山崎珠美ちゃん選手
1 :fusianaasan :2012/07/24(火) 20:54:49.05 ID:OMc99IYL.net 無いので建ててみました 可愛いなこの子大好きだぜ 福見選手だけ許さねえぞ
2 :fusianaasan :2012/07/24(火) 22:13:36.47 ID:OMc99IYL.net 可愛いな女子で岡本理帆選手の次に大好きだ 福見選手なんかより大好きだ
3 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/24(火) 23:18:12.54 ID:rdqQFEB+.net お前が一番好きなのは浅見じゃないのかよ 山崎は山梨学院大学だから浅見の後輩になるけどな
4 :fusianaasan :2012/07/25(水) 19:47:10.34 ID:wjbOfzv8.net まあ好きだけど浅見選手も
5 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/07/26(木) 01:25:47.37 ID:/E95whlY.net この階級は次から次へと有望選手が出てくるな
6 :fusianaasan :2012/07/26(木) 20:07:07.36 ID:9dWZLjLm.net 可愛い大好きだ
7 :fusianaasan :2012/07/28(土) 19:42:28.26 ID:yBNG8pSt.net 可愛いな大好きだ 福見選手よりも大好きだなオレ 書き込みお願い
8 :fusianaasan :2012/07/29(日) 10:34:29.61 ID:4kilMu65.net 良かったな嬉しいぜオレ福見選手がメダル無しで終わってくれてよ
9 :(^-^)/ :2012/08/24(金) 07:08:49.41 ID:i4Z93MMi.net 福見さんの努力も称えてやれよ 彼女だってオリンピックでるために普通以上の努力したんだから 彼女がどんだけメンタルにきてたか思うと心が痛む
10 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/08(土) 22:27:12.70 ID:MHrare3E.net ジュニアの試合で岡本に残り3秒の大内刈で有効を取られて負けたようだな 去年のこの大会で衝撃的なデビューを飾ったわけだが、岡本に2連覇を阻まれた
11 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/10(月) 20:53:08.03 ID:usE8s0hI.net 柔道全日本ジュニア選手権最終日は9日、埼玉県武道館で行われ、女子78キロ超級で 15歳の高校1年生・朝比奈沙羅(渋谷教育学園渋谷)が初優勝。今春の東大合格者16人 という進学校で医学部進学を目指すホープは、16年リオ五輪代表に意欲を見せた。 同70キロ級は長内香月(17=高岡龍谷高1年)、同78キロ級は梅木真美(17=阿蘇中央高3年)が それぞれ連覇。男子100キロ超級は今年4月の全日本選手権に出場した飯田健伍(18=山梨学院大1年)が 制した。 決勝は最大のライバル橋本から払い腰で技ありを奪い、決着。朝比奈は「決勝はポイントを取れて良かったけど、 それ以外は全然ダメだった」と苦笑いを浮かべた。今年4月、体重無差別の全日本女子選手権で3位入賞。 階級の中では機敏な動きが光るが、本来125キロ前後の体重が130キロまで増えており「夏で水分とか 取りすぎて…。腰が回らなかった」と反省した。それでも医学部進学を目指し毎日最低2時間は机につくという 15歳は「リオは最初で最後の五輪挑戦。自分に負けないように頑張りたい」と気持ちを切り替えた。 柔道全日本ジュニア:医学部目指すホープ朝比奈が初V http://mainichi.jp/sponichi/news/20120910spn00m050008000c.html
12 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/12(水) 19:58:01.39 ID:iGkem9yZ.net 柔道・全日本ジュニア体重別選手権最終日(9日、埼玉県立武道館)女子78キロ超級の朝比奈は 「おなか回りに肉がついちゃって、横の動きが鈍かった」と苦笑いしたが、175センチ、130キロの 堂々たる体格で4試合を勝ち抜いた。 4月の全日本女子選手権で4強入りし、リオデジャネイロ五輪の星に一躍名乗りを上げた。学業成績も 優秀で最終的な夢は外科医になること。毎日2時間は机に向かっており「医学部に入りたいので、 五輪はリオが最初で最後。自分の柔道で観客を魅了できれば最高だと思う」と文武両道を誓った。 朝比奈、文武両道を誓う/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20120909/jud12090919070001-n1.html
13 :fusianaasan :2012/09/15(土) 18:42:50.16 ID:KJtp+/Kj.net 残念
14 :尻人 :2012/09/16(日) 16:43:23.51 ID:YmsX7e36.net >>13 まだか?w
15 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/20(木) 17:37:18.81 ID:q3W2IcLN.net ロンドン五輪の柔道女子57キロ級の金メダリスト、松本薫(フォーリーフジャパン)が19日、楽天−ロッテ戦 の始球式を務めた。大声援をもらった松本は、本人たっての希望で柔道着に裸足、首には金メダルをかけて 登場。ツーバウンド投球に「投げるときの左足の踏み込みが甘かった。雰囲気に飲まれてしまった感じです」と 反省しつつも、「次回、投げるときにはキャッチしてもらえるようにしたい。練習します!!」と再挑戦を 希望していた。 五輪金“野獣”松本が始球式、楽天に気合注入 http://www.sanspo.com/sports/news/20120920/jud12092005040001-n1.html
16 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/09/30(日) 22:43:24.31 ID:c2q0y96o.net 柔道の全日本学生体重別選手権最終日は30日、東京・日本武道館で男女6階級が行われ、 男子100キロ超級は原沢久喜(日大)が決勝で豊田竜太(東海大)に合わせ技で一本勝ちし、 初優勝した。同90キロ級は2年連続3位の下和田翔平(日体大)が初めて制した。 女子48キロ級は1年生の山崎珠美(山梨学院大)が勝ち、同52キロ級は加賀谷千保(同)が 3年ぶり2度目の優勝を果たした。 原沢、下和田が初優勝=学生体重別柔道 http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012093000108
17 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/01(月) 18:59:04.56 ID:ZCefYNPP.net ≪48s級決勝 山崎珠美vs塚原唯有(環太平洋大)≫ 山崎珠美(1年 三浦学苑)は、高校3年だった昨年全日本ジュニア選手権に優勝し、高3で講道館杯2位の 実績を作ったニューフェイス。普段は笑顔があどけない158cm・48kgの小柄な体だが、畳に上ると表情が 一変して勝負師の顔になる。組み手争いに慎重な選手が多い中では異色な存在、どんどん前に出て、奥襟を ガッとつかんで、ガンガン投げに出る。このスタイルが見事にはまり、初戦から3試合とも1分前後で一本勝ちを 収め、あれよあれよと言う間に決勝に進出した。そして、決勝も、開始1分20秒に大内返しを決めて、いとも簡単 に優勝してしまった。山崎珠美選手は「今年の全日本ジュニアは負けてしまい(2位)悔しい思いをしたので、 今回は絶対負けたくないと思って臨みました。追い込みが足りなかったと思い、稽古する時に試合を想定して 一つ一つ練習して来ました。山梨学院大に入り、素晴らしい先輩がたくさんいる中で柔道に取り組めることは 幸せなことだと思います。奥襟を取る柔道が自分の柔道ですが、大学に入ってからは、外国の選手とも戦える ように前襟を持つ柔道にも取り組んでいます。将来は浅見八瑠奈先輩とも戦える選手になりたい」。 すごい新人が表れた。 全日本学生柔道体重別選手権 最終日 〜山学大女子3人が決勝に進出3人とも優勝〜 〜加賀谷再優勝、連悲願達成、山崎衝撃優勝〜 http://www.yguppr.net/120930jd_main.html
18 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/10/04(木) 21:07:04.28 ID:Gg+QW2/e.net 先日行なわれた全日本ジュニア柔道体重別選手権大会(以下、全日本ジュニア)で負けて悔しい思いをし、 今回は絶対に勝ちたかった大会だったので、優勝できて嬉しいです。 全日本ジュニアで負けた後に、自分の追い込みが足りなかったと分かったので、練習一つひとつを試合を 想定しながら真剣に取り組めたのが勝因だと思っています。 山梨学院大学に入学して半年ほど経ちましたが、高校までやってきた自分の柔道をそのまま活かせる環境が ありますし、素晴らしい先輩もたくさんいらっしゃるので、すごく充実しています。10月末には全日本学生柔道 体重別団体優勝大会がありますが、チームの一員として少しでも貢献できるように頑張っていくつもりです。 今後の目標としては、11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会で優勝して、柔道グランドスラム東京 でも上位を狙いたいです。そのためにも、自分の強みである奥襟を取る組み手をもっと磨いて、外国人選手にも 対応できるようにしていきたいですね。 女子48kg級・52kg級 優勝者コメント 女子48kg級:山ア珠美選手(山梨学院大学) http://www.judo-ch.jp/result/ajcsc/2012/tournament/women_48_52.shtml
19 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/12(月) 00:48:50.45 ID:wS5ejO7M.net 講道館杯は浅見と山岸に敗れて5位 昨年に続くGS東京出場ならず
20 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/12(月) 17:43:41.87 ID:RkMVz1WK.net 高3の昨年に講道館杯2位になった女子48s級山崎珠美(1年 神奈川・三浦学苑)は準決勝で、 尊敬している先輩の浅見八瑠奈との対戦を実現させた。得意の奥襟を持つ柔道はさせてもらえたが、 大内返しで一本負け。3位決定戦では実力者の山岸絵美(三井住友海上)に奥襟に行くところを抱き上げられ、 延長有効で5位となった。山崎珠美選手は「浅見先輩と初めて戦えて、受けが弱い課題が見つかった。 攻めだけでなく、受けをしっかりして、力柔道の外国人にも勝てる柔道をしたい」と成長を誓った。 講道館杯全日本体重別選手権 〜1日目山部3位・井上3位・中村5位〜 〜2日目山崎5位・佐野5位、浅見優勝〜 http://www.yguppr.net/121111jd_main.html
21 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/13(火) 18:03:55.61 ID:zeZXSb4q.net 前回の大会福見選手に敗れて何位だったかな
22 :┣秋冬 靴 :2012/11/14(水) 11:46:42.42 ID:g+71Sfm3.net http://17s.me/eW http://17s.me/eW
23 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/20(火) 21:43:14.35 ID:MCiNbagy.net http://ameblo.jp/kayokoyoko/image-11332832556-12144543576.html http://ameblo.jp/kayokoyoko/image-11332832556-12144543947.html http://ameblo.jp/kayokoyoko/image-11332832556-12144543778.html http://ameblo.jp/kayokoyoko/image-11380485100-12238762995.html http://ameblo.jp/kayokoyoko/image-11380485100-12238764048.html
24 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/24(土) 23:12:03.69 ID:PlukJISf.net GP青島1コケ
25 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/11/29(木) 22:52:38.32 ID:Xvvl9lll.net 日本人の身体能力を高める為の研究をしています。 よかったら覗いてって下さい。 http://sinsoukinkenkyujo.web.fc2.com/sub18.html
26 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/06(木) 23:57:18.92 ID:dOybHTVg.net 柔道W杯(6日、韓国・済州島) 開幕し、男子66キロはグランドスラム東京大会で初優勝した 森下純平(筑波大)が制した。60キロ級は山本浩史(ALSOK)が優勝した。 女子は48キロ級の山崎珠美(山梨学院大)、57キロ級の石川慈(コマツ)、63キロ級の 佐野賀世子(山梨学院大)が優勝した 森下、山本らが優勝…柔道 http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/etc/news/20121206-OHT1T00156.htm
27 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/12/10(月) 00:18:34.79 ID:h1F51Z11.net ワールドカップ・チェジュ 48kg級 山ア 珠美(山梨学院大学1年)優勝 1回戦 優勢勝(技有・小外刈) ガルバドラク 2回戦 一本勝(小外刈) リー・シオン 準決勝戦 優勢勝(技有・一本背負投) シン・シュウミン 決勝戦 一本勝(袖釣込腰) チョン・ボキャン
28 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/01/23(水) 18:03:28.13 ID:RiUugJIO.net バス停まで車で送ってもらっていたそうだが、瀬谷ってそんな田舎なのか
29 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/02/05(火) 00:33:30.56 ID:v/AJnzLP.net 柔道女子日本代表が、パワハラ問題で園田隆二監督が辞任するなか、冬季欧州遠征初戦を迎えた。互いに 組むことが義務づけられる新ルールが試験導入される初戦だったが、48キロ級では「リオ五輪のホープ」 岡本理帆(藤枝順心高3年)が決勝で山崎珠美(山梨学院大1年)に大内刈りで一本勝ちして優勝。ルール 変更の影響で一本勝ちが増えた初日は、52キロ級の橋本優貴、63キロ級の田代未来も優勝した。 トビリシで行われた男子の欧州オープンでは、60キロ級で木戸慎二が優勝した。 http://www.nikkansports.com/sports/news/p-sp-tp0-20130204-1080689.html 今回は岡本に完敗しての2位だったが、相変わらず非常に攻撃的な柔道だな しかし外国勢との対戦では組み際の小外などは返される危険性があるので、 国際大会では内股や一本背負いで戦いを組み立てていくべきだろう
30 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/06(土) 11:23:38.30 ID:1ch1BvWr.net 山崎珠美(やまざき たまみ)選手 現代ビジネス学科2年 平成6年1月7日生まれ 19歳 身長158cm 血液型B型 階級48kg級 左組み手 得意技は払い腰 神奈川県横浜市出身 横浜市立原中〜三浦学苑高〜 山学大 アテネ五輪の谷亮子選手に憧れ小6で地元の瀬谷柔道会に通い始めた。三浦学苑高時代に武田淳子 監督から奥襟を取って攻める柔道スタイルを仕込まれ頭角を現す。高校時代の成績は全日本ジュニア優勝、 講道館杯2位、ベルギー国際大会(20歳未満)優勝。大1の昨年は全日本ジュニアは連覇ならず2位だったが、 続く全日本学生体重別で1年生ながらオール一本勝ちで優勝を飾った。12月のワールドカップ・チェジュ大会で 優勝、今年2月のソフィア国際大会準優勝。今回のロシアジュニア国際への思いは「一戦一戦しっかり戦い、 もっとアピールして優勝したい」。今シーズン目標は、全日本学生2連覇とGS東京に出場し上位入賞すること。 将来は日本でも外国でも結果を残せる選手になり、目標の浅見八瑠奈先輩を超えること、そして、体育の先生 になること。 柔道ロシアジュニア国際大会に出場 高松彩香・西田香穂・山崎珠美選手 http://www.yguppr.net/130405act_main.html
31 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/04/22(月) 00:30:56.01 ID:qtIZeqYP.net ブラジルの選手に負けて3位かよ 一発はまればメネゼスにも一本勝ちできるけど、一か八かのスタイルだから 脆さが同居してるんだよな
32 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/11(土) 23:26:19.17 ID:Elp9V1BM.net 山岸、伊部に一本勝ちして決勝まで上がってきたな ほんとに一発はまれば強いな ただ、大味な選手なので浅見には全く通用しなかったけど
33 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/05/14(火) 15:12:12.22 ID:TmZvsG2J.net ≪48s級 決勝 山崎珠美vs浅見八瑠奈≫ 山崎珠美(やまざき たまみ 2年 三浦学苑)は、1回戦で昨年11月の講道館杯で敗れた山岸絵美(三井住友海上) と対戦した。山岸は3年前には浅見八瑠奈が福見友子とともに越えなければならなかった強敵。その実力者を山崎は 果敢に攻めた。左手で奥襟をがばっとつかみ我武者羅に前に出る独特の柔道で、開始49秒大内返しで一本勝ちした。 2回戦の相手伊部尚子(常翔学園職員)も実績のある実力者だが、一本背負いで投げ飛ばし、浅見八瑠奈との決勝に 進出した。浅見には昨年の講道館杯で初挑戦し歯が立たなかった。今回も、序盤から小外刈り、体落としで有効を 重ねられ、3分33秒に背負い投げで一本を取られた。山崎珠美選手は「準決勝までは自分の柔道が出来たが、 浅見先輩には出来なかった。気持ちの強さと力の差を感じました。もっといい試合をしたかったので悔しい」と 先輩との準優勝戦を振り返った。ロンドン五輪でメダルを取って現役を引退しようと思っていた浅見八瑠奈選手は 「4年後の五輪の事を考える余裕はありません、今年の世界選手権での3連覇を目指します」と、やっと流せた 嬉し涙をぬぐい、勝利者インタビューで心境を述べた。 全日本選抜柔道選手権 〜山崎珠美が決勝に進出、憧れの浅見八瑠奈と対戦〜 〜先輩には敗れたが浅見の後を追う一番手に名乗り〜 http://www.yguppr.net/130511jd_main.html
34 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:EOAwD0yf.net 山崎珠美 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E7%8F%A0%E7%BE%8E
35 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/09/30(月) 17:37:26.81 ID:1Z+oQVS+.net ≪女子48kg級準決勝 山崎珠美vs橘園 舞(国士舘大)≫ 山崎珠美(やまざき たまみ 2年 三浦学苑)は、高校時代に全日本ジュニア優勝、講道館杯2位の実績を作った。 普段は笑顔があどけない158cm・48kgの小柄な体だが、畳に上ると勝負師の顔になる。組み手争いに慎重な 選手が多い中では異色な存在、どんどん前に出て、奥襟をガッとつかんで、ガンガン投げに出る。昨年の大会は 1年生で優勝、今年は2連覇を狙った。昨年同様、初戦から相手を1分以内で投げ飛ばしオール1本勝ちで準決勝 に進出した。しかし、準決勝の対戦相手橘園(たちばなぞの)舞(国士舘大2年)は、三浦学苑高の同級生、山崎の 戦い方を良く知っている相手、いつものスタイルを封じられた。それでも果敢に前に出て残り2分40秒に技ありを奪い、 いったんは優位に立った。しかし、残り1分03秒に技ありを返され、残り45秒に有効を奪われ敗れた。山崎珠美選手は 「互いに相手の手の内を知り合っているライバル同士です。負けたのだから自分の力が足りなかった」と悔しさをこらえて 語った。10月に東アジア大会(14・15日、中国・天津)と世界ジュニア選手権(23〜27日、スロベニア・リュブリャナ)に 日本代表として連続出場する。山崎はこの悔しさを糧にして世界に挑む。 全日本学生柔道体重別選手権 最終日 女子48kg級山崎珠美2連覇ならず3位 http://www.yguppr.net/130929jd_main.html
36 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/10/14(月) 23:32:16.18 ID:JmVoNKAI.net 東アジア大会第9日(14日、中国・天津)柔道女子48キロ級はエース浅見(コマツ)の大学の後輩、山崎が銅メダル。「日本代表で出させてもらう 機会を無駄にしたくなかった」と表彰台を確保し胸をなで下ろした。 奥襟を取って攻める展開を得意とする。「浅見先輩に勝たないと、自分の出番はない。日本で結果を残して、海外でも通用するように頑張りたい」と 飛躍を期した。 山崎珠美の話 「3位になれたけど、その前に負けたので課題が残る。浅見(八瑠奈)先輩に勝たないと、自分の出番がない。日本で結果を出して、海外でも通用するよう に頑張りたい」 浅見の後輩・山崎が銅メダル/東アジア大会 http://www.sanspo.com/sports/news/20131014/jud13101422220001-n1.html
37 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/10/15(火) 09:44:05.81 ID:Gy/G3Mir.net 練習場では橘園の方が強いらしい
38 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/10/16(水) 01:21:07.79 ID:Nwt8/5Bj.net 実際学生体重別でも勝ってたよな それにしても山崎は日本の女子選手にしては寝技がお粗末過ぎる 今年国際大会で寝技で負けたの2度目だぜ 独活の大木の日高と同じ せっかく立ち技はいいものをもっているのに
39 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2013/10/24(木) 02:12:03.69 ID:KRjazp4m.net 世界ジュニア3位 準々決勝では終了間際に逆転巻け食らったが、 3決では逆の展開で勝った
40 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/04/06(日) 23:32:32.77 ID:vuEMK7qT.net 全体的に雑な反面、大内をうまく誘って切り返したりと 結構な妙技の持ち主ではあるけど
41 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/09/19(金) 00:19:11.71 ID:EC7kwQv/.net http://www.judobase.org/#/competitor/profile/9980/basic_info
42 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/10/26(日) 21:44:55.81 ID:d6r2mAu0.net 全日本学生体重別団体優勝大会最終日(26日、兵庫県ベイコム総合体育館)元世界女王の浅見八瑠奈(コマツ)ら 実力者を輩出した女子の山梨学院大は、意外とも言える初優勝。2冠達成の山部監督は「浅見のような飛び抜けた 選手はいないが、総合力で勝てた」と愚直さを勝因に挙げた。 48キロ級でジュニア時代から期待された山崎珠美(3年)の復調も大きい。この1年は精彩を欠いたが、決勝はリードを 許しながら投げ技、寝技の合わせ技で一本勝ち。「今大会で吹っ切ろうと思った。この勝利を11月の講道館杯につなげたい」と 笑みを浮かべた。 山梨学院大、ホープ・山崎の復調で2冠達成/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20141026/jud14102618570004-n1.html
43 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/10/27(月) 18:23:03.38 ID:XACDSp1H.net http://www.yguppr.net/141026jd_main.html
44 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/10/27(月) 18:23:38.38 ID:XACDSp1H.net 「優秀賞は、私の力で取れたのではなく、学院のみんながいたから取れた、みんながついていてくれたから安心して試合で 思い切りできることができました」
45 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/11/10(月) 01:34:10.53 ID:MMDlVBML.net 安定感が欲しい
46 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/11/10(月) 17:33:36.63 ID:X92R9qmf.net 講道館杯全日本柔道選手権 http://www.yguppr.net/141109jd_main.html
47 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/12/26(金) 00:16:13.72 ID:KEFTZutj.net po
48 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/12/26(金) 00:17:02.82 ID:KEFTZutj.net po
49 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2014/12/26(金) 00:17:29.32 ID:KEFTZutj.net po
50 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/01/12(月) 00:39:13.96 ID:vRXd/hUm.net シンプルビジュアルな柔道ゲーム『Judo』がSteam Greenlightに登場 ― 『スマブラ』の回避と投げからインスパイア http://www.gamespark.jp/article/2015/01/10/54120.html
51 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/03/08(日) 01:33:11.22 ID:Pw46imIK.net 野村陽子 (小惑星) 野村陽子 6557 Yokonomura 仮符号・別名 1990 VR3 分類 小惑星 軌道の種類 小惑星帯 発見 発見日 1990年11月11日 発見者 野村敏郎 川西浩陽 軌道要素と性質 元期:2008年5月14日 近日点距離 (q) 2.5725426 AU 遠日点距離 (Q) 3.7526900 AU 離心率 (e) 0.1865777 公転周期 (P) 2054.3203384 日 軌道傾斜角 (i) 7.80943 度 近日点引数 (ω) 12.80862 度 昇交点黄経 (Ω) 43.17519 度 平均近点角 (M) 37.39804 度 物理的性質 絶対等級 (H) 12.1 ■Project ■Template 野村陽子(のむらようこ、6557 Yokonomura)は、火星と木星の間の軌道を公転している小惑星のひとつ。 兵庫県神崎郡大河内町(現:神河町)の南小田で発見された。 発見者のひとり野村敏郎の妻の名前に因んで命名された。 関連項目 小惑星の一覧 (6001-7000) 外部リンク JPL Small-Body Database Browser on 6557 Yokonomura
52 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/03/22(日) 01:01:33.11 ID:tcKvCVjc.net 山崎のバストは87cm 先輩の浅見は83cm 浅見の方がありそうだけどな
53 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/04/17(金) 00:26:32.32 ID:k02LnZBa.net 一発はまれば強いタイプだけど
54 :山崎珠美 ◆d4B6CdtQ4Q :2015/04/28(火) 01:20:50.91 ID:j616xcWS.net 猫だよ、猫。
55 :山崎珠美 ◆d4B6CdtQ4Q :2015/05/05(火) 01:41:54.41 ID:BCRlb4jE.net 寝たら良くなるからね。
56 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/05/28(木) 01:56:31.31 ID:NrPUbP1n.net 最大の数
57 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/06/01(月) 01:12:18.56 ID:OJZ3Jvnp.net 珠美
58 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/06/04(木) 17:46:23.56 ID:oaUj8pJv.net 五月初めにドイツで開かれた柔道の国際大会で優勝した平塚市の五十嵐莉子(りこ)さん(横須賀学院高一年)が平塚市役所を訪れ、 落合克宏市長に「海外に行くのも外国選手と対戦するのも初めてで、最初はすごく緊張したが、優勝できて自信になった」と喜びを語った。 出場したのは「カデ」と呼ばれる十五〜十七歳の選手が集まる大会の女子44キロ級。十四カ国、三十二人がエントリーし、五十嵐さんは ロシアやブラジルの選手らを相手に勝ち抜いた。 父の定一さん(48)の教えで五歳から柔道を始めた。平塚市立浜岳中時代、全国中学校大会や全日本カデ体重別選手権の 女子40キロ級を制覇。「相手に攻めさせず、自分から攻めるのが自分の柔道」と力強い。次の目標は、世界カデ選手権優勝。 いずれは「オリンピックにも出たい」とほほ笑んだ。 柔道の国際大会 初出場でV 平塚の五十嵐さん「夢は五輪」 http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20150603/CK2015060302000118.html
59 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/06/07(日) 22:57:22.70 ID:z66zMff4.net 小外掛だな
60 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/06/28(日) 01:35:38.86 ID:m8JuFHDG.net タマのタマ
61 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/08/14(金) 00:23:22.41 ID:CYdv+eQp.net おめでとうございます! 2016年登場の最新版iPhone 7のテストユーザーとして、あなたがランダムで選出されました! これは冗談ではありません!あなたは最新版iPhone 7の公開前にテストユーザーとして招待されました。 これまでで最高のiPhone開発に向けフィードバックを取り入れるため、他にも(20)名のユーザーを探しています。 非公開のテストグループへの参加をご希望であれば、下の簡単な4つの質問にお答えください。「お礼」として、 ほとんどの費用がかかることなくApple Watch をお送りします!在庫数が少なくなっています。今すぐご応募ください! Momotani Keiki 今日iPhoneが送られてきたよ!!iPhone 6はもう持っているのだけど、eBayで転売しよう、へへ。ありがとう! 8月 13 at 12:01 am Ogawa Kenjiro 最初は冗談だと思ってたんだけど、今朝本当にiPad Air 2が届いた。これはマジ。もう、全サービスにサインアップしないわけに いかない。で、早速しました(笑)。 8月 12 at 10:18 pm Noto Saneatsu 信じられない。友達がこれでiPadをタダで手に入れたなんて言うので有り得ないと思ってたのに。早速 $1でサインアップしたところ。 今後の経過を乞うご期待。 8月 12 at 4:21 pm Funaki Kuniko へへ、ヤバい。$699でiPhoneを買ったばかりの友達にこれを見せてやろう。実際誰かがもらってるの? 8月 12 at 3:33 am Noda Setsuko こんな話、半信半疑だったけど、なんと今日iPhoneが届いた。ありがとう 8月 11 at 9:02 am Masuzoe Kana 無料のiPadがこんなに簡単に手に入るとは…(笑)。 8月 11 at 2:34 am Morimoto Toin 妻へのサプライズにAmazonのギフト券が当たって(結婚記念日を忘れたら怒られたんで、笑)、自分にもギフト券が当たりました。 最後の1枚だったらごめんなさい。 8月 10 at 11:01 am Shiskikura Yukako やったー!今まで賞なんて当たったことない私が今日は最高にラッキー!iPhone 6!?ありがとう!
62 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/08/31(月) 23:57:47.77 ID:XOnSp3FT.net あの時の勢いはどうした
63 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/09/06(日) 22:28:14.99 ID:20FKo2Oz.net 関東学生では優勝したんだな
64 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/09/25(金) 01:17:34.70 ID:8+JOFnET.net ¶
65 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/10/06(火) 14:39:53.99 ID:8NNAPRZe.net 山崎珠美選手は高校時代に柔道の恩師に組手は徹底して奥襟を掴み前に進んで行くスタイルを仕込まれた。 そのために一か八かのスリリングな柔道で頭角を現して来た。全日本ジュニア優勝や世界ジュニアでも3位に 入る実力者である。この大会でも1年時にいきなり優勝、2年の時は3位。昨年は、得意の奥襟を掴みにいった時 に返され、初戦敗退した苦い思いがある。山崎珠美選手は「この大会に向けて頑張ってきた。調子も良かった。 優勝するために追い込んで練習してきた」と雪辱を果たすことを思い描いてきた。初戦の2戦目から準決勝まで 言葉を証明するようにオール1本勝ちで躍動した。準決勝は今大会優勝した小山亜利沙(帝京大)との対戦。 先に有効を取られ攻勢に出ようとする時に投げを返され押さえ込まれ“けさ固め”で1本負け。決勝進出はならず3位になった。 「有効を取られたのは、研究されていると、試合にでると感じるんですけれど、研究された中で勝たないと駄目なので自分の ポイントを取られても一本取ればいいので、最後まで自分の柔道することだけ集中しました」と自分の柔道スタイルを信じていた。 http://www.yguppr.net/151004jd_main.html
66 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/10/06(火) 23:26:22.65 ID:orBO3oiE.net 現状こんな感じ
67 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/10/26(月) 20:11:08.74 ID:ESB+adGT.net 団体戦では活躍しているな
68 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/07(土) 00:20:52.68 ID:qTOj7yyc.net 人類よりも遥かに進化した「エイリアン超文明」が存在するかもしれない銀河が50個見つかったとのこと。 ペンシルバニア州立大学「太陽系外惑星・居住可能世界センター」のジェイソン・ライト博士が主導する研究によると、 銀河全体をコロニー化しているような超高度なエイリアン文明は、恒星が生み出す莫大なエネルギーを利用していると 考えられます。こうしたエイリアン超文明による莫大なエネルギーは、熱として放射されるため、地球からも中赤外域の 波長で観測できる可能性があるとします。 研究チームは10万個の銀河をピックアップして調査を実施。その結果、50個の銀河で、通常とは異なる高レベルの 中赤外放射が観測されたといいます。ライト博士は「これらの高レベル放射が、自然の天文学的現象なのか、 エイリアン超文明によるものなのか今後精査していく」と話しています。 50個の銀河に「エイリアン超文明」が存在か http://amenama.on.arena.ne.jp/?p=2234
69 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/09(月) 00:55:12.15 ID:ME0vSW9b.net 久々に講道館肺で決勝に上がってきたな しかし、以前ほどの思い切りの良さが出ていなかった
70 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/09(月) 16:23:13.69 ID:8C9ncseI.net 山崎珠美選手は高校時代に柔道の恩師から組手は、徹底して奥襟を掴み、前に攻め進み、 一本を取りに行くスタイルを仕込まれた。そのためか裏を返される場面も多くある一か八かのスリリングな 柔道で頭角を現して来た。全日本ジュニア優勝や世界ジュニアでも3位に入る実力者である。昨年の講道館杯は 初戦敗退という苦い経験もあり、雪辱を晴らすべく今大会に臨んだ。試合は1,2戦とも早い時間帯に一本勝ちで勝利。 3回戦は先月の全日本学生柔道体重別選手権で敗れている小山亜利沙(帝京大)に小内刈で有効を奪い、借りを返した。 準決勝も終始主導権を握り、社会人を小外掛けで1本勝ち、決勝に進んだ。山崎珠美選手は「調子は良かったです。 研究はされていると分っているし、決勝の相手もずっと試合をやってきている相手なので負けられない」と試合に臨んだ。 決勝は渡名喜風南(帝京大)。今まで一度も負けたことのない相手との対戦。激しい組手争いに互いに投げを仕掛ける激しい攻防。徐々に 相手に主導権を握られ残り1分25秒、有効を取られ、そのまま追いつくことができずに涙を飲んだ。「向こうの研究力が勝っていたので負けたと 思う。悔しいです。自分の柔道ができなかったことが一番悔しい」と涙を流した。4年生最後の年に優勝を目指すも準優勝で終わった。 卒業後の就職先も決まり、社会人で日本一、世界で活躍する選手になることを誓っていた。 講道館杯全日本柔道体重別選手権 〜48s級山崎珠美、悔し涙の準優勝〜 http://www.yguppr.net/151108jd_main.html
71 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/09(月) 23:28:11.28 ID:iZtX8ZNp.net 準決勝ではらしさが出ていたが、渡名喜には読まれていたな
72 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/18(水) 01:25:02.55 ID:D57aiLGS.net 一時よりは復調してきている
73 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/24(火) 22:24:14.53 ID:lsL/eqw8.net ぱいぱいでか美、自慢のFカップを柔道着に封印「ぱいぱいふせ美です」 | 動画 [テレビドガッチ] http://dogatch.jp/news/tx/36370
74 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/11/25(水) 00:16:06.68 ID:XZJN83bj.net 311東日本大震災は人口地震テロ さゆふらっとまうんど(平塚正幸)https://m.youtube.com/watch?v=XiK9DeIMt14 マイナンバー通知カードの受け取りを拒否しよう https://m.youtube.com/watch?v=xSt6jiOKh_I
75 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2015/12/05(土) 00:32:30.20 ID:+rvGsQme.net 開始早々って
76 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/03/25(金) 20:09:54.34 ID:UoclP7hW.net 自衛隊に入隊か
77 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/04/15(金) 01:11:00.28 ID:cunZflaN.net 粘土細工
78 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/04/24(日) 00:29:09.62 ID:wCPjp9EL.net 「かまぼこブーメラン」 皆さん、かまぼこブーメランって知ってますか?知っているのであればかなりの柔道通でしょう。 柔道を長年やっている人でも知らない人は知らない、いわゆる隠語というやつでしょうか。 今日はかまぼこブーメランについて説明したいと思います。 まず、乱取りを行う際に人数が多いと元立ちで乱取りを行うと思います。 元立ち以外の人は元立ちに当たりにいかないと乱取りをすることができません。 しかし、やる気のない人は元立ちに当たりにいかず壁に張り付いたままです。 この状態を板についているかまぼこに見立てかまぼこと言います。 「今日はやる気ないからかまぼこしてよ」 とこんな感じで使います。 続いてブーメランについて説明します。 これは元立ちに当たりにいくフリをしてやる気があるかのように見せ、結局当たらず元の位置に返ってくる。 ブーメランのように投げても一周して元の位置に戻ってくることからブーメランと呼ばれています。 「練習やりたくないけど当たりにいかないと監督に怒られるからブーメランしてこよっと」 こんな感じで使います。 このかまぼことブーメランを組み合わせ、元立ちに当たりにいくフリをして元の位置に戻ってきてかまぼこのように壁に 張り付いて乱取りをしないことをかまぼこブーメランと呼ぶようになりました。 私はかまぼこブーメラン撲滅委員会の会長として合同練習、合宿などで多々見られるかまぼこブーメランをなくしていこうと思います。 ぜひぜひ、皆さんも練習をしたり、見学される際には「かまぼこブーメラン」をしている人がいないか見張っていて下さい。 よろしくお願いします。
79 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/05/29(日) 00:31:41.51 ID:GEy/j7t7.net ○「Hey Jude」 <「Save The Last Dance For Me」/ザ・ドリフターズ ザ・ドリフターズの「Save The Last Dance For Me」を聴きながら作ったという 有名ではないがマニアは知っている(笑)エピソードがある。 ちなみにビートルズ最大のヒット曲。 "ラストダンスはあなたと"と"ヘイ・ジュード"を同時にかけてみるとよい。 ラストダンスはヘイジュード(キングトーンズ) http://www.youtube.com/watch?v=ffAye-rLOAo ○「Let It Be」 <「Air(G線上のアリア)」/J.S.Bach from 「Orchestersuite Nr.3 D-Dur BWV.1068(管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068)」(1729〜31) +「Hark! The Herald Angels Sing(あめにはさかえ)」(賛美歌) (1739作曲,1846年編曲)/作曲メンデルゾーン・編曲ウィリアム.H.カミングス アルバム中ではこの曲の始まる寸前にジョンは「次は”あめにはさかえ”をやるよ」と言っている がジョークだとおもっていたら、実はほんとに似ているそうです。 それとイントロのピアノの下降していくメロディが「Air(G線上のアリア)」っぽい。 プロコルハルムっぽいとでもいいましょうか。 特にブートで聞ける初期バージョンはバッハっぽい。 ケセラセラ+G線上のアリア がレットイットビーということです。
80 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/06/20(月) 23:44:08.85 ID:pFlXUMTS.net 柔道の世界選手権3日目(ベルシー体育館)、女子63キロ級の上野順恵(28=三井住友海上)は決勝でジブリズ・エマヌ(29=フランス)に敗れ、 世界選手権3連覇を逃した。世界ランク1位で金メダルが確実視された“絶対女王”が、まさかの敗戦。一方その裏では決定的な“弱点”も 指摘されており、来年のロンドン五輪に向けて女王に暗雲が漂い始めた。 大会前には国際柔道連盟(IJF)から「現役最高柔道家」に選ばれた“絶対女王”の快進撃がついにストップした。準々決勝を除き、すべて 一本勝ちして迎えた決勝。地元の声援を受けるエマヌに組み手を徹底的に封じられ、得意の大外刈りに入れない。延長を含む8分間で決着は つかず、旗判定は0―3。大歓声に沸く会場とは対照的に、上野はうつむくしかなかった。 園田隆二・女子監督(37)は「大差ではない。でも、アウェーでは投げないと勝てない。来年のロンドン五輪で金メダルを目指せる位置にはいる」と 一定の評価を下したものの、実は来年のロンドン五輪はとても安泰とは言えない状況にある。そこには決定的な欠点が指摘されているからだ。 それはずばり、メンタルの弱さ。全日本柔道連盟の“名伯楽”吉村和郎強化委員長(60)は、かねてこう不満を漏らしている。 「順恵は首が痛いといって練習を休むんだよ。そんなの寝違えと一緒だろ? 寝違えで休むなよと言いたい。そういう部分で気持ちが守りに 入っている。1日休めば取り戻すのに3日かかるんだから」 大舞台でのメンタル面はどの選手にも課題だが、上野は目に余ったという。今大会直前にも吉村委員長は、本調子ではない選手として 上野の名前をあげていた。 とはいえ一昨年、昨年と圧倒的な強さで2連覇を達成。昨年11月のアジア大会では相手選手のグーパンチで顔を殴られ、左目を腫らす アクシンデントに遭いながら優勝を果たしている。それだけに今回も底力で優勝をもぎとると見られたが、“名伯楽”の目に誤りはなかった。 最近はケガが多く、精神面でスランプに陥ったことが最後に響いた格好だ。 女王のメンタル面が安定しない理由として、五輪2連覇の姉・雅恵さん(32)の存在を指摘する声もある。いくら世界選手権を連覇しようが、 アテネ、北京五輪を2連覇した実績にはかなわない。それでもメディアからの質問は姉と絡ませるものが多く、ある時は「姉とはタイプが違うから」 とイラついた様子で答えたこともあった。偉大な姉に対する“コンプレックス”が、女王にさらなる重圧を与えていることは間違いない。 だが、それすらも乗り越える強さを身につけなければ五輪の金メダルはおぼつかない。ロンドン五輪まであと1年。絶対女王はまさかの 正念場に立たされている。 名伯楽が指摘する絶対女王・上野順恵の決定的な弱点 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/27046/
81 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/06/29(水) 00:38:55.48 ID:Hw7yhMVs.net いつも全力
82 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:05:27.27 ID:xzFMokIi.net 女子70キロ級金メダルの田知本遥(26=ALSOK)は目をうるませながら言った。「本当に苦しかったです。柔道を辞めたいと思ったし。でも、 今日のために(苦しい時期は)あったんだなって思います」。東海大4年で初出場したロンドン五輪は7位。翌13年の世界選手権では初戦敗退するなど、 もがき苦しんできた。再び歩み出す力を得たのは2年前の夏だった。 あの屈辱を味わった地が再び歩み出す力を与えてくれた。12年、初出場だったロンドン五輪。「力が出し切れなかったとは思わなかったですけど、 なんか中身があんまり、準備というのがなかったかなと思います。頭で考えて相手に対して、というのが無かった」。準々決勝での左肘負傷の影響もあり、 敗者復活戦でも敗れて7位に終わった。 苦い思い出がある、その英国の地を再び踏んだのは、2年後のことだった。 「変わらなきゃいけないけど、頑張り方が分からなくてずっともがいていて、そんな時期に海外に行ったんです」。 指導者からの薦めで、14年夏に1カ月にわたり英国に滞在した。基本は柔道クラブを回り、国の強化施設に2週間、残りは1人部屋を借りて生活した。 「新鮮でした。見るものがすべて新鮮で。リフレッシュしたというか、いろんな方向から柔道を見れて」。 道場で見たのは多くの笑顔。仕事をやりながら打ち込んでいたり、好きだからこそ毎日稽古に励む人々の姿があった。「みなさん本当に柔道を好きで やっている。生き生きしてやっているのを見て、初心を思い出しました」。 帰国後、1つの感情が芽生えた。「感謝の気持ちが強くなりました。環境にも、こうやって頑張ってくれる体にも、姉(78キロ超級の愛)や家族の存在も、 当たり前じゃないんだなということを身をもって経験したので」。進むべき方向を見失っていた心は、敗北に打ちひしがれた土地が、再生の場所となって 導いてくれた。「そういう気持ちの転換が柔道に非常によかったんだな、と思います」。 2度目の夢舞台を終え、田知本は笑みを浮かべた。「苦しかったですけど一戦一戦。いやこの日までも苦しかったですけど。やっと終わったなという。 それが最高の気持ちで終われて幸せです」。好きな柔道で最大の恩返しとなる金メダル。78キロ超級の代表が有力視されながら選ばれなかった姉愛の 首に金メダルをかけ、泣き笑いの顔で記念写真におさまった。 田知本、苦い思い出残る英国修行で「初心」取り戻す - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1692851.html ひたすら前へ出て、技を繰り出した。劣勢にあっても迷わず一歩を踏み出した。優勝候補に挙がらなかった女子70キロ級の田知本が頂点へ。 「走馬灯のように込み上げてきた」。それは山より谷ばかりで苦しかった4年分の思いだった。 得意の大外刈りを磨き、相手の研究と対策も怠らず、やり残したことはなかった。ヤマ場だったポリングとの2回戦は大外刈りで追いつき、逆転。 アルベアルとの決勝は指導でリードされたが、こん身の谷落としから抑え込んで一気に仕留めた。 4年前のロンドン五輪は7位。そこから、もがき始めた。変わりたくても変われず、引退を考えたこともあった。ドーピング規定に抵触する市販薬を 服用して昨年2月には国際大会を欠場し警告処分を受けた。「心が折れそうになった」と振り返る。それでも懸命に自分を鼓舞し、はい上がった。 嫌いだった筋力トレーニングに取り組み、練習拠点の東海大では73キロ級前後を中心に、時には90キロ級の男子選手とも組み合った。 南條監督がたたえる「外国選手に引けを取らない体幹の強さ」はそこから生まれ、技の威力は増した。 五輪代表の座をつかんでからは技も研究も対策も、敗北につながるような隙間を徹底して埋めてきた。どん底からつかんだ金メダル。苦節の日々に 「酸いも甘いも知って、執念深くなった」という心の変化が、最後のピースだった。 どん底からつかんだ金=田知本、執念深く−柔道〔五輪・柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081100202
83 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:09:20.14 ID:xzFMokIi.net ロンドン五輪で7位に終わった女子70キロ級の田知本遥(ALSOK)が、リオ五輪ではリベンジに成功し、日本柔道女子として初の金メダルを獲得した。 田知本は「最後は(抑え込んで)絶対に離さないと思いました。4年間で一番変わったのは、気持ち。どん底を味わったけれど、失敗を乗り越えて強くなった」と 自身の成長を実感した。多彩な選手がそろう激戦の階級で、“凛とした柔道”を貫いた。 田知本の所属先は、富山県の小杉中から小杉高、東海大を経てALSOK入りするまで2歳上の姉、愛(めぐみ)とまったく同じ。78キロ超級で五輪出場を 目指す姉の背中を見ながら歩んできた。 出身地の富山県射水市小杉地区は柔道の盛んな地域で、父の又広(やすひろ)さんは、小杉中が初めて全国制覇したチームの主将である。 姉妹は幼いころから熱心な指導を受けていたが、小学生のころの田知本は「正直なところ、イヤイヤだった」という。「姉もやっているから」という思いから週2回、 遊び感覚で練習する程度だった。 田知本が競技にのめり込んでいくのは中学生になってから。小杉中1年生の夏、全国大会でいきなり3位(63キロ級)に入り、柔道の面白さに目覚めた。 「優勝できそうな自分」が見え、「あと一歩だ」と思った。また、監督である朽木淳司教諭の指導方針から、小杉中には「女子柔道部」がなく、田知本姉妹は 男子と一緒に稽古したので、練習の質と量は必然的に多くなっていた。 残念ながら、2年生で準優勝、3年生の時は5位(70キロ級)と、日本一になれないまま中学を卒業した田知本だったが、小杉高入学後は1年生で姉と一緒に 戦って団体優勝。2年生の時もチームの主力となって団体を制し、3年生では個人で優勝を果たした。田知本にとって姉・愛はどんな存在なのか? 「双子の姉妹のように同じ道を歩んできました。姉はコツコツと努力して欠点を直していくタイプ。『負けないくらい練習しよう』と思わせてくれる存在であり、 いつも刺激を受けてきました。階級は違いますが、ライバルのように意識してきました。団体戦で同じチームとして戦う時は心強く感じます」(田知本) いつも叱咤激励してくれる姉の言葉が、ひときわ厳しさを増したのは、昨年2月。田知本が「どん底」を味わっていた時期である。国際大会前に、 全日本柔道連盟から服用可能な薬を渡されていたにもかかわらず、ドーピング違反の危険性がある市販の風邪薬を使ったため、欠場せざるを得なくなり、 警告を受けた。柔道人生最大のピンチだった。 競技の面でも2012年のロンドン五輪以降、思った通りの柔道ができず苦しんでいた。ロンドン五輪では、準々決勝で先に有効を二つ取っていたものの、 左ひじを負傷して有効を二つ奪われ、旗判定で敗退。敗者復活戦でも気持ちが乱れて指導を受け、メダル獲得はならなかった。13年の世界選手権で 日本代表に選ばれるも、初戦敗退。勝てない時期が続いた末に、ドーピング違反の危険を冒しそうになるというトラブルに見舞われ、田知本の心は折れかかっていた。 その時、姉から「何しているんだ! やれることをやりなさい」と叱られ、目が覚めた。当時を振り返り、「打ち消そうとしても湧き上がってくるネガティブな 思いと戦い続けた」と田知本。どん底からはい上がり、国内予選である全日本体重別選手権ではライバルを下して再び五輪代表の座を勝ち取った。 一方、姉はロンドンに続いて五輪出場はならなかったため、田知本の思いは複雑でもあった。 苦しんだ分、成長は周囲にも明らかだった。アテネ五輪女子78キロ超級の金メダリストで、東海大、ALSOKの先輩として助言を送る塚田真希さんは 田知本の変化をこう語る。「代表落ちもあり、本当に苦しんでいた。4年前は若さばかりが目立っていた。でも今はいぶし銀。ウオーミングアップを 見ていると充実感が伝わってくる。まるで別人」との評価だ。 1回戦は合わせ技で周超(中国)に一本勝ち。2回戦は第1シードのキム・ポリング(オランダ)に延長戦の末、有効を奪い勝利を収めた。準々決勝の ケリタ・ズパンチッチ(カナダ)戦は、両者ポイントなしのまま延長となり、谷落としで技ありを奪って試合を決めた。準決勝でラウラ・ファルガスコッホ(ドイツ)に 優勢勝ちし、決勝へ。最後はユリ・アルベアル(コロンビア)の背負い投げを返して有効を奪うと、そのまま横四方固めで抑え込み、一本勝ちした。 「ロンドン五輪での悔しさを晴らした。きょうは、柔道人生で最も充実した日です」。観客席には、目を真っ赤にして戦いを見守る愛の姿があった。 「リオ五輪が集大成」との思いで臨んだ田知本は、姉と一緒に2度目の五輪を戦い終えた。 女子柔道・田知本遥が金メダル獲得 折れかけた心を救った姉の言葉とは http://news.livedoor.com/article/detail/11875671/
84 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:15:58.85 ID:xzFMokIi.net 金メダルを取った感想は? まだ実感はないですけど、やっと終わったなって感じです。うれしいです、最高の気持ちで終わって。(試合後は)もう湧き出てくるものの方が大きくて、 今までのことが走馬灯のようにこみ上げてきました。 決勝戦で勝ち名乗りを受けたあと、一番最初に浮かんだことは? やったー、って感じですかね(笑)。 決勝戦に臨む前の表情が落ち着いているように見えたが、その時の心境は? もう決勝戦のときは、もちろんメダル確定で安心してはいけない、五輪チャンピオンに絶対になるんだと自分に言い聞かせた部分はあるんですけど、 でもこの最高の舞台で、ファイナルで戦えることを幸せだなと思って、もう自分の柔道を、相手の癖とか対策とかもやってきたけど、自分の柔道を出して 終わろうと思いました。 最初に指導を取られて、その後焦りはなかった? でも技に気持ちを乗せようと思っていて、技で勝とうと思っていたので、全部自分の技を当ててみようという気持ちがありました。 相手の投げをこらえて返した技だったが、あの場面の心境は? とっさに出たことでしたけど、でも練習してきたことだったので、そういう場面で出せて良かったなと思います。 (7位だった)ロンドン五輪との違いを挙げるとするなら? 地に足が着いていて、本気で金メダリスト、チャンピオンになりたいという気持ちで挑んだという部分があります。初めて(ロンドン五輪)のときは ちょっとわくわくした気持ちとか、どんなことか分からなかったのもあって、ちょっとふわふわしていた気もしますけど、今回は2回目ということもあったし、 何が何でもチャンピオンになりたいっていう強い気持ちがありました。 畳を降りた瞬間に、女子代表の南條(充寿)監督から耳元で声をかけられていたが? 「金メダル取ってからが(本当の)価値を見いだされるぞ」ということを言われました。 あらためて、ここまでの4年間を振り返って。 本当に苦しいことが多くて、でも今日のためにあったのかなと思います。 今日の試合では大外刈りがよく決まっていた。 本当に大外刈りに助けられたというか、小さいときからやっている技ですし、そこに気持ちを全部乗せたっていう感じですかね。 勇気を持って踏み込んだ? 返されたらしょうがない、くらいの気持ちで(いきました)。 会場に駆けつけたご家族の存在は励みになった? はい、励みになりました。 五輪代表を逃した姉・愛さんの存在はこの数カ月間、どうだった? すごく大きかったですね。お姉ちゃんが思う気持ちもいろいろあったと思うけど、その気持ちを隠して、自分をすごくサポートしてくれて。今までにないくらい 優しかったのでちょっと戸惑いましたけど(笑)、でもやっぱりその分本当に頑張らなければなと思っていました。 どのようなサポートを? 練習場に一緒に行ったりとか、日めくりカレンダーみたいなものを友達とか先生方とかと一緒に作ってくれたり。現地に入ってもすごく調子が 上がらなかったんですけど、そういうときに携帯で連絡取ったりとかして、励ましてもらいました。 今日の日めくりカレンダーはどんなものだった? 今日の日めくりカレンダーは、みんながガッと集まってる写真で、「あと1日」というものでした。
85 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:16:15.10 ID:xzFMokIi.net 以下、表彰式後のコメント。 メダルを手にした感想は? 重いですね。 いろいろ思い出すことがあったと思うが、一番最初に思ったことは? お姉ちゃんが下に降りて来て会ったのですが、これ(メダル)を掛けてあげたんですね。泣いてたんです、お姉ちゃん(笑)。姉の存在は大きいですよね、本当に。 どんな声を掛けられたか? お姉ちゃんですか? 泣いてました。心臓が飛び出るかと思ったと言っていて、本当にうれしいって言ってもらい、ドギマギしました(笑)。なんか 泣いちゃいましたね。 薬の問題(※)もあったが、その時のことも思うとどうか? それも含めてですけど、さまざまな試練があったため、常に近くにいる存在の姉が、サポートしてくれたので、本当にここまで来れたと思います。 2015年に市販の風邪薬を飲んでしまい、その薬にドーピング規定に違反する物質が含まれていたため、大会を欠場した。 昨日まで金メダルがなかったが、それをどう受け止めたか? 特に気にしないようにしていました。みんなが勝ってきても、負けてきても、どっちにしろ、やっぱり圧というのは同じことなので、 自分のやるべきことはただひとつだったので。気になっていたけど、あんまり気にしないようにしていました。 いろいろなことがあって、自分がどう変われたか? 執念深くなりましたね。思いも強くなったし。なんて言うんですかね? いろいろなことを経験して、酸いも甘いも経験したというか。4年前は、多分、 甘さしか知らなかった。 先に有効を取られたが、前だったら心が折れていたか? そうですね。でも逆に先に取られたので、もう行ってやろうと思いました。 有効を取られた後、同時に前に出て技を掛け合い、そこで田知本選手が技ありを取ったが、あの場面は何を考えていたか? あそこで「いけるぞ」という観客席から先生方の声聞こえたので、そこでグッと押し込めました。 大外刈りは誰に教わった? 幼少期に、父に教わったと思います。 自信のある武器になったか? 今までもそうだし、これからもそうだと思います。 4年間でどこが強くなった? やっぱり緻密な部分。準備をしっかりするようになりました。部分稽古とか、寝技とか。やっぱり試合の中で隙のない展開、試合を作るために、 そういう隙間を埋めて、立ち技だけでなく流れとか。そういうのを徹底したり対策を練って、これで負けたらしょうがないという準備を繰り返して、 ノートにいっぱい書いたりしました。 場外際の攻防も練習してきた成果? 場外際の練習はないですけど、来たのを返すとかはやっていました。 4年前と稽古も変わったと思うが、やりやすかった制度の変更点は? 担当コーチ制になったりして、ほとんど階級別に任されるようになって。合宿でも先生と相談して、やろうと言ったことを貫くようにしました。 そういうところは変わったと思います。みんな階級も違うし、スタイルも違うので、それに合ったようなものをやらせてもらったりして、そこは違うと思います。 カレンダーはいつからもらった? デイ30でもらいました。 お姉ちゃんのメッセージもあったか? ありました。あんまり言わないでと言われたんですけど、(金メダルを)取ったからいいですよね。自分の力を信じて、準備をして頑張れと言われました。 イラストはあったか? イラストはないけど手書きの文字だけはありました。 何日前ですか? デイ10ぐらいですかね? 今回はノーシードだったが、そこから金メダルを取れたのはどうか? ノーシードで「えーっ」と思って。でも、国際大会に出て、最近はずっと勝たせてもらっていたので、自信はあったし、男子と稽古をやっているおかげで、 当たれば投げられるというのもあったし、実際マスターズに出て、シードを狙うというよりは、どこに入っても一緒だと。みんな強いし、だったら温存して、 研究や対策に時間を当てた方がいいかなと思っていました。そういう選択肢でこうなりました。 富山出身では52年ぶり金メダル。 ありがとうございます。そうなんですね。52年ぶりなんですね。喜んでもらっていると思います。応援ありがとうございます。 金メダルのベイカー「恩返しできた」 田知本、姉のサポートに感謝(スポーツナビ) - リオオリンピック特集 http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608110001-spnavi
86 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:35:17.82 ID:xzFMokIi.net 女子70キロ級で前回ロンドン五輪7位の田知本遥(26)=ALSOK=が決勝でジュリ・アルベアル(30)=コロンビア=に一本勝ちし、今大会女子柔道で初の金メダルを獲得した。 田知本は、2分19秒に谷落としで技ありを奪うと、横四方固めで抑え込み、合わせ技で一本勝ちを飾った。最後の抑え込みについて 「絶対に離さないと思ったし、 秒数は見えなかったですけど、あと何秒と思って耐えました」と振り返った。 準決勝では、ラウラ・ファルガスコッホ(26)=ドイツ=に1分38秒に大外刈りで技ありを奪い優勢勝ちした。 南條充寿・女子監督 「分析で70キロ級は12〜14人に優勝の可能性があった。田知本は準備をした通りの試合ができた。当初の予想とは違う1個目の金メダルだが、 日本女子の最初のつまずきを彼女が払拭してくれた」 田知本遥、一本勝ちで金メダル獲得「絶対に離さないと思った」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160811/rio16081105090057-n1.html 今大会女子では初となる金メダルを獲得した柔道女子70キロ級の田知本遥(26=ALSOK)。スタンドからは一緒に五輪出場を目指しながら叶わなかった 姉の愛(27)が必死に声を張り上げて応援していた。 78キロ超級の愛は12年ロンドン、今回と2大会連続で五輪切符をあと一歩で逃してきた。自身がこの場で戦えないことは「正直まだ(気持ちの整理に時間が) かかっている途中」であるものの、「2人でというのは叶えられなかったんですけど、妹が優勝してくれて自分のことのようにうれしいです」と涙をにじませた。 表彰式の直後には遥と言葉を交わし、金メダルをかけてもらったという。「本当にうれしい、言葉にならないくらい感動しました」と感無量で、「今まで妹の やってきたことが出てうれしかったです」と称えた。 遥は昨年2月の国際大会前にドーピング違反成分が含まれた市販の風邪薬を服用し、出場を見合わせ。ケアレスミスで「警告」処分となったが、 愛を始めとした周囲が支え、国際大会で結果を残して巻き返した。愛は誰よりも苦しんだ時期も知っているだけに「今まであったことが次々と出てきて… 最後は獲ってくれてうれしい気持ちでいっぱいです」と喜びもひとしおだった。 田知本 共に五輪目指した姉が祝福「自分のことのようにうれしい」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/11/kiji/K20160811013143640.html ロンドン五輪を始め、世界選手権も経験してきた田知本だが、メダル獲得経験はなかった。だが、この日の出来は出色だった。その理由は、 体も気持ちも前に出続けたということに尽きる。 田知本の最大の武器は破壊力ある大外刈り。この技は前に出ていないと掛からない。さらに言えば、最も返される可能性の高い技でもあるため、 思い切りが必要にもなる。この日はすべての大外刈りに躊躇(ちゅうちょ)がなかった。 元来、技の破壊力は世界のライバルも知るところで、これまでは組ませてもらえないケースが多く、本人も組むことに苦労し、攻撃が遅くなることが多かった。 だが、この日は持った瞬間には攻撃に入っており「勝ちたい」という気持ちが前面に出ていたと感じた。 昨年の世界選手権代表から漏れ、苦しい時期もあったと思うが、それが人間的な成長を促したのだろう。素晴らしい内容と結果に拍手を贈りたい。 田知本 人間的成長見えた 「勝ちたい」気持ちが前面に http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/11/kiji/K20160811013143420.html
87 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:36:19.31 ID:xzFMokIi.net リオデジャネイロオリンピック、柔道男子90キロ級で10日、ベイカー茉秋選手が金メダルを獲得しました。柔道男子で日本選手は今大会、 2個目の金メダルです。 初めてのオリンピックのベイカー選手は、初戦の2回戦から準決勝までの4試合すべてを一本勝ちし、決勝に進みました。 決勝では去年の世界選手権の銅メダリスト、ジョージアのバーラム・リパルテリアニ選手と対戦し、開始2分すぎに大内刈りで有効のポイントを奪いました。 最後まで攻め続けたベイカー選手は、そのまま優勢勝ちし、金メダルを獲得しました。 柔道男子は今大会、73キロ級の大野将平選手に続いて2個目の金メダルです。 また、今の階級で行われるようになった2000年のシドニー大会以降、日本選手が男子90キロ級で金メダルを獲得するのは今回が初めてです。 ベイカー茉秋選手は「オリンピックチャンピオンになることだけを考えてこの4年間ずっと、戦い続けてきたので、一戦一戦、全力で臨みました。夢が叶って、 よかったです。本当は決勝も一本勝ちしたかったのですが、簡単にはいきませんでした。でも、結果として優勝できたのですごい、うれしいです」と話していました。 ベイカー選手「歴史に名前刻んだ」 ベイカー茉秋選手は「2日前に金メダルを獲得した大野選手が普通の国際大会と思って戦ったほうがいいと話していたので、じゃあ、自分もそれでやろうと思って、 ふだんどおり戦った。特別な感情を持たず、1試合1試合に集中したことが金メダルにつながった」と、初めてのオリンピックでも平常心を貫いたと説明しました。 ベイカー選手は、ことし5月の国際大会で右肩を痛めていて、「なかなか練習できず、調子も上がらなかったが、その中でも、やれることを精いっぱい、きょうまで やってきた。きょうは痛みを感じることなく戦うことができた」と振り返りました。 外国選手の層の厚い90キロ級で日本勢として、初めてオリンピックの金メダルを獲得したことについては「周りからはだんだん実感が出てくると言われたが、 正直、今は実感がない。ただ歴史に自分の名前を刻めてよかった」と満面の笑顔で喜んでいました。 井上監督「精神力のすごさ感じた」 ベイカー茉秋選手について、男子日本代表の井上康生監督は「強心臓というか、どんな場面でも動じない彼の精神力のすごさを今回改めて感じた。初戦を 非常にいい形で勝ち上がったことがその後の勢いにつながったし、勝ち上がるたびにテンションを上げていった」と、21歳の若さと勢いを勝因にあげました。 また、外国選手の層が厚いこの階級でこれまで日本勢はオリンピックの金メダルがありませんでしたが、井上監督は「この事実を大会前の合宿で彼に 伝えたとき、それを目指してやってやろうという強気な気持ちが伝わってきた。そしてそのとおりに新たな歴史をつくった」とたたえました。 そして、「大舞台になればなるほど強く、たくましくなる。4年後の東京オリンピックで2連覇を達成するため、成長し続けてもらいたい」と、さらなる活躍に 期待をかけました。 ベイカー茉秋選手のこれまで 男子90キロ級のベイカー茉秋選手は東京都出身の21歳です。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれ、今回が初めてのオリンピック出場です。 世界選手権では初めて出場した、おととしは2回戦敗退、去年は準々決勝で敗れましたが、敗者復活戦を勝ち上がって銅メダルを獲得しました。 得意技は大内刈りと大外刈りで、ウエートトレーニングで鍛え上げたパワーとスタミナを前面に押し出して戦います。 世界ランキングの上位選手が出場する、ことし5月のワールドマスターズで優勝し、今大会の日本勢ではただ1人、第1シードとしてオリンピックに臨みました。 90キロ級は今の階級区分で行われるようになった2000年のシドニー大会以降では、2004年のアテネ大会で泉浩選手が獲得した銀メダルが最高で、これまで金メダルはありませんでした。
88 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:38:26.04 ID:xzFMokIi.net 母校で家族や友人が声援 ベイカー茉秋選手が通った東京・千代田区の小学校では、家族や友人たちが大きな声援を送り、金メダルの獲得を抱き合って喜びました。 母校の千代田区立昌平小学校に設けられた応援会場には、10日午後10時前から家族や友人、そして恩師らおよそ100人が応援に駆けつけました。 「必勝」と書かれたうちわなどを手に、大型のスクリーンでテレビの中継を見守り、ベイカー選手が1本勝ちを決めるたびに大きな歓声が沸き起こっていました。 そして、11日午前5時20分すぎに決勝が始まると、「頑張れ!」などと、ひときわ大きな声援が送られました。ベイカー選手が優勢勝ちで金メダルの獲得を 決めた瞬間、立ち上がって抱き合うなどして喜んでいました。 ベイカー選手の祖母の小林リナさん(75)は「毎日毎日練習を頑張っていた姿を見ていたので、本当にうれしいし、幸せな気持ちです。帰ってきたら『ありがとう』 と言いたいです」と話していました。 また、ベイカー選手と同じ保育園と小学校に通った、大学4年生の本田亜美さん(22)は「小さい頃のベイカー選手は元気で活発でした。試合中は ドキドキしっぱなしでしたが、最後は笑顔が見られてよかったです。同じ世代の活躍は誇りに思うし、自分も頑張りたいと思います」と話していました。 柔道男子90キロ級 ベイカー茉秋が金メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160811/k10010631041000.html やじられても、己の芯は揺れない。男子90キロ級で日本に初の金メダルをもたらしたベイカーは、決勝で有効一つのリードを守り切った。自身に科される 指導は織り込み済み。時間を稼いで、逃げ切った。求めてきたのは日本流の正しい柔道ではない。勝ちに徹する美学だった。 敗れて表彰台で泣き崩れたリパルテリアニとのコントラストは鮮明。ベイカーは「銀と金じゃ違う」ときっぱり言った。井上監督はこの戦い方を否定はせず、 「新たな柔道の面白さを切り開いた部分もある」と評し、その執念もたたえた。 ただ逃げ切るばかりではない。程訓※(※=金ヘンにリットウ)との準決勝、残り49秒で指導一つリードされる苦境に血がたぎった。わずか8秒後に 場外際での大内刈りで有効を奪うと、そのまま抑え込んで一本勝ち。土壇場での巻き返しも見事だった。 井上監督が2000年シドニー五輪決勝で見せた内股に憧れた。理想はある。華やかに勝ちたい思いはあるが、負けたら意味がないと考えるリアリスト。 東海大の上水監督が「そこへの執着は異常なくらい」と舌を巻くほど。海外勢にも組み負けないパワーと、60キロ級だった中学時代までに培ったスピード を執念の礎とした。 米国人の父を持ち、インターナショナルスクールにも通った。欧米的な合理主義は随所ににじみ出る。敬愛の念も込めて「新種」と呼ばれる男が五輪で 頂点を極め、異質な新風を吹き込んだ。 勝ちに徹したベイカー=日本柔道界に新風〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081100154 男子90キロ級で2015年世界選手権3位のベイカー茉秋(21)=東海大=が決勝でバルラム・リパルテリアニ(27)=ジョージア=に優勢勝ちで 金メダルを獲得した。階級変更前の86キロ級を含め、この階級の金メダルは日本勢初の快挙。女子70キロ級の田知本遥(26)=ALSOK=に続く 金メダルとなった。 ベイカーは、2分17秒に大内刈りで有効を奪うと、最後まで攻め続け勝利を飾った。「嬉しいです。小さい頃からの夢だったので井上監督が オリンピックチャンピオンになったのを見て柔道を始めたので、達成できてすごく嬉しいです。まだ実感はないんですけど、すごく嬉しいです。 オリンピックチャンピオンになることだけを夢見て、柔道に取り組んできたので、それが叶えて良かったです」と喜びの表情を浮かべた。 準決勝では程訓サ(25)=中国=にけさ固めで一本勝ちを飾った。 井上康生・男子監督 「ベイカー茉秋、恐るべし。強豪が次から次へと敗れたが、彼が放つオーラがそうさせたのかもしれない。日本代表にとって新種の選手。人が持っていな い柔軟性や力強さがあり、独特のやりにくさがある」 広川充志コーチ 「ベイカー茉秋の柔道を出し切った。彼がすごいのは執念、集中力、粘り。(技術的な)すごさは正直、私も分からない。でも彼は普通の人とは違うものを 持っている。それをこの大舞台で発揮した」 ベイカー茉秋、金メダル「小さい頃からの夢だった」/柔道 - リオ五輪2016 - SANSPO.COM(サンスポ) http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160811/rio16081105340058-n1.html
