棒”している。
中国に対しても同様の主張がなされ、両国で論争が繰り広げられている。
 
代表的な例が、紀元前3世紀頃の古代中国で始まったとされる「端午の節句」だ。
韓国は自国に伝わる「江陵端午祭」を無形文化遺産としてユネスコに申請、2005年に認められた。
本家・中国は韓国起源の行事として登録されたことに猛反発した。

つまり「ウリジナル」は反日運動だけではなく、彼の国の国民性ということらしい。

2006年には人民日報電子版が「お笑い! 韓国人が漢字を発明しただって?」と題した記事を掲載し、ソウル大学の朴正秀教授が「漢字を発明したのは韓国人。世界文化遺産に申請すべし」と主張していると報じた。
この時は韓国のKBSや聯合ニュースが「そもそもソウル大に朴正秀という名の教授はいない。人民日報の誤報だ」と反論。
中国側が韓国の主張自体を捏造したと非難したのだが、最近になり、今度は韓国・仁済大学の陳泰夏客員教授が「漢字は韓国人の祖先が創造した文字。中国の学界も承認している」と発表し、議論が再燃した。

言語学の権威とされている陳氏は、「国際漢字会議」のメンバーという肩書なのだが、そもそもこの会議自体が韓国主導である。
http://www.news-postseven.com/archives/20130218_171050.html

73 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:22:51.82 .net
>>70
いや、その理屈は明らかにおかしい。
史実無視で語られてもな。

74 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:30:20.78 .net
演義と史実は全く別物なのに、演義が本物みたいになってしまっている風潮

75 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:34:25.68 .net
演義がなければここにいる奴らは三国志になんて言葉も知らなかっただろうな

76 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 22:52:41.83 .net
史実でも諸葛亮は野戦で数多く魏に勝利してる現実

77 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 23:09:41.95 .net
>>75
史実だけじゃ、ね。それはそれでいいとは思うけど脚色がないと面白味にかけるよね、そりゃ

78 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/24(水) 23:12:05.97 .net
俺はコーエーしか知らん

79 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 06:01:41.92 .net
ナムコの中原の覇者は神ゲーだったよ

80 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 08:49:18.23 .net
三國志戦記っしょ

81 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 09:55:34.60 .net
>>71
実際に勝ってる訳だからその主張は意味がない
それに名将と呼ばれる連中はその程度の不利など跳ね返して勝ってる訳だし、勝てなかった事が諸葛亮が凡将であると証明してるよね

82 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 11:12:11.89 .net
>>81
実戦で正面からやったら司馬懿のが負けまくり、諸葛亮勝ちまくりじゃん。
これで決戦で勝てないと窮して引き籠り戦法に徹して
それでお引き取り願って大喜び、しかも国力9分の1の国相手にww
後世においても同時代においても諸葛亮>司馬懿とされたのは
まったくもって頷けることだわ。
結局、諸葛亮が後世には名将10哲の中にすら入ったしな。

>それに名将と呼ばれる連中はその程度の不利など跳ね返して勝ってる訳だし
どこの誰のこといってんのよw普通の名将達は国力差9倍の国に攻め込んで、
しかも一応相手も名将と呼ばれる指揮官が引き籠り戦法に徹した状態でなお勝利、
ってのはまずないだろwこれだけ不利な状況でありながら、なお大国相手に野戦で勝ちまくり
引き籠り戦法にせざるを得なくした諸葛亮の名将ぶりは称うべきかな、だわ

というか、お前って本当に結果論でしか物を見れないのなw
それも内容や過程、それに関する評価とか一切考慮に入れない、本当に安っぽい結果論w
そりゃちぐはぐになるわけだわw

83 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 12:25:03.77 .net
どれだけ長々と御託を垂れようと結果が物語っちゃってるからねぇ
戦争にがんばったで賞は無いからね

84 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 12:34:33.42 .net
諸葛亮が戦術的に勝とうが戦略的には負けまくりなんよ、
これが現実。

85 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 12:38:06.81 .net
>>82みたいな三国志脳の馬鹿は相手してて疲れるわ〜
良将十傑が史書の記述だけで選ばれてると思ってんだから
当時の背景とか考えないのかねえ

86 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 12:47:38.69 .net
諸葛亮信者は勝った〜勝った〜のお花畑だもん。
負けも認めず史実から逃げてるだけよ!

87 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 14:01:37.58 .net
諸葛亮信者にかぎらず、信者ってそんなもんでしょ
戦国時代とかさ

88 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 14:21:25.01 .net
>>83 >>84 >>85 >>86
ぷぷw魏の崇拝者さんが必死で4連投ですかw必死すぎですねw
結果でいうなら野戦で勝ちまくりですが何か?
小国相手に野戦で負けまくって引き籠り戦法でお引き取り願ってドヤ顔とか
さすがにネット廃人の魏の崇拝者さんは色々と違いますねww

名将10傑は少なくとも史書の記述を考慮に入れて選ばれてますが?w
圧倒的な大国といいつつ、引き籠り戦法に徹した魏の方々はノミネートされてませんが(爆笑)

89 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 14:24:57.18 .net
ついでに>>83から>>86の妄想全開の魏の崇拝者さんはさっさと>>82にある

>それに名将と呼ばれる連中はその程度の不利など跳ね返して勝ってる訳だし
どこの誰のこといってんのよw普通の名将達は国力差9倍の国に攻め込んで、
しかも一応相手も名将と呼ばれる指揮官が引き籠り戦法に徹した状態でなお勝利、
ってのはまずないだろw

っていう問いにさっさと答えてみろよw

90 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 15:28:03.90 .net
国力9倍とかゲーム脳だねえ
全兵力を蜀へ向けられるとでも思ってるんだろうか

91 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 15:30:01.89 .net
>>81
国力で圧倒的に上回るのに呉に攻めこんで追い返された曹操は
凡将を通り越して愚将ってことになるね。

92 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 15:31:45.13 .net
最近三国志12にハマった中学生ってとこだろ
草生やしまくってる辞典でお察し

93 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 15:32:57.06 .net
>>83
>どれだけ長々と御託を垂れようと結果が物語っちゃってるからねぇ

結果って
諸葛亮が良将十傑に選ばれたり
日本という異国の地でも伝記漫画等にまでなっているということ?

94 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 15:35:15.26 .net
>>93
どこをどう読んだらそうなるのかねえ
日本語を勉強し直してから出直しておいで

95 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 15:46:53.36 .net
「虎は死して皮をとめ、人は死んで名を残す」

諸葛亮はまさしく名をのこしたね。

いくらオタクがネット上で「孔明は凡将なんだぜ」と吠えても
焼石に水なほどまでに。

96 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 17:18:24.14 .net
>>95
いえばいうほど孔明の名声を広めていることに気が付かないなんてね
皮肉だよねぇ

97 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 18:18:16.69 .net
孔明は戦下手だけどビーム撃てるから

98 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 18:21:04.82 .net
劉備を破った曹操@大変よくできました
曹操を破った周瑜@大変よくできました
曹操を破った劉備@大変よくできました
劉備を破った陸遜@大変よくできました


何もできなかった諸葛亮×努力しましょう

99 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 18:29:47.82 .net
>>98
なにもないところから一国を作り出した人間を何も出来なかった、とするなら
お前の人生はゴミクズ以下

100 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 19:18:57.71 .net
総理大臣が前線で総指揮するようなもんだろ
そりゃ勉強してても下手だよ

101 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 19:35:29.74 .net
>>99が劉備叩きか

102 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 19:38:18.66 .net
総理大臣自ら前線に出向き、軍令に反したものには懲罰を与えていたとか激務過ぎる

103 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 19:42:50.44 .net
>>100
諸葛亮の戦術ってあまりにも良く出来てたから
晋の時代になってから結構研究されてるし
実際にその研究を生かして大成功を収めた馬隆みたいな名将もいるし
唐の建国の立役者だった李靖も諸葛亮の八陣を研究して六花陣を編み出したとされてる

下手どころか後の名将に指南書扱いされる名人だよ

104 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 19:49:09.06 .net
それを下手という人もいる
それどころか出師の表で孔明が三顧の礼に触れているから
忠義の人じゃない、って指摘する学者もいるぐらいだし
色んな人がいるけど、いつまでも孔明の人気は消えないでいて欲しい
あと漫画や小説で持ち上げすぎるから反発するアホが増えるんだろうね

105 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 20:35:10.30 .net
>>98
周瑜に負けて多くの船を焼かれた曹操とか
陸遜に負けて多くの将兵を失った劉備とか
何も出来なかった以下の人もいるけどなw

106 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 20:38:33.31 .net
ザックリまとめるとアンチ孔明はキチガイって事だな

107 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 22:12:47.28 .net
>>106
それがFAだろ

108 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 22:15:03.95 .net
孔明アンチというか、蜀漢アンチ自体・・・

109 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 22:17:36.35 .net
荒れてますな

110 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/25(木) 22:25:43.52 .net
正統な歴史評価大体の位置づけ

A 統一王朝創業者グループ
B 蜀漢 秦など短期で滅亡した統一王朝創業グループ
C 魏など全土の半分以上を支配した王朝グループ
D 呉など地方政権で長続きした王朝グループ

大体、こんなもんだな歴史評価は
実際に正しいかどうかは別にして、蜀漢は数が少ないから結果に対しておかしい話ではない
ありえると思われたから、蜀漢正統論が強くなる前からうけいれられたんだろ

111 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 02:11:03.23 .net
中国では偉大なる歴史上の人物、で三国志からは曹操と孔明が選ばれた

112 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 10:48:57.31 .net
ようするに「孔明は凡将なんだぜ!」って言う奴は
人と違うことをやってみたがる中二病でしょ。

113 : ◆TC2SWUqz3k :2013/04/26(金) 14:36:09.39 .net
孔明はどう見ても凡将、愚将の類である。
皆が第四次北伐だけを褒め称えるが、北伐はいずれも失敗に終わっており、
第一次、第二次では惨めな結果を晒し、第五次では不可解に引きこもるなど戦略センスの無さは一目瞭然だ。

戦争とは戦場の強さでだけはなくて戦略構築能力や目標達成能力であるが、
戦場での衝突以外に水準を下回ってるとしか言い様がない戦下手ぶりを発揮しており
孔明が戦上手というのは誹謗との事であろう。

114 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 17:13:53.24 .net
>第一次、第二次では惨めな結果を晒し

惨めな結果って
赤壁での曹操みたいに兵力で大きく上回りながら船団を焼かれて逃げ帰ったのか?

115 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 17:22:42.50 .net
まず、孔明の生涯戦歴はどんなもんなんだろう?

116 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 17:53:49.91 .net
>>90
当時から既にそういわれてるんですがw
当時の学者や後世の皇帝の評価はゲーム脳なんですか?w
おかしいなー、少なくとも歴史記述すら間違える貴方みたいな人よりは
よっぽど歴史や実戦を知ってる人のはずなんだけどなあ
>>92
なんかレスがずれてるけど、自演失敗しちゃった?ひょっとして
三国志12とか、最近のゲームは歴史記述とかも出る事になったのかなあ
結果とか言いながら史実すらろくに抑えてないあんたより、よっぽど中学生の方が
物を知ってるって事になるけどそれでおK?
それにしてもまあ、自分は散々下種なレスしといて、相手に言われたらそれとかw
本当に馬鹿丸出しでわらえるんだけどw

117 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 17:59:37.83 .net
>>113
第4次もほめたたえられてるけど、
第三次も完全勝利として賞賛されてる
第2次は陽動策説も有力だし、殿戦で追撃してきた魏の将軍を返り討ちにして大勝してる
第一次は馬謖のやらかしだし、それまではうまく言ってた
第5次は小国でありながら、敵国に踏み込んで堂々たる正面決戦を相手に求め、
大国であるはずの敵将帥を引き籠らせて後世や同時代から賛嘆された

トータルして見りゃ孔明を戦下手なんてとてもとても

118 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 19:40:29.60 .net
>>115
戦術規模で自分が指揮した時は城攻めの失敗1回以外全部勝ち
戦略規模で見ると勝ち負け半々

119 : ◆TC2SWUqz3k :2013/04/26(金) 21:28:45.31 .net
>>117
馬謖なんぞを第一次で重要なポジションにつけるのは大将としての器量不足
第二次は城攻め失敗
第三次大軍で二郡取っただけでしょ。魏の反撃が雨で流れになってたし。
第五次はどう見ても孔明の戦略ミスをしていた。
呉との連携がうまく行かなかった時点で退却するべきかもしくは全軍で攻めかかるべきなのに
何したかったのか

120 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 21:29:56.37 .net
魏側の侵攻もケ艾がいなければ3度めも失敗した公算が大だしな。

121 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 22:26:16.32 .net
>>119
馬謖なんぞ、というけどそれまでの経歴では馬謖は着実に結果出してたぞ
君は馬謖をどういう理由で低評価しているんだ?
北伐で失敗するということをそれ以前の経歴からどう判断するか根拠を聞こう

北伐で失敗したから評価低いというのはトートロジーなのでやめてくれよ

122 : ◆TC2SWUqz3k :2013/04/26(金) 23:27:09.09 .net
>>121
馬謖さんの大将の経験をお聞かせ願いたい

123 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/26(金) 23:35:28.41 .net
>>122
北伐でも大将はしてないが?

124 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 00:47:47.22 .net
馬謖の経歴は
荊州従事→緜竹令→成都令→越スイ太守→丞相参軍

実戦経験の記録が無い。諸葛亮の南征も従軍せず見送ってる、
越スイ太守時代に李厳のように郡内の叛乱討伐をした可能性はあるけど。
郡兵ではなく正規軍の戦闘指揮を執ったのは街亭が初めてっぽいね。

馬謖は実戦指揮を執った経験が無いのに好んで軍略を語ったから、
劉備に「あいつは言葉が中身を伴ってない」と言われたんだろう。

125 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 00:50:51.71 .net
街亭のは大将を務めたっていうより、
合肥で曹操の指示に基づいて張遼らを監督した薛悌の立場に近いんじゃないかな。

126 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 01:47:35.77 .net
>>124
劉備と一緒に入蜀して州従事→県令→太守と数年でスピード出世してるし無能じゃないんだよね
南征に関しては従軍はしないが戦略や統治プランに関して諸葛亮の軍師役として見事に機能してる

127 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 02:36:00.46 .net
劉備は自ら全国を査察して無能な県令を処断するような人だから、
そんな彼に成都令を任されて勤め上げた馬謖の行政官としての力量は
劉備も認める所だったんだろうね。

でも軍事は実績ないのにデカい事言うから、軍事は任せちゃダメだなって劉備は見てたのかも。

128 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/27(土) 21:16:40.25 .net
>>119
第2次は第三次と連動してる説が結構有力。
というか、時期的に見ると間髪入れずのタイミング。
第三次を大軍で2郡とっただけとかいうなら、
大軍で侵攻して一郡もとれずに敗退ばっかりの魏が情けないだろ。
第5次は呉が早期に引き上げるか微妙だったし、
大抵の場合、自国に踏み込まれてる指揮官は敵の対陣が長期にわたれば渡るほど
敵を撃退しに動きたがるものなので、
三年かけて兵糧を備蓄し、木牛流馬で輸送を円滑にし、屯田兵まで用意して自給自足体制を
とった諸葛亮としては長期でまって、敵が動いた所を得意の野戦で撃破すればいい、
という話になる。その為に10万以上もの兵力を用意してきたんだし、
勝算は普通に考えれば十分にある。

129 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/29(月) 03:56:08.33 .net
毎年のように軍隊を動かしたのにあまり成功しなかったのは、
応変の将略が得意ではなかったからだろうか

130 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/29(月) 04:43:00.71 .net
と書く一方で、諸葛亮が智勇全てで司馬懿を凌駕していたにも関わらず、
遂に勝利できなかったのは、思うに天命が無かったが為ではないだろうか。
とも書いてる陳寿。

131 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/29(月) 04:49:43.74 .net
陳寿が言うからにはそうなんだろうな
とりあえず孔明>>>越えられない壁>>>司馬懿ってのは間違いなさそうだ

132 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/29(月) 23:20:34.82 .net
政治では管中、楽毅と互角という文の後ろにある評価なのだから
軍事ではそういった歴史上の名将と比べれば得意とはいえないという感じに読んだけど

133 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 00:15:29.93 .net
楽毅?

134 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 01:59:09.12 .net
個人的に諸葛亮は戦略を立てたり、軍の統率は得意だが、陳寿の言うとおり応変の才が無いと思うわ
一次の北伐や武都攻めのように囮を使ってまんまと敵地へと侵入する戦略や、退却時に敵将を二度も葬り司馬懿を撃破する戦術能力なんかは名将と言ってもいい
ただし馬謖がミスをしたり、郭淮に戦略を見破られたりと戦略通りに進まなくなると途端に行き詰ってしまうのは応変の才が無いと言われても仕方が無いと思う

135 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 02:47:19.98 .net
簡単に言ってしまえば管仲、簫何と比するほどの政治力と比べると軍事の才は劣って見えるけど、それでも司馬懿と比べたら知勇共に優れていると言う事だな

136 :清田区民憲章 ◆0cm5bEPo3u.2 :2013/04/30(火) 08:03:41.24 .net
孔明が戦下手?
それマジで言ってんの?^^;
そしたら孔明にフルボッコにされた司馬懿を筆頭とする魏の将軍たちどうなっちゃうのwwwwwwwwwwwwwwww

137 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 10:37:33.88 .net
北伐して擁州とったところでどうにもならんわけで
その先に奇跡的な勝利を何回積み上げなきゃいかんか考えてみなよ
そうしていくと孔明が考えてたことが分かるはずだよ

138 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 12:25:48.14 .net
>>137
逆逆
取らなきゃどうしようもない

139 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 15:01:28.93 .net
漢中以南と長安では魏の対応が全然違うだろ
長安を維持することが困難なのは明白
スーパーサイヤになった魏と戦えば下手すると長安で負けて漢中も抜かれる

140 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 17:20:16.13 .net
逆逆
長安は維持しやすい

元々長安の立地ってのは戦国時代に秦が他の戦国七雄の六カ国相手にするために選ばれた土地だから
対中原方面の防御は完璧

141 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 21:31:20.01 .net
いくら諸葛亮でも満寵が守る合肥新城撃破は無理だろうな

142 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/30(火) 21:56:05.76 .net
クスクス

143 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/01(水) 09:08:10.09 .net
秦と六国、蜀と魏の状況では全然違う

漢中から北伐してるうちは蜀が攻撃側でも長安とったら攻守逆転する
一回毎の戦いがもたらす損害は国力に対する比率としては蜀のほうが大きくなるため
勝ち続けなければいけない茨の道
補給も魏のほうに利がある以上漢中にいたほうが蜀には有利

144 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/01(水) 12:58:27.73 .net
>>143
逆逆

呉が江南押さえてるから地勢的に蜀と魏は戦国の秦対六国が再現されるだけ
攻守逆転?したって関閉めたら終了だよ
実際、董卓が長安引きこもって時間稼いだのも関中の地形が優れてるから
中原から関中攻める時に補給の利が魏になんてあるわけないじゃーん
地形見て言ってくれよ

145 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 04:13:41.30 .net
数万の兵を用いて、千余の兵が守る城を
20日余り攻めて落とせず撤退した程度に戦上手

146 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 04:28:20.91 .net
20日防いだだけで過大評価されるカク昭
半年、一年防いでも過小評価される羅憲と霍峻

147 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 11:57:45.13 .net
野外よりも個室で遊ぶのを希望します。
クンニ好きな人がいいな。

148 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 12:34:21.67 .net
>>1
風潮というか、単なる小規模なマニア達の雑談程度でしょ。
そんな大きな話じゃない。

149 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 13:19:41.39 .net
孔明と言わずに諸葛亮と呼べ!

150 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 21:38:55.00 .net
総理大臣だからね

151 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 22:32:06.93 .net
たった20日で撤退したあたり、陳倉攻めは武都攻めのための囮説を信じたくなる

152 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 23:01:22.30 .net
実際そうだろうと思うよ

153 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/05(日) 23:13:22.39 .net
守りの堅い城に籠られたら、20日で落とすって至難の業じゃ?
国が違うが、城攻めの名人と言われる秀吉だって三木城も鳥取城も備中高松城も
もっとずっと時間がかかっているわけだし(にも関わらず城攻めの名人とされる)。

154 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/06(月) 01:46:40.04 .net
>>151
ちんたらしてたら敵の援軍が来る
冬の軍事行動は兵の消耗が激しく、落とせそうにもなければ
慎重居士の孔明ならあっさり見切りをつけて撤退もありえない話しではない

>>153
時代が違いすぎて比較にならない
弓や投石しかない時代と鉄砲のある時代じゃね

防備が万全の城ならば言い訳もできるが、
二次は敵の不意を打ち、防備が調う前に奇襲・強襲が狙い
目論見どおり千余の兵しかいない状況を作れたが
それで攻めあぐねては言い訳のしようがない

155 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/06(月) 07:45:20.75 .net
中出し前提な熟女DCで

俺 「お姉さん、生で出しちゃっておk?」
嬢 「いいですよ〜♪」
俺 「ゴックンは?」
嬢 「なんでもOKですよ〜」
俺 「じゃあ、さ、中で出した後、おま×この中にオシッコしていい?」
嬢 「え”・・・?!」

結局2000円+で了解してもらったけどちょっと涙ぐんでた

たっぷりドピュッとした後でじょおおお〜
妙な興奮があったね

156 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/06(月) 08:12:02.31 .net
>>149
マルチポストするな!

157 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/06(月) 09:26:37.62 .net
諸葛亮孔明ってスゴイよね

158 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/06(月) 18:09:43.12 .net
>>154
もともと曹真が次は陳倉で来る、と読んで城を改築してるので、
別に不意打ち狙いというわけでもない。
そもそも20数日程度の食糧じゃ、とったとしても維持できないし。
陽動策というのに一票。

159 :あう使い:2013/05/06(月) 21:15:50.97 .net
マルチではない!

160 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 01:45:34.82 .net
1800年も経って、未だにああだこうだ議論の的に上がるのはすごいね

161 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 18:40:24.90 .net
諸葛亮に最も欠如してたのは人物眼
馬謖やら楊儀やら…
劉備が諸葛亮をあまり軍事に用いなかったのは、そういう危うさを分かってたからじゃないのか
なにせ劉備の人を見る目は一流だし

162 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 20:30:33.19 .net
劉巴とうまく行かなかったから最終的には左遷させたとはいえ、そもそも楊儀を引き立てたのは劉備なんですが…

163 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 20:49:04.51 .net
>>161
損得勘定抜きで動いていたとも考えられる
任侠の次元

164 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 20:49:11.33 .net
劉備は魏延やら楊儀やら、癖の強い奴らを使いこなしてた印象

165 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 20:54:34.50 .net
魏延をもっと有機的に使えればなと思ってしまう
諸葛亮の統率力は兵卒や官僚に対しては有効でも将軍に対しては微妙だったんだろうか

166 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 21:45:41.86 .net
趙雲をほとんど出世させなかった劉備に人を見る目なんか無いし!

167 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 22:00:29.36 .net
>>165
有機的の意味がわからんのだけど

魏延って諸葛亮生前には珍しく別働隊じゃなくて主軍の采配任されたこともあるんだけど

168 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 22:08:16.62 .net
魏延はもっと早くに劉備に仕えて夷陵あたりで死んでれば間違いなく関羽や張飛と一緒に列伝されてた

169 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/07(火) 23:30:14.84 .net
劉備も曹操も人事ミスをたくさんしてるのに諸葛亮ばかり人が見る目ないとか言われてるのかわからん
諸葛亮にもちゃんと人事での成功例があるのに無視されてるよな

170 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 00:18:49.59 .net
>>168
おいおい、魏延の夷陵までの活動経歴の具体的な行動記述って
「蜀攻略戦に参加して、何回か功績立てました。それで牙門将軍(最下級クラスの将軍)になりました。」
こんだけだぞ。それで周囲が張飛がなると思ってた漢中太守に
劉備の異例の大抜擢で任じられて、そこからすぐに夷陵で死亡してたら
よくてフウ習レベルの知名度しかなかった気がする
魏延の出身地は基本的に平和だった荊州だから、早くに劉備に出会ったとしても
当面は史実通りの展開にしかならないだろうから、大きな活躍の機会はあんまないだろうし。

171 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 00:47:13.90 .net
劉備が評価したけど諸葛亮があまり評価しなかった人物
諸葛亮が評価したけど劉備があまり評価しなかった人物
何か特徴ある?

172 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 02:50:52.85 .net
>>170
>魏延の出身地は基本的に平和だった荊州だから

この認識してる時点でお前に発言権はない

173 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 06:36:20.38 .net
>>172
実際に劉備が荊州入ってから
劉表時代に戦闘を交えたのは夏候トン相手にした一回くらい
とりあえず、お前さんの認識とやらをちゃちゃっと語ってみいや
妄想でなくてな
発言権なんぞお前にもらう筋合いはねえからよ

174 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 08:33:18.90 .net
>>173
夏「侯」惇な

175 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 12:07:14.07 .net
>>173
ははい、アホ野郎は死ね

黄祖と孫権が連年どんだけ戦争してるか忘れてるだろ
黄祖は劉表の江夏太守で江夏は荊州の東の要所
劉表は南下政策を採っていて連年荊州南部の勢力相手に戦争やら反乱の鎮圧を繰り返していた
さらに劉璋が趙イに反乱起こされた時には劉表が反乱勢力に手を貸してて
劉璋と劉表の関係は最悪の状態で一触即発の状態

東西南北に敵を抱えて何度も戦ってるのに「基本的に平和だった荊州」なんて存在しねぇから

176 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 12:16:31.47 .net
>>170
貴様に発言権は無いと言っただろうが!!

177 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 13:04:03.15 .net
なんて精神年齢の低そうなスレだ

178 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 13:19:00.10 .net
実際中学生ぐらいが多いんじゃないかな

179 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 14:07:59.11 .net
中学生でもここまで沸点低くないよw
人を貶さなきゃレスできんのかこいつら…

180 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 14:33:39.43 .net
ううん。朴、小学校でち

181 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 15:27:12.51 .net
>>179
同意。女の腐ったみたいな性格だよな

182 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 15:29:05.30 .net
>>181
いや、おれは女を知らないからその例えはわからない

183 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 17:33:30.03 .net
はいはい

184 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 18:22:59.07 .net
ショタっこは何処かな〜?

185 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 18:30:37.03 .net
>>181
女の腐ったみたいな性格って愚図で鈍間な奴じゃなかったっけ?
沸点低い奴を指して言うには全くの間違いだと思うんだが

186 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 19:10:02.09 .net
>>175>>176で必死な2連投乙ですw本当に無様な馬鹿だなw
>>175
はいはい。知ったか振りで阿呆丸出しな事を言って誤魔化さないでいいから。
黄祖と孫権?劉表と劉璋?劉表の南下政策?どれも周知の事実であるが、
そもそもお前の言ってる論題からは的外れ極まりない事がお前自身に
一番わかってるはずなのに無様そのものだなww
お前の論題はそもそも「魏延が劉備に出会っていたら関羽・張飛に並ぶだけの
立場になれて、そのまま夷陵あたりで死んでいたら列伝も同じくなれた。」という妄想だ。
この論題と主張をもとにするのであれば、魏延が劉備に仕えて、そこから関羽・張飛と並ぶだけの
勲功を立てる必要がある。つまり、その為には荊州において劉備に関連するところで、
関連する時期において戦闘が起きなければお前の主張は成立しない。
まさか、お前の妄想世界では、荊州に入ってきた劉備に魏延が何かの偶然で
すぐさま仕えるような事があったら、劉表がいきなり魔法でもかかったように
対孫権戦線に劉備を派遣するようになるわけか?w馬鹿も休み休みいえよw
劉表の南下政策に至っては官渡以降しばらくして終了してるし、劉備とは関係ないし、
趙イの件に関しても、やっぱり劉備とは時期も場所も離れてて関係ないw
これでどうやったらお前の妄想通りになるんだ?w
お前の馬鹿げた妄想と違って、荊州に劉備が劉表の客将として入ってきて以降、
劉備が荊州制圧に向けて動き出すようになるまで、魏延がいかに早く仕えようと
関羽・張飛に並ぶだけの立場を得られる程に勲功を立てられる戦場なんて存在しないんだよw
で、結局、お前の妄想と違って、劉備が入ってきてから、対孫権戦線は国境地帯の黄租が防いでおり
お前の妄想と全然違って荊州の内地は大部分平和だった、
魏延がこのような状況でいかに劉備に早く仕えても、関羽・張飛並べるだけの
勲功なんて立てられっこありませんww残念だったなww
>>176
残念だけど、お前に発言権なんて認めてもらおうがもらうまいが、知った事じゃないのでw
残念でしたww

187 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 19:33:15.93 .net
wを付けないとなおよし
wを連発した時点で無理に余裕を醸し出そうとしているようにみえるので奨めない

188 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 19:46:21.63 .net
wが生えてると少し下品な印象

189 :あう使い:2013/05/08(水) 20:14:36.58 .net
諸葛亮を孔明と表記するほうが問題

190 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 20:18:22.86 .net
諸葛亮が戦下手という風潮

これでいい?

191 :あう使い:2013/05/08(水) 20:51:05.94 .net
>>190
ベリーグッド!

192 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 21:03:24.70 .net
画数が多くて大変だよう

193 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 22:29:51.95 .net
>>186
俺は平和な荊州なるものに対して突っ込みいれてるだけだから他の主張には絡んでないよ
どんな論であろうとも平和な荊州であるという主張が元ある時点で一切意味がない
そしてその一点を主張した時点でお前には諸葛亮と魏延について語る資格がない
それは単に語るための勉強不足であるから
無能なのは味方も敵もいらない

ちなみにお前は全く知らないのだろうけど
この時、孫権と曹操は同盟関係にあって共同作戦に近い形で荊州を攻めてる
この頃の同盟の枠組みってのは曹操・孫権・馬騰他が組んで周辺勢力を攻撃しているから
「劉備に関連しない」孫権の行動ってのは皆無
趙イの反乱が時期が違う?当たり前だろ
俺が言ってるのは「それ以降の関係が最悪で一触即発状態」ということだぞ
だから曹操が荊州に攻め込んだ瞬間に劉璋が曹操に帰参してる

さらに言うと夏侯惇が攻め込んで来た時だけ、というのは間違い
夏侯惇による荊州攻撃は劉備による曹操攻撃が先にあって
許都の目前数十kmのところにある葉という場所まで劉備が攻め込んでいる
そのカウンターで夏侯惇が攻撃をしているので
>魏延の出身地は基本的に平和だった荊州だから
という主張はおかしいというか演義くらいしか読んでないんじゃないの?と言いたくなるレベル

194 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/08(水) 22:51:41.10 .net
曹操の一生

玉無し宦官の祖父と銭ゲバの父親という悲惨な家庭にチビで不細工な姿に生まれる
風采が上がらず性格も悪かったため友達の一人もいない暗い青春期を送る
周りの人間を見返してやろうと必死になって詩を作るが出来がひどすぎて誰にも相手にされず更に性格がねじれる
高名な許劭に人相見をしてもらいちっぽけな自分になんとか箔を付けようとするが何度も断られまくり
ようやっと付けてもらった名前は『治世の能無し・乱世の玉無し』
三十代になっても一向にニート気質が抜けずろくすっぽ出仕しないまま転職を繰り返す
銭ゲバのクズ父親の仇討と見せかけて徐州を支配しようと企み徐州の民を何十万と虐殺し、国中の人民と知識階級から蛇蝎のごとく嫌われる
どさくさまぎれに皇帝を手に入れた途端長年患ってきた厨ニ病を発動し「おでが一番偉いんだぞー!」と鼻水を垂らしてわめきだす
官渡では「もう袁紹には勝てないおー!」と小便をちびりながら荀ケに愚痴の手紙を送る
たまたま助けてくれた許攸に「お前まだ小便もらしの癖治ってねーの?」と言われたことを恨みに思い許攸を殺害
赤壁では孫権と劉備に叩きのめされた上に疫病にかかり下痢をもらして泣きながら逃走
漢中では再び劉備に叩きのめされ大小便を垂れ流しつつ泣きながら逃走、敗戦の責任は夏侯淵にすべて押しつけ悪態をつく
脅迫し無理やり部下にした司馬懿に国を乗っ取られ泣きながら棺桶の中へ・・・

そんな偉大なる曹操閣下を神と崇める曹操厨は、今日も劉備、諸葛亮、司馬懿への恨みを燃やして2ちゃんで戦い続けている・・・

195 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 01:10:37.95 .net
>>193
おいおい、どっからどう見てもお前だってのに
完全に論理破綻したからって、負け惜しみで寝言いったって無様なだけだぞww
お前がどんなにごまかそうと、お前がもともと「魏延が劉備に早く仕えていれば」
とか寝言をぬかした時点で、それは完全に史実と比べて
お前の主張が間違いだという事がわかるし、
お前が必死にそれを誤魔化そうとしたところで、荊州は国境地帯を除けば基本的に平和だという
論旨もまた揺らがないわけだw
お前みたいな馬鹿丸出しの負け惜しみ馬鹿なんぞ、確かに味方でも敵でも
笑いものにしかならんだろうなww

はいはい、馬鹿丸出しwww
孫権は黄租と結構期間あって戦ってんのにそれが「劉備と関係ある」とか真顔でいうのかよお前ww
本当に負け惜しみでなんとか寝言を貫き通そうと必死みたいだけど、
孫権と劉表の係争は基本的にその客将である劉備とは直接的な関係はないなww
実際に孫権戦線には劉備派遣されてないのでww
完全論破されて発狂してるのはわかりますが、お前の寝言はどっからどう見ても完全崩壊してますww
これで魏延が劉備に仕えてたとしても出世の糸口とするのは無理ですww
自分で持ち出したんだから関係ないとか今更寝言いわないよな?w
本当に馬鹿丸出しで笑えるんだけどww
劉璋のあの時の行動をもって帰参というのは無理だろww
全然屈服してねえしwwこれで帰参とかいうのなら孫権が一時期魏と結んでたのを
帰参とか阿呆みたいな寝言いえるしwwあ、お前なら平気で言いそうだよなw

お前、自分で言ってる事が本当に支離滅裂だとわかってねえだろww
夏候トンのカウンターが劉備の進軍に対するカウンターなんてのは誰だって知ってるだろww
この作戦行動が曹操軍の意思ではなく、劉備の行動から起きたものであり、
結局荊州の内地も戦場になっていない以上、どっからどう見ても荊州は平和だろww
劉備が曹操の領地に攻撃しかけたら、いきなり連鎖反応で荊州内地に損害が発生したりすんのか?w
マジで馬鹿すぎるとしかいえないんだけどww
お前は一体、これで何を主張できると思ったんだ?単に自爆しかしてないあたり、
本当に完全論破されて発狂して負け惜しみで、上から目線を必死で維持する事に
躍起になって書いただけみたいだなwwマジで無様すぎて笑えるわww馬鹿丸出しww

196 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 03:25:46.77 .net
>>195
対黄祖戦線には孫権の援護に曹操軍から張遼が派遣されたり
劉表対孫権ってのは常に劉表対曹操の裏口としての側面がある
曹操と孫権の同盟関係が終わるのが赤壁でそれ以前の両者は蜜月関係
演義しかしらない人に三国志は語れないし「平和な荊州」ってのも間違いだとわかるね

荊州「内地」ってどこ?
突然「平和な荊州」から範囲狭めてきたけどどうしてそんなに限定的なの?
あと劉備が攻め込んだ「葉」は荊州南陽郡の県名な
劉表と劉備は数年掛りで曹操に占領されていた南陽盆地の北部を奪回してたりするんだが
有名なエピソードで髀肉之嘆ってあるけどあんなこと言ってる暇ないくらい戦って戦線を北に押し上げてる
劉備が南陽に入った頃、最前線は新野で南陽の中心地の宛は曹操支配下だった
曹操が袁兄弟と戦ってる頃、劉備たちは南陽北部を攻略して回った
劉表が死ぬ頃、葉や宛は劉備たちの物になっていた
具体的に○○の戦いとされる有名なものはないけど
5年程の間、劉備と曹操は南陽の支配権を巡って延々と争い、小競り合いを繰り返してる

地図見て物言ってる?

197 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 10:11:49.58 .net
めっさ長文

198 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 11:46:04.43 .net
>>196
おやおや〜?どっからどう見ても論破されたのを関係ない事柄出して
煙に巻こうとしてるだけにしか見えないんだけど。
張遼が荊州で戦った事がある、と言って
そんな事がお前の論旨から見て何の妥当性があるのが疑問すぎるのだけどw
別に張遼が黄租の戦線にこようが、お前の論旨である「魏延が早くに劉備に仕えたら関羽・張飛と並べる」云々とは
まったく関係ないわけでね。実際に劉備はその戦線に派遣されてないし。
これで魏延が劉備に早くに仕えたとして、関羽・張飛と並べるだけの勲功を
立てるのはどう見ても無理なんだけどw演義演義と必死にレッテル張りしてるけど、
お前は結局史実上において魏延が劉備に早くに仕えようが関羽・張飛と並べるだけの勲功を立てられる戦場なんか
劉表時代の荊州には存在しない事を理解してなくて、指摘されて発狂してるだけだろw
お前の妄想と違って劉備滞在中の荊州は基本的に国境地帯を除けば平穏ですよw

いんや?狭めてないけど?国境地帯を除く大部分の荊州の事なー。
少なくとも、お前の妄想と違って魏延が勲功を立てて、関羽・張飛と並ぶだけの
立場になれる程の戦場なんかどこにもないと言ってるわけで。
南陽が曹操配下だとか、何当たり前の事いってんだよ。南陽を支配してた張繍は
曹操の傘下に入ってたんだから、曹操の支配下にはいってるのは当たり前だろ。
もともと宛は張繍の支配地であって、劉表にとっては直接支配してた土地でも
なんでもない。本当にこれで何を主張してるつもりなんだ?
まさかと思うが、俺が言った「荊州内地は大部分平和」というのに発狂して
劉表の支配下でもなんでもない張繍の支配下で曹操に帰属した宛を持ち出したわけか?
本当に負け惜しみで論点をそらそうと必死だなw
劉備が南陽を攻略したって?とりあえず正史の先主伝にはそんなこと書いてないし、
曹操軍侵攻の時の最前線は「劉備屯樊」とあるから襄陽であり、「曹操が新野に入った」とあるから、
新野でも戦闘らしきものがあったのか、それとも防衛しがたしと見て離脱されてたのかしらんが、
もともと新野だって劉表時代の時に「劉表は劉備をして新野に駐屯させた」とあるように
劉表の領地でしかない。結局、お前は関係ない事柄をつらつら並べて魏延関連の話題から
必死で論点をそらそうとしてるようにしか見てないのだけどw
ああ、それから劉備が南陽を制圧した、というのなら記述頂戴。劉備の伝にも曹操の伝にもそんなの無いから。

言ってる。南陽や葉が劉備たちのものになってた!という割には、そんな記述無いけど。
劉備が夏候トンと戦った時にも、葉には一時滞在したけど、カウンターを受けて戦略的後退してるしな
少なくともこの時には支配下にしてないように見えるし、その後も征服した記述は特にない。
是非とも、「劉表が死亡する時には南陽や宛が劉備によって征服されていた!」という記述を
出してもらいたいね。よろぴく〜。

199 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 12:02:53.09 .net
治安は悪そう

200 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 12:15:24.40 .net
話しにならんな

201 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 12:16:48.06 .net
おやおや〜?と、よろぴく〜がとっても頭悪そうに見えて残念だ。

202 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 12:19:44.39 .net
非常にムカつく文章なので誰ぞ言い負かしてしまえ!!

