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エジプトやイランとか昔は凄い古代文明が栄えてたのに今となってはしょうもない土人国家に成り下がってるのが残念すぎる [718158981]

23 :番組の途中ですがアフィサイトへの\(^o^)/です (テテンテンテン MM7f-AHqd):2023/05/30(火) 03:55:47.90 ID:UUo1qsrDM.net
言いたくないがイスラーム以前の方が大抵の場合程度が低い

エジプトは東ローマ帝国の皇帝領だったので穀物地帯として栄えてはいたが
イスラーム出現直前にササン朝のホスローに丸ごと占領されて荒らされまくっていた

そしてイランやイラクは丸々ササン朝下にあったが、メソポタミアは下流域が塩性湿地化して大規模な灌漑が必須
首都クテシフォンの置かれた上流は栄えてこそいたが、古代から栄えすぎて土地に栄養がなくやはり灌漑必須
100万の黒人奴隷を使役して漸く耕作地としていた

ペルシア言わずもがな荒れまくっていたし、北部東部は遊牧民族との抗争が激しくカレン家やバーワンド家のような分家の専横を黙認せざるをえなかったほど

それにイスラームウンマの軍がシリアで東ローマ帝国打ち破った時、ただの一度の会戦でシリアの命運が決した観があったが
それもまた直前にホスローの制服を受け壊滅状態だったから
とはいえこの時点では東ローマは十分にエジプトを保持していたし、シリアの奪還も不可能ではなかった

それをメソポタミア偏重のササン朝がイスラー厶ウンマに敗北したことで台無しにした
ササン朝はメソポタミア一つ失っただけで、直前のホスローの時代に東ローマをギリシア本土のみにするまで追い詰めたのが嘘だったかのように、瞬く間に崩壊し
やすやすとイスラームの支配下に入った

そしてこの時点でエジプトの運命も決まった
エジプトの軍団は悠々と侵入したイスラームウンマのカリフ、ムハンマドの親友ウマルに抵抗もそこそこに降伏した

いわゆるジズヤ税やズィンミー権などの保障はあれど
それ以来エジプトやイラク、イランがイスラーム勢力の支配を離れたことはない
それはつまり、かつてのササン朝と東ローマ帝国という超大国の係争地として争われた時代より民衆が安んじたということ

7世紀にコプト教会の下イスラーム支配を受け入れたエジプトは
その後もトゥールーン朝期やイスマーイール朝の初期までキリスト教徒が多数派で居られたし
同じくイラクもアッシリアを中心にキリスト教徒が多く信仰を保持し、現代まで続いている

但しイランのみは速やかにゾロアスター信仰を放棄しイスラーム化した
おおよそ9世紀から10世紀の間までには圧倒的少数派に落ち
ゾロアスターが灯したという聖地ヤズドの聖火さえ消えていたとされるほど
それほどまでに当時のペルシア、イランは人口希薄で生活水準も低く、なにより集権化が低かった

とどのつまり所詮は古代
栄えていたというのは都市生活であり、地方からの収奪に成り立つモデル都市めいた虚像でしかないということ
最終的にイスラームを選択したのは
文化文明の担い手である民衆であり農民たちだったのだから
それを土人というのなら、ただ浅はかとしか言え無い

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