89 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:41:02.46 ID:xzFMokIi.net 金メダルを首に掛けた感想は? まだ実感がないですけど、すごくうれしいです。 決勝戦を制した瞬間の気持ちは? 正直、井上(康生/代表男子監督)先生の内股のように格好良く終わりたかったんですけど、なかなかできなかったです。でも、 金と銀では全然違うということは、すごく分かっているので、その気持ちがポイントを取ってからの(慎重な)試合運びに出てしまったという感じです。 今日一日通じて、どんな流れだった? 正直朝からすごく調子が良くて、朝食もすごく入って、夜もしっかりと寝られたので、これはいけるんじゃないかと思って。(そうしたら)1試合目から 調子が良かったので、そのままいったら優勝しちゃったという感じです(笑)。 試合終了後の(両手を突き上げた)ポーズはイメージ通り? あれはとっさに出たので……格好良かったですか? ああ、良かった(笑)。 初戦で勝ち名乗りを受ける時、笑っているように見えたが? いや、笑ってないです。本当に集中してました。 五輪の畳は特別だった? 本当に小さい頃から夢に描いていた舞台だったので、今まで戦ってきた国際大会と全然違うものが自分の中にもありました。全然違いました。 そのなかでもいつも通りのプレーができた要因は? 五輪であるということを思わないで、いつも通りの国際大会のように戦えば良いと常に頭に入れていたというか、そう心掛けたら意外といけました。 けがをしていた両肩の状態は? (7月前半の)スペインの合宿までは痛かったけど、帰国してからはだいぶ炎症が引いて良くなってきて、それと同時に調子も上がってきました。 今日の試合に臨むにあたってけがの不安はなかった? はい。 日本人選手が勝てなかった90キロ級を制した感想は? それこそ、歴史に名を刻んだという……(笑)。 緊張はしなかった? やっぱり前日はすごい緊張したし、決勝戦の前も緊張で3回も嘔吐してしまったんですね。でも一昨日、(大野)将平先輩(旭化成)が優勝したときに 見に行っていて、本当に格好良いな、自分もこうなりたいなと思っていたので、それが実現して良かったです。 緊張から嘔吐する経験は今までにあった? ないです、初めてです。 動揺はしなかった? 逆に体が軽くなって(笑)、本当なんですよ。 準決勝は、試合終盤に指導を取られてピンチを迎えたが? 何で指導を取られたのかまだ分かっていないんですけど、ラスト40秒くらいだったので、ヤバいと思って(距離を)詰めたのが良かったという感じですね。 指導で並びにいくのではなく、投げて勝とうと思っていたので。(焦りは)なかったです。 日本人選手は、最後まで組み合うように指導される傾向にあるが、決勝戦の終盤は距離を取って勝ちに徹した。新しい日本の柔道家のスタイルに思えたが? 新種と言われます(笑)。(自分では)そうは思わないけど。 この階級では小柄だが、長身選手を苦にしない理由は? 2013年にデビューした時はすごくやりづらかったけど、それから国際大会もたくさん出場して経験を積むことで自信になっていったという感じです。 奥襟を持たれても嫌ではない? もうないですね、最初は嫌だったんですけど。 2000年シドニー五輪で井上監督が内股で金メダルを取ったシーンは、16年前だが記憶にあるか? もう鮮明にあります。あの五輪を見てから、(自分も)五輪に対する憧れを持ったので。自分もそういう立場になれたら良いなと思っていたので、僕 (決勝戦は一本で)バシッと決めたかったんですけどね(笑)。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:42:42.13 ID:xzFMokIi.net 五輪でどのような柔道を見せようと思っていたか? 日本の柔道が低迷していると言われているので、この間の(ワールドカップで強豪の南アフリカを撃破するなど活躍した)ラグビー日本代表のように、 柔道のこの五輪で全階級で金メダルを取って、人気を爆発させたいって思っていました。(初日から)銅・銅・金・銅ときたので、まあ仕方ないなと 思っていたんですけど(笑)。僕の金メダルでラグビー日本代表くらい行かないかな?(笑)。 東京五輪に向けては今後どう進んでいきたい? 東京五輪のことは正直、まだ頭にないです。この大会のために精いっぱい頑張ってきたので。でも目指すからには、やっぱり連覇したいと思うだろうと思います。 まだ(金メダル)の実感はないんですけど、今、意外と重いなあと思ってきました(笑)。 母に伝えたいことは? 今まで母子家庭で育ってきたので、女手一つで僕を育ててくれた母に、勝って恩返しをすることが、五輪という最高の舞台でできたのが本当にうれしいです。 これくらいしかできないので。 金メダルのベイカー「恩返しできた」 田知本、姉のサポートに感謝 http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608110001-spnavi 日本柔道史上、金メダルがなかった階級で頂点を極めたのは代表最年少の新鋭だった。東海大4年のベイカー茉秋選手(21)。決勝以外はすべて一本勝ち。 圧倒的な強さで栄冠を手にし、取材に「歴史に名を刻んだ」と胸を張った。 決勝は指導を受けたが足技で有効を奪い、押し切った。「ずっと五輪チャンピオンになることだけを夢見て取り組んできたので、かなえられてよかった」。その 瞬間、はじけるような笑みを浮かべ、両手の人さし指を高く上げて天を指し、喜びを表現した。 井上康生・柔道男子監督が2000年のシドニー五輪で金メダルを獲得した試合に感動し柔道を始めた。試合前、井上監督に「きょう一番オーラがある」と 言われて送り出されたといい「勝って今までの恩を返せて良かった」。 表彰式後は「正直、井上監督の内股のようにかっこよく勝って終わりたかった」と少し悔しさをにじませながらも「東京五輪で2連覇したい」と力強く語った。 中学時代は目立った実績がなかった。「皆の足をひっぱらないようにしなきゃ」。名門の東海大浦安高に入った時、母の由果さん(46)は息子が不安そう に話したことを覚えている。 2年生から寮生活を始め柔道漬けに。入学時に60キロだった体重を90キロ級まで増やした。同校柔道部の部長、竹内徹さん(56)は「光るものは多かったが、 自信がなさそうに見えた。とにかく褒める回数を多くした」と言う。筋トレでパワーをつけ、3年時には「皆を引っ張っていかなければ」と話すように。高校タイトル を総なめにするなど素質が花開いた。 母校・東京都千代田区の昌平小学校で実施されたパブリックビューイングでは、祖母の小林リナさん(75)が声援を送った。金メダルを見届けると「最高です。 本当に幸せ」と喜んだ。 小6の時の担任で、別の小学校に勤める清水智子さんは当時の卒業文集を持って観戦に訪れた。文集には「いつかは井上(康生)選手みたいになりたい」と つづっていた。清水さんは「本当に夢をかなえた。小学時代(と同様)の笑顔が見られて、彼に感謝しています」と感極まった。 柔道男子ベイカー、階級初の金に「歴史に名を刻んだ」 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG11H0W_R10C16A8000001/ 21歳で五輪初出場にも関わらず、ベイカーは憎いほど「いつも通り」だった。自分の長所を生かしたうえで、相手の対策をしっかり実行する冷静さが、 日本勢としては初のこの階級の金メダルにつながったと思う。 ベイカーの特徴の1つが、腰を引いたような重心の低い姿勢。これは防御面で非常に優れている。そして、この姿勢ができるのは、攻撃時に一気に踏み込み、 押し込めるだけの瞬発力があるからだろう。決勝の勝負を決めた大内刈りは、その良さが凝縮されていた。 もう1つの特徴は組み手の強さ。外国人選手は日本人選手と組み合うことを嫌うケースが多いが、ベイカーの場合は一度持つと簡単には切られない力がある。 これによって連続した攻めを繰り出すことが可能になっている。 準決勝で対戦した中国選手はこの日絶好調で、シード選手を強烈な背負い落としで下してきていたが、ベイカーは最後まで見事に対処した。これもまた、 冷静な試合運びで、精神面も充実していることを感じた。20年東京で連覇も狙える存在に成長してきたと思う。 ベイカー勝因は平常心 長所生かした冷静な試合運びが金もたらした http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/11/kiji/K20160811013143400.html
91 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:44:18.20 ID:xzFMokIi.net リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級の銅メダリスト、ディルク・バンティヘルト(ベルギー)が、海岸で強盗に殴られ負傷したことが10日までに、 明らかになった。ベルギー・オリンピック委員会が確認した。 バンティヘルトは8日、準決勝で大野将平(旭化成)に敗れたものの、3位決定戦を制して銅メダルを獲得した。 その数時間後、“祝勝会”よろしく、練習パートナーとコパカバーナ海岸に繰り出したところ、練習パートナーが強盗に携帯電話を奪われた。追いかけた バンティヘルトは、抵抗する強盗に顔面にパンチをくらった。 バンティヘルトは近くの警察署で被害届を出した後、念のために病院で診察を受けたという。 一夜明けて、バンティヘルトは銅メダルに加え、目の周りに青あざをこしらえて練習場に姿を現した。ベルギーメディアは当初、激しい試合で打ち付けたと 報じていたが、同委員会が強盗に暴行を受けたことを確認したという。 また、ベルギーメディアは、女の強盗に殴られたと報じていたが、同委員会は「その情報は間違っている。彼を殴ったのは間違いなく男だ。警察の報告書にも そう書いてあった」と否定した。 柔道銅メダリストの顔面青あざ、そのトホホな理由…強盗追いかけ逆襲に!? http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160811/rio16081112090096-n1.html あと一歩及ばず、田代は号泣した。準決勝で過去5戦全敗のクラリス・アグベニェヌ(フランス)と対戦。研究を重ね、左奥襟を防ぎながら、勝機を 見出そうとしたが、残り39秒で痛恨の場外指導に泣いた。3位決定戦では投げ技の際に頭を打つ悲運もあり、メダルを逃した。 「情けない。ただ、弱かった。(五輪は)大きく感じて、怖かった」 昨年まで世界選手権で2年連続3位となり、実績は十分だったが、初めての五輪にのみ込まれた。 「自分がここからどう変わっていくか」。代表での担当で所属のコマツでも指導を受ける谷本歩実コーチ(31)と階級、所属が一緒で容姿も似ていることから、 “谷本2世”と呼ばれる大器。4年後の東京五輪へ向けて、ここからはい上がる。 南條充寿・女子監督 「田代はやってきたことを全て出したが、攻めるべきところでいけない弱さが出た。(4日間で金メダルゼロに)チャンスである軽い方の階級で銅3個は 非常に厳しい結果だ」 田代、号泣5位「情けない」 今大会の日本柔道陣で初めてメダル逃す http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160811/rio16081105020030-n2.html 永瀬は初戦から硬さがあり、本来の柔道ができなかった。腰が引けて守りから入っていた印象で、その分、技を出すのが遅くなった。 永瀬の最大の特長は、天性の重心移動を使った間合いの感覚。通常よりやや後ろに重心を置き、その重心を自在に動かすため、懐が深い。相手にとっては、 永瀬の体の前に板がある感覚で、内股や大外刈りで投げられるのを見たことがない。 その受け(守り)が強い永瀬が、準々決勝では袖釣り込み腰で有効を奪われた。気持ちが前に出ていない分、相手の攻めを防ぎきれず、板の内側にトマを 入れてしまった。有効を奪われた後も勝負に出ず、淡々と試合を終えてしまった。 その後の2試合は、本来の柔道をした。3位決定戦は、強豪チリキシビリ戦だったが、全く危なげない試合で勝った。最初からこの柔道をできれば、金メダル を獲れたはずだ。緊張や重圧という言葉で片付けてはいけないが、体を動かすのは気持ちだとすれば、金メダルのための勝負度胸が足りなかった。 女子の田代は、チグハグな一日だった。本来はしっかり組んで足技で攻める柔道だが初戦から気負っている感じがあり、3位決定戦を含めて、間合い を詰めて強引に攻める場面が多かった。 逆にヤマだった準決勝は強引さがなかった。アグベニェヌには完敗することが多かったが、研究の成果で相手の持ち味を消していた。強引に攻める気持ちが あれば、指導1で敗れるという結果にはならなかっただろう。 金メダルには届かなかったが、2人ともまだ若い。今回の苦い経験を糧にして、東京を目指してほしい。 “守り”の長瀬&“足技”の田代 本来の柔道できず…東京でリベンジ http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/11/kiji/K20160811013140010.html
92 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:47:04.55 ID:xzFMokIi.net 柔道女子78kg級の期待の新星・梅木真美選手(21・環太平洋大学4年)が生まれ育ったのは、大分県九重町。父・彰博さん(59)は和牛の繁殖農家の3代目。 母牛に種付けをし、生まれた子牛を300キロまで育てて肥育農家に出荷するまでが仕事だ。 農家の嫁は、朝から晩まで農作業。だから、子供たちは、もうほったらかし。野放し状態です」と、ケタケタ笑う母・英子さん(58)。それでも農家の野菜は とれたて新鮮。お米も自家製で、肥育農家からもらったA5ランクの和牛や、熊本の最上級の馬肉を食べて、真美さんはスクスクと育ち、現在174センチ78キロ。 スタミナと根性を武器に、粘り強い柔道をする。 昨年8月、カザフスタンで行われた「アスタナ世界柔道選手権」に初出場して初優勝。出身地の九重町から町民栄誉賞を贈られた。真美さんは3姉妹の末っ子。 幼いころから率先して牛飼いのお手伝いをしていたという。両親と3姉妹で、放牧場の山まで牛を連れていったときのこと。1頭の母牛が群れから外れそうになった。 「すると真美がパッと両手を広げて、体を張って牛を制したんです。角はないけど、親牛だから400キロくらい。それでも真美はまったく怖がらなかった。 真美が3歳くらいだったと思います」(英子さん・以下同) 3歳にしてこの度胸があれば、世界の強豪にも臆さないはずだ。小学校は自宅から4キロも離れていたが、3姉妹は通学バスを使わずに歩いて通った。 牛の世話と通学で、自然に足腰が鍛えられた真美さんが、柔道を始めたのは小3のとき。地元の柔道クラブの師範に声をかけられた。 「遊びのように楽しそうに通っていました。ただ、勝っても負けてもニコニコしているので歯がゆかったですけどね」 いつもニコニコしている真美さんだが、実は心の底に燃える闘志を秘めていた。中2の団体戦(3人制)で、彼女の前の2人が負け、全国大会に行けなかった。 すると、泣いて悔しがったのだ。 「ビンタをされても、どんなに絞られても、泣いたことがなかったから、監督も私もビックリでした」 高校は強豪の熊本県・阿蘇中央高校に進学し、親元を離れた。大学はバルセロナ五輪金メダリストの古賀稔彦監督が指導する岡山の環太平洋大学へ。 その選択に英子さんのアドバイスがあった。 「いろいろな大学に見学に行ったなかで、最も厳しい稽古をしていたのが、環太平洋大学。真美は行く気になれなかったようですが、『(見学者に)きつい ところしか見せなかった環太平洋大学は、それだけ正直だということ』と、真美にはそう伝えましたね」 今年6月、大学対抗の団体戦には真美さんは膝の故障で出場していない。結果は決勝で負けて2位。 「その後、真美からメールがあって、『悔しいけど、私が出場しないのに優勝したら、もっと悔しかったかも』とあって。こんなこと言う子だったかなと。 自分がチームを引っ張っているという自負が出てきたんでしょう。少し成長したのかなと思います」 400キロの牛を制した3歳児時代 柔道梅木“強さの原点”(スポーツ) - 女性自身[光文社女性週刊誌] http://jisin.jp/serial/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84/sports/25027 アルベアルは決勝で田知本に敗れ、五輪の頂点には届かなかった。それでも昨年負った膝の故障を乗り越えてロンドン五輪の銅に続くメダルを獲得。 「また表彰台に上がれて幸せ。国が盛り上がってくれたらうれしい」と、誇らしげだった。 7年前からコロンビアでコーチを務める早川憲幸さんの指導を仰ぐ。ミキハウスの支援も受け、3カ月に一度は来日して稽古を積んでいる。田知本対策をノ ート一冊にまとめるなど、早川さんとはライバルの研究も熱心に重ねてきた。 その早川さんからは、前日にスペイン語で「きみは決して一人ではない」と記された手紙をもらい発奮した。「とても力になった。私は彼の家族の一員」。 感謝の思いも込めた銀メダルとなった。 日本人コーチに感謝=アルベアル〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081100230
93 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 20:51:15.35 ID:xzFMokIi.net 勝利への執念が、五輪への道を切り開いた。リオデジャネイロ五輪柔道女子78キロ超級の山部佳苗(25)=札幌市出身。引退を覚悟して臨んだ今年4月の 国内最終選考で、代表有力候補を果敢に攻めて破り、初の代表の座をつかんだ。五輪では、元柔道選手の父徳一(のりかず)さん(56)直伝の払い腰で メダル獲得を目指す。【江連能弘】 半年前はどん底だった。代表選考の対象試合となっている2月のグランドスラム・パリ大会で、山部は初戦敗退する一方、代表有力候補の田知本愛 (たちもとめぐみ)(27)が優勝し、大きく水をあけられた。「残り2大会で柔道をやめる」。山部が6歳から中学時代まで通った札幌・厚別区体育館柔道クラブの 斎藤山好一(やすいち)監督(48)は、そんな弱気な連絡を受けたという。 しかし、山部は踏みとどまった。4月2日の全日本選抜体重別選手権で優勝し、首の皮一枚で選考争いに残ると、最終選考となった同17日の 全日本女子選手権決勝で田知本と対戦。左膝を痛めていた相手をためらわずに攻め、隅落としから抑え込んで一本勝ちした。斎藤さんは「これまでは 押し込まれる柔道だったが、畳の中央から下がらなくなった。勝ちたい気持ちと根性があった」と勝因を挙げる。 山部が柔道クラブに所属していた頃、クラブが休みの時は父徳一さんの勤務先である札幌刑務所で、徳一さんから指導を受けた。当時の山部は 「好きな投げ技の練習はするが、嫌いな寝技はあまりやらなかった」(斎藤さん)。 しかし、徳一さんは「力任せではなく、相手の力を利用して投げるのが柔道。自分にあった技を身につければいい」と、自身が得意とした払い腰を伝授した。 山部は払い腰を得意技として成長し、試合では抜群の集中力を見せる。徳一さんは「柔道をやってきた人間として、娘が代表入りしてうれしい」と喜ぶとともに、 「五輪の雰囲気を楽しみ、思い切り自分の柔道をしてほしい」と愛娘を見守っている。 女子柔道 どん底から代表に 札幌出身・山部、あすメダル挑戦 http://mainichi.jp/articles/20160811/ddr/041/050/002000c 表彰台に届かなかった田代は「ただただ自分が弱かった」と目に涙をため、敗北を正面から受け止めた。 東京・淑徳高2年時の試合。畳に落ちた時、左足があらぬ方向に曲がっていた。左膝靱帯(じんたい)の完全断裂で全治8カ月。復帰直後にまた痛め、 再び手術した。 連勝街道を走ってきた柔道人生の暗転。他の選手の成長を見るのが嫌で柔道雑誌を読むのをやめた。復帰後、膝をかばって柔道が崩れた。 暗いトンネルにいて抱き続けた言葉がある。「時流に乗らずに自流に乗れ」。神奈川・吉田道場で学んでいた小学校卒業時、今は亡き吉田功館長から 贈られた言葉だ。努力を重ねて2014年世界選手権で3位に入った時、真意が理解できた。 宿敵のアグベニェヌの壁を破れず、3位決定戦にも敗れた。「ここから自分がどう変わっていくか考えたい」と田代。目の前の壁が厚くとも逃げはしない。 五輪柔道:田代、逃げずに5位 敗北を正面から受け止め http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160811/k00/00m/050/128000c 初戦から永瀬の動きのぎこちなさに、井上監督は「力の50%も出せていない」と感じた。地力の差で勝ち上がったが、嫌な予感ほど当たるもの。 それが致命傷になったのがトマとの準々決勝だった。 国際大会で2連勝している相手に技が出せない。様子見を続けているうちに時間だけが過ぎていく。残り2分。トマに先に仕掛けられた。強引に右袖を取られ て担がれた。わずかに崩れ、右肩から落ち、有効を取られた。 両手を広げた時の永瀬のリーチは189センチ。股下は90センチ。身長は181センチだが、手足は海外勢と比べても長い。懐の深さで相手の圧力を 全て吸収してしまう受けの強さが特長だ。 本来の永瀬なら、トマの担ぎ技も軽くいなせたはずが、動きが硬い分だけ対応が遅れた。初めて経験する五輪舞台の重圧か。「ちょっと臆病になり、 安全策を考えていた。自分の本来の動きを出せずに縮こまっていた」と永瀬。敗れた後の銅メダルまでの2戦が、本来の動きに戻っただけに悔やんでも 悔やみきれない。 まだ22歳。初出場で5位だった2年前の世界選手権の後も悔しさをバネに筋力強化に励み、昨年は優勝した。「力からすれば優勝できたので無念さはある。 ただ大舞台では難しい、気持ちの切り替えで銅メダルにつなげた。まだまだ強くなる」と井上監督は見ている。 表彰台を降りた時点で気持ちは次を向いている。「この悔しい気持ちのまま終わりたくない。東京五輪では笑顔で終わりたい」。決意をリオから持ち帰る。
94 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 22:58:24.32 ID:xzFMokIi.net やることなすこと、何もかもが規格外。日本人として初めて男子90キロ級で金メダルを獲得したベイカー茉秋(21=東海大)は、柔道界に数々の “ベイカー伝説”を残している。 東海大浦安高に入学時は60キロと軽量級だった。柔道部の竹内徹監督(56)が放課後、まず指導したのはお金を渡して定食屋に行かせることだった。 「週2〜3回はそれだけで終わりました」。練習は食べるだけ。1日7食に上る時もあった。 肉体の厚みを増すと、今度は強過ぎるため、打ち込みは3人がかりとなる。5月の国際大会で強豪を破った際には「3人打ち込みが効きました」とベイカー。 柔道では基本となる乱取りも極端に少ない。「彼は技をかける数も力の入れ方もほかの子とはかけ離れている。2〜3本で休憩が必要なんです」(同監督)。 ベイカーも「ボクには乱取りは必要はないと思います」と言いだし、乱取りは中止になった。一方で「柔道に影響が出るから」と体育の授業は全て見学した。 大学に入っても破天荒さは変わらない。初の国際大会では、相手の研究を全くせずに勝ち上がって優勝した。上水研一朗監督(42)は「あんな人間、 初めて見ました」と腰を抜かしそうになった。肩を亜脱臼したと訴え、そのままトレーニング室に直行し、ベンチプレスを上げていたこともある。 「ボクらの亜脱臼は肩は上がらないですよね。アイツは『いやー、また亜脱臼しました』と肩を回しながら言うんですよ。本気でそう思っている」 畳の外でも話題には事欠かない。嫌いなものはゴキブリで高校時代は風呂に入る時は後輩を引き連れ、虫がいないかチェックさせた。それでも現れると、 ベイカーは後輩の背中に飛び乗って震えていたという。休日はペットと過ごすインドア派。そのため、母・由果さん(46)はいい映画があるとバイクの後ろに ベイカーを乗せ、強引に有楽町の映画館まで運んだ。大学では青と白の胴着を一緒に洗い、色がついてしまったこともある。洗濯をしたことがなかった。 最近は寮の周辺にいるカラスが悩みの種。平塚市に連絡したものの取り合ってもらえず、レーザーポインターを使っての格闘が日課だった。 【柔道男子】肩を亜脱臼したままベンチプレス!90キロ級金・ベイカーの規格外伝説 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578837/ リオデジャネイロ五輪柔道男子90キロ級で金メダルを獲得したベイカー茉秋(21=東海大4年)が来春の卒業後の進路として実業団1部の強豪、 日本中央競馬会を希望して就職活動中であることが11日、関係者の話で分かった。 ベイカーは日本人選手として初めて五輪の男子90キロ級(階級変更前の86キロ級を含む)を制した。 日本中央競馬会にはリオ五輪男子100キロ超級代表の原沢久喜が所属し、6月の全日本実業団体対抗大会を制覇。 かつては元世界王者で1992年バルセロナ五輪95キロ超級銀メダルの小川直也、2000年シドニー五輪81キロ級金メダリストの滝本誠が在籍していた。 金メダルのベイカー茉秋は就活中、JRA希望 - 柔道 : 日刊スポーツ http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1693306.html
95 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 22:59:41.87 ID:xzFMokIi.net リオ五輪柔道男子81キロ級の永瀬貴規(22=旭化成)が銅メダルを獲得した。永瀬は準々決勝で敗退も、敗者復活に回ってからの2試合でようやく 本来の力を発揮した。 「悔しい気持ちでいっぱいです。縮こまってしまって、本来の動き、自分の良さが出せなかった」。昨年の世界選手権を制し、先輩の大野と並ぶ有力な 金メダル候補として臨んだ初の五輪はほろ苦いものになった。 課題としていた初戦(2回戦)は危なげない優勢勝ちだったが「あまりいい試合ではなかった」。3回戦では足技からの押さえ込みで合わせ技一本勝ち。 だが、準々決勝では先に有効を奪われ、そのまま逃げ切られた。 敗戦後、大野から「『まだメダルは残っているから、切り替えてしっかり取りに行け』という言葉をもらいました」。これが効いたのか、敗者復活戦では 序盤から攻め立て背負い落としで一本勝ち、3位決定戦では世界ランク1位チリキシビリ(25=ジョージア)から内股で有効を奪い優勢勝ちでメダルを死守した。 井上康生監督(38)は「優勝できる力はあったと思う。彼の中にある心の強さを引き出してあげられなかった」。敗者復活戦からの戦いぶりが見事 だっただけに、悔しい結果となった。 持ち味はその井上監督が「世界一」と呼ぶ防御力だ。身長(181センチ)を超える188センチのリーチに加え、その秘密は指先にある。ロサンゼルス 五輪金メダリストで全日本柔道連盟の山下泰裕副会長(59)は「ひっかける力だと思う。握力ではなく外れない力。例えば、鉄棒の大回転とかもの すごい力が働いている。(永瀬も)常に動いている中での感覚が非常に繊細」と目を細める。 実際、永瀬の握力は両手とも53〜54キロ程度しかない。しかし、昨年12月のグランドスラム東京大会で、下半身をつかんだとして反則負けを くらった試合では、逆に最後まで上着を持ち続けた永瀬の“外れない力”に驚嘆の声が漏れた。山下氏は「寝技もできるし、立ち技も技のつなぎもうまい。 一本取れる豪快な技があれば、中量級のオレになっちゃうよ」。“世界のヤマシタ”が未来の後継者に指名するほど評価は高い。 まだまだ先がある未完の大器。永瀬は五輪の重圧を言い訳にはせず「力を出せなかったのは確かですが、一番の敗因は実力不足。悔しいままで 終わりたくないので、東京では笑顔で終われるようにやっていきたい」。銅メダルを手に4年後のリベンジを誓った。 【柔道】悔しい銅・永瀬“世界のヤマシタ”が後継者に指名する逸材は東京でリベンジ誓う http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/578304/
96 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/11(木) 23:05:13.58 ID:xzFMokIi.net 柔道女子70キロ級で田知本遥(26)の金メダルが決まった瞬間、スタンドで応援していた姉の愛(27)はタオルで顔を覆い、むせび泣いた。 表彰式後もずっと泣きじゃくる愛。その首に、遥はそっと金メダルをかけてあげた。「やばかったやろ」と笑顔の遥。愛はようやく「おめでとう」と言葉を振り絞った。 「柔道を始めたときから一緒に五輪を目指していた。自分のことのようにうれしい」。愛は78キロ超級での出場がかなわなかった。妹だけの出場は悔しくなかったか。 「こんなに喜べることはない。こんな気持ちにさせてくれてありがとう」と笑った。 富山県の小中高、東海大を経て社会人になるまで、遥と愛は全く同じ道を歩んだ。ささいなことで姉妹げんかもしたが、けんかをすると意地の張り合いで 柔道の成績が良くなった。 遥の柔道人生最大のピンチは昨年2月。国際大会の直前に市販の風邪薬を飲んだ。ドーピング違反の危険性があるため、欠場せざるを得なくなった。 ふさぎ込んでいる遥に愛は「何しているんだ。やれることをやれ」と叱った。遥は「練習でナーバスになっていると姉が愚痴を聞いてくれた。ありがたかった」 と感謝する。 遥はロンドン五輪のときと比べて、技術的にも精神的にも大きくなっている。尊敬します」。目を真っ赤に腫らした愛は“盟友”の妹をこうたたえた。 【五輪柔道】田知本姉妹、二人三脚で金メダル 泣きじゃくる姉の首に妹の遥は金メダルをそっとかけた… http://www.sankei.com/rio2016/news/160811/rio1608110121-n1.html 田知本は試合序盤、消極的として指導を取られたが、2分過ぎに有効を奪うと、そのまま押さえ込みに入って一本勝ちした。 試合後の一問一答は以下の通り。 やりましたね 「ありがとうございます」 最後がっちり押さえ込んだときはどんなことを考えていましたか 「もう絶対離さないと思ったし、もう自分で、秒数は見えなかったですけど、あと何秒と思って耐えました」 ロンドン五輪の悔しさを何倍にもして返しましたね 「できたと思います」 田知本遥の柔道人生で今日が一番充実してたんじゃないですか 「間違いないと思います」 「もう絶対離さない」田知本が金 女子70kg級 http://www.sankei.com/photo/story/news/160811/sty1608110006-n1.html
97 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 18:28:33.23 ID:eYENeoLf.net 女子78キロ級で昨年の世界選手権女王の梅木真美(21=環太平洋大)が2回戦でヨー(ハンガリー)に優勢負けを喫し、無念の初戦敗退となった。 動きの硬い梅木は開始早々の16秒でいきなり「指導」を取られる苦しい展開。さらに1分過ぎには2度目の「指導」をもらい、ますます劣勢になった。 得意の寝技でも押さえ込みにいけずにいると、相手の足技で「有効」を奪われた。終了間際にも相手の投げ技で「有効」を取られ、完敗を喫した。 試合後、梅木は号泣しながら「まだまだ実力不足と思います」とコメント。持ち味を出し切れぬまま、悔しい敗戦となった。 【柔道】女子78キロ級・梅木真美が無念の初戦敗退「まだまだ実力不足」と号泣 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/579357/ 女子78キロ級2回戦で梅木真美(21)=環太平洋大=がアビゲル・ヨー(26)=ハンガリー=に優勢負けで初戦敗退した。 梅木は、3分3秒に谷落としで有効を奪われると、4分にも内股でまたも有効を奪われ初戦で姿を消すこととなった。 試合後は号泣し、インタビューにもなかなか答えられなかったが「まだまだ、自分の実力不足だと思います」と声を絞り出した。 梅木真美 「目指していたのは金メダルなので悔しい。最初に相手の流れにしたのがいけなかった。後半も攻めることができなかった。今回の結果をしっかり 見つめ直して、次につなげていきたい」 梅木真美、初戦敗退に号泣「自分の実力不足」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160811/rio16081123420124-n1.html 準々決勝でクルパーレク(チェコ)に優勢負けを喫し、金メダルはならなかった。 羽賀は序盤から背中を持ってくる相手に大苦戦。相手の隅返しへの対応で手一杯になり、2分40秒過ぎに「指導」を受けた。得意の内股の組み手 にはなかなかならず、3分40秒過ぎには再び「指導」を取られる。最後の反撃も相手に逃げられ不発に終わり、そのまま無念のタイムアップとなった。 羽賀は敗者復活戦に回り、銅メダル獲得を目指す。 【柔道】羽賀100キロ級「準々決勝」で無念のタイムアップ 敗者復活戦へ http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/579365/
98 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 18:30:43.41 ID:eYENeoLf.net リオデジャネイロオリンピック、柔道男子100キロ級で11日、羽賀龍之介選手が銅メダルを獲得しました。この階級で、日本選手がメダルを獲得するのは シドニー大会以来、4大会ぶりです。 オリンピック初出場の羽賀選手は、去年の世界選手権を制しましたが、ことし3月、左ひざのじん帯を損傷する大けがをしたため、オリンピックは去年 12月以来となる8か月ぶりの実戦でした。 羽賀選手は、初戦の2回戦で得意の内股を豪快に決め、一本勝ちしたあと、準々決勝では、おととしの世界チャンピオンで、チェコのルカーシュ・クルパーレク 選手と対戦しました。羽賀選手は、長身の相手に何度も奥襟をつかまれ攻めあぐね指導の差で敗れて、敗者復活戦に回りました。 敗者復活戦を勝ち上がって臨んだ3位決定戦では、ウクライナのアルテム・ブロシェンコ選手と対戦し、開始3分すぎに絞め技で一本勝ちし、銅メダルを 獲得しました。 日本勢がこの階級でメダルを獲得するのは、シドニー大会で、男子日本代表の井上康生監督が金メダルを獲得して以来、4大会ぶりです。 金メダルは、羽賀選手を破ったチェコのクルパーレク選手でした。 「もっと強くなって帰ってきたい」 リオデジャネイロオリンピックの柔道男子100キロ級で銅メダルの羽賀龍之介選手は「オリンピックは怖いものと感じてしまった。それがふがいない戦い につながってしまった」とオリンピックの雰囲気にのまれたと反省しました。 準々決勝で敗れたチェコの選手は身長が10センチ以上高く、オリンピックで対戦することを想定して日本で長身の選手と練習して組み手の対策を 練ってきましたが、この日の試合では相手に自分の背中をつかまれて押される展開となり、「研究してきたが、その上をいかれた。正直何もできなかったし 完敗です」と振り返りました。 それでも、この階級ではシドニー大会以来4大会ぶりのメダルを獲得したことについては、「重量級が勝てないと言われ続けて、注目もされてきた中で このままでは帰れないと思い、何としてもメダルを取って少しでも重量級が復活してきているのを皆さんに届けたかった。この経験を生かさないといけないし、 もっともっと強くなって帰ってきたい」と最後は力強く話していました。 井上監督とは数多くの共通点 男子100キロ級の羽賀龍之介選手は宮崎県出身の25歳。今回が初めてのオリンピック出場です。相手を跳ね上げるような豪快な内股を武器に去年の 世界選手権で初優勝しました。 男子日本代表の井上康生監督とは出身地、出身大学、さらに得意技も同じ内股と共通点が数多くあります。ことし3月に左ひざのじん帯を損傷する大けが を負い、4月の最後の代表選考会は欠場しましたが、これまでの実績から代表に選ばれました。 その後も大会には出場せず、オリンピックが去年12月以来、8か月ぶりの実戦でしたが、この階級では2000年のシドニー大会で今の男子代表の 井上監督が金メダルを獲得して以来、4大会ぶりとなるメダルをつかみました。 柔道男子100キロ級 羽賀が銅メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160812/k10010632271000.html リオデジャネイロ五輪は大会第7日の11日、カリオカアリーナで柔道男子100キロ級を行い、羽賀龍之介(旭化成)は3位決定戦で、 アルテム・ブロシェンコ(ウクライナ)に一本勝ちし、銅メダルを獲得した。 試合開始から積極的に攻め続けた羽賀は3分12秒、三角絞めを決めると、相手が「参った」をした。 【五輪柔道】羽賀龍之介、銅メダル 三角絞めで一本勝ち 男子100キロ級 http://www.sankei.com/rio2016/news/160812/rio1608120029-n1.html
99 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 18:37:58.61 ID:eYENeoLf.net 男子100キロ級で2015年世界選手権王者の羽賀龍之介(25)=旭化成=が3位決定戦で、アルチョム・ブロシェンコ(31)=ウクライナ=に寝技で 一本勝ちで銅メダルを獲得した。 両者、消極的な試合運びで指導を受けると、1分59秒にブロシェンコに再び指導。羽賀は3分21秒、大内刈りでブロシェンコを倒すと、これは ポイントとならなかったが、すぐさま三角絞めを極め一本勝ちとなった。「目標が金メダルだけだったので、そのモチベーションなくなった時にす ごい苦しかったんですけど、終わってみるとメダルがあると無いとでは大きいと思うので、銅メダルでも取れてよかった。勝てて本当によかった」と振り返った。 日本勢の同階級のメダルは2000年シドニー五輪を制した井上康生以来。日本柔道のメダルは金3、銅7の計10個っとなり、1992年バロセロナ五輪 と04年アテネ五輪の最多記録に並んだ。 羽賀は準々決勝でルカシュ・クルパレク(25)=チェコ=に優勢で敗れ、敗者復活戦に回ったが、ベカ・グビニアシビリ(20)=ジョージア=に優勢勝ち し3位決定戦に進んだ。 井上康生・男子監督 「羽賀は負けた試合では(膝の)けがの影響が出てしまった。ただ敗者復活戦から最後まで闘い抜いた姿は立派だった。(6人全員メダルに)死に物狂いで、死力 を尽くして闘ってくれた。本当にたたえたい」 羽賀龍之介、一本勝ちで銅メダル「勝てて本当によかった」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160812/rio16081205200057-n1.html リオデジャネイロ五輪の柔道男子100キロ級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介(旭化成)「目標は金メダルだったので、取れなくてモチベーションを無くして 苦しかった。終わってみるとメダルあるのと、ないのとでは(違いが)大きいので、銅でも取れて良かった。(得意の)内股は読まれていたので、苦しくて しんどかったが、どんな形でもいいと思い、結果的に寝技で勝てて良かった。色は違いますけど、この経験を生かし、また応援してもらえるように頑張りたい」 柔道・銅の羽賀「どんな形でも勝てて良かった」 http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2016/martialarts/judo/20160812-OYT1T50013.html 柔道は11日、男女2階級が行われ、男子100キロ級の羽賀龍之介(旭化成)は銅メダルだった。ここまで男女12階級で日本のメダルは金3、銅7の計10個と なり、総数で1992年バルセロナ、2004年アテネ両大会と並ぶ最多となった。 羽賀は準々決勝でルカシュ・クルパレク(チェコ)に指導一つの差で敗れた。敗者復活戦を勝ち上がり、3位決定戦でアルチョム・ブロシェンコ(ウクライナ)に 一本勝ちした。優勝はクルパレク。 女子78キロ級の梅木真美(環太平洋大)は初戦の2回戦でアビゲール・ヨー(ハンガリー)に敗れた。ケイラ・ハリソン(米国)が連覇を果たした。 羽賀が銅=メダル10個、最多タイ−柔道〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081200066 柔道の男子100キロ級の3位決定戦が11日に行われ、2015年世界選手権王者の羽賀龍之介(25=旭化成)がアルチョム・ブロシェンコ(31=ウクライナ)に 一本勝ちし、銅メダルを獲得した。 羽賀は初戦の2回戦でボロダフコ(ラトビア)と対戦し、左の奥襟をしっかり持って2分29秒、内股でまず一本勝ち。3回戦は開催国ブラジルのブザカリニが 相手となり、完全アウェーの中で羽賀は冷静に戦い、何度か内股を仕掛けるも決まらなかったが、攻勢をかけたことで相手が消耗。スタミナが落ちたところで 指導を取られ、優勢勝ちした。 準々決勝はクルパレク(チェコ)と対戦、何度も内股をかけた羽賀だが、決め手なく、逆に指導を取られ敗れた。しかし敗者復活戦ではグビニアシビリ (ジョージア)に指導による優勢勝ちで3位決定戦進出を決めていた。3位決定戦では、相手に指導2つが出た後の3分12秒に三角絞めで一本勝ち、 昨年の世界王者の意地を見せた。 男子100キロ級のメダルは2000年シドニー五輪の井上康生(現男子日本代表監督)が金メダルを獲得して以来4大会ぶり。日本柔道のメダルは これで10個となり、1992年バルセロナ、04年アテネ両五輪の最多記録に並んだ。また、これまでの男子全6階級でメダル獲得。 残す階級は100キロ超級の原沢久喜だけとなった。 羽賀 意地の一本勝ちで銅メダル!柔道男子のメダル途切れず http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/11/kiji/K20160811013150530.html
100 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:01:05.07 ID:eYENeoLf.net 父から受け継いだ得意技で攻め続けた。柔道男子100キロ級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介選手(25)。観客席から見守った父善夫さん(53)は、 無念の涙を流す息子に駆け寄り「もっと泣け」と叫んだ。 「きょうは決まらなかったが、課題をほっておくような男じゃない。さらに技を進化させるはず」。悔しさを糧に成長する息子の姿を思い描き「楽しみです」 と先を見据えた。 羽賀選手が「3歳から22年間磨き続けた」と語る得意の内股は、講道館杯優勝などの実績を持つ善夫さんから教えられた。「軸となる技を持たせる」との 信念の下、小さいころから練習時間のほとんどを形を作る「打ち込み」に費やし、マンツーマンで上半身の使い方やタイミング、足の運びなどを体に染みこませた。 子供には退屈な内容だが、羽賀選手は黙々とこなした。「父みたいな一本を取る技に憧れた」と話す。善夫さんが息子の内股を「得意技」と認めたのは 中学3年の後半。高校1年の全国大会では内股を武器に20人抜きの記録を打ち立てた。 けがで万全でないとき、苦戦したとき、支えたのは「映像を見ると父そっくり」という内股だった。善夫さんは「ベースは自分だが、豊富なバリエーションは 彼が生み出した。本当にいい技になった」と目を細める。 五輪では決まらなかった得意技。試合後、羽賀選手は「今まで以上に警戒されていると感じ、返される不安で踏み込めなかった」と反省した。 「金を取れなかった原因を捜し、次があると信じてやっていく」と前を向いた息子。父は「警戒されても決められるのは必殺技。まだ先がある」と笑みを浮かべた。 リオ五輪柔道100キロ級で銅 羽賀龍之介に駆け寄った父「もっと泣け」 http://news.livedoor.com/article/detail/11879722/ リオ五輪の柔道男子100キロ級で3位決定戦を制した羽賀龍之介選手(25)。相手の「参った」で銅メダル獲得を決めた際、自らを納得させるように 軽くうなずいたものの、硬い表情を崩さなかった。畳を降りた羽賀選手に、重量級担当の鈴木桂治コーチが肩を組みながらねぎらいの言葉を掛けると、 初めて笑顔を見せ、目を涙で潤ませた。 昨夏のカザフスタンでの世界選手権を制した切れ味鋭い内股は、対戦相手に徹底的に研究されていた。初戦は一本勝ちしたものの、その後の戦いでは、 何度も内股を仕掛けても決まらない。準々決勝では攻めきれず、2度の「指導」を受けて敗れた。敗者復活戦を勝ち進んで挑んだ3位決定戦では、最後は 連続攻撃の末に一本勝ちした。 試合後のインタビューでは「目標は金メダルだけだった。そのモチベーションがなくなったとき、すごく苦しかった」と吐露。それでも「メダルがあると無いとでは (差が)大きい。銅メダルでも取れてよかった。この経験を生かしたい」と話していた。 柔道・羽賀「苦しかった」 苦戦の末の銅 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG12H05_S6A810C1000000/
101 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:01:29.24 ID:eYENeoLf.net 柔道男子100キロ級準々決勝で敗れた羽賀龍之介(25)=旭化成=が、敗者復活戦を勝ち上がり、3位決定戦でアルチョム・ブロシェンコ(31)=ウクライナ=を 三角締めで一本勝ち。昨年世界選手権の覇者として、意地で銅メダルを獲得した。 羽賀は初戦の2回戦で、エフゲニス・ボロダフコ(29)=ラトビア=に内股で一本勝ち、3回戦では地元ブラジルのラファエル・ブザカリニ(24)に 優勢勝ちしたが、準々決勝でルカシュ・クルパレク(25)=チェコ=を攻め切れず2度の指導を受けて敗れた。敗者復活戦でベカ・グビニアシビリ(20)= ジョージア=に優勢で勝ちし、3位決定戦に挑んだ。 羽賀龍之介「終わってみるとあるとないとでは違うので、銅メダルでも取れてよかったです。色は違いますけど、この銅メダルの経験を生かしてまたみなさん に応援してもらえるよう頑張りたい」 【柔道】羽賀が三角締めで銅メダル獲得…男子100キロ級 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160812-OHT1T50097.html 羽賀の出足を恐怖が邪魔した。内股に絶対の自信を持ち、果敢に踏み込む本来の姿がない。「いつもは投げる際怖さを感じずに入り込める。それが仕掛けた後 のことを考え、ちゅうちょした。これが五輪なのか」。昨年の世界選手権王者の地力で3位に入ったが目指した頂点には立てなかった。 準々決勝の相手は、優勝したクルパレク。2012年ロンドン五輪で穴井隆将さん(天理大監督)に一本勝ちし、14年世界選手権を制している強豪だ。 初対戦を前に研究と対策は尽くしたが、組んだ瞬間、197センチの長身からの圧力を感じた。受けに回って指導2回を言い渡され、そのまま5分が過ぎた。 何もできない自分に戸惑い、視線はただ宙をさまよった。 出身地の宮崎も、内股の切れ味の鋭さも、積み重ねる実績も、シドニー五輪覇者の井上康生監督に共通し、若くして「康生2世」と期待を集めた。 14年世界選手権で代表派遣を見送るほど日本男子が低迷した100キロ級で成長を遂げ、昨年の世界選手権を制した。 3月の練習中に左膝内側側副靱帯(じんたい)損傷を負い、4月の最終代表選考会を欠場しても信頼は揺らがず、代表に選ばれた。井上監督は 「刈り足の強さが戻るまでの時間が足りなかった」と故障に触れたが、やはり心。「メダルより、目の前の相手に負けたくない」と開き直って攻めに徹した 敗者復活戦と3位決定戦の2試合での姿勢が最初にあれば、頂点に立てる実力は持っていた。 100キロ級では、00年シドニー五輪を制した井上監督以来16年ぶりに表彰台に上がったが「金メダルがほしかった」。隣のクルパレクの胸にさがる 輝きを悔しそうに見つめていた。 RIO・リオ五輪:柔道 男子100キロ級・羽賀、折れた心 頂点届かず「これが五輪か」 http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160812/dde/035/050/017000c スタンドには、羽賀が小中学校時代に指導を受けた2人の恩師が駆け付け、教え子の活躍を見守った。 2人は父善夫さん(53)と朝飛道場(横浜市)館長の朝飛大(だい)さん(53)。天理大や旭化成で活躍した元柔道選手の善夫さんの影響で、羽賀は幼少期から 柔道に触れた。横浜市にいた小学3年の頃、小中学生らが通う朝飛道場に入門し、父もここの指導者となった。善夫さんが立ち技、朝飛さんが寝技を教えた。 羽賀の得意技は、相手としっかり組んで左脚を思い切りはね上げる内股。父から教わった「伝家の宝刀」を武器に、世界で戦える選手に成長した。一方で 朝飛さんから教わった三角絞めにも自信がある。相手を内股で崩して三角絞めという流れで何度も勝ってきた。善夫さんは「僕が苦手とする寝技を大が 強化してくれたから、今の息子がある」と言う。 この日は初戦でボロダフコ(ラトビア)に内股で一本勝ち。しかし、3月にけがをした左膝の影響からか精彩を欠き、準々決勝で優勝したクルパレク(チェコ)に敗れた。 3位決定戦で羽賀はブロシェンコ(ウクライナ)に序盤から内股を仕掛ける。そして、上四方固めの体勢から足で相手の首を固めて三角絞めに持ち込み、 一本勝ちした。 羽賀は「今日の技は今ひとつ」と悔し涙を見せたが、善夫さんは「よく戦った。見つけた課題は必ず解決する子。まだまだ進化する」と目を細めた。 RIO・リオ五輪:柔道 男子100キロ級 銅・羽賀、恩師2人の合わせ技 内股伝授の父「まだ進化」 http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160812/dde/041/050/045000c
102 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:25:28.21 ID:eYENeoLf.net 柔道男子100キロ級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介(25=旭化成)が12日放送の「NHKニュース おはよう日本&オリンピック」に中継で生出演。 羽賀は銅メダルを首にかけ「本当は金メダルが欲しかったが、最低限(の目標だった)銅メダルってところではよかった」と率直な心境を語った。 準決勝で敗退した際は「なかなか受け入れられなくて、惰性のような気持ちもあったが、(3位決定戦の)相手と組んだ時に、銅メダルを取りたいというよりも、 目の前の相手に負けたくないという気持ちが沸いた」と気持ちが切り替わった瞬間を振り返った。 東海大入学後の12年夏、脱臼を繰り返していた左肩関節の手術に踏み切ってから低迷が続くなど、苦労も多かった羽賀。「これまで結果が出せなくて、 ずっとしんどくて。金メダルを取って、重量級復活っていうふうにしたかった」と悔しさをにじませたが、最後は「今は銅メダルという結果を受け入れるしかない。 いつかは大きな成果を上げたい」と東京五輪での活躍を誓った。 羽賀 相手と組んだ瞬間「負けたくない」 気持ち切り替え銅メダル http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013150830.html 昨年の世界選手権王者の羽賀と、一昨年の王者クルパレクの準々決勝は非常にレベルの高い試合だった。左組み同士の相四つ。破壊力ある羽賀の内股対策として、 1メートル98と長身のクルパレクは右の引き手で袖ではなく襟を持ち、左の釣り手で奥襟を取った。内股は回転運動が必要となる技。この両手で内股の 回転軸を機能させず、威力を軽減させていた。 惜しむらくは、羽賀が右膝のケガで昨年12月以降、試合を行っていなかったことだ。試合の間隔が開くと、技のタイミングが微妙に合わなくなることがある。コ ンマ数秒のズレが技の成否を分ける。この日の羽賀は、このズレの修正に苦しんでいた。 それでも、気持ちを切り替えて銅メダルを確保したことは評価したい。一昨年、首脳陣は世界選手権に選手を派遣しないという荒療治で、100キロ級の選手の 奮起を促した。その中ではい上がってきたのが羽賀。昨年の世界選手権で頂点に立ち、五輪でも4大会ぶりに表彰台に立ったということは、今後のこの階級 にとって大きなステップとなった。もちろん中心となるのは、まだ25歳の羽賀。20年東京ではぜひ、金メダルを獲って欲しい。 首脳陣の荒療治の中ではい上がった羽賀 東京五輪での金メダルを期待 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013150750.html 銅メダルを獲得した羽賀龍之介(25=旭化成)は、「終わってみると、メダルがあるかないかは大きい」と安どの表情をのぞかせた。 3位決定戦では得意の内股が警戒されながらも「どんな形でも勝とうと思っていました」と語るよう、アルチョム・ブロシェンコ(31=ウクライナ)を寝技に持ち込み、 三角絞めの一本勝ち。「勝てて本当に良かった」と振り返った。 準決勝で敗退した際には「最初は金メダルが目標だったので、そのモチベーションが無くなった時は苦しかった」という。それでも「皆が応援してくれていること を思い、気持ちを切り替えました」とメダルへ意気込んだ。 内股は、講道館杯優勝などの実績を持つ父・善夫さん(53)から受け継がれた必殺技。東海大相模1年時には金鷲旗大会で史上初の20人抜きの記録を 打ち立て、世界ジュニアも制した逸材。東海大入学後の12年夏、脱臼を繰り返していた左肩関節の手術に踏み切ってから低迷が続いたが、腐らず鍛錬を 続けて初の五輪出場を果たし。「ソウル五輪に出られなかった父の分まで結果を残す」。善夫さんへの感謝の気持ちを、有言実行という形で示してみせ、 銅メダルを授与された後には「これまで応援してくれたので、感謝の気持ちを伝えたい」と語った。 男子100キロ級ではシドニー五輪で井上康生(現男子日本代表監督)が金メダルを獲得して以来4大会ぶりのメダルとなったが、メダルの色には 満足していない。「銅メダルという経験を生かして強くなって、また応援してもらえるよう頑張りたい」と、4年後に迎える東京五輪へと視線を向けた。 羽賀 父の分まで結果残した!「メダルがあるかないかは大きい」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013150700.html
103 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:26:49.97 ID:eYENeoLf.net 男子90キロ級はベイカー茉秋(ましゅう、21)=東海大=が初優勝。同階級で日本人初の金で、柔道では日本勢男子50個目のメダルを勝ち取った。 金メダルを告げる終了のドラの音が響くと、ベイカーは会心の笑顔でガッツポーズを決めた。2分17秒に大内刈りで有効を取った後、終盤は相手をかわして 逃げ切り。90キロ級では前身の86キロ級を含めて初の金に「本当は格好良く終わりたかったけど、銀と金では全く違う」と笑った。表彰台で君が代を歌うと、 自然と顔が紅潮した。 人呼んで「新種」。東海大で指導する上水研一朗監督(42)は「勝利のために最も近い道を通る。決勝みたいに、残り数秒を攻め切るのは『それで負けた方が ダメ』という考え方」と評価する。73キロ級の大野将平(24)=旭化成=は日本柔道の絶対的な攻撃力を見せつけて制したが、ベイカーが求めるのは一瞬の 爆発力と効率だ。準決勝では先に指導を取られた瞬間に怒とうの攻撃を展開。8秒後に有効を取ると、そのまま抑え込んで一本で決めた。 日本勢唯一の第1シードも3月に左肩、5月には右肩を故障したが、きっちり本番に間に合わせた。決勝前に緊張がこみ上げ、試合前に「こういった形では 人生初めて」という嘔吐(おうと)を3回もしたが「逆に体が軽くなりました」と笑い飛ばした。 井上康生監督(38)が現役時代の00年シドニー五輪で金メダル獲得したのを見て柔道を始めたベイカー。その井上監督から「(出場選手の中で)一番オーラが ある」と言って送り出され、決勝戦後には「よくやってくれた」とねぎらいの言葉を掛けられたという。 父は米国人ながら、東京の下町に生まれ育った。両親は小学3年の時に離婚し、女手一つで育ててくれた母・由果さん(46)と一緒に近所の祭りでみこしを 担ぐ“お祭り男”。「柔道人気を爆発させたい。東京五輪も目指すからには連覇。レジェンドになりたい」。ベイカーが王座を守り抜けば、自然と新たな夢はかなう。 【柔道】ベイカー茉秋、90キロ級初の金!東京で連覇だ「レジェンドになる」 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160812-OHT1T50025.html ベイカーの金メダルは女手1つで育ててくれた母・由果さん(46)の存在なくしてあり得なかった。ところが関係者に聞くと「あの2人はよくけんかする」とみんなが 明かしてくれる。 高校時代の恩師の竹内徹さんは由果さんと携帯電話がつながった状態で、親子げんかの生中継を聞かされたことがあるという。ベイカーがそれを知らずに 「えっ!?今の竹内先生聞いてたのか?ふざけんな!」とまた激怒。竹内さんは「お母さんに甘えていたんでしょうね」と笑った。 高校時代には“登校偽装事件”もあった。7時半に家を出ないと学校には間に合わない。由果さんは遅刻したら携帯電話を止める荒療治を施し、息子は きちんと家を出るようになった。「しめしめと思ったけど、敵もさる者で知恵がついてきた」。ある時、担任の先生から「遅刻が多い」と連絡があった。 「そんなはずありません」と反論した。ところがベイカーは家を出てからコンビニなどで時間をつぶし、由果さんが仕事に出たのを見計らって家に戻って 寝ていたのだった。「それでお昼過ぎにのこのこ学校行くんですよ。柔道の練習があるからって」悪いことは悪い。ただし、よくよく聞けば、これは柔道を 強くなるため、母のためにも「大学の特待生を取るために睡眠が大事」というベイカーなりの理由があった。 けんかするほど仲がいいとも言う。いつも心はつながっている。由果さんはこの日、竹内さんとともにスタンドで観戦。ベイカーは「母子家庭で育って、 お母さんは女手1つで育ててくれた。五輪の最高の舞台で勝って恩返しできたのはうれしい」といつも寄り添ってくれた母に素直に感謝した。 ベイカー 女手一つで育てた母に最高の恩返し 高校時代には“登校偽装事件”も http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013150470.html 90キロ級の頑強な外国勢にも負けないフィジカルの礎は徹底したジムワークで培われた。 朝青龍や照ノ富士、歌手の長渕剛も通ったサンプレイ。中学生で通い始めた時のベイカーは体重60キロにも満たず、ベンチプレスも30キロ程度。 懸垂で自分の体も持ち上げられなかった。それが高3では160キロを挙げるまでに成長。同ジムの宮畑豊会長は「超一流は気性が似ている。 人に言われる前にやる。自分の競技に対して自分なりの考えを持ち、相手を想定しながらやっている」とトップ選手の共通点を挙げた。 ベイカー茉秋 中学から始めた徹底したジムワークでフィジカル充実 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013150280.html
104 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:27:41.57 ID:eYENeoLf.net PV会場の最前列で、祖母の小林リナさん(75)がひときわ大きな声援を送った。髪はゴールドとピンクで、右手には五輪色の5本の腕輪。「金を獲ってほしい」と左手 には金色のリボンを結び、日の丸Tシャツ姿。金メダルの瞬間、「2、3日前から食事も喉を通らないほど私が緊張していた。帰ってきたら抱きついて喜びたい」と 涙を流した。 「マシュー世界一」と書いたキラキラうちわを手に応援する姿がテレビで放送されると、たちまちインターネット上で話題騒然。家族から「グランマ」と呼ばれており、 近隣の住民によるとベイカーの叔母一家と同居。普段からピンクヘアで、自転車のかごに小さい犬を乗せて走っているという。一家行きつけのパスタ店 「Pasta Bar MAKITA」(千代田区外神田)のオーナー牧田学さん(32)は「おしゃれでラフな服を着こなしている。いつも楽しそうに家族と過ごしている」と話した。 ピンクヘアのベイカー「グランマ」感涙「食事も喉を通らないほど緊張」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013147500.html 12日放送のラジオ番組「おぎやはぎのメガネびいき」(TBSラジオ)で、おぎやはぎの小木博明が、銅メダル獲得で終わった日本の柔道選手に「むしろ謝るべき」と 放言する場面があった。 リオ五輪における柔道女子の試合で、近藤亜美選手は銅メダルを得たものの、「申し訳ない気持ちでいっぱいです」とコメントした。その後の試合でも、 銅メダルを獲得した選手が「金しか狙っていなかった」と悔しさをあらわにしており、こうした態度をめぐって国内でも意見が分かれている。 番組では、この謝罪が話題に上り、矢作兼が「オリンピックで銅メダルで謝るスポーツがあるってすごいことだよな」「金取ることが当たり前とされてる スポーツなんてすごいことだけどよな」といい、日本人にとっての柔道の意味合いを語った。ブラジルにとってサッカーはお家芸であり、ワールドカップでベスト4敗退 となった場合、代表選手が謝罪するだけでなく、監督もクビになる事態となる。日本にとっての柔道も同じようなものだというのだ。 矢作が「ブラジルでは、サッカーは優勝しないとダメって思われてるってことでしょ。日本は柔道がそう思われてるってことなんだから」と熱弁を振るうと、小木は そこで「すごい謝ってほしいもん、オレ」「(この結果を)叩くべきだよ、だから」と言い放ち、スタジオの笑いを誘った。 この発言に矢作はたじろいだものの、「選手が謝るってのは、全然悪いことじゃないよね。金を狙ってるんだから」と理解を示した。小木は、なおも「むしろ 謝ってほしいよ、オレは」「金以外は謝ってもらわないとダメだよ」と強調し、さらなる笑いを誘っていた。 おぎやはぎ小木博明 銅メダル獲得で終わった柔道選手に「謝るべき」 http://news.livedoor.com/article/detail/11880132/
105 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:27:57.46 ID:eYENeoLf.net 日本柔道界に「新種」が誕生した。男子90キロ級決勝でベイカー茉秋(ましゅう、21=東海大)がバルラム・リパルテリアニ(ジョージア)を下して優勝した。 階級変更前の86キロ級を含め、この階級の金メダルは日本勢初の快挙。これまでの常識では測れない独自色豊かな新王者には、支え続けた「父」がいた。 朝からステーキ! 数時間後に金メダリストになるベイカーの朝は豪快だった。ぺろりと平らげると予感が。「朝食もよく入ったし、夜もしっかり寝れたし、 いけるんじゃないか」。 左の引き手を絞って腰を引く独特のスタイルで一本勝ちを重ねた。両手で相手の道着をしっかり持つ日本の伝統ではない。パワー自慢の外国勢を真っ向から 迎える鋼の肉体がなせる戦いで、初戦はなんと試合で初の背負い落とし。準決勝では残り40秒で指導を取られるも「投げて決めよう」と焦らない強心臓。 直後に大内刈りから有効、抑え込みで一本勝ち。決勝前には「3回吐いた。初めて」も、「(体が)軽くなった」と、中盤に大内刈りで有効奪取。最後はリードを 守るために逃げを打ち、「井上監督のように内股で勝ちたかったけど…」と悔しそう。 小学校の卒業文集には、同監督の00年シドニー五輪決勝を念頭に「切れのあるかならず一本をとる柔道」を目標に掲げていた。ただ、その同監督は 「恐るべし。最後(逃げ)は執念と思ってください。新種の選手」と絶賛。両手の指を天に指すガッツポーズに「格好良かったですか?」とノリノリで逆取材する姿は、 まさに新種全開だった。 ステーキは高2の高校選手権でも食べた。100グラム1000円の肉を300グラム。一本勝ち連続46試合の驚異の記録を作った4年ほど前、 食べさせてくれたのが運命の人だった。当時、千葉・東海大浦安高の竹内徹監督(56=同中教員)。「先生は僕のことを本当に理解してくれた。お父さんみたい」と慕う。 入学直後だった。「茉秋」。そう呼び掛けられると、思わず体がびくっと反応してしまった。小中と怒られるのが日常。呼びかけに恐怖感が体を巡った。 ただ“父”は違った。「どうした?」と優しく肩を抱いて引き寄せてくれた。それだけでうれしかった。 当時は170センチ、66キロ級ながら、6月の試合で190センチの選手に果敢に奥襟を狙って飛びつき、接戦を演じた。その度胸に「義経だ!」と ほれ込まれた。「ウナギ好きか?」と1尾3000円もする特上を買い、自分の家族には並に抑える。寮内にあった竹内家ではこの頃、「また茉秋かぁ」が流行語。 同監督は高校時代、2学年上の山下泰裕氏が特別目をかけられる姿を見ていた。「この子は五輪で勝てると思ったら、それはひいきではない」。 そうできる幸せを感じた。 ベイカーも「新種」らしく、勝つためなら遠慮せずに要求した。夜遅くまで筋トレをするため、朝練をやめてほしい。体重は筋肉で増やすため、タンパク質重視の 食事をしたい。すると監督の妻るり子さんが補食用に1日3食分の特製弁当を作ってくれた。1日7食は、90キロ級まで体重を増やすには必須だった。筋肉に 体は覆われていった。 今年4月、再び関係は濃密になった。全日本体重別決勝で負けた夜、電話した。「足りないものがある。指導してくれませんか」。得意の大内刈りの軸足の 踏ん張りが弱いと言われ、鍛え上げた。この日、大内刈りこそが生命線だった。 いまその“父”に「体調は大丈夫ですか」と小まめに声をかける。昨年の世界選手権直前に、良性の脳腫瘍が発見された。摘出手術の日が試合に重なった。 畳の上と病室、場所は違うがともに戦った。そこで銅メダル。リオへの足がかりを築いた。「去年、早期に発見できたのはこの五輪に行くためだったんですかね」。 “父”はそう理解する。 「すごく支えてくれたので、勝って恩返ししたいと思っていた。すごく感謝しています」。引き寄せてくれた手、触れられた肩、そこから始まった“親子”の縁。「 柔道の人気を爆発させたい。東京で連覇したい!」。その願いがかなうまで絆はさらに深くなる。 ベイカー茉秋が金 朝ステーキ食べ決勝前3回吐き… - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1693495.html
106 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:28:15.31 ID:eYENeoLf.net 女子70キロ級の田知本遥(26=ALSOK)が金メダルを獲得。女子初の金メダルとなった。世界の頂点に立ったが、下馬評は決して高かったわけではない。 しかし、五輪にかける秘めた思いは熱くほとばしっていた。 決勝でアルベアル(コロンビア)に合わせ技で一本勝ちした田知本は「ロンドンの悔しさを返せた。充実した日になりました」と会心の笑みを浮かべた。 7位に終わったロンドン五輪後の2014年、やりがいを見いだせず、一度は引退を覚悟。大会に優勝して現役を続行したが、昨年2月の国際大会で ドーピング規定違反となる市販の風邪薬を服用するミスを犯す。全日本柔道連盟から警告処分を受けた田知本は「五輪を口に出せない。夢さえ持てない」 と絶望の淵をさまよった。さらに今年4月、姉の愛(27=ALSOK)がリオ切符を逃す。田知本は気持ちを切り替えることができない。市販薬騒動でドン底にいた 時、寄り添ってくれたのも姉だった。 そんな時、支えてくれたのは東海大の恩師・佐藤宣践氏(72)だ。田知本は「不動心」と書かれた色紙を手渡された。これで迷いは吹き飛んだ。その後、 通っていた治療院で偶然、松井秀喜氏(42)の著書「不動心」を発見する。発売時に一度、読んでいた田知本は「改めて読むと松井さんの言葉が響いてくる。 共感できる部分があった。自分の感じていることが書かれていた」。 自分の柔道を貫くことが、田知本の「不動心」だった。ロンドン後、取り組んできたのは練習メニュー、日程を自分自身で考えること。外国人に対抗するため には筋力を強化した。「お姉さんが出れなくていろいろ悩んどったからね。姉妹で出たいという夢があったから。でも、そういうものを断ち切って、自分のこと だけをもう一度考えて『不動心』という気持ちでやってごらんという気持ちで色紙を渡したんです」。佐藤氏の願いはしっかりと届いた。 騒動で指導不十分として自身も処分を受けた女子代表・南條充寿監督(44)は「薬の件があって、そこから人間的に成長した。それまでは勝てばいいでしょ、 という行動が見られたが(騒動後に)これからが評価だという話をしたら、涙を流して聞き入っていた」と振り返る。苦難を乗り越え、金メダルを手繰り寄せた。 【柔道女子】70キロ級金メダル・田知本遥 恩師がくれた「不動心」 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/579053/ 日本の70キロ級の中で、田知本はもっとも海外選手とのパワーのぶつかり合いで渡り合える選手だ。世界ランクは14位だが、2回戦で下した同1位の ポリング(オランダ)には昨年10月のグランドスラム・パリでも勝っている。実力的にも、金メダルは決して番狂わせではなかった。 姿勢がいい。頭が下がらず、相手に奥襟を持たれないように手で相手との距離を保っている。そのため軸がぶれない。 決勝では、相手の強引な払い腰を谷落としで返して技ありを奪い、そのまま抑え込んで金メダルを決めた。これも軸がぶれていなかったので、 相手の投げに対応できたもの。練習でやり込んでいないと、とっさには出てこない動きだ。 ロンドン五輪の時は「精神的に弱い」と言われたが、この4年間で本当に強くなった。昨年の市販風邪薬の問題で、本人もいろいろと考えたことが分岐点となり、 成長につながっているのだろう。 【柔道・杉本美香Point】田知本のぶれない軸!番狂わせではない http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160812-OHT1T50037.html
107 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:28:58.44 ID:eYENeoLf.net 女子70キロ級で前回ロンドン五輪7位の田知本遥(26=ALSOK)が決勝でアルベアル(コロンビア)に1本勝ちし、今大会の日本の柔道女子で最初の 金メダルを手にした。同階級での優勝は、08年北京五輪で2連覇を果たした上野雅恵以来。日本の男女が同じ日に五輪で優勝するのは04年アテネ五輪 の男子100キロ超級の鈴木桂治、女子78キロ超級の塚田真希以来で、挫折を乗り越えた新女王が日本のメダルラッシュに勢いを付けた。 何かが少しでも掛け違っていたら、金メダルはおろか、この畳の上に立つことすらなかったかもしれない。相手の背負い投げを返して技ありを奪い 「もう絶対に離さない」とそのまま必死に抑え込んだ。一本。静かに、ゆっくりと顔を上げた田知本に涙はなかった。 「湧き出てくるものの方が大きくて。今までのことが走馬灯のようにこみ上げてきた」 メダルに届かなかったロンドン五輪後、柔道をやめようと思った。「頑張りたいし、変わりたいけど、頑張り方が分からなくてもがいていた」。悩む田知本は 関係者から英国行きを勧められた。 14年夏の1カ月、英国で一人暮らししながら柔道クラブに足を運んだ。そこにいたのは、仕事をしながらでも毎日道場に通い、笑顔で柔道を楽しむ人たち。 「みんな本当に柔道が好きなんだ」と感じた。その年の11月の講道館杯、「負けたら引退」と決めて出た大会で優勝し、2度目の五輪を目指す覚悟を固めた。 だが、その道も一度は自分自身のミスで閉ざしかけた。昨年2月にドーピング違反の恐れがある市販の風邪薬を服用し、ドイツでの国際大会を欠場。 全日本柔道連盟から警告処分を受けた。折れそうな心を支えてくれたのは姉の愛や家族だった。「改めて感謝の気持ちを抱いた。今までも思っていたけど、 本当には分かっていなかった」 代表争いで大きく出遅れたが、国際大会で結果を積み上げて挽回した。最終選考会でライバルとの直接対決を制し、ついにリオ切符を獲得。その過程で 柔道と向き合う自分自身の変化にも気づいた。「今まで柔道が好きと思ったことはなかった。小さい頃から嫌々だった。今は本当に好きと思えるようになった」 女子代表で唯一、世界選手権や五輪でのメダル経験がなく、今回もノーシードから勝ち上がった。2回戦では第1シードのポリング(オランダ)を破るなど、 得意の大外刈りで立ちはだかる相手を次々になぎ倒した。 「いろいろ経験して酸いも甘いも知った。苦しかったことも今日のためにあったのかなと思う」。今大会の日本女子金1号。輝くメダルは柔道への愛情が実った証だった。 田知本、金! 今は胸を張って言える「柔道が好き」 http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2016/08/12/kiji/K20160812013147261.html 表彰式を終えた後、田知本は応援に来た姉・愛(めぐみ、27=ALSOK)の首に金メダルを下げ、2人で喜びを分かち合った。田知本が小2の頃、 姉妹で一緒に小杉少年柔道クラブに通い始めた。中学時代に全国優勝もしている父・又広さんの指導で、自宅では座敷を道場にして父得意の大外刈りの 打ち込みに励んだという。4年前は妹である田知本が一足先に五輪初出場。今回は愛も78キロ超級の最有力候補だったが、最終選考会で敗れて落選した。 それでも姉は落胆を隠し、気丈にサポート役に回ってくれた。一緒に出稽古に出かけ、五輪1カ月前には友人らと作ったという日めくりカレンダーをもらった。 その中の1枚には「自分が五輪に行けなかったことに意味があるとしたら、遥のサポートをすることだと思う。だから自分の力を信じて、しっかり準備して頑張って」 と応援メッセージがあった。「今までにないくらい優しかったので、ちょっと戸惑いましたけど」と笑った田知本。姉妹で五輪出場の夢はかなわなかったが、 共に歩んできた姉がいてこその金メダルだった。 田知本 姉でありライバルであり…愛と二人三脚で獲った金 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013147320.html 田知本の姉・愛はスタンドから声を張り上げ「自分のことのようにうれしい」とうれし泣きだった。 姉妹であり、ライバルとしても刺激し合ってきた2人。自らの代表落選については「正直まだ(気持ちの整理に)時間がかかっている途中」と言うものの、「 金メダルをかけてもらえて、これ以上ない気持ち」と素直に喜んだ。 田知本 姉の愛も涙…「自分のことのようにうれしい」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013147310.html
108 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:29:36.82 ID:eYENeoLf.net 柔道女子70キロ級では田知本遥(26)が今大会日本女子初の金メダルを獲得。姉愛(27)との絆が躍進を支えていた。 「姉でお願いします」。表彰式後、1人だけが観客席から試合フロアに降りられる。田知本は愛を指名し、金メダルをその首にかけた。「心臓が飛び出るかと 思ったけど、本当にうれしい」。むせび泣く姿を見ると、涙はあふれ出た。それまでは感情を処理できずに流せなかった涙。姉の姿はシンプルで、最も強烈だった。 「すごく大きな存在。さまざまな試練があったけど、サポートしてくれたのでここまでこられた」。 4月の最終選考会2大会の敗戦で、姉は78キロ超級代表から漏れた。物議を醸す選考に、遥は「なんでだめなんですか」と関係者に号泣して訴えた。 打ちひしがれた。ただ、姉は違った。「私もどん底でしたけど、妹が迷っている姿を見てまずいと」。自分の失意は封印した。食事に誘い、出稽古に同行した。 幼少期、畳がすり切れた自宅の6畳間で組み合った時も2人。「嫌だなぁ」と言いながら打ち込んできた原点を思い出させた。 遥はその真意を分かった。「優しかったので戸惑いましたけど、その分頑張らないと」。30日前に送られたのは手製の日めくりカレンダー。中には 「自分が行けなかった理由があるとしたらサポートをすること」と記されていた。 「技に気持ちを全部乗せた。返されたらしょうがない」。見守られながら、持ち味の大外刈りを思い切って仕掛ける。最大のヤマ場は2回戦のポリング戦。 第1シードの優勝候補に有効を先取されたが、大外刈り2本で逆転勝ち。勢いに乗った。アルベアルとの決勝も大外刈りで攻め、勝機を作った。横四方固めで 抑えて一本勝ち。その瞬間、静かに目を閉じた。 試練には14年2月の薬問題もあった。国際大会前で不用意に市販の風邪薬を服用。ドーピング検査を考慮し、大会を欠場して緊急帰国した。全柔連から 警告処分に「五輪は消えた」とまで思った。遅れを取り戻そうともがいた昨年暮れには帯状疱疹(ほうしん)に。入院先で、リオ行きだけを信じ、腕に点滴のはりを刺した まま1人階段の上り下りを繰り返したこともある。 昔は姉妹げんかをしているときほど、成績が良い法則があった。それも、もう終わり。「最高の気持ちで終われた」。支え合った戴冠への道だった。 田知本遥が金 恩人指名「姉でお願いします」 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1693493.html 女子70キロ級は世界ランク14位で男女を通じて唯一、ノーシードだった前回大会7位の田知本遥(26)=ALSOK=が決勝でジュリ・アルベアル(コロンビア)を 谷落としから横四方固めの合わせ技で破り、今大会の日本女子で初の金メダルを獲得した。 万感の思いがこみ上げてきた。決勝。田知本はアルベアルに2分19秒、谷落としで技ありを奪うと、得意の寝技で合わせ技一本を奪った。世界選手権や 五輪でメダルの実績がなく、今大会も男女を通じて唯一のノーシード。戦前の評価を覆し、今大会女子初の金メダルに「自分の柔道を押しつけることができた」 と畳の上で満面の笑みを浮かべた。南條充寿監督(44)に迎えられると、すぐに涙がこぼれた。 ロンドン五輪は7位。翌13年の世界選手権では1回戦敗退とふるわなかった。15年にはドーピング違反の可能性がある市販の風邪薬を飲み、全柔連から 警告処分を科された。その影響もあり、2年連続で世界選手権の代表落ち。「つらい」。悔しさと情けなさが交差する中で支えてくれたのが、78キロ超級で 昨年の世界選手権銀メダルの姉・愛(27)だ。 ふさぎ込む遥に、姉は「練習行こう」と声をかけ、愚痴も黙って聞いてくれた。気持ちが前に向いた。その後の国際大会と今年4月の全日本選抜体重別を制し、 代表の座に返り咲いた。ともに五輪を目指した姉は直後の全日本女子選手権で敗れて落選。今度は遥が、姉の愚痴を受け止めながら「一緒に頑張ろう」と 励ました。姉は「遥のために私ができることをしよう」と畳の内外からサポート。五輪1か月前には手作りの日めくりカレンダーをプレゼントし、試合直前には「 悔いだけは残さないで」と手紙で思いを託した。 晴れの表彰式。田知本は1人だけ招待できる表彰会場近くでの同行者に姉を指名した。観客席から下りてきた姉は「うれしい」と涙ながらに声をかけて 抱き合った。もらったばかりの金メダルを姉にかけて一緒に記念撮影した。2人とも顔をくしゃくしゃにしながら笑った。「姉のサポートがあったからここまで 来られた」。姉妹の絆で勝ち取った王座だった。 【柔道】田知本、日本男女唯一ノーシードから金!姉妹の絆で勝ち取った http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160812-OHT1T50020.html