203 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 12:41:39.25 .net
>>198
いや、ずっと対曹操戦で南陽平定してるから
ここで大活躍すれば出世できる
第二に孫権との抗争がある
第三に南部でのいくつかの戦い、小競り合いがある
こういうところでポイント稼いでおけば後で劉備と手を組んだ時にすぐに出世できる

西部だけは睨み合いだから出世できる戦争があったという事実はないが
荊州は常に戦乱と無関係じゃいられない土地

とりあえず「荊州内地」という謎の概念出してきたんだから
どこからどこまでを内地として認定しているのかちゃんと提示しろよ

204 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 12:50:17.78 .net
>>198
荀イク伝読んでないから葉についてそういう間違った認識を出してまうんや
マニアックな人物じゃなくてメインと言っていい人物の伝も読んでないとか、やっぱ正史読んでないんやね

205 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 13:10:37.42 .net
>>203 
はい無理無理。
まずはその対南陽戦線とやら、あるいは南陽や宛を完全平定した、
という記述出してもらってないんだけど。
知ったかぶるならさっさと出してね。どう見ても、上から目線で
抽象的に断言して勝利宣言したがってる、いつもの手法にしか見えませんがw
次に孫権戦線だけど、ここに劉備が派遣された事はないです。魏延が何かの偶然で
劉備に早く仕えたとしても、それで劉表が魔法にでもかかったように
劉備を対孫権戦線に派遣する事はまずありえません。
第三の南部の小競り合いでもそう。というか、またお前論旨変わってるだろ。
「魏延が劉備に早くに仕えていたら、勲功を立てて関羽・張飛と並ぶだけの立場に〜」
なのに、なんで劉備に仕える前に勲功立てる云々になるんだ?
そんな話なら、劉備に仕える必要性は特にないから、史実でも可能ならできたろ。
でも魏延はそんな風にはなってなかった。結局、そういう事はしてなかったって事だ。
本当に負け惜しみが酷くて誤魔化すのに必死だなww

お前の時系列も全然バラバラの妄想で断定されたって何の意味もないって。
実際にはお前の妄想と違ってそんなことないから。

謎なのか?日本語読めればそれであっさりわかるはずだけどな。
国境地帯以外の内地の大部分の事だな。
というか、お前自身が劉表の支配下でもない宛の事持ち出してきたのに
何を寝言いってんだか。さっさとその摩訶不思議な理屈を説明しろよ。
>>204
はいはい。「苦しくなったら具体的には説明できずに、抽象的に宣言」という
お前の寝言はいいから、具体的に記述なりなんなりだしてね。
そしたらこっちもちゃんと正史の該当部分を検討してあげるからー。
さんざ逃げ回ってるようだけどよろぴく〜。

206 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 13:54:52.39 .net
なんだ本当に読んでないのか

荀イクは曹操の荊州攻めに際して宛と葉を攻撃しろって言ってる
曹操の荊州攻めではこの進言通りに攻め込んでて
曹操本隊が宛を、曹洪率いる別働隊が葉を落としている

何故曹操は宛と葉を攻撃するか?
劉表の支配下だから攻撃する

具体的に何時落としたかは書いてないけどちゃんと読むと劉備が南陽に入ってからの数年間
ただ遊んでたわけじゃないどころかむしろ仕事してたことがわかるね
そしてこの期間に大活躍できれば劉備直属でも大出世はあり
東部戦線や南部戦線でも活躍してれば同様に目はある

207 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 14:23:29.47 .net
>>206
なーんだ、結局お前の妄想と推測か。というか、wikiの丸写しじゃねーかよww

原文では「攻撃しろ」とは言ってないぞ。原文では「可顯出宛葉」となっており
これは直接的に読めば「あからさまに宛と葉に進出すべし」というような意味になる。
それは後の文である「太祖直趨宛葉」つまり、「曹操は直接宛と葉の方向に動いた」と
なっており、攻撃したなんて原文じゃ少なくとも一言も言ってない事がわかるな。
そもそも荀ケの献策自体が「宛と葉の方向にあからさまに進出し、
その間に身軽な兵を動かして不意をつこう」という陽動襲撃策なのであって
「宛と葉を攻撃する」という意味である必要自体が無い。
お前って毎回思うけど、本当に漢文読めないのなww正史正史と連呼しながら
まさかwikiの丸写しだとは思わなかったわww
残念ながら、お前の妄想である「劉備が南陽や宛を完全攻略した!」というのは
完全に木端微塵だなwwマジで笑えるんですがww

上記によって以下のお前の論旨は完全崩壊ですな。
そんで、東部戦線や南部戦線には劉備は派遣されてもいないし、関係もないので
魏延が劉備に早くに仕えようと関係ないね。
それでも可能だっていうんだったら、
それは劉表時代に劉備に仕えてない史実の魏延でも可能だって事になる。
でも史実の魏延はそんなことしてません。
結局そんなことはしてなかったって事なわけだ。残念だったなww

208 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 14:59:47.65 .net
>>207
せっかく例示してるんだから曹洪伝読めばいいのに

劉表征伐時に潁川の舞陽、舞陰、南陽の葉、堵陽、博望と順繰りに落としてるからね

209 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 15:11:59.43 .net
>>208
はいはい。どうせ言葉に詰まったら曹洪伝出してくると思ったが
今回も原文と見当違いの文章だしてドヤ顔とか笑えるんだけどww
「南陽の葉」なんて原文ではどこにも書いてありませんのであしからずww
原文では「破表別將於舞陽、陰葉、堵陽、博望」
つまり「劉表の別働隊の将を舞陽、陰葉、堵陽、博望で破った」とあるだけで
お前の妄想と違って「南陽の葉」なんてどこにも書いてないんだけどww
「陰葉」と他の地名と一緒くたに書かれてるように、単なる一地名としか読めないのに
どうやったら舞陰と南陽の葉にわけられるのか、謎すぎなんですがww
本当に妄想が酷すぎて笑えるww

210 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 15:24:08.88 .net
>>209
地名知らないでそこまで凄むバカだったとはな
陰葉なる地名がどこにあるとでも言うのか知らないがさぞや近くにあるんだろうね

「舞陽」「舞陰」「葉」「堵陽」「博望」で地図見れば密集してるのに
地図見ろよ、地図をよ

211 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 15:26:41.01 .net
ちなみにその「原文」の句点って後の人が勝手に読み易いように付け加えたもので
最初からあったわけではないから絶対視しない方がいいよ
有った方が読み易いけど

212 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 15:41:20.24 .net
>>210
だから結局それはお前の妄想にしかすぎんのよ。
史書原文には「陰葉」とはっきり明記されてるわけで。お前の妄想通りなら
わけて舞陽、葉、と書けばよかっただけ。でもそんな事してないなー。
しかもお前の妄想と違って「攻略した」とも書いてないわけよ。
「破」としか書いてないわけで。「陥」とも「落」とも書いてないわけで。
この「破」というのは野戦で敵を打ち破った時や、
敵の野戦陣地などを打ち破った時などに使われる事が大抵。
現に劉備が博望で勝利してる時はもろに野戦だしな。
そうして見れば、曹洪は「野戦、あるいは野戦陣地」の敵を打ち破った事になる。
お前の妄想通りに劉備が完全平定してたとはとてもとても。

213 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 15:43:26.59 .net
>>211
正史の漢文記述間違えまくってるお前が言うと説得力が皆無に等しいなww
お前の妄想通りだとしたら、今度は「陰」という新しい地名が登場しちゃう、というか
他の地名だって滅茶苦茶になるだろうがww本当に馬鹿丸出しで笑えるww

214 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 15:49:57.37 .net
>>213
陰葉って地名どこ?

215 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 16:02:20.10 .net
三国志集解では五県としてるね

「陰葉縣」は存在してない

216 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 16:18:53.97 .net
>>214 >>215
さあねー、それいったら南陽の葉、とも舞陰とも書いてないな。
というか、>>212をはじめとするお前にとって数々の都合の悪い事柄に
ついての解答はどうしたわけ?
そうやって突っつけそうな所だけ突っつくのやめろって何度も言われてるよねw
ちゃんと順序良く答えてもらわないと。
早くしてくれないかな〜?

217 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 16:34:48.63 .net
>>216
もはや貴様は只の荒らしだ

218 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 16:48:05.57 .net
>>217
おやおや、論破されかかるとそれですか〜?
ご自身は好きなだけ妄想で他人をたたいてよくて
論に困れば好きなだけ相手のいう事をはぐらかし、あるいは曲解し、
あるいは相手にレッテルを張り、
自分は自分に突っ込めそうな所だけを延々と突っついて粘着し
勝利宣言することに執着するのがよくて、
相手がお前にたいして筋道立てて論旨を答え、お前の妄想を史実によって
検証して反論し、お前にもちゃんと順序と筋道立てた、曲解やはぐらかしや抽象論の無い
きちんとした諸々の事柄への解答を求めると荒らし、になるんですか?w
お前は好きなだけ相手を叩けて、妄想振りかざして、レッテル貼って抽象論や曲解でごまかして
都合悪い所は突っ込まれず、都合いい所だけ突っつく事に執着し続けて
最後に勝利宣言できるのが、貴方の中の「議論におけるあるべき姿」なのかもしれませんが、
こちとらそんなものに付き合うつもりも義理もありませんのであしからずww
本当に馬鹿丸出しで笑えるなwwほれ、ちゃちゃっとお前が都合悪くてスルーしてる
数々の事柄に答えてみせんかいw自分は都合悪い所スルーして、
都合いいところだけ突っついて粘着できるとでも思うなよwwネット廃人ww

219 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:02:25.26 .net
217と貴様に付き合ってやっていた御人は別だ。

各々方、スルー致しましょう。

220 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:05:19.50 .net
>>219
どう見ても同じ人に見えるんですがww
ていうか、最初っから最後まで同じ人ですよね、貴方ww
文体も行動も全く同じでそんなこと言われると笑いしか出てこないんですけどww
本当に毎回毎回やる事同じすぎて笑えるんですがww

221 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:09:33.08 .net
というか、「付き合ってやっていた」とか「御人」とか
一々自分を持ち上げないと精神の平衡が保てないのかと笑えるのですがw

222 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:12:58.19 .net
なんだと!?
俺はネット廃人ではない!!
お母さんに言いつけるぞ!

223 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:14:12.12 .net
>>220
同じ人じゃないあるよ
みんな荒らしだとおもてるあるよ

224 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:25:03.24 .net
>>223
で、「みんな荒らしだと思ってる」割に
一方の事だけを「荒らしだ」と叩き
もう一方の方を「付き合ってやっていた」「御人」とわざわざ持ち上げたとw
本当にもう、言ってる事とやってる事が支離滅裂で笑えるんですがww
貴方はこんどその路線でいくんですかwwマジで笑えるんですがw

225 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:51:05.10 .net
>>223
お前みたいな奴は何が楽しくて生きてるんですか?www
早く答えて欲しいんですがw
まじで笑えるww草で笑い声を表現してるにも関わらずw笑えるって付け足すくらい笑えるwwww

226 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 17:56:59.54 .net
>>225
そうだよなーww
>>223のエセ中国人風の口調でしゃべってる、「魏延が劉備に早く仕えてたら
関羽・張飛と並ぶだけの立場になれた」と主張なさり
相手を発言権だの、正史読んでないだのレッテル貼ってた割には
正史の漢文記述もろくに把握してなかった変な魏延愛好者さんは
一体何が楽しくていきてるんでしょうねww本当に疑問ですよww

227 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 18:57:08.45 .net
>>216
三国志集解では潁川と南陽の各県であるとしているね
俺も一つ勘違いしていたけどく舞陰は潁川ではなく南陽と潁川の境界に近い南陽の県だな
潁川の舞陽と南陽の四県で合計五つの県がこの時の曹洪の攻撃で落とされてるとしている

君の主張するような「陰県」も一応南陽の西の果ての方に在ることはあるんだけど
これは距離的に考えてありえないので「舞陽」、「陰」という別々の地名ではないと見る方が妥当だろう
舞陽、舞陰の事と考えるのが妥当であるとする見解も集解の説は正しいと思うよ

228 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:02:00.55 .net
ワタシでるとややこしくなるある
なのてだまつてるある

229 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:22:09.66 .net
>>227
だからー、>>212をはじめとするお前に都合の悪い数々の事柄に対する返答は
どうしたのー?
地理で見ると「お前の主張している5県」は地理的にかなりバラバラ
曹洪が単独で「攻略」していったとするのはかなり無理あるな
結局のところ、お前さんの言ってるルートがもしも攻略されて
裏返しにすると劉備によって制圧されていたのなら
劉備が新野やハン城にいるのがおかしくなる
まあ、俺は困らんので長く長くじっくりと地理も含めて
これから何日もかけてお話していきましょ。

230 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:26:53.38 .net
>>227
それからさー、お前ってやたらと三国志集解を連呼するけど
本当にそんなこと書いてあんの?正史の漢文記述すらあいまいなお前が?
とりあえず、集解の中で、その記事は何から引用してるのか
教えてもらえる?集解からの引用というなら、その集解の中に引用した
元ネタの記事や書物の名前が書いてあるはずだ。
お前の言ってる事は何をもとにしてる事なのかいうてみて。

231 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:33:37.24 .net
>>229-230
どうでもいいよ
平和な荊州って主張は崩れたね

終了

232 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:39:16.15 .net
>>231
全然崩れてねーだろ。
お前の言ってる地帯ですら劉表の支配下ですらない、
とっくに曹操支配下だった地域だったのに今更何をほざいてんだ?
劉表時代の荊州は国境地帯を除けば基本的に平穏で
魏延が劉備に早くに仕えようと、関羽・張飛と並べるだけの勲功を立てられる
戦場はありません、でFA出てるわけで。
つまり、お前の論旨は毎度の如くに完全崩壊、と。

都合悪くなると逃げ出すあたり、やっぱり集解の名前だけ使って
自分の適当妄想騙ってただけだってオチかよ。

233 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:51:37.07 .net
趙一清は前漢書地理志を引用して該当箇所への注釈として
「舞陽属潁川、下四縣?属南陽」(舞陽は潁川に属し、下四県はともに南陽に属している)
とし、郡国志でも同様であるとしている

また王先謙は一統志を引いて「陰縣故城,今襄陽府光化縣西。」とし
補足として「陰縣距舞陽、葉、堵陽、博望甚遠,舞陰相距甚近,傳文連類而及,則“陰”當系“舞陰”之誤」
(陰県は舞陽、葉、堵陽、博望より甚だ遠く、舞陰は甚だ近い、陰は舞陰の誤りである)

234 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/09(木) 19:53:45.87 .net
これでおっけー?

今は集解もネットで読めるから名前出たとしても相手が読んでないと思い込むのはよくないと思う

235 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 18:13:25.62 .net
>>233 >>234
オッケー。まともな論拠を持っているならよし。

で、検討に入りましょ。
長いので次レスからお前さんの主張している「劉備は果たして南陽を完全平定したのか否か」
という事についてちと検討してみよう。

236 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 18:30:16.00 .net
>>233 >>234宛続き
ここらで一旦論点と論旨の整理。
>>233 >>234の魏延信奉者の主張論題は以下の2点
1.「魏延は劉備に早くに仕えていたら、勲功を立てて関羽・張飛と並ぶだけの立場になれた」
2.「その為の戦場としては対孫権戦線、南方の反乱鎮圧、さらには劉備が南陽を完全平定した北方戦線がある。
劉備は南陽を完全平定している。曹洪伝がその根拠となる。」

1.が成立する為には2.が真であり、正でなければならない。
で、果たして2.はそうであるのか否か。
この論題においては
「魏延が劉備に早くに仕えて関羽・張飛に並ぶだけの立場になれる勲功をあげられる戦場があるか」
というのが一つのポイントであるので、それと関係ない事柄は不当である事になる。
で、史実の劉備は対孫権戦線にも対南部反乱鎮圧にも派遣された事は無い。
よって魏延が劉備に早くに仕えたとしても、この戦線に派遣される可能性は無い。
劉備に仕えなくてもいい、というなら、史実の魏延でも実行可能なはずであるが、
史実の魏延はそんな事をしていない。つまりは所属部署などの関係で参加するのが無理だったか、
記録に残ってないだけで参加はしてたのかもしれなくとも、
記述に残るだけの功績はあげてなかった、という事になる。
よってこの二つの戦線は「魏延が劉備に早くに出会って関羽・張飛と並ぶだけの立場になる為の勲功をあげる戦場」
としては除外していい事になる。
よって、この魏延信奉者が必要とする条件を満たしうる戦場としては、
魏延信奉者自身が主張している、「劉備が南陽を完全平定した(と主張する)北方戦線」
だけとなる。
つまり、ここでのポイントは「劉備は南陽を完全平定したのか?
そして、それに伴って主張されるような北方戦役なるものは存在したのか?」という事になる。
(続く)

237 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 18:43:34.33 .net
>>236の続き
この魏延信奉者が主張する北方戦役なるものにおいては
>>205における当人のレスがその内容となる。
>>205に示される該当内容を整理してまとめると以下のようになる。
1.劉表と劉備は数年掛りで曹操に占領されていた南陽盆地の北部を奪回している
有名なエピソードで髀肉之嘆ってあるけどあんなこと言ってる暇ないくらい戦って戦線を北に押し上げてる
2.劉備が南陽に入った頃、最前線は新野で南陽の中心地の宛は曹操支配下だった
曹操が袁兄弟と戦ってる頃、劉備たちは南陽北部を攻略して回った
3. 劉表が死ぬ頃、葉や宛は劉備たちの物になっていた
具体的に○○の戦いとされる有名なものはないけど
5年程の間、劉備と曹操は南陽の支配権を巡って延々と争い、小競り合いを繰り返していた

以上の3点が>>234の魏延信奉者の主張する北方戦役なるもののあらましとなる。
そしてその根拠として、曹洪伝に示される記述を根拠としており、それをまとめる事で
魏延信奉者が主張する北方戦役の論点第4項となる。すなわち、
4.上記1から3において示される北方戦役に関しては曹洪伝示される記述が根拠となる。
「破表別將於舞陽、陰葉、堵陽、博望」この記述は曹洪が荊州の南陽郡北部を平定していった事を示している。

以上で>>234の魏延信奉者さんが主張する北方戦役に関する大まかな論点は出そろった事になる。
で、果たしてこれは正しいのだろうか?
(続く)

238 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 19:29:32.26 .net
>>237の続き
この魏延信奉者が主張する北方戦役は>>205のレスから見るに
5年にわたったものであるらしい。
しかし、正史における記述で劉備が北方に踏み込んだのは一回だけ。
その詳細は李典伝に記されているが、要約してみると
「劉表は劉備を使って北に進ませ、葉に至らせた。曹操は李典と夏侯惇を派遣してこれを拒ませた。
劉備は陣営を焼いて去り、夏侯惇は李典の忠告を聞かず、于禁と共にこれを追ったが
劉備の伏兵によって窮地に陥ったが、後続してきた李典の兵に助けられた。
劉備はそれを見て退いた。」
これと符合する文は劉備の伝である先主伝にもあるが、それを要約してみると
「劉表は劉備を使って夏侯惇と于禁を博望で拒ませた。劉備は一旦陣営を焼いて去り、
偽装退却した。それを追撃した夏侯惇と于禁は劉備の伏兵によって破られた。」
上記を見るに、劉表・劉備にとってはこの戦いは防衛戦的な意識があったらしい。
留意すべきなのはこの戦いが李典が袁一族の高幹との戦いに参加する前に
書かれている事から、大体建安10年つまり205年ごろの事であろう事、
そして、「劉備は葉に至った」とはあるものの、別に「平定した」とは書いてない事、
そして劉備の偽装撤退を追撃した夏侯惇らは平気で博望まで追っかけている、という事である。
地図で見ればわかるが、葉から博望までは結構な距離がある。
戦闘終了後には劉備はそのまま引き返しており、特にどこかを制圧した様子も維持している様子もない。
そうすると、この205年の段階ではまだ少なくとも北方を制圧してはいないとみられる。
「5年間にわたって脾肉を嘆く暇もない程に戦った」と論点1で魏延信奉者が主張する割には
これ以外に劉備が北をおかした記述は存在しない。
そして、論点2において「劉備が南陽に入った頃、最前線は新野で南陽の中心地の宛は曹操支配下だった
曹操が袁兄弟と戦ってる頃、劉備たちは南陽北部を攻略して回った」と主張し、
論点3において「劉表が死ぬ頃、葉や宛は劉備たちの物になっていた」としている。
しかし、正史の記述を見るならば曹操による荊州侵攻の段階で劉備は「劉備屯樊」となり
樊城に在している。新野よりもずっと後ろである。そして当の新野が曹操に攻略されたのは9月であり、
それを見て劉jは降伏したとある。これらの記述から見ても、当時の最前線が新野であるように感じられる。

239 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 19:40:06.56 .net
>>238
5年に渡ったものじゃなくて劉備が荊州入りしてからの数年間が史書にはほとんど記載ないけど
劉備の駐屯地やその後の移動範囲を考えると南陽で小競り合いを繰り返して徐々に北進してるってことだよ

期間的に大体5年程の間に行われてる

240 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 19:48:07.87 .net
博望って宛の北側にあってそこで「防がせた」ってことは張繍の降伏で曹操のものになった宛が落ちてる
博望の北東にある葉に攻め込むってことはそこまでの輸送路、退路を考えると
経路上にある荊州の諸県は無力化ないし占領されてるってことになる

落としたとは書いてない、って当たり前
地図見ないからそういう書いてないけど地図見ればその辺の記述で大事なものが抜けてる事に気付ける
「基本平和だった荊州」という勘違いも防げる

241 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 19:50:20.37 .net
>>238の続き
そして、論点4において魏延信奉者が根拠としてあげる曹洪伝の記述であるが、
原文においては「破表別將於舞陽、陰葉、堵陽、博望」
これを魏延信奉者は「舞陽、舞陰、南陽の葉、堵陽、博望」の5県の事であるとする。
地図で見る限り、これは相当曹操領土の内部である。舞陽など荊州を通り越して潁川の領域である。
曹操は記述によると、7月に南下を開始し、9月に新野に入り、劉jが降伏している。
そもそもこれは荀ケの献策にもあるように、陽動をもとにした機動急襲策である。
曹操が宛まであからさまに進出し、敵の注意をひきつけ、その間に身軽な急襲部隊が一気に襲撃して敵の不意をつく、
これが見事に図に当たって2か月で宛から新野まで至ったとするなら無理がない。
優れた陽動作戦の成功例と言える。
しかし、魏延信奉者が主張するように曹洪がその「急襲役」であるとしたら、
こんな見当違いの所を攻撃して2か月で新野まで至る事が可能なのか?という疑問に突き当たる。
そもそも曹洪伝の記述をもとにするなら、彼の進軍は博望までであり、新野まで至っていない。
もっと根本的な問題として、この曹洪の戦い自体が208年における曹操の荊州制圧戦の事であるとは
どこにも書かれていない。
(続く)

242 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 19:57:17.82 .net
>>239 >>240
残念だけど、お前さんの論旨は既に破綻してる。
俺は関連地図は既に読んでる。
その上で夏侯惇が博望まで追撃できているのは、
お前さんの論旨からいって明らかにおかしい事になる。
進軍できただけで劉備に無力化されてる事になるなら、
葉から博望に至るまでの長距離は夏侯惇によって無力化されている事になる。
この時点で大きな矛盾が生じる事になる。

それで曹洪伝の記述もお前さんのいう意味とは
まるで別物だと考えるのが妥当だと把握している。
とりあえず、勝手に認定する前に人の論旨は最後まで読むんだな。

243 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:14:57.59 .net
>>241
曹洪の別働作戦を建安元年とか勘違いしている人がいるが
劉表が張済と戦った時は南陽のど真ん中の穰で迎え撃つほど勢力圏が小さく
南陽北部なんてほとんど手付かずで張済の略奪を受けるままだった

そんな状況で「劉表」の城を攻略とかありえないよ

244 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:20:02.03 .net
>>242
劉備は夏侯惇が来ると砦を焼き払って撤退を妨害してる
にも関わらず強引に追撃掛けて破られてる

劉備は攻める側だから、輸送路、退路を確保するために博望から葉までの間を準備するが
夏侯惇は追撃で突出しただけで劉備とは全く事情が違うよ

攻撃側と防御側の差異を無視しても意味がない
あと夏「候」惇って書かないみたいだけど上の人と違う人なの?

245 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:24:16.47 .net
>>241の続き
>>241における諸問題を整合しうる解答として、曹操の203年における西平侵攻が挙げられる。
記述によれば「曹操は劉表を征伐する為に南に軍を動かし、西平に至った。」とある。
つまり、208年の侵攻以前に、曹操は一回、劉表方面に向けて兵を動かしている。
地図から見るに西平はどう見ても曹操側の地点なので、この時に曹操が制圧したわけでなくとも、
ここまで曹操が兵を動かした事は事実という事になる。そして、この西平の位置から
舞陽、舞陰、南陽の葉、堵陽、博望を結んでいけば、非常に無理のない進軍範囲が出来上がるだけでなく、
一つの事を示唆してくれる。
すなわち、宛が無力化されてはいなかった、という単純な事実が。
曹操の前に宛を治めていた張繍は穣までを拠点としており、曹操もここまで攻め込んでいる。
そしてその張繍が下っている時点でその支配下にあった地域も曹操に従ったと見るのが
妥当と思われる。そうであるならば、曹操の勢力圏は宛のさらに南まで伸びており
そこから見る対曹操への最前線はまさに新野となる。
(続く)

246 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:31:13.19 .net
>>243
すくなくとも、203年の時点では既に劉表はそんな弱小から脱してる。とっくの昔にね。
というか、白々しく言い出して別人設定でもやりたいのか?
実際に張繍に対して長期間援護して、援軍まで送って曹操を撃退もしてる。
203年の劉表がそんな弱小だなんてとてもとても。
少なくとも208年のものとするには諸々の事項から無理が出すぎなんだよ、お前の妄想。
>>244
そんな事言ったら劉備が葉に進出した時にもその理屈が適用されないのは
おかしい事になる。そもそも陣地を焼いただけで、砦焼いたわけじゃないし。
というか、お前の理屈だと劉備がそのまま新野まで帰ってる事にも説明がつかなくなる。

247 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:34:08.30 .net
>>243
ああ、それから追記として
「曹操が劉表を征伐する為に西平まで軍を進めた」
これは明確に正史に書いてある事なのであしからず。
もし、この先に劉表の勢力が存在しないなら、曹操が西平に兵を進める必要は無い。
そして曹洪の進軍記述を合わせるなら、ものの見事に合致するわけだ。

248 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:40:29.08 .net
>>243
というか、なんで203年が建安元年なんだ?203年って建安8年だぞ

249 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 20:54:39.99 .net
>>245の続き
結局のところ、曹洪が208年の段階で舞陽、舞陰、南陽の葉、堵陽、博望の
5つの城を攻略する、というのは正史の記述から見て著しく整合性を欠く。
そして、これらの範囲は魯陽、雉、宛、といった範囲とは見事に被っていない。
となると、魏延信奉者の主張するように
「宛は無力化されている事になる」とならなくても、曹操の南陽における勢力圏は
安定していた事になる。そして、曹洪が203年の段階において、5城で劉表の軍を
打ち破ったのであれば、南陽北部は曹操の勢力範囲となった事になる。
劉備の侵攻記録が一回しか存在しない事、しかもそれの中においても、
領域確保に固執せずさっさと帰って新野まで戻っている事からも
208年の曹操による荊州制圧侵攻における動きから見ても、
魏延信奉者の主張するような「劉備が南陽郡を完全平定した北方戦役」は
存在しないと見るのが妥当と思われる。

250 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 21:54:12.38 .net
>>248
ああ、君はwikipediaの203年説推しなのか、見間違えてた
てっきり有力な196年説で来るかと思って更新しないで書き込んでしまったんだ
というかあれだけアホみたいにこだわった地名の陰葉って曹洪のwikipedia記事かよ…
203年説なんて考えてなかったからついぐぐっちゃったよ

203年なら宛以北を失った劉表が落とされた県までまで押し返してる事実は変わらないよ
劉備の参画も変わらない、「平和だった荊州」ってのも成り立たない
劉備と曹操が南陽を巡って延々と小競り合いしてたってのも変わらない
議論としたら意味ないのだがね

251 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:10:42.72 .net
>>250
阿呆杉
陰葉って普通に正史に書いてあるやん。
つーか、普通に曹操が西平に至ったのは建安8年、つまり203年の事だと
はっきり正史に書いてあるのに、相変わらず言われて悔しかった事を
無理やり相手に押し付けて発狂するのいつも通りのパターンですね

嘘こけ。
延々小競り合いなんか全然繰り返してない事になる。
劉備がやったのは一回だけ。曹洪がやったのも一回だけ。しかも劉備のは制圧してすらいない。
しかもその後は戦線安定。曹操が208年に荊州制圧を開始する時点で
劉表側の最前線は新野という事になるし、実際の経過でも曹操が7月に出陣し、
9月には新野を攻略してる経過でそれは証明されてる。
結局のところ、お前の言うような「劉備が5年にわたって延々と小競り合い」をしてもいなければ
「劉表側の最前線が南陽北部末端」までいってもいなければ
「劉備が南陽を完全征服」してもいない事になる。
いつもいつも論旨を粉々にされたら、論旨を曲解して自分に都合よく
議論の流れをすり替えるのやめろって何度も言われてるだろ、ネット廃人。
意味ないどころか、これでお前のいうような北方戦役などなくて
「劉備に魏延が早くに仕えたとしても関羽・張飛と並ぶだけの勲功を立てる戦場は無い」となり
結局大部分の荊州内地は平和でした、というオチで終了するだけ。
いくら曲解しようともお前のこれまでのレスを捻じ曲げられると思うなよ。
というか、他のお前にとっての都合の悪い数々の事柄に対する解答はどうした?
都合悪いからってスルーして逃げられると思うなよ

252 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:22:12.14 .net
>>251
いや西平に出たけどそこまで出て即帰っただろ

その時に曹洪が別に遠征を行ったとしたら
劉表は曹洪が落とした拠点を持っていたことになるね

つまり203年の段階で劉表と劉備たちは荊州北部を落としていたということになって
「平和な荊州」ではないし「劉備が曹操と南陽を巡る小競り合いをしていた」ということに変わりはないよね

だから意味がない

253 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:27:21.69 .net
てかよく考えたら、曹洪って曹操と一緒にギョウ攻撃に参加してんじゃん

どうやって西平から取って返してギョウ攻撃してるのに曹洪が曹操と別行動で五県も落としてることになるんだ?

254 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:41:05.51 .net
>>252
即座になんか帰ってない。時期までは書いてないからな。「袁一族が争い始めたので」
とあるように、明らかにタイムラグが存在している。

ならない。
お前の論旨は「劉備が南陽郡全域を5年にわたって小競り合いを繰り返して完全征服」
したというもの。
曹洪が攻撃した部分は宛などが無力化されてなくても問題ない場所にあり、
この時点でお前のいうような「劉備が南陽を完全攻略」なんてしてない事になる。
さらにいうなら、お前が都合悪くて完全スルーしてる事ではあるが、
「劉表死亡の時における劉表側の最前線は南陽北端」というのも
これで完全に崩壊する事になる。というか史実で見る限り、明らかに劉表死亡時の
劉表側最前線は新野だ。
結局、南陽をめぐる争いは曹洪が一回、劉備が一回、それだけ。
しかも劉備の場合は明らかに制圧を狙ってもいない。これでお前の論旨は完全崩壊するし、
お前の当初の主張である「魏延が早くに劉備に仕えていれば、関羽・張飛に並べるだけの
勲功を北方戦役であげられる」というのも破綻する事になる。
いい加減、都合悪い所スルーして曲解するのやめろっていってんだろ。
さっさとお前が都合悪くてスルーしてる数々の相違点に答えろといってんだよ、ネット廃人。
>>253
曹洪伝にはそんなこと書いてないぞ。何をもとにしてるんだ?

255 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:52:01.80 .net
>>254
完全征服ってどこで書いたっけ?

このスレでその言葉使い始めたお前さんじゃないか?

256 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:54:56.50 .net
>>255
人に説明を要求する前に、お前がスルーしてる数々の相違点に答える事から
はじめてもらおうか。
そうやって自分に都合の悪い所ははぐらかし、スルーして、そのくせ
自分に突っ込めそうな所だけ突っ込んで質問返しを繰り返し、
最後にレスする事に執着するお前のやり口は知り尽くしてるから
まずはお前から答えてもらおうか。ほれ、早くしろ、ネット廃人。

257 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:56:31.32 .net
>>254
武帝紀

258 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 22:57:13.18 .net
>>256
お前からやれよ

陰葉の所在地はどこ?
まずこれに答えろ

259 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 23:02:26.06 .net
>>257
それってその次の年の2月から始まってる遠征だろ。
曹操が203年8月に西平に駐屯してからは6か月近い歳月があるぞ。
>>258
お前が最初からずっとスルーして逃げ回ってるだけだろうが。
ほら、そうやって自分は答えずに相手にだけ押し付けて
質問返ししようとしても通用せんぞ。
ほれ、さっさとお前がスルーしてる数々の相違点について答えろよ。

260 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 23:03:36.10 .net
>>258
それとも何か?
お前のスルーして逃げ回ってる論旨や相違点の一覧表でも作って晒して欲しいか?
いつまでだって、何日だって聞くぞ

261 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 23:09:45.03 .net
このスレ伸びてると思ったらjomi来てたのか

262 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/10(金) 23:19:00.76 .net
>>259
違う
8月に西平から引き返し10月に黎陽に到達して許に引き返さず翌年2月に包囲戦開始してる
曹洪が西平から別働隊で南陽に攻め込むのはありえないだろ
もっと大事な袁家の兄弟喧嘩の隙狙って戻ってるのに
そしてそのままギョウ攻略に参加してるのに曹洪に南陽攻略さる意味がない

>>260
作りたいなら作ればいいが陰葉の位置を示さない限り俺はお前が何を言おうと位置を聞くぞ
実在してない脳内都市があるって散々わめいたんだから
精々頑張って位置探しするんだな

263 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 20:31:13.90 .net
魏延が大将軍だったら蜀の天下もあり得た

264 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:07:48.83 .net
>>262
違う違う。お前の妄想と違って8月に西平に至ったとあるだけで、
引き返したのがいつかなんて書いてない。袁一族が内紛を開始して
袁譚が不利になって曹操に援軍を求め、曹操それについての会議を開き、
荀攸の献策を受けて進軍を開始する、これらの流れが全てひとまとめにかいてあるだけで
8月に引き返した、なんてどこにも書いてない。わかるのは10月に黎陽に至った、
ただそれだけの話だ。そして、曹洪が明確に記述に登場するのはその次の年の四月。
しかも、その時の役割は鄴を包囲させ、その間に曹操が軍勢を率いて敵軍を撃破する、という
防御的なもの。時期的に見ても曹洪が南陽を攻撃した後に引き返して合流したと
見れるだけの時間は十分に存在しているし、途中合流だったとすれば
曹洪が任された役割も納得できるな。少なくとも、お前の妄想だと208年の曹操荊州制圧において、
2か月で葉だの宛だのぶった切って新野まで到達した、とかいう寝ぼけた妄想よりは
断然こっちのが理解しやすいな。

脳内都市?正史にしっかり明記されてる地名だけど?
これを存在しないというのは単なる注釈の一説でしかない事を忘れるなよ。
無いというならお前が明確な証拠出さないと話にならんし。
第一、お前、そうやって散々自分で言い出してきた事を
無理が出まくったら相違点をスルーしまくるって事は結局答えられないって事だよな?
そうやっておこがましく相手に押し付けて逃げ回ってないで、
さっさと相違点について答えろと言ってんだよ。逃げてんじゃねえぞ、ネット廃人が。

265 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:18:09.85 .net
陰葉ってどこですかー

266 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:25:45.91 .net
>>265
劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽北端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

267 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:27:39.59 .net
陰葉ってどこですかー

268 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:38:54.33 .net
>>267
劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽北端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

269 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:40:56.94 .net
正史には陰陽って書いてあるんじゃないんだけど

〜舞陽陰葉堵陽博望〜ってように句読点とか中黒付けるのは現代人が読み易くするための工夫で
何本参考にしてるのか知らんけど正史に「陰葉」という地名が載ってるってのはただの勘違いなんだけどな

あるというならばその位置を示せ
元から平和な荊州とか勘違いしてて発言権ないけど
存在しない地名を在ると強弁するならその土地の所在の証明を発言するだけは認めてやる
どこだ?

270 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:46:07.44 .net
スレ違いだけど、孔明の実子って黄夫人なの?
詳しそうな人がいるので教えて下さい

271 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:47:49.97 .net
>>270
訂正:
産みの母は黄夫人なの?妾?

272 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:50:32.93 .net
>>269
寝言をほざく前にさっさと破綻しまくってるお前の論旨の相違点をさっさと答えろ。
もとからお前に発言権なんぞもらうつもりはない。お前に断りなんぞ誰がするか。
平和な荊州が勘違い?お前の妄想上でしか存在しない北方戦役が前提だろ?
既に相違点が出まくってボロボロで、その説明も出来ずに逃げ回るだけの醜態晒してるくせに
よくもまあ寝言ほざけるもんだ。ま、所詮はネット廃人って所だな。
逃げ回ってないでさっさと以下の点に応えろ。

劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽北端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

273 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 21:58:39.91 .net
>>272
葉が南陽北端????え?????

地図見てる????

274 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:03:47.93 .net
陰葉という新地名があると言って譲らないばかりか
葉が南陽北端とか言う珍説まで持ち出してお前何がしたいんだ?

葉は南陽の北東で北端じゃないだろ
南陽盆地って意味で言ってるのか?
でも葉って南陽盆地の外側だし…
意味がわからん

ところで陰葉ってどこ?

275 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:06:17.66 .net
>>273
見てる見てる。
ああ、魯陽のが北端だ、とかいいたいわけ?
笑わせるのも大概にしろ。
潁川とも接してる南陽郡の文字通り端っこなのに何を寝言ほざいてるんだか。

ま、いいから以下の点に答えてもらおうか。どうせお前はそうやってはぐらかして
逃げ回って突っ込めそうな所に突っ込むのに執着し続けるだけなのはわかりきってるからな。
何回でも聞くぞ。

劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

276 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:07:08.87 .net
>>275
北端じゃないだろ?

それと陰葉ってどこ?

277 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:09:21.38 .net
近いのは当たり前じゃない?
許都の位置見てないか?
ギョウに本拠地移したとは言え曹操の拠点の中でも重要なのになあ

ところで陰葉ってどこ?

278 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:10:54.97 .net
>>274
少なくとも、明確に「無い」とする根拠はないし、
正史に明記されてるんで、無いというなら立証してもらわんと。

そうやって言葉の隅を突っついて逃げ回れば、お前の都合の悪い論旨から
逃げられるとでも思ってるわけか?少なくとも葉の先には潁川郡があり、
南陽における北の国境地帯のひとつである事に変わりなし。で、そこを劉備が征服してたとか
劉表死亡時にはそこが劉表勢力のものだったとか、そんな珍説と妄想をごねればごねる程、
史実との乖離が激しくなりまくって収拾つかなくなってるのが今のお前だろ。
どうでもいいからさっさと以下の点について答えろ。

劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

279 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:11:25.34 .net
劉表は劉備に博望で夏侯惇を防がせた→博望は劉表の拠点
博望は宛の北側でここで防ぐことが出来るということは宛が落ちてるね
でないと挟み撃ちだ

ところで陰葉ってどこ?

280 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:12:54.60 .net
>>276
北側の端だな。
で、劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

281 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:14:15.86 .net
>>277
意味不明。
許昌から、お前の妄想だと葉だの宛だのまで劉表の勢力になってる中を
2か月で突っ切って新野まで到達すんのか?
どう見たって遠すぎるし長すぎるだろ。

で、劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

282 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:16:15.62 .net
>>279
阿呆杉。
劉備は偽装退却して伏兵攻撃によって夏侯惇を撃破したわけで、
伏兵戦術で短期決戦ですぐさま退いてる劉備軍をどこの誰が挟み撃ちすんだよ。
宛が落ちてるわけないだろ。そうすると208年の曹操の動きがめちゃくちゃになる。

で、劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

283 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:22:34.40 .net
>>281
曹操は他の拠点に向かわず宛と葉だけ目指して進んだって書いてある
他の拠点は無視して進んだ
そして新野は宛と目と鼻の先だしむしろ2ヶ月は軽騎による強行軍だとしたら遅い方だな

これが曹洪によって事前に落とされた拠点であったら直接向かうにしても
軽騎だけであっという間に進めるのにな

284 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:25:21.85 .net
>>282
アホ過ぎってお前だろ

相手の拠点を迂回して反対側に攻め込んだら
常にその迂回した拠点からの攻撃を受ける想定になるんだよ
劉備の本拠地新野からは博望は完全に宛はさんだ反対側
こういう地形による制約とかも地図見ないとわからないよ

ところで陰葉ってどこ?

285 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:26:16.59 .net
>>280
北側の端は北端じゃない
それなら北部の外縁部とか別の言葉があるだろ

北端ってのは「北の端」

日本語も知らないのに漢文読もうとスンナよ

286 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:32:23.23 .net
>>285
そうやって論旨に困れば日本語日本語と突っつけそうな所の隅を連呼して
逃げ回ればはぐらかせると思ってるわけか?
笑わせるなよ。ま、お前のいつもの手法だから付き合ってやる義理はないけどな。

で、劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

287 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:33:41.79 .net
>>285
ついでに、漢文読解滅茶苦茶で
重箱の隅をつつくしかできずに肝心の論旨からは逃げ回るだけのお前が
そんな事を書いてるのを見ると笑しか起きないんですがww
本当にお前ってさもしい自尊心を満たす事にだけは必死になるのなww

288 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:41:13.44 .net
>>284
地図は普通に読んでると何度も言ってんのになー。
で、その結果、お前の妄想である劉備が舞陽まで征服してたという超絶妄想は
完全に無理があると明確になったわけで。

馬鹿杉。
地図を見る限り、博望には宛を通らなくてもいけちゃうんだよね。
つーか、お前の妄想世界だとやたらと広い中国大陸も日本の一街くらいの
大きさしかないような感覚だな。
機動して短期戦で引き揚げた劉備軍をあっさり補足して連携も取らずに
殲滅できるんだったら劉備が官渡前後で2回も北と南を往復してたりしないって。
本当にお前って、地図地図と連呼する割に、相手が見てる事は頑として認められないのなww
ま、論旨でボロボロのお前からすれば、数少ないレッテル貼れそうな材料を
何としても逃したくないものなwwネット廃人のさもしい性根は見てて笑えるなww
で、さっさと以下の点について答えてね。
劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

289 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 22:47:52.37 .net
>>283
相変わらず阿呆杉。
新野と宛は目と鼻の先?お前こそ、どういう地図なんだ?
間に複数の地点を挟んでるし、パッと見、宛から博望までより通いぞ。
つーか、お前の妄想世界では宛と葉は劉備のものになってんだろ?
それらを攻略してなおかつ新野まで到達して攻略するのにたった2か月?
というか、葉から新野までの地点が既に劉備のものだったなら、
それらを攻略してくのは結構な時間だな。どう考えてもお前の妄想じゃ無理。

で、劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

290 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 23:11:59.94 .net
>>289
やっぱり地図見てないのか
新野から宛はなだらかな平地
宛から博望は山がちなところで単純な距離では新野の方が遠く見えるけど
通行に必要な労力は比べ物にならないのにな
そして博望は道が狭く通路も整備されてない
宛から新野は陸路だけでなく水路まで完備で至れり尽くせり

ところで陰葉ってどこ?

