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金亨稷先生「民衆が銃剣を手に立ち上がって敵とたたかい、国を取りもどし、搾取と抑圧のない新しい世の中をうち立てなければならない」 [377482965]
- 1 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (アウアウカー Sa91-F4cy):2020/07/11(土) 00:44:07 ?2BP ID:ZQf2XtqPa.net
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Naenara−朝鮮民主主義人民共和国
http://naenara.com.kp/main/index/ja/first
無産革命方針を示して
金日成主席は回顧録「世紀とともに」で次のように述懐している。
「民衆が銃剣を手に立ち上がって敵とたたかい、国を取りもどし、搾取と抑圧のない新しい世の中をうち立てなければならない。
それは父が苦心の末に到達した結論だった。それがほかならぬ無産革命方針である」
日本帝国主義に国を奪われた後、国権回復と民族的独立を達成するための朝鮮人民の必死の戦いは侵略者の野蛮な弾圧によって苦い失敗だけを重ねていた。
国内には反日結社がほとんどなく、大方の人は反日活動に参加することなど思いも寄らずにいた。
受難の時代は全民族を闘争へと導く正しい指導的指針がもたらされるのを渇望していた。
金日成主席の父である不撓不屈の革命闘士金亨稷先生(1894・7〜1926・6)は、祖国の暗澹たる現実と受難に満ちた同胞の惨状を骨身にしみるほど体験し、民族の運命を救うための革命に身を投じた。
先生は、遠大な志を抱かなければならないという「志遠」の思想に基づいて革命闘争で志を共にする同志糾合と広範な人民大衆を啓蒙させる活動を繰り広げた。
先生はチュチェ6(1917)年3月23日、平壌の学堂谷で全朝鮮民族が一致団結して朝鮮人民自らの力によって国の独立を成就し真の文明国家をうち立てることを目的とする反日地下革命組織である朝鮮国民会を結成し、その組織を内外に絶えず拡大させた。
1919年の3・1人民蜂起を契機に日帝の軍事的支配に反対する朝鮮人民の闘争が激しく行われていた時期、先生は自分の思想を定立し、無産革命をしなければならないという決心を抱いた。
先生は1919年7月、青水洞会議で無産革命の歴史的必然性を論証し、それにもとづいて、8月には中国の寛甸で朝鮮国民会の各区域長と連絡員、独立運動団体の責任者会議を招集し、無産革命方針と無産民衆の権益を保障する新たな社会を建設するという課題、革命的武装活動方針を闡明した。
これは、先生の生涯における大きな業績の中の一つである。
先生は、無産革命にたいする自分の理念をつねづね、食べ物のない人には米を与え、着る物のない人には衣服を与える新しい世の中をつくることだ、と素朴な言葉でいいあらわした。
そして、実践活動を通して労働者、農民をはじめ勤労民衆に先進思想を教え、彼らを一つの革命勢力に結集させた。
先生は日帝の厳しい弾圧の中でも屈することなく、体が引き裂かれ粉になろうとも代をついで不屈にたたかい、三千里錦繍江山に必ず独立の新春をもたらそうという、燃えるような意志をこめて詩「南山の青松」をつくった。
先生は生涯の最期の瞬間にも、自分より革命のことを先に思い、お子様たちに骨が砕け、身が粉になろうとも、必ず国を取り戻さなければならないという貴重な遺志を残した。
2020-07-10
- 2 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です :2020/07/11(土) 05:35:41.70 ID:AfEBUabU0.net
- 絵を描いてリメイクしてもらうスレ22
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