109 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 19:29:53.98 ID:eYENeoLf.net 女子70キロ級で前回ロンドン五輪7位の田知本遥(26=ALSOK)が決勝でアルベアル(コロンビア)に1本勝ちし、今大会の日本の柔道女子で最初の 金メダルを手にした。同階級での優勝は、08年北京五輪で2連覇を果たした上野雅恵以来。日本の男女が同じ日に五輪で優勝するのは04年アテネ五輪の 男子100キロ超級の鈴木桂治、女子78キロ超級の塚田真希以来で、挫折を乗り越えた新女王が日本のメダルラッシュに勢いを付けた。 何かが少しでも掛け違っていたら、金メダルはおろか、この畳の上に立つことすらなかったかもしれない。相手の背負い投げを返して技ありを奪い 「もう絶対に離さない」とそのまま必死に抑え込んだ。一本。静かに、ゆっくりと顔を上げた田知本に涙はなかった。 「湧き出てくるものの方が大きくて。今までのことが走馬灯のようにこみ上げてきた」 メダルに届かなかったロンドン五輪後、柔道をやめようと思った。「頑張りたいし、変わりたいけど、頑張り方が分からなくてもがいていた」。悩む田知本は 関係者から英国行きを勧められた。 14年夏の1カ月、英国で一人暮らししながら柔道クラブに足を運んだ。そこにいたのは、仕事をしながらでも毎日道場に通い、笑顔で柔道を楽しむ人たち。 「みんな本当に柔道が好きなんだ」と感じた。その年の11月の講道館杯、「負けたら引退」と決めて出た大会で優勝し、2度目の五輪を目指す覚悟を固めた。 だが、その道も一度は自分自身のミスで閉ざしかけた。昨年2月にドーピング違反の恐れがある市販の風邪薬を服用し、ドイツでの国際大会を欠場。 全日本柔道連盟から警告処分を受けた。折れそうな心を支えてくれたのは姉の愛や家族だった。「改めて感謝の気持ちを抱いた。今までも思っていたけど、 本当には分かっていなかった」 代表争いで大きく出遅れたが、国際大会で結果を積み上げて挽回した。最終選考会でライバルとの直接対決を制し、ついにリオ切符を獲得。その過程で 柔道と向き合う自分自身の変化にも気づいた。「今まで柔道が好きと思ったことはなかった。小さい頃から嫌々だった。今は本当に好きと思えるようになった」 女子代表で唯一、世界選手権や五輪でのメダル経験がなく、今回もノーシードから勝ち上がった。2回戦では第1シードのポリング(オランダ)を破るなど、 得意の大外刈りで立ちはだかる相手を次々になぎ倒した。 「いろいろ経験して酸いも甘いも知った。苦しかったことも今日のためにあったのかなと思う」。今大会の日本女子金1号。輝くメダルは柔道への愛情が実った証だった。 田知本、金! 今は胸を張って言える「柔道が好き」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/12/kiji/K20160812013147260.html
110 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/12(金) 21:08:01.24 ID:eYENeoLf.net 2人とも、本当によかった。ベイカーはいつも以上に冷静に相手を見ることができていた。彼の一番いいところは組み手がしっかりしていること。こ れまで90キロ級は外国勢にパワー負けしているケースが多かったが、力負けしない。自分の組み手にできているから、自分より身長が高い相手にも ハンディを感じさせない。 見た目には腰が少し引けているように感じるかもしれないが、それはしっかり引き手を持って、押さえながらやれているからだ。決勝で有効をとった後に 下がってしまったところも、勝ちにこだわっていたからだろう。 田知本はノーシードから強豪を倒して、勝ち上がった。ノープレッシャーで開き直って、勢いがあった。得意技の大外刈りから幅を持った攻めができていた。 残りの階級もこの流れに乗ってもらいたい。 【吉田秀彦一本締め】ベイカーは冷静に相手見ていた、田知本は幅を持った攻めできた/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160812/rio16081205000030-n1.html 永瀬の実力からすれば、金メダルは十分取れた。だが、この日は慎重になりすぎていた。準々決勝も本来なら勝てる相手だったが、 先に組まれてポイントを許したことで苦しくなった。 もともと、手足が長くて懐の深さがある選手。もつれながらでも、自分の組み手にして、投げることができる。相手は非常にやりづらい。 私も現役時代なら、対戦したくない苦手なタイプだ。懐の深さという自分の強みをもっと自覚して戦うべきだった。 田代は準決勝で敗れたアグベニェヌ(フランス、過去5戦全敗)を研究していたと思う。だが、左組みの相四つで組み負け、相手有利になることが多かった。 チャンスはあったが、最初に相手の得意な形に組まれていては厳しい。左の強い選手にどう戦うか、もう一度、組み方を課題に今後に生かしてほしい。 【吉田秀彦一本締め】永瀬は長所を自覚して戦うべきだった/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160811/rio16081105000029-n1.html 大野は圧勝だった。彼の強さは自分の柔道を確立できていること。組み手がしっかりしている。ふたつ(両手で)持ってからの投げ技だったり、担ぎ技もできる。講道学舎の後輩。 学舎の一本を取る柔道を五輪の舞台で見せてくれたことはうれしい。彼とは食事にも行くが、そのときは本当に普通の青年なんだけど。 次の2020年東京五輪では連覇が期待できるだろう。ただし、私は1992年バルセロナ五輪で金メダルを取り、“燃え尽き症候群”に陥ったところがある。4年に 一度の大会。自分の目標をしっかりと定め、進むことが重要になってくる。 松本の準決勝は、相手にうまく入られて投げられた。だが、全体を通して、相手の攻めに対して軽く受け過ぎていた。女子は最初の3階級で金メダルを 一つは取りたいと思っていたはず。厳しい戦いになるが、ここまで来たら、開き直るしかない。 【吉田秀彦一本締め】大野、東京五輪で連覇へ目標しっかり定めろ/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160810/rio16081005000037-n1.html 海老沼の準決勝は減量の影響で脱水症状になり、力が入っていなかった。私も現役時代に12キロ減量していたから、よくわかる。それが勝敗を分けた。 彼はパーク24に来てから2度目の五輪。4月の全日本体重別で敗退した後、「お前は勢いが出てきたときは、もっとガツガツいっていた。世界王者になって、受けが先にきている」と伝えた。 準決勝まで調子も内容もよかっただけに悔やまれる。今後どういう柔道人生を歩んでいくのか、決めるのは本人。帰国してから話し合いたい。 中村はケルメンディとの初対戦で、序盤に様子を見て後手に回った。先に指導をとられたのが大きかった。 2人とも負けてから気持ちを切らさず、3位決定戦で勝ったことは評価したい。しかし、もうひとつ勢いをつける何かが必要。男子66キロ級は伏兵のバシレが 制した。これから出場する選手には、波に乗ることができるような積極的な柔道が求められる。 【吉田秀彦一本締め】海老沼、中村の3位決定戦での勝利を評価/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160809/rio16080905000046-n1.html
111 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 02:40:34.70 ID:dAV1QtHn.net 海老沼は準決勝で安バウル(韓国)のかけ逃げによる指導をアピールしていたが、受けに回っている表れとみた。安の背負い投げは両方の手で 道着をつかまないでも仕掛けてくる。一見するとかけ逃げ=偽装攻撃に映るが、今のルールでは良しとされている。海老沼は本来は技を かけられたらかけ返すスタイルだが、審判頼りになったところに、本人が言う「気持ちが引いた」姿が出ていた。動きも良く、ベテランらしく勝てる 計算もあったのだろう。それによって闘争心が抑えられてしまった部分もあったのではないか。 男女とも金メダルが遠いが、あらためて五輪の難しさを感じる。4年に1度のチャンスで、ピークの問題が大きく、実力者がそのまま勝ち上がる大会ではない。 66キロ級は無印のイタリア選手が優勝した。これから登場する日本選手には「よし、自分がやってやる」という強い気持ちで戦ってほしい。 海老沼 気持ち引いて審判頼りに http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1691835.html 大野選手はいわば芸術家です。今日は目の前の相手と戦っている意識はなかったと思う。自分が今まで積み上げてきたものを、自分の自信の作品を、 自分が楽しみながら皆さんに披露していく。見ている側もいつ技がでるのかワクワクする。表現していくという意味では、1つの芸術の域に達していました。 五輪の時期がちょうど彼のピークにかみ合ったとも言える。私も92年バルセロナ五輪で金メダルを取ったときは24歳。若さの勢いに経験が上乗せされ、 20代前半のピークで戦えた。これが4年に1度の五輪に合ったということが大きかった。前日までに金メダル候補が負ける場面が目立ったが、 やはりタイミングは重要だとあらためて感じた。4年後の東京では、パワーやスピードではなく、経験を生かしたもう1つの作品が出来上がるでしょう。楽しみです。 大野金メダルは芸術家の作品 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1692463.html 永瀬選手は初戦から動きが硬く、勢いを感じられなかった。昨年の世界選手権を制し、自分の力が分かっている中で、力があるからこそ過度な緊張を 生んでしまったと見えた。3回戦では良い動きもしていたが、準々決勝で再び重圧を感じている動きだった。昨年世界王者の大野選手は金メダルを獲得したが、 年齢が2歳上になる。永瀬選手は社会人になりたてで、ずぶとく自分を出せる、自己コントロールができる経験値が不足していたのだろう。4年に1回の五輪に ピークが合う難しさをあらためて感じた。 ただ、その柔道スタイルは今後に期待は持てる。長い手足を生かして相手との間合いを取る、日本にはいないタイプ。今回は見ている人には攻めを 受けることが多くて不安に感じたかもしれないが、メンタルの問題だろう。気持ちを表現できる柔道をすれば、もっと楽に勝てる。4年後へさらに成長できる。 永瀬は日本にないスタイル東京へ精神面課題 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1693002.html イカー選手には持ち前のパワーに戦略が備わっていた。以前は力でねじ伏せる柔道で、力負けすれば思うような結果は出なかった。今年に入り、力の 自己コントロールができ、試合時間5分内での流れを作ろうとしていると感じる。今まで組み手も、つかまれたら切って、切って、自分の形に持っていっていたが、 今日は「そんなに受けて大丈夫かな」と思うくらい。 持たせても平気なのだろう。それにより無駄な力を使わない。ずっと力を込めたら1日5試合も戦えない。5分間をやり過ごすことができる戦略が必要で、 力だけでは限界がある。ベイカー選手は若くしてそれを体得しているのだろう。 田知本選手は彼女を支えた方々の力を感じた。もともと過剰に重圧を自分に与えてしまうタイプ。不安な方に自分を持っていく。今日は初戦から動きは硬く、 技が出なかった。ただ、支援した人々への思いが踏ん張らせた。金メダルをなんとしても持って帰るという背景が彼女の柔道から見えるようだった。 ベイカー茉秋のパワーに“戦略”が備わった http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1693519.html
112 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 07:06:39.83 ID:iL9O/57y.net 惜しかった! 柔道男子100キロ超級決勝で原沢久喜(24=日本中央競馬会)がロンドン五輪金メダルのテディ・リネール(27=フランス)に優勢で敗れ、 銀メダルとなった。 リネールは序盤からまともに組み合わず、原沢に柔道をさせない。試合開始わずか10秒で原沢に「指導」がいく最悪の展開だ。絶対王者の圧力はすさまじく、 1分には2度目の「指導」。不利な流れの中、原沢は真っ向勝負を挑み、果敢にリネールの奥襟を取りにいった。 だが、リネールは原沢の組み手争いにつき合わない。なぜか王者には「指導」がいかなかったが、残り33秒でようやくリネールに「指導」。原沢は最後に猛攻を 仕掛けたが、王者に巧みに逃げ切られた。 それでも試合終了と同時に、真っ向勝負を避けたリネールに対して観衆が大ブーイング。原沢の健闘ぶりを示す結果となった。 ニッポン柔道伝統の100キロ超級では、前回ロンドン五輪に続くV逸となったが、原沢はまだ24歳。リネールも決勝を含めて以前ほどの強さを 示せなかっただけに、4年後のリベンジを期待させる銀メダルとなった。 【柔道】100キロ超級・原沢が銀メダル獲得 絶対王者リネールに会場ブーイング http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/580013/ 柔道男子100キロ超級決勝で原沢久喜(24=日本中央競馬会)がロンドン五輪金メダルのテディ・リネール(27=フランス)に優勢で敗れ、銀メダルとなった。 原沢は試合後「(世界王者に善戦の質問に)やっぱり勝ってこそ意味があるんで、何度でも挑戦していきたい。前半しのいで、後半勝負の考えでいた。 組み手になるチャンスは少なく、組んでも、ものにできなかった」と振り返り「(前回は金ゼロの)ロンドンの負けから少しは成長できたんじゃないですか。 (男子全階級でメダルの質問に)自分だけメダルがなかったらどうしようとも考えたけど、無心でやりました」とコメントした。 【柔道】銀メダル・原沢 世界王者に善戦も「勝ってこそ意味がある」 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/580024/ リオデジャネイロ五輪の柔道男子100キロ超級で決勝で敗れ、銀メダルを獲得した原沢久喜(日本中央競馬会)は、まともに組み合わない“絶対王者”と の戦いを「自分の組み手ができなかった」と振り返り、「これからチャンスがある限り挑戦し続ける」と前を向いた。試合後の一問一答は次の通り。 王者リネールを苦しめました。あと一歩でした 「勝ってこそ意味があると思うんで、これからチャンスがある限り挑戦し続けたいと思います」 初めてのオリンピックで銀メダルですよ 「こうして最高の舞台で戦えたのは光栄だと思います」 リネールとは初対戦でしたがどんなプランだったんですか 「やっぱり、前半しのいで、後半勝負に持って行こうかという考えでした」 畳の上でリネールの強さどんな風に感じました 「なかなか自分の組み手になるチャンスっていうのがなくて、その組んだときも、なかなかチャンスをものにできなかった」 男子は全階級でメダル 「まぁ、ロンドンの負けから少しは成長できたんじゃないですか」 プレッシャーもあったんじゃないですか 「みんなメダル取ってきて、自分だけ負けたらどうしようとかいろいろ考えましたが、無心で戦うということを考えていました」 【五輪柔道】逃げる“王者”に自分の組み手できず、銀メダルの原沢久喜「チャンスある限り挑戦続ける」 http://www.sankei.com/rio2016/news/160813/rio1608130040-n1.html
113 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 07:10:20.36 ID:iL9O/57y.net リオデジャネイロオリンピック、柔道男子100キロを超えるクラスで、原沢久喜選手が銀メダルを獲得しました。 男子100キロを超えるクラスの原沢久喜選手は、山口県出身の24歳。身長1メートル91センチ、体重125キロのバランスのとれた体格から、 きれのある内股を繰り出します。 おととしからことし2月にかけて国際大会で7連勝を果たすなど、海外勢への強さを見せ、世界選手権でおととし、去年と2大会続けて銀メダルを 獲得している七戸龍選手を抑えて、初めてのオリンピック代表をつかみました。 この階級はフランスのテディ・リネール選手が絶対王者として君臨していて、原沢選手もリネール選手への対策を練ってきましたが、及ばず、 北京大会の石井慧選手以来の金メダルはなりませんでした。 柔道男子100キロ超級 原沢が銀メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160813/k10010633781000.html リオデジャネイロオリンピックは12日、柔道女子78キロを超えるクラスで山部佳苗選手が銅メダルを獲得しました。 初めてのオリンピック出場となる山部選手は、初戦の2回戦でリトアニアの選手に大外刈り、続く準々決勝でオランダの選手に体落としを決めて、 2試合連続の一本勝ちで勝ち進みました。 準決勝はロンドン大会の金メダリストで、キューバのイダリス・オルティス選手と対戦し、浮き腰で有効を奪われて敗れました。 そして3位決定戦に回り、ことしのヨーロッパ選手権を制したトルコのカイラ・サイエト選手と対戦し、試合開始20秒すぎに大外刈りで技ありを奪い、 優勢勝ちしました。 日本はこのクラスでシドニー大会から5大会連続のメダル獲得となりました。金メダルはフランスのエミリ・アンデオル選手でした。 山部「メダル持ち帰るという気持ちで闘った」 山部佳苗選手は「準決勝ではもっと、自分の柔道ができたのではないかと悔いがある。準決勝で敗れたあとは気持ちを切り替えてメダルを日本に持って 帰るぞという気持ちで闘った。コーチには金メダルでお礼をしたかった」と試合を振り返りました。 山部選手とは 女子78キロを超えるクラスの山部佳苗選手は、北海道出身の25歳。今回が初めてのオリンピックです。 得意技の払い腰を武器に体重無差別で日本一を争う全日本女子選手権で通算3回優勝しています。 世界選手権では試合の序盤に積極性を欠く課題を克服できず、初出場だったおととしが7位、去年が銅メダルと頂点には立てませんでしたが、ことし4月に 行われた国内選考会で2連勝し、去年の世界選手権銀メダルの田知本愛選手を抑えてオリンピック代表に選ばれました。 柔道女子78キロ超級 山部が銅メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160813/k10010633751000.html 山部佳苗(25=ミキハウス)が今年の欧州王者カイラ・サイト(28=トルコ)に優勢勝ちし、銅メダルを獲得した。日本女子は今大会の全7階級中5階級で メダル獲得となった。 開始23秒に大外刈で技ありを奪い、先手を取った。試合中盤に組み手争いで相手の手が左目に当たり、コンタクトレンズがずれて試合が中断。その後は 奥襟を取って攻める相手に押し込まれる苦しい展開。体力的に厳しくなった後もあきらめず相手の技をしのぎ、指導3を受けながら逃げ切った。 試合後は全力を出し切った安堵の表情。「準決勝でもっと自分の柔道ができたんじゃないあという悔いがあるので、残念です。(3位決定戦は)絶対メダルを 持って帰るという気持ちで頑張りました。今までやってきたことに悔いは残っていないですけど、もっとここで表現できたんじゃないかなと思います。 (薪谷コーチには)本当は金メダルでお礼したかったんですけど、残念です」。表彰式でも終始硬い表情だった。「優勝した選手が喜んでいるのを見て、 悔しい気持ちが強くなりました」と目標の金メダルを逃したことを強く感じた。 表彰式を終えて、銅メダルを見つめ「この4年間やってきたことの積み重ねが、このメダルだと思うので、その点は良かったと思います。薪谷コーチ と二人三脚でやってきたので感謝しています。(今大会は)ちょっとほろ苦い思い出になりました」と振り返った。 それでも重量級でのメダルをつなぐという役目は果たした。「絶対取り逃してはいけないと思っていたので取れて良かったです。代表に決まってから 日本を出るまでは、やり残したことがないようにとやってきました。やってきたことはできたかなと思います」と前を向いた。 山部佳苗が銅メダル!欧州王者撃破も「残念」 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1693953.html
114 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 07:14:10.65 ID:iL9O/57y.net もっと表現できた 山部佳苗 (3位決定戦は)絶対にメダルを持って帰るという気持ちで戦った。今までやってきたことに悔いはないが、もっとここで表現できたのでは ないかという思いはある。 挑戦し続けたい 原沢久喜 勝ってこそ意味があるので、これから何度もチャンスがある限り挑戦し続けたい。こうして最高の舞台で戦えたのは光栄。みんながメダルを 取ってきて、自分だけ負けたらどうしようと思ったが、無心で戦うということを考えた。 リオ五輪・談話(柔道)〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081300061 柔道女子78キロ超級で2015年世界選手権3位の山部佳苗(25=ミキハウス)は3位決定戦でサイト(トルコ)に優勢勝ちして銅メダルを獲得した。 今年の欧州チャンピオンを相手に序盤の激しい組み手争いから、お互いに仕掛け合うと、残り3分37秒で大外狩りで技あり。優位に試合を進めた。 残り2分26秒で時点で相手の手が左目に当たるアクシデントはあったものの、したたかに試合を進めて勝利した。 銅メダルを獲得した山部は「準決勝で自分らしい柔道ができなくて、悔いがあったのは残念。(3位決定戦に向け)絶対にメダルを持って帰るという 気持ちだった。金(メダル)じゃなくて残念ですけど。今までやってきたことに悔いはないが、もっとここ(リオで)で表現できたんじゃないかという思いはある」と コメントした。 これで柔道の日本女子代表は金メダル1個、銅メダル4個でリオ五輪を終えた。 【柔道】78キロ超級・山部が銅メダル獲得「金じゃなくて残念」 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/579996/ 世界ランク2位の原沢久喜(24=日本中央競馬会)が、ロンドン五輪金メダリストで世界選手権同階級7連覇中の絶対王者テディ・リネール(27=フランス) に敗れ、銀メダルで五輪を終えた。 それでも日本男子は今大会、現階級制になって初めて、全7階級でメダル獲得を獲得した。 開始8秒で首を抜いて指導を受ける厳しい展開。1分6秒にも2つめの指導を受けた。その後は奥襟を取って攻める姿勢を見せたが、相手がこれを嫌って 組み合うことができなかった。4分27秒に相手に組み合わない指導が出たが、指導1の差で逃げ切りを許した。 悔しい敗戦に試合後も淡々とした表情を崩さなかった。「やっぱり勝ってこそ意味があると思うので」と振り返った。 徹底的にリネール対策を準備してきた。「(試合プランは)前半しのいで、後半勝負に持って行こうという考えでした。なかなか自分の組み手になるチャンスが 少なくて、組んだときもチャンスをものにできなかったです」。公式戦では初対戦だったが、国際合宿で乱取りをするなど、王者の力を感じてきた。 リネールの自伝を読んで内面も研究した。だが、実際に手を合わせた相手は強く、上手かった。「チャンスがある限り挑戦し続けたいと思います」と 気持ちは次に向けた。 ロンドンで成績を出すことができず厳しい状況に追い込まれた日本柔道だったが、男子は全7階級でメダルを獲得した。「ロンドンの負けから少しは 成長できたんじゃないかと思います。みんながメダルを取ってきて、負けたらどうしようと考えましたけど、無心で戦おうとやってきた。また、頑張ります」。 前回は100キロ級、100キロ超級とも2回戦負けと惨敗したが、4年後の東京五輪でのお家芸復活への収穫を得た大会となった。 原沢久喜が銀メダル!絶対王者リネールの壁破れず - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1693955.html 「勝ってこそ意味がある。チャンスがある限り挑戦し続けたい」。リオ五輪柔道男子100キロ超級で銀メダルを獲得した原沢久喜選手(24)に笑顔はなかった。 決勝の相手はロンドン五輪金メダリスト、デディ・リネール選手(フランス)。積極的に仕掛けたが、逃げられ続けて指導ポイント差で優勢負けした。試合後、 原沢選手は「組み手になるチャンスが少なく、そのチャンスをものにできなかった」と振り返った。 柔道男子は7階級制となった1988年ソウル五輪以降で、初の全階級でメダルを獲得した。原沢選手は「みんながメダルをとってきて、自分だけ負けたら どうしようとかいろいろ考えたが、無心で闘うということを考えた」と話した。 柔道・原沢「挑戦し続ける」 銀メダルに笑顔なく http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG13H1M_T10C16A8000000/
115 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:13:54.27 ID:d9UGjyUA.net 決勝の畳で試合終了のブザーを聞いた瞬間、田知本遥(ALSOK)は放心したように宙を見つめていた。「今までのことが走馬灯のようにこみ上げてきました」。 柔道の日本女子で今大会初の金メダル。自分自身の意地と家族の支えを力にして、激戦の70キロ級をノーシードから駆け上がった。 揺るがぬ心、4年前の苦い経験糧に 前日までの4日間、女子は銅メダルが3つ。1992年バルセロナ五輪以来となる金メダルゼロが現実味を帯びつつある状況だったが、 「気にしないようにしていました。みんなが勝ってきても負けてきても、どっちにしろ『圧』というものは同じなので。自分がやるべきことはただ一つだった」。 揺るがぬ心で畳に上がれたのは、4年前の苦い経験があるからだ。 大学4年生で挑んだ前回ロンドン五輪は準々決勝で肘を痛めて敗れ、7位という結果に終わっている。「ワクワクした気持ちで、どんなものかわからないのも あってフワフワしていた。今回は地に足がついて、何が何でもチャンピオンになろうという強い気持ちだった」 それが結果に結びついたのが2回戦。世界ランキング1位のキム・ポリング(オランダ)に開始7秒で一本背負いを食らい有効を奪われたが、 落ち着いて反撃のチャンスを探った。大外刈りで有効を奪い返すと、ゴールデンスコアの延長戦でも再びこの得意技で相手をなぎ倒した。 「本当に大外刈りに助けられた。小さいときからやっている技ですし、そこに気持ちを全部乗せた」 決勝の相手は元世界女王のジュリ・アルベアル(コロンビア)。左から右へ組み手をスイッチしてくる相手のやり口は研究済みだった。 組み手でパワーを封じつつ、一歩も下がらない気迫で焦りを誘った。中盤、密着した相手が強引な投げに出たところが勝負どころだった。 その勢いを利用しながら、自分もろとも倒れ込む谷落としで技あり。さらにその体勢のまま横四方固めで抑え込んで、合わせ技一本で決着をつけた。 「本当に苦しいことが多くて。でもこの日のためにあったのかなと本当に思います」。ここまでの道のりは波瀾(はらん)万丈だった。 ロンドン五輪後は国際大会で結果を残せず苦しんだ。さらに追い詰められたのは昨年2月。ドイツでの国際大会の前に服用した市販の風邪薬に禁止成分が 含まれていた。ドーピング検査に引っかかる恐れがあるとして大会を欠場し、全日本柔道連盟から警告処分を受ける前代未聞の失態。そのとき、そばで 支えてくれたのは78キロ超級で昨年の世界選手権2位の姉・愛(めぐみ)だった。それまで2歳上の姉に反発することも多かった遥だが、時に厳しく、 時に優しく寄り添ってくれたことに「あのおかげで頑張れた」と振り返る。 サポートしてくれた姉の存在大きく 本当なら姉妹でリオの戦いに臨むはずだった。が、愛は最有力候補で迎えた代表最終選考会で、決勝の試合中に膝の靱帯損傷の重傷を負って敗戦。 五輪代表の座を目前で逃していた。それでも自らの落選のショックを胸にしまい、遥の出稽古に付き添ってくれた。大会1カ月前には、恩師たちや友人の メッセージを書き込んだ日めくりカレンダーを贈ってくれた。そこに愛が書き込んだ言葉は「私が代表になれなかったことに意味があるとしたら、それは遙を 支えるためということだよ」。 リオ到着後に調子が上がらず苦しいときには、電話で励ましてもらった。表彰式の後、リオまで応援にきてくれた愛に金メダルをかけると「心臓が飛び出るかと 思ったよ」と、泣きながら喜んでくれた。「姉の存在が大きかった。サポートしてくれたからここまで来られた」という遥の目も、感謝と歓喜の涙にぬれていた。 柔道・田知本、姉とつかんだ金メダル http://www.nikkei.com/article/DGXMZO05955580R10C16A8000000/
116 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:19:54.41 ID:d9UGjyUA.net 瞬時の気負いが、小さな隙を生んだ。女子78キロ超級の山部にとって難所だったオルティスとの準決勝。残り49秒で相手に指導が与えられて並ぶと、 一気に攻めようと奥襟を取りにいって浮腰で投げられた。決定的な有効を奪われ、金メダルは夢と消えた。 相手が指導を受けるような戦いを選ばず、技を出して勝ちたいという欲が裏目に出た。南條監督は「心と体が少しずれていた」と指摘する。気持ちを吹っ切って 銅メダルを確保した3位決定戦も含め、大外刈りに払い腰、谷落としと技は切れていただけに一瞬の判断ミスに悔しさが募った。 以前は奥襟を持つパターンしかなく、国際大会では上背のある強豪選手に通用しなかった。所属先の薪谷コーチによる指導で、前襟を持って払い腰などの 技をかける練習を地道に積み、幅を広げてきた。それだけに勝負どころで思わず奥襟に手が伸びてしまったことが、何より悔しかった。 超級の代表争いでは田知本愛(ALSOK)に後れを取っていたが、4月の選考会で連勝。全日本女子選手権決勝では田知本の痛めた足を攻め続けて 執念を見せた。土壇場でつかんだ五輪の舞台に懸けていただけに「もっと自分の柔道を表現できたはず」。銅メダルでは、喜べなかった。 悔やまれる瞬時の隙=山部、女王に屈す〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081300208 リオデジャネイロ五輪で柔道の最終日が12日に行われ、男子100キロ超級の原沢久喜(日本中央競馬会)が銀メダル、女子78キロ超級の山部佳苗 (ミキハウス)が銅メダルを獲得。日本勢は過去最多の男女合計12個のメダルを手にした。 日本男子は、7階級制となった88年ソウル大会以降、初の全階級メダル獲得の快挙を達成。「男女で最低でも金4つ。できれば6個」と目標を掲げてきた 全柔連の山下泰裕強化委員長(59)による大会総括の一問一答は次の通り。 今大会を振り返って。 「私個人としては14階級すべてでメダルを目標にしてた。結果的に12個で、2階級で獲れなかった。ただ、過去最高の10個を上回って、そういう意味では 選手もコーチもよく頑張ったと思う。本音を言うと、もう少し金メダルが欲しかったが、日本選手より強いシード選手が銅メダルを獲って涙してる。 勝ち上がっていく中で楽な試合は一つもなかった。アルゼンチンやコソボが金メダルを獲ったり、今回メダルを獲得した国も26カ国で過去最多。 私が32年前ロスで戦った頃とは比較にならないくらいレベルが上がってる。そういう意味では選手がよく頑張ってくれた」 男子全階級でメダル獲得。 「素晴らしい快挙。もう1個くらい金メダルが欲しいが、そんなに簡単なことじゃない」 ロンドン五輪からの復活か。 「日本柔道が完全に復活したと、世界がそう見てると思う。これは亡くなった斉藤仁強化委員長、井上監督、共に頑張ったコーチや所属のコーチ、 みんなの力がある。女子もいろんな問題起きた中、7階級で5階級メダル。南條監督もよく頑張った」 原沢とリネールの決勝を見て。 「徹底して組み手を殺されて、投げられるチャンスなかった。リネールが勝負に徹して、僅差でもいいからリスクを完璧に減らして何としても勝ちたいと、 勝負に来たなと思った。原沢も全力で攻めたけど。力の差は大きくないが、あそこを破っていくのは難しい。原沢や日本の柔道はこの悔しさをバネに、 打倒リネールで頑張って欲しい」。 東京五輪に向けて金メダルを増やすには。 「今はリオで精一杯でそこまでは考えられないが、組み勝てないと投げきれない。昨日の羽賀もそうだが、日本と組み合ったら投げられるから、 なかなか組み手を獲らせてもらえない。いかにつかむか、あるいは最後まで掛けきる、投げきる、大野みたいな柔道を目指していくことが必要。今 回、金を取った3人はリスクを取って攻めに行った。ここまできたら勝ちか負けしかない。やるかやられるか。東京に向けても、最後まで自分を 信じて向かっていく強い精神力も必要かな」 日本国内では、銅メダルで謝る必要はないという意見もある。 「当然ですよ。柔道関係者なら皆、メダルを獲ることがどれだけ大変かわかってる」 【一問一答】柔道・山下委員長「銅で謝る必要ない」 http://www.daily.co.jp/olympic/2016/08/13/0009383968.shtml
117 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:27:42.90 ID:d9UGjyUA.net 柔道の日本男子代表7人の最後に登場した原沢の首に銀メダルがさがった。これで全員が表彰台に乗り、メダルは金2、銀1、銅4となった。 男子の全階級でメダルを獲得したのは柔道が五輪競技に加わった1964年東京五輪で日本が4階級全てで達成して以来52年ぶり。 7階級制になった88年ソウル五輪以降では初めてとなる。「偉大な歴史に名を刻む7人になった。誇りに思う」。男子を率いた井上康生監督は 涙で声を詰まらせた。 屈辱からの出発だった。4年前のロンドン五輪では史上初めて日本男子が金メダルゼロに終わり、銀、銅各2個にとどまった。最後の100キロ超級が 2回戦で敗退した瞬間、スタンドで当時の篠原信一監督ががっくりとうなだれる姿を、テレビの前で観戦していた原沢もよく覚えていたという。66キロ級で 2大会連続の銅メダルを獲得した海老沼匡(パーク24)以外の6人は初出場だったが雪辱の思いは受け継いでいた。 ロンドン五輪時、コーチだった井上監督は2012年11月に就任した。「変化できるものだけが生き残れる」と改革を断行した。現役引退後、 英国にコーチ留学した井上監督は、普及とともに世界のレベルが確実に上がっていることを感じていた。技術力は磨きながらも、パワー差に屈していた 現状を打破するため、ボディービルの専門家もコーチ陣に招いて筋力強化した。 「仲良し集団、傷のなめ合い集団は必ずほろびる」と徹底して競争をあおった。100キロ級で銅メダルを獲得して日本勢16年ぶりの表彰台に乗った 羽賀龍之介(旭化成)をモンゴルに武者修行に出すなどし、日本の恵まれた環境と海外勢の貪欲さに気づかせた。 女子も最終日に山部が銅メダルを獲得し、7階級のうちメダルは金1、銅4となった。13年1月に前体制の暴力指導が発覚し、混乱が続いたが、 再生を託された南條充寿監督の下、選手の自主性を重んじ、所属との連携を図った。ロンドン五輪と金メダルの数は同じだがメダル数は2個増えた。 男女合わせてメダル12個(金3、銀1、銅8)は、女子が種目に加わった92年バルセロナと04年アテネの両五輪の10個を超えて過去最多。 強化委員長を兼任する全日本柔道連盟の山下泰裕副会長は「日本柔道は完全に復活した。世界がそう見ている」と誇らしげに語った。 五輪柔道:男子全階級でメダル 井上監督「誇りに思う」 http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160813/k00/00e/050/279000c 今回の男女代表の中で唯一世界選手権出場経験がなく、昨夏は代表争いの3番手にいたが、競走馬トレーニングで足腰を鍛えて最重量級のエースに成長した。 15年4月の全日本選手権での優勝が、リオ五輪へのターニングポイントとなった。日大4年時の14年は、4月の同選手権で準々決勝敗退。11月の講道館杯 では初戦敗退するなど、「もうダメかな」と伸び悩んでいた。 しかし15年に日本中央競馬会(JRA)へと進むことが決まり、浮上のきっかけをつかんだ。早朝5時から、東京・世田谷の馬事公苑で400メートルの競走馬 用のダートコースを走り、坂道でタイヤを引いた。馬の世話や乗馬にも挑戦した。国際大会より1分長い全日本選手権での6分間の試合も 「スタミナだけは負けない」と絶対の自信で臨み、柔道日本一の座を手にした。同年夏の世界選手権代表には選出されなかったが、10月の グランドスラム(GS)パリ、12月のGS東京、翌16年2月のGSパリを制して、国際大会でも実績を残した。 JRAの賀持道明監督(46)も「10個行ったら10個しっかりやる子。一生懸命やり過ぎるぐらい」と言う努力家。部員が6人しかいなかった山口・早鞆高1年時 は66キロ級で、「同級生の女の子にも負けていた」という少年は、特大おにぎりを5個食べるなどの努力で125キロの肉体を作り上げ、五輪銀メダリストに まで成長した。 【柔道】銀メダルの原沢、競走馬調教トレで覚醒 : スポーツ報知 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160813-OHT1T50109.html
118 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:32:58.22 ID:d9UGjyUA.net 柔道男子は前回のロンドン大会で史上初めて金メダルゼロに終わったあと、2000年のシドニー大会の金メダリスト、井上康生監督が就任して チームの立て直しに取り組み、復活をかけた今大会、7階級すべてでメダルを獲得しました。 井上監督は「選手たちがよく頑張った」とことばを絞り出したあと、しばらく涙で話すことができませんでした。そして「4年前、ロンドンでは悔し涙を流したが 今回は最高の選手、最高のスタッフと最高の舞台で戦えた幸せを感じた涙だと思う。心からみんなに感謝したい。選手たちを信じることを貫けた」と話すと 再び涙がこみ上げ、ことばにつまっていました。 4年後の東京オリンピックに向けては「今大会、日本が7階級すべてでメダルをとったことで、海外のすべての選手が日本をマークしてくる。これまで以上の 厳しい戦いが4年後の舞台で待っていると思う。柔道界全体が強固なスクラムを組んで世界と戦っていくことが4年後の成功を導く大きなポイントになる。 日本柔道が、世界から、勝つにふさわしい集団であるとたたえられるチームを作っていきたい」と決意を新たにしていました。 全階級メダルの柔道男子 井上監督は涙で大会を総括 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160813/k10010634381000.html 柔道は12日に日程を終了し、日本は男女計3個の金メダルを獲得した。総数は銀1、銅8を含む12個で五輪1大会での最多。全日本柔道連盟で 強化委員長を兼務する山下泰裕副会長は「もっと金が欲しかったが、世界のレベルは上がっている。日本柔道は完全復活したと世界はみている」と振り返った。 男子】金二つを含め全7階級でメダル獲得。史上初の金ゼロに終わった前回ロンドン五輪を上回り、本家復権への一歩は踏み出したといえる。 73キロ級の大野将平(旭化成)は圧倒的な強さで制した。5試合のうち決勝を含む4試合で一本勝ち。内股など多彩な技は切れ味が鋭く、正統派の 柔道で金をつかんだ意義は大きい。 90キロ級のベイカー茉秋(東海大)は、旧86キロ級を含めて五輪のこの階級で日本勢初の金。パワーを前面に押し出す海外の選手が多い階級にあって、 スピードも兼ね備え、勝負に徹する戦いでつかんだ栄冠は日本勢の可能性を広げた。 100キロ超級は原沢久喜(日本中央競馬会)が王者テディ・リネール(フランス)の壁に阻まれた。徹底して組み手を封じてきた相手を打破する策を欠き、 重量級再建へは道半ば。金メダルが有望視された81キロ級の永瀬貴規(旭化成)は準々決勝で敗れて銅。精神面に課題を残した。 井上康生監督は銅を確保した4人も含め「七人七様で素晴らしかった。最後まで諦めずに戦い抜き、バトンをつなげた結果」と評した。 【女子】ロンドンと同じ金1個を確保。ノーシードで優勝候補に挙がらなかった田知本遥(ALSOK)が、激戦の70キロ級を制した。上位シード選手との 実力差は小さかったとはいえ、延長戦を2度しのいだ粘りは光った。 期待の軽量級は48キロ級の近藤亜美、52キロ級の中村美里(ともに三井住友海上)がともに優勝した選手に準決勝で敗れ、一歩及ばず銅。連覇を 逃して銅に終わった57キロ級の松本薫(ベネシード)は集中を欠いた一戦が悔やまれた。 東京五輪世代の若い2人、63キロ級の田代未来(コマツ)と78キロ級の梅木真美(環太平洋大)はメダルを逃した。3位決定戦で気持ちを保てなかった 田代、負傷の影響で調整に苦しんだ梅木とも、4年後への課題は明確になった。 男子、本家復権へ一歩=全7階級でメダル〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081300272 無敵のリネールが容赦のないブーイングの中で連覇を達成。原沢との決勝は指導の数でリードすると逃げに徹し、技はほとんど出さなかった。 観衆の不満に対し、唇に人さし指を当て「お静かに」のポーズ。「五輪のメダルはいつも特別。少し重圧はあったが、それが良かった」と涼しい顔だった。 決勝の安全策には伏線があった。サソン(イスラエル)との準決勝は体が浮く場面もあり、残り1分を切ったところで指導の数で並ばれるピンチ。終了と 同時に得意の隅返しで技ありを奪い、事なきを得た。これが王者を慎重にさせる一因になった。 男子100キロ超級では2007年から世界選手権を7連覇中。強さのわけを「夢中であること。それが前進には必要」と語る。4年後の東京五輪開催時には3 1歳になっている。それまで現役を続けるのか問われると、「休暇の後に考える」と明言しなかった。 王者にブーイングの嵐〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081300198
119 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:39:15.10 ID:d9UGjyUA.net 五輪初出場の山部佳苗(25)=ミキハウス=が銅メダルを獲得した。スタンドには、幼少期に柔道を教えた娘に声援を送る父徳一(のりかず)さん(56)の姿があった。 山部は子ども時代に水泳やピアノも習ったが、インターハイなどに出場経験がある柔道選手だった徳一さんの影響で、小学1年の頃から地元の柔道クラブに通った。 七段の腕前の徳一さんが直接稽古(けいこ)をつけることもあった。何度も山部と組み「ここだ」と声を掛けながら、技に入るタイミングや相手との間合いを 教えこんだ。 徳一さんは「勝ち負けよりも、柔道を通して健康で社会に役立つ大人に育てたかった」と話す。だから「他人にけがをさせるような強引な技は使うな」が 口癖だった。 最後に父娘が組み合ったのは中学3年の全国大会の直前。徳一さんは「受け身も取れないほど鮮やかに投げられた」。この大会で2位に入った山部は、 父と同じ得意技の払い腰を武器に、北海道の柔道強豪校・旭川大高から山梨学院大に進み、やがて世界で戦う選手へ成長した。 徳一さんは2012年、心臓の調子が悪くなり集中治療室に運ばれた。ベッドの上で、それまで山部の国際大会を見に行かなかったことを残念がった。 そんな父に山部は「リオ五輪に連れて行くから」と約束した。 リオ出場への最大のライバルは、リオ五輪70キロ級で金メダルに輝いた田知本遥(26)の姉、愛(めぐみ)(27)。今春の全日本女子選手権決勝で一本勝ちし、 切符をもぎ取った。晴れ舞台に臨んだ娘の姿を見るため、徳一さんは薬持参で地球の反対側のリオにやって来た。 初戦、準々決勝と2試合続けて一本勝ちした山部は、準決勝でロンドン五輪金のオルティス(キューバ)に敗れたが、3位決定戦でサイト(トルコ)を降した。 試合後、徳一さんは「自分の娘が輝いて見えた。今はお疲れと言いたい」と感無量の様子だった。表彰式後、山部が会場で父を見つけて近寄ると、徳一さんは 「けがはしていないか」と体を第一に気遣った。 RIO・リオ五輪:柔道 父に贈る、約束の良薬 女子・山部、初の銅 http://mainichi.jp/articles/20160813/ddf/041/050/014000c 柔道が全日程を終え、初の金メダルゼロだった2012年ロンドン五輪後の秋に就任した井上康生・男子監督(38)が試合終了後、報道陣の取材ゾーンで感極まり、 肩を震わせて涙を流す一幕があった。7階級制となった1988年ソウル五輪以降初めて、男子は全階級でメダル(金メダル2)を獲得した。 00年シドニー五輪100キロ級の覇者でもある井上監督は、就任時から「リオ五輪での勝利こそが集大成」と掲げ、思い入れは相当なものだった。 躍進したチームに「素晴らしい選手たちに感謝の気持ち。まだ自分自身をコントロールできない」とむせび泣いた。 代表7人の特徴を1人ずつ冗談も交えて表現した後に「本当にたくましかった。素晴らしい子どもたちとの五輪が終わり、人生最高の思い出になった」と 目を細めた 井上康生監督、感極まりむせび泣き「自分をコントロールできない」 柔道男子、全階級メダル http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20160813/spo1608131528009-n1.htm
120 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:41:50.94 ID:d9UGjyUA.net リオデジャネイロ五輪の柔道競技は現地時間12日に最終日を迎え、男子100キロ超級に出場した原沢久喜(日本中央競馬会)が銀メダルを獲得した。 全階級のメダル獲得は、日本男子として、無差別級を含む4階級制で行われていた1964年東京五輪以来52年ぶり。88年のソウル五輪から 採用されている現行の7階級制では世界初の快挙だ。 前回のロンドン大会では、史上初の金メダルゼロ(銀2、銅2)という屈辱を味わった男子柔道だが、今大会は初日からメダルを獲得し続け、看板となる 最重量級でも銀メダルという結果を残して日本柔道の復活を印象付けた(金2、銀1、銅4)。 締めくくりが、肝心だった。 かつての無差別級の流れを汲む、男子100キロ超級は世界最強の象徴である。前日に行われた100キロ級を見た後であっても、選手が入場した途端に 体格の大きさが目を引く大男たちの勝負の場だ。その中で柔よく剛を制してこそ、世界に日本柔道ありと示すことができる――。 最重量級は、他の階級とは一味違ったプライドを背負って戦う階級でもある。原沢は、母校である日本大の壮行会で「日本柔道の再建を託されている」と 背負うものの意味を語ったという。決勝で金メダルを逃した悔しさは無視できないが、銀メダル獲得で世界に実力を示すことができた。 ノーシードから着実に重ねた勝利 大卒1年目の原沢は、国際大会で7連勝と勢いを見せて五輪出場権を獲得した若き力。リオの舞台で期待されたのは金メダルの獲得だが、 それは絶対王者を倒せという大きな使命だった。 ダントツの優勝候補は、世界選手権7連覇中で12年ロンドン五輪王者のテディ・リネール(フランス)。10年に東京で行われた世界選手権で上川大樹 に敗れて以来、国際舞台で6年も無敗という生きる伝説だ。 柔道界におけるシンボルの存在感は、リオの地でも明らかだった。全日程の中で唯一、会場にブラジル国旗に負けないほどのフランス国旗がなびき、 リネールが畳に上がるたびに大きな「テディ」コールが響き渡ったことは、王者の圧倒的な強さを見に来たファンの多さを物語っていた。 原沢は、王者に挑むためにノーシードから着実に勝ち上がった。初戦では、指導差による優勢勝ち。2回戦では試合中盤に指導を受けてリードされたが、 切れのある大内刈りで一本勝ちを収めた。準々決勝は、積極的に攻め続けた結果、相手が指導4を受けての反則による一本勝ち。メダルがかかった 準決勝では、北京五輪の銀メダリストであるアブドゥロ・タングリエフ(ウズベキスタン)から大内刈りで有効を奪って、先に決勝進出を決めていたリネールへの 初挑戦の権利を得た。 先に行われた女子78キロ超級でフランスのエミリ・アンデオルが優勝していたため、アベック優勝への期待にフランス応援団が盛り上がる中、最強ニッポンの 復権をかけて原沢は畳に上がった。 井上康生監督「山は大きかった」 世界に知らぬ者がいない絶対王者と、柔道発祥国が送り込んだ若き挑戦者。期待の高まる中で始まった試合は、思わぬ展開を見せた。 奥襟をつかんだリネールの手を外すために首抜きを行った原沢が、開始8秒でいきなり指導を受けたのだ。原沢は動じずにリネールの胴着 をつかみにかかるが、2メートル3の長身を誇るリネールの長い腕を攻略できずに組み負け、再び指導を受ける。この間、両者ともに明白に技を仕掛けた 場面がないという地味な展開だ。 その後の展開を追っても、試合を左右する要素は指導しかなかった。「後半で勝負をしようと思っていた。何回か組んで(技に)入れるかなという チャンスがあったし、組み際に狙おうかと思ったが、組み手も厳しかった。もつれ際に(相手の技を)返すとか、自分が帯を持って大内刈りとか、奇襲というか 組み際の技を狙っていたけれど、うまくさばかれた」と攻略を狙い続けた原沢。これに対し、指導の差で優位に立っていたリネールは、守備を徹底。 終盤にはリネールにも指導が与えられたが、指導差1のまま逃げ切られ、原沢の挑戦は終わった。
121 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:50:01.90 ID:d9UGjyUA.net 結局、原沢は相手の技を受けることがなかったが、逆に技を仕掛けられないまま敗戦に追い込まれた。試合終盤になっても見せ場のない展開に、 場内は不満爆発。特に、明らかに優勢勝ちを狙って逃げたリネールには、大ブーイングが浴びせられた。もっと良い勝負ができたのでは、勝機を 見いだせたのではないか、という思いが生まれる展開だが、逆に勝負に徹したリネールの盤石の強さを感じ取れる試合でもあった。 井上康生監督は「山は大きかった、というところかなと思う。接戦ではあったけれど、制することができなかった。リネールが偉大な王者であることの証明だった。 リネールがあそこまで徹底するというか……あの中でもどうにか切り込んでいけるポイントや技の準備はしていたつもりだったが、出させてもらえなかった。 指導1の差くらいでいけば後半にチャンスがあるかなと思っていたが、次の指導が勝負を決めてしまったのかなと思った」と、狙っていた後半勝負に 引き込めなかったことを悔やんだ。 まだ、リネールとの差はあると認めなければいけないだろう。しかし、最重量級で2大会ぶりのメダルを獲得し、絶対王者に迫ることはできた。 試合直後には「最高の舞台で戦えたのは光栄に思うけれど、日本柔道の重量級復活という意味で言えば、金メダルが欲しかったというのが本心」と悔しさを のぞかせた原沢。だが、試合後の公式記者会見では外国人記者からの質問に「(リネールは)もちろん高い壁だと思っているが、絶対に勝てない選手 だとは思っていないし、これからも挑戦し続けていきたい」と強気に答えた。 大会前には、リネール戦を想定して、対戦経験のある七戸龍(九州電力)から情報を得ていたという。七戸は、代表権を争ったライバル。日本の重量級は、 総力を挙げて打倒リネールに向かっている。 原沢は初対戦を終えて、一瞬のワンチャンスを決め切る力と、後半にもっと前に出るスタミナを今後の課題に挙げた。まだ、挑戦は続く。 リオで原沢が首にかけた銀メダルは、日本重量級復活の狼煙であり、大舞台で突き付けた王者リネールへの挑戦状である。 ニッポン柔道重量級、復活の狼煙 原沢・銀も絶対王者への挑戦は続く http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608130010-spnavi 会場は異様な大ブーイングに包まれた。柔道100キロ超級で銀メダルに輝いた原沢久喜(ひさよし)(24)。「絶対王者」と呼ばれ、原沢に勝ったリネール( フランス)はまともに組もうとせず、ちょっぴり後味の悪い結末になった。 スタンドで観戦した原沢の母親、敏江さん(54)は銀が決まった瞬間、うんと軽くうなずいて笑顔を見せた。「相手が強くて、もっと早く負けると思っていたから。 金メダルに値する闘いをしたのでは 隣で観戦した妹の結衣さん(22)も「五輪まで来るのにいろんな努力をしてきて、最後は惜しかった。ブーイングにちょっとうれしくて、共感した」と目を潤ませた。 山口県下関市生まれ。女手一つで最重量の選手を育てた敏江さんは「私が育てたよりも周りの人が育ててくれた」。五輪が始まる前、「メダルの重圧に負けない ように。油断大敵」とメールを送ると、原沢から「了解」と返ってきた。 遅咲きだった。小学校に入ってすぐ柔道を始めたもののなかなか結果が出ない。原沢が通っていた道場の顧問だった下関柔道協会の三宅寛会長(70)は 「市内の大会でも負けていた。めげずに柔道を続けたことで花が開いたのだろう」と語る。 体は小さく、中学校まで無名の選手だった。高校に入り、1日5食にした。身長も伸び、体重は30キロ近く増え、90キロ級まで階級を上げた。日本大学入学前、 敏江さんは「五輪ぐらいちゃんと目指すようにやりなさいよ」と送り出した。注目を浴びたのは、平成24年の講道館杯で優勝してからだ。25年の 全日本選手権で決勝に進出し、一躍五輪候補に。 この日のスタンドでは「世界に輝け、下関の星」などと寄せ書きがいっぱいの日の丸が掲げられ、願い通りのスターになった。 「まだまだ未熟。常に努力しなければならない。日本の柔道を支えるぐらいの気持ちでやってほしい」。敏江さんは息子にさらなる成長を望んだ。 五輪柔道 異様な大ブーイング、銀メダル原沢久喜の妹「ちょっとうれしくて共感」 http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/160813/cpd1608131820006-n2.htm
122 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:50:18.79 ID:d9UGjyUA.net 柔道の全日本男子・井上康生監督は号泣した。 「選手を誇りに思う」 金メダルは、73kg級の大野と、90kg級のベイカーの2つだったが、男子は1964年の東京五輪以来となる全階級メダル獲得の偉業を成し遂げた。 ソウル五輪以降、7階級になってからは初の快挙だ。日本柔道の象徴ともいえる最重量級の100kg超級では原沢が銀メダルに終わったが、 6年間無敗の絶対王者、リメールを追い詰めて、会場からは逃げるリメールにブーイングが起きた。16年間、メダルから遠のいていた100kg級も 羽賀がモチベーションを切らさず敗者復活戦から銅メダルを獲得した。 山下泰裕強化委員長は、大会の総括会見で「日本柔道が完全に復活したと、世界が見てる。これは亡くなった斉藤仁強化委員長、井上監督、 共に頑張ったコーチや所属のコーチ、みんなの力がある。女子も、いろんな問題が起きた中、7階級で5階級でメダルを取り、南條監督もよく頑張ってくれた」と 断言した。 日本男子柔道は確かに復活した。 この4年間、井上監督が推し進めてきた数々の改革が実を結んだ瞬間だった。勝利の改革である。 ロンドン五輪で史上初の金メダルなしの屈辱にまみれた日本男子柔道は、当初、篠原前監督の続投の方針でいた。だが、篠原前監督を推挙していた 強化委員長の吉村氏が助成金の問題で体制から外れると、篠原氏が辞任の方向を固め、責任者がロス、ソウル五輪の95kg超級の金メダリスト、 斉藤仁強化委員長に変わり、34歳だった井上監督に再建を託す方向性が決まった。 ロンドン五輪には強化コーチで参加していた井上監督は、2012年11月の就任会見で「いかにして組んで一本を取りに行く過程をつくるか。それを考える。 そのためにスポーツ科学も利用する。どうすれば、効率よく勝てるか考えた上でトレーニングをして総合力で戦う」と所信表明をした。 井上監督は、その言葉通り、まず稽古の中身を見直した。量より質。体育会系のランニング、寝技、乱取りで汗を流すだけの練習内容を見直して、 ボディビルの専門家を招き、筋力、持久力の科学的トレーニングを取り入れたのだ。また栄養学の専門家にも相談、トレーニング、食事、休養のバランスを 考えてスケジュールを組んだ。また試合の対策も、今までのように、ただビデオを見てあれこれ策を練るだけでなく、対戦相手の傾向や選手、自らの長所、短所、 フィジカルなどをデータ化して示した。 「世界の柔道に対応するためには、対戦相手のルーツを知ること」と、ブラリアン柔術、サンボ、モンゴル相撲、沖縄角力といわれる沖縄相撲まで選手に 体験させた。ジョージアの躍進が民族格闘技の「チダバオ」にあるとも言われていて、まるで武士道の基本、敵を知ることから始めたのである。 その一方で、精神論にも力を入れた。 科学と非科学の融合である。 代表争いでは、最後の最後まで競争をあおり、2年前には賛否に耳を貸さずに100キロ級で世界選手権へ代表を送らなかった。非科学の部分では、 柔道3連覇の野村忠宏を合宿に招き、体験談を語ってもらう。野村は「五輪は特別な力がないと勝てない」と、勝者にしか語れないメンタリティを代表選手 に伝えている。 リオ五輪前には、選手に「おれが金メダルを取る!と豪語しろ!」と命令した。有言実行論である。 実際、大野は「最低でも金」といい続け、「井上監督からは、もっとも金メダルに近い男とプレッシャーをかけ続けられたが、その期待に答えられて良かった」と、 金メダル獲得後に語り、井上監督から「よく耐えた」と言葉をもらうと、涙を流した。 井上監督は「組織」の変革にも手を打った。軽、中、重の担当コーチ制を復活、重量級は、アテネ五輪100kg超級の金メダリスト、鈴木桂治が担当した。 師弟のつながり、チームのまとまりが、目に見えない力を日本選手団全員に与えることを、井上監督は自らの体験から熟知していたのである。 3連覇の野村忠宏は、「井上康生が監督にとなって改革に取り組み本当に強くなった。篠原先輩がダメと言っているわけではなく、いいものを引き継ぎ、 そして悪いものを改革するというやり方をしている」と、大会前から、井上路線を高く評価していたが、代表の空気も選手の勝利に対する意識も大きく 変化していた。 東京五輪への期待が高まるが、その一方で、原沢がリネールに勝てなかった試合が示すように勝負に徹しきる「JUDO」への対応は、まだ不完全である。 だが、井上監督は、さらなる強化プランを暖めているという。 日本柔道復活の裏に井上康生監督が進めた「勝利の改革」 https://thepage.jp/detail/20160813-00000005-wordleafs
123 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:53:38.17 ID:d9UGjyUA.net リネールが世界選手権7連覇に加え、五輪2連覇という栄誉を手にした。柔道大国フランスが前日まで男女とも優勝なし。 開会式で旗手を務めたスター選手には必勝が義務づけられていた。 原沢との決勝は奥襟をつかんで主導権を握り、指導2つを引き出して競り勝った。終盤は逃げるような姿勢に観客からブーイング。 「一本で勝ちたかった。原沢は強かった」と力を認めた。 3連覇の偉業が懸かる東京五輪への出場は「まだ分からない。出たら優勝したい」と明言を避けた。 柔道リネール五輪V2も逃げる姿勢に観客ブーイング - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1694354.html 原沢久喜(24=日本中央競馬会)の頂点への戦いは、絶対的な強さを誇るテディ・リネール(フランス)の壁にはね返された。王者の強さと巧みさの前に 力を出し切れず、わずか指導1の差での銀メダル。力を出し切れない悔しさが残った。ただ、ロンドン五輪でメダルなしに終わった最重量級で、復活への 第1歩は踏み出せた。 再建を目指し、重量級はチーム一丸で歩んできた。決して原沢個人の資質だけで、メダルにたどり着いたわけではない。12年、熱烈なオファーを受けて 重量級のコーチに就任した鈴木桂治氏は、心身についての改革を代表選手全員に訴えてきた。「重量級は特に、軽量級だったら100回でできることを 1万回ぐらいやらないとできないと言われているくらいマイペース。闘争心も軽量級より少ないし、時間はかかる。ただ、その火を付けてしまえば簡単なんです。 内なる闘志も大事だが、見える闘志も必要は必要ですよね。そういう話は伝えましたね」。 12年秋から新体制が発足し、当初は稽古後に重量級の選手、コーチ陣が車座になって意見をぶつけ合う姿をよく目撃した。その中から登場してきたのが 14、15年世界選手権銀メダルの七戸龍。極真空手日本一の経験もある父を持つ異色の柔道家は、再建の旗頭となっていった。特に14年世界選手権では 決勝でリネールを追い詰めた。有効判定があってもおかしくない大内刈りで「勝利を逃した」と表現できる熱戦を繰り広げた。 これが国内の他選手の刺激にならないはずはない。自分もいける−。そう思った選手から七戸に挑む若者たちが現れた。体重無差別で争う全日本選手権 では14年に王子谷剛志、そして15年を制したのが原沢久喜だった。この若手2強の登場を同コーチは「七戸にとっても刺激になった。存在は大きかった」と 振り返る。リオ五輪を巡る争いは激化し、最後には原沢が笑ったが、競り合いがなければこの結果もなかった。「車座? やってましたね。いまは 必要ないくらいの選手になってきてますから」。同コーチはうれしそうに話す。 同時に、七戸への感謝も忘れない。「ありがたかったですね。福岡から東京まで拠点を変えて、その辺で意識が切り替わったと思いますし、そういう思いを 持ってくれてよかった」。リオ五輪代表落選が決まった4月の全日本選手権後に七戸にメールを送った。「世界一になるまでは、しっかりした気持ちを持ってくれ」 と書いた。五輪を区切りにする選手は多いが、もっと現役を続けてほしかった。「やめる気はないです」。その返信を見て、心が救われた。 原沢にもライバルへの感謝はある。七戸は代表落選後にある思いをツイッターに投稿した。 「ロンドンから重量級が低迷してると言われる事が悔しく自分の手で変えたいという思いで突っ走ってきました。原沢選手に託すことになりましたが、 全階級金を取れる力を持っています。日本柔道の応援よろしくお願いします」。 これを見た瞬間に思った。「七戸さんの人間の大きさ、自分の小ささがわかった。逆の立場で同じことができるか。すごい人だなと思いました。ずっと引っ張って きた人なので、感謝していると言ったら上からですが、そういう気持ちはあります。自分が結果残さないといけない」。重量級はチームで戦ってきた。代表権を 巡る争いにも、その裏には結束があった。それが原沢を突き動かしていた。 リオ五輪では原沢が、最重量級の復活へ確かな足跡を残した。そして4年後の東京五輪での金メダル獲得へ、七戸、王子谷、そしてこの大会を見て 名乗りを上げる新しい選手たちとの新たな競争が始まる 鈴木コーチ、七戸、王子谷…チーム一丸で得た原沢銀 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1693995.html
124 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 20:59:11.59 ID:d9UGjyUA.net 柔道男子100キロ級で15年世界選手権王者の羽賀龍之介(25=旭化成)は3位決定戦でブロシェンコ(ウクライナ)に三角絞めで一本勝ちし、 銅メダルを獲得した。男子の井上康生監督(38)が00年シドニー大会で金メダルを獲得して以来4大会ぶりのメダルとなった。 「怖いな」。羽賀は感じてしまった。初戦から首を振る。27戦25勝2敗と世界王者まで駆け上がった昨年とは違う感覚だった。「勝つ時はその怖さを感じずに、 入り込めているが」。五輪の雰囲気に要因を求め、本人は否定したが、3月に負った左膝のけがが敗因だろう。 小内刈りが出ない。テーピングを施した左の刈り足がおかしい。新旧世界王者対決の準々決勝クルパレク戦でも、脚が動かない。入りが浅く単発。連続性も なく、背中を握られ動きを制された。完敗。「実力で負けた」と、勝ち上がり王者になった相手を仰ぎ見た。 出身校、内股の武器が同じで「井上康生2世」と呼ばれるが、小内刈りこそ羽賀を羽賀たらしめる。井上監督を育てた東海大の佐藤師範(当時)に小4で 見いだされ、鍛えられた。転機は高2の左肩の脱臼。強引な背負い投げで負傷した。「井上は脚が短い、下半身ががっしりで背負いに合う。羽賀は脚が長い、 鹿のよう。ピョンとしているが、力強さはなかった」と佐藤氏。原因は体形だった。 背負いも武器にした先人との差を感じ、覚えたのが小内刈りだった。長い脚を生かし、重心を下から崩し、内股につなげる。誰もが警戒する大技だけに、 足技を“まき餌”に、そこへ至るまでの崩し方が生命線。軽量級が得意とする小内刈りをできるセンス、体形こそ羽賀最大の武器だった。 肩の脱臼を出発点に、自分だけの歩みは始まった。敗者復活戦、金メダルを逃した失意から意欲が湧かないまま相手と組むと「負けたくない」とうずいた。 3位決定戦、三角絞めの一本勝ちにつなげたのは小内刈りだった。重量級再建を担ってきた重圧からの解放に悔恨が重なったのか、表情に浮かんだのは 笑みでも涙でもなかった。そこには確かに「羽賀1世」がいた。 羽賀龍之介が銅「康生2世」が井上監督以来の表彰台 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1694093.html 羽賀選手は勝てる選手だからこそ起こりやすい、自分に自分で重圧をかけるパターンにはまった。技の切れる選手はここぞという時以外は技を出さない。 それはかけてもかからないという状況を知っているからで、無駄な動きをしない。そして、入れるタイミングを体が知っているからこそ、そこにちゅうちょがあれば 自分のリズムでやってないと分かってしまう。それが自分に重圧となり、技が出なかったのだろう。 小学生時代から彼を知っているが、よくぞここまで強くなった。なんとか踏ん張り、3位決定戦に勝った後の脱力感と悔しさが交じった顔が印象的だった。 4年後は29歳、1年1年の積み重ねで気付けば2度目の五輪がやってきた−、そんな今後をぜひ過ごしてほしい。 羽賀龍之介、技切れるから躊躇して重圧 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1694099.html 羽賀は昨夏の世界選手権で得意の内股を軸に優勝したが、今大会ではライバルに研究されて思うような柔道をさせてもらえなかった。金メダルを 獲得したクルパレクとの準々決勝でも、勝負というより「指導」狙いで戦われて「指導」2つで敗れた。五輪は真っ向勝負だけでは勝てない。 自分の形にさせてもらえなければ、相手の良さを消すなどの駆け引きも必要だ。 今後は組み手と組み際の部分を見直す必要がある。内股、大内刈り、小内刈りの軸は磨きつつ、しっかり組めていない状態からの足技なども含め、 なかなか技がかけられない時の対応を身につけたい。 100キロ級は14年の世界選手権で史上初めて派遣が見送られた。井上監督がリオ五輪までの長いスパンを考えて、あえて羽賀ら同級の 選手を奮起させるためにシナリオを描いていたのだと思う。目指していた金メダルは取れなかったが、敗者復活戦から気持ちを立て直し、 よく銅メダルまでたどりついたと思う。 【柔道・中村兼三Point】羽賀、五輪では真っ向勝負だけでは勝てない http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160813-OHT1T50041.html
125 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 21:06:59.92 ID:d9UGjyUA.net 柔道最終日の日本勢はともに現役世界チャンピオンに挑み、敗れたが、十分勝てるだけの試合内容だった。それだけに「良く頑張った」という 気持ちと「悔しい」という気持ちの両方があるのが正直なところだ。 絶対王者リネールと決勝という舞台で対戦した原沢のプランは明確だった。豊富な稽古量に裏打ちされたスタミナでは原沢に分がある。序盤から 王者の攻撃をしのぎ、終盤以降に攻勢に出る。延長戦までもつれ込めば勝機はあると見ていた。しかし、最初に指導が与えられたタイミングが早く、 中盤までに指導2の差になってしまった。リネールは原沢と組み合うことを避けており、掛け逃げにも見える技で試合の流れを切ってきた。ここであと1歩、 審判に攻勢をアピールできれば、プラン通りの試合になったのではないか。 高校入学時に66キロ級だったように、原沢はじっくりと成長してきた選手でまだ完成途上。骨のフレームが長く、将来的には現在より5キロほど筋肉を つけていける。そうなれば、もっと圧力をかけられるようになるだろう。敗戦で悔しい思いをしているだろうが、現時点で絶対王者をあと一歩まで 追い詰められたことを自信に変え、20年東京では頂点に立ってほしい。 男子は7階級すべてでメダルを獲得した。これは現在の首脳陣の指導力のたまものだろう。所属先との連携を深め、各個人に適切な指導を行ってきた 井上康生監督らコーチ陣に拍手を贈りたい。 一方、女子の山部は準決勝まで積極的な試合運びが見られたが、オルティスとの一戦だけ慎重になり過ぎた。指導を受けてしまったあと、守勢に回った 相手に、組み勝ちながら技が出なかった。もっと技出しを早くしていれば、勝機はあったように思う。 また、得意の払い腰がやや単発気味になってしまったことも悔やまれる。支え釣り込み足や大外刈りで相手の体勢を崩したり、大内刈りのような後ろに 倒す技を意識させたりしたうえで、払い腰に入っていく工夫も必要だった。これも十分勝てる試合内容だっただけに、惜しかった。 現役世界王者の前に涙…原沢は絶対王者にあと一歩 山部は組み勝つも技が出ず http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/13/kiji/K20160813013157880.html 100キロ超級で原沢久喜(24=日本中央競馬会)が銀メダルを獲得し、男子は全階級でメダルを獲得。男子代表の井上康生監督(38)は「この7人は 歴史に大きく名を刻んでくれた」と選手を称えた。 前回ロンドン大会で金メダル「0」に終わった男子柔道の再建を託されての監督就任。練習量に頼っていたやり方をあらため選手の肉体改造に着手したほか、 海外の民族格闘技を学ぶなど数々の改革を進めてきた。 その思いに応えた選手との4年間について質問が及ぶと、思わず号泣。「選手を信じることだと思います」と声詰まらせると、もう一度「選手を信じること。 それだけだったと思います」。そう答えた後は言葉にならなかった。 原沢は試合後、フジテレビ系「めざましどようび」(土曜前6・00)に生出演し「監督からは“またやっていこう”と言われ、新たにやりたいという気持ちになった。 4年後、また同じ舞台に立ちたい。その思いでいっぱいです」ときっぱり。指揮官の涙に、4年後へと気持ちを新たにしていた。 井上康生監督 男泣き 全階級メダルに感慨「選手を信じるだけだった」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/13/kiji/K20160813013158000.html 100キロ超級で銀メダルを獲得した原沢久喜(24=日本中央競馬会)の地元・山口県下関市の県立下関武道館で12日夜〜13日朝、 パブリックビューイングがあり、約200人が夜を徹して声援を送った。 13日早朝の決勝は、ロンドン五輪金メダルのテディ・リネール(フランス)と対戦。思うように組めない展開に会場は一喜一憂し、終盤、果敢に攻める原沢に 歓声が上がった。 原沢は6歳の時、下関市にある大西道場スポーツ少年団で柔道を始めた。会場には、小学生時代の恩師で少年団代表の石田充さん(53)や少年団の 後輩らが集まり、原沢の名前が記されたそろいのTシャツを身につけ、最後まで勝利を信じた。惜しくも銀メダルに終わったが、大きな拍手で健闘をたたえた。 石田さんは「久喜はいい表情で体も良く動いていた。本人は悔しいと思うが、練習したことができたのでは」とねぎらった。少年団の後輩の岡田莉咲さん (11)は「いい勝負だったと思う。でも、もう少しで金メダルだったので悔しい」と唇をかんだ。 原沢に地元下関から声援、少年団時代の恩師「体も良く動いていた」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/13/kiji/K20160813013158960.html
126 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/13(土) 21:32:14.21 ID:d9UGjyUA.net リオデジャネイロ五輪の柔道100キロ超級で銀メダルを獲得した原沢久喜と、女子78キロ超級で銅メダルの山部佳苗が一夜明けた13日朝(日本時間同日夜)、 記者会見した。原沢は「昨日は悔しい気持ちがあって、金がほしかった。朝起きてからは全部出し切って、戦うことができたと思った。4年後に向けて新たな スタートとしたい」と話した。 決勝で逃げ回った相手選手、リネールに会場から大ブーイングが起きたことについて、原沢は「リネールの消極姿勢もあったが、やはりそれは勝ちに対する 執着心とかこだわりを感じた。あのような感じになっても勝ちを取ったいうことで、すごいなと率直に思う」と相手をたたえた。 一方、山部は「朝起きたときに金ではないという実感をし、悔しい気持ちが強かった。準決勝でなぜ奥襟をつかんでしまったのか後悔した」。東京五輪に ついては「まずはこの結果を受け止めて、もっと苦しい4年になるので、それに耐えられるか、できると思ったときから一歩踏み出したい」と前を見据えた。 【五輪柔道】大ブーイングは「勝ちへの執着心感じた。すごい」原沢がリネールたたえる 山部は「結果受け止める」 http://www.sankei.com/rio2016/news/160813/rio1608130088-n1.html 柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した山部佳苗(25)。「自分の娘がえらいことをやってくれたなと。輝いてみえた。本当に100点やってもいいぐらい」。 元柔道選手の父、徳一(のりかず)さん(56)はこう言って満面の笑顔をみせた。 準決勝では前回覇者に敗北したものの、3位決定戦では気持ちをすっかり切り替えて、猛攻をしのぎ切った。メダルをかけられ表彰台を降りると、観客席に いた父に小さく手を振った。 札幌市生まれ。刑務官の父の影響で6歳のときに柔道を始めた。柔道クラブに所属していたが、休みの時は父の勤務先の刑務所で指導を受けた。 中学3年のときに全国大会で2位となると、「日本一になりたい」と強豪の旭川大学高校に進学した。 リオで観戦することを山部と約束していたという同校の村瀬秀行監督(41)も会場で見守り、「佳苗の良さが出ていた。投げにいくという柔道を見せてくれた。 次につながる闘いだった」とたたえた。 山部は五輪直前の強化合宿が終わった翌日に、母校にふらっとやってきたという。山部は言った。「思い出の地で五輪前に気持ちを新たにしたかった」 銅メダルを獲得後、村瀬監督と抱き合って喜び合った徳一さんは「こんな大きな大会でメダルが取れると思えなかった。けがをせず無事に終われてよかった」。 最後はほっとした表情で娘の健闘をたたえた。 【五輪柔道】「娘がえらいことやってくれた」柔道家の父と二人三脚 山部佳苗「銅」 http://www.sankei.com/rio2016/news/160813/rio1608130065-n1.html
127 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 02:36:11.58 ID:d4O5G2KW.net 「原沢、柔道をさせてもらえませんでした。敗れました」 実況を担当したNHKの豊原謙二郎アナウンサーは試合終了直後、そう漏らした。リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級の決勝が 2016年8月13日早朝(日本時間)に行われ、日本の原沢久喜(ひさよし)はフランスのテディ・リネールに敗れた。 しかし、リネールは「組み合わない柔道」を徹底したため、その試合ぶりは多方面で物議を醸すことになった。メディアや柔道関係者からは「逃げ回る王者」 「プライドを捨てた」と非難する声が上がったが、逆に「原沢は完敗だった」という声も出ている。 解説の穴井氏「組み合いにはならない」 リネールは12年ロンドン五輪の覇者で、世界選手権7連覇中。204センチの長身と長い腕を生かして、相手の奥襟をつかみ、頭を下げさせて組み合いを避ける 防御主体の柔道で、同階級の絶対王者に君臨している。 中継で解説を務めた、10年世界柔道金メダリストの穴井隆将氏は、決勝戦開始前、 「組み合う試合には絶対にならない。わずかな隙でも、原沢は自分が優位だと思ったら仕掛けていくべき。ワンチャンスをものにするのが大事」 と試合の行方を予想した。 5分間の試合はその通りに進んだ。開始8秒、リネールが奥襟をつかみにいくと、原沢は前のめりに倒れ込む。すると、これが故意に取り組みを回避したと 見られたのか、原沢に「指導」が入った。1分2秒にも、リネールが原沢の頭の上から手を伸ばして帯の後ろをつかみ、頭を下げさせて畳の上に転がすと、 原沢に2つ目の「指導」が入った。 その後も、組もうとする原沢の手を切り続けるリネール。3分10秒経過時点で穴井氏は「組み合わないリネールに対して指導があってもいいんですけどね」と 苛立ったように漏らした。4分27秒経過時に、回避し続けるリネールに1つ目の「指導」が入ると、観客席からは歓声が湧いた。原沢は残り33秒、力を振り絞って 攻め続けたが、そのまま時間切れ。指導1つの差で敗れ、銀メダルとなった。客席からはブーイングが響いた。 NHKの公式ツイッターも「これは勝負というものか...」 穴井氏は試合後、「チャンピオンとしての戦い方には疑問符をつけたい」とリネールを非難。日本の柔道関係者やメディアからも、リネールの姿勢を疑問視する 声が相次いだ。 92年バルセロナ五輪女子52キロ級銀メダリストの溝口紀子氏はツイッターで、「試合終了後の『観客の大ブーイング』が全ての答え」としてこう述べた。 「『柔道の絶対王者リネールだからこそ、反則ねらいの柔道ではなく豪快な一本で決めてほしかった』というメッセージかと。とはいえプライドをすて勝利に こだわったから勝ったとも思います」 共同通信スポーツ企画室長の船原勝英氏は、同社記事の中で「正直に言って、がっかりした」「最重量級の頂点を決める大一番としてはなんとも物足りない 戦い」と不満を露わにした。 NHKスポーツの公式ツイッターも「これは勝負というものか・・・男子100キロ超級決勝、原沢久喜選手は、王者リネールに柔道をさせてもらえず」の メッセージとともに結果を報じた。 こういった論調に対し、「オレの目には原沢くん完敗と映ったね」と主張したのは、バルセロナ五輪男子95キロ超級で銀メダリスト・小川直也氏。 東京スポーツのウェブサイト「東スポWeb」に寄せたコラム記事で、原沢に苦言を呈した。 「テディ・リネールは4度技を仕掛けていた。これに対して原沢くんはゼロ。まったく組ませてもらえなかったとはいえ、それじゃ勝てないよ」 原沢は「リスクを取って攻めに行かなかった」? 全日本柔道連盟理事・強化委員長の山下泰裕氏も、「今回、金を取った3人(大野将平、ベイカー茉秋、田知本遥)はリスクを取って攻めに行った」と、試合後の 総括の中で、小川氏に類する発言をしている。 もともと、組み合いを避け、半身を取って逆に相手が逃げているような印象を審判に与えるのがリネールの柔道だとされ、従来通り、その戦術を徹底したに 過ぎないという見方もできる。穴井氏も「(磨き上げた戦術)だからこそ、これだけ勝ち続けることができるのかなと。(挑戦する側も)視点を変えていかなければ ならないかもしれない。そういう相手を倒してこそ本当のチャンピオンだ」という発言を試合後にしている。 ツイッター上では「指導の数での勝敗はやめてくれ」「フランス代表のせこい柔道」という声の一方、「これがJUDOなんだろ」「いつから柔道は技ではなく 積極性をアピールする競技になった?」といった声とで見解は二分している。