291 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/11(土) 23:29:04.81 .net
203年頃の夏侯惇、于禁と劉備の戦いの頃にはもう博望、葉の周辺まで劉備たちの支配下
宛だけ孤立して残ってるということはないので落ちてる

208年頃には舞陽や葉まで曹洪が落とさなければいけない程に
劉備たちは北に進出していた

203年だとしても曹洪が劉表から落とす必要があった=小競り合いしてる
曹操たちが宛より北側を得たのは200年なのでそこを落とす必要があるということは
それ以前に劉備、劉表に落とされているということ
しかし203年の時点では劉備と戦ったのは夏侯惇であり曹洪とは全く関係がない

ちなみに新野は攻略されてない
文章読めばわかるけど新野まで来たという情報で降伏して終了

292 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 00:07:41.19 .net
曹操が宛に直行した後ろから曹洪がその後ろを支える拠点を別働隊で落とさなかったら
万が一失敗したら曹操死んじまうな

293 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 19:38:59.32 .net
>>292
それ、お前の妄想の中でのみ存在する北方戦役が存在する前提だろ?
史実で見れば、宛もその周辺もどうみたって曹操の勢力圏でしかないから
曹洪がそこを制圧する必要ないのよ。

294 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 19:47:45.17 .net
>>290
だから普通に地図見てるのにな。
そうやって地図見てない認定しないとお前のよりどころが
なくなるから無理もないけど、普通に俺は地図見てるんであしからず。
というか、お前はただ単に、>>283でゲームかなんかの知識で勝手に新野と宛の
位置関係を誤解して、「目と鼻の先」とか明らかに「距離的に近い」的な寝言いって
指摘されて慌てて論旨替えてるだけだろ。
実際には宛と新野の間には複数の地点を挟み、単純な距離関係で言っても明らかに距離があり
とてもお前が>>283でいうような「目と鼻の先」なんて事は全然ない。
どっからどう見てもお前の妄想と違って新野と宛の距離はかなりある、としかいえない。
というか、間に複数の県を挟んでるのに、どうやったらこれで博望よりも
「目と鼻の先」と言えるくらい近い前提になるんだか謎杉。
つーか、お前の妄想世界じゃ、宛に直行する前提でもその「山がちで通行大変な」地域を
通過せざるを得ないんだろ?ますます宛を攻略して、新野に到達するのが大変になるな。
ま、史実としてはお前の妄想と違って宛は曹操勢力圏だから問題ないんだけど。

で、さっさと以下の点について答えてね。
劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

295 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 20:14:53.59 .net
>>291
はいはい。妄想乙。

支配下になってねーって。夏侯惇が平気で博望まで追っかけてるのがその証拠。
そもそも宛には博望通らなくてもいけるし、葉が仮にやられたとしても別に問題ない。
お前の妄想上で仮に葉までやられたとしても、魯陽や雉のラインと宛はつながってるんで孤立はしてない事になる。
実際はお前の妄想と違って史実じゃこの時期には普通に曹操の支配下だけどな。

してない。どう見ても曹洪の5県での戦いは203年ごろの事と見るのが妥当。
ていうか、そうでないとお前の妄想世界でいうと、曹操は舞陽や葉よりも先の、
やたらと遠い地点から出撃して葉だの宛だの攻略して2か月で新野まで到達とかいう
阿呆な日程になるので、どう見てもお前の妄想じゃ無理ありすぎ。
いい加減、ろくな根拠ない事や、とっくに論破された事を蒸し返して連呼するのやめろよ。
(続く)

296 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 20:26:18.00 .net
>>291宛続き
馬鹿かお前。博望の戦いは203年じゃねーだろ。どう見ても205年くらいの事だろ。
んで、例によってお前の妄想を仮にとったとしても、
「5年にわたって小競り合い」なんか全然してねーだろ。
全然お前の妄想と違うじゃねーか。ころころ論旨変えるなよ。
つーか203年説で曹洪が5県攻略したからって、それをそのまま曹操と「劉備が」
小競り合いしたもんだかは疑問だけどな。もともと原文には「劉表の別将を破った」とあり
劉備の事だとは書いてないし。つーか、当時の劉備の兵力からいって
5回も連続で曹洪に負けたりしたら兵力消滅しちゃいそうw文章通りに「劉表から派遣された別働隊の将」と
訳すのが妥当だろ。で、この地域が劉表の所属になってる理由だけど、もともと
南陽北部を支配してた張繍は劉表から兵糧補給もらってるくらい強い組子の関係で
劉表勢力の北方における先鋒的な立場だったそうな。(この両者の関係は劉表と劉備の関係に酷似している。)
この関係性通りに劉表は張繍に何度も援軍送ったり兵糧送ったり後詰したりしてる。
で、200年の段階で張繍が曹操の傘下に入った時、「劉表の組子にして先鋒的な張繍」に
従ってたつもりの連中が、曹操の傘下に入らずにそのまま劉表の勢力に属したとしても何ら不思議はない。
この観点から見れば、特に戦闘も何もないのに劉表の勢力が203年の段階で南陽北部に存在してるのが理解しやすい。
そいつらにしてみれば、そのまんま元からの主君である劉表に対して従い続けただけで、何のリアクションもいらんのだから。
で、そいつらは203年の曹洪の攻撃で破られた、と。
正史に戦闘の記録なんか全然ない事から見ても、どう見たってこっちのがしっくり来るだろ。

新野攻略されてないって?ま、別に俺的には論旨で全然困らんのでそれでもいいんだけどさ、
お前の文章の訳し方的に「劉備が葉に至った」とあるだけで「平定されてる」と
解釈するスペシャル解釈なのに、この場合だけ違うっていうわけ?
お前は「劉備が葉に至った」=「劉備が葉までを征服した」
「曹操が宛に進軍する作戦を取った」=「宛は曹操勢力じゃない。攻略する対象だ。」
とかなり色々とアレな解釈してるのに、今回の「曹操が新野に至った」だけは
「曹操は新野を攻略してない!」になるわけ?馬鹿も休み休み言えよ。
普通の人はまず使わないであろう、お前流の解釈方法を使うなら
今回も「曹操が新野に至るまでを征服した!」にならないとおかしいだろ。
もし、違うといって、曹操が新野までを平定してないというなら、
劉備の時もただ行っただけで平定してないって事にしないとおかしいだろ。
実際に劉備はただ単に葉まで行っただけで征服してないけどな。
そこら辺の整合性をお前は一体どうつけてんだよ、お前。
お前の論旨はもう既にボロボロで収拾つかなくなってんのはお前が一番よくわかってるだろ。

297 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 22:29:32.07 .net
>>296
博望の戦いは202年〜203年、どんなに遅くても204年前半
李典伝ではこの博望の戦いはギョウ攻略戦の前の出来事

俺の説を採ったら舞陽まで劉備がその後の期間かけて進出して行ったってことだから
208年までに劉備たちが小競り合いして北上してるのが明らかだよ

ところで陰葉ってどこ?

298 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/12(日) 22:57:49.77 .net
ウザッ

299 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 00:28:31.67 .net
確かに、ですかー君はウザい

300 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 00:55:45.96 .net
ですかー総統

301 :あう使い:2013/05/13(月) 12:40:27.74 .net
孔明ではなく諸葛亮と表記しろ!

302 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 12:43:32.15 .net
基地外キター

303 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 17:51:30.73 .net
>>299
いや、うざいのは>>297の魏延信奉者さんだろ?
あるいは北方戦役盲信者といった方がいいか。
自分で勝手に妄想で作り上げた北方戦役とやらに
よくここまで執着できるもんだと逆に感心するわw

304 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 18:16:41.96 .net
ですかー総督のお陰でこのスレも終了か

305 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 18:26:59.83 .net
で、さっさと以下の点について答えてね。
劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

306 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 18:29:22.42 .net
ああ、悪い、途中送信しちまった。
今書き直すから待ってて。
>>304
終了するのは妄想で北方戦役とやらを妄想してる魏延信奉者さんの破綻した論旨であって
このスレではないと思うがなw

307 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 18:42:18.32 .net
>>297
先主伝でこの戦いの後に建安12年まで時系列が飛んでるので
一年サバ読みしちまったみたいだな。個人的には204年の前半くらいだと思ってるが。
で、お前は203年と主張してるけど、お前の妄想世界だと一体どういう整合性つけてるわけ?
お前の妄想世界では203年に劉備が出撃して、葉までを征服して、その後曹洪に取り返された、
ただそれだけの話でしかないやん。どこが「5年にわたる北方戦役」なんだよ。
実際の史実で見れば、夏侯惇が平気で博望まで追っかけてる時点で
全然劉備に征服なんかされてないってわかるけどな。

お前のは説じゃなくて、単なる根拠も論旨も滅茶苦茶な妄想だろ。
しかもそれで「俺の説を取るなら」「明らかだよ」って正気かよ。
そりゃー、お前が今の時代に天動説を主張して、ありえないと論理的に反証されて
それでも「お前の説を取るなら」お前の妄想世界では「明らか」だろうけど、
それは世の中にある事実や真実とは別物だろうが。
お前の妄想世界だと、舞陽だの葉だのより先の地点から曹操は出撃して
宛だの葉だのを攻略して、いくつもの城や地点を突破して
2か月で新野まで到達だか、攻略だかしたことになるけど、どう見ても無理ありすぎだろ。
ここら辺をお前はどうやって整合性つけてんだよ。
いい加減論理的に整合性をつけて答えてみろよ。
(続く)

308 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 18:54:23.47 .net
>>297宛続き
で、さっさと以下の点について答えてね。
劉備が南陽で「5年にわたって延々小競り合い」とかいつやったんですかー、
劉備が出陣したのは一回だけ見たいですがー
劉備が宛だの南陽の端である葉だの潁川の舞陽だのまでいつ征服したんですかー、
その割には曹操が荊州を攻めた時には出陣から2か月で新野まで到達してて、明らかに
近いところから出撃したとしか読めませんが、どうすんですかー、
結局、貴方の主張するような北方戦役なんかなくて、
魏延がこれで関羽・張飛に並ぶだけの立場得られるだけの勲功を立てるのは
無理そうですが、どうすんですかー

これに加えて、お前さんは「劉備が葉に至った」とある記述でもって
「劉備が葉までを征服した」となるのに「曹操が新野まで至った」とあるのを
「曹操が新野までを征服した」とならないのは明らかにおかしいだろ。
実際に劉備は葉やら宛やらを全然征服してないけどな。
そもそも宛が劉備に攻略されてる事になってるのもおかしい事が指摘されてるし、
お前の妄想世界だと曹操の出撃から新野に至るまでの距離が長くなりすぎて
しかもその途中にある宛やら葉やらその他やらを攻略して
新野に2か月で攻略だか到達だかするのは無理だって散々指摘されてるだろ
お前は論旨で都合悪い所をスルーして逃げ回るから、こんだけ論理破綻してる所が
出て来てるのにいつまで逃げ回るつもりなんだよ。
お前の妄想論旨がもうボロボロで収拾がつかなくなってんのはお前が一番よくわかってるだろ。
さっさとこれらに整合性をつけて答えてみろよ。

309 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:04:03.43 .net
>>305-306
上でも書いた通り劉備は宛の北側にまで進出して拠点で夏侯惇防いでる
これが203年から204年頃

曹洪の舞陽、舞陰、葉、他2県を落とした行動は203年ではないことは散々述べたとおり
曹洪はこの頃曹操に同行して最も重要なギョウ攻略のための軍勢として活躍してる
また西平に曹操が出た頃は夏侯惇が同じ地域で戦ってるのでありえない
劉表征伐が行われた時期はあとは208年のみ
なので208年以前に劉備、劉表らはそれらの地域を落としていると言える
この時劉備は襄陽まで引き戻されていたので曹洪が攻撃したのが「劉表の将」というのも正しい
劉表が死んだ時期は曹操が征伐開始してから1ヶ月程後、曹操が宛に行く前だから
曹洪が「劉表の将」を攻撃した時期がその頃ということになる

>>307
203年とは断言しとらんよ
早ければ202年、遅くても204年までのどこかで博望の戦いになっていると言ってる
>>297にも「博望の戦いは202年〜203年、どんなに遅くても204年前半」と書いてあるだろ
時期を見るには李典伝の記述から拾うしかないのだけど
黎陽で曹操と袁譚が戦ってる時期は202年から203年
李典はその頃兵糧輸送路の確保をしていた
その後で博望に行き、203年末から204年に終わるギョウ攻撃に参加してるからな

310 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:07:44.09 .net
地図は見ない
謎の新地名を作り出す
時系列の整理もしない
その事を恥じることもない
でも自分は正しい

ですがー総統は議論じゃなくて声闘する朝鮮の人みたいな奴だね

311 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:25:07.90 .net
もう、ですがー総督なんか相手にしなくていいよ

312 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:25:22.22 .net
ですかー君は性格が歪んでるな

313 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:26:25.39 .net
>>310
地図は普通に見てる
正史にある地名をそのまま出してる
時系列の整理をしてないのはお前

お前は地図を見てると主張する割には
宛と新野が目と鼻の先という妄想主張して
同じ「至った」という言葉なのに時と都合でコロコロ意味を変えるわ、
距離的にも時間的にも無理があると散々指摘されれば完全スルー
他にも都合悪い所は完全スルーして一切答えず妄想をはきまくり、
論理破綻しまくって相違点がたまりまくってるのにも関わらず
その事を一切恥じずに自分の妄想を喚くだけ

お前こと魏延妄想君はぶっちゃけ、論旨とかどうでもよくて
ただ妄想を発狂して喚くだけのネット廃人だよね

314 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:27:42.50 .net
>>311 >>312
自演乙w
完全に毎回行動が一緒なのなw
携帯とパソコンで一緒にレスして見せかけたつもりなのかしらんが
やり口が毎度毎度浅はかすぎて笑えるんだけどww

315 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:48:43.25 .net
>>309
博望には別に宛を通らなくても行けちゃうと何度も言われてる。
というか、拠点じゃなくて単なる野戦陣地だし。しかも偽装退却による伏兵戦術で
戦い終わったらさっさと新野まで帰ってると何度も言ってる。

>曹洪の舞陽、舞陰、葉、他2県を落とした行動は203年ではないことは散々述べたとおり
全然妥当性がなくて、お前の妄想世界での事でしかないから、さんざん反論されてる
このころ、とお前は言ってるけど、実際には203年に曹操が西平に来た時とと
次の年に曹洪が明確に記述に登場する時期には明らかにタイムラグがある。
夏侯惇の点についても同様。博望の戦い自体がいつ行われたか明確には書かれてないし
この戦い自体が短期で終わってる戦いなので「ありえない」などと断言するだけの根拠はない。
劉備が来た後で曹洪がきたなり、曹洪が来た後で劉備が来たなり、いくらでも解釈は可能。
よって、曹洪の出撃を208年に比定するのは無理。
というか、そうした場合、お前の妄想にあるような、舞陽だの葉だのを突っ切って
曹操が出撃してから2か月で新野まで到る事になり、どう考えても無理。
というか、いい加減にお前の中で同じ「至った」というような表現で
一方は「そこまでを征服した!」となりもう一方は「そこまでを征服してない!」となる
摩訶不思議な論理展開を説明してほしいんだけど。

で、その時系列のどこをとろうとも「5年にわたる小競り合い」なんかどこにもない、
で終了だろ。劉備が一回、曹洪が一回、それで5県は曹操の勢力圏として安泰、
それで簡単に説明がつく。というか、劉備が行った時ですら、平気で夏侯惇が博望まで追っかけてるので
全然制圧してない事になる。
というか、>>308の事完全スルーだけど、どうしたんだよ。
さっさと答えろよ。

316 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 19:49:27.88 .net
孔明でも諸葛亮でもいいけど、無能か有能かと関係あるの、この話?

317 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:05:42.63 .net
>>316
部外者が言うのもなんだけど諸葛亮は全く関係ないな。どう見ても出仕前の話しだし。
ただ>>165あたりからアレな人が「魏延」って単語に過剰反応しただけで。
(正直魏延だってまず関係ないだろう。
本当にそんな頃から活躍してたら益州奪取後に趙雲のお下がりの牙門将軍ってことはない。)

まあ建安十三年の荊州北部の状況を明らかにするにはいい流れだから放っておけばいいだろう。

318 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:07:12.44 .net
>>315
言われてるって誰が言ったの?
君の思い込み以外で根拠出したら?

南陽の地図見てない人にはわからないのだろうけど
南陽ってどこへ行くにも宛から川とか運河が出てるってくらい水路網発達してて
宛落とさないでその北側へ攻め込むのは水路のないところ選ばないといけないんだけど
博望は宛と水路繋がってるよ

319 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:10:09.31 .net
どうして水路が繋がってないところ選ばないといけないか書き忘れたけど

水路が繋がってるってことは簡単に船で援軍が送り込めるからということ
水路の繋がってる拠点間の移動は騎兵が強行軍するよりも速いからね

320 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:25:08.91 .net
>>317
アレな人って…。
正直、魏延なんかどうでもいいんだけど。
ただ単にお前の妄想論旨がご破算になってるだけの話で。
文体まったく同じで言ってる事も傾きまくってて部外者設定とか
やっててさもしいと思わんか?

321 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:38:19.78 .net
>>318 >>319
それはお前。
こっちはちゃんと説明してる。
お前は都合の悪い点はスルーして逃げ回り
答えられそうな所に粘着してるだけ。
で、結局明確な解答は今回も無しでOK?

地図は普通に見てるんだけどねー。ま、新野と宛を目と鼻の先とか
いっちゃう人だからしょうがないか。実際は複数の地点を挟んでるわ、
明らかに距離が開いてるわで、とても目と鼻の先だなんて言えないのに
必死になっちゃって滑稽ですなww

ほほう。毎回毎回史書にない妄想をはいて前提にしたがるのが好きだね。
で、その理屈でいうと、曹洪は宛と関係ない所を攻略してるから水路なくて
壊滅だね、とか阿呆な理屈になるな。
というか、荀ケ伝でいうなら、曹操が宛に到着する前に劉表死亡してるので
8月の段階でも曹操は宛にも葉にも到達してない事になる。
これでお前の妄想世界だと葉も宛もその他も劉備に征服されてる敵地で
曹操は一カ月で宛や葉をはじめとするこれらを攻略しながら
新野まで到達?馬鹿も休み休みいえよ。
というか、いい加減にお前が妄想で逃げ回ってる>>308の各相違点を
さっさと答えて欲しいんだけど。
今またお前の論旨崩壊の相違点がみつかっちゃったんで
このままいくと1レスに収まりきらなくなっちゃうんだけど。
早く答えてくれや。

322 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:47:31.93 .net
新野と宛は目と鼻の先なの理解してないのか
道路と川でほぼ一直線で繋がってるのに
博望は水路は繋がってるけど少し迂回路必要だし山がちだから
見た目以上に遠かったりする
それでも水路の繋がってない土地よりはいくらかマシだが

そういう地理感覚ないから平和な荊州とかトンチンカンなこと言ったり
陰葉とか新地名作り出したりするんだろうな

お前の発言権は陰葉がどこにあったか示すまで存在してないよ

323 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:50:01.07 .net
>>321
曹操は宛に直行した
荀イク伝に書いてある
宛、葉に直行した

しかし二箇所に直行というのは一人ではできない
だから曹洪の別働隊が葉を攻略するという意味が出てくるわけだ

324 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:50:57.98 .net
>>316
あんま関係ないね。
ただ、なぜだか「魏延が早くに劉備に仕えていれば関羽・張飛と並ぶだけの
立場になれて、そのまま夷陵あたりで死亡してれば、伝も一緒だった」と
仰られる魏延愛好者の方がですね、「時系列や当時の状況からいって
とてもそんなこと無理だろ―。魏延が劉備に早くに仕えたとしても、
関羽・張飛と並ぶ立場になれるだけの勲功立てられる戦場ないし」と言われて
激怒しちゃった結果、「劉備は南陽北部を征服していた!208年の段階で
南陽北部の葉のみならず潁川の舞陽ですら劉備の支配下だったのだ!」という
「そんな阿呆な」的な超絶論旨をぶちあげて、「よって 史 書 に は な い け ど
208年までの5年間には劉備による南陽北部征服の北方戦役が行われていたのだ!
魏延がここで戦功をたてまくれば関羽・張飛と同格になれる!」というトンでも展開を主張し
「史実から見てそりゃ無理だろ―」と突っ込まれ、数多くの相違点を突っ込まれながらも
都合悪い事にはガン無視して発狂し続けてるのが現在の状況、ってなわけでして。
この魏延信奉者、端的にいうと魏延妄想君の発狂ぶりと狂態をム○大陸やアトラン○ィス大陸とかの
話を見るような感じで見守ってあげるのが現在の醍醐味じゃないかな。

325 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 20:57:30.48 .net
>>322
結局お前の妄想でしかないだろ。
目と鼻の先、と必死に連呼してるけど、
地図見る限りはどう見たって遥かに遠いし、
しかもその間に複数の地点を挟んでる土地柄を「目と鼻の先」なんて
普通は言いませんw
ま、地図地図といいつつ、自分がろくに地理を把握してないから
地理の矛盾を指摘されてなんとしても必死になって「目と鼻の先」と
いう事にしたがってるんだろうけど、
自分の論旨が否定されて発狂した挙句、北方戦役なる妄想まで展開するような
ネット廃人さんには似つかわしい行動と言えるかもしれませんなーw

もともとお前に発言権なんかもらうつもりも必要もないしー。
というか、お前に一々発言権なんてもらってる人いるの?
ネット廃人の君だけあって、ネットと自分を同一化でもしちゃってんの?
なんか正気を疑う領域なんだけど。
いい加減、お前の妄想世界と史実は違うって理解しようよー。
とりあえず、>>308についてさっさと答えてよー。
君の論理破綻と君が必死でスルーし続ける論旨の相違点が
このままだと一レスに収まりきらなくなっちゃうよーw

326 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:05:34.97 .net
南陽〜新野間って直線距離で30kmか40kmくらいしかないけど?

軍隊は一日10〜20kmくらいは動くから1日2日の距離だぞ
通路もしっかりとして移動を阻む物もない平原
これを目と鼻の先と言わないでどうすんだ?

327 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:13:29.56 .net
>>323
なぜか劉備が葉や舞陽までを征服してるらしい、お前さんの妄想世界でいうと
地理的にも史書の記述的にも、葉から宛に至るのが自然に見えるけど。
つーかさー、お前の妄想だとさ、「劉備が葉までを攻略してる!宛は孤立してる!
だから宛も攻略されてる!」とかいうトンでも妄想で、
「水路が水路がああああああ!」と必死で喚いて水路の重要性を力説してるけど、
その論法でいくと、曹操が葉を攻略せずに宛まで至るのはおかしい事になる。
もし、曹操が葉を攻略せずに宛まで至れるなら、途中拠点を残しておいたまま
先に進むことが可能になってしまうので、お前の妄想世界と違って劉備が葉に行った時も宛は攻略されてない事になる。
というか、実際に攻略されてないけど。
というか、この時点で水路とか関係なく前進できちゃう事になる。
よってこれでお前さんの「水路水路水路おおおおお!」という水路妄想も破綻する。
もし、曹操が葉を攻略せずに宛まで至れないなら、曹操は葉を攻略し、宛も攻略し、
その他の拠点も攻略してルートを確立して進んだ事になる。一カ月で新野に至るのは無理。
残るお前の妄想をかなえうる可能性の一つは魯陽や雉が曹操側の拠点で、
曹操がそこから進軍して宛に至った可能性だけど、これが成立する時点で
「宛は孤立しているから劉備に攻略されている!」とする魏延妄想君の論旨は破綻する。
宛は孤立してなくて、普通に他の拠点とつながってる事になるからな。
よって攻略されてない事になる。史実で見る限りどう見ても攻略されてないし。

で、お前さんの妄想世界とは別に、史実を普通に分析して解答を出すならば
別に劉備は葉も舞陽も攻略してなくて、宛もその周辺も曹操側の拠点であって
曹操は自分の勢力圏である各地点を普通に通過して一カ月で新野に到達、という
非常に単純明快な、通説通りの結論が導きだされるわけで。
いい加減、お前の妄想と史実はまるで別ものだって理解できないか?w
まあ、ネット廃人の魏延妄想君には無理そうだけどなww

328 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:16:47.89 .net
>>326
複数の地点によって阻まれていて、距離的にも博望との距離よりずっと上です。
これを目と鼻の先なんて普通はいいません。
しかもそれでいて「博望は目と鼻のさきじゃない!」という願望妄想は特にw

とりあえず早く相違点答えてよ〜wいくらネット廃人だからって
これ以上論理崩壊しちゃったら馬鹿丸出しすぎて滑稽でしょw
ああ、それとも相手してくれる人が欲しくてたまらない寂しさ全開ですか?w
だったらもっと他の場所があるだろうにw見てて滑稽だわw

329 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:25:26.06 .net
>>327
ならないよ
だから曹洪が別働して曹操のバックアップするように各地を落としてるって言ってる
そして交通の要衝を強行軍で突くのはおかしくもなんともない
宛の北側の県は曹操と曹洪によって逆包囲されるということでもある

劉備が葉まで進出した時は後背地もしっかり策源地として確保してないと行えない動きだろ
葉まで出て砦まで作ってしばらくそこで屯ってから相手の動きに合わせて戦ってるからな
曹操が一気に奇襲掛けて宛とか落として行くのとは全然違う

地図が読めないだけでなく戦術の違いによる必要な前提も知らんから
荊州が平和とか、陰葉なんて新地名を作り出してしまうんだなぁ
かわいそうに

330 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:45:47.10 .net
>>329
ならないよ、って何に対して言ってるわけ?
俺はお前の妄想が可能でありうるかのルートを3つほど用意した。
そのうちのどれを「ならないよ」と言ってるわけ?
妄想世界で発狂するのはいいから、筋道立てて全てのルートに答えてねw
いずれにせよ、時間的にも劉備の動きとも矛盾が出まくる事になるがw

行える動きだよ。
砦じゃなくて野戦陣地な。そんで夏侯惇が出てきたら、
さっさと引き揚げて伏兵を配置して襲撃して、戦闘終了したらさっさと帰った。
どう見ても短期戦狙いとみるのが妥当な動き。

お前の言ってる事は妄想であって前提とは言わないし、
そんなものを前提にして論旨を組み立てる人間もいませんw
「目と鼻の先」論はどうしたんだ?w
いい加減、無理がありすぎてつらくなったかww
よいぞよいぞ、これでお前が発狂してスルーしてる論旨破綻の相違点が
また一つ追加だな、とりあえず>>308の各点について答えてみなよw
どうせむりだろうけどなww

331 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:47:56.53 .net
砦ってどんなもん想像してるのか知らんけどモッドアンドベーリー程度でも砦なんだがなぁ

332 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 21:49:31.00 .net
>>330
お前他人に答えさせる前に陰葉の位置答えろよwwww

333 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/13(月) 23:28:17.54 .net
ですがー君のトンデモ論に┐(´д`)┌ ウンザリ

334 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 10:49:31.82 .net
はい、スレチ。

335 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 12:27:31.55 .net
中国人は日本の敵!

琉球人は中華民族だ…尖閣の次は「沖縄を返せ」
配信元:
2013/05/05 14:49更新
このニュース記事のカテゴリは世界からです。

米国から日本への1972年5月の沖縄返還を「国際法違反だ」として、
「歴史的経緯からみて琉球(沖縄)の主権は、日本ではなく中国にある」などと
“沖縄領有論”まで唱える動きが、中国でじわりと広がっている。
中国政府の表だった主張ではないが、人民解放軍幹部や学識経験者らが論を繰り広げ、
国営メディアも報道。チベット自治区をまねて、
「琉球特別自治区」の設立準備を求める民間組織まで現れた。
(深セン 河崎真澄)

336 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 18:22:33.09 .net
>>331
ちんけな砦でいいってんなら、長期戦想定した備え、とかいう
お前の寝言は終了って事でいいんだよな?w
相変わらず論理破綻の速さだけは超人的だな、魏延妄想君ww
>>332
お前が寝言ほざく前に、たまりにたまった相違点にさっさと答えろよww
もはや一レスに留まらないくらいにたまってんじゃねえかよww
本当に無様だなww
もはや何にも答えられなくて、捨て台詞はいて発狂するあたり、
お前の論旨がボロボロである事にお前自身が一番気が付いてんだよなww

337 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 18:27:54.44 .net
>>333
自演乙です、魏延妄想君w
相変わらず馬鹿丸出しで何よりだなww
トンでも論っていうのはね、史書にも通説にも一切ない劉備の南陽征服の北方遠征とやらを
論拠もなく、妄想で発狂しながら唱えて、相違点が出まくると
完全スルーして発狂して敗走してる、君のようなネット廃人の妄言を言うんだって、
いい加減気が付いたほうがいいと思うよww
ま、ム○大陸とかアトランティ○大陸みたいなもんで
お前の妄想世界では確かに存在してるのかもしれないけど、
史実的には一切そんなもの存在してないのであしからずww
いやー、今回もトンでも論旨で発狂して相違点でまくって、
それらに整合性をつけられなくなって発狂逃亡、という馬鹿丸出しの妄言スタイルで
大いに笑わせてもらいましたwさすがにネット廃人だけあって馬鹿丸出しの程度が
常人と違いすぎて笑えますねww自分でも破綻してる事が重々ご承知の北方遠征とやらの妄想を
これからも妄想世界で発狂しながら唱え続けてくださいねw
いやー、今回も本当に笑えたわw

338 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 18:38:39.48 .net
鏡をみたまえ、ですがー総統

339 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 18:44:40.16 .net
>>338
ピンチになったらまともな反論も論証もできずに
妥当性ゼロの抽象的な鸚鵡返して発狂逃亡、
さすがです、ネット廃人の魏延妄想君
そんな馬鹿丸出しの貴方を見るのがとても笑えます

340 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 18:48:28.86 .net
魏延妄想君>>338、怒りと悲しみの鸚鵡返しで発狂中
彼の史実と相違点でまくりの北方遠征妄想は
一体どこの次元へ向かうというのか

341 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 19:07:35.89 .net
怒ってるのは2連投するお前じゃんか、みっともね

342 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 19:10:40.48 .net
え?何度も連投して発狂してるの魏延妄想君じゃないか
ネット廃人で24時間ネット入りびたりだからって
白々しくも何度も連投しちゃってさもしい事この上ないよ
ま、文体も言ってる事も特徴でまくりだからすぐにばれるのが笑えるけどなw

343 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 19:12:05.37 .net
>>341
ageとsageを切り替えてさもしい自演に精を出してる魏延妄想君がいっちゃいけないよ

344 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 20:30:43.24 .net
>>342
陰葉どこwwww

345 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 20:47:54.24 .net
ですがーが大爆発中

346 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 20:49:33.62 .net
論旨を粉々にされた魏延妄想君が
もはや相違点のすべてに答えられず、
一行煽りで発狂中
本当にさもしいな

347 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 20:52:00.59 .net
>>344
>>308>>327のたまりにたまりまくった相違点について答えてね
妄想と史実の相違点が出まくって発狂したいのはわかるけど、
逃げ回ったって何も解決しないよw
まだまだたくさんあるけど、とりあえずはここから答えてね、ネット廃人さんの魏延妄想君ww

348 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 21:08:47.94 .net
>>347
他人に何か要求する前に実践してみろよーwww

陰葉ってどこなんだよーwww

349 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 21:21:35.51 .net
>>348
お前はそうやって都合悪い事にげまくって相手に要求するだけだろうがw
そんでたまりにたまりまくったのが、もはや一レスにはとても収まりきらない
>>308>>327の相違点の数々なんだよw
しかもこれですらまだ全部じゃないんだぜ?
とんでもないだろ、お前の論理破綻の数々ってw
どんだけ無様に妄想で論理構成すりゃこうなるんだかなww
ほれ、お前の手口は知ってるから、まずは逃げ回ってないでさっさと
相違点に答えてみせんかいww
ネット廃人の魏延妄想君にはハードルが高すぎるのは事実だろうけど、
答えるまで何度でも聞くからなww馬鹿丸出しだな、ネット廃人ww

350 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:09:40.48 .net
都合悪い事?

じゃあお互い一個ずつ答えようじゃないか
まず君が聞きたい事を一つと陰葉の位置を書いてくれ

それから話を始めようじゃないか

351 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:24:38.98 .net
>>350
おいおい。なんなんだ、その無茶苦茶お前に都合のいいやり方は。
お前の論理破綻は>>308>>327でいっぱい書いてあるし、
しかもそれですら、全部でない位に大量なんだよ。
人に何かを要求したいんだったら、一通り全部答えてからにしろ。
どうせ、お前はそうやって自分の負担だけ軽くして
大半の事は答えずにはぐらかして逃げ回るつもりなのは明確なんだから。
どっからどう見てもお前の相違点が膨大になってるんだから、
まずは一通り清算してからにしろ。
いつものお前の姑息な手口になんぞ、誰がひっかかるかよw

352 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:38:33.69 .net
>>351
おいおい君は聞きたい事と同時に陰葉の位置を書かなきゃダメじゃないか
答えられないなら「間違えました」と書けばそれでいい事にしよう
陰葉に対する君の正式な見解を今出して貰おうじゃないか
全てはそこからだ

それをやったら君の質問に俺も返答する準備がある

353 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:44:50.98 .net
>>352
おいおい。それはお前が勝手に決めつけた、お前だけにしか都合のよくない前提であって
俺がそれに従う義理はないんだけど。
ていうか、お前って本当に自分勝手に前提作って、それに無理やり物事を
あてはめようとする傾向が強いのな。
ネット廃人丸出しというかなんというか。
「全てはそこからだ」じゃねえよ。
さっさと>>308>>327、さらには他にも無数にあるお前の論理破綻の相違点を
さっさと清算しろといってんだよ。すべてはそこからだな。

準備なんかねえだろ。どうせろくに答えずにはぐらかして逃げ回って
答えやすそうなところだけをつっついて最後にレスする事に執着するだけ、
ってのがわかってるから、その手には乗らねえぞ、っていってんの。
ほれ、さっさとお前の膨大な相違点さっさと答えろよ。
無理なら無理とさっさと認めてギブアップしろ。
もうとっくにお前の妄想なんざ、論理破綻して収拾つかなくなってんだから。

354 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:51:23.78 .net
>>352
陰葉についての正式な回答をしたまえ
俺の方が先に陰葉について聞いてるんだから君が先に答えなよw

355 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:54:11.09 .net
千日手に入ったか……

356 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:55:21.19 .net
そう言えば諸葛亮って劉キの相談相手に納まってるけど
この頃の諸葛亮ってもう劉備のブレーンでもあるから
劉キが孫権に攻められてピンチになったら
諸葛亮経由で劉備が孫権対策に乗り出す可能性もあったんだね

357 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:56:47.34 .net
>>354
はい、寝言。
お前の妄想よりも先に、お前の論理破綻は山ほど出てるし、
俺は何度もお前に要求してる。
そうやって相手に要求し続けて、いつも通り都合悪い事は逃げ回るつもりだろうが、
そんな手に乗るつもりはないので、さっさと>>308>>327、その他の膨大な相違点を
全部清算してみろ。話はそれからだな。
ま、ネット廃人らしく、今夜も朝まで相手してくれる人を募集して
粘着し続けるのだろうが、滑稽の極みだな

358 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:57:26.30 .net
>>355
俺は上でちゃんと答え出してて尚且つ陰葉どこ?って聞いてるんだけど
彼はそれは根拠にならない妄想妄想って言って聞いてくれないから
しょうがない、陰葉答えろよーって言うしかないんだよねぇ

359 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/14(火) 22:58:25.34 .net
>>357
>>214で俺は君に陰葉ってどこ?って聞いた

なのに君はそれより後のレスに返答しろって言うよね
>>214の質問が解決したらそれより後のレスに答えるよ

360 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/15(水) 17:52:38.40 .net
>>359
はいはい、寝言はいわんでいいから。
お前はとっくに論理破綻しまくって集積してるのを逃げ回り
そのまま逃げ回り続けてるだけだから。
もはや一レスにすら収まりきらなくなってる、お前の論旨の相違点を全て清算して
まず身軽になってからだな。
そうやってお前は自分に都合の悪い所を一切答えずに逃げ回り
相手にだけ要求し続ける手口が見え見えだから。
さ、早く答えてね。すべてはそれから。

361 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/15(水) 17:56:04.95 .net
>>358
はいはい。虚言はいいから。
お前の水路アンド侵攻ルート妄想について全然答えられてないし、
「目と鼻の先」論も爆死したままだし、
その他にも答えたとお前が主張するところは論拠はろくにないわ、
論理はめちゃくちゃだわ、論旨も妄想だわ、で
全然解答になってないから、寝言をほざいてないで、
さっさと答えろと言われてるわけで。
しょうがないも何も、お前の論旨は既に粉々だから
そうやって都合悪い所は一切答えず、相手に要求だけし続けて
千日手に持ち込んで逃げ回る方針にしただけだろ。
毎度毎度のネット廃人らしいさもしい手口で見てて滑稽だわ。

362 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/15(水) 17:58:51.85 .net
>>358
ついでに、俺がお前に要求してやってる>>308>>327の各相違点は
あくまでも「とりあえず」であってお前の論旨が爆死してるところや、
粉々になってお前が逃げ回ってるだけの相違点はまだまだある事を忘れるなよ。
もうすでにお前の妄想論旨なんて粉々で収拾つかなくなってるのは
お前が一番よくわかってるだろうがな。
整合性つけられるというなら、さっさとお前がスルーしてる全ての相違点に答えて
整合性つけられる解答を示す事だな。ま、どうせ無理だろうが。

363 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/15(水) 22:09:26.24 .net
劉備が蜀に侵攻するとき、孔明でなくホウ統を選んだ

劉備が漢中に侵攻するとき、孔明でなく法正を選んだ

劉備が呉に侵攻するとき、孔明を置いて出て行った


これが全て

364 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/15(水) 22:37:43.80 .net
>>363
諸葛亮並の輸送できるやつが他にいないからしょうがない

365 :あう使い:2013/05/16(木) 05:44:57.15 .net
孔明じゃなくて諸葛亮と表記しよう!

366 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/16(木) 15:14:20.50 .net

   ̄ヽ、   _ノ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     `'ー '´
      ○
       O 

            []
     _____「]
    /______ヽ
    | |       ||
    | |      ||
    | |      ||
    | |      ||
    | |      ||
    | |      ||   と思うもしもしであった
    | ~ ̄ ̄ ̄ ̄~ |
    (⌒!二二二!⌒)
    |⌒ ⊂⊃  ⌒|
    | О (_O_) О |
    | @  A  B..|
    | C  D  E..|
    | F  G  H..|
    | 〇  〇  〇..|
    ゝ_______ノ

367 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/16(木) 15:23:20.64 .net
李厳と比べてどうなの?
李厳を漢中に配置して北伐、諸葛亮は江州&後方支援というのもアリだったのでは?

368 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/16(木) 20:10:12.72 .net
>>367
お互いに劉備に後事を託されてて本人たちの思惑とは別に
政争を常に警戒して緊張感持たないといけない間柄だったし
武功ってのは常に手柄として最大の物なんだから自分が立てたいものじゃないか?

369 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/17(金) 09:18:55.43 .net
>>368
お互い後事を託されたからこそ、逆の立場にするのも可能だったわけで。

手柄(権力)争いと言われればそれまでだが、
諸葛亮が蕭何役に徹する方が、安定して北伐できただろうなぁ...結果論だけど。

※李厳でどこまで魏と戦えたかは別の話。でも、陸遜クラスだったなら...

370 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/17(金) 11:03:56.17 .net
陳寿曰く「蕭何には韓信がいたけど、諸葛亮にはそれに相当する存在がいなかった。
だから自分で北伐せざるを得なかった。」
李厳の能力は陳寿からはそこまでのものだったとは思われてなかったみたいね。
優秀ではあったんだろうけど。
北伐のみならず南征の時も諸葛亮自身が総指揮を取ってるし。

371 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/17(金) 19:43:48.09 .net
司馬懿の冠を誇らしげに持ち帰るような将しかいなかったんだよ

372 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/18(土) 16:07:19.47 .net
>>370
仮に韓信に代わる人材がいたとしても孔明は使いこなせないのではないだろうか?
そのように見受けられるほど武官への扱いがよくない
それは武官に大きな武勲を上げられてしまうと孔明自身の対抗馬になりえてしまい
権力を孔明自身に集約した挙国一致体制が崩れてしまうから
そうなれば国が分裂しかねない

蕭何には劉邦がいたけど、孔明には劉禅しかいなかった
この差こそが最大に大きい

373 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/18(土) 18:25:14.14 .net
武官への扱いがよくないと言うが諸葛亮自身が武官も兼ねてる事お忘れでないか?

374 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/18(土) 19:59:33.34 .net
>>372
>武官への扱いがよくない
例えばどんな感じで?

375 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 07:32:19.59 .net
>>373
右将軍降格中は別として,丞相就任後武官は兼ねていない。

376 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 13:36:56.03 .net
>>375
丞相ってのは文武の官を束ねる「武官でもあり文官でもある」という特殊な官位だよ
特に曹操が出現して以降は軍事においても丞相の権限が存在してることが強く印象付けられた
後漢書の注釈でも「漢興,置大將軍、驃騎,位次丞相」と
丞相が文武百官の上に立つ特殊な官位ということを示してる
諸葛亮は一貫してずっと武官であり
丞相から降格した時に将軍位になるのも丞相しか持てない文武を統括する権限の内で
本当に権限が必要な武官の制御は右将軍という形で担保し
行丞相事という肩書きで文官には睨みを利かせてる

この降格人事からもわかるように諸葛亮という人の政治権力の源泉は
軍事にあってこれは絶対に手放させない
諸葛亮は武官に厳しいという評価は諸葛亮自身が武官の統括者であり
また武官的な立場を権力の拠り所としているところを無視した
全くの空論であると言わざるを得ない

377 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 14:35:32.25 .net
>>373
自分が武官を兼ねてる事が自分以外の武官の扱いが悪いとの意見の
反証になるの?

378 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 14:50:41.13 .net
>>377
「諸葛亮もまた武官である」ということを忘れて武官の扱いが悪いって議論はただの空論
立場から考えて諸葛亮は軍組織の利益代弁者であって武官と対立する存在ではない

反論するのであれば具体例出して誰がこう扱われるのは不当であると示して欲しいものだね

379 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 18:42:46.16 .net
>>371
何気にその人は正史では、諸葛亮死後に魏に侵攻して
郭淮の挟撃作戦を読み取って各個撃破して完勝してるぞ

380 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 21:47:25.65 .net
ですがー
ですかー

381 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 22:34:14.76 .net
なんか上で論旨を粉々にされた魏延妄想君が>>380で発狂してるのか?

