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「ネトウヨ、パヨク」と「保守、リベラル」は何が違うのか? 識者「レッテルを貼らないことです」 ケンモメンパヨクだった [921271808]
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2019/06/08(土) 15:36:40.28 ID:4hv8RBMO0.net ?2BP(1000)
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「ネトウヨ」は、文字通りに解釈すれば、「ネット上で右翼的な発言をしている人」ということになるのだろうが、
現実的にはもっぱら蔑称、悪口として用いられている。
この対義語とされているのが「パヨク」で、こちらも単に「ネット上で左翼的な発言をしている人」という意味合いではなく、
蔑称、悪口として用いられている。
そのため「私はネトウヨです」とか「パヨクとして一言申し上げますが」という感じで、自称として用いる人は基本的にはいない。
「右翼」「左翼」あるいは「保守」「リベラル」は一つの立場であって、本来悪いことではない。
では、そうした立場の人たちとネトウヨやパヨクはどう違うのか。
こうした疑問から、一つの答を導いたのが、著述家の物江潤さんだ。
物江さんは、福島県出身。現在は、地元で塾経営をしながら、被災地などのフィールドワークを行っている。震災後の被災地での経験や、
ネット上での議論などを踏まえて、物江さんが注目したのは「対話の可能性」というポイント。「保守、リベラル」と「ネトウヨ、パヨク」とを分けるのは
「対話が可能か否か」というのが、物江さんの考えだ。新著『ネトウヨとパヨク』を出したばかりの物江さんに、話を聞いてみた。
――なぜ「対話が可能か否か」が境界線になるのでしょうか?
「まず、ネトウヨもパヨクも悪口の一種だと考えていいでしょう。これらのレッテルをポジティブな意味で使っている例はほぼ見たことがありません。
その一方で、彼らが自称する保守やリベラルは思想的(政治的)立場であって、それ自体は何ら批判されるべきものではないはずです。
そうすると、ネトウヨやパヨクには何らかのネガティヴな性質があるということになります。しかも、正反対に見えて、両者には共通項がある。
自分自身の経験なども踏まえて到達したのが、対話可能かどうかで分類してしまえば良い、という結論でした。
対話可能であればネトウヨやパヨクではない、ということです」
――しかし「対話が可能かどうか」というのはどこで判定するのでしょう? 「バカ」とか「クズ」といった罵詈雑言だって、対話と言えなくもないのでは?
「それは議論のルールを守れるかどうか、で判定すべきだろうと思います。ドイツの哲学者、ハーバーマスは、
『議論の参加者は完全に自由で平等だ』という考えを示しています。つまり、特定の人の意見だけが重視されたり、通りやすいような状況は望ましくないということです。
誰かに対するレッテル貼りが罪深いのは、『この人はこういう人だ』と決めつけて、最初から話を聞かない、検討に値しないという姿勢につながるからです。それは議論のルールに反します。
特定の人種を敵だと決めつけてしまうと、最初からその人の話を聞かないことになるので、対話ができなくなります。
また、たとえば安倍政権を支持している人を、知的に劣っているかのように決めつけてしまうのも同様でしょう」
――レッテル貼りさえしなければ、対話は可能なんですか?
「議論のルールは、三つある、と『ネトウヨとパヨク』では書きました。
以下ソース
https://www.dailyshincho.jp/article/2019/05310731/
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