128 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 02:36:30.90 ID:d4O5G2KW.net 当の原沢本人は、試合直後のインタビューで「前半しのいで後半勝負というプランだった。自分の組手になるチャンスが少なくて、組んでもものにできなかった」 と悔しさをにじませた。最後に 「リネールにはチャンスがある限り挑戦し続けたい。また頑張ります」 と残し、競技場を後にした。 絶対王者が逃げ回った? リオ五輪での 「組み合わない柔道」に賛否 http://news.livedoor.com/article/detail/11885621/ リオデジャネイロ五輪の柔道競技は日本時間13日、男子100キロ超級と女子78キロ超級の試合が行われ、原沢久喜(日本中央競馬会)が銀メダル、 山部佳苗(ミキハウス)が銅メダルを獲得した。 ここまで全階級でメダル獲得を達成している日本男子柔道のトリを務めることになった原沢は、2回戦、準々決勝と一本勝ちを収めると、準決勝では、 相手の指導4つで反則勝ち。決勝進出を決めた。決勝ではロンドン五輪金メダリストで同階級の“絶対王者”であるテディ・リネール(フランス)と 対峙(たいじ)したが、序盤に指導を取られたことが響き、最後まで攻めきれず敗戦。それでも銀メダルを獲得し、日本男子全階級でのメダル獲得に貢献した。 一方の山部は、準決勝でイダリス・オルティス(キューバ)に敗れ3位決定戦へ。その試合ではカイラ・サイト(トルコ)から技ありを奪い、そのまま優勢勝ちで 銅メダル獲得となった。 以下、試合後の原沢と山部のコメント。 原沢、リネールは「イメージ通りだった」 決勝を終えてどうだったか? やっぱり、後半で勝負をしようと思っていたのですが、前半を指導1に抑えたかった。指導2を取られてしまい、あと1つ追いきれませんでした。 相手のプレッシャーは? そこは練習通りだったのですが、そこで自分が潰れてしまって、まだまだ対応力の甘さがありました。(相手の圧は)予想以上ではなかったのですが、 試合の流れで、すかされた自分がいました。 投げられそうな場面もなく、逆に原沢選手が技を仕掛ける場面もなかったが? 何回か組んで、入れるかなというチャンスはあったのですが、そこはまだまだ足りない部分なのかなと思います。組み際に狙おうかと思いましたが、 組み手も厳しかったですし、もう一つ追い切りたかったです。 対策はたくさん立てていたと思うが、どう仕留めようと思ったか? もつれ際に返したりだとか、自分が帯を持って大内刈りとか、奇襲というか組み際の技を狙っていたのですが、そこもうまくさばかれました。 実際対戦してみてイメージとはどう違ったか? 組み手が厳しい選手なのでイメージ通りだったかなと思います。 初出場で銀メダルという結果に関しては? こういう最高の舞台で戦えたのは光栄に思いますが、日本柔道の重量級復活という意味で言えば金メダルが欲しかったなというのが本心です。 決勝の前は高ぶるものがあったか? いえ、落ち着いて無心で戦うことができました。 日本男子全員がメダルを獲得してきたことはプレッシャーに感じたか? もちろんそれはプレッシャーに感じましたが、畳に上がる頃にはすべて吹っ切れて、自分を信じて戦いました。 リネール選手との差は? そんなに大差はないと思いますし、作戦で埋めることのできる差かなと思います。ただ、今回はまだまだ力が足りなかったです。 あそこまで勝ちにこだわってくるのも想定内だったか? そうですね。切って切りまくると思って、自分もなるべく相手が嫌がることをやったのですが、もう一歩相手を嫌がらせるものがなかったので、 なかなか指導が来なかったのかなと思います。 自分の柔道の完成度はどれくらいだと思うか? まだまだ自分は半分を超えたくらいかなと思いますし、もっともっと上を目指してやっていきたいなと思います。 最後、リネール選手にブーイングが浴びせられていたが? やっぱり消極的な部分はリネール選手にありましたが、それだけ勝ちに対する執着心をものすごく感じました。 「重量級の再建」というのが日本柔道の課題とされているが、この結果をどう受け止めているか? 結果は銀メダルだったので、再建できたのかと言われると、自分は何とも言えないのですが、もちろん金メダル目指して、今後もやっていきたいと思います。 井上康生監督について、どういう監督だったか? やっぱり選手のことを一番に考えてくれて、すごくやりやすい環境でやらせていただいて、本当に井上監督を信じてここまでやってきました。 4年後の東京五輪に向けて何から着手したいか? まずは来年の世界選手権に向けてと、またひとつひとつ勝ちを積み重ねていくことかなと思います。
129 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 02:37:45.61 ID:d4O5G2KW.net (準決勝の試合については)組み合った時に、奥襟じゃなくて前襟でいけば結果は変わっていたと思うし、そこの一瞬の判断ミスをしてしまったというのが すごく悔いが残ります。 (コーチの)薪谷(翠)先生は追いついたことで逆に投げにいこうという気持ちがそういう結果になったのではと言っていたが? 追いついた時点で、指導で勝つというより、投げにいこうとしていたので、あそこを合わせられてしまったなという思いはあります。 敗戦の後、3位決定戦に向けて、今までと違い気持ちをしっかり切り替えていたと思うが? メダルを持たないで帰るより、たくさんの方々が応援に来てくれている中、メダルを持って帰りたいという思いだけで戦いました。 今までは敗れた後、自暴自棄になるという話もされていたが、今回そうならなかった? (自暴自棄に)なる時間がなかったというのもありますが、ここまで4年間、さまざまなことがあって、こんなに辛いことをしてきたのに 逃げ出すわけにはいかないなという思いがありました。 自分の成長を畳の上で表現できた? 準決勝の入りに対しては成長できたかなと思うんですけれども、本当に準決勝のあの一瞬の判断ミスがすごく悔いが残ります。 左からの大腰というのは想定外だった? いや、想定はしていたのですが、自分があそこでしっかり前襟にしていれば防げたと思います。そこを奥襟にいってしまったというのがすごい後悔です。 支えてきてくれてた薪谷先生へ、今どういう思いか? 4年間、自分を(日本)代表にするって言って、代表になる前から、すごい大変だったと思うんですけれども、代表権を獲得する時に、 最後の最後まであきらめないでいてくれた先生に、銅メダルという形ですけれども、メダルを渡せて良かったなと思います。 代表選考が最後までもつれ、プレッシャーはどうだったか? プレッシャーというよりは、本当にやってきたことを出すという気持ちだけ。日本にいる時は、もう本当にやり残したことがないというくらいまでやるというの をモットーとしてやってきたので、それはしっかり達成できたと思います。 初めての五輪はどういうものだった? 夢の舞台だと思っていたんですけど、終わってみれば、夢がある舞台だなと思います。 これまで、柔道を辞めたいと何度も繰り返していましたが、その中でここまでたどり着いたのは、どのような思いがあった? 本当に辞めたいと思うことがたくさんあって、この4年間つらいことの方が多かったんですけど、最後の最後まで支えてくれた薪谷先生に感謝しています。 ご両親にはどんな思いでいるか? 父親は体調を崩して、ICU(集中治療室)に入るというところまでになった中、本当に元気になって、ここまで応援に来てくれてうれしいし、銅メダルだったんです けど、メダルを渡せて良かったなと思います。 4年後についてはいかがですか? 今はまだ考えられないですけど、もう一回ちゃんと自分と向き合って、しっかり考えていきたいです。 柔道の原沢、銀獲得も「まだまだ」 山部は一瞬の判断ミスを悔いる http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608130001-spnavi 柔道女子は今大会、7階級で金メダル1つと銅メダル4つの合わせて5つのメダルを獲得しました。 女子代表の南條允寿監督は「目標に掲げていた金メダル3つと全階級メダル獲得は達成できなかった。紙一重のところを制することができなかった。 何かが足りなかった。その理由を考えなければいけない。ただ選手たちは自分のために、そして日本代表のために正々堂々と力いっぱい戦ってくれた」と 振り返りました。 南條監督は前監督の暴力行為問題を受けて3年前の3月に代表監督に就任し、選手たちには、みずから考えて練習などに取り組むよう自立を求めてきました。 南條監督は「きょう、3位決定戦前の山部を選手たちが練習場を訪れて激励したのは私が指示したわけではない。それが必要だと感じてくれた選手たちの おかげ。問題のあったところからスタートしてこの結果だったことをしっかり踏まえて、次のステップに進んでほしい」と話しました。 5階級でメダルの柔道女子 南條監督「次のステップに」 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160813/k10010634391000.html
130 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:03:51.73 ID:dWUsONY3.net 男子100キロ超級の原沢久喜(24)=日本中央競馬会=が決勝で前回ロンドン五輪金メダルのテディ・リネール(27)=フランス=に優勢で敗れ、銀メダル となった。世界選手権7連覇、6年間負け知らずの絶対王者の牙城は崩せなかった。今大会で日本男子は全7階級でメダルを獲得し、7階級制になった1988年 ソウル五輪以降で初の快挙を果たした。また男女を合わせたメダルは最多の12。柔道ニッポンの復権を示した。 最後まで捕まえることはできなかった。観客席からブーイングが絶対王者に浴びせられるほど追い詰めたが、まったく技をかけられず銀メダル。 原沢は世界の頂点との差を思い知った。 「大差はないと思っていますし、作戦で埋めることができる差かな、と思うんですが、今回は足りなかった。日本の重量級の復活を考えると、金メダルが ほしかった」 リネールとの決勝。開始8秒で奥襟をとられたところで頭を下げ、指導を受けた。1分過ぎに再び指導をもらった。組み際を攻めきれず、懐にも入れなかった。 世界選手権7連覇中の王者に指導1差で敗れた。 4年間、「打倒・リネール」が合言葉だった。代表の井上康生監督や鈴木桂治コーチ、所属の賀持道明監督らと対策を練り、『リネールが後半バテるところ をついての奇襲』というプランを立てた。 そのため、持久力を強化。馬事公苑(東京都世田谷区)のダートコース内の障害用ルートでの400メートル走を繰り返した。試合時間を想定し、 ベンチプレスやダンベルカールなど6種目を1分間ずつ。心肺機能だけでなく筋肉の持久力をつけ、終盤に勝負をかけられる腕力を求めた。奇襲は 帯を持ってからの大内刈りなど、3パターンを用意。だが、シナリオどおりにはいかなかった。 「リネールは息が上がっていたが、勝ちに対する執着心がすごかった」。それでも、「メダルを7階級つなげられたことはよかった」と手応えもつかんだ。 大トリでの「銀」により男子の1964年東京五輪以来となる全階級メダルが決定。7階級制では初の快挙となった。「自分の実力は半分を超えたくらい。まだまだ、 もっともっと強くなれる」。柔道ニッポンが男女を通じて今大会獲得したメダルは史上最多の12個。復活の一翼を担った24歳は、まだ発展途上だ。 原沢、逃げ切られた銀!男子が史上初全7階級でメダル/ http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160814/rio16081405070030-n2.html 原沢の母・敏江さん(54)はスタンドで観戦。「やるときはやる息子」と目を細めた。原沢が小学4年の頃に離婚、介護の資格を取得して3人きょうだいを 女手ひとつで育てた。いつも「おごらず、足元を見るように」と教え、この日の試合前には「油断大敵」と記したメールを送った。試合後も「これからは 日本の柔道を支える気持ちで頑張って」と厳しい言葉を口にしていた。 原沢の母、スタンドで観戦「やるときはやる息子」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160814/rio16081405000031-n1.html
131 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:06:56.29 ID:dWUsONY3.net 日本男子は7階級制となった88年ソウル大会以降で史上初となる全階級メダルを達成した。井上康生監督(38)の指導力を全柔連幹部は高く評価。 東京五輪に向けても引き続き指揮を執る方向であることが分かった。 日本柔道界の至宝が、史上初の男子金メダルゼロに終わったロンドン五輪からV字回復させた。シドニー五輪男子100キロ級金メダルの井上監督の下、 日本男子代表は世界初の7階級全てでメダルを獲得。山下泰裕強化委員長(59)も「世界のレベルが上がっている中で素晴らしい結果」と高く評価した。 帰国後に審議されるが、東京五輪に向け続投が濃厚だ。 試合後のミックスゾーンで、指揮官は人目もはばからず泣いた。「最高の環境で精いっぱい戦えた幸せの涙。たくさんの人たちが応援してくれた感謝の涙だ と思う」。特別コーチとして参加したロンドンは惨敗。全柔連は再建の目玉として、4年前倒しして井上監督を招聘(しょうへい)した。 就任直後は全柔連に暴力問題や裏金問題が発覚。大きな動揺が走ったが「最高かつ最強の選手の育成」「命がけで戦う」という目標を掲げ、対話とデータを 重視した強化に着手した。女子の南條充寿監督(44)とともに約80人の分析チームを整備し、外国人選手のデータは4年間で8000試合以上も蓄積。 五輪で裁く国際審判員の判定傾向まで分析し、全柔連科学研究部の担当者は「『指導』を出す時間帯まで調べ上げた」と明かす。 ロシアのサンボや沖縄角力(すもう)など、柔道に似ている格闘技を練習に取り入れ、勢いのある若手には「次はお前の番だ」と声をかけてモチベーションを 高めた。60キロ級銅メダルの高藤直寿(23)=パーク24=が「本当に熱い。憧れています」と言えば、原沢も「やりやすい環境を作ってくれた」と感謝した。 井上監督は「やんちゃな高藤に優秀な海老沼、強い大野、強いのにそう見せない永瀬、新種のベイカー、最後まで格好良かった羽賀、内面に強い精神を 持つ原沢。7人7様でバトンを最後までつなぎ切ってくれた」と感謝した。東京五輪に向けても「勝って当たり前、勝つべき集団だと他の国から言ってもらえるよう、 最高かつ最強の選手の育成を続ける」と強い決意を示した。 【柔道】井上監督、東京五輪でも続投へ…史上初全階級メダルを高く評価 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160814-OHT1T50071.html リオデジャネイロ五輪第8日(12日=日本時間13日、カリオカアリーナ2)男子100キロ超級の原沢は決勝でリネール(フランス)に敗れたが、 今後に期待できる内容だった。リネールも原沢がここまでやると考えていなかったと思う。今後、警戒してくるはずだ。 ただ、リネールは引き手のしぼりが強く、しっかりとした組み手を持っている。どうしても組ませてもらえなかった。相四つで引き手のしぼり合いになったときに、 いかに相手の組み手を切って、自分の組み手にできるか。先に技をかけられるか。難しいが、組み際をもっと攻めるべきだった。 女子78キロ超級の山部は全体を通して、組んでから技を仕掛けるのが遅かった。後手後手になるから、指導をもらって厳しい展開になる。準決勝も オルティス(キューバ)に終盤に指導が出て並んだ後から攻めにいったが、先に技をかけないと。一本を取れる技を持っているだけに、もったいなかった。 今回の男子の全階級メダルは評価できる。井上監督がうまくチームをまとめた。金メダルを取れる実力がある選手は多い。あとは各人が反省して、 次につなげてもらいたい。 【吉田秀彦一本締め】井上監督がうまくチームまとめた/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160814/rio16081405060048-n1.html
132 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:09:31.04 ID:dWUsONY3.net 全7階級でメダルを獲得した男子には、80〜90点の評価をあげたい。東京五輪につながる、パーフェクトに近い成果だと思う。 井上監督を中心にまとまった素晴らしいチームだった。個人戦ではあるが、団体戦のように7人がメダルをつないでいった。一言で言えば「指導力」となるが、 競技者としても実績を上げたカリスマ性のある監督が、細かいところまで選手に気を配っていた。代表合宿の日数は以前より少なかったかもしれないが、 井上監督は各所属チームの練習に出向いてつながりを大事にしていた。選手は監督の情熱を肌で感じ「奮起しないと」と思っていた。 原沢は不運な指導も取られてリネールに敗れたが、誰もが近い将来に勝つだろうと感じたはずだ。井上監督は、東京五輪では何が何でも最重量級で 金メダルを取りたいと考えているだろう。小川雄勢(20)=明大=、王子谷剛志(24)=旭化成=らが原沢を脅かすまで成長すれば、全体の底上げになる。 他の階級では66キロ級の阿部一二三(19)=日体大=、100キロ級の飯田健太郎(18)=国士舘高=ら10代の将来性にも期待したい。 【柔道・中村兼三Point】指揮官の細かい気配りでまとまった http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160814-OHT1T50072.html 男子100キロ超級で原沢久喜(24)=日本中央競馬会=が、決勝で世界選手権7連覇中のテディ・リネール(27)=フランス=に敗れたものの銀メダルを獲得。日本男子は 7階級制となった88年ソウル大会以降で史上初となる全階級メダルを達成した。 金メダルへの夢がついえた瞬間、歓声とブーイングが会場を包んだ。矛先は畳に座り込んで悔しがった原沢ではなく、歓喜に沸くリネールだった。指導 1つ分リードした後半はほとんど組まず逃げ続けた絶対王者の戦いに、誰も納得がいかない。だが原沢は「相手を追い切れなかった自分がいた。金メダルが 欲しかったけど、無心で戦えたし、最高の舞台で最強の相手と戦えたことは誇りに思う」と潔かった。 重量級の再建を託されていた。リネールは同階級で2010年9月の世界選手権無差別級で上川大樹に敗れて以降負けなし。王座奪回へ映像研究のほか、 14、15年と世界選手権決勝で対戦した七戸龍(27)=九州電力=ら対戦経験者の声を結集し、全体で王者対策に取り組んだ。 代表が原沢に決まると、井上監督は「奥襟は持たれるな」「帯を持って投げる」「組み際に勝機がある」など攻略ポイントを頭と体に刷り込んだ。リオ入り後は 緊張していた原沢も、前日に100キロ級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介(25)=旭化成=から「メダルを取る、取らないでは全然違う」と送り出された。 山口・早鞆(はやとも)高入学時は66キロ級の選手。部員は6人しかおらずランニングをサボることもあった。「あまりやる気はなかった。地元の大学に行って 普通に生活しようと思っていた」。ただ、身長が180センチを超えると高校2年では体重が90キロ級まで増えた。地元には100キロ級に強豪選手がいたため 高校の中村充也監督から「全国と戦うなら100キロ超級まで増やせ」と言われ、1日5食を続け3か月で10キロも増量。「たくさん食べるのが嫌だった。 だから今でも小食です」と笑って振り返るが、高校総体3位など順調に成長した。進学した日大の金野潤監督(49)が「ものすごい選手と出会えた」と 徹底強化すると、実直な性格の原沢も「推薦入学で東京に来たから、ただでは帰れない」と受け入れた。 対王者をあと一歩まで追いつめた日本重量級のエースは「自分の完成度はまだ半分を超えたくらい。まだ伸びる」と成長を実感している。底知れない潜在能力 を伸ばし、4年後の東京五輪で王座奪回を果たす。 原沢 久喜(はらさわ・ひさよし)1992年7月3日、山口・下関市生まれ。24歳。日本中央競馬会所属。6歳から柔道を始める。早鞆高入学時は66キロ級 だったが、3年時には100キロ超級になって高校総体3位。日大に進学し、2012年に学生体重別、講道館杯で優勝。卒業後は日本中央競馬会入り。 15年のグランドスラムは3大会で優勝。昨年の全日本選手権では初優勝した。右組み。得意技は内股。191センチ、123キロ。家族は母、妹、弟。 【柔道】銀メダル原沢、逃げたリネールにも潔し「相手を追い切れなかった」 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160814-OHT1T50062.html
133 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:16:57.29 ID:dWUsONY3.net 「柔道をやめたい」。頭をもたげる弱気の虫。柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した山部佳苗は、決して「師」には言えなかった。 課題を乗り越えて表彰台に立ったことに、所属するミキハウス柔道部の日蔭暢年(のぶとし)監督(60)はまな弟子の成長をかみしめた。 「この子は違う。技のキレやスピードで勝負できる」。平成25年、山梨学院大を卒業し、同部の門をたたいた山部の才能を、元北京五輪柔道 女子代表監督でもある日蔭監督はすぐに見抜いた。野村忠宏さんをはじめ、数々の名選手を見てきた名伯楽にして、遅咲きの新人≠ヘ 引きつける光を放っていた。 日蔭監督が同時に気付いたもの。それがマインドの弱さだ。山部が乗り越えなければならない最大の課題だった。 五輪選考が迫るこの1年、山部は弱気の虫にさいなまれた。確かに故障もあった。膝や腰、足首、万全で戦えたことはなかった。とはいえ師の 目はごまかせない。「そもそも、取り組む姿勢が本気じゃない。足りないんだよ」。あえて才能を鼓舞した。 日蔭監督は山部を「天才派」だと称する。「勘が違う。見極めの力なんです」。アテネ五輪78キロ超級金メダリストの塚田真希さんとともに往年の 女子柔道界を支えた薪谷(しんたに)翠コーチをマンツーマンで指導に充てた。「世界を知る人のそばで」という思いだった。 しかし山部は2月にパリで開かれた国際大会では初戦敗退。どん底をなめてもあきらめず、4月に2つの国内大会で勝利した。代表最終選考会を 兼ねた大会では、本命視されていた田知本愛選手に勝ち、念願の五輪代表を決めた。 もう弱気の虫はなかった。「金をとってこい」。ブラジルに旅立つ前、日蔭監督の激励に力強くうなずいた。 「金をとらないことには柔道は評価されない」。祈るような思いで吉報を待った日蔭監督。準決勝で敗れながらも、3位決定戦を集中した戦いで 制したまな弟子をほめたたえた。 「執念の銅メダル。ご苦労さん、責任は果たしたなと声をかけたい」 メダル獲得から一夜明けた13日朝(日本時間同日夜)、山部は記者会見。「朝起きたときに金ではないという実感をし、悔しい気持ちが強かった」 としつつ、4年後の東京五輪について「まずはこの結果を受け止め、もっと苦しい4年になるので、それに耐えられるか。できると思ったときから 一歩踏み出したい」と語った。 【五輪柔道】師と乗り越えた「弱気の虫」天才派¥_道女子78キロ超級の山部佳苗、執念の銅メダル http://www.sankei.com/west/news/160814/wst1608140015-n1.html アイドルグループ「ももいろクローバーZ」が13日、神奈川・日産スタジアムで祭りをテーマにした夏恒例のコンサート「桃神祭(とうじんさい)2016 鬼ケ島」を行った。 MCではリオ五輪柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した山部佳苗を祝福。山部はももクロファンを公言し、競技終了後のインタビューでも「帰国したら ももクロに会いたい」と話していた。 有安杏果(21)は「銅メダルおめでとうございます。私たちも山部選手に早く会いたいです!」とラブコール。高城れに(23)は「私たちを応援してくれている 選手が活躍してめでたい」と話し、観客とともにバンザイをして喜んだ。 5万6000人の前で9月7日発売の新曲「Hanabi」など25曲を熱唱。ライブ中盤にはタレントの高木ブー(83)が雷様の格好で登場。5人と一緒に 「スターダストセレナーデ」を歌唱した。 アンコール後には、来年4月8、9の2日間、有安がPR大使を務める埼玉・富士見市の富士見市第2運動公園で野外フェスを行うことを発表した。 ももクロ、柔道・山部の銅メダルを祝福 5万6000人とバンザイ http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/08/14/kiji/K20160814013164570.html
134 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:17:13.18 ID:dWUsONY3.net 「輝いてるよね。メダルじゃないよ、佳苗だよ」。柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した札幌出身の山部佳苗選手(25)=ミキハウス、旭大高出=が 表彰台に立つと、目を赤く腫らした父徳一(のりかず)さん(56)=札幌在住=が、にこっと笑った。柔道ニッポンの最後を飾る最重量級。日本中の期待という 重圧をはねのけられるか、誰よりも不安に感じていたのは家族だった。「希望していた色とは違うと思うが、100点満点だ」。徳一さんら観客席で見守った 家族は万感の思いに浸った。 「佳苗が代表で本当にいいのかと考えたことがある」。試合前、徳一さんが、胸に抱えていた苦悩を打ち明けた。 五輪の代表争いで常に他選手にリードされ、「柔道をやめる」と口癖のように漏らした日々。昨年10月に実家に戻ったときは「(練習拠点の)東京に 帰りたくない」と漏らしたこともある。徳一さんは「何をやってもうまくいかないと悩んでいた」と振り返る。 自らも、柔道7段の腕前。柔道で日本代表になる以上、金メダルを期待されるのは肌感覚で知っていた。前日に会場で見た女子78キロ級の日本選手は 初戦で力を出せずに敗退。娘の心の弱さを感じてきた徳一さんは、余計に不安が募った。 徳一さんと母苗美さん(58)、兄一樹さん(28)、高校時代の恩師村瀬秀行さん(41)が緊張の面持ちで見つめた初戦。先に指導が与えられ、時間が過ぎていく。 祈るような表情で試合をビデオ撮影する苗美さんの手が震える。残り49秒、山部選手が得意の大外刈りで一本勝ちを決めた。堂々と引き揚げる姿に 兄一樹さんは「今までの佳苗なら諦めていた試合。本当に成長した。すごい妹になった」。 準決勝でキューバの選手に敗れた後の3位決定戦。入場時に会場の大スクリーンに映る山部選手の集中した表情は、かつての姿とは別人のようだった。 優勢勝ちを決めた瞬間、総立ちで山部選手に手を振った。「とにかくメダルが取れてほっとした」。苗美さんにようやく安堵(あんど)の笑みがこぼれた。 試合終了後、徳一さんらは関係者用通路を歩く山部選手と偶然、会うことができた。「お疲れさんだったな」。多くを語らず、笑顔で山部選手と記念写真を 撮る姿は、苦悩や不安から解放された喜びにあふれていた。 【リオ五輪】柔道・山部「銅」 「佳苗、輝きメダル以上」 http://dd.hokkaido-np.co.jp/sports/olympic/2016rio/1-0304277.html 低迷の危機にあった日本柔道が華々しい成果を上げた。男女合わせたメダル計12個は、1992年バルセロナ、2004年アテネの10個を上回り史上最多。 男子は全階級で獲得し、7階級になった88年ソウル大会以降では男女を通じて初の快挙。全日本柔道連盟の山下泰裕強化委員長は「日本柔道が 完全に復活したと、世界がそう見ていると思う」と誇った。 メダル量産で男女に共通するのが、選手の所属との連携強化と個々の状況に合わせた細かな準備。ロンドン前は世界ランキングを上げることに固執して 試合過多となり、代表クラスが疲弊。十分な練習時間も確保できない悪循環のまま本番を迎えた。 今回は出場する国際大会や合宿など、必要性や選手の体調などを代表コーチ陣、所属コーチ陣、選手本人とも相談した上で決定。毎年の世界選手権や ことしの五輪といった「本番」に万全の状態で合わせることを明確にすることで、故障防止や無理な減量もなくなり安定感につながった。 最終段階でも女子は直前の全体合宿をなくして所属で仕上げ、移動や普段と異なる環境によるストレスを極力排除。男子もぎりぎりまで国内で調整するため、 7階級を3班に分け、試合日が遅い中量級や重量級は後から合流させた。選手の練習相手や身の回りの世話をする付き人も、通常は1人のところを 2人ずつ帯同させるなど、かゆいところに手が届くサポートを徹底した。 国別の金メダルは日本の3個が最多で、2個はフランスとロシア。14個の金メダルを10カ国で分け合い、内訳も前評判通りの実力者だったり、 ジュニア上がりの新星だったりと、群雄割拠の様相を呈した。東京五輪でさらなる成績向上を目指す上で、山下委員長は「丁寧に、慎重にではなく、 この場ではやるかやられるか。金メダルを取った3人はリスクを冒して向かっていった」と型にこだわりすぎず、勝負に挑む勇気を求めた。若手の育成や 海外勢に関する広い情報収集も今後の課題となる。 東京新聞:日本柔道復権 最多メダル12個:スポーツ http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201608/CK2016081402000108.html
135 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:21:50.28 ID:dWUsONY3.net 2階級が行われ、男子100キロ超級の原沢久喜(24)=日本中央競馬会=は、テディ・リネール(フランス)に指導1差で敗れ、銀メダルを獲得した。 女子78キロ超級の山部佳苗(25)=ミキハウス=は準決勝でロンドン五輪覇者のオルティス(キューバ)に敗れたが、3位決定戦でサイト(トルコ)に 優勢勝ちして銅メダルをつかんだ。日本柔道のメダルは男女合わせて史上最多の12個。男子の全7階級メダルは世界初の快挙だった。 闘いに勝って、試合に負けた。男子100キロ超級で原沢が臨んだリネールとの決勝。開始8秒、不利な組み手を嫌った原沢が、首を抜いて逃げた としていきなり指導を受けた。さらに指導1つが加わってリードが広がると、リネールは組み手争いを放棄し、ひたすら勝利だけを目指した。 原沢が絶対王者を追い回し、指導1を奪い返したが、5分で仕留められずに惜敗。「組んで入れるチャンスは何度かあったが、なかなか入らせて もらえなかった」。原沢がしゃがみ込んで悔しさをこらえる一方で、遠慮なく喜びを表したリネールに、観衆は大ブーイングを浴びせた。 「打倒リネール」こそがこの階級の宿命だった。4月29日に原沢が代表に選出されると、重量級担当の鈴木桂治コーチや2年続けて世界選手権 決勝で敗れた七戸龍(九州電力)、原沢の恩師である日大の金野潤監督ら日本柔道界が結集。組み際の足技、帯を持っての大内刈り、 共倒れからの絞め技は山下泰裕強化委員長が自ら実演もするなどして原沢を支え、原沢自身も意気に感じて稽古に没頭した。 山口・早鞆高1年時は体重わずか66キロ。「普通に弱かったし、そんなやる気もなかったんで、高校卒業したらやめようか」と思っていたが、大学、 社会人と進んで、昨年4月の全日本選手権で初優勝したことで「世界」に急接近し、実績豊富な七戸を逆転する形で代表へ。世界選手権決勝でリネールに 2度屈してきた七戸の思いも背負ってリオの畳に立っていた。 「本当は金メダルが欲しかった」。頂点までの距離に手応えがあったからこそ、悔しさが募る。だが、原沢の「闘い」は日本柔道復活の兆しとして、人々の 記憶に残るだろう。 [柔道]原沢久喜が銀締め 五輪史上初の全7階級メダル http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/sports/news/CK2016081402000165.html 決勝戦は残念な試合だった。原沢選手は初戦から冷静に相手に合わせる組み手で落ち着いて試合を運べていた。一方のリネール選手は 以前の強さがなくなって、技で勝つより組ませないで指導で勝つレベルに落ちていたので、決勝は原沢選手につけいる隙があるとワクワクしていた。 しかし、その内容は面白みに欠けたものだった。 リネール選手は道着をつかみにくる相手の道着を切って、切って、組ませないことを第一に考える。そこで指導をリードして、あとは逃げ切ることに終始した。 いまのルール改正はしっかり組んで投げることを志向しているはずなのに、最も注目される五輪の100キロ超級の決勝戦で、技が出ない試合を見させられる。 関心がなくなるだろうし、以前の面白くないと批判された時期に逆行しているようだった。持って投げる、柔道の原点を貫く日本柔道で、この手法を打破していく 必要があるだろう。 持って投げる日本柔道貫け/古賀稔彦 - 日刊スポーツ リオ五輪評論家 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/column/analyst/news/1694712.html 柔道の日本男子が史上初の優勝者なしに終わったロンドン五輪から4年。 金2個を含め全階級でメダルを獲得し、井上康生・男子監督は人目をはばからず泣いた。そして、苦楽を共にした選手たちの名前を挙げて言った。 「偉大な歴史に名を刻んだ7人を誇りに思う」 大会最後の男子100キロ超級で偉業達成を託されたのは原沢。決勝で2連覇を狙ったテディ・リネール(仏)と渡り合った。結果は銀メダルだったが、 初出場の24歳は「メダルをつなげられて良かった」と肩の荷を下ろした。 ロンドンでは最重量級でメダルに届かなかった男子にとって、打倒リネールは悲願。五輪後に就任した井上監督は、階級ごとの合宿で選手一人ひとりに 語りかけた。「甘さを捨てて覚悟を決めろ」と互いの競争を促し、日の丸のもとで戦う自覚と団結心を植え付けた。 男子柔道全階級メダル「誇り」…井上監督男泣き http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2016/martialarts/judo/20160814-OYT1T50061.html
136 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:31:09.50 ID:dWUsONY3.net 今大会の北海道勢初メダルに、山部佳苗の地元・札幌市や母校のある旭川市でも歓声が上がった。 小中学校の9年間通った札幌・厚別区体育館柔道クラブの選手や保護者ら約30人が、札幌市清田区の町内会館に集合。日本で早朝となった3位決定戦では、 眠い目をこすって観戦するなど、体力の限界まで応援した。 活動時間に限りがある同クラブでは、大外刈りなど立ち技を中心に磨くことを基本としている。伝統を受け継いだ山部は初戦、大外刈りで一本勝ちし 3位決定戦も技ありを奪った。 クラブの斎藤山好一監督(48)は「三つ子の魂百まで。昔から体になじんでいる技が出てうれしい」と話し、クラブ初の五輪選手の活躍に「身近な人が 世界に出て、いいお手本になる」と語った。 母校の旭川大高でも同級生や柔道部員ら約50人が応援した。3位決定戦の最後はカウントダウンの声が上がり、終了と同時に興奮は最高潮に達した。 山部と2人だけの女子部員だった同級生の寺沢友香さん(25)は「緊張した表情でプレッシャーを感じているのが分かったが、高校時代と変わらず切れのある 柔道を見せてくれた。最後は勝ってくれてうれしい」と涙ぐんだ。柔道部女子主将の小椋香澄さん(17)は「諦めない姿勢はあこがれ」と話した。 RIO・リオ五輪:柔道・山部が銅 道産子初メダルに歓声 http://mainichi.jp/articles/20160814/ddr/041/050/005000c リオデジャネイロ五輪の柔道で日本は1大会で最多となる男女計12個のメダルを獲得した。男子は金二つを含め全7階級で表彰台に立ち、復活を印象付けた。 筋力トレーニング、栄養、データ分析など指導に医科学も取り入れた井上康生監督の改革を支えてきた裏方の功績も見逃せない。 以前の代表では筋トレは選手任せで、体系化されていなかった。代表でフィットネスを担当した守田誠氏は「合宿以外でどれだけできるか。そういう発想が 監督にはあった」と振り返る。海外選手との一番の差は体力にあるとみていた井上監督の方針で、時間割を作成して1日に3〜4人を国立スポーツ科学センター で個別に指導。年間を通じて継続的に数値を計り、弱点をつぶしてきた。 栄養面は減量のためだけでなく、筋力アップにも主眼を置いた。筋量や体脂肪、除脂肪体重の変化からトレーニング効果を検証し、不足する栄養を見極めた。 担当した上村香久子氏は「体づくりも減量も方法は一つではない。百貨店型のサポートを心掛けた」と言うように、さまざまな角度からの情報を提供してきた。選 手とは個別にメールでもやりとり。相談を受け、助言もしてきた。 国内外の強豪を含めたデータ分析は数年間で8000試合分にもなった。時間帯別の得失ポイント、技の種類と内容、指導の種類などを数値化。組み手の 釣り手と引き手を持つ位置や、先制されて負ける確率なども項目別に細かく掘り下げた。 担当の一人として携わった鈴木利一氏は「監督は自身のコーチングへの裏付けとして、一つの切り口として数字を捉えている」とみていた。選手だけでなく、 五輪で裁くランキング上位の審判員の癖や傾向も洗い出し、対策は抜かりなかった。 康生改革支えた裏方=筋トレ、栄養、データ分析−柔道〔五輪・柔道〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016081400182 柔道の男女日本代表は13日、リオデジャネイロから日本へ帰国の途についた。空港で取材に応じた男子90キロ級金メダリストの21歳、 ベイカー茉秋(東海大)は「普段と同じように落ち着いて試合ができた。とてもいい経験をさせてもらった」と笑顔で話した。 2度目の五輪で女子70キロ級で初優勝した田知本遥(ALSOK)は「メダルと同じくこれまでの過程もきらきらと輝いている。今後は金メダリストとして 気を引き締めていく」と自覚を示した。 ロンドン五輪後に就任し、男子を初の全階級メダルに導いた井上康生監督は晴れ晴れとした表情。「まずはゆっくり休みたいが、もう次のことを考えてしまう。 新たな闘いが始まっている」と4年後に目を向けた。 日本代表は15日に帰国し、12人のメダリストは成田空港で記者会見を行う予定。 柔道代表が帰国の途に 井上監督ら晴れ晴れ「新たな闘いが始まっている」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/14/kiji/K20160814013165770.html
137 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:37:52.36 ID:dWUsONY3.net 男子100キロ超級では五輪初出場の原沢久喜(24=日本中央競馬会)が銀メダルに輝いた。決勝で世界選手権7連覇中のテディ・リネール (27=フランス)と初対戦し指導1つの差で優勢負け。徹底的に組み手を封じ込まれ“絶対王者”の壁を崩せなかった。男子の全階級メダルは 64年東京五輪以来7階級制になった88年ソウル五輪以降では初めての記録となった。 リネールとの頂上決戦。五輪の決勝という最高の舞台が整った。大歓声の中、入場口で試合を待つ原沢は、高ぶる様子もなく、普段とまるで変わらない 表情に見えた。 「やる気ある?」。原沢が小学生の頃、母・敏江さん(54)は、試合に負けてもひょうひょうとしている息子にいつも聞いてしまったという。服部清人さん(23)は 日大柔道部で原沢と同期生。入学後しばらく原沢は誰とも口を利かなかった。無口で大柄な男に服部さんは聞いてみた。「ねえ、感情って分かる?うれしいとか 悲しいとか」。返事はこうだった。「うん。分かるよ」 その男がリオの畳の上で最強の王者と戦っていた。「落ち着いて無心で戦うことができた」。したたる汗と激しく弾む息づかいに必死の思いがにじみ出た。 スタミナに自信を持つ原沢は後半勝負を考えていた。「前半は指導1に抑えたかったが指導2を取られた」。初対戦の両者による最初の組み手争い。リネールの 圧力につぶれ、わずか8秒で指導。1分すぎにも2つ目指導。余裕を持ったリネールはもはやリスクを冒さず逃げた。豪快な一本が柔道なら、これもまた柔道。 5分の試合時間はほぼ組み手争いに費やされ両者が技に入る場面はほとんどなかった。 山口・早鞆高に入学した頃はまだ1メートル77、66キロのひょろ長い体形。「弱くてやる気もなかった」。卒業後は柔道をやめるつもりで3年の時は 就職クラスだった。しかし大きくなる体とともに周囲の期待は膨らみ、本人の意識も変わっていった。卒業する頃には1メートル90、100キロを超える 体格になっていた。妥協せず練習にも取り組み、社会人1年目の昨年はついに全日本選手権を制覇。国際大会で7連続優勝も遂げ、国内3番手から 逆転で五輪代表をつかんだ。 試合終盤、消極的なリネールへのブーイングが飛んだ。王者は涼しい顔で受け流した。内容は指導1つの差だが展開は相手の思惑通りだった。 畳を下りた原沢は顔をしかめ、うなだれ、肩を落とした。珍しいほどはっきりした落胆の色だった。「そんな大差はないと思うし、作戦で埋められる差。 まだまだ今日は足りなかった」 背中は見えた。だが、まだ遠かった。「いろんな人の重量級への思いは背負ってきたつもり」と日本重量級復活を宣言するために打倒リネールが 必須なことも分かっていた。鷹揚とした雰囲気の中に隠し持った闘争心と責任感、そして伸びしろ。「まだまだ自分(の完成度)は半分を超えたくらい。 これがいい経験になる」。変わらない表情のまま、原沢はリネールの背中をじっと見据えていた。 原沢 誇りの銀 “逃げ切った”相手リネールに大ブーイング http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/14/kiji/K20160814013161720.html リオデジャネイロオリンピックの柔道は、12日ですべての競技を終えました。日本は金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル8個を獲得しました。合わせて 12個のメダル獲得は過去最多です。 リオデジャネイロオリンピックの柔道は、12日ですべての競技を終え、日本の男子は7つの階級すべてでメダルを獲得しました。男子の全種目で メダルを獲得するのは、4種目だった1964年の東京大会以来です。 柔道のメダル獲得 金3個 銀1個 銅8個で過去最多 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160813/k10010633911000.html
138 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/14(日) 17:39:44.79 ID:dWUsONY3.net ついに息を吹き返した! リオ五輪柔道男子100キロ超級決勝で原沢久喜(24=日本中央競馬会)がロンドン五輪金メダルの“絶対王者” テディ・リネール(27=フランス)と接戦を展開。優勢負けを喫したものの、銀メダルを獲得した。これで男子は7階級制となった1988年ソウル五輪以降、 初めて全階級でメダル獲得の快挙を成し遂げた。これには日本選手団副団長の山下泰裕氏(59=全日本柔道連盟副会長)も「日本柔道が完全に復活した!」 と快気炎をあげ、総括した。 これまで相まみえることがなかった難敵リネール。当然組み手が厳しくなることを原沢はわかっていた。それでもチャンスをうかがったが、開始8秒で1枚目の 指導をもらうと、1分後には2枚目をもらう苦しい展開に。「1枚もらっても、後半で勝負しようと思ったが、2枚もらって追い切れなかった。組もうとしても封じられ、 大内刈りもさばかれてしまった」(原沢) 一方のリネールも余裕があったわけではない。勝負は消極的で息も上がっていた。原沢の攻めに嫌がる場面もあった。「実力に大差があるとは思っていない」 (原沢)。結局、リネールはポイントを奪うことなく、そのまま逃げ切り。この“絶対王者”らしからぬ姿勢に会場からはブーイングの嵐で、メダルセレモニーの ときまでブーイングを浴びせられた。逆に言えば、観衆の目にも「原沢に王者が逃げた」と映ったということだ。 これで柔道男子は全階級でメダルを獲得。7階級制後初めてのことで金2、銀1、銅4となった。 山下氏も高く評価。「本音を言うと、もう少し金メダルが欲しかったし、男女とも全階級メダルというのが目標だったが、私の時代とは比較にならないぐらい 世界のレベルは上がっている。その中で男子が初めて全階級でメダルを取るというのは本当にすばらしい」。続けて「世界が『日本柔道が完全に復活した』と 見ていると思う」と言い切った。 前回のロンドン五輪では金メダル候補が次々と敗れ、ニッポン柔道が低迷。男子は悪夢の金メダルゼロで柔道母国としてのメンツは丸つぶれだった。 それに追い打ちをかけるように柔道界には様々な問題が噴出し、選手たちの士気も低下。だが井上康生監督(38)のもと、ゼロから築き上げた。 「すばらしい選手、スタッフ、環境で戦うことができた。歴史に名を刻んだことを誇りに思うし、本当にみんな頑張った。苦しい戦いの連続だったと思うが、 最後まであきらめず、バトンをつなげたことが今回の結果になった」(井上監督) もちろん、課題はまだ多い。山下氏は「今大会でわかったのは組まないと投げられないし、かといって組んだら投げられるかもしれないということ。 (男女)3人の金メダリストはそのリスクを負って攻めていったのがよかったのではないか。五輪にきたら、勝つか負けるか、やるかやられるかの勝負。 最後まで投げきるという柔道を今後しなければならない」と総括した。 もし、4年後の東京五輪で再び失速したら、海外から「やはり日本柔道は終わっていた」との烙印を押されてしまう。今回の選手の奮闘を無駄にしないためにも、 さらなる練習と戦略の上積みが必要になってくるのは言うまでもない。 【柔道】男子の金2・銀1・銅4「復活」を山下泰裕氏が宣言 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/580210/
139 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:23:36.70 ID:3WG7fD1d.net 父・一夫氏が振り返る。 「小学6年生のときに、講道館杯に連れて行ったんです。すると『オリンピックに出たいと思ったら出れんじゃん』と簡単に言ったんです。 『コイツ、何言ってんだろう』と思いましたが、本気で目指すなら僕らも気を引き締めて、美里の結果に一喜一憂するわけにはいかない。 親が喜んでいる姿を見せたら、本人も満足しちゃいますから。だから中学2年生で全中に勝ったときも、『オリンピックを目指しているなら、 日本一になったからといって、ヘラヘラ笑っていたらダメだぞ』と伝えました。それが、彼女が笑わなくなったスタートなんです」 五輪を意識したその講道館杯を16歳で制した中村は、順調に代表への階段を上っていった。しかし、大人の身体になるにつれ、 手の指まで細くなるような減量苦を味わうようになり、北京五輪の前年に52kg級に転向した。 中村美里にとって北京、ロンドンに続く3度目の五輪は、またしても「金」に届かず、銅メダルに終わった。 「ロンドンが終わってすぐには、リオを考えることはできなかったし、この舞台に立っているとは想像もできませんでしたが……目標を達成できなくて、 やっぱり悔しい」 女子柔道52kg級で銅メダルを獲得した中村美里 ロンドンが終わった直後に中村は左膝前十字靱帯の再建手術を決意し、1年以上をリハビリに費やした。 NTC(ナショナル・トレーニング・センター)などでリハビリを行なっている間に、同じように五輪を目指す他競技のアスリートと数多く知り合い、親交を深めた。 それが「視野を広がることになった」と本人や家族、所属の三井住友海上のコーチ陣は声を揃える。柔道家として五輪を目指す環境がいかに恵まれているかを 再認識し、もう一度、金メダルにチャレンジする気持ちが高まった。 「すごく人としての幅が広がった。4年間やってきて、本当によかった。もちろん金メダルは獲りたかったですけど、最後の3位決定戦に勝てたから」 谷亮子が女王として君臨してきた48kg級の新星として、講道館杯を制したのは2005年、渋谷教育学園渋谷高校1年生の時だった。足技で面白いように 相手を転がし、勝ち上がっていった。無邪気に振る舞ってもいい年齢なのに、やたらと冷めた口ぶりが印象に残る16歳だった。 苦渋の決断ではあった。当時、こう口にしたこともある。 「(谷亮子から)逃げたと思われるのがイヤだった……」 北京では当時まったく無名だった安琴愛(北朝鮮)と準決勝で対戦し、パワー柔道に技が出ず、「指導」のポイント差で敗れた。ロンドンまでの4年間は、 北京の悔しさを晴らすことだけが目的だった。しかし、ロンドンでも初戦で安と対戦し、先に奪われた「技あり」のポイントを取り返せず、わずか1試合で畳を去った。 直後、手術を決断したのも、父・一夫さんのアドバイスが決め手だった。 「引退後の人生を考えたら、治しておいた方がいい。あのままでは大好きなスノーボードだってできないわけですから」 13年11月の講道館杯で再起し、優勝する。15年にはアスタナ世界選手権の代表となり、自身3度目の女王となった。リハビリの期間を除けば、この10年、 中村は常に第一人者の座を守ってきた。 今年4月の選抜体重別選手権では3試合すべて技によるポイントはなかったが、得意の足技やいなしが冴え渡り、相手をリズムに乗せない巧みな組手で 「指導」を誘発した。そういう老獪さも、この4年で中村に加わった武器だった。 3度目の五輪は、初戦となった2回戦、準々決勝と、落ち着いた組手で問題なく寝業で仕留めた。準決勝の相手は、中村が不在の間に世界女王となった マイリンダ・ケルメンディ(コソボ)。不思議なことにこれまで中村は対戦経験がなかった。2度の屈辱を味わった安のように、パワーに頼った柔道をしていることは 戦前から分かっていたが、開始早々に奥襟を取られ、体勢を崩される。すぐさま中村に「指導」がわたる。 これがこの試合のハイライトだった。残り3分以上の試合時間、中村は小内刈りや小外刈りといった足技を積極的に仕掛けたものの、ケルメンディを崩すことは できず、攻勢の印象を審判に与えることもできず、4分の試合時間の終了を告げる銅鑼(どら)が鳴った。 「力が強いのはわかっていたんですけど、思っていたより強かったというか……。襟や袖を切る力が強かったです。担ぎ技も練習してきて出してはいたんですけど、 なかなか、かからなかったです」
140 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:24:44.99 ID:3WG7fD1d.net 過去2度の五輪とは悔しさの意味合いが違った。 「今回はいろんな経験をして、成長した自分で戦って、それでも勝てなかったというのが悔しい」 試合後、進退に関しては明言しなかったが、27歳という年齢は4年後を狙える年齢ではある。 3位決定戦で一本勝ちし、表彰台に立った中村は、微笑を浮かべていた。その笑みは、いったい何を意味するのだろうか。 無念の銅メダルでも、笑わない中村美里が最後に微笑んだワケ https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2016/08/09/post_624/index.php 日本勢メダル第1号となる銅メダルを獲得した近藤亜美(21)。3位決定戦で有効を奪って優勢勝ちとなったが、試合後には「実力のなさがはっきり出た。 申し訳ない気持ちでいっぱいです。(準決勝の相手の)パレート選手の監督から、メダルがあるのとないのとでは全く違うと言われました。対戦相手の監督から 言われて情けない」と涙を流した。 14年に世界選手権で優勝。初の五輪となった近藤は早くから、シドニーとアテネで連覇を果たした谷亮子の後継者として期待されていた。しかし、小学校時代 から染みついた食生活の乱れや練習嫌いが自身の首を絞めるように。高校時代の恩師から叱咤激励を受け、心を入れ替えたというが、48キロ級の椅子は 1つしかない。雪辱を誓った20年東京五輪に向け、ライバルはすでに近藤に牙をむいている。 1人目は遠藤宏美(23)。今年の「全日本選抜体重別選手権」決勝で近藤に惜敗して準優勝に終わった。4年後は27歳。「最後の五輪」と位置付けて、 背水の陣で代表権奪取に臨むだろう。もうひとりは常見海琴(18)。昨年の世界ジュニア選手権で銅メダルを獲得した若手のホープとして注目されている。 今年から北京五輪金メダリストの谷本歩実助監督、その妹・育実コーチが指導する「コマツ」に所属。未来のメダリスト候補として期待されている。 「この悔しさを次のオリンピックで必ず生かしたい。(負けを)しっかり受け止めて、次は東京で」と前を向いた近藤だが、そこに自分の椅子はないかもしれない。 リオ五輪メダル1号近藤亜美 4年後は国内ライバルずらり | 日刊ゲンダイDIGITAL http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/187326 リオデジャネイロ五輪柔道女子48キロ級に出場し、銅メダルを獲得した近藤亜美(21)=三井住友海上=が15日、他の選手とともに帰国し、ツイートした。 「久々の日本、結構暑いなぁ…」と猛暑に触れ、4年に一度の五輪を終えた解放感から「さてさて減量も終わったしやっとお腹いっぱいご飯食べにいける」 としばしの休息。 「幸せ噛み締めていただきます」と満腹感をひたって充電する。 銅メダルの近藤亜美、減量苦から解放「お腹いっぱいご飯食べにいける」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160815/rio16081516550099-n1.html
141 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:26:17.14 ID:3WG7fD1d.net 男子100キロ超級で原沢久喜(24)=日本中央競馬会=が、決勝で世界選手権7連覇中のテディ・リネール(27)=フランス=に敗れたものの銀メダルを獲得。日本男子は7階級制となった88年ソウル大会以降で史上初となる全階級メダルを達成した。 金メダルへの夢がついえた瞬間、歓声とブーイングが会場を包んだ。矛先は畳に座り込んで悔しがった原沢ではなく、歓喜に沸くリネールだった。指導1つ分 リードした後半はほとんど組まず逃げ続けた絶対王者の戦いに、誰も納得がいかない。だが原沢は「相手を追い切れなかった自分がいた。金メダルが 欲しかったけど、無心で戦えたし、最高の舞台で最強の相手と戦えたことは誇りに思う」と潔かった。 重量級の再建を託されていた。リネールは同階級で2010年9月の世界選手権無差別級で上川大樹に敗れて以降負けなし。王座奪回へ映像研究のほか、 14、15年と世界選手権決勝で対戦した七戸龍(27)=九州電力=ら対戦経験者の声を結集し、全体で王者対策に取り組んだ。 代表が原沢に決まると、井上監督は「奥襟は持たれるな」「帯を持って投げる」「組み際に勝機がある」など攻略ポイントを頭と体に刷り込んだ。リオ入り後は 緊張していた原沢も、前日に100キロ級で銅メダルを獲得した羽賀龍之介(25)=旭化成=から「メダルを取る、取らないでは全然違う」と送り出された。 山口・早鞆(はやとも)高入学時は66キロ級の選手。部員は6人しかおらずランニングをサボることもあった。「あまりやる気はなかった。地元の大学に行って 普通に生活しようと思っていた」。ただ、身長が180センチを超えると高校2年では体重が90キロ級まで増えた。地元には100キロ級に強豪選手がいたため、 高校の中村充也監督から「全国と戦うなら100キロ超級まで増やせ」と言われ、1日5食を続け3か月で10キロも増量。「たくさん食べるのが嫌だった。だ から今でも小食です」と笑って振り返るが、高校総体3位など順調に成長した。進学した日大の金野潤監督(49)が「ものすごい選手と出会えた」と 徹底強化すると、実直な性格の原沢も「推薦入学で東京に来たから、ただでは帰れない」と受け入れた。 絶対王者をあと一歩まで追いつめた日本重量級のエースは「自分の完成度はまだ半分を超えたくらい。まだ伸びる」と成長を実感している。底知れない 潜在能力を伸ばし、4年後の東京五輪で王座奪回を果たす。 【柔道】銀メダル原沢、逃げたリネールにも潔し「相手を追い切れなかった」 : スポーツ報知 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160814-OHT1T50062.html 山口県下関市の武道館でのパブリックビューイングには13日、スポーツ少年団の子供ら約200人が集まり、熱い声援を届けた。 原沢選手は下関市の高台にある団地で、3人きょうだいの長男として育った。近所の道場の門をたたき、休日には地元の英雄、高杉晋作の像が立つ 日和山公園の階段で足腰を鍛錬した。 原沢選手を小学生の時に指導した石田充さん(53)は「比較的順調に決勝まで進んだが、決勝の場に原沢がいるのが本当に信じられなかった」と話し、 祈るような思いでこの日の大舞台の行方を見守った。 柔道100キロ超級の決勝は「柔道最強」の称号を争う試合だ。原沢選手が組み手をなかなか取れず、指導1つの差で敗れはしたが、「最強王者」の リネール選手(フランス)をあと一歩まで追い詰めた。 石田さんは「リネール選手が原沢の組み手を非常に嫌っていた。悔しいが、『打倒リネール』という新たな目標ができたと思う。この経験を生かし、次の 東京五輪では金メダルを目指してほしい。胸を張って帰ってきてほしい」とたたえた。 「胸張って帰ってきて」 柔道・原沢「銀」に故郷の下関沸く 山口 - 産経ニュース http://www.sankei.com/region/news/160814/rgn1608140015-n1.html
142 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:27:31.43 ID:3WG7fD1d.net 女子は前回のロンドン五輪に出場した中村、松本、田知本の3人がメダルを取った。五輪がどういう場所かを分かった上で調整できた成果だ。 今回の代表は強化体制も改善され、一人一人が自主性を持って取り組んでいた。ロンドンまでは軽量級、中量級、重量級にそれぞれコーチが ついていたが、今は各階級に1人担当コーチがいる。さらに代表が決まると、代表選手ごとにコーチがつくようになった。コーチ陣が集まる会議も多くなり、 選手とのコミュニケーションもうまくいっていた。 今大会を採点すれば「85点」。残り15点は東京五輪でのお楽しみだ。4年後へ向けては48キロ級の渡名喜風南(21)=帝京大=、57キロ級の芳田司(20)= コマツ=、63キロ級の津金恵(20)と能智亜衣美(20)=ともに筑波大=、78キロ超級の朝比奈沙羅(19)=東海大=、冨田若春(19)=コマツ=らに 注目したい。 【柔道・杉本美香Point】今大会採点85点残り15点は…総括 : スポーツ報知 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160814-OHT1T50069.html ニッポンのお家芸復活を印象づけた。柔道男子100キロ超級決勝で、原沢久喜(24)=日本中央競馬会=はテディ・リネール(フランス)に惜敗したが、 銀メダルを獲得した。日本の柔道男子は、7階級制となった1988年ソウル五輪以降で女子を含めて初めて、全階級でメダル獲得の快挙を達成した。また、 女子78キロ超級の山部佳苗(25)=ミキハウス=は3位決定戦を制して銅メダルを獲得。今大会の日本柔道勢の獲得メダルは男女合計12個となり、 1992年バルセロナ、2004年アテネ両大会の計10個を超えて過去最多を記録した。12年ロンドン五輪で史上初の男子金メダルゼロに終わるなど低迷した 日本柔道はよみがえり、東京五輪に弾みをつけた。日本選手団のメダルは金7、銀3、銅14。 試合終了後、会場にはリネールに対する大ブーイングが巻き起こった。口に人さし指をあて「シー」と余裕をみせるロンドン五輪金メダリストで世界選手権 同階級7連覇中の絶対王者。原沢は固い表情のまま畳を降りた。 先に指導を2つ取られ、徹底的に組み手を嫌われた。リネールにも指導が1つ与えられたが、かけ逃げぎみの技に攻め手を欠き、むなしく終了のブザー。 しかし、最後まで絶対王者を追い込んだ原沢の闘志は会場の観客に伝わった。 これで、日本男子は金メダル2個を含む全階級でのメダル獲得となった。優勝を逃しても落ち込む気持ちを奮い立たせ、気持ちを入れ替えて銅メダルを 狙った各選手の気迫も特筆される。 この復活劇は、不振を極めたロンドン五輪以降、重量級を中心に立て直しに取り組んだ男子チームの井上康生監督が、地道に続けた意識改革が もたらしたものだろう。原沢にも、「重量級の再建をおまえに託したからな」と期待を寄せていた。 山下泰裕日本選手団副団長も必死だった。五輪直前の7月末の合宿では、自ら道着を身につけて原沢に手取り足取りで技のかけ方をアドバイスした。1 984年ロサンゼルス五輪無差別級金メダリストで現役時代に203連勝の偉業を持つレジェンドの異例の指導。「目立つところで派手な動きをするべきでは なかった。でも、気持ちを抑えきれなかった」と重量級復活への熱い思いを語っている。 その思いを背負って五輪の畳に上がった原沢。1回戦でオクルアシビリ(ジョージア)に優勢勝ち、2回戦は、コカウリ(アゼルバイジャン)を大内刈りで 一本勝ち、準々決勝のガルシアメンドーサ(キューバ)、準決勝のタングリエフ(ウズベキスタン)には反則(指導4回)で順調に勝ち上がって安定感をみせた。 五輪初出場の原沢は、代表選考レースで1年前は2番手以下だったが、国際大会7連続優勝の快進撃で2年連続世界2位の七戸龍を逆転してここまで やってきた。「リオ五輪を諦めた時期もあったが、無我夢中にやった」と前に出る気持ちだけは誰にも負けなかった。 日本柔道のトリを飾る最重量級の重圧は相当だったはずだ。「みんながメダルを持ってきて自分だけ負けたらどうしようと考えたけれど、無心で戦った。 (リネールには)チャンスがある限り挑戦し続けたい」 191センチ、125キロの巨漢だが、山口・早鞆(はやとも)高1年時は66キロ級の選手だった。軽量級で培った身のこなしは重量級でも生かされている。 東京では表彰台の真ん中で、100キロ超級の完全復活をみせてくれるだろう。 ニッポンのお家芸復活!柔道男子は全階級メダル獲得 重量級の再建を託された原沢がトリ飾る http://www.zakzak.co.jp/sports/etc_sports/news/20160814/spo1608140830004-n1.htm
143 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:29:34.29 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロ五輪で、史上最多となる計12個のメダルを獲得した柔道の日本代表が15日、成田空港着の日本航空便で帰国した。 到着ロビーでは報道陣と選手の所属先関係者のほか、一般のファンや帰国に気付いた利用客ら、500人あまりが出口を取り囲み、選 手たちが姿を現すと盛んな拍手が送られた。その後、メダリスト12人と指導陣が空港内で記者会見を行った。 「小さいころからの夢を実現できてよかった」と喜んだのは、男子90キロ級を制したベイカー茉秋(21)=東海大。今後は今年に入って痛めた両肩の 治療に専念するとリオデジャネイロで口にしているが、2020年東京五輪へ向けては「連覇を目指したい」とキッパリ話した。 一方、同73キロ級を圧倒的な力で制した大野将平(24)=旭化成=は「ピーキングとコンディショニングを大事にして、圧倒的な差を付けるという 目標を畳の上で実現できた」と納得の表情。4年後へ向けては「しっかり休み、自分の気持ちを整理して、小さな目標から頑張りたい」と、 改めて地道に連覇を狙う考えを示した。 「選手に『自分たちでやるんだ』という自立心が芽生え、自分の考えで畳に立ったことが結果につながった」と、選手を高く評価したのは男子の 井上康生監督(38)。全階級終了後に見せた涙については「最高のメンバーとやれた、幸せの涙だった」と振り返った。 一方で、「まだまだやれた、もっと(選手のいいところを)引き出せたという悔しさが残っている。4年後へ向けて、また一丸となって戦わないといけないと思う」とした。 女子で唯一の金メダルを獲得した70キロ級の田知本遥(26)=ALSOK=は「夢を達成できて、とても幸せ。すごく大切なことも学べたと思う」と大会を 振り返った。 20年については「今は終わったばかりで何も考えられない」としつつ、「東京で開催される大会に出られる選手は幸せだろうなと思う。頑張ってほしいです」。 まるで“ひとごと”のような答えに、選手たちからは笑いが起こった。 「2連覇を目指したができなかった。できる人は本物で、バケモノだと思う」と悔しさを表したのは、ロンドン五輪57キロ級金メダリストで、今回は銅メダルに 終わった57キロ級の松本薫(28)=ベネシード。4年後の東京五輪についても「今回の選手村よりはいいと思うので…」と、独特の表現で目指す考えが あることを示唆した。 女子はロンドン五輪後に発覚した暴力指導問題で、通常より1年遅れて緊急措置的に委ねられた南條充寿監督(44)が、3年間で結果を出した。 指揮官は「選手が、日本代表として死力を尽くして戦ってくれたことを誇りに思う」とねぎらった。 4年後まで指揮を執るつもりがあるかという質問に、南條監督は「少し休ませてください」と、退く意向を匂わせた。一方、ロンドン五輪の金メダルゼロから 立て直した井上監督は「私自身、この4年間で出し切った。(監督を続けるか)どうなるかは分からないが、どういう形でも、少しでも柔道界に貢献できるよう 頑張りたい」とするにとどめた。 全柔連の木村昌彦強化副委員長(57)は「(昨年1月に急逝した前強化委員長の)斉藤仁という大きな柱をなくした中、男子は前回金メダルゼロ、 女子は問題の後から、両監督ともよくやった」と高く評価。ただ、東京五輪を目指す指導体制については「人事の順番もあり、これからの流れによる。 今は全く考えられない」とした。 ベイカー、大野「連覇目指す」田知本はひとごと? 日本選手団が帰国 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160815/rio16081516060096-n1.html リオデジャネイロ国際空港に姿を見せた男子90キロ級金メダリストのベイカー茉秋(21=東海大)は、「今年は試合をしないと思います。両肩の 治療もしたいので」と言及。年内は脱臼を繰り返していた肩の回復を考え、国際大会の参加を控える意向を示した。1年後には新王者として臨む 17年世界選手権があるが「2月くらいに試合をできれば」と話した。 「新種」と井上監督が称する柔道スタイル、さらに発言も注目されているが、本人は「日本に帰ったら、そんなにすごいことになっているんですかね」と 実感がない様子。この日も他の男子代表6人が選手村で全員そろって記念撮影をするなか、1人プールに。「体を動かしたかった」とマイペースに過ごしていた。 ベイカー茉秋「今年は試合しない」年内両肩治療専念 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1695193.html
144 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:32:06.97 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロ五輪に出場した柔道日本選手団が、15日に帰国し、井上康生監督、メダリストらが会見を行った。 前回大会は男子の金メダルはゼロだったが、今大会では男子73kg級で大野将平選手、男子90kg級でベイカー茉秋選手が金メダルを獲得するなど 活躍している。 リオ五輪・柔道日本選手団が帰国会見(全文1)全員一丸となり頑張った結果 司会:それでは代表質問をTBSさんのほうより、よろしくお願いします。 TBS:よろしくお願いします。皆さま、各局さま、よろしいでしょうかか。まずは長旅のところお疲れかと思います。お時間つくっていただきありがとうございます。 TBSの宇内と申します、よろしくお願いします。まずは本当にメダル獲得おめでとうございます。まずは監督とチームリーダーの5名の方に伺います。 ロンドンオリンピックから再建を託されて、4年間でオリンピック史上最多、12個というメダルを獲得する結果を残しました。あらためてリオデジャネイロ オリンピック、振り返ってみてのお話を聞かせてください。ではまずは増地さんからお願いします。 増地:チームリーダー、やっております増地です。女子のほうは実質3年間、このチームでやってまいりました。斉藤委員長が最期、女子柔道界を頼 むというふうに託されまして、南條監督以下、コーチと力を合わせて、チーム再建にやってまいりました。 本当に選手たちは、戦うまでが、畳に上がるまでが私たちの勝負だと思ってやってきました。畳に上がってからは選手たちが勝負してくれるので、 それまで監督以下、本当に力を合わせて選手とともに戦ってきたと思います。今回の結果はメダルを取れなかった選手もいるんですけども、 個々には本当に力を出し切ったというふうに思っております。ロンドンの結果から、女子は今回も金メダル3個と、全階級メダル獲得というふうに 目標を掲げたんですけども、チームとしては本当によく頑張ったというふうに思っております。ありがとうございます。 山本:男子の部長をしてます山本です。よろしくお願いします。男子に関してましては、私、斉藤と同級生で、副委員長という立場で4年間携わらせて いただきました。本当に井上監督の指導の下、コーチ、また選手が一丸となってリオに向かって、この結果が得られたと思います。1988年に ソウルオリンピックで7階級になりまして、私も出ておりましたけれども、斉藤が最後の砦で優勝しまして、また斉藤のその気持ちが今回7階級、 全階級メダル獲得というふうな偉業が達成できたというのを思っております。斉藤も天国のほうで喜んでるんじゃないかと思います。 また、この大きな偉業を東京につなげていけるように、また頑張っていければというふうに思っております。本当に今日はありがとうございました。 木村:本来ならばここ、山下委員長がいるんですけれども、日本選手団副団長ということで、その山下先生の指揮の下、何回も出てますけども、 本来ならばここにいてほしい故・斉藤仁前委員長。その志を持って全員で一丸で頑張りました。で、結果をご存じだと思いますけども本当に よくやってくれたなと思ってます。残念ながらここにいない2人も含めて最高の成績、最高のパフォーマンスを発揮してくれたというふうに思ってます。 ちまたでは銅メダルを取ってもうんぬんとかね、いうことを言われますけど、私たちの集団は勝利至上主義の集団ではないです。勝利を追求する集団です。 その過程の中で得たものをさまざまなところにも生かす。ですから個々が金メダルを目標にして行ったら、ここが残念だっていうのは全然もう問題ないし、 そうだね、次、頑張ってね。そういったふうに思ってます。で、本当にさまざまなことがあった4年間、その集大成が、全部終わりました。そこを選手が、 または役員が一致団結してやったことを大変賞賛したいと思いますし、誇りに思ってます。で、詳細のところは井上監督、選手から聞いていただければと。 本当に最高のメンバーで、最高の戦いができたなというふうに思ってます。ありがとうございます。
145 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:33:50.84 ID:3WG7fD1d.net TBS:では南条監督。あ、そちらから、はい、お願いします。 井上:男子監督を努めさせていただきました井上康生です。この結果というものは本当に選手たちが死力を尽くし、また担当コーチの先生方、 またスタッフの皆さま、また柔道を応援してくれた方々が1つにまとまったからこそ、この結果っていうものが生まれたのではないのかなというふうに思います。本 当にこの最高の選手たちと、また最高のスタッフと、また最高の環境で戦えたことを、私自身の一生の宝になったのではないかなというふうに思います。以上です。 南條:女子の監督をしております、南條です。このたびはこのような盛大な記者会見ありがとうございます。大会では本当、選手、死力を尽くして頑張ってくれました。 今、増地部長が話、ありましたようにもう本当にいろんなところからのスタートでした。で、選手たちの頑張りで、ここまでチーム自体、来ることができました。もう本当、 戦いの中ではですね、いろいろな振り返りありますけれども、本当に日本代表として、柔道の日本代表として、死力を尽くして戦ってくれたことを本当に誇りに思います。 本当、頑張ってくれました。以上です。 TBS:ありがとうございます。では引き続き井上監督と南條監督に伺います。今回のリオオリンピックが確実に日本柔道界の弾みになったと思うのですが、 このあと4年後の東京オリンピックが控えています。東京オリンピックはどのようにお考えになっていますか。よろしくお願いします。ではまず南條監督からお願いします。 南條:はい。もう東京まで4年を切っている段階ではありますけれども、それぞれの振り返りをもって、まずどのような、世界の状況は本当に4年前と 変わっています。ですからそういったことも含めて、もうすでに、選手たちの慰労をすると同時に次の戦いは始まっているなという感じは受けております。 そういったことも含めて、まだまだ前進していかなきゃいけないなというふうに痛感した大会でもありました。以上です。 井上:はい。試合が終わって、非常に疲れが残っている。今もそのような状態ではあるんですが、されど試合が終わった次の日から、頭が非常に 東京のオリンピックに向けて、また動き出さなければいけないと。また日本柔道界が1つにまとまって、戦っていくことがこの日本、東京オリンピックでの 成功へつながるというふうに思っております。もう一度みんなで気を引き締め直して、そしてまた新たな挑戦に向けて頑張っていきたいというふうに思っています。 われわれ日本柔道界というものは、これがあらためてスタートに立ったんではないかなというふうに思いますので、また皆さんの応援の下、頑張っていきたいと思います。 ありがとうございます。では続いて選手の皆さんに伺います。お話しする順番はまず田知本選手から、じゃあ原沢選手にいっていただいて、そのあと後列でよろしくお願いいたします。 まず本当にリオオリンピックでの試合、お疲れさまでした。もう試合を終えていろんなメディアでいろんなインタビューをされて、たくさんもうお答えしてきたと 思うんですが、日本に帰ってきて、あらためてリオでの戦いを振り返ってみてのお話を聞かせてください。よろしくお願いします。 田知本:リオオリンピックでは念願の夢を達成することができて、とても幸せな気持ちと、あとまたすごく大切なことも学べた大会になりました。 大野:自分自身、ピーキングとコンディショニング、この2つを大事にしてやってきて、今年の目標にしてきた圧倒的な差をつけるということが、しっかり畳の上で 体現できたんんじゃないかなというふうに思ってます。 ベイカー:小さいころからの夢が実現できて、本当に良かったと思ってます。 原沢:目標の金メダルには届かなかったですけども、現時点で出し切れるものは出し切ったんじゃないかなと思っています。 山部:金メダルを目指してやってきたので、悔しい気持ちはあるんですけど、4年間やってきた結果だと思うので、素直に受け止めたいと思います。 松本:リオでは地球の、日本の反対側なんですけど、多くの日本人の方が応援に来ていただいてたので、とても、すごい励みになって力を出すことができました。 本当にありがとうございました。
146 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:34:49.06 ID:3WG7fD1d.net 中村:目標にしていた金メダルには届かなかったんですが、今までのたくさんの経験をリオで出して、銅メダルを取れたのは良かったと思います。 近藤:金メダルを目標にやってきたので、もう一言、悔しいという気持ちで、もう次に向けて頑張っていきたいと思います。 高藤:僕も金メダルを目指してずっとやってきたので、今回、夢をかなえれずに終わってしまって本当に悔しいですけど、本当に応援していただき感謝の気持ちでいっぱいです。 海老沼:オリンピックでは本当に悔しい大会になりました。ですが、このチームで戦えて、最高の舞台で、オリンピックという最高の舞台で戦えて、それを誇りに思ってます。 永瀬:自分も金メダル目指してやってきたんですけど、これが自分の今の実力だと認めて、次に生かせるように頑張っていきたいと思います。 羽賀:悔しい思いが強いです。4年間、突っ走ってきたので、少しほっとしています。 TBS:はい、ありがとうございます。では引き続きもう1問、質問させていただきます。今お答えにあったとおり、悔しいであったり次、頑張りたいであったり、 夢をかなえたといういろいろな言葉がありました。4年後には自国開催である東京オリンピックが待っています。こう試合を終えたばかりでまたその話を 聞かれるのは少しつらいかもしれませんが、4年後の東京オリンピックをどう考えているか聞かせてください。よろしくお願いします。 田知本:本当にもう試合が終わったばかりで、東京のことを本当に正直、全然何も考えられないんですけれども、本当に東京開催ということで、東京に出れる 選手は本当に幸せだろうなっていうのは思うので、はい、頑張ってほしいです、はい。 TBS:田知本選手も出場を目指しているということで大丈夫ですか。 大野:4年後、日本で、東京でオリンピックが開催されるので、目指さないわけにはいかないなと思いつつも、まずは少ししっかり休んで、自分と、自分との 気持ちにしっかり整理して、小さな目標から頑張っていきたいと思います。 ベイカー:連覇を目指したいと思ってます。 原沢:以前から東京オリンピックまではやると決めていたので、東京までは頑張りたいなと思います。 山部:しっかり今回の結果を受け止めて、もう1回、4年間頑張れると思ったときに一歩踏み出しいと思います。 松本:そうですね、東京は、まあ、うん、今回の選手村よりもとてもいいと思うので、いい大会になりそうです(笑)。 中村:試合が終わったばかりなので、まだあんまり考えてないですけど、やっぱり東京を目指すとなると覚悟がいると思うので、それをしっかり考えて やっていきたいと思います。 近藤:私はまだ21なので、東京オリンピックはもちろん目指そうと思ってます。でもまずは来年の世界選手権で優勝できるようにしっかり頑張っていきたいと思います。 高藤:そうですね、今回、銅メダルっていう結果を受けて、東京では金メダルを取れるように、銅メダルと金メダルの差っていうのを、この4年間感じながら、 また今日から練習、あ、今日からじゃなくて、練習頑張っていきます。 海老沼:東京オリンピックも視野に入れつつ、心も体も少しずつ前を向いて、日々精進をしていきたいというふうに思ってます。 永瀬:今回のオリンピックで得た経験を必ず生かして、東京オリンピックで自分の満足のいく結果が出せるように頑張っていきたいと思います。 羽賀:今はちょっと少し休んで、東京オリンピックに向けてもう1回、腹をくくって頑張っていきたいと思います。 TBS:はい、ありがとうございます。では代表、以上になります。各局さま質問ありましたらよろしくお願いします。じゃあどうぞ、お願いします。 リオ五輪・柔道日本選手団が帰国会見(全文1)全員一丸となり頑張った結果 https://thepage.jp/detail/20160815-00000013-wordleaf