382 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/19(日) 23:27:19.68 .net
>>380
平和な荊州とか思い込んでる平和な奴だからもう構わない方がいいよ。
頭の中だけ平和な奴って周囲にはいざこざしか齎さないから。

383 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 00:59:29.77 .net
>>381
いんや、狂ってるのはいちいち反応する君
悪いね(^_^;)

384 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 06:29:56.69 .net
>>382
劉備が北方遠征してたとかいう妄想が完全に粉々にされてるのに
いまだにいう事がそれとか、さもしい事このうえないなw
お前の史実と食い違いまくりの妄想が認められなきゃ正しくない、という
ネット廃人丸出しの妄想スタンスで何をいってんだかww
ひょっとして、史実と食い違いまくりのあれを完全に認めてもらう事が
「いざこざ起こさない」とかいう話になるんですか?w
さすがにいくらなんでもそれはどうかと思いますねw
>>383
自演乙、とでもいって欲しいか?
どっからどう見ても魏延妄想君なのに、わざわざ時間あけて書き込んで
別人設定でもできたつもりなんですか?w
本当に発想というか、考え方がさもしい事この上ないんだなww

385 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 07:11:20.18 .net
>>384
自演にしか思えないならお前は完全に病気

386 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 17:22:09.82 .net
>>385
どっからどう見ても自演丸出しなのがわからない時点でお前は馬鹿丸出し
毎度毎度同じ文体で同じ口調で同じ事してて
いまだにばれてないと思ってる時点でどんだけ馬鹿丸出しなんだと笑えるがw
さすがはネット廃人けはあるww

387 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 17:46:56.09 .net
魏延妄想君の>>385は本当に毎回やってる事同じで特徴出まくりなのに
これでもなお自演がばれてないと思ってるのだろうか

388 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 19:20:18.63 .net
見事な狂人っぷり

389 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 19:44:30.92 .net
確かに魏延妄想君の狂人っぷりは見てて心配になるくらい
だからこそネット廃人なんだろうけど

390 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 21:04:02.97 .net
結局>>385の魏延妄想君の狂人っぷりが酷いって事でFA

391 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 21:28:24.03 .net
>>385が正しい

392 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 21:32:19.43 .net
と、ここ>>391でいつも通り論旨を粉々にされた魏延妄想君が
発狂しながら自演して自己弁護に乗り出しましたとさ

393 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/20(月) 22:44:33.01 .net
またまた〜

394 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 01:54:07.24 .net
また認定厨が暴れているのか

395 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 06:33:45.22 .net
>>393
本人乙〜w

396 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 06:34:48.80 .net
>>394
認定厨とか言い出すって事は魏延妄想君は曹操患者だったというオチ?
そういえば確かに妄想前提の無理やり論旨とか姑息な手口とか
そっくりだな

397 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 08:21:28.32 .net
>>396
そうやって「○○信者」とか「○○患者」って言う辺りが認定厨ってお前が言われちゃう所以だな。

398 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 14:53:04.18 .net
まだやり合ってんのかよ。
気持ち悪いやつらだな。

399 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 17:54:15.12 .net
俺達は抱き合う代わりに、殴り合っている

こう書くと少しちがって見える

400 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/21(火) 17:58:37.48 .net
>>397
ぶっちゃけ、言われてんのはお前くらいだし、
いってんのもお前くらいだけどな
本当にさもしい奴だな
まあ、曹操患者だとあちこちでいわれて発狂してるネット廃人だというなら
お前のこれまでのさもしい所業も納得だわ
ていうか、書き込み時間が素晴らしい限りだなw

401 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/22(水) 03:48:05.20 .net
まぁ、どっちも楽しそうにしてんだからいいじゃないか。

402 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/23(木) 18:44:13.74 .net
結局、魏延妄想君の北方遠征妄想は粉々でした、でFAですかね

403 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/23(木) 18:47:08.49 .net
それでFA!魏延妄想君は馬鹿丸出し!

404 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/25(土) 17:50:27.14 .net
曝しage

405 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/25(土) 18:14:20.01 .net
確かに魏延妄想君の妄想論旨粉々の惨状と
見苦しい自演や荒らし所業の数々は晒しあげにするべきだな

406 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/26(日) 12:38:34.28 .net
陳倉の攻城戦で敗北したのは孔明のせいではない

407 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/26(日) 18:42:52.60 .net
その次に間髪入れずに2郡とってるし、第2次北伐は第三次北伐の陽動策戦説に一票!

408 : ◆TC2SWUqz3k :2013/05/30(木) 21:28:12.74 .net
第五次は完全な失態でしょ
遠征の場合は敵地に踏み込んでる方が不利だし国力が低いほうが消費度合いが早いんだから孔明の完全な失敗

戦略的にも異民族との連携も中途半端だしなんだかね

409 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/30(木) 21:42:46.17 .net
>>408
第5次ってどの北伐だという気もしますが,
五丈原だったら確かに屯田を築いている間に行く手を塞がれてアウトですな。
(渭北で陣地構築中の郭淮に撃退された時点でどうにもなりゃしない。)

ただそれで戦下手というのは酷な気がしますが。

410 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/31(金) 19:24:15.59 .net
>>408 >>409
ところがどうして、屯田体制つくって長期戦体制構築して
後は長居を決め込めば、踏み込まれてる側の将帥は長期に渡れば渡るほどに
敵軍排除に動きたがるので、そこを迎撃戦で撃破すりゃいい、という話なので
諸葛亮の戦略は特に間違ってるわけでもない

411 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/31(金) 21:54:35.28 .net
>>410
曹魏側は斜谷以外に行き場のない五丈原に押し込めている間は大丈夫。
渭水+成国渠+街道と補給路を確保しているから,いくらでも長期戦に耐えられる。
もちろん大飢饉でも起きればどうしようもないけど,
そんなのに頼っている時点で諸葛亮の負けだから(実際そうだったし。)。

412 :無名武将@お腹せっぷく:2013/05/31(金) 23:22:23.93 .net
>>411
普通は自国に長期滞在されてる時点で威信の問題があったり
住民の迷惑とかになったりする。
だから普通は対陣が長期に渡れば渡るほど、あちこちから
「早く敵軍を追い返せ!」という突き上げが出てきたり
指揮官交代の空気が出てきたり、
それでも守備表示を続けようとすると解任されたりして
司令官はなんらかの手段を用いて敵を早期撃退させる方法を模索するようになる
その意味で諸葛亮が長期滞在体制を作り上げた事は立派な戦略。
いずれ司馬懿が出てこざるを得なくなったら、得意の迎撃戦で撃破すればいいだけ。

413 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 01:05:34.16 .net
>>412
”決戦を回避して持久戦に持ち込み、撤退時には追撃するべし”

残念ながら主君が曹叡である限り、後方からの突き上げはない
逆に長期になればなるほど勝ち目のない戦いに嫌戦が蔓延する恐れがある
蜀側の方が後方から揺らぎかねない

また、長期滞在になれば、故郷から遠くはなれた戦場に野営する蜀兵の心労、疲弊は大きい

どちらにせよ、蜀側が一方的に有利と呼べる状況にはなってないのが実情だ

414 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 01:24:29.50 .net
後方からの突き上げはないけど部下からは散々突き上げ食らって
曹叡の名前で納めないとダメだったよね

これ曹叡が君主でなかったら普通に諸葛亮の狙い通りになってたんだろうなぁ

415 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 06:31:01.49 .net
>>413
実際に部下からの突き上げは起っている。
蜀側にとっては勝ち目がない戦いなどという認識はない。
諸葛亮死去の時も魏延が意気軒昂な様を見てもわかる。
蜀側の懸念であった食糧問題が解決された状況とあって
蜀側にとっての士気は相当高いのが実情。
それに、蜀側も魏が出てくるのを待ってればいい、という方針はわかってるので
「勝ち目がない戦いに対する嫌戦」なんてものは起きようがない

416 : ◆TC2SWUqz3k :2013/06/01(土) 18:22:56.87 .net
実際には魏側の突撃は起こらず蜀側が押し込められてました
長期戦は遠征軍に不利です

417 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 19:42:30.43 .net
>>414,>>415
ただでさえ前回攻めて撃退され,無理に追撃して張コウまで失ったのに,
この時司馬懿を突き上げられる武将がどこにいたのか。

蜀漢側の場合勝ち目がないと言うより戦ってもらえなかったのだから,
相手を引きずり出せなかった諸葛亮が一番ストレスを感じてたのだろなあと。

418 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 22:10:54.29 .net
>>416 >>417
実際に諸将が突き上げしてて
司馬懿がやむなく「わかった!戦う!」といって
皇帝にわざわざお伺いして、守備表示命令を厳命してもらって
なんとか抑えたって感じ
司馬懿はかなり必死で陣を抑えるのに苦労してる

諸葛亮としてはある程度想定通り。
そのまま長期滞在を続ければ魏側の将兵や近隣住民などから
「早く敵を追い返せ!」という突き上げが強くなってくる。
その前に病死しちゃっただけで。

419 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 22:53:59.08 .net
>>416
長期戦が遠征軍に不利になるのは第一に兵糧問題。
その対策として諸葛亮は兵糧を三年にわたってたくわえ、
木牛流馬で輸送を円滑にし、さらには屯田兵を備えて自給自足体制を整え
長期にわたって対陣しても兵糧に困らない体制を作り上げた。
これで後は魏側が焦れて攻撃に動く時までじっくりと待ち、
出てきた時には得意の迎撃戦で撃破すればいいだけ。

420 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 23:00:04.35 .net
>>418
その前に、出兵しておいてまともに城攻めを行わない孔明にも
突き上げが来そうなもんだが?
長期にわたり戦場で野営を強いられる兵からすれば、
一体いつ始まる(終わる)んだと不満も増える
不安材料ならいくらでもあり、それこそ将兵の不満が表面化する前に
司令官病死でうやむやになってただけってことも考えられる

特に魏にとって前面の敵である呉の侵攻を跳ね返した後になれば
対蜀に手を拱いている必要もない
長期になれば、対呉にあてがう予定だった兵をそのまま対蜀に向ける
選択肢だってでてくるから

孔明も一刻も早く有利に戦うためにあの手この手と行っている
悠々と長陣していたわけではない

長陣が蜀側に一方的に有利だなんて事はないよ

421 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/01(土) 23:23:31.16 .net
>>420
実際にそんな突き上げは起きてない。
内部統制に苦労してる司馬懿と違って
お前の妄想とは違って史実において蜀軍は普通に統制がとれている。
諸葛亮死亡後にだって魏延が「今度は俺が大将やるから北伐継続!」とか
言い出しちゃってるくらい。
「軍隊統率に長じた」と陳寿にも評された諸葛亮の統率力は大したものだな。

対呉にあてがう予定だった兵を向けてくるなら向けてくるで
呉の再出撃に対する兵力がなくなるだけだな。
というか、もともと対蜀に兵を割きすぎて明帝自身が兵を率いて出撃する自体になってんのに
余裕あるとかご冗談でしょ。

そりゃ、早く出てきてくれるならそれに越した事はないから挑発はしてる。
で結局、蜀の挑発行為も相まって諸将は司馬懿を突き上げる事態になってましたとさ。

422 : ◆TC2SWUqz3k :2013/06/02(日) 01:38:13.29 .net
結局うまく防がれました

結局防衛>攻撃な時点で守備戦に持ち込まれたら孔明が不利なのは明らか

423 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 01:49:06.41 .net
>>421
あれあれあれ
対呉は完璧に呉に対応してて
曹叡が中央の主軸部隊を引きつれ出陣してたじゃん

到着前に孫権が引き下がって、兵士が曹叡に
「司馬懿はまだ諸葛亮と対峙してるから兵を送ってみれば?」
とも言ってるし、魏は余裕あったし

424 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 05:58:27.65 .net
>>421
> 実際にそんな突き上げは起きてない。
> 内部統制に苦労してる司馬懿と違って
> お前の妄想とは違って史実において蜀軍は普通に統制がとれている。
武官の筆頭格である魏延は
『諸葛亮が臆病な故に自分の才能が発揮できない』と嘆いている

> 諸葛亮死亡後にだって魏延が「今度は俺が大将やるから北伐継続!」とか
> 言い出しちゃってるくらい。
戦意が最も高い将軍だからこその継続論
孔明の側近どもは撤退を選択

思惑通りに事を進めて有利な状態であり、蜀軍全体の戦意が高いのであれば
自分が死ぬからといって撤退を命じる必要性は乏しい
計画通りに事を進めよと命じれば良いし、将兵も弔いの意味も込めて戦争継続を望むはず

司令官の死によって戦線を維持できない状態であり、
弔いの戦いもしようとは考えないほどに士気が低い状態であったってこった

425 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 07:38:01.54 .net
わくわくめーる
No.4835089
名前:♀みか
年齢:40代半ば
住まい:埼玉県春日部市
身長:155?cm
職種:人妻
スタイル:ややぽちゃ
ルックス:いやし系
結婚:既婚
子供:いる
タバコ:ときどき吸う
お酒:飲まない
3サイズ:ヒミツ
暇な時間:不定期
好み年齢:30代前半?代後半
好みスタイル:スレンダー?がっちり

426 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 08:39:03.23 .net
>>419
食糧問題に困らないのは補給路を確保している曹魏側も同じ。
外に展開されたら嫌だろうけど,それだけは阻止したから安心して籠っていられる。
五丈原なんて敵兵が混住しても問題が起きないくらいしか人が少なかったのだから。

確かに諸葛亮なら将兵の統制に問題はないだろうけど,
冬まで長引いたり斜谷に障害が起きたりしたらさすがに耐えられないのではないか。

427 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 09:55:42.05 .net
( <●> ┏┓ <●>)

428 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 14:33:14.01 .net
立川住みです(*^^*)
近くの人居たら仲良くして下さい★
背は168で体重は82`です(*^^*)
電車に乗る習慣がないので車ある人がいいな★

429 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 15:31:12.36 .net
>>424
それは蜀の指揮命令系統を全く考慮してないから出る結論だな

蜀の指揮命令系統は諸葛亮が頂点にいて軍と丞相府を取りまとめているから十全に動くのであって
諸葛亮が欠けると途端に猛烈な主導権争いが始まる
これが史実で起こった魏延と楊儀の政争

つまり君のレスは基本的な要素を無視した無意味な反論だということだ

430 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 17:47:16.24 .net
>>429
自分が欠けただけで崩壊するような貧弱で脆弱な体制しか作れていないなんて
戦下手以前の問題ですな

それでいて自分の健康管理もできないなんて最低の指導者って事になりますな

司令官が不慮の戦死を被っても次席の将軍が指揮して、戦線を保った魏とは
比べ物になりませんな

431 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 18:18:08.06 .net
>>430
諸葛亮ってただの司令官じゃないだろ
丞相、益州牧、司隷校尉、録尚書事全部兼ねてやっと独裁してる
魏で言ったら曹操が魏公になる前の曹操、荀イクの立場を兼任してるようなもんだ

「司令官が不慮の戦死を被っても次席の将軍が指揮して、戦線を保った魏」とは比較できないのは当たり前
曹操が権力継承のための魏公になる以前に死んだようなもんだから
その比較をするのは頭が悪いとしか言いようがないな

体制構築が悪いというのも間違い
そうしなければ諸葛亮主導で物事を動かせないのに
曹操のようにスムーズな権力委譲をしようとしたら簒奪しかないな

432 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 23:30:10.92 .net
>>422
防がれてないなー。
大国という割には長期滞在してくる敵を実力で追い返せず、
敵の総大将が病死して本国に帰還したのを防いだというのは、かなーり悲しくないか?
「圧倒的な大国」の魏の信奉者さん?w
>>423
完璧に対応とかwwどこの世界の話なんだよw
曹叡自身が近衛部隊まで連れてご出陣してる状態で
普通は異常だと思うだろw
司馬懿に大量の兵力を回したから、そんな事態になってるわけで
それで呉が退いたから曹叡も都に戻ろうとしたし、現に戻ったわけで。
これで余裕とかおかしいだろw

433 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 23:43:39.11 .net
>>424
まず結論から言っておく。

お前は本物の馬鹿だ。
ここまで妄想によって史実を歪められるネット廃人はそうはいないと感じられるよ。

あのさー、魏延がどうたら言ってるけど、それは魏延が「一万の兵をちょうだい!
俺の好き勝手に動きたいから!」というのを「不許可」と諸葛亮にきっぱり断られて
退出した後で「ちくしょう!あんにゃろうめ!」という感じで言ってるわけで
突き上げとかそういうもんじゃないから。むしろ、武官筆頭の魏延ですら、
諸葛亮にあっさりと否定されて勝手な行動も出来ないし、圧力もかけられない、という
諸葛亮の統率力の圧倒性を示してるわけだ。

諸葛亮の側近達は諸葛亮の遺言を知ってるんだから、そりゃ退くだろ。
その側近の連中も武官の連中も別に自分達がまけたなんて欠片も思ってなかったわけで。

>自分が死ぬからといって撤退を命じる必要性は乏しい
お前の妄想世界ならいざ知らず、実際は一国の主導者が死亡した場合、
後継体制を確立しないといけないから、そんなゲームみたいに簡単にいかんのよ。
諸葛亮は丞相であって国家の最高指導者。これが死亡した場合、事は戦場のみならず
早く後継体制を確立しないと政治にまで大きな影響が出る事になる。
だから一旦帰国して新たな体制を整えるのは当たり前。
蜀軍の戦意が別に衰えちゃいなかったのは、追撃してきた魏軍を反転迎撃して
「死せる孔明、生ける仲達」の故事を残したことでもわかるわけで。

お前ってさあ、毎回毎回妄想と願望で根拠なく跳躍した論旨ぶちあげて
発狂するのやめろって何度いわれたらわからんだよ。
いい加減呆れるを通り越して来るんだけど。

434 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/02(日) 23:49:02.74 .net
>>426
実際に蜀軍が滞在してる近隣には住民がいて、蜀軍の存在に脅威を感じている。
そもそも大国と主張する魏が、小国と見下す蜀に踏み込まれて
実力で追い返させずに引き籠ってるという点で威信という問題があるし、
魏の諸将達は現に司馬懿を突き上げている。
だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで。
屯田体制を構築して長期に自給自足体制を整えている諸葛亮相手に
いつまで司馬懿が我慢できるか疑問の限りだな。

435 : ◆TC2SWUqz3k :2013/06/02(日) 23:52:04.37 .net
必死に我慢していました

436 : ◆TC2SWUqz3k :2013/06/02(日) 23:56:18.32 .net
孔明さんは魏に大軍を完璧に防がれ
呉との連携もうまく行かず
敵国への内通や謀略も失敗し
燕や多民族との連携も中途半端で完全に防がれ撤退。

司馬懿に完璧に作戦を読まれるなどいいとこなしです。

437 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 00:01:52.34 .net
>>435 >>436
と、同時代からも後世からも
「圧倒的な国力で大軍を率い、しかも敵は険しい山脈を越えてくる蜀軍で
自軍は平坦な道を進んでこれて、しかも戦力的にも優越、
こんな有利な状態で諸葛亮を恐れて引き籠り、諸葛亮が死亡した後に追いかけたら
反転迎撃されてまた逃げた。これで良将といえるのか」と言われてる司馬懿を
必死に持ち上げようと魏オタが必死なのでしたw
実際は司馬懿の方こそ諸葛亮以外の相手には勝ちまくりだったのに、
諸葛亮に野戦で何度も敗北し、最終的に引き籠った事で
後世において不本意な言われ方をすることになって、いい事なしだったなww
まあ、「偉大なる諸葛亮に対してなんとか守りきった」という意味での評価は
してもらってるけどな

438 : ◆TC2SWUqz3k :2013/06/03(月) 00:05:24.10 .net
魏の領土奪ってくださいよ

439 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 00:06:59.55 .net


440 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 00:17:04.95 .net
結果から見れば、諸葛亮は北伐で善戦しつつも志を成し遂げられなかった…だな

441 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 00:21:00.41 .net
孔明の計画は、漢中から長安、襄陽から洛陽制圧によって漢王朝復活だからな

関羽と劉備が下手打っただけ

442 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 03:52:07.99 .net
結果が全て
孔明は負け、仲達は防衛した。

スポーツじゃないんだから有利不利なんて関係ない
不利を承知で侵略してるのだから直の事
大国ったって、魏は三方に敵性勢力があり、広い国土をまもらにゃならん
総じて見れば有利だろうが局地的には不利な状況もある
そして、大国だからって被害度外視で戦わなきゃならん理由もない
篭城も立派な作戦、それで負けてりゃ情けないだが、勝ったのなら情けないことなどひとつもない
また、大国が必ず完勝するわけでもなし、
小勢力で大国を倒した例だってないわけではない
どんな屁理屈をこねても、途中経過がどうであれ、負ければただの敗残の将

443 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 04:20:29.20 .net
>>442
結果がすべて

だから一番優れた君主は司馬炎
ほかは全部下郎

444 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 12:29:06.65 .net
>>438
圧倒的大国の魏を背景に寸土足りとも蜀の領土を奪えなかった司馬懿さんをディスらないでください。

445 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 20:57:58.38 .net
>>434
>実際に蜀軍が滞在してる近隣には住民がいて、蜀軍の存在に脅威を感じている。
諸葛亮伝では人々が安心していたとはされますが,
脅威を感じていたなんて根拠はどこにあるのでしょうか?

>魏の諸将達は現に司馬懿を突き上げている。
五丈原で司馬懿を突き上げた諸将なんてどこにいるのでしょうか。
辛ピ伝だって司馬懿自身が戦いを求めたとしか記されないのですが。

>だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで。
実際の司馬懿は正反対に,決して外には出なかったのですが。

446 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 21:51:17.45 .net
>>445
そりゃ数年前の恐怖がまだ残ってるもの

司馬懿としたら諸葛亮とは戦いたくないよ

447 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 22:33:02.85 .net
>>438
圧倒的国力で迎撃しながらも蜀軍相手に引き籠ってた
司馬懿をディスってんの?やめてくだちいよ(怒)
>>442
え?いつ負けたの?教えてくださいよーw
蜀軍は侵攻側であって、しかも国力9分の1で本来なら瞬殺されててもおかしくない小国側。
これを相手に引き籠ってるから後世からも同時代からも、「司馬懿の能力は諸葛亮より少ない」
とはっきり評されてるわけなんですがw
というか、結局のところ諸葛亮を打ち破れず、その英名を高らしめて
特に被害もなく帰国されてるのに、これでどこが諸葛亮が「敗残の将」になるんですか?w
貴方って毎回毎回思うのですが、「敗走」という言葉における進行方向が普通とは逆方向なんじゃないでしょうか?w
さすがに馬鹿丸出しで過程がめちゃくちゃな結果論しかいえないネット廃人だと笑えますなww

448 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 22:52:13.88 .net
>>445
諸葛亮は軍を引き締めて近隣住民に酷い事はしなかったけど、
近隣住民にしてみれば、付近に敵国の大軍がいるっていうのは
魏という国の体面上、あるいは威信という問題からして無視できない問題。
蜀軍が帰国した事を司馬懿軍に知らせたのも近隣住民だしね。

>辛ピ伝だって司馬懿自身が戦いを求めたとしか記されないのですが。
>実際の司馬懿は正反対に,決して外には出なかったのですが。
一レスの中でこんだけ堂々と矛盾できるってすごいなww
さすがは馬鹿丸出しのネット廃人だと笑わせてもらいますよww
辛ピ伝においては「司馬懿は何度も諸葛亮と戦う事を求め、明帝は許さなかった。
これで禁じる事が出来なくなる事を恐れて、明帝は辛ピを大将軍軍師に命じ、
節を持たせて派遣した。」とある。
そして、その注釈である魏略においては「司馬懿は何度も何度も辛ピに対して
侵攻を欲したが、辛ピはこれを禁じた。司馬懿は毎度のように辛ピに抑え込まれて
出撃する事ができなかった。」とある。
これは通常の解釈では「冷静な司馬懿が、諸将からの突き上げを受けて戦闘を求めたもの」と解釈される事が多い。
で、もしもその解釈を取らずに、そのまんまで解釈するならば
司馬懿はそれこそ明帝に対しても何度も何度も出撃を求め、
派遣されてきた辛ピに対しても何度も何度も出撃を求め、そのたびに辛ピに抑え込まれていた事になる。
つまり、お前さんの妄想である「実際の司馬懿は正反対に,決して外には出なかったのですが。 」
というレスは矛盾する事になる。お前さんが馬鹿丸出しで妄想するのと違い、辛ピ伝を基にするなら
司馬懿はそれこそ何度も何度も出撃を皇帝にも辛ピにも願い、その度に必死になって抑え込まれていたのが実態という事になり
もろに俺が言うように「だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで。」という事態になってるわけだ。
ま、どっちの解釈であっても、お前の妄想論旨は明確に破たんする事になるし、
俺はどっちの解釈であっても困らない事になる。
で、お前はこれでどうやってお前の妄想論旨に整合性をつけるのか、
是非ともやってもらおうかwいつもいつも妄想全開馬鹿丸出しで自爆するのがデフォの
ネット廃人のお前だけど、今回はいきなり最初から自爆とはなwww
そこまで馬鹿丸出しの曲芸をやらなくてもいいんだぞww
ま、お前の崩壊しまくりの論旨についてはちゃんと整合性をつけた解答を
どうせ無理だとわかりつつ聞かせてもらうがなww早くお願いねww

449 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/03(月) 22:58:51.16 .net
魏の領土って武都と陰平奪ったよね

蜀から魏が領土奪うことって諸葛亮が政権握ってから死ぬまでの間は皆無だったが

450 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 00:11:01.21 .net
諸葛亮の死後30年もった蜀
一体、諸葛亮の北伐とは何だったのか
魏と戦争を押っ始めるのが早すぎた

2〜3発レーザー吐いて脆くも崩れ去った巨神兵みたい

451 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 01:57:56.70 .net
蜀はコマ不足なのに一度でも失敗すれば(しなくても)簡単に人材潰すのはどうかと。
自ら手を下した李厳や馬謖、自らの死に際して謀殺した魏延と楊儀。

李厳のは食料が逼迫していたのは事実で、出兵の計画が甘かったわけだし、
馬謖はそもそも諸葛亮が反対を押し切って起用したのに見せしめで死罪。
魏延なんて正史ですら楊儀を使って挑発してるし、たとえ大人しく従っても捨石扱い。
楊儀にしても魏延潰すためだけに一度トップに立たせて、その後は統括部署のない閑職。

国のトップクラスにこの仕打ちだったんだから、下の官職も推して知るべし。
突発的天才頼み以外、蜀で人材が育たないわけだよ。

452 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 12:04:40.99 .net
まったく歴史オタの落とし穴に引っかかりまくってンな
・歴史を考える時には後世の評価は無視しなければならない
・結論ありきで考えてはならない
・人間、生活において最低限の常識は今も昔もかわらない
この辺お約束

忘れると「江戸時代は差別社会で女性の敵」みたいな狂ったおばさんになる

453 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 20:49:06.57 .net
>>451
過程の歪んだいびつな結果論を妄想でこじつけるのって楽しい?

>李厳のは食料が逼迫していたのは事実で、出兵の計画が甘かったわけだし
何いってんのか意味不明。
李厳は「雨が降りまくって食糧送るのが続けられなくなりました(泣)
引き返してくだしあ」といったんであって「食糧が逼迫した」わけじゃない。
その李厳の申し出に対しては諸葛亮はあっさりと承認して軍を退いている。
問題はこの後で李厳が自分で諸葛亮に泣きついて軍を退いてもらったのにも関わらず、
「食糧は問題なかったのに何で退いちゃったわけ?ちょーわかんないんですけど(笑)」とか
言い出して、反省して謝罪するどころか、諸葛亮の帰国自体を不審な事だと言いはじめて
自分の責任を誤魔化そうと欲したから諸葛亮が激怒したわけで。
諸葛亮が激怒して李厳が第4次北伐中に送ってきた書状を全部出して、
今の李厳が言ってる事との違いを問い詰めたら、李厳は誤魔化せなくなって自白したし。
こんな事すりゃ普通は責任問題になるのは当たり前。

馬謖は諸葛亮からの命令に背いて大敗したんだから、普通は責任問題になるだろ。
命令通りに戦ってたら、仮に敗戦したとしても死罪には少なくともならなかったはず。

>自らの死に際して謀殺した魏延と楊儀
そんな事実はありません。
>魏延なんて正史ですら楊儀を使って挑発してるし
楊儀と魏延の個人的確執がなんで、諸葛亮が挑発した事になるのか意味不明。
諸葛亮はむしろ魏延を罵倒した人間を叱責したり、
魏延に手柄を立てる機会を与えて昇進させたり、普通に重用してる。
>楊儀にしても魏延潰すためだけに一度トップに立たせて
楊儀は諸葛亮死亡後の蜀軍を帰国させる、という諸葛亮の遺言を
諸葛亮の丞相府の筆頭幕僚として実行したわけであって、
別に恒久的に蜀軍のトップに立たせるつもりだったわけでもないし、
ましてや魏延を潰す為云々なわけでもない。

過程を歪めまくって妄想でいびつな結果論ひねり出すのやめろって
何度も言われてるだろ、お前。

454 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 21:43:27.04 .net
>>448
はぁ,結局司馬懿は外に出なかったのでしょう。辛ピに止められたのですから。
一体どこが矛盾しているのでしょうか。

455 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 21:53:22.50 .net
>>454
え?司馬懿って騎兵引き連れて諸葛亮の部下の陣攻撃したりしてるよ?

456 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 22:06:40.58 .net
>>454
いや、矛盾してんじゃん。
お前さんの主張って「司馬懿は打って出ようとしなかった!
敵国に長期滞在されてる司令官が敵軍を追い返そうとするなんてありえない!
司馬懿はそんなことしなかった!突き上げようとする諸将もいなかった!
魏は永遠に引き籠ってても困らないんだ!」というネット廃人丸出しの
妄想願望だろ?
でも辛ピ伝を見る限り、司馬懿は何度も何度も皇帝にも辛ピにも出撃を要請しまくってて
「敵軍に長期滞在されてる司令官は、可能な限り早く敵軍を撃退しようと動き出す」と
いうこちらの主張通りの行動をしている。これはお前の妄想とは明らかに矛盾している。
この辛ピ伝の動きを通説的に「諸将の突き上げを抑えられなくなった司馬懿のポーズ」と
見るならば、「司馬懿を突き上げる諸将」がいる事になり、やっぱりお前の論旨と矛盾する。
結局のところ、この司馬懿の出撃要請が司馬懿自身によるものか、諸将による突き上げによるものか、
どっちであったとしても、魏軍には出撃して蜀軍を早期に追い出そうとする動きが
かなりの強さで存在してた、って事になり、ネット廃人であるお前の妄想願望を仮託したかのような
「永久引き籠り可能論」とは明白に矛盾する事になる。
で、この大きな矛盾について、ちゃんと整合性をつけて答えてみろと言ってるわけ。
はよしてね。

457 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 22:14:17.09 .net
>>456
はぁ?私は>>445で,
>実際の司馬懿は正反対に,決して外には出なかったのですが。
と書いたのですが。

相手の主張くらいはちゃんと読んでから批判してくださいよ。

458 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/04(火) 22:36:36.55 .net
>>457
はあ?じゃねーよ。都合悪くなったからって論旨替えすんなよ。

お前は「実際の司馬懿は正反対に」と書いてる。
何に対して正反対なのか?というとその前行で
「だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで」
という俺のレスを挙げている以上、それに対する正反対の動きを司馬懿がした、と
お前は主張してる事になる。
で、辛ピ伝を見る限り司馬懿は何度も何度も皇帝にも辛ピにも出撃を要請しており、
これは明らかに俺が主張している、
「だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで」
というのと符合した動きだな。この時点で、お前が主張する「正反対」とは明らかに矛盾が生じる。
どうせそうやって、都合わるくなったら論旨替えて逃げ回ろうとするネット廃人のお前の手口は
重々承知してるので、気長に聞いていく事にするが、
さっさとお前の言ってる事とそれに対する矛盾についての整合性を早くつけてみろ。
というか、他の事に対する解答はどうしたんだ?他にもいくつも矛盾点あるぞ?
それについての解答はどうした?気長に聞いていくから、さっさと整合性をつけて答えてみろよw

459 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 00:00:13.39 .net
>>453
全部が全部アホどもを擁護するつもりはないが、馬謖の件だけは孔明を擁護できないな。

珍しく孔明が私情を挟んだ結果、第一次北伐の大敗に繋がったわけだから。
本気で勝つ気なら、馬謖の能力以前にあの重要ポイントを将の経験のない参軍に任さない。
しかも一度失ったら孔明自身の本隊が近くにいても奪回できないような場所ならなおさら。
バックアップが王平のたった1000人だけとか、どうも疑問が多すぎる。

460 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 00:27:30.20 .net
>>459
一行目はいらん

461 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 01:39:17.73 .net
>>459
魏延にすら1万程度の兵も預けないのに馬謖に1万の兵を預けられるはずがない
北伐に動員した兵数は不明だが趙雲ら別働隊も派遣している事もあり
本隊もそれほど多くの兵を率いていたとは考えにくい

王平が率いた1千からの逆算になるが、馬謖が率いた兵は全体(王平隊含む)で
5〜6千程度が落とし所ではないだろうか?

462 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 20:44:19.13 .net
>>458
ですから,司馬懿がどれだけ出撃を求める振りをしたのかは分かりませんが,
実際には出撃してないじゃないですか。少なくとも間違ったことは言っていませんよ。

そもそも,私は自分で書いた>>445の文責は負いますが,
レス相手の>>434の責任までは持てませんよ。
それが矛盾するからおかしいって何なのでしょうか。

2chって日本語掲示板なのですが,せめて日本語を学習されてからレスをされたらどうですか。

463 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 21:51:21.85 .net
>>461
バックアップという意味で言うなら 高翔を置いていた。
まあ城で防戦しても防げなかった以上、命令通り街道で野戦防衛しても守りきれなかっただろうが。

むしろ孔明も、ただ街道で防衛しても寡兵では長く持たないと思ったのではないか?
だからこそ調略による遅滞戦術を期待しての馬謖の抜擢と考えれば辻褄が合う。

まさか馬謖が盛大に勘違いして敵の撃破に主眼を置いた作戦を取るとは思ってなかったのだろう。

464 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 21:58:00.53 .net
>>459
諸葛亮本人も抜擢の責任を自覚していたからこそ、自らを右将軍に降格したわけで。
まあ、中国だと天才肌の兵法家がいきなり実戦に出て大勝利、という例も結構あるので
諸葛亮としては馬謖の才を見込んだって所だろう。

パックアップが王平の兵千人だけ、ではなくて
他にも何人も将軍がいたようなので、(実際に敗戦後に処罰されてる)
馬謖に反対したのが王平だけだった、ってのが正解だろう

465 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 22:09:09.03 .net
>>462
はいはい。そうやってお前自身が言い出した事を
都合悪くなったら発狂して論旨替えしなくていいから。
お前は「正反対に」と言ってる以上、司馬懿が何度も出撃許可を求めてる時点で
明らかに矛盾してるし、立派に大間違いしてる。
いい加減自分が言ってる事がどれだけ矛盾してるのかさっさと気が付けよ。
ああ、認めたら馬鹿丸出しが確定するからごまかしに必死ってわけですね。

お前さあ、日本語日本語と連呼してるけど、本当に文章読めてないのお前なのなww
誰が>>434のレスが矛盾してるといったわけ?w
俺は最初から最後までお前の>>445のレスが矛盾しまくってると
何度も書いてるわけw本当にさもしいプライドを守る為に必死なネット廃人丸出しで滑稽だわww

頭が悪すぎて文章一つ理解できないネット廃人の馬鹿丸出しみたいだから、
懇切丁寧にもう一回書いてやるなw
お前は>>445のレスでこう書いている。
「>だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで。
実際の司馬懿は正反対に,決して外には出なかったのですが。」
で、>以下の「だから内地に〜」という文章に対して
お前は「司馬懿は正反対に」と書いている以上、史実において
「>だから内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとするわけで。 」
という事態と真逆の事柄が起きてなければお前の妄想世界は成立しない。
でも実際には司馬懿は何度も出撃許可を求めており、
これはお前が否定した「だから内地に〜」の文章と完全に符号しており、
「お前の妄想が」「史実における司馬懿の動きと」「明確に矛盾してる」と
言ってるわけ。だからさっさとこの矛盾点についてお前はさっさと整合性をつけて答えろといってるわけですよww

しかしまあ、日本語日本語と連呼しながらも速攻で自爆して
日本語読解も滅茶苦茶な馬鹿丸出しであると自ら主張なされるとはww
本当にネット廃人の発狂振りは見ててあきませんのうww

466 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 22:17:57.35 .net
>>462
ああ、それから馬鹿丸出しで自分の自爆にも気が付かないネット廃人みたいだから
もう一つ懇切丁寧に説明しながら聞いてやるが、
お前は>>462で「司馬懿がどれだけ出撃を求める振りをしたのかは分かりませんが」
っと答えた以上、お前の妄想世界では「司馬懿が出撃を求めたのはポーズ」という解釈なんだよな?w
だとするならば、それは通説における「司馬懿は冷静だったけど、諸将の突き上げがあったので
決戦を求めるポーズをしなければならなかった」という解釈という事になる。
だったら>>445で「五丈原で司馬懿を突き上げた諸将なんてどこにいるのでしょうか。」と
お前は書いているが、「司馬懿が出撃を何度も繰り返して求めてるのはポーズ」という通説的解釈に立脚する以上、
「司馬懿が決戦を求める姿勢を見せなければいけない、決戦を求める諸将の存在」を肯定する事になり、
これまたお前の妄想論旨と完全に矛盾が生じる事になる。
で、これまた大きな矛盾点に対して、お前は一体どうやって整合性をつけるつもりなのか、
ぜひともさっさとやってもらおうかww逃げられると思うなよ、馬鹿丸出しのネット廃人がww

467 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/05(水) 22:19:41.58 .net
>>463
高翔に関しては「営が破られた」とあるので、野戦陣地だったっぽいよ。

468 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/06(木) 21:06:51.30 .net
>>465
>お前は「正反対に」と言ってる以上、司馬懿が何度も出撃許可を求めてる時点で
>明らかに矛盾してるし、立派に大間違いしてる。
「出撃許可を求める」ことと,「本気で出撃する意思があった」ことはイコールではありませんよ。
だからこそ『漢晋春秋』は,諸葛亮に「司馬懿には最初から戦う気がなかった」と言わせたわけで。

そもそも第4次北伐はともかく,第5次北伐で諸将が司馬懿を突き上げたなんて根拠どこにあるのですか?
ネット廃人じゃないのでしたら示してくださいよ。

469 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/06(木) 21:17:23.37 .net
青龍二年,諸葛亮率衆出渭南。
先是,大將軍司馬宣王數請與亮戰,明帝終不聽。
是歳恐不能禁,乃以[田比]為大將軍軍師,使持節;六軍皆肅,準[田比]節度,莫敢犯違。
魏略曰:宣王數數欲進攻,[田比]禁不聽。宣王雖能行意,而毎屈於[田比]。

というわけで確かに「諸将に突き上げられた」どころか
司馬懿本人が攻めたがってるね

[田比]は辛ピのピの字が俺のブラウザで書き込むと文字化けするんで

470 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/06(木) 21:41:31.60 .net
>>469
>亮曰:「彼本無戰情,所以固請戰者,以示武於其眾耳。
>將在軍,君命有所不受,苟能制吾,豈千里而請戰邪!」
(諸葛亮伝注引『漢晋春秋』)
戦う気が全くなくても「戦おうとする振り」はできるのですが。

471 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/06(木) 22:14:13.49 .net
>>468
おやおやwようやくこちらの提示した文章が理解できたようですなw
日本語日本語と連呼しながらも、ご自身が日本語文章の読解を怠って
自爆していた事に対するご感想はどうですか?w是非ともお答え願いたいですなw

>「出撃許可を求める」ことと,「本気で出撃する意思があった」ことはイコールではありませんよ。
その観点から通説においては「司馬懿は冷静だったけど、諸将の突き上げがあったので
決戦を求めるポーズをしなければならなかった」という解釈に至るわけです。
漢晋春秋でも言ってるでしょ?「彼が戦いを請い求めたのは、
自らの軍に対して武を示したかったからだ」と。
諸葛亮の挑戦に対して、司馬懿は自らも戦いを請い求めなければならなかった。
それはなぜか?そうしないと自らの軍に対して武を示す事が出来ず、統制できなくなる恐れがあったから。
つまりここで、「諸葛亮の挑戦に対して、司馬懿が決戦を求めて武を示さねばならない存在、
すなわち、決戦を求める魏側の諸将の存在」が想起される事になり、
通説的解釈においては「司馬懿は冷静だったけど、諸将の突き上げがあったので
決戦を求めるポーズをしなければならなかった」と解釈されるわけです。
辛ピ伝とその注釈を見る限り、司馬懿は皇帝に対しても何度も出撃許可を求め、
さらにはやってきた辛ピに対しても何度も出撃を求め、その度に抑え込まれていた、とあるので
回数にすると結構なものになるわけで、それ程までに司馬懿が武を示さなければ
魏側の統制が取れなくなる恐れがあった、と見るのが通説的解釈なわけです。
辛ピ伝でも言ってるでしょ?w「司馬懿は何度も諸葛亮と戦う事を請うたが、
明帝は許さなかった。これで禁じる事が出来なくなる事を恐れて、辛ピを大将軍軍師任じ、節を持たせて派遣した。」
と。皇帝の側から見ても、司馬懿率いる対蜀戦線軍が守備命令を破って決戦に動いてしまうかもしれない、
という恐れは十分に持っていたわけですね。だからこそわざわざ辛ピに節を持たせて派遣したわけです。
漢晋春秋でも諸葛亮がいってるでしょ?w「将が軍に在る時は、君命すら受けざる時がある。
司馬懿が私を制する事が出来る自信があるなら、どうして千里の彼方に許可を求めようか」と。
つまり、これは逆説的に言うと、いかに皇帝の守備命令があろうとも、
現場において決戦を求める声が強くなりすぎれば、魏側の統制が破れて出撃してくる、という事が
十分にあり得た事を示しているわけです。だから「司馬懿は冷静だった」という通説的解釈においてみるならば
司馬懿が皇帝にも辛ピにも何度も決戦を求めている事を見れば、
魏側において戦いを求める声というのはかなり強いものがあった、司馬懿が統制に苦労していた、という風に
解釈できる事になるわけですwおわかりですか?w
いくらネット廃人さんだからといって、ここまで懇切丁寧に説明してあげたんだから
今度は日本語文章読解を怠ってみょうちきりんな勘違いしないでくださいねw

472 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/06(木) 22:16:21.67 .net
>>468について追記
あ、別に私としては通説的解釈じゃなくて、辛ピ伝と注釈そのまんまの解釈でもいいですよ?w
司馬懿が諸葛亮の挑戦に対して、決戦を何度も何度も皇帝にも求め、辛ピにも求めていた、というのなら
まさに「内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとする」というこちらの示している原則通りという
事になるわけですからwいずれにせよ、通説的解釈であれ、辛ピ伝と注釈そのまんまの解釈であれ、
魏側には内地に長期滞在を続ける蜀軍との決戦を求める声がかなりの強さで存在した、という事になるわけですからw
で、そもそも貴方は通説的解釈に立脚してるのか、辛ピ伝と注釈のそのまんまの解釈に立脚してるのか、
それについてまず示してくださいよwなんか言ってる事が矛盾したまんま発狂してるようですが、
さっさと整合性付けた解答を示してもらいたいもんですなあw

473 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/06(木) 22:29:47.52 .net
横レスではあるが
>>470
それってその文章の中にそのまんま書いてあるよね?w
「彼(司馬懿)が戦いを請い求めたのは、自らの軍に対して武を示すだったのだ」と。
つまり、その文章から見るならば、諸葛亮の挑戦に対して完全スルーなどできず
魏側の軍統制の為には、司馬懿が自らも決戦を求めて自軍に対して武を示す必要があった、という事が想起されるわけでw
というか、あんたって最初の方からこっちは聞いてるけど、
>>445
>五丈原で司馬懿を突き上げた諸将なんてどこにいるのでしょうか。
>辛ピ伝だって司馬懿自身が戦いを求めたとしか記されないのですが。
とかぬかして辛ピ伝と注釈そのまんまの解釈に立脚してるような事いって、
司馬懿が自ら戦いを求めた風に言い出して、
それなのに「司馬懿が戦いを求めたのはポーズ」という通説的解釈を言い出して
「司馬懿が武を示さなければならない存在、すなわち戦いを求める魏側諸将の存在」は否定して、
矛盾しまくってる事この上ないんですけどww
いい加減、この矛盾しまくりの貴方の論旨について、整合性つけて説明してみなさいと
こちらは何度もいってるんですけど、さっさとやってくださいよwwネット廃人さんww

474 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 00:15:17.52 .net
>>470
そうだね
じゃあ肝心なことは「何故戦う振りをした」のかだね

上司受け?でも上司こそ戦うべきでないとして辛ピを派遣したよね?
ということは上司ではない誰かに「戦いたいんだけど戦う振り」をする必要があったということになる
さあだれーれだ?

