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【悲報】日本土人がハイボール以外のウイスキーの飲み方を知らない 何でわざわざ香りを邪魔するんだ [266670284]
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です:2014/09/07(日) 17:18:29.38 ID:pnlRIfyF0.net ?2BP(2350)
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ウイスキーは「文化をまとった酒」
洋酒をめぐる風俗史
狩野 卓也 【Profile】
ウイスキー市場、約20年で4分の1に縮小
第2次世界大戦後の日本経済の発展は、日本における洋酒文化、特にウイスキー市場の形成に大きな影響を与えた。
それまでのマーケットは日本酒を中心に回っていたが、日本の社会・文化が欧米のスタイルを取り入れて成長するともに、ビール・ウイスキーの消費量が成長していったからだ。
各家庭に冷蔵庫が普及するとともにビールの消費量は増え、1950年代には日本酒を抑えてナンバーワンに。
人口増に伴い酒類消費総量は増加していく中で、日本酒の消費量は1975年をピークに減少に転じた。
一方、ウイスキーは1983年まで増加を続ける。しかし、米国に端を発した“白色革命”(ウォッカ、ジンなど白色蒸留酒が好まれるようになった
消費傾向)の影響は、日本では焼酎・チューハイブームという形で表出。焼酎の消費量は1983年からわずか数年間で倍増し、ウイスキーを追い抜いた。
ウイスキーは戦後一貫して消費量が増加していたものが、1983年のピークから数年の間に4分の1も減らした。1990年には日本独特の級別制度が廃止され、
平均的な価格は下がったものの市場はさらに減少。2000年代に入った頃には、ピーク時の4分の1程度にまで収縮してしまった。ようやく増加に転じたのは、ここ数年のことである。
ウイスキー黎明の時代
日本にウイスキーが普及したのはそう古い話ではない。寿屋(現在のサントリー)が、「醒めよ人!/すでに舶来盲信の時代は去れり/酔わずや人/
我に國産至高の美酒/サントリーウイスキーはあり!」との激烈な広告メッセージとともに国産ウイスキー第一号を発売したのは、1929年のことである。
当時のウイスキーのマーケットは極めて小さく、一部の富裕層が欧米文化への接点として口にする程度であっただろうが、
文章からはすでに輸入ウイスキーが日本国内では珍重されていたことがうかがえる。多くの人にとっては、うわさに聞いたことがある憧れの酒だったことであろう。
日本で大衆が本格的にウイスキーに触れられるようになるのは、1960年以降のこととなる。
http://www.nippon.com/ja/views/b04202/
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