147 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:36:52.75 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロ五輪柔道男子の井上康生、女子の南條充寿両監督は15日、成田空港での帰国会見で改めて感謝の気持ちを示した。 全試合終了後に男泣きした井上監督は、その思いを聞かれ「最高のメンバーとやれたことの幸せ。ロンドン五輪で金メダルゼロという結果からスタートし、 その後もいろんなこと(不祥事)が起こり、変わらず心から応援してくれた方への感謝の涙だったと思う」と述懐した。 男子は全7階級でメダルを獲得し、復活への道筋をつけた。「日本柔道ここにありというのを選手たちが示してくれた。新たなスタートに立った」と4年後の 東京五輪を見据えた。 3年前の暴力指導問題発覚後に就任した南條監督も安堵の表情が浮かべ「日本代表として、死力を尽くして闘ってくれたことを本当に誇りに思う」と 選手をねぎらった。 男泣きの井上監督「心から応援してくれた方への感謝の涙」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160815/rio16081517520101-n1.html 男女合わせて12個のメダルを獲得した柔道日本代表が15日、成田空港着の航空機で凱旋帰国した。 6階級すべてでメダルを獲得した男子の井上康生監督(38)は「最高のメンバー。これ以上の言葉はありません」と選手に感謝した。 ロンドン五輪で男子の金メダルゼロから立て直しに成功。その要因を「選手にやるんだという自立心が芽生え、考えて畳に上がった」と振り返った。 また選手の畳の外での成長も振り返り、「試合後もウォーミングアップの会場を掃除していた」「負けた後も、次の選手を応援していた」などと具体例を挙げた。 今回の功績で、4年後の東京五輪までの続投も期待されるが、「こればかりは分かりません。4年間で出し切った部分がありますが、柔道界に少しでも 貢献できるようにしたい」と話した。 空港にはテレビカメラ10台以上、報道陣80人、ファン約400人が集まった。 井上康生監督が帰国「最高のメンバー」選手に感謝 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1695424.html リオ五輪で過去最多の12個のメダルを獲得した柔道日本代表が15日、成田空港に帰国した。ファンら約200人が詰めかけ、手作りの応援グッズや 「メダルおめでとう」という横断幕を掲げて出迎えた。 選手たちは空港内で記者会見。男子90キロ級で日本初の金メダルに輝いたベイカー茉秋選手(21)は「小さい頃からの夢が実現できて良かった。 (東京五輪でも)連覇を目指したい」と話した。 男子73キロ級金メダルの大野将平選手(24)は「目標にしてきた『圧倒的な差をつける』ということが畳の上で体現できた」。女子70キロ級の金メダルの 田知本遥選手(26)は「念願の夢を達成できてとても幸せ。地元の保育園の子供たちに金メダルを見せてあげたい」と喜びをかみしめた。 全試合終了後に涙を流した井上康生・男子柔道監督(38)は「ロンドン五輪で金メダルゼロという結果からスタートし、その後もいろんなことが起こったが、 変わらず心から応援してくれた方への感謝の涙だった」と振り返り、男子全階級メダルの結果には「一生の宝になった」と感慨深げに話した。 井上監督「感謝の涙」 柔道代表が帰国 http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15HCE_V10C16A8CC1000/
148 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 00:38:16.18 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロオリンピックで過去最多となる男女合わせて12個のメダルを獲得した、柔道の日本代表の選手たちが、15日に帰国しました。 リオデジャネイロオリンピック柔道の日本代表は、男子が7階級で行われるようになったソウル大会以降初めてすべての階級でメダルを獲得するなど、 男女合わせて過去最多となる12個のメダルを獲得しました。 選手たちは15日午後1時すぎに成田空港の到着ロビーに姿を見せ、所属先の同僚や一般のファンから大きな拍手で迎えられました。 そのあと開かれた会見で、5試合のうち4試合で一本勝ちを決めた男子73キロ級金メダルの大野将平選手は「ことしの目標としていた圧倒的な差をつける ということが、畳の上でできたと思う。4年後には東京でオリンピックが開催されるので、目指さないわけにはいかない」と話していました。 男子90キロ級で、この階級日本勢で初めてとなる金メダルを獲得したベイカー茉秋選手は「小さいころからの夢であったオリンピックでの金メダルが実現 できて本当によかった。次は東京を目指したい」と話し、早くも4年後を見据えていました。 また、女子70キロ級金メダリストの田知本遥選手は「念願だった金メダルという夢を達成できて、とても幸せな気持ちです」と話しました。田知本選手は 26歳になったばかりですが、4年後の東京大会について聞かれると「終わったばかりで、東京大会のことはまだ考えられないが、東京で開催される オリンピックに出られる選手は幸せだと思う」と話していました。 ロンドン大会で金メダルゼロに終わった男子の再建を託された井上康生監督は、柔道の全階級が終了したあとのインタビューでの涙の意味を問われると、 「最高のメンバーとオリンピックを戦えたことへの幸せの涙であり、ロンドンで金メダルゼロに終わっても変わらず心から応援してくれた方への感謝の涙だった」 と振り返りました。そのうえで、4年後の東京大会に向けては「日本柔道界が1つにまとまっていくことが東京の成功につながると思う。もう一度みんなで 気を引き締め直して、新たな挑戦に向けて頑張りたい」と話していました。 復活の柔道日本代表が帰国 過去最多のメダル獲得 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160815/k10010636781000.html リオデジャネイロ五輪で、史上最多となる計12個のメダルを獲得した柔道の日本代表が15日、成田空港着の日本航空便で帰国した。到着ロビーでは 報道陣と選手の所属先関係者のほか、一般のファンや帰国に気付いた利用客ら、500人あまりが出口を取り囲み、選手たちが姿を現すと盛んな拍手 【男子】 高藤直寿(銅=60キロ級) 「(4年後の)東京五輪では金メダルを取れるように、銅と金との差を4年間感じながらやっていきたい」 海老沼匡(銅=66キロ級) 「悔しい大会になった。東京五輪を視野に入れつつ、心と体も少しずつ前を向いて日々精進したい」 大野将平(金=73キロ級) 「4年後、東京で開催されるので目指さないわけにはいかない。気持ちをしっかり整理して小さな目標から頑張っていきたい」 永瀬貴規(銅=81キロ級) 「金メダルを目標にやってきたけど、これが今の自分の実力と認めて次に生かせられるよう頑張っていきたい」 ベイカー茉秋(金=90キロ級) 「(井上康生監督には)最強かつ最高の選手を目指せという指導を受けて成長させていただいた。感謝の気持ちでいっぱい」 羽賀龍之介(銅=100キロ級) 「悔しい思いが強い。東京五輪に向け腹をくくってやっていきたい」 原沢久喜(銀=100キロ超級) 「目標の金メダルには届かなかったけど、(力は)出し切ったかなとは思う」 【女子】 近藤亜美(銅=48キロ級) 「金メダルを目標にやってきたので悔しいという気持ち。まず来年の世界選手権で優勝したい」 中村美里(銅=52キロ級) 「金メダルには届かなかったが、今までのたくさんの経験をリオで出して銅メダルを取れたのは良かった」 松本薫(銅=57キロ級) 「2連覇できるのは本物、化け物だと思う。私はまだ本物ではなかった」 田知本遥(金=70キロ級) 「本当にたくさんの人に支えられて、いい指導者に巡り合えて幸せな環境でやれた」 山部佳苗(銅=78キロ超級) 「金メダルを目指してやってきて悔しい気持ちはある。しっかり今回の結果を受け止めて、もう一回、4年間頑張れると思った時に一歩を踏み出したい」 【柔道メダリストコメント集】銅メダルの松本薫「2連覇できるのは本物、化け物。私はまだ本物ではなかった」 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160815/rio16081517280100-n1.html
149 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 01:54:10.95 ID:3WG7fD1d.net 井上康生は栄華を極めた柔道家であり、彼ほど指導者に適した人格者はいないと思う。 井上の柔道を初めて見たのは、彼が宮崎県の小学校に通っていた5年生の時だった。すでに内股が代名詞となっており、「山下(泰裕)二世」と呼ばれていた。 100kg超級で原沢久喜が銀メダルに輝き、男子は全階級でメダルを獲得した 2000年シドニー五輪決勝での内股は、柔道の五輪史における最も美しい「 一本」だと言っても過言ではない。しかし、連覇が確実視されていた04アテネ五輪では無残に散った。前日に眠ることができず、やつれた状態で畳に 上がった結果、準々決勝で敗れ、敗者復活戦でも背中を畳につけた。見ていて信じられない光景だったが、誰より本人が現実とは思えなかっただろう。 五輪における栄光も、挫折も味わった。 その男が監督となり、日本男子柔道はリオ五輪の舞台で金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル4個という、全7階級でメダルを獲得した。全階級メダル 獲得は4階級の開催だった東京五輪以来、52年ぶりのこと。4年前のロンドンで金メダルがゼロに終わり、柔道母国の威信が失墜したことを考えれば、 井上はわずか4年で再建に成功したわけだ。 「名選手、名監督にあらず」は、井上には当てはまらない。彼の指導者としての資質を実感したのは、男子のコーチとして参加していたロンドン五輪だった。 柔道初日、女子48kg級に出場した福見友子は、準決勝で敗れ、3位決定戦に回った。そのわずかな時間の間に、井上は福見のもとを訪れ、失意の彼女に 向かって「オレは(アテネ五輪の)悔いが残っている。お前にはそういう悔いを残して欲しくない」(福見談)と伝えたという。 残念ながら福見は、銅メダル獲得はならなかったが、担当でもない女子の選手にわざわざこういう声をかけられる人間こそ、チームを束ねる監督に ふさわしい人物像だろう。 同日、当時の男子監督である篠原信一と、強化委員長だった吉村和郎は、銀メダルを獲得した男子60kg級の平岡拓晃が表彰台に立つ姿を見ることなく 宿舎に戻り、翌日になってようやく労(ねぎら)いの言葉をかけただけだった。 とりわけシドニー五輪で”誤審”によって銀メダルに終わった篠原は、日本の柔道家が金メダルを逃す悔しさを誰より知っている柔道家であるはずだ。 だからこそ、夢破れた選手には、誰より先に労いの言葉をかけ、未来に向けて背中を押す一言をかけてやるべきではなかったか。どこの世界に、メダル を獲得した選手に健闘を讃える言葉すら投げかけない指導者がいるだろうか。 こういう首脳陣の体質が、金メダルゼロの大惨敗を招いたと思わざるをえなかった。敗者の気持ちに立てる人間こそ良き指導者であり、それにふさわしい人物が井上だった。 ロンドン五輪が開催された4年前は、強化合宿が頻繁に行なわれていたが、ひたすら「量」をこなす稽古にオーバーワークに陥(おちい)る選手が後を絶たず、 選手の不満は鬱積していた。さらに数人のコーチがチーム全体を指導するような指導体制に「これで本当に五輪を戦えるのか」という疑念が選手の間に 渦巻いていた。 もっと目的別の合宿を行なった方がいいのではないか。担当コーチ制にして、コーチと選手が密な関係を築き、外国人選手対策を練るべきではないか。 井上は「担当コーチ制」の再導入を首脳陣に訴えたが、却下された。当時の首脳陣と選手の板挟みに井上はあっていたのだ。 井上が監督になり、女子監督の南條充寿とともにまず取り組んだのが、強化合宿の改革と担当コーチ制の復活だった。合宿ごとに「技術合宿」 「基礎体力向上のための合宿」「追い込み合宿」などとテーマを決め、また軽量級や重量級が分かれて合宿を行なうこともあった。 担当コーチ制によって、コーチが選手の所属先に顔を出し、指導する。そうすることで選手の所属先とも良好な関係が築け、連携した動きが生まれてくる。 またオーバーワークを避けるために、世界選手権に出場した選手には、講道館杯の欠場を許可した。前体制では、出場を義務づけて、ケガを抱えたまま 出場してさらに悪化させるような不運な選手もいた。
150 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 01:54:26.06 ID:3WG7fD1d.net リオでは大会初日、男子60kg級の高藤直寿と女子48kg級の近藤亜美が悔しい銅メダルに終わった。試合後、井上は「高藤は私に『金メダルを第1号として プレゼントする』と言ってくれていました。色は違えども、第1号のメダルを僕自身にプレゼントしてくれたことに対して、誇りに思っております」と労い、 南條監督は「切り込み隊長として最低限の戦いはしてくれました」と讃えた。 その言葉を聞いた時、日本の柔道が大きく変わったことを改めて確信した。そして大会を通じて、監督への感謝の言葉を口にする選手が相次いだ。 監督を男に── そんな心意気が伝わってきていた。 終わってみれば男女あわせてメダルの総数は12個(金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル8個)。全競技終了後、大会を総括するコメントで、 井上は言葉に詰まり、涙ながらにこう4年間を振り返った。 「選手を信じること、それだけでした」 かくして、日本柔道は復活を遂げた。 男子柔道、全階級でメダル。 井上康生が見せた指導者としての才覚 web Sportiva https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/othersports/fight/2016/08/15/___split/index.php リオデジャネイロオリンピックから、柔道日本代表チームが帰国した。 15日午後1時ごろ、柔道日本代表の凱旋(がいせん)に、多くのファンが祝福した。 会見で、男子日本代表・井上康生監督(38)は、「選手たちには、もう本当に『ご苦労さん』という言葉しかありませんでした。わたしからはもう、その言葉以外は 見つからないというのが、正直でありました」と語った。 そして、お家芸復活を担った男たちの言葉には、監督への感謝があふれていた。 男子90kg級 金メダル・ベイカー茉秋選手(21)は「本当に『最強かつ最高の選手』を目指してっていう指導をされて、本当に自分自身、成長できたと思っている ので、本当に4年間ありがとうございましたと、感謝の気持ちでいっぱいです」と話した。 男子66kg級 銅メダル・海老沼 匡選手(26)は「井上監督のもとで、柔道ができたことっていうのが、本当にうれしくて、それだけで、僕は光栄に思っています」と 話した。 男子100kg超級 銀メダル・原沢久喜選手(24)は「再建を託されて、その役が担えたかどうかはわからないですけども、本当に自分を信じてもらえて、感謝の 気持ちでいっぱいです」と話した。 男子60kg級 銅メダル・高藤直寿選手(23)は「本当に自分自身、頑張れたのは、監督がいたから、監督のためにっていう思いが、すごく強かったので、 とても感謝していますし、金メダルっていうものはとれなかったですけど、本当の恩返しは、金メダルをとってからなので、またここから4年間、頑張りたいと 思います」と話した。 男子100kg級 銅メダル・羽賀 龍之介選手(25)は「自分は今回、途中で負けて、3位決定戦の方に回ったんですけど、井上監督の言葉がなかったら、その前に 気持ちを切り替えることができなかったと思うので、今度はもっと大きな夢を達成して、井上監督に恩返ししたいと思いました」と話した。 男子81kg級 銅メダル・永瀬貴規選手(22)は「最後は、金メダルをとれなかったんですけど、この悔しさをばねに、次に生かして、また井上監督についていきたい と思います」と話した。 男子73kg級 金メダル・大野将平選手(24)は「監督がよく言われる『最強かつ最高の選手』に、本当に少しは近づけたんじゃないかなと思います。本当に感謝の 気持ちでいっぱいです」と話した。 そして、井上監督は、「終わったあとの涙というものに関しては、やはり、この最高のメンバーとやれたことの幸せというところの涙だったんではないかなという ふうに思いますし、また本当に柔道は、2012年のロンドンオリンピックの時には、金メダルゼロという結果の中からスタートして、そのあとにもいろんなことが起き、 その中でも変わらず、心から応援してくれた方たちに対しての、感謝の涙だったんではないかなとは思います」、「また4年後の、ビッグイベントが待っている、 この東京オリンピックへ向けて、また一丸となって頑張っていかなければいけないなというふうに思っています」などと話した。 史上初の全階級メダル獲得という誇りを胸に、日本柔道は、4年後の東京に向け、走りだす。 リオ五輪 柔道代表チームが帰国 井上監督への感謝の言葉相次ぐ. http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00333398.html
151 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 02:13:10.49 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロ五輪の柔道日本代表チームが15日、成田空港着の航空機で帰国。到着ロビーでは報道陣80人を含む約400人が出迎えた。 その後の会見で、日本女子唯一の金メダルを獲得した女子70キロ級の田知本遥(ALSOK)は、「念願の夢が達成できて幸せです。それと 同時に大切なことを学びました」と、同78キロ超級での五輪出場がかなわなかった姉・愛が現地で親身になって支えてくれたことへの思いなど を表した。そして、「今日はこれから姉と一緒にスパに行きます。その後は和食を食べたい」と目元を緩ませた。 富山県射水市出身の田知本は、「地元に戻ったら、保育園の子供たちと触れあい、金メダルを見せてあげたい。子供たちにはいつもエネルギー をもらっている立場なので、(金メダルで)子供たちが頑張れるきっかけになれば」と話した。 また、4年後の東京五輪については、「東京開催に出られる選手は幸せですね、ハイ」とひとごとのようなコメントで報道陣の笑いを誘った。 田知本遥、姉と「これからスパに」 現地での支えに改めて感謝 http://www.daily.co.jp/olympic/2016/08/15/0009391807.shtml 県出身選手で初めて、個人種目で金メダルを獲得した柔道の田知本遥選手が15日、帰国しました。 会見で田知本選手は、地元・富山への思いを語りました。 柔道の日本代表選手団は、15日午後、成田空港に到着しました。 射水市出身の田知本遥選手は、出迎えた大勢のファンや関係者の声援に笑顔で応えていました。 田知本選手は、日本時間の10日から試合が行われた柔道女子70キロ級で見事、金メダルを獲得。 自身2度目のオリンピックで、リベンジを果たしました。 「念願の夢を達成することができて、とても幸せな気持ちと、すごく大切なことも学べた大会になりました」(射水市出身・田知本遥選手) 帰国後の会見で、オリンピックをこう振り返った田知本選手。 地元、富山について聞かれると― 「地元の保育園には個人的にすごい関わりがあるので、まずはそこに行って子どもたちと触れ合って、金メダルを見せたいなっていう思いです」(田知本選手) 田知本選手が口にしたのは、幼いころ通った射水市の小杉東部保育園。 4年前のロンドンオリンピックのころから、この保育園をたびたび訪れ、子どもたちと交流を重ねてきました。 「子どもたちには、私がいつも何かを与えるというよりは、私がいつもエネルギーをもらっている立場なので…その恩返しというか、金メダルを見せて、 子どもたちが何か自分の目標に一生懸命頑張るきっかけになってくれたらなと思います。本当に熱い応援を富山からもしていただいたと聞いているので、 富山県民の皆さんには本当に感謝しています」(田知本選手) そして、4年後の東京オリンピックについては、次のように話しました。 「試合が終わったばっかりで、東京のことは正直、全然何も考えられないんですけど、東京に出られる選手は本当に幸せだろうなとは思うので… はい、頑張って?頑張ってほしいです…?」(照れながら座る田知本選手) Q田知本選手も(東京五輪への)出場を目指しているということで大丈夫ですか? リオ五輪 県勢個人初金メダル 田知本帰国 http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20160815193032
152 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 02:19:09.18 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロ五輪で男女合わせて12個のメダルを獲得した日本柔道。特に男子は全7階級でメダルを獲得し、7階級制になった1988年 ソウル五輪以降で初の快挙を成し遂げた。その柔道会場ではメダリストの家族が会場内のスタンドまで呼ばれ、選手と喜びを分かち合えるようになっていた。 しかしときには悔しさのあまり、家族がスタンド入りを断ることも。そこにはオリンピックの舞台に立つまでの努力、苦しみ…いろいろなことを乗り越えてきた 歴史が凝縮された“ファミリー・ストーリー”が垣間見えた。 女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥は表彰式の壇上から降り、スタンドへサイン入り帯を投げ入れるなど一通りの役目を終え、姉の愛さんが 待っている姿を見たときほっとした表情に変わった。2人は抱き合って喜びを分かち合うと、田知本は姉に金メダルを見せた後、それを外し、姉にかけた。 そして周囲にいた係員に写真を撮ってもらっていた。愛さんはその後に受けた取材で、「とてもうれしかった」と撮った2ショット写真を笑顔で見せたという。 それとは反対に悔しさのあまり、家族も近寄らなかったのが男子90キロ級でベイカー茉秋に決勝戦で敗れたジョージアのバルラム・リパルテリアニ。 表彰式前、係員がリパルテリアニの家族に「スタンドにぜひ」と呼んだ。しかし家族のひとりが固辞。「銀メダルだったのに(スタンドに)降りるだなんて。 (なぜ降りてこないのかは)バルラム本人も分かっていると思う」とリパルテリアニの悔しい気持ちを察するように理由を話した。それでも「ほかの選手の 家族もいるのよ」「誰も一緒に喜ぶ人がいないなんて」などと呼びかけ続ける女性係員に負け、彼を含む家族5人はスタンドへ移動した。 リパルテリアニは表彰式中も悔しさを露わに顔はうつむいたまま、家族やコーチと会うスペースでも落胆は大きかった。コーチが銀メダルを たたえて抱き合おうとするも、手で押しのけ拒否。もう、誰も近寄ってほしくないし、ほっておいてほしいというような様子だった。 そしてそれを静かに見守っていたのが家族だった。ただただ黙ってその様子を思いやるように見つめ続け、リパルテリアニの感情が収まるのを見届けると、 一言も声もかけずに再び席に戻った。 ほかにもドーピング問題で揺れたロシアのベスラン・ムドラノフが男子60キロ級で金メダルを取った際は、家族も関係者も大騒ぎ。スタンドでも写真を 撮りまくり、今大会初となったロシアの金を喜んでいた。 4年に一度の大舞台。選手とともに家族も金メダルを目標に一緒に戦っていたということが垣間見える場だった。 【堀川亮子のリオ小話】銀でスタンド入り固辞した家族…柔道メダリスト表彰式後のファミリー・ストーリー http://www.sankei.com/rio2016/news/160815/rio1608150096-n1.html リオデジャネイロ五輪の田知本遥選手の金メダル獲得から一夜明けた12日、出身地の射水市では、懸垂幕が設置されるなど祝賀ムードに包まれた。 射水市黒河の県民公園太閤山ランドでは午後2時半頃、入り口に「金メダルおめでとう 田知本遥選手」と記された縦約4メートルの懸垂幕が用意された。 プール広場にも快挙を祝う横断幕が設置されており、親子で訪れた魚津市本江、会社員楞谷貴志さん(41)は「県民として誇らしい。息子も柔道をやっている。 今回をきっかけにもっと人気が広がればいい」と話していた。懸垂幕は射水市役所小杉庁舎にも掲げられている。 田知本選手が小学生時代に技を磨いた「小杉少年柔道クラブ」のメンバーは12日夜、田知本選手の母校・小杉高校で練習。秋山海龍主将(10)は 「先輩の大外刈りのように僕も得意技を作りたい」と、いつも以上に熱心に練習していた。 「おめでとう田知本選手」出身地・射水に懸垂幕 http://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/news/20160812-OYTNT50293.html
153 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 02:32:38.72 ID:3WG7fD1d.net 妹が姉の首に金メダルをかけ、2人は抱き合って涙した。リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級で10日、田知本遥(たちもとはるか)(26)= ALSOK=が今大会の日本女子勢初となる金メダルを獲得した。同じ柔道選手として子どもの頃から競い、支え合ってきた姉愛(めぐみ)さん(27)は 「4年前と比べ技術も精神面も大きく成長した。ぎりぎりの試合をものにした妹を尊敬したい」と話した。 愛さんは78キロ超級の日本を代表する選手で昨年の世界選手権2位。姉妹そろってリオ五輪出場を目指したが、愛さんは今年4月の全日本 女子柔道選手権で山部佳苗(25)=ミキハウス=に敗れた。 富山県射水市出身の2人は小学生の頃から地元の柔道クラブに通った。学年が二つ上の愛さんを追うように、遥は中学、高校、大学、所属企業と 同じ道を歩いてきた。高校の団体戦では同じチームのメンバーとして戦い、インターハイで優勝したこともある。姉妹で同じ国際大会に出場し、 それぞれの階級で優勝したこともある。 階級は違えども、日本のトップレベルで戦い続ける故かもしれない。「試合前は2人ともピリピリするから、よくけんかになる。遠征先のホテルは絶対別々」と 愛さんは言う。どちらかが窮地に陥った時は、互いをそっと支えてきた。 遥は2012年ロンドン五輪に出場したが試合中のけがもあって7位だった。翌年の世界選手権代表に選ばれたが、今度はまさかの初戦敗退。国際大会で 勝てない中、昨年2月にはドイツでの国際大会で、ドーピング規定に違反する物質が含まれた市販の風邪薬を服用するミスを犯した。 試合に出られないまま帰国させられ、全日本柔道連盟から警告を受けた。愛さんはこの時期、「やることをやりなさい」と語気を強め叱ったという。 姉妹2人で目指したリオの畳。しかし、遥は切符を手にしたが、愛さんは逃した。妹は五輪の準備をしながら、悲嘆にくれる姉の話に耳を傾け続けた。 愛さんはリオ五輪開幕の1カ月ほど前、日めくりカレンダーを遥に手渡した。めくるごとに自分や友人が書き込んだ応援メッセージが現れる。愛さんは こう書いた。「一番近くでみていて、あなたは成長した。大丈夫」 リオの畳に立った遥は接戦を勝ち上がった。愛さんはスタンドから大きな声援を送り続けた。決勝で遥はアルベアル(コロンビア)の背負い投げを返して 有効を奪うと、そのまま横四方固めで抑え込み一本勝ちした。 「ロンドンの時も妹の応援に行ったが、自分のことで頭がいっぱいだった。今回は妹のためにやれることをやろうと思った」と愛さん。「最後まで諦めな 姿に感動した。この4年で私も成長できたのかも」と話した。 悔しさ力に変えた 地元富山で恩師ら 田知本遥の地元、富山県射水市ではパブリックビューイングがあり、11日早朝に金メダルが決まると約200人が歓声を上げた。県立小杉高柔道部時代 の監督、二瀬寛之さん(51)は、低迷していた時期を振り返り、「負けて悔しいと思う選手はいるが、たいていは忘れてしまう。悔しさを忘れずに力に 変えたことが金メダルにつながった」とたたえた。 小中高を通じて同じ柔道部に属し、毎日のように乱取りをしたという会社員、出口賢斗さん(25)は「あんなにストイックな人は見たことがない」と話す。 小中学校時代は田知本に勝てなかったという。「たまに乱取りで投げると、3倍くらいやり返された」と笑った。 田知本の伯父、高畑務さん(59)は「堂々としていて、絶対に金メダルを取るという気持ちで試合に臨んでいた。身内から金メダリストが出て誇りに思う」と スクリーンに映った雄姿に涙を流した。 RIO・リオ五輪:姉の愛、応えた妹 柔道・田知本、同じ道で励まし合い http://mainichi.jp/articles/20160812/ddn/041/050/011000c
154 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 02:33:06.64 ID:3WG7fD1d.net リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級で、射水市出身の田知本遥選手(26)(ALSOK)が悲願の金メダルを獲得した11日早朝、 県内でもかつての恩師や級友たちから祝福の声が相次いだ。県内関係選手の夏季五輪のメダルは1964年の東京五輪以来、52年ぶり。 個人種目の金メダルは県勢初の歴史的快挙となった。 射水市のアイザック小杉文化ホールで行われたパブリックビューイングでは、11日未明も、前日夜から引き続き、地元住民ら約200人が熱い声援を送った。 午前4時55分過ぎから始まった決勝の中継で、田知本選手がジュリ・アルベアル選手(コロンビア)を抑え込んで優勝を決めると、一斉に歓声が上がり、 涙を流して喜ぶ人もいた。 田知本選手のいとこ、大学3年生の高畑優梨さん(21)(東京都八王子市)も応援に駆けつけた。表彰式の後、田知本選手が姉の愛さんに金メダルをかける 様子が映し出されると、「小さい頃はけんかばかりしていた2人だったのに」と、涙が止まらなかった。 小学校から高校まで一緒に柔道をした元同級生の出口賢斗さん(25)(射水市戸破)。全国高校総体に出場した実力者も、小中時代は田知本選手に 投げられてばかりだった。「力が強くて、男子でも全然勝てなかった。五輪で活躍すると思っていた」と振り返った。 会場には、田知本選手の愛称「たはる」と書かれた応援ボードが並んだ。同級生に同じ名前の「はるか」が多かったため、名字の最初の「た」を つけて区別したという。保育園から一緒だった会社員の土田遥香さん(25)(射水市戸破)も同じ名前。旧友の快挙に、「何か大きなものを背負っているような 顔つきだった。後悔のない柔道をしてくれたと思う」と思いやった。 県柔道連盟の橘川謙三会長(74)は「富山の誇り。祝賀会やパレードなども検討したい」と話していた。 恩師ら祝福「すごいことやった」 田知本選手の恩師たちも偉業をたたえた。 小杉高柔道部時代に女子監督だった二瀬寛之さん(51)は「すごいことをやってくれた。とにかく稽古をする選手だった。この4年間つらいこともあっただろうが、 よく頑張ってくれた」とたたえた。 小杉中柔道部の朽木淳司監督(54)は「姉の愛にどんなに投げられても、立ち向かっていた」と、田知本選手の中学時代を振り返る。大外刈りなどの立ち技は、 柔道をしていた父の又広さん譲りで、寝技も本格的に指導したという。「強い気持ちではい上がってくれた」とねぎらった。 小学時代に「小杉少年柔道クラブ」で指導した代表の保田辰幸さん(45)は「瞬発力や技に入るタイミングは天性のものがあった」と懐かしんだ。 田知本「金」県内沸く…リオ五輪 http://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/news/20160811-OYTNT50292.html 田知本遥選手の金メダル獲得までの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。 初出場だった前回の大会で敗北してからの4年間。 それは、競技生活のどん底に落とされ、這い上がってきた壮絶な4年間でした。 4年前のロンドン大会。 準々決勝で左肘を負傷し判定負けを喫した田知本は、敗者復活戦でも敗れ、メダルに届きませんでした。 Qもう一度帰ってこなければいけない舞台ですね?「今は情けなすぎて何も考えられないです」(田知本選手) あの日以来、遠ざかった国際大会での優勝。 精彩を欠き、一時は引退も考えました。 さらに、追い討ちをかける出来事が・・・ 去年2月。 国際大会前に、ドーピング違反の恐れがある市販の風邪薬を飲んでしまい、大会を欠場。 その後、全柔連から警告の処分が出されました。 1か月半後、田知本はー。 「皆さんに迷惑をかけてしまったので、まだまだ諦めないところを示していくしかない」(田知本選手) まさに『競技人生のどん底』というべきつらく苦しい日々・・・。 しかし、折れそうになる心を何度も奮い立たせてきた4年が、田知本を強くしました。 「そのときは本当に悲しくて苦しくてという場面が多いんですけど、今思えばそれがあったからこうなれたという部分が多い」 「本当に成長できた4年間でした」(田知本選手)
155 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 02:33:55.03 ID:3WG7fD1d.net 今大会。 そんな田知本の姿を客席で見守ったのが、78キロ超級で代表入りを逃した姉の愛選手です。 田知本が柔道を始めたのは、小学2年生のとき。 以来、2つ歳上の姉・愛選手の背中をずっと追いかけてきました。 小杉高校では、1年でインターハイ団体戦に出場し、姉とともに全国優勝。 その後、大学に行っても、社会人になっても、必ず前には姉がいました・・・。 「姉が世界選手権の代表に初めて先になって、私もはやく日本代表になりたいと」(田知本選手) ともに日本代表になり、世界で戦い始めるも、4年前は、姉妹でオリンピックの夢が叶わなかった2人。 今度こそ・・・。 先にリオの切符を掴んだのは田知本でした。 「ロンドンから4年間、今度は一緒に行くっていうのがお互いったので、今度は2人で出て周りの人を気持ちよく喜ばせてあげたい」(田知本選手) 続く愛選手の最終選考会。 ここまで、選考レースのトップを走ってきましたが・・・ 決勝でケガをして敗れ、代表入りならず。 姉妹そろってオリンピック出場の夢は、また、叶いませんでした。 しかし、愛選手はオリンピックに向け、気持ちの張り詰めた日々が続く妹の前で、その悔しさを見せませんでした。 「やっぱり毎日つめて練習してると行き詰ることもあるので、そのときのはけ口というか、話を聞いてもらったり。それが助かっています。私の前では そういうの(悔しいそぶり)は見せないし、凄いなって思うし、頑張らないとって思います」(田知本選手) そして11日、愛選手も見守る中、迎えた決勝戦。 Q田知本遥、人生で最高の日では?「間違いなくそうだと思います」 Qお姉さんも喜んでくれると思いますが?「はい、そうだと思います」 悲願の金メダルを手にした田知本が真っ先に向かったのは、愛選手のもと。 2人では立てなかった舞台。 でも、1人で掴んだ金メダルではありません。 田知本金メダル獲得 快挙の裏に壮絶な4年 http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20160811192244 田知本遥(たちもと・はるか)選手の金メダル獲得の熱狂は、まだまだ冷めません。 その快挙を祝って、県民栄誉賞の贈呈が検討されることになりました。 一夜あけ、田知本選手は、現地で記者会見を行い、今の心境と日本の子どもたちへメッセージを語りました。 11日、リオオリンピックの柔道女子70キロ級で、悲願の金メダルを獲得した射水市出身の田知本遥選手。 一夜明けた12日、現地で記者会見を行い、今の心境を語りました。 「少しずつ実感してきていて、自分の夢を実現できたんだなあと。(ブラジルは)世界選手権で一回戦負けして嫌なイメージだったけど、 今回で最高のイメージになりました」(田知本遥選手) 2度目のオリンピックで4年越しに金メダルの夢をかなえた田知本選手。 日本の子どもたちにメッセージを贈りました。 「夢に向かって成功しても失敗してもそれに向かって打ち込んでほしい」(田知本選手) 一方、田知本選手の快挙に県内では…田知本選手が卒園した、小杉東部保育園。 先輩の活躍に刺激を受けた子どもたちが、朝から大盛り上がりです。 「なんとなんと田知本遥選手が金メダルを獲りました。ばんざーい」「やりたい柔道やりたい」(朝の会の様子) 実は田知本選手は、リオへ出発する前に、この保育園を訪れていました。 子どもたちは、田知本選手が大好きな歌をプレゼントして応援。 4年前から始まったこの交流。 田知本選手の保育園からの幼馴染で、小杉東部保育園に勤める金山楓加(かなやま・ふうか)さんの発案でした。 「いや〜うれしかったですね。感動しました。涙が止まらないという感じで。おめでとうとメールを送ったら、ありがとうって返ってきました」(金山楓加さん)
156 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 02:34:10.38 ID:3WG7fD1d.net 田知本選手は、今月15日に帰国する予定ですが、12日は、さっそく金メダルを持って来てくれる日を心待ちに準備を開始。 子どもたちがクレヨンで一生懸命描いているのは…「田知本遥選手」「きらきらやった」「朝まで見た。眠くなかった。うれしかった」(子どもたち) ダンボールと金の折り紙でつくったメダルをつければ、金メダルをお祝いする『みこし』の完成です。 ロンドンでの悔しい敗北と不振の時期を乗り越えて、約束の金メダルを持ち帰る田知本選手に、子どもたちが贈る歌は…。 みんなで歌と踊りを練習して、田知本選手をお祝いする準備はばっちりです。 「金メダル見せてほしい」「一緒に電車ごっこしたい」(子どもたち) 「楽しみです。また保育園に田はるが来てくれることが。子どもたちもすごく楽しみにしているので、早く会いたいです。おめでとうと伝えたい」(金山さん) 「田知本遥選手金メダルおめでとう!」(子どもたち) 一方、11日未明まで観戦した小杉高校の後輩たちは、12日から大先輩を目指して練習を再開しました。 「嬉しいのと、かっこいいのと、すごいのと、いっぱいです」(小杉高校の後輩) 「メダルを見せてほしいです」(小杉中学の先輩) 興奮冷めやらぬ後輩たちは、12日小杉中学の後輩たちが参加する中学生との合同練習で汗を流しました。 田知本選手は、年に2回ほど母校の小杉中学や小杉高校を訪れて指導するなど、後輩思いの義理堅い選手で、みんなの憧れの存在です。 Q田知本選手の存在は?「偉大です」「この小杉で練習したのは田知本選手も同じ。近づきたい」(小杉中学の後輩) 「柔道の技術だけじゃなくて、礼儀の大切さとか、先生を敬うこととか、人として尊敬する」(小杉高校の後輩) 男子の中で練習していた田知本選手ですが、『勝ち』へのこだわりは誰よりも強かったと中学時代の恩師は振り返ります。 「田知本らしい試合は、気迫ですよね。絶対に負けないという気迫と、執念みたいものを感じました」(小杉中学で指導した朽木淳司教諭) 「攻めて攻めての柔道。金メダル、感動しました」(小杉高校の後輩) 気迫の柔道を見た後輩たちは、今日も、偉大な先輩の背中を追って練習に励んでいます。 田知本選手の地元・射水市の小杉地域では、12日も、あちこちで祝福ムードが続いています。 また、理容店でも、今日の会話はもっぱら… 「嬉しかった。お客さんとも朝からその話で持ちきりです」(理容店の奥さん) 小学生の頃から、二つ年上の姉・愛(めぐみ)さんとともに、姉妹で柔道を始めた田知本選手が、小さいころからなじみのスポーツ用品店でも… 「涙出てきました。小さい頃から見てる子達がオリンピックでメダルを取ったことは非常に嬉しいです。自分の買ったものはお姉ちゃんに 内緒にしてねとお母さんに言ってたりしました。でも、それは嫌いとかじゃなくて、兄弟でもライバル心があったのかなと」(小杉スポーツ・長谷佳子さん) さらに、母校の小杉中学校では、オリンピックでの活躍を願う垂れ幕が、金メダル仕様に変更。 少しでも早く金メダル獲得を伝えたいと、お盆休みに入る前に、垂れ幕の加工を発注したそうです。 金メダルフィーバーの影響は、思わぬところにも…。 「盆前で忙しい時期ですけど、うれしい悲鳴です」(宣広・須藤芳朗社長) こちらでは、12日までに、金メダル獲得を祝う垂れ幕の発注が、一度に6本も! 最優先でやってかないと、お祝いごとですから」(須藤社長) 須藤さんは、田知本選手の中学生時代、柔道部の保護者会の会長を務め、試合の引率などもしていて、今回のメダル獲得には格別な思いがありました。 「自分の思っている気持ちは、やっぱり中学校・小学校のときのままなので」「彼女が金メダルをつかむ間に得たものもあったし、逆に失ったものもあると 思うんです。うちらはうちらなりに、できる範囲で応援していきたいと思います」(須藤社長) 個人種目で県勢初となる金メダルフィーバーは、まだまだ続きそうです。 田知本金メダルフィーバー http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20160812171816
157 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 17:17:18.19 ID:v5kZ9uCM.net リオ五輪の柔道で日本は男女各7階級で金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル8個の計12個を獲得した。これは 2012年ロンドン五輪(金1、銀3、銅3)と比べても大きな前進と言える。だが、4年後の東京五輪を考えれば、 喜んでばかりもいられない。数々の金メダリストを育て上げた名伯楽で、全日本柔道連盟の元強化委員長でもある 吉村和郎氏(65)が今大会を総括。併せて日本柔道への熱いメッセージを送った。 メダルの数だけで見れば、ロンドン五輪を大幅に上回り、世界に日本の柔道を示せたことは間違いない。吉村氏も 「みんな本当によう頑張ったと思う」と一定の評価をする。奮闘した愛弟子・井上康生監督(38)のことも「手探り状態の中、 苦しかったことだろう」と思いやった。 だが、本当の勝負は4年後の東京五輪だ。日本のお家芸の柔道が惨敗したら、元のもくあみ、メンツは丸潰れ。そうならないため にも「今大会の反省は絶対に欠かせない」と吉村氏は声を大にする。 もともと吉村氏の金メダル予想は73キロ級の大野将平(24)と81キロ級の永瀬貴規(22=ともに旭化成)だった(本紙既報)。 大野は順当に獲得。同氏も「万全だった。いろいろな技のバリエーションを出して、外国人を寄せ付けなかった」と絶賛する。 一方で永瀬に関しては「技が出せなかった」と残念そう。「他の国際大会で勝っても、それだけ五輪は簡単ではないということ。 五輪は『絶対に勝つ』という執念を持った方が勝つ」と“気持ちの差”を強調した。 同様に女子52キロ級の中村美里(27=三井住友海上)と63キロ級の田代未来(22=コマツ)も悔やんでも悔やみ切れないという。 中村については「準決勝で指導で敗れた。五輪に3回も出ていて負け方が悪い。相手は(紛争のあった)コソボの選手。 何が何でも勝つという気迫は相手の方が上だった」と見る。田代に関しても「準決勝で命運が分かれた。コソボの選手のように、 指導でも何でもいいから勝たないといけない。決勝に行けば負けても銀メダル。行けなければ良くても銅、負けたらメダルなしよ。 この差は大きい」と指摘した。その点、78キロ超級の山部佳苗(25=ミキハウス)は「いつも指導を取られたらズルズル負けるけど、 気持ちが切れなかった点は成長だろう」と褒めた。 いい意味で期待を裏切られたのが男子90キロ級のベイカー茉秋(21=東海大)と女子70キロ級の田知本遥(26=ALSOK) だという。吉村氏は「2人はよくやった。決して金メダル候補ではなかったというのがポイント。それだけ思い切って技に入って いったのが良かった」と声を弾ませた。 その思い切りが不足していたのが男子100キロ超級の原沢久喜(24=日本中央競馬会)だ。絶対王者のテディ・リネール (27=フランス)に組ませてもらえず、相手のペースに付き合ってしまった。「攻めさせてくれなかったのはわかる。だけど、 とにかくイチかバチか、釣り手を取りにいかなくてはならない。もちろん投げられることもあるだろう。それで負けても 改善点がわかるし、次につながる。だが、指導で負けたら次につながらない」。4年後までに新鋭が台頭してくる可能性も高く、 東京五輪で代表権が回ってくるとは限らない。「『次はない』と覚悟すれば、攻められたはずだ」と吉村氏は言う。それは 金メダルを獲得できなかった選手全員に共通する課題でもある。 最後に吉村氏は、今回のメダルラッシュに危機感をあらわにした。 「絶対に喜んだらいかんぞ。金メダルを目指したから、結果的に銅メダルだっただけだ。『銅メダルでも取れてよかったです』 と満足しとったら、次は銅メダルすら取れなくなる。確かに世間は褒めてくれるだろう。でも、本当の柔道家ならこれで いいわけがない」 勝ってかぶとの緒を締める――。それができたかどうかは、4年後にわかる。 【柔道】「メダル12個獲得」日本柔道 本当に復活なのか http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/581005/
158 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/16(火) 17:24:05.77 ID:v5kZ9uCM.net リオ五輪で、金メダル3個を含む史上最多の男女計12個のメダルを獲得した柔道日本代表が15日に帰国し、 成田空港でメダリストらが記者会見した。 今大会の女子で唯一の金メダルをものにした70キロ級の田知本遥(ALSOK)は、「いろいろな面で大切なことを学べた。 地元の富山で、普段から元気をもらっている保育園の子どもたちに金メダルを触らせてあげたい」と試合場では見せなかった 柔和な表情で語った。女子57キロ級で前回ロンドン大会優勝、今回は銅メダルの松本薫(ベネシード)は「五輪で連覇できるのは 本物、化け物。私はそうなれなかった」と、改めて悔しさを口にした。 男子73キロ級を制した大野将平(旭化成)は「力を出し切る柔道を畳の上で体現できた。少し休んで気持ちを整理してから、 次の目標を決めたい」と話し、同90キロ級金のベイカー茉秋(ましゅう)=東海大=は4年後の東京五輪に向けて「連覇を目指す」 と明言した。 男子が7階級制になった1988年ソウル大会以降で初の、全階級メダル獲得に導いた井上康生監督は「あくまでここからが スタートで、もっとやれたという悔しさもある。ただ、選手たちは柔道も、競技以外も最強かつ最高レベルに近づいたと思う」と 総括した。 RIO・リオ五輪:柔道 日本代表が帰国 男女12個、史上最多メダル「ここからがスタート」 http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160816/ddm/035/050/073000c 国際オリンピック委員会(IOC)は15日、リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級の1回戦で、イスラエル選手との握手 を拒否したエジプトのイスラム・エルシェハビ選手に対し、五輪のフェアプレーと友好精神に反するとして厳重注意処分を科した。 同選手は本国に送還されたと明らかにした。 エルシェハビ選手は12日の試合で敗れた後、相手の握手の求めに応じず、観客からブーイングを浴びた。エジプトは イスラエルと国交がある数少ないアラブの国の一つだが、パレスチナ問題などを理由に反感を持つ国民は多い。 IOCはエジプト・オリンピック委員会に対しても選手への適切な教育を要請した。 【五輪柔道】握手拒否のエジプト選手に厳重注意処分 IOC「フェアプレーと友好精神に反する」 すでに本国送還 http://www.sankei.com/rio2016/news/160816/rio1608160050-n1.html
159 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/17(水) 05:40:08.87 ID:R+RfEOvn.net リオデジャネイロオリンピックで、男子柔道2大会ぶりとなる金メダルを獲得した、男子73kg級・大野将平選手(24)。表彰式の直後、 オリンピアンキャスターの野村忠宏さんが、後輩でもある大野選手にインタビューを行いました。 野村キャスター「ちょっといい? あらためて」 大野選手「疲れました」 野村キャスター「疲れたくせに、ちゃんと(髪型)セットしているよ」 大野選手「いや、泣いちゃったんで」、「プレッシャーでヘルペスができて、しんどかったです」 野村キャスター「そんなのまわりに感じさせへんかったけど。このあとまた、苦しいチャレンジが始まるからね」 大野選手「そうですね。4年後を見据えて、また頑張ります」 野村キャスター「もう見据えてるの?」 大野選手「見据えてます。切り替えてます...。ちょっと浸って!」 野村キャスター「まあまあ浸っていいと思うけどな」 大野選手「わかりました」 (野村さん、髪形がかなり気になっていらっしゃいました?) 野村キャスター「自分らの考えで、表彰式でセットしていくっていうのはね、なかったんですよ」、「大野選手の表彰式見て、『あれ? 髪の毛がやたらウエットで、 つやっとしてるな』と思って」 (結構、短い時間でセットしなきゃいけなかったんじゃないですか?) 大野選手「ちょっと、井上監督とセレモニーの前に会って、すごく泣いてしまったので、係の人に『シャワー浴びていいよ』と言われて、シャワー 浴びさせてもらいました」 (ちゃんとジェルをつけて?) 大野選手「もうあれ、ぬれてるだけです。そのまま来ました」 (松本選手、「野獣」というニックネームがついていますが、今回はちょっと、表情が柔らかいような気がしました。この4年間で何か変わりましたか?) 松本選手「やっぱり、自分の足で立って、自分の考えで戦うっていうことを、この4年間で学びました」 (野獣という表現も、ちょっと失礼な気もしますけれど、『知性を持ちたい』と話していました。そのあたりはいかがですか?) 松本選手「知性は持った方がいいんですけど、やっぱり戦っているときって、やっぱり『無』なので、ないですね」 (金メダルを取ってからの4年間の歩みがありました。それだけに、またちょっと意味の違ったメダルになるんじゃないですか?) 松本選手「やっぱりいろんなことがあって、いろいろすごく長かった4年間なので、とても重みがあります」 (大野選手は、先輩・松本選手にどんな印象がありますか?) 大野選手「柔道をやっているときは、本当に野獣なんですけど、普段は本当にかわいい先輩です」 柔道・大野将平選手に野村キャスターがインタビューしました. http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00332889.html
160 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/17(水) 23:11:48.62 ID:wzBLbwAV.net リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥(26)が17日、東京・港区元赤坂にある所属先のALSOK本社を訪れ、 優勝を報告した。 社員300人に拍手で迎えられ、栗林誠良取締役専務執行役員から花束を受け取ると「サポートとして頂いたおかげで、こういう形で帰ってこられた。 少しは恩返しが出来たのかなと思う」と話した。 同社所属で、17日から18日未明にかけて五輪4連覇を目指すレスリング女子58キロ級の伊調馨(32)については「4連覇という偉業に挑戦するにも かかわらず、いつも凜(りん)としている姿に憧れている。偉大な瞬間をしっかりと見届けたい」とエールを送った。 田知本遥がV報告「少しは恩返しが出来たのかな」 - 柔道 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1696368.html リオ五輪の柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥(26)が17日、報告のため所属先のALSOK本社(東京・港区)を訪れた。 約300人の社員たちに出迎えられ、花束を贈られた田知本は「こんなに多くの社員の方が集まって『おめでとう』と言ってもらえてうれしい。 この4年間は勝てなかったりしたけど、温かく見守ってくれてありがたみを感じた。少しは恩返しができた」と感激の面持ちを浮かべた。 同じくALSOKに所属するレスリング女子58キロ級の伊調馨(32)に向けては「4連覇という偉大な瞬間を見させていただけたら」とエール。 同じ富山県出身で同女子48キロ級の登坂絵莉(22=東新住建)についても「リオにいるときに『金メダルを見せてほしい』と言われて(メダルを見て) 『頑張ります』と言ってくれた。金メダルを取ってほしい」と活躍を願った。 【柔道】田知本遥が優勝報告 300人に出迎えられ「少しは恩返しができた」 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/582251/ リオデジャネイロ五輪柔道女子70キロ級金メダリストの田知本遥(26)が17日、帰国後初めて所属するALSOK本社に出社。 約300人の同僚から祝福を受けた。 本社前の歩道にズラリと社員が並び、応援用のスティックバルーンをたたいて出迎える中、金メダルを胸に出社した田知本。柔道部部長の 栗林誠良取締役専務執行役員から花束を贈られ、「盛大に出迎えていただいてありがとうございます。ロンドンからの4年間、苦しいことの方が多かったけど、 そのたびに会社の方にサポートしていただき、(金メダルを持って)帰ってくることができました」とあいさつした。 15日に帰国し、16日は練習拠点である東海大を訪れた以外はゆっくり過ごしたという。スーパーに買い物に行き「レジ係の、知らない人から声をかけられた」と、 五輪の影響力の大きさを改めて感じている。「テレビで五輪を見ていて、『自分もここにいたんだなあ』と思い、手元にあるメダルを見て、金メダルを取ったという 実感がじわじわわいている」と感慨を話した。 今後については「まだ考えられない」と話した帰国当日の会見時から「心境の変化はあまりない」という。ただ、「4年前は敗者、今回は勝者となった。 両方の気持ちを知っているからこそ、その経験を後輩たちに少しでも伝えていきたい」とした。 「じわじわ実感わいている」金メダルの田知本が帰国後初出社/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160817/jud16081719550001-n1.html リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥が17日、東京都内の所属先のALSOKに優勝報告した。約300人の社員の 出迎えを受け「勝てなかった時も会社の皆さんには温かく見守っていただいた。本当に感謝の念が大きい」と謝意を述べた。 15日に帰国したばかりの田知本は時差ぼけがなおらず、テレビで五輪観戦しているという。「自分もここにいたんだなあと思って、手元のメダルを見ると 実感がわきます」と余韻に浸っている様子。国内のお祝いムードに「自分の知らない人たちに(祝福の)言葉を言われることが驚きだし、より一層うれしさがある」と 感激していた。 ALSOKは田知本に報奨金を贈呈する。 柔道・田知本が「金」報告 所属先で300人出迎え http://www.sankei.com/photo/story/news/160817/sty1608170029-n1.html
161 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/18(木) 21:34:53.93 ID:ogmg7wQq.net 金メダリストの田知本遥(たちもと・はるか)選手も登坂選手を応援です。 田知本選手は、17日、現地のリオで登坂選手に金メダルを見せたことを明かしエールを送りました。 田知本選手は17日、所属企業であるALSOK本社を訪れおよそ300人の社員から出迎えを受けました。 そして花束を受け取った田知本選手は感謝の気持ちを述べました。 柔道女子70キロに出場した射水市出身の田知本選手は決勝で世界ランキング2位のコロンビア代表、ジュリ・アルベアル選手を下し、 初のオリンピック王者に輝きました。 田知本選手は会見で地元富山に帰ってやりたいことを話しました。 そして、同じ富山県出身で17日試合を迎える女子レスリングの登坂選手にエールを送りました。 田知本選手はこのあと富山に戻ってくる予定ですがスケジュールはまだ未定だということです。 金メダル田知本選手が登坂選手にエール http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/index.html?TID_DT03=20160817155123 県勢選手がつないだ金メダル秘話です。 実は、今回、登坂選手の金メダルにかける思いをさらに熱くさせたのは、同じ富山県出身で、先日、柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した 田知本遥(たちもと・はるか)選手の活躍でした。 登坂選手は、18日、田知本選手に感謝のメッセージを送りました。 「メダルを柔道の田知本さんに見せていただいていて、もう絶対に自分もこれが欲しいって思ったので、めっちゃ本当にうれしいです」(登坂選手) 柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した、田知本遥選手。 17日、所属企業で開かれた報告会見で、同じ富山県出身の登坂選手に、選手村で金メダルを見せたと話し、同郷の後輩へエールを送っていました。 「金メダルを見せてほしいって言われて、私もがんばりますって言ってくれたので、頑張ってねって声をかけました。本当に金メダルをとってほしいと心から 応援しています」(田知本選手) そして、田知本選手の期待に応えて、見事、金メダルを獲得した登坂選手。 TBSの情報番組『ひるおび』に出演して、田知本選手へ感謝の気持ちを伝えました。 「本当見て絶対これをとるって思って、より思いが強くなりました。田知本さん、おかげで金メダルをとることができました。富山にいい報告を 2人でしに行きましょう」(登坂選手) 県選手の絆 登坂金メダル呼んだ田知本金メダル http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20160818172318
162 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/18(木) 21:38:29.03 ID:ogmg7wQq.net 現在開催中のリオデジャネイロオリンピックで、日本のお家芸である柔道に復活の兆しが見えた。8月13日に終了した男女柔道で、日本は過去最多の 12個のメダル(金3、銀1、銅8)を獲得、特に男子は7階級制となったソウル大会以降、初めて全階級でのメダル獲得という快挙を成し遂げた。 2012年のロンドン大会では、メダル7個だった日本柔道。金メダルは女子57キロ級の松本薫だけに終わり、男子は初のゼロという屈辱的な結果に終わったが、 今大会で復権を印象付けた。スポーツライターが語る。 「やはり、白眉は男子。これまで“鬼門”といわれていた90キロ級で初めてベイカー茉秋が金メダルを獲得した上、100キロ級で羽賀龍之介が銅メダル、1 00キロ超級で原沢久喜が銀メダルと、日本柔道の象徴でもある重量級で結果を残したことが大きい。 特に、初出場の原沢は大きすぎるプレッシャーを背負う中、決勝ではロンドン大会金メダリストのテディ・リネール(フランス)に指導ひとつの差で惜敗したが、 組み手を嫌って逃げ回るリネールには会場からブーイングが浴びせられており、『原沢は試合に負けて勝負に勝った』というのが記者たちの共通認識。 男子の選手は7人中6人が20代前半で、4年後の東京大会に向けても大きな希望が持てる内容だった」 不祥事続きの柔道界を救った井上康生 また、柔道に詳しいフリージャーナリストは「リオ五輪での好成績は、単純に『復活』というだけでなく、暗い話題が続いていた日本柔道界に光明を 見いだしたという点で、大きな意味を持つ」と語る。 ロンドン大会での惨敗後、その責任を取るかたちで男子の篠原信一監督が辞任し、現在の井上康生監督が誕生した。13年には女子の園田隆二監督が 選手15人から暴力問題を告発されるパワハラ騒動が勃発して辞任に追い込まれた上、吉村和郎強化委員長は助成金の不正流用疑惑が発覚して退任 するなど、全日本柔道連盟の不祥事が続いた。 さらに、15年1月には柔道界の精神的支柱だった斉藤仁が死去、引退して参議院議員となっていた谷亮子氏は12年と15年に二度も不倫疑惑を報じられるなど、 日本柔道の威信が崩されるような出来事が続いた。そんな中での日本柔道の再浮上は、「井上監督の理知的な指導によるところが大きい」 (フリージャーナリスト)という。 「井上監督は就任時に日本柔道の弱さを受け止め、課題を見極めることで論理的に男子柔道を引っ張ってきた。世界のJUDOスタイルに対応するため、 ほかの格闘技も練習に取り入れ、ボディビルの専門家による肉体改造を進めるなど、積極的に改革を行ってきた。 篠原氏が徹底した長時間練習と精神論のみで選手を鼓舞していた姿勢とは対照的ですが、これは井上監督が引退後にスコットランド留学で指導法など を研究していた経験が生かされているのではないか。 篠原氏は、その体格と圧倒的なパワーに目が奪われがちだが、技のキレやタイミングは天才的だった。そのため、自分の感覚を他者に伝えるという点では うまくいかない部分があり、正直なところ、監督としては『無能』といっても過言ではない。ちなみに、同じく天才肌という理由から、柔道初の五輪3連覇を果たした 野村忠宏氏も、指導者には不向きなタイプといわれている。 しかし、井上監督は、シドニー大会で金メダルに輝いた後のアテネ大会では連覇を期待されながら惨敗、現役終盤はけがで思うような柔道ができないなど、 苦渋を味わった時期もあった。そのため、選手との信頼関係の構築にも力を注いだことが、ベイカーの『井上監督に恩返しできた』という発言にもつながっている」 (フリージャーナリスト) 井上監督は帰国後の会見で「畳の上で選手たちが『日本柔道ここにあり』ということを世界に示してくれた」と喜びを表したが、4年後については「こればかりは わかりません」と語るにとどまっている。しかし、東京大会でも再び井上監督率いる男子柔道の躍進を望む人は多いのではないだろうか。 日本柔道、無能・篠原前監督の「精神論押し付け」で崩壊から奇跡の復活!井上康生の神指導 http://biz-journal.jp/2016/08/post_16366.html
163 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/19(金) 21:58:29.74 ID:TSr7NXBG.net 柔道女子57キロ級・銅メダルから一夜明けて 司会者 松本選手、一夜明けて今、どのようなお気持ちでしょうか? 松本薫氏(以下、松本) やっぱり勝ちたかった気持ちとメダルを取れた安心感で、 今も甘酸っぱい気持ちでいます。 記者1 昨日、海老沼選手と中村選手の記者会見で出たんですけれど、お二方とも自身の試合の経験等を、次に試合 をされる大野選手、松本選手にアドバイスをされたとおっしゃっていたのですが、そのときにどのような印象を受けたのかと、どのように答えたのかというところ。 あともう1点、リオに来る前の印象とリオに来た後の印象で変化があればあれば教えてください。 松本 すいません、アドバイスは聞いてないです(笑)。 (会場笑) 松本 リオのイメージは、最初は治安が悪いというイメージだったんですけど、やっぱり選手村はとても警備がしっかりしているので、 安全ですというイメージになりました(笑)。 記者2 産経新聞のアマノと申します。終わったばかりで非常に恐縮なんですけれども、今後の目標、 あるいは東京五輪をどうお考えなっているかというのをお聞かせください。 松本 東京オリンピックは出たいですね(笑)。出たいねえ……出たいよねぇ……。 (会場笑) 松本 けどやっぱり、現実的に考えてどうなるかわからないので、考えます。 一番食べたいのは、20円のマシュマロチョコ 記者3 産経新聞社のササキと申します。今一番食べたいもの、一番したいことをお聞きかせください。 松本 今、一番食べたいものはマシュマロチョコ。 あの20円の……知ってます? (会場笑) 松本 すごいんだよ。マシュマロでかいんですよ、20円なのに。チョコレートもちゃんとして、クオリティがちょっと 高いんですよ(笑)。今、一番やりたいことは、温泉に浸かりたいです。 記者4 『TOKYO MX TV』のスズキと申します。大野選手にうかがいたいんですが。 首元に今ぶら下がっている金メダル、一晩経ってあらためてその重み、いかがでしょうか? 記者5 共同通信のモリヤスと申します。まだ柔道も続いていますし、 選手団、ほかの競技も続いていきますけれども。とくに柔道の人たちに1つ。メダルがずっと続いていますけれども、どのようにバトンを渡していってほしいなと お考えでしょうか? 松本 やっぱりなにも気負わず、自分の柔道をしてほしいなと思います。ここまで積み上げてきたことは一人ひとりみんな大きな想いが あって、ここまで来て、畳に上がると思うので。 メダルとか、そういうのは結局最後についてくるものなので、今はそういうものすべての邪念を払って、 自分の柔道をただ信じてまっすぐに試合をしてほしいなって思います。 4年後の東京オリンピックに向けて 記者6 『AERA』のフカザワです。今度の4年後は、柔道の発祥の地である日本でオリンピックが行われますけれども。4年後に向けての想いをあらためて 聞かせていただきたいんですけれども。 司会者 松本選手、先ほどちょっとおっしゃってましたけど……もう一度。 松本 いや、出たいですよねぇ(笑)。 出たいですよねぇ。現実的に考えます。 記者3 産経新聞社のササキと申します。松本選手にお聞きします。昨日、ラファエラ(・シルバ)選手が優勝しまして、 ブラジルの雰囲気が圧倒的に会場を包んでましたが。このブラジル、もしくはリオデジャネイロの雰囲気、畳の上にいて、どんな感じだったでしょうか? 松本 やっぱり、ブラジルはとくに応援の仕方とか、イベントごとがとても好きな町というか、サンバとかそういうことが大好きな町なので、やっぱりすごいなと 思いました。 国全体が1人の選手を応援する、自分の国の自国愛というのをすごく感じたので、その応援には本当に圧倒されました。以上です。 柔道女子57キロ級銅メダル獲得 松本薫メダリスト記者会見全文 http://logmi.jp/157251
164 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/19(金) 22:00:43.01 ID:TSr7NXBG.net 司会者 柔道女子52キロ級で銅メダルを獲得しました中村美里選手の記者会見を始めたいと思います。 昨日夜いろいろスケジュールが入っていて、 なかなか家族の方、友人の方、知人の方と連絡をとり合ったりするのが難しかったと思いますが、なにかそういうふれあいのなかで感じたこと、あるいは そういう機会がなかったとしても、一夜明けてあらためて今、大会を終えてどのように感じているか聞かせてください。 中村美里氏(以下、中村) 昨日は 家族とはまだ話していなくて、そのほか応援してくれた方々からの「おめでとう!」のメッセージを読んで、あらためてたくさんの人に応援とか支えて もらってるんだな、というのを実感しました。 やっぱり、北京から金メダルを目指してやってきて、金メダルをとれなかったのは悔しかったんですけど、 銅メダルを獲得して、周りのみんなが喜んでくれたのはよかったと思います。 司会者 それでは、みなさまからのご質問をお受けしたいと思います。 記者1 競技以外の観光とかの時間があるのかわからないんですけれども、もしあったら、リオで訪れてみたい場所やしたいこと、食べたいものなどを。 あともう1点、リオに来る前のイメージと来た後で変わったこと、もしかしたらそのままとか、そういった印象があれば。その2点をおうがいしたいです。 よろしくお願いします。 中村 試合が終わっても、次の階級の選手の応援とかがあるので、観光はないと思いますけど、治安の問題は、来る前よりは 少し安心して過ごせてるかなと思います。 あとは、選手村では、トイレが流れなかったりとか、シャワーが出なかったりという問題があったんですけど、 それもだんだんと改善されていったのでよかったと思います。 地元八王子の盛り上がりはうれしい 記者2 『TOKYO MX TV』のスズキと申します。中村選手におうかがいしたいんですが。地元の八王子市では、昨日パブリックビューイングも行われていて、 とても盛り上がっていたようです。地元の方やご友人の方には、どんな感謝の気持ちを伝えたいでしょうか? 中村 八王子ですごく盛り上がっていただけたのは、 すごくうれしいです。地元の友達とか、小さい頃から知っている人たちがたくさん応援してくれてるのは知っていたので、金メダルをとって最高の笑顔を 見せられなかったのは残念なんですけど、銅メダルをとって、みんなが喜んでくれたのはすごいよかったなと思います。 記者3 東京新聞のイノウエです。 柔道の日本チームのこのあとに続く選手たちには、なにかお話をした部分はあるんでしょうか? 中村 自分が試合で感じたこととか、なにがどういうふうに、 どういう流れとか、そういうのを松本(薫)さんに伝えて、あとは本当に「がんばってください」というのを伝えました。 やっぱり今までみんなでしっかり追い込んで やってきたので、金メダルをとって、流れを作ってほしいなと思います。 記者4 産経新聞社ササキと申します。今、一番したいことはなんでしょうか? 中村 私も「ゆっくり休みたいな」というふうに思います。あとは、今日も試合をしてるので、その人たちの応援を全力でしたいなと思います。 記者5 それぞれ、昨日、次に出場する選手とお話しして、松本(薫)選手からはどんな答えがあったんでしょうか? もしお話できる内容であれば教えてください。 中村 そんな長くは話してないんですけど、やっぱり「がんばってください」って言って、松本さんも「がんばってくる」というような、そういう感じです。 女子柔道銅メダル中村美里選手 会見で試合後の心境を語る http://logmi.jp/157218
165 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/19(金) 22:05:18.06 ID:TSr7NXBG.net 司会者 柔道男子66キロ級銅メダルを獲得しました海老沼匡選手の記者会見を始めたいと思います。 昨日夜いろいろスケジュールが入っていて、 なかなか家族の方、友人の方、知人の方と連絡を取り合ったりするのが難しかったと思いますが、なにかそういうふれあいのなかで感じたこと、あるいは そういう機会がなかったとしても、一夜明けてあらためて今、大会を終えてどのように感じているか、今の心境を聞かせてください。 海老沼匡 ロンドンオリンピックが終わって、このリオのオリンピックで金メダルを取ることだけを信じて、4年間歩み続けてきました。 僕もそうなんですけど、 僕の妻であったり家族であったり、たくさんの人と一緒に歩んできたので、僕よりも昨日試合を見ている人たちのほうが緊張したかなということで、 本当に「お疲れ様でした」「ありがとうございました」ということを伝えたいです。 司会者 それでは、みなさまからのご質問をお受けしたいと思います。 記者1 東京新聞のイノウエと言います。お疲れ様でした。海老沼さんにうかがいます。ご家族が観戦されていたと思いますけれども、奥様とか、 あと観戦というわけじゃないですけど、聖(さとる)コーチと試合後どんなお話をされたか、もしされていたら教えてください。 海老沼 兄とはやっぱり、 兄も含めてなんですけど、一緒に歩んできたというところで、兄には「金メダルという夢を叶えられなくて、本当に申し訳ない」ということを僕は伝えたんですけど。 そしたら、兄は「ロンドンも含めて、オリンピックという夢の舞台を、夢を見させてくれてありがとう」ということを言ってくれて。本当にその部分では救われたというか、 そういう部分はありました。 まあでも、妻は「お疲れ様」と、その一言だったと思います。 記者1 井上(康生)監督からの言葉はどのようなものだったんでしょうか ? 海老沼 井上先生は、「勝たせてあげられなくて申し訳ない」ということを言ってくださったんですけど。でも、それは僕の責任なので。 井上先生になってから というか、井上体制で本当にすごくいい環境で僕らは柔道ができたので、体制のうんぬんではなくて僕自身の責任だということを、僕もそれは井上先生には 伝えてあるので。でも、本当にいい先生と巡り会えて一緒に歩んでこれてよかったと思ってます。 日本柔道はやるべきことはやってきた 記者2 ちょっと不勉強で申し訳ないんですけれども、競技以外の観光とかの時間があるのかわからないんですけれども、もしあったら、リオで訪れてみたい場 所やしたいこと、食べたいものなどを。 あともう1点、リオに来る前のイメージと来た後で変わったこと、もしかしたらそのままとか、そういった印象があれば。 その2点をおうがいしたいです。よろしくお願いします。 海老沼 僕らは基本選手村で生活しているので、そんなに外に出ることは少ないので、観光とかは あまりないんですけど。 でも、日本からブラジルに来る時は、本当に治安とかがすごい心配だったんですけど、でも、そこまで敏感にならず、大丈夫 だったかなとは思ってます。 記者2 来る前に持っていた、「こんな町なのかな」というようなリオ全体の印象はありますか? 海老沼 2013年の世界選手権で、 リオの街は1回来ていました。でも、オリンピックということもあって、報道で治安の悪さをすごく強調されていたんですけど。でも、「思ったほどではなかったかな」 というのが率直な感想だと思います。 記者3 東京新聞のイノウエです。たびたびすいません。柔道の日本チームのこのあとに続く選手たちには、なにかお話 をした部分はあるんでしょうか? 海老沼 僕自身が、試合をしていて感じたことであったり体験したことを、次の選手に伝えて、というところでは、昨日、夜に 話す時間もあったので、そういう部分でもしっかりと伝えて。 でも、本当に日本柔道、やるべきことはやってきたと思っているので、金メダルを取って証明して もらいたいなと思ってます。
166 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/19(金) 22:10:38.08 ID:TSr7NXBG.net 産経新聞社ササキと申します。今、一番したいことはなんでしょうか? 海老沼 とりあえず「休みたい」というのが一番 なんですけど。でも、先ほどもいったように、今日も試合がありますし、今日からまだぜんぜん強い選手たくさん出るので、一番は本当に「金メダルを取って ほしい」「結果を出して証明してほしい」ということが、僕のなかではそれが一番です。 記者5 昨日、次に出場する選手とお話しして、大野(将平)選手からは どんな答えがあったんでしょうか? もしお話できる内容であれば教えてください。 海老沼 やっぱり基本的な部分ではさほど変わらないんだと。ふつうの 試合と同じように戦えば、大野選手であったり、永瀬(貴規)選手であったりという、みんな実力者たちなので、しっかり勝てるから自分を信じて戦ってほしい ということを僕も伝えて。 それを頷くぐらいだったんですけど、でも、あいつらたぶんわかってると思うので、自信をもって戦ってほしいなと思ってます。 2大会連続銅の海老沼匡選手 リオ五輪メダリスト記者会見全文 http://logmi.jp/157215 司会者 柔道男子81キロ級、永瀬貴規選手です。 永瀬選手、一夜明けまして、SNSなどを通じていろんな多くの方とのふれあいがあったと思いますけれども、 ふれあいなどを通じて、感じられた想いも新たにあるかと思いますが、そのあたりをお聞かせいただけますでしょうか。 永瀬貴規氏(以下、永瀬) 試合が 終わってから携帯を開いたら、本当にたくさんのお祝いの言葉をいただいて、銅メダルは自分の望む色ではなかったですけど、負けてからしっかり気持ち 切り替えてがんばってよかったなと思いました。 司会者 それではみなさまからの質問を受けたいと思います。いかがでしょう? 記者1 試合を通して、 「もう少しこうできたな」とか改善点等もしあれば教えていただきたいなと思います。 永瀬 自分の思うような柔道ができなくて、臆病になった部分があったので、 もう少し思い切って、殻を破って、自分らしい柔道をしていたら結果も変わっていたのかなと思います。 記者2 産経新聞社ササキと申します。今、 一番したいこと、食べたいものはなんでしょうか。 永瀬 今、一番したいことは、おいしいものを食べながらお酒を飲みたいです。 記者2 食べたいものは なにかありますか? 永瀬 おいしい焼き肉が食べたいです。 柔道81キロ級銅メダル永瀬貴規選手 メダリスト会見全文 http://logmi.jp/156966 司会者 それではまず、本大会の日本人メダリスト第1号となりました、柔道48キロの近藤亜美選手から感想をお願いいたします。 近藤亜美氏(以下、近藤) 私は金メダルを目指していたので、素直に悔しいという気持ちです。柔道は金メダルが必須なので、本当に情けなく申し訳ないと 思っております。 司会者 続きまして、同じく柔道60キロ男子、高藤直寿選手、お願いいたします。 高藤直寿氏(以下、高藤) 自分は一度負けてから3位決定戦まで勝ち上がるまでに、本当にたくさんの人の応援があったから3位になれたなと思うんですが、 やっぱり自分の夢である金メダルが取れなくて、悔しい気持ちでいっぱいであります。 司会者 ありがとうございます。 記者2 共同通信のヤマオと申します。柔道のお二人はまだ若いので、当然以前から東京(五輪)のことは考えていらっしゃると思うんですが、一度(リオ)五輪に 出られて、東京についての気持ち、意欲、思いなどに変化がありましたら教えてください。 近藤 私はまだ21なので、もちろん東京オリンピックを目指していこうと 思うんですが、今回3位という結果で、まだまだ足りないということがとてもわかったので、4年しっかり努力して、次は金メダルが取れるように、東京オリンピックは がんばりたいと思います。 高藤 自分も東京オリンピックが決まったときから、自分の場合は60キロ級で野村選手が3連覇という記録があったので、それに 臨みたいなと思ったんですけど、今回銅メダルで……ちょっとそれには敵わないかなという気持ちもありますが、東京オリンピックで勝つというところで、 すごいインパクトを与えられるんじゃないかなと思っているので、東京で必ず金メダルを取りたいと思います。 記者2 ありがとうございます。 近藤 朝は早かったので、ちょっと眠たくて(笑)。あとやっぱり格闘技なので、傷などもあって、体中がちょっと痛かったです。 高藤 僕も近藤選手と一緒で、 体が痛いというのを一番最初に感じたというのがありますけど、やっぱり目が覚めて、「メダルの色が違うな」というふうに、部屋の天井を見つめながら思いました。 日本人メダリスト第1号 柔道女子 柔道男子 ウェイトリフティング女子記者会見全文 http://logmi.jp/157440