475 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 00:26:50.37 .net
>>474
横からだけど、可能性としては諸将よりも涼州方面の脳筋住民ではないかと。

絶えず異民族に晒され、もしくは異民族そのものなあのあたりは武を尊ぶ風潮が強く、
引きこもってると簡単に離反する。後漢末期から、本当にもう何度も何度も何度も何度も…。

476 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 00:35:50.14 .net
>>475
涼州方面の住人に「司令官司馬懿は攻めたいんだけど皇帝から自重しろって言われたんだ」って話で通じるの?
逆にそんな弱腰皇帝がいる魏なんて信用できねーって話になるだけだろ

諸葛亮に呼ばれて涼州入りした軻比能とか
それに誘われた歩度根のような脳筋住人なんてとっくに裏切ってるっつーの

477 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 00:44:31.55 .net
>>476
だからこそ前線にいる司馬懿は武威を見せる程度には攻めたがった、と。
まだ個別に裏切った人物はいても、第一次北伐のように郡ごと立て続けに蜀についてはいない。
ただ、本国側から見れば蜀さえ追い返せばどうとでもなる問題。第一次北伐のように。

まあ、所詮は素人の推測でしかないけどね。

478 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 01:00:01.20 .net
>>477
司馬懿が涼州の離反を恐れて攻撃したくなった時期って何時?

479 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 20:40:04.44 .net
>>471
私が>>445で「正反対」と言ったのは,
攻めるという「ポーズ」だけ見せながら,決して「出なかった」ことを言ったのですが。

確かに辛ピは「出撃しようとする」司馬懿を止めたとされています。
でも,前回の北伐で諸葛亮の力を知っている諸将が出撃を請うのでしょうか?
前回一緒に出て負けたはずの司馬懿がその対応に苦慮するのでしょうか?
(「前回ひどい目にあったじゃないか」で済む話です。)
そして何より,曹叡がそんなことを危惧していたのでしょうか?あり得ませんよ。
だって曹叡は,この後孫権を迎え撃つために合肥に向かい,
孫権が撤退した後も現地の将兵を慰撫しながらゆっくり帰ってきたのですよ。
臣下達が司馬懿を支援するよう言っているのを無視しながら。

少なくとも曹叡は西方に危機感なんて持っていなかったのですよ。
司馬懿が現地軍の統率さえできていなかったのなら絶対にあり得ません。

480 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 21:15:30.50 .net
>>479
んな事言ってないじゃない。いつも通り、やばくなったら論旨替えとかさもしいな〜w
「攻めるというポーズ」というなら、それは通説的解釈に立脚する事になり
司馬懿が「決戦を請い求める事によって武を示さねばならない存在、すなわち
戦いを求める魏側諸将の存在」を肯定する事になるんだけど、どうすんの?ww
いい加減、言ってることが滅茶苦茶で収拾つかなくなってる事にきがつかないあたりは
さすがにネット廃人ですねww

はいはい。全部あんたの妄想だけで根拠ゼロ、でFA.
正史においてはしっかりと「司馬懿の出撃を禁じる事が出来なくなる事を恐れて
辛ピに節を持たせて派遣した。」としっかり書かれており、明帝が明快に司馬懿が
軍の統制をしきれなくなってしまう事を危惧してる。これにケチをつけるんだったら
そもそも司馬懿が皇帝に出撃許可を求めて何度も拒否され、
辛ピが節を持って司馬懿を抑える為に派遣された、という明快な史実を否定する事から
はじめないとねww当然記述や根拠が必要になるから、あんたの妄想願望をつらつら
書くだけじゃ意味ないからはよしてねww
それから漢晋春秋の記事も否定しないとねww
諸葛亮がはっきりと「彼が決戦を求めたのは自軍に対して武を示す為だったのだ」と
はっきり言ってるんだからw当然記述や根拠でもってねww
あ、でもこれを否定しちゃったら
司馬懿の「決戦要求がポーズ」という事自体も否定されちゃうんだけど、
どうするつもりなのかなww
というか、いい加減にあんたの妄想なんかどうでもいいから
そもそもあんたは「司馬懿は冷静だったけど、諸将の突き上げあって決戦を求めた」という
通説的解釈に立脚するのか、それとも辛ピ伝と注釈そのまんまの
「司馬懿が皇帝にも辛ピにも何度も何度も出撃を求め、その度に抑えられていた」という
解釈に立脚するのか、さっさと示してよww本当に都合悪い所はスルーして
妄想願望だけ発狂するのがお好きなネット廃人さんのようですが、こちとら、そんな手には
のってあげませんのでよろしくww

つか明帝にしてみれば対蜀方面に兵を割きすぎて、呉方面に自ら出撃する羽目になってるし、
兵力にそう余裕があるわけでもないんだから、わざわざ蜀方面に行くわけないのは当たり前。
妄想願望はどうでもいいから、さっさと記述なり根拠なり、整合性付けた解答なり、を
提示してもらわないと話にならないなww
所詮はここまで論旨粉々である以上、妄想願望を根拠なく喚いて発狂するしかないとは
重々わかりますがねww

481 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 21:17:11.49 .net
>>479
というか、日本語日本語と連呼しつつ、盛大に日本語読解を怠って
文章読解を勘違いしてた件について、早急な解答なり釈明なり頂きたいのですがww

482 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/07(金) 23:18:33.36 .net
課金されたから配信しろ

483 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/08(土) 07:42:52.31 .net
>>480
司馬懿のポーズは司馬懿自身の行為に過ぎません。
それが諸将からの突き上げだったとすべき根拠はありません。と言おうと思ったのですが。

>>469で挙げられた辛ピ伝によれば,
>先是,大將軍司馬宣王數請與亮戰,明帝終不聽。是歳恐不能禁,乃以[田比]為大將軍軍師,使持節;
とあります。司馬懿が戦いを請うたのは「先是」ですから前回(231年)のことです。
辛ピ伝だけでは「是歳」(234年)に司馬懿が戦いを請うたかは分かりません。
とは言え同伝注引『魏略』では,
>宣王數數欲進攻,毗(ピ)禁不聽。宣王雖能行意,而每屈於毗(ピ)。
とあります。確かに司馬懿が攻めようとしたところを辛ピが止められました。
でも司馬懿は攻めようと思えば攻められたのですよね。
やはりポーズに過ぎなかったと思うのですが。

私のスタンスは,
前回痛い目にあったのに懲りて固守に努めようとした司馬懿が,
味方の戦意が萎えるのを防ぐために攻めようとする振りをしていた,ですが。
もちろん合っているかなんて分かりませんんが,
少なくとも「攻めようとする振り」と「決して出なかった」の整合性は取れているでしょう。

484 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/08(土) 08:17:36.29 .net
>>483
五丈原の戦いでは諸葛亮はまず武功を占領した後、
孟エンを武功水の反対側へ攻め込ませて拠点を作らせてる
司馬懿は陣地作成を防ごうと騎兵一万でもって孟エンを攻めたが
諸葛亮はこれを察知して救援をに出てこの騎兵の攻撃を追い払い
武功の対岸に陣地を築くことに成功した、というように陣地争いを繰り広げてる
司馬懿が「決して出なかった」というのはあまり正しくないよ

485 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/08(土) 13:27:18.09 .net
>>480
お約束・最低限のルールって? △ ▽  ▲ ▼

 他人に迷惑をかけるのはやめようということです。。。

 必要以上の馴れ合いは慎しむとか、暴言や第三者を不快にする書き込みはしないとか、悪質な削除要請や自己中心的な発言はひかえるとか、どれもむずかしくないことなんだけどなぁ。
 また、一般人の誹謗中傷・私生活情報暴露は禁止します。固定ハンドルさんを叩く行為も、最悪板以外の場所では禁止してます。

 詳しい禁止事項は削除ガイドラインをみてくださいです。。。

ほかに気をつけることは? △ ▽  ▲ ▼

 まず、他人が見て面白いことを書きましょう。大勢の読者がいることを意識してください。
 サーバやシステムのリソースは無限じゃありません。
 スレッドを立てる前に、同じような内容のものがないか確認するのも忘れずに。。。
 データ量をむやみに増やしたり無駄にスレッドをあげたりすると、「荒らし」と呼ばれちゃうこともあります。

486 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 00:13:28.19 .net
>>485
ぶっちゃけ、それは全然守られてない事だよな。
しかしまあ、ネット廃人の人って他人を叩くときは誹謗中傷も含めて平気でやる癖に
自分がやられると発狂して被害者ぶってその反応なんだから笑わせるw

487 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 00:31:26.80 .net
>>485
>>486の追記として、
もしあなたが運営の人間であるならば
必要があればこちらとしても紳士的に応対する事もやぶさかでないが、
明確に2chで誹謗中傷や捏造や曲解による叩きを行ったり、
最悪板以外でも平気でそういう事をやってたり、
捏造や曲解や関係のない他人を一緒くたにして同一認定し、
誹謗中傷を行うまとめサイトなどを作って平気で発狂している人間がいる事をどう思われるかお聞きしたい

488 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 00:52:55.59 .net
>>483
全然根拠のない妄想じゃん。
諸葛亮自身が「彼が戦いを請い求めたのは自軍に対して武を示す為だったのだ。」と
はっきり言っており、この解釈に立脚するならば
司馬懿には諸葛亮の挑戦に対して、激しく決戦を求めて武を示さなければいけない対象として
明確に自軍が存在する事になる。自軍って事は魏側の将兵って事になる。
そして主に魏側の将兵で司馬懿と接するのは魏側の諸将であるわけで。
つまり、お前さんが「司馬懿が決戦を求めたのはポーズ」という
解釈に立脚する以上、それは司馬懿が決戦を求めて武を示さねばならない魏側諸将の存在を肯定する事になる。
何もしなくても魏側諸将が統制できるというなら、わざわざ激しく決戦を求めて
武を示す必要なんかないわけで。

それはおかしくないか?
第4次北伐においては別に司馬懿は戦いを皇帝に請うてはいない。
諸将からの出撃要請を受けて普通に出撃している。
というか、漢晋春秋の記事を見る限り、辛ピが到着したのは
「第5次北伐において諸葛亮と司馬懿が対峙し、諸葛亮が何度も挑戦し、
司馬懿もまた何度も皇帝に対して出撃を請うた」という事柄の後であると
明確に記されている。この時点であんたのその解釈は破綻しているよ。
>やはりポーズに過ぎなかったと思うのですが。
いや、別にこっちは「ポーズに過ぎなかった」という通説的解釈に立脚するのなら
それでもいいけど、その場合は「司馬懿が激しく決戦を求めて武を示さねばならない存在、
皇帝すらも自身の守備命令を破って司馬懿を出撃させてしまいかねないと恐れる存在、
すなわち、司馬懿に対して決戦を求める魏側諸将の存在」を肯定しないと前提が成り立たないよ、と
言ってるわけ。あんたは通説的解釈に立脚しながらも、肝心のこの存在だけは否定しようとするのは、
ただ単に議論におけるこちら側の主張を認めるのが嫌で、ご都合主義的な事を言ってるだけにしか見えないわけだけど、
それについてはどう思ってんの?

その解釈だと、
明帝が「司馬懿の出撃を禁じる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」という明快な史実を否定する事になる。
ただ単に味方の戦意が萎える事を防ぐ事云々なら、皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れるわけがない。
また、何度も何度も烈しく決戦を求めて武を示す必要もない事になる。
そこら辺の整合性はどうとるつもりなわけ?

489 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 00:56:42.25 .net
>>488のレス一部修正
×明帝が「司馬懿の出撃を禁じる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」という明快な史実を否定する事になる。
○明帝が「司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」という明快な史実を否定する事になる。
悪い。

490 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 08:11:36.59 .net
>>488
>つまり、お前さんが「司馬懿が決戦を求めたのはポーズ」という
>解釈に立脚する以上、それは司馬懿が決戦を求めて武を示さねばならない魏側諸将の存在を肯定する事になる。
司令官として気弱な姿は見せられないから,攻める姿勢を見せたのでしょう。
でも諸将が実際に司馬懿を突き上げたとは限らないじゃないですか。
あと『魏略』や『漢晋春秋』が指摘するとおり,
司馬懿が本気で攻めようと決心したなら,辛ピじゃ止められません。
だから私は司馬懿が突き上げられる前から,先手を打って攻める振りをしたと見ているのですが。
もちろん推測に過ぎませんが,諸将の突き上げそのものが確認できない以上は許容範囲でしょう。

辛ピ伝を挙げたのは別の人だったのですね。
>青龍二年,諸葛亮率衆出渭南。先是,大將軍司馬宣王數請與亮戰,明帝終不聽。
>是歳恐不能禁,乃以[田比]為大將軍軍師,使持節;六軍皆肅,準[田比]節度,莫敢犯違。
司馬懿は諸葛亮が五丈原に出てくる「より前」に戦いを請うたと明記されます。
『三国志』よりも『漢晋春秋』を優先させる理由はないと思いますが。

491 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 09:16:41.30 .net
>>490
辛ピは止めたんじゃなくて曹叡の命令持ってきたんだぞ?
しかも官位は「大将軍軍師使持節」

司馬懿本人は止められなくても司馬懿の下にいる部下はほぼ全員ぶっ殺せるし
司馬懿も自分の軍師の出す意見は無視してはいけない

492 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/09(日) 19:20:04.63 .net
>>490
許容範囲じゃないって。
その解釈じゃ「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
という史実と符号できない。というか
>だから私は司馬懿が突き上げられる前から,先手を打って攻める振りをしたと見ているのですが
この時点で、魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めてるじゃん。
ぶっちゃけ、なんとかしてこちらのいう事を認めたくなくて否定したくて
ご都合主義な言葉をもてあそんでいるとしか見えない。
>あと『魏略』や『漢晋春秋』が指摘するとおり,
はて?「司馬懿は何度も出撃を求め、その度に辛ピに抑え込まれていた」とする
辛ピ伝注釈の出展は魏略だけど?魏略では司馬懿が出撃したかったけど、辛ピが抑えていた、という解釈になってる。
魏略で司馬懿を辛ピが止められないって何言ってんの?

なんだかなあ。解釈の仕方がおかしいとしか言えない。
諸葛亮伝より。「諸葛亮は斜谷より出て、武功五丈原に拠り、渭南において
司馬懿と出会った。」郭淮伝より。「諸葛亮は斜谷から出て屯田を始めた。
この時司馬懿は渭南に駐屯していた。」
つまり、諸葛亮が斜谷から出て武功五丈原に拠るまではタイムラグがあり、
その前に既に司馬懿は渭南に駐屯している。
そして、司馬懿と諸葛亮は渭南において出会っている。
つまり司馬懿としては、諸葛亮と渭南において相対するまでに
蜀軍の動向は知っているはずなので、その間に出戦を請うた、と読める。
というか、結局のところ、辛ピが到着するまでに司馬懿が出撃を請うていた事実は変わらない。
というか、あんたって「司馬懿が本気で攻めようと決心したら辛ピじゃ止められない」と言ってるが
それって漢晋春秋の記事が元だよね?「正史よりも漢晋春秋を優先させる理由はない」というのなら
辛ピで司馬懿を抑え込める、という話になっちゃうわけだけど、どうすんの?
整合性をつけて答えてみなよ。

493 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/10(月) 21:04:19.59 .net
>>491,>>492
>司馬懿も自分の軍師の出す意見は無視してはいけない
>魏略で司馬懿を辛ピが止められないって何言ってんの?
>宣王數數欲進攻,毗禁不聽。宣王雖能行意,而每屈於毗。
少なくとも『魏略』は,司馬懿は自分の意思で行動できたけれど,あえて辛ピに従ったと言っているのですが。

>つまり司馬懿としては、諸葛亮と渭南において相対するまでに
>蜀軍の動向は知っているはずなので、その間に出戦を請うた、と読める。
諸葛亮が漢中を出て五丈原に出てくるなんてせいぜい1月でしょう。
その間に司馬懿が許昌にいる曹叡に何度も出撃を求めて,すべて断られたとでも言うのですか。
それこそ無茶苦茶な解釈じゃないですか。

494 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/10(月) 21:27:30.42 .net
>>493
「辛ピに屈した」とはっきり書いてあるじゃん。何言ってんの。
というか、その文章ではっきりと「司馬懿は辛ピに出撃を何度も何度も欲した。
しかし辛ピは禁じて聞かなかった。」としっかりあるし。明らかに司馬懿が辛ピに求めてるよね?w

途中で屯田もしてるからね。
少なくとも、あんたの言ってる事よりは整合性とれるよ。
蜀軍が出撃してもいない間から決戦でも求めちゃうわけ?
それこそ失笑者だよw
第4次にはそんな記述はないしw

というか、例によって都合悪い事をスルーしてるみたいだけど、
あんたが魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?wそもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけどw
あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?w
そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

495 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/10(月) 22:02:02.55 .net
>>493
そらそうよ
大将軍たる司馬懿は自律して行動する権限が節と一緒に与えられてる

しかし今度の辛ピの派遣は皇帝の特別の「司馬懿に攻撃させるな」という命令を持って来た上に
大将軍軍師として大将軍という官位に直接関わる官位を与えられ
軍師としてでなく使持節としても大権を振るえる状態
普通軍師は大将軍の幕僚だからそんなもん持ってない

軍師無視して強権を使えば、今度はそっちの使持節使って司馬懿の邪魔も出来る
曹叡が認めてしまえば最悪、大将軍解任して
大将軍軍師の地位で大将軍の持つ権能の全てを代役で行使して戦闘させないことまで出来る
司馬懿は辛ピの言うことを立場上無視することは出来るが、そうしたが最後、曹叡の意思によって失脚する

496 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/12(水) 21:46:09.31 .net
>>494,>>495
>宣王雖能行意,而毎屈於毗(ピ)。(辛ピ伝注引『魏略』)
>將在軍,君命有所不受,苟能制吾,豈千里而請戰邪!」(諸葛亮伝注引『漢晋春秋』)
この記事が史実を反映しているのであれば,司馬懿が辛ピに従う義務なんてなかったことになります。
でしたら司馬懿が辛ピの反対に従ったのは,別に辛ピを説得できなかったからではなく,
司馬懿が最初から「辛ピが反対すること」まで踏まえて動いていたと見るべきでしょう。

要するに,辛ピを遣った曹叡をも含めた壮大な八百長だったのですよ。
司令官としてのやる気を見せて将兵の戦意を維持しつつ,決して負けかねない出撃は避けるための。
だからこそ曹叡は,司馬懿がさんざん出撃を請う「振りをしている」西方なんて顧みもせずに,
悠々と東南の将兵を労ってくるだけの余裕があったのでしょう。
そして習サク歯にもそれは分かっていたからこそ,
挑発し続ける諸葛亮も最初から分かっていたことにしたのでしょう。
蜀漢滅亡をもって蜀漢から西晋に正統が継がれたとする『漢晋春秋』にとって,
蜀漢を支えた諸葛亮は全肯定されなければならなったのですから。

あと念のため,「大将軍軍師」と言う時点で大将軍の属官なのは明らかです。
(前任として曹真、司馬懿に仕えた杜襲がいます。)

497 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/12(水) 21:48:29.53 .net
よくも飽きずにやるなぁ

498 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/12(水) 22:25:43.48 .net
>>496
属官だぞ
当たり前

普通属官を任命するのは誰だ?
属官が属する官位にある人だな

では辛ピは誰が任命した?
大将軍ではなく皇帝だな

では属官ごときが普通使持節になるか?
なるわけないな

これで辛ピと司馬懿の異常な関係が理解できた?
できないなら氏ね

499 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/13(木) 20:25:18.90 .net
>>496
おいおい、どうしちゃったんだよネット廃人さんww
「正史よりも注釈を優先させる理由はない!!!!!!」と息巻いてたのお前だろww
ここで注釈を優先させちゃうんだったら、これでお前の論旨は崩壊だろww
まずこの点について早く整合性をつけてみろよww
いや、まさか堂々と自分で自分の論旨を否定してくるとは思わなかったわww
で、これで一体お前は何を主張するつもりなのかと謎杉なんですがww

はいはい。いつも通り、論拠ゼロのお前の妄想でFA.
「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想とかどうでもいいから。
ついでに明帝は対蜀戦線に兵力を割きまくったので、対呉戦線に自分で出張らざるを得なくなる、という
異常事態になってただけなので、対呉戦線がひと段落したからって対蜀戦線に行かないのは当たり前。
それからさ、漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になっちゃうんだけど、
これでどうやってお前の論旨に整合性つけるんだよww毎度毎度自爆するの好きだなww

ああ、ついでにやっぱり逃げ回ってるみたいだけど、
あんたが魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?wそもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけどw
あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?w
そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

500 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/15(土) 10:05:45.76 .net
>>498
確かに辛ピの権限はただの属官とは異なっていたでしょう。
しかし『魏略』や『漢晋春秋』は,その上で司馬懿には辛ピに従う義務はなかったとします。

>>499
>あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
私は司馬懿が諸葛亮が五丈原に出る前に何度も戦いを請うたとする『三国志』の記事と,
諸葛亮の挑発を受けて戦いを請うたとする『漢晋春秋』の記事を比較したのですよ。
書き方は悪かったかもしれませんが,記事の信憑性は個別に判断するものでしょう。

>あんたが魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
私は認めていませんよ。>>490,>>496で書いたとおり,諸将より先に司馬懿が動いたと考えていますから。
そもそもこの時の曹魏側って,秦朗の援軍を除けば第4次北伐からあまり変わっていないでしょう。
そして『漢晋春秋』の誇張を割り引いても,前回蜀漢側に戦闘で敗れたのは事実でしょう。
司馬懿を突き上げてまで出撃を請うような諸将なんていたのでしょうか。
もちろんずっと引き籠っていたら諸将や兵士の戦意が萎えちゃいますから,
その対策として司馬懿は戦おうとする振りを見せたのでしょう。

>対呉戦線がひと段落したからって対蜀戦線に行かないのは当たり前。
曹叡は長安に向かうべきとする群臣の進言を退けて最前線を労ったのですが。

501 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/15(土) 12:01:47.83 .net
遠征軍が長期戦になって不利になるのは兵站が破綻する場合、もしくは士気が低下する場合。
蜀軍は諸葛亮が陣没するまでは少なくともそのような事態にはおちいった様子はみられないので当てはまらない。

一方、守備側が攻撃を望む場合は、
勝利が容易であることが予測できる、
威信の低下を防いだり面子を潰されないため一戦に臨む、
配下の統率に難がある(主戦派を抑えきれなかったり、衰えた味方の士気の高揚が必要だったり、うちの大将弱気過ぎじゃね?という配下の不信感を拭うためだったり)
乾坤一擲の戦いをしなければならないほど追い込まれた、
単純に攻められたから打ってでた、
などが考えられる。

それが例えポーズだったとして司馬懿さんの場合はどうなんでしょう?

502 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/15(土) 22:20:13.14 .net
>>500
おいおい、お前言ってる事矛盾してんじゃん。
上で明確に「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と息巻いてるのに
自分に都合が悪くなるとそれとか。結局のところ、なんとかしてこっちのいう事を認めたくなくて
ご都合主義な言葉をもてあそんでるとしか思えない。
>>490で明確に「正史より注釈を優先させる理由はない」とのたまった以上、
お前の中ではどの記事においても正史が注釈よりも優先されなければならないはず。
なのに都合悪い所では個別判断とか言い出すなら、「お前が優先されるはずがない!」とのたまった
司馬懿の決戦要求がいつだったか、という点を漢晋春秋と正史でどちらが信憑性あるか、という点から
論証するところからはじめないといけないわけよ。だってお前がこの点でよりどころとしたのは
「正史より注釈が優先されるはずがない!」という一点だけなんだから。
そうやって都合悪くなったら論旨をコロコロ変えて逃げ回れると思ってるようだが、そうはいかない。
お前がそうやって「個別判断」と言い出すなら、まずこの問題を「正史より注釈が優先されるはずがない!」という
観点以外で論証するところから始めないといけない。ほれ、さっさとやってみな。
ちゃんと答えるまで何度でも聞くからな。

だからお前がこっちのいう事をなんとかして否定したくて詭弁をもてあそんでるだけで
論旨の流れとしてお前は既に認めてる事になるんだよ。
>諸将より先に司馬懿が動いたと考えていますから
司馬懿が動いたのが諸将より後だろうが、先だろうが、この本質には関係がない。
先であるならば、司馬懿は諸将にほっといたら突き上げられる事を想定し、
その前に必要性があって動いた、となり、結局諸将が司馬懿を突き上げる存在である事を肯定する事になる
後であるならば、諸将はやはり司馬懿を突き上げた事になる。
結局のところ、後であろうと先であろうと、「諸将がほっといたら司馬懿を突き上げる存在」
である事は変わらない。お前のご都合主義の妄想論旨ですら、必要性の観点から見て
諸将がそういう存在でないなら、司馬懿が動く必要性はないのだから。
>司馬懿を突き上げてまで出撃を請うような諸将なんていたのでしょうか。
お前の妄想はどうでもいい。正史に明記されている「皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて
辛ピに節を持たせて派遣した」という明確な史実を否定できる記述なり論拠なり持ってこい。
話はそれからだ。お前のご都合主義の妄想はぶっちゃけどうでもいい。
どうせ都合悪くなったらコロコロ変えるだけなんだからな。
というか、漢晋春秋を誇張というなら、ちゃんと個別記事毎の根拠を持ってこい。

もともと皇帝親征自体が異常事態。呉方面の戦後処理だってすませにゃならんし、
そもそも皇帝親征で戦う事が異常事態なんであって、できれば戦わずに済ませたいだろうな。

503 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/15(土) 22:27:31.34 .net
>>502の続き
>>500
んで、いつも通りのお前の妄想論旨と史実における相違点集積

・「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想と願望はどうでもいい。
・お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?そもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけど。
仮にお前の妄想願望通りに諸将より先に司馬懿が動こうと、
結局司馬懿が諸将の突き上げを警戒して先に動く必要があったという事になり、
本質的な部分は変わらない。さっさとこの点について整合性つけてみろ。
・あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?
さっさと整合性つけてみろ。
・辛ピの動向とその意味について、漢晋春秋の方を参考にするというならば、
漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になってしまう。
この点についてもお前の論旨は明確に矛盾する事になる。さっさと整合性つけてみろ。

そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

504 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/16(日) 17:51:39.94 .net
いつまでループしてるんだ
いい加減にしろ

505 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/16(日) 20:36:28.09 .net
そもそも整合性整合性って,アレな人には理解できないってだけじゃないかという話はともかく。

>>502
>司馬懿の決戦要求がいつだったか、という点を漢晋春秋と正史でどちらが信憑性あるか、という点から
>論証するところからはじめないといけないわけよ。だってお前がこの点でよりどころとしたのは
>「正史より注釈が優先されるはずがない!」という一点だけなんだから。
はぁ?著者の主観で左右されるような記述ならともかく,時系列の記述で同時代史料よりも1世紀後の史料の方が信用できるのですか?
いや『漢晋春秋』の方が信用できるというのなら,その根拠を挙げて説明されたらいいじゃないですか。
できないから喚くことしかできないのでしょう。別スレの楊阜伝のように。

>司馬懿が動いたのが諸将より後だろうが、先だろうが、この本質には関係がない。
私は「司馬懿が戦意の維持を考慮して,先手を打って戦う振りをした」と言っているのですから,
そこから逃げちゃいけないでしょう。司馬懿の真意に関わってくるのですから。

そもそも,私がこの件で最初にレスしたのは>>417の,
>この時司馬懿を突き上げられる武将がどこにいたのか。
ですよ(まあその前からレスそのものはしてますが。)。
>>司馬懿を突き上げてまで出撃を請うような諸将なんていたのでしょうか。
>お前の妄想はどうでもいい。正史に明記されている「皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて
>辛ピに節を持たせて派遣した」という明確な史実を否定できる記述なり論拠なり持ってこい。
こういう戯言はもういいですから,司馬懿を突き上げた武将の存在を妄想以外で立証していただけませんか。

506 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/16(日) 21:08:44.94 .net
>>505
使持節で処断できるのは大将軍じゃなくてそれ以下の将軍だから
それ持ってきたってことは「それを使って処断して排除してもいい」ってことで
処断されそうなことしてる対象者が存在してるということでもある
司馬懿は対象者ではない

大将軍の方は「皇帝に任命された属官」という不思議な存在の力で何とかなる

507 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/17(月) 20:19:17.09 .net
>>505
整合性を全然つけられてないからって、そういう抽象論で発狂して逃げ回るお前の常習癖はどうでもいい。
寝言を言う前にさっさと具体的に答えてみろ。

…あのさ、お前って本当に他人の文章を読解するのが滅茶苦茶なのな。
それとも、都合が悪すぎて理解できないふりでもしてるわけ?
>著者の主観で左右されるような記述ならともかく,時系列の記述で同時代史料よりも1世紀後の史料の方が信用できるのですか?
これをお前が主張するというならば、「漢晋春秋よりも正史を優先する」というのが
お前の主張という事になり、お前が>>496などで主張しているような
「注釈記事をもって正史記事を否定する」という論旨も明確に否定される事になる。
いい加減に、そうやって都合わるい所だけ逃げ回って、あまつさえ、相手に立証責任を押し付けようと寝言をほざこうと
そんな手にこちらが乗ってやるとでも思うのはやめろ。さっさと自分が言っている矛盾点を整合性をつけて説明してみろ。
もう既に収拾がつかなくなってるのがお前の論旨の現状だけどなw

逃げてるのはお前。司馬懿が戦うふりをしなければならない、というならば
魏側諸将が司馬懿を突き上げかねない存在だと認める事になる。
そうしないと「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」という
明確な正史にある記述を否定する事になる。これを否定したいならそれなりの記述なり根拠なりを持ってこい。
さっさとしろ。(続く)

508 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/17(月) 20:20:23.35 .net
>>507の続き
>>505宛レス
戯言を言っているのはお前。そうやって、都合悪くなったら立証責任を相手に転嫁して
逃げ回れると思ってるようだけど、そうはいかない。
正史に明記されている「皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて
辛ピに節を持たせて派遣した」という明確な史実をどう解釈するか、通説的解釈に立脚するか、
それとも正史本文そのままで解釈するか、という問題でしかなく、
こっちはそのどちらでも問題ないと言っている。もし正史本文そのままで解釈するならば
「司馬懿には諸葛亮に対して決戦を求め、皇帝にも辛ピにも何度も要求するだけの強い意志があった」 という
事になる。これはこちらが当初において述べている、「内地にいる敵国の軍を可能な限り早く、司令官は追い出そうとする」
というのと完全に符号している動きなので、こちらには全く問題ない。
もし「司馬懿は冷静だった」とする通説的解釈に立脚するならば、その冷静な司馬懿をも
皇帝じきじきの守備命令を破らせて出撃させてしまいかねない、と恐れる存在、
すなわち決戦を求める魏側諸将の存在を肯定する事になる。よってこちらの主張ともこれまた全く問題ない。
で、そちらは何度も言うように、通説的解釈に立脚するのか、正史の記述そのままの解釈に立脚するのか、
はっきりしろ。決戦を求める魏側諸将の存在を否定するならば、
それは正史記述そのままの解釈に立脚するという事になり、
「皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて 辛ピに節を持たせて派遣した」
という明確な史実がお前の妄想を阻害する。これを否定したいというなら、この明確な記述を否定するだけの
論拠なり記述なり持ってこい。何度も言うように、お前の妄想願望はどうでもいい。

で、今回も>>503にある数々のお前の妄想論旨と史実との相違点や矛盾点には
全然整合性をつけた解答が出来てないようだけど、さっさと答えろよ。
答えるまで何度でも聞くから逃げられると思わない様に。

509 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/17(月) 20:22:02.45 .net
>>505

んで、いつも通りのお前の妄想論旨と史実における相違点集積

・「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想と願望はどうでもいい。
・お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?そもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけど。
仮にお前の妄想願望通りに諸将より先に司馬懿が動こうと、
結局司馬懿が諸将の突き上げを警戒して先に動く必要があったという事になり、
本質的な部分は変わらない。さっさとこの点について整合性つけてみろ。
・あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?
さっさと整合性つけてみろ。
・辛ピの動向とその意味について、漢晋春秋の方を参考にするというならば、
漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になってしまう。
この点についてもお前の論旨は明確に矛盾する事になる。さっさと整合性つけてみろ。

そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

510 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/17(月) 22:13:53.87 .net
>>507-9
3レス使ってもまともに言えないのですから,少しは文章を絞ってみてはどうですか?

>司馬懿が戦うふりをしなければならない、というならば
>魏側諸将が司馬懿を突き上げかねない存在だと認める事になる。
そもそもこの時点で正確じゃないのですよ。
最初から長期戦を覚悟している以上,司馬懿が自軍の戦意を気にするのは当然ですが,
その理由としては「戦いたがっている部下の気をそらす」ことだけじゃなく,
「部下がやる気をなくしてしまうのを防ぐ」ことだって考えられるのですよ。
(これはトップのやる気のなさが伝わって萎える可能性と,
純粋に引きこもりを続けたために萎える可能性がありますが。)
なぜ片方の可能性しか考えられないのでしょうか。

511 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/18(火) 14:09:54.81 .net
いくらID出ないからって自演楽しい?

512 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/18(火) 20:53:09.12 .net
>>510
お前の論旨の矛盾点や史実との相違点が膨大すぎて、
おまけにお前が都合悪い所から逃げ回ってるから
どうしても書く内容が膨大にならざるを得ない。
減らしたいと思うなら、さっさとお前の妄想論旨と史実との膨大なる矛盾点や
相違点をさっさと整合性をつけて答える事だな。

>「部下がやる気をなくしてしまうのを防ぐ」ことだって考えられるのですよ。
>(これはトップのやる気のなさが伝わって萎える可能性と,
>純粋に引きこもりを続けたために萎える可能性がありますが。)
ほれ見ろ。この時点でお前は「魏側の将兵が決戦を求めており、
司馬懿が戦いを求めなければ戦意に問題が発生してしまう存在だと認めている。
結局、お前自身も「司馬懿が部下達の為に決戦を求めなければならない」という事柄を
認めてしまっている。これさえ認めるならば、後は正史に明記されている、
「皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて 辛ピに節を持たせて派遣した」という
明確な史実と合わせてみるならば、お前が妄想するような消極的理由ではなく、
魏側諸将の戦意とは皇帝すらも司馬懿に対して出した守備命令を破らせて
出撃させてしまいかねない、と恐れる程に激しいものだったと解釈できる。
何度も言うように、この明確な正史の記述を否定したいなら、ちゃんと論拠なり記述なり持ってこい。
お前の妄想と願望に興味はない。
>>511
文体や行動がまったくいつもと同じだけど、他人でも成りすませてるつもりか?ネット廃人。
苦しくなったら自演という事にして議論否定を行いたいようだが、
こちとらそんな手に乗ってやるつもりは毛頭ない。
さっさとお前の妄想と史実の膨大な矛盾点や相違点についてさっさと整合性つけて答えてもらおうか。

513 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/18(火) 20:56:42.11 .net
>>510

んで、いつも通りのお前の妄想論旨と史実における相違点集積

・「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想と願望はどうでもいい。
・お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?そもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけど。
仮にお前の妄想願望通りに諸将より先に司馬懿が動こうと、
結局司馬懿が諸将の突き上げを警戒して先に動く必要があったという事になり、
本質的な部分は変わらない。さっさとこの点について整合性つけてみろ。
・あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?
さっさと整合性つけてみろ。
・辛ピの動向とその意味について、漢晋春秋の方を参考にするというならば、
漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になってしまう。
この点についてもお前の論旨は明確に矛盾する事になる。さっさと整合性つけてみろ。
・>著者の主観で左右されるような記述ならともかく,時系列の記述で同時代史料よりも1世紀後の史料の方が信用できるのですか?
これをお前が主張するというならば、「漢晋春秋よりも正史を優先する」というのが
お前の主張という事になり、お前が>>496などで主張しているような
「注釈記事をもって正史記事を否定する」という論旨も明確に否定される事になる。
いい加減に、そうやって都合わるい所だけ逃げ回って、あまつさえ、相手に立証責任を押し付けようと寝言をほざこうと
そんな手にこちらが乗ってやるとでも思うのはやめろ。さっさと自分が言っている矛盾点を整合性をつけて説明してみろ。

そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

514 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/20(木) 21:32:27.03 .net
>>512
「部下がやる気をなくしてしまうのを防ぐ」と,
>魏側の将兵が決戦を求めており
は必ずしも直結しないと言っているのですが。
あなたには理解できないのかもしれませんが。

前回戦闘で敗れた司馬懿と曹魏側将兵にとって,諸葛亮は極力戦いたくない相手だったのですよ。
だから平地に展開されかねない渭水渡河だけは防いで,あとはひたすら守りに徹したわけで。
ただいくら分かっていても,現に引き籠っていたら気が滅入るでしょう。
司馬懿はそれを防ぐために,司令官としてのやる気だけを見せたのですよ。

515 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/21(金) 18:57:55.35 .net
>>514
だから、それはお前の妄想の中でしか成立しえない。
「司馬懿が決戦を求める」事が「部下のやる気をなくしてしまうのを防ぐ」事に
つながるというならば、「司馬懿が求める決戦は部下のやる気を引き立てるものだった」
という事になる。部下が決戦を求めていないならば、こんな事は起こりえないわけで。
>ただいくら分かっていても,現に引き籠っていたら気が滅入るでしょう。
その解釈では結局のところ、魏側将兵が司馬懿が決戦を求めるのがポーズだったと知ってる事になる。
本当に戦いたくないというなら、司馬懿が決戦を求めた時に逆に反発が起きるはず。
しかし史実にはそんな事実はなく、逆に
「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」 という
明確な記述が存在している。「司馬懿が決戦を求める事が部下達へのポーズ」という
というのであるならば、上記の記述との整合性を取る為には
魏側諸将が決戦を求める声というのは、皇帝すら自身の守備命令を破って出撃させてしまいかねない、
と恐れる程に強く激しいものだったと推測されるわけで、
お前のいう消極的理由とはどうあっても矛盾する。
いい加減、「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」 という
明確な記述を否定したいなら、それ相応の論拠なり記述なり持ってこい。
お前の根拠ない妄想願望はどうでもいい。それから、>>513についてはどうした?
相変わらず都合悪い所はスルーして逃げ回るつもりのようだけど、
そんな手が通用すると思うなよ。さっさと答えろ。

516 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/21(金) 18:59:10.28 .net
>>514
んで、いつも通りのお前の妄想論旨と史実における相違点集積

・「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想と願望はどうでもいい。
・お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?そもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけど。
仮にお前の妄想願望通りに諸将より先に司馬懿が動こうと、
結局司馬懿が諸将の突き上げを警戒して先に動く必要があったという事になり、
本質的な部分は変わらない。さっさとこの点について整合性つけてみろ。
・あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?
さっさと整合性つけてみろ。
・辛ピの動向とその意味について、漢晋春秋の方を参考にするというならば、
漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になってしまう。
この点についてもお前の論旨は明確に矛盾する事になる。さっさと整合性つけてみろ。
・>著者の主観で左右されるような記述ならともかく,時系列の記述で同時代史料よりも1世紀後の史料の方が信用できるのですか?
これをお前が主張するというならば、「漢晋春秋よりも正史を優先する」というのが
お前の主張という事になり、お前が>>496などで主張しているような
「注釈記事をもって正史記事を否定する」という論旨も明確に否定される事になる。
いい加減に、そうやって都合わるい所だけ逃げ回って、あまつさえ、相手に立証責任を押し付けようと寝言をほざこうと
そんな手にこちらが乗ってやるとでも思うのはやめろ。さっさと自分が言っている矛盾点を整合性をつけて説明してみろ。

そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

517 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/23(日) 09:46:53.38 .net
>>515,>>516
>部下が決戦を求めていないならば、こんな事は起こりえないわけで。
史料ではこの時決戦を求めたのは司馬懿だけで,その要因も諸葛亮からの挑発しかありません。
もちろん司馬懿を動かした理由として「部下が決戦を求めた」ことを想定するのは自由ですが,
立証できていないことを他者に押し付けるのはいかがなものでしょうか?

>本当に戦いたくないというなら、司馬懿が決戦を求めた時に逆に反発が起きるはず。
司馬懿が決戦を求める相手は辛ピ(曹叡)だけ,提案する相手も軍議に参加する高級武官までです。
決断できるのは司馬懿と辛ピ(曹叡)だけですから八百長なんて簡単でしょう。
これで周囲に「戦う意思がある司馬懿と,君命をもって制する辛ピ」を演出することができます。
もちろん八百長だとは公言できませんから,辛ピは司馬懿を制御するために派遣される形になりますが。

史料の解釈については,前にも書いたとおり個別に判断するのが原則です。
辛ピ伝で言えば,司馬懿が第5次北伐より前に戦いを請うたことは史実と見ていいでしょう。
諸葛亮が渭南に出る「先是」に司馬懿が戦いを請うて却下され,
「是歳」は抑えられなくなることをおそれたとされるのですから。
誤記とは思えませんし,陳寿や先行史書の著者達がこのような創作を入れる理由も見当たりません。
(もちろん史料は断片的にしか書かれませんから,諸葛亮が五丈原から挑発し,
司馬懿が前回に続いて戦いを請うた結果,曹叡が辛ピを遣った可能性はありますが。)

518 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/23(日) 18:47:18.00 .net
>>517
「魏軍の諸将」が決戦を求めてない、とするならそれは「司馬懿が決戦を求めた」
という正史記述そのまんまに基づく解釈であって、
別にこっちは「司令官である司馬懿が決戦を求めた」でもいいと何度も言ってる。
どっちにしろ、「皇帝すらも自身の守備命令を破って魏軍を出撃させてしまいかねない力」が
魏軍の中に相当な強さで存在していた事に変わりはない事になる。
いい加減さあ、自分で「司馬懿は決戦を求めてなかった!」と言い出して
だからこっちは「司馬懿は決戦を求めてなかったけど、魏側諸将の〜」という
通説的解釈に基づいて話をしたってのに、都合悪くなると論旨替えすんのやめろよ。
いい加減、通説的解釈なのか、正史そのままの解釈なのか、はっきりしろよ。

無理無理。>現に引き籠っていたら気が滅入る、とお前が言ってる時点で
魏側諸将は決戦を求めないと気が滅入る存在だという事になる。
お前の妄想解釈である、「魏側諸将が決戦に反対していた」というのであれば
この論旨は明らかに矛盾してる。というかさ、第4次においてすら、
司馬懿を突き上げて決戦に踏み切らせた魏側諸将が今回は無口だんまりとかありえないだろ。
仮定の話として、お前の妄想上にある「魏側諸将が決戦を求めてなかった」とするならば
司馬懿が決戦を求めた時に何の反応もないのは明らかにおかしい。
いい加減、都合悪くなったらころころ論旨替えるのやめろって何度もいってんだろ。
さっさとたまりにたまった矛盾点に整合性をつけてみろ。

結局正史記事を優先するって事でいいわけね?もともと「注釈を正史より優先させるのはおかしい!」と
発狂したのがお前なのに、その後でころころ注釈記事を優先させてきたから
その原則を確認してきたわけなんだけどな。
で、お前が正史の辛ピ伝記述をを優先させるとして、
「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」 というのを
肯定するのであれば、それはお前の妄想なんか出る余地なく、
「魏軍内部には(それが司令官であれ、諸将であれ)皇帝の命令すら破って出撃させてしまいかねない程の力が
存在した」と解釈して終了だろ。
いい加減、都合いいところだけ正史使って、都合悪い所スルーしてんなよ。
正史にある明確な記述を否定したいなら、それ相応の論旨なり記述なりを持ってこい。
「立証できてない事を他者に押し付けるのはおかしい」んだろ?
八百長だってんなら、正史記述を否定するだけの記述なり論旨なりをもってきて、
さらに八百長だっていう明確な記述と立証を行ってからにしろ。逃げ回ってないでさっさとやれ。
もともとお前がいいだした事に対してあわせた論旨を進めて行ったのに
都合悪くなるとコロコロ論旨替えしやがって。ずっとそれ繰り返してるだけだろ。

519 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/23(日) 18:54:30.86 .net
>>517
んで、いつも通りのお前の妄想論旨と史実における相違点集積
今回も全然答えられてなかったのでおさらいアンドつけたし

・「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想と願望はどうでもいい。
・わざわざお前の仮定にそって論旨を進めたこちらに対し、都合が悪くなったら
「立証してない事を他者に押し付けるのはおかしい!」と発狂するんだったら
お前はさっさと上記の正史記述を否定するだけの記述なり論拠なり持ってきて
その上で八百長だという明確な記述なり論拠なり持ってきて立証するところから始めろ。
・「辛ピは司馬懿を制御するために派遣される形になりますが。 」 さらっと>>517で書いてるけど
お前のもともとの論旨では>>496とかで言ってるように「辛ピでは司馬懿を抑え込めない」
だったんじゃないのか?都合よく論旨をころころ変えれば済むと思う癖いい加減やめろ。
過去ログ保管しておくから逃げられると思うなよ。
・お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?そもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけど。
仮にお前の妄想願望通りに諸将より先に司馬懿が動こうと、
結局司馬懿が諸将の突き上げを警戒して先に動く必要があったという事になり、
本質的な部分は変わらない。さっさとこの点について整合性つけてみろ。
・あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?
さっさと整合性つけてみろ。
・辛ピの動向とその意味について、漢晋春秋の方を参考にするというならば、
漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になってしまう。
この点についてもお前の論旨は明確に矛盾する事になる。さっさと整合性つけてみろ。
・>著者の主観で左右されるような記述ならともかく,時系列の記述で同時代史料よりも1世紀後の史料の方が信用できるのですか?
これをお前が主張するというならば、「漢晋春秋よりも正史を優先する」というのが
お前の主張という事になり、お前が>>496などで主張しているような
「注釈記事をもって正史記事を否定する」という論旨も明確に否定される事になる。
いい加減に、そうやって都合わるい所だけ逃げ回って、あまつさえ、相手に立証責任を押し付けようと寝言をほざこうと
そんな手にこちらが乗ってやるとでも思うのはやめろ。さっさと自分が言っている矛盾点を整合性をつけて説明してみろ。

そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

520 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/24(月) 22:12:21.73 .net
孔明が戦下手という満潮

521 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/26(水) 20:56:28.86 .net
アレな人はこれですから。

>>518
>いい加減、通説的解釈なのか、正史そのままの解釈なのか、はっきりしろよ。
なぜ「通説的解釈」か「正史そのままの解釈」のどちらかを選ばないといけないのでしょうか?
私は私なりに独自の解釈を展開しているだけですが。
同意なんて求めませんが,せめて理解してから発言してください。

>第4次においてすら、司馬懿を突き上げて決戦に踏み切らせた魏側諸将が
>今回は無口だんまりとかありえないだろ。(都合により改行しました。)
前回決戦して負けたとされる以上,むしろ突き上げる方がおかしいでしょう。
もちろん『漢晋春秋』が記す勝ちっぷりは誇張でしょうが,
『三国志』のお茶を濁すような書き方を見れば曹魏側が負けたのは史実でしょう。

522 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/26(水) 21:49:34.68 .net
味方の士気を落とさないため決戦を求めるふりをしてわざわざ皇帝に使者まで派遣させる司馬懿さん。
なんかもう壮大に一人で勝手に空回ってんなw

523 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/27(木) 01:59:37.84 .net
>>521
どっからどう見ても、アレな人扱いされてるのは貴方のように思いますが。
いい加減、都合悪い所スルーして、突っ込めそうな所にだけ粘着する癖、やめてもらえませんか?
貴方の理屈がもう相違点だらけで収拾つかなくなってるのは貴方が一番わかってるでしょ?

理解できてないのは単に貴方なだけかと思いますが。
「通説的解釈」と「正史そのままの解釈」この二つにはきちんとした根拠と論理的整合性と
それによる帰結が存在します。「正史そのままの解釈」であるならば正史記述に基づいて
「司馬懿が決戦を求めた」という結論が導きだされます。
一方「通説的解釈」においては注釈やその他の事項から類推し、「司馬懿は冷静だった」という
推測をもとに、「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」という記述を基に
「司馬懿が冷静だったというならば、皇帝すらも司馬懿を出撃させてしまいかねない、と恐れる別の要因があったはずだ」という
当然の論理的進展があり、その結果として「司馬懿に決戦を求める存在、すなわち主戦派の魏側諸将」の存在が提起される、
という明確な帰結があるわけです。しかし、貴方の場合はただこちらに反論したいだけなのか、
それとも魏側を無理やり持ち上げたいのか知りませんが、勝手に八百長だという結論があって、
史書における記述との整合性や論理的な筋道を一切無視した論旨をただ書きなぐっているだけなわけです。
司馬懿を冷静であると仮定するならするで、その冷静な司馬懿に対し皇帝すらも
「自身の守備命令すら破って司馬懿を出撃させてしまいかねない」と恐れる存在について無視する事はできないはずです。
だから、貴方が八百長だと主張するなら主張するで、
「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」という明確な記述を
否定するだけの記述なり論拠なりを提示し、それを用いて立証するところからはじめなければならないわけです。
「立証されてない事を他者に押し付けるのはおかしい」と貴方が主張すのですから、
ちゃんとご自身は立証する事から始めてくださいね。なぜだかスルーされてるようですが、なぜでしょうか?
速やかに立証をはじめられますように。

貴方はどうして、そうやって相手側の文章を曲解なさるのでしょうか?
私が出した文章は以下です。
>第4次においてすら、
>司馬懿を突き上げて決戦に踏み切らせた魏側諸将が今回は無口だんまりとかありえないだろ。
>仮定の話として、お前の妄想上にある「魏側諸将が決戦を求めてなかった」とするならば
>司馬懿が決戦を求めた時に何の反応もないのは明らかにおかしい。
つまり、私は>>518において、「魏側諸将が決戦否定派」だというなら
司馬懿が決戦を求めた時に反対しないのはおかしい、という意味でも書いているのですが。
それでどうして、>前回決戦して負けたとされる以上,むしろ突き上げる方がおかしいでしょう。
みたいな話しかしてないのですか?
というか、貴方はそうやって都合悪い所スルーし続ける癖、いい加減なんとかしてもらえませんか?

524 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/27(木) 02:03:16.65 .net
>>521
んで、いつも通りの貴方の妄想論旨と史実における相違点集積
今回も全然答えられてなかったのでおさらいですね。さっさと答えてくださいね。

・「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
この正史に記される明確な史実を否定したいなら、さっさとそれなりの記述なり論拠なり持ってこい。
お前の妄想と願望はどうでもいい。
・わざわざお前の仮定にそって論旨を進めたこちらに対し、都合が悪くなったら
「立証してない事を他者に押し付けるのはおかしい!」と発狂するんだったら
お前はさっさと上記の正史記述を否定するだけの記述なり論拠なり持ってきて
その上で八百長だという明確な記述なり論拠なり持ってきて立証するところから始めろ。
・「辛ピは司馬懿を制御するために派遣される形になりますが。 」 さらっと>>517で書いてるけど
お前のもともとの論旨では>>496とかで言ってるように「辛ピでは司馬懿を抑え込めない」
だったんじゃないのか?都合よく論旨をころころ変えれば済むと思う癖いい加減やめろ。
過去ログ保管しておくから逃げられると思うなよ。
・お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
どうするわけ?そもそもの論旨でいったらこれで終了なんだけど。
仮にお前の妄想願望通りに諸将より先に司馬懿が動こうと、
結局司馬懿が諸将の突き上げを警戒して先に動く必要があったという事になり、
本質的な部分は変わらない。さっさとこの点について整合性つけてみろ。
・あとさ、「正史よりも注釈を優先させる理由はない!」と言ってるけど、
それやったら辛ピで司馬懿を抑え込める事になっちゃうってのもスルーしてるよね?
さっさと整合性つけてみろ。
・辛ピの動向とその意味について、漢晋春秋の方を参考にするというならば、
漢晋春秋にも姜維が「辛ピが到着した以上、もう魏軍が出撃する事はないでしょうかね。」
的な事を言ってるので、蜀側から見ても辛ピの到着とその意味が認識されてた事になってしまう。
この点についてもお前の論旨は明確に矛盾する事になる。さっさと整合性つけてみろ。
・>著者の主観で左右されるような記述ならともかく,時系列の記述で同時代史料よりも1世紀後の史料の方が信用できるのですか?
これをお前が主張するというならば、「漢晋春秋よりも正史を優先する」というのが
お前の主張という事になり、お前が>>496などで主張しているような
「注釈記事をもって正史記事を否定する」という論旨も明確に否定される事になる。
いい加減に、そうやって都合わるい所だけ逃げ回って、あまつさえ、相手に立証責任を押し付けようと寝言をほざこうと
そんな手にこちらが乗ってやるとでも思うのはやめろ。さっさと自分が言っている矛盾点を整合性をつけて説明してみろ。

そうやって都合悪い所から逃げ回って、レスできそうな所にだけ粘着するあんたの習性はしってるから、
逃げられると思わないでねw
さっさと相違点に整合性をつけて答えてごらんよ、ネット廃人さんw

525 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/29(土) 10:22:24.08 .net
>>523
>「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れて辛ピに節を持たせて派遣した。」
すでに>>517で下記のとおりお答えしていますが。昔の人だって建前と本音の使い分けはできたでしょう。
>もちろん八百長だとは公言できませんから,辛ピは司馬懿を制御するために派遣される形になりますが。

>>第4次においてすら、
>>司馬懿を突き上げて決戦に踏み切らせた魏側諸将が今回は無口だんまりとかありえないだろ。
>>仮定の話として、お前の妄想上にある「魏側諸将が決戦を求めてなかった」とするならば
>>司馬懿が決戦を求めた時に何の反応もないのは明らかにおかしい。
>つまり、私は>>518において、「魏側諸将が決戦否定派」だというなら
>司馬懿が決戦を求めた時に反対しないのはおかしい、という意味でも書いているのですが。
>それでどうして、>前回決戦して負けたとされる以上,むしろ突き上げる方がおかしいでしょう。
>みたいな話しかしてないのですか?
第4次で諸将が突き上げたのは「敵陣を攻めて負ける前」ですよ。
その後追撃して張コウまで失ったのですから,無理してまで戦いたくないと思うのは自然でしょう。
もっとも辛ピが制したとしかされませんから,諸将が賛成なり反対なりした可能性は否定しませんが。

526 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/29(土) 20:15:58.32 .net
>>525
だからその解釈じゃ、
「明帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなる事を恐れた」という史書にある明確な
記述を否定する事になるので、否定するなら否定するで、八百長だと主張するなら主張するで、
「立証できてない事を他人に押し付けるのはおかしい」と貴方自身が主張するのですから、
さっさと史書の記述を否定できるだけの記述なり論拠なりを出して、
それを基に八百長だという事を立証する事から始めないといけない、と何度もいってるんですけど。
いい加減に都合の悪い事をスルーしてないで、さっさとやってくださいね。
何度でも聞きますから。

貴方がそういう風に解釈するんだったら、司馬懿が第5次で決戦を求めた時に
魏側諸将が「前回負けたのに無理だ!もう戦いたくない!」と反対した動きをしてないのは
貴方の論旨だと明確に矛盾するでしょ、とこっちは何度も言ってるのですが。
ていうか、そこまで諸将が戦いを求めてないんだったら、貴方の妄想論旨である「司馬懿が八百長で決戦を求めた」という
必要性自体が無い事になるでしょ。諸将は戦いなんか貴方の妄想世界では求めてない事になるんですから。
そのまま何もせずに対陣してればすむ話です。「司馬懿が自軍諸将に対して決戦を求める必要性がある」とする時点で
魏軍諸将は決戦を求める存在だと認めてるようなものなのに、貴方は都合悪いからスルーして逃げ回ってるだけでしょ。
>>524にある貴方の妄想論旨と史実との相違点も、もはや一レスに収まりきらなくなってきてますし、
貴方はそうやって逃げ回り続けるつもりなのは見え見えなので、
八百長だと主張するならするで、さっさと史書の記述を否定しうるだけの記述なり論拠なりを出して
立証するところから始めてください。「立証できてない事を他人に押し付けるのはおかしい」んですよね?
さっさとしてください。

ついでに>>524にある貴方の妄想論旨と史実との膨大な相違点についても早く答えてください。

527 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/29(土) 20:17:03.85 .net
>>525
>>524についてはどうしたの?全然答えられてないみたいだけど。

528 :無名武将@お腹せっぷく:2013/06/30(日) 09:42:17.49 .net
>>526
私は>>521のとおり自論を示すだけで,相手に押し付けたりしていません(理解は求めましたが。)。
私がこのスレで「立証」とか「押し付け」を問題にしたのは,
>お前が魏側諸将がほっといたら司馬懿を突き上げかねない存在だと認めちゃってる事については
です。相手の考えを推測するのはともかく,それを当人に強いるのはダメでしょう。

>そこまで諸将が戦いを求めてないんだったら、貴方の妄想論旨である
>「司馬懿が八百長で決戦を求めた」という必要性自体が無い事になるでしょ。(適宜改行しました。)
>>510で答えたとおり,私は将兵全般の戦意が萎えることを懸念したと考えます。
もちろん推測にすぎませんが,あなたが大前提とする「諸将の突き上げ」だって同レベルでしょう。

>>524なんて他人の意見を理解できないことを自白しているだけじゃないですか。史料解釈のあたりは特に。
まあ私の説明不足もあったので一つ。
>「辛ピは司馬懿を制御するために派遣される形になりますが。 」 さらっと>>517で書いてるけど
>お前のもともとの論旨では>>496とかで言ってるように「辛ピでは司馬懿を抑え込めない」
>だったんじゃないのか?都合よく論旨をころころ変えれば済むと思う癖いい加減やめろ。
辛ピが司馬懿を抑えられないと言うのは,いよいよの場合には君命すら無視できるという非常事態なのですが。
逆に言えば,司馬懿自身が本気にさえならなければ辛ピは職務として司馬懿を制御できるのですよ。
そして記録の限りでは,渭北に行った郭淮以外にこの時戦いを求めたのは司馬懿だけです。
だから私は>>496で,司馬懿の行動を戦意維持のための八百長と見なし,
戦うふりをする司馬懿の「制止役」として辛ピが遣わされたと考えたのですが。
>>517は八百長の内容を推測しただけです。

529 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN .net
お前ら詳しいな
実際に見てきたん?

530 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN .net
プロパイダー規制解除。ようやく書き込みできるー。

>>528
いや、最初に貴方が言い出した事なんだから、
ちゃんと説明するべきでしょ。
「立証できてない事を相手に押し付けるのはおかしい」んでしょ?
だったら、さっさと自分が言ってる八百長とやらの立証を
史書の記述なり論証なりして立証するところからはじめてもらわないと
お話にならないわけですよ。早くしてくださいね。

それはどっからどう見ても、貴方が自分で答えられない事から逃げ回ってるだけかと。
そうやって抽象的に断言するのはいいから、早く説明なりなんなりしてください。
相違点がありすぎて収拾つかなくなってるのは、貴方が一番わかってるでしょうから。

その理屈でいうなら、辛ピが司馬懿を抑え込める=司馬懿が本気じゃない、
って事に「貴方の中では」なるよね?
もともと本気でないという事が前提としてあるんだったら
「武を示す」なんて事には全然ならないし、
そもそもその解釈だと明らかに史書の記述である「皇帝が司馬懿の出撃を禁じられなくなることを恐れて」
辛ピを派遣した」という記述と明確に矛盾する事になる。
だからこれを否定するというなら、それ相応の史書の記述なりなんなりを持ってきなさい、
とこちらは何度もいってるわけです。
他の相違点についてもさっさと答えて下さいね。そうやって抽象的に断言だけされても
こっちは到底納得できないものですから。

531 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN .net
中国の動画サイトにアサヤンの動画まだあるよ
ASAYANで検索してラストキッスの発売前の日付で探すと出てくると思うけど
タンポポの3人目を選ぶ回ね
矢口に歌唱指導もしててラストキッス少しだけ歌ってるよ

火曜曲は視聴率低いけど今は歌番組自体が少ないからね
特番3つもある時期でラッキーだったよね
日テレといえばぐるナイのゴチにつんく&まことで出てほしいな
あの番組は視聴率いいからCDのすごい宣伝になるよね

532 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/15(月) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という流暢

533 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN .net
バカは消えたようだし孔明は戦下手(戦略、謀略、人事)確定だろ

534 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN .net
ただ単に、中央にいることでより活躍できるタイプってこと。

しかし、前線を任せれる人材がいないので自分が出ざるを得なかったのと、
君主がアレなので、自分が前線に出た際に中央を任せれる人材もいなかった。
なので、蜀の人材不足が全て。

535 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN .net
人材が不足してたんじゃなくて国力の不足と諸葛亮の独裁体制が人材をいかせなかっただけだと

536 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN .net
国力不足をいうと、荊州失陥時点で基本的に詰み。
人材についても、夷陵の負けっぷりが最大の痛手。
アレが無ければ、劉備が仮に死んでいたとしても、黄権も蜀にいたし、その他文官・武官も残っていた。
引き際が良ければ...と悔やまれる。

諸葛亮の独裁で割を食ったのは、一緒に後事を託された李厳くらいだと個人的には思ってる。
ただ、李厳にしても、重要な蕭何役を全うできずに失脚したのが悪くて、自業自得。
立場が逆で、「諸葛亮が後方で蕭何役、李厳が北伐」だったら...と常々思う。

李厳失脚以降は、独裁体制になってしまうのは、先帝に後事を託された身としては仕方なし。
馬謖の件も、見る目が無かった罪はあるが、抜擢の理由を人材不足とするなら夷陵が遠因にある。
人材を底上げしたかったのかなと。
ただ、その失敗のせいで、国力拡大の最大のチャンスを失したのはいわずもがな。

537 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という空調

538 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/27(土) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という向寵

539 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/28(日) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という予兆

540 :無名武将@お腹せっぷく:2013/07/29(月) NY:AN:NY.AN .net
黄権が先陣になってさえいれば

541 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN .net
>>536
>国力不足をいうと、荊州失陥時点で基本的に詰み。
国内情勢など日々変化するもの、国力が劣るだけで詰みにはならない。
国力が劣るだけで詰んでいたら劉邦も詰んでいたことになるぞ

>立場が逆で、「諸葛亮が後方で蕭何役、李厳が北伐」だったら...と常々思う。
李厳に後方支援の役につかせた人事は孔明の差配。
失脚は自業自得でも任命責任は孔明にある。
挙国一致の独裁政権を樹立させる上で自分と同格になりうる存在を看過できない孔明が
李厳に手柄を与える機会を与えるわけがない。

>馬謖の件も、見る目が無かった罪はあるが、抜擢の理由を人材不足とするなら夷陵が遠因にある。
当時、魏延もいれば呉イもいた。
この任命責任を劉備に擦り付けるのは、責任転嫁以外の何者でもない。
自分の派閥の者に功績を取らせようとして失敗した人事に過ぎない。

542 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/02(金) NY:AN:NY.AN .net
>>541
国力不足を要因に挙げたのは>>535
それに、その後に国力拡大のチャンスがあったことは言及済み。
なので、これ以上言うつもりはない。

李厳との権力争いがあったであろうことは同意。
ただ、後方支援は、蕭何・韓信の関係と同じで、十分重要な役。
もちろん、任命責任を否定するつもりはないが、諸葛亮もその役の重要性を
わかっていたからこそ、そこに人事の抜擢はしていない。
こなせなかった李厳が悪い。

魏延、呉イがいたのはわかっている。
だから、ここで言いたかったのは、『人材の底上げ』だと。

543 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手というカラムーチョ

544 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/04(日) NY:AN:NY.AN .net
然、連年動衆、未能成功、蓋應變將略、非其所長歟。

545 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という手帳

546 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という緊張

547 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN .net
公明が選挙下手という風潮

548 :無名武将@お腹せっぷく:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN .net
孔明が戦下手という明朝

549 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/07(土) 16:41:47.12 .net
孔明と仲達の立場がそっくり逆でも結果は同じ(蜀の北伐失敗)だろう。

550 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/23(月) 09:11:28.88 .net
ゲームと小説(演義)、漫画くらいの知識しかないけど、
魏と戦ってマジに勝算あったの?
国力差を考えると早い内に講和に持ち込んだ方が良かった気が
漢中征服したときとかにね。
曹操がもう少し早く死んでいればそういう考えもあったのかな

551 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/24(火) 14:26:28.59 .net
>>550
蜀漢が「漢朝復興」を大義名分として掲げている以上、
魏を認めてしまうと、蜀漢自体が成り立たなくなる。

552 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/24(火) 14:49:51.96 .net
>>551
あ、それもそうか…
じゃあもう少し呉と連携出来ていればなんとかなったのだろうか
夷陵であれだけの損害を出すくらいだったら早い内に荊州を轄譲するとか…

553 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/24(火) 16:00:18.99 .net
蜀漢成立の経緯を考えれば講和は不可能だろう

554 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/24(火) 16:50:35.10 .net
>>552
私見としては、夷陵の戦いでの引き際を見誤ったのが、蜀漢の最大の失策だと思っている。
途中までは快勝しているので、どこかで呉と和睦して、矛を収めるべきだったと。
(そもそも、国力の劣る2国が争って一番喜ぶのは魏なので...)

あの戦いで、黄権・馬良や他の多くの中堅武将を失ったのが、
その後の蜀の人材の空洞化の遠因になっていると思う。
まぁ、法正が生きていれば...って話だね。

555 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/24(火) 17:00:05.94 .net
>>554
馬良はともかく、黄権ってそんなに優秀だったの?
夷陵での両軍の戦死者は黄忠、甘寧、朱然、潘璋くらいしか印象になかった
そもそも魯粛が死んでいなければ呂蒙が荊州を攻めることもなかったのかな

556 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/24(火) 17:22:24.72 .net
>>555
漢中攻略の直接の立役者としては法正が挙げられるが、
そもそもは黄権の献策によるものという話がある。

また、法正死後の軍事を担っているのが黄権。(ホウ統→法正→黄権)
夷陵においても黄権自身は負けておらず、劉備の敗退によって退路が無くなったため、
やむを得ず魏に降っただけ。

その後(劉備死後)の蜀を任されたのが、諸葛亮と李厳。
黄権が蜀にいれば、仮に劉備が死んでいたとしても、後事を託していたのは諸葛亮と黄権だっただろうし、
その際の思惑としても、軍事=黄権、内政=諸葛亮という図式は想像に難しくない。
(もちろん、諸葛亮がこの図式に従えばの話だが。)

557 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/25(水) 14:57:23.01 .net
黄権の進言通りにしていれば夷陵も負けてなかったかもしれないからな
漢中の件もあれば、魏に下った後のことを見ても物事をきちんと判断出来る人だったんだろうね
諸葛亮とも仲が良かったそうだし、孔明の負担を減らせる人材だっただろうに

558 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/25(水) 15:21:38.27 .net
もっと趙雲が長生きしていたらどうなっていたのかな
個人的には蜀随一の武将だと思う

559 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/25(水) 15:46:09.41 .net
大して変わらない展望しか見えないなぁ・・・・第4、5次北伐にも同行するとして
仮に肉体の衰えが無かったとしても4も5も戦略面でどうしようもなかったから趙雲が居たとしても変わらんと思う
4次は李厳の補給が原因だし、5次は司馬懿に孔明が長くないことを見破られてガッチリ守られて無理ゲーという展開だから

560 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/25(水) 17:35:13.79 .net
魏延の提案通り長安まで強行軍出していればどうなったかな
陥落できても維持できないか

561 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/25(水) 21:24:37.18 .net
ここから結果を予見することは出来ないけど、難しい作戦であると同時に成功の可能性もあったよね
魏延には自信があったようだし、物資は長安に山ほどあるはず
潼関を抑えることが出来たら間近の洛陽からの大軍も多少は耐えることが出来るのかもしれない

562 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 00:07:25.27 .net
趙雲、張飛、馬超、黄忠、魏延、関興、張苞、黄権、馬良で長安へ強行したら楽に堕ちたかな
呉との関係が拗れてなくて尚且つ寿命も伸ばしたら

563 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 09:25:48.72 .net
>>562
どの時点での長安強行を言っているのかは文面からはわからないが、
呉との関係が拗れてなければ、そもそも関羽が存命のはずなので、
漢中、荊州(呉も友好的に動くなら計3方面)からの同時北上で、十分勝算はある。

関羽死後(漢中奪取直後)であれば、史実でも皆が反対する中で始まった
夷陵の戦いは避けられないし、仮に夷陵が無いとして主要武将(当然劉備も)が残っているなら、
魏延ごときが献策できる状態にはない。

564 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 09:35:19.58 .net
魏延はその頃には発言権あるでしょ。張飛を差し置いて要衝の漢中太守に任じられてるという事はそういう事
漢中は蜀への玄関であると同時に中央への入り口でもある訳だから北伐を意識した人事であることは間違いない

565 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 09:50:55.54 .net
はいはいタラレバタラレバ

566 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 10:13:44.94 .net
>>564
張飛を差し置いて魏延を漢中に置いたこと自体が、北伐ではなく
夷陵(関羽の弔い合戦&荊州奪還)を意識した人事だと思うけどね。
(官位も鎮北将軍だし、少なくとも漢中奪取直後では更なる北伐は考えていない。)

なので、夷陵が無い(意識していない)前提であれば、魏延の扱い自体が変わってると思うけど?
そして北伐も、劉備&黄権主導で進むと...。

567 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 10:49:23.07 .net
ifな話題って面白いと思うけどね

呉は蜀と揉めてまで荊州欲しかったのかな
魏と戦うためには協力するしか手はないのに

568 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 11:22:12.83 .net
>>566
漢中太守に任じられた時って荊州失陥してなくない?
天下三分計の概要は益州荊州揚州の3方面攻撃だし、
人事異動は滅多にない訳だから漢中の人事で北伐を意識しないのはあり得ない

>>567
俺は呉の気持ちの方がわかるわ。むしろ蜀は荊州返せって思う。約束だろうが。
協力しないと魏に勝てないんだからお前ら俺に従えよ^^って舐めた態度で外交してたらそりゃ怒るよ
魯粛すげー頑張ってたと思うわ

569 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 12:00:47.64 .net
>>568
「北伐を考えていない」と言ったのは、漢中奪取後の次のターゲットしてという話ね。

荊州については、少なくとも漢中戦以前に呉から3郡の強襲を受けていて、
それが一応和解したのは、曹操が漢中(張魯)を攻撃したから。
そしてその後魯粛が死に、睨み合いが続いている状態。
荊州失陥は言い過ぎだったが、次の戦いは対呉(荊州)と考えてもいても
おかしくないと思うけど?

まぁ意見の相違は、このifの前提になってる、「呉との関係が拗れてなくて」ってのの
程度の解釈に差があるんだろうね。
全く拗れてなければ北伐だけを考えた厚い人事になってただろうし、
拗れていたからこそ史実の人事になったと...。

570 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 12:08:59.28 .net
>>569
次に対呉を見据えていたのなら関羽の北伐はあり得ない訳で・・・・
蜀は対呉を甘く見ていたからこそ荊州と関羽を失った結果になったんだと思いますよ

571 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 13:14:28.07 .net
>>570
だからぁ...「呉との関係が拗れてなくて」ってのが前提なんだって。
そして、関羽が生きてる時点であれば、3方面北上で十分ってことは>>563で言及済みで、
長安強襲策なんて必要ない。

>>562のいう長安強襲策を行うためには、
 ・関羽死亡&荊州失陥後
 ・夷陵の戦いが無い
 ・劉備・黄権を含む、主要武将が存命(黄忠も長生き)
という条件で北伐を行うことになる。
(簡単に言えば、呉が関与することなく関羽は勝手に魏に攻めて、負けて死んだって感じ)

その時点で、要衝といえど一太守にすぎない(夷陵が無いので鎮北将軍でもない)
魏延の意見なんて誰が聞くかって話ね。

572 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/26(木) 18:45:57.30 .net
>>562を拡大解釈してたのか。それは話がずれる訳だわ。わかりました。

573 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/27(金) 08:26:28.85 .net
>>571
鎮北将軍は劉備即位のご祝儀昇進なので夷陵関係無し

574 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/27(金) 09:13:51.61 .net
>>573
時期的な話は、指摘のとおりで理解している。
鎮北を話に出したのは、少なくとも征北(西?)ではないので、対魏に対しては更なる戦争(北伐)は
その時点では考えてなくて、防衛主体と考えていたというのが言いたかったので出してるだけね、

で、その後については、主要武将が残ってる前提での北伐だから、
魏延の意見云々よりも、劉備・黄権間で戦略が練られてただろうなと。

575 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/27(金) 09:51:43.91 .net
戦術家としては趙雲、関羽、張飛、黄忠、馬超が優秀で
戦略家としては諸葛亮、統、黄権、馬良、法正が優秀っていうイメージなんだけど合ってる?

576 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/29(日) 10:31:55.10 .net
馬良は外交官なイメージしかないんだが…

577 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/29(日) 15:54:53.72 .net
馬良のどのへんが戦略家なんだよ

578 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/29(日) 16:00:00.41 .net
正史読んだことないけどネットの情報は齧ってるって程度のにわかは、よく馬良(笑)とかを過大評価する
徐庶(爆笑)ほどじゃないけどね

そして劉巴や李厳の存在をスルー
なんで尚書の馬良の方が尚書令のこいつらより有能だと思われてんだよ
劉巴なんて劉備や諸葛亮が才能を警戒しまくってたほどの人物なのに

579 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/29(日) 16:04:37.25 .net
李厳って怠慢で補給失敗して更迭されたんだっけ?

580 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/29(日) 16:10:58.85 .net
孟達の離反は彼が法正組だから、法正死後彼が政権内で生き残るのは難しく、処分されるのを恐れてのことだろう。
そして李厳を漢中に持ってきて要職に就けたのも、孟達が帰ってきた後、ちゃんと生きられるように見せるため。
李厳・孟達がそれぞれ孔明の下で機能する組織構造になることを示す狙いがある。
つまりは孟達が死んだ時点で李厳は用済みになる。

諸葛亮は政敵を容赦無く消す独裁者です。粛清!粛清!粛清!

581 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/29(日) 19:59:56.66 .net
そこのバランスをとるのが君主である劉備、劉禅の役割なんだが、
劉禅がいかんせん…
劉備はうまく役割分担させてたね

582 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/30(月) 17:14:17.35 .net
結果論 vs たら・れば

583 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/30(月) 20:41:58.35 .net
>>580
李厳が漢中に来たのは孟達が死んだ後だが。

584 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/30(月) 21:34:48.72 .net
>>578
少なくとも益州進行時に馬良はホウ統、諸葛亮に次ぐ存在だったと思うけど。
軍才の有無は、不明だが…
その時に既にいない徐庶と比べても仕方ないよ、いたら全然その後が違っただろうけどね。

あと関係ないけど個人的には、劉巴は有能ではあるが、性格的に関羽臭がするな…

585 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/30(月) 22:02:11.21 .net
劉備「劉巴は天才すぎて俺じゃないと使いこなせない」
諸葛亮「陣中で作戦を立てることにかけて私は劉巴に及ばない」


劉巴「張飛なんかと喋りたくねーわ」


う〜ん、この…

586 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/30(月) 22:27:32.80 .net
>>584
徐庶なんかが劉備軍についてきていても何も変わらんでしょ
伊籍が一人増えるくらいの違いしかない

演義の話をしてるなら、そりゃ徐庶がいればかなり違っただろうけど

587 :無名武将@お腹せっぷく:2013/09/30(月) 23:02:23.28 .net
関羽の北上を止めれないまでも、その間の荊州南部の守備を気遣える人が一人でも多くいればもしや…と思ってね。
徐庶が適任かは別として、存命で劉備ゆかりの人がそれくらいしか…。

588 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/01(火) 02:08:44.97 .net
>>587
劉備の養子の劉封、それを助けていた孟達、古参で劉備の恩人一族の糜芳、天才政治家の潘濬などなど、とにかく全方位が関羽に嫌われて仕事放棄状態だっらから、残念ながら徐庶がいたって変わらなかっただろうね…関羽がダメすぎ

589 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/01(火) 08:50:51.56 .net
>>588
確かに関羽の性格を言ってしまうとそれまでだが
呉の荊州侵攻時に、籠城して関羽の帰還を待つ、益州からの援軍を待つくらいの
気骨ある人いなかったかなぁと。。。。
南部の窮地を知らせる時間的余裕があるかどうかは別として。

糜竺を糜芳とセットで置いとけば....とか。やっぱムリかな。

590 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/01(火) 09:56:44.87 .net
>>589
そこは呂蒙の手腕を讃えるべきとこだろうなぁ

591 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 09:27:56.90 .net
そもそもカンヌはどういうつもりで北上したんだろうな
勝てるとでも思ってたんだろうか?
まあ実際曹操が焦ってたあたり、現代からは分からない感覚はあったと思うが

592 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 10:53:34.13 .net
>>591
目的は単純で 侯音の乱に乗じた荊州北部の切り取りじゃない??
それまでも襄陽太守だし、スキと権限があれば...と考えていても不思議じゃない。

結果論だけど、樊城まで欲張らずに、襄陽に本腰いれてそっちだけでも奪取するとか無理だったんかね?
まぁ、曹仁のいる樊城を取れば襄陽は簡単に落ちると踏んでたのかもしれないが。

593 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 12:06:00.02 .net
>>592
結果論で言えば、于禁に敗北して撤退してれば逆に荊州失陥は防げたんじゃないかな

そもそも周瑜が呂蒙や張飛を率いて一年以上攻めてようやく敗走させた曹仁を、なんで関羽が単独で攻め取れると思ったのか・・・たしか前に襄陽でも楽進に負けてるでしょ?

関羽が北伐決断するほどに洪水による氾濫がスゴかったんかね
実際、曹仁の守る樊城は殆ど水に沈んでたらしいが

594 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 12:55:58.69 .net
>>593
于禁負けて撤退してれば...ってのは、出兵自体してなければ兵の浪費もの無く
もっと良かったってことに繋がってしまうので...

出兵によって何か得られる可能性があったかどうかで話をすると、
曹仁の硬さは言うまでもないので、樊城は包囲だけにして、先に襄陽落としとけば
荊州南部の落城で孤立したとしても麦城よりはマシかなと。

言うように、曹仁の硬さを知ってるからこそ、水害に乗じてってことだろうけど。

595 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 13:08:10.66 .net
曹仁とんだけ名将なんだろうな
魏で三本の指に入るくらいかな

596 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 13:33:01.80 .net
曹操時代の魏将では、曹操を除けば曹仁が最強だろう
騎兵別動隊を率いての攻戦にも実績がある
劉備も撃破してるしね
攻防一体の将軍ってのはなかなか貴重
まあ樊城戦の曹仁は、副将にあの満寵がいたのもけっこう大きいと思うけど
むしろ満寵の方こそ魏で三指に入る将じゃないかな

597 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 13:52:36.45 .net
>>594 関羽の判断は間違ってない気が。行政拠点である襄陽を守る軍事拠点が樊城なので、樊城を下せば襄陽は自ずと下る。
魏の名将は、張遼は孫権戦線、楽進は故人、于禁は中央、張郃と徐晃は劉備戦線という状況。唯一自由に動けた于禁を下した時点で、あとはゆっくり曹仁を包囲すれば勝ちだと関羽は判断したはず。
まさか新兵ばかり率いて遥々遠征してきた徐晃に自分が負けるとは、関羽は思ってなかっただろう。徐晃より格上だった于禁に勝ってしまっていたことも、関羽が増長した要因かと。

598 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 14:07:03.60 .net
文聘さんがずっと関羽の兵糧や船を攻撃していたことを忘れてはいけない
どのみち、長期間の戦闘継続は不可能

おまけに揚州からは張遼も曹仁救援へと派遣されてるところだった
もし関羽が徐晃に勝ってたら、次は張遼との戦いやぞ
そんでもし張遼にも勝ったら、次は徐州から臧覇あたりが来るやろうな
たしか田豫も温存されとる
魏の官民から「蜀の名将って関羽しかいねーよな(劉曄伝)」とか言われるような人材の差やから、勝てるわけない
関羽の扱いは、まさにラスボス相手のフルボッコ

孤立無援だったのは曹仁じゃなくて関羽
まさに魏呉蜀の全てから攻撃されて滅んだって感じだわ
そんな状況であれだけ戦った関羽は凄すぎ
周囲の味方に見捨てられまくったのも関羽自身だから、司令官としては評価できんけど、ただの戦人としてはズバ抜けてると思うわ

599 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:08:36.75 .net
趙雲も名将に入ると思ってたんだがなぁ…
やっぱ大軍を指揮したことがないからかな
そもそも趙雲は戦術家であって、戦略家としての才能がないとか

600 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:13:50.05 .net
まあ俺らが現代から見て「関羽なんて負けてばっかじゃん。北上とかアホすぎ」って考えるのは違うんだろうけど
呉とも連動して初めて勝機が出てくるってレベルだろうに呉と敵対しちゃうんだからな

601 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:15:50.40 .net
>>599
陳当とどっこいじゃないの?
劉備軍に絶対必要な良将なのはたしかだろうけど魏にまで名を轟かせる名将かと言われると

602 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:22:58.33 .net
>>599
ちくま正史三国志5巻(約1500円)を読んで幻想から解き放たれようよ…
大軍云々は関係ない
大軍を指揮してなくても、活躍してれば関羽張飛みたいに初期から曹操の参謀たちに警戒されたりするよ
単純に趙雲が将軍として大したことないってだけ
そもそも劉備時代の趙雲って、将として戦ったのは益州平定で諸葛亮や張飛と一緒に緊急合流した時だけ
古参なのになかなか目立たず武功も立てられず出世遅くて、新参の馬超黄忠魏延に地位を追い抜かれたようなやつだよ?
趙雲が名将ってのは演義とコーエーによる幻想でしょ
関羽と張飛の名前は他陣営から何度も名前があがるのに、趙雲なんて一度も名前出てない
趙雲が将として活躍するのは諸葛亮が司令官の時だけで、劉備にとっては親衛隊長
魏でいえば許褚や典韋のポジションなんだから、間違っても名将なんて位置づけにはならんよ

603 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:25:12.86 .net
>>601
個人的には趙雲を魏の武将で例えると
夏侯淵以下張合β以上のイメージ

604 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:28:36.70 .net
>>599 >>601 >>602

季漢輔臣賛の序列を見ればわかるが、趙雲と陳到が同列ってのは、陳到がすごいのではなく、趙雲がしょぼいのよな
劉禅の在位中に書かれたこれの中で、劉禅の命の恩人である趙雲の自国内評価ですらこうなんだから、魏で知られてるわけがない

劉備
諸葛亮
許靖
関羽・張飛←ここ
馬超←ここ
法正
龐統
黄忠←ここ
董和

費観
王連
劉巴
糜竺
王謀・何宗・杜微・周羣
呉懿
李恢
張裔
黄権
楊洪
趙雲・陳到←ここ

605 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:30:50.29 .net
>>603
劉備と諸葛亮が最も恐れた魏将である張コウが、趙雲以下ってのは無理がありますわ。それこそ正史読んだんかって話…

606 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:39:56.40 .net
『夏侯淵は都督であったが、劉備は張郃を恐れて夏侯淵を軽く見ていた。夏侯淵を殺してから、劉備は言った。「一番の大物(張郃の首)を手に入れなければならぬ。こんなことでどうする」』
『張郃は変化の方則を弁え、よく陣営を処置し、戦争の状況・地形を考慮し、計略通りにいかないことはなかった。諸葛亮以下皆、彼を恐れ憚った』

趙雲=人材不足だったせいでたまに別動されられる許褚とでも思っとけばいいんじゃないかな

607 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:45:02.81 .net
>>604
マジかよ…呉懿よりも下なのか
黄忠のちょっと下くらいのイメージだった

608 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:49:49.76 .net
呉懿は北伐の先鋒候補として魏延と並んで名前が上がるくらいの存在で、諸葛亮と魏延の死後は彼らから漢中都督を継いでるからね
魏延みたいに謀反の汚名で評価下がったりもしてないし、この位置は妥当かなと思うよ

609 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:49:49.84 .net
全くの猪武者ってわけではないと思うが少なくとも知勇兼備の名将イメージは演義、特に吉川三国志の影響だろうな

610 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 15:52:21.94 .net
正史読んでないから、趙雲を蜀バージョンの楽進か李典ってイメージしてた

611 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 16:02:08.25 .net
>>610
そもそも楽進と李典は全く同列ではないんだなこれが…
魏書の列伝は、張遼、楽進、于禁、張郃、徐晃がこの順番で同巻にまとめられてる
李典はこの下に続く将だから、楽進とはかなり差があるってこと

李典はそれこそ文武両道とされてるんだけど、別軍司令官とかになったことはなくて、太守とか副将とかばっかりだから、俺は李典より趙雲の方が上と評価するよ
趙雲は第一次北伐で重要な別軍を任されてるからね
まあ魏は人材多いから李典に別軍任せる必要なかったのもあるだろうけど

楽進は張遼と同格の武功を持つ名将だから、比べるならそれこそ関羽張飛

612 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 16:12:52.56 .net
>>611
なるほど…
やっぱ演義やゲームでの印象と全然違うんだね
楽進、干禁、李典、曹洪、曹真辺りは同じくらいかと思ってた
能力やポジション的な意味で


やっぱ正史好きな人は演義やコーエー嫌い?