167 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/19(金) 22:14:22.35 ID:TSr7NXBG.net 司会者 大野選手、今どのような心境でしょうか? 大野将平氏(以下、大野) 昨日は興奮してなかなか寝付けなかったんですけど、今は心地よい疲労感です。 昨日はやはり金メダルを獲得して、安心感のほうが強かったんですけど、だんだんと達成感も感じられるようになりました。 記者1 『AERA』のフカザワと 申します。大野選手に聞きたいんですけれども。昨日、試合後に「柔道のすばらしさや美しさを伝えられた」と話していましたけれども、そういった美しい柔道の ためにこだわったことはどんなことでしょうか? また、最近世界で柔道というものがどんどんと変わっていくなかで、どのような思いがあったのか、教えてください。 大野 やはり試合というのは勝負だし、甘くはないので、勝ち方にこだわる。色気を出すということは、僕自身捨てました。結果、昨日は1本勝ちが多くて、投げて 勝つことが多かっただけのことであって。 戦ってるときは、「指導1つでもいい」という気持ちで、「我慢強く、執念深く、泥臭く戦いたい」という気持ちをもって 臨んでました。 やはり今は、外国人選手が昔よりも進化・変化してきて、他競技の技術なんかも柔道にとりいれて、なかなか勝つことが難しくなってきているのは 事実だと思ってます。 でもそのなかで、やはり外国人選手は体、フィジカルの部分が非常に強いのですが、やはり日本人が心技体でも上回ることができることを 証明したかったので。 そういった部分では、昨日インパクトのある勝ち方もできて、そういったことを畳の上で表現できて、みなさまにも見ていただけたん じゃないかなと思ってます。 先輩・海老沼選手からのアドバイス 記者2 昨日、海老沼(匡)選手と中村(美里)選手の記者会見で出たんですけど。お二方とも自身の試合から経験等を、次の試合をされる大野選手、 松本選手にアドバイスをされたとおっしゃっていたのですが、そのときにどのような印象を受けたのかと、どのように答えたのかというところ。 あともう1点。 事前のリオに来る前の印象とリオに来た後の印象で変化があれば教えてください。 大野 海老沼先輩とは同部屋なんですけど、一昨日、先輩が試合から 帰って来たと。アドバイスというよりかは、雑談じゃないけど本当に少し話した程度です。 リオは選手村から出ることがあまりなく、街に出ることがないので、 治安が悪いとかいいとかというのはなかなか感じることはできないんですけど。選手村のなかは、報道で見ていた以上に快適に過ごせてるかなと思います。 母校・天理大学柔道部の不祥事について 記者3 産経新聞のアマノと申します。 あえて聞きにくい質問をします。昨日スタンドのほうには天理大学の柔道部のOBの方が大勢見られてました。 お話を聞いたところ、やはり「天理大学の柔道部の真髄を見せてくれた」とおっしゃってました。その「真髄」というものをどうお考えになるか? さらに、 やはり天理大学の事件というのを、金メダルを取った今、どのように位置づけられているかお聞かせください。 大野 天理柔道の真髄、技術的に言えば、 「正しく組んで、正しく投げる」ということがやはり天理柔道の魅力だと思います。 もともとは「執念深く戦う」ことが天理柔道と言われていたと、このオリンピック を迎える前に、天理大学の穴井(隆将)監督にそう言われて、「執念」という言葉をオリンピックの一番のテーマにして戦ってきました。 事件のことについては、 オリンピック対しては、自分の夢なので、純粋にこのオリンピックの舞台で勝ちたいという想いだけで戦えましたし、あのことで精神的に強くなったのは 間違いないと思います。 金メダリストとしてふさわしい人間に成長していきたい 記者4 産経新聞社、ササキと申します。今一番食べたいもの、今一番したいことをお聞きかせください。 大野 一番食べたいものは、味の濃いものが 食べたいので、焼き肉とか豚骨ラーメンとかを食べたいです。 やりたいことは、減量後でちょっとむくんでしまっているので、水抜きがしたいのでサウナに 入りたいです。 記者5 『TOKYO MX TV』のスズキと申します。大野選手にうかがいたいんですが。首元に今ぶら下がっている金メダル、一晩経って あらためてその重み、いかがでしょうか? 大野 とくに考えてはなかったんですけど。これからこのようにメディアに露出させていただく機会も増えると思います。 昨日も言いましたけど、やはり金メダリストとしてふさわしい人間になれるように、成長していきたいなと。これからもっと精進して、また柔道選手としてももっと 強くなっていきたいなと思ってます。
168 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/19(金) 22:23:24.65 ID:TSr7NXBG.net 記者6 共同通信のモリヤスと申します。まだ柔道も続いていますし、選手団、ほかの競技も続いていきますけれども。とくに柔道の人たちに1つ、 メダルがずっと続いていますけれども、どのようにこのままバトンを渡していってほしいなとお考えでしょうか? 大野 やはり井上ジャパンの一員として、 7人全員がやるべきことをやってこの地に来たので、まずは誇りを持って戦ってほしい。そう思います。 「オリンピック、オリンピック」と言いますけど、 自分自身実際に戦ってみて、過剰にそんなに意識する必要もないかなと思いましたし。気の持ちようで、僕はふつうの国際大会と同じような環境だったかなとは 思います。 記者1 すいません。『AERA』のフカザワです。今度4年後は、柔道の発祥の地である日本でオリンピックが行われますけれども。4年後に向けての 想いをあらためて聞かせていただきたいんですけれども。 大野 まだあと4年あるので、まずは今はしっかり休んで。そして、今回であらためて自分自身 もっともっと強くなれると思えたので……。 なにが起こるのかわからないので、1日1日大切に過ごして、まずは小さな目標から立ててやっていきたいと思います。 柔道男子73キロ級金メダル獲得 大野将平記者会見全文 http://logmi.jp/157406 「大野らしい柔道だった!」。リオデジャネイロ五輪で9日未明(日本時間)に行われた柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した天理大出身の大野将平を 応援しようと、奈良県天理市の商店街に設置されたパブリックビューイング(PV)では、地元の市民や大学関係者らが集まり、歓喜の渦に湧いた。 「よっしゃー」「大野選手ありがとう!」。9日午前5時すぎに行われた決勝戦。試合開始3分15秒、大野選手の鮮やかな小内刈りが決まると、会場は 大歓声と拍手の波に包まれた。 予選から安定した試合運びを見せていた大野。天理大柔道部の卒業生らでつくる天理柔道会の中西茂巳副理事長(62)は「大変落ち着いている。 この精神力が大野の強さだ」と振り返った。 中西さんは大野がリオに出発する3日前、天理市内で2人で食事をしたといい、「大野が『肉が食べたい』と言ってね。会話を交わしていると非常に余裕を 感じられ、店主にも金メダル獲得を約束していた。今日は終始、安心して試合を見られた」と話した。 【五輪柔道】執念の“天理柔道”で大野金 地元も歓喜「有言実行果たしてくれた」「特別に意味がある」 http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090052-n1.html 「自信に満ちた大野らしい柔道で見事だった」。リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平と同じ天理大柔道部の出身で、 同級生だった兵庫県加古川市の公務員、横山広伸さん(24)は、テレビで試合を見守った。 柔道部時代は同じ73キロ級で何度も対戦したライバル。五輪という大舞台での戦いぶりに「危なげなく、安心してみることができた。学生時代に増して、 技の豊富さや応用力が際立っていてすばらしかった。特に準決勝で決めた、ともえ投げは見事だった」と絶賛した。 「リーダー的存在で、いつも部員をひとつにまとめてきてくれた。憧れの存在であり、かつよきライバルだった」という大野。「帰ってきたら同級生らで集まって、 お祝いに飲みにいきたい。心から『お疲れさまでした』と声をかけてあげたい」と感動した様子で話していた。 【五輪柔道男子】金メダルの大野 「自信に満ちた柔道見事だった」 天理大柔道部時代のライバルも祝福 http://www.sankei.com/rio2016/news/160809/rio1608090062-n1.html
169 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/20(土) 18:00:18.58 ID:jiJwbj9K.net リオデジャネイロ五輪の柔道女子70キロ級での田知本遥選手(26)=射水市出身=の金メダル獲得を記念したフレーム切手が十九日、 富山市桜橋通りの富山中央郵便局で発売された。 八十二円切手五枚組みで、メダルを口元に掲げ、ほほ笑む田知本選手の写真を使用。料金の表示部分も金色で彩った。切手以外のスペースには、 笑顔の田知本選手や、日本選手団の写真などを配した。 レスリング女子48キロ級で優勝した登坂絵莉選手(22)=高岡市出身=の切手も、同郵便局で二十六日に発売する。いずれも一組千四百円で、 千組限定。問い合わせは、日本郵便お客様サービス相談センター=フリーダイヤル(0120)232886=へ。 田知本選手金メダル 記念のフレーム切手 富山中央郵便局発売 http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20160820/CK2016082002000037.html リオデジャネイロ五輪で史上最多の計12個のメダルを獲得した柔道日本代表選手団の一角を担ったのが、高尾警察署の柔道教室から巣立った 女子52キロ級の中村美里選手(27)と、同63キロ級の田代未来選手(22)だ。中村選手は銅メダル、田代選手は5位入賞で、目標にはいま 一歩届かなかったが、署内の道場で2人に柔道の基本を教えた元警察官の西野英則さん(61)は、「よく頑張った。五輪で闘う教え子ほど うれしいものはない。ありがとう」と若い2人の健闘をたたえている。 西野さんは高尾署の少年柔道教室で約20年間、地域の子供たちを指導してきた。中村、田代両選手の共通項として「負けず嫌い」を挙げる。 「負けては泣き、強い男子と組み続ける。強くなりたい気持ちはすごかった」。小学3年生で入門した中村選手について、西野さんはそう振り返る。 小学4年生の時、なかなか勝てない中村選手に、組み手を右組みから左組みに変えるよう助言したところ「これならいける」と手応えを感じた様子だった。 技の決まりだした中村選手はその後、全国規模の大会でも勝ち進むようになったという。 小学2年生から入った田代選手は「誰とでも話せる人懐こさもあるのだが、柔道ではやはり負けず嫌い」(西野さん)。当時、通学していた市立 上壱分方小で担任だった山田義守さん(65)は、田代選手が書道の授業で書いた作品を保存している。半紙1枚に「世界一」と大書した作品。 山田さんは「柔道へのひたむきさから、世界を相手にする予感があった。地元の誇りです」とうれしそうだ。 昨年3月半ば、西野さんの退官を祝う会が高尾署で開かれた。会合前の道場で「先輩、やりましょう」と田代選手が中村選手に胸を借りたが、 稽古(けいこ)は次第に白熱。互いに一歩も引かない緊迫した様子に、周囲から「ここで真剣勝負してどうする」と声があがり、2人が我にかえったことがあった。 「互いに頂点を目指そう。原点の畳で2人からそんな思いが伝わった」。西野さんはそう感じたという。 今月8日と10日未明、西野さんは2人の戦いぶりを、故郷の鹿児島県南種子町でテレビ観戦した。「本人の悔しさも、子ども時代からのひたむきさ を知るからこそ分かる。ずっと応援を続けますよ」 リオ五輪:熱い思い 柔道、恩師がエール 教え子に「ありがとう」 http://mainichi.jp/articles/20160820/ddl/k13/050/178000c
170 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 00:59:12.29 ID:4JPkthSt.net リオデジャネイロ五輪柔道女子48キロ級、52キロ級でともに銅メダルを獲得した近藤亜美(21)、中村美里(27=ともに三井住友海上)が22日、 五輪後初めて出社し凱旋報告を行った。 近藤が勤務する本社(千代田区)と中村が勤務する東京本部(中央区)の2会場で行われ、約200人の社員が集まった。2選手はメダルを首に ぶら下げて出席し、社員からお祝いの品々をプレゼントされた。近藤は「悔しい気持ちでいっぱいです。次の試合は必ず優勝する」とコメント。 12月のグランドスラム東京の出場に意欲を示し、先週から練習を再開したという。2度目の銅メダルを獲得した中村は「金メダルではなかったが、 出し切りました」と話した。また「新しい目標はこれから考えます」と、今後の活動は未定と明かした。 銅メダルの近藤亜美、中村美里が出社し凱旋報告 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1698758.html 柔道の男子90キロ級で、この階級で日本選手初の金メダルを獲得したベイカー茉秋選手は「朝から食欲もあって調子がよかったので、そのままいったら 優勝という感じだった。去年のラグビー日本代表のように、柔道人気を爆発させたいという思いがあった」とコメントしています。 男子73キロ級で金メダルの大野将平選手は「最高の舞台で最高の成績を残すことができ大きな財産となった。柔道界、スポーツ界のシンボルのような 選手になれるよう、人間的にも成長したい」とコメントしています。 柔道女子70キロ級で金メダルを獲得した田知本遥選手は「オリンピックチャンピオンという夢を達成することができた。最高の舞台で、最高のライバルたちと 人生をかけて戦えたことは一生の宝物になった。さまざまな試練もあったが、そのどれもが成功への合図だったと確信している」とコメントしています。 リオ五輪閉幕へ 日本選手それぞれの思い http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160822/k10010646341000.html
171 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:48:50.43 ID:qPU0+Gli.net B:前半は柔道も頑張りましたよ。日本のメダル第1号の女子48キロ級近藤亜美(21=三井住友海上)は疲労困ぱいで悔し涙を 流しているにもかかわらず、知らないオバサンから強引に「写真、写真」と迫られてあっけにとられてました。 A:知らないオバサンって? B:よく見たら丸川珠代五輪相(45)でした。結局、何枚か写真を撮ったら、特に祝福する様子もなくどこかに行っちゃいました。 【リオ五輪の舞台裏】丸川五輪相のKY行動に柔道選手ア然、錦織をムッとさせたくりぃむ上田 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/584074/ リオデジャネイロ五輪柔道女子で銅メダルを獲得した48キロ級の近藤亜美(21)と52キロ級の中村美里(27)が所属する三井住友海上の東京本社などで 結果報告を行った。 近藤は「金メダルを狙っていたので悔しい」と大会を振り返り、「当面の目標は世界選手権。東京五輪はもちろん目指したい」と4年後のリベンジを誓った。 08年北京大会以来の銅メダル獲得となった中村は「まだ東京五輪とかは考えられない。今後についてはゆっくり考えたい」と話すにとどめた。 48キロ級・中村 東京でリベンジ誓う「もちろん目指したい」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/23/kiji/K20160823013219410.html 柔道女子で銅メダルを獲得した48キロ級の近藤亜美と52キロ級の中村美里が22日、所属する三井住友海上の東京都内の職場で結果報告を行った。 21歳の近藤は「しっかり練習して、もっと上を目指して頑張りたい」と4年後の東京五輪での金メダル獲得を誓った。 2人は15日に帰国した。既に練習を再開しているという近藤は「レスリングの選手が金メダルを取っているのを見て、すごく悔しい気持ちになった」と 意欲を新たにしていた。 27歳の中村は2008年北京五輪以来の銅メダルに「力を出し切った結果。目標としていた金メダルと色は違うけど、重みがある」とかみしめた。 今後については「まだ東京とかは考えられない。(当面の予定は)未定です」と述べるにとどめた。 リオ銅の近藤、東京五輪で金獲得誓う「上を目指して頑張りたい」/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160822/rio16082213260065-n1.html リオデジャネイロ五輪柔道女子48キロ級、52キロ級でともに銅メダルを獲得した近藤亜美(21)、中村美里(27=ともに三井住友海上)が22日、 五輪後初めて出社し凱旋報告を行った。 近藤が勤務する本社(千代田区)と中村が勤務する東京本部(中央区)の2会場で行われ、約200人の社員が集まった。2選手はメダルを首にぶら下げて 出席し、社員からお祝いの品々をプレゼントされた。近藤は「悔しい気持ちでいっぱいです。次の試合は必ず優勝する」とコメント。12月のグランドスラム東京 の出場に意欲を示し、先週から練習を再開したという。2度目の銅メダルを獲得した中村は「金メダルではなかったが、出し切りました」と話した。また「新しい 目標はこれから考えます」と、今後の活動は未定と明かした。 銅メダルの近藤亜美、中村美里が出社し凱旋報告 http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/judo/news/1698758.html いつまでも泣いてはいられない。リオ五輪柔道女子48キロ級銅メダルの近藤亜美(21)が将来的な階級変更を示唆した。 22日、近藤は52キロ級銅メダルの中村美里(27)とともに所属する三井住友海上の東京都内オフィスにメダル獲得を報告した。悔しさをバネに先週から練習を 再開させるなど意欲満々で、4連覇がかかるグランドスラム東京大会(12月2〜4日)での再起を宣言した。 その近藤は階級について「(五輪で)優勝したら上げることも考えた」と話し、リオ後に52キロ級に変更するプランがあったことを告白した。金メダルを逃したため 主戦場に変化はないが、減量はかねての課題。貝山仁美コーチ(38)も「48キロ級にしては身長が高い」と指摘している。「まずは来年の世界選手権を 目指している」(近藤)という当面の目標で“五輪のリベンジ”を成し遂げれば、52キロ級で戦うことも選択肢の一つとなる。 52キロ級で3大会連続五輪出場の先輩中村はこの日、今後について具体的な方向を示さず「新しい目標に向かって頑張りたい」と話すにとどめた。 中村を尊敬し、乱取りでは胸を借りて実力を高めてきた近藤だけに、階級変更は先輩の去就も影響しそうだ。 五輪柔道女子48キロ級銅の近藤が52キロ級に階級変更も http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/584464/
172 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:50:07.91 ID:qPU0+Gli.net 司会者 それでは、柔道と競泳メダリスト記者会見を始めたいと思います。手前から、女子70キロ級の田知本遥選手。男子90キロ級、ベイカー茉秋選手。 競泳女子200メートルバタフライ、星奈津美選手。 みなさんに共通の質問ですけど、一夜明けましてメダルの実感をどのように感じていらっしゃるか、 ご家族とのふれあいや友人からのメッセージいっぱい届いていると思いますけど、そのあたりを受けて、今、どういうお気持ちでしょうか? 田知本遥氏 (以下、田知本) 少しずつ実感できています。自分の夢を達成できたんだなとしみじみ感じております。 ベイカー茉秋氏(以下、ベイカー) 家族が泣い て喜んでる姿を見て、とてもがんばってよかったなって思いました。 星奈津美氏(以下、星) 私も本当に水泳人生最高のレースが昨日はできましたので、 本当にほっとしているという気持ちです。 司会者 ではみなさまからのご質問を受けたいと思います。 記者1 朝日新聞出版で『AERA』編集部の記者を しています、フカザワと申します。まず、柔道のお二方に聞きたいんですけれども。 田知本選手は、女子がなかなか金メダルが出ないなかで金メダル ということなんですけれども。試合前に感じていたプレッシャーだとか、女子柔道のなかで金メダルがどういうふうな意味を持つのかを教えてください。 ベイカー選手にうかがいたいのが、試合後にガッツポーズをしたり、笑顔が見られたりして、ほかの柔道の選手とちょっと印象が違う感じだったんですけれども。 ベイカー選手の存在が日本の柔道会でどういう貢献をしていきたいのかとか、そういったことをおうかがいしたいと思います。 田知本 金が前の選手で なかったことについてのプレッシャーはあまりなかったんですけど。前の選手が勝ってきても負けてきても、同じように、あとの選手はどちらにせよ思いは 一緒だと思ったので、自分のやるべきことを達成するだけだと思いましたので。 とくにそういった意味ではプレッシャーはなかったですけど、自分自身との 格闘というか、自分自身でやっぱり「絶対に叶えたい」という部分のところで、すごくプレッシャーはありました。 ベイカー 今、柔道会は人気が低迷してるって 言われているなかで、僕がかつて、井上(康生)監督がオリンピックで優勝した姿を見て、柔道に対する思いが強くなったので、僕は今、逆に自分がそういう 立場なのかなと思っています。このオリンピックを機に柔道人気をまた復活させたいなって思ってます。 記者2 産経新聞社、ササキと申します。お疲れ様でした。おめでとうございます。今一番したいこと、食べたいこと、会いたい人は誰でしょうか? お願いします。 星 私は、今回5月の末に日本を出発してから、本当にそのままずっと海外遠征でここまで来たので、とにかく日本に帰ったことでまず 感動するんじゃないかなと今思っています。やっぱり食べたいものは焼き肉ですかね(笑)。で、やっぱり家族に一番会いたいです。 ベイカー 昨日は もうずっと、試合が終わってからもアドレナリンが出てなかなか寝付けずに、まだ寝てないのでとりあえずゆっくり休みたいです。 そして、日本に帰ったら 味の濃いものというか、豚骨ラーメンみたいなものが食べたいです。会いたい人というか、実家に犬がいるんですけど、犬が好きなので、犬に早く会いたいです。 田知本 一番会いたい人は、昨日もう姉に会えたんですけれども。もう1人、本当に姉のように慕ってる浅見(八瑠奈)先輩、48キロ級で代表になれません でしたけど、本当に姉のように、もう1人の存在なので、浅見先輩に日本に帰ったら会いたいのと。 食べたいものは、自分の住んでいる町の行きつけの何ヶ所か のお店に、本当にリラックスして行きたいです。 記者3 今回は本当におめでとうございました。3人の方に率直にブラジルの印象を聞きたいんですけれども。 なにかひと言でも、ブラジルの印象をお願いします。 星 競泳の会場では、本当に歓声がすごかったので、地元の選手でなくても、やっぱり世界記録が出たり、 優勝した選手を称えてくれる拍手がものすごく大きくて、私たちも温かく迎えてくれてるような印象だったので、本当に私自身も楽しくレースができました。 ベイカー ブラジルって今、冬ですよね? 冬なのに暑い! それだけです(笑)。 (会場笑) 田知本 正直すごく治安面とか、ニュースでいろいろやっていて、 すごく怖い面もあったんですけど、いざ来てみたらぜんぜんそういうことはなくて。人もすごく親切で、ぜんぜん大丈夫だなっていう印象と。 あと2013年の 世界選手権で1回戦負けしてしまっていて嫌なイメージがあったんですけど、今回最高にいいイメージになったので、すごくブラジルに対していい印象に なりました。
173 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:51:22.42 ID:qPU0+Gli.net 星選手「あれがほんとうに最高のレースだった」 記者4 一夜明けて、「もう少し試合でこうできたな」とか、改善できるような部分がもしあれば教えていただきたいです。 星 私はまったくありません。 インタビューでも答えたんですけど、本当に最後はもう腕も足も動かなくなるぐらいまで出しきれたので、あれが本当に最高のレースだったなと思います。 ベイカー 自分自身精一杯やったつもりなのでそんなにないんですけれども、強いて言うなら、決勝を一本勝ちで終わりたかったので、バシッと1本で 投げて終わりたかったです。 田知本 自分自身も本当に満身創痍でやりましたので、逆に昨日の試合をもう1回やれって言われたほうができないぐらいの 試合をできたと思っているので、ありません。 記者5 ベイカー選手にうかがいたいんですけれども。日本人が世界で勝てないと言われていた階級で、 こうやってオリンピックチャンピオンになることができたんですけれども。これは、長身選手とか多いなかで、どのように戦ってこういったオリンピックチャンピオン になれたのか、そういったところをうかがいたいです。 ベイカー 初めて2013年にシニアの試合で初めてデビューしたんですけれども。その時はもうすごく やりづらくて、「苦手だなあ」って思ってたんですけれども。 そこからたくさん国際大会を重ねることによって、経験を積むことによって、戦い方がわかったというか、 今は本当に苦じゃないというふうになりました。やっぱり経験でそういうふうになりました。 記者5 もうちょっと具体的に。 ベイカー やっぱり国際合宿だとか、 たくさん長身選手と組み合ったりだとか、あとはやっぱり外国人選手の体の強い選手と組み合うことによって、相手の長所とか短所とかをわかって、 それでだんだん苦手意識もなくなっていきました。 成功しても失敗しても夢に向かって打ち込んでほしい 記者2 産経新聞社のササキです。度々申し訳ありません。お3人は日本の顔になったと思います。日本の子供たちにメッセージをお願いします。 田知本 本当にそうなれたら、子供たちに対してなにか、自分が昨日の試合でメッセージを発信できていたら、本当にそれはもううれしいかぎりなんですけど。 やっぱり夢を持って、成功するも失敗するも、それに向かって一生懸命打ち込んでほしいなって思います。なにかそれで自分が手助けできることがあれば、 本当に力になりたいなという気持ちです。 ベイカー 僕の小さい頃からの夢がオリンピックチャンピオンなることでした。やっぱりここまで来るのにやっぱり、 逃げ出したいことやつらいこともたくさんあったんですけど、諦めずやってきたからこそ、今、こうしてオリンピックチャンピオンになることができたので、 諦めなければ夢は叶うと思うので、諦めずにがんばってくさいと伝えたいです。 星 私も偉大な先輩方の活躍する姿を見て、自分もこうなりたいと目標 を持ちました。4年後には東京でオリンピックもありますし、ぜひ生でオリンピックを見て、少しでも身近に感じて、それをきっかけにオリンピックに出たいという 目標や夢を持ってもらえたらいいんじゃないかなと思います。 ベイカー茉秋「このオリンピックを機に柔道人気を復活させたい」金メダル獲得後に語った柔道への想い http://logmi.jp/157567 司会者 みなさん、おはようございます。メダリストの記者会見を、これより始めたいと思います。 それでは、第31回オリンピック競技大会2016リオデジャネイロ、 昨日の競技におけるメダリストから、お話をいただきたいと思います。 昨日のメダルを獲得し、その後いろいろ取材とか、関係者、ご家族等々にもお会いしたと 思いますが、一晩明けて、一夜明けての率直な感想をうかがい、みなさまより質疑応答を行いたいと思います。 それではまず、今回初出場となるオリンピックで、 見事この階級では2000年のシドニー大会の井上康生監督以来のメダルとなる銅メダルを獲得しました、柔道男子100キログラム級、羽賀龍之介選手、 感想を一言お願いいたします。 羽賀龍之介氏(以下、羽賀) いつも通りの国際大会と同じように、朝起きた時に筋肉痛で、「あ、痛いな」と思って起きて、 その次に、「やっぱ金メダルほしかったな」っていうふうに、朝一番に思いました。 オリンピックも一区切りということで終わってしまったので、これからできる ことっていうのは、なんで取れなかったかっていうことをとことん考えていくこと。まだ次の目標っていうのがしっかり定まってない部分がありますので、そこを 考えて、これから生活していきたいなと思います。以上です。
174 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:52:10.57 ID:qPU0+Gli.net 司会者 はい、ありがとうございます。それでは、質疑応答に入りたいと思います。 記者1 産経新聞のアムロと申します。羽賀選手、東京五輪についてどう 今位置づけられているのか、というのをお聞かせください。 羽賀 はい。今回オリンピックというものを初めて経験させてもらったんですけど、結果的に 銅メダルということで、次の東京オリンピックで結果を残すことで、この銅メダルっていうメダルの価値というのも持つことができると思うし、東京オリンピックでの 結果を残すためにこの銅メダルを絶対に無駄にしないという気持ちで、これからは次のオリンピック、東京に向けて、できることを考えて努力していきたいと 思っています。 試合が終わってからずっと「ビールが飲みたい」 司会者 はい、ありがとうございます。それでは、はい、前の方、お願いします。 記者2 産経新聞社のササキと申します。おめでとうございます、そして、 お疲れさまでした。一区切り終えまして、今食べたいもの、今したいこと、そして、会いたい人を教えてください。 羽賀 食べたい物は……ちょっとお酒も 断ってたので、「ビール飲みたいな」って試合終わってからずっと思っていて、昨日は飲めなかったので、日本に帰ったらちょっとゆっくりそういう時間も つくりたいです。あとは……なんでしたっけ? 司会者 したいこと。 羽賀 したいことは、柔道は今日最終日で、今まで6階級全部でメダル男子は取ってるので、 自分もプレッシャーを感じたし、原沢選手も今すごいプレッシャーを感じてると思うので、午後からは原沢のサポートに回りたいなと思います。 司会者 最後は会いたい人。 羽賀 会いたい人は、両親が今回会場に来てくれてたんですけど、昨日も会う機会がなくて、スタンドで遠くから見るくらいだったので、 両親には日本に帰ってゆっくり時間をつくって会いたいなと思います。 「自分だけ取れなかったらどうしよう」と思いながら戦っている 記者3 羽賀選手にうかがいたいんですけれども、先ほど、「みなさん全階級、今まで取ってきてプレッシャーがあった」ということなんですけれども、 そのプレッシャーのなかで、どのように気持ちを、心を整えたり、気持ちを高めたりして競技に臨んだのかっていうのを聞かせていただきたいのと、 あとは4年前の金メダルがまったく取れなかった柔道の男子と比べて、柔道男子日本代表はどのように変わっているのか、ということを教えてください。 司会者 はい、じゃあ、羽賀選手、よろしくお願いします。 羽賀 柔道はメダル取ってきていて、本当に毎日毎日プレッシャーもかかっています。 「自分だけ取れなかったらどうしよう」ってそういう思いを持ちながら、みんな選手は戦ってると思うんですが、そうやって強い選手が重なって 出てくることで、チームの士気も高まっているし、後ろにプレッシャーかけてやるぞっていう思いが、自分らが待っていて伝わるので。 自分も負けて、 昨日3位決定戦に臨む時に、すごい惰性になってしまっていた自分がいたんですけど、今まで日本チームがメダル取っているっていうことは、 自分も絶対取らなきゃダメだっていうふうに、自分で言い聞かせることができたので、本当に強いチームでよかったな、っていうふうに思います。 4年前も自分はロンドンは出場できなくて、補欠というかたちでロンドンは見てたんですけど、その時のチームとは今はぜんぜん違って、個人種目 である柔道なんですが、井上康生監督のもとで、チーム一丸となって戦うっていう意識がチームのなかにすごいあって。 今まで柔道にそういう チームみたいなそういう意識ってなかなかなかったと思うんですけど、最終的に勝って井上監督に恩返ししたい、コーチに恩返ししたいっていう 選手がすごい多くなったので、それは本当に日本代表として、いい雰囲気で柔道は試合できてるというふうに思います 柔道・羽賀「チーム一丸となって井上監督に恩返しを」プレッシャーをはねのけたリオ五輪柔道チームの強み http://logmi.jp/157595
175 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:52:55.01 ID:qPU0+Gli.net 司会者 おはようございます。本日、第31回オリンピック競技大会2016、リオデジャネイロ、メダリスト記者会見を始めさせていただきたいと思います。 本日は柔道のメダリスト記者会見を執り行います。お集まりいただきまして、ありがとうございます。それでは開始させていただきます。 昨日メダルを獲得をし、 取材等もあったと思いますし、チームメイトともお会いし、監督とも会い、まずはご登壇いただいている両選手より、一夜明けての率直な感想をうかがい、 みなさまからのご質問をいただければと思っております。 まずは、オリンピック初出場で、同階級ができた2000年のシドニー大会以来の連続メダルを 引き継いて銅メダルを獲得しました、柔道女子78キロ超級、山部佳苗選手から、一夜明けた率直な感想をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。 山部佳苗氏(以下、山部) 一夜明けて、やっぱり朝起きたときには「金メダルじゃないんだな」という実感のほうが大きかったです。 悔しい気持ちのほうが強く、 やっぱりあの準決勝で「なんであの時、奥襟をつかんでしまったのかな」という後悔のほうが、朝起きたらやっぱりだんだん強くなりました。でも、4年間やって きた結果なので、メダルが取れてよかったなと思います。 司会者 率直な素直なお話、ありがとうございます。続きまして、オリンピック、世界選手権を通じて 世界大会初出場の、柔道男子勢全階級メダル獲得の最後の階級で、みごと銀メダルを獲得されました、柔道男子100キロ超級、原沢久善選手、お願い いたします。 原沢久善氏(以下、原沢) 昨日、試合が終わったあとはすごく悔しい気持ちで、「金メダルほしかったな」というのがあったんですけど、 今日朝起きてからは、本当に自分自身すべて出し切って戦うことができたのかなと思っています。また4年後に向けて、新たにスタートしていきたいな という気持ちで今います。 司会者 ありがとうございます。力強い、4年後に向けたお話もいただきました。それでは、2人にご質問をいただければと思います。 決勝戦の相手・リネール選手へのブーイングについて 記者1 産経新聞のアマノと申します。お2人に1問ずつお願いします。 山部選手には、昨日スタンドにはご両親であったり、先生であったり、いろんな方が 応援に来られていましたが、今、ご両親、先生に対してどのような思いをいただいているか。また、昨日の試合のあとに、ご両親になにかお話ししたことが あれば教えてください。 原沢選手には、決勝の試合についてあらためてうかがいたいんですけれども。あの試合は、本当に出しきれたのかどうか。また、 会場がやはり大ブーイングに、(テディ・)リネール選手に対して、包まれましたけど。あの大ブーイングに対してどのようにお感じになったか、お聞かせください。 山部 遠いこのリオの地まで応援に来てくれたのはすごくうれしく思うし、試合場でも試合中に声が聞こえるほど大きな声で応援してくれたというのにすごい 感謝しています。 試合が終わったあとは会場で少ししゃべったんですが、本当に家族はみんな笑顔で「メダル取れてよかった」と言ったので、最低限の 仕事はできたのかなと思ってすごくうれしく思いました。 原沢 決勝戦は、あの時の自分を振り返ってみると、「まだこうできたんじゃないかな」とか、 いろいろ考えることはありますけど。あの場面ではすべて出し切ったんじゃないかなとは思ってます。 そして、ブーイングについてですけれども。 リネール選手が消極的な姿勢というのはありましたが、やっぱりそれは勝ちに対するリネール選手の執着心の強さだとか、勝ちへのこだわりだとか、 そういうものを強く感じました。たとえあのような感じになっても、勝ちを取ったということで、僕はすごいなと率直に思います。 山部選手、東京五輪について「苦しい4年に耐えるか自分自身と向き合う」 記者2 産経新聞社のササキと申します。おめでとうございます。そして、お疲れ様でした。今一番食べたいものはなんでしょうか。それから、しばらく 休みたいと思います、落ち着かれていて4年間我慢していたもの、なにかしたいことはあるでしょうか。そして、今、会いたい人は誰でしょうか。よろしく お願いします。 山部 今一番食べたいのは、昨日はラーメン食べたいなと思ったんですけど、今日は焼き肉が食べたいなと思いました。 やりたいことは、 今はとりあえず本当に時間を気にせず、時間に追われることなく、ゆっくりした時間を過ごしたいなと思います。 会いたい人は、これまだたくさん支えてくれた 方々がいるので、その人たちに1人ひとり会いに行きたいなと思います。 原沢 食べたいものは、とにかく体に悪いものを摂取したいなと思います(笑)。 (会場笑)
176 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:54:23.66 ID:qPU0+Gli.net 記者2 具体的にはなんですか?(笑)。 原沢 脂っこいラーメンとか、焼き肉だとか、揚げ物とか、食べたいなと思います(笑)。 やりたいことは、 本当この何ヵ月間か、柔道のことだけ考えてやってきたので、本当に柔道を忘れて、ふつうの生活がしたいなと思います。 会いたい人は、本当地元の方々も すごく応援してくれましたし、会社の方や大学関係の方、その人たちにお礼を言いに行きたいなと思います。 記者3 北海道新聞のオオヤといいます。 おめでとうございます。そして、お疲れ様でした。山部選手に1つうかがいたいと思います。今、これからゆっくりした時間を過ごしたいとおっしゃって ましたけれども、4年後の東京五輪向けてはどのようなお気持ちでしょうか? 山部 まずはこの結果を自分自身しっかり受け止めて、もっと苦しい4年 になると思うので、その苦しい4年に耐えるかどうかを自分自身と向き合って、できると思ったときから一歩踏み出していきたいなと思います。 司会者 地元北海道の北海道新聞から。ありがとうございます。ほかにご質問いかがでしょうか? 男子の全階級メダル獲得の要因 記者2 たびたびすいません。産経新聞社のササキと申します。これまでさまざまな逆境を乗り越え、怪我を乗り越え、ここまでたどり着いたと思います。 日本の子供たち、もしくは柔道をしている、スポーツをしている、オリンピックを目指す子供たち、青年たちにメッセージをお願いします。 山部 オリンピックは やっぱり夢のある舞台だと思うので、その舞台でしっかり戦える姿を私たちは見せていかなきゃいけないので、それを見て「自分も立ちたい」と思って、 練習に励んでいただけたらなと思います。 司会者 山部選手はスポーツ少年団の時から柔道を、小さい頃からやられていたということですよね。 ありがとうございます。原沢選手もよろしくお願いします。 原沢 今回のオリンピックを見て、本当は子供たちには柔道をやってほしいんですけれども。 本当にいろんな競技を通して、人間的にも成長してほしいなと思いますし。また、オリンピックを目指してみんながんばってもらいたいなと思います。 司会者 ありがとうございます。オリンピアンとしてのすばらしい発言だっと思います。ほかにご質問いかがでしょうか? 記者4 共同通信のナカジマと申します。 原沢選手にうかがいたいんですけれども。男子は全階級でメダルを獲得したということで、実際に男子チームの雰囲気とかはどういうものだったのかということと、 全階級でメダルが取れた、どういうところに要因があると考えてらっしゃいますか? 原沢 チームの雰囲気としては、やっぱり1日1日みんなメダル取ってきて、 やっぱり次に日の選手はすごくプレッシャーがあったと思うんですけれども、それが逆にいい刺激になって、こういう結果につながったのかなと思います。 また、今回、全階級でメダル取れた要因は、やっぱりコーチ、監督、選手、お互いが信じていい関係が築けてきたことが、こういう結果につながったのでは ないかなと思っています。 司会者 確か原沢選手は同じ部屋のメンバーがみんなメダル取ったという。ベイカー(茉秋)選手、羽賀(龍之介)選手、最後に 原沢選手が取ったということで。3人1部屋なんですけど、全員メダル獲得部屋ということですよね。ありがとうございます。 ブラジルの柔道ファンは熱狂的だった 記者2 何度もすいません。産経新聞社のササキと申します。柔道会場は、ブラジルの応援がとてもすごい会場になっております。国際大会、何度もされてる と思いますが、このブラジルの応援の雰囲気、もしくはリオに来られてリオの雰囲気などについて、感想があればお聞かせください。 山部 リオの試合会場の 雰囲気は、やっぱりブラジルの選手が出るとすごい盛り上がっていて。東京でやる「グランドスラム東京」の試合とはちょっと違うなという印象を受けました。 たくさんのブラジル選手の声援だったり、そういうのは試合場に入ってしまうと自分たちも聞こえなくなるので、そこはあんまり試合のときには影響はないかな と思いました。 司会者 リオの町はどうですか? まだ町に出てない?(笑)。 山部 リオの町はすごい危ないとかすごい危険とか、そういうニュースをすごい 見てきたんですけど、実際来てみると今は、そういう目に遭ったわけでもないし、「そんなに危ない街なのかな?」という印象を受けました。
177 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:56:18.68 ID:qPU0+Gli.net 原沢 ブラジルの柔道ファンの方は、すごく熱狂的だなという印象を受けまして。ちょうど僕の試合の1試合前はブラジル選手がやる試合で、本当に「ちょっとうるさいなぁ(笑)」と 思いながら、試合に僕は挑んでました。 司会者 リオの街? わかる範囲で、リオの雰囲気は? 藤沢 そうですね。本当に車から覗いた感じは、そんなに 危なさは感じなかったですけど。実際に柔道選手で襲われた選手がいると聞いて、危ないのかなと思いました。 司会者 以上をもちまして、質疑応答および 記者会見のほうを終了します。本日はご協力ありがとうございました。 柔道女子・山部、東京五輪は「苦しい4年に耐えるか自分自身と向き合って考える」 http://logmi.jp/157629 柔道界に誕生したスター候補だ。リオ五輪に出場した男子代表7人のうち最年少で、唯一の現役大学生。初舞台に硬くなりそうなものだが物おじせず、 一気に男子90キロ級の頂に上り詰めた。「ここから柔道人気を爆発させたい」と勢いに乗る。 全日本男子の井上康生(こうせい)監督の「新種」との表現が、その内面も外面も見事に言い当てている。優勝の瞬間は両手人さし指を派手に突き上げた。 全日本柔道連盟の宗岡正二会長は、大会あいさつのたびに「勝っておごらず、負けて腐らず」と説き、口酸っぱく、ガッツポーズの自粛を求めてきたが、 お構いなし。喜びも悲しみもストレートに表現するのがベイカー流だ。 型にはまらないのは、柔道スタイルも同じ。腰を引く組み手は、従来「逃げ腰」として否定されてきた。ただ母校の東海大浦安高の竹内徹監督が 「(左の引き手で)相手の釣り手を抑える狙いだから、あれはあれでいいのではないか。やめさせるとリズムが崩れる」と柔軟に育てたのが奏功。 井上監督も「組んでみると独特のやりづらさがある」と言う。 米国人の父と日本人の母の間に東京で生まれた。小学生時代にインターナショナルスクールに通い、英語も堪能。海外選手に積極的に話しかける社交性も 備えている。選手の知名度が低く、井上監督の名前ばかりが前面に出てきた代表チームに現れた役者。東京五輪に向けた「JUDO界」の顔となる強さと 快活さを備えている。 いざ東京2020:/1 20年目指すエースたち http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160823/ddm/010/050/016000c ロンドン五輪で史上初の金メダルゼロに終わったお家芸の大ピンチを救ったのは井上康生監督(38)だ。選手だけでなく、コーチ陣をまとめる力も卓越していた。 現役時代は酒を飲まず、誰もが「お酒1杯で赤くなる」と口を揃えていたが、合宿では連日連夜、コーチ陣と飲みながら議論を戦わせた。 そこで飲むのは決まって、サントリーの缶チューハイ「ストロングゼロ」だった。名称が気に入り、監督自らコンビニに買いに走ったこともある。「強さ」への あくなき追求が、金メダル2個を含む史上初の全階級メダル獲得の快挙を成し遂げた。 【柔道男子】井上康生監督 強さにこだわり酒も「ストロングゼロ」 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/584201/
178 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:56:56.86 ID:qPU0+Gli.net リオデジャネイロ五輪の柔道で、男子は7階級制となった1988年ソウル五輪以降で初めて全階級でメダルをつかんだ。女子の5個と合わせた獲得メダル 12個は過去最多。ニッポン柔道は本当に復活したのか。「女三四郎」山口香氏(51)に聞いた。 惨敗した4年前の2012年ロンドン五輪と比べると、日本柔道はリオ五輪で大きく前進しました。 シドニー五輪100キロ級金メダリストで男子日本代表の井上康生監督(38)、ジュニアヘッドコーチから昇格した女子の南條充寿(みつとし)監督(44)を はじめとするチームスタッフが、日本柔道を再生に導いたといえます。両監督とも、ロンドン五輪後に就任し、見事に結果を出してくれました。 日本柔道の強さを最も印象づけたのは、男子73キロ級の大野将平選手(24)でした。圧倒的な強さ、技の多彩さ、美しさで、日本のみならず世界が 目指すべき柔道を示しました。 組み手のごまかしや駆け引きに動じることなく、外国人の得意な力勝負になっても引くことなく応じ、組んで投げて王者になりました。日本柔道が「王道」を 求めて強化してきたからこそ得られた金メダルであり、シドニー五輪で井上監督が見せてくれた姿に重なりました。 〈ロンドン五輪の獲得メダルは男女計7個。男子は史上初めて全階級で金メダルを逃した。惨敗の要因の一つは、国際柔道連盟(IJF)が08年の北京五輪後に 導入した世界ランキング制度にあるという〉 制度の“落とし穴”に嵌(はま)ってしまいました。五輪シード権を獲得するために、強化選手の国際大会への派遣の激増が余儀なくされ、その結果、 ロンドン五輪で戦う前に、選手たちは疲弊していたのです。 全日本柔道連盟(全柔連)としての方針でもあり、男女の両監督、選手に選択の余地はありませんでした。「従えない選手は五輪レースから脱落する」という 無言のプレッシャーをかけられたのです。 日本代表女子では、ロンドン五輪直後の13年1月、強化選手への暴力問題が発覚。これを契機に、指導体制が刷新された〉 「俺についてこい」というスタイルの指導は柔道に限らず、長く日本スポーツ界にはびこってきた悪習です。 たった一人で畳に上がり、勝利するために求められるのは、的確な判断と決断です。世界で活躍できる選手は自分で考え、乗り越える力を持っています。 従順なだけの選手では通用しません。 〈その悪習を断ち切ったのが、男子の井上監督と女子の南條監督だ。井上監督は、不面目なロンドン五輪後の12年11月から男子を率いる。南條監督は、 暴力問題発覚後の13年3月に火中の栗を拾う形で就任した〉 特に男子の井上監督は、次々と改革を断行しました。
179 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 18:57:14.14 ID:qPU0+Gli.net これまで柔道の専門家だけで固めていた代表チームに、スポーツ医学の専門家を招き、パワーで勝る外国選手に対抗するための強靱(きようじん)な肉体作り に着手しました。いくら技を磨いても、組み合う段階で相手に力負けしては、日本が目指す一本を取る柔道ができないと考えたからです。 また、現在の柔道は世界のさまざまな格闘技が混在しているという事実を受け入れました。日本柔道が一番というプライドを捨てることは勇気が必要だった はずです。民族格闘技を取り入れた多様な技を駆使する“世界の柔道”への対応力を強化するために沖縄角力(すもう)などを体験させました。 「まだ絶対的な力には及ばない」 〈新監督による指導の下、選手たちは「自信を取り戻した」とみる山口氏だが、男女ともに日本代表チームのあり方には課題も残ると指摘する〉 現状では、ナショナルチームの監督、コーチが五輪への強化を担っています。しかしながら日常的に選手の育成・強化を行っているのは企業や大学などの 所属チームです。ナショナルチームと所属の指導の一貫性が求められます。 私自身は以前から、マラソンのように所属チームのコーチが代表コーチを兼ねる新しいスタイルを作るべきだと訴えてきましたが、今回のナショナルチーム を見て「柔道はこれでいいのか」と思わされた部分もあります。リオの好結果を生んだ背景の一つは、ナショナルチームと所属との連携が以前よりも機能し、 「チームジャパンで戦う」という意識が醸成されたことでしょう。 東京に向けての第一歩はナショナルチーム体制の再編成です。自国開催の五輪は、選手のみならずコーチ・スタッフも尋常ではないプレッシャー にさらされます。東京に向けたチームを背負うための人選は、選手選考同様に全柔連が説明責任を求められるでしょう。 〈そうはいっても、リオ五輪で過去最多のメダルを獲得した日本柔道は、その復活を印象づけた〉 男子チームは全階級でメダルを狙える自力をつけ、結果も手にしました。女子は自力の底上げが十分ではなかったものの、力のある選手にメダルを 取らせることはできました。ただし、いまだ盤石とはいえず、できたこと、できなかったことの検証が必要です。 メダルの多くを占めたのは銅メダルであったことを忘れてはいけません。すべての3位決定戦は接戦で「やむなく銅」ではなく、「必死の銅」に見えました。 メダル当確ラインにはいるものの、絶対的な力には及ばないことをチームとして自覚するべきです。 〈リオ五輪と同じく、4年後の東京五輪で日本柔道は躍進できるのだろうか〉 リオの成功は東京へのさらなる期待につながることは間違いありません。自国開催の五輪がもたらすプレッシャーは想像もつきません。守ろうとすれば苦しい 戦いになるでしょう。リオを見て、日本柔道にはまだ伸び代があると私は感じました。ロンドンからの取り組みの成果は途上です。あと4年をかけ、さらに進化し、 完成された姿を見せてくれると信じています。 4年後の東京五輪で、リオは序章だったと思える成績を残した時こそ「真にニッポン柔道が復活した」といえるのです。 リオ五輪:「女三四郎」山口香が明かす 「ニッポン柔道」復活の全情報 http://mainichi.jp/sunday/articles/20160822/org/00m/070/010000d
180 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/23(火) 23:52:11.54 ID:RqCFckny.net リオデジャネイロ五輪で、日本選手団は金メダル12を含む史上最多となる41個のメダルを獲得した。入賞総数88も過去最高。 JOCが掲げた目標(金メダル数14、メダル総数30)をほぼクリアする数字を残せたのは、実力者たちが期待通りの パフォーマンスを発揮したからである。遠く離れた南米の地で日本選手たちは頼もしく、勝負強かった。 金メダル12のうち、体操男子団体、男子個人総合の内村航平、柔道男子の大野将平、女子レスリングの伊調馨と 登坂絵莉の計5つは昨年の世界選手権を制していた。王者たちが世界から追われる立場に身を置きながら、重圧に打ち勝ったといえるだろう。 そのほかの金メダリストも競泳の萩野公介と金藤理絵は今季世界1位のタイムを持ち、バドミントン女子ダブルスの高橋礼華・松友美佐紀 も世界ランク1位で今大会を迎えた。柔道男子のベイカー茉秋(東海大)は第1シードだった。レスリング女子の川井梨紗子と 土性沙羅は昨年の世界選手権でそれぞれ2位と3位に入っていた。“無印”で金を射止めたのは女子柔道の田知本遙くらいだろう。 日本選手団の山下泰裕副団長(全日本柔道連盟強化委員長)は総括会見でこう話した。「私が選手の頃、あるいは監督を務めたアトランタ(1996年)や シドニー(2000年)の頃は『日本選手はプレッシャーに弱い』とよく言われた。しかし、今の若い選手は世界の強豪を相手にしても屈しない。精神的にたくましく、 心の持ち方もポジティブだ」 銅メダルをかけた3位決定戦でも、卓球女子団体やテニス男子の錦織圭、柔道の高藤直寿らが勝って11勝4敗と大きく勝ち越している。 今大会の日本選手は勝負どころで実に強かった。 現在は多くの競技が世界ランクなどで五輪の出場権を争う。日ごろから世界を転戦しなければ出場切符も得られない。そのため、海外選手とも顔なじみで、 何度も対戦ししている場合が多い。動画投稿サイトで過去の試合映像も簡単に見られる。アトランタ五輪で女子柔道の大本命・田村(現姓・谷)亮子が敗れた ケー・スンヒ(北朝鮮)のような「まだ見ぬ強豪」はほとんど存在しない。 一部の選手を除き、五輪ほど観客の多い舞台での試合はまれとはいえ、多くの日本選手がストレスのかかる海外遠征やトップレベルの戦いを何度も積んで 五輪本番を迎えた。手厚いサポートも受けながら、タフになった日本人アスリート像を表す健闘といえる。 勝負どころで強かった日本 重圧なんの金12個 http://www.nikkei.com/article/DGXMZO06381540S6A820C1UU4000/ 過去最多12個のメダルを獲得した柔道。特に男子は金メダルゼロに終わったロンドンから全階級メダルとV字回復を果たした。66キロ級の海老沼匡(26)を 除く6選手は初出場だったが、井上康生監督(38)が「全員メダルが目標。金メダルを取れる力を持っている」と代表決定時に語った通りの結果。金メダルは 73キロ級の大野将平(24)と90キロ級のベイカー茉秋の2個だが、7階級制になった88年ソウル大会以降、世界初の全階級メダルは間違いなく快挙だ。 素晴らしい結果に導いたのは、指揮官の手腕や選手の努力もあるが、陰で支えたスタッフの力も大きい。井上監督、女子の南條充寿監督(44)が就任してから、 全柔連では総勢約80人にもなる情報分析班を本格的に稼働。世界中の各大会で映像を撮影し、それを相手選手の得意技やタイプ、指導の取り方、 取られ方など事細かに分析を開始した。 これまでといえば、映像は撮影し、選手に見せたとしても「こんな感じ」とイメージを持たせる程度。「自身の柔道を貫けば勝てる」が日本式だった。今大会、 柔道では男女を合わせて26か国・地域の選手がメダルを獲得。豪快な一本を取り続けた大野は別格だったが、勝負にこだわり、決勝では相手をかわしながら 金メダルを取ったベイカーのような戦術が世界のスタンダードになりつつある。 現に、今大会で男女を通じて全種目に選手を送り込んだのは日本と開催国のブラジル、欧州で最も盛んなフランスの3か国だけ。今後、世界では1個でも いいからいい色のメダルを取ろうと、得意階級に特化した強化がより進んでいくだろう。全階級メダル獲得を維持することはさらに難しくなる中、4年後の東京を迎えることになる。 最年長の海老沼が26歳と、今回の7人は連続メダルが狙える選手だが、必要なのは己を知り、相手を知ること。稽古とデータをさらに蓄積させ、国内の競争を 激化させることが、メダルの維持、さらには色の変化をもたらすと感じている。 総勢80人の情報分析班が稼働…記者が振り返るリオ五輪 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160822-OHT1T50192.html
181 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/24(水) 18:34:26.23 ID:7cdlU45J.net 成年女子の団体戦が行われ、富山・射水市出身で78超級の田知本愛(めぐみ、27)が4試合オール一本勝ちで復帰戦を飾った。観戦したリオ五輪 70キロ級金メダリストの妹・遥(26)=いずれもALSOK=の前で、豪快な投げ技を連発。チームは惜しくも準優勝となったが、左膝故障に苦しんだ 田知本にとっては完全復活に向けて大きな一歩となった。少年男子、少年女子は共に富山が優勝した。 悲運の故障から126日。田知本愛が復帰を果たした。団体戦(3人制)の大将として出場し、各県の代表選手を次々と撃破。初戦はやや緊張もあったが、 足技で倒すと、横四方固めで一本勝ち。成年女子の二瀬寛之監督(51)は「体さえできれば、十分に(柔道が)できる。あとは膝の状況次第」と笑顔。 2戦目は開始26秒で出足払い、3戦目は2分16秒で払い腰、4戦目はわずか23秒で払い腰を決めて見せた。 4月の全日本選手権は決勝で敗れ、リオ五輪代表を逃した。左膝靱帯(じんたい)を損傷し、全治2か月と診断されたが、手術を受けずにリハビリを続けた。 「富山県に恩返しして、柔道を盛り上げたい」と、中、高、大学の後輩だった先鋒の武田清美(24)=警視庁=を誘って、北信越国体出場を志願。試合では 「技に入るタイミングをつかみたい」と、真剣勝負を繰り広げた。 会場にはリオ五輪70キロ級で金メダルを獲得した妹・遥も訪れ、姉の試合を見守った。まだ万全の状態ではないが、パワー満点の柔道は健在だ。試合後、 インタビューの苦手な田知本愛は語らなかったが、武田が「柔道にかける強い思いを肌で感じました」と話せば、二瀬監督は「外国人を苦にしないパワーがある」 と評価した。気持ちを切り替え、新たなスタートを切る。 【柔道】田知本愛、復帰戦で4戦一本勝ち! : スポーツ報知 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160821-OHT1T50254.html リオデジャネイロ五輪の柔道女子78キロ超級で銅メダルに輝いた山部佳苗選手(25)(ミキハウス)が23日、母校の山梨学院大(甲府市)を訪れ、 柔道部員らにメダル獲得を報告した。 山部選手は、同じく同大の卒業生で台湾代表として柔道女子57キロ級で5位になった連珍羚選手(28)と一緒に同大を訪問。部員ら約140人から 拍手で迎えられ、花束を受け取った。山部選手は後輩たちにメダルを持たせたり、記念撮影に応じたりと笑顔を見せていた。山部選手は「金メダルが 取れなくて悔しいが、一本を取る自分の柔道ができた。後輩の励みになったらうれしい。次の五輪は一度ゆっくり休んで、また頑張れると思えたら金を 目指して挑戦したい」と話していた。 山部選手「一本柔道できた」…リオ五輪「銅」 http://www.yomiuri.co.jp/local/yamanashi/news/20160823-OYTNT50085.html
182 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/24(水) 18:38:23.61 ID:7cdlU45J.net リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した天理大柔道部出身の大野将平選手(24)=写真=の優勝パレードが28日、 天理市内で行われる。 柔道部OBらでつくる「天理柔道会」が主催。午後2時、JR・近鉄天理駅北側ロータリー前で式典を開き、大野選手は午後2時20分、天理教校学園高 マーチングバンド部の先導で歩き始める。天理本通り商店街を進み、天理教会本部までの1・2キロを約30分かけて練り歩く。本部では大野選手があいさつする。 大野選手は山口市出身。天理大に入学して技を磨き、現在は旭化成に所属しながら天理大大学院にも在籍している。五輪初出場ながら圧倒的な強さで 勝ち進み、決勝ではルスタム・オルジョフ選手(アゼルバイジャン)に一本勝ちした。 大野選手 Vパレード : 地域 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20160823-OYTNT50226.html 山口県の村岡嗣政知事は24日の記者会見で、リオデジャネイロ五輪の柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した山口市出身の大野将平選手(24)に 県民栄誉賞を贈呈すると明らかにした。 村岡知事は「素晴らしい活躍に大きな感動をもらった。まだ若い選手なので、東京五輪でも県民挙げて応援したい」と述べ、4年後に期待を寄せた。 授賞式の日程は今後調整する。 山口市の渡辺純忠市長も同日の会見で「日本中に大きな感動と勇気を与えてくれた」と述べ、大野選手に市民栄誉賞を贈る意向を示した。 山口県はほかに、大野選手や卓球女子団体で銅メダルを獲得した石川佳純選手(23)ら、県ゆかりのメダリスト5人全員に県スポーツ文化特別褒賞を贈る。 柔道金の大野将平に山口県民栄誉賞!知事「感動もらった」/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160824/rio16082412530012-n1.html 同じ世界を獲った者として、言葉が胸に響いた。かつて絶対王者として君臨した長谷川が、リオ五輪で金メダルを獲得した柔道男子の大野に続き 世界のてっぺんに昇ることを誓った。 「すごいなと思います。自分もエネルギーを与えられる人間になりたい」 ふたりは昨年、5月の長谷川の試合に大野が観戦に来るなど、かねてから親交があった。大野が金メダル獲得直後に話した「(五輪は)独特な雰囲気があるが、 普通の国際大会と一緒だし、気持ちの持ちよう」という言葉に感動。自分に当てはめて、大いに刺激を受けた。普段、スポーツ観戦はあまりしないが、 今回のリオ五輪は多くの競技をテレビ観戦したという。「スポーツの力を感じた。スポーツマンにしかできない社会貢献をしたい」と自身のボクシングへの 活力となった。 長谷川、弟分・大野「金」パワーで3階級制覇や! http://www.sanspo.com/sports/news/20160824/box16082405020003-n2.html
183 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/24(水) 18:38:45.07 ID:7cdlU45J.net 延岡市は23日、リオデジャネイロ五輪の競泳男子800メートルリレーで銅メダルを獲得した松田丈志選手(32)に「市民栄誉賞特別賞」、柔道男子 100キロ級で銅メダルを獲得した旭化成柔道部の羽賀龍之介選手(25)に「市民栄誉賞」を贈ると発表した。 市民や市出身者を対象にした賞で、2回目からは特別賞となる。市出身の松田選手は3回目(特別賞は2回目)、羽賀選手は初の受賞。これまでに 5人と1団体が受賞している。 また、松田選手を幼少期から指導し、全日本のコーチも務めた久世由美子さん(69)に「特別功労賞」を贈る。久世さんは3回目の受賞。 さらに、旭化成柔道部に所属し、柔道男子73キロ級で金メダルの大野将平選手(24)(山口県出身)、同81キロ級で銅メダルの永瀬貴規選手(22) (長崎県出身)には「アスリートタウン延岡スポーツ特別賞」を贈る。 首藤正治市長は「選手の皆さんに感謝とねぎらい、そしてこれからの期待の気持ちを込めて賞を贈りたい」と話した。 河野知事は23日の定例記者会見で、リオデジャネイロ五輪で活躍した県ゆかりの選手4人と、監督1人について「素晴らしい活躍で日本中を感動させた。 その功績を顕彰したい」と述べ、何らかの賞を贈る考えを示した。 競泳の松田、柔道の羽賀、大野、永瀬の4選手と、柔道男子日本代表の全階級メダル獲得に貢献した井上康生監督(38)(宮崎市出身)。 松田選手と井上監督はこれまでに「県民栄誉賞」を受賞しており、県は別の賞の創設も含めて検討している。 柔道・羽賀選手に市民栄誉賞 リオ五輪で延岡市 http://www.yomiuri.co.jp/local/miyazaki/news/20160823-OYTNT50027.html 下関市は23日、リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級で銀メダルを獲得した市出身の原沢久喜選手に市民栄誉賞を贈ると発表した。 授与式は原沢選手が下関に帰省するタイミングに合わせる予定で、市スポーツ振興課は「なるべく早い時期に行いたい」としている。 市民栄誉賞は2012年、ロンドン五輪の柔道男子90キロ級の銅メダリスト、西山将士選手の活躍を機に創設された。スポーツ分野のほか、学術・芸術や 文化活動で世界的に活躍した市ゆかりの人物に贈られる。受賞は西山選手に続いて2人目となる。 記者会見した中尾友昭市長は「(男子柔道)最重量級での銀メダル獲得は柔道界での功績も大きく、世界王者と互角に戦った決勝戦は市民のみならず、 国民に感動を与えた。市民栄誉賞に値する」と理由を述べた。また今後について「ぜひ4年後の東京オリンピックでは金メダルを取り、日本の柔道界を 引っ張っていってほしい。そのことが市民を元気づけることにもなると思う」と期待した。 リオ五輪:柔道・原沢選手に市民栄誉賞贈呈へ 下関市が発表 http://mainichi.jp/articles/20160824/ddl/k35/050/520000c 全国高校総体の柔道女子70キロ級で優勝した光市の聖光高3年、田中志歩選手(18)が22日、光市役所で市川熙(ひろし)市長に勝利を報告した。 柔道女子70キロ級は島根県立浜山体育館(出雲市)で3日にあり、シードの田中選手は2回戦から登場。初戦こそ硬さが出て攻めきれずやや苦戦したものの、 3回戦から準決勝までは裏投げや大内刈りで一本勝ち。決勝も小内刈りで有効を奪い、優勢勝ちで高校チャンピオンの座を手にした。 幼稚園から柔道を始め、小学校からはレスリングにも挑戦し、二つの格闘技で実績を重ねてきた。昨年は8月の世界レスリングカデット選手権で銅メダルに 輝いたが、秋以降は柔道一本に絞り「絶対優勝する」と公言して臨んだインターハイ。階級も「減量がきつかった」63キロ級から70キロ級に上げ、172センチの 体格を生かしての有言実行だった。 次の目標は2020年の東京五輪。聖光高入学時から柔道部で指導を受ける顧問の鳥居加奈さん(24)の母校、環太平洋大(岡山市)に進学予定だ。 環太平洋大女子柔道部はバルセロナ五輪金メダルの古賀稔彦さん(48)が総監督を務める強豪。田中選手は「もっと体力を付けて、筋トレで体格を がっちりさせ、技を磨いて、隙(すき)のない選手になりたい。攻めて一本の取れる柔道で代表に選ばれたい」と意気込んでいる。 高校総体:柔道女子70キロ級で優勝 光市聖光高3年・田中志歩選手、市長に報告 目指すは東京五輪 http://mainichi.jp/articles/20160824/ddl/k35/050/526000c
184 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/24(水) 18:39:00.97 ID:7cdlU45J.net 復活の狼煙(のろし)をあげたニッポン柔道。その最終日、大トリを飾ったのは100キロ超級の原沢久喜(ひさよし)(24)。仏の絶対王者を追い込み、銀メダルを 取ったニッポンの新星だ。 柔道の100キロ超級決勝。会場となった「カリオカアリーナ2」には数え切れないほどの仏国旗が揺れた。お目当ては同国代表の英雄、テディ・リネール(27)。 ところがこの日の戦いぶりは王者らしくない。原沢が組もうと迫るが、とにかく逃げて、逃げまくる。「アルプス一万尺」の手遊びのように原沢の手をはじく。 組まれたら投げられるのを知っている。この男が日本の柔道を苦しめている「JUDO」の頂点。組めない状況では原沢の技も思うように出せない。判定に 影響する「指導」はリネール1、原沢2。このわずかな差が「金」と「銀」を分けた。決勝後、原沢は言う。 「そんなに大差はないと思いますし、作戦で埋められるすき間かなと思いますが、まだまだ今回は足りなかった。(相手の)勝ちに対する執念を感じました」 史上初の全7階級メダル獲得の最後を締めた原沢。試合中や稽古同様、淡々とした表情で振り返る。柔道関係者によると「どんなに疲れても一切顔に 出さない」のが原沢なのだ。ところが一度だけ、本人がププッと笑い崩れる瞬間があった。スタンドに来ていた母親の敏江さん(54)が話題にあがったときだ。 「あーはい。いや……ハッハッハッ。本当に自分のために今日は戦ったっていうんですか、まあ〜へ、へへ」 実は原沢、いかにも明朗で活発な母敏江さんに女手ひとつで、妹、弟とたくましく育てられた 山口県下関市出身なのにフグが苦手。柔道を始めたのは小学1年だ。 「性格がやんちゃだったので。きょうだいや友人とトランプしていても、自分が一番になれないとガーッとメチャクチャにしてしまう。これは何か武道をやった ほうがいいと思ったんです。負けん気も強かった。柔道ではそれがよく出ました」と敏江さん。近所の大西道場スポーツ少年団に通わせた。 道場で指導した石田充さんは当時の印象を「寡黙ですけど、練習は追い込む。バンバン投げても心が折れない子でした」。性格は落ち着き始めたが、 それでも思春期だ。妹や弟にちょっかいを出してはケンカになる。反抗されて腹を立てた敏江さんも勢い余ってタンスを蹴破り、足が抜けなくなったこともあった。 中学に柔道部がなく、道場の紹介で地元の早鞆(はやとも)高校柔道部の練習に参加し、そのまま同高へ進学。現在の身長は191センチだが、高校入学時は 170センチ台。高校総体3位など、実績が出始めたのもこのころだ。同高柔道部の中村充也監督は「強くなって成績が出るとさらに強くなる。高みを目指した ときの集中力がすごかった。真面目にこつこつ、手を抜かない部員でした」と振り返った。 高校で柔道をやめ、就職も考えた原沢だが、日本大学柔道部の金野潤監督に遠征先で声をかけられた。 「ペラペラでガリガリ。下手だけど投げられない柔軟さを持つ。気持ちも強く、おもしろいな」。2カ月後、下関を訪ねる。 「日大どう」。原沢は「はい、日大行きます」と即答だった。これには金野監督も一本とられたようだ。 「普通は、親と相談し、他の大学と比較してから連絡しますとなるんですが、二つ返事で決まるなんて初めて。お母さんは試合にも姿を見せなかった。 お母さんも原沢も細かいことを気にしないですよね」 日大柔道部では部員に本を選ばせ、不定期に読書感想文を書かせるが、入部直後の原沢が最初に選んだ本は「相対性理論」について。 理由を尋ねられると「以前から興味あったんで」と答えた。 柔道に対する姿勢は真面目そのもの。主将も務めたが、練習は徹底して追い込み、部内では「背中で見せる寡黙なお父さんのような存在」だった。 金野監督は言う 「柔道以外には本当に小さいことに頓着しない、こだわらない。変わってる子って強いんですよ。世界チャンピオンになるような人間は常人と違う」 金野監督の予想どおり、教え子は強くなった。決勝後、敏江さんと一緒に来ていた妹のLINEに原沢のメッセージが入った。 「応援ありがとう。お母さんにも伝えて」 決勝後に会うことなく、敏江さんは帰国した。 「決勝はすごく頑張ってたんで『一生懸命やったね』と言ってみようと思うんですけど。彼も忙しいと思ってメールもしてないんですよ。ハハハ、 すみませんこんなんで」 母親譲り。小さなことに頓着せず、負けん気でたどり着いた銀メダル。4年後の柔道完全復活は、この大器にかかっている。 男子柔道・原沢久喜の銀メダルは“母親譲り”の賜物 https://news.nifty.com/article/magazine/12107-20160824-2016082300220/
185 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/24(水) 21:24:08.09 ID:AIUAicTq.net 大野将平(柔道) 夜遅く、そして朝早くから応援ありがとうございました。今回男子柔道では全階級でメダルを獲得することができました。これを見て、柔道を志す子どもたちが 少しでも増えたらうれしいと思っています。また2020年に向けて、もっと柔道という競技が注目されるように、僕自身も良い柔道をできるように頑張っていきます ので、変わらぬ声援、ご支援よろしくお願いします。 ベイカー茉秋(柔道) 小さい頃からの夢だった五輪チャンピオンになることができ、とてもうれしく思います。また日本からの熱い応援ありがとうございました。 田知本遥(柔道) このたびは日本中から声援ありがとうございました。(試合は日本時間で)夜中だったにも関わらず、帰国してからもたくさんの方に「リアルタイムで 応援していたよ」と声をかけられました。本当にありがとうございました。 原沢久喜(柔道) 目標の金メダルには届かなかったですが、皆さまのたくさんの応援と、最高の舞台で戦えたことに感謝し、また東京五輪に向けて頑張っていきたいと 思います。本当にありがとうございました。 高藤直寿(柔道) 今回はたくさんの応援ありがとうございました。金メダルは取れなかったんですけど、応援してくださった皆さまの気持ちがあって、銅メダルが取れたと 思います。東京五輪では必ず金メダルを取りたいと思うので、応援よろしくお願いします。 海老沼匡(柔道) たくさんの応援ありがとうございました。僕としては悔しい結果に終わりましたが、皆さんに応援とたくさんのサポートをしていただき、五輪という最高の舞台で 戦えたことを誇りに思います。本日はありがとうございました。 永瀬貴規(柔道) たくさんの応援ありがとうございました。今大会は自分の中で目標に掲げていた結果ではなかったですが、最後まで集中して戦い抜くことができました。4年後 の東京五輪では今回の経験を生かして、自分の納得のいく結果が出せるように頑張りたいと思います。今後とも応援のほど、よろしくお願いします。 羽賀龍之介(柔道) リオでは悔しい思いをしました。この4年間はもっと努力していって、次は金メダルという形で恩返しできるように頑張っていきます。今後もよろしくお願いします。 近藤亜美(柔道) 金メダルではないという結果をしっかりと受け止め、東京五輪に向けてまた一つ一つ頑張っていきたいと思います。たくさんの声援ありがとうございました。 中村美里(柔道) 五輪ではたくさんの応援ありがとうございました。目指していた色とは違うものになりましたが、たくさんの支えやいろいろな経験を経ての銅メダルなので、 大事にしたいと思います。本当にありがとうございました。 松本薫(柔道) たくさんの応援ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。 山部佳苗(柔道) 目指していた色とは違うんですけど、苦しい場面でたくさんの声援が私の背中を後押ししてくれたと思います。本当にありがとうございました。 吉田沙保里「感謝の気持ちでいっぱい」=日本代表選手団が帰国会見 http://rio.yahoo.co.jp/column/detail/201608240003-spnavi
186 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/25(木) 19:34:28.76 ID:4Hs19SGC.net 県は24日、山口市出身でリオデジャネイロ五輪の柔道男子73キロ級の金メダリスト、大野将平選手に県民栄誉賞を授与すると発表した。 県民栄誉賞の授与は、旧福栄村(現萩市)出身で2004年のアテネ五輪の柔道女子78キロ級で金メダルを獲得した阿武教子さんに続いて2人目。 5選手に県スポーツ・文化特別褒賞 県民栄誉賞は04年、阿武さんの活躍を祝うため創設された。五輪の金メダリストやノーベル賞受賞者ら県民に明るい希望を与える業績があった人が対象。 授与式の日程は未定だが、県は大野選手に県ゆかりの品を記念品として贈る予定だ。 また県は、大野選手と▽同男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(下関市出身)▽レスリング男子グレコローマンスタイル59キロ級銀メダルの 太田忍(柳井市の柳井学園高校出身)▽卓球男子団体銀メダルの吉村真晴(山口市の野田学園中・高校出身)▽同女子団体銅メダルの石川佳純 (山口市出身)??の5選手に県スポーツ・文化特別褒賞を贈る。同賞は国内外の大会で優勝またはそれに準ずる成績を残した人の今後の活躍を 奨励する目的で、それぞれ賞状と50万円が贈られる。 村岡嗣政知事は定例記者会見で「5選手は世界最高の舞台で見事に活躍し、日本全体に大きな感動を与えた。県民の一人として誇りに思う」と話した。 山口市も市民栄誉賞 大野、吉村、石川の3選手に 山口市も同日、大野将平選手、吉村真晴選手、石川佳純選手の3人に市民栄誉賞を贈ると発表した。石川選手は2回目の受賞。同賞は、12年の ロンドン五輪で卓球女子団体銀メダルを獲得した石川選手の活躍を祝うために創設され、これまでの受賞者は石川選手だけだった。 市は9月下旬ごろに祝賀会を開き、記念品や賞金(未定)を贈る予定だ。4年前は市中心部のアーケードで石川選手の人力車パレードが行われた。 渡辺純忠市長は定例記者会見で「市ゆかりの選手が一度に金、銀、銅メダルを獲得し、大変な快挙だ。市民みんなで喜びを共有したい」と語った。 リオ五輪:金の大野選手に県民栄誉賞 知事「大きな感動与えた」 http://mainichi.jp/articles/20160825/ddl/k35/050/504000c 荒井正吾知事は24日の定例記者会見で、リオデジャネイロ五輪で金メダルに輝いた柔道男子73キロ級の大野将平選手(24)=天理大卒=と、 バドミントン女子ダブルスで同競技として日本勢初の金メダルを獲得した高橋礼華(あやか)選手(26)=橿原市出身=に県民栄誉賞を贈る方針を示した。 荒井知事は「大野選手は重圧があったと思うが、日本柔道勢のメダルラッシュの弾みになった。高橋選手も決勝の逆転は素晴らしかった」と評した。 県民栄誉賞はこれまで、柔道の野村忠宏選手、映画監督の河瀬直美さん、ボクシングの村田諒太選手の3人が受賞している。 リオ五輪:金の大野・高橋両選手、県民栄誉賞を贈呈へ http://mainichi.jp/articles/20160825/ddl/k29/050/554000c