613 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 16:21:10.05 .net
>>611 李典は名将としての経歴を積む前に若くして死んだとも言えるやろ。合肥が有名やけど、程Gへの進言や夏侯惇への進言もいちいち的確で、かなりの才能だと思うわ

>>612 正史は正史でおもろい、演義は演義でおもろい。一緒くたにするとどっちにもイラつくから分けて考えとるなワイは

614 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/02(水) 16:30:36.44 .net
>>612
とりあえず親族の曹氏は、曹氏以外とは別枠に考えないとね

演義というか吉川三国志や横山三国志は好きだよ
コーエーは無双とかでキャラ弄りすぎてるのが嫌い

615 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/03(木) 13:25:39.95 .net
未だに演義しか知らない人がいることに驚いた
正史ってけっこう安いし読みやすいのにみんな買わないんだね
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4480080414?ie=UTF8&force-full-site=1&lc=plm&linkCode=plm&ref_=aw_bottom_links

616 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/03(木) 15:39:27.28 .net
「未だに」というが、大抵の人が演義から入るだろうから、
正史を知ってる人のほうが全体から見たら少数だろ。
で、2chに来て正史と演義の違いを知って正史にも興味をもつようになると...

あと、他の文庫と比べれば高いよ、正史。
それだけの価値はあるんだろうけど。

617 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/03(木) 17:15:27.47 .net
後漢書の値段が高すぎるんだよね

618 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/03(木) 22:03:11.92 .net
昔くそ高いハードカバーの正史を買ったが、ぶっちゃけつまらんかった
演義との比較でしか面白みはないだろ

619 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/03(木) 22:25:01.44 .net
そう?
俺なんて恋姫無双から入ったから演義なんて知らんが、正史面白いよ
自分で注釈つけといて自分でその内容にキレてる裴松之とかかなり笑えるだろ

620 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/04(金) 16:28:39.14 .net
じゃあ俺は一騎当千から入った

621 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/05(土) 01:40:01.98 .net
>>618
お気に入りの人物がいれば、その伝だけでも持ってる価値ある

622 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/05(土) 02:04:52.88 .net
趙雲大好きだったのでだいぶ落ち込んでる
他に好きなのは周瑜、魯粛、張合βくらいかな

623 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/05(土) 07:54:23.63 .net
別にええやん
演義という物語中の趙雲は知勇兼備の名将なのはたしかなんだしその物語のキャラを好きで何が悪い

624 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/05(土) 16:35:39.89 .net
>>622
趙雲は正史でも、注釈の趙雲別伝でかなり活躍してるよ。
ちくま学芸文庫の三国志(全8巻)だと5巻に趙雲伝がある。というか蜀はその一冊だけ。
周瑜魯粛のような呉の名将は7巻、張郃のような魏の名将は3巻に載ってる。
一冊1500円だから、好きなとこから買っていくといい。

625 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/05(土) 23:23:20.05 .net
筆者と同郷だったからじゃね?

626 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 00:07:47.66 .net
正史で一番面白いのは2巻だろ
呂布や公孫瓚のような二級群雄から始まって、夏侯氏と曹氏の将軍、荀ケ荀攸賈詡、そして鍾繇ら魏の三公まで
特に荀ケ荀攸賈詡伝末で裴松之が陳寿にブチギレしてるのがヤバすぎw

627 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 01:02:46.03 .net
>>626
どう切れてるの?

628 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 07:47:16.42 .net
>>627
賈&amp;#35425;ごときを荀ケや荀攸と並べるなって。

629 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 09:45:19.50 .net
>>627
裴松之「陳寿は蜀贔屓なせいで、荀ケ様の偉大さを真に理解できてない」
裴松之「賈詡のような腹黒いやつは程cや郭嘉の巻に纏めるべきなのに、荀ケ様と荀攸様のような人格者と一緒に纏めた陳寿は頭おかしい」

630 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 10:07:13.70 .net
郭嘉って腹黒いの?
曹操が一番可愛がってた軍師のイメージだった

631 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 10:25:18.67 .net
>>630
素行が悪くて陳羣が起こってたじゃん…腹黒いっていうか要するに不良だよ

陳寿「程c・郭嘉・董昭・劉曄・蒋済は天才軍師という意味では荀攸の同類だが、人格者ではなかったという点で荀攸と異なる」

632 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 10:36:47.96 .net
荀ケと荀攸は大局型謀臣だから、個別事項型謀臣の賈クは程c郭嘉と並列すべきだった、ってこの本にはあった

http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4480036032

633 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 11:57:59.49 .net
程cは軍師というより将軍のイメージがあるんだが

634 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 18:14:45.82 .net
程cは位としては将軍位にあったし実際に兵を率いて戦うことも度々あったけど本質はやはり謀臣だろう
謀将と言ってもいいかもしれんが

635 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 19:03:11.22 .net
曹操に仕える前から、誰かに献策する働きが多いからね、程c
初期曹操軍では夏侯惇に追随する物凄いスピードで雑号将軍になってるし、いわゆる何でも屋だよ
というか兗州の都督だから、曹操軍のナンバー2は程cだったかも
まあ軍師的な能力もある将軍ってのは周瑜魯粛呂蒙なんかもそうだし、そこまで珍しいわけでもない
曹操軍では意外と少ないタイプだけど

636 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 19:33:26.06 .net
軍事参謀を軍師だ軍師だ言うけど、実際に「軍師」と名前のつく役職についていたのは曹操軍以外では少ない

「軍師」の荀攸、鍾繇、華歆、涼茂、毛玠
「軍師祭酒」の郭嘉、董昭、袁渙、王朗、王粲、杜襲

「軍師」の張昭は、孫権が曹操の制度をパクった結果

「軍師中郎将」の諸葛亮と龐統は、軍師じゃなくて中郎将が本質だから、参謀ってより将軍職
諸葛亮は昇進して「軍師将軍」になってるし

実際は軍師なんてのは曹操軍にしかいない
曹操が作った制度だから当たり前だが

人材が腐るほど余ってる曹操でもない限り、普通は軍師ができるような能力のある人物は将軍に廻されて、参謀に専念なんて出来ない
だから龐統がうっかり戦死するような前線まで出てくる羽目になってる

637 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 19:36:55.59 .net
曹操軍の中だと夏侯惇や曹仁が最上位じゃないの?

638 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 19:42:46.63 .net
>>637
将軍では夏侯惇が最上位、ナンバー2が程cか曹洪
曹仁は少なくとも初期は格下、夏侯淵はもっと格下だな
将軍位や爵位の拝命から考えて
張遼と楽進と于禁が親族以外では頭一つ抜けていて、夏侯淵と同格以上だと思われる

639 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 19:47:38.09 .net
>>638
曹洪ってそんなにすごいのか、そして夏侯淵はそんなものか…
曹操が1番信頼してたのもやっぱ夏侯惇?

640 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 19:54:40.35 .net
>>639
そらそうよ
夏侯惇と曹洪は旗揚げ当初から重要な位置にいて苦楽を共にしたわけだし
特に夏侯惇は別格中の別格、もう一人の曹操みたいなもん

641 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 20:10:41.00 .net
政治力があって、統率力と人望があって、人を見る目があって、そして君主を絶対裏切らない、という奇跡のような存在だかんね、夏侯惇は。
これで戦争も上手かったら、まさにもう一人の曹操だな。夏侯惇は戦争へったくそだけど(笑)
演義では戦争以外の全ての能力と引き換えに、猛将へとジョブチェンジしてるが。総合能力的には正史の夏侯惇の方が有能。

642 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 20:23:55.23 .net
演義やコーエーのイメージが強すぎて眼帯のガチムチおっさんが頭から離れない
実際はひょろっとしたインテリ系なのかな

643 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 20:27:41.97 .net
いや、14歳で自分の師匠をバカにしたやつぶっ殺してるから腕っ節も中々だったんじゃないかな

644 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 20:46:18.91 .net
個人の武勇はあったと思う
夏侯惇は農業指導とかもしてるが、民衆に混じって自分も力仕事してたらしいし、気のいいガチムチのおっさんイメージは間違ってない
兵を率いて戦争に勝つってのは、また別種の能力だしね

645 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 21:10:46.74 .net
演義やコーエーに馴染んでから正史に入った人は「夏侯惇って魏将なのに演義の方がスゴいじゃん」とか言うけどそんなことないんだよな。
魏は名将なんていっぱいいるんだから逆に夏侯惇のような存在こそ重要だっただろう。

http://togetter.com/li/440536
http://www.weeeple.jp/info/view.aspx?cate=1&amp;idx=514
http://www.weeeple.jp/info/view.aspx?cate=1&amp;idx=526

646 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 21:49:13.56 .net
体格が特に良い武将と言ったら呂布、許、典韋、関羽、張飛と…あと誰がいるかな

647 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 22:10:58.06 .net
関羽と張飛は体格の情報無くね?
許褚は身長や腰回りすら分かってるけど
程cも身長が八尺三寸らしいから許褚と互角w

648 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 22:17:19.92 .net
体格とか個人的武勇で言ったら許褚と典韋が最強だろ
正史の記述だけで演義クラスだもんこいつら

649 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 22:21:32.69 .net
諸葛亮も身長八尺。許チョや程cより少し小さいが、やはりデカい。
当時は見た目も能力の一つとされるからね。見た目は大事よ。
曹操(チビ代表)の身長があと10センチ高かったら天下統一してたとか冗談半分で言われるくらいだし(笑)

650 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/06(日) 23:37:48.27 .net
正史を読む気がしない人は、せめて宮城谷昌光の三国志を読めばいいんじゃないかな
孔明についてはけっこう辛口だけど

651 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/07(月) 00:15:04.76 .net
宮城谷なんか私見入りまくりじゃん

652 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/07(月) 01:48:03.27 .net
私見入ってない小説なんかつまらんだろ

653 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/07(月) 11:43:56.08 .net
正史どうこうって話なのにその返しはおかしい

654 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/07(月) 12:49:41.06 .net
私見入ってるとか言うけど、出来事が変節してるわけじゃないからね
正史準拠なのは確かなのに、なんで私見云々とかいう意味わからんツッコミが入るのかわからん

655 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/08(火) 00:57:13.00 .net
演義の魔法使い孔明より、正史の堅実な孔明の方が魅力的に感じる

656 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/08(火) 12:39:05.85 .net
孔明と呼ばずに諸葛亮と呼べ!

657 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/08(火) 13:10:30.53 .net
1位や10位を細かく決めたりするは大変困難なので
ベスト10を書くと…
◎ぼくが君の思い出になってあげよう

◎G線上にひとり

◎球根栽培の唄

◎蒼き夜は

◎サナトリウム

◎君は変わっちゃったネ

◎ぼくたちの失敗

◎たとえばぼくが死んだら

◎海を見たいと思った

◎ぼくを見かけませんでしたか

これで森田童子さんの世界と自分の世界にどっぷりとつかれます。

658 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/08(火) 17:39:22.56 .net
孔明のことが好きな人は字の孔明でいいんじゃない?
嫌いって人なら諱でもいいと思うし
でも「孔明が大好きです!尊敬してます!」って人は諸葛丞相と呼ぶべきじゃないかと思う

659 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/08(火) 18:29:11.36 .net
都内で80歳以上の方が在籍しているソープランドってどこがありますか?
クイーンと狸穴はホームページ見ました。
それ以外でオススメあれば教えて下さい!

660 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/09(水) 11:13:19.76 .net
友人の亮と3年近く連絡とれてないが元気にしてるかな

661 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/09(水) 13:11:02.81 .net
管仲や項羽だってそっちの方が通ってるんだし、諸葛亮も孔明でいいだろ
過剰反応するやつは高二病患者かなんか?

662 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/09(水) 13:12:41.44 .net
どっちでもいい

663 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/09(水) 18:39:01.64 .net
息子が忠臣づらした悪臣なのがなんとも
父親としては失格だね

664 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 01:53:46.99 .net
勤兄ちゃんに送った手紙で思いっきり甘やかしてるのが見て取れるな
夏侯惇と並んで本人は立派なのに子育てには失敗した例の双璧だなw

665 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 02:58:59.30 .net
淋って夏侯惇の息子だっけ?
夏侯淵の子の夏侯覇は優秀なのにな

666 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 06:04:56.89 .net
楙は演義だと淵から惇に養子に出された子だけど史実だと惇の実子(次子)
長男はともかく楙の弟達もあまり出来がよろしくなかったみたいで兄弟で楙相手に骨肉の争いをしてる
淵の子供たちは覇だけじゃなく優秀な子が多かったらしい

667 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 07:04:38.23 .net
夏侯氏っていつ頃まで優遇されていたんだっけ?
ピークは夏侯惇や夏侯淵が生きてた頃だと思うけど

668 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 14:02:46.50 .net
夏侯玄とかいう、裴松之から「親父より優秀なのに列伝されんかったなこいつ」と言われた凄い人もいたりする
楽毅論と張良論は有名

669 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 14:12:22.37 .net
優遇ってことならピークは楙じゃないかな
能力とかけ離れた不相応な位をもらってたわけだし同世代の覇と尚も高官に就いてる
玄は逆に能力の割に不遇なイメージ
身の処し方を弁えてなかったとも言えるけど

670 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 14:14:33.78 .net
夏侯覇の娘が羊コの妻だったりもするよね
もっと言えば夏侯覇の従妹が張飛の妻で、その間に生まれた子が劉禅の妻
夏侯氏強すぎ
曹操も血筋は夏侯氏だからなぁ

671 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 16:14:27.38 .net
尚はそこそこ優秀な文官のイメージなんだけど実際はどうだったの?

672 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 16:15:50.26 .net
あ、あと兄の徳はどうなの?

673 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 18:31:09.01 .net
尚は文官よりは将官寄りだと思うけどな
上庸攻めや荊州統治を見た感じ能力はそれなりのものを持っていたんじゃないかと思える
曹丕にも信頼されてたし

徳は演義の創作人物やね
尚の字が「伯」仁だから上に兄がいたとは考えにくいし

674 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/10(木) 18:48:55.71 .net
演義知らんけど、演義だと夏侯尚って文官なの?
まあ、はっきり言って演義やゲームの知識は逆に邪魔になるだけだから、正史知りたいなら忘れた方がいいよ

夏侯尚のデビュー戦は、田豫と一緒に曹彰の参謀となって代郡烏丸を討伐したアレかな

675 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/11(金) 00:18:35.96 .net
204〜205年の冀州攻め(袁家の残党討伐)に従軍したっていう記述があるからこっちのが先かな?

676 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/11(金) 00:42:29.33 .net
ギョウ城の戦いと南皮の戦いのどっちだろ?
とりあえず騎兵隊長として従軍してたみたいね

677 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/11(金) 00:56:59.64 .net
夏侯尚が従軍したのは鄴城の戦いだと思う
あの戦いは曹操軍オールスターズに近い面々が参戦していたから
南皮の戦いは消化試合みたいなもんじゃないかな?


鄴城の戦いラインナップ
曹操:司空
荀攸:軍師
郭嘉:軍師祭酒
董昭:魏郡太守
曹洪:事N将軍
張遼:行中堅将軍
楽進:行遊撃将軍
張郃:偏将軍
徐晃:偏将軍
李典:裨将軍
許褚:校尉


南皮の戦いラインナップ
曹操:司空
荀攸:軍師
郭嘉:軍師祭酒
張繍:破羌将軍
張遼:行中堅将軍
楽進:行遊撃将軍
徐晃:偏将軍

678 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/11(金) 10:26:56.14 .net
ギョウ城の戦いは、これでまだオールスターズじゃないってのがスゴい
夏侯惇 夏侯淵 曹仁 荀ケ 程c 賈詡 劉曄 蒋済 于禁 李通 臧覇 呂虔 満寵を温存してもあの戦力

この頃の劉備軍なんて 関羽 張飛 趙雲くらいしかいないのに…

679 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/11(金) 17:34:37.85 .net
曹と夏侯を除けば、張遼と楽進が配下のトップ?

680 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/14(月) 04:55:55.71 .net
蓋應變將略 非其所長歟

681 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/14(月) 19:46:07.04 .net
>>661
真田幸村というと、真田信繁だと騒ぐ奴がいるのと同じだな…

682 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/15(火) 00:05:41.45 .net
信繁じゃん

683 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/15(火) 00:14:07.30 .net
両方合ってるのにあたかも片方は間違いであるかのようにまくし立てるのは如何なものかというお話

684 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/15(火) 05:38:02.40 .net
>>683
歴史上の人物としては幸村は存在しないだろ
歴史の話してるならそれで間違いない
合ってるのは信繁だけ

信繁をモデルにしたお話をしてるならそれはどっちも合ってるだろうけど
常にどっちも正しいわけじゃない、幸村は常に間違いの可能性を含んでる存在

685 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/15(火) 12:24:32.31 .net
>>677
于禁の仲間外れ感・・・

686 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/20(日) 00:08:16.89 .net
『惇兄』を叩く人間はいないのに『幸村』を叩く人間がいる不思議

687 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/20(日) 00:37:57.18 .net
徐庶の昔の名前が単福だとかいうデマはどこで広がったんだろう
単家ってそういう意味じゃねーから

688 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/20(日) 00:51:53.67 .net
李卓吾本

689 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/20(日) 01:07:17.95 .net
「真田幸村」という名称が「真田信繁」という人物のことを指しているのは一般常識に近いレベルで浸透している
むしろ逆に信繁と言って通じる人間の方が少数派
それを一々間違っていると指摘して回る人間のことを日本語では阿呆という

例えばウーパールーパーの話題が出るたびにあれはウーパールーパーじゃなくAmbystomamexicanumだと指摘して来る人間がいたら自分がどう思うか考えてみるといい

690 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/21(月) 12:37:54.00 .net
正直、物語の影響が強すぎて、実際の孔明の事はよく分からん

691 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/21(月) 14:30:03.30 .net
>>689
うん、その通り

俺が言ってるのは史的に正しい話をする時には幸村では確実に間違いだと言ってる
物語の話をする時はそれでいい

通じるからと言って正しくない事を正しいとする事は出来ない
歴史の話をする時、幸村は間違い、物語の話ならば幸村でもいい

692 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/21(月) 15:46:22.36 .net
???「歴史の話をする時に登山家とか言う奴は泣いて斬られろ!」

693 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 06:58:02.12 .net
>>684
存在しないというのは言い過ぎ。
謎ではあるが夏の陣の2-3ヶ月前からそう名乗り始めたとの説もあり、
幕府の系図などには幸村と書かれているので、
実際に生前名だったかどうかは正式な証拠はなく不明だが、
少なくとも、幸村は信繁を示すことは確かなので、
幸村と言ったからといって、いちいち信繁であると、
ムキになる必要もないだろうと言いたかったのだか。

694 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 07:02:39.22 .net
歴史の話をする時でも、幸村で構わないでしょ。
ましてや、2chごときの雑談で。

学術研究の論文なら、信繁と書かなきゃまずいけど。

695 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 07:40:26.26 .net
>>693
その説定説じゃないから

>>694
俺同じ事言ってるんだけど?2chならどうでもいいかってのはちょっと違うけど
歴史として語るなら、幸村は無し、そうでないなら好きにしろって

696 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 10:02:38.05 .net
>>686が何を言ってるのかさっぱり分からない

697 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 11:15:01.56 .net
とりあえず真田幸村は名将
これは創作でも何でもなく間違いない事
それで良いじゃまいか

698 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 12:37:31.72 .net
真田幸村が名将なのは創作の中だけ
真田信繁は名将で創作でも何でもなく間違いない事

699 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 12:41:44.24 .net
真田幸村は歴史上でも名将だからなw

700 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 13:23:34.99 .net
真田幸村が実在したと言う証拠はない
実在がほぼ確実視されてるのは信繁の方
幸村は現状、創作上の人物扱い

701 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 13:51:23.58 .net
真田幸村は歴史上実在したからなw

702 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 14:55:06.31 .net
ここ何スレだっけ?
そろそろうざい

703 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 19:13:07.28 .net
>>693
「幸村」の名が見られるようになったのは夏の陣以後で、寛文12年(1672年)成立の軍記物語『難波戦記』がその初出と判明している。
この『難波戦記』が人気を博し流布して広く読まれたため「幸村」名が一般的となったようだ。
時代が下るにつれ「幸村」の名があまりにも普遍化してしまったため、
幕府編纂の系図資料集である『寛政重修諸家譜』や兄・信之の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史にまで
「幸村」が採用されている。

wikipediaでこのように書いてあるね
>幕府の系図などには幸村と書かれているので、
>実際に生前名だったかどうかは正式な証拠はなく不明だが
つまりあんたのこの文章は完全に間違い
生前名は関係ない、講談が初出

wikipedia間違ってる言うならちゃんとした証拠でも出してくればいいんじゃねーかな

704 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 19:18:32.49 .net
呼び方なんてどうでも良くね?
惇兄とか呼ぶ奴もいるだから
惇兄なんて人歴史上にはいませんよ?w

705 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 19:34:35.08 .net
>>704
それが何?
その人誰か知らないけど今は真田信繁を幸村としては史的に正しくないって議論なんで
関係ない人持ち出しても何の参考にもならないよ

706 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 19:40:56.85 .net
呼び方なんてどうでも良いって話
幸村だろうが信繁だろうが誰の事を言ってるか皆わかってんだから
それで良いじゃん
皆どうでも良いと思ってるんだから放っておけよ
って思うのがまともな人間なんじゃないの?w

707 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 19:43:45.31 .net
>>706
呼び名がどうでもいいことあるか
史的に正しくないものは正しくない
正しいものは正しい

公共の場で使うな、とかじゃなくて「正しくない」ということだ

708 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 19:49:41.45 .net
あっそw

709 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 20:26:40.87 .net
とりあえずスレチ

710 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/22(火) 22:20:47.06 .net
http://www.youtube.com/watch?v=3yDWx0g23QU

ひらけポンキッキのエンディング曲、加橋かつみの「かもめが空を」や!!
滅茶苦茶曲が凝ってて何回聞いても飽きない!!
軽快で心地良いメロディーが最高や!!
イントロからいきなり
かもめが空を飛ぶ〜よ ま〜るで風のよ〜に
空は黙ってい〜ても 何かを教えてく〜れる♪
の哀愁を感じさせる歌が始まり滅茶苦茶耳に突きおる!!
流れるようなメロディーラインが最高や!!
サビは壮大で畳み掛けるメロディーで伴奏の音一つ一つも美しく
特にAメロの素朴なピアノの演奏は滅茶苦茶心に染みおる!!
感動や!!
なおこの曲はタケカワユキヒデが作曲しており非凡な作曲センスを持っておる!!

711 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/23(水) 10:29:43.03 .net
孔明が悪いんじゃない
孔明を殺した魏円が悪い

712 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/23(水) 13:26:50.41 .net
高名は義援を殺してないだろ
ちゃんと正史読め

713 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/24(木) 09:05:24.13 .net
http://i.imgur.com/MzRiokc.jpg

714 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/26(土) 01:41:59.13 .net
http://blog.goo.ne.jp/masamiterada/e/a6a30e2291b168a9d3f87d347223d2c0

↑孔明信者のヤバさがよくわかるブログ

715 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/26(土) 11:13:06.72 .net
>>714
こいつはおかしいが宮城谷もおかしいな。
諸葛亮は入蜀の際、張飛趙雲と手分けして郡県を平定したとある。
諸葛亮に実戦経験が乏しいとするのは間違い。
長坂の戦いにおいては完全に言いがかりだ。

716 :無名武将@お腹せっぷく:2013/10/26(土) 16:22:58.00 .net
宮城谷先生は悪人とされる人を善人にしたり、有能とされる人を無能にしたりするのが好きな人ですから

717 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/01(金) 19:32:39.94 .net
実戦経験に乏しいんじゃなくて単純に蜀の連中には勝てるけど魏は倒せないって話やろ

718 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/01(金) 21:33:35.24 .net
つか初期に経験が乏しいって当たり前じゃねぇかww

719 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 02:53:20.49 .net
魏がそれだけ有能な奴たくさんなら
蜀はそうそうに滅びてるんじゃね?

720 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 03:20:37.67 .net
うん、だから禅譲やらなんやらのゴタゴタとか終わって落ち着いたから本気で攻めたら3ヶ月くらいで滅んだよ

721 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 06:45:32.34 .net
蜀が滅びる頃には魏は実質的に形骸化してたけどな

722 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 11:29:50.35 .net
蜀は後回しにされてただけなのに、
「魏相手に40年も国を保たせたから蜀はつおい!劉禅は名君!」
とか喚く無知な馬鹿が多くて困る。

723 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 12:14:10.18 .net
と言う妄想

724 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 12:22:02.05 .net
>>722
後回し?何で?

王平に防がれた蜀征伐とかあるやん

725 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 16:50:04.44 .net
当時の魏は 自国内での権力争い>>>>蜀漢討伐 だったからな
興勢の役も権力争いの一環で(曹爽が司馬懿に対抗できる実績を得ようとした)起きたものだし

726 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 21:26:51.76 .net
>>724
建前だけの征伐と本気の征伐の区別が付かないとは哀れだな。
出兵の規模が全然違うだろ。
国内問題が片付いて本気出したら、たったの三ヶ月で呆気なく滅んじゃったのが蜀。
この現実は受け止めなきゃ。

727 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 22:59:10.86 .net
三国時代 三大大戦
・官渡
・赤壁
・夷陵

728 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 23:05:54.28 .net
いや、曹爽は実績を挙げようとしているから建前だけってことは無い
率いた兵は鐘会の半分ほどだけど当時漢中に駐屯していた兵が3万程度であったことを考えれば決して少ない数字でもないし
ただ曹爽は鐘会やケ艾に比べて無能すぎた、というかこの二人が有能すぎたのが蜀の悲劇だ

729 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 23:19:18.16 .net
早い話が蜀の人間は有能だって事なんだよな
どこまで行ってもそれ
経済でも戦争でも魏は物量作戦、蜀は有能な人材で対処してるって結論に行き着いてしまう

730 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 23:35:25.75 .net
外に脅威があるか内に脅威があるかの違いだな
外に脅威がある国は一致団結して物事に向かおうとするから嫌でも有能な人間が生まれやすいし有能な人間が上に行く構図が生まれる
内に脅威がある国は権利争いに長けた人間しか生き残れないし、そう言う人間が上に行く
魏の腐敗と蜀の滅亡はある意味政治力学的にリンクしてると言って良い

731 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 23:56:28.01 .net
>>729
対抗出来てないじゃん
三ヶ月で滅んでるんだぜ?
おまけに魏の混迷期に何度も北伐したにも関わらずまともに領土も切り取れてない
これで優秀って何かのギャグか?

732 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 23:57:02.87 .net
>>730
蜀の連中も中枢で権力握ってる奴の基本は政争上手だぞ?

733 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/09(土) 23:59:02.42 .net
>>731
涼州より西方の支配が姜維の北伐で城という点ではなく
面という形で盛大に削り取られて行ってるというのはよくなされる指摘

734 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 00:20:58.57 .net
>>729
ここまでのどこをどう読めばその結論に至るのか全くわからんのだが…
物量作戦と言うがそもそも有能な人間がいなければその物量を準備できないわけで
戦争に必要な物資は空から勝手に降ってきたり地面から湧いて出たりするわけじゃないんだから

735 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 00:27:49.94 .net
更に言うなら巴蜀の地は攻めるに難く守るに易い地勢で鉱物などの資源も豊富
これを守りきれなかった側が攻め落とした側より有能であるとはちょっとお世辞にも言えない

736 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 00:30:04.17 .net
>>734
物量を持ってる国は物量を用意出来るだろ
要は物量のある国で確固たる権力を握れば良いだけだからさして重大な問題でもない

737 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 00:47:22.61 .net
>>733
点で取れてないのに何で面で取れたことになるんだよアホかw
春秋じゃあるまいし

738 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 01:20:36.20 .net
>>737
塞外民族を味方に付けて

739 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 03:49:56.21 .net
>>736
だからその「物量を持ってる国」を作るのには多数の有能な人間が必要なんだってばー

740 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 03:53:41.82 .net
蜀を滅ぼしたのは魏を建国したのとは別の人達

これマメな

741 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 03:57:20.17 .net
魏って全てにおいて有利だよね
北方異民族はいるけど、呉蜀にも南蛮がいるし

742 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 10:21:21.22 .net
>>733
狄道より外側の面を取ったところで何の意味があったのかと

743 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 10:25:39.32 .net
>>742
733ではないけれど、馬超や董卓みたいな事ができるんじゃないかな

744 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/10(日) 12:09:34.71 .net
>>742
姜維はその協力を得て涼州を征服もしてないのに策源地化しつつあったぞ

745 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/12(火) 02:06:32.11 .net
魏は呉を警戒し、蜀へは最低限の対応だけで済ました
そして短命の皇帝が続き、皇室の力が削がれ滅んだ

蜀は地の利で魏に対抗し、人材難により外患に対抗できず滅んだ

呉も地の利で魏に対抗し、暴君により国が傾き外患に対抗できず滅んだ

746 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/12(火) 03:56:01.02 .net
と言う何の根拠もない妄想

747 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/12(火) 11:49:17.21 .net
>>745
呉が滅んだのは蜀が滅ぼされたからだよ。
あれで長江上流域を押さえられたのが致命的だった。
だから呉は蜀征伐時に牽制の軍を出したり、蜀が滅亡しても少しでも領土を切り取ろうとしてたんだけど、空気の読めない羅憲のお陰でおじゃん。

748 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/12(火) 12:26:40.69 .net
魏(晋)からすれば、単に弱いほうから順に滅ぼしただけ。
蜀滅亡時に領土切り取りに成功していても、
延命にはなるが最終的に滅んでいたのは変わらない。

...とはいえ、三国で最後に残ったのが呉なのはいわずもがな。

749 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/12(火) 13:22:55.81 .net
孔明て長期的な戦略戦が駄目なだけで
局地戦だけは普通に強くないか

局地戦で孔明に敗れた人たち(司馬懿・張コウ・郭淮・王双)
王双はともかく撤退戦で張コウ返り討ちにするなんてこれだけでも十分名将だと思うけどな。

750 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/12(火) 15:31:45.06 .net
郭淮って病弱だけど有能で夏侯淵を尊敬しているって忠実なの?

751 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/13(水) 02:03:39.26 .net
>>747
むしろ羅憲は空気呼んでる
羅憲があれだけ抵抗したからこそ益州人は晋の中で重く扱われたんだぞ

752 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/13(水) 10:53:53.74 .net
>>751
それは結果論に過ぎないけどね。
まぁ羅憲は空気読めてないと言うより状況を理解出来てない。

753 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/13(水) 12:02:36.07 .net
蜀滅亡後に漁夫の利を狙いにきただけの呉に、肩入れするほうが意味わからん。

魏の蜀侵攻をきいた呉が援軍を出したのに、永安で足止めされたっていうのならわかるけど。

754 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/13(水) 14:18:41.76 .net
羅憲の甥が成漢を作るのを邪魔するというのはなんという因果か

755 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/13(水) 16:02:49.28 .net
>>754
任地で起こった乱をおさえただけなので、大した因果でもないな。

成漢といっても漢・蜀漢とは何の関係もない上に、
漢・蜀漢の後継を称した漢(劉淵)が同時代にいたわけだし。

756 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/16(土) 22:04:12.15 .net
成漢はトップが異民族ですし

757 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/19(火) 00:39:12.69 .net
>>750
漢中攻防と文帝即位の時に病気に罹ってたエピソードがあるくらいでむしろ死ぬ4〜5年前まで30年以上にわたって前線で頑張ってた元気な人
有能なのは間違いない
夏侯淵との関係は少なくとも不仲であったという話は無かったはずだけど特筆するような親密さも無かったはず
夏侯淵の息子の夏侯覇とは不仲だったと明記されているが、これは一説には夏侯覇が夏侯淵の戦死の責任の一端が郭淮にあると考えていたからとも言われている

758 :あう使い:2013/11/21(木) 08:25:26.12 .net
孔明ではない。諸葛亮だ!

759 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/21(木) 12:25:29.61 .net
あうじゃないえーゆーだ

760 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/21(木) 17:03:02.73 .net
>>758
>>658

761 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/23(土) 08:52:00.92 .net
蜀を攻めたとき諸葛亮が戦死して統が生き延びたらどうなったかな
内政はイマイチになる代わりに戦争はもっと勝てていただろうか
諸葛亮と比べて身体も丈夫そうだからもっと長生きするだろうし

762 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/26(火) 10:07:17.63 .net
>>761
内政をおろそかにして戦争した良い例が、姜維。
弱小国ほど、内政をおろそかにしてはいけない。

763 :無名武将@お腹せっぷく:2013/11/29(金) 19:18:16.11 .net
ゲームの話で申し訳ないんだが、
定陶の戦いで呂布軍兵士が「こんなとき華雄さまがいたら…」って呟いているんだけど
華雄ってそんなに有能な将軍だったの?

764 :無名武将@お腹せっぷく:2013/12/04(水) 05:23:18.03 .net
何故それをここで聞くのかは分からんが華雄については孫堅に討ち取られたという記述以外はほぼ無い
ただ、それも華雄自身がどうこうと言うより120%呂布のせいで死んでるから実力を計るのは不可能に近いかと
一応都督の地位にあったらしいのでそれなりの人物ではあったであろうことは推測できる
(※ただし三国志集解では都督は誤りで都尉であった、としている)

765 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/08(火) 20:28:32.05 .net
諸葛亮は世間的には過大評価されて歴史かじった程度の奴に過小評価され歴史を知った奴には過大評価される印象

766 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/20(日) 15:28:26.93 .net
>>766
主観が入るだろ主観が

767 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 11:35:18.66 .net
767は馬鹿

768 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 11:46:57.52 .net
768 名前:無名武将@お腹せっぷく :2014/04/21(月) 11:35:18.66 767は馬鹿

769 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 13:19:24.41 .net
>>766
主観無き評価なんて誰にも不可能だしそのくらいは
大事なのは主観の割合を減らす事だけど「歴史を知ってる」ということは
それだけ相対評価も出来るって事だから過大にはなりにくい

770 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 16:17:50.13 .net
戦下手ではないが戦略下手は確実

771 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 16:31:31.29 .net
I love this song !

772 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 17:30:06.66 .net
戦略は前線指揮で自らバリバリ戦って実戦で身につけるとこもあるんじゃないの
だから戦略上手は劉備ってかんじ

773 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 19:40:26.11 .net
2014/4/18 金 アントニー
2014/4/21 月 藤あや子
2014/4/22 火 高田延彦
2014/4/23 水 モーニング娘。'14
2014/4/24 木 東ちづる
2014/4/25 金 カラテカ

774 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 23:29:48.91 .net
結局は寿命が長いほうが勝つ
家康も、司馬懿も同じだ

775 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/21(月) 23:59:25.51 .net
天は諸葛亮より司馬懿を選んだ
それだけさ

776 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/22(火) 15:17:04.67 .net
>>770
戦略は上手いよ
劉備に蜀取らせてるし

問題なのは幼児がいくら究極の技を身に付けたからって
それで大人を投げ飛ばせるかって言うと無理なのと同様に
魏蜀の国力差は諸葛亮がどんだけ優秀でも勝てないレベルになってたってこと
そりゃ大人が老化したり病気や事故で障害者になるとかにでもなれば
幼児でも勝てるけど、まともな間は無理

777 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 01:25:13.34 .net
>>776北伐でも戦略自体は間違って無かったと思うんだよなあ
問題は陳寿の言うとおり、応変の才
作戦通りに行かなかった時に臨機応変に動く事ができなかった

778 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 12:50:13.82 .net
>>777
北伐戦略そのものは大正解だろ
ただそれでひっくり返る程魏が弱くなかった

作戦通り行かなかった時に臨機応変に動いてるよ
馬謖が負けた時なんて一切無理せず一気に損切りに動いてるのは並大抵の判断力じゃない

779 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 16:55:50.34 .net
馬謖の件はもう人を見る目が劉備には遠く及ばなかったからしょうがないとして
ちょっと敵が自分の計略通りに嵌らないと諦めるのがなぁ
粘ったらどこかで勝機が出てくるかもっつう賭けにはさすがに出れないか…
劉備ならやりそうなものだけども

780 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 17:30:24.85 .net
>>779漢中の戦いで、張飛や陳式が負けたりしてるのに粘って劉備、勝利だもんな
諸葛亮なら夏侯淵斬る前に退却してたかも

その代わり、夷陵みたいに退却する機会を逃してボロ負けする事もあるのが劉備

781 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 17:33:40.43 .net
万引きした息子の前で謝りながらイカされる母親

782 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 18:28:55.25 .net
劉備は勝機を見出す天才だったけど、諸葛亮は劉備みたいな粘りが圧倒的に足りない
でも劉備にそういう嗅覚が備わってるのは天性のものも勿論あるけど前線で戦ってた経験が豊富だからな
諸葛亮にそういう才能を求めるのは無理だろう

783 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 19:56:28.70 .net
>>780
張飛のはそれ自体劉備の戦略にも思える
運良く呉蘭を救出できたら良し、見破られて呉蘭に敵が集中しても
それ自体が本隊進撃の陽動になるからどっちに転んでもいい。

784 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 20:17:52.94 .net
劉備>諸葛亮なのは当然だけど劉備より戦の才能が劣るってところで過小評価されてるのかもね

785 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 20:40:54.82 .net
劉備は勝ちにいく人間だけど、諸葛亮はそれはできないからね
まあできる劉備が破格なだけで

786 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 22:36:46.36 .net
戦績は劉備>諸葛亮だけど
もしこの二人が戦う事があったら、どっちが攻撃側になっても守備側が勝ちそう
諸葛亮が守備側の場合、普通に劉備を撃退して勝利
劉備が守備側の場合、司馬懿と同じように引きこもって勝利だと予想

787 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/23(水) 23:45:18.60 .net
劉備がどっちも勝ちそうな気がしてるのは俺だけか?根拠はないけど
ただ夷陵の敗戦は確かに痛かったけどもこういう大きい賭けに出られる劉備と比べちゃうと
諸葛亮は器小さく見えるんだよね…

788 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 02:52:33.84 .net
>>782
その粘りの戦を始めて実行したのが五丈原の戦いだったんだが
諸葛亮の寿命の方が粘り勝ちを許してくれなかった
あの戦いってあんまちゃんと検討されたことないけど
ニセクロ氏とかの分析読んでると諸葛亮スゲーってなるし

789 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 03:18:44.41 .net
五丈原になって初めて賭けに出られたってのがやはり劉備に及ばない気がするな
劉備がいたら第一次北伐で既に粘ってそうなもんだし
北伐の中でも結局一番勝率があったのがここだから劉備ならちゃんと勝機を見逃さないでいける感じする
可能性でしかないけど、まあそういう才能は諸葛亮よりは間違いなくある奴だべ

790 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 04:00:26.61 .net
>>788
五丈原で粘っても意味はないな
何しろ呉はすでに撤退してるから粘った所で
呉側に回していた魏の精鋭が援軍としてやってくるだけ
援軍が来る前に司馬懿を抜いけなきゃ撤退するほかなく
かといって司馬懿を容易く抜けるはずもない
魏を多少疲弊させる事が出来た所で蜀の方が疲弊するだけ

そもそも、劉備も粘り強くない
むしろ、ダメだと思ったらなりふり構わず逃亡していたからこそ
皇帝に成り上がるまで生き残れた
珍しく粘り強く戦った漢中では、劉備らしくないとまで言われてる

791 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 07:27:25.02 .net
孔明より劉備の方が実は天才じゃね?
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1277992687/

792 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 08:32:03.46 .net
漢中だけじゃなくて夷陵の劉備も強かったやん
途中までですけど…

793 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 08:50:36.49 .net
坂本、V打!セ単独トップ8盗塁!3連勝で25日から広島と首位攻防戦
ttp://www.hochi.co.jp/giants/20140423-OHT1T50222.html
セドン、粘って2勝!来日最多125球7回7安打1失点
ttp://www.hochi.co.jp/giants/20140423-OHT1T50243.html
虎党みなみちゃんに“たっちゃん”応援お願い 坂本や阿部らと記念撮影も
ttp://www.hochi.co.jp/golf/20140423-OHT1T50280.html
「井端・一塁」に球場どよめいた!プロ17年目「初だね」
ttp://www.hochi.co.jp/giants/20140423-OHT1T50266.html
アンちゃん、4度目の猛打!7回ダメ押し打「つなぐ意識」
ttp://www.hochi.co.jp/giants/20140423-OHT1T50264.html
ロペス、同点弾!3・29以来の猛打賞「打ち続けていきたい」
ttp://www.hochi.co.jp/giants/20140423-OHT1T50251.html

794 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 12:10:24.21 .net
>>790
意味ないどころか諸葛亮が死ななけりゃ普通にあのまま長安までは行けたよ

795 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/24(木) 22:20:07.49 .net
実際専門板よりも今は大手アフィブログが歴史や軍事ネタを記事にする
→コメント欄がその内容に興味ある人や詳しい人が集まって議論が始まる
この方が多い気がする
人が少なくてレスポンスの遅い専門板より盛り上がっちゃうんだよね、残念なことに

796 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/25(金) 19:18:11.48 .net
諸葛亮は天竺を目指すべき

797 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/25(金) 22:11:00.99 .net
>>794
司馬懿を抜けなくてやむなく持久戦になってるってのに
持久戦を続けてもジリ貧になるのは蜀でしょうに
いったいどんな根拠で長安まで行けるんだか

798 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/26(土) 01:00:46.02 .net
>>797
やむなく持久戦にしてるのは司馬懿
しかも持久戦にしてるのに武功水渡河作戦とか成功させられたし
その橋頭堡からの侵攻警戒して兵をあちこちに揺さぶれてて
援軍貰わないとやってらんない状況になってた

司馬懿と諸葛亮が決戦したら一方的な結果になるのは祁山の戦いで証明されてるから
決戦すれば諸葛亮が普通に勝つし諸葛亮死ななければジリ貧どころか
司馬懿どうなってたかさえわからない

799 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/26(土) 23:35:32.67 .net
(  ゚дメ)800

800 :無名武将@お腹せっぷく:2014/04/29(火) 05:48:02.18 .net
楽毅みたくブワーッといきたかったんすよ、ブワーッと。

801 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/05(月) 01:07:20.98 .net
司馬懿側には決戦にわざわざ出なきゃいけない理由はないわけだしそりゃ持久戦に持ち込むわな
呉がもっと粘ってたら良かったんだけどそのうち呉側に回してた魏軍精鋭も来るわけだし

802 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/05(月) 02:06:16.94 .net
>>801
司馬懿本人は決戦したがってた
皇帝が止めさせたけど

803 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/05(月) 02:48:02.46 .net
諸葛亮は、司馬懿が出撃の姿勢を示して上奏したこと自体、諸将の不満を和らげるためのポーズに過ぎないと語っている。

804 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/05(月) 07:30:22.19 .net
諸葛亮はそれで出てこないということわかってからそう読み取ったってだけで
実際のところは諸将が攻めたいのと同様に司馬懿も決戦を志向してる
曹叡側からは司馬懿に決戦は絶対にさせるべきでないとして相当強く戒めてる

805 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/05(月) 16:18:55.25 .net
呉は使い物にならんし曹叡はイヤな男だし
ことごとく運に見放されてる感あるわ

806 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/06(火) 03:44:44.59 .net
使い物にならん?
呉から見れば蜀は使い物にならんだ、お互い様だろうに。

イヤな男?
失敗はあれど、上司としてこれ以上ないくらい良い人物だろ

運に見放されてるってより、天機を見誤ってるだけ

807 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/06(火) 06:11:38.32 .net
孫権が撤退した後も西に向かわずに東方で慰労していたのだから
曹叡から見た司馬懿が本気で決戦を求めていたとは考えにくい。

808 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/06(火) 06:48:44.65 .net
それをやってるから決戦を戒めてるんだろ

809 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/10(土) 06:56:05.14 .net
司馬懿は速攻で片付けられるような相手だったら孟達や公孫淵のようにさっさと潰してるんじゃない?
急いで潰す必要はないとはいえ正面からやりあえば多少なりとも手こずる相手だから持久戦

810 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/10(土) 10:48:31.10 .net
てこずるどころかフルボッコにされた経験あるが

811 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/10(土) 11:39:28.98 .net
当時小学生だった私は笑いすぎてちょっと漏らした記憶がある。

812 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/10(土) 13:20:12.92 .net
大河ドラマ「森脇健児」

森脇健児:北村一輝
山田雅人:堤真一

森口博子:黒木瞳
中山秀征:佐藤浩市
ヒロミ:宇崎竜童

中居正広:中村勘三郎
木村拓哉:北大路欣也
香取慎吾:千葉真一
稲垣吾郎:松本幸四郎
草なぎ剛:田中邦衛
森且行:緒形拳

松本人志:江守徹
浜田雅功:石立鉄男
小川菜摘:白川由美

黒柳徹子:清川虹子
美輪明宏:西田敏行
大鶴義丹:唐十郎

吉田栄作:小林旭

タモリ:渡哲也

813 :クマッタ蛆虫:2014/05/11(日) 07:40:32.35 .net
^^^

814 :無名武将@お腹せっぷく:2014/05/25(日) 22:03:01.67 .net
>>798
諸葛亮の大勝を伝える『漢晋春秋』が事実より100年以上後なのが,
信憑性にどれだけの影響を与えるかによるが。

渭水の北岸と東岸を抑えていただけで,
曹魏側は十分に勝算を見出していたと思うのだけど

815 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/13(金) 15:44:09.13 .net
アンチがいくら悔しがっても
孔明は究極の勝ち組。

816 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/13(金) 21:23:28.74 .net
死せる孔明、生ける仲達を走らす

817 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/13(金) 23:48:02.91 .net
>>815
関羽や孔明のごく少数のアンチに対して、圧倒的大多数のファンが
現実世界での賞賛を用いてアンチの安っぽい批判を数で押し潰す
(アンチを相手にしない)
現代の中国の偉人英雄賞賛のやり方は惚れ惚れするな。
否定して排除しようとすれば余計にアンチは調子に乗るし
互角に渡り合えてるものと錯覚すらしかねないからな。
ネット世界の住人は関羽や孔明、趙雲アンチに優しすぎる。
捨てておけばいいのにちゃんと構うんだもの。

818 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 01:55:19.61 .net
そもそも問題は
正史と演義とその他創作etcがごっちゃになってるからじゃねーの?

どれも押さえてる上で演義もネタとして楽しめれば良いけど
横山やゲームとか三国志映画位しか知らんで蜀ツエーな奴が
余りにも多いから叩きたくもなる→アンチ乙になる訳で…

819 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 06:55:23.62 .net
孔明は戦は演技や漫画で描かれてるほど得意ではない、
ならわかるんだけど。
孔明が戦下手はないよなあ。

820 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 11:09:48.63 .net
孔明は戦は普通に上手い。

821 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 11:25:58.09 .net
てか、正史が史実として絶対的な立場を今でも堅持している…
という勘違いがごく一部の正史オタの中で一人歩きしてるんだろ。

三国志の常識として世の中に定着した演義を否定すれば
そりゃ、排除されるのも当然。
余りにも多いというか、絶対的な流れに逆らってるから
そう思うだけだよ。
強いから有名になって一流として扱われる。
無名の一流なんてもんはそもそも存在しない。
どんな世界でも実力があれば必ず有名になる。

ただし、有名になることを本人が拒めばそういう人間は
知る人ぞ知る「無名の一流」となる。
しかし、正史にはそんな側面はないだろう。

諸葛亮、関羽、張飛、趙雲らは三国志が語られていく上で
時代ごとの常識の波に飲まれず、それを乗り越えゆき
現代まで辿り付いた三国志の一流名将。

民衆すれば演義のような分かりやすいテキストが提供されれば
正史なんて学ぶ意味がないし「学ぶ」ほどの価値もない。
国家としても、民衆支持を得るために自分達も率先して
演義好きになり称揚することはメリットだらけでそれを拒む理由は
どこにもない。

三国演義が三国志の史実としても優秀であったこともあって
分かりにくい正史は史実から降ろされたんだろ。
歴史書であることは変わりないが、いつまでもそんなもので
一般人は歴史を学んだりはしない。

三国時代を語るにおいて、正史の存在そのものを過剰評価しすぎ。
現代では既に風化して語る意味のなくなった古代人の主観だけでみた
三国時代に過ぎないもの。

822 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 11:55:36.82 .net
演義ってそもそも適当じゃないからな。
正史でのイメージを膨らませても嘘は言ってない。
正史の時代は圧倒的強さのキャッチコピー的な万人敵などのワードを
まんまの形で表現したものが演義というだけ。
現に三国時代に関羽を超えるほどの豪傑はいなかった。
正史時代のナンバーワン豪傑が、時代の流れと共に尾びれがつき
それを集約したのが三国演義。
孔明にしたって、傑出した政治家であることは正史の通りだし
武廟では十哲入りするほどの名将。
戦下手なんていわれてもね。局地的な小競り合いでの勝ち負けなんて
幾ら勝とうが、負けようが将器を図る物差しにはならんよ。

823 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 12:12:40.42 .net
曹真は雑魚じゃなかったんやー!←めんどくせえ。

ウンザリが過ぎる絵だな。

824 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 12:32:10.24 .net
その曹真に勝った孔明は十分戦上手

825 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 12:41:31.60 .net
中英の三国志二十四選とか異次元過ぎてよくわからん。
自分の妄想だけでよくも結論を導き出せるもんだな。
しかも、その妄想に妄想でつきあえる奴までいる。
正史オタの思考がよめぬ。

826 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 13:35:25.33 .net
応変の才はなかったんだろうか

827 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 14:00:59.37 .net
正攻法を好んだんだろ。あくまでも負けない、国を滅ぼさないために。

828 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 14:01:28.59 .net
稲城市立向陽台小学校評判Y子(百村)
http://i.imgur.com/xic8a6N.jpg
東京電機大学中学校評判TDU評判
http://i.imgur.com/xic8a6N.jpg
稲城サッカースポーツ少年団評判稲城SSS評判
http://i.imgur.com/xic8a6N.jpg

829 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 14:16:37.24 .net
>>828
なにこれ?キモいな。

830 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 15:47:28.48 .net
このスレに魏延がいるような気がする。

831 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 17:58:54.31 .net
>>821
長い

演義は中国人お得意の歴史創作が過分に含まれてるからな?
正史が書かれた時もお上の目の色を気にしながらだから事実無根の箇所も多いが
演義はあくまでもエンターテイメントと思っていた方が良い

832 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 18:09:50.03 .net
>正史が書かれた時もお上の目の色を気にしながらだから事実無根の箇所も多いが

それ以外にも、同郷だからという理由で趙雲を良く描いたりしたんでしょ?

833 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 18:18:05.81 .net
正史厨と演義厨の間に深い溝がある事は分かった

ついでに聞きたいんだけど演義で「忘年の交わり」ってあるじゃろ
年離れてるけどうんぬんってやつ
でも実際あの二将ってほぼ同年代じゃん?
それって演義厨には
>正史でのイメージは膨らませても嘘は言ってない
って事に脳内処理されんの?
そんで正史厨的にそれはどうなの?

834 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 20:07:08.92 .net
僕は大阪市内の一人暮らしです。
身長180 体重66 40才です。

835 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 20:46:46.66 .net
俺考察をさも正史に書かれてるように喚き立てる奴が多くてなぁ

836 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 20:53:17.99 .net
日本の三国志オタクが勝手に捏造して自分達で身勝手な三国史観を作り
それに酔って暴走してるだけのものが多い。
三国志以外は何も見ようとしないから、三国時代を広域的に俯瞰して
見ることが出来てないし、しようともしない。
関羽や諸葛亮の大きさに嫉妬して見なければならないものを見てない
口先だけの三国志オタクが増えた。
正史と演義は本来、そこまでの差がないもの。
大きな違いはないが小さな違いはある程度。

837 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:00:57.70 .net
>>834
で?

838 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:03:34.70 .net
演義は「事実(正史の記述)を基にしたフィクション」
それ以上でもそれ以下でもない

面白いのは演義登場以降(特に近代は)三国志に題を採った作品がほぼ全て創作である演義の二次創作ということ
その点で正史からの創作にチャレンジした蒼天は(内容の是非は別として)評価できる
無論蒼天にも演義から採っているネタもあるが

839 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:04:38.30 .net
ちゃんと正史を読んでない正史厨はよく見かけるけど演義厨なんてどこにいるの?

840 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:12:39.26 .net
そういうのは演義のここが許せないスレででもやってろ
ここで孔明は戦下手!に反発してる奴って別に演義準拠で語ってる訳でもあるまいに

841 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:13:26.26 .net
正史の諸葛亮 本田圭介
演義の諸葛亮 大空翼

みたいなもんだからな。
超大物であることは変わりない。
ニュアンスは違うが。

842 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:39:36.89 ID:3VzxSmyJo
演義厨なんていないよ
演義がリアルな出来事と思っているのはアホな関羽厨だけだよ

843 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 21:52:22.88 .net
戦の神ではない→戦下手
っていう風に両極端な考えしか出来ないんだろうね。

844 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 22:13:14.49 .net
功績が多いってのは単に勝てる見込みのある戦しか
やってこなかっただけってのもあるからなあ。
属する勢力に恵まれてたってのもあるだろうけども。
弱小国の蜀にいれば諸葛亮の戦での功績が少ないのは
寧ろ、自然なことだと思う。
戦上手か下手かとは違う。

845 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 22:23:46.71 .net
>>835
ひょっとしてそれはギャクで言っているのか?

846 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 22:27:42.39 .net
>>838
蒼天は三国志というよりは水滸伝的なノリだな。
義侠であることをとにかく重要視した破天荒でぶっ飛んだ男伊達に
満ちた快作だった。

847 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 22:34:31.02 .net
>>845
ギャグでもなんでもない
正史ガーと喚く奴に限ってそんな事正史のどこに書いてあるの?って事を声高に喚く輩がホント多い
最初にこれは俺の想像だけど〜と断り入れてほしいわ

848 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/14(土) 22:35:31.38 .net
蒼天とか単なるGONTAワールドでしかないからなぁ

849 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/15(日) 05:12:30.91 .net
>>846
遊侠に馴染みのない日本で水滸伝はあまり人気ないのに
なぜ蒼天は人気出たのか。

850 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/15(日) 20:51:19.35 .net
通ぶるバカの常套
「孔明は戦下手」
「曹操は演技や吉川三国志で不当に悪く描かれている。」

851 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 00:39:58.92 .net
実際演義で盛りが酷いのは諸葛亮よりも姜維と趙雲

852 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 02:28:19.00 .net
正史も作った王朝の正当性を表す書物ってだけだから勝てば官軍と正しくない部分も多そうだけど現在となっては確認のしようがないんだよなぁ

853 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 08:24:38.44 .net
>>851
趙雲は正史でも既に盛りが酷いんじゃ?
陳寿と同郷だったから。

854 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 09:21:25.89 .net
>>853
正史より信頼度の高い一次資料がないからそれは確認のしようがないな
確かに別伝には不自然なところが多々見受けられるけど

855 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 09:25:28.39 .net
正史で盛られ演技で盛られ、さらに吉川や横山で盛られ、
日本では大抵趙雲は人気ベスト3入りする結果となった。
(他の二人はたぶん曹操と孔明)

856 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 12:50:08.72 .net
三国志関連の人物で
日本で単体で伝記漫画になってるのは孔明だけ。

857 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 13:33:05.78 .net
↓のスレ立てたやつって、ここで論破され叩き出されたやつだろうなw

なぜ諸葛亮孔明は期待外れだったのか?
http://maguro.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1402890734/

858 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 14:09:12.74 .net
 彡 ⌒ ミ
 ( ,_´ゞ`)
 l r  Y i|   
 U__|:_|j
   | | |

859 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 14:17:32.44 .net
あなたに今夜はワインをふりかけて

860 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 17:21:26.23 .net
ワインといえば
孟達の父だか祖父がワインを賄賂に贈ったことがあるんだよな。

861 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 20:18:13.98 .net
>>857のスレが悲惨w

862 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 20:55:51.11 .net
>>852
確認のしようがないから、確固たる正統性を示せずに
演義に史実の立場を奪われた皮肉。

863 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/16(月) 23:13:14.95 .net
演義の創作した人物というと周倉や貂蝉ぐらい?

864 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 00:47:11.58 .net
孟獲以外の南蛮勢とか虎牢関で呂布に斬られた武安国以下三名とか

865 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 01:32:07.96 .net
端役ならもっといる
ぱっと思いつくのでも

関羽が斬ったの五関六将
夏侯恩・夏侯蘭ら長坂坡で死んだ魏将
荊州四郡で死んだ邢道栄ら
趙雲と一騎打ちして親子共々死んだ韓徳とその4人の息子
など

関張趙が一騎打ちで殺した将の半分は創作

866 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 06:12:08.97 .net
>>865
『北斗の拳』でいうモヒカン男たちのような位置づけの連中か。

867 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 07:32:24.05 .net
■白髪を何本か見つけたときの対処法

(1)根元から切る

白髪を見つけたら、ハサミを使って根元から切りましょう。
後頭部のような自分ではうまく切れないところに見つけたときは、
家族や美容師さんに頼むといいですよ。

868 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 08:33:42.22 .net
>>1
中二病みたいなもの。

869 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 17:21:43.00 .net
中国の楠木正成

870 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 18:32:07.61 .net
>>853
陳寿のは別伝抜きだ、あほ。
別伝入れたのは裴松之。

871 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 18:40:25.29 .net
そういや、趙雲は常山郡出身、裴松之は河東郡出身なのになんでそんな説が出たんだろう?

872 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 19:57:33.56 .net
秀吉が竹中半兵衛をスカウトするために何度も栗原山に足を運んだエピソードは
絶対三顧の礼の流用だと思う。

873 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 20:55:36.96 .net
竹中半兵衛の存在自体が孔明をモデルにしていると思う。

874 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 22:13:03.85 .net
孔明が戦下手なら三国志で一体誰が戦上手なのかと。

875 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/17(火) 23:53:31.71 .net
>>866
いやいや、スペードやダイヤくらいの位置づけですよ?
ハートさまクラスはいませんけど

876 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 06:14:48.91 .net
上のほうで出ているが
孔明と仲達はあざ名で呼ばれることが多い。
ライバル同士合わせているのかな。

877 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 06:43:48.58 .net
死せる孔明、生ける仲達を走らすの言葉の影響も大きいと思う。

878 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 08:25:24.95 .net
孔明は戦下手ではないよ。

879 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 08:49:24.96 .net
神軍師ではない

880 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 12:47:24.27 .net
荒砂春日

881 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 16:27:51.94 .net
東南の風を予測したのは孔明ではない。

882 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 18:36:30.35 .net
_
      |O\
      |   \ キリキリ
    ∧|∧   \ キリキリ
ググゥ>(;⌒ヽ    \
    ∪  |     (~)
     ∪∪   γ´⌒`ヽ
     ) )    {i:i:i:i:i:i:i:i:}
     ( (    ( ´・ω・)、
           (O ⌒ )O
            ⊂_)∪

883 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 21:33:43.55 .net
苦肉の策が「苦し紛れの策」みたいに使われているのは何とも・・・

884 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/18(水) 23:09:23.77 .net
>>882
?

885 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 02:15:59.40 .net
前から思ってるんだけどさ

演義もよく読むと、孔明って、「軍を率いる」描写はあまり描いてないんだよね。劉備の生前は。

孔明が超絶名将っていう評価は、演義そのものよりそれから派生した創作物の影響のほうが強いのではと思う。

886 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 02:19:48.92 .net
演義の諸葛亮は「謀を帷幄のなかにめぐらし、千里の外に勝利を決した」という張良のイメージでしょう

887 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 03:06:46.88 .net
>>1
史実での孔明は奇略を駆使する天才軍師では無いけど
王道の戦略戦術を
完全にでは無いが大体ぬかり無くこなす事が出来ると言えるな
戦下手では無く軍事でもかなりの実力の持ち主と言える

888 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 03:22:45.93 .net
>>886
張良じゃなくて劉基だね。演義諸葛亮のモデルは。

どちらにせよ自分で軍を率いるタイプではないけれども。

演義の風評被害?は諸葛亮にもある。

・とにかく性格が悪い。陰湿。
例)関羽が曹操を殺せないとしっていながら行かせて、帰ってきたら斬れと言っている。
例)手紙などで相手を罵り、殺すなど品位がない。
例)間接的に親しい友人をバカにする(「お前なら州牧くらいにはなれるだろう。俺は管仲ですけどwww」)

・有力な同僚を「反骨」などと呼び殺そうとし、失敗すると人のせいにする。対話能力がない。
正史で諸葛亮”が”魏延を嫌っていた、殺そうとしたなどという記載は一切ないのに、そう思われている。
同様に、 周瑜とも話し合いをせず、罵って殺したり、魯粛をパシりのようにして小馬鹿にしている。

・「息子がバカなら皇帝になれ」→演義では劉禅がバカだったのにならなかった。劉備の言葉に背いている。

・異民族大虐殺。

・益州出身者にも配慮して、統治していたのに、李厳を殺そうとしたり(演義では費イが止めている)、単なる独裁者として君臨している。

・北伐に際し、演義ではかなり有能な将である趙雲を「あんた年でしょ。」といって居留守にしようとしている。自分の競争者を作りたくないと読める。

・コーエーのゲームなどではビームを撃つ、風を操るなど人間扱いされていないうえに、上記の陰湿さ、負け惜しみなどが継承されているため、非常に不快なキャラになっている。


特に魏延問題は深刻で、魏延好きに諸葛亮が憎まれているのは大方演義のせいだと言える。

889 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 03:33:24.42 .net
>>888蜀書に描かれる誠実な宰相である諸葛亮像に相反する諸葛亮だもんな演義のは

890 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 04:32:50.82 .net
魏延好きって正史だけだったらあんな熱狂的な信者じみたのはいなかったと思うよ
ある意味あの変な人気は演義のおかげと言っていい
大体の奴が魏延を持ち上げるきっかけが演義の酷い扱いガーから始まってるからね

891 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 05:09:15.70 .net
まぁ魏延の件については、陳寿の言うとおりでしょう。
この件で孔明に責められるべき点があるとしたら、魏延が反発することがわかっていながら楊儀に撤退を指揮させたことくらい。
楊儀もイカれてるヤツだったかもしれないが、魏延の日ごろの言動にも問題があったってだけ。
魏延の武勲のほとんどが孔明政権になってからなのだから、孔明は魏延をよく使っていたし、その件で、「人を見る目がないと責めるのは酷だ。
ダメな登山家の件は擁護のしようがないが、魏延の件については、孔明は冤罪だ。
演義とごっちゃにして責めるのはお門違いもいいとこ。

892 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 05:35:18.12 .net
よく見る「諸葛亮は人を見る目がない」説への回等

1.登山家に登山させてしまった。
→ミスです。

2.魏延を干していた。
→演義のフィクションです。

3.姜維を後継者に指名した。
→演義のフィクションです。(高い評価はしていたようですが)
また、姜維も演義の反動で叩かれすぎている人物です。無能者ではないでしょう。

4.楊儀なんか使うな
→楊儀は劉備や関羽を経由している人物です。人格はともかく能力はあった可能性があります。

5.李バクをかばって後にざまぁwされた件
→あんなのでも使わざるをえなかったのです。

6.出師の表で出てくる郭攸之とか向寵って無能って聞いたけど?
→郭攸之が無能だというのはリョウ立が一方的に言っているだけです。どういう人かわからないのが実体です。
向寵は劉備の近衛兵を無傷で守ったという記述があるのと、異民族戦で死んだとしかありません。蜀将は重要人物(高翔、呉班、陳式等)も記録が少ないので評価のしようがありません。

7.李厳を干していた
→「まわりが怪しむくらい気を使っていた」と諸葛亮が自白しています。

8.蒋?って能力あったの?出身地によるひいきじゃね?
→諸葛亮という独裁者亡き後、叛乱も起こさせず、よくまとめたという評価が一般的です。

9.奥さんブスで、息子は馬鹿じゃん
→奥さんについてはブスなのは演義のフィクションです。息子については本人の責任です。

10.そもそも劉備に仕えたのが間違いでは?
→諸葛亮が後世、高く評価されたのは能力からだけでなく、劉備・劉禅父子への忠義、為政者としての姿勢からです。
もし、諸葛亮が、劉備(蜀)に、仕えなかったら弱い陣営を必死に支えたという評価はなかったでしょう。
そして、もうしそうだったら、「三国志」自体がここまで日本で人気にならなかったことも考えられます。

893 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 06:12:28.87 .net
Q:孔明は戦下手ですか?○○とどっちが強いですか?

A:人間の能力はゲームのように簡単に数値化できるものではないです。

諸葛亮が同時代や死後にどう評価されたのかは自分で調べてください。その上で、正史を読んで判断してください。



これも追加で。

894 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 06:14:43.28 .net
戦下手か否かは結構はっきり分かる事だぞ
まあ成長もあるしその時々で変わるが

895 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 06:16:22.99 .net
事跡的には演義の孔明は正史とは結構違うけど
正史の劉備に仕える前の孔明の事を考えると
イメージ的にはかけ離れているというほどでも無い

896 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 07:15:15.86 .net
>>890
魏延好きって
魏延が好きなわけではなくアンチ孔明の人が持ち上げてるだけじゃないの?

897 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 07:37:07.83 .net
「惇や姜維は、戦下手か?」のほうが盛り上がりそうだが。
それでもこれだけレスついているのみるとみんな孔明好きなんだなと思う。

898 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 08:01:13.22 .net
巨人とかアメリカと同様、
存在感が大きいからファンもアンチも多いというパターンだろうな。

899 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 08:53:34.80 .net
6 :無名武将@お腹せっぷく:2013/04/22(月) 14:33:46.41
>>3
取り合えず、「孔明 戦下手」でググると30,5000件もヒット。
それ以前に「孔明」と打ち込んだ時点で「戦下手」が出てくる。
そういう風潮があるのは間違いないかと。

900 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 09:12:18.74 .net
多くの人と違う意見を言ってみたくなる人はどこでもいるんだよ。

901 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 18:41:19.56 .net
中二病みたいなもの

902 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 20:02:35.56 .net
>>119
>馬謖なんぞを第一次で重要なポジションにつけるのは大将としての器量不足

なら誰を使えば良かったのかって話になる。
それだけ蜀は人材不足だったんだよ。孔明の責任ではない。

903 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 20:25:53.08 .net
なら勝手に選んでおいて、貴重な人材がミスを犯して
勝手に死罪にするとかありえねーから
人材に乏しかったら死罪を免じ許してやってもよかったし
死罪にするなら人材が乏しかったとは言いにくいし
諸葛亮の一存で国家が揺らいだのは事実

904 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 22:56:41.17 .net
>>902
呉懿や魏延
諸将の推挙を聞き入れず失敗した人事なんですよ?

905 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/19(木) 23:23:57.13 .net
劉備の忠告も無視していたんだなw
「馬謖は口先だけの男であるから、くれぐれも重要なことを任せてはならない」という
臨終時の忠告を。

906 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 00:16:46.54 .net
諸葛亮の統率は劉備以下で決定

907 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 00:48:44.63 .net
それ統率の領分か?
まぁ人を見る目なんてのは蒋エンの件もあるように一定じゃないからな

908 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 01:10:32.50 .net
>>906
統率というより人を見る目だろ

909 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 02:44:12.16 .net
無双の孔明が嫌いすぎて辛いです。
コーエーは孔明アンチなんでしょうか?

910 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:10:59.97 .net
正史要素を採用し出したにも関わらず魏延との不快な関係が演義以上にエスカレートしてる辺り確信犯でしょ

911 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:22:16.53 .net
>>910
あれ、正史要素っていうのか?
ラノベかなんかにしか見えないが。

912 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:22:36.25 .net
肥はシミュでは演義準拠にしてた一方で昔から蜀自体好きじゃない感じな本(ただし趙雲は除く)を出しまくってたからなぁ…

913 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:26:24.65 .net
>>911
正史に書いてある一要素を都合良く抜き出して肥史観とラノベ風味で味付けって感じ

914 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:45:40.73 .net
>>905
>「馬謖は口先だけの男であるから」

口先だけの軽い男に取り込まれるって、孔明って初心だったんだね。
友達少なかったみたいだし、無理ないか。

馬謖がほんとに逃亡したんだとしたら(部隊が壊走して逃げたんだとは思うけど)
家族を養ってやってるのは筋が通らないね。

馬謖は口だけ、姜維はアホの子、魏延は傲慢、劉禅はそまりやすい、
孔明の周囲って、面白い人多いね。

915 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:49:18.54 .net
姜維はアホではない。

916 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 03:58:53.96 .net
>>915
「明晰な判断ができず身の破滅を招いた」んだからアホの子だよ
むしろ、孫休と並んで頭のいい馬鹿かもしれないけど

917 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 06:18:56.63 .net
生ごみに沸いた蛆虫の巣窟

918 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 06:42:19.95 .net
>馬謖は口だけ、姜維はアホの子、魏延は傲慢、劉禅はそまりやすい、
>孔明の周囲って、面白い人多いね。

ようするに蜀は人材難ってことじゃんw

919 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 07:14:47.91 .net
愛菜ごみ

920 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 07:35:56.80 .net
>>919
?

921 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 16:19:35.79 .net
>>914
>馬謖は口だけ、姜維はアホの子、魏延は傲慢、劉禅はそまりやすい、
>孔明の周囲って、面白い人多いね。


孔明の周囲と言う意味で一番重要な楊儀はどうよ?

922 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 18:06:34.23 .net
高翔でよかった

923 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 19:34:54.89 .net
王平でよかったんじゃない?

924 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 20:54:29.32 .net
王平は横柄だからダメ

925 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 21:18:14.44 .net
酒を飲んで仕事をサボってた蒋エン、遊び大好きな費イ、偏狭な王平、口だけ馬謖、傲慢な魏延、うぬぼれ屋で陰湿な楊儀、驕慢で人付き合いの下手なケ芝
劉備時代に劣らず諸葛亮時代も問題児だらけだよね

926 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 21:32:01.84 .net
>>925
それだけ人材不足だった蜀を率いて少なくともボロ負けしなかった孔明。
やはり戦下手ではない。

927 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 21:39:14.08 .net
>>925
なんか蜀の北伐の映画(孔明主役)とか頭よぎっちまった。
絵にしたら面白そうだな

928 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/20(金) 22:53:42.49 .net
>酒を飲んで仕事をサボってた蒋エン

ホウ統先生を見習っていたわけか。

929 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 00:32:15.97 .net
他のは兎も角、遊び好きでも仕事を滞らせたわけでないから
その中に費イを入れるのは言いがかりの何物でもない

930 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 05:57:32.92 .net
ヒィ〜

931 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 07:12:31.70 .net
バナナ2本をご飯にのせてマヨネーズかけて食べる
バナマヨ丼というものが大好きらしい

932 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 07:19:24.15 .net
>>931
孔明が?

933 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 08:11:11.94 .net
マヨネーズは甘さを消すためらしい

934 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 09:15:52.62 .net
孔明は甘さが苦手なんだね

935 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 09:35:21.58 .net
四川料理は大好物だったんだろうなあ

936 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 10:13:40.96 .net
爆笑三国志は辛い料理がイヤで中原を目指したとか言ってたなぁw
まぁ当時は唐辛子が無かったし孟達が肉に飴やら蜜かけてたらしいから当時から四川の食事=辛いかは…

937 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 11:56:19.09 .net
>>936
あったあったw
五丈原で魏延が駆け込んできて蝋燭を倒してしまった話も
実はその時孔明はケーキを食べていて、ケーキの上の蝋燭を倒されたから怒ったとかw

938 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 13:12:59.58 .net
孔明が劉禅が皇帝の器に相応しくないにも関わらず自分が皇帝にならなかったのは、
皇帝になんてなったら成都に留まって毎日辛い料理を食べなくてはならなくなるからw

939 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 14:09:57.59 .net
甘い物に詳しい姜維を優遇し辛い物好きな馬謖は粛清w

940 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 15:29:25.59 .net
ten don

941 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 16:05:41.04 .net
>>936
生姜は当時から四川で名産品だったようだけどね。

942 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 16:37:32.94 .net
>>928
演義と違って史実のホウ統は仕事はサボっていないし、酒も飲んでなかった
県令の仕事を滞らせて首になっただけ

大きい企画はできるけど、ハードワークはできないタイプだったんだろう

943 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 17:11:46.98 .net
ホウ統は無能な働き者の逆のタイプか

944 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 17:57:07.47 .net
>>942
地味でもっさりしていたから罷免されたんじゃないんだな

945 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 18:12:45.55 .net
山本勘介が風采が上がらないがために今川への仕官を断られたって話、
ホウ統と孫権のそれの流用だね。

946 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 19:43:04.49 .net
yasei no saru

947 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 22:30:55.99 .net
孔明はなぜ夷陵の戦いの時
「法正が生きていれば止められたのになあ」
と言ったのだ。
孔明よりも法正のほうが劉備に対する発言力が強かったのか?

948 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 22:33:48.41 .net
荒らしをする馬鹿は実生活が充実してないんだろうな
誰からもまともに相手にされずに生きてきたんだろうな
図星だろ

949 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 23:08:49.30 .net
>>948
具体的に何番に対して言ってるの?

950 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 23:16:16.52 .net
>>947
そりゃ法正は蜀取りの内通者の主犯で当時、蜀に生存する唯一の人物
さらに漢中取りの立役者でもある
大げさに言えば皇帝になれたのも彼のおかげって言える
いくら恩知らずに定評のある劉備でも、その功績は無視できんだろ

951 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 23:31:53.84 .net
>>947
少なくとも単純に軍才云々から来た発言とは違うんじゃないかと思う

952 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/21(土) 23:34:50.28 .net
>>950
功績的に法正>諸葛亮だったの?
諸葛亮が自分では無理でも法正なら出来ただろうにと嘆いたということは。

953 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 00:11:00.82 .net
>>952
法正の功績は間違いなく軍内トップ
関羽や張飛にすら諡号を与えなかった劉備が唯一諡号を与えた人物であり、何よりも法の厳格さを第一に考えていた諸葛亮がその功績の大きさ故に罪を罰することが出来なかった人物でもある

954 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 00:52:30.73 .net
「ああ、法正が生きていれば魏を滅ぼせたのになあ」

955 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 01:39:55.14 .net
諸葛亮、ホウ統、法正の三者が健在であれば

956 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 04:50:23.87 .net
>>947軍事関係だけでいえば法正の参謀としての力は蜀で一番
それ+法正は劉備にした献言をほとんど却下された事がない
諸葛亮とホウ統はあるのに

957 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 07:10:52.63 .net
曹操にとっての荀ケ・郭嘉が劉備にとっての諸葛亮・法正みたいな感じかな?

958 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 08:10:35.40 .net
>>957だいたい、そんな感じ
ホウ統は荀攸あたりのポジションかな

959 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 08:14:13.31 .net
>>958
荀攸さん、舐めたらあかんよ。
総合力で言ったら荀攸>荀ケ・郭嘉くらいはある。

960 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 09:32:14.83 .net
程cは蜀でいったら誰?

961 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 10:02:11.33 .net
その手のポジション当てはめ嫌い

962 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 10:05:58.66 .net
>>957
郭嘉、法正共に
「○○が生きていればこんなことにならなかったのに」
と言われたことがあるところも同じだね。

963 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 10:10:24.09 .net
陳寿曰く「魏臣に当てはめれば程c・郭嘉に比類する。」だそうだが

964 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 11:43:38.61 .net
>>963
誰のこと?

965 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 12:07:10.69 .net
秦密

966 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 12:10:26.73 .net
>>963
孔明のこと?

967 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 12:15:52.79 .net
>>964
あぁすまん、法正のことな

蜀書の&#x9f90;統法正伝の最後に
儗之魏臣 統其荀ケ之仲叔 正其程郭之儔儷邪
[これらを魏臣に准えるなら (&#x9f90;)統は荀ケの兄弟(のようなもの) (法)正は程(&#x6631;)郭(嘉)の類であろうか]

という評があるんだ

968 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 12:20:24.12 .net
うおっと文字コードミスってら
ブラウザのプレビューだとちゃんと表示されてたんだが…

>儗之魏臣 統其荀ケ之仲叔 正其程郭之儔儷邪
>[これらを魏臣に准えるなら (ホウ)統は荀ケの兄弟(のようなもの) (法)正は程(イク)郭(嘉)の類であろうか]

969 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 15:19:12.32 .net
ホウ統が文字化けして(&#x9f90;)統になってるのって時々見るな。

970 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 17:08:16.77 .net
ホウ統か法正が生きていたら彼等が北伐軍を率い、
諸葛亮は成都に留まって内政にいそしんでいたのかな。

971 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 18:45:18.43 .net
>>970法正は軍兵を統率する力があるとは思わないな
ホウ統は可能性がありそう

972 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 18:49:31.07 .net
実際劉備の蜀侵攻時は孔明が荊州に残り、ホウ統が従軍したからな。
もっとも自分がトップで統率するのとは全然別物だろうが。

973 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 20:32:24.05 .net
諸葛亮が指揮し、法正が軍略を担当するのが一番いい。
いざ戦闘となった時の諸葛亮は凄まじく有能。

974 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 23:05:54.53 .net
>>973
ホウ統はどうする?

975 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 23:25:31.08 .net
孔明は戦下手ではないがFA

976 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 23:43:45.30 .net
ホウ統、法正、黄権みんな蜀に残ったら良かったのに

977 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/22(日) 23:51:43.90 .net
ホウ徳が馬超と一緒に蜀に来れていれば良かったのに

978 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 01:09:54.50 .net
>>977
その人材がいても劉備は使いこなせなていたとは言えないからな
よしんば生存していても、孔明にも使いこなせなかっただろう
器量不足という意味でなく、格差のない同僚故に

979 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 01:24:50.58 .net
>>975
戦上手でもないがFA

980 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 08:01:53.45 .net
>>978

>>976の間違いでは?

981 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 08:52:01.03 .net
>>979
何故?

982 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 09:23:05.38 .net
孔明は戦上手

983 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 15:25:40.76 .net
ホウ統の実力は未知数

984 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 16:35:08.81 .net
>>979
演技で描かれているほどは戦上手じゃないがFA

985 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 16:44:04.78 .net
諸葛亮が魏に仕えて能力を発揮していたら、陳羣や司馬懿でも対抗できなかっただろう

986 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 17:49:48.28 .net
>>985
その通り。
逆に司馬懿が諸葛亮の条件で蜀に仕えていたら
蜀の滅亡は史実より早まっただろう。

987 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 18:55:56.55 .net
田豫が蜀に来てくれてたらなあ

988 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 19:50:54.88 .net
孔明はあの悪条件でよく戦ったよ。

989 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 20:57:23.44 .net
孔明が魏に仕えていたら曹叡の代で天下統一していただろう

990 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 21:47:22.11 .net
つうか孔明が劉備に仕えてなかったら、曹操の代で中国統一できてる
周ユが赤壁で勝っても、呉だけだと耐えきる事はできなさそう

991 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 22:38:21.71 .net
司馬懿「先鋒はお前に任せる」
馬謖「はっ!」

敗戦

馬謖「死んでお詫びします」
司馬懿「死ななくていいからしっかりやれ馬鹿っ!」

五丈原で対峙
司馬懿「諸葛亮、逝ったか」「一気に長安まで攻めるぞっ!」
「おのれ諸葛亮・・・」

司馬懿仲達、泣いて馬謖を斬る
はない
死せる孔明、生ける仲達を走らす
はある

992 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 22:44:30.32 .net
馬謖は許されたらまた同じようなポカをやりそうな・・・

993 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 22:44:31.30 .net
>>991正直、司馬懿が諸葛亮の立場なら劉備死後の蜀を立て直せるとは思えない
能力だけでなく性格的にも司馬懿はあっさり魏に降服しそう
というか劉備に仕えるとも思えない

994 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 23:37:05.49 .net
結論、孔明は戦下手ではない。断じて。

995 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/23(月) 23:53:40.75 .net
結論、孔明は三国志の英雄。

996 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/24(火) 00:13:51.61 .net
孔明は日本で一番人気のある中国人(香港除く)

997 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/24(火) 07:23:32.49 .net
孔明は戦上手

998 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/24(火) 07:47:18.78 .net
>>996
台湾ならいっぱいいるぞ
テレサ・テンとか

999 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/24(火) 07:52:22.68 .net
孔明は偉大

1000 :無名武将@お腹せっぷく:2014/06/24(火) 08:11:31.25 .net
1000なら孔明は戦の天才

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
2ch.netからのレス数が1000に到達しました。

総レス数 1001
381 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200