187 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/27(土) 18:28:10.82 ID:EmLkbqGj.net 今回のオリンピックで印象に残った実況があります。冷静なはずのアナウンサーがやや感情的になったケースで、「競技のルールに問題があるからでは?」と 思わせるものでした。 それは柔道100キロ超級、テディ・リネール選手と原沢久喜選手の決勝戦です。担当したのはNHKの豊原謙二郎アナ。 昨年のラグビーワールドカップ・南アフリカ戦で奇跡の瞬間に、「行けーっ! 行けーっ! トラーイ! ニッポン逆転!」と叫び、 その後大歓声に任せて35秒間無言を通した名実況で知られた方です。 リネール選手は身長2m4cm、体重130kg、オリンピック2連覇を狙うフランスの強豪です。 試合はいきなり原沢選手への「指導」からはじまります。開始8秒で防御のために奥襟(首)を抜いた、という審判の判断だったようです。しかし、 2014年のルール改正に基づく全日本柔道連盟の『国際柔道連盟試合審判規定』によれば、 「試合者が頭を抜く動作を続ける場合には、主審は、2)「極端な防御姿勢」にあたるか考慮しなければならない」 とあります。仮に原沢選手が首を抜いたとしてもそれを「続ける場合」に「極端な防御姿勢かどうか考慮」とあるのですから、試合が開始されて最初の 動きひとつで審判が「指導」を出すのはいささか疑問が残ります。 その後、リネール選手は組み合わない柔道を続けます。しかし原沢選手もうまく組み手を組ませてもらえず攻めあぐねます。そして、開始1分10秒、 原沢選手は「極端な防御姿勢を取った」として2つ目の「指導」を受けます。 「指導」は3つまでは勝ち負けのポイントとして加算はされませんが、同点で試合が終わった場合は「指導」の少ない方が勝つというルールになっています。 試合はただ組み手争いが続く膠着状態。試合時間が半ばを過ぎて、リネール選手の技に対し解説者が「かけ逃げになりませんかね」と言うほど、 リネール選手が組み合わずに逃げ切ろうとしていることが露骨になってきます。 試合時間残り1分37秒、リネール選手による再三の偽装攻撃(かけ逃げ)に客席から大きなブーイングが起きます。オリンピックの決勝戦でこのような ブーイングが起きるのはかなり珍しいことです。それでも組み合わないリネール選手。しかしなぜか審判から「指導」はありません。 このあたりから豊原アナの実況には抑えながらも強い感情がにじみ出てきます。 (残り56秒)「組んで投げる。そのルール改正の集大成の試合になります」 (残り30秒)ようやくリネール選手に「指導」が来て場内大歓声。 ところがすぐに原沢選手にも「指導」が。 (残り28秒)「あっ! なんですかこれは!」 さすがにこの原沢選手への「指導」は取り消しに。 (残り18秒)豊原アナ、感情も露わに叫びます。「技による攻防が見たい!」 しかし試合はそのまま終了。観客席から大きなブーイング。静かにしろとばかり唇に指を立てるドヤ顔のリネール選手。無念の豊原アナは、 「原沢、柔道をさせてもらえませんでした。」 そしてなおも鳴り止まぬ大ブーイングの中で 「救われた思いがするのは、ブラジルのファンが原沢の健闘をたたえてくれたことです。」 結局のところ不可解な「指導」ひとつの差だけで原沢選手は敗れました。攻めきれなかった原沢選手が勝った試合とも言えませんが、とてもリネール選手が 勝った試合とも言えますまい。 どちらかが技で決着をつけるまで時間無制限の延長戦を闘って欲しいと圧倒的に多くの人が感じたはずです。 柔道はルール改正を繰り返してきました。2014年のルール改正は豊原アナが実況中に言ったように、「組んで投げる」柔道を目指しての改正でした。 「効果」を廃し、旗判定の優勢勝ちもなく時間無制限のゴールデンスコア方式になりました。「指導」も4つとなって反則負けになる以外は、技による 得点がない場合のみ勝敗に影響するものとなっています。 進化はしたと思います。しかし、「指導」には問題が残ります。「指導」は審判の判断です。終盤の大事なところで信じられないような「指導」をして即刻 取り消されるような力量の審判に試合の勝敗を左右させて良いのかという疑問は消えません。 「指導」ひとつでも勝ちは勝ち。これでは「組んで投げる」どころか巧妙な「指導勝負」に出て組み合おうとしないリネール選手のようなJUDOが幅を きかせたままになってしまい、ルール改正の意味が問われます。 柔道とはなにを競う競技なのか・・・。「指導」についてのルール改正が望まれます。その意味では、 「技による攻防が見たい!」 これは多くの人々の気持ちを叫んだ豊原アナの名実況だったのかもしれません。 <リオ五輪>実況アナウンサーも感情的になった「技なき柔道」 http://blogos.com/article/188356/
188 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 00:34:59.30 ID:0ECHhQTy.net 4年に一度の晴れ舞台に合わせ、コンディションをピークへと持っていくのは至難の業。まして“野獣”であり続けねばならないのだから――。 連覇の夢が潰え、リオ五輪銅メダルに終わった柔道女子57キロ級の松本薫(かおり)(28)は、1500日間で“普通の女の子”に戻ってしまったという。 所属する「ベネシード」柔道部の津澤寿志監督は、 「松本の柔道は、たとえ綺麗に一本が取れなくても、引かずに相手を攻め立てて圧倒し、優勢勝ちを取るスタイル。それでも金を取ったロンドンでは 一度も一本勝ちできなかったため、帰国後は一本を取る柔道へと変えようとしたのです」 紆余曲折の末、昨年には従来の“攻撃スタイル”に戻したといい、 「五輪のひと月ほど前にようやく復調し、万全の状態で試合を迎えられました」(同) が、準決勝では開始早々、背負い投げで一本負けを喫してしまう。全日本柔道連盟女子強化委員の山口香氏は、 「加齢による反応の遅れもあったでしょうが、やはりこの4年間の気持ちの変化は大きかったと思います」 と指摘するのだ。 「ロンドンの時には確かに“ギラギラ感”があった。今回は目の前に獲物がぶら下がっていても『もうお腹いっぱい』という状態だったと思います。 自らを奮い立たせ、お馴染みの形相で試合に臨みましたが、それは湧き上がるものではなく“作られた野獣”だったのではないでしょうか」 柔道陣で連覇が懸かっていたのは、松本だけだった。 「野獣を演じなくてはいけない重圧もあったでしょう。だから表彰台で見せた表情は、私には『ようやく肩の荷が下りた』と映りました。この4年間は、 自分との戦いだったのだと思います」 闘志のコントロールとは、かように難しいのだ。 柔道・松本薫を野獣から普通の女の子に変えた1500日 http://news.ameba.jp/20160828-517/ リオデジャネイロオリンピック、柔道男子73kg級で、金メダルを獲得した大野将平選手(24)が、母校のある奈良・天理市で優勝パレードを行った。 学生時代を過ごした、天理市に凱旋(がいせん)した、大野選手。 多くの地元の人たちが、拍手でたたえた。 オリンピックでは、5試合中、4試合が一本勝ちという、圧倒的な強さを見せつけ、金メダルを獲得した、大野選手。 4年後の東京オリンピックでも、目指すは、もちろん連覇。 大野選手は「まだ24歳で、2020年東京五輪を目指せると思っているので、1日1日、精いっぱい励んでいきたいと思っています」と話した。 五輪金メダリスト・大野将平選手、母校のある天理市で優勝パレード http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00334565.html
189 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 00:37:03.78 ID:0ECHhQTy.net ブラジル・リオデジャネイロの地で、日本選手団は、史上最多だった2004年アテネ五輪の38個を抜く41個(金12、銀8、銅21)のメダルを獲得した。4年後の 地元開催に向け、日本のスポーツ界全体が活気づく結果だろう。中でもかつてお家芸≠セった男子柔道が復活を果たしたことが、この快進撃を支えた。 12年ロンドン五輪で、男子柔道は史上初めて金メダルがゼロに終わり、母国としての威信は失われた。立て直しを敢行したのはロンドン惨敗の責任を 取る形で辞任した篠原信一氏(現タレント)に代わって監督に就任した、井上康生である。 筆者は4年前、前監督である篠原信一氏や、当時、強化委員長を務めていた吉村和郎氏の横暴を度々指摘した。強化合宿をすればやたらと量をこなさせる 前時代的な指導は、問題をはらんでいた。 気合いだ根性だ、とやたら精神論をぶち、午前中は走り込みや寝業、午後は乱取りと単純で画一的な練習を選手に課していた。以前のように階級別に 担当コーチが決まっていたわけではないために、選手は誰を頼ればいいのか混乱していた。 首脳陣はケガを抱えた選手にも合宿への参加を強制し、国内大会への出場を義務づけ、選手が拒否すれば「代表選手から外す」というような脅しめいた 言葉を投げかけた。13年2月に、女子の複数選手によってパワハラ告発がなされたが、そういう体質は男子にも根強くあった。 当時、特別コーチとして帯同していた井上は選手や所属先の声に耳を傾け、首脳陣に対し「担当コーチ制の復活」などを訴えたが、採用されず。首脳陣と 選手の板挟みに遭っていた。 いわば惨敗すべくして金メダルゼロに終わったのがロンドンだった。帰国後、篠原氏は引責辞任し、吉村氏はしばらく強化委員長に居座ったが、助成金の 流用疑惑によって失脚。不祥事を期に体制がまるっと一新されたことは、新たに監督に就任した井上にはむしろ幸いしたかもしれない。井上は次々と改革 を断行していく。 まずは強化合宿改革だ。合宿ごとに「技術合宿」「追い込み合宿」などとテーマを絞り、強化の目的をはっきりさせた。そして念願の担当コーチ制を復活させた。 各階級の担当コーチは全日本強化合宿だけでなく、所属先での練習にも顔を出し、選手のコンディションを把握した。結果、選手の所属先とも良好な関係が 築け、全日本チームと所属先とが連携した動きが生まれ、さらに外国勢の研究も二人三脚で行うようになった。 またオーバーワークを避けるために、初秋に行われる世界選手権に出場した選手には、初冬にある講道館杯の欠場を許可した。代表を争う選手達が「公平」 に思うような横一線の競争を課し、そうして選ばれたのが今回の男子代表7人だった。 井上康生の柔道を初めて目にしたのは、彼が小学5年生の頃だった。当時から既に「山下(泰裕)二世」と騒がれ、小学生のタイトルを総なめにしていた。 私事で恐縮だが、宮崎の片田舎の中学校でたいして強くもない柔道家だった私は、世界に羽ばたいていく彼を負うべく、スポーツ取材を生業とするように なったも同然だった。 高校から東海大相模に柔道留学した井上は、東海大4年時に出場したシドニー五輪において、オール一本勝ちで金メダルを獲得した。決勝の内股は、 五輪史上、もっとも美しく、豪快な一本≠セった。表彰台では、前年に亡くなった母の遺影を掲げた。 日本選手団の主将として、金メダルが確実視されたアテネでは、五輪の魔物が彼を襲った。2度目の大舞台にもかかわらず、なぜか前夜眠ることができず、 アテネの畳の上では憔悴した井上の姿があった。準々決勝で敗退し、敗者復活戦でも一本負けを喫した。 08年に井上は引退し、海外留学を経てコーチに就任。小学生から見続けてきた井上が今では監督なのだから、なんとも隔世の感がある。シドニーから 数えてリオが5回目の五輪取材となったが、現役時代に栄光と挫折、歓喜と失望という両極端を五輪で味わった井上ほど、日本代表を率いるのにふさわしい 監督はいないかもしれない。 あれは柔道競技初日の日。井上の大学の後輩で、金メダルの期待もあった60`級の高藤直寿が銅メダルに終わった。五輪の現場にいると日本の反応が なかなか伝わってこないものだが、金メダルを獲れずに「申し訳ない」と謝った柔道家の発言が話題になっていたという。 しかし、「金メダル以外はメダルにあらず」は、誰より五輪に挑む日本の柔道家が自覚していること。だからこそ、金メダルという唯一の目標が果たせなかった 高藤を井上は労い、誰より銅メダルを讃えた。 「彼は私に、『金メダルの第1号をプレゼントする』と言ってくれていました。メダルの色は違えども、私にとってメダル第1号をプレゼントしてくれた。誇りに思います」
190 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 00:38:44.40 ID:0ECHhQTy.net その言葉に、私は日本の柔道が改革に成功したことを確信した。再び篠原氏の話となるが、彼はロンドン五輪競技初日、銀メダルを獲得した平岡拓晃 (60`級)が表彰台に上がる時には、既に吉村氏らと共に帰路についていた。どこの世界に、メダルを獲得した選手を放置したまま帰路につく指導者が いるだろうか。 さらに、平岡に対し、「ごくろうさん」の言葉をかけたのは翌朝だった。初日から首脳陣に対する選手の不信感が募っていたロンドンに比べれば、 「井上先生のために」と話す高藤の言葉にチームの雰囲気の良さが伝わってきていた。 男子柔道にとって、08年北京五輪の石井慧(100`超級)以来の金メダルは3日目、73キ`級の大野将平だった 小内刈り「一本」が炸裂して金メダルを獲得した際、大野はさも勝ったことが当たり前のように黙して、派手に喜ぶことはなかった。 「対人競技なので、相手を敬おうと思っていました。(五輪は)日本の心を見せられる場でもあるので、よく(高ぶる)気持ちを抑えられたと思います」 礼節を重んじながら、最後まで一本を狙い続けていく柔道を貫いた大野と対照的だったのが、5日目に90`級に出場したベイカー茉秋だった。試合途中に 「有効」を奪うと、残り時間、彼は逃げ回り、試合終了を告げる銅鑼が鳴ると、両手を広げて咆哮した。 「(シドニー五輪における)井上先生の内股のように格好良く終わりたかったんですけど、なかなかできなかったです。でも、金と銀では全然違うということが、す ごく分かっていたので、その気持ちがポイントを取ってからの試合運びに出てしまったという感じです(笑)」 東海大4年のベイカーに対し、井上は「俺もシドニーの時は東海大4年だった」と話し、五輪に挑む心構えを伝えていた。憧れの監督と同じ道を歩み、 監督を男にしたい――。そんな気持ちにベイカーは溢れていた。ポイント奪ったあと、逃げ回るような柔道になったことに対し、井上も苦笑いだったが、 「それもまたベイカーの意地」として咎めることはなかった。 監督に就任して以来、最大の命題に掲げたのが重量級の再建だった。かつては自身も「重量級で金メダルを獲らなければ、日本柔道の威信は保たれない」 という気持ちで五輪に挑んでいた。 100`超級の代表が原沢久喜に決まった日、井上は原沢に電話を入れた。 「日本柔道の再建はお前に託したから」 原沢は難敵揃いの100`級を勝ち上がり、決勝でロンドン五輪の金メダリストで、世界選手権を通算8度制したテディ・リネール(フランス)と対戦する。 JUDO界の絶対王者≠ニして君臨するリネールの巧みで狡猾な柔道に何もできず敗れたものの、東京に向けた試金石となるチャレンジだった。 日本の男子柔道は全階級でメダルを獲得(金2、銀1、銅4)し、復活を遂げた。全種目終了後、井上は報道陣の前で大粒の涙を流した。 「4年前は、屈辱というか、自分の無力さに悔しい思いを持ちながら、涙したことを昨日のように覚えています。今日においては、素晴らしい選手たちと 素晴らしいスタッフと、最高の環境で精一杯戦えたことの幸せの涙。(全7階級でメダルを獲得して)歴史に名を刻んだ7人になったのかなと思う。誇りに思います」 井上は、わずか4年で日本男子柔道の立て直しに成功した。選手に寄り添い、選手を信頼し、選手の自主性に任せた指導でお家芸を復活させた。 「まず、根性論を捨てる」日本柔道復活を成し遂げた、井上康生流「大改革」そのすべて http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49559
191 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 06:26:07.20 ID:DlqBa+6Z.net リオデジャネイロ五輪の柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した天理大柔道部出身の大野将平選手(24)のパレードが28日、 天理市内であり、多くの市民が詰めかけて優勝を祝った。 日本代表のジャージーを着用し、首に金メダルを下げた大野選手は、天理教校学園高マーチングバンド部約60人に先導され、 天理本通り商店街のアーケード約1キロをパレード。商店街を埋め尽くした市民からの「金おめでとう」「感動した」といった歓声や、 商店主らが鳴らすクラッカーに笑顔で応えた。 金メダルにちなんだ金色のポンポンや、手作りのうちわを持ち、バトンクラブのメンバー30人で声援を送っていた小学4年奥井ののかさん(9)は 「金メダルはキラキラしていて重そう。(大野選手は)大きくて格好良かった」と興奮した様子で話した。 大野選手はパレード終了後、「リオでは、自分の目指す『強くて美しい柔道』を、畳の上で体現できた。少し休んで、2020年の東京五輪でも 感動を与える柔道ができるよう、精いっぱい頑張りたい」と、早くも4年後を見据えていた。 大野選手 笑顔もキラキラ http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20160828-OYTNT50109.html リオデジャネイロ五輪の柔道男子73キロ級で金メダリストの大野将平(24=旭化成)が28日、奈良県天理市で行われた「大野将平優勝パレード」に参加した。 同市ではアテネ五輪で3連覇を果たした野村忠宏氏以来、12年ぶりの金メダルパレードとあって、約3000人が集結。屈強な天理大の柔道部員が 金メダリストの“護衛”としてついたものの、網をかいくぐり握手を求めるつわものも出現するほど、天理駅から天理教教会本部までの1・5キロが沸き上がった。 想像以上の盛り上がりに「感激しています」と驚いた大野は「強くて美しい天理柔道を体現できたと思っている。子供たちの刺激になったらうれしい」 とあいさつ。さらに周囲の期待を察知し、「まだ24歳。東京五輪も目指せると思っている。天理市をもう一度、盛り上げられるよう頑張りたい」と事実上の 五輪連覇を市民の前で誓った。 73キロ級金メダリスト・大野 天理市民に「五輪連覇」誓う http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/29/kiji/K20160829013254080.html
192 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 06:29:41.87 ID:DlqBa+6Z.net 「柔道界の中にいて山口さんのように、はっきりと発言をするのは大変なのではないかと思うんですが、リアクションはどんな感じですか」と切り出すと、 山口はこう答えた。 「賛否両論あります。応援してくれる人がいれば、批判的な人も当然おられます。でも不思議なことに、どちらの意見も直接私に向かって来ないんですよ。 様子見というか、あまり触れないようにしているというか。何かを発言しても、柔道界以外からのリアクションが多くて、柔道界の人は静観しているんです。 あまり関わらないよ、目も合わせないよ、みたいな(笑)。柔道というと、マッチョで強いイメージがあるんですが、意外とチキンが多いんですよ。面と向かって 喧嘩できない」 1984年の世界選手権で日本女性として初の金メダルを取り、88年のソウル五輪で銅メダルを獲得した山口の実績を無視できないということもあるだろう。 現在は筑波大学准教授で、日本オリンピック委員会理事、全日本柔道連盟監事を務める。 「いろいろ直言するから、山口さんに柔道界でポストを与えないようにしよう、みたいな雰囲気はあるんですか」と尋ねると、山口は、「そんなこともないですよ。 おそらく、切ってしまうのも恐いんですよね。野放しにしてしまうと、本当に勝手に暴走してしまう危険もあるので。短い紐だと噛みつかれる危険性があるから、 ちょっと長めの紐で、でも繋いでいる、くらいの与え方です」と笑った。それで、「私とすごく似た境遇に置かれていますね」と笑い合った。 声をあげよと選手の背を押す 前回のロンドン・オリンピックで、女子柔道の監督が選手にパワハラをやった問題で、山口は選手の黒幕視されたが、最後は自分たちで訴えなきゃ、 と彼女たちの背を押したという。 「あなたたちは強くなりたくて柔道を始めたんでしょ。それなのに、どうして主張できないの」 ある意味で、彼女たちの態度が歯がゆかった山口は、そう言って、選手たちが自分で声をあげるように促した。 嘉納治五郎が女性に試合を行なうことは禁じたこともあって、柔道界で女性は長く、いわばオマケ扱いされてきた。もちろん、強化費なども男性とは 格段の差があったし、女子柔道の監督になることも、ほとんど名誉とは考えられなかった。 6歳から柔道を始めて大学まで、道場に女の子は山口だけという世界を生きてきて、いま、女子柔道もたくさんメダルを取るような状況になって、 口は出すし手も出す柔道界の幹部たちに、山口はちゃんちゃらおかしいという気持ちなのだろう。山口が往時を語る。 「女子には強化費なんてなかったので、男子に恵んでもらう形でした。女子に費やすなんてドブに金を捨てるものだと言われながら。そんな恵まれない 環境にいると、自己主張しないと相手は気づきもしないし、何も改善されないので、特に私は女子柔道競技草創期の部類なので、常に世間に対して 発言していましたね。また、柔道界に言うより、世間に言う方が早かったりします」
193 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 06:30:45.85 ID:DlqBa+6Z.net ソウル・オリンピックでは、女子柔道の成績が男子柔道のそれを上まわった。 「その時に、食べ物の恨みは恐ろしいなと思ったんですが、男子はコーチたちがカレーとかを選手村のホテルで作っててくれていたんですよ。でも、 私達女子選手には食べさせてくれない。他にも、男子はマッサージしてくれる人やドクターもいてと。至れり尽くせりで。その時に、『こいつらには絶対 負けられない!』とみんな奮起しましたね(笑)」 発言しないことは罪 そんな山口はパワハラ問題についても、こう怒る。 「山口さん自身はスパルタでやられてきたんですか」と尋ねると、「いえ、私たちの方が強かったですね。同期の子たちと話すと、『私たちだったら黙って 殴られていないで殴り返していたよね』と言っています。そして、彼らはそういう人には面と向かっては来ないんですよね。それが余計に腹が立つんです。 今の女子柔道選手は恵まれてきた時代に育ってきたので、レールに乗ってきた男子の選手たちと同じく純粋培養なんです。だから、何か変だと思いながらも 受け入れざるを得なかったんでしょうね」と続けた。 谷亮子が山岸絵美に選考会を兼ねた全日本選抜の決勝で敗れたにもかかわらず、北京オリンピックの代表に選ばれたことがあった。谷はその前に、 山口の教え子の福見友子に全日本選抜で敗れたのに世界選手権の代表になった。この時、山口はCAS(スポーツ仲裁裁判所)に提訴しようかとまで考えたが、 思いとどまり、福見に謝った。 「私は未だかつて、教え子に謝ったことはなかったんですけど、あの時だけは謝りましたね。大人の都合によって決定が覆されたということは本当に 申し訳なかったです」 提訴しなかったのは、福見がこれからもこの日本の柔道界で生きていかなければならないからである。 「谷のことを、私は高く評価しているし、彼女が出てきた意義は感じています。だからこそ、これからを考えてほしかった。有終の美ではないけれど、 考えてほしかった。それは彼女が悪いのではなくて、周りが悪いんです」 そして、山口は声を高くする。 「発言しちゃいけないのかなと思っている方はたくさんいると思います。モノを言わない流れが、そのことが戦争になってしまったり、独裁者をつくったりします。 そう考えると、発言しないことは罪なんです」 山口の『日本柔道の論点』(イースト新書)によれば、山口は引退後、指導者になる過程で、日本オリンピック委員会に派遣されて1年間イギリスに行ったという。 そこで遅くまで酒を飲んだり、それまでできなかった遊びをしたり、髪を染めたりしたら、帰って来て、「遅咲きの不良」と言われたらしい。日本では“沈黙は金” とか、ヤマトナデシコなどという言葉もあるが、山口には、いつまでも、いい意味の不良であってほしい。 オリンピックの解説も明快 “女三四郎”山口香の直言 http://diamond.jp/articles/-/100005
194 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/29(月) 20:23:56.82 ID:5LgvR7t9.net リオデジャネイロオリンピックで金メダルを獲得した、柔道の田知本遥選手とレスリングの登坂絵莉選手に、県民栄誉賞を贈ることが決まりました。 贈呈式とパレードは、来月12日におこなわれます。 「リオオリンピックの金メダル12個のうち、2つを富山県出身の2人の選手が獲得したのは大変すばらしい。おかげさまで富山県の名も高めて頂いて、 県民栄誉賞を贈りたいということになった」(石井知事) 29日開かれた県民栄誉賞の検討委員会には石井知事や教育関係者が出席し、全会一致で金メダルを獲得した2人に県民栄誉賞を贈ることを決めました。 リオが二度目のオリンピックとなった射水市出身の田知本遥選手は、柔道女子70キロ級で、個人種目では、県勢初の金メダルを獲得しました。 受賞について田知本選手は、「このような栄えある賞を賜り、大変感激しております。これからも日本中がスポーツで盛り上がるよう、 貢献していきたいと思います」とコメントしています。 また、オリンピックに初めて出場した高岡市出身の登坂絵莉選手はレスリング女子48キロ級で、金メダルを獲得しました。 登坂選手は、「大変光栄な思いと身の引き締まる思いで胸がいっぱいです。東京オリンピックでの二連覇を目指し、練習に励みます」とコメントをだしました。 県民栄誉賞の贈呈式は、来月12日の午後3時から県民会館でおこなわれ、その後、県庁周辺でパレードの予定です。 リオ五輪で金 田知本、登坂に県民栄誉賞 http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20160829161717 リオ五輪柔道男子73キロ級金メダリストの大野将平(24=旭化成)が28日、練習拠点の天理大がある奈良・天理市での優勝パレードに参加した。 商店街が連なる本通りを約30分かけて歩き、約3000人から祝福を受け、「強くて美しい天理柔道を体現できて良かった。20年を目指して、 1回しっかり休んで、1日1日を精いっぱい励んでいきたい」と前を見て答えた。帰国後は東京と奈良を行き来する多忙な生活で、まとまった休みを 取るのはこれから。年末には日本での国際大会も控えるが、凱旋(がいせん)試合は未定。大学院との兼ね合いなども考えながら、4年後の 東京での2連覇へ向かう。 リオ金の大野将平「20年を目指す」天理でパレード - 柔道 http://www.nikkansports.com/sports/news/1701911.html
195 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/30(火) 17:30:58.65 ID:xaOyO9AE.net 県は29日、リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した柔道女子70キロ級の田知本遥選手(26)(ALSOK)(射水市出身)とレスリング 女子48キロ級の登坂絵莉選手(22)(東新住建)(高岡市出身)の2人に、県民栄誉賞を贈ることを正式に決定した。9月12日に富山市の 県民会館で贈呈式を行い、その後は富山市内でパレードを開催する。 スポーツや教育分野の有識者らが29日、県民会館で会合を開き、2人の顕彰に全会一致で賛同し、石井知事が県表彰規則に基づいて 賞の贈呈を決めた。会合では「言葉にできないほどの感動。東京五輪に向けて県内スポーツ界が盛り上がる」「スポーツ後進県の印象が あったが、県を挙げてスポーツ振興施策に尽力してきた成果だ」などの意見が出た。 贈呈式は、9月12日午後3時から県民会館ホールで行う。県は田知本、登坂両選手の母校の児童生徒、競技関係者らに参加を募るほか、 一般県民も参加できるよう整理券を配ることなどを検討している。 贈呈式後、金メダリスト2人がオープンカーに乗り、県庁周辺などを一巡する予定だ。 県民栄誉賞の決定を受け、田知本選手は「大変感激している。これからも日本中がスポーツで盛り上がるよう貢献していきたい」、登坂選手は 「光栄な思いと身の引き締まる思いで胸がいっぱい。これからも、たくさんの人に喜んでもらえるよう、東京五輪での連覇を目指し、練習に励みます」と、 それぞれ県を通じて談話を発表した。 石井知事は、登坂選手に賞の贈呈を電話で伝え、直接伝えられなかった田知本選手には改めて電話をかけるという。石井知事は 「全国で12個の金メダルのうち、2個を富山の選手がとったことは信じられないほどの快挙だ。大人も勇気と元気をもらい、子供に夢と 希望を与えてくれた」と述べた。 また、県は29日、富山駅前のCiCビル壁面に、「祝 2016リオオリンピック金メダル」などと記された懸垂幕(縦22メートル、横1・16メートル)を設置した。 9月30日まで掲げ、祝賀ムードを演出する。 田知本・登坂選手 祝賀パレード…来月12日 http://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/news/20160830-OYTNT50004.html リオデジャネイロ五輪の柔道で金メダルに輝いた男子73キロ級の大野将平(旭化成)、同90キロ級のベイカー茉秋(東海大)、女子70キロ級の 田知本遥(ALSOK)が30日、東京都の日本外国特派員協会で記者会見に臨んだ。圧倒的な強さで頂点に立った大野は「日本の強くて美しい 柔道を見せられた。これからも攻撃的な柔道を追求していきたい」と力強く語った。 日本男子は金二つを含め全7階級でメダルを獲得。前回のロンドン五輪では史上初の優勝なしに終わったが、井上康生監督の下で復権した。 ベイカーは「井上監督は選手一人一人に合わせて指導し、個人の能力を最大限に引き伸ばしてくれた」と感謝を口にした。 田知本は東京五輪に向けて「若い子が出てきて、私たちベテランもしのぎを削っていくと思う」と全体のレベルアップを望んだ。 大野、攻撃柔道に自信=金メダリスト3人が会見 http://www.jiji.com/jc/article?k=201608300061 リオデジャネイロ五輪で
196 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/30(火) 17:32:05.14 ID:xaOyO9AE.net リオデジャネイロ五輪で柔道女子日本代表監督を務めた仙台大(宮城県柴田町)の南條充寿教授が29日、柴田町役場を訪れ、滝口茂町長に大 会の結果を報告した。 柔道女子日本代表は7階級のうち70キロ級の田知本遙選手が金メダルに輝き、4選手が銅メダルを獲得した。南條教授は「柴田町代表として五輪に 行ってきた。選手たちが本当によく頑張ってくれた」と大会を振り返った。 滝口町長は「金メダルを取ってほっとした。監督の活躍に感謝したい」とねぎらった。「メダリストの姿を地元の子どもたちが見る機会があればうれしい」と 期待を口にすると、南條教授は前向きに調整する考えを示した。 南條教授から滝口町長に柔道代表ユニホームのレプリカがプレゼントされた。滝口町長は早速ユニホームを身に着けて南条教授と握手し、笑顔を見せた。 <リオ五輪>柔道躍進 南條監督が地元報告 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201608/20160830_14041.html リオデジャネイロ五輪柔道女子の監督を務めた仙台大の南條充寿(みつとし)教授(44)が29日、柴田町の滝口茂町長を表敬訪問し、五輪での戦いぶりを報告した。 南條教授は2013年3月に柔道女子の監督に就任。リオ五輪では、田知本遥選手が金メダルを獲得するなど、五つのメダルを獲得した。南條教授は 大学のある柴田町で、小中学生を対象にした「仙台大学柔道塾」を開き、塾長として子どもたちの指導に当たっている。 この日、阿部芳吉学長と訪れた南條教授は、滝口町長に五輪のシャツをプレゼント。滝口町長が「子供たちに金メダル選手の姿を見せる機会を 作り夢を与えてほしい」と要望すると、南條教授は「前向きに検討している。代表監督として金1、銅4の計5個のメダルが取れてほっとしています。 応援ありがとうございました」と感謝していた リオ五輪:柴田町長に報告 柔道女子監督・仙台大の南條教授 http://mainichi.jp/articles/20160830/ddl/k04/050/052000c 横浜市神奈川区の市立六角橋中学校(生徒数845人、阿部雅子校長)で29日、リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ級銅メダリストの 羽賀龍之介選手(25)が始業式にサプライズで登場し、生徒たちを喜ばせた。 羽賀選手は同校の卒業生。全校生徒を前に、「銅メダルを多くの人が祝ってくれて、最後まで諦めなくてよかった。東京五輪も目指すと決めた」とあいさつした。 中学時代、全国大会で優勝できずに3位に終わったことを振り返り、「中途半端な思いでは物事を達成できない。自分が信じきれる夢や目標を立て、 それに向かって行動するようになった」と話した。 リオ五輪前に中学時代の仲間と一緒に食事をしたことなどを明かし、「部活でも学校生活でも友達をつくり、助け合ってほしい」と後輩にエールを送った。 羽賀選手の言葉に真剣な表情で聞き入った生徒たち。羽賀選手の出身道場に通い、今月行われた柔道の全国大会で優勝した3年の朝飛真実さん(15)は 「自分で考えて行動することが大切という話に感銘を受けた。私もいつか五輪に出たい」と話していた。 サプライズ登場で後輩激励 柔道男子銅メダル羽賀選手 http://jisin.jp/serial/other/kanaloco/25266
197 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/08/30(火) 17:50:59.10 ID:xaOyO9AE.net リオデジャネイロ五輪の柔道で金メダルを獲得した男子で90キロ級のベイカー茉秋(東海大)と73キロ級の大野将平(旭化成)、女子70キロ級の 田知本遥(ALSOK)が30日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見し、2020年東京五輪への意欲や競技に対する思いなどを語った。 父が米国人のベイカーは英語で自己紹介した後「インターナショナルスクールは小学5年までなので英語は忘れた。後は日本語で」と 外国メディアを笑わせた。4年後の話題には真剣な表情で「僕は東京出身。地元で連覇を目指す。柔道のイメージをもっともっと良くし、 柔道人口が増えるよう貢献したい」と五輪王者の自覚を示した。 初の五輪を圧倒的な強さで制した大野は「日本の柔道は金メダルが使命。金メダルしか駄目という競技が日本に一つくらいあってもいい」と私見を披露。 柔道の心はとの問いに「礼に始まり礼に終わる。相手をしっかりと敬うこと」と答えた。 田知本は、今回の日本選手団が奪った金メダル12個のうち7個を女子が獲得した理由を聞かれ「女性の方がたくましいのかなという言葉しか 今は思い浮かばない」と照れ笑いした。 ベイカー「東京で連覇」大野「金が使命」リオ五輪覇者3人が会見 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/30/kiji/K20160830013261530.html リオデジャネイロオリンピックの柔道の金メダリスト3人が外国特派員を前に記者会見し、柔道の魅力などについて語りました。 東京・千代田区の日本外国特派員協会で記者会見したのはリオデジャネイロオリンピックの柔道で金メダルを獲得した男子73キロ級の大野将平選手、 男子90キロ級のベイカー茉秋選手、それに女子70キロ級の田知本遥 選手の3人です。 このうち大野選手は決勝で勝利したあと、しっかりと礼を行い畳を降りるまで感情を抑えて敗れた相手への配慮を示し、「オリンピックの舞台で『礼』というもの に注目してもらい、日本の柔道の心を見せられた。全世界の人に心の部分でも美しい柔道を見せられてうれしかった」と話しました。 また田知本選手は初出場だったロンドン大会のあと海外留学を経験し、2回目の挑戦で金メダルを手にしましたが、「日本だけでなく海外の友だちやライバル にも励ましてもらった。柔道を通して日本や海外の友だちと知り合えたことが人生の財産になっている」と感謝の気持ちを述べました。 ベイカー選手は、ロンドン大会での金メダルゼロから全階級でメダルを獲得した男子について「外国の格闘技を取り入れるなど新しいことを試みたことで 結果が出た。世界の柔道に対応するため進化が必要ということを理解した試みだった」と井上康生監督が進めた改革を躍進の理由に挙げていました。 金メダリスト3人が柔道の魅力語る http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160830/k10010659621000.html
198 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/01(木) 19:07:07.42 ID:mEqr7c68.net 五輪メダリストを輩出するなど、柔道の名門として知られる朝飛道場=平川町=。柔道一家の姉妹として幼いころから稽古に励む朝飛七海さん (桐蔭学園高2年)と真実さん(六角橋中3年)がこのほど、それぞれ全国優勝を果たした。姉妹での日本一について喜びの声を聞いた。 姉の七海さんは、全日本カデ(年末時点で15歳以上18歳未満)柔道体重別選手権大会の女子70kg以下級で優勝した。昨年は1回戦負け。 この1年間は、得意の大外刈りで一本を取れるように反復練習を重ねてきた。個人での全国優勝は初めて。「今までやってきたことは間違っていなかった。 本当にうれしく自信にもなった」と喜ぶ。 8・9日には、インドで行われるアジア大会に出場する。「緊張するとは思うが、力を出し切りたい」と初の国際大会へ向けた抱負を述べた。 一方、妹の真実さんは、全国中学校柔道大会の女子70kg級で優勝。昨年はベスト8に終わったが、小学生のころに全国大会で個人戦連覇を達成しており、 周囲の期待は大きかった。「プレッシャーもあったが、試合は開き直って戦えた」と振り返る通り、予選を含めて全国の決勝戦以外は一本勝ち。 得意の内股のバリエーションを増やし、念願の中学日本一を手に入れた。 東京めざす 道場は1958年(昭和33)に姉妹の祖父が開設。現在は父の大さんが館長を務めており、リオ五輪の銅メダリスト・羽賀龍之介選手などを輩出している。 落ち着いた姉と、笑顔を絶やさない妹。姉妹ともに2歳のころから柔道を始め、現在は部活動と道場での練習に打ち込む毎日だ。たまの休日は2人で 買い物に出かけることもあり、「一緒にいると落ち着く」と口をそろえる。 羽賀選手の活躍で夢が目標に変わりつつある。「実力はまだまだ。もう一回りも二回りも大きくなる必要がある」と姉妹に慢心はない。 「五輪で金メダルを取りたい」。目指すは東京だ。 朝飛姉妹、そろって優勝 http://www.townnews.co.jp/0117/2016/09/01/346283.html 六角橋中学校(阿部雅子校長・生徒数845人)で8月29日、同校の卒業生でリオ五輪柔道100kg級銅メダリスト・羽賀龍之介さん(25)による講演会があった。 この講演は、同校の教育目標である「自己実現」について卒業生である羽賀さんに語ってもらおうと、生徒たちには極秘で企画された。 この日は2学期の始業式。司会者の合図とともに羽賀さんがサプライズで登場すると、生徒たちは大喜び。拍手と大歓声で五輪メダリストを迎え入れた。 夢を持て 羽賀さんは「夢の実現に向けて」をテーマに講演。部活動に全力を傾けた中学校時代のエピソードなどを交えながら、「中途半端な気持ちで目標を立てても 無駄だ。自分で選択し、行動することで自信になる」と語り、信頼できる仲間や夢を持つことの大切さを後輩に伝えた。阿部校長は「生徒たちには羽賀さんから 『六中魂』を受け継いで、今後にいかしてもらいたい」と話していた。 羽賀さんは宮崎県出身。中3の時に全国中学校柔道大会90kg級で3位。東海大相模高1年時に「金鷲旗」で史上初の20人抜きを達成。東海大を経て 旭化成へ。2015世界選手権で優勝し、リオ五輪で銅メダルを獲得した。 柔道・羽賀選手が凱旋 http://www.townnews.co.jp/0117/2016/09/01/346275.html
199 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/01(木) 19:10:03.29 ID:mEqr7c68.net メダルの陰に「日本人マエストロ」あり。先のリオデジャネイロ五輪柔道競技で下馬評を覆す大活躍を見せたのが、イタリア代表だ。男女合わせてたった 6選手の派遣ながら、金メダル1個、銀メダル1個を獲得した。これを導いたのは2015年1月に総監督に就任し、強化本部長として手腕を振るった 元全日本柔道連盟事務局長の村上清氏(66)だ。幾多の苦難を乗り越え“弱小軍団”の強化に成功した村上氏が、本紙にその秘話を語った。 8月30日、東京・江東区の東京スポーツ新聞社を訪れた村上氏は興奮冷めやらぬ表情で振り返った。 「国際柔道連盟の(マリウス)ビゼール会長が会場で『キヨシ!』って泣いて喜んでくれた。こんなの初めてですよ。私もまさかのことが現実になったので 涙が止まらなかったです」 1年前は世界ランキング300位付近にいたファビオ・バシレ(21)がリオ五輪の男子66キロ級で金メダルを獲得。イタリア男子では実に16年ぶりの快挙だった。 今や村上氏はイタリア国内で「奇跡を起こした男」として時の人となっている。だが、ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。1年8か月前、 イタリアで初めて道場を訪れた村上氏はあっけに取られたという。「靴は脱ぎ放題。中に入ると、イスが無造作に置かれていた。壁には空手とか関係ない 写真ばかり。こっから直さなきゃいかん、と思いましたね」。シドニー五輪で4個のメダルを獲得した強豪国の面影はない。世界選手権3大会連続メダルなしの 弱体化したイタリア柔道は荒れていた。 下駄箱を設置し、イスは即座に撤去。壁には“柔道の父”嘉納治五郎師範の写真を張り、イタリア国旗も掲げた。礼も立礼から座礼にした。しかし、 さらに大変だったのはコーチ陣との衝突だった。当時のヘッドコーチはナポリ出身。その縁で代表選手は実力に関係なくナポリ出身が多かった。 「なんでこんな弱いやつがナショナルチームにいるのか」。疑問に思った村上氏は昨年の世界選手権でナポリ出身選手3人を代表から外した。 すると、ヘッドコーチが辞任。ツイッター上で強烈な批判が展開された。「えらい騒動になった。『60過ぎたじいさんに何ができる!』『高額な給料払って』と 私の悪口ばかりでした」 それでも、村上氏は辛抱してイタリア代表を立て直すことだけに集中した。ある日、選手に打ち込みの練習を課したが、終了時間を告げていないことに気づいた。 すでに2時間が経過。あわてて道場に戻った村上氏の目に飛び込んできたのは、言われた通りに打ち込みを続ける選手の姿だった。「意識が変わった」と 確信した。 リオ五輪前はライバル国が集まる国際合宿には参加せず、研究されることを防いだ。その代わり、来日して軽量級に強い日体大で練習を重ねた。階級が 上の選手との乱取りも指示した。イタリアコーチ陣が柔道漬けになることに不満を漏らすと「嫌ならテニスやってこい」と一喝。メダルを取ることだけを考えた 戦略を徹底した。 日本柔道はリオで3個の金メダルを獲得した。ただ、軽量級の成績ではイタリアが上回り、遠くにあって届かないと思われた背中が見えてきた。 「はっきり言って、日本ばかり勝つと元気もなくなる。東京は5個メダルを取る。そのうち2個は金」と村上氏は笑み。すでに静岡・藤枝市と合宿地などで 協力関係を結び、準備を進めている。 「イタリア人は芸術的な感覚がある。柔道も同じ。100人見たら1人か2人、特別なやつがいる。それをいかに見つけていくか。私はイタリアで柔道大国を つくりたい。復活させたい」 イタリア語は片言を話せるようになったばかり。改革はまだ半ば。道場では誰からも「マエストロ(名指導者)」と呼ばれる村上氏は、新たな夢を膨らませ 再びイタリアに出発する。 【リオ五輪】イタリア柔道躍進の陰に「日本人マエストロ」 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/2016rio/587548/
200 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/03(土) 02:47:33.11 ID:4INaRLVN.net リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級で銀メダルを獲得した下関市出身の原沢久喜選手(24)の祝勝会が1日、母校の早鞆高 (下関市上田中町)で行われ、全校生徒らが健闘をたたえた。 原沢選手は、日本選手団の公式ウェアを着て、首から銀メダルを下げて体育館に登場し、生徒や教職員に拍手で迎えられた。同校を 運営する学校法人・早鞆学園の古田圭一理事長が「重圧をはねのけ、堂々とした試合をしてくれた。元気と感動をありがとうございました」と述べた。 原沢選手は「皆さんの応援が力になった。皆さんも目標を見つけて精いっぱい頑張ってほしい」とあいさつした。 「原沢選手偉大な先輩」母校・早鞆高で「銀」祝勝会 http://www.yomiuri.co.jp/kyushu/sports/olympiad/20160902-OYS1T50029.htm メダルを手に1日から故郷・山口県に凱旋しているリオデジャネイロ・オリンピック柔道男子100キロ超級・銀メダリストの原沢久喜選手。 2日も各地で祝福を受けた。県庁では「県スポーツ特別褒賞」が贈られた。原沢選手がまず、訪問したのは山口県庁。エントランスでは、 大勢の職員に拍手で出迎えられた。原沢選手は知事と面会し、「銀メダルという結果で帰ってきた。本当に応援、ありがとうございました」 と挨拶した。県では今回のオリンピックでメダルを獲得した山口ゆかりの選手5人に「県スポーツ特別褒賞」を贈ることを決めている。原沢選手 に賞状を手渡した村岡知事は、4年後の東京オリンピックに向けてさらなる活躍を期待していた。原沢選手は「自分でもまだ伸びる部分が いろいろあるなと思っていて、全体的にもっともっと成長していかなければいけないなと思っている。県庁には一回、来たことあるが、きょう、 いっぱい人がいて、こんなにも人がいたんだなと思った。なかなかもらえることの出来ない賞なので、これから山口県民としてという意識が もっと強くなってきたかなと思う」と話していた。また、下関市は地元出身の原沢選手に「市民栄誉賞」を授与した。2日は下関市役所で 式典が開かれ、中尾市長から表彰状と記念品が贈られた。記念品は、地元の伝統工芸品・赤間硯と報奨金20万円で、副賞として 下関産のお米とフグ刺しもプレゼントされた。原沢選手は「次回4年後の東京オリンピックでは、しっかり金メダルを取って下関に 帰ってきたい」と話した。式では、市長などからの質問タイムも設けられた。原沢選手は「地元の方々に祝福していただいて、 とてもうれしい気持ち…。市民栄誉賞に恥じない人間に成長していきたい」と話した。下関市の市民栄誉賞授与は、4年前の ロンドンオリンピックの柔道男子90キロ級で銅メダルを獲得した西山将士さんに続き2人目となる。 銀メダル・原沢久喜選手を県・下関市が表彰(山口県) http://www.news24.jp/nnn/news8708147.html
201 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/07(水) 00:23:33.45 ID:bS1l+Mjp.net 今夏のリオデジャネイロ五輪柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した山部佳苗選手(25)=ミキハウス=が先月末、柔道女子 日本代表選手団の薪谷翠コーチ(36)=県出身=らとともに仁坂吉伸知事を訪ね、メダル獲得を報告した。 昨年の和歌山国体で山部選手の試合を会場で観戦したという仁坂知事は、「相手が気の毒になるほど強かった」と称賛。国体は、 山部選手ら3人の成年女子の和歌山チームが団体で3位に食い込んだ。また、今回の「銅」獲得で、多くの県民に感動を与え、 県のスポーツ振興に貢献したとして仁坂知事は、山部選手に「県スポーツ顕彰」を贈り、表彰状と記念の盾を手渡した。 山部選手は「(国内の代表選考を含め)諦めずに、練習を続けたことがメダルにつながった。これからも自分らしく一本を取る柔道を貫いていく」 と話した。東京五輪に関しては「目指すのであれば、練習、選考とも今回よりもさらに厳しい4年になる。覚悟ができた時に『目指す』と言いたい」 と語るにとどめた。また、柔道を志す少年少女へのメッセージとして「小さい時は、勝ち負けや結果より、柔道を楽しむことを大切にしてほしい」語った。 リオ五輪:柔道女子・山部選手、知事に「銅」獲得報告 「県スポーツ顕彰」の授与も http://mainichi.jp/articles/20160906/ddl/k30/050/496000c 1992年バルセロナ五輪柔道金メダリストの古賀稔彦(としひこ)さん(神奈川県在住、みやき町出身)の講演会が4日、佐賀市文化会館であった。 古賀さんは自身の経験をもとに、夢を実現するために才能を信じて努力することや、支えてくれた周囲に感謝することの大切さを語り掛けた。 古賀さんは「人生の教科書」のテーマで講演した。初の五輪出場となったソウル大会での敗戦に触れ、「帰国後、人間不信になり引きこもっていた。 観客席で周囲に頭を下げている両親の姿をテレビで見て、自分だけでなく親も戦っていたことに気付いた」という。「支えてくれた両親や仲間、 日本中のファンを喜ばせるために、次回大会で金を取ることを願うようになった」という。敗戦を教訓とし、努力を重ねることでバルセロナ五輪では左ひざ のけがを抱えながら金メダル、アトランタ五輪では銀メダルを獲得した。 古賀さんは夢を実現するヒントとして漢字をボードに示し、「自分の持っている『欲』を無限大に引き出して努力する性格、『欠点』を素直に認め、 長所に変えていく考え方が必要」とアドバイスした。 講演は弁護士会など8団体でつくる佐賀県専門士業団体連絡協議会が主催し、約300人が参加した。 柔道の金古賀稔彦さん、佐賀で講演 http://www.saga-s.co.jp/news/saga/10105/352924
202 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/07(水) 00:29:32.11 ID:bS1l+Mjp.net リオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で連覇を逃し銅メダルだった松本薫(28)=ベネシード=は6日、今後少なくとも1年間は大会に出場せず、 「充電期間」として休養する考えを明らかにした。2020年東京五輪については、「決まっていないけど、東京は特別なところ。出たい」と前向きな 姿勢も示した。松本は金沢市出身で、石川県庁で行われたスポーツ特別賞の授賞式に出席した後、報道陣に語った。 レスリング女子の吉田沙保里が東京五輪に「出られたら出たい」と発言していることを踏まえ、松本は「沙保里さんが出ると言っていたので、それなら (自分も)出たいとちょっとずつ思ってきている」と心境を説明した。 松本はリオ五輪準決勝で一本負けし、3位決定戦に勝ってメダルは確保。「リオで油断大敵と学んだことが大きい。次に生かすのが大切なので、 東京で生かしたい。悔しさを東京で晴らしたいと思えたら東京五輪を目指す」と話し、3大会連続の五輪出場を視野に入れて現役を続ける。 松本、当面は休養=東京五輪「出たい」−柔道女子 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016090600745 石川県は6日、リオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得した金沢市出身の松本薫選手(28)に県スポーツ特別賞を授与した。 谷本正憲知事が「夢と感動を与えてくれた」と声を掛けると、松本選手は「皆さんの応援でメダルが取れました」と話した。 松本選手は授与式後、報道陣に2020年の東京五輪への出場について問われると「1年間休養してから決めたい」と述べた。 正面玄関では県職員ら約300人が拍手で祝福。松本選手は深々と一礼し、声援に手を振りながら笑顔で応えた。 「東京五輪は1年休養して決めたい」柔道の松本選手にスポーツ特別賞 石川県 http://www.sankei.com/west/news/160906/wst1609060077-n1.html ロンドンの金に続いてリオでもメダルを獲得した柔道の松本薫選手に6日、県からスポーツ特別賞が贈られた。 庫に火は、平日にもかかわらず、県民や職員およそ300人がロビーを埋め尽くした。ロンドンに続いて、リオでも金メダルを目指した松本選手。準決勝で敗れて、 メダルをかけた3位決定戦では、得意の足技で相手を倒し、2大会連続のメダル獲得となった。贈呈式では、谷本知事から連覇の重圧がかかる中、 2大会連続のメダルは、快挙というほかはないと功績を称えられ、賞状や記念品などが手渡された。松本選手は、4年前の県民栄誉賞に続き、去年、 世界選手権で優勝した際にもスポーツ特別賞を受けていて、こうした賞は3回目となる。この後、松本選手は金沢市役所を訪問。来月23日の金沢マラソンに、 ゲストランナーとして走ることが急遽決まり、山野市長から名前入りのゼッケンが手渡された。松本選手は、最低1年間は、充電期間として体を休めるという。 松本薫選手にスポーツ特別賞 http://www.news24.jp/nnn/news87114454.html 石川県は6日、リオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得した金沢市出身の松本薫(28)に県スポーツ特別賞を授与した。 谷本正憲知事が「夢と感動を与えてくれた」と声を掛けると、松本は「皆さんの応援でメダルが取れました」と話した。 松本は授与式後、報道陣に2020年の東京五輪への出場について問われると「1年間休養してから決めたい」と述べた。 正面玄関では県職員ら約300人が拍手で祝福。松本は深々と一礼し、声援に手を振りながら笑顔で応えた。 松本薫、石川県からスポーツ特別賞「皆さんの応援でメダルが取れました」/柔道 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160906/rio16090617540012-n1.html
203 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/07(水) 07:56:53.80 ID:TfhE67ae.net リオデジャネイロ五輪の柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得した金沢市出身の松本薫選手(28)=ベネシード=に六日、県スポーツ特別賞が贈られた。 昨年の世界選手権優勝時に続く二度目の受賞。松本選手は取材に「リオでは一瞬の油断で負けた。学んだことを東京で生かしたい」と話し、東京五輪への 意欲をにじませた。 谷本正憲知事から賞状、記念品の九谷焼カップなどを手渡された松本選手は「目標の金メダルには届かなかったが、最後まであきらめずに戦えたのは 県民の応援のおかげ」と感謝。谷本知事は「二大会連続のメダルは快挙。柔道界はじめ後に続く子どもたちの励みになる」とたたえた。 今後について松本選手は「東京(五輪)は特別。出たいと思うが、いろんな覚悟がいる」とし、一年ほどの休養を経て考えるとした。休養中には 十月の金沢マラソンに出場し「県民の皆さんに『ありがとう』と伝えたい」とも話した。 県庁では集まった約三百人が拍手や声援で松本選手を歓迎。県職員から花束が贈られた。 県スポーツ特別賞は国内大会優勝や世界大会の上位入賞を果たした個人や団体が対象で、金沢市の星稜高校サッカー部の全国高校サッカー選手権 優勝を受けて二〇一四年度に創設され、今回で三件目。松本選手は一二年ロンドン五輪の金メダルで県民栄誉賞も受けている。 金沢マラソン出場へ すでに練習「感謝込め走る」 松本薫選手が十月二十三日の金沢マラソンに、ゲストランナーとして出場することが決まった。六日に金沢市役所であった市スポーツ優秀選手表彰特別賞 の贈呈式後に表明した。 参加は松本選手から申し出た。山野之義市長から名前入りのゼッケンを受け取り「四二・一九五キロは未知の世界だが、金沢の皆さんに日ごろ支えて いただいている感謝の思いを込めて頑張って走りたい」とあいさつ。報道陣に、初マラソンに向けてすでに練習を始めていると明かした。 金沢マラソンにはほかに、リオ五輪でボート男子軽量級ダブルスカルに出場した中野紘志選手(28)=同市出身=ら六人がゲストランナーとして出場する。 加賀染振興協会から、クリームと白地にツタの絵が描かれている加賀友禅の贈呈もあった。事前に組合から、二着の友禅の写真を見せられて 一着を自身で選んだ柄で「フィーリングで決めた。女として勝負に出るときに着たい」とちゃめっ気たっぷりに話した。 松本選手 東京へ意欲 県スポーツ特別賞贈呈式:石川 http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20160907/CK2016090702000045.html 県は6日、金沢市出身でリオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で、ロンドン五輪での金メダルに続き、銅メダルを獲得した松本薫選手(28)に 県スポーツ特別賞を贈った。 県庁では、県民ら約300人が大きな拍手で出迎え、谷本知事は「不屈の闘志と積極的に攻め続ける柔道スタイルで快挙を成し遂げ、県民のみならず 多くの国民に夢と感動を与えてくれた」と2大会連続の快挙をたたえた。 賞状と記念品のカップなどを受け取った松本選手は「目標の金メダルに届かなかったが、諦めずに戦えたのは、応援してくれた県民の皆さんのおかげです」と 感謝の言葉を述べた。 松本選手は贈呈式後、「しばらく休憩して、悔しさを晴らしたいと思ったときに、改めて、東京五輪を目指してスタートしたい」と4年後に向けた思いを語った。 同賞は、昨年1月に全国高校サッカー選手権で星稜が初優勝したことを受けて創設され、松本選手は昨年8月の世界柔道選手権で優勝した際にも 受賞している。 この日は、金沢市も松本選手に市スポーツ優秀選手表彰特別賞を贈った。金沢市役所で、松本選手の母校である兼六中の生徒らが見守る中、 山野之義市長が賞状を手渡した。 リオ柔道・銅 松本選手に県「特別賞」 http://www.yomiuri.co.jp/local/ishikawa/news/20160906-OYTNT50310.html
204 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/08(木) 04:12:37.65 ID:pI47wdfo.net リオデジャネイロ五輪の柔道男子100キロ超級で銀メダルを獲得した下関市出身の原沢久喜選手が県庁を訪れ、村岡嗣政知事から 県スポーツ・文化特別褒賞を贈られた。 原沢選手は、所属する日本中央競馬会柔道部の賀持(かもち)道明監督らとともに訪問。村岡知事は「粘り強い戦いで県民に大きな感動を与えた。 東京五輪では金メダルを目指してほしい」と活躍をたたえた。 原沢選手は、柔道日本男子が全階級でメダルを獲得したことについて「連日、メダルを取ってくるのでプレッシャーだった」と笑いを誘い、 「県民の応援が一番の力になった。東京五輪まで長い道のりになるが、少しずつ積み重ねて金メダルを獲得したい」と意気込んだ。 リオ五輪:柔道で銀、下関出身・原沢選手に県スポーツ・文化特別褒賞贈呈 「県民の応援が力に」 /山口 http://mainichi.jp/articles/20160907/ddl/k35/050/545000c リオ五輪柔道女子57キロ級で銅メダルに輝いた金沢市出身の松本薫選手(28)に6日、谷本正憲知事から県スポーツ特別賞が贈られた。 ロンドンに続く2大会連続のメダル獲得に、県庁で出迎えた約300人からは大きな拍手が送られた。 松本選手は準決勝で敗れたが、「手ぶらでは帰れない」と奮起し、3位決定戦を制した。 谷本知事は賞状と記念品カップを手渡し、「気持ちの切り替えが見事だった。不屈の精神は後に続く子供たちの励みになる」とたたえた。 松本選手は「約束していた金メダルではなかったが、石川のみなさんの応援のおかげで最後まで戦えた」と感謝を述べた。 贈呈式後、記者団に「2連覇を宣言しておいて、何も持たないで帰るのは私じゃないと思った」と回想。この先1年間は、試合に出場せず充電期間に充てるとし、 今後については「東京五輪は特別なので、出たいという気持ちも少しずつ湧いてきている」と語った。 RIO2016:柔道女子「銅」 松本選手、応援に感謝 県スポーツ特別賞贈呈 /石川 http://mainichi.jp/articles/20160907/ddl/k17/050/250000c リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(日本中央競馬会)が7日、東京都江東区にある大相撲の伊勢ケ浜部屋で 朝稽古を見学し「一瞬一瞬の迫力がものすごい」と国技の魅力を実感した。 大相撲の稽古を見るのは初めてだそうで「強い力士はちゃんと腰が入っている。浮足立たず、下から前に出ている」と感想を述べた。稽古後は 横綱日馬富士と談笑。「いい男だな。何で相撲をやらなかったんだ」と声を掛けられて照れ笑いした。秋場所7日目(17日)には両国国技館を訪れ、 NHK大相撲中継にゲスト出演する予定。 原沢は五輪後初の実戦として12月のグランドスラム東京大会の出場を検討中。「五輪後は多忙で軽めのトレーニングしかしていない。 しっかりと稽古を積んでから考えたい」と述べた。 リオ銀の原沢、大相撲朝稽古を見学「迫力がものすごい」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160907/jud16090718390001-n1.html
205 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/09(金) 10:23:50.45 ID:ZMbmsDd1.net リオデジャネイロパラリンピック、柔道男子60キロ級で廣瀬誠選手が銀メダルを獲得しました。日本の今大会、最初のメダルです。 39歳の廣瀬選手は、初出場したアテネ大会で60キロ級に出場して銀メダルを獲得していて、4大会連続出場となったリオデジャネイロ大会で 3大会ぶりのメダルを目指しました。 準々決勝から出場した廣瀬選手は、2試合をいずれも一本勝ちで決勝に進みました。 ウズベキスタンのシェルゾド・ナモゾフ選手との決勝では、開始10秒に袖釣り込み腰で相手に技ありを奪われました。 このあと廣瀬選手は積極的に攻めましたがポイントを奪えず、1分20秒すぎ、攻撃を仕掛けたところを逆に「隅落」で技ありを奪われて、 合わせ技で一本を取られて敗れ、初の金メダルはなりませんでした。 廣瀬選手はアテネ大会以来3大会ぶりの銀メダルで、日本にとっては今大会、最初のメダルを獲得しました。 「子どもや妻 両親に感謝」 廣瀬選手は「ここまで応援に来てくれた子どもたちと妻、そして両親に感謝したい」と、家族への感謝を話しました。 さらに、表彰式で3人の子どもと一緒に写っている写真を掲げたことについては、「出発前に子どもたちに柔道着を着せて撮影したもので、 お守り代わりに持ってきた。試合前に見て気合いが入ったし、写真のおかげで銀メダルを取ることができた」と笑顔を見せました。 そのうえで、リオデジャネイロ大会までの4年間について、「1番上の子どもが6歳なので、パラリンピックに出場すれば記憶に残ると思い、 厳しい練習も頑張ることができた。満足のいく大会だった」と話していました。 最後のパラリンピックで銀 廣瀬誠選手は愛知県西尾市出身の39歳で、初出場したアテネ大会から4大会連続での出場です。 高校から柔道を始め、17歳のときに視神経の病気にかかって視力が大幅に落ち、高校卒業後に視覚障害者柔道に転向しました。 アテネ大会では60キロ級に出場して銀メダルを獲得しましたが、北京大会では7位、1つ上の66キロ級に出場した前回のロンドン大会は3位決定戦 で敗れてメダルを逃しました。 39歳で臨むリオデジャネイロ大会は最後のパラリンピックと公言して再び60キロ級で臨み、3大会ぶりのメダル獲得を目指していました。 視覚障害の選手が争う柔道 パラリンピックの柔道は目に障害のある選手が出場して争われます。 体重によって、男子は7つの階級、女子は6つの階級があり、障害の程度によるクラス分けはありません。 対戦する2人が組み合った状態から試合を始めるのが最大の特徴で、「待て」がかかった場合も試合開始の位置に戻って組んだ状態で再開します。 このため、常に両者が技をかけ合う、激しい攻防が繰り広げられます。ルールは基本的に一般の柔道と変わりません。 日本は、北京とロンドンと、ここ2大会連続で獲得したメダルが1つのみで、リオデジャネイロ大会では男子が複数の金メダルを含む5人全員のメダル獲得、 女子は初めてのメダル獲得を目標に掲げています。 パラリンピック柔道男子 廣瀬が銀 日本勢初のメダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160909/k10010677101000.html
206 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/09(金) 10:24:06.44 ID:ZMbmsDd1.net リオデジャネイロパラリンピック、柔道男子66キロ級で藤本聰選手が3位決定戦に勝って、銅メダルを獲得しました。 藤本選手は、2大会ぶり5回目のパラリンピックとなる41歳で、1回戦と準々決勝の2試合を、いずれも一本勝ちして準決勝に進みました。 準決勝ではアゼルバイジャンの選手と対戦しましたが、一本負けして3位決定戦に回りました。 3位決定戦は、リトアニアのオスバルダス・バレイキス選手と対戦し、序盤から得意の背負い投げのほか、寝技や、ともえ投げなど積極的に技を仕掛けました。 一方のバレイキス選手は、序盤から消極的な指摘されて指導を3つ与えられ、両選手ともにポイントを奪えなかったものの、藤本選手が指導の差で勝って 銅メダルを獲得しました。 藤本選手は初出場だった1996年のアトランタ大会で金メダルを獲得して以来、出場したすべての大会でメダルを獲得していて、今回が5つ目のメダルです。 「東京大会で金取って引退したい」 藤本選手は「金メダルを取ると、ずっと言い続けていたが、心のどこかにメダルに届かないかもしれないという気持ちもあった。その弱気に打ち勝とうと 練習してきたが、この階級で一番年上らしいので、41歳でもこれだけできるということを見せられたと思う」と、達成感にあふれた表情で話していました。 そして、45歳で迎える東京大会に向けても、「自分が現役でいられる間に日本でパラリンピックが開かれるので、そこに出場することを目標に頑張りたい。 東京大会で金メダルを取って引退したい」と意欲を示していました。 5つ目のメダル獲得 藤本聰選手は徳島市出身の41歳で、2大会ぶり5回目のパラリンピック出場です。 生まれたときから目に障害があり、5歳で柔道を始めました。 21歳のとき、初出場したアトランタ大会で金メダルを獲得し、その後、シドニー大会、アテネ大会と3連覇を果たしました。 4連覇がかかった北京大会では決勝で敗れて銀メダルとなり、前回のロンドン大会は出場を逃しました。 その悔しさを胸に、柔術を練習に取り入れるなどして、41歳で臨んだリオデジャネイロ大会で見事に復活を果たし、パラリンピックで5つ目のメダル となる銅メダルを獲得しました。 パラリンピック柔道男子 藤本が銅メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160909/k10010677191000.html 最後は捨て身の投げ技が通じなかった。柔道女子48キロ級で28歳の半谷は前回3位のウクライナ選手に力負け。銅メダルにあと一歩届かず 「当たって砕けろ、の気持ちで臨んだけど、散って帰ってきたという感じ」。苦笑いに悔しさがにじんだ。 ドーピング問題で全面除外されたロシア選手団の出場枠が再配分され、今大会参加が決まったのは約2週間前。「想像もしなかった」とドタバタの 準備でリオデジャネイロに乗り込み、3位決定戦まで進んだが「勝負どころで自分の思い切りのなさが出たかな」と反省した。 前回ロンドン大会は7位。「4年前より一歩前進した。4年後の東京ではさらに上の順位につなげたい」とメダルを見据えた。 【リオパラ】半谷、メダルにあと一歩 柔道女子48キロ級 http://www.sankei.com/photo/story/news/160909/sty1609090009-n1.html
207 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/10(土) 06:57:31.38 ID:0Pp415UF.net リオデジャネイロパラリンピックで、柔道女子57キロ級に出場した廣瀬順子選手が銅メダルを獲得しました。 パラリンピックの柔道女子でメダル獲得はこれが初めてです。 パラリンピック初出場の廣瀬選手は山口市出身の25歳。去年12月に結婚した90キロ級代表の悠選手とそろっての出場です。 廣瀬選手は準々決勝で1本勝ちしましたが、準決勝で地元ブラジルの選手に1本負けして、3位決定戦に回りました。 3位決定戦はスペインのマリア・モニカ・メレンシアーノ・エレーロ選手と対戦しました。廣瀬選手は開始直後に大外刈りで 有効のポイントを奪うと、その後も積極的に技を仕掛け、2分すぎには1本背負い投げで技ありのポイントを奪って、 そのまま横四方固めで抑え込み、1本勝ちで銅メダルを獲得しました。 パラリンピックの柔道女子で日本がメダルを獲得したのは初めてです。 柔道女子57キロ級 廣瀬順子が銅メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160910/k10010679271000.html リオデジャネイロパラリンピック、柔道男子73キロ級の北薗新光選手は、3位決定戦でドイツの選手に敗れ、メダル 獲得はなりませんでした。 北薗選手は神戸市出身の25歳、ロンドン大会では100キロ級で出場しましたが、7位と外国選手との力の差を感じたため、 およそ30キロ減量して階級を3つ落とし、今大会は73キロ級での出場です。 予選では優勢勝ち、準々決勝では1本負けして敗者復活戦に回り、不戦勝で3位決定戦に進みました。 3位決定戦ではドイツのニコライ・コルンハス選手と対戦し、開始直後に相手に技ありのポイントを奪われ、さらにおよそ30秒後には 内股すかしで1本負けして、初めてのメダル獲得はなりませんでした。 また、女子の63キロ級には米田真由美選手が出場しました。静岡県出身で34歳の米田選手は、ロンドン大会では初戦でけが をして棄権し、その悔しさを晴らそうと、メダル獲得を目指して今大会に臨みましたが、準々決勝で1本負けしました。そして 敗者復活戦でも中国の選手に優勢負けして、メダル獲得はなりませんでした。 柔道 男子73キロ級の北薗は5位 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160910/k10010679351000.html
208 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/11(日) 03:41:54.71 ID:xkbMjtIf.net 柔道の全日本ジュニア体重別選手権第1日は10日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、 女子57キロ級の舟久保遥香(山梨・富士学苑高)が連覇を遂げた。 舟久保が連覇=全日本ジュニア柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000273 女子57キロ級の舟久保は警戒されながらも連覇を達成した。筋力トレーニングの成果が出て組み手で優位に立ち、 足技主体に攻めた。研究されていると実感し、ポイントはなかなか奪えなかったが、相手が指導を受け、「意識して 前に出ることができた」と納得した。 秋以降はシニアの戦いに挑む。東京五輪の代表争いも意識しており、「乗り遅れないように、いいスタートダッシュを切りたい」と意欲をみなぎらせた。 舟久保、組み手で優位=全日本ジュニア柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000282 柔道の全日本ジュニア体重別選手権第1日は10日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、女子57キロ級で17歳のホープ、 舟久保遥香(山梨・富士学苑高)が8月の全国高校総体に続いて2連覇を達成した。 女子52キロ級の立川莉奈(福岡大)は、弟で男子73キロ級の立川新(東海大)とともに初優勝した。女子48キロ級は坂上綾(三井住友海上)、 男子の60キロ級は米村克麻(日体大)、66キロ級は原田誠丈(福岡大)がいずれも初制覇した。 女子57キロ級の舟久保がV2 全日本ジュニア/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160910/jud16091019150001-n1.html 筑波大柔道部監督に、2008年北京五輪柔道男子81キロ級代表でOBの小野卓志氏(36)が1日付で就任したことが10日、分かった。 増地克之前監督は総監督となった。 小野氏は世界選手権で05年に81キロ級、11年は90キロ級で3位。昨年7月から母校の筑波大でコーチを務めていた。 筑波大監督に小野氏=柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091000363 2008年北京五輪柔道男子81キロ級代表の小野卓志氏(36)が1日付で筑波大の男女柔道部監督に就任したことが10日、関係者の話で分かった。 前任の増地克之氏は総監督となった。 筑波大出身の小野氏は81キロ級、90キロ級、100キロ級の3階級で世界選手権に5度出場。05年に81キロ級、11年に90キロ級で3位に入った。 昨年11月の講道館杯全日本体重別選手権を最後に第一線から退き、筑波大のコーチを務めていた。 筑波大監督にOBの小野卓志氏が就任 男女柔道部を兼任 http://www.sanspo.com/sports/news/20160910/jud16091020230003-n1.html 👀 Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
209 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/11(日) 13:29:22.07 ID:/S0imwU7.net リオデジャネイロパラリンピック、目に障害のある選手が争う柔道で連覇を目指した男子100キロを超えるクラスの正木健人選手は、銅メダルでした。 正木選手は、金メダルを獲得した前回のロンドン大会のあと、右膝を痛めて国際大会での優勝から遠ざかっていました。連覇のかかるリオデジャネイロ大会 に向けては、大学の先輩にあたるロンドンオリンピックで男子100キロ級の代表だった穴井隆将さんに稽古をつけてもらうなどして技を磨いてきました。 右膝に痛みが残ったまま大会を迎えましたが、稽古の効果もあって、1回戦では試合開始直後に得意の払い腰を決めて一本勝ちし、続く準々決勝も 同じ払い腰から抑え込んで一本を奪うなど、けがの影響を感じさせない柔道を見せました。しかし、準決勝では、警戒していたウズベキスタンの選手に、痛み のある右足を刈られて一本負けし、2連覇の夢がついえました。 正木選手はこのあとの3位決定戦で、「自分の柔道をする」と気持ちを切り替えて臨み、得意の払い腰で一本を奪って2大会連続のメダルとなる銅メダルを 獲得しましたが、試合後は悔し涙が止まりませんでした。 正木選手は「試合が終わると金メダルをとれなかった悔しさがこみ上げてくる。畳に上がればけがは一切関係ないし、これが自分ができる精いっぱいの 柔道だった」と話していました。そのうえで、「パラリンピックは自分を成長させてくれると思っているので、東京大会では金メダルを目指して頑張っていきたい」と、 早くも次の4年後に目を向けていました。 「悔しさこみ上げてくる」 試合後、正木選手は、「お世話になった人のために最後は勝って終わらないといけないと思った。気持ちを切り替えたが、試合が終わると金メダルを とれなかった悔しさがこみ上げてくる」と話していました。そのうえで、右膝に痛みを抱えながらの大会だったことについて、「畳に上がれば、ケガは 一切関係なく、これが自分のできる精いっぱいの柔道だった。パラリンピックは自分を成長させてくれると思っているので、東京大会では金メダルを 目指して頑張っていきたい」と、前を向いていました。 正木選手とは 正木健人選手は、兵庫県南あわじ市出身の29歳。金メダルを獲得したロンドン大会に続き、2大会連続の出場です。中学1年生で柔道を始め、 生まれたときから目に障害がありながら中学や高校では、一般の全国大会で上位に食い込む好成績を収めてきました。 強豪の天理大を卒業した後に視覚障害者柔道に転向し、初めてパラリンピックに出場した前回のロンドン大会では、身長1メートル90センチ、 体重150キロの恵まれた体格を生かして100キロを超えるクラスで金メダルを獲得しました。 ロンドン大会後は右膝を痛めた影響で、国際大会での優勝はありませんが、大学の先輩で、ロンドンオリンピック100キロ級代表の穴井隆将さんの 指導を受けるなど、調整を続けてきました。 柔道男子100キロ超級 正木が銅メダル http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160911/k10010680571000.html
210 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/12(月) 05:10:14.18 ID:TW+n3i8S.net 柔道の全日本ジュニア体重別選手権最終日は11日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、男子100キロ級は高校総体を2年連続で制した 飯田健太郎(東京・国士舘高)が連覇を果たした。同100キロ超級は太田彪雅(東海大)、同90キロ級は神鳥剛(明大)が初優勝。 女子78キロ級は、4月の全日本女子選手権3位の梅津志悠(三井住友海上)が初優勝。同78キロ超級は素根輝(福岡・南筑高)、 同70キロ級は新添左季(山梨学院大)が制した。 飯田が100キロ級連覇=全日本ジュニア柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091100178 柔道の全日本ジュニア体重別選手権最終日は11日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、男子100キロ級は18歳の大器、 飯田健太郎(東京・国士舘高)が2連覇を達成した。飯田は8月の全国高校総体も2連覇。 男子100キロ超級は太田彪雅(東海大)、90キロ級は神鳥剛(明大)が初優勝した。 女子で78キロ級は4月の全日本女子選手権3位の梅津志悠(三井住友海上)、78キロ超級は福岡・南筑高1年の素根輝、 70キロ級は昨年2位の新添左季(山梨学院大)が初めて制した。 ジュニア柔道、飯田が2連覇 男子百キロ級、18歳の大器 http://this.kiji.is/147650664733001208?c=110564226228225532 柔道の全日本ジュニア体重別選手権最終日は11日、埼玉県立武道館で男女各4階級が行われ、男子100キロ級は18歳の大器、 飯田健太郎(東京・国士舘高)が2連覇を達成した。飯田は8月の全国高校総体も2連覇。 男子100キロ級の飯田は格の違いを見せつけて2連覇。得意の内股がさえ「昨年より力もスタミナもはるかについている」と胸を張った。 187センチの長身で骨太の体格に正統派のスタイル。周囲からは早くも「東京五輪の星」と熱い視線を浴びる。リオデジャネイロ五輪の 柔道は全てテレビ観戦したそうで「4年はあっという間。そこに出て優勝したいという気持ちが強くなった」と意識が高まった。 11月の講道館杯で好成績を残せば、シニアの国際大会出場に道が開ける。「努力を怠らず、一つ一つ積み重ねていく」と表情を引き締めた。 “東京五輪の星”国士舘高・飯田が2連覇!/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160911/jud16091119360003-n1.html 男子100キロ級の飯田が豪快に連覇を決めた。危なげなく勝ち上がった決勝、左足に相手の右足を乗せ、跳ね上げるように裏返して一本勝ち。 相撲のやぐら投げにも似た大技に会場はどよめいた。 右膝にたまった水を抜く処置を1週間前に受け、練習がほとんどできない状態で本番を迎えた。不安を抱える中で結果を残し、「去年は勢いだけ だったが、今年は実力も出せた」と胸を張る。18歳のホープは「東京五輪には絶対自分が出て優勝したい」と大きな目標を掲げた。 飯田、豪快に連覇=全日本ジュニア柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091100185 女子78キロ級の梅津は、4度目の出場で初めて全日本ジュニアの頂点に立った。内股や大外刈りを武器に4試合中3試合に一本勝ちし、 「思い切りのいい柔道ができた」と満足した。 これまで目立った実績は残せていなかったが、78キロ超級の選手が集まる4月の全日本女子選手権で3位に入り、手応えをつかんだ。 19歳の若手らしく、「技の勢いには自信がある」。次は国際大会の日本代表入りを狙う。 一本勝ち重ねた梅津=全日本ジュニア柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091100193 柔道女子日本代表の南條充寿監督(44)が退任することが11日、関係者の話で分かった。新体制は11月からスタートし、 全日本柔道連盟は後任監督らを決める14日の理事会に向けて調整している。男子代表の井上康生監督(38)は続投する。 南條監督は2013年1月に暴力指導問題が発覚し、引責辞任した当時の監督の後を受け、同年3月に就任。指導陣が大幅に 刷新された女子代表を立て直し、リオデジャネイロ五輪では70キロ級を制した田知本遥(ALSOK)ら7階級でメダル5個をもたらしたが、 任期は同五輪までの予定だった。 金メダルゼロだった12年ロンドン五輪後に就任した井上監督は、リオで初の全階級メダルを成し遂げた。手腕や人望は揺るぎなく、 20年東京五輪までチームを率いる。 女子日本代表・南條監督が退任へ 井上の男子監督は続投/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160911/jud16091120460004-n1.html
211 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/13(火) 06:45:34.59 ID:scJcjd+4.net 日本ハムは12日、札幌ドームで行われる15日のオリックス戦で、リオデジャネイロオリンピック柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した 札幌市出身・山部佳苗選手(ミキハウス)が「ファーストピッチセレモニー」を行うと発表した。 大外刈りで技ありを奪って3位決定戦に勝利し、銅メダルを獲得した山部は、「小さい頃から柔道以外のスポーツも好きでよくやっていました。 野球好きな家族や、コーチの薪谷先輩に笑われないように、ど真ん中のストライクを目指します!」とノーバウンド投球をと意気込んだ。 リオ五輪銅メダルの柔道、山部佳苗が始球式 15日の日本ハム戦で http://www.daily.co.jp/baseball/2016/09/12/0009480999.shtml リオデジャネイロ五輪で金メダルを獲得した女子柔道の田知本遥選手(26)と女子レスリングの登坂絵莉選手(23)が12日、出身地の富山県で 凱旋パレードをした。 両選手が乗り込んだオープンカーは富山市中心部の県庁前を出発。約1・5キロの道を40分かけてパレードした。雨に見舞われたものの、 登坂選手が沿道に向けて金メダルを掲げると、集まった2万人以上の市民は傘を手に「おめでとう」「お帰りなさい」と歓声を上げた。 パレードを見に来た富山市の中学3年柴田怜さん(14)は「生まれて初めて五輪の金メダルを見た。地元に金メダリストが生まれて、五輪を 身近に感じます」と話した。 県は同日、県勢初の金メダリストとなった2人に県民栄誉賞を贈った。 田知本&登坂、故郷の富山で凱旋パレード/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160912/rio16091218200009-n1.html 石川県は6日、リオデジャネイロ五輪柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得した金沢市出身の松本薫(28)に県スポーツ特別賞を授与した。 谷本正憲知事が「夢と感動を与えてくれた」と声を掛けると、松本は「皆さんの応援でメダルが取れました」と話した。 松本は授与式後、報道陣に2020年の東京五輪への出場について問われると「1年間休養してから決めたい」と述べた。 正面玄関では県職員ら約300人が拍手で祝福。松本は深々と一礼し、声援に手を振りながら笑顔で応えた。 松本薫、石川県からスポーツ特別賞「皆さんの応援でメダルが取れました」/柔道 - リオ五輪2016 http://www.sanspo.com/rio2016/news/20160906/rio16090617540012-n1.html リオデジャネイロ五輪柔道男子90キロ級金メダルのベイカー茉秋(東海大)が12日、母校の東海大浦安高を訪問し、目標達成までの過程や五輪での 体験談などを披露した。 報道陣には中等部への報告会が公開され、ベイカーは「諦めず、夢を追い続ければ必ずかなうから頑張って」と壇上からメッセージを送った。生徒との 質疑応答では東京五輪への意欲を聞かれ「僕は東京出身なので、たくさんの人が応援してくれる。また優勝の感動を味わいたいし、2連覇を目指す」と宣言した。 ベイカーは報告会後に報道陣の取材に応じ、年内の試合出場予定について「まだモチベーションが上がってこない。(行事等で)忙しく、道場にも顔を 出せていない。少し休養が必要だ」と白紙を強調。ただ来夏の世界選手権に向けては「もちろん目指す。五輪チャンピオンとして勝ち続けたい」と自覚を示した。 リオ金のベイカー、母校を訪問「夢は必ずかなうから頑張って」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160912/jud16091216340001-n1.html 西武は19日の楽天戦(西武プリンスドーム)でリオ五輪柔道男子90キロ級で金メダルを獲得したベイカー茉秋(21)が始球式を行うことを12日、発表した。 この試合は「アニマックスpresentsお仕事体験デー」として開催され、子どもたちが“夢のお仕事”を体験する企画。金メダルという夢をつかんだベイカー茉秋が、 初めて始球式に挑む。 ベイカー茉秋が西武戦で初の始球式に登場 http://www.sanspo.com/sports/news/20160912/jud16091219420002-n1.html
212 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/13(火) 07:17:20.39 ID:scJcjd+4.net 柔道の団体戦が2020年東京五輪で採用される可能性が高まっていることが9日、分かった。国際柔道連盟(IJF)のマリウス・ビゼール会長(58)と 会談した全日本柔道連盟の山下泰裕副会長(59)が明かしたもの。実現すれば、日本にとってはメダル増加につながる追い風で、競技のさらなる 盛り上がりにも大きな起爆剤となる。 リオデジャネイロ五輪で3個の金メダルを獲得した柔道が、東京五輪でさらにメダルを量産しそうだ。3日からハンガリーに渡り、ビゼール氏と会談した 山下氏は「2020年から団体戦の可能性がかなりある。これから、うちもいろんな交渉が出てくる。団体戦は世界の柔道界の念願。非常に盛り上がる と思います」と興奮冷めやらぬ様子で話した。 IJFはかねて団体戦の採用を国際オリンピック委員会(IOC)に申請。団体戦が行われている世界選手権をIOC委員が視察するなど、積極的にロビー 活動を行ってきた。リオ五輪では実現しなかったものの、東京での採用を目指して働きかけを継続。ここにきて、団体トップのビゼール氏が、 その実現に手応えを示したという。 その理由はリオ五輪での結果にある。ある調査では「運営、内容の評価、メダリストの広がり、世界的な盛り上がりなどの点で柔道は(全競技で)3番目に 評価が高かった」と山下氏。しかも団体戦は現時点で、個人戦のメンバーが出場する方向だ。五輪の肥大化を危惧するIOCにとって、種目増の負担が 少ないのはアドバンテージで、山下氏も「メダルの数が男女で1つずつ増えるだけで参加人数は変わらない」と解説した。 日本は昨年の世界選手権団体戦で男子が2連覇、女子も優勝を飾った。ただ、フランス、ロシア、韓国など上位の実力は拮抗している。 「日本も勝っているけど、薄氷を踏むような勝ちもあった」(山下氏)。盛り上がりは個人戦以上とあって柔道の新たな魅力、醍醐味を発信する舞台となりそうだ。 リオ五輪でも体操男子や卓球の男女、競泳男子800メートルリレー、陸上男子400メートルリレーなどの団体戦はひと際、高い注目を集めた。 国と国が威信をかけて戦う団体戦の五輪採用は全日本男子の井上康生監督(38)も以前から希望しており、大きな前進となった。 東京五輪で柔道「団体戦」採用へ http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/591504/
213 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/13(火) 13:18:23.70 ID:KeaWjreK.net JOCジュニアオリンピックカップ・全日本ジュニア柔道体重別選手権大会は10、11日に埼玉県立武道館で開かれ、印南町西ノ地出身で 京都文教高校1年の久保井仁菜選手(15)が女子44`級で見事優勝。男女全階級で唯一全対戦1本勝ちを収め、自身初の日本一に輝いた。 同大会15歳での優勝は男女初。 男女各8階級個人戦トーナメント。女子44`級は19人が争い、久保井選手は1回戦不戦勝。2回戦は東京女子体育大学3年の選手に一本背負いで 技あり後、縦四方固めで合わせ技1本勝ちを収めた。3回戦は白鵬女子高校2年の選手に縦四方固め、準決勝は環太平洋大学1年の選手に 崩れ上四方固めで1本勝ち。決勝は夙川学院中学校3年の選手から肩固めで1本を奪って勝利した。 得意の寝技を駆使して安定感抜群の戦いを披露。インターハイやシニア大会では最軽量の48`級に出場しており、今回の44`級では力強さも光った。 地元クラブの久保井塾出身で美浜町の松洋中学校卒。「全国大会で初めて優勝することができてうれしいです。今回の大会には多くの方が応援に来てくれ、 おかげで最後まで自分の柔道をして勝つことができた。期待に応えられて本当によかった。これからは全国のライバルたちが、私の得意な寝技を 研究してくるので勝つのは大変になると思うけど、いま以上に精進して頑張ります」と笑顔を見せ、中学時代の恩師、三原史也さん(31)は 「オール1本(勝ち)で立派な戦いぶり、自分の柔道を貫いていた。シニアの48`級でも勝てるように力をつけてほしい」と話していた。 全日本ジュニア柔道 女子44`級で久保井さんが優勝 Web Hidaka http://www.hidakashimpo.co.jp/news/2016/09/44-1.html 柔道の全日本ジュニア体重別選手権第2日が11日、埼玉県上尾市の県立武道館で行われ、男子81キロ級で平田高出身の 佐々木健志(20)=筑波大2年=が初優勝した。 15〜20歳で争われる大会で、同階級は、前年優勝者や地区予選突破者ら19人が出場。佐々木は、初戦の2回戦から決勝までの4試合で、 得意の寝技などでオール一本勝ちを収め、高校2年時の2014年の全国高校選手権以来の全国タイトルを手にした。 佐々木が初優勝 柔道全日本Jr男子81キロ級 http://www.sanin-chuo.co.jp/news/modules/news/article.php?storyid=561158004 柔道女子日本代表の南條充寿監督が退任することが12日、複数の関係者の話で分かった。後任は全日本柔道連盟が14日に開く理事会で決まる見込み。 男子代表の井上康生監督は続投する。 南條氏は2013年3月、暴力問題で辞任した当時の園田隆二監督の後を受けて就任。データ分析などを採り入れて女子代表を立て直し、リオデジャネイロ 五輪で金1個を含む5個のメダル獲得に導いた。任期はリオ五輪までの予定だった。 男子はリオ五輪で金2個を含む全7階級でのメダル獲得を達成し、井上監督の手腕は高く評価されている。 柔道女子日本代表の南條監督退任へ=男子の井上監督は続投〔五輪〕 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091200187
214 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/13(火) 13:53:07.52 ID:KeaWjreK.net リオ五輪柔道男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(24)=日本中央競馬会=が7日、東京都江東区にある大相撲の伊勢ケ浜部屋で朝稽古を 見学し「一瞬一瞬の迫力がものすごい」と国技の魅力を実感した。 大相撲の稽古を見るのは初めてだそうで「強い力士はちゃんと腰が入っている。浮足立たず、下から前に出ている」と感想を述べた。稽古後は 横綱日馬富士と談笑。「いい男だな。何で相撲をやらなかったんだ」と声を掛けられて照れ笑いした。秋場所7日目(17日)には両国国技館を訪れ、 NHK大相撲中継にゲスト出演する予定。 柔道銀の原沢が相撲朝稽古に圧倒 日馬富士「何で相撲をやらなかったんだ」 http://www.daily.co.jp/general/2016/09/08/0009466635.shtml リオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(24=日本中央競馬会)が7日、大相撲の伊勢ケ浜部屋を訪問し、 横綱日馬富士(32)と初対面した。「張りがすごい。(相撲界では)でかくなくても、でかいですね」と注目したのはその肉体。137キロは 幕内では小兵だが、目を見張った。「自分も130キロにしたい。筋肉で増やす」と続け、現在123キロからの増量計画を口にした。 リオ五輪の入賞者8人の平均体重が約130キロ。決勝で原沢を破り、五輪連覇を飾ったリネール(フランス)は139キロの仕上げだった。 「世界基準」には、いまよりも重厚な筋肉のよろいをつける必要性はある。重量級では出色の柔軟性を持つだけに、井上監督が「『柔よく剛を制す』ではなく、 『柔剛一体』を目指さなければ」と掲げる姿にも、より近づけるだろう。 日馬富士からは「いまからでも遅くない」と角界入りを熱望され、本人も「揺らぎました」とニヤリとしたが、もちろん冗談。柔道界の横綱=金メダリスト。4年後、 母国での五輪が勝負の場になる。「完成度は50%」と己の肉体、技術を見るだけに、その変遷が楽しみになる。 原沢久喜「日馬の肉体」計画、筋肉で130キロに ? 柔道 http://www.nikkansports.com/sports/news/1706721.html
215 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/14(水) 06:01:05.80 ID:nxdMY+0Q.net リオ五輪の柔道男子90キロ級で金メダルを獲得した東海大学のベイカー茉秋(ましゅう)選手(21)が9月12日、千葉県浦安市役所を訪れ、 松崎秀樹市長に結果を報告した。 ベイカー選手は東京都生まれだが、市内にある東海大浦安高校の出身。「優勝したことで五輪は一生を懸けてもいい舞台だと実感した。 地元が東京なので、東京五輪で2連覇を果たしたい」と述べた。決勝当日については「(自分は)大舞台が好きなタイプ。いつも通り(試合に)臨んだら、 あっさり勝てた」「朝からステーキなどをガッツリ食べて、『今日はいい』と思った」と振り返った。 同高時代に監督として指導した竹内徹・柔道部部長(57)も同席。「彼は『見て面白い柔道』を心掛けている。県大会では2回戦で負けるような 60キロ台の小さな子どもだったが、この姿を見て感無量です」と喜んだ。 大学倶楽部・東海大:「いつも通りあっさり勝利」 柔道「金」ベイカー選手、浦安市長に報告 http://mainichi.jp/univ/articles/20160913/org/00m/100/028000c リオデジャネイロ五輪柔道男子90キロ級金メダリストのベイカー茉秋(21)=東海大=が13日、東京都内で行われた公開中の米映画「スーサイド・スクワッド」 (デビッド・エアー監督)のPRイベントに祖母の小林リナさんと登場した。 ピンクと金色に髪を染め、話題を集めたリナさんがヒロインのハーレイ・クインに扮して登場するとベイカーは苦笑い。帰国後にはリナさんから、鰻店に連れて 行ってもらったことを明かし、「店内でも祖母が一番目立ってました」と笑わせた。 イベントの最後に、ベイカーが映画のPRコメントを話そうとするも言葉に詰まり、横にいたリナさんがささやき、フォローする場面もあった。 ベイカー茉秋、祖母リナさんと鰻店へ「一番目立ってました」 http://www.sanspo.com/sports/news/20160913/jud16091316180001-n1.html リオデジャネイロ五輪の柔道男子100キロ超級で、イスラエル選手との試合後に握手を拒否したエジプトのイスラム・エルシェハビ選手(34)が 毎日新聞の取材に応じ、「試合の棄権を求める声もあり、試合前から重圧があった。柔道のルールを守った上で、(イスラエルを敵視する)アラブ人や イスラム教徒の感情を尊重し、握手は拒むことを決めた」と説明した。 エルシェハビ選手によると、試合8日前にイスラエル選手との対戦が決まった後、インターネットを通じて「イスラエルの存在を認めないために 棄権すべきだ」「敗北は許されない」などの意見が寄せられていると知った。代表チーム内で対応を協議し、試合後の握手の義務はないことを踏まえ、 結果に関わらず握手は拒むことを決めた。 試合では一本負けした。審判が勝者を告げると相手選手だけが礼をし、エルシェハビ選手は左の手のひらを相手に向け、首を振って、握手を拒否する 意思を伝えようとした。だが、相手選手は後ずさりするエルシェハビ選手を追うように手を上げて握手を求めた。いったん畳を去ったエルシェハビ選手は、 審判から礼を促され、小さく礼をして退場した。 「重圧や動揺があり、試合後の礼を忘れてしまった」と、エルシェハビ選手は釈明する。「相手選手は過去にエジプト選手に握手を拒まれたことがある。 私が握手を拒むと分かっていて、あえて近づいてきた。世界が注目する中、問題を政治化したのは相手選手だ」と話した。イスラエルメディアによると、 相手選手は試合後「握手を拒否されるのは分かっていたが、それは彼の判断だ」と話した。 エルシェハビ選手は国際オリンピック委員会から厳重注意処分を受けた。五輪後は取材にほとんど応じていないが、知人からロサンゼルス五輪 で山下泰裕選手と対戦したエジプトのラシュワン選手と比較されて批判されていると知り、「日本の人たちに説明したい」と取材に応じた。 アラブ世界では、イスラエルがパレスチナ人の土地を奪い、国家樹立を妨害しているとの認識が広くあり、過去の紛争の歴史と相まって反イスラエル感情が 根強い。スポーツ界でも「イスラエルの存在を認めない」との理由からイスラエルとの対戦を拒否する例がある。 エジプト:「重圧あった」リオ五輪で握手拒否の柔道選手 http://mainichi.jp/articles/20160914/k00/00m/030/013000c
216 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/14(水) 06:05:53.65 ID:nxdMY+0Q.net 金メダリストの凱旋フィーバーが続いています。 12日県民栄誉賞を受賞した柔道の田知本遥(たちもと・はるか)選手が、13日は地元・射水市に凱旋し、母校の後輩や大勢の市民から祝福を受けました。 田知本遥選手の母校・小杉高校では報告会が開かれ、全校生徒およそ480人が田知本選手を拍手と歓声で迎えました。 生徒の代表が「感動をありがとうございました。田知本さんのように何事にも取り組んでいきたいです」と挨拶すると田知本選手は、応援への感謝を述べた上で、 後輩たちにメッセージを贈りました。 「夢には全てをかける価値があります。一日一日の過程を大切にしてください」(田知本遥選手) そして、市民栄誉賞の贈呈式が行われる射水市の会場前にはー「市役所から贈呈式の会場まで田知本選手を出迎えようと列が出来ています」(京極記者) その中には12日のパレードで手作りの金メダルを渡せなかった小杉東部保育園の園児たちの姿もありました。 市民栄誉賞の贈呈式には800人近い市民が集まりました。 式では、夏野(なつの)市長が「諦めず努力を積み重ね、栄冠を掴んだ田知本選手は射水市民の誇りです」と金メダルを獲得した田知本選手を称えました。 夏野市長は、田知本選手に射水市で初となる市民栄誉賞を贈りました。 柔道 田知本遥選手 金を胸に母校に凱旋 http://www.tulip-tv.co.jp/news/detail/?TID_DT03=20160913171000 リオデジャネイロ五輪柔道女子70キロ級で金メダルに輝いた射水市出身の田知本遥選手(26)への市民栄誉賞贈呈式が十三日、同市の 小杉文化ホール「ラポール」で開かれた。同市出身で金メダルの獲得は初めてで、市民栄誉賞の受賞者第一号に。田知本選手は「こういう日を 迎えられて幸せです」と、あらためて金メダル獲得の喜びを語った。(武田寛史) 会場には、田知本選手の母校の小杉小学校、小杉中学校、小杉高校の後輩をはじめ、県や市の柔道関係者、市民ら約八百人が詰め掛けた。 夏野元志市長は「いろいろなことを背負って栄冠をつかまれ、市民の誇りであり、偉業です」とたたえ、市民栄誉賞の賞状と記念品の絵画を 田知本選手に手渡した。 花束の贈呈では、小杉小二年の梅本賀英(かえ)さん(8つ)が田知本選手に花束を手渡した。田知本選手の活躍を見て最近、柔道を始めたという 梅本さんは「目の前に本人がいて緊張した。田知本選手みたいに強くなりたい」と話した。 司会者のインタビューに対して田知本選手は「やっと終わったとほっとした。日の丸が一番高い所に揚がった時が最高の瞬間。国歌をもっと 長く聞いていたかった」と表彰台に上がった時の気持ちを語った。児童や生徒から質問もあり、体づくりのための食事について尋ねた 小杉中三年の竹内歩さん(15)は「あこがれの先輩。田知本選手が中学生だったころの柔道部の伝統が、今も私たちに続いていることを知り、 うれしかった」と話した。 田知本選手はこの日、贈呈式の前に小杉高など母校を訪問しており、「後輩からエネルギーをいただきました。今は最低限のトレーニングはやっている。 いつスイッチが入るか分からないが、気を引き締めていかないといけない」と意欲をにじませた。 田知本選手 射水の誇り:富山 http://www.chunichi.co.jp/article/toyama/20160914/CK2016091402000042.html
217 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/14(水) 06:08:29.38 ID:nxdMY+0Q.net 全日本柔道連盟(全柔連)の強化委員長に日大監督の金野潤氏(49)が就任し、女子監督に筑波大監督の増地克之氏(45)が最有力となっていることが13日、 明らかになった。14日に開かれる理事会で承認され、続投が決まっている男子の井上康生監督(38)とともに強化方針などについて会見を開く。 20年東京に向け、強化の主要ポストに全柔連が抜てきしたのは、フレッシュな顔触れだ。山下泰裕副会長が兼任してきた強化委員長には、94年と97年に 全日本選手権を制し、リオ五輪までは男子の強化委員だった金野氏が就任。五輪出場経験こそないが、リオには100キロ超級で銀メダルを獲得した 原沢久喜(24=日本中央競馬会)のほか、100キロ級カナダ代表のレイズ・カヨル(22=日本中央競馬会)、100キロ超級モンゴル代表のバトトルガ・ テムーレン(26)と日大で指導した3人の愛弟子を送り出した。柔道界きっての理論派として知られ、選手の信頼も厚い。 一方、退任する南條充寿監督(44)を引き継ぎ女子を指導するのは増地氏が最有力だ。全日本選手権に史上2位の13度出場した強豪選手で、 06年には母校・筑波大の監督に就任。昨年は大学団体戦最高峰のタイトルとなる全日本学生優勝大会の男子で、7連覇中だった東海大を破り 国公立大として初めて頂点に導いた実績を誇る。筑波大では男女を率いており、女子の指導にも携わってきた。承認されれば女子強化部長の妻・ 千代里氏(46)は退任する見込みだ。 金野 潤(こんの・じゅん)1967年(昭42)3月20日生まれ、埼玉県川口市出身の49歳。日大一高―日大―綜合警備保障(ALSOK)。94年の 全日本選手権決勝で吉田秀彦を下し初優勝。97年には村元辰寛を破って2度目の優勝を果たした。現在は日大文理学部准教授で柔道部監督。 増地 克之(ますち・かつゆき)1970年(昭45)9月29日、三重県生まれの45歳。桑名高―筑波大―マルナカ―新日鉄(現新日鉄住金)。 94年アジア大会(広島)無差別級で金メダル。全日本選手権13度出場は棟田康幸に破られるまで史上最多記録だった。現在は筑波大准教授で 今月1日付で柔道部総監督に就任した。 全柔連強化委員長に金野潤氏 女子監督は増地克之氏最有力 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/14/kiji/K20160914013354050.html 道は13日、リオデジャネイロ五輪柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した山部佳苗選手(25)(札幌市出身)に道民栄誉賞を授与した。 山部選手の受賞は55人・団体目で、柔道女子では4人目。卓球男子団体で銀メダルを獲得した丹羽孝希選手(苫小牧市出身)にも今後、授与する。 道庁での贈呈式で、高橋はるみ知事は「山部選手の銅メダルは道内出場選手のメダル第1号として大いに盛り上がった。心からお祝いを申し上げます」と たたえ、4年後の東京五輪での活躍に期待感を示した。山部選手は「北海道でしっかりリフレッシュし、柔道をやりたいという意欲をためたい」と話した。 また、札幌市も同日、山部選手に市長特別表彰を贈った。山部選手は市役所での贈呈式で、秋元克広市長から「感動をありがとう」などと書かれた クリスタルガラスの一輪挿しを受け取った。 山部選手に道民栄誉賞 http://www.yomiuri.co.jp/hokkaido/news/20160914-OYTNT50019.html
218 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/14(水) 07:10:51.84 ID:nxdMY+0Q.net リオデジャネイロ五輪の柔道男子100キロ超級で銀メダルを獲得した下関市出身の原沢久喜選手が県庁を訪れ、村岡嗣政知事から県スポーツ・ 文化特別褒賞を贈られた。 原沢選手は、所属する日本中央競馬会柔道部の賀持(かもち)道明監督らとともに訪問。村岡知事は「粘り強い戦いで県民に大きな感動を与えた。 東京五輪では金メダルを目指してほしい」と活躍をたたえた。 原沢選手は、柔道日本男子が全階級でメダルを獲得したことについて「連日、メダルを取ってくるのでプレッシャーだった」と笑いを誘い、 「県民の応援が一番の力になった。東京五輪まで長い道のりになるが、少しずつ積み重ねて金メダルを獲得したい」と意気込んだ。 リオ五輪:柔道で銀、下関出身・原沢選手に県スポーツ・文化特別褒賞贈呈 「県民の応援が力に」 /山口 http://mainichi.jp/articles/20160907/ddl/k35/050/545000c リオデジャネイロ五輪・柔道女子57キロ級で銅メダルの松本薫選手(28)=金沢市出身、ベネシード=が八日、小中学校時代に通った 同市石引の柔道塾(昨年七月に閉鎖)に恩師の岩井克良さん(70)を訪ね二大会連続メダル獲得を報告した。 「柔道塾は原点であり、初心に戻る場所。岩井先生にメダルを見せることが私自身に対する評価」と話す松本選手。前回のロンドン五輪も、 昨夏の世界選手権もメダルを手に恩師の元を訪ねた。 松本選手は、モンゴルのドルジスレン・スミヤ選手との準決勝について「一回目で(背負い投げは)『この程度か、大丈夫』という一瞬の油断。 勝負は最後の最後まで大丈夫なんてない」と猛省。ただ、岩井さんは三位決定戦を「気持ちを切り替え、落ち着いて良い試合だった」と評価した。 柔道塾時代に磨いた小内巻き込みでつかんだ銅メダルを岩井さんの首に掛けると、恩師は「頑張った重みがずっしりきた。価値あるメダル」と喜んだ。 周囲は早くも四年後の東京五輪に期待を寄せるが、恩師は前回五輪王者、柔道女子の主将として走り続けた彼女に「休んだらいいよ」と気遣う場面も。 さらに「よくやった。試合ごとに力をもらうからうれしくて」とねぎらわれ、松本選手は対談後「すごくうれしかった。もう一度、最高の舞台で戦いたいなあと思います」と話した。 帰省後は地元テレビ局の番組にも出演し、プライベートな話も披露している。「私に彼氏がいようがいまいが、異性として見ている人は世の中少ない。 みんな『野獣』でしょ」。“松本節”で周囲を笑わせていた。 原点の柔道塾 銅報告 松本選手:石川 http://www.chunichi.co.jp/article/ishikawa/20160909/CK2016090902000045.html 8月のリオデジャネイロ五輪女子柔道78キロ超級で銅メダルを獲得した山部佳苗(25=ミキハウス)が13日、北海道庁で行われた「道民栄誉賞」贈呈式に 出席した。柔道では、96年アトランタ五輪女子61キロ級金メダルの恵本裕子、世界選手権を連覇した上野雅恵(03年)順恵(10年)姉妹が受賞しており、4人目。 高橋はるみ知事から賞状と副賞を受け取ると「とても光栄なことなのでうれしいです」と笑顔を見せた。 五輪後、初の故郷凱旋(がいせん)とあって道内テレビやイベント出演がめじろ押し。約1週間の滞在で多忙を極めるが「道民の人たちに応援してもらって 五輪の舞台に立たせてもらったし、背中を押してもらった」と感謝を伝えていく。今後の出場大会などは未定で「北海道でリフレッシュして、また柔道が やりたいという意欲を高められれば」。故郷からパワーをもらい、新たな目標に向う。 銅メダル山部に道民栄誉賞「背中押してもらった」 - 柔道 http://www.nikkansports.com/sports/news/1709346.html
219 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/15(木) 06:50:49.09 ID:FgyufYHs.net 全日本柔道連盟は14日、東京都文京区の講道館で臨時理事会を開き、山下泰裕副会長が兼務していた強化委員長の後任として日大男子監督の 金野潤氏(49)の就任を決めた。五輪や世界選手権の出場経験はなく、異例の抜てきとなった。 南條充寿監督が退任した女子代表監督には、筑波大総監督の増地克之氏(45)を起用。続投する男子代表監督の井上康生監督(38)と合わせ、 2020年東京五輪への新体制がスタートする。 強化副委員長には実業団の了徳寺学園で監督を務める山田利彦氏(46)、1996年アトランタ五輪覇者の中村兼三氏(42)、92年バルセロナ五輪代表 の渡辺涼子氏(50)が選ばれた。中村氏が男子、渡辺氏が女子の担当となる。 金野潤・全日本柔道連盟強化委員長の話 最初は青天のへきれきだった。東京五輪に向けて非常に重い任を受けた。4年後に日本柔道の強さや 内容の伴った試合を日本国民だけでなく、世界に見せられるようなチームにしていきたい。 増地克之・日本女子監督の話 東京五輪に向け、全身全霊で取り組む。稽古では繊細、試合では大胆に勝負できる選手を4年間で育てていきたい。 先入観を持たず、最初の1、2年は多くの選手にチャンスを与えたい。 全柔連強化委員長に金野氏就任 新体制、女子代表監督は増地氏 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/14/kiji/K20160914013356420.html 全日本柔道連盟は14日、東京都文京区の講道館で臨時理事会を開き、山下泰裕副会長が兼務していた強化委員長の後任として日大男子監督の金野潤氏(49)の 就任を決めた。全日本選手権2度優勝の実績はあるが五輪や世界選手権の出場経験はなく、異例の抜てきとなった。 南條充寿監督が退任した女子代表監督には筑波大総監督の増地克之氏(45)を起用。続投する男子の井上康生監督(38)とともに2020年東京五輪への 新体制がスタートする。監督の任期は10月1日から4年。 金野氏はリオデジャネイロ五輪男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(日本中央競馬会)を日大時代に指導。記者会見で「選手として経験値では足りていないが、 指導者の経験で補う。両監督が最も力を発揮できるような環境を整備したい」と抱負を述べた。 増地新監督は「平等な目線で選手を見て、心技体を鍛えていく」と話し、男子の井上監督は「リオまでの4年間と同じことをやっていてはいけない。強化のレベルを 一層上げる」と表情を引き締めた。リオ五輪で日本は男子が金2個を含む初の全階級メダルを達成し、金1個の女子は5階級で表彰台に上がった。 強化副委員長には了徳寺学園監督の山田利彦氏(46)、1996年アトランタ五輪覇者の中村兼三氏(42)、92年バルセロナ五輪代表の渡辺涼子氏(50)が選ばれた。 中村氏が男子、渡辺氏が女子の担当となる 全柔連、強化委員長に金野氏 女子監督に増地氏 http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK31028_U6A910C1000000/
220 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/15(木) 06:53:30.55 ID:FgyufYHs.net 全日本柔道連盟は2020年の東京オリンピックに向けた日本代表の新たな強化体制を発表しました。男子の日本代表は井上康生監督が続投し、 女子の日本代表の監督には筑波大学総監督の増地克之氏が新たに就任することが決まりました。 全日本柔道連盟は14日都内で理事会などを開き、山下泰裕副会長が兼務していた強化委員長に日本大学監督の金野潤氏が就任することを発表しました。 また、男子の日本代表は井上監督が続投し、女子の日本代表の監督には南條充寿監督に代わって増地氏が就任することが決まりました。両監督の任期は 2020年までの4年間です。 井上監督は理事会終了後の会見で、「リオデジャネイロ大会では7階級すべてでメダルを獲得したが、まだまだやれた。東京大会に向けてこれまでの4年間」 よりさらにレベルを上げていかないといけない」と意気込みを示しました。 増地氏は「稽古では繊細、試合では大胆に勝負できる大舞台に強い選手を育てたい。大学では女子選手も指導してきたが、先入観を持たず平等に接することが 大事。最初の2年は多くの選手にチャンスを与えたい」と話していました。 増地新監督の経歴 柔道の女子日本代表の増地克之新監督は筑波大学出身の45歳。現役時代は1994年のアジア大会、男子無差別で金メダルを獲得するなど活躍しました。 指導者としては去年、母校の筑波大学の監督としてリオデジャネイロオリンピック、男子81キロ級の銅メダリストとなった永瀬貴規選手を擁して全日本学生 優勝大会で初優勝を果たすなど実績を残しています。 金野新強化委員長の経歴 全日本柔道連盟の強化委員長に就任する金野潤氏は、49歳。現役時代は体重無差別で日本一を争う全日本選手権で2回優勝しました。 指導者としては日本大学の監督として高校時代まで無名だった原沢久喜選手を見いだし、リオデジャネイロオリンピック、男子100キロを超えるクラスで 銀メダルを獲得するまでに育て上げるなど理論派の指導者として実績を残してきました。 金野氏は会見で、「東京オリンピックに向けて大変に重い役目を受けた。男女の両監督が最も力を発揮できるようにサポートしていきたい」と話していました。 また金野氏は、女子の監督の選考過程で過去のオリンピックで金メダルを獲得した女性指導者2人も候補にあがったものの採決の結果、増地氏が監督に 決まったことについて「女子の指導者の人材を育成していくのも1つの使命だと思っているが、増地新監督は大学で男女を指導し、実績を残していて適任と 考えた」と説明しました。 柔道代表 男子は井上監督続投 女子は増地氏に http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160914/k10010686301000.html 全日本柔道連盟は14日、東京都文京区の講道館で臨時理事会を開いた。2期目に入る男子の井上監督は「土地を耕し、水と種をまき、太陽の光を 浴びながら大輪の花を咲かせたい」と決意を新たにした。 リオ五輪では金2個を含む初の全階級メダルを遂げ、闘いが終わると大粒の涙を流した。金ゼロのロンドン五輪から復活の一歩を踏み出したばかり。 注目される東京五輪に向け「選手はもっともっと自分自身を認識し、勝つためにはどうあるべきかを考えることが必要。リオまでの4年間よりもレベルを 上げて進めていきたい」と力強く話した。 井上監督、2期目へ決意新たに「リオまでの4年間よりもレベルを上げて」/柔道 http://www.sanspo.com/sports/news/20160914/jud16091422050003-n1.html
221 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/15(木) 07:01:37.39 ID:FgyufYHs.net 全日本柔道連盟(全柔連)は14日、都内で理事会を開き、20年東京五輪に向けた新強化体制を発表した。強化委員長には、日大監督の金野潤氏(49)が就任。女子監督は、退任する南條充寿監督(44)に代わって筑波大総監督の増地克之氏(45)が就任し、 男子は井上康生監督(38)が続投する。 4年後に向けて“名より実を取る”人選になった。兼任していた山下泰裕副会長(59)に代わる強化委員長に決まった金野氏は、五輪、世界選手権への 出場経験はない。異例の抜てきとなった理由について、近石康宏専務理事は「金野氏は男女ともに指導実績がある。柔道関係者や指導を受けた者からも 人望が厚い」と、リオ五輪男子100キロ超級の原沢久喜(日本中央競馬会)らを育てた手腕を挙げた。 女子監督には、同じく世界大会での実績がない増地氏が抜てきされたが、近石専務理事は「女性の監督を選んだ方がいいんじゃないかという意見もあった」と “女性監督待望論”があったことを認めた。 実際に、今回の人選の過程では女性指導者が候補に挙がっていたといい、同理事は「女性監督への拒否反応はない。事前段階で、(有力候補として) 選ぼうとした人に声をかけたが固辞された」と舞台裏も明かした。その後、最終的に絞られた3人には増地氏のほかに2人の女性コーチの名前が入っていた というが、選考委員による多数決の結果、増地氏に決定した。 2013年1月には、女子代表で男性指導者による暴力問題が発覚した。当時の男性監督は引責辞任し、後を引き継いだ南條監督は技術指導を所属先や 女性のコーチに任せるなど組織改革に着手。同時に、事件発覚後の第三者委員会による再発防止への提言の一つには「女性監督の起用」も求められた。 しかし、東京五輪に向けたこのタイミングでの女性監督の誕生はならなかった。金野氏は「一つ言えるのは、女性(指導者)の人材育成は使命。今後 必ずそういう人材を育てないといけない」と、強化委員長の仕事として意欲を燃やしていた。 柔道代表、初の女性監督誕生は持ち越し 「声かけたが固辞された」 http://www.daily.co.jp/general/2016/09/14/0009489280.shtml 全日本柔道連盟(全柔連)は14日、都内で理事会を開き、スポニチ本紙既報通り新しい強化委員長に日大監督の金野潤氏(49)、女子監督に 筑波大総監督の増地克之氏(45)ら、20年東京五輪に向けた強化委員会主要ポストの人事を承認した。来月1日に就任する新陣容6人のうち、 強化副委員長に就任する中村兼三氏(42)、井上康生男子監督(38)を除く4人が五輪出場未経験。“名より実”を取った格好となった。 これまで柔道界は全日本コーチなどから次の強化委員会主要ポストを選出。だが、今回は退任する山下泰裕強化委員長が、全日本での指導は 未経験ながら日大監督としてリオ五輪銀メダリストの原沢らを育てた手腕を買って金野氏を一本釣り。その後、金野氏を中心に選考委員会を編成し、 強化スタッフを決めていく手続きを踏んだという。 理事会では女性監督待望論などもあり、やや紛糾したが、最終的には選考委の原案通りに決定。全柔連の近石康宏専務理事は「(過去のルール上) 要件を完全に満たしてはいないという見方もあるが、それを上回る指導者としての実績や人望、能力の高さを基準に選んだ」と説明した。リオ五輪では 12個のメダルを獲得。日本柔道の今後4年のかじ取りがどうなるか世界からも注目を集める。 全柔連新体制に 増地女子監督&金野強化委員長 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/15/kiji/K20160915013360250.html 新しい強化委員長に日大監督の金野潤氏(49)を選任。その後の強化委員会で、筑波大総監督の増地克之氏(45)を女子代表監督に選んだ。 また井上康生男子代表監督(38)の留任も決めた。 監督の任期は4年で、この体制で2020年東京五輪を目指す。金野氏は「最初は青天のへきれきだった。東京五輪に向けて非常に重い任を受けた」と 神妙な表情。増地氏は「五輪という大舞台で力を発揮できる選手を育成したい」と話した。 金野氏、増地氏も大学で五輪選手を輩出するなど豊富な指導実績があるが、五輪、世界選手権の出場はない。この部分を補うため、金野氏は 監督や強化委員長に助言するアドバイザー職を新設する考えを明らかにした。 山下泰裕・全柔連副会長 「20年に向けて指導者の世代交代を図った。金野氏は理論派であり勉強家。下からの人望も厚い。増地氏は厳しさ、公正な目線を持っている」 全日本柔道連盟、新強化委員長に金野潤氏を選任 女子代表監督に増地氏 http://www.sanspo.com/sports/news/20160915/jud16091505010001-n1.html
222 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/15(木) 07:06:49.45 ID:FgyufYHs.net 全日本柔道連盟(全柔連)は14日、東京都内で理事会を開き、強化委員長に日大監督の金野潤氏(49)を起用することを決めた。 女子代表監督には筑波大総監督の増地克之氏(45)が就任し、南條充寿監督は退任。男子の井上康生監督は留任した。任期は 委員長が2年で、男女両監督は4年。新体制は10月1日付でスタートする。 金野新強化委員長は記者会見で、2020年東京五輪へ向けて「全階級で金メダルを目指すことは大事にしたい。内容の伴った強さを 求めていきたい」と抱負を述べた。柔道界に限らず国内外の知見を集約してチームづくりに生かすため、アドバイザーのポストを設ける意向を示した。 女子の増地新監督は「稽古は繊細にやり、試合では大胆に勝負できる選手を育てたい」と話し、最初の2年間は若い世代を含め多くの選手に チャンスを与える考えを示した。 リオデジャネイロ五輪で男子を史上初めて全7階級のメダル獲得に導いた井上監督は「リオではまだまだやれたという思いもある。強い選手と 試合で勝てる選手のバランスを考えて、よりレベルを上げた状態で強化することが大事だ」と述べた。 全柔連は理事会で新たな強化委員長、副委員長を選任。その後、選考委員会で男女監督を決めて常務理事会で承認した。男子は 井上監督以外に候補者はなく、女子は他に女性候補が2人いたが選考委員会での投票で増地氏が多数を獲得した。 強化委員長に金野氏=井上監督留任、女子は増地氏−柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091400884 全日本柔道連盟は14日、2020年東京五輪に向けた強化新体制(10月1日付)を発表し、山下泰裕副会長が兼務していた強化委員長に、 1994、97年の全日本選手権を制した日大男子監督の金野潤氏(49)が就任する。 女子の南條充寿監督は退任し、筑波大総監督の増地克之氏(45)が就く。男子は井上康生監督(38)が続投する。 新体制で指導陣の若返りを図った。副委員長の一人にはアトランタ五輪金メダリストで旭化成監督の中村兼三氏(42)を起用した。 金野氏は「両監督に力を発揮させるのが私の仕事」と抱負を語った。増地氏は筑波大監督として男女の五輪代表を育てた。金野、 増地両氏に全日本の代表監督やコーチ経験はないが、山下副会長は「金野氏は勉強家で人望も厚く、増地氏は公正な目を持っている」などと 起用の理由についてコメントを出した。 柔道連盟、強化委員長に金野氏…東京へ若返り http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2020/20160914-OYT1T50124.html リオ五輪柔道男子90キロ級金メダルのベイカー茉秋(21=東海大)が“氷の皇帝”との対面を熱望した。 12日、母校・東海大浦安高中等部での金メダル獲得報告会に出席。「こうして壇上に上がれるのも、恩師である竹内(徹)先生の支えがあったから。 竹内先生がボクのがむしゃらな心に目をつけてくれた」と柔道部の恩師に感謝し、後輩たちには「諦めなければ夢はかなうことが証明できた。 みなさんも諦めず頑張ってください」と熱弁を振るった。 金メダルの影響力は絶大。知名度は急上昇し「世界が変わったと実感しています。電車も乗れないですし」と、うれしい悲鳴を上げる。帰国後の イベントやテレビ出演などの依頼は50件を超え、SMAPとの共演も果たした。日程が重なり、やむなく断るケースも増えており、まさに“時の人”になっている。 一方で、満たされていないことも一つある。本紙に笑顔で打ち明けたのは「ヒョードルに会いたいです」。元PRIDEヘビー級王者エメリヤーエンコ・ヒョードル(39)は ベイカーにとって憧れの人。昨年大みそかのRIZINで復帰しており、競技は違えど、60億分の1を目指す姿勢には大きな刺激を受けてきた。希望する 著名人と会えるのは金メダリストの特権とはいえ、ヒョードルに関しては来日スケジュール次第で、その時を心待ちにしている。 連覇がかかる東京五輪に向けても「錦織選手みたいに英語で全部受け答えができるようになりたい」と意欲十分だ。 ベイカー茉秋がヒョードルとの対面を熱望 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/592509/
223 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/15(木) 19:22:14.60 ID:xngUv5DK.net 8月のリオデジャネイロ五輪柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した、山部佳苗(25=ミキハウス)が、ノーバン&ストライクの完璧な ファーストピッチを披露した。 「緊張します。オリンピックとは違います」と落ち着かない様子も、マウンドに立てば堂々のフォームで投球。ノーバウンドのストライクで 観衆を沸かせた。背番号25は「いつもニコニコしていないので…」と、緊張を和らげるための演出だったと告白。日本ハム中田、大谷の 活躍に熱視線。大接戦の優勝争いを展開するチームへ「崖っぷちの気持ちはわかる。私自身も崖っぷちだった。ここでもう一踏ん張りしてほしい」 と願っていた。 リオ五輪柔道銅メダル山部、ストライク始球式 http://www.nikkansports.com/baseball/news/1710351.html リオ五輪柔道女子78キロ超級で銅メダルを獲得した札幌出身の山部佳苗(25)=ミキハウス=が15日、日本ハム・オリックス戦(札幌D)で ファーストピッチを行い、見事なノーバウンド投球を披露した。 大役を務め、山部は「すごく緊張したけど楽しかったです。もうひと踏ん張りして日本一になってほしいですね」とエールを送った。 【日本ハム】リオ「銅」柔道・山部、見事なノーバンピッチ「日本一になって」 http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160915-OHT1T50140.html
224 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/16(金) 12:44:59.14 ID:ktYqRLcm.net 全日本柔道連盟が14日、都内で理事会を開き、2020年東京五輪へ向けた新たな強化体制を決めた。強化委員長には 日大の金野潤監督(49)が就任。男子代表監督は井上康生監督(38)が続投し、女子代表監督は新たに筑波大の増地克之総監督(45)が務める。 強化委員長にはこれまでの山下泰裕副会長(59)の兼務から一転、リオ五輪100キロ超級銀メダルの原沢久喜(24=日本中央競馬会)を 育てた金野氏を異例の抜てき。全日本選手権を2度制覇している金野氏だが、五輪、世界選手権には出場の経験すらない。理事会後の会見では早速、 報道陣からその点についての質問が飛んだ。 金野氏は「五輪の経験はないが、大学の柔道部でマネジメントの経験はある。五輪に出た方たちの力を借りながら、両監督が力を発揮できるように 支えていきたい」。必ずしも直接、選手を指導する立場ではないだけに、世界での経験の有無は関係がないということだろう。 実際、金野氏は現役時代から理論家で研究熱心と知られた。他の格闘技への造詣も深く、プロの格闘家との交流もあった。“世界のTK”高阪剛(46)とは 米国留学時から親交を深め、日大監督になってからは“バカサバイバー”青木真也(33)を柔道部の柔術講師に招いたりしてきた。 何より、現役時代は暴走王・小川直也(48)とライバル関係にあった。暴走王のプロデビュー戦も東京ドームで観戦したほど。小川は「高校、大学、 社会人とずっと競い合ってきた。何度も戦ったけど試合をするたびにオレに対して研究してきてるな〜ってのがわかった」と振り返る。さらに「とにかく 努力家だった。選手にも努力の大切さを伝えてあげて、日本のために頑張ってください」とエールを送った。 “格闘技LOVE”の実務派が東京五輪で期待に応えられるか。 東京五輪へ柔道強化委員長に抜てき 金野潤氏は“格闘技LOVE”の実務派 http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/othersports/593579/
225 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/16(金) 16:57:56.61 ID:ktYqRLcm.net リオデジャネイロ五輪で金1、銅4のメダルを獲得した柔道の女子日本代表を率いた南條充寿監督(44)が16日、9月末の任期満了を前に東京都内で 退任の記者会見を行い、「頑張ってくれたスタッフに感謝のひと言。すべての出来事が勉強になった」と3年半を振り返った。 2013年に発覚した女子代表の暴力指導問題で、前任者の退任を受けて監督に指名された。当時、全日本柔道連盟(全柔連)の強化委員長だった 斉藤仁氏(昨年1月死去)から「電話がかかってきて、『(後任者が)いないから頼む』といわれたのがスタート。ああいうこと(問題)がない限り話はなかったし、 再建をして、東京の(五輪を目指す)チームに引き継ぐつもりで、最初から1期で終わるつもりだった」と話した。全柔連からの慰留については「なかった」と明かした。 最も記憶に残っているのは、初めて指揮を執った13年の世界選手権(ブラジル・リオデジャネイロ)だという。日本女子は22年ぶりに個人種目で金メダルなし に終わり、「責任をすごく感じた。監督という立場はこんなのなんだと実感した。あの気持ちが一番心に残っている」。その後、各選手の所属先の指導者に 代表強化に加わってもらうなど、選手と所属、代表チームの「三位一体」の指導体制を構築した。 ただリオ五輪の成績については「前回ロンドン五輪(金、銀、銅各1)と比べ、金メダルは同じでも銀メダルが0で、通常の算定方法では今回の方が下になる」と 明言。「指導1つの差で負けて決勝を逃した選手もおり、もう少しやれることがあったのではと思う。所属と一体になろうとした分、遠慮したり、任せきりに なってしまったところもあった」と反省を述べた。 指導陣に五輪金メダリストを含む4人の元女子代表選手を入れたことについて、女性指導者の育成も自らに課せられた任務だったとした。そのうえで、 後任が女性にならなかったことについて、「期待はしていたが、育てきれなかった。まだ女性には越えなければならないハードルがある」と反省。それでも 「女性指導者が女子選手を率いるのが理想。そろそろ、そういう女性が出てきてもいいのでは」と今後に期待を寄せた。 帰国後には、男子の井上康生監督(38)と2人で斉藤家を訪れ、霊前に報告した。「すみませんでしたという思い。生きておられたら絶対に殴られていると思う」 と自虐気味に話した。 今後は仙台大の監督として若手の指導に注力する考え。「少年柔道(の指導)も大学の予算でやらせてもらっている。原点に戻ってやれれば」。 東京五輪へ向け、14日に新しい女子代表監督就任が決まった増地克之筑波大総監督(45)は、筑波大の2年先輩。「まだ(就任決定後に)コンタクトを 取っていないが、何か求められれば話をさせてもらう」とした。 会見終了時には、五輪代表だった48キロ級の近藤亜美(21)、52キロ級の中村美里(27)=ともに三井住友海上、57キロ級の松本薫(29)=ベネシード= から花束を渡されるサプライズ。「来てくれたん?」と驚いた表情を見せた南條氏は、五輪から1カ月余でふっくらした近藤に「太ったな」と笑顔で声をかけるなど、 重圧から解き放たれてリラックスした表情。選手3人やスタッフに胴上げされ、相好を崩していた。 南條女子監督が退任会見「斉藤先生に、すみませんでしたという思い」 http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/160916/spo16091615510058-n1.html
226 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/16(金) 17:02:01.20 ID:ktYqRLcm.net 柔道女子日本代表の南條充寿監督(44)が16日、9月末までの任期を前にして、都内で退任会見を開いた。 この日までに金メダル1つ、銅メダル4つの結果を残してリオデジャネイロ五輪の総括を選手、スタッフと終え、「次のチームに引き継ぐためにしっかり 話し合えた。メダルのカウントではロンドンを下回っている。どう受け止めて次につなげるか」と引き締まった表情で述べた。就任したのは13年3月。選手、 所属との距離感に悩み続けた在任期間だった。 暴力指導問題により、前監督が辞任した後を受け、15年1月に亡くなった当時強化委員長の斉藤仁氏から「お前しかいないから頼む」と懇願されての抜てき だった。火中の栗を拾い、わずかな指導聞期間で臨んだ13年世界選手権では金メダルなし。「責任をすごく感じた。あの気持ちは忘れない」と振り返る。 指導は、やはり「暴力指導」の余波が大きかった。過剰な稽古の線引きが難しい。信頼関係があれば、許容されてきたような練習内での追い込みにも二の足を 踏んだ。重視したのは自立、自主性で、自ら考えて成長できる選手像を求めた。13年世界選手権を終えてからは、コーチ陣に代表選手の所属先の 五輪メダリストを配置。代表合宿の期間も抑え、自主性を促した。 その方針を振り返り、「もう少し、全日本のやり方でいく、管理するところがあってもよかった。もう少し踏み込める、もう少しやれることはあったと思う。 率いるときに、正直気を使った」と率直に述べた。暴力という負のキーワードが常に指導にはあったのだろう。選手と距離を置き、任せすぎた部分はあった。 特に五輪経験がない若手のことをおもんぱかった。本番で十分な力を発揮できなかった63キロ級の田代未来、78キロ級の梅木真美らの名前を挙げ、 「サポートしきれなかった。申し訳なかった。達成感よりやり残した方が多い」とリオでの戦いを振り返った。 女子の指導ではロンドン前は長い期間を拘束し、精神的にはつらい過酷な指導も施し、本番での勝負にかける選手を目指した。代表こそが五輪に向けた 強化の場だった。リオへの指導で取ったのは正反対で、所属先に重きを置き、自立がテーマだった。今後を考えたときに、どちらが正解というよりも、 これは選手による選択の問題が大きい。 「すでに五輪を経験していたベテランは自主性で作り上げることができていた。1度ロンドンの時に詰め込みがあったからこそ、できたこと。そういう意味では 今回は若手には難しい状況を作った方が良かった」。それが南條監督の見解だった。逆に言えば、経験が不足している若手選手への試合への心身の 作り方こそが、今回の代表チームとしての反省点として残った。 今後はこれまで通り、仙台大で男子監督を務める。「日本代表の監督の立場でしか得られないものあった。一生忘れないと思います。地方から頑張って、 後進の指導にあたりたい」と目標を掲げた。 柔道女子の南條監督「達成感よりやり残した方が…」 - 柔道 http://www.nikkansports.com/sports/news/1710795.html 今月末で退任する柔道女子日本代表の南條充寿監督が16日、東京都北区の味の素ナショナルトレーニングセンターで記者会見を開き、リオデジャネイロ五輪 まで率いた約3年半を「達成感より、やり残したことの方が多い」と振り返った。 南條監督は2013年3月、暴力問題の影響で辞任した園田隆二前監督の後を受けて就任。試合のデータ分析、所属先との指導連携を重視する方針を掲げて チームを立て直し、リオ五輪では金一つを含む5個のメダル獲得に導いた。一定の成果を挙げたが、「戦う集団へがらりと変えることはできなかった」と話し、 悔しさもにじませた。 女子は増地克之新監督の下で、20年東京五輪へ向けて再出発する。リオ五輪ではパワーに勝る海外勢に力負けする場面もあり、南條氏は 「日本人がたけている技術力をぶつけること。そこは変えてほしくない」とエールを送った。 達成感より悔しさ=退任する南條監督−柔道 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091600631
227 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/17(土) 08:15:51.40 ID:Y5jI8riv.net リオデジャネイロ五輪で柔道の女子日本代表を率いた南條充寿監督(44)が16日、東京都内で退任記者会見を開き 「五輪で選手の背中を押す気持ちは一生忘れられない」と感慨深そうに話した。 2013年1月に発覚した女子代表指導陣による暴力問題で当時の監督が引責辞任し、同年3月から急きょ後任として就任。 混乱した現場を立て直し、選手には自立性を求めて指導した。リオ五輪では金1個を含む5階級でメダルをもたらし「達成感よりも、 やり残した方が大きい。今後も日本人は技術力で勝負すべきだ」とメッセージを残した。 今後は教授を務める仙台大の男子監督を務める。10月から増地克之新監督が女子代表を率いるが「東京五輪後は 女性中心のスタッフになってほしい」と期待した。 退任の南條監督「一生忘れられない」 リオ柔道女子 http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50544_W6A910C1000000/ リオ五輪で柔道女子日本代表を率いた南條充寿監督(44)が16日、都内で退任会見を開き「リオ(金1銅5)はロンドン(金1銀1銅1)より (銀メダルがない分)下回った。 達成感よりやり残した気持ちの方が大きい」と淡々と振り返った。暴力的指導問題の影響で急きょ就任したのは13年3月。選手の 自主性を重んじる方針をとったが「若い選手にはもう少しやってあげられることがあったのでは」と悔いが残った様子。10月から 増地克之新監督が就任することにも「女性チームを女性が率いるのが理想。次はこの人、という人材を育てられなかったことも反省」とした。 今後は教授を務める仙台大の男子監督を務める。 柔道女子代表・南條監督が退任会見「達成感より悔い」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/17/kiji/K20160917013371940.html 今月末で退任する柔道全日本女子の南條充寿監督(44)が16日、東京都内で記者会見を開いた。暴力問題という不祥事からの立て直しに 取り組んだ約3年半を振り返り、「私が何かをしたのではなく、選手らが何をしなくてはいけないかを自覚して進んでくれた。一生忘れられない経験で、 すべてのことが勉強になった」と振り返った。 南條監督は2013年3月、暴力的指導問題の影響で辞任した園田隆二前監督の後を受けて就任。自らは五輪、世界選手権の出場経験はなかったものの、 13年世界選手権で22年ぶりの個人戦金メダルゼロに陥ったチームを、今夏のリオデジャネイロ五輪では前回五輪から2増のメダル5個(金1、銅4)獲得へと 導いた。会見後には48キロ級の21歳、近藤亜美(三井住友海上)らから花束を贈られた。柔道全日本女子監督には、増地克之・筑波大総監督(45)の 就任が決まっている。 柔道:女子・南條監督退任 リオで立て直し「すべて勉強に」 http://mainichi.jp/sportsspecial/articles/20160917/ddm/035/050/105000c
228 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/18(日) 09:06:32.29 ID:qoXIUmWa.net リオ五輪柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得した松本薫(29)が、恋人の存在を初告白した。 24日放送のTBSのバラエティー「ジョブチューン〜アノ職業のヒミツぶっちゃけます!〜」(後7・00)の収録に参加。レギュラー出演する 「バナナマン」の設楽統(43)から「彼氏とかいるんですか」と聞かれ、「はい。います」と笑顔で明かした。 意外な告白にスタジオは「えー!」とどよめいた。帝京大時代から8年間交際していると明かし、「(テレビで)初めて言いました」と照れ笑い。 どちらから告白したのかと突っ込まれると、照れまくって前列の席に座っていたレスリング女子53キロ級銀メダリストの吉田沙保里(33)の肩をバンバンと叩き、 「男性から…」とポツリ。吉田は「私もこの前聞いたんですよ。びっくりした」と話した。 闘争心をむき出しに試合に臨むスタイルから“野獣”の異名を持つ松本だが、この日は畳の上とは一転し、恋する乙女の顔。お相手の男性は料理人で、 男性からは「かおり」と呼ばれていることなどを笑顔で語った。松本の父・賢二さんも調理師で、父との共通点もある男性と静かに愛を育んできたようだ。 日村勇紀(44)が「彼氏は誰似?」と聞くと、「ツバメ。私、人をあまり知らないので」と珍回答で笑わせた。結婚については「もちろん!結婚できたらなと 思ってます」と前向き。結婚の予定は「ツバメ(恋人)次第です」と期待を込めた。 番組は「リオ五輪メダリストぶっちゃけスペシャル」と題し、レスリング女子69キロ級金メダルの土性沙羅(21)らも出演。メダリストたちが素顔を見せ、 松本が描いた恋人の似顔絵も紹介される。 松本薫8年愛告白 彼氏はツバメ似!?「もちろん結婚できたら」 http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/18/kiji/K20160918013378900.html リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜(日本中央競馬会)が17日、東京・両国国技館での大相撲秋場所7日目の テレビ中継にゲスト出演し「生で見るのは初めて。テレビとは迫力が全然違うし、立ち合いの音もすごい。やっぱり相撲はできないな」と苦笑いした。 原沢は場所前の7日に伊勢ケ浜部屋で朝稽古を見学。以前から相撲好きを公言しており「柔道と違ってがっぷり組んで、組み手争いでごまかすことがない。 そこが面白い」と魅力を挙げた。 国技館来場後には日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)にあいさつもした。「土俵は殺伐とした雰囲気なのに、お客さんはみんな楽しんでいる。 また来たいと思った」と満足していた。 リオ銀の柔道・原沢、大相撲中継にゲスト出演で苦笑い「やっぱり相撲はできない」 http://www.sanspo.com/sports/news/20160917/jud16091720470001-n1.html
229 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/18(日) 20:35:44.01 ID:34b+L9KV.net 初めて挑んだ柔道の公式戦で女子選手に敗退した中学生がその後、金メダリストとなった――。まるでマンガのような展開だが、実話である。 その人物とは、アジア人史上初となる五輪3大会連続金メダルを獲得した柔道家・野村忠宏さんだ。 祖父・彦忠さんが柔道の道場を手掛けていた野村さんは小学校の頃から週3回の稽古に励んでいたものの、水泳やサッカー、 野球などにも取り組み、柔道1本に絞ったのは中学校に入学してからだった。 そして中学1年生で迎えた初の公式戦。「体が小さかったこともあってナメられたくなかったので、学校では肩で風を切って歩いていました」 という少年は自分の存在を誇示しようと、周囲に「週末、オレの柔道の試合があるから見に来てくれ!」と声をかけたという。 しかし当時待っていたのは残酷な現実だった。初戦で対戦した女子選手にまさかの敗北。「悔しいよりも恥ずかしかった」――。 「相手の女子選手は小学校の時から強くて評判だったんです……という風に自分に言い聞かせないとショックは振り払えませんでしたね」 野村さんは苦笑いを浮かべながら当時をそう振り返る。 中学時代は体が大きくならなかったことも影響し、その後も目立った成績を残すことはできなかった。その後、全国有数の柔道強豪校・ 天理高に進学することになったが、同校で指導に当たっていた父・基次さんからも胸に突き刺さるような言葉をかけられた。 「無理して柔道せんでいいぞ」――。 3つ年上の兄が同じ天理高に進学した際は「人の3倍努力する覚悟をしろ。その覚悟がなければ柔道部に入るな」と声をかけられていた。 言葉に込められた期待度の差にショックを受けた。 「厳しい言葉は期待の裏返しだと思います。一流の指導者から見ても当時の自分は弱かった。それでも『なんで俺には期待してくれへんの?』と、 ものすごく寂しかったし、悔しかったですね」 そこで柔道を諦めて普通の学校生活を送ることも可能だったが、野村さんはそうはしなかった。心の奥底に「反骨心」が芽生えたからだ。 「“オヤジ見とけよ、強くなって見返してやる”の一心でしたね。私にとって柔道における大きな原動力は、反骨心になります。 その言葉で自分自身も名門高校で柔道を続ける不安な気持ちにケリをつけられましたね」 逆にその悔しさを糧にして柔道に打ち込んだ野村さんは高校時代にインターハイに出場するほどの選手にまで成長。 大学時代にも急成長を遂げ、4年生時に臨んだアトランタ五輪で日本中を驚かせる金メダルを獲得した。 そんな野村さんは自分を特別な人間ではないと語る。悔しさをバネに無我夢中で努力し続けた結果がオリンピック出場であり、 金メダル獲得だった。だからこそ、後進を指導する際も努力の大切さを語り続けている。今年8月末に大塚製薬が取り組む 「ポカリスエット エールと、ともに。 ブカツ応援キャラバン」の一環で神奈川県の桐蔭学園高等学校を訪れた際も、全校生徒 対象の講演会や柔道部への指導で熱弁をふるった。 「意味のある努力、先に続く努力をしてほしい。その分かりやすい例が私だと思うんですよ。中学校で女子選手に負けて、高校で 父親に『柔道、やめていいぞ』と言われたような存在なので。私は特別な存在ではない。だからこそ目の前のことに全力で 取り組んでほしいと願っています」 いわば“叩き上げ”のキャリアを歩んだからこそ、その言葉にも重みがある。 日本中を驚かせた金メダル、原点にあった女子選手への敗北と父の言葉 https://the-ans.jp/column/1687/
230 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/19(月) 14:49:55.33 ID:l2X6/RPt.net リオ五輪男子柔道90キロ級金メダリストのベイカー茉秋(21)が19日、西武プリンスドームで行われた西武?楽天戦の始球式を務めた。 「背番号1」のライオンズの白いホームユニホームで登場。投球は山なりで高めに大きく外れたがノーバウンドで森のミットに収まった。 観衆の大きな拍手に苦笑いを浮かべたベイカーは「五輪の舞台とは違った緊張感があった。歓声を聞いて気持ちよかったです。 小学校1年の時から柔道をやってきたのでキャッチボールもしたことがなかった。人のことばかり投げてきたけど意外に(ボールも) 投げられるんだなと。大舞台に強いのでそれが出たのかな(笑い)。ただ、投げ方がぎこちなくて、ださくて…。もうちょっと練習してくればよかった」 とユーモアを交えて振り返った。 【西武】ベイカー茉秋、ノーバン始球式「意外にボールも投げられるんだな」 http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20160919-OHT1T50088.html (パ・リーグ、西武−楽天、25回戦、19日、西武PD)リオデジャネイロ五輪柔道男子90キロ級で金メダルを獲得したベイカー茉秋(東海大)が、 初めてという始球式を務めた。登板前に西武の秋山とキャッチボールをこなしたかいもあり、背番号1のユニホームに身を包みノーバウンドで捕手の ミットに投げ込んだ。 野球は未経験だが「祖父が松商学園(長野)で甲子園に出たことがある」という。「五輪の舞台とは違った緊張感。投げた後もすごく気持ちよかった」と 笑顔で振り返った。 金メダリスト、ベイカー茉秋が西武プリンスで初始球式 http://www.sanspo.com/sports/news/20160919/jud16091913570001-n1.html
231 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2016/09/19(月) 19:20:49.36 ID:EWgfb/NB.net リオデジャネイロ五輪の柔道男子73キロ級金メダリストで天理大出身の大野将平(旭化成)が19日、奈良県天理市の天理教教会本部で 開かれた祝賀会に出席し「リオの地で少しは天理柔道を体現できた。一つ一つの大会を勝ち続けて、4年後につながっていけばいい」と 約900人の前で力強く語った。 乾杯の音頭を取った山下泰裕全日本柔道連盟副会長は「幾多の試練を乗り越えてきた真の人間の強さと美しさがあった」とたたえた。 大野は「天理柔道界の関係者や市の皆さまと金メダルの喜びを分かち合えてうれしい」と話し、今後の出場大会については明言しなかった。 柔道金の大野「勝ち続け4年後」 奈良・天理で祝賀会 http://this.kiji.is/150519065843908613?c=39546741839462401 リオデジャネイロ五輪柔道男子73キロ級金メダリストの大野将平(24)=旭化成=と同パラリンピック柔道男子100キロ超級銅メダリストの正木健人(29)= エイベックス=の祝賀会が19日、奈良・天理市内で開かれた。約900人が集まったすき焼きパーティーに、お笑いタレント・たむらけんじ(43)が スペシャルゲストとして駆けつけた。 おなじみのふんどしに獅子舞の衣装で登場した“たむけん”は「大野選手、金メダルおめでちゃ〜」と祝辞。最近、大野と食事をした際に「もし、 お時間があれば」と直接オファーを受けたといい「結構、ヒマなんです。この格好をしたのも久々で、ふんどしがシワシワになっていた」とボケつつも 「感動をありがとうございました。2020年も東京で金メダルを期待しています!」と真面目に締めくくった。 会の冒頭で大野は「リオで少しは天理柔道を体現できたんじゃないかなと思います。山口で柔道の楽しさを教えていただき、講道学舎で強くしていただき、 天理大学で美しくしていただき、旭化成で勝たせてもらえるようになりました。そして全日本で人間力を磨くことができました」と、これまでサポートを受けた すべての人に感謝した。 20年東京五輪に向けて「金メダルを生かすも殺すも、自分次第だと思っています。金メダルにふさわしい人間に成長できるように日々、精進していきたいと 思っています。一つ一つの大会を勝ち続けて、4年後につながっていければ」と気持ちを新たにした。 【柔道】リオ五輪金・大野のすき焼き祝賀会にたむけん乱入 http://www.hochi.co.jp/sports/etc/20160919-OHT1T50119.html リオデジャネイロ五輪の柔道男子73キロ級で金メダルを獲得した大野将平(旭化成)とリオデジャネイロ・パラリンピック100キロ超級(視覚障害)の 正木健人(エイベックス)の銅メダル獲得を祝う祝賀会が19日、奈良県天理市内で行われた。両選手とも天理大出身。祝賀会は柔道部OBらでつくる 天理柔道会が主催した。 大野は約900人を前に「金メダリストにふさわしい人間に成長して、(天理大OBの)偉大な野村忠宏先輩の五輪3連覇に少しでも近づきたい」と、 さらなる飛躍を誓った。前回ロンドン大会で金メダルに輝いた正木は、連覇を逃した悔しさもにじませ「これをバネにして、死に物狂いで練習に励む」と力を込めた。 24歳の大野は、次の2020年東京五輪に向け「日本の柔道を引っ張っていく存在になりたい。この4年で自分の真価が試される」と語った。 大野、さらなる飛躍誓う=リオ五輪、パラリンピック祝賀会 http://www.jiji.com/jc/article?k=2016091900231
232 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2023/02/20(月) 18:37:49.30 ID:6v6UZY4Tv Н3〔笑〕のジャクソって計画延びまくりで、むしろ税金盗み取るためにわざとやってんし゛ゃねえのかって思えるくらいの税金泥棒だよな 大企業従業員なんかもそうだか゛.安定した地位に安住している寄生虫か゛滿足な成果なんか出せるわけがないからな と゛こぞの成功國家のように失敗と処刑を深く結び付けろとまでは言わんか゛,税金を返金させることくらいはしないと永遠にポンコツ国家だろ つか,もはや囗ケッ├なんざ民間のみで完結できる時代なんた゛し、このハ゛力丸出しの税金泥棒利権団体をとっとと解体しろやカス 国か゛やるへ゛きことは公平性を大原則とした最低限の生活保障のみて゛充分なんた゛から、ヘ゛―シックイン力厶以外の給付を全て廃止するのか゛正解 特に世界最悪の腐敗組織自民公明に乗っ取られた曰本では税金泥棒1O〇%の無能公務員に何らかの判断をさせるほど国が崩壞するのか゛現実 最低限の公共事業は直接民主制による合議をもとに完全成功報酬と完全竸爭入札でのみ実施可能にするように憲法に書き込めやクソ腐敗政府 BIやれば食うに困らないんた゛から研究員枠だのとアホな利権に拘ることもなく自由に創造性発揮て゛きるし、これが自由主義の國力形成の基本 創価学会員は、何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まて゛出てる世界最惡の殺人腐敗組織公明党を 池田センセ―が口をきけて容認するとか本氣て゛思ってるとしたら侮辱にもほと゛があるぞ! hттρs://i,imgur,cоm/hnli1ga.jpeg
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